花が輝くとき「たけふ菊人形40回記念誌」(PDF形式:6563KB)

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情熱を深 めて帰武 しました。早速尾崎市長 や
議会 “対し熱 ぼ く働き かけ た“ですo
もともと、武生市 は昔 から菊づく りが盛 ん
でば 夢 ラブ、秋香会、国革会菊 友会と
い った菊 づ く り名 人 た ち のグ ル ープ が あ り、
秋には寺院の境内でそれぞれ丹精した自慢の
蔭 山 氏 か ら 相 談 を受 け た 尾 崎 市 長 は ・
ジ ャー ナ リ スト出 身 者 だ け に、 ひ ら めき も 決
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し 、 や が て秋 の近 い のを 感 じ る の で し た 。
草刈 りを終 え て、さ っぱ りした会場を見渡
いで し ょう か。
し た 。 こ の作 業 は十 年 近 く も 続 いた の で は な
か え る よ う な 草 を 相 手 に 一斉 に鎌 を ふ る いま
土曜 日 の午後等を利用し 一列 に並 んでむ せ
事 でし た。
この草刈 り奉仕をす る のが市職員 の年中行
手 に負 え る代 物 で はあ り ま せ ん で し た 。
に な って いた の です 。 と う て い 五人 や十 人 の
背 たけ以上 に伸び放題、夏虫 や へび のねぐ ら
め に、 夏 に な る と ス ス キ や雑 草 が 生 い茂 り 、
あ った と こ ろ を 埋 め立 て た急 造 地 であ った た
そ の上、 一面水 府 (一坪 五百円 で買収) で
規 制 が あ った せ い でも あ り ま し た。
余分な永久建築物 は建 ててはならな いと いう
も ち ろ ん 、 都 市 公 園 内 に は建 ぺ い率 が あ り 、
し た。
た芸能館、 そ の他仮設物 で間 に合わせ ていま
波板 トタ ンぶき の見流館、中古木材 で作 っ
ば か り で し た。
ま った菊 人形 は、今 から見れば お粗末 なも の
現 在 の中 央 公園 ) の間 借 り で始
西公 園 (
サ イ ンが 出 ま し た 。
こ の よ う に し て、 「た け ふ 菊 人 形 」 に ゴ ー
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発 進 す る 菊 のま ち づ く り 菊 ト ピ ア ー i !i !illlー ll l!!i !! ⑳
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裁判所放火事件 のあ った昭和 二四年 、そ の
後 こ、 三年 は武生市 にと って暗 い苦 し い時代
で し た。 明 る く 楽 し い町 に し た いと いう 願 い
は 、 市 民 の求 め て いた と こ ろ です 。
こうした中 で、たまたま全 国市議会議長会
に出席 した当時 の中議 会副議 長蔭 山真 氏が、
偶然枚方市議会議長 の大 西助 太郎氏と同席 に
な り、観光事業 の話 に花が咲 いた のです。
大 西 氏 は枚 方 菊 人 形 の ス タ ッフ であ り 、 毎
年枚方菊人形 の菊人形館制作 を担当 し て いま
人形誕生秘話
覚えていますか
懐かしいあの場面
菊人形ができるまで
アッと驚く菊の効用
菊人形館
の原点とも言う べ き、 菊人形の歩みを武生市の歴史の
大 西氏 から 「
菊 人 形 を や って み て は 」 と い
伝統の菊づくり
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武生市におきま しては、 先人のすばらしい発想を40年の歴史を重ね
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高度経済成長を遂げ、 物質的な豊かさを手中に した現在、 全国三千
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菊人形事業は尾崎市長の英断と市民の協力で始ま っ たのです。
戦争の痛手が残っ ていた当時、 尾崎稲穂市長 (故人) は、 町の活性
化と観光物による産業を 生み出すため、 特色ある観光事業の核と して、
し た。
菊人形前史
し
たけふ菊人形は、 昭和27年に始ま りま した。
当時、 枚方市をは じめ明石中 ・名 古屋市 ・ 綾部市など全国の数個所
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菊人形を打ち出 したのです。 経済的にもまちの状況からも厳 しい中、
のまちで菊人形展が行われていま したが、 北陸では初めてのことでし
う ヒントを得 た蔭 山氏は帰路綾部市立 ち寄 り
尾 崎元市 長 (故人)
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先人の発想が生きる
昭和29年
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第3 回
第2回
昭和28年
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第7 回
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第 17回
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三連 シ ー ソ ーが 紹 介 さ れ て います 。 こ
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ロー ラ ー式 す べ り台 、 回転 式 す べ り台 、
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観 光 客 の大 型 でバ ラ エテ ィー に富 ん
だ遊 具志向 と、他 の遊園地と の競合 か
ら・ 五十 年 に は ア ス ト ロフ ァイ タ ーが 、
五 一年 に は 、 モ ノ レ ー ル カ ーと ク レ ー
ジ ー カ ーが 、 そ し て 五 て年 に は大 観 覧
車 を 新 設 し ま し た。 ま た 、 リ ー スや 委
託 による遊 貝充実も始 めました。
現 在 菊 人 形 で人 気 のあ る ジ ャ ング ル
コー ス タ ー は 元 六年 に、 バ イ キ ング は
六 一年 に新 設 し ま し た。
今年 は、菊人形 四〇回を記念 して、
[仰 天 」 が 登 場 し ま し た 。
◆ 仰天が登上 平成 3年
広 げ ま し た。
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な ど の 一行 が 、 大 劇 場 で シ ョー を 繰 り
み 人 形 劇 )、 オ ー ロラ ・オ ン ・ア イ ス
行 (
奇 術 )、お た ま じ ゃく し (ぬ いぐ る
ブ)、東鑑ダ ンサーズ 、 松 旭斉 広 子 一
ピ ーターク ラ
大 阪 歌 劇 団、 S K D (
し ま し た。
念 して、当時北陸 一の規模と舞 台設備
で評判 にな った、現在 の大劇場が完成
は人気を呼び、 三六年 には 一〇 同を記
少 女 歌 舞 伎 や 演 劇 (レビ ュー シ ョー)
せ は、 昭 和 一
二 一
年 ま で続 き ま し た 。
県外 の芸能 一座 と段返し の取 り合 わ
せた 「
全 同 民 謡 の旅 」を 披 露 し ま し た 。
井 八重子 一座が、段返 しの舞台 に合わ
る よ う にな った の は、 第 -回 から
芸能館と呼ぶ にふさわし い演芸 をす
め ま し た。
か った当時、観光客 や市民 の人気 を集
く 、 テ レビ も 今 の よ う に普 及 し て いな
お茶 を濁す程度 でしたが、娯楽が少な
一回 のと き の幕 合 い に行 った演 芸 は、
を ミ ック スし た よ う な も の で し た。 第
を披露す る、現在 の大劇場と菊人形館
漫才や謡曲、芸人 の手踊 りなど の余興
出 て く る 仕 組 み で、 段 返 し の幕 合 い に
入れた場面が、上下左右 から代 る代 る
段返 しは、 いく つか の菊人形を取 り
芸能館 の段返し でした。
在 の菊 人形館)と話題 を 二分した のが
菊 人形が始 ま った当初、見流館 (
現
O S K ラ イ ンダ ン ス ま で
段 返 し ・助 六 か ら
大劇場 金云
能館)
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OSK ラ イ ンダ ン スま で
) 陸
6 年 、北 陸 一の文 化 セ ンタ ー
・ 昭 和3
開 成北
(
大劇場完成)
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▲ -記応
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拶
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7年
手踊り
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昭和46年
アクロバッ トも登上
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特産品を展示即売
4年
日本魔術団 昭和5
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盆 翻」
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指導所 (
上業試験場 の前進) で行 いま
し て、菊 人形会場横 のあ った武生 工芸
パ ビ リ オ ンに な った の は 、 五 六 年 です 。
現 在 の よ う に大 型 テ ント に よ る産 業
物産館 にも約十 万人が 入館 しました。
設け た のは三〇年 から で、翌年度 には、
芸能館 は、大劇場完成後も 四四年 ま
で、 一時 途 絶 え はし たも の の野外 ス
テ ージ と 共 に、 漫 才 や 歌 謡 シ ョー、 曲
太鼓、地元芸能など で観光客 を楽 しめ
ま し た。
野外劇場 (
ステージ)
第 な皿 に設けられた野外劇場。当初
は、 演 芸 内 容 も お 粗 末 な も の で し た が 、
三回、 四回 目 あ た り か ら芸能 館 と は
違 った、笑 いや気軽な雰囲気 の演芸路
線 を 歩 み ま し た。
現 在 の 野 外 ス テ ー ジ は 、 四 百年 に
造 った も の です 。
7年
昭和5
rー--恥-ー
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野外 劇 場 今 ・
昔
した。武生、丹生 ・今立 ・南条郡下 の
“
5年
昭和3
を
物産を県内外 に宣 伝す る、販路拡大が
友好都市高 山市 の物産 展や日中友好
* タ バ コ吸 いあ て コンク ー ル
* 工芸視菓 子展示会
*民芸品展示会
円 ・祝 日)
四九年 *野点 (
* モデ ル庭園展示会
四八年 *錦鯉 展示会
四 二年 * 焼 物 コー ナ ー
三 八年 * モ ンキ ー ハウ ス
*菊 そば店が初登場
で再現)
宮 など の国宝建築物 を、模型
三六年 *大 パ ノラ マ臼光 展 (
日光東 照
* バ ラ橇
三五年 * サボ テ ン展示会
*大宝 くじ
る
*北陸 三県菊花 コンクー ル始 ま
*自衛隊武 器写真 展
速 列車」
三三年 * ラジ オ福井公開録音 「
歌う快
ル始 ま る
三 一年 *武生菊花 同好会菊花 コンクー
* 菊 ま つり
九年 *陶 器展
一一
工夫いろいろ
多彩な催しもの
---1-- --ーーーーー- ー--
主な目的 で、会期も 一一月 一目から 一
協会 による中 国 の物産 展も行 い、年 々
昭和51年(現在のチビッ子遊園地) 工芸才
2年
昭和6
大 型 テ ント での産 業パ ビ リオ ン
︲
五 日 だ け で し た 。 会 場 が 手 狭 だ った こ
ま し た。
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「
- にぎ や か にな って いま す 。
現在 のよう に、物産館と し て会場 に
■
平成 2 年
O S K の 華 ライン ダンス
ともあ り、公会堂 で開 いたこともあ り
昭和 二七年、 「
郷 土 物 産 展 示 会」 と
昭和63年
展示してある物 産も様々。工業製品も いろいろと。
鱸
おを
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讐聯時 - 武生のおみやげ
土嚢断 ぜ "6
-‐ 爾 駆海 ふ
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,爾 慮り
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▼
観光につきもの
⑭
⑮
思 い出 を SHOT 撮影会
あ こがれ の スター サイ ン会
見 流 館 の テ ー マに し て いた N H K大 河
いました。当時 は、黒白写真 で菊 人形
写真懸賞募集 は、昭和 二九年 から行
口崇、池上季実 子、松 平健、永島敏行、
加藤剛、真 野響 子、多岐川祐美 、山
次 々 に菊 人 形 の サ イ ン会 に訪 れ ま し た 。
ド ラ マに 出 演 し て い た 大 物 俳 優 が 、
会場と、市内 での雰囲気を表現 した写
東 てる美、役所広 司など豪華な顔 ぶれ
引潮 灘な
亀無
※入場者数…有料入場者数を示す
撮影会
真が対象 で、併 せて写生大会も開き ま
で、 ス タ ー を 一日 見 よ う と 多 く の観 光
客が訪 れました。
.
