京都精華大学紀要 第十九号 − 171 − 仏教とキリスト教の比較 −仏教における無執着とキリスト教における離脱を手がかりとして−(上) 城 福 雅 伸 Masanobu JOFUKU 目 次 はじめに 一、方法 二、イエスにおける離脱と仏教 ・ 釈尊における無 執着 (1)家族について 1,イエスの場合 2,仏教・釈尊の場合 3,小結 (2)師・先駆者について 1,イエスの場合 2,仏教・釈尊の場合 3,小結 (3)宗教・教えそのものについて 1,イエスの場合 2,仏教・釈尊の場合 3,小結 (以上本号) (4)教祖や教団組織について (以下次号) 1,イエスの場合 2,仏教・釈尊の場合 3,小結 (5)神や仏について 1,イエスの場合 2,仏教・釈尊の場合 3,小結 三、エックハルトの離在(離脱)と仏教の無執着 結論 はじめに 昨今,宗教間の対話が重視されているが,相互の研究や理解がその基盤として必要であるこ とは万人の認めるところであろう。 『ユネスコ憲章』が言う 戦争は人の心の中で生まれるものであるから,人の心の中に平和のとりでを築かなけれ ばならない。相互の風習と生活を知らないことは,人類の歴史を通じて世界の諸人民の 間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり,この疑惑と不信のために,諸人民の不一 致があまりにもしばしば戦争となった。1 という分析はおそらく正しいと思われる。宗教についても同じことが言えよう。宗教にせよ, イデオロギーにせよ,国家にせよ,自己のみが正義であり,相手はすべて悪であるという考え − 172 − 仏教とキリスト教の比較 を採り,相手や相手の立場を理解する姿勢さえ欠如させるとすれば不幸な争いを生む。しかし 歴史上では,むしろ,不理解を利用し,憎悪を煽ることさえ行われてきたし,現在でも憎悪を 煽る者は少なくない。また,たとえ相手を研究しても,それは相手を理解するためではなく, 否定するためのものである場合もある。しかし宗教間であれ,人間間であれ,国家や民族間で あれ,相手を無視したり,あるいは憎悪を持つのではなく,また相手を否定するのでもなく, 真摯に理解をしようとする姿勢を持つことは相互理解の上にも極めて重要であり,それが相互 への敬意にも尊重にもつながると思われる。 人類の長い歴史の中で,各民族や国家で培われ,異なった歴史やそれぞれの深い思想をもつ 宗教を相互に理解することは極めて難しく,それぞれに信仰する敬虔な人々があるから,軽々 に検討することは不遜でおこがましいことも百も承知である。しかし,難しい,おこがましい といって済ませれば相互に理解することは無くなり,やがて理解しようとする姿勢自体がなく なる。そうなれば中世さながらの様相を呈し,その結果人類は永遠に相互に理解することが出 来ない状況を迎えざるを得ないであろう。そのためにも本稿では相互理解のために仏教とキリ スト教を比較するのである。 しかし本稿は,かといって安易で楽天的な相互理解が可能と考えるのでも,それでよしとす るものではない。ましてや思想が一致するといきなり論じるのでもない。むしろ,最初はそれ ぞれの信仰や思想から出現した生き方や信仰姿勢の上の共通性を探り,そこに共通性があるな ら両宗教の「徳」というものが一致すると考えられる,という立場に立つ。これを第一歩とし, そして,この後に,信仰姿勢の上で尊ぶ「徳」が一致するということは,教義や思想のどの点 の共通性から一致が出現するのかという視点からの教義の比較も成立すると考えるからである。 従って,本稿は従来のような「愛と慈悲」等といういきなりの教義の比較を行なうではなく, まず両宗教の思想・信仰から流れ出る両宗教の尊ぶ「徳」や姿勢を比較検討するのである。 一,方法 従来の宗教間の比較研究や対話とは,いきなり仏教とキリスト教の教義上の似ていると思わ れる点をそのまま並べて比較するものが多かった*2。八木誠一氏は問題はそれほど易しいもの ではなく,殊に仏教徒が気づいていない問題が横たわっていることを指摘されている*3。そし てこの指摘は正しいと思われる。 また従来の研究は,類似性にせよ,相違性にせよ,完成された教義同士を比較するものがほ とんどであった。それは時には教団・宗派の見解の比較になりがちである。そこで,本稿にお いては,先の問題意識から,キリスト教については,まずイエスの思想をその生き方から直接 京都精華大学紀要 第十九号 − 173 − 的に検討し,またキリスト教における信仰姿勢を検討したいと考える。また仏教については, 特定の宗派や学派の思想ではなく,釈尊及び原始仏教から大乗仏教に通じて尊重される姿勢や 徳を検討し,以上から両者を比較検討したいと考えている。なぜなら,先述したように,信仰 や体系が異なった宗教を比較する場合,信仰や実践で尊重される姿勢や徳こそがむしろ思想の 本質そのものを端的に,かつ包括的に表すと考えられるからである。 そのため方法論としては,笠原芳光氏が『イエス 逆説の生涯』(春秋社)で採られたもの を用いる。 つまりイエスとその家族・師(先駆者)・教団(組織)との関係からイエスを見る という方法である。これを釈尊・仏教にも援用するという共通作業を行う。さらに本稿では, 家族・師(先駆者)・教団(組織)の他に,神や仏や教えをポイントに加え,これら共通する ポイントから仏教・釈尊の思想とイエスの生き方,思想の新たな同異点を検討する。 それらのポイントでの比較時の手がかりとしては,笠原氏の述べられる新しいイエス観であ る「離脱の人」というイエス観を用いる。 次に笠原氏のイエス観に思想的に通じるといえるエックハルト( :1260頃∼1327)の思想をキリスト教における一つの信仰姿勢として用い,仏教思想と 比較する。エックハルトは神秘主義であるといわれ排斥されて来たが,しかし彼は大学者であ りそのつきつめた思索は思想史上においても極めて重要であると考えられるからである。 