森乳業株式会社

インタビュー
森乳業株式会社
健康な心とからだづくりに欠かせない
安全で良質な飲料を届けて128年
「わたぼく」は埼玉県民の健康飲料
行田市を拠点に、全県の40%を超える小中
学校給食に飲料を供給する森乳業株式会社。
同社の製品の代名詞でもある「わたぼく」
は、大ヒット製品である「わたしとぼくの
コーヒーミルク」からとった親しみやすい愛
称と素朴なパッケージでおなじみ。大人に
なっても忘れない埼玉県民のソウルドリンク
として、広く愛され続けている。
創業以来、
「誠実・勉強・忍耐」を社訓と
して、良質な飲料づくりに取り組む同社のあ
ゆみは、日本の乳飲料普及の歴史そのもの。
2003年 か ら 同 社 を 率 い る、 代 表 取 締 役
社長・槙島廣太郎氏に、含蓄に富んだお話を
伺った。
森乳業株式会社
代表取締役社長
ま き し ま ひ ろ
た
ろ う
槙島廣太郎
氏
1952年、東京都荒川区生まれ。慶應義塾大学経
済学部卒業後、株式会社ミキモトに入社。1981年、
株式会社槙島貴金属製錬所入社。1984年、同社の
代表取締役社長就任。1996年、森運輸株式会社監
査役就任。1996年森乳業株式会社入社。2003年
より代表取締役社長を務める。
尊敬する人物は、幼少期からの母校である慶応
義塾の創始者・福沢諭吉。学生時代は弓道に打ち
込み、現在もゴルフ、スキー、釣りとアウトドア
活動を趣味とするアクティブ派。森乳業の社訓で
ある「誠実・勉強・忍耐」を、自らも座右の銘と
している。
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ぶぎんレポート No.187 2015 年 4 月号
牛乳が高級品だった時代に創業
「牛森」の名で町民に親しまれる
う し も り
― 森乳業株式会社の前身となった森牛乳販
売店は、なんと1887年(明治20年)の創業
と伺いました。当時はまだ牛乳が一般に普及
していなかったと思うのですが、どのような
経緯で創業に至ったのでしょう?
おさむ
森乳業の創始者である森脩は、旧忍藩(現
行田市)の藩士の子弟でした。とても向学心
森家の家宝として今も大切にされています。
の強い方だったそうで、12歳の時、廃藩置
脩はその後、
「なにか一生の事業をなせ」
県によって忍藩がなくなるまでは、藩校であ
という父親の手紙にも励まされ、教師を辞め
る培根堂と洋学館で優秀な成績を修めていま
て故郷・行田(当時は忍町)に帰り、事業を
した。
興こす決意をします。その際選んだのが、か
卒業後は家庭の事情で丁稚奉公に出るなど
ねてより関心を持ち、今後の需要が見込まれ
苦労したようですが、その間も学問への志を
る搾乳業でした。
捨てず、14歳の時に、慶應義塾に並ぶと称
とはいえ、乳牛の飼育や牛乳の販売は、ま
えられた学者・中村正直(敬宇)先生の学塾
だ日本ではなじみの薄いビジネスでした。ノ
ウハウを学ぶため、脩は自ら牧夫として他の
“同人社”に入学します。
中村先生は早くから農本主義 をとなえた
牧場で見習い修行をするなどして開業準備を
方で、脩少年は彼の影響で、農業、特に当時
進め、ついに1887年9月、森牛乳店が誕生
勃興しはじめた畜産業への関心を深めていっ
しました。
たようです。
街の方々からは「牛森」の名で親しまれた
23歳になった時、脩は静岡の農学校に英
ものの、当時の牛乳は、療養中や病み上がり
語教師として赴任することになりました。そ
に飲む滋養強壮の薬、もしくは母乳が出ない
の際、中村先生が揮毫してくださったのが
場合の代用乳のようなもので、一合4銭(現
「天下者勉強忍耐人之所有也」という言葉で
在の相場で2,000円)以上もしたそうですか
した。これから世に出る若者に“勉強忍耐こ
ら、販路拡大がなかなか進まなかったのも当
そ、人生の最大事である”と諭すこの書は、
然でしょう。
※
うしもり
※農本主義:明治維新以降の産業革命(工業化)によって
農村社会の解体が進むことに警鐘を鳴らし、農業・農村
社会の維持存続をめざした思想。
中村敬宇先生が揮毫し
た 掛 け 軸。 森 家 の 家