字
さ
ぞ
し た。
大 手 写真 材 料 メ ー カ ーと の共 催 で、
モデ ル撮 影 会 を 行 う よ う に な った の は、
昭和 三〇年 から でした。 三〇年代 には、
写真 ブ ー ムも 手 伝 い多 いと き に は 七 〇
〇点を超え る応募 があ り、北陸 一の規
模 を 誇 る コ ンテ ス ト に成 長 し ま し た 。
四九年 に水沢 アキ、 五〇年代 は小林
麻美、岸本加世子、叶和貴 子と い った
スタ ー や、 ミ スイ ン タ ー ナ シ ョナ ル臼
本 代 表 な ど が モデ ルと し て訪 れ 、 カ メ
ラ マ ンを 釘 付 け に し ま し た。
ま た 、 仮 面 ラ イ ダ ーな ど の、 そ の時
代 に 子 供 た ち に人 気 のあ った キ ャ ラ ク
ターが登場す る撮影会 もあ りました。
スタ ー サ イ ン会
岸本加世 子撮影会
4年
昭和5
明
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ドン 和
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麓瞳理 会年
も昭
池 江
明
* ア マチ ュア無 線 局 開 局
*盆栽展示
五〇年 * ロ本鶏 三〇種 展示
五 一年 *止面風景花壇
五 二年 * NHK F M公 開 録 音 、F B C
生放送
*手造 り飛行機 (
北 の星) 展示
*孔雀展示
五四年 *紙 すき の実演
* N H K お か あ さ ん と い っし ょ
* ち び っ子 サ フ ァリ ー ラ ンド
五五年 *菊 の造形 「
象 の散歩」
*菊花壇 「
菊 の花」
*手芸 品展示即売会
マンガ大行進
*子供野外美術 展
五六年 *子供見流館
ロボ ッ ト カ ー ニ
動 く恐竜 展
*たけ ふ刃物 ま つり
五七年 *子供見流館
五八年 *子供見流館
バル
五九 年 * タ イ ム ト ンネ ル
六 〇 年 * シネ ラ マ2 0 0 0
*世界 の菊 展示
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*市民 の菊 展示
日
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0 3 大 ー m 軍
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日
三年 *全 日本菊花大会
H、元 年 * チビ ッ コ遊 園 地
六三年 *忍者魔界屋敷
六 二年 * ワ ンダ ー ハウ ス
*広域産業館
六 一年 *東映 "
映画村
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* ミ ス テ リ ー ハウ ス
面登
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大人 :130 円 子 供 :60円 前売 券 :100円
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大人 :130円 子供 :60 円 前売 券 :100円
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大人 :120円 子 供 :60円 前売 券 ;100円
数 金 昭 間 数 金 昭 間 数 金 昭 間 数 金
者 料 ( 期 者 料 ( 期 者 ・料 ( 期 者 料
場 場 国 催 場 場 回 催 場 ︲場 回 催 場 場
大 人 :130円 子供 :60円 前売 券 :100円
古0年代 は、 NHKの協力もあ って
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間
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開
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10月 5日
当 時 は乗用 車もめずらしかっ た 昭 和38年
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大劇場新築
間 数 金
期 者 料
催 場 場
開 入 入
明
第 1 0 回 (昭和36年)
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大 人 :120円 子 供 :60円 前 売券 :100 円
小林麻美 撮影会とサイン会
第 9 回 (昭和35年)
明
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大 人 :120円 子供 :60円 前売 券 :100円
大人 :150円 子 供 :70円 前売券 :120 円
165 ,175人
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第 4 回 (昭和30年)
前売 券 :80円
子供 :50 円
一-
第 5 回 (昭和31年)
1 U斗15日
間 数 金 昭 間 数 金 昭 間 数 金 昭 間 数 金 (
期 者 料 ( 期 者 料 ( 期 者 料 ( 期 者 料 回
催 場 場 回 催 場 場 回 催 場 場 回 催 場 場 o
開 入 入 7 開 入 入 8 開 入 入 9 開 入 入 ー
136 ,85 1人
子供 :50円
前売券 :80円
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‐供 :60 円 前売 券 :100円
大 人 :130円 丁
10月 10日
11月 23日
10月 5目
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間 数 金 昭
期 者 料 (
催 場 場 回
開 入 入 2
第 2 回 (昭和28年)
第 7 回 (昭和33年)
第 1 回 (昭和27年)
第 6 回 (昭和32年)
第 3 回 (昭和29年)
第 8 回 (昭和34年)
; 帆 回 第5 回
穣
第 6 回 第乍0回
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案内嬢は
お客 の中 の
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九月 一五目、市体育館 で、
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昭
間 数
期 者
催 場
開 入
大 人 :260円 子供 :130円 前売 券 :220円
寒さに負けず 一番乗り
(
昭和 二九年)
菊 人形第 ニ回、 三回と 一番乗 り
した人 は、丹生郡宮崎村 の近藤幸
雄さ ん (
当時 二四歳)。
着 いた のが 六時。開場時間 の九時
朝 五時 に起き、自転車 で会場 に
ま で門 前 でが んば って い ま し た が 、
苦 労 す る嬢 (
ジ ヨー ?←
(
昭和 三〇年)
毎 年 楽 し み に し て いま し た 。 今 は
歴史 の先生 か
霊
岬-
汗か いたり、説
-
明をするために長 い
鰐
こちら では近く に枚方菊人形が開
列 にな った り 、 そ れ を 〆
形見物客 で平日 の ニ倍近く の乗降
ス トと 島 倉 千 代 子 シ ョーが 開
1L月 15日
10月 10日
肌 に食 い込む ような秋 の寒気 に閉
、
当時 の見流館 には、各場
面を説明す る案内嬢
口し た そ う で す 。 近 藤 さ ん は 、 今
大阪 に住 んでいますが、当時 の感
が いま し た が 、 な か "
想などを聞き ました。
「
あ のころは地方 に大きな催事が
な か苦労をし て はJ
ノ︲
いたよう です。 楡 咀 二丈
家内 (
貞 子さ ん) が孫 を連れ て毎
ら は いる い る
な か った こ と も あ って、 菊 人 形 は
年 行 って いま す 。 孫 の写 って いる
た り し て冷 や
な質問をされ
催 さ れ て いま す の で、 時 々行 って、
避 け る た め に説 明 を し な い
「でも 、 説 明 し て いる 間 、
客 があ り、列車 に乗れな か った客
かれ、約 五千人 の観客 でにぎ
明
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料 回 期 者 料
催 場 場
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催 場 場 9
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見流館新築
-
会 場 を み る と 、 昔 と は ず い ぶ ん変
終河 -
わ って いる の でび っく り し ま し た。
武生 の菊 人形 を懐 かしんで います。
生 ⋮
アドバルーンに捜索願い
とお客 から怒 られたりと た い
武生市役所屋上 に掲げ られ て い
た、 「
たけ ふ菊 人 形 」 宣 伝 の アド
ウ ンウ ンと う な ず い て聞 い て
が ホー ムで乗客大会を開き、代表
わ いました。県内在住 の 一八
8
4 月
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間 数 金 (
期 者 料 回
催 場 場 8
開 入 入 2
第
第 1 9 回 (昭和45年)
(
昭和 三〇年)
バ ル ー ン ソが お り か ら の 突 風 で
いる お客 さ ん を 見 て いる と 、
者が武生駅長 に抗議 を しました。
歳 以 上 の未 婚 女 性 の参 加 を
第 1 3 回 (昭和39年)
第 1 8 回 (昭和44年)
へんな 苦 労 が あ った よ う です 。
ロープ が切 れ 、南 の方 へ飛 ん で
や り が い のあ る仕 事 だ な ぁと
初代ミス菊人形
三名決まる
案内嬢 の弁。
思 いま し た 。」 と は 、 当 時 の
い って し ま い ま し た。
市 では直 ち に武生署 へ捜索 願 い
を 出 し た そ う です 。 ち な み に アド
バ ルー ンの損害額 は当時 のお金 で
三万 円 だ った そ う です 。
見物客
国鉄駅長に抗議
同 駅 で は 、 こ の混 雑 を 予 想 し て
募 った と こ ろ、 百 六 人 の応 募
(
昭和五二年)
増発 を金鉄局 に要請 したと返答、
が あ り 、 う ち 六 七 人 の お嬢
(
昭和三三年)
一一月 三日 の国鉄武生駅 は菊 人
し か し 、 納 得 でき な い乗 客 か ら は
べ
さ ん た ち が コ ンテ ス ト 増、 た
に参 加 し ま し た 。
非難 ごうごう。
結局、 一時間半後 の列車 に乗 る
こと にな り ま し た が 、 ど の列 車 も
その結果、武生 添
﹃川手□
き
1 U可10日
10月 5日
間 数 金 (
期 者 料 回
催 場 場 7
開 入 入 2
1L月 10日
10月 5月
大 人 :330 円 子 供 :165円 前売 券 :300円
大 人 :700円 子供 :350円 前売券 :600円
大人 :1,000円 子供 :500円前売券 :800円
市 からは森本さ
子供 :100円 前 売券 :170円
大 人 :330円 子供 :165円 前 売券 :300円
大 人 :600円 子供 :300円 前売券 :500円
大 人 :900 円 子供 :450円 前売 券 :800 円
鈴 なり の乗客 で、窓 から入り込 ん
事
種 ‘b
大 人 :180円 子供 :90円 前 売券 :150円
大人 :280円 子供 :14 0円 前 売券 :250円
大人 :500円 子供 :250円 前売券 :430円
大 人 :800 円 子 供 :400円 前売 券 :700円
だ り 、 デ ッキ に ぶ ら 下 が るな ど 戦
ヱ□
こ や
さ ん垈 ち人が
初代 ミ ス菊 人
に
ぼ、
形に選ばれま森
等 き﹀
た。
、
当時 の賞 は、賞
努
金 五 万 円 ト ロフ ィー 準 一
のほかに五十 万円相当 の蒙 ,
大 人 :180円 子供 :90円 前 売券 :150 円
大 人 :28 0円 子供 :140円 前売 券 :250円
大 人 :400円 子供 :200円 前売券 :360円
大 人 :800円 子 供 :400円 前 売券 :700円
時中 のような風景が見られたそう
です 。
菊人形ノイローゼ ?
