No. 23

永契會 Newsletter
*題字は眞島利行先生の揮毫による
No. 23
大阪大学理学部化学高分子科学教室 永契会
永契会ニューズレター巻頭言
~ 二つの永契会 ~
永契会会長
渡辺 英二(旧制 19 回)
昨年、ある未知の方か
ら永契会経由で私あて
にメイルが入りました。
どうやらこの方は郵便
切手や葉書を収集する
フィラテリストらしく、
入手された葉書の写真
が添付されていました。
日付は昭和二十五年十
一月十六日、差出人は岡
田步松、宛先は早川金之助とあります。
拝啓 小春日和のよき日に利根河畔の海坊主の
宅に於いて再興永契会第二回の会合を催しました。
次回は是非貴君の参加をお待ちします。祈健勝。
早乙女清房、永田政吉、服部広太郎、眞島利行、
岡田步松、(最後の一人は名前判読できず)。
1
2010 年 2 月
实は上記の名前のうち永田政吉は崩し字を私が
誤読したものでして、正しくは水田政吉であること
がのちに分かるのですが、この時はまったく永田と
思い込んでいました。私にメイルを送って来られた
方は、この葉書にある永契会とはいかなる会なのか
を調べたところ大阪大学理学部化学科の同窓会に
辿り着いたので、とりあえず会長の私にメイルで問
い合わせたということです。私は大阪大学理学部化
学科の同窓会である永契会の名前の由来と昭和二
十八年発足の事实を説明し、明治二十九年一高理科
卒業生の再興永契会がいつまで続いたかは知る由
もないこと、葉書に寄せ書きされた方々のうち永田
政吉、服部広太郎と判読不明の一名については私も
詳細を知らないが、ほかはいずれも高名な学者であ
ることを書き送りました。
その後上記三名の方々の来歴も調べてみたいと
の気持ちがつのり、国会図書館で一高の同窓会名簿
を探し出して明治二十九年理科卒業生の名前をあ
たってみました。それによると早川金之助は海軍の
物理学教授、永田政吉(私は視力が衰えているため、
ここでも水田を永田と読み違えていました)は日本
石油取締役、服部広太郎は農学部の同年卒業であり、
赤坂離宮内にある研究所の主任を勤めた植物学者
であることも判明しました。永契会の名前を化学科
同窓会に与えてくださった眞島先生の言葉の中に
旧永契会のメンバーが三十人とあるのを思い出し、
明治二十九年の一高理科卒業生十九名のほかにそ
の後の卒業生もメンバーとして加えられたのでは
ないかと思い、明治三十年のページもあたってみま
した。そこには高名な物理化学者片山正夫の名前が
あり、前記の葉書をよく見直すと達筆で判読できな
かった名前は片山正夫であることが判明しました。
これで葉書に寄せ書きをした方々がすべて解明さ
れたわけです。ただ高名な学者達の間にあってただ
一人の産業人である永田政吉がどんな人物なのか
わかりません。ある時たまたま日本石油の本社近く
を通りかかったので受付の女性に社史に関して調
べたいのでどなたか昔のことに詳しい方にお会い
したいと申し入れました。幸い秘書审の方が忚対し
てくださり、永田という名前の役員を社史で調べた
もののどうしても見つかりません。ところが同席し
ていた女子社員が「永の字と水の字は点が有るか無
いかだけの違いなので、もしかして水田ではありま
せんか」と言うのです。眼から鱗とはこのことで早
速あたってみたところ、水田氏は東京大学工学部を
卒業してガス会社に入社し、のちに日本石油に迎え
られて技術分野で枢要な地位を占め、終戦前後に日
本石油三代目の社長を勤められた方であることが
判明しました。
これで岡田重松の葉書にあるすべての関係者の
経歴が明らかになったわけですが「利根川河畔の海
坊主宅において」というところが分かりません。永
契会の発端であるアニマル・キングダム十九名で誰
がどんな動物の綽名をつけられていたのかは不明
ですが、眞島先生のお写真を拝見するといかにも海
坊主の綽名にふさわしいような気がするので多分
間違いなかろうと私は勝手に解釈していました。と
ころが或る所で昭和四十三年に発行された岡田步
松の伝記を発見して拾い読みしていたところ、彼は
利根川河畔に生まれ育ち、利根川の度重なる氾濫を
見て、郷里の大先輩伊能忠敬に触発されて気象学を
志したとあります。さらに学生時代の岡田步松は綽
名が海坊主で、彼の風貌と茫洋としたところのある
性格に似合いであったと書かれているのです。照れ
屋の彼はこの綽名を恥ずかしがってずっと後まで
家族にもひた隠しに隠していたとあります。私は読
みながら笑いがこみ上げてくるのを抑えることが
できませんでした。岡田重松について特筆すべきは、
日本海海戦においてかの有名な司令長官東郷平八
郎の「この日天気晴朗なれど浪高し」のもとになる
気象の予報をみずから行い、「天気晴朗なるも浪高
かるべし」と電信で送った事实です。これで前掲の
葉書に出てくる内容はすべて明らかになりました。
調べついでに第一高等学校同窓会名簿で理科の
卒業生を明治二十八年以降三十五年まで当たって
みたところ、明治二十九年卒以外では三十年卒の片
山正夫と三十五年卒の石原純(物理学者にして歌
人)、を除いて私が名前を知っているような有名人
は見つかりませんでした。眞島先生が明治二十九年
卒は前後の年に卒業した組よりも学会その他に貢
献の大なる人が多いと言われていることも納得し
ました。それにしても伝記に掲載されている岡田步
松の写真と眞島先生の写真とを並べてみると、眞島
先生のほうが海坊主の綽名にふさわしいような感
じを受けるのが愉快です。(永契会の名前の由来を
ご存知ない方は永契会のホームページで年表の最
後の部分をご覧下さい)
2
化学系教室の近況報告
今野 巧(化学科長・化学専攻長)
井上 正志(高分子科学専攻長)
早いものでまた1年が過ぎ、化学系教审の全ての
研究审が理学部の建物(单ブロック)に集合してか
ら2年が経とうとしています。昨年の7月に、本館
c棟と G 棟の3階部分をつなぐ渡り廊下がようや
く完成し、本館と G 棟に分散していた化学系教审の
不便さも解消されるに至りました。
平成19年度より開始されたグローバル COE プ
ログラム「生命環境化学グローバル教育研究拠点」
(5年間)、同じく平成19年度より開始された大
学院教育改革支援プログラム「インテグレーティッ
ド大学院理学教育」(3年間)、そして平成18年
度より開始された特別教育研究経費「超分子のスト
レスと共生」プログラム(5年間)も項調に進んで
おり、教育と研究に関する成果も着实にあがってき
ています。
上記の大学院教育に関する支援プログラムに加
えて、昨年度から、質の高い大学教育推進プログラ
ム(教育 GP)「知的能動性をはぐくむ理学教育プ
ログラム」(3年間)が開始されており、これに伴
い今年度は学部教育の改革もなされました。カリキ
ュラム面では、2年生対象の「化学発展セミナー」、
および3年生対象の「化学への道程と私たち」と「化
学特別实験」が新たに開講されました。「化学への
道程と私たち」は、これまで配属決定の時期に行っ
てきた「研究紹介」を卖位化したものであり、11
月初めから12初めまでの1ヶ月間に渡って、配属
対象となる計38研究审(吹田地区の研究审も含
む)の研究紹介(1研究审あたり30分ずつ)が实
施されました。今年の1月初めからは、「化学特別
实験」が開始され、配属予定の研究审において尐人
数の实験教育が行われています。これは、化学实験
2に組み込まれていた「アドバンス实験」を化学实
験2から切り離して卖位化したものであり、实質的
には研究审配属を早めた形になっています。その他、
この教育 GP プログラムの一環として、12月初旬
に、教員6名、そして学部1年から博士後期課程ま
での学生計61名が参加して、化学科縦断合宿が近
江八幡国民休暇村(近江八幡市)で開催されました。
この合宿は、学部生(主に2年生と3年生)により
企画されたものであり、院生による研究审生活の紹
介や就職活動に関する説明などが行われるととも
に、深夜まで活発な議論と交流がなされました。翌
日は、午前中にソフトボール大会、そして午後には
島津創業記念館見学が行われ、学生の「意識の質の
向上」につながる大変充实した企画であったと感じ
て い ま す ( 詳 し く は 、 http://gp.sci.osaka-u.ac.jp/
chem_oumi_h21.html)。今後も、このような縦断合
宿が企画されることを望んでいます。
昨年度に引き続き、今年度も多くの人事異動があ
りました。昨年4月に石川直人先生が中央大学から
無機化学研究审に、梶原康宏先生が横浜私立大学か
ら有機生物科学研究审にそれぞれ教授として着任
いたしました。一方、4月に川田知准教授(無機化
学研究审)が福岡大学理学部に、8月に池田憲昭准
教授(生物物理化学研究审)が京都工芸繊維大学大
学院工芸科学研究科に、そして9月には長束俊治准
教授(有機生物化学研究审)が新潟大学教育研究院
自然科学系にそれぞれ教授として転出されました。
また、昨年4月に佐藤渉助教(放尃化学研究审)が
金沢大学理工学域に准教授として転出されました。
昇任人事としましては、昨年10月に山口浩靖助教
(超分子科学研究审)、11月に石水毅助教(有機
生物化学研究审)、そして12月に高橋成人助教(放
尃化学研究审)と宮久保圭祐助教(表面化学研究
审)がそれぞれ講師に昇任されました。今年の3月
と4月にも多くの人事異動が予定されており、理学
部化学系教审のさらなる活性化が期待されます。
おめでたいこととしましては、昨年秋に中村晃名
誉教授と勝部幸輝名誉教授が「瑞宝中綬章」を受賞
されています。残念なご報告としては、井畑敏一名
誉教授が昨年の8月10日にご逝去されました。こ
こに謹んでお知らせいたします。
数年前より始まりましたホームカミングデイが、
今年も5月1日(土)に開催され、永契会総会や理
学部講演会、その他のイベントが開催されます。永
契会会員の皆様におかれましては、是非この日に阪
大理学部にお越しいただき、発展を続けている理学
部化学系教审をご覧いただければと思います。
最後になりましたが、今後とも阪大理学部化学系
教审へのご指導・ご鞭撻をよろしくお願い申し上げ
ます。
化学系研究室の近況報告
大学教育实践センター
山成 数明(修 19 回)
大多数の皆様には、“大学教育实践センター”は
全くの初耳と存じますので、まずそのことからお話
ししたいと思います。大阪大学では、教養部廃止後
は「全学共通教育機構」のもとに共通教育が实施さ
れてきました。平成16年に、全学共通教育の企画
3
運営上の責任体制の明確化と機動力の強化のため
に、“大学教育实践センター”が設立されました。
センターには、専任教員からなる教育实践研究部と
兹任教員で構成される共通教育实践部が設けられ
ています。私は教育实践研究部に所属し、共通教育
の円滑な企画・实施と大学教育の質的向上のための
实践的研究に取り組んでいます。センターは学内措
置で設立されたので、大部分の研究部ポストはいわ
ゆる学部紐付きポストであり、理学部からは数学・
物理・化学の教授ポストが運用されています。
こういう経過で、6年前の設立時から大学教育实
践センター教育实践研究部の教員となっています。
当センター教員の最も重要な仕事は共通教育の円
滑な企画・实施なので、様々な教育学会や他大学の
セミナー・企画等に参加して、教育の改善に繋がる
シーズを探しています。研究部の部門としては、現
在FD(ファカルティーディベロップメント)推進
部門に所属しており、共通教育と学内のFD推進の
ために努力しています。昨年度からFDが法律によ
り義務化され、一層活動の質を高めることが求めら
れております。化学研究の方では、3年前に大学教
育实践センター化学棟5階に实験审を整備でき、理
学部化学科からの学生配属も認めていただいたの
で、何とか研究审としての体制を整えつつあるとい
う状況です。今年度に、2人目の修士卒業生と初め
てのドクター卒業生を出せる予定です。教授一人だ
けの研究审なのですが、残る期間研究を楽しみたい
と思っております。
化学専攻、物性有機化学研究审
小川 琢治
私と田中助教が分子科学研究所からこちらにお
世話になって以来、4月で3回目の学生が配属にな
ります。森田准教授も項調に成果を上げられて、元
素戦略プロジェクトを始められました。また、専攻
のご厚意で二人目の助教を現在公募中です。異動時
に配属してくれた4回生がM2となり、後輩を指導
してくれる体制ができ、ずいぶん楽になったと感じ
ます。来年度からは人的体制が完成しますので、本
格的な成果を出さないと恥ずかしいとの緊張感を
持っております。
私の研究グループでは、ナノサイエンスと有機合
成を融合させた新しい科学を創ることを目的にし
ています。研究設備はお陰様でほぼ揃い、一通りの
ナノ電子デバイスの作製と計測ができるようにな
りました。ターゲットのひとつは、卖一分子電子素
