勝山左義長まつりガイドブック;pdf

●
小松空港
〜
いた
浮
いた
石川県
浮
さ
ぎ
ち
ょ
勝 山 左 義 長まつりガイドブック
JR
北陸
本線
福井県
広域MAP
う
Fukui prefectural
wide area MAP
Sagicho Matsuri Guide Book 2013
あわら市
白山
坂井市
丸岡 IC
えちぜん鉄道
勝山市
福井市
福井駅
岐阜県
鯖江市
北陸自動
車道
越前市
Take Free
中部縦貫自動車道
永平寺町
越前町
完全
保存版
勝山駅
福井北 IC
大野市
池田町
白鳥 IC
南越前町
福井県
飛行機
東京羽田空港→小松空港(約1時間10分)→バス(約1時間)→福井駅→
えちぜん鉄道(52分)→勝山駅
敦賀市
電 車
JR大阪駅:特急(約1時間45分)→JR福井駅→えちぜん鉄道(52分)→勝山駅
美浜町
JR名古屋駅:特急(約2時間)→JR福井駅→えちぜん鉄道(52分)→勝山駅
若狭町
高浜町
JR東京駅:新幹線(約2時間15分)→米原駅→特急(約1時間)→JR福井駅→
えちぜん鉄道(52分)→勝山駅
小浜市
京都府
車
おおい町
N
滋賀県
北 陸 自 動 車 道:福井北IC・丸岡ICから国道416号線経由で約35分
東海北陸自動車道:白鳥ICから油坂峠道路を通って国道158号→
157号経由で約60分
勝山北部
中学校
セ�レン
勝山市
広域MAP
↑至恐竜博物館
GS
消防署
会場
MAP
GS
Katsuyama city
prefectural wide
area MAP
ゆめお〜れ勝山
市役所
公民館
交番
深谷家住宅洋館
旅館板甚蔵座敷
旧料亭花月楼
(中村家住宅主屋) 左 義 長まつり会 場
福井県立
恐竜博物館
郵便局
どんど焼き会場
九頭竜川
九頭竜川
えち
ぜん
鉄道
勝山駅
春 を 呼 ぶ 奇 祭「 勝 山 左 義 長 まつり」
勝山温泉センター
水芭蕉
雁が原
スキー場
はたや記念館
ゆめお〜れ勝山
越前大仏
左義長会場
勝 山 の 歴 史 と 文 化 に触 れ る!
!
三室遺跡
勝山城
博物館
N
至大野市
左義 長まつりガイドブック
勝山橋
えちぜん鉄道
スキーJAM
勝山
大師山
勝山駅
りへ
ぜひ勝山左義長まつ
。
い
さ
だ
お越しく
。
お待ちしております
まほろば
旧玄成院庭園
勝山市観光キャンペーンスタッフ
白山平泉寺
旧境内
左義長まつり当日は総合案内
所でまつりの案内をしています。
左義長まつりはもちろん、勝山
市の見どころを余すことなくご
紹介します。皆様、
ぜひ勝山市に
お越しください。
1 0 倍 楽 し む!
!
勝山左義長文化財推進協議会
長山トンネル
かつやま恐竜の森
至福井市
勝山左義長まつりを
勝山城
博物館
フレッシュメイツ
保月山 !
高尾山
発 行 日:平 成 25 年 3 月 / 編 集・発 行:勝 山 左 義 長 文 化 財 推 進 協 議 会 住 所:91 1 - 8 50 1 勝 山 市 元 町 1 - 1 - 1( 勝 山 市 役 所 観 光 政 策 課 内 )
T E L:0 7 7 9-88-8117 F A X:0 7 7 9-88-1119 E -m a il:ka n ko u@c ity . ka tsu y am a. l g. j p
4P
左義長ばやしが櫓を彩る
かね
三味線・笛・鉦のおはやしに乗って太鼓を打ちながら浮かれ踊る
5P
個性的な絵と時世の句、街を賑わす鮮やかな色
6P
この日の為に作る作り物
春を呼ぶ奇祭
勝山左義長まつり
勝山三町の年中行事として三百年を超える伝統をもち、
奥越に春を呼ぶ奇祭として知られる勝山左義長まつり。
7P
8 P- 9 P
10 P- 11 P
12 P
五穀豊穣と鎮火を祈願する歴史の炎
ついにクライマックス!冬空高く舞い上がる火柱は圧巻!