(
昭和 三五年)
いくら菊人形が好評を博し て い
る と い っても 、 気 に な る の は お 天
気。
菫な品物 が贈 られました。
大 人 :150 円 子供 :70円 前 売券 :120円
大 人 :260円 子供 :130円 前売券 :220円
大 人 :380 円 子供 :190円 前売券 :3 50円
大 人 :700円 子供 :350円 前売 券 :600円
第 2 0 回 (昭和46年)
第 3 0 回 (昭和56年)
当時 の森市長も天気 のことが気
市制 15周年記念
第 1 7 回 (昭和43年)
市制25周年記念
市制30周年記念
第 2 7 回 (昭和53年)
第 2 4 回 (昭和501年)
第 2 9 回 (昭和55年)
にな って、菊人形開催中 は必ず夜
中 に 二度も目を覚 ます よう にな っ
て し ま った そ う です 。
目を覚 ますと同時 に耳をそば だ
て 戸 外 の よ う す を う かが い、 雨 だ
れ の音 が し て いな いと ま た布 団 に
も ぐ り 込 ん で 眠 り に ついた そ う で
す。
第 1 1 回 (昭和37年)
第 1 6 回 (昭和42年)
第 2 1 回 (昭和47年)
第 2 6 回 (昭和52年)
第鮒国 第伍回
第乍6回 第20回
第2乍回 第25回
第26回 第30回
よもやま話
⑯
⑩
主不明 の遺失物が 五十点余
円
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3 1 年 軒 %
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開 入 入
催 場 場
間 数 金
期 者 料
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人 虹
日 瑯 じ
11月 10日
⑧珀
一
兀 自
第 3 5 回 (昭和61年)
第
て いま す 。
の物など いろ いろな料 理に使 われ
タ ン、 菊 シ ュー マイ 、 菊 そ ば 、 酢
進 ん で いま す 。 菊 ご は ん 、 菊 グ ラ
でも お いし い菊 の食 べ方 の研究 が
併 せて、市内 のグ ループや飲食店
食 用菊 の生産も取 り組 んでいます。
市内 の農家 では、切 り花 に加え
れ て いま す 。
お いしく て健康食品とし て見直さ
花 です が 、 〃見 る だ け で は な く "
和 むも の。菊 は清楚 で気品 のあ る
美 し い花 を見れば、だれもが心
アッと驚く菊の効用
第
開催期間 10月 5日 11月 10日
菊 の花 と いう と こ ろ です 。
つま り は、 見 て ま し食 べ て よ し
いま す 。
枕」 は、安 眠を促すとも いわれ て
菊 を乾燥さ せて枕 に詰 めた 「
菊
モ ヤ ケ にも 効 く と いわ れ て いま す 。
マ ッサ ー ジ す る と 、 ア カギ レや シ
他 にも、菊 の葉 を絞 って皮膚 を
も よ い の で はと いわ れ て いま す 。
効果があ り、最近 は老人性痴 呆 に
圧、狭 心症 、脳動脈硬化症 の予防
い ます 。 毎 月食 べ る こと で、 高 血
自律神経 を安定 さ せると いわれ て
て る と い った症 状 に効 果 が あ り 、
頭 痛 、 め ま い、 口が 苦 い、 頭 が ほ
ら漢方薬 として利用され ています。
食用菊 は解熱作用があ り古く か
食用菊のヘルシーパワー
健康食品
第
入 3 開 入 入 3 開 入 入 4 開
9
回 期
転 人 2 月 ろ 人 3
0 2 大 成
成 1
1
平
平
( 間 数 金 ( 問
者 料 回 期
催 場 場 o 催
3
6
2
4鰈
獨矧 班 9
9
鯆
日
開 入 入 3 開 入 入 3 開 入 入
健脚
日
人
5
間 数
期 者
催 場
開 入
菊人形は生き物
人形師 は鮮度を保 つため、根付
き のま ま 、 一目 一回 は 水 苔 で巻 い
た根 元 に水 やりをす る のです。会
期 中 、 綱 口の じ ょう ろ で水 差 し を
す る光 景が しば しば見られます。
こう す る こ と で菊 の寿 命 を 七 日 か
ら十 日 も た せ る こ と が でき ます 。
菊人形 一体当たりの
から人形菊だけ でおよそ 三万株 い
期中 四回から 五回着 せかえます。
したが って期間中 一体当 たり約七
百株、菊人形 は約 四十体ありまず
の小菊が 必要 です。菊 の衣裳 は会
体 に つき約 百 二十株 から百 五十株
人形 はほぼ等身大 です から、 一
株数は
第 3 4 回 (昭和60年)
五六豪雪
(
昭和 五六年)
大劇場倒壊
一月 一六日午後 一時半 どろ、市
文 化 セ ンタ ー中 ホ ー ル (
菊 人 形大
劇場) が屋根 に積も った当 の重 み
で倒 壊 し ま し た ‘
に崩れ去 った大劇場。 かまぼ こ型
垢︹
の屋根 が完全 に抜け落 ち内部 から
り。 ハンカ チ、 帽 子 、 セ ー タ
、 バ ッグ 、 財 布 、 水 筒 な
ド ー ン」 と いう大 音 響 と と も
「
は空が見え、残 った のは四方 の壁
-- ,
.
ど は序 の 口、 ベ ビ ー 力
ーや ミ ル ク の 入 っ
環 ︲ 一
,“ U
▲
3
“
だ け と な り ま し た。
し か し 、 十 月 の菊 人 形 オ ープ ン
、
た哺乳
瓶 靴 の
う 博
片方 など。ど
ま で に は内 装 な ど も 充 実 し て、 無
事 お 客 さ ま を 迎 え る こと が でき ま
み
⋮
.︲
累
-
し て こ んな も
の忘 れ る の で
し ょう か ね 。
日
0
月
日
野露 ) コ
描くよう に色彩豊 かに着飾 ってゆ
0 2 大
成 1
1
平
︲
金 ( 間 数 金
料 回 期 者 料
場 8 催 場 場
も 一日 一体 でき れ ば 上 々。
小菊 には、早咲き、 おそ咲き の
く菊師。人形 一体 に使 われ る小菊
大人 :]-'200円 子供 :600円前売券 :900円
大人 :1,300円 子供 :650円前売券 :1,000円
1U司1O FI
10月 5 R
る勘定 です。
入場者数 123 ,859人
入場料金 大人 :1,200円 子供 :600円前売券 :1,000円
入場料金 大人 :1,300円 子供 :650円前売券 :1,100円
大人 :1,000円 子供 :500円前売券 :800円
大人 :1,200円 子供 :600円前売券 :1,000円
した 。
こぼれ話
ア ラカ ルト
(
昭和 五八年)
が 一人 で ジ ャ ン グ ル コ ー ス
間 数 金
期 者 料
催 場 場
開 入 入
は昨 年 か ら 菊 づ く り に か か り っき
いよ い よ開 催 日 が 近 づ く と 菊 づ
二種類があ ります。栽培 は、 日照
は約 百 五十株 。
けが進 められます。 まるで錦絵 を
時間を短縮さ せたり、人 工的 に照
そ れ ぞ れ 舞 台 に立 った と き 、 そ の
精 彩を放 った姿 は、思わず息 を の
む ほど 。
,
11
鶴田
軸サ
l.
恥1
大人 :1,200円 子供 :60 0円前売券 :9 00円
大人 :1,300円 子供 :650円前売券 :1,100円
大人 :1,000円 子供 :500円前売券 :800円
大人 :1,200円 子供 :600円前売券 :1,000円
首が付 けられ、完成 した人形が、
仕上げ﹀
へ
へ
栽培﹀
ま せ ん。
へ
菊付 け﹀
力 。 こ の道 二〇 年 の ベ テ ラ ンさ え
形 づ く って いく の は た い へん な 労
肩 の線 、 着 物 の え り 元 、 そ で 口と
衣裳 の下地とな る胴殼が付けられ
ます。用意され た巻わら で人形 の
人形 の骨格 は菊師 の手 に移り、
へ
胴殻 を つくる﹀
菊 師
第 3 1 回 (昭和57年)
明を使 い、 明る い時間を長び かせ
たりす る方法 で開花時期を調整 し
ます 。
人形師
へ
骨格を つくる﹀
下絵をもと に人形づくりが始 ま
り ま す 。 三 ・三 セ ン チ角 の木 で骨
格 を形ど ります。 ただ の木も人形
師 の手 にかかれば、血 のかよ った
人 間 の よ う に生 ま れ 変 わ ってき ま
す。
︿首 を つくる﹀
骨格 を つくる 一方、人形師 の磨
き の か か った 腕 は首 を 手 が け ま す 。
男女 の別、年齢差 はも ちろん、人
形 の性質や感情 を表現す る、 いわ
ば魂 を入れ る繊細 な作業 です。
第 3 3 回 (昭和59年)
(平成元年)
11月 10日
開催期間 10月 5月
第 3 2 回 (昭和58年)
市制40周年記念
第 3 7 回 (昭和63年)
腰 の曲 が った お ば あ ち ゃん
月 曜 ・祝 曰 に は 一日 平 均 二十 人
「
あ あ 、 お も し ろ か った “お
ていた係員が感想 を聞 いたら
かげ で腰が伸び たよL と 。 つ
タ ー に。 下 で ハラ ハラ し て見
ぐ ら い。 三歳以上から小学生低学
年 の子供が中 心。泣き じ ゃく る純
ほ か 「お 母 さ ん を 呼 び 出 し て く だ
い で に年 を 聞 いた ら 「レデ ィ
それでは、 菊人形ができるまで
の流れをご紹介しましょう。
‘
情型 や、黙秘を決 め込む反抗型 の
さ い」 と 、 親 を 捜 す チ ャ ッカ リ型
まさに、 裏方さんをちの苦労が、
菊の花を咲かせるといえます。
第3↑回 第35回
寮36回 第40回
りです。 一年中息 を つく暇もあ り
今年 の菊 人形 のた めに、園芸師
園芸師
ー に失 礼 で し ょう 」。
菊人形ができるまで
第 3 6 回 (昭和62年)
よもやま 話
曾
もn
菊人形は、 裏方さんをちの力が
一つになって完成するものです。
③
@
菊人形誕生秘話
蓬叢
- -\
-
嚢禦き
墜
げ
は他県 にはな い七本立 ての技術が
受 け 継 が れ て お り ま し た。
戦前 は、確 か市内 に菊づくり の
好 き な 人 た ち で つく ら れ た グ ル ー
プ が 四 つ ほど あ った と 思 いま す 。
それが、戦争が激 しくなり菊づく
き
ご
5
三
千正
豊 酸
町年
た こと な ど が 載 って いま す 。 し か
し、毎 日精根 込めた武生 の人形菊
は、水谷氏 の苦労が実 り 三、 四年
後 には枚方市 に負けな い菊と の評
価 も で てき ま し た。
後 ロ談 ですが、水谷氏も菊 づく
り ど こ ろ で は な く な り 、 戦 後 は演
芸倶 楽 部 と秋 好 会 の 二 つだ け に
り は自 信 も あ った よ う です が 、 趣
菊 の 手 配 は な んと か つ い た も の
な って いま し た 。 二 つ のグ ル ープ
味 で や ってき た そ れ ま でと は違 い、
の、 会 場 の 用 地 が 難 航 し ま し た 。
は、秋ともなると市内 の大寺院 な
人形菊 を作 る のも初 めてです から
水田を
三か月で菊人形会場に
障 で はど こ のま ち も 手 を 出 し て い
どを会場 に菊 花展を開き、互 いの
やたらと茎ば かり大き くな るなど
突貫 工事、開幕 の朝 まで
ま せ ん で し た し 、 人 口五 万 を 切 る
技 を 競 って いま し た 。
財 政 的 にも 厳 し か った武 生 市 に
買 収 は し た も の の辺 り 一面 は水 田、
と って は 、 大 変 な 冒 険 で し た 。
尾崎市長 は、 二つの団体が協力
苦 労 し た よ う です 。
市 職 員 OB で菊 人 形 に 携 わ った
人 に、創 設 当 時 の苦 労 話 な ど に つい
て伺 い ま し た 。
十万人が成功の鍵
映 画館 で菊人形 の成否を リサー チ
菊 人 形 のき っか け は、 細 か な と
ころでは諸説があ りますが、当時
開幕 の十月十 ロま で後 三か月 に差
し迫 って い た と 思 いま す 。 突 貫 工
先進地 の明石市 へ研修 に出 かけ、
事 で埋 め立 てるなど の会場整備 を
し合 わなければ菊 人形 は成功 でき
人形菊 の苗 をもら ってき て育 てた
「
枚方菊人形」が大成功を収 め
よう です。新聞 に掲載され た記事
行 い、 開 幕 の朝 ま で か か った と 思