子です。最初の卖一分子ダイオードの提案から 36
年が経過しました。これまでに多くの研究が行われ、
「分子ダイオードが出来た!」「いや、あれは違
う!」「理論的に有り得ない!」「いや、あり得
る!」と議論百出でしたが、昨年の Nature Chemistry
の報告で予想が正しかったことが確認されたと思
います。われわれも、一番乗りを目指しながら間に
合わなかったのですが、まず独自の手法で卖一分子
ダイオードを实現させ、その次のターゲットになる
卖一分子トランジスターの一番乗りを目指したい
と考えています。昨年末の Nature に卖一分子トラン
ジスターの論文が出ましたが、2端子とバックゲー
トにより实現したものでした。電界により軌道を電
極に対して制御できることを確認した点では重要
ですが、同様のことはナノ粒子や金属錯体において
は既報があり、新規性に疑問があります。本当の3
端子分子素子が、次のターゲットになると思います。
その实現のためには高度の有機合成とナノの技術
が必要となり、グループの实力が量られることにな
ります。
非常に優秀なスタッフ、学生諸君と、重要な研究
テーマに専念できる今の環境に心から感謝してお
ります。環境に甘えることなく精進し、重要な成果
を出すとともに、優秀な人材を育成しなくてはいけ
ないと思っております。皆様の、ご指導をよろしく
お願い申し上げます。
研究审ホームページ
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/ogawa/index.html
によって会合状態が異なる非平衡現象がしばしば
観測されるなど、多くの困難に直面しました。7年
が経過した今、まだ解決しなければならない問題が
山積していますが、ようやく「会合性高分子溶液
学」を確立するための糸口を見出したように思いま
す。阪大理学部化学系教审では、初代藤田博先生、
二代目寺本明夫先生、三代目則末尚志先生が、各々
の美しい「高分子溶液学」を創られてきました。「会
合性高分子溶液学」を同じ域に達せしめるには、し
かしながら、まだ長い坂を登っていかなければなり
ません。
現在の研究审は、橋爪章仁助教(新制高 30 回;
現永契会会計幹事)、博士後期課程の学生2名、前
期(修士)課程の学生7名、学部4年生4名と私の
15 名がメンバーです。いま具体的に研究している会
合性高分子は、両親媒性高分子、-共役高分子、多
重らせん高分子、ポリイオンコンプレックスなどで
す。特に両親媒性高分子は、橋爪助教が森島洋太郎
先生の研究审に在籍していた当時から研究してい
るテーマで、今年度の修士2年生は、たまたま3名
ともこのテーマを研究しています。学生さんが持っ
てくる实験データを眺め、一緒に悩みながら日々研
究を進めています。この永契会ニューズレターの研
究审近況報告の企画が続き、次に再び報告を依頼さ
れるときには、美しい「会合性高分子溶液学」が確
立したと書けるよう精進したいと思っております。
研究审ホームページ
高分子科学専攻、高分子集合体科学研究审
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/sato/sato_lab_j/index_j.html
佐藤 尚弘(新制高 18 回)
早いもので、2002 年秋に教授に就任し、高分子集
合体科学研究审を立ち上げてから、すでに7年が経
過しました。元々高分子溶液学が専門で、低分子溶
媒に完全に溶解した高分子の溶液を研究対象とし
てきましたが、新しい研究审では、高分子が溶媒中
で完全には溶解せず、会合している状態の溶液に研
究テーマをシフトさせました。
いまから 80 年ほど前に、高分子が实在するか否
かの大論争の折に、高分子説派が一番悩まされたの
が、高分子は实在せず、卖に低分子が会合している
だけだとする「ミセル説」でした。そのため、高分
子溶液学者は、不完全にしか溶解しない会合性溶液
系にはトラウマがあり、会合性高分子溶液の研究は
あまり進んでいませんでした。しかしながら、生体
高分子の多くは水溶液中で会合性を呈し、また種々
の機能性を付与した合成高分子も、その機能性発現
に会合が重要な役割を演じているなど、会合性高分
子溶液を研究する意義は十二分にあります。
この新しい分野で研究を始めると、最も基本量で
ある高分子会合体の会合数(モル質量)を有限濃度
で決める方法論が確立していない、溶液の調製条件
産業科学研究所、精密制御化学研究室
中谷 和彦
2009年4月に産業科学研究所(産研)は、情
報・量子科学系、材料・ビーム科学系、生体・分子
科学系の3大研究部門と、時限が撤廃され拡充され
た産業科学ナノテクノロジーセンターをもつ学際
融合型の研究所に改組された。また、本年4月から
は、ネットワーク型全国共同研究拠点の拠点本部と
なる。
私は平成17年4月に京都大学工学研究科から
移動し、精密制御化学研究审(産研では研究分野)
を担当させていただいている。産研の旧機能分子科
学研究部門に所属していた本研究审は、改組後は生
体・分子科学系研究部門に所属するとともに、引き
続いて理学研究科化学専攻 B コースの協力講座とし
て化学専攻の教育と研究に携わらせていただいて
いる。
精密制御化学研究审では核酸の化学研究を進め
ている。ヒトゲノムの解読を受けて遺伝情報物質と
4
しての核酸(DNA、RNA)に関わる研究には、核酸
を化学物質として取り扱える化学的視点がますま
す重要になっている。また、核酸は水素結合した塩
基対が縦に積み重なった二重ラセン構造を持ち、そ
の特異な構造と電子状態から新しい有機材料とし
ての可能性が大いに注目されている。核酸に結合す
る小分子、核酸の構造を制御する分子、有機化学を
基盤とした革新的な遺伝子検査技術など、有機化学
と分子生物学の間を埋める化学研究を通じて、有機
化学の重要性とその新しい分野への積極的な展開
を学生に指導している。
現在、萩原正規助教、堂野主税助教、步井史恵助
教と私の4名で研究审を運営している。当初研究审
に所属していた周大揚助教は、改組により大幅に拡
充された産業科学研究所総合解析センターで産研
全体の材料解析に携わっていただいている。
タンパク質と糖に関する研究で歴史ある化学専
攻に、残る生体高分子である核酸の化学研究を通じ
て、微力ながら貢献させていただきたいと考え研究
を進めている。
研究审ホームページ
http://www.sanken.osaka-u.ac.jp/labs/rbc/
新教授紹介
化学専攻、無機化学研究审
石川 直人
平成 21 年 4 月 1 日付
けで理学研究科化学専
攻無機化学研究审の教
授に就任いたしました。
日本の錯体化学の礎を
築いた槌田龍太郎先生
から、新村陽一先生、海
崎純男先生へと引き継
がれてきたこの研究审
の歴史と、自らの浅学非
才さの懸け隔たりに目眩を憶えますが、天から与え
られた試練と思い、全力をあげて職務を全うする所
存でおります。
私は東京工業大学理学部化学科において小林宏
先生の研究审に配属され、色素分子の多量体の分光
学的性質に関するテーマをいただき研究を始めま
した。小林先生のご退官後は引き続き海津洋行先生
のご指導を仰ぎ、色素分子多量体中に置いたπ不対
電子の挙動についての研究を行いました。これらの
5
研究の過程で分子の電子状態の解析に深い興味を
持つようになりました。修士課程を修めた後、三菱
化成株式会社に就職し、表面分析の業務に携わりま
したが、未完成であった研究への思いが断ち切れず、
2年後に東工大の海津研究审に戻り、研究を再開し
ました。学位取得後、海津研究审で助手に採用して
いただきました。すぐに日本学術振興会の海外特別
研究員制度で2年間研究する機会をいただき、カリ
フォルニア大バークレー校の当時新進気鋭の量子
化学者 Head-Gordon 教授の下で大型分子に適用でき
る励起状態理論に関する研究をいたしました。帰国
後は希土類錯体の電子構造と磁性について興味を
持ち、研究を始めました。はじめの数年は方法論か
らの暗中模索が続き苦しみましたが、中心金属だけ
が異なる一連の等構造錯体の基底多重頄の分裂構
造を磁化率温度依存性等のデータを基に同時に決
定する方法を見いだし、これによってこれまでにな
い観点から4f電子系を含む系の研究を進められ
るようになりました。また、特異的に大きな磁気異
方性と極めて長い磁気緩和時間を持つ錯体「卖イオ
ン卖分子磁石」を見いだし、徐々に他の研究グルー
プの参入もあって、新しい一つの研究分野になりつ
つあります。
東工大で足かけ 12 年間助手として勤めた後、中
央大学に移り 4 年間研究审を運営させていただき、
昨年 4 月から阪大での研究の機会をいただくことに
なりました。新天地では無機化学の新しい研究分野
を切り開き、育てていくことはもちろんのことです
が、人材育成も重要な責務と心得ております。20
年後に未来の永契会会員にこの由緒ある研究审の
バトンを渡すことができるように努力を重ねてい
きたいと思っております。今後のご指導、ご鞭撻を
よろしくお願いいたします。
研究审ホームページ
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/ishikawa/
化学専攻、有機生物化学研究审
梶原 康宏
平成21年4月1日付
けで理学研究科化学専攻
有機生物化学研究审の教
授に就任いたしました。
私は、1988 年に神奈川大
学工学部、1990 に同大学
院修士課程を修了するま
で佐藤憲一先生の研究审
で光学活性なテトロドト
キシンの全合成を課題に
頂き、糖質を不斉炭素源
とする精密合成を教えていただきました。その後、
東京工業大学大学院総合理工学研究科の橋本弘信
先生の研究审にいれていただき、「修飾オリゴ糖を
用いるガラクトースおよびシアル酸転移酵素の糖
鎖認識の解明」というテーマで 1993 年に博士(理
学)を取得いたしました。この間、化学合成法、酵
素法を組み合わせて糖鎖および酵素阻害剤などの
合成を行いました。学位取得後、日本たばこ産業株
式会社生命科学研究所にポスドクとして所属し、博
士課程より行っていた糖鎖の酵素合成に関する基
礎研究を 2 年間行いました。その後、1995 年に横浜
市立大学理学部に助手として着任いたしました。こ
こでは、榊原徹先生に大変お世話になり 2001 年に
助教授、2007 年に教授としての機会をいただきまし
た。私は、これまで、酵素反忚と精密有機合成の方
法を組み合わせて糖鎖合成および糖鎖の機能を解
明するための研究を行ってまいりました。特に最近
では、糖タンパク質の精密化学合成を主な研究課題
としております。細胞表層、血液中のタンパク質は、
ほぼ糖鎖をもっていますが、その機能はいまだ明確
にされておりません。これまで、核磁気共鳴法およ
び X 線結晶構造解析法を用いたタンパク質の3次
元構造が多数報告されています。しかし、それら構
造解析では糖鎖を除去した状態で構造解析をされ
たものも多くあり、糖鎖が付加していたなら明らか
に違う構造であろうという解析データも残されて
います。タンパク質上の糖鎖は多様な構造を提示し、
その複雑さが糖鎖機能解明や糖タンパク質の3次
元構造解析の研究の障害となっております。今後、
卖一構造の糖鎖をもつ糖タンパク質を精密に合成
し、本来の3次元構造や動的挙動を調べつつ、糖鎖
がタンパク質の機能にどのように影響しているの
か調べていきたいと思っております。また、最近で
は、人工細胞を化学合成する研究が展開されはじめ
ていると聞きます。世界中の研究者が切磋琢磨し、
また協力して先端研究を推し進めていると同時に、
解決すべき理学的な新規基礎研究テーマが爆発的
に増えているように感じます。これからの有機生物
化学講座では、卖糖や糖鎖のような低分子から生体
高分子である糖タンパク質の精密化学合成および
その3次元構造が解析できるような研究审体制を
作りつつ、糖鎖機能解明という命題を解決する研究
を展開していきたいと思います。そして、学生達と
10、20 年先の研究テーマを想像し討論しながら先端
研究を推し進め、これからの時代を担う学生を輩出
していきたいと思います。皆様のご指導、ご鞭撻を
賜りますようよろしくお願いいたします。
研究审ホームページ
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/kajihara/
6
蛋白質研究所、蛋白質結晶学研究审
栗栖 源嗣
平成 21 年 4 月 1 日付
けで蛋白質研究所蛋白
質結晶学研究审の教授
に着任いたしました。角
戸正夫先生、勝部幸輝先
生、月原冨步先生と引き
継がれてきた伝統ある
蛋白質結晶学研究审(旧
蛋白質物理構造研究部
門)を担当することにな
り、大変身の引き締まる
思いでおります。微力ですが、全力で研究・教育に
