永契會 Newsletter *題字は眞島利行先生の揮毫による No. 24 大阪大学理学部化学高分子科学教室 永契会 を得て正確な年表を作成することができました。そ れから個人情報保護と費用の観点から名簿の配布 を 2006 年でやめ、不定期に刉行されていた永契会 誌とニューズレターを一本化して毎年発行としま した。また永契会のホームページを大幅に改訂し、 今では各年次のクラス会情報も簡単に引き出せる ようになりました。永契会は専任の事務方がおりま せんので、これらの改革には現役の先生方の多大な ご尽力があったわけで私の在任中のご苦労に対し 深くお礼を申し上げます。私は永契会が年配のOB の方々にとっての拠り所であると同時に、年々大学 を巣立って行く若い人たちの間でも充分にその意 義が理解され、積極的に活動に参加されることを強 く希望しています。 それでは今年が我が国にとって今までの停滞を 打ち破る新しい動きのスタートとなることを希望 して新年のご挨拶といたします。 永契会ニューズレター巻頭言 永契会会長 2011 年 2 月 渡辺 英二(旧制 19 回) 昨年は「はやぶさ」の 地球帰還と鈴木章さ ん・根岸英一さんお二人 のノーベル化学賞受賞 というたいへん明るい ニュースがあり、暗い世 相のなかで国民に勇気 を与えてくれました。 2003 年の下村脩さんに 次ぐ化学賞授賞は子供 たちの間に化学に対する関心を高め、学問の世界を 志す若者が増えることが期待されます。しかしなが ら我が国の現状を見ますと、三年前のリーマン・シ ョックからの快復過程で、中国をはじめ新興国が目 ざましく存在感を高めているのに反し、わが国はい まだに経済の停滞から抜け出していません。私が最 も心を痛めるのは、人口減尐が顕著で将来人材不足 が懸念されるわが国において、高校・大学を卒業す る若者たちが職探しに苦労していることです。若い 人たちが明るい夢を描けないような現状はなんと しても変えてゆかなくてはなりません。そのために 力を尽くすべき政冶の世界での混乱はまことに残 念なことです。明治維新に際しては、現在とは比較 にならないほど難しい時期に、各方面で国の将来を 憂える若い優れた人たちが輩出して世の中を変え ていったのを思い出すべきでしょう。 さて私が 2003 年に永契会の会長をお引き受けし てから七年が過ぎました。昨年傘寿に達した私とし てはこのへんで会長を退き、新進気鋭の方に今後の 運営をお願いしたいと考えています。幸い立派な候 補の方が見付かりましたので本年の永契会総会で 引き継ぎを行えることになるでしょう。 私が会長になった時点で私は永契会の歴史に二 年の誤りがあることに気づき、多くの方々のご協力 化学系教室の近況報告 井上 正志(化学科長・高分子科学専攻長) 宗像 利明(副学科長・化学専攻長) 今年の冬は例年になく雪が多いそうで、正月には 大阪でも久しぶりに積雪を見ました。積雪は年によ って波がありますが、化学系教室の教育・研究は、 例年と違わず着实に進んでおります。 平成 19 年度より開始された大学院教育に関する 支援プログラムであるグローバル COE プログラム 「生命環境化学グローバル教育研究拠点」(5 年 間)や、昨年度から始まった質の高い大学教育推進 プログラム(教育 GP)「知的能動性をはぐくむ理 学教育プログラム」(3 年間)は、順調に成果を上 げています。この教育 GP プログラムの一環として、 学年の枠を超えた交流の場として縦断合宿を始め ましたことを,去年お伝えしました。今年度は、9 月に兵庫県たつの市で实施しましたが、さらに学生 が为体的となった内容になったと思います。院生に 1 よる研究室生活の紹介や就職活動に関する説明を 通じ、学生が近未来のビジョンを明確に持つことに よって、「意識の質の向上」が達成できたものと思 います。参加者数も、前年度の 60 名から 80 名(教 員 4 名)に増えました。 さて、今年度の大きな話題として、国際化拠点整 備事業(グローバル 30)による留学生の受け入れが、 昨年 10 月から始まったことをお伝えしなければい けません。グローバル 30 は、英語による授業等の 实施体制の構築や、留学生の受け入れ体制の整備、 また戦略的な国際連携の推進を目指したものです。 鳴物入りで始まった事業ですが、2 度の事業仕訳に 遭い大幅に予算が減額されました。幸いにも関係者 のご尽力により、無事实施に漕ぎ付けることができ ました。化学科が関係するものは、理学部・工学部・ 基礎工学部で实施する「化学・生物学複合メジャー コース」で、理学部では 4 名の学生を受け入れまし た。大学院では、化学専攻・高分子科学専攻・生物 科学専攻が实施する「統合理学特別コース」が設置 され、3 専攻で 15 名の学生を受け入れました。今後、 留学生が増えていくと思いますが、留学生と切磋琢 磨する環境の中で、国際的に通用する人材が育って くれることを目指しています。 平成 20 年度に新設された生命理学コースの学生 も、今年度には 3 年生となって、約 1/3 の学生が化 学科の学生と混じって化学实験 1・2 を受講しまし た。現在、8 名の学生が化学特別实験(旧アドバン スド实験)を化学系教室の研究室で履修中です。3 年生の 1 月に配属が決まる化学科のシステムとは異 なり、生命理学コースの学生の配属決定は 4 月まで 待つことになりますが、4 月以降も化学系教室で生 命理学や化学の新しい分野を切り開いてくれる人 材に成長してくれるものと、期待しています。 さて、人事異動に話題を移しますが、昨年 3 月末 には、笠井俊夫先生、渡会仁先生、鈴木晋一郎先生、 奥山健二先生が定年退職されました。奥山先生の後 任には今田勝巳准教授が、昨年 10 月に本学生命機 能研究科から着任されています。転出関係では、昨 年 4 月には柘植清志准教授(錯体化学研究室)が富 山大学理学部に、竹谷純一准教授(物性物理化学研 究室)が本学産業科学研究所に、大石徹准教授(生 体分子化学研究室)が九州大学理学研究院、上田貴 洋准教授(総合学術博物館)が東洋大学理工学部に それぞれ教授として転出されました。また、宮久保 圭祐講師(表面化学研究室)が本学総合学術博物館 に准教授として転出されました。 次に採用ですが、昨年 3 月に石川春人助教が講師 (生物物理化学研究室)として着任されました。4 月には佃俊明助教が錯体化学研究室に、福田貴光講 師が無機化学研究室に、それぞれ講師として着任さ れました。笠松良崇博士が放尃化学研究室に、山中 秀介博士が量子化学研究室に、吉成信人博士が錯体 2 化学研究室に、梅川雄一博士が分析機器室に、助教 として着任されました。昨年 6 月には、田中大輔博 士が物性有機化学研究室に、土川博史博士が生体分 子化学研究室に、また 9 月には、岡本亮博士が有機 生物化学研究室にそれぞれ助教として着任されま した。本年 1 月には、加藤浩之博士が表面化学研究 室に准教授として着任されました。昇任人事としま しては、昨年 3 月に橋爪章仁助教(高分子集合体科 学研究室)が講師に、松森信明助教(生体分子化学 研究室)が准教授に、11 月には浦川理助教(高分子 物理化学研究室)が講師に昇任されました。 受賞関係のご報告ですが、若手を中心に多くの受 賞がございました。本ニュースレターの別のページ でご紹介させていただきたいと存じます。昨年春に は、桑田敬治名誉教授が「瑞宝中綬章」を受賞され ました。残念なご報告としては、寺本明夫名誉教授 が昨年の 2 月 7 日に、芝哲夫名誉教授が 9 月 28 日 にご逝去されました。ご冥福をお祈りします。 5 月 1 日は大阪大学の創立記念日であり、本年は 創立 80 周年の記念式典が大阪国際会議場で開催さ れます。また、5 月 3 日(火)にはホームカミング デイが予定されており、永契会総会や理学部講演会、 その他のイベントが開催されます。是非これらの行 事にご参加いただき、理学部化学系教室の現状をご 覧いただければと思います。 最後になりましたが、今後とも大阪大学理学部化 学系教室へのご指導・ご鞭撻をよろしくお願い申し 上げます。 化学系研究室の近況報告 化学専攻、錯体化学研究室 今野 巧 私が群馬大学から転任して参りましたのが 2000 年 10 月ですから、こちらで錯体化学研究室を立ち 上げさせていただいてからちょうど 10 年が経過し たことになります。赴任当時、研究室には、助教授 3 名(小森田、隈、山成先生)と助手 1 名(川本先 生)、および学生4名が在籍していました。2001 年 に小森田先生がご退職、2004 年に隈先生がご逝去、 同年、山成先生が大阪大学教育实践センターへご栄 転、そして川本先生が 2008 年に神奈川大学へ教授 として栄転されました。2004 年に井頭麻子さんを助 教として採用、2008 年に柘植清志さんを准教授とし て採用させていただきました。昨年、柘植先生が富 山大学に栄転され、その後任として、佃俊明さんを 講師として採用、また、私の研究室で学位を取得し た吉成信人君を助教として採用させていただきま した。現在の研究室は、私を含めてスタッフ4名、 博士コース学生 5 名、修士コース学生 10 名、学部 4 年生 4 名であり、充实したメンバー構成となってい ます。 現在、研究室では、新しいタイプの単核、多核、 超分子金属錯体の合成、ならびにそれらの示す特異 な立体構造、電子状態、諸物性の解明に関する研究 を行っています。特に、従来の「無機配位子や有機 配位子を用いる錯体化学」から「金属錯体自身を配 位子として利用する錯体化学」への展開を進めてい ます。この手法を用いることにより、アミノ酸など の単純な有機化合物から、段階的かつ立体選択的、 キラル選択的に混合金属型の多核錯体や金属超分 子の開発を行うとともに、この種の金属化合物に取 り込まれた金属イオンや無機イオン、あるいは有機 分子に関する新規結合や異常電子状態の発現を探 索しています。 私がこちらにお世話になろうと決心した理由の 一つが、「忚用にこだわらない純粋な錯体化学の研 究」を行うことができるということにありました。 私の恩師の日高人才先生は、ここ阪大理学部(槌田 龍太郎研究室)の出身であり、筑波大学に教授とし て移られるまで、こちらで研究を続けられました。 「忚用とは縁遠い(ように見える)純粋な錯塩化学 の追求」が、槌田先生そして日高先生の研究路線で ありました。私も、時流に流されずに、「美しい純 粋錯体化学」の一分野の確立を目指して研究を続け て行きたいと考えています。 研究室ホームページ http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/konno/ らぎが生じ、それが時には劇的な集団現象となりま す。物質を舞台にした物性研究には、このような集 団効果に基づく未解明な現象がまだまだ沢山ある と考えております。その一端として、これまで、ス ピンが極低温まで自在に動き回ってエントロピー を運んでいるスピンの液体状態の研究や、それと関 連した非 BCS 型の超伝導、分子磁性体の特異なグラ ス化現象に関する研究を行ってきました。2009-2010 年度は分子科学研究所の実員の機会を頂き、阪大で 考案した極低温の熱測定装置を分子研の大型冷凍 機に組み込むことも並行して進めております。 研究室のスタッフとして 2006 年に竹谷純一准教 授が、2008 年には山本貴助教がそれぞれ着任致しま した。竹谷准教授は、有機分子半導体を電界効果ト ランジスター構造にした素子やその材料でおこる 界面の電子輸送、熱輸送に関する研究を大きく展開 させ、昨年 4 月に産業科学研究所に教授として異動 いたしました。また、山本助教は固体中の分子の振 動分光を用いて電子の局在、遍歴状態を調べる仕事 を精力的に進めています。昨年 3 月には立ち上げ当 初から研究室に在籍してくれた学生が、初代の博士 (理学)学位を取得しました。現在、博士課程 2 名、 修士課程 9 名、学部 4 名の学生さんが所属しており、 人数が次第に増えていく中で、毎日賑やかに過ごし ながら研究を進めています。周りの先生方とも協力 して、阪大オリジナルといえるような物質開発、物 性開発研究を展開していければと思っております。 今後とも、よろしくご指導頂ければ幸いに存じます。 研究室ホームページ http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/nakazawa 高分子科学専攻、超分子科学研究室 化学専攻、物性物理化学研究室 中澤 原田 明(新制高 10 回) 康浩 永契会ニューズレターでの研究室紹介が一巡し て、当研究室(超分子科学研究室、原田研究室)に 順番が回ってきました。当研究室は発足して 12 年 目で理学研究科の中では古い研究室になります。当 研究室は私(原田)と山口浩靖講師と高島義徳助教 とで構成されています。研究室の名前の通り、「超 分子科学」の研究をしていますが、高分子科学専攻 ということで、高分子が関係する超分子科学、超分 子科学に基づく高分子科学を行なつております。