の市議会副議長蔭 山真 氏が、尾崎
結 を呼び掛け、 二六年 に 「
武生菊
を読 むと、 シ ンのつみ方 や採光法
な いと判断、蔭 山議員らと共 に団
形製作 を請け負 って いた大西 工芸
花 同好会」 が発足 しました。
ており、 この菊人形 の舞台 や菊人
か と も ち かけ た こと の よ う です 。
社大 西助太郎氏 に相談を持ち かけ
い ます 。
稲穂市長 に菊人形 をや ってみな い
尾崎市長 は、戦後 も暗 い事件が
などを明石市 の菊研究家 に教 わ っ
初めてづくしで
懸崖 や大菊厚物管物、盆栽菊 な
ま し た 。 こ のと き 、 大 西 氏 は 「
十
ど菊 人形会場を彩 るすば らし い菊
起き るなど暗 い市政 の中 で、な ん
大 西さ んが来武 し、市場調査を
に つ い て は、 同 好 会 が でき た こ と
人形菊づくり
し た わ け で す 。 大 西 さ ん は、 ま ず
で 一段落 でしたが、もう 一つ大き
万人を集 められれば成功す るだ ろ
菊 人形 は、東京 ・名古 屋 ・京都
市内 に数軒あ った映画館 に入り、
な問題 は、菊 人形 に使う小菊 (
人
と か 明 る いま ち を つく り た いと い
・大 阪 と い った 大 都 市 圏 内 で は 、
客 の動向 を調 べました。人 uが少
形菊) の技術もなく、作 る畑も人
う 」 と 返 答 し た と いう こと です 。
戦 後 の暗 いイ メ ー ジ の中 で 明 る い
な いま ち に し て は 、 映 画 館 が にぎ
う願 いから菊人形開催 を決断 した
話 題 と し てブ ー ム にな り つ つあ っ
わ って お り 、 市 民 が 演 芸 好 き な こ
も いな いと いう こと で し た 。
のだ と 思 いま す 。
た よ う で、 時 の新 聞 な ど でも 読 ん
とを感 じ て、菊人形 は成功す るだ
時間もな いなか、菊 人形 の会場
菊がなければ 話 にならな いわけ で
一方、菊人形事業本体 にはまず
(
故人) を初代菊師と して採用し
役員とし て活躍 し ていた水谷清氏
あ り定評 のあ った、菊花 同好会 の
にな る東側 に約千 =百坪 の菊畑 を
つくり、菊づくり にかけ て経験も
すが、武生 には昔 から菊づ くり の
ま し た。
当 時 武 生 に は、 菊 づ く り の 好 き な 人 た ち で つく る グ
菊 づ く り を 始 め た の は 、 昭 和 八年 。
ル ープ が 四 つも あ り 、 腕 を 競 って いま し た 。 織 田 信 長 が 、
裏 話 に な り ま す が 、 セ ス ナ機 に
市職員が乗り込 んで宣伝ビ ラを撒
了 供 た ち に喜 ん でも ら お う と 、
さ月
2
鋼
予
明
治
︲鯖
口
山畑
鎌
自 分 の癖 が 花 に現 れ ま す 。 も う これ で良 いと いう こ と は
菊づく りは、基本 を習 ったら後 は自 己流。書道と同じ、
りま し たo
自身も戦争 に出兵す るなど して 一時 つくれな いときもあ
戦 時 中 は、 菊 づ く り はぜ いた く と し て “国 賊 " の よ う
に見 ら れ た し 、 “
花 " よ り も “いも " の時 代 で し た 。自 分
に奨 め ら れ 、 苗 を も ら って始 め ま し た。
わたしは、演芸倶楽部 の三好吉兵衛 氏 (
沢町 ・故人)
受け継がれ て いた のです。
ほ ど 、 武 生 に は菊 づ く り の伝 統 が あ り・ 脈 “と そ の技 が
竜門寺 に陣 をとり菊花宴 を開 いたと いう言 い伝えがあ る
武生) にや って来 たとき、
一向 一揆を討伐す るため府中 (
生
き 、 ひど く 酔 った こ と も あ り ま し
作 って売 った り も し ま し た が 、 な
にせ素人、評判が悪 か ったですね。
マ ント ヒ ヒを 枚 方 か ら連 れ て来 る
ん鯛
た 。 テ ント 張 り で職 員 が ソ バ を
り、幻灯機 で菊 人形を披露 したり
伝 統 が あ り ま し た 。 特 に、 武 生 に
菊愛好家をちの団結
ろ う と の確 信 を し た よ う です 。
だ よ う な気 が し ます 。 し か し、 北
ん 生
ー
さ一 日
門
ヱ 月
右 3
宇 年
5
4
田町治
前北明
菊人形パンフレット
大阪まで広告探し
東京、
事業本体 と並行 し、宣伝 のため
の パ ン フ レ ット や ポ スタ ー と い っ
た媒体物も初 めての経験 で、手探
り でし た 。
尾崎市長自 ら、東京 ・大阪 の大
ともあれ、な んと か菊 人形開幕
計画を立 てましたが、残念 にも輸
いろ いろ や り ま し た 。
にこぎ つけたわけ ですが、会場 は
送 の途中 で逃げ られ、射殺と いう
会
菊づく りは手が かかり・家族 に迷惑 を かけ る こと にな
なく・ 一生が勉強 ですo
りますo家 族 の和が大切 で・協力 ・ても らえ なければ 長
菊づく り の作業 があ り、家族が千伝 ってくれれぱ こそと
た し に と って何 よ り の幸 せ です ね 。
の多 く の仲 間 た ち と 出 会 いが あ り 、 和 が でき た こと が わ
後継者 の心配 はありません。
菊作 り五人年 、 いろ いろな所 へ研究 に出 かけ、 日本中
の は 、 会 員 同 士 の和 です 。 八〇 歳 代 の会 員 も 多 く お り 、
武生菊花同好会 は、 人七人。会長とし て 一番気を使 う
いろ ん な 苦 労 が あ り ま し た 。 正 直 、
と の声 が 上 が った こ と も あ り ま し
感 謝 し て いま す 。
人形が続 いたわけ ですが、人形菊
四十年 と いう半世紀近くも、菊
が う ま く でき ず に、 ほ か の菊 人 形
続 き し ま せ ん。 二 五 〇 鉢 余 り作 って いま す が 、 年 中 毎 □
三千坪と今 から考 えれば相当狭 い
武
聯
聯
飾
こと も あ り ま し た ね 。
手企業を 回り、広告 を募 りました。
-
赤字 で真剣 にもう止 め てしまおう
た。
新鮮なものを
撻拱することが 、
これからの鍵
い つ の時 代 も 、 こう いう イ ベ ン
@
@
‐ ]- 副
きざそげ
二
一
へ菊 を 買 い に行 った り 、 と に か く
も のでした。児童遊園地も今 から
ん 生
ト は難 し い面 が 多 々あ り ま す が 、
さ一 日
大切な こと は いかに毎年新鮮なも
れ る か が 、 鍵 に な る と 思 いま す ね 。
代 の先端 を いく若者 を ひき つけら
のを お客 さ ん に提 供 でき る か 、 時
一目 6
丁年
府正
近北大
藤 三脇
!
さ
宣伝先 でたけ ふは やしを踊 った
を 一生 懸 命 む し った も の です 。
備され る前 は、真夏 に生 い茂 る草
会場が今 のよう に公園と して整
脱
比 べれば お粗木 ですが、遊 具施設
に飢 え て いた 子供 た ち に は 好 評
だ った よ う です 。
目標達成 十万人
十 一月十 五ロに、第 一回菊 人形
は十 万 三千七百人と成功と言え る
が閉幕 を迎えましたが、 入場者数
数 字 でし た。
こんな調子 で、菊 人形 の歴史が
始 ま った わ け です が 、 こ の後 も な
にか と 苦 労 はあ り ま し た。
乱雑
信 脇
日"
ー
盤 一一
一 .--二
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昭和 八年十月、福井 県 で行 われ
◆
た特別大演習 の際、 天覧並び に大
本営 に陳列す る光栄 の菊花 が、武
生町内 の菊花愛好者 の中 からも選
ば れ る こと にな り ま し た。
期を競う
技を競う
福井、鯖江 の菊花愛好者 と共 に
り ま し た 。 会 員 は も と よ り 一般 の
及 し 、 家 庭 の娯 楽 と す る こ と にあ
列 でき な いた め、 第 八 回 か ら 会 場
場 の正願寺が狭 くな って菊花が陳
よう になり、武生秋杏会 では、会
を 專 林 寺 に移 す ま で にな り ま し た 。
人 たち でも菊苗が必要 であれば分
譲 し てもらえましたが、各会員が
大 正 一三年 には、中心会員 一六
から新種 の菊苗 を購 入したり、菊
展示す るために、秋 田、東京方 面
武生菊友会も優秀 な作品 を毎年
名 の寄付 で秋香会 の会旗も作 られ、
の本場 であ る京 阪神方面 へ視察 に
丹精 した秘蔵 の菊 は別 でした。
会員も 五〇名を教え るま でになり
出 かけ たりして栽培技術 の向上を
大覧菊 の栄 に浴 した武生 の菊花栽
培 の秀れ た技術 と数多く の愛好者
ま し た。
天覧菊 の栄 を担 ったのは、武生
たち の存在 は、後 に “
たけ ふ菊 人
形"を生 み出 し、 それを支え る大
き な原動力とな りました。
園芸倶楽部 の大 町善瑞氏、国体
壁会
秋香会 の奥村武氏、花畑治作氏、
の加藤勝康氏 の四氏 で、品種 はそ
.
マ.
らにうてべ
ム
は か って いま す 。 こ のこ ろ 、 名 古
大 正六年、善光寺 通 り に面した
なん為さ蔀
武生秋香会 の結成 から七年後、
れぞれ 「色 襲 」 「
重 陽 殿」 「
東海
傘星さ んが、庭先 を美 し い大菊 や
よまれ
れ、正覚寺 を会場 に普 通花 百 三人
鉢、懸崖 二〇鉢 を展示。 しかし初
作 ら れ 、 ふ く いく と し た 香 気 を
屋 の萬松寺 では、有名な菊 人形が
の 誉 」「
神秘 の舞」など、丹精 こ
小菊 で飾 り、訪 れ る人 たちを喜ば
名誉会員 ・普通会員 百0余名 によ
る 「
武生菊友 会」が新 しく結成さ
め た素 晴 ら し い大 作 で し た 。
めご ろから本格的 に菊づ くりを始
め て の開催 のた め、 競 技 花 が な
六県 の副業共進会が開催 されまし
た。武生駅頭 には大 アーチ、公会
武生公会堂 や止党寺、本興寺 で 一
この天覧菊 は、 一一月 の初 めに
大 正 一二年 の会則 によれば、そ の
年 に結成され た [
武生秋香会」 で
武生 の最初 の同好会 は、大正 八
列会を正願寺 で開催 し、普通花 一
一方 、秋 香会 は第 七回の菊花陳
せ た よ う に 、 武 生 で は 、 大 正 の初
陽富合覧菊 など計十数鉢が選ば れ
めた人 たちが、個人 の趣味だけ に
か った ので審査 は行 われませんで
堂 を 飾 った イ ル ミネ ー シ ョ ンは 、
ま し た が 、 一〇 月 二〇 日 ま で に大
満 足 できず、同好 の十を集 めて、
し た が 、 ⋮般観覧者 の投票 によ っ
不夜城 を現出 したと いわれます。
こ の他 にも 斉 藤 幾 太 郎 氏 の賞
本営 及び福井松 平侯別邸 に搬 入と
互 いに研さ んし、作品を観賞 しあ
て賞 状が授与 され、当分 の間 はこ
斉 に開催 された武生秋香会 の第 一
目的 は、養菊 の知識を研究す るた
〇 百。懸崖 一四、切花 二 一鉢、競
技花 一九、大作 三鉢 は いずれも見
昭和 四年 一一月、武生 町 で 一府
放 って人 々 の目 を 奪 って いま し た 。
いう条件 のため、早咲菊栽培 の技
う よ う にな り ま し た 。
五回記念菊花陳列会 々場、園芸倶
めに毎年会員が栽培 した菊花を 一
事 で、それぞ れ に審査され、名誉
側 が 問 わ れ た と いう こと で す 。
楽部、新興国菫会 の各菊花 展 にも
定 の場所 に陳列 し て品評 し、同時
総裁松 平侯爵 の巡覧 も行 われまし
この共瀧本ぶの会場 では、南条郡農
陳 列され、武生 町空前 の壮観 とな
に 一般 の人 々にも愛菊 の趣味を普
⋮周辺町村 の愛好会 と の交流も盛 ん
" に行 い、大 正 一四年 には、武生 か
⋮ら鯖江菊友会 へ入会 した者 七名、
⋮鯖江 から武生秋香会 への入会者 六
⋮名、そ の内 一名 は武生秋香会 の幹
⋮事 に推薦 し て います。毎年秋 にな
⋮ると、武生 ・鯖江を中 心 に丹南 地
︲方 で豪華 な菊花 展が連 日開 かれ る
睡 職緋
一
群嶺漱ぎ
の投票方式が継続されました。
り 町 民 の 目 を 楽 し ま せ ま し た。
技術集団創生記
増な さ.
