第9章分娩周辺期及び分娩時の管理 8 帝王切開術 術後の抗凝固療法の適否とそのリスク 術後の抗凝固療法の方法 Q:PIH患者の帝王切開時VTEに対する予防的抗凝固療法は? *)PIH を合併する妊婦に対しての帝王切開術後の予防的抗凝固療法は慎重に行う。 (グレ ード B) *)PIH 合併妊娠例での予防的抗凝固療法時には出血事象の回避のため体重、BMI、腎機 能の評価を十分行う。 (グレード B) *)調節不良の高血圧例(収縮期圧 200mgHg 拡張期圧 120mmHg 以上)では予防的抗凝 固療法を行わないか、延期する。 (グレード B) *)術後出血傾向に十分注意し、認めた場合には速やかに予防的抗凝固療法を中止する。 (グ レード B) 解説 1.産褥期におけるの VTE 予防 日本における妊産褥婦でのVTEの正確な発症頻度,リスク因子についての疫学調査検討 は少ない 1)。1996年度厚生省心身障害研究での後方視的な妊産婦死亡全国調査が初めて VTEの詳細な死亡例の検討を行っており、VTEはこの調査期間において妊産婦死亡の死亡 原因の第3位となっている 2)。同調査によると帝王切開分娩後はVTE死亡例全体の76.5% (17例中13例)を占めていた。しかしながら、日本においては過去,無作為対照研究がな されておらず、一定の発症率に対してどのような予防法が妥当なのかを科学的に評価した 研究は今日まで存在していない。そのため第6版ACCP(北米呼吸器学会)外科ガイドライ ン3)が示す、予防対策を行わない手術患者における症候性肺血栓塞栓症(PTE)の危険度 レベルとその対策を参考とした予防法が提案された。肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静 脈血栓塞栓症)予防ガイドライン2004年版4)は、日本での発生頻度の概数5)から北米のガ イドラインに該当する対策を採用したものである(表―1)。 産婦人科診療ガイドライン産科編2014年版6)では分娩後のVTE危険因子を3群に分け VTE予防対策を提示している。第1群は分娩後抗凝固療法が必要なものとし、1)VTE既 往もしくは2)妊娠中VTE予防もしくは治療のため長期間の抗凝固療法が実施されたもの としている。第2群では分娩後抗凝固療法あるいは間欠的空気圧迫法が必要な例として血 栓性素因を有し第3群に示す危険因子を有している場合などとしている。第3群では分娩 1 後抗凝固療法あるいは間欠的空気圧迫法が考慮される例として、ガイドライン表中の危険 因子を2つ以上有しているとしている(表―2)。帝王切開、妊娠高血圧腎症などの危険因 子は第3群中に示され、分娩後抗凝固療法あるいは間欠的空気圧迫法を検討する(C:考慮 される)としている。 一方、肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン2004年版で は帝王切開は中リスクに分類しているが、最高リスクでない限り予防的抗凝固療法につい ての明確な投与基準を設けていない。リスク判定における付加的因子については、切迫早 産に伴う長期臥床例などについてはリスクレベルを上げて判定するか否かは「施設の判断 に任せられている」としている。この中にはPIHやPIH入院管理に関連したリスク因子が含 まれることになる。 産婦人科診療ガイドライン産科編2014年版では2011年版と比較して高リスク帝王切開例 で間欠的空気圧迫法は考慮の対象となり、肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓 症)予防ガイドライン2004年版や循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2008年度 合同研究班報告)における肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断治療予防に関するガ イドライン(2009年改訂版)7)と管理指針が異なることになる。 同ガイドラインでは総合的なリスクレベルは,予防の対象となる処置や疾患のリスクに、 付加的な危険因子を加味して決定される。例えば、強い付加的な危険因子を持つ場合には リスクレベルを 1 段階上げるべきであり、弱い付加的な危険因子の場合でもそれが複数個 重なればリスクレベルを上げることを考慮するとしている。 一方、英国、ヨーロッパ、特にオランダ、デンマークやスウェーデンといった北ヨーロ ッパでは先天的血栓性素因の一つであるライデン型血液凝固第 V 因子保因率の高いことも あり、古くより VTE が日常臨床において注目されてきた。