櫓を大解剖
12基の「左義長櫓」は地区ごとの個性が光る!
歴史を感じる街歩き
今と昔を比べながら歴史とともに歩いてみよう
福井県広域マップ & 勝山マップ
遠くからのアクセス等ものっているよ
街には色短冊が揺れ、左義長太鼓が響き、
辻行燈と作り物が訪れる人を勝山文化に誘う。
左義長の見どころ
左 義 長まつりの見どころ
左義長まつりを隅々まで堪能!
小笠原公入封以来300年以上続く「奇祭」の歴史を体で感じよう!
にゅうほう
2
勝 山 左 義 長では、櫓 周 辺に
色鮮やかに吊るされた3∼4
色の短 冊とともに、道 行 く 見
物 客の目 を 楽しませるのが、
通りの辻々に掛 けられた﹁ 辻
行燈﹂
だ。辻行 燈の歴史は、江
戸 時 代より始まり、藩 主 小 笠
原 公は﹁ 無 礼 講 ﹂として 庶 民
の 気 持 ち を 、古 川 柳 や 狂 歌
︵滑稽を詠んだ卑俗な短歌︶
に
託 すことを 許し、町 内の辻や
【おはやし】
奥越に春を呼ぶ勝山左義長
まつりは旧勝山町域の 区で
左 義 長 櫓が
基 建てられ、
300年を超える伝統をもつ。
いず れかで 、ど ち らにして も
下 町 と して 出 発 す る 時 期 の
︵1691︶
に入封し、
新たに城
もしくは小笠原氏が元禄4年
機に町の再 建を始める時 期 、
宝 3 年︵ 1 6 7 5 ︶の大 火 を
行われている。
その始まりは延
13
飾り纏の色に変えられた。
まとい
ら、明治の終わりごろ、
五色組
鎮 火 祭 と 関 係 が 深いこ とか
のきれいな 短 冊は、左 義 長が
家々の軒 先に飾られた。現 在
た紙の短 冊 を く くりつけ、各
頃までは松の小枝に赤く染め
ている。
江戸時代から明治の中
の飾り纏の色がルーツと言われ
まとい
各区の短冊の色は火消五組
りまつりに賑いを添えている。
3∼4色の短冊を道路上に吊
など 、町 内 ごとに決められた
町 内 を 彩る赤・青・緑・黄・白
まつりムードが一気に高まる。
各
には色とりどりの短冊が飾られ
まつり当日までの間、
勝山の街
勝山左義長の1週間前から
も特徴の1つである。
客を楽しませる。
バチが短いの
草や表情で浮かれる様子は観
合いでバチを 操り 、滑 稽 な 仕
〝地〟
に乗りながら独自の間
手に決まった演奏法は無い。
れて 太 鼓 を 打つもので 、浮き
は身振り手振りよろしく浮か
させ3人一体で浮く。浮き太鼓
抑えるため太鼓に1人を腰掛け
特徴で他に類がない。
太鼓の音を
の独特な演技が勝山左義長の
刻み、
1人は踊るように浮く。
こ
1人は単調な三ツ打の
〝地〟
を
太鼓には2人の奏者が付き、
く﹂
と言う。
がら浮かれ踊る。
この様を﹁浮
はやしとともに太鼓を打ちな
子 供 達が、
三味 線・笛・鉦のお
かね
上では赤い長襦袢姿の男衆や
12
1
左義長ばやしが櫓を彩る
曲目はだいづるである。
3
【短冊】
やぐら
花よ∼ 花よのネンネ」
と歌う
街を賑わす鮮やかな色
櫓 の 周りに 世 相 風 刺 を 織り
ない。櫓の両正面下に掛かる大
5つの曲目
勝 山 左 義 長ばやしの曲目は
5つ。
「だいづる」
「しっちょめ」
勝山の人の人柄が伝わってきて、
温かい気持ちになれる。
にちなんだ句と絵が描かれる。
交ぜた庶 民の願 望が描かれた
行燈が掛けられた。
辻 行 燈は小さいモノばかりでは
04
05
各町内に12基の左義長櫓が建つ。
2階建ての入母屋造りは、立ち姿も美しい。
大行燈
は
打つと
太鼓を と言います。
”
く
浮
“
個性的な絵と
時世の句
色とりどりの長襦袢姿の浮き手がおはやしに合わせ
浮かれ踊る「左義長太鼓」は必見!
