東アジアにおける通貨政策の国際協調 International Coordination of

東アジアにおける通貨政策の国際協調*
International Coordination of Currency Policies in East Asia
小川 英治
Eiji Ogawa
一橋大学大学院商学研究科・教授
Professor, Graduate School of Commerce and Management, Hitotsubashi University
川
健太郎
Kentaro Kawasaki
東洋大学経営学部・講師
Assistant Professor, Faculty of Business Administration, Toyo University
1. 序
東アジアにおいて通貨政策の国際協調の重要性が認識され、実際に通貨政策の国際協調
に向けて動き始めたのは、1997 年にタイを震源地として東アジア諸国に伝染波及したアジ
ア通貨危機以降である。このアジア通貨危機を契機にして、ASEAN 諸国と日本、中国、韓
国(以下、ASEAN+3 と呼ぶ)の通貨当局は、東アジアにおける通貨政策の国際協調の必
要性を認識し、ASEAN+3 の財務大臣会合において、チェンマイ・イニシアティブ(Chiang
Mai Initiative:CMI)やアジア債券市場イニシアティブ(Asian Bond Market Initiative:
ABMI)などの形で東アジアにおける地域金融協力・通貨協調が進められている。
本稿では、ASEAN+3 によって進められているチェンマイ・イニシアティブを東アジア
における通貨政策の国際協調とみなして、その特徴と問題点を指摘し、その改善と将来の
あり方を探る。すなわち、現行のチェンマイ・イニシアティブは、いったん通貨危機が発
生したら、その影響を最小限にとどめるという通貨危機管理として機能することは期待さ
れるが、必ずしも通貨危機防止を目指してデザインされてはいない。東アジアにおける通
貨・金融危機の再発防止を目的とし、チェンマイ・イニシアティブを今後どのように充実
させるのか、加えて、通貨危機防止のための金融協力・通貨協調の在り方を考察する。さ
らに、チェンマイ・イニシアティブを発展させた場合に、どのような通貨政策の国際協調
へ進んでいくべきかを論ずる。
2. 通貨危機管理のためのチェンマイ・イニシアティブの一層の充実
(1) チェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極めの現状
チェンマイ・イニシアティブ(CMI)は、2000 年 5 月にタイのチェンマイで開催された
*
本稿は、財務省財務総合政策研究所『ASEANの為替制度と域内金融市場の発展に関する
研究会』報告書に提出した論文(小川(2005))を加筆修正したものである。
1
ASEAN+3 財務大臣会議で合意された ASAEN 諸国と日本、中国、韓国との間の通貨協調
である。チェンマイ・イニシアティブでは、二国間通貨スワップ取極めがネットワーク構
築されている(図1)。2004 年 7 月に日本・タイ第 2 次スワップ取極発効時において、チ
ェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極の総額は 375 億ドルに達している。
図1:チェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極の現状
(出所)財務省ホームページ
通貨スワップ取極は、通貨危機に陥った国に対して通貨スワップ取極の相手国がその取
極に従って、外貨準備を融通しあう通貨協調である。そのため、通貨危機が発生した後に
金融支援を行うという意味で、チェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極は
通貨危機管理として機能を有するものである。その意味で、この通貨スワップ取極は、通
貨危機管理を目的としたものであって、通貨危機防止を目的としてはいなく、また、その
ように機能するものではない。
(2) チェンマイ・イニシアティブの一層の充実
チェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極は、図 1 に示されるように、二
国間通貨スワップ取極のネットワークとして構築されている。これらの二国間通貨スワッ
プ取極のネットワークが通貨危機管理のために迅速に効率的に機能するためには、構成す
2
る二国間通貨スワップ取極間における適用条件などの共通化・ハーモナイゼーションが必