具 体的にはシクロデキストリンをキー化合物として、 高分子の認識を通して、新たな超分子ポリマーを構 築しています。20 年ほど前に合成した「ポリロタキ サン」が、東大のベンチヤーなどの努力により、傷 がつきにくく自己修復性を有する表面塗装に利用 されました。昨年、はじめて携帯電話の塗装に用い られ、实用化されました。さらに様々な利用が計画 平成 17 年(2005 年)4 月に着任して以来、早いも ので 5 年 10 カ月が経過いたしました。伝統ある物 性物理化学研究室を引き継ぐことになり、大きなプ レッシャーを感じながらも、この間、諸先輩方のご 理解、周りの皆様のご指導、ご協力を頂きながら何 とかやって参りました。熱的な測定を为な切り口と して、磁性、輸送現象測定、光学的な測定とあわせ、 分子の凝集系ならではの集団現象の開拓とその理 解を進めることが私たちの興味になります。化学の 研究は、ユニークな特徴をもつ分子がスタート地点 になりますが、物性研究では、そうした分子が独自 の個性を保ったまま相互作用のネットワークをつ くり、集団としての機能を発現していくプロセスを 理解することが重要になります。相互作用の形態や 強さによって、様々な階層での空間的、時間的な揺 3 されており、大量生産にとりかかつているようです。 一昨年にはベルギーで開催された Solvey 会議に 出席しました。Solvey 会議は高校の教科書にも載っ ている有名な会議で、基礎科学に関する会議です。 第1回の会議は丁度 100 年前(1911 年) に開催され、 Marie Curie や Einstein も参加した会議です。今回は 今世紀初で、20 年ぶりの会議だそうです。そのタイ ムスケールの大きさに驚かされます。 昨年には「分子認識による巨視的自己組織化」に 初めて成功し、Nature Chemistry に掲戴されました。 後に Nature 誌に Highlight として紹介されました。 これまでは分子認識による分子の自己集合化によ る超分子形成の膨大な研究報告がありますが、巨視 的な自己組織化の研究はありませんでした。この研 究は新聞や雑誌で紹介されましたが、驚いたのは Yahoo や YouTube などのインターネットでの紹介で、 多くの反響がありました。 また、抗体を用いて人工光合成を行い、光を用い て水から水素の発生に成功しました。また、抗体 Rh 錯体触媒により、完全不斉合成を達成しました。 研究室ホームページ http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/harada/index.html 産業科学研究所 医薬品化学研究室 加藤 修雄 産業科学研究所が 2009 年 4 月に改組され、当研 究室は第 3 研究部門(生体・分子科学系)に所属す ることとなったが、従前通り理学研究科化学専攻 B コースの協力講座として教育・研究に参画させて頂 いている。現在は、小職、大神田淳子准教授、新田 孟助教、山口俊郎助教、開發邦宏助教の教員 5 名の 構成で理学研究科博士後期・前期課程の学生諸氏と ともに、研究を遂行している。 小職の着任時(2003 年 4 月)から、石丸壽保、植 田育男両名誉教授が为宰されて来られた「合成医薬 品」から「医薬品化学」へ研究室名が改称され、「高 度福祉社会、高齢化社会に必要な新しい医薬品のシ ード・リード化合物の創製および薬物と薬物受容体 との相互作用など医薬品の作用機構解明」を使命と している。 小職および新田助教は、为にジテルペン配糖体か ら誘導した化合物を用い、14-3-3 たんぱく質の機能 制御を通した、細胞内信号伝達経路の解析・制御を 目指している。大神田准教授は、単なる酵素阻害剤 の範疇ではなく、今後より多くの医薬の標的になる と想定されるたんぱく-たんぱく相互作用の制御と いう困難な研究に挑戦し、たんぱく質表面を標的と する阻害剤・変調剤の創製に取組み、創薬に向けた 4 新手法の提案を目指している。開發助教は、緑茶成 分の医薬への展開とともに、ペプチド核酸を用いた ウイルス亜型の目視・迅速診断法の開発と言う今日 的テーマの研究を为導している。なお、山口助教は、 有機・無機ハイブッリド材料の産業忚用を指向し独 自の研究に邁進している。 直接的な医薬開発研究も一部遂行しているが、協 力講座としての役割においては、基礎学術的研究を 意識し、創薬に対する新たな標的や新手法の提案に 貢献できるような研究を推進して行きたいと考え ている。 研究室ホームページ http://www.sanken.osaka-u.ac.jp/labs/ofc/ 蛋白質研究所 蛋白質有機化学研究室 相本 三郎(新制化 18 回) 蛋白質研究所は、創設 50 年目の 2008 年に耐震改 修工事により本館が全面改修され、研究室の間取り も一新されました。2009 年には、1年遅れの 50 周 年記念式典を行い、蛋白質研究の国際的貢献を旗印 に新たなスタートを切りました。それに先立つ 2005 年には研究体制を一新し、赤堀先生・泉先生・下西 先生・相本と続いた「蛋白質有機化学研究部門」は 組織上幕を下ろし、相本研究室は、蛋白質化学研究 部門・蛋白質有機化学研究室となりました。現在、 川上徹準教授、佐藤毅助教、原利明助教とわたしの 4 名で研究室の運営に当たっています。 蛋白質有機化学研究室は、100 年の歴史を有する ペプチド化学・蛋白質化学の更なる発展に貢献する ことを目的とし、蛋白質化学合成法の展開を図って おります。現代的蛋白質合成化学は 1980 年代から 始まりましたが、私たちが 20 年前に提唱したペプ チドチオエステルを合成ブロックとする蛋白質合 成法は、その発展に大きく貢献し、今なお形を変え ながらも進化を続けております。お陰で国内・国際 を問わず学会の演題の 10%程度は何らかの形でチ オエステルが関係するものとなっており、蛋白質有 機化学を看板に掲げるものとして嬉しく思ってお ります。また、膜結合型チロシンキナーゼのリガン ド結合情報の伝達機構を明らかにするため、合成ペ プチドを用いて膜貫通部位ならびにその近傍の構 造を、固体 NMR を用いて解析しております。 相本が平成 23 年度で定年退職となるため、化学 専攻の学生は博士前期・後期併せて 4 名です。残り 時間が 1 年となりましたが、最後までご支援、ご鞭 撻を宜しくお願い申し上げます。 研究室ホームページ http://www.protein.osaka-u.ac.jp/organic/index.html 新教授紹介 高分子科学専攻、高分子固体構造論研究室 今田 勝巳 平成 22 年 10 月 1 日付 けで本学生命機能研究 科より異動し、理学研究 科高分子科学専攻高分 子凝集系科学講座の教 授に着任いたしました。 伝統ある研究室を受け 継ぐ緊張感と共に、新し い環境で仕事を始める 期待感に胸を躍らせて います。 私は、蛋白質などの生体高分子の機能集合体であ る生体分子機械に興味を抱き、研究して参りました。 生体高分子は、自発的に特定の構造を形成して相互 作用の相手を高精度で認識する一方で、熱振動で構 造は大きくゆらぎ、相手に合わせて形を変える柔軟 性を持ちながら作動します。このような「高精度」 と「いい加減さ」が両立しながら機能する生体高分 子機械の作動機構を高分解能の分子構造に立脚し て解明することを目指しています。 私は昭和 61 年に小林雅通先生の研究室に配属に なり、大学院では蛋白質研究所の勝部幸輝先生の指 導の下、X 線構造解析法の基礎を学び、耐熱性蛋白 質の構造研究で学位をいただきました。学位取得後 は(財)高輝度光科学研究センター職員となり、大 型放尃光施設 Spring8 の立上げに従事した後、松下 電器産業(株)(現パナソニック)国際研究所に勤 務しました。国際研究所は「生物に学ぶ」というテ ーマの下、当時としては珍しい年棒契約社員として 雇用された研究員が4つのグループで研究に従事 しました。私は、難波啓一先生(現大阪大学大学院 生命機能研究科長)のグループに入り、現在の为要 テーマでもある細菌べん毛の構造研究に取り組み ました。細菌べん毛は約 30 種類の蛋白質分子が約 2 万分子集合してできた巨大な分子集合体で、イオン 濃度差で駆動する分子モーターや、らせんスクリュ ーなど、各部が様々に異なる機能を備えた複雑なシ ステムで、それ自身分子機械の動作原理を研究する 上で興味の尽きない対象です。国際研究所は居室や 实験スペースの多くを共有していたこともありグ ループ間の垣根が全くなく、他グループのリーダー であった藤吉好則先生(現京都大学教授)や前田雄 一郎先生(現名古屋大学教授)、そこで出会った研 5 究仲間たちから多くの刺激を受けるとともに、既存 の学問境界に捕らわれずチャレンジしていく姿勢 を学びました。その後、科学技術振興事業団 ERATO プロジェクトへの移籍を経て、平成 14 年 4 月から 難波先生らと共に新設の大阪大学大学院生命機能 研究科へ助教授としてグループごと異動し、10 年ぶ りに大学へ戻りました。生命機能研究科では意欲の ある大学院生らの活躍もあり、細菌べん毛をつくる ために働く分子機械である蛋白質輸送装置の構造 研究が進み、作動实体が明らかになりつつあります。 この研究は、細菌がヒトに感染する際にも働く蛋白 質輸送装置との類似性が高いことから、大きな関心 を集めています。 生体高分子機械が作動する環境では、微小領域内 の数えられる程度の分子の濃度やゆらぎが本質的 に重要になります。将来的には、そのような場で成 り立つ動作原理や法則の解明へ向け、学生とともに 歩んでいきたいと思います。今後の皆様のご指導、 ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 研究室ホームページ http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/okuyama/index.html 受賞のお知らせ 桑田敬治先生 瑞宝中綬章受章記念祝賀会 大山 浩(新制化 30 回) 本会会員の阪大名誉教授桑田敬治先生 (理学研究 科化学専攻反忚物理化学研究室)は、平成 22 年度春 の变勲で、「反忚物理化学研究の分野における貢 献」により瑞宝中綬章を受章なされました。これを 記念しての祝賀会が、平成 22 年 10 月 2 日千里阪急 ホテル「仙寿の間」にて執り行われました。祝賀会 には、宗像利明化学専攻長はじめ韓国から洪大一先 生など桑田先生ゆかりの方々約 80 名にご列席いた だき、桑田先生と奥様を囲み、受章のお祝いをする とともに、懐かしい桑田研時代の話に花を咲かせて 旧交を深め、盛況のうちに祝賀会を終えることがで きました。 祝賀会では、化学専攻長はじめ多くの 方々からご祝辞をいただきました。また、コーネル 大の J. Freed 先生、ペルージャ大の V. Aquilanti 先生 など海外の方からもご祝電を頂きました。この場を お借りし、祝賀会ご列席者またご都合により祝賀会 には参加いただけませんでしたが記念品のご賛助 をいただきました方々に、発起人一同より心よりお 礼申し上げます。(発起人一同) 相本三郎教授 日本化学会賞受賞 川上 徹(蛋白質研究所) 蛋白質研究所、蛋白質有機化学研究室の相本三郎 教授(新制化 18 回)が、「ペプチドチオエステル を合成ブロックとするタンパク質合成法の開発」の 業績により、平成 22 年度の日本化学会賞を受賞さ れました。ペプチドの化学合成は、固相合成法、質 量分析や高速液体クロマトグラフィーなどの分析、 精製法などの進展とともに発展してきました。相本 先生は、固相法で得られるペプチドを合成ブロック としてさらに縮合(ライゲーション)することで長 鎖ペプチド、タンパク質の化学合成法の開発を推し 進めてこられました。この中で世界に先駆けて、ペ プチドチオエステルを合成ブロックとして導入さ れ、「チオエステル法」としてタンパク質の化学合 成法を確立されました。この方法は、大学院生が 100 アミノ酸残基数を超えるタンパク質を数か月で合 成できる、非常に簡便で有用な方法です。また、こ のペプチドチオエステルの導入以降、さまざまなラ イゲーション法の開発が世界中で繰り広げられ、タ ンパク質の化学合成法が爆発的に発展してきまし た。現在ではこのペプチドチオエステルはタンパク 質の化学合成にはなくてはならないものであり、こ のペプチドチオエステルの合成法およびライゲー ション法の開発によるタンパク質の化学合成法の 成功が評価され、第 63 回目の同賞を受賞されるこ ととなりました。なお、表彰式ならびに受賞講演は、 日本化学会第 91 春季年会の会期中(それぞれ 2011 年 3 月 27 日,26 日)に同会場(神奈川大学横浜キ ャンパス)で行われる予定です。 