本稿では特に先述の笠原氏の指摘される新しいイエス観と,エックハルトの思想の両方に共 通して出現した「脱」「離脱」 「離在」*4ということを手がかりとし,これと仏教において哲学 と信仰や実践の核心をなす空・無執着・中道の思想を比較し,もって相互理解の可能性と契機 をさぐる一端としたいと考えるのである。 なお,エックハルトの「脱」に対し,笠原氏の「離脱」・「脱」は,最初は物理的な面として 語られ出しているので,一見異なるようであるが,しかし,その意図するとことは同じである と考えられる。それは次の笠原氏の見解から明かである。 笠原氏は先述の方法論を用いてイエスを「離脱の人」であるとされるが,またその他にも氏 は斬新な説を出されている。 「さらにいうならイエスはキリストではなく,むしろブッダであるといった方が正確では ないか。ブッダが自覚した人間といういみであるのなら,イエスもまたブッダであると いってよいはずである。」*5 「イエスは離脱の人である。」*6 これらは,すべて衝撃的な説である。キリスト教とはイエスをキリストであると認め信じる 宗教であるというのが一般的な理解である。したがって,イエスがキリストではなく,むしろ ブッダであるという主張は極めて衝撃的である。しかし,笠原氏の説は,イエスについて,従 − 174 − 仏教とキリスト教の比較 来とは違った角度からとらえようとする説であるといえよう。ブッダ( )とはサンスク リット語で真理を悟(覚)った者,真理にめざめた者という意味の普通名詞である(釈迦に関 する固有名詞ではない)。これが漢字に音写されると仏陀となり,通常使われる仏となる。ブッ ダとは当然のことながらキリスト教の用語ではない。笠原氏がイエスを仏陀であるとされのは, むろんイエスが釈迦であるとか仏菩薩であるとか,仏教の教えを述べたというのではなく,ブッ ダの本来的な意味である「めざめた」 (笠原氏の著作では「自覚したもの」 )というサンスク リット語から用いられているのであり,イエスも「自覚した御方」,「めざめた御方」であると いえるとされるのである。*7つまり,笠原氏はブッダをインドの宗教の専売的な語句ではなく, 純粋学問的客観的な見地からブッダという言葉の持つ本来の意味から述べられているのである。 これらの斬新なイエス観は氏の説の核心である「脱」*8の哲学に裏付けられているといってよ い。「イエスは離脱の人である」という氏の説は,イエスがその家族・先駆者(師)・教団(組 織)・弟子の関係から,結果的に離脱したという点を指摘され,そこから,イエスの姿勢,思 想を検討され「イエスは離脱の人である」とされたのである。笠原氏はイエスが生涯を通じて あらゆるものごとから離脱した,家族から,厳格な戒律主義からも,さらに自分の作った信仰 集団や弟子達からも離脱したとされるのである*9。 氏はさらにこれを構造的に示し,ユダヤ教を「正」とすると,イエスはこれに対する「反」 である。ところが,この反自体を信奉する「合」の思想が現れ,これがキリスト教であるとさ れる。しかし,イエスは「「反」の思想を「脱」という形で無限に延長する生き方をした」と され, 「イエスは永遠の離脱者である」という結論に到達されるのである。*10したがって,笠原 氏の述べられる「脱」・「離脱」は思想的なものであることが理解されよう。 本稿は以上の笠原氏のイエス観やキリスト教の信仰実践に出現した「脱」・「離脱」の思想や エックハルトの離在・離脱の思想と仏教の核心哲学である空とその展開であり,尊ばれる徳で もあり,実践思想そのものでもある無執着・中道との比較を行うものである。 二,イエスにおける離脱と仏教・釈尊における無執着 (1)家族について 1,イエスの場合 笠原氏によればイエスは,家族から離脱したと述べられる。『マルコの福音書』(以下『マル コ』と略す。同様に他の3つの福音書もそれぞれ『マタイ』・『ヨハネ』・『ルカ』と略す。)の第 3章にイエスの母と兄弟達がイエスを呼びに来たとき,イエスは信徒や弟子達に わたしの母,わたしの兄弟とはだれか*11 京都精華大学紀要 第十九号 − 175 − と述べたとされる。連文に神のみこころを行う人こそ,わたしの兄弟,姉妹,母であるという 旨が続く。この連文は後世の教義的な付加であろうと笠原氏はされる。 笠原氏はこれらの記述から,イエスが母を敬遠していたのではないかという可能性を指摘さ れている*12。真実の所はわからないが,いずれにせよ,通常の母や兄弟に対する態度とは異な ることは確かであり,イエスの姿勢の一つを示すと理解してよいであろう。イエスの家族がイ エスの生涯で特別な扱いとして前面に出てこないという点も注意が必要であるように思われる。 これは氏が指摘されているように,むしろイエスが「兄弟や母を超える思想を語っている」*13 と解するべきに思われる。したがって,イエスの家族からの離脱ということは正鵠を得ている と考えられる。むしろイエスは信仰に血縁・地縁あるいは民族という観念をを介在させず,そ ういった社会的な価値観を介入させなかった,笠原氏の言を借りればそういった価値観から 「脱」出,超越した方であったということになる。 2,仏教・釈尊の場合 釈尊は,幼少期より感受性が極めて鋭く,内省的な性格を有し,やがて人生を苦であると認 識するようになる。父はそういった釈尊が出家するのではないかと心配し,様々な贅沢をさせ 出家からの興味をそらそうとする。さらに妃をめとらせるなどし,釈尊は子供ももうけたが, その問題意識は変わらなかった。 釈尊は29歳の時,深夜に王城を抜け出し,王子の衣服を脱ぎ捨て,髪を剃り一介の出家者と なり,苦の解決を目指すのである。したがって,この時,釈尊は将来約束された王位とそれに 付随する領土や権力,財産などの一切はむろん,自分を慈しんだ父も育ての母*14をも,また妻 子さえ捨てたのである。 