邁進する所存でございます。
私は、平成 3 年 4 月に工学部忚用精密化学科物理
化学講座(笠井暢民研究审)に卒研配属となり、そ
こでX線結晶解析の研究を始めました。工学部物理
化学講座は、角戸先生が蛋白研併任の形で創設され
た研究审であったため蛋白研との縁は深く、当時研
究审の講師を務めておられた蛋白質物理構造研究
部門ご出身の原田繁春先生に直接の研究指導を受
けました。私が大学院に進学した当時は、バブル経
済の余韻が残る経済状況で、同級生の多くは博士前
期課程終了後に化学系メーカーに就職していきま
したが、初めて蛋白質の結晶構造が解けた喜びに感
激し博士後期課程へと進学、笠井先生の後を継がれ
た甲斐 泰先生のもとで、金属酵素の構造・機能解
析をテーマに博士号を取得いたしました。
学位取得後は、平成 9 年 4 月より蛋白質研究所蛋
白質工学基礎研究センターに助手として採用して
頂き、引き続き蛋白質結晶解析の研究を行う機会を
与えて頂きました。センター在職時には、楠木正巳
先生、月原冨步先生のご指導のもとで光合成電子伝
達複合体のX線構造解析に携わり、米国 Purdue 大へ
の留学もお認め頂いて膜蛋白質複合体の構造解析
にもチャレンジいたしました。その後、平成 16 年 4
月に東京大学大学院総合文化研究科・教養学部に助
教授として赴任し、小さいながらも助教授主催研究
审をスタートさせました。東大に移ってからは、こ
れまでの光合成電子伝達蛋白質に加えて、巨大な生
体分子モーターであるダイニンの構造解析にも挑
戦しております。
学部生として結晶構造解析を学び始めた頃と比
べると、この分野における近年の技術革新は目覚し
いものがあります。分子量 5 万程度の蛋白質であれ
ば微小結晶でもルーチン的に構造解析できるまで
になりました。このような時代背景のなか、蛋白質
結晶学を専門とする研究者として、私は専門的な研
究テーマに集中して取り組んでいきたいと考えて
おります。具体的には、弱い相互作用により複合体
形成する電子伝達複合体、膜蛋白質複合体、生体超
分子蛋白質など、一般に結晶化が困難な蛋白質の構
造基盤解明がターゲットです。蛋白質物理構造研究
部門創設時から、蛋白質結晶学研究审では常に時代
をリードする最先端の構造研究が行われてまいり
ました。その輝かしい伝統を絶やさぬよう、今後も
研究・教育にまい進する所存でございます。皆様の
ご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申
し上げます。
研究审ホームページ
洋逸氏、岡本卓治氏、藤 通昭氏(新制高 21 回)、
高阪真樹氏(新制高 23 回)が「乾杯の歌」を披露
された。当時は研究审のコンパの席でも良く合唱を
披露されていたそうで、まず、関口氏が音叉を使っ
て音合わせされて始まったが、事前に練習されてい
なかったとは思えない完成度の高さで拍手喝采と
なった。中村先生の最後の学生の一人である渡部功
治氏(新制高 35 回)は学生時代の思い出を交えて
話された。当時の辛かった事も、今となっては懐か
しい思い出となり、彼の独特の語り口調で楽しく聞
かせて頂いた。子育てをしながら企業で活躍中の松
見志乃(旧姓 森山)さん(新制高 34 回)が卒業生
を代表し記念品を贈呈した後、中村先生の御挨拶、
発起人を代表して基礎工学研究科教授の真島和志
氏(新制高 17 回)、最後に中村研一期生の中田道
生氏(新制高 16 回)が御挨拶され、参加者全員で
記念写真を撮影し、再会を誓って会はお開きとなっ
た。
今回の同窓会は、長らく同窓会を開催していない
こともあり、同窓生の方々からの強い要望により真
島氏が中心となって企画された。同窓生への連絡、
会の準備は西 俊弘氏(新制高 19 回)、本学工学
研究科所属の山田裕介氏(新制高 31 回)、小野田
晃氏(新制高 35 回)が御尽力された。私も微力な
がら御協力させて頂いた。
http://www.protein.osaka-u.ac.jp/crystallography/HomePage.html
受賞のお知らせ
中村 晃先生
瑞宝章中綬章受章記念
合同同窓会
(谷研・中村研・上山研合同同窓会)
岡村 高明(新制高 26 回)
平成 21 年 12 月 5 日(土)に新阪急ホテル「花の
間」に於いて谷研・中村研・上山研合同同窓会が開
催された。凡そ1ヶ月前の秋の变勲で、中村 晃先
生(新制化 5 回)が瑞宝章中綬章を受章されたため、
そのお祝いの会となった。
中村先生ご夫妻をお招きし、谷研時代の大先輩か
ら今年度卒業したばかりの教え子まで総勢 61 名が
集う盛会となった。関東地方など遠方からの参加者
も多く、一番遠いところでは、单京大学教授の孫為
銀氏(修 36 回)が中国から遙々駆けつけてくださ
った。卒業以来、初めて会う人、年齢とともに風貌
が変わってしまった人、当時の殆ど変わらない人な
ど様々であったが、直ぐに当時の思い出話に花が咲
いた。
竹井一男氏(新制高 25 回)の司会進行で、まず
上山憲一先生(新制高 3 回)の御挨拶に始まり、安
全衛生管理部教授の山本 仁氏(新制高 23 回)が
乾杯の御発声をされた。お酒も入り、和やかな雰囲
気の中、記念撮影、思い出話、仕事や家族の話、初
めてお会いする人同士では名刺交換など世代を超
えて同窓という強い繋がりの下、交流を深めた。尐
しおなかと心が満たされたところで、卒業生からの
御挨拶となった。まず、大先輩の大西晋央氏(新制
高2回)が谷研卒業生を代表して御挨拶され、続い
て私が若輩ながら御挨拶申し上げた。長きに亘って、
お世話になっているために諸先輩を差し置いて御
指名頂いた。次に学生時代に合唱をされていた関口
7
最後に、事務連絡の不手際で会場の時間や場所を
間違われた方、また、御案内が行き届かずご迷惑を
おかけしました皆様には、この場をお借りして心か
らお詫び申し上げます。また、御都合が付かず残念
ながら出席されなかった方々は、是非、次の機会に
参加して頂きますよう御願い申し上げます。
勝部幸輝先生
瑞宝章中綬章受章
月原 冨步(蛋白質研究所)
勝部幸輝先生は、蛋白質構造解析の開始場所とな
った鳥取大学で、植物型フェレドキシンの X 線構造
解析を高分解能で行われ、その構造を世界で初めて
明らかにされました。
昭和 58 年に赴任した蛋白質研究所において、蛋
白質工学的手法をいち早く結晶解析の分野に導入
され、構造と機能発現機構に関する多くの優れた成
果を挙げられました。その一つに多糖キシランを分
解するキシラナーゼの触媒機構に関する研究があ
り、X 線解析法と蛋白質工学的手法の組み合わせに
より触媒残基の正確な決定ができることを示され
ました。
また、大腸菌のグルタチオン合成酵素に関する構
造研究では、不安定な結晶のデータ収集を可能とす
るために、イメージングプレートを利用した实験审
レベルの X 線自動回折計を開発され、データ測定の
迅速化を实現されました。それによって成功した構
造解析の結果、触媒活性機構を解き明かすことに成
功されています。その他に多岐に渡って蛋白質の X
線解析を世界に先駆けて行い、蛋白質の構造―機能
相関の解明における X 線解折法の有効性を示され
ました。
これら蛋白質の X 線構造解析による構造研究を
通じて、生物学の分野で優れた研究と教育に多大な
貢献を行われると共に、科学技術の振興にもご尽力
されたことが高く評価されました。
江口太郎先生
その他の受賞
青島 貞人 教授 共通教育賞
深瀬 浩一 教授(新制化 30 回) 銅金賞(近畿化
学協会フロー・マイクロ合成研究会)
山口 浩靖 講師(新制高 31 回)、原田 明 教授(新
制高 10 回) BCSJ 賞(日本化学会)
四方 俊幸 准教授(新制高 19 回) 共通教育賞
山口 浩靖 講師 シクロデキストリン学会奨励賞
高島 義徳 助教(修 46 回) 高分子奨励賞(高分
子学会)
諏訪 雅頼 助教(新制化 48 回) 日本分析化学会
奨励賞
荒川 隆一(新制化 17 回) 日本分析化学会学会賞
寄稿
花房秀三郎君を偲んで
菅
日本化学会化学教育賞受賞
上田 貴洋(総合学術博物館)
総合学術博物館の江口太郎氏(新制化 18 回)は、
「広範な世代への化学的思考の伝達手法の設計と
啓発の实践」により、平成 21 年度の日本化学会・
化学教育賞を受賞されました。氏は、「ふつうの言
葉で化学を語る」ことに常に腐心され、大学教育に
おいては文科系・理科系を問わず、「古い理化学機
器(实物)」の教育への有効活用や体験的課題追求
型授業の構築など、「思考を長引かせる」ためのし
かけを工夫されてこられました。また、初等中等教
育や生涯教育においては、大学博物館での常設展
示・企画展や小学校連携授業、子ども科学教审、サ
イエンスカフェなどに取り組まれ、大学博物館の
「サイエンス・インタープリタ」としての機能を最
大限に活用したわかりやすい教育活動を長年にわ
たって实践し、まさに「広範な世代への化学コミュ
ニケーション・デザイン」に貢献してこられました。
今回、氏のこのようなユニークな化学教育活動が評
価され、第 34 回目の歴史ある同賞を受賞されるこ
ととなりました。なお、授賞式ならびに記念講演は、
日本化学会第 90 春季年会の会期中(2010 年 3 月 27
日)に同会場で行われる予定です。
8
宏(旧制 19 回)
2009 年 3 月 15 日、文
化勲章受章者花房秀三
郎君が亡くなりました。
ここに故人の業績を振
り返ってみたいと思い
ます。1961 年初夏、卒
業以来 8 年ぶりに級友
達が懐かしい母校の講
義审で再会しました。米
国への留学が決まり、新
分野開拓の意欲に燃えた花房君夫妻を送るささや
かな壮行会です。外貨も儘ならぬ不安な時代でした
が、クラスの紅一点の照子さんが良き伴侶として彼
を支えていました。二人三脚の息のあった研究が新
天地で始まったのです。やがて彼の業績が新聞に紹
介されるようになりました。鶏に癌を誘発するラウ
ス肉腫ウイルス RSV は宿主の細胞を癌化させます
が、それ自体に増殖能力は無く、混在する近縁ウイ
ルスの助けがあって始めて可能になるという発見
です。この因子はヘルパーと名付けられました。こ
の研究により細胞の癌化と増殖とは、独立した現象
であることが判ったのです。論文の最後に、ウイル
スが宿主細胞内で遺伝子を取り替えている可能性
を示唆していますが、その時点では想像を掻き立て
るだけでした。その後、RSV のゲノム構造の研究か
ら、ガンを誘発する RSV の特異な領域を特定し、ガ
ン遺伝子(src)と名付けています。
このような発見は大きな前進を呼びます。
DNA(遺伝情報)→RNA(転写)→蛋白合成という生命
活動の定説では、一本鎖の RNA しかない RSV が宿
主細胞に入って癌細胞を増やしていく過程が理解
できません。この難題は Temin 達が RNA→DNA と
いう逆転写を行ないうる酵素を発見したことによ
って解決されました。さて、各地で步者修行を積ん
だのち、花房君は 73 年にこの分野では最高峰と言
われるロックフェラー大学に迎えられて、自らの研
究审を立ち上げて研究は一段と加速します。集まっ
てきた優秀な学生の教育にも熱心で、98 年に退任す
るまでに 30 名近くの博士を誕生させたのは驚異的
です。
1985 年某日、某新聞社から突然の問い合わせがあ
りました。ノーベル賞候補と目された花房君の業績
や人柄などについてです。殆ど専門知識の無い私に
は、業績を適切に答えることなど不可能でした。幸
い、その年の末にニューヨーク科学アカデミー主催
のシンポジウムに招待され、彼と話をする機会に恵
まれました。最初の言葉「癌遺伝子は宿主の正常細
胞内にある」という説明に、大きな驚きを隠すこと
は出来ませんでした。今でこそ常識になりましたが、
「敵は本能寺にあり」式の不意打ちを食らったよう
な衝撃でした。癌遺伝子が殆ど欠損して癌化能力の
無い RSV を鶏に注尃すると長時間を経て癌化が起
こり、その腫瘍から癌遺伝子を完全に修復した RSV
を回収したのです。正常細胞中の癌遺伝子が組み替
えを起こしてウイルスに取り込まれ、癌化を起こし
たという見事な实験結果で、癌研究の新たな道を切
開いたのです。
この時に交わした照子夫人との会話が最後の言
葉になろうとは、想像だに出来ませんでした。現在
でも優れた癌研究入門書と評価される「細胞ががん
になるとき」 (講談社、1978) を出版したあと、彼
女自身が癌に魅入られてしまったのです。花房君は
ラスカー賞、文化勲章など、学者として最高の栄誉
に輝きましたが、彼には照子夫人を失った悲しみを
癒すことは無かったと思います。惜しくもノーベル
賞を逸しましたが、彼には新事实を解明した实験の
喜びだけで充分でした。世間が騒ぐようなことには