菊づくりは
武生菊花
同好会の誕生
美 しすぎ る人形たちよ
何 百の菊 の生命を身 にまとい
- 俵 万智 ー
こ の頃 か ら 盆 栽 造 り が 流 行 し は
小菊
武生 の菊花展 には、大菊、小
菊
に東洋 の人 々は永遠 の生命 を観 た
ふ く いく と し た 芳 香 、 姿 の美 し さ
いる と 考 え ら れ てき ま し た 。 菊 の
花 には長寿を保 つ霊力が備 わ って
つと いう 菊 の被 綿 な ど 、 昔 か ら 菊
朝 そ の綿 で身体 を拭うと長寿 を保
"
旧
、
⋮
“
“
よ
“
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︲"︲
“
"
ト
アミ
ふれ
“
︲
ゞ◆ 蔽 ってそ の露 や 香 を 移 し と り 翌
‘
、
◆
︲
◆
◆
.
'
鞠 〆 重陽の節句の前夜・菊の花に綿を
う菊花 の盃、菊 の露 を飲 んで不老
不死 にな ったと いわれ る菊 慈章 、
まさ にそ のよう な 人 た ち の力 に
な た の心が美 し い」 (
相 田み つを)
「
美 し いも の を 美 し いと 思 え る あ
を 与 え た の で し ょう 。
後 の荒廃 した人 々の心 に美 し い夢
生 の菊作 り の伝統 を生かし て、戦
七年 に “
昭和 -武生菊 人形"を
創設 した尾崎市長も、 こうした武
ら菊作 り に生命を かけ てき た人た
蕊産も
長寿の秘訣
千代ま でめず る菊 の盃
行 く末 の秋 を重ね て九重 に
- 千載集 ー
周年記念菊花 展 には、 六〇余鉢 の
懸崖、盆栽造 りなど多彩 な作品が
よ って武生菊 人形が生 まれ、支 え
\ 事\
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︲◆ た 武生秋香会 は、鯖江菊友会や
薹
会主催 の福井県菊花陳列会が開 か
れ、武生町公会堂 で 一二九名 に及
ぶ入賞者 の表彰式が行 われ ました。
武生秋 番会、武生菊友会恒例 の菊
総コ
花競技会も 正覚寺等 で華 々しく開
かれましたが、共進会 で優等、 一
盆栽づ くりが出品されました。 し
陳列され、特 に火菊 の七輪立 は武
のでし ょうが、実際 に菊花 を栽培
ら れ てき た の です 。
趣味 を超え、伝統を生 かしなが
かし昭和 八年 の菊花 展 には、武生
生 の伝 統 で名 物 と な って いま す 。
し た 。 菊 作 り は上 作 り と いわ れ る
す ること は長寿 の秘訣 でもあ りま
えた武生秋 香会菊花陳列会と園芸
菊 の花 を盃 に浮 かべ て長寿を祝
菊友会 の名が見えません。園芸倶
年改
武 生 秋 香 会 の会 則 (
昭和 四年
よう に前年 に木 の葉 を集 めて腐葉
老練 を誇 る武生秋番会 は正願寺
で、技術卓抜 を自任す る武生菊友
楽部 など に発展的 に吸収合併さ れ
注) には、菊花陳列会 の規定 が定
生 で四 つの菊花愛好会が柵を競 う
こと にな り ま し た。
年 の菊花 展 は中止と決 めました。
「
海
海
れ ま し た が 、 こ の時 の競 技 花 「
町内外 の菊花愛好者 を対象 に行わ
主催 の第 一回菊花観賞会が、武生
昭和 一〇年 に、北陸 タイ ムス社
肥 の作業 は、す べて自然 を相手 の︲
菊 作 り を し た者 だ け に わ か る楽 し
み で、早 起 き 、水 遣 り 、破 く ば り 、施
秋 の開花 を想 いなが ら の作業 は、
養上 を作 ります。春 四、 五月 の菊
の孫芽、小鉢 をげ、大鉢柄 込 み等、
寿 を迎えた会員 は名誉会員とす る
武生菊 人形 の開催 に協力 し、米
同好会が誕生 しました。
任 し ま し た,
たち の力が 一つ にな った わ け です 。
年来、互 いに技術 を競 ってき た人
菊 の花が研 を競 う よう に、 三〇
二つの同好会が合 同し て武生菊花
園芸倶楽部 は正覚寺 で例年通 り開
王星」 は、 尺 三寸鉢 七輪立 で美と
仕事 です。自分 の身体 が健康 でな
と会則 にうた った武生菊花 同好会
の初代会長 には、親 子 二代 の菊づ
六年 の秋、第 一四回を教
昭和 --
ち が 、 武 生 に は た く さ ん いま し た 。
会 は公会堂、新進気鋭 の武生 国華
た の で し ょう o
、
上、
められ、大輪花 は五輪仕立以上
倶楽部 の菊花 展が終 了した時点 で、
れ て会 場 を 引 き 立 て ま し た。
等 に入賞 した作品が同時 に展示さ
会 は本興寺、高尚 でな る園芸倶楽
昭和 一二年 に臼中戦争が勃発 し
土 を作 り、菊 の品種 にあ わ せて培
昭和 六年 になると武生国菫会、
部 は正覚寺 で菊花絵巻 を繰 り広げ
非 常 時 体 制 に 入 ると、 菊 花 展 も
切花 は花茎曲尺 一尺 八寸とす る
こ
るこ
園芸倶楽部が新 たに結成され、武
それぞれ の出品鉢数 は、 百数十鉢
華 々しく開けなくな り、武生秋香
と に な って いま し た。
催 し ま し たが 、 こう し た 中 で匡 革
会 が そ の活 動 を 中 止 し た よ う で、
の菊
菊
技 を 競 う も の で し た 。 武 生 での
の生命 の呼吸 にあわせた菊作 りは
ければ、自然と の対話、繊細 な菊
くりで知 られ る斉藤幾 一さ んが就
成所 に移 し て質素 に行 い、翌 一三
戦後 ま で活動 を継続 しえた のは、
ら五
五
花 展 では、同好会発足当時 から
でき ま せ ん。丹 精 込 め て こ そ 、美 し
武生名物
じ め、 昭和 入牢 の武生秋香会 一五
菊の七輪立
か ら 二百 余 鉢 と いう豪 華 さ で し た 。
会 は会場を奥村医院前 の看護 婦養
▲'
︲
武生秋香会と園芸倶楽部 の --つの
輪仕 立以上、七輪立があ たり前 に
な って いた の で す 。
有力な愛好会だけとな りました。
く 人 の 心 を う つ菊 が 花 開 く の です 。
@
@
越前 万歳
たけふ菊人形と菊 トピ アの萬歳
(
たけふ菊人形 四〇回と
菊 のまちづくりを記念し て)
(
太夫) サ、 これ よ り た け ふ菊 人
形 の め で た いと こ ろ を 、 越 前 萬
歳 で、 エ ッサ ラ サ ソと は や し こ
な - か 、 な ー か、 よ る し
ん で お い でな さ い
(
才歳)
ござ ん し ょ
多 く の人 に 「
た け ふ菊 人 形」 を 知 ら せた い。 そ の
た め に 不 可欠 な のが宣 伝 活 動 です 。
当 初 は 、宣 伝車 によ る広報 、 飛 行機 によ るビ ラ の
散 布 、 アド バ ルー ンを掲 げ たり し ていま し た が 、 時
代 と とも に宣 伝 方 法 も変 わ ってき ま し た。
現 在 は 、 主 に メ デ ィアを 利 用 し 、 テ レ ビ 、 ラ ジ オ
な ど によ る宣 伝 を 県 内外 で行 っていま す 。
当 時 の宣 伝 隊 も な か な か苦 労 し て いたよ う です が、
時 代 を 追 って、宣 伝 活 動 の様 子 に つい て紹 介 しま す 。
も っと 人を 、も っと 宣 伝 を
可愛 い手踊り で訪 問
““
ボンネットバスの
宣伝カーからメデイア時代 へ
栄え賑わ
(
大・
才) エ ンヤ ー
(
太夫) サ、 一三〇〇年 の昔 から
越 前 の同 、 国 府 と て
う武生 には 名所 や名物数あれ
ど 武生 と言えば菊 人形
鼻
燈
十月 二日、 三日、舞 踊 の 「
たけ ふ乙女会」 の可愛
(
昭和 二九年)
福井新聞社と の共催な る
(
才蔵) ア ッサ ー レ ヤ レ ヤ レ、 歴
史 の古 い武生 には 名所 や名物
いお嬢 さ ん た ち が 福 井 新 聞 社 の ニ ュー ス カ ー に乗 っ
福井市 では、
福
井
新 聞社前、駅前 など の目抜き 通
の曲 に合 わせ て可愛 い手踊 りで、
(
昭和 二九年)
ミス菊人形の歴史 I
さ さ 恵
ん ん さ
ぎ ん れ い」 に は ち ょ っと し た仕 掛 け が あ り 、
この 「
る仕 組 み で 、 行 く 先 々 で 人 々 に紹 介 し て いま し た 。
ん ん
さ さ
樹
江 ︲
堀 禰
人形 にしようと、事務局 では福井市 を はじめ各主要
カ メ に ま た が った 浦 島 太 郎 の菊 人 形 が 飾 ら れ 蛮 し た 。
そ の第 ⋮陣 と し て、福井市だ るま屋玄関わき に、
た。
都市 および駅 へ菊 人形を送 り こんで宣伝 に努 めまし
堀江 =」美 恵さん
田島
和 を
菊人形 オープ ン後 の十 月六月、菊 人形を大下 の菊
浦 島 太郎 が宣 伝 マンに?
菊 人形 の宣伝 を行 いました。
りで 「
菊づ くし
て各 地 を 訪 問 し ま し た 。
(
昭和 二九年)
し か し 、 当 時 は武 生 市 だ け で 主 催 し て いた た め、
回 十 二万 ︲J
T 七 百 四十 四 人 と 順 調 な 滑 り 出 し で し た 。
菊人形 入場者数 は、第 一回十 万 三千七百人、第 二
何 と い っても 、 菊 人
多 けれど
形じゃ
(
太夫) サ、武生 の名物菊 人形今
年数 え て四〇回 見 た人、来 た
会場 の事業だけ で精 い っぱ いの状態 でした。
入場者 を これ 以 上増 や す た め には、 宣 伝 活 動 を
人形を参考 にす ると、 いずれも地元新聞社が協力 し
人 一千万 今年 の目標、 百万人
(
才蔵) ア ッサ ー レ ヤ レヤ レ、 今
一千 万 と は 、 そ り ゃま た め で た
て いる ことを考 え、第 三回から福井新聞社と の共催
も っと充実す る必要があ る。また、当時 の仙南 の菊
い結 構 な こと じ ゃ、 ヤ レ ヤ レ萬
が 実 現 し ま し た。
年数 え て四〇 回 見 た入来 た人
歳じゃ
第 三国菊 人形を開く にあ た って、福井新聞社 は社
いま し た。
宣 伝 カ ー や アド バ ル ー ン
いま し た 。
ま た 、 九 月 一四 ロ に は、 市 役 所 屋 上 、 福 井 だ る ま
屋 、 繊 脇 ビ ル の屋 上 に アド バ ル ー ンを 掲 げ 、 菊 人 形
の P R に努 め ま し た。
パ レード は効果 満点
(
昭和 三三年)
,章
石川県下各地も巡 回し、市女了職員 による官伝 を行
伝 を始 め、武生を皮切 り に鯖江、福井、敦賀 などや
九 月 五 日 、 宣 伝 カ ー 「や ま び こ 号 」 で本 格 的 な 宣
(
昭和 三 一年)
告 を出 した のをはじめ、飛行機 、宣伝車、広報車 を
(
太夫) サ、 ま ち を いろ ど る菊 の
花 の薫 り も ふ く いく と
繰 り出 し、宣伝 は 一、 二回に比 べて非常 に幅広 く行
花
武
駅
生 の ま ち じ ゅう 菊 い っぱ い
も道路も埋 め つくす
(
才歳) ア ッサ ー ヤ レ ヤ レ、 武 生
の ま ち じ ゅう 、 菊 い っぱ い 電
菊人形 へ
車 も バ スも フ ル運 転
と つめ か け る
千輪菊 に、
(
太夫) サ、精根 込 め て作 られ た
菊 の花 は いる いる と
とこ
ア ッサ ー レ ヤ レ ヤ レ、 な
ろ せ ま し と 五千 鉢
大懸崖、大菊 や小菊 など
(
才歳)
大菊、小菊 と
に お いゆ か し い花 く
ん と マ フ五千 鉢
りど り に
す る市川少女歌舞伎 一行 二十人 を
十月 三□、菊人形演芸舘 に出演
太夫) サ、奈良、平安 の昔 から
(
ジ ープ 六 合 に乗 せ、 武 生 、 鯖 江 、
県内 から 県 外 へ
日 本 の 心 の花 が 咲 く
菊 は栄える国 の花。 代 々に伝
福井 で菊 の花 や風船 を通行す る人
らべ
和歌 に俳句 に菊
に手 渡 し ま し た. と ても 好 評 で宣
わるご紋章。
の香りや 君子 の花 の気高さ よ
伝効果抜群 でした。
門壮年 キ ャラ
一方 、商 工振興会に
形 の宣伝文字 を入れ、県内 はも ちろん石川、富山ま
(
昭和 三三年)
ぎ んれ い」 にたけ ふ菊人
九月 一□、市 の広報車 「
(
才蔵) ア ッサ ー レ ヤ レ ヤ レ、 菊
国 の政治 の
ぎ んれ
バ ン隊 では、 ゆかた姿 で 「
い号」 に乗 り、県下 の各市 町村 で
車 内 か ら 幻 灯 機 で スリ ガ ラ ス に菊 人 形 の カ ラ ー ス ラ
は 栄 え る 国 の花 。
議員さ んの 胸 に光 るも菊 の花
(
太夫) サ、 菊 を ま と った、 菊 人
武生ば やし、豊年踊 りなどを披露
で繰 り 出 し ま し た 。
年 ご と テ ー マは変 わ るけ ど
イ ド を 映 し 、 テ ープ レ コーダ ー か ら 音 楽 説 明 が 流 れ
形
し 、 官 伝 活 動 に 一役 買 いま し た 。
また、菊 人形開会式 や期間中 に、
ん ん ん
ん ん ん
さ さ さ
子校 代
孝 芳 通
村 木 口
表鈴 谷
回鋒
饌
ん ん
さ さ
珪 山
美 子
尚 久
捧 川
ん ん ん
美 子 子
山 昌 章
片 堀 坂
、
ぐ
乙 民 事 藤 そ
- .
