算数教育における定義の概念的知識獲得を目的と

日本科学教育学会研究会研究報告
Vol. 30
No. 3(2015)
算数教育における定義の概念的知識獲得を目的とした学習法の効果
The effect of the learning way which get the conceptual knowledge
for its definition in arithmetic education
池田耕輔* 渡辺雄貴** 加藤浩*** Ikeda Kosuke* Watanabe Yuki** Kato Hiroshi***
東京工業大学大学院社会理工学研究科* 東京工業大学教育革新センター** 放送大学教養学部*** Graduate School of Decision Sciences and Technology, Tokyo Institute of Technology*
Center for Innovative Teaching and Learning, Tokyo Institute of Technology**
Faculty of Liberal Arts, The Open University of Japan***
[要約] 本研究では、算数教育において、定義の概念的知識獲得を目的に、学習法の効果を検討し
た。都内公立小学校5年生と6年生に、分配法則計算の2種類の解法比較を行わせた。実験群の5年
生には、図表活用方略とその方略を促すため、話し合いに聞き手と話し手という役割をもたせて、比
較させた。ここで、分配法則の概念的知識獲得は、数学における分配法則の定義式を言語や図形を使
って表現できることと定義し、式から言語、式から図形、図形から式を表現する3種類の問題で、概
念的知識獲得の効果を測定した。その結果、実験群において、式を図形で表現する問題の事前、事後
テストの差に、統計的な有意傾向がみられた。
[キーワード] 多様な解法 概念的知識 図表活用方略 小学校算数 分配法則 1. 求められている(文部科学省,2008)が、TIMSS
はじめに
算数や数学の国際的学力調査として、IEA(国
のビデオ調査から、日本では、授業中の子ども
際教育到達度評価学会)による TIMSS 調査や
の言語活動は教師に比べて少なく、教師と生徒
OECD(経済協力開発機構)による PISA 調査によ
の発話回数の割合が8:2という結果が報告さ
って、日本の子どもの学力は、基礎基本的能力
れている(Stigler and Hiebert,1999)。 が国際的に見て高いが、応用力に課題があるこ
ところで、学習法の工夫に関して、1 つの問題
とが明らかとなった(文部科学省,2008)。ま
に 1 つの解法ではなく、多様な解法を取りあげ
た、藤澤(2002)では、意味を考えず一時しの
ることが、古くから注目されている
ぎ的に答えや解法を丸暗記することや、学習法
(Polya,1945)。多様な解法は、抽象的理解の深
を工夫せず、反復的に学習する学習者の問題を
化や問題解決力の獲得に効果的といわれてお
ごまかし勉強としてまとめ、現代学力低下の要
り、Rittle-Johnson and Star(2007)は、中学
因となっていることを主張している。 1年生2人1組のペアに、一次方程式の計算問
このような学習上の背景から、算数や数学の
題の解法を2つ並べて提示し、比較させること
深い理解のために、暗記するのではなく、学ん
で、多様な解法の効果を示した。ここで提示さ
だ知識を言語や図、式を用いて表現する活動が
れた解法の一つは、一般的な計算の解法で、も
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う一つは、計算の簡略化を意図した解法であっ
3. た。そのため、解法の差異の比較から、学習者
1)図表活用法略
は効率的な計算方法や状況に応じた使用方法を
先行研究での問題点を踏まえ、本研究では、
獲得したものと考えられる。 多様な解法の式の比較に、概念的知識の獲得に
この実験では、計算の正答率で表される手続
効果的とされる図表活用方略を用いることを考
き的知識や、状況に応じた解法選択をできるか
えた。植阪(2009)では、頭の中にある内的資
どうかで表される手続き的柔軟性に、多様な解
源だけでなく、図表などの外的資源を活用する
法の効果があることを示したが、一次方程式の
学習の重要性を主張し、濃度に関する問題解決
抽象的な構造理解で表される概念的知識獲得へ
の際、金属が水に溶けている様子を図で表し、