その結果,ヨーロッパからの移 住者の多い北米を含め、妊娠・産褥における VTE の頻度、リスク因子、死亡率等について 大きな母集団で検討されてきている8)~21) (第4章妊婦管理 6抗凝固療法 参照) 。 第 9 版 ACCP ガイドライン 2012 の妊娠に関連した VTE リスクでは BMI 25kg/m2 以 上の妊婦が産褥期1週間以上の床上安静を伴う運動制限をした場合、補正オッヅ比 40.1 95% CI( 8.0-201.5)と算出している22)。英国産婦人科学会 RCOG Green-top guideline 2009No.37a では妊娠に関連した VTE リスクとして単独因子としては VTE 既往を挙げ、補 正オッズ比 24.8 95% CI( 17.1-36)と算出している23)。英国 NICE 臨床ガイドライン 2010 (Venous thromboembolism: reducing the risk)24)は入院患者すべてについての VTE リス クの軽減を目指したガイドラインであるが、妊娠期間中から産褥6週間までの指針を提示 しており、基本的には英国産婦人科学会 RCOG Green-top guideline 2009No.37a に準拠し ている。英国産婦人科学会 RCOG ガイドラインでは産科領域における VTE 予防のための リスク評価と管理について、分娩予約時と入院時の二回分娩前評価を行い、管理を行うこ とが推奨されている(第4章妊婦管理 6抗凝固療法 参照) 。また、各種リスク因子に重 み付けを行い、リスク因子の存在数により高・中・低リスクに分類し、妊娠中の管理法の 2 基本を示している。分娩時には、そのまま分娩室で産褥期評価を同様に行うことが推奨さ れている(図―1) 。同ガイドラインでは VTE 既往を含め 35 歳以上、初期 BMI(30 kg/m 2 以上) 、2経産以上、脱水などのリスク因子のうち1個以上リスク因子があれば予定帝王切 開でも分娩後 7 日間低分子量へパリンを投与すべきとしている。 また、第9版 ACCP ガイドライン 2012 では、オッヅ比 6 産褥 VTE 発症頻度 3%のリ スクが示唆される状態として、少なくとも1個以上の大リスク、または、少なくとも2個 以上の小リスクまたは緊急帝王切開時での1個の小リスクが示唆されるとしている。つま り、大リスク1個小リスク2個が存在する場合は予防的低分子量へパリン投与を、また、 薬剤禁忌患者では理学的予防が示唆されるとしている(G2B)。 (表―3) 。さらに、妊婦では VTE 予防治療のためには未分画へパリンではなく低分子量へパリンを推奨する(grade1B) 、 HIT(へパリン誘発性血小板減少症)などの重症アレルギー反応を示し、ダナパロイド製剤が 投与できない場合にのみフォンダパリヌクスや経口のトロンビン阻害剤を使用する (grade2C) 、としている。 2.PIH 患者の帝王切開術後の VTE 予防 健康保険適応となったリスクの高い開腹術(産婦人科領域を含む)での予防的抗凝固療 法(帝王切開術を含む)については、すでに前項で記載したように、産婦人科診療ガイド ライン産科編 2014 年版と肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドラ イン 2004 年版や循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2008 年度合同研究班報告) における肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断治療予防に関するガイドライン(2009 年改訂版)と管理指針が異なっている。肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症) 予防ガイドライン 2004 年版では帝王切開は中リスクに分類しているが、最高リスクでない 限り抗凝固療法についての明確な投与基準は設けられていない(表―1)。高齢肥満妊婦の 帝王切開は高リスクと判定され、ヘパリン製剤投与または、間欠的空気圧迫法かつ弾性ス トッキングとされる。本ガイドラインでは産婦人科診療ガイドライン産科編 2014 年版に準 拠し、PIH を伴い帝王切開や管理治療として 1 週間以上の症状安静を伴う運動制限がある 場合は、分娩後抗凝固療法あるいは間欠的空気圧迫法が考慮される(C)とする。 なお、英国産婦人科学会 RCOG Green-top guideline 2009No.37a では選択的帝王切開な らびに PIH の2個以上のリスク因子が存在する場合には中リスクと判定し、少なくとも産 褥7日間の低分子量ヘパリンによる予防を考慮するとしている。また、もし持続するリス クもしくは2個以上のリスク因子がある場合、低分子量へパリンを延長して投与すること を考慮するとしている(図―1) 。 