13 世紀絵巻と似絵作品との比較から見る金刀比羅宮本「なよ竹物語絵巻

13 世紀絵巻と似絵作品との比較から見る金刀比羅宮本「なよ竹物語絵巻」の絵
画様式・表現の特徴
藤田紗樹
香川県金刀比羅宮所蔵「なよ竹物語絵巻」(以下、金刀比羅宮本)は、鎌倉時代後期の制
作と考えられている絵巻物である。後嵯峨天皇(1220-1272)の恋愛にまつわる説話を絵画
化した絵巻であるが、その制作背景は不明であり、様式的にも類似した作品がなく孤立して
いるために、美術史上における位置づけがなされてこなかった。発表者は、金刀比羅宮本の
制作背景を明らかにすべく研究を続けてきた。これまでの研究では、金刀比羅宮本の一部の
人物の顔貌表現に「似絵」という実在した人物の描く手法が取り入れられていることを指摘
した。物語・説話絵巻の中に似絵を取り入れた事例はなく、本絵巻の大きな特色である。ま
た、その中でも西園寺家の人物の描き方に特に注意を払っていることから、絵巻の注文主を
西園寺家の人物でないかと想定した。さらに、似絵は行事など特定の主題と結びつく絵画で
あるが、金刀比羅宮本において、似絵の人物は行事(蹴鞠、管絃の宴、最勝講)の場面にの
み描かれ、加えて先行する似絵作品の構図も参照していることから、金刀比羅宮本は明確な
意図をもって似絵を取り入れていることを指摘した。
承久の乱以降、勢威が失われていく公家社会において、彼らは文芸の主導者となることに
よってその権威を保とうとしていた。それは、後嵯峨天皇朝以降の物語文学や和歌の隆盛、
行幸の復興、天皇家における仏事の主導など様々な形であらわれている。本絵巻はこのよう
な状況を踏まえて、特定の人物を示す似絵を用いて行事の場面を描くことで、王臣関係をよ
り明確に可視化、言い換えるならば行事・文芸の主催者としての王、それを補佐する近臣と
いう当時の公家社会における理想的な姿を表し、称揚していると考えられる。本絵巻の制作
者が西園寺家の人物である可能性を述べたが、このような表現からも、本絵巻は天皇家の人
物の鑑賞を前提として制作され、西園寺家の人物が天皇家の人物に接近する必要に迫られ
た時期に制作されたものと考えられる。そして、西園寺家が特に天皇家に接近していたのは、
西園寺実兼(1249-1322)が持明院統に接近していた時期、すなわち 13 世紀末ごろである。
この時期、西園寺家の庶流洞院家が大覚寺統に接近して権勢を誇っていたため、実兼は持明
院統に接近して権力の回復を図ったのである。そしてそれは、持明院統の伏見天皇の即位と
いう形で実現した。
以上の分析から、本絵巻の制作時期を 13 世紀末頃と結論づけたが、様式的な観点におけ
る制作時期の妥当性については、議論の不足の感が否めない。そこで本発表では、①鎌倉時
代後期に制作された絵巻群との比較、②他の似絵作品との比較を詳細に行い、提示した制作
年代が様式的にも齟齬をきたさないか検討を試みる。①では、特に高階隆兼周辺で制作され
た絵巻群と 13 世紀後半に宮廷社会で制作された絵巻群との比較を中心に行う。隆兼は 14 世
紀初頭に活躍した絵師である。先学において、本絵巻は隆兼様式が崩れたものと位置づけら
れるが、果たしてそのように言えるのか再検討を行う。②においては、本絵巻に描かれた似
絵の人物の顔貌は、明らかに本人の顔貌を意識して描いていることには相違ないが、例えば
垂れた目や面長な顔など、顔貌の特徴が極端に強調される傾向にあり、他の似絵作品との表
現とはやや距離があるため、その表現の差異は如何なる理由によって生じたのか、他の似絵
作品との比較を通して検討を試みる。その上で、改めて金刀比羅宮本が 13 世紀末ごろの制
作であることを提示したい。
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