い た!
あ〜 浮 !
浮 いた言 わ ず 、
【辻行燈】
行燈には狂歌を主体として行政
問 題 、世 界の話 題や吉 祥 干 支
「ごたいてん」
「 戦友」
「こんぴら
舟々」
だ。
よく聞かれる
「蝶よ∼
左義長の見どころ
日 曜 日 の 午 後 にな る と 各
町 内 の 御 神 体 が弁 天 桜 で 有
名 な 弁 天 河 原に運 び込ま
れ、
﹁ ど ん ど 焼 き ﹂の 準 備 が
進 む 。各 町 内 に 建 て ら れ る
御 神 体 は 中 央 に4mほ ど の
松︵ 杉 ︶の 生 木 を 立 て て
結 んで四 角 錐 に 組 み 櫓 の 正
﹁ 心 ﹂とし 、4 本 の 松︵ 竹 ︶を
面 に た て る 。松 飾 り の 頂 上
には 日 の 丸 扇 子 な どで 飾 ら
ご へい
れ た 御 幣 を 取 り 付 け る 。午
後 9 時 に な る と 、各 区 の 区
長・年 番 長が御 神 体にくべる
御 神 火を神 明 神 社から戴き、
勝 山 左 義 長 まつり を 見 て
歩 く 楽 しみの一つで あ る﹁ 作
り 物 ﹂。各 町 内 ごとの家 座 敷
に 通 りから 見 え る よ う に 飾
られる 。作 り 物 の 作 り 方 は 、
各 町 内で 継 承 されている 。
江 戸 時 代 から 続 く﹁ 勝 山
にわか ﹂の 流 れ を 汲 み 、素 材
を 活 かし た 即 興 性 の 強いこ
と が 特 長 。ほ ぼ 同 種 の 桶 や
お 盆 、枡 な ど の 古い 日 常 生
な どに 関 わ る 主 題 を 表 現 す
る 。作り 物 は 、素 材 との 調 和
と 意 外 性 が見 どころであ
り 、素 朴 で 想 像 力 豊 か な 作
品 が 並 ぶ 。作 り 物 には﹁ 書 き
流 し ﹂とい わ れ る 作 品 の 趣
旨 を﹁ 五七五七 七 ﹂で 表 現 し
た 書 き 流 しが 必 ず 添 え ら れ
ている 。書 き 流しは、
一枚には
提灯・角樽・三方など、家庭内の古
道具などが素材として作られる。
ました
牛車をつくり
意 義 を 書 き 、も う一枚には 素
笊・籠・盆・筒・膳・桝・扇子・徳利・
重箱・蒸籠・大工道具・農作業具・
ね
材 と 作り 物 を 洒 落 言 葉 で 表
どんど焼きの残り火で長い竹に刺した餅をあぶって食
現 す る 。そ の 作 品 と 書 き 流
しとの妙が面 白い。
作 品で使われる素 材は、臼・杵・
て
ージし
残り火で粥を炊いたり、
餅をあぶって持ち帰り家で食べた。
活 道 具 を 金 屏 風の前に並
この﹁ ど んど 焼 き ﹂は 火 の
神 を 祀 り 幸 福 を 祈 願 し 、災
難 除 け を 目 的 とした もの 。
五穀 豊 穣と鎮 火を祈 願し
な がら 、この 火 で 体 を 暖 め 、
餅 を 焼いて 食 べる と 無 病 息
災で、その年は健 康であると
言 わ れ ている 。勝 山 左 義 長
まつりは 福 井 県 の 奥 越 地 方
に春 を 呼ぶ奇 祭 と 言 われ 、
これ を 境 に 勝 山 に 春 の 足 音
が聞こえて くる 。
古道具の組み合せ
べて無病息災を願う。
昔はどんど焼きの翌朝に後燃やしの
います
イメ
ずみを
また残り火の灰を体に塗って無病息災を願った。
べ、その 年 の 干 支 や 吉 祥 、世
相 や 政 治 、経 済 、世 界 情 勢
ど ん ど 焼 き 会 場へ運 ぶ︵ 御
