台湾客家系漢人の言語生活

台湾客家系漢人の言語生活
松尾
慎
【要旨】
【キーワード】客家人、客家語、インタビュー調査、言語選択、
言語選択の背景的要因
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本研究的目的是為了調查台灣客家人使用語言的現況並了解此現
況 的 背 景 與 成 因。 調 查 方 式 是 以 1925年 ~ 1985年 間 出 生 的 21名 客 家 人
為對象進行訪問。
首 先 , 在 家 庭 中 所 使 用 的 語 言 方 面 , 所 分 析 出 來 的 結 果 是 , 有 19
人 在 家 會 使 用 客 家 語 , 有 2個 人 不 是 。 而 影 響 家 庭 的 語 言 選 擇 之 主 要 因
素 是 出 生 年 份 。 1973年 之 前 和 之 後 出 生 的 受 訪 者 , 在 使 用 客 家 語 的 比
率上有很大的差異。其次,結果顯示,在工作的場合,所有的受訪者
都選擇兩種或兩種以上的語言,尤其是選擇閩南語的比率有顯著的增
加 。 在 與 人 交 際 方 面 , 雖 有 4位 受 訪 者 使 用 單 一 語 言 , 但 使 用 閩 南 語 的
比率仍然居高。因此,和家庭的情況不同,在工作和人際方面,除了
出生年份,居住地是造成選擇語言的主因。
1. 研 究 の 背 景 と 目 的
台 湾 に お い て 、 客 家 系 漢 人 ( 以 下 客 家 人 と す る ) は 、 ホ ー ロ ー 1系
漢人、原住民とともに日本統治以前から暮らしてきた。台湾におけ
る 客 家 人 の 割 合 は 約 12% と 言 わ れ て い る 。 最 大 の 割 合 を 占 め る ホ ー
ロ ー 系 ( 約 73.3% )、 も っ と も 割 合 の 少 な い 原 住 民 ( 約 1.7% ) と 比
較 す る と 外 省 系 ( 約 13% ) と と も に マ ジ ョ リ テ ィ で も な く マ イ ノ リ
テ ィ で も な い 集 団 を 構 成 し て い る と い え る ( 黄 1995:21)。
台湾における客家人の祖先の大部分は、中国大陸の広東省出身で
中でも、梅縣の出身者が非常に多い。客家人の台湾への移住はホー
ロー人よりも時期的に遅かったため、やや内陸部に集住地を形成し
て い っ た 。 客 家 人 の 割 合 が 高 い 地 域 の 代 表 と し て 、 苗 栗 縣 (68.0% )、
新 竹 縣 (65.5% )が 挙 げ ら れ ( 黄 1995:29)、 こ の 他 、 台 中 縣 の 東 勢 や
桃園縣、高雄縣、屏東縣にも客家人の集住地域が存在する。
台湾では、日本統治時代には日本語学習が強要され、戦後、戒厳
令下における国民党政権では国語(北京語)が奨励された。一方、
ホ ー ロ ー 語 2や 客 家 語 3な ど の 郷 土 言 語 は 方 言 と し て そ の 地 位 が 十 分
に 認 め ら れ る こ と は な か っ た 。1987 年 に 戒 厳 令 が 解 除 さ れ た 後 、徐 々
に 、「 方 言 」 の 地 位 は 高 ま り 言 語 と し て 位 置 付 け ら れ る よ う に な り 、
メディアにおける使用言語も自由化された。郷土言語を擁護する活
動 は 、多 数 派 で あ る ホ ー ロ ー 系 以 外 の 人 々 の 間 に も 及 ん だ 。例 え ば 、
客 家 人 の 若 手 知 識 人 に よ っ て 1987 年『 客 家 風 雲 』と い う 雑 誌 が 創 刊
さ れ た 。ま た 、翌 1988 年 11 月 19 日 、台 湾 南 部 の 六 堆 で の 言 語 権 益
を 主 張 す る 集 会「 六 堆 客 家 之 夜 」に 続 き 、12 月 28 日 、台 北 市 で「 1228
還 我 母 語 (我 々 の 母 語 で あ る 客 家 語 に 帰 ろ う )」と 題 し た デ モ 行 進 が 実
施 さ れ た ( 河 村 1998:30)。
こ こ 数 年 の 動 き と し て 、 2001 年 か ら は 、 郷 土 言 語 教 育 が 小 中 学 校
で始まり、客家人集住地域の学校では客家語の教育が行われるよう
に な っ た 。 さ ら に 、 2003 年 に は 客 家 電 視 台 に よ る 客 家 語 専 門 の 放 送
が始まった。しかし、メディアにおける使用言語の自由化、公教育
1ホ ー ロ ー は 、
「 福 佬 」と
も「 河 洛 」と も 書 か れ る こ と が あ る た め 、本 論 文 で は「 ホ
ーロー」と記すこととする。
2台 湾 で は 一 般 に 、
「 台 語 ( 台 湾 語 )」 と 呼 ば れ る 。 ま た 「 閩 南 話 ( 閩 南 語 ) 」 と 呼
ばれることがあるが本論文では「ホーロー語」と記述する。
3 台 湾 に お け る 客 家 語 は 、7 つ の 方 言 に 下 位 分 類 す る こ と が で き る( 鍾 2 00 1)
。
「な
かでも四県話と称される広東省梅県を中心とする客家語が最も優勢で、屏東、
新 竹 、苗 栗 、桃 園 と い っ た 客 家 語 地 区 す べ て に 行 わ れ て い る 。ほ か に 海 陸 話( 広