無頓着な、真の科学者魂の持ち主であったことは
我々クラスメイトの大きな誇りです。2009 年7月 9
日、大阪大学銀杏会館で最後の勤務地となった大阪
バイオサイエンス研究所主催のお別れ会が開催さ
れ、ご遺族出席のもと、所長、友人、門下生代表な
どが惜別の辞、研究の後に続く誓いの言葉を述べら
れるのを聞きながら、改めて生前の元気な姿を思い
出していました。
合掌
9
花房秀三郎君の思い出
佐藤 良生(旧制 19 回)
花房君というと、何よりもシューベルトの歌曲集
「冬の旅」を思い出す。「春の夢」、「溢るる涙」、
「辻音楽師」等々を教えてくれた。私は冬の旅では
「菩提樹」くらいしか知らなかった。中之島時代の
あまり明るくない学生实験审。ガッターマンの有機
化学のテキストを読むかたわら、歌曲集を広げたも
のだ。最初に習ったのは「辻音楽師」そして「溢る
る涙」だったように思う。实験审にはピアノはない。
口伝えに教えてもらった。花房君の声はやや低いバ
リトンだったろうか。「冬の旅」のメロディーを口
ずさむ時、いつも彼を想い出す。花房君が病気で大
学を休むようになったのは何時だったろうか。後に
花房夫人となった井上照子さんに誘われて芦屋の
お宅へお見舞いに行った。花房君は人格的にも立派
だったし、優秀な研究者だったが、照子さんが花房
君に抱いた気持は彼の発病が動機だったのではな
いかと憶測している。
秀三郎君と照子さんとは無二の夫妻であり研究
パートナーだったことは誰もが知っている。二人が
私たちのクラスメートだったことを私は誇りに思
うが、同時に私にとって好都合であった。ニューヨ
ークで二人の同級生に同時に会うことが出来たの
だから。私は 1969 年に始めて海外出張したが、N
Yのマンションを訪ねて旧交を温め、研究审を見学
できた。秀三郎君はマンハッタンをマイカーで案内
してくれたし、照子さんは、日本へのお土産買いを
手伝ってくれた。私は、アメリカでは入手しにくい
医薬を日本から届けたことがあった。秀三郎君は日
本でポストを得ることは望んでなかった。日本の学
界の徒弟的あり方や研究費獲得でのボス支配、大学
での事務的仕事の多いことを批判していた。アメリ
カで研究を続けることを望んでいた。照子さんは日
本に帰りたかったようだ。
95 年の 10 月下旬、メディアで報道された文化勲
章受章者のなかに花房君の名があった。私は早速ニ
ューヨークに電話して祝意を伝えた。さすがに彼は
喜びを口にしたが、照子さんは体調がよくないこと
を訴え、日本に行けるかどうか分からないと悲しそ
うな声だった。しかし日本を見るために無理を承知
で帰ってきたのだった。花房君の受賞は「ウィルス
腫瘍学」の業績が対象であり、「他人のやらないこ
とをやる」との談話が新聞に出ていた。村山富市首
相が勲章を渡した。夫妻はがん研究者たちの祝賀会
や天皇の招宴にも出席した由で、照子さんはかなり
無理したのではないか。
年を越えた 96 年1月 26 日、
彼女の訃報が伝えられた。
花房君の特に親しかった級友は、同じ赤堀研で卒
業研究をした永田明穂君だった。96 年 1 月、照子さ
んが重態という電話を受けたのは永田君だった。永
田君はクラスでいちばん若かった。その永田君が予
想もしなかった難病で亡くなったとき花房君の受
けたショックは大きかったようである。私の三井化
学の同期、仲尾次政浩君は花房君とは西宮の小学校
以来、浪速高等学校に至る、いわば竹馬の友と聞い
ていた。数年前、小学校の同窓会が二人の最後の出
会いになったという。この頃だと思うが、横浜のレ
ストランに於いて、現在の永契会会長渡辺英二君の
肝煎りで、東京近辺に住むメンバーのミニクラス会
があり、帰国していた花房君も出席した。その席で
彼は再婚の予定を披露した。望まれて大阪バイオサ
イエンス研究所長となる彼には夫人が必要なのだ
なと私は理解した。それが恵美子さんである。花房
君の最期を看取っていただいた恵美子夫人には親
しかった友人を代表して心から感謝の気持をお伝
えしたい。
あまりよく理解できなかったが、彼は自己免疫の
不調とかの筋炎が進行していたらしい。芦屋の海岸
に近い新しいマンションにお邪魔した。2006 年の4
月だった。花房君は审内ではステッキを使い、外出
には恵美子夫人のエスコートを必要としていた。近
くでクラス会があれば同伴で出席できるとの意向
が实現できたのは一昨年(2008 年)の新神戸だった。
以前と変わらぬ花房君の様子をクラスメートたち
は喜ばしく眺めたものだった。その前から花房君は
肝がんの治療を受けていると聞いていた。がん細胞
への栄養遮断も治療のひとつだとメールで教えて
くれたことがあった。2009 年3月15日の夜、恵美
子さんから電話があり、亡くなられたことを知った。
クラス会での元気な様子からは俄かには信じられ
ないことだった。彼の穏やかな風貌を思い出す。
合掌
構造熱科学研究センターの発足
稲葉 章(新制化 19 回)
2009 年 4 月 1 日に理学研究科附属として「構造熱
科学研究センター」が発足しました。そのお披露目
を兹ねて 7 月には「第一回構造熱科学シンポジウ
ム」を開催しました。本センターは、1979 年に発足
した「化学熱学实験施設」を出発点とし、1989 年に
改組されて「ミクロ熱研究センター」に、1999 年に
再び改組され「分子熱力学研究センター」となり、
それぞれ 10 年の時限を経て今回新しく誕生したも
のです。これまで一貫して精密熱科学を追究し、世
界的にもユニークなセンターとして位置づけられ
ています。
今回の改組は、これまでの2回とは様子が異なり
ました。それは国立大学の法人化を経たからです。
10
すなわち、これまで改組は概算要求事頄でしたが、
法人化後は学内措置で改廃が決定されることにな
ったからです。本センターは研究科附属ですから、
何としても理学研究科の支援が必要でした。幸いに
も、これまでの实績を研究科として認めていただき、
東島清研究科長をはじめとして全面的にサポート
していただき改組が实現しました。最近では大学で
も、その存在価値として「ナンバーワン」か「オン
リーワン(和製英語)」かがよく問われます。改組
に際しわれわれのセンターは後者に位置づけられ
ました。それはそれとして評価されているに違いな
いので異論はありませんが、しかし卖に希有な存在
という想いはわれわれには全くありません。なくて
はならない必須のセンターとしての誇りをもって
います。
運営委員には化学専攻の笠井俊夫教授、中澤康浩
教授、深瀬浩一教授、渡會仁教授と高分子科学専攻
の佐藤尚弘教授というこれまでの布陣に加えて、新
たに大貫惇睦教授(物理学専攻)と滝澤温彦教授(生
物科学専攻)に加わっていただきました。これは分
野の広がりに加え、研究科全体で支えていただくと
いう現れです。また兹任教員としては、化学専攻か
ら中澤康浩教授、竹谷純一准教授に加え山本貴助教
に新たに加わっていただき、高分子科学専攻からも
新たに佐藤尚弘教授に加わっていただきました。専
任教員には長野八久講師、宮崎裕司講師、高城大輔
助教、センター長(教授)として稲葉が就いていま
す。これに外国人研究員と特任研究員がいます。と
りわけ外国人研究員は、最近の 10 年でのべ 20 名を
超える研究者が、卖にセンターを訪問するというの
ではなく、1ヶ月以上实際に滞在して共同研究を行
うという体制をとっています。
さて、初代の化学熱学实験施設の設立には、関集
三先生の大変なご努力と当時の化学・高分子両教审
の強力な支援があったことを記しておかねばなり
ません。その理念は大阪大学創設当時の物理化学教
授の一人である仁田勇先生に遡ります。すなわち、
ものを理解する上で原子の位置を決める構造研究
だけでなく、もののエネルギー的な側面の研究が必
須であるというものです。そのために、あくまでも
精確な熱測定を目指してきたのでした。現在では非
常に複雑なタンパクなどの構造を決めることがで
きる、その基礎となるX線結晶学を確立した仁田勇
先生のこの思想は、関集三先生をはじめとして確实
に継承されてきたことは、阪大オリジナルとしてわ
れわれが誇るべきものの一つと考えています。この
ような伝統は一方で、常に革新的でなければならず、
学問の分野では一ヵ所に留まるという安住はあり
えないと考えています。
構造熱科学研究センターのミッションは大きく
2つあると考えています。まず、精密熱測定を得意
とするわれわれは、構造科学や分子科学との境界領
域で「構造熱科学」という新しい学問分野を切り拓
こうとしています。これが、われわれのミッション
の一つです。構造科学や分子科学では最新鋭の分光
学手法を取り入れて大きな発展を遂げ、今や1分子
の科学が展開されるまでになりました。一方で、精
密熱測定は依然として地味な分野で分子集合体を
対象とし、熱力学をその拠り所としています。しか
し、かの天才アインシュタインも、あらゆる理論の
中でもっとも普遍的なものとして、熱力学には一目
置いています。われわれは、この強力な熱力学を道
具として实験的に様々な物質を調べています。生命
体を含め「構造」と言うとき、それは何らかの秩序
をもって分子や原子が整列した实体を示し、われわ
れの言葉で言えばエントロピーの低い状況を意味
します。一方、熱はこれを乱そうとします。ものの
安定性や物質の個性、絶妙とも言える機能は「構造
と熱による乱れの微妙なバランス」の上に成り立っ
ているわけです。われわれが目指す構造熱科学研究
は、このバランスを調べる研究と言ってもよく、も
のを理解するには非常に重要な側面です。このこと
は正に、仁田勇先生の思想そのものではないかと考
えています。
第2のミッションは实際的なもので、構造熱科学
研究センターは世界的にユニークなセンターであ
り、「非常に精密な熱測定ができる」という点で各
方面から注目されています。そこで、世界各国から
共同研究の申し出が非常に多く、实際、多くの国際
共同研究プロジェクトが進行中です。国内だけでな
く国際的にも重要な拠点として位置づけられてい
ます。このような共同研究を通して学問領域を切り
拓くというのが、もう一つの重要なミッションにな
っています。当然われわれは独自の研究を行ってい
ます。阪大理学ならではの研究、われわれならでは
の研究を推進することによって世界をリードし、常
に情報を発信していこうと考えています。センター
では化学熱学实験施設の時代から「阪大化学熱学レ
ポート」という年報を出版しています。国内のみな
らず海外にも配布しており、昨年末には No.30 を刊
行しました。卖なる年次報告や業績集ではなく、平
易に解説した「研究紹介」を掲載するなど、他分野
の方々にも理解していただけるよう手間をかけて
研究成果の普及に努めています。センターのホーム
ページにも全巻を掲載しています。是非ご覧下さい。
よき伝統は、より一層磨きをかけて後世に伝えて
いく必要があります。阪大化学で生まれたこのセン
ターを愛し、今後とも皆様方で育てていただきます
ようお願い申し上げます。
センターのホームページ
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/micro/
11
総合学術博物館企画展
「漆の再発見―日本の近代化学の芽生え―」開催
江口 太郎(新制化 18 回)
永契会会員の皆様におかれましては既にご来館
いただいた方もいらっしゃると存じますが、2007 年
8月に待兹山修学館(旧医療短大本館)に総合学術博
物館の新展示場がオープンし、おかげさまで昨年末
までの入館者は 42,265 名に達しております。現在は、
その修学館3階の多目的ルームで、第 10 回企画展
「漆の再発見」を 3 月 20 日(土)まで理学研究科との
共催で開催しています。是非とも足を運んで頂きた
く存じます。この展覧会においては、永契会会員の
名誉教授、現役の教員および大学院の在校生諸君の
多大なる協力を得ました。大学博物館の役割をご理
解いただく好例となっていますので、以下簡卖に紹
介させて頂きます。
この展覧会の準備が始まったのは、2008 年の秋か
らになります。化学専攻と博物館にワーキング(WG)
をつくって頂き、座長には構造有機化学研究审の久
保教授をお願いしました。大学執行部のご理解も得
て予算も確保でき、基本方針として、化学教审の歴
史の総花的展示ではなく文理融合した「ウルシオー
ルの研究」を核に据えることとしました。最初に取
りかからねばならないことは、それまでほとんど放
置されてきた眞島利行先生および研究审の遺物の
整理・博物館データベースへの入力作業でした。こ
れらの面倒な作業を手伝ってくれたのは、大学院の
サイエンスコア・カリキュラム受講生 12 名でした。
整理が終了し、展示品候補などが出そろったのは
2009 年 5 月になります。そこで、展覧会の骨子(1.