神 火 送 り ︶。勝 山 左 義 長 は
鎮 火 祭 と し て 始 ま り 、火 祭
り も 合 わせ 、神 明 神 社 に 祀
ら れている﹁ 火 産 霊 神︵ ほむ
す びのかみ ︶﹂の 御 火 を 御 神
火 として 戴 く 。
各 家から 集 めた 正 月 の 松
飾 り やし め 縄 を 御 神 体 に 結
び付け、
一箇 所 に 集 め 、の ろ
し を 合 図 に一斉 に 御 神 火 が
各 地 区 の 御 神 体 に 点 火 され
る 。冬 空 美 し く 雪 に 映 え て
燃 え 盛 る 炎 の 競 演 と と もに
祭りのフィナーレを 迎 える 。
ついに
クス!
クライマッ
い上 がる
舞
く
高
空
冬
巻!
火柱は圧
この日のために
作る作り物
4
06
07
【どんど焼き】
5
五穀豊穣と鎮火を祈願する歴史の炎
【作り物】
「後燃やし」に参加しよう!
【やぐら】
﹁ 左 義 長 櫓 ﹂は総 檜 作りの
拝 殿 様 式 で 本 体 は 大 きいも
年︵1896︶
ので 幅 約 4m、高 さ 約 6mに
もなる。明治
の 大 火 で ほ と んど の 櫓 が 焼
基の内 3 基は大 火を免
失 し て し まった が 、現 在 は
れ 市 の 有 形 文 化 財 と なって
いる 。
櫓は入 母 屋 造りと 切 妻
造 り が あ り 、2 階 の 舞 台 で
左 義 長 太 鼓 が 披 露 される 。
1 階 部 分 は 控 え と し 、2 階
は畳 敷の舞 台で周 囲に手
す りつき の 回 縁 を め ぐ ら し
ている 。
勝 山 左 義 長 櫓の大きな
特徴は、本格的な木造建築の
形 式 を 持つが 、組 み 立 て 式
であること 。今では櫓 会 館に
組 み あ がった も の が 保 管 さ
直 前 に 組 み 立 て ら れ 、左 義
場として操業していた建物を保存・活用したものです。
れているが、以 前は左 義 長の
有形文化財
(1905)
から平成10年(1998)
まで勝山の中堅機業
長が終われば解 体し、部 材 を
保 管 していた 。
組 み 立 てにはま ず 土 台 を
据 え 、そ の 上 に 柱 を 立 て 、
そ の 中 ほ ど に 床 梁 を 設 けて
2 階 部 分 を 作 る 。さ ら に 柱
天 に 桁 や 梁 を 掛 け 渡 し 、そ
統 的な木 造 建 築の工 法が受け継
の 上 に 隅 木 や 棟 木 を のせて
基 本 的 な 骨 格 部 を 組み上
げ る 。こ の 骨 組 の 中 に ほ ぼ
畳 1 枚 く らいの 大 き さ の 板
戸 や 天 井 板 、屋 根 板 な ど を
はめこみながら 組み立てる 。
天 井 板 のパ ネ ルに は 、あ
らかじ め 棹 縁 が 取 り 付 け ら
れており 、屋 根 板 のパネルに
がれている。
08
09
も 同 様 に 垂 木 が 打 ちつけ ら
せて作られていて、日本 古 来の伝
に勝山市の有形文化財に指
定されている。夜の櫓は昼間
集め、
ここだけの限定品もあります。
れている 。そして2 階 の 回 縁
櫓の組み立てに際しては釘や金具
上 袋 田 区・上 長 渕 区・下 長
渕区の3基の櫓は、平成7年
の
有形文化財
札が
櫓には立て
よ
置いてある
総合おみやげ店&カフェがあります。地元の特産品を
を 支 える 腕 木 や 力 板は柱に
ト
その他
の
見どこ
ろ!