東 省 海 豊 陸 豊 )が あ り 、桃 園 、新 竹 、苗 栗 の 一 部 に 行 わ れ て い る 」
( 樋 口 2 00 0: 3)。
における郷土言語教育の実施という流れの中、大きな問題が立ち表
れている。それは、すべての「方言」が公認されたとはいえ、ホー
ロー語、客家語、アタヤル語やパイワン語などの原住民諸語が等し
くその社会的地位を向上することには繋がらないという問題である。
一つには、メディアの自由化に伴い市場原理が導入されるため、ホ
ーロー語で発信される情報量に比べて客家語や原住民諸語で発信さ
れる情報量は圧倒的に少ないという問題が挙げられる。また、藤井
( 宮 西 ) (2003)は 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。
「 民 主 化 さ れ る 以 前 に は 、台 湾 の 人 々 の 母 語 は い ず れ に し て も『 国
語 』と 対 立 す る 存 在 で あ り 、そ の 意 味 で 等 し く 抑 圧 さ れ て い た 」が 、
民 主 化 後 、「 台 湾 社 会 内 部 に お け る 閩 南 系 ・ 閩 南 語 偏 重 は 明 ら か で あ
り、方言の地位向上とは言っても、現実には専ら閩南語の地位向上
で し か な か っ た 」( 藤 井 ( 宮 西 ) 2003: 164)
本研究では、右に述べたような社会的背景、言語的背景、歴史的
背景を持つ台湾・客家人の言語生活の実態に関するインタビュー調
査に基づき分析、考察していくこととする。具体的な研究の目的は
以下の通りである。
1) 台湾・客家人における言語選択の実態を明らかにすること
2 ) 台 湾・客 家 人 に お け る 言 語 選 択 に 関 わ る 背 景 的 要 因 を 明 ら か
にすること
2. 先 行 研 究
2.1. 黄 (1995)
黄 (1995)は 、楊 名 暖 が 1988 年 に 開 始 し た フ ィ ー ル ド 調 査 の 結 果 に
基 づ い て 雲 林 縣 、彰 化 縣 の 客 家 人 の 言 語 使 用 と 言 語 シ フ ト (Language
shift)に 関 し 分 析 、 考 察 を 行 っ て い る 。 1028 部 の ア ン ケ ー ト 用 紙 を
配 布 し 954 部 を 回 収 。有 効 回 答 は 191 部 で あ っ た 。191 部 の 内 訳 は 、
雲 林 縣 91 部 、彰 化 縣 100 部 で あ る 。雲 林 縣 と 彰 化 縣 は 、ホ ー ロ ー 人
が人口の大半を占める地域である。雲林省では、福建省の漳州府出
身の客家人(詔安客)が調査対象で、彰化縣では福佬客と呼ばれる
す で に ホ ー ロ ー( 福 佬 )化 し て い る 客 家 人 が 調 査 対 象 と な っ て い る 。
調査内容は、言語能力(国語、ホーロー語、客家語、日本語、英
語)と家庭内における言語使用状況である。調査結果は、両親とも
客 家 人 で あ る 調 査 協 力 者( HH)と 父 親 が 客 家 人 で 母 親 が ホ ー ロ ー 人
で あ る 調 査 協 力 者 (HT)に 分 け て 表 示 さ れ て い る 。
詔 安 客 の HH の 場 合 、祖 父 母 と の 会 話 で 国 語 を 使 用 す る 人 は 0% 、
ホ ー ロ ー 語 は 41% 、客 家 語 が 59% で あ る 。ま た 、父 母 と 国 語 は 5% 、
ホ ー ロ ー 語 は 45% 、 客 家 語 が 50% と な っ て い る 。 兄 弟 姉 妹 の 場 合 、
国 語 が 12.2% 、ホ ー ロ ー 語 が 45.9% 、客 家 語 が 41.9% で あ る 。子 ど
も と は 国 語 が 21% 、 ホ ー ロ ー 語 が 53.6% 、 客 家 語 が 25% と な っ て
い る 。 こ の よ う に 、 詔 安 客 の HH の 場 合 、 祖 父 母 、 父 母 、 兄 弟 姉 妹
に対してはホーロー語と客家語の使用割合が高く、子どもに対して
は ホ ー ロ ー 語 の 割 合 が 高 く な っ て い る 。 詔 安 客 の HT の 場 合 は 、 ホ
ー ロ ー 語 の 使 用 割 合 が 高 く 、祖 父 母 に 対 し 77.6% 、父 母 に 対 し 70.5% 、
兄 弟 姉 妹 に 対 し 67.4% 、 子 ど も に 対 し 61.5% で あ る 。 そ の 分 、 客 家
語 の 使 用 割 合 が 低 く 、 父 母 に 対 し て も 22.7% に と ど ま っ て い る 。
一 方 、福 佬 客 の 場 合 、HH と HT の 誰 も 家 族 に 対 し て 客 家 語 を 使 用
していない。一方、ホーロー語の使用割合が非常に高く、最低でも
76.2%( HT の 子 ど も )、最 高 で 100%( HH の 祖 父 母 )と な っ て い る 。
こ の よ う に 、 詔 安 客 の HH を 除 い て は 、 客 家 語 の 使 用 割 合 が 低 い