釈尊は,生母を生まれてまもなく失った大きな不幸があったとはいえ,彼女の妹が母となり 慈しみ育てられた。また彼は王族であるから,権力的にも経済的にも地位や名誉にも極めて恵 まれた環境に育ったのである。これを捨て出家したことについて釈尊は亡くなる直前に最後の 弟子となるスバッタに対し次のように語っている。 スバッタよ。私は二十九歳で,何かしら善を求めて出家した。 スバッタよ。私は出家してから五十余年となった。 正理と法の領域のみを歩んできた。 これ以外には<道の人>なるものも存在しない。*15 これから理解されるように,釈尊は「善を求めて」与えられた権力も富も将来の王位,そし て,家族をも捨てて旅立ったのである。それは幼少期から彼の問題意識であった「人生に必ず 起こる苦の完全な解決」のためであった。そして,それを成し遂げた。しかし,それは父母や − 176 − 仏教とキリスト教の比較 家族を捨てることにもなった。以後釈尊の弟子たる僧侶は,家庭から脱出すること(出家)を することになる。 3,小結 笠原氏はイエスは母を敬遠していたのではないかという説を出されているが,これについて は,現研究段階では不明といわざるを得ない。一方,釈尊の場合は,自らの問題の解決のため に家族から離れた。 釈尊の場合,ほぼ完全に充足された生活を送っていたが,彼は経済的・社会的な充足は苦の 解決に何らつながらないと考え,ついに苦の解決のため,つまり「善を求めて」出家したので ある。 釈尊もイエスも両者とも自らの求めるものに向かって,結果的に家族を棄てることになるこ とに共通性がある。またイエスも釈尊も以降家庭をもたなかった。そして,それがまた批判さ れることはないという両宗教を生んだ文化背景に共通性があることも認められ,東アジアの儒 教の濃厚な中国や日本・韓国といった地域と異なる意識の存在があることも理解される。 (2)師・先駆者について 1,イエスの場合 福音書によればイエスは,バプテスマのヨハネから洗礼を受けた*16。したがってバプテスマ のヨハネがイエスの先駆者,先導者,あるいは広義の師とも考えられる。『マルコ』ではイエ スはバプテスマを受けた後,四十日間の荒野での放浪と悪魔との対決があったことを簡単に記 し, 『ルカ』はこの悪魔との対決を詳細に記している 17。なお『マタイ』*18ではヨハネは自分が イエスから洗礼を受けるべきであると述べた旨が記されており, 『ヨハネ』*19『マルコ』と『ル カ』はそれがヨハネの言葉で簡単に暗示され,特に『ヨハネ』はヨハネがイエスを「神の子」 と述べていることを記してヨハネがイエスの師というより,笠原氏の述べられるような先導者・ 先駆者的な扱いとなっている*20。従って,ヨハネは先駆者,または先導者,あるいはイエスは 宗教的な深まりや何らかのものを得ようとしてヨハネのもとを訪れたと考えてよいとすると少 なくとも広義の師と考えてよいであろう。そうでなければイエスはヨハネのもとを訪れる必要 がないからである。 *21 とされる ヨハネは神殿ではなく荒野で教えを説き, 「人種や国籍にとらわれていなかった」 が,イエスはこういったヨハネの姿勢を評価したと考えられる。さらに荒野で質素な生活をな しつつ教えを説いていた苦行者のようなヨハネのもとをイエスが訪れたのは,イエスが町に蔓 延する世俗の快楽主義に批判的であり,宗教にあってはこの町の状態に対応する教団や神殿の 京都精華大学紀要 第十九号 − 177 − 権威主義的な宗教のあり方に批判的であったためと考えられる。しかしイエスはヨハネのもと をも離れたのである。これは彼の禁欲主義・修行主義とも距離を置いたとされる*22が,後に荒 野に限らず種々の所で教えを説くイエスを見るとヨハネのような荒野に固執することや,極端 な禁欲主義・修行主義にとらわれていなかったことと,これらから離れたことがうかがえる。 笠原氏の見解によれば*23イエスは,世俗の享楽主義・快楽主義,宗教の権威主義・教権主義 的なものには批判的でありここから離れ,その対極にあるともいえるヨハネのもとを訪ねたが, その極端な禁欲主義的な姿勢にも同意することが出来ず離れたと考えられる旨述べておられる。 つまり世俗の快楽主義や宗教の陥りがちな組織的な権威主義・教権主義とその対極にある極端 な禁欲主義・苦行主義も離れたというイエスの姿勢がここから理解されるのであって,ここに むしろ万人に通じる神への信仰を見いだし得たと考えられる。 笠原氏は,ヨハネの教団は教団と言えるほど強固なものではなく,そこからイエスは「離脱 *24 とされるが,以上から して,人々に呼びかけてイエスの集団ともいうべきものをつくった」 ヨハネからの離脱という氏の見解は妥当であると考えられる。もし,ヨハネの教団に満足した 場合,ヨハネの教えを奉じ,ヨハネのような服装等をし教えを説くに終始するはずである。 世俗の快楽主義や権威主義という従来の価値観から離れ,その対極にある苦行主義的あり方 からをも離脱したというイエスの姿勢は,極めて重要であり,家族からの離脱よりも明確に彼 の姿勢がうかがえる。両極端から離れるということは,すべてから離れるという姿勢に通じる。 さて,福音書に見られる四十日間の悪魔との対決の記述は,そこでイエスがなにかしらの信 仰の確信を得たことを示すものとも考えられる。ヨハネは捕らわれ投獄されるが後,イエスは 本格的な活動を開始する。 2,仏教・釈尊の場合 釈尊は出家して後,最初アーラーマ・カーラーマという仙人(宗教家)について修行を行っ た。そして釈尊は早期に彼の説をすべて理解し,また彼の教える無所有処定という深い禅定も ほどなくマスターした。アーラーマ・カーラーマは,釈尊の才能に驚き,釈尊が弟子であるの に,同等に置き尊敬し,二人で弟子を導こうと申し出る。しかし釈尊は「無所有処に到達せる 限り,此の法は厭離に導かず,離貪に導かず,滅盡・寂静・智・覚・涅槃に導かず」とアーラ あきた アーラ・カーラーマの指導する禅定では悟りに到達出来ないと知り, 「彼の法に慊らずして出 *25 て去りぬ」 と彼の元を去った。