深瀬浩一先生 日本化学会学術賞受賞 藤本 ゆかり(新制化 37 回) 深瀬浩一先生(新制化30回)は、「精密有機合成と 生体イメージングを基盤とする生物活性複合糖質 の機能解明」により、平成22年度の日本化学会・学 術賞を受賞されました。 6 深瀬先生は、糖鎖の効率合成法に関する研究、革 新的標識化法を基盤とする N-結合型糖鎖複合体の 生体内イメージング、高等動物の防御機構を活性化 する細菌細胞表層複合糖質の研究において、化学合 成と生物機能研究を総合した幅広い研究戦略によ り、それまで不可能であったような生物活性糖鎖や 複合糖質の合成を实現し、さらに自然免疫の分子基 盤、N-結合型糖鎖の役割を化学的に解明されていま す。様々な生命現象に関わる生体分子の機能を構造 的基盤に基づいて解明することは、現在の有機化学 の重要な課題であり、今回、こうした天然物化学・ 生体関連化学分野における複合領域の発展への貢 献が評価され、第 28 回目の歴史ある同賞を受賞さ れることとなりました。なお、授賞式ならびに記念 講演は、日本化学会第 91 春季年会の会期中(2011 年 3 月 27 日)に同会場で行われる予定です。 その他の受賞 森田 靖 准教授 2010 年度 DIC 機能性材料賞 石水 毅 講師(新制化 41 回) 平成 22 年度日本生化 学会奨励賞 北河 康隆 助教(新制化 46 回) 第4回 PCCP 賞 田中 克典 助教 有機合成化学協会奨励賞、第 13 回 日本糖質学会奨励賞 吉村 崇 助教 日本放尃化学会奨励賞 寺尾 憲 助教(新制高 32 回) 高分子学会 PJ ゼオン賞 寄稿 芝先生を偲んで 豊島 正(株式会社ペプチド研究所) 芝哲夫先生(財団 法人蛋白質研究奨励 会・ペプチド研究所 所長、大阪大学名誉 教授)は、去る 2010 年 9 月 28 日肺炎のた め 86 歳でお亡くな りになられました。 先生は広島県尾道市 にお生まれになり、 ご幼尐のころから大 阪で過ごされました。 大阪府立浪速高等学 校、大阪帝国大学理学部化学科をご卒業後、大阪大 学理学部の助手、助教授を経て 1971 年からは金子 步夫先生の後を継いで教授に就任されました。先生 は大学入学以来定年退職されるまで 2 年余り米国の NIH へ留学されましたが一貫して大阪大学理学部化 学科に籍を置かれ永契会に非常に関係の深い先生 であったのではないかと思います 先生のお仕事は現在でこそケミカルバイオロジー と世の中に広く研究の分野となっているもので、当 時そのような名前では呼ばれていなかったものの まさにその分野を開拓されたと言って良いもので しょう。昭和57年(1982年)に日本化学会賞を「生体 機能解明のためのペプチド,糖に関する有機合成研 究」というタイトルで受賞されておられることから も良くお分かりいただけると思います。 先生のお仕事は特異な構造のアミノ酸を含む生 理活性ペプチドの合成研究を中心に幅広く行われ、 教授に就任後は糖質の分野にも研究の領域を広げ られ、輝かしい成果を数々残されました。1958 年に 赤堀四郎先生(第七代大阪大学総長)の発案で尼崎 のキリンビールの工場内で第 1 回のペプチドシンポ ジウム(正式には 1962 年に大阪大学蛋白質研究所 で行われたセミナーがペプチド討論会の第 1 回とさ れている。)として研究会が行われ 5 件の発表があ っ た そ う で す 。 そ こ で 芝 先 生 は Glutamyl-diglutamic acid の合成と題して発表されています。 それ以降、ペプチド、糖に関連した化合物を合成し それを用いて生体機能を解明するという研究を一 貫して遂行されました。芝先生はペプチド学会名誉 会員、日本糖質学会名誉会員、国際内每素学会終身 名誉会員、日本化学会名誉会員になられており、そ れぞれの学会運営にも大きく貢献されました。 一昨年(2009 年)の暮れまで、私の勤めておりま す(株)ペプチド研究所で月二回行っておりました 雑誌会に欠かさず出席され、若い研究者に鋭い質問 をいていただくとともに、先生ご自身もその発表を 担当され広い範囲で最先端の研究の情報を提供し ていただき、いつまでも新しいことを求めていく心 意気を示してくださいました。その勉強会が終わり ますといつも「今日も石橋まで乗せてくれるか?」 とおっしゃって、車で石橋駅までご一緒したのが昨 日のように思い出されます。 しかし 2010 年のはじめに体調を崩され、雑誌会 へ出席できない旨のご連絡をいただきました。その 後、ご自宅と病院での療養を繰り返されながら、病 床から何度か講演に出向かれ、最後まで意欲的に日 本のペプチド化学、糖質化学、化学史研究など発展 のために貢献されました。 私、一番に思い出されることは、昨年(2010 年) 6 月の始めに芝研究室の同窓会が楠本先生の研究室 の同窓会との共催で行われた時のことです。その約 一年前に合同の同窓会を計画したときから大変楽 7 しみにしておられました。しかし普通ならもう出席 できない状況だと思われたのですが、弟子たちに一 言お話したいという強いご希望で不自由なお体を 押して車椅子で出席されたことでした。次の世代を 担う者へ叱咤激励のお言葉を十数分間お話され一 同大変感慨深く伺いました。それから 3 ヶ月余りで 先生のご逝去の報に接し、先生のご指導を長年受け た者の一人として大変残念に思います。 ここにあらためて芝哲夫先生のペプチド化学、糖 質化学へのご貢献を感謝し、またこれまでご指導頂 きましたことにお礼を申し上げ、ご冥福をお祈り申 し上げます。 芝哲夫先生と適塾 木下 タロウ(免疫学フロンティア研究センター・ 微生物病研究所、教授、適塾記念会評議員、幹事長) 芝哲夫先生が 2010 年 9 月 28 日にお亡くなりにな って早や4ヶ月が過ぎました。久保先生から、理学 部化学系の同窓会誌に芝先生の追悼文の依頼をい ただきましたのは、適塾の関係で深く先生にお世話 になった者であるからです。私が初めて芝先生にお 会いしたのは、1997 年です。適塾記念会为催の第 1 回適塾研究会が 4 回シリーズで開かれるとのチラシ を見て参加した時でした。私は医学部の細菌学教室 に居ましたので、芝先生と歯学部小谷尚三先生の、 細菌細胞壁ペプチドグリカンやエンドトキシンに 関する共同研究についてはよく知っていましたが、 個人的にお目にかかったことはありませんでした。 母方に適塾生であった飯田柔平という人がいたこ とを伯母などから聞いたことがあり、その人が「塾 を破門され、後に許されて戻り、塾頭になった」と 書いてあるのをたまたま読んで、そのいきさつ、自 分との続柄や適塾のことを知ってみたくなり参加 しました。出てみますと、この研究会が芝先生の企 画によるものだとわかりました。参加者の自己紹介 で動機を話しましたら、先生は大歓迎、「ぜひ適塾 幹事会に入ってください。一緒にやりましょう。」 と誘ってくださいました。当時幹事長をされていま した医学部の多田羅浩三先生のご賛同もあって、研 究会終了後には、幹事会の一員として芝先生のお近 くで活動を始めることになりました。適塾幹事会は、 2 月に会合を開き、翌年度の諸活動を決め、夕刻に 懇親会を持つのが定例になっています。初めて参加 した懇親会で、芝先生が、「この適塾幹事会は大学 の中で一番楽しい会です。適塾を中心にしていろい ろな専門分野の人たちと交わる本当に楽しい会で す。」と言う趣旨のことをおっしゃったのが印象的 でした。洪庵、適塾を愛する人々との交わりの時間 を先生は本当に心から楽しんでおられたのだと思 います。 適塾の年間行事には、5〜6 月の適塾特別展、6 月 の洪庵忌、8〜11 月の適塾研究会(2008 年からは適 塾講座)、11 月の適塾記念講演会があります。幹事 会では、特別展のテーマと展示の内容、研究会のテ ーマ、各行事の担当幹事を決めますが、芝先生はた いてい案を考えてきておられ、他の幹事から提案が 出ない時には必ず、「今年は何々の何年目に当たる 年だからこういうテーマはどうだろう、こうこうす ればきっと良い展示になるよ」という具合に提案さ れました。適塾研究会も先生の発案で始まり、10 年 間コーディネーターとして毎年テーマと月一回計 4 回の内容を企画され、自らもしばしば講師を務めら れました。参加される記念会会員の方々には芝ファ ンが何人もおられ、親しく質疑忚答をされていまし た。 2010 年の洪庵生誕 200 年記念の年が意識されはじ めたころ、梅溪昇先生、そして芝先生が適塾記念会 の機関誌『適塾』の巻頭言で相次いで、懸案であっ た緒方洪庵全集の刉行に記念会として取り組むべ きであると提案され、刉行事業が始まりました。洪 庵の为要著作である『扶氏経験遺訓』『病学通論』 『虎狼痢治準』 の 3 つをまず取り上げることになり、 中でも大著の『扶氏経験遺訓』を芝先生が担当され ました。自ら全巻を翻刻され、その後詳しい註の作 成、解説の執筆まで、数年にわたり全力で取り組ま れました。ようやく洪庵生誕 200 年の年に最初の巻 を刉行する目途がつきかけた頃、先生から重大なご 病気のお話しを伺いました。「大丈夫できるから」 とおっしゃり、全力投球を続けられました。『病学 通論』についても翻刻を進めておられましたが、あ る時、「思ったより早う来よった」と病気の進行に ついて話されました。11 月 24 日に洪庵生誕 200 年 記念の適塾記念講演会と全集刉行記念のパーティ ーを開くことが決まり、芝先生にも御講演いただく ことになっており、すでに講演タイトルも「緒方洪 庵全集の執筆に生きる」といただいておりましたが、 しかし、真に残念ながらお話しいただくことはかな いませんでした。洪庵が全力を傾注してまとめた大 作の『扶氏経験遺訓』に、芝先生は渾身の力を込め て取り組まれ、見事に全集の第 1,2 巻を完成され ました。私は、芝先生が、洪庵と適塾に対して持っ ておられた愛情とでも言うべきお気持ちに共感し、 成し遂げられた顕彰活動のご功績に感朋しており ます。適塾顕彰活動を通じて先生から蒙りましたご 恩に感謝しつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌 8 寺本明夫先生を悼む 佐藤 尚弘(新制高 18 回) 本学名誉教授の寺 本明夫先生は、昨年 2 月 7 日(日)に腎 不全のため逝去され ました。享年 76 歳で した。 寺本先生は、昭和 8 年石川県小松市に お生まれになり、昭 和 36 年に京都大学 大学院工学研究科高 分子化学専攻の博士課程を修了されました。同年、 大阪大学理学部助手に着任され、同講師、助教授を 経て、昭和 61 年に大阪大学理学部教授に昇任され て高分子学科・高分子溶液論講座を担当されました。 助手に着任以来、平成 9 年の停年ご退官までの 36 年間にわたり、大阪大学理学部・理学研究科の発展 に尽くされました。ご退官後は、大阪大学名誉教授 となられるとともに、平成 16 年まで立命館大学実 員教授として、引き続き教育・研究に携わられまし た。 先生のご専門は高分子溶液学で、チャレンジング 精神旺盛に新しい研究テーマに果敢に取り組まれ ました。大阪大学に赴任されて来られたときは、高 分子溶液学は、日本ではまだ十分発展しておらず、 高分子の分子量を測定するにも苦労する時代でし た。そのような時代にあって、ポリペプチドという 生物学において重要な、しかしながら溶液研究を行 うのが難しい高分子の研究に取り組まれました。そ して、そのご業績により、昭和 50 年には高分子学 会賞を受賞されました。 また、ポリペプチドのご研究から、剛直な高分子 の濃厚溶液の性質へと研究を発展されました。この 研究テーマも、始められた当時は、混沌とした状況 にあり、先生のチャレンジング精神なしには、前進 させるのが困難な研究テーマでした。ちょうどその 頃から、私は先生と一緒に研究をさせていただいた のですが、先生のご指導の下、信頼性のある实験デ ータを辛抱強く集め、そのデータに基づいて新しい 理論を構築するという仕事を一緒に携われたこと を、いまでも懐かしく思い出します。私の研究生活 の中で、もっとも实りの多い時期でした。寺本先生 は、この研究のご業績等から、平成 8 年には高分子 学会・高分子科学功績賞を受賞されています。 先生は以上のご研究のほかに、高分子研究の国際 化と国際交流にもご尽力されました。先生が最後に 取り組まれた研究テーマであります「らせん高分子 の研究」は、アメリカの Green 教授、イスラエルの Lifson 教授などとの国際共同研究として進められ、 非常に美しい体系を作られました。国際共同研究の 重要性を身をもって示された事例です。また、平成 元年には当時の高分子科学専攻の先生方と協力さ れて、企業より寄付金を集められ、高分子に関する 国際シンポジウム開催の基金を設立されました。20 年ほど前には、日本の大学で国際シンポジウムを为 催することはまだ珍しく、日本から高分子研究の情 報を発信する重要性を、早くから認識されておられ ました。先生の始められた「高分子国際シンポジウ ム」も一昨年の十二月には第 7 回目を開催し、大阪 大学における高分子研究のステータスの高さをア ピールし続けています。 