プリントのデータを画像として鮮明にするためのフロンティア問題1

プリントのデータを画像として鮮明にするためのフロンティア問題1
【1】
2007 年 青山学院大学
文
次の文を読んで以下の設問に答えなさい。
前 3000~前 1200 年頃,(
1エーゲ )海を中心に青銅器文明が栄えた。(
1エーゲ
)文明である。前 16 世紀
ごろからその中心となったのが,ギリシア本土のミケーネ文明だった。
線文字 B が 1952 年に解読されたことにより,ミケーネ文明の担い手がギリシア人であることが判明し,②その国
①
家と社会についても研究が進められるようになった。ミケーネ文明滅亡後は史料の欠けた,いわゆる暗黒時代に入
る。第2波のギリシア人である(
2
ドーリア)人の侵入・定住による混乱が続いた。前8世紀にシノイキスモス
により各地にポリスが成立する。そして前8世紀半ばから前6世紀にかけて,ギリシア人は③地中海周辺各地に植
民市を建設し,ポリスの世界を拡大した。交易の拡大は④貨幣経済の普及と手工業の発展をもたらす。手工業の発
展は武具の低廉化をもたらした。それにより,重装歩兵軍に占める中小土地所有市民の割合が増大する。前7世紀
から重装歩兵戦術が採用されていたが,当初は貴族主導で行なわれたものだった。こうして戦士団としてのポリス
市民団が形成されて行くのである。最強の重装歩兵軍を作り上げたのはスパルタである。それは(
人が先住民を征服して成立したポリスだった。先住民は(
3
ペリオイコイ)ないし(
4
2
ドーリア)
ヘロット)とされた。
前者は「周辺に住む者」の意で商工業者を含む。後者はスパルタ市民の持分地を耕作する隷属農民である。この隷
属農民に対する支配のために,強力な軍事力と市民の団結が必要とされた。市民は平等な土地所有者となると共に
きびしい軍国主義教育を受けた。戦時に重装歩兵となる市民たちの政治的・経済的平等が実現されるのである。ア
テネでは,前6世紀はじめに(
5
ソロン)が,貴族と平民の調停者として改革を断行した。財産政治,身体を抵
当とした借財の禁止が主な内容で,市民団の解体阻止がねらいだった。前6世紀半ばには(
が僣主となり,独裁政治を行ない貴族支配に打撃を与える。そして前6世紀末,(
7
6
ペイシストラトス)
クレイステネス)が政権を
にぎると,貴族支配の地盤だった部族制の改革など⑤民主的改革が進められた。これによって,戦時に重装歩兵と
なる中小土地所有市民が政治的発言権を持つ民主政治が確立した。その実力は,⑥ミレトスを中心とするイオニア
植民市反乱を援助したことが原因で始まった,ペルシア戦争において試されることになる。前 490 年,アテネ重装
歩兵軍がペルシア軍を⑦マラトンの戦いで撃破したのである。その後アテネは,(
より海軍を整備する。⑧その(
8
シア諸ポリスはアテネを中心に(
8
テミストクレス)の指導に
テミストクレス)率いる艦隊が前 480 年ペルシア艦隊に勝利する。戦後,ギリ
9
デロス)同盟を結成し,さらなるペルシアとの戦いにそなえた。アテネは,
この同盟によって強力な艦隊を維持できたばかりでなく,やがて同盟諸市を支配する地位に立つ。「アテネ帝国」
と呼ぶ研究者もいる。この時期の指導者が,民主政治の完成者とされる(
で破壊された⑨パルテノン神殿の再建など,(
しやがて(
10
1
10
10
ペリクレス)である。ペルシア戦争
ペリクレス)時代は文化面でもアテネの全盛期であった。しか
ペリクレス)の指導するアテネは,スパルタとの死闘,ペロポネソス戦争に突入することになる。
問1
(
)~(
10
)に適切な人名・語句を記入せよ。
問2
下線④の貨幣使用は,小アジア南西部の王国で始まり,ギリシアへ伝わったものである。その王国の名を記
せ。
問3
リディア
下線⑤の改革の一つとされるものに,僣主出現を阻止するため,市民の投票により特定の人物を国外追放す
る制度の創設がある。その制度は何と呼ばれているか記せ。
オストラシズム(陶片追放)
問4
下線⑥のミレトスは,イオニア学派の中心地でもある。この学派の祖で,万物の根元を水とした哲学者の名
を記せ。
問5
タレス(タレース)
下線⑦のマラトンの戦いには,アテネの三大悲劇詩人の一人,アイスキュロスも参加しており,詩人はそれ
を何より誇りとした。そのアイスキュロス以外の二人の悲劇詩人の名を記せ。ソフォクレス・エウリピデス
問6
下線①の線文字Bを解読した学者はだれか。a~cから一人選び記号を記せ。
a.エヴァンズ
b.ローリンソン
c.ヴェントリス
問7