ことが明らかになった。この研究は、台湾客家人の言語使用に関す
る数少ない貴重な研究ではあるが問題点も存在する。もっとも大き
な問題は、家庭内の言語使用に関して、使用言語の複数回答を認め
ていないことである。さらに、調査協力者に母親が客家人で、父親
が客家人以外である場合を含んでいない点も課題となるだろう。
2.2. 簡 (2002)
1998 年 に 桃 園 県 で 240 名 を 対 象 に 実 施 し た 言 語 選 択 に 関 す る 面 接
式のアンケート調査に基づく研究である。調査協力者は、アタヤル
族 ・ ホ ー ロ ー 人 ・ 客 家 人 ・ 外 省 人 各 60 名 ず つ で あ る 。 60 名 の 内 訳
は 、 老 年 層 ( 60 歳 以 上 )・ 中 年 層 ( 59 歳 ~ 30 歳 )・ 若 年 層 ( 29 歳 以
下 )各 20 名 ず つ と な っ て い る 。言 語 使 用 領 域 と し て「 家 庭 」、
「 隣 家 」、
「 暗 算 ・ 祈 り 」、「 公 的 な 場 ( 上 司 ・ 先 生 ・ 同 僚 ・ ク ラ ス メ イ ト ・ 役
場 ・ 病 院 ・ 市 場 ・ 百 貨 店 )」 が 設 定 さ れ た 。 結 果 と し て 、 客 家 人 の 言
語 生 活 に お い て は 、北 京 語 が 使 用 頻 度 が 高 い 順 に「 公 的 な 場 」→「 暗
算・祈り」→「隣家」→「家庭」と浸透しつつあることが明らかに
なった。この研究は、調査者の言語能力(国語、ホーロー語、日本
語)を十分に生かした調査方法を採用しているためデータに信頼性
があり、言語選択の回答に複数回答を認めている。一方、通婚家庭
をほとんど調査対象にしていない点に限界が見られるだろう。
2.3. 本 研 究 の 意 義
本研究では、先行研究の成果と限界点を踏まえた上で、調査を行
い分析、考察を加えていくこととする。本研究の意義は、以下の通
りである。
第一の意義は調査協力者の多様性である。前述したように、黄
(1995) の 場 合 、 調 査 協 力 者 は 、 両 親 と も 客 家 人 で あ る か 、 父 が 客 家
人 で 母 が ホ ー ロ ー 人 で あ る 人 に 限 定 さ れ て い る し 、 簡 (2002)の 場 合 、
通婚家庭に生まれた人は調査の対象にほとんど含まれていない。父
方がホーロー系で母方が客家系である調査協力者はホーロー人とし
て分類され、父方が客家系で母方がホーロー系である調査協力者は
客家人と分類されることに妥当性が存在するであろうか。そうした
分類が台湾の社会通念上の慣例に沿うものであるとしても、社会言
語学の研究上の分類として適当であるとはいえないだろう。したが
って、本研究では、父親か母親のいずれかが客家人である人はすべ
て調査協力者対象とすることにした。
第二の意義は言語選択の実態と背景的要因を細部に渡って把握し
て い く 点 で あ る 。黄 (1995)と 簡 (2002)は 、量 的 な 意 味 で 言 語 選 択 の 実
態を明らかにすることにおいて一定の成果を挙げている。しかしな
がら、個々の調査協力者における言語選択の多様な実態や個々の調
査協力者がどのような理由である言語選択を行っているかについて
は触れられてはいない。本研究においては、個々の調査協力者と長
時間のインタビューを実施することで先行研究を質的に補っていく。
それによって、より細かな言語選択の実態とその背景的要因を把握
していくことが可能となるのである。
3. 調 査 の 概 要
3.1. 調 査 協 力 者
調 査 協 力 者 は 、父 方 あ る い は 母 方 の い ず れ か が 客 家 系 で あ る 台 湾 人
21 名 で 1925 年 生 ま れ か ら 1985 年 生 ま れ と 年 齢 の 幅 が 広 い( 平 均 は
1960 年 生 ま れ )。 性 別 は 、 女 性 が 10 名 で 男 性 が 11 名 で あ る 。 居 住
地 4 で も っ と も 多 い の は 台 中 縣 の 東 勢 鎮 と 新 竹 縣 で 各 5 名 、続 い て 苗
栗縣、台中市が各 4 名、台北縣・高雄縣・屏東市が各一名ずつであ
る。職業の内訳は、表を参照されたい。
4結 婚 し て 独 立 し て い る
調査協力者の場合は、現住所を居住地とし、大学生など
の場合は親元の住所を居住地とした。
表 1
調査番号
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
調査協力者の一覧
生年
1925
1947
1982
1958
1957
1978
1926
1951
1976
1940
1928
1974
1950
1973
1985
1984
1984
1969
1984
1927
1984
性別
男性
男性
女性
女性
男性
男性
女性
男性
女性
男性
男性
女性
男性
女性
女性
女性
女性
男性
男性
男性
女性
職業
元自営業(木材取引)
教師(高校の国語教師)
日本留学準備中
工場作業員
自営業(園芸)
会社員(エンジニア)
元雑貨屋経営
飲食店経営
飲食店経営(父の手伝い)
飲食店経営
歴史研究者
大学職員
大学教員
大学職員