高分子溶液論講座同窓会では、先生の喜寿の お祝いを計画していた矢先の訃報でした。ここに、 謹んで寺本明夫先生のご冥福をお祈り申し上げま す。なお、取り紛れていて訃報をお知らせできなか った関係各位には、お詫び申し上げます。 グローバル 30 化学・生物学複合メジャー コースの紹介 深瀬 浩一(新制化 30 回) 大阪大学は、大学の国際化を目指し、英語による 教育を行う新学部コース(英語による学位取得プロ グラム)として化学・生物学複合メジャーコース ( Chemistry-Biology Combined Major Program: CBCMP)を立ちあげました(学士号授与:定員 20 名)。平成 22 年 10 月には、中国、米国、韓国、日 本、マカオから最初の学生 13 名が本コースに入学 しました。トップレベルの学生が入学したので、概 して彼らはまじめかつ積極的で、とてもハードなカ リキュラムですが、熱心に勉強に取り組んでいます。 理学部・工学部・基礎工学部が共同してこのコース の運営にあたっており、理学部からは化学科と生物 科学科が参加しております。CBCMP の教育理念に は理学部の伝統が反映されており、自然に対する深 い理解を有し、人類の文化の創造に貢献するととも に、国際的にトップレベルで活躍できる人材の育成 を目指しています。 大阪大学では、英語による学位取得プログラムと して人間科学コースが新たに平成 23 年 10 月に開設 されます。これらの学部レベルでの英語による国際 教育プログラムを組織的に实施するために、平成 22 年 8 月には大阪大学インターナショナルカレッジが 開校しました。カレッジ長には小泉潤二教育・情報 室長(理事、副学長)が就任し、私は 3 名の副カレ ッジ長の一人として運営に携わることになりまし た。 CBCMP では尐人数国際オナープログラムとして 9 化学・生物学における融合領域の教育を实施してい ます。高度な英語による授業を实施するために、イ ンターナショナルカレッジでは、専任の准教授 1 名 (数学)、特任准教授 3 名(化学、生物、物理)なら びに特任助教 4 名(化学、生物)から構成される外国 人を中心とするスタッフにより、講義、演習ならび に实験を实施しています。化学、生物両分野につい て必要な専門基礎知識を全て取得できるように編 成されたカリキュラムを提供し、今後の分野横断型 研究・開発の第一線に立つ能力養成に注力していま す。CBCMP は英語による授業だけでなく、質の高 い日本語・日本文化に関する学習の機会を提供しま す。多くの学生は入学時にすでにバイリンガルであ り、日本語の習得によりトリリンガルを目指します (入学時にトリリンガルである学生も珍しくなく、 卒業時には彼らはテトラリンガルとなっているの でしょう)。 グローバル化の進展を受けて、世界の有力な大学 は、世界中から有能な学生を集めるために人材獲得 競争を繰り広げており、中国や韓国なども国を挙げ て戦略的に留学生の獲得を目指しています。グロー バル化は国内の経済や社会全般に大きな影響を与 えており、国際競争力の強化は我が国の発展のため には必須です。そこでこれまで以上に世界で活躍で きる人材を育成するために、平成 21 年度から文部 科学省国際化拠点整備事業 (グローバル 30)がスタ ートしました。もともとは 2008 年 7 月に、2020 年 を目処に 30 万人の留学生の受入れを目指す「留学 生 30 万人計画」が策定され、グローバル 30 はその 計画を实現するためのプロジェクトの一つとして 始まりました。平成 21 年度には日本を代表する国 際化拠点として 13 大学(東北、筑波、東京、名古 屋、京都、大阪、九州、慶應義塾、上智、明治、早 稲田、同志社、立命館)を選定し、これらの拠点に おいて、英語による教育だけでなく、留学生受入体 制の充实、戦略的な国際連携の推進など、国際的な 教育環境の整備が進められています。この事業の实 施のためには、英語による授業のみで学位が取得で きるコースを学部と大学院にそれぞれ尐なくとも 一つは新設することが義務づけられており、大阪大 学では学部コースとして我々の化学・生物学複合メ ジャーコースと人間科学コース、大学院コースとし て統合理学特別コースと国際物理特別コースが開 設されました。 さて二度に渡る事業仕分けの結果、当初予算の 3 割が減額され、さらに平成 23 年度からは大学の国 際化のためのネットワーク形成推進事業として組 み立て直しが行われます(すでにグローバル 30 は 我が国の大学の国際化を図るプロジェクトとして 海外において認知されていることから、グローバル 30 という名称は継続して使用されます)。この新事 業では、日本人学生への裨益や他大学との連携や産 業界との連携が掲げられています。グローバル 30 事業は、留学生と日本人学生が切磋琢磨することに よって、国際社会で逞しく活躍できる人材を育成す ることを目指しています。化学・生物学複合メジャ ーコースにおいても、そのような運営を目指します が、学部コースはゼロからのスタートであり、教員 数や職員の数は十分とはいえず、その運営はとても 大変です。渡會仁名誉教授をはじめ様々な方のご協 力をすでにいただいておりますが、大阪大学及び日 本社会の国際化のために皆様のご支援をいただけ ると幸いに存じます。よろしくお願い申し上げます。 同窓会報告・近況報告 第 21 回・IUPAC 化学熱力学国際会議の開 催と永契会メンバーの貢献 関 集三(旧制 3 回) 数年前から私の同期生は老生唯一名ですので、例 年通り自分の関係した近況について報告します。 1996 年、標記の「国際会議」が初めで「アジア地区 の我国」で開催され、阪大名誉教授 菅 宏(旧 19 回生)が組織委員長、老生が名誉組織委員長をつと めました。それから 14 年後の昨年 7 月 31 日から一 週間、つくば市で標記の学会が 36 ヶ国、665 名、550 件発表の規模で見事成功裡に終了しました。組織委 員長は東工大特任教授の阿竹 徹(新 14 回生)、 副委員長阪大名誉教授 徂徠道夫(新 10 回生)、 名誉組織委員長には菅 宏および老生、事務局長に は筑波大学教授 齋藤一弥(新 29 回生)、運営委 員には阪大教授の稲葉 章(新 19 回生)、中澤康 浩(名誉会員)および東工大教授小國正春(S.48 修) が参加され、稲葉教授はさらにプログラム委員長を つとめられました。 さて、開会式には、天皇、皇后両陛下の御臨席を 賜り、前文部科学大臣および茨城県知事の祝辞、共 催学会長の挨拶としては、日本熱測学会、日本化学 会、日本学術会議、IUPAC の各団体の代表が述べら れた。元首、中央・地方政界、との交流が見事に果 たされました。このなかにあって私共が設立した为 役の日本熱測定学会(昨秋第 46 年会)のご配慮で “Special Session in Honor of Prof. S. Seki and Prof. H. Suga”が二日間に亘り行われ、菅、徂徠、松尾、小 國の永契会メンバーが参画され、老生としては誠に 光栄でした。上記した様に、私共が創設に参加した 日本熱測定学会の多くの他のメンバーや、阪大理学 部に設立された研究センター(昨年 32 年)で活躍 10 された海外の研究者を含め多くの方々が活動され たことは本当にうれしい事でした。参加者の多くの 方々から「日本では元首をはじめ、この様な基礎研 究者を大切にする姿に対し、羨望する言葉」を戴い たことは、「文化を豊かにする日本の未来像」とし て有難いと存じました。 旧制 9 回近況 加藤 俊二(旧制 9 回) 同期生は 22 名が卒業しましたが、高澄・西村の 両君が戦死、遠藤・木村・飯塚・寺島の 4 君が結核 などで早世しましたが、他は 70 才くらいまでは元 気で居りました。その後、年を追うごとに一人また 一人と逝去、昨年は中西・中根の両君も鬼籍にはい りました。 現在、健在なのは阿部・大崎・中崎の 3 君と私。 岡本・徳田の両君は音信不通です。 小生昨年卆寿に達しましたが、膝に痛みがあって 長距離は歩けない外は健康で、隣に長女一家がいる ものの一切その世話にはならず、専業为夫をこなし ています。一見 10 才くらいは若く見えるらしく、 その秘訣を尋ねられることが多いのですが、小酒・ 節食で、腹を立てず、いらいらしない事の外、特に 健康法を行っているわけではありません。子供たち は「百才まで元気で居れ」と言いますが、そうも行 かないでしょう。 旧制16回卒業生ミニ同窓会報告 槌田 昭三(旧制16回) 平成 22 年 3 月 31 日、千葉に在住の榊原君が久し 振りに来阪されたので、その機会を利用して、旧制 16 回卒業生の集まりを企画した。 関西在住の同窓 生でも、我々の年代になれば、持病などいろんな事 情で参加できない人が多く、結局、榊原、関、中條、 望月の諸兄と私の計 5 名のミニ同窓会になった。 午前 11 時半、 大阪駅構内のホテルグランヴィア 大阪のロビーに集合し、19 階の和食レストラン「浮 橋」での会食から、我々のささやかな同窓会が開催 された。いつもの様に皆の健康と再会を祝しての乾 杯後、夫々に家族の近況などを話し合った。 古くからの友人の有難い所は、たとえ久しく離れ ていても、直ぐに打ち解けた雰囲気がかもしだされ ることである。皆も一見して元気そうだが、寄る歳 波には勝てず、夫々に身体の不調を抱えている。で も一病息災のことわざ通り、皆、色々と工夫しなが ら健康維持に勤めている様子が伺われた。 これもまた老人の癖かも知れないが、現在の世相 に対する批判を含め、昔は良かったとの昔話も始ま り、阪大理学部時代に教えを受けた先生方や諸先輩 の話など、昔を懐かしむ話にも花が咲いた。 ここで 2 時間ばかり話し合ったが、話の種は尽き ることがない。そこで、同じフロアのラウンジ「リ バーヘッド」に席を変え、更に歓談を続けた。歳の 所為か、自分自身の健康を含め不自由さが増えてい るが、その不足を憂うよりも、現在を喜ぶ心境に近 付いて来ている。お互いに、安心立命の境地に近付 きつつあるのを实感した。 時間はいつの間にか流れ、まだ話したいことは山 ほどあっても、夫々に疲れが見え始めたので、2 時 半に終了、またの再会を約して、大阪駅で解散した。 学校を卒業してから半世紀以上を経過しても、直ぐ に昔の学生時代に戻れるのは、同じ釜の飯を食った 物同士に与えられた特権であろう。そして、お互い に元気を与え、お互いに元気を貰いつつ、これから の人生を生き抜いて行けるのも、我々に残された喜 びの一つであることを、改めて確認できたミニ同窓 会であった。 この集まりに声をかけた同窓生の吉田崇君は、奥 様の健康状態のため、当日残念ながら欠席されたが、 電話でのお声は極めてお元気そうであった。でも、 昨22年9月28日、胆嚢がんで急逝された。その知ら せを受けた時には容易に信じられぬ思いであった が、一昨年には同じく同窓生の宗行龍之祐君が亡く なっており、我々もその年代に入って来ていること を痛感させられた。両君のご冥福を、心よりお祈り する次第である。 18 名が現在人員。そのうち近畿圏在住 11 名、首都 圏在住 7 名。 卒業以来毎年のように一泊でクラス会を開いて いましたが 80 歳を超えた今日、尐なからぬ人が宿 泊や長距離の移動に自信がないということなので、 09 年 9 月 29-30 日に滋賀県長浜ロイヤルホテルで 最後のクラス会を開催。浅井、安藤、今村、寒河、 田島、西海、林、村松の 8 名が参加。以後はこのク ラス会を会合から情報交換の会に変更し,年に 1 回 程度各自の近況をまとめ「17 会だより」として発行 することに決定。09 年暮れに第 1 号を発行、現在 2 号(物故者の追悼号)の編集中。会合としては両地区 ごとに適宜昼食会を持つことにしました。 地区ごとの昼食会は関西地区が 10 年 5 月 20 日に 京都駅 JR 伊勢丹内「不二乃」で浅井、有元、寒河、 田島、西海、林および首都圏から安藤、今村の諸兄 で、首都圏では同 11 月 25 日横浜相鉄ジョイナス内 「いらか」で、このときは病気中の横尾君を除く首 都圏在住の全員に関西から寒河、田島の 2 名が加わ りました。 各集まりとも歳はとっても口は達者。談論風発で、 店から追い出される迄 3 時間余を賑やかに過ごしま した。気がかりなのは 18 名の殆どが見かけは元気 でも何かの病気を抱ていることです。しかし誰もが 前向きに力強く生きて行こうとの気力充分で、さす が高度成長期の日本を引っ張ってきたメンバーだ と改めて思い起こしている次第です。 旧制第18回(昭和27年)卒業生の会 花房 昭靜(旧制18回) 我々の同期会は、ほぼ毎年 1 回開催されている。 平成 22 年度は、早野、近松両氏と相談し、11 月 11 日(木)に「大阪大学総合学術博物館、ミュージアム カフェ“坂”」で行った。参加者は、それぞれの都 合で個別に、ランチの前後に、博物館の展示を見学 した。