宝・家訓の軸として大
切に伝えられている。
昭和30年代、行田の名所スケッチに残る「牛森」の姿。
乳牛や配達員の姿がいきいきと描かれている。
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安全性と品質向上へのこだわりは
初代から続く森乳業の柱
学校給食への進出によって
全県に販路を拡大
― 現在の値段だと2,000円ですか。流通し
― それは一体、どんな転機だったのでしょ
始めの牛乳は、高級品だったのですね。
うか。
それでも牛乳の需要は高まると見抜いてい
現在も当社の大きな事業の柱である、学校
たのですから、先見の明があったのでしょう。
給食への参入です。
事実、牛乳の需要は明治30年代以降、急
1954年に施行された学校給食法を受け、
激に増え、40年代に入ると経営もかなり安
埼玉県内および行田市内の小学校が給食を
定してきました。ただ、順風満帆だったかと
導入し始めたのが、ちょうどその頃だったの
いうとそうではなく、洪水によって多くの牛
です。
と設備を失い、新たな牧場を開かなくてはな
当時、給食についていた飲み物といえば、
らなくなるなど、苦労も重ねています。
味の悪い脱脂粉乳が中心。その代わりに栄養
そんな中でも脩は「衛生と品質向上のため
豊富でおいしい生乳を供給すれば、牛乳の需
にはどんな犠牲も努力も重ねよ」を口癖に、
要が拡大すると見込んだ二代目社長・森貫一
おいしくて安全な牛乳製造にこだわり続けて
と専務の三友三之助が、市や教育委員会にア
いたそうです。
プローチした結果、3校が契約を結んでくれ
また彼は後年、行田の発展にも尽力しまし
たのです。
た。当時の行田は足袋の街として隆盛著しく、
しばらくは脱脂粉乳との併用で週に1度、
物流のための馬車鉄道誘致、夜間製造のため
しかも各クラスに1缶を届け、それを茶碗に
の電燈導入などにも奔走し、一時は町長も務
ついで飲む、といったスタイルだったそうで
めています。地元に貢献した名士として、脩
は行田の歴史に名を遺しているのです。
― まさに立志伝中の人、という印象です。
その後、現代に至るまでを教えていただけま
すか?
初代以降も、森牛乳店は幾多の危機に見舞
われています。
戦時下の牛乳統制によって牧場が閉鎖にな
り、ようやく事業が再開したかと思えば、大
手メーカーの進出による県内酪農家の吸収危
機、乳価下落、乳牛伝染病の流行、生乳不足
などのトラブルが相次ぎました。
それでも家業を守るべく、誠実に歩み続け
た森牛乳店に、飛躍の兆しが見えたのは、森
乳業株式会社と名を改めた1957年(昭和32
年)のことです。
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懐かしいテトラパックの牛乳を配る笑顔の少女。
まず子どもたちが、森乳業のファンになってくれた。
インタビュー
1967年には200ccの瓶牛乳の供給が始ま
り、70年には全国中小メーカーに先駆けて
導入したワンウェイ容器…瓶の回収が不要な
紙パックの牛乳が採用されます。この年、森
乳業の担当校は、県内約250校になっていま
した。
現在当社では、県内の41%(21市町村・
約500校)の小中学校に、牛乳を供給してい
ます。
また、牛乳の供給契約をしていない学校に
も、特別メニューとして「わたしとぼくの
コーヒーミルク」や「わたぼくとちおとめい
ちごオ・レ」が供される機会があるため、ほ
ぼ全県の子どもたちが当社の製品を飲んでく
おいしく栄養豊富な牛乳は、子どもたちの健やかな成長に貢献した。
ださっていることになります。
― 埼玉で育った多くの人が、大人になって
すが、そのおいしさと栄養価が認められ、契
も森牛乳や「わたぼく」ブランドを知ってい
約校は年々増えていきました。
るというのも、うなずけるお話です。
子どもたちに愛される「わたぼく」の製品
幼い頃に親しんだ味は忘れないという
ファンの埼玉県人は多い。
中でも人気が高いのが、1987年に発
売された「わたしとぼくのコーヒー牛乳
(現在はコーヒーミルク)」。牛乳が苦手