日本語学科学生
日本語学科学生
法律学科学生
日本語学科学生
日本語学科学生
元小学校教師
中国語学科学生
居住地
台中縣東勢鎮
台中縣東勢鎮
台中市
新竹縣竹東鎮
新竹縣竹東鎮
新竹縣竹東鎮
新竹縣竹東鎮
台中市
台中縣東勢鎮
台中縣東勢鎮
苗栗縣苗栗市
台中市
台北縣中歴市
台中市
新竹縣竹北市
苗栗縣造橋郷
高雄縣六亀郷
苗栗縣三義郷
苗栗縣苗栗市
台中縣東勢鎮
屏東縣屏東市
3.2. 調 査 方 法 ・ 調 査 項 目
調査法としては、面接法を選択し、あらかじめ用意してある項目
について、筆者が調査協力者に口頭で質問した。使用言語は、日本
語、もしくは国語(北京語)である。インタビューの中心的な内容
は以下の通りである。
①
言語選択
1)家 庭 内 の 話 し 相 手 別 ( 父 方 祖 父 ・ 父 方 祖 母 ・ 母 方 祖 父 ・ 母 方
祖母・父・母・兄弟・子ども・孫)の言語選択
2)仕 事 関 係 に お け る 言 語 選 択
3)交 友 関 係 に お け る 言 語 選 択
②
会 話 能 力( 国 語 、ホ ー ロ ー 語 、客 家 語 、原 住 民 諸 語 、日 本 語 、
英語)
③
自己意識(自分自身を何人であると思っているか)
④
両親、祖父母の出生地
⑤
個人的属性(年齢、居住地、職業、学歴など)
質問は項目を読み上げる形式を取らずに、できるだけ自然なコン
テクストを作るように心がけた。それは、インフォーマントにリラ
ックスしてもらうことによって、言語選択の細かい様相や日常考え
ていることをできるだけそのまま答えてもらうためである。回答形
式も基本的には自由回答とし、あらかじめ選択肢が用意されている
項目に関しては、調査者である筆者の判断で回答を選択肢に割り振
った。インタビュー時間は短くても 1 時間程度、長ければ 4 時間程
度であった。インタビュー内容は、①から⑤の内容以外の個人史、
さらには台湾の歴史や社会問題に話が及ぶこともあった。
3.3. 分 析 方 法
まず、次節の冒頭に言語選択結果の一覧表を提示する。続いて、
言語選択の結果を家庭内、仕事関係、交友関係別に分析、考察して
いくこととする。分析、考察は、主に生年に焦点を当てていく。
5 節 で は 、言 語 選 択 の 背 景 的 要 因 に 関 し 、祖 父 母 の 族 群 、居 住 地 、
職業、客家語・客家人に対する意識に焦点を当てインタビュー調査
で得た結果に基づき、言語選択の実態に様々な背景的要因がいかに
結びついているかに関し分析、考察を加えていくこととする。
4. 言 語 選 択 の 結 果
表 2 は、言語選択の結果をまとめたものである。表の読み方は以
下の通りである。まずは、それぞれの記号が何語を示しているかを
説明する。
表 中 の 「 ● 」 は 客 家 語 、「 ○ 」 は 国 語 、「 ホ 」 は ホ ー ロ ー 語 、「 日 」
は 日 本 語 、「 原 」 は 原 住 民 諸 語 、「 英 」 は 英 語 を 表 し て い る 。
記号の大きさは選択割合の程度を示し三段階に分かれている。も
っとも大きい記号は、常に用いていることを示している。次に大き
な記号はときどき選択していることを示し、一番小さい記号はまれ
に し か 選 択 し な い こ と を 示 し て い る 。 例 え ば 、 調 査 番 号 20 の 男 性
(1927 年 生 ま れ )は 、配 偶 者 と 話 す 際 に 、客 家 語 を 中 心 に し て い る が 、
ま れ に は 日 本 語 を 選 択 す る 。 ま た 、 調 査 番 号 15 の 女 性 ( 1985 年 生
まれ)は、父方祖母と話す際に、客家語を中心に選択しているが、
国語もときどき選択している。
表 2
言語選択の結果一覧
調査番号
性別
生年
1
男
1925
7
女
1926
20
男
1927
11
男
1928
10
男
1940
2
男
1947
13
男
1950
8
男
1951
5
男
1957
4
女
1958
18
男
1969
14
女
1973
12
女
1974
9
女
1976
6
男
1978
3
女
1982
16
女
1984
17
女
1984
19
男
1984
21
女
1984
15
女
1985
父方祖父 父方祖母 母方祖父 母方祖母
父
母
兄弟
配偶者
子ども
●日
●
●
●○
●
●○
○
○
●○
○
○
●
●
●
●
○
●
ホ○
●
●
●
ホ
●
●
●
●○
●
●
ホ 日
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●
●
●
●
●
●
●
●
●
○
○
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●○ホ ●○ ホ
●○
●○
○ ホ
○
○
●○
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●
ホ
○
●
○
○
●
●
●
●
●
●○
●○
●○
○
○
ホ
○
○
●
●○
○
●日
●日
●
●
●○
●
●○
●○
○ホ
孫
仕事関係
●○ ●○ホ
● ●○原日
○
●○日
○
●○日
○
●○ホ
●○ホ
●○ホ日
