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辿る坂道
「八月十五日、何の日かご存知ですか?」
えー? 学校が始まる日!
「あれ? 早いんじゃないですか?」
専門学校だから。夏休み短くてうぜぇーっす。
「八月十五日、何の日かご存知ですか?」
夏休み中だから祭日なんてカンケーない、これってなんか損じゃーん。
「すみません。八月十五日、何の日かご存知ですか?」
リリアの誕生日、かな?
「りりあ?」
うーっす。妹だけど。
「ちょっといいですか。八月十五日、何の日かご存知ですか?」
テレビで、じゃんじゃん特集やってるやつだよね。ヒットラーと戦った日だったっけ?
「すみませーん。八月十五日、何の日かご存知ですか?」
八月、十五日ですか? 敗戦の日ですよね。
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終戦記念日だよ。
違う。記念の日なんかじゃない。正しくは敗戦の日だって。
「何ですかこのインタビュー。テレビやから編集とかあるに決まってるけど、最後のカッ
プルの子だけですね、知ってるの。はーあ。あきれます。若い子にとってはもう、知らな
いくらい昔の話になってるんですよねえ。嘆かわしい」
「いやいや。嘆かわしいと思う年寄りもおれば、わしみたいに全然かまへんやないか、と
思う年寄りもおる」
稲垣尚子は、わざわざ職場にまで訪問してくれた老人の目をじっと見つめて、尋ねた。
「山田さん、それはなんでですか?」
「平和が当たり前になって六十年七十年、平和やからこそ、忘れられてしまうんですわ。
わしはなんちゅうのか、決して悪いことやとは思わんです。だからこそわしらに、伝える
っちゅう仕事ができたわけです」
「戦後七十年、だいぶ前からテレビでも新聞でも、ずっと特集とか組まれてましたよね」
「次は戦後八十年、わしはもう死んでるやろな」
「そんなに元気でいらっしゃるんですから、またそのときも特別授業、やってあげてくだ
さい」
「しっかし。戦後七十年でっせ。平成二十七年。2005年」
「2015年です」
「よう、生きてきたわ。自分で自分を誉めてあげたい。わははは。わし若いこと言うや
ろ」
「山田さんは黙ってらっしゃっても若く見えますよ。でも、父もよく言ってました、よく
生き延びたなって」
「千日前やら道頓堀やら、あなた、最近行ってますわな。ええ、そら若い人の街やから」
「私、全然若くないですよ」
「今はもう、あの頃の跡形もない。そやからな、跡形がないから、正解なんですわ。平和
だということですわ。うん」
応接間、テレビの前。老人は尚子の実家近くに住む民生委員、中学校の元校長である。
御歳、九〇手前だそうだ。
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「飛行機、ちゅうたら、きーん、ひゅーん、ですわな、普通。そやけど、ちゃうねんで。
ごろごろごろごろ、低いエンジン音。気色悪いんや、あれが。低空飛行で来よったら、も
う何とも喩えようがない音。どがーん、ばばばばばですわ。標的を探しとるんですな。そ
れはもう、お父さんも書いてらっしゃるように、恐いなんてもんじゃなかったですよ」
「はい」
「防空壕の中のあの、緊張感。カミナリさんといっしょ。光って、どーん。そやけど防空
壕の中はドカーンという音と、振動や。どーん。しばらくして、ぐらぐら。ドカーン、ぐ
らぐらぐら」
劇でもやっているかのように老人はオーバーアクションを取るが、ユーモラスに思えて
も笑ってはいけない。
「その間隔、間がだんだん短くなってきよる。ドカーンとぐらぐらが近くなるちゅうこと
は、爆弾が近くに落ちてるということや。お父さんも書いてはるように、爆弾が直撃した
ら、防空壕も屁の役にも立たん。すり鉢状ってホンマ、思い出すなあ。お父さん、よう覚