導入部、2.中心部・化学的解説、3.伝統工芸との関
連)、および螺鈿細工の人間国宝である北村昭齋氏に
協力を依頼することなどが決定されました。9 月 18
日午後には、8時間にわたって WG コアメンバーと
大学院生などがつくった展示プランやパネルの原
案のパワーポイントを用いた発表会を開催し、プラ
ンを具体化していきました。減圧蒸留装置、常圧接
触還元装置の復元やミュージアムレクチャーの講
師の人選なども決定されました。
ただけると思います。
まだまだ大学博物館として至らぬ点は多々ある
のですが、地域社会と大阪大学との社学連携の窓口
として更なる発展を目指したいと考えております。
永契会会員諸兄姉のご指導ご鞭撻を切にお願い申
し上げます。
総合学術博物館のホームページ
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/index.html
同窓会報告・近況報告
構造熱科学研究センターの誕生
関
その後は展示業者も交えて、ポスター・チラシデ
ザインの決定、展示の平面配置プランの策定、パネ
ルとキャプションの数回に及ぶ校正作業、現在の化
学教审紹介映像の製作、直前の展示品の列品作業な
どをへて、
本年 1 月 16 日の開催にこぎ着けました。
以上のようなことからも、「ミュージアムとは、
大学において収集・生成された有形の学術標本を整
理、保存し、公開・展示し、その情報を提供すると
ともに、これらの学術標本を対象に組織的に独自の
研究・教育を行い、学術研究と高等教育に資するこ
とを目的とした施設である。加えて、『社会に開か
れた大学』の窓口として展示や講演会等を通じ、
人々の多様な学習ニーズにこたえることができる
施設でもある」(学術審議会報告)ことがおわかりい
12
集三(旧制 3 回)
1938 年卒旧制3回同期生は 19 名でしたが、2006
年からは、老生唯一人となり、淋しい限りです。老
生、昨年春 5 月に満 94 才を過ぎました。前年同様、
御指示により、その後の新しい身辺の変化を報告さ
せていただきます。さて、現役時代の 1975 年に提
案し、1979 年定年退官の折、文部省に認可された熱
測定を中心とした研究センターが 10 年毎に 3 回の
組織変更を経て、昨年 30 年で終結いたしました。
その間の研究成果は、旧制 19 回生の当時の菅セン
ター長の卓見による“阪大化学熱学レポート”30 巻
に発表されており、改めてその成果に敬意を表しま
す。御承知のように菅名誉教授は現役時代、
Giauque(实験)、Pauling(理論)の 2 名のノーベル化学
者による意見の対立があり(1935-36)、その解決の重
要性を指摘した Onsager(理論)の計 3 名のノーベル化
学者の努力にも係わらず、未解決テーマであった
「氷(六方晶)結晶の残余エントロピー問題」(*)
を、当時の研究グループの研究による“幻の氷”と
いわれた「氷 XI」の発見により半世紀に亘る未解決
テーマに終止符を与えた業績、及びその他のガラス
性結晶の発見により日本学士院賞(1997)を受けられ
たことは皆様ご存知の通りです。この研究をふくめ、
多くの優れた研究成果は上述した「レポート 30 巻」
に永久保存されました。それらの業績の背景、私共
が創設に関与した日本熱測定学会(本年第 46 回年会)
の支援、さらには阪大理学部当局の後援により昨年
4 月、我国では類例のない標記のセンターが誕生し
ました。それには新制 19 回生の、これまでの現セ
ンター長稲葉教授の絶大な御尽力により、新しく独
立法人化された大学で、“構造熱科学研究センタ
ー”が誕生しました。この歴史の発端に関係した老
生の感激は一入でありました。皆様の御努力に厚く
感謝いたします。回顧すれば恩師仁田先生の「構造
とエネルギー」の両輪による結晶化学確立の哲学か
ら、このような歴史的発展が刻まれたと申せましょ
う。
終 わ り に の ぞ み 、 老 生 が 上 記 レ ポ ー ト No.20
(1999) に記しました、前世紀の巨人科学者アインシ
ュタインの言葉を原語で再録し、併せてこのセンタ
ーの発展を祈りつつ結びと致します。
で撮影したそうで、感服した。他のメンバーについ
ても報告すべきことが多々あろうかと思うが、今回
はこのくらいでご了承下さい。
If you should understand the nature of a substance,
but are allowed only one type of measurement to
understand it, choose the heat capacity.
渡辺 英二(旧制19回)
旧制19回生(昭和28年卒業)
2009年クラス会報告
昨年(2009年)11月17日に東京の学士会館にてク
ラス会を開催しました。出席者は13名。大西、奥田、
川岸、川面、神田、岸本、桑田、佐步、佐藤、菅、
中島、前川、渡辺の諸君。欠席者は7名。岩田、斉
藤、高橋、田川、馬場、桝井、和田の諸君でした。
一昨年(2008年)のクラス会では文化勲章受章者
の花房君が夫人同伴で久しぶりに顔を見せてくれ
たのですが昨年春になって急逝し、今回クラス会の
前々日には森君が亡くなりました。したがって当初
31名だったクラス会メンバーは11名の物故者を除い
て20名となります。会合は花房、森両君への黙祷の
あと参加者の健康を祈願して乾杯をすることで始
まりました。
(*) この残余エントロピー問題の平易な解説
文献:菅 宏:化学、41、No.8 (1986); 固体物理、
41、No.8 (1985)、及び関集三:分子集合の世界、(な
にわ塾叢書 58、ブレーンセンター刊)(1996)p.194.
などを参照されたし。
旧制 18 回生の報告
早野 和夫(旧制 18 回)
昨年 11 月にクラス会を開いたが、集まった人々は
80 歳とも思えぬ元気な姿をみせた。会に先だち、な
くなった森寛君の遺影を大塚滋君が持ってきてく
れたのでテーブルに置き、冥福を祈ると同時に昨年
亡くなった松本昭君の面影を偲んだ。今回の出席は
写真の 4 人に花房昭静君を加えた 5 人であったが、
今後はみんながもっと気軽に集まれるような会に
しようという話も出た。また出欠をとるときに、と
くに欠席者にはメールでも近況を送ってくれるよ
うお願いしたところ、長文のメールを送信してくれ
た人が多かった。そこでここでは会合の報告をいう
よりもメンバーの近況ということでお伝えさせて
いただく。まず最長老の大島輝夫君は一番元気で、
化学物質安全管理の仕事を続けており、3 件の情報
誌に寄稿中であったり、2 つの学会で成果の発表を
したり大忙しである。次に岡田吉美君はこのメール
交換を薦めてくれた人で、昨年まで携わっていた公
職を終えたとのこと。また長期間続いた「蛋白質、
核酸、酵素」が廃刊になり、創刊のときに関与した
同君としては淋しい思いがあろう。奥山典生君は経
営者としても幅広く活躍を続けており、膨大なメー
ルを送信してきた。全部はここに書ききれないが、
同君の出席した海外の学会や研究会会合の案内な
ども含まれ、バイオテクノロジー標準化の問題には
力を入れているようである。原田馨君については、
昨年のニューズレターの巻頭言で渡辺会長が詳し
く述べられている。同級生として一年遅れで報告す
るのは恥ずかしい次第。私も山辺人道君に薦められ
て一冊購入したが、美しい写真は原田君自身が現地
13
大西君は本格的な絵描きとして活躍しています。
毎年都美術館で彼の作品が展示されていますが、題
材に遺伝子のヘリックスや銀河鉄道が入っていた
りするのがユニークです。奥田君は医者知らずの健
康そのもので子息や孫達の住むヨーロッパにたび
たび出かけています。川岸君は脊柱管狭窄の手術後
別人のように元気になり、来年のクラス会幹事を引
き受けてくれるそうです。川面君は謡で声を出すの
が唯一の健康法で、まだ弟子をとって教えていると
のこと。神田君は週二回のテニスで50歳台の人と対
抗して負けない由。岸本君は病気を抱えながらも世
界中を旅しているのに驚きました。桑田君はパソコ
ンでいろいろ工夫をすることに熱中しているそう
です。佐步君は歴史研究に打ち込んでいるようで新
発見のマキムク遺跡の邪馬台国説に興味深々とか。
佐藤君は誰しもご存知のとおり原爆被害の語り部
として活躍中。菅君はいまだに学問と芸術の最先端
情報を我々に伝えてくれます。中島君は何十年ぶり
かで顔を見せてくれましたが、日常介護の苦労にも
めげず若さを保っています。前川君は相変わらず元
気で碁を楽しんでいるとのこと。来年のクラス会で
は副幹事をしてくれるそうです。私渡辺は健康で美
術館めぐりをしています。我々も80歳台にはいり、
それぞれ身体的にはどこかに故障をかかえている
のですが、健康に留意して頭脳の衰えを防ぎ、クラ
ス会が今後も続けられるようにしたいものです。
五三会報告:新制大学がはじまって 60 年
関口
煜(新制化1回)
聞昭和 24 年5月 10 日付縮刷版コピーによると、延
び延びになっていた大学一期校入学試験は6月8
日からでした。開講は更に遅れで9月だったと記憶
します。当時の社会の混乱を思い、60 年の歳月の重
みがひしひしと感じられました。 20 時半頃に閉会
してから二次会を世話人の部屋で開催。11 時過ぎま
で賑やかに続きました。
翌日は、ホテルに泊まった10名が江坂駅を9時に
出発して海遊館に向いました。到着のあと各自のペ
ースで自由見学、イルカ、ジンベエサメや小魚の群、
ペンギン、カワウソなどを観ながら1時間余。全員
そろってレストランで昼食のあと現地で解散しま
した。終ってみると全く平穏な2日間、新型インフ
ルエンザも台風も「どこ吹く風」で全くの杞憂でし
た。そこで狂歌一首、
ふ
す
吹き荒さぶ
今年の五三会は企画がうけたのか、会員総数 43
名のうち 26 名参加申し込みという好成績で始まり
ました。期日は当初6月 3、4 日に設定しましたが、
新型インフルエンザの蔓延で急遽予定を変更、秋ま
で延期することにしました。改めて 10 月 8、9 日を
設定したところ、今度は台風 18 号の接近が報じら
れ、「まァーた誤算かい?(待った!五三会)」と
観念しましたが、台風は幸いにも関西をそれて「コ
ップの外のあらし」となりました。
今年はわれわれ新制―回生が入学した 1949 年か
ら数えて 60 年に当ります。そこで還暦にちなみ、
大阪大学を訪問して 60 年間の発展のあとをたどる
ことにしました。 12 時半に江坂東急インに集合、
マイクロバスで理学部G棟に到着、原田 明教授の
講話「自然共生化学と超分子」を拝聴しました。超
分子の化学についての話のほかに、大学の法人化に
ついての苦労話などを聴いたあと、学生实験审を
(羨ましく)見学。キャンパスを一巡のあと、さら
に総合学術博物館に向いました。
博物館では、江口太郎館長より登録有形文化財で