●○ホ日英
●○ホ
●○
●○ホ日
○ホ 日
○ホ日
●○
●○英
交友関係
●○ホ
●
●○日
●○日
●
●○ホ
●○ホ日
●○ホ
●
●○
● ○日
○ホ
○ホ
○ホ
●○英
○ホ
●○ホ
○
● ○日
●○ホ日
●○ホ
(●=客家語、○=国語、ホ=ホーロー語、日=日本語、原=原住民諸語、英=英語)
4.1. 家 庭 内 に お け る 言 語 選 択
家 庭 内 で 客 家 語 を 選 択 し て い る 人 は 19 名 、 選 択 し て い な い 人 は 2
名である。まず、もっとも気楽に話すことが出来る同世代の兄弟と
の 言 語 選 択 に 着 目 し て み た い 。1951 年 よ り 早 く 生 ま れ た 調 査 協 力 者
は 兄 弟 と の 会 話 で 客 家 語 し か 選 択 し て い な い 。そ し て 、1957 年 、58
年 、 69 年 生 ま れ の 調 査 協 力 者 は 客 家 語 と 国 語 を 併 用 し て い る 。 こ の
差 異 の 社 会 的 な 背 景 的 要 因 と し て 考 え ら れ る の は 、1956 年 に 始 ま っ
た 「 説 国 語 運 動 」 で あ る 。 政 府 に よ っ て 学 校 で は 、「 方 言 」 を 避 け 、
国 語 を 使 用 す る こ と が 規 定 さ れ た ( 黄 1995:109)。 1951 年 生 ま れ の
調 査 協 力 者 も「 説 国 語 運 動 」以 降 に 公 教 育 を 受 け た こ と に な る が 、
「説
国語運動」の影響が家庭内の言語使用にも及んだ世代が本調査でい
え ば 1957 年 以 降 の 世 代 と い う こ と に な る も の と 思 わ れ る 。 ま た 、
1973 年 以 降 に 生 ま れ た 調 査 協 力 者 は 調 査 番 号 3 番 の 女 性 を 除 け ば 全
員 が 国 語 を 選 択 し て お り 、客 家 語 を 選 択 し て い る の は 21 番 の 女 性 の
み で あ る 。 1976 年 に は 、「 広 播 電 視 法 ( ラ ジ オ ・ テ レ ビ 法 )」・「 広 播
電視法施行細則」が発布され、国語の推進と逆に「方言」使用に対
す る 更 な る 制 限 が 加 え ら れ た 。例 え ば 、
「 広 播 電 視 法 施 行 細 則 」第 13
条 で は 、 国 語 に よ る 放 送 の 比 率 を テ レ ビ で は 70% 以 上 、 ラ ジ オ で は
55% 以 上 と す る こ と が 定 め ら れ た 。 こ う し た 社 会 に お け る 言 語 の 地
位の変化が家庭内における言語選択に大きな影響を及ぼし、結果と
して、生年によって言語選択のパターンに大きな相違がもたらされ
たのであろう。
祖父母との言語選択と孫との言語選択は表裏一体であるためまと
めて分析する。祖父母との言語選択に関しては、客家語が中心的に
選択されている様子が読み取れる。一方で、孫がいる 5 名の調査協
力者のうち孫と客家語を使用してコミュニケーションを取っている
人は 2 名に留まっている。孫世代の回答結果と祖父母世代の回答結
果の微妙な差異に関しては、調査協力者の絶対数が少ないので量的
分 析 を 行 う こ と が 難 し い 。し か し な が ら 、「 祖 父 母 と は 客 家 語 で 話 し
てあげたい」と思う孫世代の思いと「孫とはなかなか客家語だけで
はコミュニケーションが取れない」という祖父母世代の思いのずれ
がこのような結果をもたらした可能性もあるだろう。
父母との言語選択と子どもとの言語選択に関しては、父母を持つ
15 名 の 調 査 協 力 者 の う ち 12 名 ま で が 多 か れ 少 な か れ 客 家 語 を 使 用
し て 父 母 と 会 話 し て い る こ と が 分 か っ た 。特 に 1969 年 よ り 早 く 生 ま
れ た 調 査 協 力 者 ( 1947 年 生 ま れ か ら 1969 年 生 ま れ ) は 父 母 と 客 家
語 の み で 会 話 し て い る 。こ れ に 符 合 す る よ う に 1940 年 以 前 に 生 ま れ
た調査協力者はいずれも子どもと客家語を使用している。つまり、
こ の 年 代 ま で の 親 子 間 で は 、「 説 国 語 運 動 」の 影 響 が 互 い の 言 語 選 択
には大きな影響を与えていないのである。逆にそれ以降の世代で父
母と客家語のみで会話している人、子どもと客家語のみで会話して
い る 人 は と も に 一 人 も い な い 。兄 弟 と の 言 語 選 択 に お い て 1973 年 生
まれの調査協力者が分岐点になっていたが、父母との言語選択にお
い て も 1973 年 生 ま れ 以 降 の 調 査 協 力 者 で 客 家 語 の み で 会 話 し て い
る人がいない点が注目される。
配 偶 者 が い る 人 は 10 名 で あ る が 、う ち 9 名 ま で は 配 偶 者 と 客 家 語
を選択している。これは配偶者もまた客家語の会話能力が高いこと