えてはった」
「そうですか」
一方的に話してくれるので、かえって助かった。実のところ、父の自分史はしばらく読
んでいないので、忘れている部分も多い。だから尚子は先ほどから曖昧な返事ばかり返し
ている。
いとま
「はぁ。汗かいた。そろそろお 暇 しますわ。尚子ちゃんもいろいろ思い出すこともある
やろ。明日は敗戦の日。終戦の日。最後のアベックの子ら、ええこと言うとったな。そ
う。記念日なんかとちゃう。尚子ちゃんもまた、お父さんのこと、ちゃんと思い出したっ
てや。わははは。ほな」
「どうも、大したお構いもできませんで。こんな遠いところまでわざわざ来てくださっ
て、ありがとうございました。また家の方にゆっくりいらっしゃってください」
「遠いことあるかい。梅田から四十分や。まあしっかし、豪華なオヒスやなあ。大出世で
すなあ。お父さん、喜んでまっせぇー」
「違いますって。元々バブルの時代の売れ残り億ション、そんなやつだったそうなんで
す。こんな田舎でしょ、病院が安く買い取って、責任者やらせてもらってるだけです」
「病院がやってるんか、ここ」
「はい」
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「いずれにしても大出世ですわ。大したもんです」
「まだまだです。先輩方の器にはまだまだ追いつけません」
「ご謙遜を。ほな」
「待ってください、タクシー呼びます。タクシー券もありますから使ってください」
「おおきに」
特にこの夏は、テレビ、新聞では戦争についての番組、記事が多かった。
だからというわけではないだろうが、八年前に世を去った父が残した、自分史の内容が
興味深かったとのことで、父の知り合いだった元校長が、その内容を元に近所の中学校で
戦争時代を教える特別授業をやりたいと申し出てきたのが数週間前。
光栄です、どうぞ思うがままにやってくださいと言ったが、夏休み中に関わらず生徒、
親たちが多く集合し、特別授業は大成功だったそうである。
娘としても、これほど父が誇らしく思えることはない。
生前は趣味、遊びばかりにいそしみ、社会貢献的なことはこれといってやらなかった父
が、今になって世の中の役に、こうして立っている。
老人の自分史としては異例中の異例で、大手出版社から文庫本の形で出版されている。
印税とやらはすべて寄付に回し、本に関するすべての管理は母親がやっているので、尚子
にはこの本がいかほどの金を生んだのかよく知らないが、本の後ろを見ると、五版と書い
てあるので、ありがたいことに、まだ売れ続けているのだろう。
唯一残念なことは、本の出版を見ずして父本人が死んでしまったことである。
戦争の話ばかりではないが、しかし戦争についての記述も多かった。
尚子は本をぺらぺらと見返してみた。
内容は全部、じっくり読んだはずなのだが、七年八年となればところどころ忘れてしま
う。
忘れてはいけないことまで、忘れる。
戦争のところ、中身忘れてしまいました、もう一度読んでおきまーす。
などと、先ほどの老人に言えるはずがなかった。
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老人が言っていたように、この本の要は父の幼少時代、人格の元を成した戦争という出
来事であろう。
しかし本の内容以上に、この本に端を発した大騒動がいまだ鮮烈に尚子の頭に残ってい
る。
父の自分史は、娘である自分の人生そのものを大きく変えてしまった。
この本がなければ、今、自分はここにはいない。
冒頭の章を尚子は開いた。
空襲体験と戦争
昭和二十年、一月三十日
大阪は合計三十三回の空襲を受けたという。
私はそのうち何度被災したのか、はっきりとは覚えていない。
一月九日に大阪には最初の爆撃があった。資料によると、そのときはまだ空襲とは呼ば
なかったそうだ。