つまり,無所有処定という深い禅定も彼の理想とする苦の解 決の道ではないと釈尊は考えたのである。 次に釈尊はウッダカ・ラーマプッタという宗教家の所に趣く。ここにおいても釈尊は彼の思 想と彼の指導する非想非非想処の極めて深い禅定を即座にマスターした。ウッダカ・ラーマプッ − 178 − 仏教とキリスト教の比較 タは驚き,アーラーマ・カーラーマの時と同じく釈尊を自らと同等の位置に置き,共に弟子を 導こうと申し出る。しかし釈尊は非想非非想処の禅定もまた悟りに導く修行ではないと知り, あきた 「其の法に慊らずして出て去りぬ」*26と彼の元を去った。 釈尊は二人の師を訪ねたが,いずれにも彼の求めを満足させる修行はなかったのである。そ のため彼は,二人のもとを離れた。 これもイエスの場合と同じく師・先駆者よりの「離脱」といえる。 そして,次に釈尊は苦行林に入り苦行を試みたと伝えられる。そこでは,いかなる婆羅門も 修行者もこれ以上なしたことはないほどの激しい身を苛む苦行をしたという*27。しかしそれで も彼は悟りを得ることが出来なかった。そして,このような弱った身体では悟りが得られない と考え,村娘の差し出す乳粥をとった。さらにネーランジャラー川で身を清め,後に菩提樹と 称されるようになる木の下で禅定に入った。これを見た彼と共に修行し,友人でもあった五人 の比丘たちはゴータマ(釈尊)は堕落したと考えて彼のもとを去ったと伝えられる。 釈尊はその後,静かに禅定に入りやがて悪魔の攻撃や誘惑を退けて成道(悟りを得る)し, 仏陀釈尊となる。この時の禅定が止観均等の禅定とされる。止観の止とはいわゆる無念無想に なる禅定の系統である。これは先の二人の仙人の禅定が入る。それまでのインドでは,こういっ た深い禅定であればあるほどよいと考えられ,滅尽定・無想定という心が消え失せるような禅 定を理想とし,中にはそのような禅定中の心の状態を解脱の境地であると考える宗教もあった。 しかし,禅定をやめると元にもどるのであり,深い禅定の境地そのものを理想とすることは仏 教では考えないのである。無念無想とは極論すれば気絶しているのと効果的には同じであり, 智慧も生じず真理を獲得することは出来ない。そこで止の禅定で心を静かな状態に置きながら も真理を獲得する智慧を働かさねばならない。これが観の禅定である。古来「止は草をとらえ る如く,観は鎌にて刈るが如し」等*28ともいわれ,止で煩悩をとらえ観でそれを断つのである。 観とは智慧のことである。但し禅定中に観が勝ちすぎると心が浮動・散乱し,止が勝ちすぎる と心が働かない気絶状態と同じ効果になる。したがって止と観が均等に存在する止観均等の禅 定が仏教では理想とされ,この止観均等の禅定の境地(色界第四禅)で釈尊は悟りの智慧を獲 得したのである。このように釈尊はそれまでの二人の師の禅定等と異なり,止観双運といい, 止と観の両方を均等に用いる独自の禅定を用いて悟りに達したのである。 つまり,釈尊はまず二人の仙人のもとで当時一般的であったと思われる深い禅定を試みたが, これでは理想が達成出来ないと考えてそのもとを去り,次に試みた極端な苦行主義をまた放棄 したのである(禅定そのものは放棄していない)。 悟りに達した釈尊が最初に本格的に説法をした対象は,苦行を共にしていた五人の比丘(友 人)であったが,彼らに対し,出家の人は世間の二事を棄てるべきであるとした。その二とは 京都精華大学紀要 第十九号 − 179 − 『仏本行集経』巻第34には次のようにある。 一は欲楽を受けることなり。およそ行動あるや,聚落に依るは,凡夫の歎ずる所。これ を須く棄捨すべし。第二の捨とは,自身くるしめられ,苦を受くる処は,聖の歎ずる処 に非ず。自利を得ず,利他を得ず,この法は須く捨てるべし。*29 これと同旨の記述がパーリ律蔵には説かれ,そこでは「如来は此二辺を捨てゝ中道を現等覚せ り」*30とある。『仏本行集経』の意も同じで二事,つまり二辺を離れて「中道」を歩めという ものに他ならない。その他同旨の記述が諸の仏伝に見られるが,共通するのは社会的・世間的 な享楽を捨て,また宗教が陥り易い苦行主義をも捨て,享楽主義にも苦行主義にも陥らない中 道を歩むことによって悟りは得られるということである。さらに言うならば禅定の深さ至上主 義をも離れるということにも通じよう。 この中道とは仏教の中心哲学である空を実践上に展開したもので,中道と言ってもほどほど とかまん中とか中間という意味ではなく,苦行にも快楽主義にもとらわれない,何ものにも執 着しない,陥らないことであり,こういった実践上の中道を非苦非楽の中道という。 仏教は修行・禅定を推奨するが,エキセントリックな禅定体験をよしとしたり,深ければ深 いほどよいというような禅定や身心を苛むような極端な修行・苦行は完全に否定し退ける。ま た一般の人々が享受する世俗の繁栄を欲望の趣くままに追い求め,五官の快楽にふりまわされ る快楽主義も無論否定する。仏教は修行に関して,快楽主義にも付かず,かといって苦行主義 にも陥らない中道を推奨するのである。 後に中道はさらに哲学的にも広く用いられ,一切に偏らない,有にも無にも,仏教の核心で ある空にさえとらわれない,執着しないという意味になる。これを非有非無,非有非空の中道 という。なお中道はあらゆるものにとらわれない(中道自体にも)ということで,儒教の言う 中庸とはまったく異なった思想であることに注意が必要である。 なお,成道後,釈尊は教えを説く相手に最初に選んだのは,最初に就いた二人の師であった ことに注意を要する。つまり釈尊は,自分の求めるものが得られないとして二人の師のもとを 去ったが,しかしこの二人が見識・境地では,釈尊がそれまでに出会った人物の中で最も優れ ていたと考えていたことが理解されるのである。したがって,自分の得た悟りの境地も,この 二人の師であれば理解してくれると考えたのである。