要となる。
チェンマイ・イニシアティブに基づく通貨スワップ取極は、通貨危機管理のために構築
されたものであるが、通貨危機防止のために機能するようにチェンマイ・イニシアティブ
を拡充・充実させることが望ましい。そのためには、迅速な通貨危機管理の可能とするだ
けでなく、通貨危機を防止することにも寄与するサーベイランスの充実を図るべきである。
サーベイランスが行われることによって各国政府は経済パフォーマンスを悪化させないよ
うに努めるインセンティブを増すことができる。
国際通貨基金(International Monetary Fund: IMF)が 1999 年に流動性不足に起因す
る通貨危機を防止するために緊急融資枠(Contingent Credit Line:CCL)を創設した。経
済ファンダメンタルズは悪化していないが、一時的に流動性不足による外貨準備不足に陥
った場合に、事前の審査によって経済パフォーマンスが良好であると判断される国に限定
して、緊急融資枠を設けるというものである。緊急融資枠が設定された国が万が一、通貨
危機に直面したときに、即座に緊急融資を受けられることから迅速な金融支援が可能とな
る。また、事前の審査によって緊急融資枠を設定されることによって、経済ファンダメン
タルズを良好に維持しようというインセンティブを増すことになる。
ただし、IMF においては、CCL の利用国がないことから、2003 年に CCL が廃止された。
その理由として、CCL のコミットメント料が高すぎたこと、経済パフォーマンスの事前審
査の結果が悪かった時、そして、経済パフォーマンスの悪化によって CCL の適用外になる
ことの国内経済に対する信認が低下するというシグナリング効果が懸念されたことが挙げ
られている。これらの IMF における CCL の廃止の原因を克服する必要がある。その克服
のためには、各国政府にモラルハザードを引き起こさない程度にコミットメント料を低下
させる必要がある。そして、ASEAN+3 諸国のすべての国に対して CCL 適用の対象とし、
CCL の適用・適用外は公表としないことによって、CCL の適用外となったという情報を公
開することの無用な経済混乱を防止する。
通貨危機の発生の原因には、経済ファンダメンタルズが悪化していなくとも、自己実現
的な投機によって通貨危機が発生する可能性がある。このような自己実現的な投機による
通貨危機は、ヘッジファンドによる投機攻撃によって引き起こされることがあり、1992 年
に英ポンドが当時の欧州通貨制度(European Monetary System:EMS)の為替相場メカ
ニズム(Exchange Rate Mechanism:ERM)から離脱した欧州通貨危機は、その例として
挙げられる。投機家による自己実現的通貨危機を防止するためには、投機家が投機攻撃を
通貨当局に加えても、通貨当局が豊富な外貨準備を有していて、為替相場制度を維持する
という信認を民間部門に持たせることが必要である。豊富な外貨準備を有していることを
知らせしめる方法として、地域通貨協力として外貨準備をプールすることによるシグナリ
ング効果が期待できる。外貨準備のプールは、通貨スワップ取極に実体を加えるという意
味で、より進んだ地域金融協力である。また、通貨スワップ取極から外貨準備のプールに
3
至るプロセスにおいて、通貨スワップ取極における外貨準備のイヤーマーク化もシグナリ
ング効果を部分的に期待できる。
3. ASEAN+3 の実効的なサーベイランス・プロセス及びそのための機関
(1) ASEAN+3 におけるサーベイランス
ASEAN+3 諸国がチェンマイ・イニシアティブにおける通貨スワップ協定を円滑に実行
するにためには、ASEAN 諸国の通貨当局は日常的にお互いのマクロ経済の状況をサーベイ
ランスすることによって万が一通貨危機が発生した時にも即座に的確な通貨危機管理を行
えるように準備をしておくことが必要である。また、サーベイランス・プロセスを日常的
に実施することによって、相互のピア・プレッシャーによって各国のマクロ経済政策を健
全に維持することも可能となる。このように、迅速な通貨危機管理のみならず通貨危機防
止のためにサーベイランス・プロセスを実施することに意義がある。したがって、前述し
た通貨スワップ取極とともに実効的なサーベイランス・プロセスを組み合わせることによ
って、チェンマイ・イニシアティブは通貨危機管理と通貨危機防止に役立つことであろう。
このように、通貨スワップ取極とサーベイランス・プロセスは車の両輪のように不可分で
ある。
ASEAN+3 財務大臣代理会合において、