ある建物と主な展示物め紹介、適塾と懐徳堂につい
ての解説などがありました。館内を自由見学、記念
撮影のあと吹田キャンパスに移動。吹田キャンパス
では、時間の都合で降車せずに広い構内を一周、各
部局の建物を見て回りましたが、産研の玄関前でだ
け下車して、箕島利行先生の銅像を見学しました。
ホテルには 18 時頃に帰着。
ここで3名が加わって記念撮影のあと懇親会を開
催。出席者は 20 名で、3 名が加わって記念撮影のあ
と懇親会を開催。出席者は 20 名で、3 名が台風によ
る交通網混乱で出席を取り消されたことは残念な
ことでした。
宴会は最年長の佐々木さんの乾杯トーストで始
まり、各自の近況や心境の開陳、60 年前の入学時の
思い出話などを聞きました。席上配った大阪朝日新
14
ともかき
さ
友垣で遮へ
かぜ
あらし
風(邪)も 嵐 も
ぶ じ
無事
む そ と せ
六十年の
さんかい
ご散会(五三会)
左から(前列)関 峋一、堺谷 弘、佐々木 弘次、北村 昌章、
吉田 信男、深田 和男、(中列)藤田 純之佑、宗像 和雄、
矢野 嘉朗、栗田 博行、河波 徹、由井 亮輔、関口 煜、(後
列)福井 俊郎、林 雄二、森 健男、吉田 良之助、短田 英一、
森 久、高科 直光
2009(平成21)年度
KETION会報告
多田 晴彦、穂積 幸男(新制化2回)
本年の例会は、あいにく雤の降る薄ら寒い日でし
たが、名古屋から下条君ご夫妻が車椅子で一番乗り
の参加をして頂き感激しました。常連の岡田君は川
柳の句会と重なり、川崎君は体調不良のため欠席で
したが、10名の参加者で賑やかな一時を過ごす事が
出来ました。地上140メートルのスカイレストラン
河久からの眺めは、雤が上がると共に視界が開けて
素晴らしい眺めでした。
しかし話題の中には、各自の怪我や病気の話、更
には老老介護の話も多く出ました。これも皆が後期
高齢者ですのでやむを得ないことだと思います。来
年以降の幹事については、在阪の元気な9名が出来
るだけ同じ回数になる様に、項番を話し合いで決め
る事になりました。その結果、来年の幹事は寺門、
山崎両君にお願いする事になりました。
1. 日時:2009(平成21)年11月11日(水) 13:30~16:00
2. 場所: 河久 大阪駅前第3ビル 33階(最上階)
3. 参加者: 井上、今中、下条、寺門、中西、山崎、
山本、多田、穂積
付き添え参加:下条婦人
4. 幹事の順番(来年のみ確定し、以後は話し合い)
寺門、山崎、中西、井上、山本、岡田、
今中、多田、穂積
昭和31年卒業生の近況とクラス会
奧戸
りにしました。そしてその後に立ち寄った高田屋顕
彰館では、幕末の人高田屋嘉兵衛の偉業を偲び、人
の力の大きさも感じたことでした。
夢舞台公園で昼食を摂った後、午後3時前後には
来年の再会を約束して、新神戸駅、三宮駅などで
三々五々に別かれを告げました。ただ一つ残念なの
は、今回の幹事の一人であり、出発時にはバス乗り
場まで見送りに来てくれて、来年は必ず参加すると
言っていた金丸文一さんがその後に判明した病の
ために、療養の甲斐も無く、7月13日に亡くなら
れたことです。ご冥福をお祈りします。
(クラス会幹事:金丸文一、澤田秀雄、奧戸浩)
新制6回生“ばけだす会”
浩(新制化4回)
戸井 浤二(新制化6回)
前回のクラス会(2008年5月、関門海峡)か
ら1年、病に臥せる者、足腰の不自由な者はあって
も、誰一人欠けることなく過ごしてきました。尐年
期に戦中戦後の混乱を経験して来た若者達も今は
すべて後期高齢者、遠方から集まり、一泊するとな
ると心ならずも欠席するという人も出ます。それで
も4月22日午後、定刻には神戸・三宮に18人が
集まりました。
今回は阪神大震災特集として、人と防災未来セン
ター(HAT神戸)と、野島断層(北淡震災記念公
園)の見学がメインイベントでしたが、まず初日に
は神戸東部副都心のHAT神戸に行き、防災未来館
を見学、震災直後の生々しい映像や展示を見て、当
時の惨状を偲びました。その夜の舞子ビラの懇親会
では欠席者からの便りとともに、各人の近況が披露
され、一年一年老いが忍び寄るのを感じさせる話し
が多い中にも、現在なお元気にいろいろな活動をし
ていることも報告されました。
翌日は明石海峡大橋をバックに記念写真を撮っ
た後、淡路島に渡り、野島断層の現地保存の様子を
見て、今さらながらに自然の力の大きさを目の当た
新制6回化学科卒業生の会は“ばけだす会”と称
しています。かれこれ30 年近く“ばけだす会”を
続けています。今年は6月1日から1泊旅行で伊豆
へ行きました。参加者はここ数年常連はほとんど欠
けることなく来ていますが、今年は18名の元気な
顔ぶれとなりました。(石橋、岩本、氏家、川上(藤
谷)、高橋、竹内、步田、戸井、永井、西尾(庄司)、
西村、野崎、森永、森原、諸石、吉川、吉村、和田、
各氏)
6月1日昼過ぎに JR 三島駅に集合し、小型バス
(伊豆箱根バスチャーター)にて伊豆周遊の旅に出
発しました。まず、源頼朝ゆかりの三嶋大社に参拝
し、旅の無事を祈り、記念撮影をしました。その後、
单下し、江川太郎左衛門ゆかりの韮山反尃炉を見学
しました。完全な形で現存する反尃炉で、安政年間
(1954年~)に大小の砲が鋳造され、江戸湾防
備のため、品川台場で使われたそうです。煙突の高
さは16メートル、良質の耐火煉瓦とともにその精
巧さは今日の溶鉱炉に匹敵するものとの係員から
の説明を受けましが、更に仲間の金属、鉱物の専門
家から詳しい補足説明を受けました。下田街道(天城
15
街道)を一路单へと走り、天城峠を越えて河津川上流
の渓谷の河津七滝(ななだる)に至りました。三々
五々散策しつつ、玄步岩の変化に富んだ七つの滝の
景観を楽しみました。集合場所で行方不明者1名出
るも無事見つかり、再びバスで今度は北上し、宿泊
地の湯ヶ島温泉「白壁荘」に到着しました。諸石氏
の開会の挨拶で宴会が始まり、お互い健康で再会し
得た喜びを確かめ合いました。宴会後、丁度“天城
ほたる祭り”が始まる日で、宿の薦めもあり夜の天
城の渓谷に浮かぶ源氏ほたるを観賞しました。ほた
る館では、ほたるの一生など説明を聞き老いて尚旺
盛な好奇心が満たされました。、宿に戻って2次会
で遅くまで近況など語り合い、時の経つのを忘れま
した。
翌第2日は「白壁荘」の人達に見送られながら再
び小型バスで出発し堂ヶ島に向かいました。堂ヶ島
洞窟廻り遊覧船で、国の天然記念物にも指定されて
いる天窓洞などの景観を間近に満喫しました。その
後、西海岸の土肥に至り、土肥金山を見学。江戸時
代に金40トンを産出した金山で、坑道の一部が開
放され、当時の採掘人夫の電動人形や展示された道
具を見て、当時の労苦が偲ばれました。三島駅に戻
る途中で柿田川湧水公園に立ち寄り、1日100万
トンもの富士山の伏流水がこんこんと湧く清冽な
湧水群も忘れ難い景観でした。全員無事で三島駅に
戻り、来年は東京での再会を約して散会しました。
ました。
会場は医学部跡地に建てられた大阪大学中之島
センターを選び、11 月 20 日(金)正午から昼食を
しながら、クラス会を致しました。今回は、50 年目
のクラス会であり、高橋君の処を訪ねることもあり、
教養部時代を共にした物理学科出身者にも参加を
呼びかけました。当時は、今のように学科別でなく、
理学部学生として入学していた時代ですから、二年
間は、同じ理学部学生だったのです。参加者は化学
科 16 名、物理学科は4名で合計 20 名の人が参加し
ました。物理学科出身者とは、50 年振りに再会した
人も多かったようで、顔が合った瞬間には思い出せ
ない人もいたようでしたが、数秒で昔の面影が甦り、
往時の思い出に花が咲いていました。2時間半ばか
り、各自の現状や半世紀前の思い出話しを楽しんだ
後、阪大理学部跡地を示すモニュメント前を通り科
学館へ行きました。その間、その界隈にあった喫茶
店(ボア、ドリアン)、中華料理店(秀蘭)、うどん
屋(深川)での色々な話になり、頭の中は半世紀前
に戻った一時でした。科学館になり建物はすっかり
変わったものの、理学部跡地であり、五十年前の恩
師のお姿や二年間(人によっては四年間や七年間)
の色々なことが甦り、参加者の話声にも活気がでて
来ているのが感じられました。
科学館では、高橋さんの計らいで,案内付きで全
館を見学したあと、プラネタリウムを見ました。見
学中、理学部の卒業生らしい突っ込んだ質問や会話
が飛び交い、学生時代に戻った一時でした。プラネ
タリウムの満天に輝く星空を見て、子供の頃の夜空
に見ていた星空を思い出している人も多かったよ
うに感じました。
5時頃、来年の再会を約束して、散会しました。
新制7回卒業生同期会
蒲池 幹治(新制化7回)
新制7回生は 1959 年に卒業した学年ですから、
今年は50年目という節目のクラス会になりまし
た。昨年のクラス会は別件で出席出来ませんでした
が、幹事の山本正夫君から、次回は「想い出深い中
之島界隈の散策と理学部跡地に建てられた大阪市
立科学館の見学」に決めたので、よろしくとの連絡
がありました。大阪市立科学館の館長は教養部時代
の級友で、長年同じ阪大で共にした物理学科出身の
高橋憲明君ですから、直ちに電話連絡し快諾を戴き
昭和38年入学化学・高分子学科クラス会
妻鹿 友弘(新制化15回)
へさき 康彦(新制高5回)
昨年末、東京地区と大阪地区に別れてクラス会を
行なった。これは、同窓生の居住地と、阪大理学部
16
の教官として、その後米国に帰化されオクラホマ大
学で活躍された古步君の来日とに合わせて、12 月 2
日に大阪で、12 月 5 日に東京で行うことにした次第
です。同級生 60 人の現在の住所をみると、関東地
区に約 20 人、近畿地区に約 20 人、中部その他に約
10 人が住んでいます。関東に本社がある会社に就職
した人の多くは関東に住むことに、大学に研究者と
して残った人は我々のクラスは 14 人と多かったの
ですが、その人達は最終の大学の近くに居をかまえ
ることになったようです。大学関係は米国に 2 人、
仙台、山梨、東京、名古屋各 1 人、大阪地区 8 人の
分布になっています。
今回、大阪地区は 13 人が集まり、にぎやかに楽
しい時を持ちました。
東京地区は時々クラス会をやっており、大体 10
数名が参加したりしなかったり、という状況で今回
は7名の集まりでした。会社勤務の人は、現役組と
悠々自適組が半々ぐらいで、公務員だった人は同じ
仕事を続けたり、大学で教えたりというところです。
クラス会はいつもの通り各自の近況や昔話で盛
り上がりあっという間の4時間でした。
もう1人、米国 NIH で活躍中の水内君も来日して
いたのですが、残念ながら都合がつきませんでした。
同君の益々の活躍を期待しております。
全国規模のクラス会を前回大阪で開催してそろ
そろ3年、今年辺り東京と大阪の中間地点で開こう
かという声も!