の効果は、示されなかった。先行研究からは、
概念理解を促進した。本研究でも、解法の異な
多様な解法を単に比較するだけでは、概念的知
る計算式をそれぞれ図で表し、式を単に数式の
識獲得など、深い理解を促す学習には、不十分
状態で比較するのではなく、図によって比較す
であることが示唆された。
る活動を行い、計算の概念的知識獲得を図っ
ところで、数学における概念的知識獲得の定
た。 義は様々だが、Vinner(1991)は、数学の法則や
2)話し合いの方法
定義に関する概念の構造を概念的定義と概念的
図表活用方略は、概念理解に効果的とされて
イメージに分けて表現した。例えば、微分の概
いる。しかし、図や表は、先生が説明すること
念は、概念的定義が、数式で表される微分の定
に役に立つだけで、自分が問題を解く際には役
義式であり、概念的イメージは、接線の傾きを
に立たないと考えている子どもが存在し、その
表すグラフや図である。本研究でも、定義の概
方略を知っていても自発的に利用しないことが,
念的知識の獲得は、数式で表現される概念的定
報告されている(市川,1993,植阪,2000,植
義と、その定義を図や言語の言い換えで表した
阪,2002)。しかし、子ども同士の図表を使った
概念のイメージの2つの獲得で、概念的知識の
教え合いによって自発利用が促進されることも 獲得とする。 わかっている(Uesaka,2007)。したがって、本
研究では、自然に図表を使った教え合いを行わ
2. 目的
本研究で着目した学習方法
せるために2人1組のペアに協同学習で使われ
既存の学習法では、多様な解法を比較しても
る聞き手と話し手という役割を与えた。また、
計算問題では、概念的知識などの深い理解を促
聞き手は、協力的な姿勢をもって説明を聞くよ
すことが難しい。したがって、本研究では、計
うに指示し、話し手と聞き手の両方が実際に図
算問題の多様な解法比較において、概念的知識
を書いて説明するために役割を入れ替えること
を獲得することを目的とする。また、この時の
も行った。 概念的知識の獲得は、計算に関する定義とその
イメージを図や言語を用いて表現できるとい
4. う、概念的定義と概念的イメージの獲得をもっ
1) 参加者と課題
実験方法
東京都内小学校5年生 34 名(男性 17 名、女性
て、概念的知識の獲得と定義する。 ― 60 ―
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図6 事前テスト 文章作成問題 図1 分配法則計算問題の比較課題1 図7 事前テスト 図形配置問題 図2 分配法則計算問題の比較課題2
図8 事前テスト 計算説明問題 配法則の式で2通りに表し、それを並べて比較す
る問題2問を2人1組のペアで学習させた。
2)条件別活動
実験群(5年生)は2人1組の話し合いに聞
図3 面積図を使った比較活動 き手と話し手の役割をもたせた。そして、片方
だけの説明活動にならないようにその役割を問
題1と問題2で入れ替えた。また、並べた式の
比較においては、2つの式を面積図(図3)や
おはじき図(図4)などの図形に変換すること
で比較する活動をおこなった。統制群(6年
生)は計算の比較の際、それぞれの解法が正し
図4 おはじき図を使った比較活動 いか確認した。その後、ペアで解法の比較をお
こなった。特に、話し合いの方法は定めず、図
形を使った式の比較も促さなかった。 3)手続き
実験群(5年生)統制群(6年生)ともに、
事前テスト(20分)、事前学習(20分)、条件別
活動(20分)、事後テスト(20分)の順で、45分
図5 分配法則の概念獲得モデル 17 名)と、同一小学校6年生 34 名(男性 18 名、
2時間連続の授業内で実験をおこなった。
女性 16 名)が参加した。
4)事前・事後テストの構成
課題は、図1、図2のように1つの文章題を分
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事前・事後テストでは、分配法則の概念獲得
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表1 文章作成問題 評価項目 計算式の細かな意味の記述あり
計算式の細かな意味の記述なし
レベル
Level .1
Level.2
Level.3
Level.4
評価基準
文章題を作
問題とは違う文
式の括弧の意味を捉えてい
商品の個数や金額を工夫し文章題を作成。括弧を用いてまと