「ASEAN+3 経済レビューと政策対話(Economic
Review and Policy Dialogue:ERPD)」と呼ばれるサーベイランス・プロセスと政策対話
が ASEAN+3諸国の通貨当局間において行われている。これは、強制力やペナルティを備
えた厳格なサーベイランス・プロセスというよりはむしろ、ピア・プレッシャーに基づい
たサーベイランス・プロセスとみなされている。そこでは、アジア開発銀行(ADB)の地
域経済モニタリング・ユニット(Regional Economic Monitoring Unit: REMU)が各国
経済・地域経済についてマクロ経済や構造問題について報告し、各国がマクロ経済、経済
政策、構造改革について説明・質疑応答を行っている。
サーベイランス・プロセスを事後的な通貨危機管理とともに事前的な通貨危機防止に対
して実効的に機能させるためには、ASEAN+3におけるサーベイランス・プロセスを強化
することが望ましい。各国の経済パフォーマンスに関して客観的にかつ日常的にサーベイ
ランスを行うことが望ましい。このような客観的・日常的サーベイランス・プロセスを実
施するためには、サーベイランス・プロセスを実施する機関を ASEAN+3各国政府から独
立し、中立的な機関として常設化することが考えられる。中立的な独立したサーベイラン
ス機関を新設するとなると、機関の運営・管理の費用とともに初期投資としての費用を要
することになることから、新たにサーベイランスのための機関を設立する手段の他に、既
存の機関、例えば、ADB の REMU あるいはアジア開発銀行の研究所(ADBI)の拡張発展
させる手段もある。どの手段を採用するかは、費用を考慮に入れながら、サーベイランス・
プロセスを実施するに適した機関を作り上げていくことが必要である。
サーベイランス・プロセスにおける対象項目は、前述したように、現行の ASEAN+3 の
財務大臣代理会合の ERPD においては、国内のマクロ経済変数(例えば、GDP 成長率やイ
4
ンフレ率)が中心となっている。地域通貨協調の視点からは、通貨危機を未然に防止する
ためには、ASEAN+3 諸国の通貨価値の安定にも注視する必要がある。この場合には、対
米ドル及び対ユーロに対する各国通貨の為替相場の動向に注目することとなろう。一方、
ASEAN+3諸国間の域内為替相場のミスアライメントは、各国の貿易収支や資本収支、ひ
いては国内経済にバイアスのかかった影響をもたらす可能性があることから、対米ドル及
び対ユーロの各国通貨の為替相場と同時に、域内為替相場にも注視することが必要である。
4. 為替相場政策協調のためのサーベイランス
前節において ASEAN+3 のサーベイランス・プロセスにおける対象項目に ASEAN+3 各
国の域内為替相場のミスアライメントに注視すべきことを論じた。東アジアにおいては、
様々な為替相場制度が存在するなか、ドルの全面安が域内為替相場のミスアライメントを
発生させている(Ogawa(2004))。日本や韓国は変動為替相場制度を採用し、タイやシンガ
ポールは管理フロート制度を採用し、特に、シンガポールは貿易相手国通貨から構成され
る貿易ウェイト付けした通貨バスケットをターゲットとしている。一方、中国とマレーシ
アは米ドルに対して自国通貨を固定する固定為替相場制度(ドル・ペッグ制度)を採用し
ている。さらに、香港は米ドルの外貨準備と同額のマネタリー・ベースしか供給しないカ
レンシー・ボード制度を採用している。
このように東アジアにおいて多様な為替相場制度を存在している原因としては、為替相
場制度及び為替相場政策の選択における東アジア諸国の通貨当局間の協調の失敗(Ogawa
and Ito(2002))が考えられる。歴史的に、ブレトンウッズ体制の下において米ドルが基軸
通貨の地位にあり続けたために、1973 年に世界の主要通貨が総フロート制に移行しても、
慣性の法則が働き、米ドルは基軸通貨の地位を維持し続けている(小川(1998))。日本を除
く東アジア諸国も 1997 年のアジア通貨危機以前は公式にドル・ペッグ制度を採用したり、
あるいは、事実上のドル・ペッグの状態にあった。東アジア各国がドル・ペッグ制度を採
用し続けることによって、域内為替相場は安定的に推移した。しかし、ドル・ペッグ制度
の採用は 1997 年にアジア通貨危機をもたらした。このような状況において、自国だけが現
行のドル・ペッグを放棄して、他の為替相場制度へ移行した際には、東アジアの隣国に対
する自国の為替相場のミスアライメント、特に、隣国に対する国際価格競争力の悪化が懸
念される。ここに、協調の失敗が発生する背景がある。