を 意 味 し て い る 。 ま た 、 1928 年 よ り 早 く 生 ま れ た 調 査 協 力 者 は 配 偶
者との会話で日本語を使用していることが分かる。調査番号 1 番と
20 番 の 男 性 は 「 子 ど も に 聞 か せ た く な い 話 を す る と き に 日 本 語 を 使
う 」。 ま た 、 11 番 の 調 査 協 力 者 は 「 自 然 に 日 本 語 が 出 て き て し ま う 」
とのことである。
4.2. 仕 事 関 係 に お け る 言 語 選 択
仕 事 関 係 の 言 語 選 択 に 関 し て は 、現 在 、大 学 生 で あ る 1982 年 以 降
生 ま れ の 調 査 協 力 者 を 除 い た 15 名 を 対 象 に 分 析 し て い く 5 。
表 2 から仕事関係の言語選択において特徴的に理解できる第一の
点は、すべての調査協力者が複数言語を選択しているということで
ある。この点が家庭内の言語選択との大きな差異である。国語・ホ
ーロー語・客家語の 3 言語をすべて選択している調査協力者が 7 名
おり、客家語と国語だけではなくホーロー語の選択割合が高いこと
が伺える。
国語に関しては、全ての調査協力者がかなりの程度使用している
こ と が 明 ら か に な っ た 。1928 年 以 前 に 生 ま れ た 4 名 の 調 査 協 力 者 は
公教育で国語(北京語)を学んだ経験がないため第二次世界大戦後
独学で習得したことになる。
仕事を客家語のみで行っている調査協力者は一名もいない。しか
し 、 仕 事 関 係 で 客 家 語 を 選 択 し て い る 人 は 13 名 (86.6% )お り 、 そ の
う ち か な り の 程 度 使 用 し て い る の は 10 名 で あ る 。
ホ ー ロ ー 語 は 、9 名 の 調 査 協 力 者 に よ っ て 使 用 さ れ て お り 、う ち 7
名はかなりの程度使用している。仕事におけるホーロー語の選択割
合の高さは家庭には見られないものである。
日本語に関しては、特に高年齢層において選択割合が高くなって
いる。
このように客家人は、国語、客家語、ホーロー語を場面と相手に
よって使い分けながら職業に従事していることが明らかになった。
しかしながら、現在の大学生世代が職に就いた際、どの程度客家語
を使用することになるかは不明である。
4.3. 交 友 関 係 に お け る 言 語 選 択
交友関係における言語選択も、仕事関係同様に複数の言語が使用
されていることが読み取れる。しかしながら、仕事関係で使用して
いる言語数より交友関係で使用している言語数が上回っている調査
協力者は一名もおらず、仕事関係に比べれば交友関係で選択される
5大 学 生 は ア ル バ イ ト を
ほとんどしていないので仕事関係の分析から省くことと
し た 。 調 査 番 号 1 8 の 協 力 者 ( 1 96 9 年 生 ま れ ) は 、 社 会 人 経 験 が あ る た め そ の
時代の言語選択を分析、考察の対象とする。
言 語 の 数 は や や 少 な い 傾 向 が 読 み 取 れ る 。し か し 、仕 事 関 係 同 様 に 、
国語・ホーロー語・客家語の 3 言語をすべて選択している調査協力
者が 7 名おり、客家語と国語だけではなくホーロー語の選択割合が
高いことが分かった。また、交友関係において単一言語を使用して
いるのは 4 名のみである。
国語は多くの調査協力者によって選択されており、使用していな
い の は 3 名 の み で あ る 。 ま た 、 17 名 の 調 査 協 力 者 が 高 い 割 合 で 選 択
していることから、多くの客家人にとって国語は交友関係の維持の
ために欠かせない言語となっているようである。
客 家 語 も 16 名 の 調 査 協 力 者 に よ っ て 選 択 さ れ て い る 。し か し 、選
択割合の程度は生年別にはっきりと分布に差があることが分かる。
1958 年 以 前 に 生 ま れ た 10 名 の 調 査 協 力 者 全 員 が 、 客 家 語 を か な り
の 程 度 選 択 し て い る の に 対 し 、 若 年 層 で は 調 査 番 号 6( 1978 年 生 ま
れ)の男性のみが客家語の選択割合が高い。
ホ ー ロ ー 語 は 11 名 の 調 査 協 力 者 に よ っ て 使 用 さ れ て い る 。こ の う
ち 7 名 は 1973 年 以 降 に 生 ま れ た 若 年 層 に 集 中 し て い る 。 1973 年 以
降の調査協力者は全員が大学に進学しており、大学においてホーロ
ー人との交友を持ったことが大きな影響を及ぼしているものと考え
られる。
日本語は仕事に比べれば選択されている割合は低い。
5. 言 語 選 択 の 背 景 的 要 因
5.1. 祖 父 母 の 族 群
両親とも客家人であるか、あるいは片親だけが客家人であるかは
言 語 選 択 に 対 し て 大 き な 影 響 を 与 え て い る 。 調 査 番 号 3、 12、 14、
15 の 調 査 協 力 者 は 祖 父 母 の い ず れ か が 客 家 人 で は な い 。