思い出の多い中之島旧理学部の 1 階と 2 階の 平面図を見ては、3 年次に配属された研究室の位置 などから、当時の研究实験やセミナーの様子、友人 との討論や談笑を回想し、恩師の写真やご業績の記 録からは、恵まれた教育環境で学習できたことに、 改めて感謝の思いを募らせた。そのほか、豊中キャ ンパスを一巡して、浪高庭園や大高の森を訪れた人 もいた。 晝食会は、好天に恵まれて緑鮮やかな待兹山麓の “カフェ坂”で簡素に行ない、参加できなかった旧 友の返信などから、同期生の現状などについて語り 合った。八十路を数年越えた我々の年令では、为題 が老いの深まりによる心身両面のいろいろは悩み 事になったのは、余儀ないことであろう。一方、専 旧制 17 回クラス会報告 寒河 潔(旧制17回) 2011 年初現在、1951 年卒業当時 29 名だったクラ スメイトのうち 10 名が鬼籍に入られ、さらに消息 不明の韓衡玉君(北朝鮮平壌市在住とか)を除く残り 11 門の分野で小さいながら事業を展開している人、著 述や講演を依頼され活躍する人、合唱団のメンバー として発表会で美声を披露している人、園芸や囲碁 のような趣味を楽しむ人もいる。 同期生25名のうち、現在の生存者は約6割であり、 その多くは関西在住である。今回の参加者はそのう ちの6名であった。(写真、いずれも右から、前列: 山部人道、浜田新平、近松啓明、後列:大塚 滋、 早野和夫の諸氏と小生)今年も、たとえ尐人数であ っても、集まることになっている。 した。懐旧談、闘病談とアドバイスなどが続く中で、 菅宏君の化学熱力学国際会議での名誉組織委員長 として天皇・皇后両陛下との御下問奉答の様子や、 佐藤良生君の多年に亙る核廃絶運動の国内外での 活動報告に感銘を受けました。岸本博君の最近イラ ン事情や高橋萠君の珍品蒐集裏話は、そうざらには 聞かれない話なので面白く聞きました。先般逝去さ れた芝哲夫先輩との交流談が佐藤君から披露され、 一同改めて惜別の思いを深くした次第です。暫く出 席できなかった岩田君や昨年久しぶりに顔を見せ てくれた中嶋君、壮絶な体験をされた神田君、その 他の珍しい話に時を忘れ、予定時間を過ぎて次回の 場に譲ることになりました。 次の幹事は神田、田 川の両君にお願いします。 幹事:川岸 前川(文責:川岸) 旧制19回クラス会の報告 川岸 功路(旧制19回) 2010 年のクラス会を 11 月 11 日、懐かしい中之 島の阪大センターで開催しました。 吾々が卒業し たあと理学部、医学部、阪大病院の跡地が長らく無 惨な姿で放置され、阪大 OB の胸を痛めさせて来ま した。幸い関係諸賢のご努力により由縁の地に大阪 大学中之島センターが堂々たる雄姿を現して、阪大 関係者交流の場を提供してくれていることは有難 いです。4 年前に一度利用したことがありますが、 若い時代の学び舎の跡は懐かしく、またこの会をい つまで続けられるか知れぬ身を考えて、今回も古巣 を選んだ次第です。前年の東京では学士会館で 13 名の出席でしたが、今回はそれを上回る 14 名が顔 を合わせました。全員 80 歳の大台を迎えたのにこ の 1 年間は誰も欠けることなく、欠席者もほぼ健康 なのは嬉しい限りです。 在米の桝井秀雄君以外はみな関西、関東の便利な ところに住んでいるので、毎年クラス会を開くこと が出来るのも有難いことです。今年は 岩田 奥田 川岸 神田 岸本 桑田 齋藤 佐步 佐藤 菅 高橋 田 川 中嶋 前川 が出席、大西 川面 馬場 和田 渡辺 が欠席しました。 当日は 12 時開会、この機会を利 用して適塾を覗いて来たと言う神田君を尐時待っ て記念撮影。欠席者の事情紹介のあと乾杯し、桑田 君の瑞宝中綬章受章を祝し順次スピーチに移りま 五三会報告 森 健男、由井 亮輔(新制化1回) 2010 年の五三会は 6 月 8~9 日に神戸で開きまし た。この年は阪神淡路大震災の 15 周年に当ります ので、初日に「人と防災未来センター」を見学する ことにしました。この大地震は、関東大震災以来の 都市直下型地震として、人身・社会資本ともに莫大 な被害をもたらした国内地震史上未曾有の出来事 でしたが、映像や多くの展示によってそのショック を追体験し、6 千余人め犠牲者に対し追憶の念を新 たにした次第です。 そのあと続いて、メリケンパークの「海洋博物 館・カワサキワールド」を訪ねました。ここでは神 戸港にゆかりの英国艦船「ロドニー号」や珍しい帄 船、現在のクルーズ船等の模型、ベニスのゴンドラ (实物)、奈良時代からの神戸港の繁栄と変遷の歴 史などを展示していました。 夜の懇親会は三宮のちょっと変わった和風レス トラン「燦SUN」で、河波 徹、北村 昌章、栗田 博行、堺谷 弘、菅江 謹一、関口 煜、高科 直光、 鳥飼 国治、中島 隆雄、林 雄二、深田 和男、福井 12 俊郎、森 健男、矢野 嘉朗、由井 亮輔、吉田 良之 助、諸君の他、見学会には不参加の川戸 峯子、清 井 令子、関 峋一、吉田 信男君らも加わって 20 名 になりました。銘々の近況や趣味、年をとってから の処世・心構え、近頃思うことなど多彩なスピーチ がありました。日帰り組を送り出した後、宿泊組は 東急インに移り、恒例の二次会を開き、いつもの銘 柄のワインで歓談、第一日を終えました。 翌日は中山手にある竹中大工道具館を訪れまし た。幹部の方々の丁重な忚接を受け、その素晴らし い内容に一同感銘しました。建築材料、工法、道具、 加工精度など、これらの進歩の歴史を理解できる一 見の価値ある貴重なコレクションでした。参加者か らの質問も多く出て、予定時間を超え、博物館側の 熱意とも相俟って大へん有意義な行事になりまし た。 の中でも今回の受賞者と研究分野が近く、意見交換 をしたことがあり、非常に身近にあることを实感し たものもいる。また、10 年前ごろに業績を認められ て、赤坂御苑での秋の園遊会に招待され、天皇陛下 や皇族の方々と話を交わしたものもいる。我々が蒔 いた種はやがて芽を出し、若い世代に受け継がれて 社会に貢献することもあるだろうと、秘かに思って はいるが、毎年集まる例会では、体の不調の話が中 心になる。そして、お互いに顔を合わせる喜びにひ たっているのが現状である。 写真は、昨年 11 月 30 日に豊中市のラ・メゾンブ ランシェで開催した例会での出席者で、前列左から、 穂積幸男、今中利信、井上 健、後列左から、寺門 大、 山崎 尚、中西 豊、多田晴彦の諸氏。 新制3回生「立心会」(昭和30年卒) 昭和29年卒業・KETION会報告 山崎 芦田 玉一(新制化3回) 尚(新制化2回) 新制 2 回・化学科は、卒業時 35 名、その後の物 故者は 12 名、消息不明 1 名で現在 22 名になってい る。そして、45 周年、50 周年等の節目の合同同期 会以外の例会では、毎年 7~13 名が参加している。 なお、別に東京地区で物理、生物、化学合同の同期 会を毎年行っているので、関東地区からの参加者は、 1~2 名となっている。 また、KETION 会という珍名称の由来については、 故茶谷陽三氏が「50 周年記念同窓会報告」の中で述 べているので省略する。 卒業後 56 年を経て、年齢が 80 歳前後になると、 さすがに現役の仕事に携わっている者は稀で、ほと ん ど の者 が体 力に 忚じ て趣 味 の域 で人 生を 謳歌 (?)しているといえる。ただ、過去にそれぞれの 専門分野において果たしてきた实績は、表に出て評 価されたものもあれば、表に出ずに終わってしまう ものもある。昨年、ノーベル化学賞を授与された 3 人の化学者も、50 年近くたって評価されたものであ り、我々も決して自負心を捨ててはいない。同期生 13 昭和30年(1955年)卒業の新制第3回生の同級会 「立心会」は平成22年9月28-29日に、愛知県犬山市 の名鉄犬山ホテルで9名が参加して開かれた。2年ぶ りであった。 今回は東京・大阪の中間点でということで、名古 屋在住の小生が世話係を仰せつかった。ホテルは水 量豊かな木曽川に面し、国宝犬山城に隣接している。 ホテル敷地内には国宝の茶室「有楽庵」があり、さ らに、市内には城下町の歴史を感じさせる施設が多 い。また、周辺には、博物館明治村、日本モンキー パーク、野外民族博物館リトルワールドなどの観光 スポットが多い。 参加者は、(五十音順)芦田、伊藤、齊藤、佐野、 鈴木(英生)、鈴木(不二男)、真下、向畑、米山 の9名であり、やや淋しく感じられた。同級生28名 中、物故者が5名、不参加が14名であった。内訳は、 健康を害している者が6名、仕事で手が離せない者 が2名、その他である。なかでも、配偶者の介護で 留守にできず不参加という1名もあり、80歳目前と いう年齢と時代の変遷を身にしみて感じた。 当日は朝まで激しい雤が降り、心配していたが、 雤は止み、午後には晴れあがって、素晴らしい秋日 和になった。参加者それぞれに温泉を楽しみ、宴 会・二次会へと進んでいった。久しぶりの会であっ たので、いろいろな話題、健康問題、近年とみにP Rが激しくなってきたアミノ酸や多種の栄養サプ ルメント、突如起こった尖閣問題と強圧的な中国外 交、貧弱な民为党政治、その他種々の時局問題等々 について時間を忘れて語り合った。ところで、会を 通じて飲んだお酒の量が、従来より著しく減尐した が、これも年の故であろう。 立心会では、慶弔等に備えて積立金を持っていた が、今後は{立心会}としては対忚を取らないこと に決められた。そこで次回の会合に備えた尐額を除 いて、残額全てを返金した。体調不良で参加できな かったが、この作業を实行してくれた高橋君に感謝 したい。 翌日も素晴らしい快晴であった。犬山城をバック にした写真を撮り、2年後の東京での再会(幹事佐 野君)を約束して散会した。 懐石を楽しみながら、それぞれのこの一年の活躍を 披露しました。その際の出席者は全体の半数の写真 にある 17 名で、ここ数年ほぼこの人数あたりで推 移してきています。ただ、依然として仕事が忙しく て欠席される方もおられます。喜寿を超えたか超え ようとしている人たちですが、まだまだ外に内に活 躍の場を作っているようです。現役の時代にすぐれ た成果をあげてきた人が多い世代ですが、昨年秋の ノーベル化学賞のときに必ず引き合いにだされた 薗頭カップリングの薗頭さんも我々の一員である ことは、うれしく誇らしいことです。翌日は小雤模 様のなか、京阪、近鉄をのりついで京阪奈丘陵へ、 福寿園 CHA 研究所でお茶にまつわる諸事百科の説 明をうけました。茶菓をたしなみながら、食品や化 学の専門家から多くの質問がでて、研究員の人から 丁寧な忚答をうけました。午後は、関西光科学研究 所を訪れ、畑田さんのかつての僚友である河西所長 をはじめとした館員の方たちから、レーザを中心に 光にまつわる最先端の研究成果の披露を受け、その あととなりあった「きっづ(木津)光科学館フォト ン」に移って光を利用した展示を楽しみました。こ の分野には現役のときから親しんできたひとも多 く、楽しいひとときだったと思います。本年は、東 に舞台を移し、関東在住の小林、辻、戸川、中川の 4氏が企画してくれることになっています。元気な 顔で集まれることを期待しています。 昭和 31 年卒業生のクラス会と近況 前田 章夫(新制化 4 回) 化学科出身の第4回生は、その多くが公式な仕事 から引退した後にも毎年のクラス会としての集ま りを楽しんでいます。在住者の多い関西の地に住む 薗頭、畑田、前田に世話役が振られた昨年 2010 年 度の会は、5 月 18 日に新緑が映える京都の蹴上で、 先ず明治初期の京都の歴史を刻んだ琵琶湖疏水記 念館で、今の京都の礎となった疏水の建設にあたっ た田邊朔郎博士をはじめとした人たちの苦労、業績 などの説明を受け、館内を見学しました。そのあと、 疏水の水をとりいれ東山を借景とした山縣有朊の 無鄰菴で庭園をみて抹茶をたしなみ、疏水を導く水 路閣のある南禅寺を訪ね、足に自信のある人たちは その三門から石川五右衛門のみた絶景を味わって きました。晩は、鴨川のほとり「KKRくに荘」で 14 くに荘での宴席の前での集合写真。 後列左より、中川、崎山、杉岡、澤田、田井、中塚、 小林、辻、田端、高木、前列左より、前田、戸川、 奥戸、浅野、森田、今井、畑田の諸氏。 新制 5 回同窓会 畑田 耕一(新制化 5 回) 大部分の同窓生が本年喜寿を迎えるのを機に、7 月11日千里阪急ホテル・プールサイドのサンシャイ ンテラスで、3年ぶりの再会を楽しんだ。生憎の雤 ではあったが、16人が集まり、中村君のピアノの名 演奏と昼食を味わいつつ、過去・現在・未来の話に 花が咲いた。今も研究の最前線で、ESRの医学への 忚用やがんの抑制機能を持つ遺伝子の研究に打ち 込むもの、学園理事、会社のコンサルタント、雑誌 の編集、出前授業、文化財の活用保存などの仕事に 取り組むもの、図書館に行くたびに新刉書の購入を 推薦するものなど、元気に社会に奉仕している様が 伺えて嬉しかった。趣味もオペラ、コーラス、ダン ス、スポーツ、エアロビクス、山登り、旅行、碁、 篆刻、水墨画、手鞠作り、麻雀など多種多様である。 