成できない
章題を作成する
ないが文章題を作成できる
められることに関しての記述もある
表2 図形配置問題 評価基準 計算効率の示唆あり
図形を用いて計算効率の示唆なし
レベル
評価基準
Level.1
Level.2
Level.3
Level.4
図を配置できない
図を配置できる
図を配置し図にあった式を作れる
計算効率を考えて図を配置し、式を作成できる
表3 計算説明問題 評価基準 計算方法の説明
計算方法+理由
計算の概念的知識獲得
レベル
Level.1
Level.2
Level.3
Level.4
評価基準
計算方法がわからない、
計算のやり方を知っていて、そ
図を使って、分配法則の等
事前テストとは異なる図の説明を
または、計算方法はわか
の方法に、「簡単に計算できる
式の意味を記述している
獲得している。
るが理由がわからない
から」などの理由付けがある
を測るために、概念的定義を分配法則の式、概
6)評価
念のイメージを図や言語として図5のように表 事前・事後テストの評価は、各問題1から3
した。この分配法則の概念を元に、言語、式、
に対して、4段階のルーブリックを作成し評価
図形の関わりにおいて、式を言語で表す問題
した。(表1から3を参照)問題1は、商品の個
1、図形で式を表す問題2、そして、式を図形
数や値段を工夫することで、分配法則の計算
で表す問題3の3つから問題を構成した。な
が、括弧を用いてまとめられることをあらわせ
お、言語から分配法則の式を表す宣言的知識の
るかを評価項目として設定した。
部分は概念的知識ではないため、問題から除外
問題2では、長方形の図を回転し、組み合わ
した。 せ、生じた図形から面積の式を作成できること
5)事前・事後テストの問題
や計算の簡略化を意識して、図を配置している
問題1は、図6のように式からその式にあっ
かを評価項目として設定した。
た文章題を作成する問題とした。問題2は、図
問題3では、分配法則の計算を相手に説明す
形の操作から式を表現する問題として、図7の
る場合、単なる式変形の説明や簡略性に関する
ような問題とした。そして、問題3は、図8の
理由をつけただけでなく、図を用いることで、
ように分配法則を第三者に説明する際の図形使
概念のイメージをより詳細に説明できている
用を見るために作成した。 か、また、事前テストとは異なった図形を事後
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テストで用いているかなどを基準として評価項
その結果、問題1の文章題作成問題の統制群、
目を設定した。
問題2の図形配置問題の実験群、問題3の計算
説明問題の実験群において、帰無仮説を棄却す
5. る有意傾向がみられた(p<0.1)。 分析結果
実験群(5年生)と統制群(6年生)に対し
て、事前・事後で、問題1から3を実施し、4
6. 段階の評価をおこなった。事前・事後における
問題1の文章題作成問題について考察する。
得点の推移の人数を図9から図 11 で示す。右下
実験群ではなく統制群の事前事後テストの差に
がりの対角線を基準に、対角線上の子どもは事
有意な傾向がみられたが、特に、事前テストで
前・事後で得点の伸びがなかったことを示す。
Level.1や Level.2であった統制群(6年
また、右下がりの対角線よりも上側に位置する
生)の子どもは、事後テストで、7人中6人の
子どもは得点が上昇しており、逆に右下がりの
子どもが Level.4に変化しており、多くの子
対角線よりも下側に位置する子どもは、得点が
どもが適切な文章題を作成できない段階からで
下降していることを示す。 きる段階に変化している。数字ではなく 事前・事後テストでの子供のルーブリックの
商品や値段などの言い回しを工夫する問題で
レベル変化に差がないことを帰無仮説として、
は、言語能力の影響が生じたと考えられる。 ウィルコクソンの符号順位検定をおこなった。
次に問題2の図形配置問題について考察す
考察
る。実験群(5年生)では、事前テストで
Level.1や Level.2であった子どもが、事後
テストでは、Level.4に上がるなど、条件別活
動時の式を図に変換して比較しあう活動の効果
が示唆された。しかし、統制群の Level.4の
図9 文章作成問題 事前・事後レベルの推移 人数が 34 人中 32 人とクラスの大半を占めてい
るため、すべての子どもに一般化できる適切な
実験群・統制群比較実験とはならなかった。今
回は、5年生レベルの学力の子どもに効果的で