このような為替相場政策選択における協調の失敗を解消するためには、為替相場政策の
協調が必要である。例えば、域内各国の通貨当局すべてが共通通貨バスケット制度、或い
は各国が為替相場政策を行う際にレファレンスとなる仮想共通通貨の創設に合意している
と仮定する。厳格な制度の場合、域内すべての通貨当局が自国通貨を共通通貨バスケット
にペッグする。一方柔軟な制度では、各国通貨と共通通貨バスケットとの為替相場の中心
相場にバンドを設定し、域内各通貨当局は自国通貨との為替ターゲットを行うものである。
いずれの場合でも、域内通貨当局によって通貨バスケットをレファレンスとする協調した
為替相場政策を行う地域為替相場制度は、近隣各国の為替切り下げ競争の可能性を回避す
5
ることができるだろう。
ここで東アジア地域に共通通貨バスケットを導入する可能性について議論する。通貨バ
スケットに用いられる通貨の最適ウェイトは各国でおおよそ同じでなくてはならないこと
は明らかである。したがって、共通通貨バスケットが利用される地域とは最適通貨圏理論
に関連づけられることになる。
Ogawa and Kawasaki(2003)では、一般化購買力平価(G-PPP)モデルを用いて東アジアに
おける共通通貨圏形成の可能性について実証分析を行っている。G-PPP モデルは、自国と
強い経済関係を持つ国々との 2 国間為替相場それぞれに共通要素が含まれると考え、この
ような共通要素は長期的に実質為替相場を安定的な均衡点へと導く。実質為替相場の線形
結合が長期均衡関係(共和分関係)を持つのであれば PPP が成立し、それらの国々は最適
通貨圏を形成しうると考えるのである。
Ogawa and Kawasaki(2003)の実証分析では共通通貨圏を形成するアンカー通貨として
米ドルと共通通貨バスケット(米ドル、独マルク、円の 3 主要通貨)を用いている。主要
通貨それぞれは通貨バスケットの中で均等のウェイトを持ち、7 つの東アジア諸国の通貨と
共通通貨バスケットとの実質為替相場は以下のように定義される。
(
RE i,CB = RE i,US
)
(1/ 3)
(
⋅ RE i ,JP
)
(1/ 3)
(
⋅ RE i,DM
)
(1/ 3)
.
(1)
ここで RE i, j は第 i 国と第 j 国との実質為替相場を表す。
サンプル期間は 1985 年 10 月から 1997 年 6 月とし、韓国、シンガポール、マレーシア、
タイ、フィリピン、インドネシア、中国の東アジア諸国が含まれている。実質為替相場は
名目為替相場月末値と消費者物価指数から算定されている。データは IMF, International
Financial Statistics (CD-ROM)を利用した。線形結合の中に2カ国以上含まれるケースに
焦点を当て、3、4、5、6、7カ国の各国通貨とアンカー通貨との実質為替相場の線形
結合、198 の組み合わせに対して「Johansen 検定」をおこなっている。
検定の結果、米ドルをアンカー通貨とした場合に 70 組、共通通貨バスケットをアンカー
通貨とした場合には 49 組について共和分関係を発見することができた。東アジア7カ国が
含まれる通貨圏の中で最小の組み合わせを特定する必要があるため、線形結合に含まれる
国すべてが行列 Π に関するカイ2乗検定で有意な結果を持つものだけに注目する。
表1からは以下の3つの特徴がみられた。(1)米ドルをアンカー通貨とした場合には共
通通貨圏は組み合わせが一つしか存在しないのに対し、通貨バスケットの場合、共通通貨
圏は様々な組み合わせが存在する。(2)通貨バスケットをアンカー通貨とした場合、
ASEAN 諸国は韓国や中国とともに共通通貨圏を形成することが可能であるのに対し、米ド
ルの場合、共通通貨圏は ASEAN 諸国内に限られる。
(3)通貨バスケットをアンカー通貨
とした場合、重複することなく、すべての東アジア諸国を含むことができる2つの組み合
わせが存在する。その組み合わせは韓国とマレーシアとフィリピンとインドネシア及びシ
ンガポールとタイと中国の2つである。米ドルの場合、互いに補完的な組み合わせを見つ
けることはできなかった。
6
表 1.1: 実証分析のまとめ : 通貨バスケット
共通通貨圏内
韓国
の国の数
(ウォン)
シンガポール インドネシア マレーシア
(SG ドル)
(ルピア)
(リンギ)
フィリピン
タイ
中国
(ペソ)
(バーツ)
(元)
タイ
中国
(バーツ)
(元)
3
4
表 1.2: 実証分析のまとめ : 米国ドル
共通通貨圏内
韓国
の国の数
(ウォン)