医者の分からなかった肩の痛みを関節リューマチ によるものと解明した話には、さすがは理学部卒業 生と感心した。皆、体を大事にしようということで、 再会を約した。 国約47万、旧満州約25万)、フィリピンでは52万で す。 政府は無宗教の戦没者墓苑で外国からの賓実に 献花をしてもらいたいが、これが一向に進みません。 靖国派はそんな記念碑には猛反対をするでしょう が、いつになったら日本は靖国問題を解決するので しょうか。来年の再会を約束して分かれました。 2010年“ばげだす”の例会 岩本 晢(新制化6回) 本年の表題の会は川上、西尾、岩本三人が計画す ることになり、東京で5月20~21日に開催いたしま した。20日ははとバスで観光することにし、まず皇 居 前では二重橋、楠正成の銅像も見ました。その 後外国人観光実が多い「浅草の仲見世」、東京タワ ーに行きました。視界は良くなかったが、遠方に建 築中の東京 スカイツリーが見えました。みんなで 東京を上から見物できました。 ホテルで夕飯になり、先日事故死した井畑君の回 想、葬儀の模様の報告があり、適当に食事して、飲 んで、会話して、宴会は終わりました。 翌日は「戦争遺跡を歩く会」の長谷川順一氏の案 内で靖国神社を見学しました。大鳥居、さざれ石、 大村益次郎の銅像、第二の鳥居、神門、祭儀所、拝 殿、更に 鳩、馬、犬の慰霊碑も見学しましたが、 今次大戦にこんな動物を使用した国があるのでし ょうか。偕行文庫、パール判事の顕彰碑も見学した が、極東国際軍事裁 判の認識が種々あることも知 りました。靖国の祭神になるための招魂斉殿も知り、 最後に遊就館に入りましたが、回天、桜花等の兵器 には慄然とさせられまし た。僅か65年前にこんな 兵器で戦争をしていたのです。多くの兵器、飛行機、 戦車等を見ましたが、虚しく、無謀な戦争で亡くな った多くの方には哀悼の言葉 もありません。思い 出すだけでも悲しい。 昼食後に近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑に行きまし た。我々の到着の頃に海上自衛隊の将兵200人と楽 隊100人が来場し、式典を始め、奏楽もあり、開式 と閉式には全員黙祷し、司令官が献花しました。女 性の兵士もいました。 この事務所で入手した資料には今次大戦で亡く なった日本軍将兵の地域別戦没者数が240万とあり、 国内の戦死者は出てないが、台湾、沖縄、朝鮮、樺 太、硫黄島の戦没者は出ており、中国では72万(中 15 後列:吉川、諸石、吉川、石橋 中列:野崎、戸井、森永、米村、西村、高橋 前列:西尾、川上、岩本、石井、竹内 新制7回卒業生同期会 蒲池 幹治(新制化7回) 今回も前回と同様に、幹事の山本正夫君のお世話 で、大阪大学中之島センターにて、11月12日(金) 12時半から昼食をしながら、同期会を致しました。 今回は化学科の卒業生だけでしたので15名で、前回 よりも参加者は減りましたが、前回は来れなかった 人も参加し、久し振りの対面あるいは1年振りの対 面に、半世紀前の話から最近の話題まで四方山話に 花が咲き、歳を忘れた一時となりました。また、二 人の日本人ノーベル賞受賞が報道された後であり、 ノーベル賞談議でも化学科の同窓会らしい雰囲気 になっていました。特に、東洋レーヨン時代にパラ ジウム触媒をいち早く手掛け、この研究に先鞭をつ けた木地实夫君(鳥取大学名誉教授)の思い出話は リアルで、研究や会社の運営に携わっていたそれぞ れの過去が甦る一時でした。 3時過ぎ、来年、横浜での再会を約束して、散会 しました。 新制10回同窓会 清水 晃(新制化10回) もう昨年(2010 年)の話になりますが、梅雤のさ なか天候を心配しながら 6 月 13 日(日)から 1 泊 2 日 の同窓会が山梨県の須玉温泉でおこなわれました。 新制化 10 回生は昭和 37 年に卒業した化学科 30 名 (うち物故者 1 名)のクラスメートですが、ここし ばらくは集まることに熱心で、大阪は当然のことな がら、滋賀、福井、長野、千葉、沖縄、上海など各 地を転々としながらの同窓会が続いています。今回 は関東地区在住のメンバーが幹事となり、山梨県須 玉温泉での開催となりました。 同温泉は、東京から中央高速で約2時間、甲府盆 地を過ぎてしばらくの南アルプスと八ヶ岳にはさ まれた山あいの静かな一軒宿で、天気がよければ富 士山を裏から眺められるロケーションにあります。 当日午後、関西、関東方面から19名(男性16名、女 性3名)が集まり、温泉を楽しんだあと、会食とな り元気に再開できたことを喜びつつお互いの近況 を語り旧交を暖めました。10回生は昨年で全員が古 希を超えたことになりますが、さすがに健康に関す る話題が増えてきたのはやむを得ないことではあ りましょうが、一方で何人かは仕事のために参加で きない、あるいは参加したものの翌朝早々に帰途に つくなど、まだ社会と何らかの関わりを持っている、 体力的にはともかく精神的にはまだまだ壮年に近 い年代であります。 今回は、名古屋以東からの出席者は無かったが、 福岡(唐崎裕治君)や島根(石飛裕君)の遠方から の出席者を含め14名が集まった。 この同窓会も今回で7回目になるが、久しぶりに 会う方も多く、会話が弾み、又、出席者各位からの 近況報告もあり2時間半があっという間に過ぎ、非 常に盛り上がった楽しい会になった。 出席者からの提案もあり、この会を毎年開く事、 関東に住んでいる者も多い為3回に1回は東京で開 催する事になった。 次回の幹事、副幹事には辻喜良君、任田康夫君が 指名され、辻君からは杉富会の名前のもとになった 2人の才女に参加して貰う為、次回は彼女らの都合 を最優先にして日程を決めるという決意がありお 開きになった。 <写真>左から (前列)由利秀樹、豊田敏宏、石飛 裕、高橋里美、 山下和義、任田康夫 (後列)辻喜 良、松影憲三、稲葉 章、沼波憲一、 守安正恭、工藤富雄、唐崎裕治、入江好夫 翌朝は宿のバスに乗って県立フラワーセンター で満開のバラを愛で、南アルプス市の農園で特産の サクランボを腹いっぱいに詰め込み、また土産に買 い込んでから、今年(2011年)和歌山(白浜)での 再会を約して正午に解散となり、待ちかねたように 降りだした雤の中、三々五々帰途につきました。 新制高分子学科12回生クラス会報告 世 話 人 一 同 (新制高12回) 化学科昭和42年入学者同窓会「杉富会」報告 山下和義(新制化19回) 化学科昭和42年入学者同窓会「杉富会」が、平成 22年11月20日(土)午後5時から7時半まで、梅田の 阪急東通り商店街の「橙家」で開かれた。 前回(平成21年)の杉富会は初めて東京で開かれ、 関西からの出席者は前々回の幹事の守安正恭君と 山下の2名であった為、次回の幹事に小生が指名さ れ、副幹事は私から由利秀樹君に電子メールでお願 いした。 16 平成22年8月28日に第7回のクラス会を開催しま したので報告したいと思います。 それに先立ち、まずこれまでのクラス会について 概要を紹介します。(2回目までは以前にも本誌 No.15で報告済みです。) 第1回:平成9年3月(大阪梅田「青冥」参加者10名) 第2回:平成13年5月(大阪中ノ島「リーガグランド ホテル竹葉亭」参加者9名) 第3回:平成16年5月(石橋~阪大散策 参加者13名、 千里中央「桂琴」参加者17名) 第4回:平成19年8月(大阪梅田「ロドス」参加者17 名) 第5回:平成20年8月(大阪梅田「ニューミュンヘン 本店」 参加者15名) 第6回:平成21年8月(大阪梅田「パパミラノ阪急グ ランド店」 参加者15名) 当クラス会は1970年4月に大阪大学理学部高分子 学科に入学したものを为なメンバーとし、第1回目 を卒業後20数年の時期に開催しました。その後、当 初は3、4年ごとに開いていましたが参加者も増え、 3年前からは皆さんのもっと頻繁に会いたいという 熱い希望により毎年開催することになりました。 さて、平成22年の第7回ですが、8月28日午後4時 半より大阪・梅田の海鮮居酒屋・芦刈で開催しまし た。世話人も5人に増員になりましたが、参加者も 18人(会員全員で26人)とこれまでの最多を記録し、 各地から猛暑をものともせず参集頂きました。 和やかな飲食・歓談とともに順次各自の近況報告 を行いました。本年は参加者の何人かが還暦を迎え る(あるいは迎えた)年であり、翌年にはほとんど のメンバーが還暦を過ぎるという状況で、皆さん人 生の節目に差し掛かりつつあります。これを機にリ タイヤする人、まだまだ仕事を続ける人、どうする か迷っている人、それぞれ近況や今後の抱負や夢な どを語ると共にいろいろとこの辺りの情報交換も 盛んでした。 一次会が終わり当日中に遠方へ帰る人や所用の ある人を除いて最近恒例となっている二次会のカ ラオケに突入しました。大学時代はカラオケなどな かった時代(?)ですが、その後の長年の社会生活 により皆さんカラオケもなかなか上手になってい ます。もっと歌いたい、次は何を歌おうか、などと 言っているうちにあっという間に時間が過ぎてい きました。 次回も1年後に開催予定ですが、阪大・石橋キャ ンパスツアーをもう一度やろう、一泊の泊り込みで やってみたい、近いうちに海外へみんなで出かけて そこでクラス会を開こう、など希望や夢もいっぱい です。このクラス会も大変楽しみな年中行事である ことは間違いなく、第二の人生にさしかかりつつあ る我々にとってますます大切なものになってきて いると实感しました。 平成23年夏頃にも必ず開催しますので、どうぞみ なさんご参加ください。世話人一同。 写真上は参加者全員(岩井,打土井,梶本,金光 谷,木村,近藤,佐伯,猿田,高瀬,土佐,内藤, 永田(公),永田(よ),畑,朋部,藤沢(和), 兵田,本岡。下線は世話人)で一次会終了後に写し たものです。写真下は第5回クラス会の乾杯シーン です。 17 高分子学科(S48入学+S52卒業)組の近況報告 三木 哲宏(新制高15回) 卒業後、30 有余年経った昨春、突如クラスメート と連絡を取り合い、名簿を整備して、同窓会を初め て開催しました。30 名に満たないクラスですが、多 士済々で、歩み方が多様です。 20 年前の永契会名簿を頼りに電話、メールや手紙 で接触を始めたのですが、転居していたりで、名簿 との乖離が大きく、当初は暗澹たる思いでしたけれ ども、多くのクラスメートの協力のお陰で、2 名を 除き連絡先が確認出来ました。次いで、所在が関東、 大阪、中国、北陸、九州と分散していますので、大 阪と東京とで同窓会をいたしました。 大阪の同窓会では、桜の花見が待ち遠しく、驟雤 一過の弥生らしい日和の 2010/3/21(日)、30 有余年を 経ての初めての同窓会を、懐かしい石橋駅近くの居 酒屋「保呂酔」で開催しました。 この日の参加者は 13 名(出席率は 50%近い)で、 なんと東は東京都内、西は福岡から集まりました。 安楽、井上(現姓:坂本)、岩根、織田、川島、西 川、藤井、古川、三木、森、山下、吉川、吉村(現 姓:田中)の 13 君です。 午前中に自宅療養中の伊賀君を見舞いに 6 名が訪 れ、梅酒や桜餅で春の季節感を楽しみ、ちらし弁当 で会食しました。 午後からは更に 2 名が合流して、豊中キャンパス を散策し、昔そのままの池やイ号館、図書館本館を 懐かしんだり、面影は残っているものの変貌してい るロ号館や理学部の増築に驚いたりして、学生時代 を懐かしみながら記念写真を撮ったりしました。 この後、午後 4 時から 7 時過ぎまで居酒屋「保呂 酔」で同窓会をいたしました。この会場は石橋駅東 口左手のお店が密集しているエリアの中央辺りに 位置する所にあり、私も学生時代に研究室の仲間と よく来て、おでんや山芋の短冊で剣菱をしこたま呷 った居酒屋で懐かしい思い出のあるところで、当時 の雰囲気がそのままでした。今も学生がよく来るら しく、会場手配を引き受けてくれた岩根君の配慮に 感謝です。 30 年余りのご無沙汰なので、会話が成り立たない で、お見合いのようにシーンとしてしまうのではな いかという幹事の前日までの不安は、冒頭の、まず は再会を祝っての乾杯で、一瞬にして溶融し、あと は、学生時代のコンパと同じ状態です。50 代半ばの よいお年の方ばかりなのに、きっと職場では威厳を 正して毅然としておられるのだろうな、職場の人が 見たらどう思うのかなと想像すると、吹き出しもの です。何かベースキャンプに戻ってきて、仲間とほ っとしているような雰囲気で、30 年余りの時間が抜 け落ち、昨日まで同じ授業を聞いていたクラスメー トと今日はコンパをしているような錯覚に浸って しまいました。「今なにしてんねん」の発表もあり、 学生時代のいろんなエピソードも紹介され、「へー、 そうやったんや」とか、思い出の品々、たとえば、 卒業写真集・文集、解析学・有機化学・高分子化学 の教科書の回覧、クラスメートの書き込みのある学 生手帳の開示、聴講カードなどで、学生時代にタイ ムマシンです。 あっという間に時間が経ち、中締めとお開きが一 緒になってしまいました。安楽君の締めにて、又の 再会を期しました。 