かくれスポッ
地元産の新鮮
な卵と牛乳を
使用した、
焼き菓子やプ
リンが人気!
はたや記 念 館ゆめおーれ勝 山 内には勝 山 市 内の
施 さ れ た 仕 口に 差 し 込 んで
櫓の内部
29
組 み 立 て ら れる 。
は用いず、全て木と木を組み合わ
の
12 基
長 櫓 」は
義
左
「
との
地区ご
光 る!
個性が
組立式の
木造建築
だよ
12
6
櫓を大解剖
からくり時計を見よう!
!
勝山市立図書館の正面玄関にある時計はからくり時計になっています。
毎日、午前10時、正午、午後1時、3時、5時の5回左義長ばやしが流れます。
毎年、左義長に来ている人でもなかなか知らない隠れたスポットです。
みんなで左義長からくり時計を見に行こう!
!
産
カフェ&お土
はたや記念館ゆめおーれ勝山
はたや記 念 館「ゆめおーれ勝 山 」は、明 治 3 8 年
と違い幻想的な立ち姿に目を
奪われる。
歴史をめぐる
桜の
市立図書館
名所
です
芳野区
やぐら会館
郵便局
歴史をめぐる
現在の
地図
歴史を感じる
街歩き
ガソリンスタンド
光明院
ゆめおーれ勝山
法勝寺
8 (白山神社)
正等寺
中央公園
沢区
やぐら会館
SPOT
9
ショッピング
センター
教育会館
弁天桜
九 頭 竜 川 弁 天 堤の桜 並 木は一目千 本といわれ奥 越の桜の名 所だ。
川の右 岸 、勝 山 橋 周 辺に1 . 5 k m 続く。大 正12年(1923)に勝 山 町 長
関源右衛門が桜を植樹したのが始まりである。
その後、市橋定吉によって
元禄通り
交番
深谷家住宅洋館
元町2丁目区
2
7
富田区
市民会館
6
開善寺
小笠原家廟所
病院
勝山市役所
神明神社
旧成器堂講堂
6
七里壁
七里壁
七里壁
上袋田区
やぐら会館
本町通り
現在の形に整備された。清流と山々の残雪に映えて咲きみだれるソメイヨ
シノの桜は、風情豊かな一つの絵模様としてその眺めは格別。4月中旬の
後町通り
土日には「弁天桜まつり」が開催され、毎年たくさんの花見客で賑わう。
ま
上長渕区
やぐら会館
た、4月上旬∼5月上旬には九頭竜川に鯉のぼりが渡される。
下袋田区
やぐら会館
板甚
下後区
やぐら会館
5
4
6
押絵通り
勝山駅[国登録文化財]
立川区
やぐら会館
大正3年(1914)
4月開業の越前
上後区
やぐら会館
電気鉄道勝山駅の駅舎である。木造
尊光寺
河原町通り 花月楼
下長渕区
やぐら会館
今と昔を比べながら歴史とともに歩いてみよう
3
郵便局
(中村家住宅主屋)
2階建寄棟造、桟瓦葺で、吹放ちの下
中後区
やぐら会館
屋がつく。ホームの待合所は、駅舎か
環状線
光明院(白山神社別当寺)
沢区の県道筋に建ち
「コンメンさん」
の名で親しまれている。
ら線 路をはさんだ反 対 側ホームに建
9 弁天桜
SPOT