ただし,釈尊が成道した時にはこの二人 の師は亡くなっていたので,五人の友人に最初の教えが説かれることになった。 3,小結 以上の内容で釈尊とイエスに共通性が見いだされるのは以下の三点になるであろう。 ①釈尊もイエスも最初に師,もしくは先駆者を求めること。そしてその師・先駆者のもとを去 − 180 − 仏教とキリスト教の比較 るが,師・先駆者を評価していること。 イエスは初期に入ったヨハネの教団を去り,独自に活動し始めたことは福音書に説かれてい る通りで笠原氏の指摘されているとおりである。釈尊も二人の宗教家を訪れたが,自分の求め るものに応えるものではではないことを知り,そこを去った。 釈尊もイエスも,最初に師,もしくは先駆者を求め訪ねているが,そこに自分の求めるもの がないと知るやそこを離れている。 また,イエスも釈尊も最初の師や先駆者のもとやその教団を去りながらその師や先駆者を否 定せず,後も高く評価していることも共通している。言い換えれば釈尊もイエスも最初に理想 に近いと思われる師や先駆者を見抜いたこと,つまり誰が理想に近いかをすでに見抜く目を もっていたことを意味する。しかし,自分の考えや理想とするところとずれがあると見るやそ れにとらわれることなく,そのもとを去るのである。 なお,以上の検討より笠原氏のイエスのバプテスマのヨハネ(師・先駆者)やその教団より の離脱という見解は妥当であると考えられる。 ②釈尊もイエスも成道や信仰の確信を得る直前に悪魔・煩悩の妨害を受けること。 イエスが荒野で悪魔の試みを受けそれを毅然と退け,釈尊も成道前に悪魔の誘惑・攻撃を受 けそれを毅然と退け悟りの境地に達した。仏教の場合,悪魔とは煩悩と考えるが,注目すべき は,釈尊とイエスのいずれもが,自己の求めるものを阻害するものが,初期の段階ではなく, 宗教的に深まった最終段階,釈尊の場合は悟りの直前に現れるというほぼ同じ構造が見られる ことである。 ③釈尊にもイエスにも快楽主義と極端な苦行主義等極端さへの否定が見られること。 イエスと釈尊,両者とも世俗の快楽主義と,その反対である(世俗の快楽主義への批判とし て起こる)苦行主義的な姿勢の双方ともから離れている。イエスは世俗社会を離れ,ヨハネの もとを訪れるが笠原氏によれば厳格に過ぎる彼の禁欲主義をもまた離れたのである。仏教は, 快楽主義と苦行主義等の極端な「二辺を離れて中道を歩む」姿勢を貫くが,これと指摘される イエスの姿勢は全くパラレルになっているのである。 なお,このような仏教の立場は禅定につ いても心を静謐に保つ止の禅定を求めることは無論,これが極端になり,心が停止してしまう 極端を避け,観の禅定を等分に用い,止にも観にも偏らない止観均等の状態を尊ぶのである。 中道は仏教の核心哲学である空思想を実践上に展開したあり方といえるが,これとイエスの 歩む道は,同じかどうか問題であるが,少なくとも釈尊もイエスも世俗の快楽主義から離れ, また極端な苦行主義を離れるという姿勢を持ち,ほぼ同じ姿勢を見いだしており,これは中道 京都精華大学紀要 第十九号 − 181 − 的と考えてよい。そうすれば仏教の実践姿勢とイエスのあり方は師・先駆者をめぐっての求道 中にあらわれた姿勢に共通点があるとしてよいであろう。仏教はこの中道,偏らないこと,と らわれないこと,無執着こそ極めて重視するのである。 (3)宗教・教えそのものについて 1,イエスの場合 イエスの自らの教えや宗教そのものについての姿勢は,イエスの直接の言及もなく現研究段 階では不明と言わざるをえない。ただし,以上の検討結果から考察するとイエスがものごとに 固執しなかったことは考えられることである。 2,釈尊・仏教の場合 一方仏教は釈尊自らが自らの教えについて述べている。これを後世の仏教の大哲学書も敷衍 し論じている。大乗仏教において最も重要な論書の一つに『大智度論』がある。『大智度論』 は仏教の核心の哲学である空思想を解き明かす『摩訶般若波羅蜜経』への龍樹による注釈的哲 学書である。空思想こそは他の宗教と仏教を峻別する最も際だった哲学であるといえる。また 『大智度論』は,原始仏教の経典なども多数引用され,原始仏教と大乗仏教が一つの流れとし て展開していることがわかるものである。『大智度論』に次のように説かれている。 一切の諸の外道の出家は心に念ぜり。我が法は微妙第一清浄なり,と。かくの如き人は 自ら所行の法を歎じて他人の法を毀呰す。この故に現世には闘諍相打ち,後世には地獄 に墮して種種の無量の苦を受く。偈に説くが如し。 自法に愛染するが故に,他人の法を毀呰せば,持戒の行人といえども,地獄の苦を 脱せず。*31 と。つまり宗教家たちは,自分の教え(宗教)こそが最も優れていると考え,自画自賛し,他 の宗教を批判・排斥する。そのために,この世(生きている間)では互いに闘争することとな り,後世(死後)には地獄に堕ちて無量の苦に沈むというのである。このように自分の奉じる 教えや宗教に固執し執着することにより,他人の奉じる教えや宗教を批判・攻撃するならば, たとえ戒律を厳格に守る修行者であっても地獄の苦を免れないというのである。したがって, この仏法中には一切の愛,一切の見,一切の吾我 慢を棄捨し,ことごとく断ちて著せ ず*32 と,仏教ではすべての愛も種々の見解,吾我 慢などの悉くを断ち執着してはならぬとする。 このすべてに執着しないという考え方を傍証するために「 喩経に言うが如し。 」*33と原始経典 の『 喩経』にあるとおりであると述べ釈尊の言葉を引用する。 − 182 − 仏教とキリスト教の比較 汝ら,もし我が 喩の法を解せば,この時は善法をもまさに棄捨すべし。いかに況や不 善の法をや。*34 と。 『 喩経』とは「いかだの喩え」をもって執着しないことを説く経典である。内容は川を渡 るために木々を集め苦労していかだを作ったとする(これは修行して悟りの智慧を獲得する様 をいう) 。そしてそのいかだに乗って向こう岸に渡った。