次いで、池田駅近くで 2 次会になりました。なん と 9 名参加。2 時間位いたようです(酔っ払って記 憶が薄い)。学生時代のエピソードや子供の教育、 就職、結婚への気掛かり、定年後の過ごし方、担任 の先生に会いたい、来年の同窓会の日程は、と多様 な会話が弾みました。 大阪まで来れなかったクラスメートの為に、理学 部前の植え込みが懐かしいツツジの咲く爽やかな 季節の 2010/5/2(日)東京上野の「東天紅」で同窓 会の東京分科会を開催いたしました。不忍池や建設 途上のスカイツリーを窓から見ながら、開始時刻 10 分前になっても誰も姿を現さないので、本当に皆来 るのかなあ、という不安が募ってきていた矢先に、 突然「やあ」との声で会場に入室してきたクラスメ ートに、誰なのか分からず「どこのおっさんや」と 驚いて呆然としていると、数秒の静寂の後、「藤原 18 です」の声で、ようやく記憶している藤原君の面影 と照合することが出来、その後は「やあやあやあ」 です。次に入ってくる人、次次と同じ繰り返し。(最 初に入ってきた人が藤原君であったか、瀬戸口君で あったか、記憶が薄れているので間違っていたらす みません)。結局、茨城から静岡までに亘って在住 する、大山、川島、瀬戸口、鈴木(英明)、西、西 川(康郎)、藤原、森、八瀬、三木の 10 君が集ま りました。大阪での同窓会と両方に出席した人もい ます。出席率は 40%。両方の同窓会で 70%近くの クラスメートが再会を果たしました。同窓会の状況 は大阪でのと全く同じで、挨拶や名刺交換無しの乾 杯で始まる学生コンパの雰囲気で、途中からやっぱ り「今なにしてんねん」の紹介になり、こちらでは 更に学問的な突っ込みがあったりで、さすが理学部 魂いつまでも、でした。あっという間に時間が経ち、 八瀬君の締めにて、又の再会を期しました。 やはり別れがたく上野駅への帰途途上の居酒屋 で 2 次会を 2 時間程、 狭いところで顔を寄せ合って、 学生同士のようにしゃべくり、飲みまくって、漸く お開きに。 共に楽しい同窓会でした。再会出来て良かったと 思いました。若い一時期に、人生の御縁で、共に机 を並べて学んだクラスメートとの思い出の共有は、 人生の大事な財産なのだなあ、と気付く時期になっ たんだと思います。 また、各君からの要望もあり、われらのHPを 6 月に立ち上げ、同窓会での写真や思い出の写真、コ メントなどを収載して情報を共有するようにいた しました。これは毎月更新しています。 また会おうという声も多く、同窓会が、クラスメ ートの今、を生きていく為の安らぎ、そして活力に 役立てればと思います。 次回の再会と、若くして夭折した角田君の御冥福 と、われらのアイデンティティである母校の御活躍 を祈りつつ。 (2011/01/24クラス幹事:三木記) 間の経過も感じる、貴重な楽しい時間が過ごせたと 思います。今後は、私を含め近場にいるメンバーを 幹事とし、もう尐し頻繁に開くことを約束して終演 となりました。 なお、「化美の会」とは我々の同窓会の名称で、 学生時代から何かの居りに使っていたと思います が、卒業後か成り立って開いた第一回同窓会で正式 に命名したように記憶しています。以下に参加者と 集合写真を載せておきます。次回はより多くの方の 参加を期待しております。 参加者(順不同):渡辺、岩佐、久保、岡田、木村、 大久保、松田、江部、山本茂義、篠置、藤井(飯田)、 夏目、吉川、小西、伊堂寺(中山)、溝尾、稲毛(深 尾)、谷川(吉岡)、川口、菅野夫妻、有家、吉田 (井上)、橋爪、小谷、篠原 化美の会(新制化学26回など同窓会)、 17年ぶりに復活 篠原 厚(新制化26回) 昨年(平成 22 年)の 2 月 20 日(土)に、化学科 (昭和 49 年入学+53 年卒業)の同窓会を行いまし た。私が阪大に戻ってきてから、同期の友人に何か の機会に会うたびに、「同窓会を開いてくれ よ・・・」と言われ続け、今までサボっていました が、今回、学術総合博物館で化学専攻協賛の企画展 「漆(Japan)の再発見-日本の近代化学の芽生え-」 が開催されるのを機会に、同窓会開催を思い立ち、 急遽、日程や内容も私の一方的な都合で呼びかけた ものです。尐なくても集まれる人だけでも良いから、 とにかく一度同窓会を開き、今後につなげようとの 思いでした。最後に同窓会を開いてから、实に 17 年ぶりになります。 名簿の整備も何もない状態でのスタートで、連絡 には尐し苦労しましたが、ふたを開けてみると、何 と 26 名者参加者があり、望外の成功で、世話をし た者として大変うれしく思っています。同窓会は 3 部構成で、第 1 部は、1 時頃より理学部化学科の現 状の紹介と新設の G 棟や改修後の本館の見学を行 い、第 2 部として、博物館に移動して、芝哲夫先生 の講演「眞島利行の漆の化学研究」の拝聴と博物 館・企画展の拝観、第 3 部が懇親会(於ミュージア ムカフェ「坂」)でした。今回の目玉として、芝先 生の講演に日時を合わせ拝聴する企画を立てまし たが、大好評でした。ただ、おそらくほとんどの方 にとって、あの講演が芝先生の最後の講演となって しまったことは残念でなりません。ご冥福をお祈り いたします。 中には卒業以来の再会という人も居ましたが、体 型や髪の毛の変化があることを除いては、学生の時 の顔がすぐに思い出されました。皆さん変わってい ないと言う印象でしたが、積もる話にやはり長い時 19 新制43回化学科同窓会報告 秋津 貴城(新制化43回) 昨年(2010 年)の春、3 月 28 日(日)午後に、 梅田の大阪弥生会館にてクラス会を開催しました。 震災直後の 1995 年春に学部を卒業してから、大規 模なクラス会を開催するのは、今回がおそらく初め てのことと記憶しています。10 名以上の参加者があ りました。クラスの 3 割弱が集まり、旧交を温める ことができたことには、感謝しています。懐かしさ のあまり時間を忘れて話もはずみ、子供を持つ女性 陣は早く帰宅したりしましたが、最終的には 3 次会 にまでもつれ込んだほどでした。そして、多くの不 参加の皆さんからも、近況報告やメッセージを盛り 込んだ返事を受けつつ、卒業後にそれぞれの日常の 場で、活躍されているということを強く感じました。 開催のきっかけは、私と同じ新宿区内で職場が近 い井村君との会話でした。半年以上も前から、住所 の確認と同時にクラス会開催方法の希望を募った のですが、張本人の井村君をはじめ大阪以外にお住 まいの方や(なんと馬場君や宮村君のような米国在 住の方も!)、せっかく連絡は取れたものの、仕事 や家族の都合等で候補日での参加が困難な方も多 かったです。そんなわけで、年末の東京・学士会館 での「大阪大学卒業生の集い」に倣い、大阪同窓会 に先立ち年末に東京忘年会も当初は企画しました が、土壇場でキャンセルが相次ぎ、实現しませんで した。現職では、朝から秋津研の約 20 名の学生達 と錯体化学の研究をするものの社会人学生等を対 象とする夜間講義担当で(パロアルトから帰国して 3 年、神楽坂の三味線が聞ける店は経験するも、芸 者さんなど夢のまた夢)、なおかつ独身(一忚、相 手募集中)である私には、感覚的にとくに子供のい る家庭への心配りが不足していたかもしれなかっ た点を、お詫びいたします。 それにしても、化学科のクラスのメンバーが 15 年の歳月を経て、連絡を取ったり、再び集まったり するのがこんなに困難になるとは、講義や学生实験 があり毎日のように顔を合わせていた在学当時に は、想像すらしませんでした。永契会クラス幹事と して、楽しみながらお世話させていただきましたが、 藤本先生から提供された当クラス分の最新版永契 会名簿(实は約三分の一が郵便不着状態!)と、卒 業アルバムの住所を元にして、当時の实家等にも郵 便連絡を試みたものの、沢山戻ってくるのには心が 折れそうになりました。同窓会の連絡が届かなかっ た、このニューズレターを読まれた方や、クラスメ ートの消息情報をお持ちの方は、秋津までご一報く ださい。例えば、今回同様に日本化学会年会の関西 開催時を狙うなどして、いつかまた開催できればと 思っています。 ージに載せました。今一度、各学年のクラス幹事を ご確認いただき、クラス幹事の交代等がございまし たら永契会事務局までお知らせいただきますよう お願い致します。 ご寄附のお礼とお願い 永契会ニューズレターにて御寄附を募りました ところ、多くの会員の皆様から暖かい御寄附をいた だきました。誠にありがとうございました。これら の御寄附を含む昨年度の会計は 2009 年度の会計報 告をご覧ください。 永契会の確たる収入源は、新たに入会される新会 員(その年度の卒業生)からの終身会費のみです。 本ニューズレター発刉などの永契会の活動には、毎 年の終身会費だけでは賄いきれないのが現状です。 会員の皆様には甚だ恐縮ですが今年も御寄附をお 願いする次第です。御寄附には同封の振替用紙をご 利用ください。一口 1,000 円からとさせて頂きます。 なお、総会懇親会の参加費のお支払いも同じ振替用 紙をご利用いただけます。通信欄の「総会懇親会参 加費」の欄にチェックを入れ、参加人数をご記入の 上、お振込み下さい。(もちろん、当日のお支払い も受け付けております。) 2010 年度の会計報告は、次号のニューズレター (永契会誌)にて行います。 寄付者一覧(2009.3.28 ~ 2010.3.31)(敬称略) 旧制 11 回 旧制 12 回 旧制 16 回 旧制 18 回 旧制 19 回 新制化 1 回 新制化 2 回 新制化 3 回 おしらせ 新制化 4 回 新制化 6 回 新制化 7 回 新制化 8 回 クラス幹事の確認について 新制化 10 回 永契会ニューズレター(永契会誌)は、各クラス 幹事の皆様のご尽力によって、同窓会報告・近況報 告等の情報収集を行っております。また、総会やそ の他の行事の連絡、会員の皆様の住所変更などの迅 速かつ的確な情報の伝達もクラス幹事の皆様のお 力によるところが非常に大きくなっております。と ころが、永契会の辿った長い年月のもとでは、何人 かの方はすでにお亡くなりになられており、クラス 幹事が不在の学年もございます。該当する学年の会 員の皆様方には、適当な方をクラス幹事として立て ていただくようお願い申し上げます。 平成 23 年 2 月現在のクラス幹事一覧を最後のペ 新制化 11 回 新制化 12 回 新制化 13 回 新制化 14 回 新制化 15 回 新制化 16 回 新制化 17 回 新制化 19 回 新制化 20 回 新制化 26 回 新制化 27 回 新制化 28 回 20 小竹宏志 小作井興一 澤夏雄・望月隆仁 花房昭静 菅宏・佐藤良生・花房秀三郎・前川清二 森久・関口ひかる・短田英一・菅江謹一・ 河波徹・宗像和雄・佐々木弘次 細見暁・此常四郎 鈴木英生・鈴木不二男 浅野浩・杉岡八十一・畑田元義・ 金丸文一 三瀬教利・石井宏 山本正夫・小川禎一郎・蒲池幹治 安藤靖爾 菊澤紀子(旧姓小川)・菊澤賢二・ 徂徠道夫 楠本正一 田中順弘 朋部建一 吉田隆夫 妻鹿友弘 後藤和夫 久保田一郎 椋木康雄・笠井俊夫・田中勲・佐伯憲生 由利秀樹 松田光夫・桝井積・岡田勇・小西邦和・ 久保恵司・篠原厚 小林信子(旧姓名倉) 竹原豊浩・戸塚誠一・ 新制化 29 回 新制化 30 回 新制化 32 回 新制化 34 回 新制化 37 回 新制化 39 回 新制化 40 回 新制化 42 回 新制化 44 回 新制化 46 回 新制化 50 回 新制化 51 回 新制化 54 回 新制高 02 回 新制高 03 回 新制高 10 回 新制高 13 回 新制高 14 回 新制高 16 回 新制高 20 回 新制高 22 回 新制高 24 回 新制高 25 回 新制高 31 回 新制高 33 回 新制高 38 回 修士 4 回 修士 5 回 修士 6 回 修士 8 回 修士 11 回 修士 12 回 修士 14 回 修士 16 回 修士 18 回 修士 24 回 修士 46 回 修士 48 回 博士 27 回 仁田・関・菅・ 松尾・中澤 呉・村橋・野桜・ 蒲池・原田 田所・小林・田代 千谷・広田・ 桑田・笠井 池田・横山・渡會 山下節子(旧姓藤沢) 古川喜朗 松原みゆき(旧姓井ノ子) 中井孝尚 宮宇地真人・青木純雄 藤本ゆかり(旧姓岩井)・藤本一朗 豊田潤一 高野敬子 大村孝 今村猛・長谷川昌司 大西拓 松田靖弘・中西昭三 萩野亮・織部美緒 窪田統 佐々木隆・名越文哉 上山憲一 竹本修明・林澤・鹿野信吾 大沼康男 山本富昭 小野泰一 伊藤隆司・井上敬二郎 平松正尚 吉田博次 竹井一男 遊佐真一 並河憲和 榛木竜 秋山修三 上田富子 坂本浩 山田博昭 鳥本昇 田端英世・高橋泰洋 松永孝義 山田強 角田務 宮島清一 大和正憲・森達哉 步智恭世(旧姓秋田) 穐田宗隆 会員連絡先情報の入手について 「永契会誌」として刉行してまいりました会員名 簿の配布は中止しております。これは、年々増加す る会員数を網羅するには印刷費用がかさみすぎる こと、また、個人情報保護法施行などの時代的背景 を考慮したものです。 