8
九頭竜川
えちぜん鉄道
1
1 勝山駅
高星彦命を祀り本地仏「如意輪観音菩薩坐像」
(勝山市
つ。木造平屋建で、
トタン葺の庇がつ
SPOT
き、線路側を吹放ちとする。ほぼ当初
の形態を留めており、駅施設として貴
指定文化財)
が安置されている。旧白山神社は明治4年
重である。
(1871)神明神社に合祀され、光明院は改築され本殿の
勝山城下
絵図
前屋根は大正時代の神明神社拝殿の破風を移築した。
8
深谷家住宅洋館[国登録文化財]
(幕末期)
深谷家住宅洋館は明治12年(1879)に診療所として藤田九右衛
開善寺 小笠原家廟所
門よって建てられた。
1階には診察室や待合室があり、
2階には病室が
勝山藩主小笠原家の菩提寺。鎌倉時代末に
設けられた。木造平屋建、寄棟造桟瓦葺の瀟洒な建物で、庭とともに、
小笠原貞宗が信濃に建立し、勝山の開善寺は元
2
7
落ち着いた景観を作り出している。県内
禄4年(1691)初代小笠原勝山藩主となる貞信
には、現存する明治期の洋風建築は数
6
の勝山入封に伴い建立された。境内にある小笠
原家累代の廟所は、勝山市指定文化財になって
七里
5
いる。
3
が少なく、貴重な遺構である。
壁
4
SPOT
2
9
SPOT
3
神明神社
旧成器堂講堂
SPOT
7
1
[市文化財]
SPOT
市内小学校の名前にもなっている学問
[国登録文化財]
旧料亭 花月楼[国登録文化財] 4
江戸時代からの歴史を誇る老舗旅館。
かつて花街として栄えた河原町通りに建つ
して開校し、天保14年に成器堂の名称と
続的に見られる段丘崖は、総称して
「七里壁」
と呼ばれている。
1階奥の蔵座敷は床を黒漆喰塗とし、
旧 料 亭 花月楼 。現 在の建 物は明 治37年
なった。
もとは勝山城外大手門筋に創設さ
勝山の城下町建設にあたってはこの段丘崖を境に高台に城や
竹の落としかけにするなど、独特のデザ
(1904)
に角吉楼として建てられた。
現在は一部
れた藩校の読書堂(学問所)の講堂で、
武家屋敷を築き、一段下に寺社、町屋を築いた。
また、九頭竜
インとなっている。司馬 遼 太 郎がこの
改造されて住居として使われている。天井は意
明治44年に神 明 神 社に移 築 。外 観は
川の河川敷の平地には、洪水時に島のような中洲となっていた
蔵 座 敷で宿 泊しており、
『 街 道をゆく
匠的にも優れた傘状。
かつて繊維産業で栄えた
ほぼ当 時の姿を留めていることから勝
ため、集落名に
「島」
がついた地名がたくさんある。
越前の諸道』に紹介している。
勝山の繁栄を象徴する建物のひとつである。
山市指定文化財に指定されている。
七里壁
平泉寺町大渡から永平寺町鳴鹿に至る約二十数kmの断
11
旅館板甚 蔵座敷
6
SPOT
SPOT
5
の殿堂。天保12年(1841)
に勝山藩校と
10