一月三十日、空心町(東天満あたり)で叔父の家が半壊した。
私にとってはそれが初めての生々しい戦争の体験だったが、爆撃の下、逃げ回ったわけ
ではない。それはもう少し先のことになる。
大人たちとは違う子供心には、大きな火事の跡だな、程度の印象しかなかった。その程
度のものだった。
見通しのない閉塞感・飢えにみんなが苦しんでいた時期だったが、それら以上の、本当
の地獄がすぐそこに待ち構えているとは、当時の私には知る由もなかった。
昭和二十年三月十三・十四日「大阪大空襲」
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その日は誰もが、夜遅くなっても寝付けなかった。
遥か西の方が異常に明るくなっている。遠くに火の手が見える。大規模な火災が発生し
ているようだ。
火災を眺めているうちに、頭上でごろごろと、怪物が唸るような大きな音がするように
なった。
爆撃機が頭上を飛んでいたのである。
しかし爆撃機が火災を起こしている、という当たり前の認識が沸かなかった。
飛行機は一機二機ではなかった。地上の火に照らされて、機体がちらちらと見えた。地
上近くを飛んでいたのか、遙か上空を飛んでいたのか。それはよくわからなかった。た
だ、私には大きな腹を抱えた真っ黒のカマキリを見たように思った。
正確に言えば、このときが空襲初体験だった。
恐ろしさ以上に、ただただ、見慣れない光景に立ち尽くすのみだった。
まだ燃えてはいない周囲の町は、その時点ではそれ程の悲壮感もなく、無限に広がる夜
空に、パッと開いた花火のような光景に人々はしばし目を見張った。美しいとすら、人々
は思った。十五歳の私もその一人だった。
実際は、その時、数キロメートル先の猛火の中では、人々が逃げ惑い、阿鼻叫喚の地獄
が展開していたのである。そしてその地獄は、こちらに迫ってきていたのだ。
そのうち、サーチライトがどこかから照らされた。
はっきりと、飛行機の大群だというのがわかった。B29らしい飛行機が、ゴロゴロゴ
ロと無気味な爆音を立てて多数旋回していた。
高射砲らしい音が空しく夜の天空に響いていた。一弾とて飛行機には届かなかったよう
だった。
寒さを我慢し、道路にまで出てその景色を眺めていた私たちだったが、猛火は徐々にや
ってきたのではなかった。
真夜中、道路に出ていた何十人の近所の人たちだったが、誰も逃げろ、とは言わなかっ
たように記憶している。逃げろと言っても、どこへ逃げればいいのか。危険を感じなが
ら、誰もが途方に暮れていた。
夜なのでよく見えない。しかし空からたくさんの、何かが落ちてくる。やがて、それら
はパッと発火しながら火の玉となって地上めがけ、凄まじい勢いで落下してきた。
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ヒュルルル!という聞いたことがない音。そして丸く大きな火が家々を包んだ。続いて
叫び声に泣き声。何が起こったのかわからない。
私も母も義父も幸い怪我もせず居たが、あっという間に長屋の四軒隣までが焼けてい
た。
それは火事というより、爆発のない爆弾といった様子で、火事のようにだんだんと家が
燃えて・・・という様子ではなかった。いきなり家が大きな火に包まれるのである。それ
が焼夷弾である。
借家ではあったが、私の家が焼けなかったのは幸運という他ない。
近所の畑中というおばさんが、大八車で持ち出した家財を、僅かの隙に盗まれたと大声
を出して泣いていたが、どうすることもできなかった。
子供たちは大人の消火活動を懸命手伝った。つまり、住民たちは消火活動する余裕があ
った。私の周りは、他の場所に比べれば、幸いにも被害が少なかったのである。
くすぶり続けている周囲の焼け跡には所々六角型の、長さ五十センチ位の焼夷弾の燃え
滓が落ちている。何時しか黒い雨がぱらつきだした。