=■ 〆 慶秀山美子さん
小小
室ユミさん
ニヱ蝨
、 -さ
-て"二
れ
"こぎ ,と .ナ
ノ
今年 は ナ ント太平記 南北朝 の
美男、美女 時代絵巻 の美しさ
熱 川"
も
/
灘灘
福 井 新 聞 社 が チ ャー タ ー し た セ ス
孔
ナ機 を 三回飛ば し、県内各地 へゐ
才蔵) ア ッサ ー レ ヤ レ ヤ レ、 武
(
生 美 人 を そ のま ま に
伝ビ ラと無料招待券をば らまき ま
おらが女
房 に似 た目もと、 おらが女房も
し た。
これ に加 え て、 こ の こ ろ か らポ
スター掲出も金 沢鉄道管 理局内 の
日本 一
(
太夫) サ、街 の天狗 の鉢揃え
ト目白押 し
鼻 も高 々日本 一 豪 華 な イ ベ ン
粋
列 車 、 各 駅 に は り、 富 山 、 新 潟 か
ら の お客 も 増 え てき ま し た 。
(
才蔵) サ 、 マダ マダ
サ、 マダ マダ
⋮ 達川 公子さん
朝 月 優里さん
(昭繃年) 搬 裕美子さん 山田佳代子さん 際 毬剥
ご
(昭和52年) 西岡 希余 r・さん
炭屋泰 倦ん ス
森本千恵子さん
▼第 1 回
倉内雅代さん
山内由子さん
橋本昌枝さん
松井春美さん
西掴まさこさん
▲第 6 回
(
太夫) 全 日本菊花大会
(
才歳)
(
太夫) 世界 の菊 の大展示
昭 和30年代の菊 人形 記念 たばこ
@
@
(
才蔵) サ、 マダ マダ
(
太夫) 市民 の作 った菊 展示
(
才歳) サ、 マダ マダ
(
太夫) 全 日本 の腕比 べ、菊 の芸
術並び ます。世界 の菊も尾とら
じと 菊 人形 に花添え る
(才 歳 ) ア ッ サ ー ヤ レ ヤ レ 、 そ
り やま た な ん と し た え ら い こ っ
ち ゃ 世界 の自慢 が並 ぶと は、
ど う でも こう でも 見 て お く れ
天
(
太夫) サ、子供 に人気 の遊園地
ビ ック リ 仰 天 、 バ イ キ ング
ま で登 る 心 地 よ さ 。 さ て そ れ か
ら は観覧車
才蔵) ア ッサ ー レヤ レ ヤ レ、 そ
(
んなも んではす みや せぬ 武生
名物、物産 展 大劇場 では、 レ
歌 と踊 り の○ .
ド キ ド キ、 ワ ク ワ ク、
ラ イ ンダ ン スは ま ぶ し
ビ ュー シ ョ ー
S ・K
い のう 。
でも 、 見 る だ け
こ り やま た 、 え ら い こ っち や、
お 父 っあ ん 。
サ、 食 いし んぼ う の 、 才
で は つま ら ん のう
(
太夫)
市民参加の宣伝隊
(
昭和 三六年)
十 月 八日、 宣 伝 隊 は、 福 井 市 内 で武 生 市 レクリ
ェー シ ョ ンク ラブ の メ ンバ ー約 二十 人 に よ る 「
武生
目抜 き 通 り に フラワーボ ック ス
(
昭和 五〇年)
十月 一日、 たけ ふ菊 人形 を間近 に控 え て、会場 ま
商 店 街 の協 力 を 得 て、 置 か れ た フ ラ ワ ーボ ック ス
で の幹 線 道 路 に フ ラ ワ ー ボ ック スを 置 き ま し た 。
踊 り子 の中 には、 この春鹿児島 から集 団就職 した
二百個。菊 人形が 二五周年を迎え る のを記念 し、
は千 一
ば やし」 や 「
北陸盆うた」を披露しました。
と いう 人 も 混 じ って お り 、 ほと ん ど が 十 代 の娘 さ ん
市内 を菊 一色 で飾 り つけ ようと いう 目的 で行 ったも
のです。
ミ スた け ふ菊 人 形が P R
も ら った り し て、 P R に 一生 懸 命 で し た 。
レ ットを 配 った り 、 商 品 の当 た る ク イ ズ を 楽 し ん で
こ の時 の ユ ニホ ー ム は、 か す り の着 物 で、 パ ン フ
さ ん 、 西 岡 さ ん) が 宣 伝 隊 に加 わ り 、 い っそ う 華 や
かさ を 増 し ま し た 。
初代 ミ ス菊人形 に選ば れ た 三人 (
森本さ ん、炭 屋
(
昭和 五 二年)
た ち で し た。
一行 は福井市内を パ レードした後 、鯖 江、織 田町
'・し
テ
ー
な ど を 巡 回 し ま し た。
一
戸
、
市長も宣伝に 一役
(
昭和 五三年)
八月 三 一日、笠 原市長、市議会菊 人形特別委員会
委員長を はじ めとす る宣 伝隊が、国鉄武生駅 を皮切
りに出向宣伝 を行 いました。
北 日野保育所 では、 八十 人 の園児 に風船 を配 り、
が 登 場 し ま し た。
(
昭和 五六年)
菊 人 形 三 〇 周 年 を 記 念 し て、 菊 人 形 の マ ス コ ット
菊 ち ゃん 竹ち ゃん 登 場
を 行 いま し た 。
ンカ チプ リ ントな ど の企 画 を 用 意 し て菊 人 形 の宣 伝
宣 伝 に行 き 、 お 楽 し み ク イ ズ や ポ ラ ロイ ド 撮 影 、 ハ
宣伝隊 は、菊 人形 オープ ン近くま でに、県内外 へ
ね 。」 と 宣 伝 。
食 べ て お いし い、 菊 の
蔵じ ゃ
「お 父 さ ん や お 母 さ ん と い っし ょ に 来 て く だ さ い
」
花 菊 の料理もさ まざ まや 菊
ま ん じ ゅう に、 菊 グ ラ タ ン、 菊
酒、菊 そば、菊づ くし 不老長
ア ッ サ ー レ ヤ レ ヤ レ、 こ
寿 に よ ーく効 く
(
才蔵)
り ゃま た な ん と け っこ う な も ん
や 不老長寿 によーく効く 菊
の花 と は 、 ヤ レ ヤ レまざ い じ ゃ
ソ
高血圧 に、狭 心症、 頭
(
太夫) サ、 食 べ て お い し い、 菊
の花
痛 に め ま い に、 ぼ け に効 く
ア ッサ ー ヤ レ ヤ レ 、 ナ ン
菊 」 市 の木 「
竹 」 を モ チ ー フと し た マ
市 の花 「
ス コ ット キ ャ ラ ク タ ー 菊 ち ゃ ん と 竹 ち ゃ ん を 作
り 、 テ レビ の C M にも 登 場 し ま し た 。
ぬ いぐ るみもさ っそく作 り、出向宣 伝隊 に加わ り
子 供 た ち の ア イ ド ルと し て 愛 敬 を ふ り ま き ま し
た。
議会菊 人形特別委員会委員 と市職員 で、北陸 はじめ
ん
ん ん さ
陵
本
山
さ さ 美
真
沼
火
蜂
原
木
回杵
風き
痴
ん
さ
水 日
美
.公 知
知
嶋 谷
議
美 恵
--〆
︲
.
(昭和62年) 清水松美さん
翻 し, 参
□
‘
-
増澤ゆう子 さん
レ万能 に菊 の花
(
才蔵)
花 は、 見 て よ し 、 味 も よ
ト マア ー ケ ッ コーな 花 じ ゃ、 菊
の花
健康づ く り に
まちづ く
し。
太夫) サ、菊 を愛す る武生市民、
(
思 いや り と 、 や さ し さ の、 み ん
住 み よ いま ち
な で つく る菊 トピ ア。 き れ いな
に人 は住む
まちに花が咲く
(
昭和 五六年から現在ま で)
近年 の宣伝活動
昭和 五六年 を機 に、宣伝方法も メデ ィア中 心とな
ア ッサ ー レ ヤ レ ヤ レそ う
り 、 テ レビ や ラ ジ オ な ど の 活 用 を 重 視 し た も の に
(
才蔵)
じ ゃ、 そ う じ ゃ、 そ の通 り 。 住
な ってき ま し た 。
ア ー ラ、 め
春 から は、旅行業者 へ菊 人形 PRのため、武生市
り確 か な P R を 進 め る こと が でき ま し た 。
宣 伝 と な り 、 県 内 外 の テ レビ 局 と の協 力 に よ り 、 よ
こ の頃 か ら 、 毎 年 ミ ス菊 人 形 五 名 に よ る ソ フ ト な
みよ いまち に人 は住む 文化 の
伝 統 産 業 と ハイ テ ク の ま
ち、武生市
(
太夫)
まち、武生市
中京、近畿方面など約 六百社を毎年訪問、 この地道
な宣伝も確実 な歩 みを示し ています。
エン
市 へ、 五人年 は京都、名古屋 にま でのば し、 平成 元
宣伝範 囲も 五七年 から は武生市と友好都市 の高山
北陸 の秋 の風物詩 と して定着 し て います。
一方、宣伝 のために菊 人形を JRの主要駅 に展示、
皆様 のご来
(
才歳) 菊 い っぱ いの武生市。
(
大 ・才) サ 、 「ま ち に 花 、 ひ と
に夢」 の合言葉、
で た や 菊 トピ ア。
場をお待 ちしての御萬歳
い
-.
.
・・
J
,
印
.