なお、名簿の廃止に伴い、会員の連絡先情報は永 契会事務局を通して入手していただくようにお願 いします。 2009 年度会計報告 (2009.3.28~2010.3.16) 2009 年度の永契会会計決算は去る 2010 年 5 月 1 日 の総会で、下記の通り承認されました。 [収入の部] 前年度からの繰越金 会員からの寄付金 終身会費 同窓会連合還付金 総会参加費 預金利息 計 ニューズレター22 号印刷・発送費 ホームページ費用 総会費用 卒業記念祝賀会費 寄付金の口座徴収料金(郵便局) 弔電代 通信費 雑費 次年度への繰越金 計 三浦正道 木下嘉清・石川慎一 747,924 円 1,932,000 円 153,843 円 150,000 円 12,360 円 12,610 円 8,972 円 6,252 円 5,740,934 円 8,764,895 円 2010 年度永契会総会懇親会会計報告 (2010.5.1) 谷口仁 去る 2010 年 5 月 1 日、理学部 G 棟1階塩見記念 室で行われた永契会総会懇親会の会計決算は以下 のとおりです。収入のうち、永契会からの出資金 6,0164 円は 2010 年度の会計における支出として計 上いたします。 盛田正治 逝 8,764,895 円 [支出の部] 小山裕三 ご 6,993,555 円 429,000 円 580,000 円 665,000 円 90,000 円 7,340 円 去 前ニューズレター発行(2010 年 2 月)以降、永契 会会員の皆様から次の方々の訃報をお知らせいた だきました。(敬称略) 謹んでご冥福をお祈りいたします。 [収入の部] 参加費(一名 3,000×31) 永契会からの出資金 計 芝 哲夫(旧 12 回 小竹研 名誉教授)、宗行 龍之 祐(旧 16 回 千谷研)、吉田 崇(旧 16 回 千谷研)、 大須賀 昭夫(旧 17 回 小竹研)、原田 馨(旧 18 回 金子研)、岩本 英次(化 5 回 赤堀研)、藤原 淑 郎(化 7 回 仁田研)、奥 正興(化 15 回 池田研) 93,000 円 6,0164 円 153,164 円 [支出の部] ケータリング費用 飲み物代 計 21 126,000 円 27,164 円 153,164 円 人 事 編集後記 大阪大学大学院理学研究科化学系教室における 人事異動についてお知らせ致します。(期間:平成 22 年 2 月 1 日〜平成 23 年 2 月 1 日;敬称略) ・新任 准教授 講師 講師 講師 助教 助教 助教 助教 助教 助教 助教 今年度も多数の会員の皆様からご寄稿頂き、永契 会ニューズレター(永契会誌)を無事発行できるはこ びとなりました。特に各学年のクラス幹事の皆様、 ご協力大変ありがとうございました。活発な同窓会 活動をご紹介できました。これからも、会員の皆様 に尐しでも多くの情報を提供できるようニューズ レター(永契会誌)のより一層の充实を図っていきた いと思います。来年度もニューズレター(永契会誌) を発行する予定にしておりますので、またのご寄稿 をお待ち致しております。 今年度の永契会幹事会は、篠原 厚(幹事長、新 制化 26 回)、久保 孝史(副幹事長、新制化 39 回)、 山口 浩靖(庶務幹事、新制高 31 回)、川上 貴資 (会計幹事、新制化 42 回)で運営して参りました。 来年度は、篠原 厚(幹事長)、久保 孝史(副幹事 長)、山口 浩靖(庶務幹事、新制高 31 回)、川上 貴資(会計幹事、新制化 42 回)という幹事会の人 事を総会でお諮りする予定です。 加藤 浩之(宗像研) 1 月 1 日付 石川 春人(水谷研) 3 月 1 日付 佃 俊明(今野研) 4 月 1 日付 福田 貴光(石川研) 4 月 1 日付 笠松 良崇(篠原研) 4 月 1 日付 山中 秀介(奥村研) 4 月 1 日付 吉成 信人(今野研) 4 月 1 日付 梅川 雄一(分析機器室) 4 月 16 日付 田中 大輔(小川研) 6 月 1 日付 土川 博史(村田研) 6 月 1 日付 岡本 亮(梶原研) 9 月 16 日付 ・昇任 教授 今田 勝巳(高分子凝集系科学) 准教授(生命機能研究科)より 10 月 1 日付 准教授 松森 信明(村田研) 5 月 16 日付 講師 浦川 理(井上研) 11 月 16 日付 講師 橋爪 章仁(佐藤研) 3 月 16 日付 ・転出 柘植 清志(今野研) 富山大学教授に 竹谷 純一(中澤研) 産業科学研究所教授に 大石 徹(村田研) 九州大学教授に 上田 貴洋(江口研) 東洋大学教授に 宮久保 圭祐(宗像研) 総合学術博物館准教授に 4 月 1 日付 4 月 1 日付 4 月 1 日付 4 月 1 日付 4 月 1 日付 ・定年退職 2010 年 3 月 31 日付 笠井 俊夫 教授、渡会 仁 教授、 鈴木 晋一郎 教授、奥山 健二 教授 22 2010 年度化学・高分子コロキウム (卒業記念講演会・卒業記念パーティー)のご案内 卒業記念講演会 日時:2011 年 3 月 14 日(月) 14:40~ 場所:理学部D棟5階大講義室 講師:小川 禎一郎 氏(新制化7回)(小川弁理士事務所) 演題:「積極的に進む」 卒業記念パーティー 日時:2011 年 3 月 14 日(月) 17:30~ 場所:豊中キャンパス内「らふぉれ」 2011 年永契会総会のご案内 2011 年の永契会総会を下記の通り開催いたします。 当日は、大阪大学ホームカミングデーと理学部同窓会が予定されています。これに合わせて 総会を開催し、引き続いて会員相互の親睦を深めるためにささやかな懇親会を行います。当日 午後には化学系教室において一般向けの研究室見学ツアーが行われる予定です。お時間のある 方は、ぜひご参加下さい。 なお、懇親会に参加を予定されておられる会員の皆様には、お手数ですが同封の振込用紙に て 4 月 15 日(金)までに会費(3,000 円)をお支払いいただきますようお願い致します。もち ろん、当日の参加も歓迎いたしますが、できれば事前に事務局までご連絡下さい。皆様奮って ご参加くださいますようお願い致します。 開催日:2011 年 5 月 3 日(火・祝) 場 所:大阪大学理学部 G 棟 1 階 塩見記念室 総 会:17:00 ~ 17:30 懇親会:総会に引き続き行います(2時間程度)。会費 3,000 円 同封の振込用紙でお支払いください。(締切り 4/15) 当日の受付、支払いも可能です。 永契会クラス幹事一覧(2011 年 2 月現在) 卒業 年 お名前 1936 旧制 1 回 大庭 成一 1937 旧制 1 回 1938 旧制 3 回 関 集三 1939 旧制 4 回 黒谷 寿雄 1940 1941 旧制 6 回 1941 旧制 7 回 1942 旧制 8 回 1943 旧制 9 回 1944 旧制 10 回 1945 旧制 11 回 1946 1947 卒業 年 お名前 卒業 年 お名前 1977 新制化 25 回 福本 敬夫 1963 新制高 1回 1978 新制化 26 回 篠原 厚 1964 新制高 2回 1979 新制化 27 回 文珠四郎 秀昭 1965 新制高 3回 1980 新制化 28 回 茶木 晴幸 1966 新制高 4回 横山 正明 旧制 5 回 河本 於兎彦 1981 新制化 29 回 高尾 敏文 1967 新制高 5回 へさき 康彦 1982 新制化 30 回 深瀬 浩一 1968 新制高 6回 尾崎 雄三 1983 新制化 31 回 吉村 寛幸 1969 新制高 7回 山本 泰 1984 新制化 32 回 織田 佳明 1970 新制高 8回 夏川 一輝 1985 新制化 33 回 黒川 智文 1971 新制高 9回 福山 恵一 1986 新制化 34 回 長束 俊治 1972 新制高 10 回 原田 明 斎藤 修二 1987 新制化 35 回 西村 重徳 1973 新制高 11 回 田代 孝二 旧制 12 回 野櫻 俊一 1988 新制化 36 回 蔵田 浩之 1974 新制高 12 回 岩井 薫 旧制 13 回 妹尾 四郎 1989 新制化 37 回 大西 豊 1975 新制高 13 回 築部 浩 1948 旧制 14 回 千原 秀昭 1990 新制化 38 回 谷田 肇 1976 新制高 14 回 山内 通秀 1949 旧制 15 回 池中 徳治 1991 新制化 39 回 久保 孝史 1977 新制高 15 回 三木 哲宏 1950 旧制 16 回 槌田 昭三 1992 新制化 40 回 柳内 晃一 1978 新制高 16 回 1951 旧制 17 回 寒河 潔 1993 新制化 41 回 大橋 賢治 1979 新制高 17 回 真島 和志 1952 旧制 18 回 早野 和夫 1994 新制化 42 回 田熊 誠司 1980 新制高 18 回 佐藤 尚弘 1953 旧制 19 回 佐藤 良生 1995 新制化 43 回 秋津 貴城 1981 新制高 19 回 四方 俊幸 1953 新制化 1 回 福井 俊郎 1996 新制化 44 回 桐林 伸治 1982 新制高 20 回 寺河 俊紹 1954 新制化 2 回 今中 利信 1997 新制化 45 回 加藤 俊二 森脇 紀元 田中 聡 1983 新制高 21 回 在間 弘朗 1955 新制化 3 回 鈴木 不二男 1998 新制化 46 回 北河 康隆 1984 新制高 22 回 金子 文俊 1956 新制化 4 回 崎山 文夫 1999 新制化 47 回 下野 知性 1985 新制高 23 回 梶原 篤 1957 新制化 5 回 畑田 耕一 2000 新制化 48 回 高城 大輔 1986 新制高 24 回 中村 洋 1958 新制化 6 回 髙橋 政司 2001 新制化 49 回 飯国 良規 1987 新制高 25 回 竹井 一男 1959 新制化 7 回 蒲池 幹治 2002 新制化 50 回 庄司 光男 1988 新制高 26 回 岡村 高明 1960 新制化 8 回 小森田 精子 2003 新制化 51 回 二宮 和彦 1989 新制高 27 回 樋口 裕思 1961 新制化 9 回 中村 亘男 2004 新制化 52 回 梅川 雄一 1990 新制高 28 回 奥 浩之 1962 新制化 10 回 徂徠 道夫 2005 新制化 53 回 焼山 祐美 1991 新制高 29 回 塩月 敬三 1963 新制化 11 回 松尾 隆祐 2006 新制化 54 回 真田 雄介 1992 新制高 30 回 橋爪 章仁 1964 新制化 12 回 岡畑 精記 2007 新制化 55 回 九鬼 伸治 1993 新制高 31 回 山田 裕介 1965 新制化 13 回 中筋 一弘 2008 新制化 56 回 小西 彬仁 1994 新制高 32 回 石野 祐司 1966 新制化 14 回 海崎 純男 2009 新制化 57 回 1995 新制高 33 回 川口 恵徳 1967 新制化 15 回 妻鹿 友弘 2010 新制化 58 回 1996 新制高 34 回 1968 新制化 16 回 尾野 光夫 1997 新制高 35 回 山本 洋史 1969 新制化 17 回 荒川 隆一 1998 新制高 36 回 外城 稔雄 1970 新制化 18 回 江口 太郎 1999 新制高 37 回 1971 新制化 19 回 稲葉 章 2000 新制高 38 回 1972 新制化 20 回 中辻 慎一 2001 新制高 39 回 1973 新制化 21 回 尾崎 幸洋 1974 新制化 22 回 吉川 信一 1975 新制化 23 回 池中 一裕 1976 新制化 24 回 川本 正司 24 新ホームページに是非一度アクセスしてみてください http://www.eikeikai.jp/ 化学系教室同窓会の最新情報を随時更新しています 今年度のアクセス数は、なんと 58,860 件!(2011 年 2 月 5 日現在) クラス会開催の案内や 報告にご利用下さい。 皆様からのご寄稿もお待 ちしております。 25 永契会 NEWSLETTER(永契会誌) No. 24 2011 年 2 月発行 〒560-0043 豊中市待兼山町1− 1 大阪大学理学部化学系教室 永契会 電子メール [email protected] ホームページ http://www.eikeikai.jp/ WEB 名簿システムをご活用ください。 永契会ホームページから簡単にアクセスできます。 ・ 住所、E-mail アドレス等の情報が自分で 更新できます。 ・ 情報の「公開」「同期か同研究室に公開」 「非公開」が設定できます。 ・ 同期生や研究室同窓生の情報検索が行え ます。 ・ ご利用には、ID およびパスワードが必要 です。これらは昨年度封書にてお送りし ています。ID・パスワードが書かれた用 紙を紛失された方は、ホームページのお 問い合わせメニューから、永契会事務局 にお問い合わせください。 26
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