まんじりともせず一夜を明かし、気がつけば(私の記憶によれば)私は難波方面まで歩
いていた。
戦時中ということはわかっていたとはいえ、この大阪大空襲こそ、私の初めての戦争体
験、そのままだと言っていい。
泣き声。血。倒れて動かない人。
あるいは焼け死んでいないのになぜこの人は倒れているのか、などと私は思ったが。
後で知ったことであるが、周囲が火に包まれると人間は呼吸ができない。ある小さな空
き地では人が数人地面に伏せている格好で、犬まで、みんな死んでいた。
歩き続けた。
途中から、見慣れた場所がなくなっていた。
焼け焦げた人間がそのままになっている。
何か月か前に初めて見た、天満の空襲跡とは何もかもが違った。
家からわずか二〇分程度の場所だったが、難波方面、当たり一面焦土と化し、被災者た
ちが当てもなく右往左往していた。
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たむろ
高島屋の向かい側に南街劇場という小さな映画館があり、その前に罹災者が 屯 してい
る。
何気なく近寄ってみると、赤子を抱いた若い母親が、いぶかしげに子供に見入ってい
る。青白い顔をしたその子は、口を半分開いたまま母の懐に身を横たえていた。
「あっ、この子死んでるわ」群衆の中の、一人の男性が言った。途端に母親は我を忘れ天
を仰いで慟哭した。何でや、何で! 母親は周囲の人間に聞いて回った。周囲の人間に答
えられるはずがない。しかし母親は何度も何度も同じ言葉を口にしていた。その女性は少
し私の母親に姿格好が似ていたので、よく覚えている。
やがて力尽き、座り込んだ。私は駆け寄ったが、何もできなかった。女性は、しっかり
とわが子を抱きかかえたままだった。何度も何度も話しかけている。見る者もなす術もな
く唯、呆然として見守るのみ。母親は焼けて破れている衣服も気にせず、短い生涯を終え
た我が子に、いつ迄も頬ずりをしていた。こぼれ落ちる涙と水洟がその子の頬に止めども
なく流れ落ちていた。
春とは名のみで寒々とした朝の空気は異様に冷たかった。まだくすぶり続けている場所
の前まで行けば暖がとれた。
千日前も完全に燃えてしまっていた。
いづもやの鉄筋が飴のようにひん曲り、瓦礫の間から残り火がくすぶり続けている。こ
こら辺りは本当に酷かった。余熱が風に吹かれて舞い上がり、道路の中央を歩いていても
熱く、目も開けていられないほど煙たい。熱さと寒さの絶え間ない連続だった。
母や伯母によく連れてもらった大劇や常盤座も、跡形もなく焼け落ちてしまっていた。
煙たい目をこすりながら、松坂屋百貨店(現・高島屋別館)裏の小さい公園(日本橋公
園)まで行くと、南側の道路に焼死体がいくつも転がっていた。
手足は焼けただれて丸くなり、反り返って空を見つめていた。すべて真っ黒に焼け焦げ
て男女の区別もわからない。焼死体には必ずと言っていいほど、地面に黒い帯が続いてい
た。血の跡である。
まさに地獄絵を目の当りに見る思いだった。手を合わせ拝まずにはいられなかった。濡
らした何十枚もの新聞紙を前に拝んでいる人、泣いている人を何人も見た。新聞紙の下に
は何があるのか、子供にでもわかった。
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死んでいる人にも衝撃を受けたが、私は黒焦げの米を見たときにも大きな衝撃を受け
た。空腹の日々を送っていた時代には、人が死んだことと同じく、焦げた米が悲しかった
のである。食べ物に飢えていた十五歳の正直な気持ちである。
体中真っ黒になり、家に帰ってきたとき、普段は大きな声を上げて騒いでいる子供たち
の集団が、みんないちように黙ったまま、道をふさいでいた。
その中に、私はぼっさん(蓬原正平)の顔を見つけた。私も、ぼっさんも泣いた。涙が