年、 二年 は新 潟 までの出向宣伝を行 いました。
そして、平成 三年 は武生市伝統 の越前 万歳 (
野火
宣 伝 を 行 いま し た 。
坪 万歳) を取 り入れたパ フォー マンスで、県内外 に
斎藤久美子 さん
成田雅子さん
第8回
松下佳江さん
一
‐尋さん 森中世 依子さん
(平成 2年) 黒肝丁
‐Z「:子さん
長谷川千
--
片岡雅代さん
高山美知代さん
渡辺 里香さん
ヤ コー ラ サ ノ サ ノ エー
「
何 かお も し ろ い方 法 はな いか
な ぁ。」 と毎 年悩 む の が 、 菊 人 形
出 向 宣 伝 のオ ープ ニング 。
課員 の 一人 の 「
越 前 万歳 でし ょ
う か。」 この言葉 に 乗 せ ら れ た の
が 運 の尽 き、毎 日毎 日 テープ を聞
き、夢の中でも越前 万歳が流れて
く る始 末 。何 度 バ ンザ イ しよ うか
と考 え ま し た。 (テケ テケ テ ン)
水嶋公江さん
木原峰子さん 居軒真山美さん
山本陵 子さん 稲毛山美さん
佐藤陽子さん 佐々木節美さん
▼第 11回
@
@
、
ー
見流館 面積
一八〇坪
七、越前小鍛冶
八、文福茶釜
古、大 江山
六、阿古屋 の琴責 め
三、佐賀 の怪猫
四、文覚七人
-、車ヴ
二、竜門寺信長観菊 の宴
第 一回(
昭和三七年)
覚えていますか
ず
婿
嘉 ミ
ぞ
・
五・牛 にひかれ て善光寺詣
六、 四谷怪談
七、月形半平大
八、楊貴妃
き
事/\¥,
勿來 の関
六、 ど んぐ り ころ ころ
く お笑 い紅葉狩 り
三
一
昭和三四年)
第八回(
「
古今名作絵巻」
一、静御前
二、倶利伽羅峠
三、安珍清姫
六、 のゑ 女
四、 一力茶屋
五、蓮如上人
七、新書r番勝負
八、 汽 車 ポ ッポ
れ、暫
八、潜水王
九、勝家と お市 の力
〇、恐妻家
三、羽衣
三、 巴御前
第七回(
昭和三三年)
一、金太郎
二、大菩薩峠
三、里見 八犬伝
四、阿国歌舞伎
五、紫式部
六、岩見重太郎 の ヒヒ退治
七、弥次喜 多道中
八、 雨降 り お 月 さ ん
九、天 の岩 川
一
0、姉 川合戦
=、桜 田門
三、赤 同鈴之助
︲一
、 サ ル カ ニ合 戦
三、 秋 ま つり
昭和三五年)
第九回(
「
大江山酒呑童 子」
一、 し あ わ せ の 日
、道長 の乱脈
三、怒 り の若武者
四、大江順 に来 た男
五、鍔鳴 る太 刀
六、 一条戻 り橋
七 、 網 の館
八、十蜘蛛
九、大江中山中妖怪退治
︲
0、大江山 の最後
八、白虎隊
九、狐 の嫁 入り
「
お国自慢 シリーズ」
.
一′ゞ
榊講 ぜ
--
繭艇
三、源氏物語
三、新 田義貞
七、矢矧橋
無
二、北野 の茶会
三、那須 の大 八
四、神崎与 五郎
一、太平楽
第六回(
昭和三二年)
懐かしいあの場面
-ゞ
第 一〇回(
昭和三六年)
る、 イ ッチ ョラ イ 節
二、壇 ノ浦 の合戦
三、司馬温公
一、祇園祭 (
京都)
二、沖 縄 おど り (
沖縄)
昭和三八年)
第 一二回(
四、金魚 のひるね
&、佐 々木小次郎
三、阿波 おど り (
四国)
大 阪)
四、河内音頭 (
「
菊人形名作集」
一、喋 々婦人
人、 山 寺 の和 尚 さ ん
六、 日蓮 上人浪題 目
七、左甚 五郎
九、伊賀 の忍術 (三重)
道)
七、江戸 の華 (
東京)
人、 アイ ヌ の熊 祭 (北 海
五、加賀 百万石祭 (
石川)
六、佐渡 の鬼太鼓 (
新潟)
九、牛若丸 (
五条 の大橋)
三、曽我 の対面
昭和三七年)
第 一一回(
「
歴史名場 面集」
一、紫式部
二、 国姓爺合戦
三、平治 の乱
四、 八岐 の大蛇
五、壷坂霊験記
六、家古襲来
七、北 の庄
一
二
に海だ
'
ノ に
交
涯
奔鷺
当
至
鬮
昭和二八年)
第二回(
、 た ぬき ば や し
-九 、 見 てご ざ る
/
ん
なか--きこ - t 円
.、
み--止
一、加藤清正
三、 吉 崎 の嫁 お ど し
5、那須余市
一、連獅 子
二、 石童丸
ニ、桜門 五三桐
四、羅生門
れ、孫悟空
きr
昭和三 一年)
第五回(
三、宮本武蔵
三、安土城 の謁見
四、鉢 の木
五、 国定忠治
六、 お猿 のかごや
七、森 の御松
八、小判鮫
九、白鳥 の湖
0、鯉 つかみ
一
昭和 二九年)
第 三回(
一、醍醐 の花見
二、佐倉義 民伝
一
0、 通 り やん せ
六、桃太郎
七、滝 の白糸
八、 二宮金次郎
五、寺 田屋騒動
六、浅茅 ヶ原 の 一つ家
三、侏 元 の乱
三、花咲爺
四、福井 の殿様 お国 入り
七、義 士 の討 入り
九、吉野山雪 の別れ
人、 目 雷 也
三、御前角力
ミ 金閣寺
一
三
九、俊寛
一
0、 可愛 い可愛 い魚屋さ ん
き
皺む
ふ
"‐‐
‐
‘l ‐
三、安宅 の関
三、 三人奴
第四回(
昭和三〇年)
⑩
@
昭和三九年)
第 一三回(
昭和四 一年)
第 一五回(
翌
N H K大 河 ド ラ マ
第 一九回(
昭和四五年)
N H K大 河 ド ラ マ
第 二 一回(
昭和四七年)
二、 ぞ う り取 り
三、 叡 山 の強 訴
一、厳島神社
二、忠盛邸
四、 助 六
山、黒塚
六、新内節
七、乗合船
八、赤 穂浪士
第二〇回(
昭和四六年)
三、壇 ノ浦合戦
三、大原御幸
昭和四八年)
第二二回(
N H K大 河 ド ラ マ
「
国盗 り物 語」
て 嫁ぐ 日
き、乞食庄九郎
三、油屋庄九郎
四、虎 の瞳
五、火炎車
六、白雲法師
七、稲葉山城
八、妖怪
九、国主追放
5、 たわけ殿信長
三、金 ヶ崎域 の奮戦
- 、
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︲
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聯1
- 「
日本芸能祭」
三、 三 日普 請
四、鎮 西 八郎為朝
「
新 平家物 語」
二、ねぶた祭
三、天神祭とまくら太鼓
四、桶狭間 の合戦
五、保 元の乱
六、妓 王と仏御前
「
菊人形名作場 面集」
一、博多山笠祭
四、金色夜 叉
な、と んま天狗 の化物 退治
五、ねねと の結婚
六、姉 川 の合戦
七、伊豆 の頼朝
八、 五条 の大橋
「
太閤記」
一、矢矧橋
六、妖術 くらべ
七、地獄変
七、小谷城 の落城
人、本能寺 の変
て 蘭陵 王と納蘇利
ニ、菊慈童
八、 百合若大臣
九、 巴御前
ニ、 釣 狐
-
九、神 田祭
九、大坂城 の築城
ニ、桃太郎鬼退治
三、金太郎
N H K大 河 ド ラ マ
「
春 の坂道」
一、 一刀岩
二、無 力取 り
三、説得
三、竹 千代と七郎
三、辻斬 り
酉、参勤交代
宝、家光 の嘆き
三、諌止
、敵 は本能寺
一
三
三、 高 田 の馬 場
四、 お犬 さ ま
五、 兵 庫 と お し ん
七、惜別 の涙
八、早駕篭
N H K大 河 ド ラ マ
一、伏姫 と 八房
二、 八房 の手柄
六、松 の廊下刃傷
三、 と び ち った 八 つ の 玉
N H K大 河 ド ラ マ
一て 計 入り
六、茅流閣 の戦 い
七、 ふかあ み笠 の浪 人
八、 旦開野
「
風と雲と虹 と」
一、坂東武者
圏、 大 空 の虹 のご と く
三、将門 の武名高 まる
三、将門討 死
一
0、貴 子と の再会
=、 一族と の抗争急 展開
九、再び京 へ上 る
七、 一族 と対 立
八、貞廳 の弔合戦
海へ
六、坂東 へ帰 る
四、純友 西 へ
五、将門追捕便 ととも に西
三、京 の都 で純友 と会 う
昭和五 一年)
第二五回(
九、庚申 山 の山猫
一
0、赤岩 一角 の正体
二、 一家 の当 主 と な る
一、将軍 お成 り
二、大奥
「
元禄太 平記」
N H K大 河 ド ラ マ
第二四回(
昭和五〇年)
三、湯島 のくす り売 り
三、妙椿 の正体
三、 闘 牛
四、美少年と美少女
五、敵討 ち
九、城明け渡 し
、墨染 の里
一
0
「
新 八犬伝」
昭和四九年)
第二三回(
三、熊野権現前
九、火 の痛
三、倶利伽羅峠
昭和四〇年)
第 一四回(
四、 鉄 腕 ア ト ム
第 一六回(
昭和四二年)
「
戦国 の三大武将」
て 秀吉 と秀頼
、 信 長 と キ リ シ タ ン の謁
--
「
歌舞伎豪華名場 面集」
-、 暫
二、桜門 五三桐
見
三、家康と木村重成
四、 柔
六、関 ヶ原合戦
七、敗軍 の将
八、柳生 の単
四、忍者
五、猛将 島左近
匠、北条九代名家功
バ、 一谷鰍軍配
五、景虎と松江 の再会
六、宿敵晴 信と の出会 い
七、旗上げ
人、景虎 の隠居
九、関東管領就任
三、川中島 の合戦
、自 決
一一
九、見合
三、千姫救出
道中初音旅
四、お三輪の恋(
願糸綾苧環)
一
0、醍醐 の花見
見流 二号館 !! 日本童 話館
一、狼少年 ケ ン
二
三、越後獅 子
二、げらげ ら劇場
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臟
七、京人形
八、哀 しき雛祭 り (
妹背 山
三
一
芥、竹取物語と かぐ や姫
六、池 ノ上蛇 の池伝説
新設見流館 「
おとぎ の国」
一、 ピ ノ キ オ
こ、 ダ ンボ
三、 ピ ー タ ー パ ン
九、小鍛冶
・女庭訓)
五、 不 思 議 の国 の ア リ ス
四、白雪姫
六、眠れ る森 の美女
二、 宮 さ ん宮 さ ん
、忠臣蔵
一
0
二、土蜘蛛
七 、 ピ ッカ リ ピ ー
島
見流 二号館
*第 二見流館完成
一、 目 で見 る 国 体 展
二、 お 子 さ ま コー ナ ー
(
怪 獣 ジ ラ ー ス)
第 一八回(
昭和四四年)
N H K大 河 ド ラ マ
「天 と 地 と 」
昭和四三年)
第 一七回(
日本昔話名場 面集
一、出陣
二、虎 千代 と袈裟
「
三、虎 千代 の気性
四、景虎 の初恋
一、大江山 の酒呑童 子
二、浦島太郎と 乙姫
三、 は ま ぐ り姫
四 、 サ ル カ ニ合 戦
五、 こ ぶ と り爺 さ ん
六、鞍馬 の牛若丸
一 -
転ぜ
れ磨
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な こせ -←.--、
謡衾 ,-
七、文福茶釜
八、鶴 の恩返し
九、花咲爺さ ん
見流 二号館
(
ま ん が コー ナ ー )
て 黄 金 バ ット
二、 グ ズ ラ
三、 リ ボ ン の騎 土
四、 バ ー マ ン
五、 ロボ タ ン
-
-
-
六、 ひ ょ っこ り ひ ょう た ん
⋮
︲
瀞
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第二六 回(