第9版 ACCP ガイドライン 2012 では胎児発育遅延を伴う PIH を大リスク因子と判定、 予防的低分子量ヘパリン投与を推奨し、薬剤禁忌患者には理学的予防法が示唆されるとし ている(G2B)。 本ガイドラインでは、未分画へパリンの場合には術後 6 時間から 12 時間経過後に 3 5000~10000 単位/日 皮下注もしくは静脈投与する。低分子量へパリン(エノキサパリン) では術後 24 時間以上経過後 1 回 2000IU を原則的に 12 時間ごとに 1 日 2 回連日皮下注す る。選択的 Xa 阻害剤(フォンダパリヌクス)では 1 日 1 回 1.5mg または 2.5mg 皮下注す る。 また、予防的抗凝固療法として未分画ヘパリン(unfractionated heparin; UFH)、低分 子量ヘパリン(low-molecular weight heparin;LMWH)や血液第 Xa 因子阻害剤を投与す る場合には PT、APTT、血小板数、肝機能などを適宜測定する。特に HIT (heparin-induced thrombocytopenia)に注意し投与開始 5~7 日目頃に血小板数を測定する。 選択的 Xa 阻害剤は低分子量へパリンと比較して Xa 選択性があるためより出血のリスク はより低いとされるが、半減期が長く中和薬がないため出血時の対策に注意が必要である。 両者ともに腎排泄なので腎機能低下例では注意が必要である。エノキサパリンはクレアチ ニンクリアランス 30ml/min 未満では投与禁忌である。予防的抗凝固療法では従来の aPTT などの凝固系検査によるモニタリングの必要がないとされるが、低体重女性(体重 45Kg 以下、BMI18kg/m2 以下)ならびに妊娠高血圧腎症例など一過性に腎機能が低下する可能 性のある例では手術創部血腫などに十分注意し、減量投与もしくは投与中止することも考 慮する。予防的投与量においても血腫形成例の報告があり、Xa 活性の評価モニタリングや 凝固能評価モニタリングの検討が今後必要と考える25)。 英国産婦人科学会 RCOG Green-top guideline 2009No.37a では出血と凝固のリスクバラ ンスを考慮し低分子量ヘパリン投与を行わない、中止、もしくは延期すべき例を挙げてい る(表―4) 。本ガイドラインにおいても調節不良の高血圧例(収縮期圧 200mgHg 拡張期 圧 120mmHg 以上)では予防的抗凝固療法を行わない、もしくは延期することを推奨する。 脊椎硬膜外麻酔時には初回投与 2 時間前までにカテーテル抜去をすること、併用する場 合には本剤投与後 10~12 時間経過したのちにカテーテル抜去し、投与はその 2 時間以上経 過して投与することが求められている。適正投与で出血する可能性は非常に低いがカテー テル抜去(自己・事故)による出血に注意する。 低分子量ヘパリンは乳汁への移行が認められるが新生児消化管での分解により新生児へ の影響はほとんど無視できると考えられている。 3.日本における帝王切開時の予防的抗凝固療法の現状 日本における帝王切開時の予防的抗凝固療法の現状についての調査資料は極めて限られ ている。日本妊娠高血圧学会「重症 PIH における帝王切開時の抗凝固療法と麻酔法に関す る検討委員会」報告26)は日本における全国の主要周産期施設での標準的治療の現状を示し ている。 約 82%の施設において VTE 予防のための薬物療法が考慮実施されているものの (図―2) 、 その管理は約 37%の施設において担当医個人により個別に行われ、施設としての管理方法 の標準化はなされていない。使用する薬剤についても、内容、投与量、投与期間は一定で ない。さらに、重症 PIH においてへパリンを投与時、腎機能、出血傾向を考慮し投与量の 4 減量、投与間隔の延長、投与の中止時期をどのように決めるのかは明確でない。27%の施設 で重症 PIH を治療方針の判断に加えていたが、投与法を考慮していたのは約半分の施設の みである。約 3%の施設において因果関係を伴う後遺症を遺す出血事象を経験している点な ど、注意が必要である。 参考文献 1)杉村基ほか.産婦人科領域における肺血栓塞栓症.日本血栓止血学会誌.2001;12(6) , 460-6.level IV 2)石川睦男.妊産婦死亡と肺血栓塞栓症.妊産婦死亡に関する研究,平成 8 年度厚生省心身障害研究報 告書,123-8.level III 3)Sixth consensus conference on antithrombotic therapy. 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