その時,自分を渡してくれたいかだ であるから,大切なものであると頭にいかだをかついで道を行くか,どうかと弟子達に釈尊が 問う。これに対し弟子達はそのようなことはないと答える。釈尊は仏教の教えも同じであり, 向こう岸に渡り目的を達したならば捨て去るべきであると述べる。(南伝9・247∼248) そこで釈尊は,この「いかだの喩」の教えを理解したならば,善の教えに対する執着も捨て るべきである,いわんや悪に対してならば言うまでもなく捨てるべきであるとするのである。 これはむろん善を捨てて悪をなせとか,無茶がよいとかという意味でない。善にも執着しては ならない,ましてや不善(悪)ならなおさら捨てよというのである。つまり宗教や正義・善で あるからといって執着すれば独善に陥ったり自分の考えに同意しない者を攻撃するといった悪 に陥ることになるというのである。当然の事ながら,もし善に対する執着を捨てることをもっ て,悪をすることだと考るような思考方法を採るならば永遠に仏教思想は理解できない(実際 勘違いしている人もある)。「善に対する執着を捨てること」をもって悪をするというのは「悪 に執着していること」である。また善と悪双方に対する執着を捨てることが「善でも悪でもな いこと」をするとか「無茶苦茶する」ことと考えるのは「善でも悪でもないこと」や「無茶苦 茶すること」に執着しているのである。また「捨てる」という作業に執着する場合もある。し かしそういったありとあらゆることにとらわれない,執着しないということを述べているのが この部分であり仏教の思想の実践上の本質である。先述した実践上の「非苦非楽の中道」も同 じである。 従って,『大智度論』は, 仏は自ら般若波羅蜜においても念ぜず猗らず。いかに況や余法に猗著あるものをや。*35 と論じ,仏(釈尊)自身が,最も重要である悟りの智慧たる般若波羅蜜にさえ執着しなかった と述べるのである。従って,他のものにはなおさら執着されてはいないとする。 我々は,例えば,自由ということをもって「したい放題無茶苦茶すること」と考えれば,そ れはすでに「したい放題無茶苦茶」に執着している。ある拘束や型を嫌い,この拘束や型に対 する反拘束・自由をとなえることは,現代では欧米の二分法的な思考形態によってよい評価を されがちであるが,実は単に逆の反拘束・「自由という型」にはまり執着しているに他ならな らない。つまり裏返しの執着をしているに過ぎず,執着対象が入れ替わっただけなのである。 型にはめようとすることに対し型にはまらないことを提唱することは評価されるが,型にはま 京都精華大学紀要 第十九号 − 183 − らないこともまた一つの型であり型にとらわれているに過ぎない場合が極めて多い。 いかなる崇高な理念であれ,倫理であれ,宗教であれ,善行であれ,正義であれ,学問であ れ,政治理念であれ,もしそれに執着すれば独善に陥り,やがて同意しない者を憎み,批判し, 悪と称し,やがて攻撃,そして極端になると抹殺しようとし,取り返しのつかない事態に陥る 可能性さえある。 従って『大智度論』は,自分の奉じる教えに執着(愛著)すれば闘諍相打つことになり,戒 律を守っても地獄に堕ちるというのである。故に釈尊は悟りの智慧にさえも執着しなかったと いうのである。仏教では悪や善というものが実体をともなって存在するのではなく,たとえ真 理であれ,正義であれ,善であれ,宗教であれ執着した途端自分と他者をも不幸にする現象, つまり悪が発生すると考えるのである。 笠原氏が著作で引かれるニーチェの『善悪の彼岸』にある「悪意のように見える,思い上 がった善意というものがある」*36というのは悪意があるのではなく,むしろ満心の善意で行動 し,その自分の善と善意を信じ執着して疑わないからである。しかしこれは悪である。これが 理解できないと「善意をもって行ったことはすべて善である」という現代を支配し,たびたび 憎悪と紛争の原因となっている深刻な問題に陥る。 『大智度論』はこれらの点をさらに詳しく説明するために, 『阿他婆耆経』から釈尊と摩 提 (マーガンディヤ)という人との問答を引く。なおこれは同旨のものが中村元博士訳の『ブッ ダのことば』(岩波文庫)にあり,そちらの方がわかりやすいので,中村博士訳を見る。 マーガンディヤは,釈尊はどのような教えを説くのかと尋ねた。これに対し釈尊は 『わたしはこのように説く』,ということがわたくしにはない*37 と述べる。それが釈尊の答えである。釈尊はさらに言葉を継いで 諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って,諸々の偏見における(過誤を) 見て,固執することなく,省察しつつ内心の安らぎを私は見た。*38 と述べるのである。つまり「このように説く」という一つの教えや見解に身を置くのは偏見で あり執着であるというのである。これに対しマーガンディヤは,釈尊がある一定の説に固執し ないというならば,いったいそれはどのような方法で説かれるのかと問う。つまり説かれる説 である以上,一定の形を持った説であるはずだと彼は考えているのである。これは我々一般の 人も陥る考え方に基づく疑問である。 釈尊は答える。 『教義によって,学問によって,知識によって,戒律や道徳によって清らかになること ができる』とは,わたくしは説かない。『教義がなくても,学問がなくても,知識がな くても,戒律や道徳を守らないでも,清らかになることができる』,とも説かない。そ − 184 − 仏教とキリスト教の比較 れらを捨て去って,固執することなく,こだわることなく,平安であって,迷いの生存 を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)*39 通常,心を清めるといったことは,戒律を厳格に守ったり,一定の修行を行なったり,或は 教義理解や道徳,あるいは学問や知識によってなされると考えられている。が,釈尊はそうで はないというのである。