下線②の,ミケーネ文明期の国家の性格として適切なのはどれか。a~cから一つ選びその記号を記せ。
a.貢納王政
問8
b.神権政治
c.領邦国家
下線③のギリシア人の植民市でないのはどれか。a~cから一つ選び記号を記せ。
a.ビザンティオン
b.クノッソス
c.シラクサ
問9
下線⑧の,前 480 年の海戦はどれか。a~cから一つ選び記号を記せ。
a.アクティウムの海戦
b.サラミスの海戦
c.レパントの海戦
問 10
下線⑨のパルテノン神殿再建工事の総監督となったのはだれか。a~cから一人を選び記号を記せ。
a.フェイディアス
b.プラクシテレス
c.アリストファネス
フェイディアス=前 5 世紀のギリシアの彫刻家であり,生没年は不詳。アテネのアクロポリスに立つパルテノンの本
尊アテナ像,およびオリンピアのゼウス神殿のゼウス像の作者として,すでに絶大な名声を博していた。ペリクレス
の友人であったフェイディアスは,アクロポリス復興事業の依頼を受けてパルテノン神殿建造の総監督を務めた。
【2】
2005 年 関西学院大学 社会学部
次の文中の下線部に関する問いに答え,記号にマークしなさい。
紀元前 20 世紀以降,①ギリシア人はバルカン半島南部からエーゲ海,さらに小アジア西岸に定着した。その後,
紀元前8世紀頃から都市国家であるポリスが形成され,また地中海や黒海沿岸に②植民市がつくられた。紀元前5
世紀,③ペルシア戦争をへて④アテネは⑤民主政治の発展によって繁栄したが,その後⑥スパルタとのペロポネソス戦
争に敗退することになった。紀元前4世紀に入ると,ギリシア諸都市間での覇権争いが続くなか,この世紀の後半
には北方のマケドニア王国が台頭し,国王⑦フィリッポス2世がギリシアの支配権をにぎった。フィリッポス2世
の息子である⑧アレクサンドロスは父の遺志をついで東方遠征を開始し,紀元前 330 年にはアケメネス朝を滅亡さ
せた。遠征の結果アレクサンドロスが築いた帝国は,彼の死後,将軍たちによっていくつかの王国に分割して継承
された。この時代には東西文化の融合によって⑨⑩ヘレニズム文化が花開くことになった。
[問
①
い]
移動してきたギリシア人の中で,紀元前 12 世紀頃から南下してきた人々はどれか。
a.ドーリア人
b.イオニア人
c.アカイア人
d.アイオリス人
紀元前 12 世紀頃から南下してきた人々に関して、ドーリア人・イオニア人・アイオリス人を区別することは教科書
レベルでは不可能である。ドーリア人は,前 12 世紀ごろからミケーネ王国の崩壊とともにクレタ島などのエーゲ海
の島々、ペロポネソス半島のラコニア、アルゴリス、コリントスに侵入し、定住したことは明確である。それ以前に
第 1 次移動で南下したアカイア人はともかく,イオニア人とアイオリス人の南下開始の時期を明確に記述しているも
のはない。問題として成立させたければ、後にスパルタを形成した民族はどれか。といった表現を追加させるべきで
ある。悪問だから気にしないで先に行こう。
②
ギリシア人の植民市でない都市はどれか。
a.シラクサ
③
b.ビザンティオン
c.マッサリア
d.ティルス
フェニキア人の都市国家
ペルシア戦争の前半,ダレイオス1世の治世におこった戦いはどれか。
a.サラミスの海戦
b.プラタイアの戦い
c.マラトンの戦い
d.テルモピレーの戦い
ダレイオス 1 世(位前 522~前 486)なのでマラトンの戦いに該当する。以後はクセルクセス 1 世(位前 486~前 465)
の治世期である。
④
アテネにあるパルテノン神殿の建築様式はどれか。
a.コリント式
⑤
b.イオニア式
c.ゴシック式
d.ドーリア式
アテネの民主政治の発展に関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.ソロンは財産政治を導入して貴族と平民の間の利害の調整をはかった。
b.僭主ペイシストラトスは中小の農民を保護した。
c.テミストクレスは僭主の出現を防ぐ陶片追放を始めた。
d.ペリクレスのもとで成年男子市民全員が民会に参加した。
ペイシストラトスのチェックよろしく、暴君じゃないからね。テミストクレスは海戦の将軍として有名。
⑥
スパルタの参政権を持たない自由人で,主に商工業に従事した人々はどれか。
a.バルバロイ
b.ヘロット
c.メトイコイ
d.ペリオイコイ
メトイコイはギリシア社会における在留外国人のこと
⑦
フィリッポス2世がギリシア諸都市をまとめるためにつくらせた同盟はどれか。
a.コリント同盟
b.隣保同盟
c.ペロポネソス同盟