1987年、発売当時のパッケージ。その後、
乳等省令※の改正によって成分無調整でなけ
れば「牛乳」の名称が使えなくなり、現在の
「コーヒーミルク」に改名した。
※食品衛生法に基づく「乳及び乳製品の成分規格等に
関する省令」。
な子どもたちにおいしく栄養をとってほ
しいと、学校給食の栄養士と協力して開
社内CIによって決まった「わたぼ
く」のシンボルマーク。パッケー
ジや名刺、社員のユニフォームな
どに採用され、親しまれている。
発された、生乳90%のコーヒー飲料だ。
給食に供給する牛乳は、飲まれずに返
品されることもあるが「わたしとぼくの
コーヒーミルク」に関しては、返品率は
0%。休んだ子どもの分が奪い合いにな
るほどの人気を誇る、森乳業の看板商品
となっている。
この人気を受け、森乳業では1992年か
ら「わたぼく」を統一ブランドに採用。会
社のシンボルマークとして活用している。
LEADER’S INTERVIEW COLUMN
とおり、学校給食で親しんだ森乳業製品
乳飲料の枠を超え、
同社製品に広く用い
られるようになった
「わたぼく」の名称。
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中小メーカー屈指の先進設備導入で
広がる「見えない取引先」
えない業務が年々増えて、業績に大いに貢献
しています。
― 他メーカーから製造を依頼されるという
――学校給食以外では、どのようなビジネス
のは、どんな理由があるのでしょう?
に力を入れているのでしょうか?
当社が備えている製造設備が、他の中小
給食・小売店販売・特約店販売が、当社の
メーカーにはないからです。
大きな柱ですね。
当社は昔から積極的に設備投資を進める社
小売店販売というのは、スーパーやコンビ
風で、1986年にLLライン(ロングライフ/
ニ、生協といった実店舗への卸しのことで
常温保存可能品)を開設したのをはじめとし
す。特約店販売は、各ご家庭への宅配事業の
て、HACCP( 総 合 衛 生 管 理 製 造 過 程 ) や
ことで、県内50店のネットワークでご家庭
ISO9001の取得などに取り組み、国内でも
に森乳業製品をお届けしています。小売店な
かなり先進的な製造設備を保有しています。
どでは販売されていない限定品や、栄養成分
生産力も非常に高く、1つの工場で全製品
を強化した製品などが、特に人気ですね。
あわせて1日26万パック強を製造できる中
この他に当社の場合、他の飲料メーカーか
小飲料メーカーというのは、おそらく当社以
らの受託製造(OEM)という、表向きは見
外にないのではないでしょうか。
「良質第一」をモットーに
整備されてきた先進の製造設備
森乳業は、その長い歴史の中で時代のニーズに合わせて幾多
LEADER’S INTERVIEW COLUMN
の設備投資を行ってきた。
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新鮮な生乳をスピーディに店頭に届けるチルドライン。最長
3ヶ月程度の常温保存が可能な製品を送り出すLLライン。そして、
フレッシュなおいしさと日持ちの良さを両立したESLライン。
時代の求めを先読みする目と、良い製品をつくるために思い
切った投資をする果断さに、創業以来の社風が感じられる。
ESL牛乳
ロングライフ製法
高度な技術と徹底した品質 高温殺菌+外気を遮断する
管理下で製造することで、 容器に詰められており、常
温長期保存が可能
賞味期限を延ばした製品
ぶぎんレポート No.187 2015 年 4 月号
①チルド(ESL)ライン(第一工場)
インタビュー
もちろん、大手企業ならこれらのラインは
これも初代以来受け継がれてきた進取の精
当然持っています。けれど、中小メーカーが
神と、安心・安全なおいしさへのこだわりの
そういった大企業に業務委託はできませんか
賜だと思っています。
ら、同じくらいの規模の当社に声がかかると
さらに次なるステップとして、近年特に
いうわけです。
需要が高まっているESLライン(Extended
おかげさまで現在当社は、チルドライン