昭和五二年)
「
花神」
N H K大 河 ド ラ マ
一、碧眼 の女
二、黒船建造
三、堺炎上
一
面、風流踊 り
昭和五四年)
第二八回(
N H K大 河 ド ラ マ
昭和五八年)
第 三三回(
N H K大 河 ド ラ マ
「
徳川家康」
一、別れ
二、出陣
︲
二、南無観世音菩薩
ニ、 別 離
四、巌流島 の決 闘
昭和六〇年)
第三四回(
" 再起 への道
四、鎌倉 の春
て 政 子 の恋
二、頼朝 の挙兵
六、鳥居強右街 門 の最期
七、武 田氏滅 亡
八、本能寺 の変
五、地炉 の間
NHK新大型時代劇
四、守 田屋騒動
古、稚 い恋
六、壇 ノ浦合戦
六、上杉と の和睦
七、沼 田城
「
草燃 え る」
五、 にわかぼ うず
バ、焼打 ち
七、逃 亡者 たち
九、和議
、関白義弟
一
0
八、 関 ヶ原
三、 一家 団 ら ん
ヒ、七卿都落 ち
八、蛤御門 の変
八、 母 と 子 の亀 裂
︲て 朝鮮国撤退
ニ、 安 政 の入 獄
-
九 、 ク ーデ タ ー
九、 代将軍頗家
九、九度山 の庵
◎、真 田丸
四、 真 田 の圧
二、高速落 城
三、草 の者
「
真 田太 平記」
一、岩櫃城
一
0、洋行と亡命
三、 不 肖 の 子
西、 堂 々 の生 涯
昭和五九年)
第三三回(
NHK新大型時代劇
「
宮本武蔵」
て 老杉 の武蔵
二、姫路城天守閣
三、 一乗寺下り松 の決闘
四、滝垢難
七、父母思重経
八、巌流 佐 々木小次郎
己、腰越状
二、都落 ち
三、 しず や し ず
三、安宅 の関
、奥州 平泉 へ
一
四
茸、義経主従 の死
昭和六二年)
第三六回(
N H K大 河 ド ラ マ
「
独 眼流 政宗」
一、狼眼流政宗
昭和六 一年)
第三五回(
NHK新大型時代劇
「
武蔵坊弁慶」
一、義経と の出逢 い
二、書 写山炎上
三、 玉虫 と の再会
四、鞍 馬 の牛若
五、兄弟 対面
六、旭将 軍
七、 一の谷合戦
人、屋島 の戦 い
九、平家滅 亡
三、領土経営
西、副将軍
昭和六三年)
第 三七回(
N H K大 河 ド ラ マ
「
武 田信玄」
一、晴信を めぐ る女性 たち
二、父と子 の確執
三、武 田軍議
四、晴信と湖衣姫
五、 女 の いく さ
七、決戦 ・摺 上原
八、小 田原参陣
五、輝宗無残
六、人取橋 の合戦
四、 め ご と ね こ
啄木鳥 の戦法)
(
二、激突 川中島
九、越後 の虎
る、激突 川中島
七、 天才と秀才
八、 三国同盟
六、 国 造 り
九、黄金 の十字架
一
0、伊達者
=、秀次謀 反
三、 関 ヶ原
面、 は る か な る宗 への適
(一騎討 ち)
三、 三方 ヶ原 の戦 い
四頭 八尾鶴嵐 の陣)
(
三、激突 川中島
二、政宗誕生
三、虎哉禅師
三、幸村 の最期
一
四、松代 への国替
二、兄弟 の別れ
三、夏 の陣
四、真柄十郎左衛 門 の最期
五、 二方 ケ原 の戦 い
二、隣長秘密 同盟
三、 四境戦争
N H K大 河 ド ラ マ
第 二九回(
昭和五五年)
︲
理 事久 の乱
、幻 の船
一
一
三、実朝暗殺
、都好 み
一-
て 関 ヶ原 の戦 い
三、方広寺鐘錦事件
三・彰義隊
、暗 殺
四
一
昭和五三年)
第二七回(
N H K大 河 ド ラ マ
「
黄 金 の 日 日」
「
獅 子の時代」
て パリカ国博覧会
-、 ハト派 ・タ カ派
二、 フ ロイ ス入京
三、大逆転
、追 跡
--
四、鶴 ヶ域落城
五、 五稜郭戦争
九、開眼
三、 暗 雲 の 日本
四、 脱 出
六、 光 と 影
五、夢想権之助と の決闘
六、晒屋 の蝿
七、名物狩り
七、下北半島 斗南藩
五、異人行列
六、美緒 の結婚
八、 船 出
一、高 田馬場 の決闘
二、赤穂浅 野家
二刀流
九、信長横 死
人、 東 京 の 日 々
N H K大 河 ド ラ マ
昭和五七年)
第三 一回(
九、 西南戦争
一
0、自中自治 元年
一
0、宍戸梅軒と の対決
=、栄達 の門
登、 慢 ず る 月
三、 バ テ レ ン追 放
三、利休切腹
二、憲法発布
三、が んば れ孫悟空
三、 タ イ ム ト リ ップ
N H K大 河 ド ラ マ
三、出会 い
四、水戸光圀と将軍綱吉
「
峠 の群像」
「
おんな太閤記」
一、出会 い
五、松山城接収
六、松 の廊 下
昭和五六年)
第三〇回(
二、城主 の妻
三、名誉あ る茶 会
七、悲報、赤 穂 へ
八、それぞ れ の道
函、大願成就
三、 討 入 り I
三、 討 入 り =
三、決意
=、祇園 の内蔵助
九、内蔵助 と妻
四、運命 の道
北 の庄落
五、落城 の悲劇 (
城)
六、覇者 の妻 「
北政所」
七、政略結婚
八、聚楽第
九、豊臣家 の母
0、不吉 な予感
一
二、醍醐 の花見
三、秀吉 の死 の波紋
三、関 ヶ原 の戦 い
一
四、豊臣家 の終 焉
一
な 増
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第三八回(
平成元年)
N H K大 河 ド ラ マ
「
春 日局 」
一、乳母 愛 の鞭
、 父 の出 陣
︲︲
三、 天 下 取 り
四、母子無情
森、 嫁 ぐ
六、 関 ヶ原 前 夜
二、斉彬と 西郷
三、泣 こか翔ば か い
四、江戸 に入りに御座候
古、駕篭 の先棒 を か つぐ
-
劇)
一
芸 西南戦争 (
田原坂 の悲
第四〇回(
平成三年)
N H K大 河 ド ラ マ
「
太 平記」
一、平氏 の大
二、京都 の町衆
三、藤夜 叉 の恋
-
菊人 形 鱒回記念誌
}
-
“
敦賀市
蓬莱 町
ぎ
一 か
こ
そ
︲
︲
-
京 町 二丁目
あ おば 町
資料提供者 (
敬称略 ・順 不同)
前沢 和議
律夫
北府 四丁目
林
福岡 昭 三
脇坂
故人) 国府 二丁目
次男 (
南 三丁目
京 町 一丁目
清
北千福町
高森
北町
ふさ ゑ
宮脇 豊 三
島田
斎
藤
幾一
加賀
章
→
臘
餉=コJ1劇
-\ハ /r 前 田芋右 ヱ門
北府 三丁目
武生市 は、千 二百年も の昔 国府
が おかれ、趣 の国 の中心とし て栄
え、今も歴史 の深 い重厚な文化 を、
街 の随 所 に感 じ と る こと が でき ま
す。
え る、 県 内 ト ップ ク ラ ス の 工業 都
市 に成 長 し ま し た 。
他 に類を見な い、伝統文化 と ハ
イ テク産業が調和す る武生市 に、
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5
てr
、月 O
惣
菊
まちを歩けば
さりげなくそこに花
菊の街づくり
「
潤 い のあ る美 し いま ち を 、 市
新 し い文 化 が 育 ち つ つあ り ま す 。
観光資源とし て進化 し てき た 「
菊
民と行政が 一つにな って創 造 し よ
う 」 個 人 ・町 内 会 ・団 体 ・グ ル ー
う 、 ま ち を 花 で い っぱ い に し よ
人 形 」 を ヒ ント に し た 、 「
菊 トピ
市民参加 に重点 を置き、環境 ・
ブ な ど が 環 境 を グ ローバ ル に捕 え
ア」がそれ です。
福祉 ・教育と い った既存 の行政枠
た活 動 を 始 めま した 。
し
は
ジ
.
もが
・
し た。
今新 たなまちづくりが歩 みだ しま
の先人 たち の苦労と発想 を基 に、
「ま ち に花 、人 に夢 」、四十 年 前
ま せ ん。
め にの鍵 は、市民参加以外 にあり
文 化 」 と し て進 化 さ せ る た
れる 「
史 の洗礼 を受けながら、必要とさ
菊 ト ピ アが 、 これ か ら の長 い歴
た 研 究 に取 り組 ん で います 。
菊苗 の提供 や技術指導など に向け
積 を 医 る た め、 菊 セ ンタ ーを 作 り
行政 は、菊栽培 に関す る技術 の集
え菊、そし て食 用菊 の栽培 です。
鑑賞用菊とし ての切り花、鉢植
始 ま って いま す 。
は 「
菊 の総合産地化」 への挑戦が
た め の戦 略 と し て、 市 内 の農 家 で
メ ー ジ 定 着 と 、 産 業 に成 長 さ せ る
菊 の ま ち と し て の全 国 へ の イ
見て楽しんでもらう菊
味わ ってもらう菊
菊 の総合産地化 へ向けて
育 ち つ つあ り ま す 。
を付 け た力強 いまちづくり文化 に
な活動が、市民自ら による地 に足
ど 、 市 民 の ア イ デ ア豊 か で自 発 的
ルやゴ ミの減 量化 に取 り組 む人な
て菊 を 植 え る 人 、 資 源 の リ サ イ ク
廃 物 の古 タ イ ヤ を プ ラ ンタ ー に し
道路沿 いや公園 に菊 を植える人、
を 取 り 払 った ま ち づ り を 、 文 化
く
と し て取 り組 も う と いう のが ,
菊
ト ピ ア」 事 業 です 。
洲 テ
/ 鼾に対
︲“′
︲だし
、,
る
▲きくっ ぴ一(菊ト ピアキャラクター)
六、暗転- 錦江湾
七、愛加郡と西郷
ー ず
近藤
住吉町
一郎
西山 幸信
加藤 秀徳
に花、ひとに夢 ゞ
四、高 氏挙兵
古、控武 の新政
七、南北朝時代
八、骨肉 の争 い
六 、 湊 川 の戦 い
︲
0、 あ ト大 坂 城
九、花開く室 町文化
r菊トピア J 武生
▲古タイヤを使っ た プランター
八、薩 長同盟
九、鳥 羽、伏見 の戦 い
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J
L&
"
福井新聞社
▼ 菊のふるさとトーク
一
0、江戸城開城
二、白虎隊
三 国 に帰 った西郷
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ノ
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諾
多
劣
資 る
物
“
多
菊のまち、たけるA
七、戦後 の家族
八、乳 母 の条件
二、世襲 争 い
る、遊 芸 の時代
九、世継ぎ誕生
一
二、春 日局
三、徳 川 三百年 の礎成 る
菊のまちづくり
現在 の武生市 は、人 口七万人を
平成 一年)
第三九回(
発進する
N H K大 河 ド ラ マ
独 0 7 7 8 (2 2 )3 0 0 0
擁 し、 工業出荷額 は 四千億 円を超
︲ ゞ
平 成 3 年 10月発行
「
翔ぶが如 く」
一、斉彬と篤姫
〒915 福井県武 生市府中一 丁目 13-7
武 生 市/
発 行/
菊人形館
◎
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