とめどなくあふれてきた。
ぼっさんは私をずっと待っていた。
私にとっては家族であったぼっさん。
ぼっさんは以降も私の人生にも多大な影響を及ぼすこととなった。ぼっさんと私の付き
合いについてはのち、詳しく別章で書きたい。ここでは後に回す。
ぼっさんは、しくしくと泣きながら、とぼとぼ歩く私についてきた。ぼっさんの家は、
空襲で全焼していた。ぼっさんの家族はその時の空襲で全員死んでいた。ぼっさんの家の
周辺も千日前あたり同様、あまりに被害が酷く、近寄れない状態だった。
生きていれば誰かが発見する。誰も出てこなければ、死んでいる。重傷者もいただろ
う。逃げられなかった人もいただろう。行方不明者の捜索、などという状況ではない。
横丁を曲がったところの駄菓子屋や橋のたもとの焼き芋屋、そうして共に学び共に遊ん
だ幼き日の友達の数々。金田の恵子ちゃん、大賀の晃さん、琴子ちゃん、山本の新ちゃ
ん、韓国人の金コウセイ君等々・・・。
今では懐古の気持ちのみだが、その時はそんなゆとりもなく、これからの生活のことで
皆、不安な気持ちを抱えたままで、その後、一度も会うこともないまま、離散してしまっ
た。
幸い私の家は焼け残った。
しかし空襲は、終戦前日まで執拗にも繰り返された。
私の心の中には、その時の様子が余りにも生々しすぎ、これからも一生脳裏から離れな
いであろう。
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まとめたい。
三月十三日の深夜、空襲警報下の大阪は全ての明かりを消して漆黒の街と化していた。
いつものように緊張の一日が終わり、街は深く寝静まっていた。
大阪湾西方から侵入した一番機が、投弾するや街は忽ちにして真赤に燃え上がり、激し
く火を吹いた。
あとはB29の跳梁にまかせるのみだった。
日本軍の戦闘機が挑んでみせたが全然歯が立たない。
高射砲に至ってはお話にもならない始末。
B29損失二機であったが、何れも日本軍の抵抗によるものではなく、離陸時の事故と
理由不明によるものだった。
しかし大本営の報道は撃墜十一機、損害を与えたるもの約六十機と、ここでも出鱈目を
きわめた。
次から次へと現われるB29は雨あられのように焼夷弾を投下し、市街地を火の海と化
しては東の空へと去っていった。
火の豪雨の三時間半が過ぎた後、大阪は尚も燃えさかりくすぶり続けた。
この想像を絶した大空襲の前には、日頃の防空訓練は何の役にも立たなかった。
人々は防空壕への待避を繰り返しつつ、道の両側の家が崩れ落ちる中、猛火に追い掛け
られ猛煙に咽びながら逃げ惑うのみであった。
焼けただれた死体、肉をえぐり取られた負傷者、泣き叫ぶ子供。
地獄のような惨状だった。
こうして大阪の街は焼野原となった。
その焼野原を家を失った人々が着のみ着のままの姿で歩き続けた。
いつ迄もいつ迄も歩き続けた。
昭和二十年六月一日
当時、私は十六才になったところであった。
大阪市此花区島屋町にある住友金属工業株式会社製鋼所、青年学校所属実習工場に勤め
ていた。
夜勤明け、朝のまぶしい太陽に照らされて私は工場を後にした。
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通常なら西成線(現・JR桜島線)安治川口より電車に乗って帰途につくのだが、勤務
先の近くに三木君という同僚がいて、借りていた本を返しにいくためその家へ立ち寄る予
定だった。
突然、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響き、急いで駅に向かった。
当時、市電が通っていて、島屋町の角に産土神社という小さな社があった。その横を足
早やくぐりぬけ、西成線の線路脇に出たとたん、ザーという滝のような音が聞こえた。
天地を揺るがすような大きな地響きと共に工場の一角に爆弾が落下した。