Shelf Life / 賞 味 期 限 延 長 ) を、2005年
+ L Lラインで約10社の飲料メーカーとお取
に導入しました。これは同規模の飲料メー
引をさせていただいています。当社で製造し
カーの中では、かなり早い決断であったと思
ているけれど、当社の名は記載されていない
います。
製品というのが、広く全国に流通しているの
ESLラインでは、製造工程でより高度な技
です。
術と徹底した品質管理を行うことによって、
医療施設・介護施設などで患者さんに供さ
賞味期限を延ばすことができます。通常の
れる飲料も、実は当社が手掛けていることが
チルド牛乳の場合、賞味期限は1週間程度で
多いですね。
すが、ELS牛乳の場合は約2週間と倍になり
― 森乳業の製造設備と製品の品質・安全性
ます。
が、業界内でも信頼されている証ですね。
②LLライン(第二工場)
核家族化や少子高齢化など、時代背景を鑑
③ESLライン(第一工場)
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みても、フレッシュなおいしさをできるだけ
命を育む食に携わる者として、常に誠実に。
長く。そしてより安心・安全にという需要が
よりよいものを求め、過ちを繰り返さぬよう、
高まっているのでしょうね。
日々勉強する姿勢を忘れずに。そして、苦し
「誠実・勉強・忍耐」を胸に
時代の変化を見つめて
いことがあっても、忍耐強く向き合うこと。
森家の家訓「天下者勉強忍耐人之所有也」
にルーツをもつこのマインドは、社員達にも
― 2年後には創業130年を迎えます。これ
きっと届いていることでしょう。
まで日本の乳業の歴史とともに歩んでこられ
社員と力を合わせて、創業の地であるこの
た御社は、今後どのような取組みを考えてい
行田の街で多くの子どもたちの心とからだを
るのでしょう?
育んできた森乳業の「わたぼくブランド」を、
まず考えなければいけないのは、生産力の
これからもしっかりと守り継いでいきたい。
強化です。現工場の製造能力は中小飲料メー
それが私の願いです。
カーとしてはトップクラス(日産27万パッ
ク)ですが、それでも対応できなくなる日が
近々来ると予想しています。
業界再編などで淘汰されるメーカーも現れ
るでしょうし、その場合の製造を担うことに
なるかもしれない。そんな予測を踏まえて、
新工場の計画も地道に進めています。
また、現在稼働しているラインのメンテナ
ンスや改善活動も日々行っています。近年ま
すます重視されている安全性・衛生面を保つ
ためにも、製造業務の合間を縫って、徐々に
設備を入れ替え、増強する努力が継続的に必
森乳業株式会社概要
創
業
1887年(明治20年)9月
資
本
金
5400万円
売
上
高
10,681百万円(2014年3月期)
従
業
員
160名
社
〒361-8539 埼玉県行田市富士見町1丁目3番2号
要なのです。
しかしながら、いたずらに事業を拡大する
ことはできません。近年の飲料市場の動きと
いうのは、正直読みきれませんから。
たとえばコンビニカフェの普及で喫茶店業
界が大打撃を受けたように、なにかひとつが
きっかけで、業界事情が激変してしまう可能
性もあるのです。
時代の変化に対応するためには、ひょっと
したら今朝決めたことが、明日には取りやめ
になる、といったスピード感が必要になるの
かもしれません。
それでも我々の胸には、ずっと変わらぬ
「誠実・勉強・忍耐」の社訓があります。
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本
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048(554)4139
ホームページ
http://www.morimilk.co.jp/
取
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引
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