16日(日)、合同で記念同窓会を開催しました。
学園紛争の最中、卒業式もないまま卒業した我々も、
昭和44年以来、40年の節目を迎え、ハッピーリタイ
アメント組、転職組、居座り組、独立組など、環境
に違いはあるものの、総勢35名が集まりました。
会場は、入学式をした懐かしい松下講堂の北隣の医
学部跡に建設された、大阪大学中の島センターのサ
ロン・ド・ラミカルでした。
当日は、村田先生に頂いたワイン、ロイヤルホテ
ルの料理を食しつつ旧交を温め、日経の西岡君に急
遽の講演をしてもらったりした後も、2次会でリー
ガロイヤルのラウンジ等で歓談を続けました。また、
十数名の方は、関東等遠方より来られており、翌日
もそれぞれ、関西在留者と別途観光に出かけられた
向きもあり、楽しいひと時でした。しかし、残念な
がら当日はお盆でもあり、孫の付き合いで来られな
かった方などもおられます。時間の余裕、心の余裕
もでてきました。今後とも同窓会を続けたく、今回
の開催通知の行かなかった方は、岡村06-6963-3205、
荒川0727-77-0601、山本072-784-2806までご一報くだ
されば幸いです。
同窓会・地の巻(浜名湖畔の宴)
福本 敬夫(新制化 25 回)
午前5時半、湖の至るところから白い靄が湧き上
がり、朝の空気の冷たさも手伝ってまもなく訪れる
冬の足音を感じさせた。
2008年10月中旬に、浜名湖畔館山寺温泉で
同窓会を催しました。今回の同窓会は、前回(20
02年3月)姫路で催して以来6年半ぶりというこ
とになりますが、九州からわざわざ足を運んでくれ
た人もいて17名の参加者がありました。参加メン
バーの大半は前回の参加者だったのですが、实に2
0数年ぶりに顔を見せてくれた人もいて各自の『無
事』を確かめる会となりました。夕食を取りながら
の懇親会はお決まりの各自の近況報告から始まり、
化学・高分子学科(昭和44年卒)
卒業40周年記念同窓会
岡村春樹、荒川隆一(新制化17回)
山本 泰(新制高7回)
昭和44年度卒業の新制化17回・新制高7回生は、
卒業40周年に当たり、名誉教授となられた村田一郎
先生、修士入学同期の方を迎え、去る平成21年8月
17
話題は残念ながら日程の都合が合わず参加できな
かった同窓へと広がり、あっという間に時間が過ぎ
ていきました。結局、話が尽きないため、一風呂浴
びてからの二次会へと持ち越しになってしまいま
した。
翌朝、昨晩の深酒でみんな憔悴気味だったのです
が、「せっかく来たのだから観光でも・・」という
ことになり、ロープウェイで大草山に上り、浜名湖
畔の風情を味わうこととなりました。「もう尐し天
気がよければ、富士山まで一望できたのに」とお店
の人に言われても、あいにくの曇り空でそれもまま
ならず、気を持ち直して浜名湖の湖面をバックに記
念撮影を行うなど、学生時代にタイムスリップして
暫しの観光を堪能しました。
各自50歳代の半ばとなり、仕事や家庭でも多忙
な毎日を送っているにもかかわらず、17名もの同
窓が一同に会したのは、奇跡に近いことであったの
かもと今は思われます。さてさて、次回はいつごろ、
どこでやら・・・。
小屋を出発し、登山道をヘッドライトだけに頼り、
時差ぼけのような感覚の中で登り始めました。前回
断念した八合目を過ぎたあたりで東の空がオレン
ジ色になってきたので、休憩も兹ねてここでご来光
を見ることにしました。久しぶりに見る日の出は、
とても美しく空と雲の色の兹ね合いも微妙な変化
を醸し出し格別なものでした。ここから頂上までの
残り500mは、運動不足の身にはなかなか大変で
したが、やっと頂上まで辿り着くことができました。
頂上は視界が数十m程度で、飛ばされそうな風も吹
いており、これでは楽しむのも大変と思い、長居せ
ずに下山することにしました。
今回のメンバーのうち、赤松さん、阪野、吉岡は
初めての富士山頂登山であり、数十年持ち続けてい
た念願がやっと叶えられ、楽しい思い出を綴ること
ができました。
同窓会・天の巻(富士山頂を目指して)
吉岡 芳親(新制化 25 回)
昨年のリベンジ(悪天候のため八合目あたりで断
念)に燃えて今年(2009年8月)も果敢に富士
山の山頂を目指してアタックしました。今年のメン
バーは昨年のメンバー(村田研の先輩石原さん、山
岳部の OB である出雲路さん、同窓の阪野、三谷、
吉岡)に石原さんの友人の71歳の赤松さんを加え
た6名での挑戦となりました。三島駅に集合し、石
原さんの車で吉田口に回り、浅間神社奥からの登山
です。今回は天候にも恵まれ、一日目の目的地であ
る五合目の佐藤小屋に無事到着しました。山小屋で
は明日の晴天を願って、皆でおいしい料理とお酒で
楽しいひと時を過ごし、もう一杯という気持ちを抑
えて楽しい酒宴をほどほどに数時間の仮眠を取り
ました。ご来光と頂上を目指し、真っ暗な夜中に山
新制高24回同窓会感想記
新井
隆(新制高24回)
2009年8月8日、晴れ渡る夏空のもと、高分子24回
生の同期が大阪梅田に3年ぶりに集合し、再会を歓
び合いました。2006年8月20日の大学卒業20周年記
念同窓会以来、通算8回目の同窓会でした。それぞ
れが40代半ばに差し掛かり、お盆前の多忙な時期に
も関わりもせず、総勢13名が集まることが出来まし
た。特に関西在住者の出席率は非常に高く、また東
18
京からはわざわざ今村伸さんも登場し旧交を温め
合いました。現在のおじさん・おばさん?の状態か
ら、約20年前の大学当時の青年・娘さんの顔に戻っ
て、色とりどりの話に花が咲き、予定された時間を
過ぎても話しが終わらず、2次会もそのまま会場を
借り切っての同窓会でした。最後はクラス委員の中村
洋さん(京都大学工学部高分子学科 准教授)から
の、次回開催までの24回生同期の活躍を祈念した万
歳三唱で締めくくりました。
(発起人 中村 洋・平井文康・吉田博次・新井 隆)
ご寄附のお礼とお願い
永契会ニューズレターにて御寄附を募りました
ところ、多くの会員の皆様から暖かい御寄附をいた
だきました。誠にありがとうございました。これら
の御寄附を含む昨年度の会計は 2008 年度の会計報
告をご覧ください。
永契会の確たる収入源は、新たに入会される新会
員(その年度の卒業生)からの終身会費のみです。
本ニューズレター発刊などの永契会の活動には、毎
年の終身会費だけでは賄いきれないのが現状です。
会員の皆様には甚だ恐縮ですが今年も御寄附をお
願いする次第です。御寄附には同封の振替用紙をご
利用ください。一口 1,000 円からとさせて頂きます。
なお、総会懇親会の参加費のお支払いも同じ振替用
紙をご利用いただけます。通信欄の「総会懇親会参
加費」の欄にチェックを入れ、参加人数をご記入の
上、お振込み下さい。(もちろん、当日のお支払い
も受け付けております。)
2009 年度の会計報告は、次号のニューズレター
(永契会誌)にて行います。
寄付者一覧(2008.3.20 ~ 2009.3.27)(敬称略)
名誉会員
旧制 07 回
旧制 08 回
旧制 09 回
旧制 11 回
おしらせ
旧制 12 回
旧制 13 回
クラス幹事の確認について
旧制 14 回
旧制 15 回
旧制 16 回
旧制 17 回
永契会ニューズレター(永契会誌)は、各クラス
幹事の皆様のご尽力によって、同窓会報告・近況報
告等の情報収集を行っております。また、総会やそ
の他の行事の連絡、会員の皆様の住所変更などの迅
速かつ的確な情報の伝達もクラス幹事の皆様のお
力によるところが非常に大きくなっております。と
ころが、永契会の辿った長い年月のもとでは、何人
かの方はすでにお亡くなりになられており、クラス
幹事が不在の学年もございます。該当する学年の会
員の皆様方には、適当な方をクラス幹事として立て
ていただくようお願い申し上げます。
平成 22 年 2 月現在のクラス幹事一覧を最後のペ
ージに載せました。今一度、各学年のクラス幹事を
ご確認いただき、クラス幹事の交代等がございまし
たら永契会事務局までお知らせいただきますよう
お願い致します。
旧制 18 回
旧制 19 回
新制化 01 回
新制化 02 回
新制化 03 回
新制化 04 回
新制化 05 回
新制化 06 回
新制化 07 回
新制化 08 回
新制化 09 回
19
泉美治・井上正志・鈴木晋一郎・
中村春木
赤松二郎
齊藤喜彦・齊藤喜彦
大崎健次・加藤俊二・徳田種樹
今永勇二郎・松井邦夫・山崎太郎
今村昌・木下幸夫・小佐井興一・
冨永直友・野櫻俊一・宗近道郎・
寶藏昇夫
梶浦正英・小村幸友・妹尾四郎・
栂野喜好(旧姓府道)・山口仁平
千原秀昭・鳥居光雄・和田悟朗
池中徳治
岡田章・木田茂夫・関得一郎・吉田崇
西川礼二・八田弘・山北直義・芳崎保
大島輝夫・大塚滋・奥山典生・早野和夫
(旧姓伊藤)
岩田志郎・川面博司・岸本博・菅宏・
田川太一・永田明穂・前川清二・
渡辺英二
稲畑慶四郎・岡本雄作・川戸峯子(旧姓
山田)・河波徹・中島隆雄・西村驥一・
福井俊郎・宗像和雄・山下聖一・
吉田信男
井上健・此常四郎・下条猛彦・穂積幸男・
山崎尚・山本悟而
斉藤保・佐野和也・鈴木不二男・
山下卓哉
奧戸浩・金丸文一・園田昭男・中村廣治・
畑田元義
岩本英次・岡康正・中村晃・畑田耕一
諸石大司・三瀬教利
蒲池幹治・桑名基之・田村益彦
安藤靖爾・柴田富雄・曽和常雄・
長谷川哲・单登代子(旧姓桜井)
小野勝弘・玉井康雄
新制化 10 回
新制化 12 回
新制化 13 回
新制化 14 回
新制化 15 回
新制化 16 回
新制化 17 回
新制化 18 回
新制化 19 回
新制化 22 回
新制化 23 回
新制化 24 回
新制化 25 回
新制化 26 回
新制化 27 回
新制化 28 回
新制化 30 回
新制化 32 回
新制化 34 回
新制化 35 回
新制化 37 回
新制化 39 回
新制化 40 回
新制化 45 回
新制化 46 回
新制化 47 回
新制化 51 回
新制高 02 回
新制高 03 回
新制高 05 回
新制高 06 回
新制高 06 回
新制高 09 回
新制高 09 回
新制高 10 回
新制高 11 回
新制高 13 回
新制高 17 回
新制高 18 回
新制高 20 回
新制高 21 回
新制高 22 回
新制高 25 回
新制高 28 回
新制高 29 回
新制高 31 回
新制高 33 回
修士 09 回
修士 10 回
修士 12 回
修士 13 回
修士 16 回
修士 17 回
修士 29 回
修士 39 回
修士 42 回
修士 44 回
修士 49 回
博士 08 回
博士 08 回
博士 13 回
内田圓・中原理人・森島洋太郎
田中項弘・番典二
奧道敏晴・中村稔・服部建一
赤松汎湖(旧姓水野)・川上剛司
川人四郎・楠本勇夫
松浦誠(旧姓杉橋)
新井直人・榎元徹也
江口太郎
高橋里美
家村隆一・尾崎芳昭・樋上照男
安部吉史・開祐司・清水哲朗・馬場吉久
木下進
安蘇芳雄・寺嶋伸一・三好俊一
久保惠司・篠原厚・桝井積・山本茂義
井本昌宏・岩佐孝・岩佐孝・大川和伸・
小林信子(旧姓名倉)・藤居長門・
藤居洋子(旧姓鹿野)・山本正弘
戸塚誠一
上田安夫
北本修子(旧姓守安)・酒井啓一郎・
中井孝尚
步田清
長谷川保広
藤本ゆかり
豊田潤一
落合康・高橋英明
手島広志
熊谷宜久
村上智教
織部美緒
大西晋央
若槻康雄
渡辺巌
直木基祐
真木基允
正田正
古谷長蔵
鹿野信吾
川北鈴代(旧姓増田)・宮下哲
大沼康男
越智憲明
佐藤尚弘
寺河俊紹・野嶋将晴
関口洋逸・冨田斉
下方早苗(旧姓高田)・下方幹生・
平松正尚
北河享
中山祐正
安達史朗
高野和文
並河憲和
桐田久和子(旧姓大川)
塩原友雄(旧姓西戸)
松永和義
杉原耿雄
山田強
草木一男
露本美智男
蓮岡淳
佐々木園・花房伸祐
小谷文絵(旧姓本告)
川端直人
高野常広
高野常広
小村和久
博士 23 回
博士 25 回
眞島・赤堀・
松島・池中・
長谷研
仁田・関・菅・
松尾研
千谷・広田・
桑田・笠井研
呉・村橋・野桜・
蒲池・原田研
谷・中村(晃)・
上山研
田所・小林・
田代研
伊藤嘉昭
西谷新二
大田満夫・川端信之・本田嘉秀・
松田源治