シンガポール インドネシア マレーシア フィリピン
(SG ドル)
(ルピア)
(リンギ)
(ペソ)
4
出所:Ogawa and Kawasaki (2003)
実証分析から得られた3つの特徴はいずれも、東アジア諸国において共通通貨圏を形成
する際には、アンカー通貨として米ドルを用いるよりも、共通通貨バスケットを用いる方
が、その汎用性が高いということを示唆している。また特徴(3)は、重複しない2つのグ
ループはグループ間の政策協調を行うことにより、さらに大きな共通通貨圏を形成可能で
あるということを意味している。これらの2つのグループはアンカー通貨となる共通通貨
バスケットは同じバスケットウェイトを採用しているものの、実際には各変数の長期均衡
へ収束するスピードが異なる。これは長期均衡への調整過程においてはグループ間で経常
収支不均衡に直面する可能性を意味している。
このような場合は、2つの共通通貨圏に含まれる政府がグループ間で協調して政策を行
う(「グループ間政策協調」)必要がある。「グループ間政策協調」の鍵は、国際収支におけ
る過渡的なグループ間の非対称性を調整するため、財政支出や財政移転を含むマクロ経済
政策を行うことであろう。
7
一方、為替相場政策の協調は、具体的にはASEAN+3 財務大臣代理会合のERPDのサーベ
イランス・プロセスにおいて行うことが可能であり、行われるべきであろう。為替相場政
策のサーベイランスにおいて域内為替相場のミスアライメントに注視しながら、為替相場
政策の協調を進めるためには、各国通貨が他の域内通貨からどれほど乖離しているかを定
期的に注目することが必要である。その際に、東アジア通貨の加重平均値としての通貨単
位であるアジア通貨単位(Asian Monetary Unit:AMU)を創り、AMUと各国通貨の為替
相場の安定化を図ることによって、東アジアの域内の為替相場の安定化、各通貨の過大・
過小評価の是正をめざす1。
Ogawa and Shimizu (2005)では、為替相場政策協調のための乖離指標としてAMUを推
計して、ASEAN+3 各国通貨についてAMUからの乖離指標を計算した。そこでは、AMU
の構成通貨としてASEAN+3 の 13 か国通貨を想定し4種類のウェイト付け 2 について
AMUを推計している。3
各国通貨の AMU からの乖離指標は基準年(貿易不均衡が最も小さい年として 2001 年を
選択)において乖離率を 0%として、乖離指標がプラスになると当該通貨が過大評価されて
いることを示し、乖離指標がマイナスになると当該通貨が過小評価されていることを示す。
そのために、以下の式を利用して、乖離指標を計算する。
乖離指標 (%) =
当該通貨/AMUの基準レート−当該通貨/AMUの実際のレート
× 100
当該通貨/AMUの基準レート
図2は、貿易量に基づく AMU の場合の各国通貨の乖離の動向が示されている。2004 年
9 月より東アジア通貨の乖離が拡大していることがわかる。日本円、韓国ウォン、タイ・バ
ーツ、シンガポール・ドルが AMU に対して増価傾向にある一方、中国人民元、マレーシア・
リンギット、フィリピン・ペソなどが減価傾向にある。2001 年を基準とした時に、2004
年 12 月において韓国ウォンが最も過大評価されている一方、フィリピン・ペソが最も過小
評価されている。この 2 つの通貨の間では、乖離率が 30%となっている。フィリピン・ペ
ソを除くと、過小評価されている通貨のほとんどはその国の通貨当局はドル・ペッグ制度
を採用している。また、通貨バスケット制度を採用しているシンガポール・ドルが一貫し
て比較的、乖離率 0%の近辺で推移していることは特徴的である。
田中・藤田(2003)、田中・金(2003, 2004)も同様の提案をしている。本稿の提案は、
これらの先行研究を参考にしている。
2 名目GDP、購買力平価(PPP)で測ったGDP、貿易量(輸出量+輸入量)
、国際準備の4
種類。
3 実証分析の詳細についてはOgawa and Shimizu (2005)を参照。
1
8
図2:乖離指標(貿易量に基づく AMU)
出所:Ogawa and Shimizu (2005)
これまでは名目為替相場で測った乖離指標を見てきたが、貿易や直接投資や実質 GDP な
どの実物経済への影響を考察するためには、名目為替相場よりもむしろ実質為替相場を注
視しなければならない。そこで、各国経済と AMU 推計の対象国となっている ASEAN+3
諸国全体のインフレ率格差を考慮に入れて、実質乖離指標を計算する。物価水準のデータ
として消費者物価指数(CPI)を利用する。