すると我々は,即座に,「心を清めるには,戒律や教義や道徳・学問・ 知識は不要なのだ」と理解する。ところが釈尊は「心を清めるには,戒律や教義や道徳・学 問・知識は不要なのでもない」と答えるのである。両説とも釈尊は退けたのである。 つまり,心を清めるには「戒律や修行・道徳などによってなされる」ということも,それら によって「なされないのだ」ということもどちらも執着であり執着の対象が変わったに過ぎな いのである。さらに踏み込めば,「何かをすると」「心が清まること」にも執着していることに ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ なる。 よく述べられるように,社会で活躍するには学問・知識が必要だという人がある一方で,社 会では学問・知識は別段必要ではないという人もいる。どちらかといえば,後者に賛同者が多 いが,いずれも仏教から言えば観念的で執着である。「学問・知識に執着している」のと,「学 問・知識が不要であるということ」に執着しているかの相違で執着の対象が変わったに過ぎな いのである。一つの見解Aがあるとすると,残る見解は,その補集合非Aに含まれる,と考え, これに基づいて当否・正邪等を我々は考えるが,それこそ執着である。たとえ かつ非 とし たとしても,そのような観念や判断をも含めて執着とされる。宗教や宗派に置き換えると,あ る宗教や宗派Aを「正」とすると,非 は「邪」「悪」となってしまう。これによって宗教戦 争等は起こるのである。人間関係の深刻ないさかいも同じようにして発生する。 このように古代であれ,中世であれ,近現代であれ,何かに執着するのが我々の常である。 マーガンディヤも同じであり釈尊の言葉が理解できず反論する。 もしも,『教義によっても,学問によっても,知識によっても,戒律や道徳によっても 清らかになることができない』と説き,また『教義がなくても,学問がなくても,知識 がなくても,戒律や道徳を守らないでも,清らかになることができない』と説くのであ れば,それはばかばかしい教えである,と私は考えます。教義によって清らかになるこ とが出来る,と或る人々は考えます。*40 このマーガンディヤの批判の根底にある発想こそ現代の我々の発想である。 「教義や学問や道 徳・戒律によっても清まらない」なら,これら「戒律や道徳等に拘束されず勝手気ままにする と清まる」のであろうと考えるのである。ところが,同時に「戒律や道徳等によらないで勝手 気ままにするのでは清らかになれない」などといわれるので,ならばそのような教えはわけの わかないものだということになるのである。釈尊はこのマーガンディヤの批判に対し次のよう 京都精華大学紀要 第十九号 − 185 − に言う。 あなたは(自分)の教義にもとづいて尋ね求めるものだから,執着したことがらについ て迷妄に陥ったのです。*41 と。すでにマーガンディヤは,教えには一定した形や何事かがあるという既成の「教義」とい うものに執着しているのである。固定したものがあるという教義によって,心が清らかになる ためには,あるいはならないのは,などという思想にまた執着し,そのような教義によってな にごとかがなされるということにまた執着し,思考を拘束している。故に迷妄に陥ったと釈尊 は指摘するのである。先の「『わたしはこのように説く』ということがわたくしにはない」と いう釈尊の言がこれを端的に表している。 『大智度論』は続けていう。 我が法は,真実にして余法は妄語なり,我が法は第一にして余法は不実なりというは, これを闘諍の本となす*42。 と。人々は自分の奉じている宗教や教えやイデオロギー,思想こそが真実であり,また第一で あり他のものは虚偽で誤っているとするがこれこそが争いの源であると言うのである。 固執・独善に陥る思考形態,つまり執着こそが釈尊・仏教の立場からはもっとも遠いものな のである。むろんこういった考え自体や「執着しない」ということに執着することも執着であ り否定されることは言うまでもない。執着しないということが一つのイデオロギーや教義にな れば,それはまた執着そのものになる。「執着しないこと」「空思想」そのものに執着すると空 見や断滅論に陥り*43,虚無主義につながり,姿勢としては,いい加減・無責任・自分勝手,曖 昧模糊を空のあり方,自由自在と言い換えてしまう危険性がある*44。現代の仏教者でもこう いった誤解の類がある。仏教の言う無執着・空とは,無責任とか何も見ないとか感じないとか 無視せよという意味ではない。それは無責任,何も見ない,感じない,無視,無味乾燥に過ぎ ず,無責任,何も見ない,感じない,無視,無味乾燥に執着しているのである。古来こういっ た執着しないことや空に執着することを悪取空・空見といい厳しく戒められてきた。この空や 「とらわれない」ということを誤って用いると危険であるから十分な注意が必要である。 このように釈尊は,ありとあらゆるものへ執着してはならないと述べる。執着することがや がて苦悩,そして時には闘諍を生むと仏教は考えるのである。現代的に言うならば,そのよう なすべてに「とらわれることがない真の自由」を仏教は説き,めざしているといってよい。そ の真の自由を獲得する智慧を般若波羅蜜といい,その境地を悟りの境地,涅槃というのである。 そして釈尊はこれら悟りの智慧にも執着しなかったのである。 − 186 − 仏教とキリスト教の比較 3,小結 以上のように考えると,笠原氏の説かれるイエスの離脱ということと,無執着はかなり重な るか,或いは同じである可能性があることが理解される。笠原氏はイエスの姿勢をユダヤ教を 「正」とすると,「反」であるが,イエスは「「反」の思想を「脱」という形で無限に延長する 生き方をした」とされ, 「イエスは永遠の離脱者である」とされている*45。