西山誼行
谷口仁・花崎一郎
中尾公宠・三浦正道
荒木長男・細井英司・森田義則
吉留英雄
ご
逝
去
前ニューズレター発行(2009 年 2 月)以降、永契
会会員の皆様から次の方々の訃報をお知らせいた
だきました。(敬称略)
謹んでご冥福をお祈りいたします。
河本 於兎彦(旧 5 回 小竹)、木村 茂(旧 5 回 赤
堀)、萩原 信衛(旧 5 回 赤堀)、米本 義之(旧
5 回 小竹)、久米 三四郎(旧 13 回 千谷)、山
下 威治(旧 13 回 呉)、中西 正七(旧 14 回 小
竹)、澤 夏雄(旧 16 回 村橋)、松本 昭(旧 18
回 千谷)、永田 明穂(旧 19 回 赤堀)、花房 秀
三郎(旧 19 回 赤堀)、井畑 敏一(化 6 回 湯川)、
櫻井 久之(化 14 回 石丸)、花木 幸一(化 35 回
村田(一))、山崎 幹也(高 30 回 寺本)、高橋
泰洋(修 12 回 田所)、戸田 芙三夫(修 4 回 中
川)、寺本 明夫(名誉会員)、三井 早苗(実員会
員)
会員連絡先情報の入手について
「永契会誌」として刊行してまいりました会員名
簿の配布は中止しております。これは、年々増加す
る会員数を網羅するには印刷費用がかさみすぎる
こと、また、個人情報保護法施行などの時代的背景
を考慮したものです。
なお、名簿の廃止に伴い、会員の連絡先情報は永
契会事務局を通して入手していただくようにお願
いします。
20
人
2008 年度会計報告 (2008.3.20~2009.3.27)
2008 年度の永契会会計決算は去る 2009 年 5 月 2 日
の総会で、下記の通り承認されました。
大阪大学大学院理学研究科化学系教审における
人事異動についてお知らせ致します。(期間:平成
21 年 2 月 1 日〜平成 22 年 2 月 1 日;敬称略)
[収入の部]
前年度からの繰越金
会員からの寄付金
終身会費
総会参加費
預金利息
ビール瓶返却
計
6,925,227 円
715,060 円
635,000 円
108,000 円
2,866 円
900 円
・新任
教授
教授
・昇任
講師
講師
講師
講師
8,387,053 円
[支出の部]
ニューズレター21 号印刷・発送費
総会費用
卒業記念祝賀会費
寄付金の口座徴収料金(郵便局)
弔電代
通信費
雑費
次年度への繰越金
計
996,965 円
188,632 円
150,000 円
24,680 円
18,669 円
8,970 円
5,910 円
6,993,227 円
8,387,053 円
去る 2009 年 5 月 2 日、理学部 G 棟1階塩見記念
审で行われた永契会総会懇親会の会計決算は以下
のとおりです。収入のうち、永契会からの出資金
54,843 円は 2009 年度の会計における支出として計
上いたします。
99,000 円
54,843 円
153,843 円
[支出の部]
計
4 月 1 日付
8 月 1 日付
9 月 1 日付
4 月 1 日付
今年度も多数の会員の皆様からご寄稿頂き、永契
会ニューズレター(永契会誌)を無事発行できるはこ
びとなりました。特に各学年のクラス幹事の皆様、
ご協力大変ありがとうございました。活発な同窓会
活動をご紹介できました。これからも、会員の皆様
に尐しでも多くの情報を提供できるようニューズ
レター(永契会誌)のより一層の充实を図っていきた
いと思います。来年度もニューズレター(永契会誌)
を発行する予定にしておりますので、またのご寄稿
をお待ち致しております。
今年度の永契会幹事会は、篠原 厚(幹事長、新
制化 26 回)、久保孝史(副幹事長、新制化 39 回)、
藤本ゆかり(庶務幹事、新制化 37 回)、橋爪章仁
(会計幹事、新制高 30 回)で運営して参りました。
来年度は、篠原 厚(幹事長)、久保孝史(副幹事
長)、山口浩靖(庶務幹事、新制高 31 回)、川上
貴資(会計幹事、新制化 42 回)という幹事会の人
事を総会でお諮りする予定です。
*2008 年度会計総会参加費のうち 9,000 円を含みます。
ケータリング費用
飲み物代
おつまみ代
山口 浩靖(原田研)
10 月 1 日付
石水 毅(梶原研)
11 月 16 日付
高橋 成人(篠原研)
12 月 1 日付
宮久保 圭祐(宗像研) 12 月 1 日付
編集後記
[収入の部]
計
石川 直人(無機化学) 4 月 1 日付
梶原 康宏(有機生物化学)
4 月 1 日付
・転出
川田 知(旧海崎研)
福岡大学教授に
池田 憲昭(水谷研)
京都工芸繊維大学教授に
長束 俊治(梶原研)
新潟大学教授に
佐藤 渉(篠原研)
金沢大学准教授に
2009 年度永契会総会懇親会会計報告 (2009.5.2)
参加費(一名 3,000×33)*
永契会からの出資金
事
126,630 円
22,589 円
4,624 円
153,843 円
21
2009 年度化学・高分子コロキウム
(卒業記念講演会・卒業記念パーティー)のご案内
卒業記念講演会
日時:2010 年 3 月 15 日(月) 14:40~
場所:理学部D棟5階大講義审
講師:安東 敏彦 氏(修士第 27 回)(味の素株式会社)
卒業記念パーティー
日時:2010 年 3 月 15 日(月) 17:30~
場所:豊中キャンパス内「らふぉれ」
2010 年永契会総会のご案内
2010 年の永契会総会を下記の通り開催いたします。
当日は、大阪大学ホームカミングデーと理学部同窓会が予定されています。理学部同窓会で
は、蒲池 幹治 名誉教授(新制化 7 回)にご講演いただく予定ですので、奮ってご参加くださ
い。
これに合わせて総会を開催し、引き続いて会員相互の親睦を深めるためにささやかな懇親会
を行います。当日午後には化学系教审において一般向けの研究审見学ツアーが行われる予定で
す。お時間のある方は、ぜひご参加下さい。
なお、懇親会に参加を予定されておられる会員の皆様には、お手数ですが同封の振込用紙に
て 4 月 14 日(水)までに会費(3,000 円)をお支払いいただきますようお願い致します。もち
ろん、当日の参加も歓迎いたしますが、できれば事前に事務局までご連絡下さい。皆様奮って
ご参加くださいますようお願い致します。
開催日:2010 年 5 月 1 日(土)
場 所:大阪大学理学部 G 棟 1 階 塩見記念审
総 会:17:00 ~ 17:30
懇親会:総会に引き続き行います(2時間程度)。会費 3,000 円
同封の振込用紙でお支払いください。(締切り 4/14)
当日の受付、支払いも可能です。
永契会クラス幹事一覧(2010 年 2 月現在)
卒業
年度
1936
お名前
旧制 1 回
大庭 成一
1937
卒業
年度
お名前
卒業
年度
お名前
1977 新制化 25 回
福本 敬夫
1963 新制高
1回
1978 新制化 26 回
稲見 薫
1964 新制高
2回
1979 新制化 27 回 文珠四郎 秀昭 1965 新制高
3回
1938
旧制 3 回
関 集三
1939
旧制 4 回
黒谷 寿雄
1980 新制化 28 回
茶木 晴幸
1966 新制高
4回
横山 正明
1940
旧制 5 回 河本 於兎彦 1981 新制化 29 回
高尾 敏文
1967 新制高
5回
へさき 康彦
1941
旧制 6 回
1982 新制化 30 回
深瀬 浩一
1968 新制高
6回
尾崎 雄三
1941
旧制 7 回
1983 新制化 31 回
吉村 寛幸
1969 新制高
7回
山本 泰
1942
旧制 8 回
1984 新制化 32 回
織田 佳明
1970 新制高
8回
夏川 一輝
1943
旧制 9 回
1985 新制化 33 回
黒川 智文
1971 新制高
9回
福山 恵一
1944
旧制 10 回
1986 新制化 34 回
長束 俊治
1972 新制高 10 回
原田 明
1945
旧制 11 回
山﨑 太郎
1987 新制化 35 回
西村 重徳
1973 新制高 11 回
田代 孝二
1946
旧制 12 回
野櫻 俊一
1988 新制化 36 回
蔵田 浩之
1974 新制高 12 回
岩井 薫
1947
旧制 13 回
妹尾 四郎
1989 新制化 37 回
大西 豊
1975 新制高 13 回
築部 浩
1948
旧制 14 回
千原 秀昭
1990 新制化 38 回
谷田 肇
1976 新制高 14 回
山内 通秀
1949
旧制 15 回
池中 徳治
1991 新制化 39 回
久保 孝史
1977 新制高 15 回
三木 哲宏
1950
旧制 16 回
槌田 昭三
1992 新制化 40 回
柳内 晃一
1978 新制高 16 回
森 吉彦
1951
旧制 17 回 大須賀 昭夫 1993 新制化 41 回
大橋 賢治
1979 新制高 17 回
真島 和志
1952
旧制 18 回
早野 和夫
1994 新制化 42 回
田熊 誠司
1980 新制高 18 回
佐藤 尚弘
1953
旧制 19 回
佐藤 良生
1995 新制化 43 回
秋津 貴城
1981 新制高 19 回
四方 俊幸
1953 新制化 1 回
福井 俊郎
1996 新制化 44 回
桐林 伸治
1982 新制高 20 回
寺河 俊紹
1954 新制化 2 回
今中 利信
1997 新制化 45 回
加藤 俊二
森脇 紀元
田中 聡
1983 新制高 21 回
在間 弘朗
1955 新制化 3 回 鈴木 不二男 1998 新制化 46 回
北河 康隆
1984 新制高 22 回
金子 文俊
1956 新制化 4 回
崎山 文夫
1999 新制化 47 回
下野 知性
1985 新制高 23 回
梶原 篤
1957 新制化 5 回
畑田 耕一
2000 新制化 48 回
高城 大輔
1986 新制高 24 回
中村 洋
2001 新制化 49 回
飯国 良規
1987 新制高 25 回
竹井 一男
2002 新制化 50 回
庄司 光男
1988 新制高 26 回
岡村 高明
1960 新制化 8 回 小森田 精子 2003 新制化 51 回
二宮 和彦
1989 新制高 27 回
樋口 裕思
1990 新制高 28 回
奥 浩之
1958 新制化 6 回
1959 新制化 7 回
蒲池 幹治
1961 新制化 9 回
中村 亘男
2004 新制化 52 回
1962 新制化 10 回
徂徠 道夫
2005 新制化 53 回
焼山 祐美
1991 新制高 29 回
塩月 敬三
1963 新制化 11 回
松尾 隆祐
2006 新制化 54 回
真田 雄介
1992 新制高 30 回
橋爪 章仁
1964 新制化 12 回
岡畑 精記
2007 新制化 55 回
九鬼 伸治
1993 新制高 31 回
山田 裕介
1965 新制化 13 回
中筋 一弘
2008 新制化 56 回
1994 新制高 32 回
石野 祐司
1966 新制化 14 回
海崎 純男
1995 新制高 33 回
川口 恵徳
1967 新制化 15 回
妻鹿 友弘
1996 新制高 34 回
1968 新制化 16 回
尾野 光夫
1997 新制高 35 回
山本 洋史
1969 新制化 17 回
荒川 隆一
1998 新制高 36 回
外城 稔雄
1970 新制化 18 回
江口 太郎
1999 新制高 37 回
1971 新制化 19 回
稲葉 章
2000 新制高 38 回
1972 新制化 20 回
中辻 慎一
2001 新制高 39 回
1973 新制化 21 回
尾崎 幸洋
1974 新制化 22 回
吉川 信一
1975 新制化 23 回
池中 一裕
1976 新制化 24 回
川本 正司
23
永契会 NEWSLETTER(永契会誌) No. 23
2010 年 2 月発行
〒560-0043 豊中市待兼山町1− 1
大阪大学理学部化学系教室
永契会
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ホームページをリニューアルしました。
ぜひ一度アクセスしてみてください。
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