d.デロス同盟
コリントス同盟(ヘラス同盟)という表記もあります。
⑧
アレクサンドロスとダレイオス3世との2度目の戦いで,ティグリス川中流域でのものはどれか。
a.イッソスの戦い
b.カイロネイアの戦い
c.アルベラの戦い
d.イプソスの戦い
前 331 年秋,北メソポタミアに進攻したアレクサンドロス大王が,ティグリス川左岸ガウガメラ付近の平原で
ダレイオス 3 世のペルシア軍と遭遇し,イッソスの戦(前 333)に次いで再びこれを破った戦いでガウガメラの戦い
という。アレクサンドロスは戦闘半ばに戦場を離脱したダレイオスを,約 90km 南のアルベラまで徹宵追跡したが
及ばず,しかしダレイオスの権威は全く失われ,アレクサンドロスは以後正式に「アジアの王」を称した。
つまり,この戦いはアルベラ(ガウガメラ)の戦いとも呼ばれる。正式にはガウガメラで始まり、アルベラで終わ
った戦いのこと。
⑨
ヘレニズム時代に栄えた王朝で最後に滅んだものはどれか。
a.プトレマイオス朝
b.セレウコス朝
c.アンティゴノス朝
d.アッタロス朝
⑩
ヘレニズム時代に活躍した人物でないのはだれか。
a.エウクレイデス
b.プロタゴラス
c.エピクロス
d.エラトステネス
プロタゴラスは古代ギリシアの思想家で,最も有名なソフィストであり,民主政が隆盛極める頃の人物。
(1)アテネとスパルタの奴隷制度について,以下の語を用いて 120 字以内で説明せよ。
ヘイロータイ
商工業に従事
3分の1
個人所有の奴隷
銀山の採掘
アテネでは総人口の3分の1にものぼる個人所有の奴隷がふつうであり,家内奴隷・農業奴隷に加え,銀山の採
掘などにも多数使役された。スパルタでは,市民がヘイロータイとして被征服民を農業に従事させ,商工業に従
事するペリオイコイと同じく隷属させた。
指定語句をアテネとスパルタのどちらで使用すれば文章がスムーズに展開するか、考えてみよう。
(2)アテネ民主制の展開について,以下の語を用いて 250 字以内で説明せよ。
民主政の基礎
陶片追放制
地縁
非合法
クレイステネス
財産政治
ドラコン
借財
前7世紀にドラコンによって法律が成文化され,前6世紀初頭にソロンが財産政治をおこない,血統ではなく財
産額によって市民の参政権を定め,借財を負った市民を奴隷として売ることを禁止した。アテネの僭主ペイシス
トラトスは,非合法に政権を奪取し,中小農民を保護するなど平民層の力を充実させたが,一般に僭主は暴君
化する傾向があった。クレイステネスは,僭主の出現を予防するため陶片追放制を作り,血縁にもとづく旧来の4
部族制を,地縁共同体に基礎をおく 10 部族制に改める大改革をおこない,アテネ民主政の基礎を築いた。
(3)アテネの民主政について,現代の民主政との相違点を考慮して,以下の語を使用して,210 字以内で説明
せよ。
民会
将軍
陪審員
代議制 在留外人 前 5 世紀半ば
民衆裁判所
前5世紀半ばに完成したアテネ民主政では成年男性市民の全体集会である民会が多数決で国家の政策を決
定し,将軍など一部をのぞき,一般市民から抽選された任期1年の役人が行政を担当した。裁判は,やはり抽選
された多数の陪審員が,民衆裁判所において投票で判決をくだした。市民における政治的平等が徹底している
一方で,奴隷・在留外人・女性には参政権がなかったことや,代議制でなく直接民主政であったことなどが,現
代の民主政治との違いである。
(4)ペロポネソス戦争の経過とその意義について,以下の語を用いて 200 字以内で説明せよ。
アテネ
ペロポネソス同盟
傭兵
市民団の団結
重装歩兵軍
テーベ
ペリクレス
デロス同盟率いるアテネとペロポネソス同盟の盟主スパルタとの間で前 431 年にペロポネソス戦争が勃発した。
当初アテネが優勢だったが,ペリクレス死後に政治が混乱してスパルタに敗れた。前4世紀半ばにスパルタにか
わりテーベが一時主導権をにぎるが,ポリスの争いは続いた。この間ポリスでは土地を失い市民の身分から転落
するものが増え,重装歩兵軍にかわり傭兵が流行すると,市民団の団結は失われ,ポリス社会は変質した。
(5)アレクサンドロス大王の東征について,以下の語を用いて 120 字以内で説明せよ。
イッソスの戦い
インダス川流域
エジプト
ペルシア戦争の報復
ギリシア
大王はペルシア戦争の報復のため,マケドニアとギリシアの連合軍をひきいて前 334 年東方遠征に出発した。
大王はイッソスの戦いでアケメネス朝に勝利すると,エジプトを解放後,ペルシアを滅ぼし,最終的にインダス川
流域にまでいたる大帝国を築いた。