笠原氏の述べられ るイエスの「 「反」の思想を「脱」という形で無限に延長する生き方」という構造は,以上述 べてきたあらゆるものへの無執着,つまり無執着にも執着せず,般若波羅蜜にも執着しないと いうことに通じる。笠原氏のイエス観は,仏教的に言い換えれば,いかなるものにもとらわれ ず「無執着に生きた」ということになる。 もしそうであれば,また,さらに離脱の人というイエス観が承認されるならば,イエスやキ リスト教と釈尊・仏教は神を立てるか立てないかという相違はあるにせよ,その宗教的実践の 姿勢,所期の目的に達す姿勢や徳等についての重要部分はほぼ共通するということになる。 (未完 以下次号) 注 *1「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)(平成5年度版『岩波大六法』 3035)) *2 典型的な例が岩本泰波『キリスト教と仏教の対比』(創文社 昭和49年)等。八木誠一氏 は「このような比較あるいは対比は対話ではない」と批判されているが同感である。 *3 八木誠一『仏教とキリスト教の接点』(法蔵館 昭和50年9月)。 15∼ 19及び 24の注 (14)参照。 *4 離脱は『神の慰めの書』 (相原信作訳 講談社学術文庫 1985年6月)では離在と訳され、他 では離脱と訳されるが同じ意味である。 *5 笠原芳光『イエス 逆説の生涯』(春秋社1999年6月) 15∼ 16。 *6 笠原前掲書p4 7。 *7 笠原氏と論理の背景は異なるとはいえ、八木誠一氏は前掲の『仏教とキリスト教の接点』の 中( ∼173等参照)で、久松真一氏や滝沢克己氏らの見解に対して、神と仏は対応し ないであろうとされ、むしろイエスと仏が対応するという指摘をされているが、これは 正しい指摘であると考えられる。 *8 笠原前掲書 165。 *9 笠原前掲書 159∼173等参照。 *10 笠原前掲書 164。 *11『マルコ』3・33。本稿では聖書は日本聖書協会の新共同訳を用いる。 京都精華大学紀要 第十九号 − 187 − *12 笠原前掲書 61。 *13 笠原前掲書 。 *14 生みの母である摩耶夫人は釈尊が生まれてまもなく亡くなり、釈尊は彼女の妹にあたるマ ハーパアジャパティーに育てられる。 *15『大般涅槃経』(岩波文庫『ブッダ最後の旅』 150∼ 151)。 *16『マルコ』1・9∼11。『マタイ』3・1 3∼17。『ルカ』3・21。 *17『ルカ』4・1∼13。 *18『マタイ』3・14。 *19『ヨハネ』1・2 9∼36。 *20 笠原前掲書 87。 *21 ジョン・ボウカー編著・荒井献・池田裕・井谷男監訳『聖書百科全書』(三省堂 2000年 3月) *22 笠原前掲書 。 *23 笠原前掲書 等参照。 *24 笠原前掲書 93。 *25 南伝9・297。 *26 南伝9・299。 *27 南伝9・430∼。 *28『成実論』巻第15(大正32・358a) 。 *29 大正3・811 。 *30 南伝3・18。 *31 大正25・63 ∼c。 *32 大正25・63c。 *33 大正25・63c。 *34 大正25・63c。原文は「汝曹」となっているが大正本の注に従い「汝等」と読む。 *35 大正25・63c。 *36 笠原前掲書 137より。岩波文庫本( 129)では「悪意のように見える不遜な善意もある。」 *37 中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫 岩波書店) 186。 *38 中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫 岩波書店) 186。 *39 中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫 岩波書店) 186。 *40 中村元訳『ブッダのことば』 (岩波文庫 岩波書店) 186∼ 187。 *41 中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫 岩波書店) 187。 − 188 − 仏教とキリスト教の比較 *42 大正25・64 。 *43 存在の断滅を説いたり,存在を無ととらえるのが断滅論である。このような偏よった見解 を断見ともいい仏教は退ける。これに対して存在の不滅を説いたり,存在のありかたを 観念的・固定的にとらえる偏よった見解を常見といいこれも仏教は退ける。こういった 二辺を離れることを仏教は説く。また空をすべての空無ととらえることを空見といい誤っ た空理解で,断見と同一とする説と相違するとする説がある。空思想を説く仏教を表面 的、形式的に捉えると空見や断見的な考えに陥りやすい。 *44 空思想や無執着の実践を誤ってとらえることは多いし危険であるので注意が必要である。 単に意見が無く何も問題に対して言えないことを「物事を断定的にこのように主張するこ とがない」とか何もしないことを空・無執着の実践であるなどと都合良く言い換える者 もいるが誤りである。もしこういった主張が正しいのであれば放心状態・無責任さ・無 知無能などこそ讃えねばならない。無執着を何をしてもいいと考えたり空で何もないから 何をしてもよいとかルールを無視しようが相手かまわず行動しようが空であるから差し 支えないといったものは最大の誤った危険な仏教理解である。これらの問題はこれらの行 動と自己と自己中心的な自儘等などすべてに強力に執着しているのである。この様に空思 想や無執着を都合良く振り回すと空思想・無執着・仏教とは似て非なる執着そのものの 極めて危険なものとなるので注意が必要である。もし無知や不真面目さごまかしや周囲を 無視して自己中心的に自儘に行動することが空やとらわれない境地ならば愚か者でも即 出来ることであり、では釈尊は何を苦労したというのか少し考えればおかしさが理解でき よう。
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