調 査 番 号 3( 1982 年 生 ま れ ) の 女 性 は 、 家 庭 内 で ホ ー ロ ー 語 を 中
心に選択しており客家語はまったく使用していない。父方祖父は客
家人であるが、その他の 3 人の祖父母は全員がホーロー人である。
父方祖父はその妻にあたる父方祖母が客家語を理解しないため、孫
である調査協力者に客家語で話しかけることはないとのことである。
そのため、この女性は言語成長期に客家語を耳にすることがなく、
客 家 語 は 話 す こ と も 聞 く こ と も ま っ た く で き な い 。 調 査 番 号 14
( 1973 年 生 ま れ ) の 女 性 は 、 父 方 は 祖 父 母 と も 客 家 人 で あ る が 、 母
方 は 祖 父 母 と も ホ ー ロ ー 人 で あ る 。父 親 は 調 査 協 力 者 が 子 ど も の 頃 、
客家語を教えてくれなかったので、この女性は客家語がほとんど話
せないし、話す機会自体ない。
5.2. 居 住 地
家庭内の言語選択に関しては、居住地よりも生年が大きな影響を
与えている。では、仕事関係と交友関係における言語選択と居住地
はどのような関係にあるのであろう。
3.1 で 述 べ た よ う に 居 住 地 で も っ と も 多 い の は 台 中 縣 の 東 勢 鎮 と
新竹縣で各 5 名、続いて苗栗縣、台中市が各 4 名である。台中市を
除けば客家人の集住地であるが、東勢鎮と新竹縣・苗栗縣ではその
人口動態的環境が異なる。新竹縣と苗栗縣は、全縣に渡って客家人
が多いのに対し、東勢鎮はホーロー人の割合が非常に高い地域に囲
まれている。そのため、町を一歩出ればホーロー人とコミュニケー
ションを取る必要がある。
調 査 番 号 1、 2、 9、 10、 20 の 調 査 協 力 者 は 台 中 縣 東 勢 に 居 住 し て
い る 。こ の 5 名 の 調 査 協 力 者 は 20 番 の 調 査 協 力 者 を 除 い て 、仕 事 関
係 、あ る い は 交 友 関 係 に お け る ホ ー ロ ー 語 の 選 択 割 合 が 非 常 に 高 い 。
調 査 番 号 1( 1925 年 生 ま れ )の 男 性 は 、木 材 販 売 業 を 営 ん で い た が 、
東勢では客家語を使用し、東勢を出たら仕事関係でも交友関係でも
ホーロー語を使用することが多かったと語っている。
調 査 番 号 7 (1926 年 生 ま れ )の 女 性 に 特 徴 的 な の は 仕 事 関 係 に お い
て 客 家 語 以 外 に も 、 国 語 、 原 住 民 諸 語 ( 泰 雅 語 : タ イ ヤ ル 語 )、 日 本
語 が 選 択 さ れ て い る 点 で あ る 。こ の 女 性 は 、1926 年 に 宜 蘭 で 生 ま れ 、
1947 年 に 原 住 民 が 多 い 新 竹 縣 の 五 峰 郷 に 移 住 し た 。そ の 町 で 雑 貨 屋
を 開 き 、 73 歳 ま で 五 峰 郷 に 住 ん で い た 。 そ の 後 、 子 ど も た ち が 住 む
竹 東 鎮 に 移 り 住 ん だ 。五 峰 郷 は 泰 雅 (タ イ ヤ ル )族 が 多 く 、彼 ら と は 当
初、日本語で会話していたという。日本語も客家語も通じない住民
とは国語で話していた。宜蘭出身なので、ホーロー語ができるが五
峰郷にはあまりホーロー人は移り住んでこなかったので使用機会が
なかったという。タイヤル語は住んでいるうちに聞いたら分かるよ
うになっていった。こうした背景で、この女性は、仕事関係におい
て 国 語 、タ イ ヤ ル 語 、日 本 語 を 併 用 し て い く よ う に な っ た の で あ る 。
しかしながら、交友関係は客家人が中心でありほとんど客家語のみ
を選択している。
5.3. 職 業
調 査 番 号 20 (1927 年 生 ま れ )の 男 性 は 、 台 中 縣 の 東 勢 で 生 ま れ た 。
高 等 科 1 年 の と き に 日 本 へ 私 費 留 学 し 、旧 制 中 学 を 卒 業 し た 。戦 後 、
東勢へ戻ると教員不足だったこともありこの男性は教員として採用
された。しかし、国語(北京語)がまったくできなかったため 2 週
間の特訓を受けた。そして、この男性はまず東勢の近くの新社の小
学 校 に 派 遣 さ れ た 。そ し て 、東 勢 の 小 学 校 に 転 任 し 1987 年 に 退 職 す
る ま で 40 年 以 上 、東 勢 で 勤 め 上 げ た 。授 業 は 、国 語 は あ ま り 得 意 で
はなかったが国語で行った。客家語は少し使った程度だという。そ
れ は 、「 説 国 語 運 動 」 に 代 表 さ れ る よ う に 公 教 育 の 場 で は 、「 方 言 」
は 厳 し く 制 限 さ れ て い た か ら で あ る 。「 方 言 」 を 使 用 し た 生 徒 は 、 怒
鳴 ら れ た り 、 手 を 叩 か れ た り 、 罰 金 を 取 ら れ た り 、「 狗 牌 」 と 呼 ば れ
る罰札を首に掛けられたりした。ある学校にいたっては「糾察隊」
を組織し生徒が方言を話さないか監視させ、あるいは生徒が互いに