図3には名目乖離指標が示され、図4には実質乖離指標が示されている。図3と図4を
比較すると、名目乖離指標と実質乖離指標との間で相違が見られる。第一に、名目乖離指
標では、最も過大評価されている通貨と最も過小評価されている通貨との間でおよそ 30%
の乖離率であるの対して、実質乖離指標ではその乖離率が 40%近くに拡大する。また、名
目乖離指標ではインドネシア・ルピアとラオス・キプが最近、減価傾向にあって、基準レ
ートに近づいているにもかかわらず、実質乖離指標ではこれらの通貨が減価せず、増価傾
向にもある。この相違は、それぞれの国で ASESN+3 の(加重平均)インフレ率よりも高
いインフレ率に直面しているために、このインフレ率格差が実質乖離指標を増価させる傾
向にある。実質乖離指標における過大評価は、国際価格競争力を低下させていることを意
味する。
9
図3:名目乖離指標(貿易ウェイト AMU、月次)
出所:Ogawa and Shimizu (2005)
図4:実質乖離指標(貿易ウェイト AMU、月次)
出所:Ogawa and Shimizu (2005)
10
本節で提示した乖離指標を利用することによって、域内為替相場のミスアライメントがど
の通貨の間で発生していて、どの程度発生しているかが一目瞭然となる。このような乖離
指標を利用しながら、ASEAN+3 においてサーベイランスが行われれば、域内為替相場の
ミスアライメントの原因が明らかになる。そして、政策対話によって為替相場政策の協調
が行われれば、このような域内為替相場のミスアライメントを縮小することができよう。
5. 結論
本稿では、ASEAN+3 によって進められているチェンマイ・イニシアティブを東アジア
における通貨政策の国際協調とみなして、その特徴と問題点を指摘し、その改善と将来の
あり方を探った。現行のチェンマイ・イニシアティブは、いったん通貨危機が発生したら、
その影響を最小限にとどめるという通貨危機管理として機能することは期待されるが、必
ずしも事前に通貨危機を防止するようには十分に機能しないかもしれない。通貨危機防止
として機能するためには、サーベイランスの充実、緊急融資枠(CCL)の創設、外貨準備
のイヤーマークやプールが行われる必要がある。
通貨危機防止を目的として ASEAN+3 におけるサーベイランスを実効的なものとするた
めには、様々な通貨政策の国際協調が必要となる。実効的なサーベイランス・プロセスを
実施するための中立的な独立の機関の創設が、その創設の費用と兼ね合いで検討する必要
があろう。また、東アジア諸国の通貨当局が様々な為替相場制度・為替相場政策を採用す
るなか、ドルの全面安が域内為替相場にミスアライメントを発生させているという認識に
基づいて、為替相場制度・為替相場政策の選択における協調の失敗を解決するために為替
相場政策の協調が行われることが望ましい。
地域為替相場制度の将来のあり方については、今後も様々な議論が期待される一方で、
共通通貨バスケットを中心とした共通通貨圏の形成はこうした協調の失敗の解決方法と期
待される。しかし、地域で共通の通貨制度を採用するだけでは不十分であり、例えば通貨
圏内のグループ間政策協調等、何らかの協調政策は不可欠となろう。さらに為替相場政策
の協調を実行するために域内為替相場のサーベイランス・プロセスとその際に利用される
AMU とそれからの乖離指標が創設すべきである。AMU と各国通貨の為替相場の安定化を
図ることによって、東アジアの域内為替相場のミスアライメントを縮小することができ、
そして、域内為替相場のミスアライメントが及ぼす実物経済への影響を最小化することが
できよう。
参考文献
小川英治(2005)「東アジアにおける金融協力・通貨協調のあり方」財務省財務総合政策
研究所『ASEAN の為替制度と域内金融市場の発展に関する研究会』報告書
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Currency Arrangement,” Journal of the Japanese and International Economies,
vol. 16, No. 3, 317-334.
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田中素香・金明浩(2003)「東アジアにおける通貨バスケットによる為替レートの安定性」
研究年報『経済学』(東北大学)第 65 巻、第 1 号
田中素香・金明浩(2004)
「ドル、ユーロ、円の通貨バスケットによる東アジアの為替相場
協力」『世界経済評論』11 月号
12