あるという結果に留まったといえる。 最後に問題3の計算説明問題について考察す
図 10 図形配置問題 事前・事後レベルの推移 る。図 11 をみると、元々説明に図を使う、事前
テストから Level.3以上の子どもに関して、実
験群では、4人中3人が事前テストとは別の図
を使って説明するなど、式を色々な図に変えて
説明することへの熟達が見られた。条件別活動
時に、実験群では、おはじき図や面積図などの
図 11 計算説明問題 事前・事後レベルの推移 図を使って式を図に表していたので、その効果
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があったことが考えられる。 Cognitive Studies Sep. 2009 In D.S. McNamara & J.G. Trafton (Eds.), 7. Proceedings of the 29th Annual 今後の課題
本研究は、図形を使った多様な解法の比較
Cognitive Science Society, 677–682. が、分配法則の定義式を図形で表現することに
Austin, TX: Cognitive Science Society, 影響し、分配法則の定義の概念的知識獲得に効
2007 植阪友理:認知カウンセリングによる学習スキ
果があることがわかった。特に、今回の方法で
は、定義のイメージを言語で表すことの効果を
ルの支援とその展開−図表活用方略に着目し
実証することはできなかったが、図形を使った
て−認知科学,16(3),313-332,2009 文部科学省:中学校学習指導要領解説 数学編
式の比較と図形を使わない式の比較において、
教育出版,2008 話し合いがどのように異なるのかを質的に分析
藤澤伸介:ごまかし勉強−学力低下を助長するシ
し、その時の会話が、定義に関するイメージを
ステム−新曜社,2002 言語や図形で表すことにどう関係しているのか
Polya, G:How to solve it : A New Aspect of を調べることを今後の課題としたい。 Mathematical Method.Princeton, 謝辞
N.J.Princeton University Press,1945 Rittle-Johnson,Star:Does comparing 本研究を進めるにあたりご指導頂きました東
京工業大学中山教授、栗山助教、CSCLゼミの皆
solution methods facilitate conceptual 様、研究にご協力頂いた小学校関係者の皆様に
and procedural knowledge? An 厚く御礼申し上げます。 experimental study on learning to solve equations. Journal of Educational 参考文献
Psychology, 9,561-574,2007 Stigler,Hiebert:The teaching gap:Best 市川伸一:学習を支える認知カウンセリング−心
理学と教育の新たな接点—ブレーン出
ideas from the world's teachers for 版,1999 improving education in the classroom.New York: The Free Press.湊三
植阪友理:表やグラフを生かした比例関係の学
習―道具としての表やグラフの利用を目指
郎 (釈) 日本の算数数学教育に学べ米国が
して―東京大学認知カウンセリング事例
注目する jugyou kenkyuu,教育出版,2002 Vinner, S:The Roll of Definition in the 集,1–8,2002 teaching and learning of mathematics In 植阪友理:数学的問題解決の道具としての図表
の利用を定着させる授業法の提案、学校 臨
D。Tall(Ed),advanced mathematical 床研究 2 (1), 114–119,2003 thinking,Dordrecht Kluwer Academic Uesaka,Manalo:Peer instruction as a way of promoting spontaneous use of diagrams when solving math word problems。 332 ― 64 ―
Publishers,65-81,1991