方 言 を 話 し た 生 徒 を 「 検 挙 」 す る こ と を 奨 励 し た の で あ る (洪
1992:42)。 こ う い う 時 代 背 景 を 考 え れ ば 現 職 教 師 時 代 は 仕 事 関 係 で
客家語を使用することは考えられなかったであろう。この男性は、
子 ど も と 国 語 中 心 で 会 話 し て い る 。 こ れ は 、 1920 年 代 生 ま れ の 調 査
協力者の中でこの男性のみである。この例は、職業が家庭内の言語
選択に対しても影響を与えた例であるといえるだろう。
調 査 番 号 13( 1950 年 生 ま れ )の 男 性 は 、現 在 、大 学 の 教 員 を 務 め
ているが、小学校の教員、新聞局職員、旅行会社社員と多様な経歴
を誇っている。教師時代は仕事では国語のみである。新聞局では、
日本語要員であったため日本語と国語が中心であった。旅行会社で
は、日本語ガイドなので日本語はもちろんであるが、案内ガイドと
してはホーロー語を使用したという。大学教師としての仕事では、
日本語、国語、そして同僚とはホーロー語で話すこともある。この
男性は、家庭では、客家語と国語しか用いていないが、豊富な職業
経験を基礎に仕事関係においてはホーロー語の選択割合が非常に高
い。
5.4. 客 家 語 ・ 客 家 人 に 対 す る 意 識
5.1 で 触 れ た 調 査 番 号 14 の 女 性 は 、客 家 語 を 話 す こ と が で き な い 。
し か し 、こ の 女 性 は 成 長 す る に つ れ て 客 家 人 と い う 意 識 が 強 く な り 、
客家語を学びたいという気持ちが高まってきている。また、客家人
が客家語を話せないのは恥かしい、客家人は台湾で永久に続いて欲
しいと思っていると語っている。しかしながら、今のところ会話能
力が伴わないため現実の生活では、国語を中心に選択している。こ
の女性の場合、客家人としての高い自己意識や客家語に対する意識
が客家語の選択に結びついていない。
一 方 、 調 査 番 号 21( 1984 年 生 ま れ ) の 女 性 は 、 若 年 層 と し て は 、
唯一、兄弟と客家語を選択している。1歳上の姉とは国語と客家語
半々で話し、6 歳下の弟とは国語のみを使用している。この女性は、
結婚相手として客家人にこだわらないが、子どもには客家語を教え
るという。それに反対する人とは結婚したくないと語った。このよ
うな客家語に対する非常に強い継承意識と言語選択の実態が相互に
影響を与え合っているものと思われる。
調 査 番 号 9( 1976 年 生 ま れ ) の 女 性 は 、 家 族 と の 会 話 だ け で は な
く、仕事関係においても客家語を選択している。この女性は、客家
人ではない友達に対して、自分自身が客家人であることを堂々と話
しているという。理由を尋ねると「私は客家語が話せる。だから、
堂々と客家人であると言える」との回答であった。客家人としての
自己意識の表出と言語能力との間には大きな関係が存在し、それは
また客家語の選択とも大きく結びついているのである。
6. ま と め と 今 後 の 課 題
本研究で明らかになったことを以下、簡潔にまとめる。
1)言語選択の結果
a) 家 庭 内 に お け る 言 語 選 択
家 庭 内 で 、客 家 語 を 選 択 し て い る 人 は 19 名 、選 択 し て い な い 人 は
2 名 で あ る 。生 年 が 早 い 調 査 協 力 者 は 兄 弟 と の 会 話 で 客 家 語 し か 選 択
し て い な い が 、1973 年 以 降 に 生 ま れ た 人 は 1 名 を 除 い て 兄 弟 と 客 家
語を使用していない。祖父母に対しては客家語を選択している調査
協 力 者 が 多 い 。 父 母 を 持 つ 15 名 の 調 査 協 力 者 の う ち 12 名 ま で が 客
家語を使用して父母と会話している。配偶者に対してはほとんどの
人が客家語を選択している。
b) 仕 事 関 係 に お け る 言 語 選 択
すべての調査協力者が複数言語を選択している。客家語と国語だ
けではなくホーロー語の選択割合が高い。
c) 交 友 関 係 に お け る 言 語 選 択
単一言語使用の調査協力者が 4 名存在する。また、仕事関係同様
に、ホーロー語の選択割合が高い。
2)言語選択の背景的要因
客家人ではない祖父母を持つ調査協力者は一般に客家語の選択割
合が低い。家庭内の言語選択に関しては、生年が大きな影響を与え
ているが、仕事関係、交友関係に関しては、居住地と職業も大きな
影響を与えている。また、職業に関しては仕事関係における言語選
択はもちろんであるが、ときとして家庭内の言語選択にも影響を与
えることがある。客家語・客家人に対する意識は客家語の選択との
相互関係を持つ場合が多いが、その例から漏れる場合が存在するこ
とが分かった。
今後は、さらにインタビューを行うと共に、より詳細な分析を行
っていきたい。それが本研究に課せられた今後の課題である。
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