爆弾は、焼夷弾とは様子も何もかも違った。
当たれば絶対に死ぬという恐怖。焼夷弾とて直撃すれば死んでしまうだろうが、恐怖感
がまったく違った。尚更、爆弾の上に焼夷弾が降り注ぐのだから、群衆はただただ遠くへ
遠くへと逃げるしかなかった。
汽船会社の大きなガスタンクに焼夷弾が落ち、上のほうからめらめらと燃え出した。誰
かが「爆発するぞ!逃げろ!」と大声を張り上げた。
群衆が蜘蛛の子を散らすように四散する中、ふと目をやると、アルミの弁当箱が、皆が
逃げた後の安治川船着場に落ちている。中身はずっしりと重い。私は咄嗟にそれを拾い上
げ、また走り出した。
幸いガスタンクの爆発は免れたが、上空にはまだ敵機が旋回し、一刻の猶予もない。
周囲の家が燃え、道路には焼夷弾の不発弾が多く転がっている中を、恐怖に顔を引きつ
らせながら、私は勤め先の向上に戻らざるを得なかった。何とか、生き延びたのである。
約二時間程度の、長かった空襲もようやく下火になり、ふらふらになって前方を見る
と、毎日出勤と同時に作業服に着替えをしていた木造二階建ての更衣室が、初夏の直射を
受けて、激しく燃え上がっていた。
あちこちで燃え広がる火を見つめて、周囲の人間は百人程度はいただろうか、全員火を
消す気力もなく、唯々呆然と佇むのみであった。
線路が爆撃で不通と聞いた。帰宅するのをあきらめ、地べたへ腰を下ろした。
気がゆるみ突然、睡魔が襲ってきた。旋盤のかげでうとうとしていると、当時の上司
で、青年学校の教師であった阪田先生が優しく声をかけられた。死ぬな、頑張ろう、と手
を握って励ましてくださった。
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何時間か前に拾った弁当箱を開いてみると、当時では珍しい真っ白な御飯、銀しゃりが
一杯詰めてあり、黄色いたくあんが横に添えてあった。
坂田先生に頂いた乾パンと、その御飯をむさぼるように食べた。
持主の姓であろう。弁当箱には山川、と傷を付けるようにして名前が書いてあった。パ
ニック状態だったとはいえ、すまないことをしたと思った。
昭和二十年六月二十六日
この頃になると場外待避といって、工場の中が危険なため、警報が出た場合、状況によ
っては被害を分散するため、工場外の指定防空壕に待避することになっていた。
その日も太陽がぎらぎらと照りつける真夏日で、仕事が始まって間もなく警報が発令
し、西九条にある防空壕に速やかに待避するように指示があった。
この防空壕は我々が汗水流して作ったもので、二畳位の大きさの鉄枠の周囲を板で囲ん
で地中に埋めたものであり、ぎゅうぎゅうに詰まれば十人程度入れる簡単なものであった
が、こんなに早く利用することになるとは思っていなかった。
炎天下、会社からその場所まで駆け足で行ったが、まだその時はそれらしい飛行機も来
襲せず、友人と軽口を叩き、空を仰いでのんびりとしていた。
それも長く続かず、突如聞き覚えのあるB29爆撃機の爆音がした。
慌てて防空壕の中へ転がり込んで、息を殺して様子を伺っていた。
蒸し返るような防空壕の中で、汗と土にまみれながら長い沈黙が続いた。
微かに近づく爆音は、まるで地獄から悪魔が吼え叫ぶような声となり、耳元へ接近して
きた。
爆音と、地響きの間隔が短くなってきた。爆撃が着実にこちらの方へ迫って来るのを感
じた。狭い空間に吐く息だけが荒々しく聞こえ、緊張と恐怖感が周囲に漂う。誰も、一言
も口をきかなかった。
突然、近くで爆弾の凄い落下音とともに地を揺さぶる大きな振動が伝わり、防空壕の蓋
がふっ飛んだ。ばらばらと土が落ちてきた。
私たちは叫び声すら出せず、皆奥へ奥へと詰め寄った。唯でさえ狭い防空壕の中を積み
重なるようにして、汗と土にまみれで息をこらし、目と口を押えて(爆風で鼓膜が破れな
いため、目玉が飛び出さないため)、ただうずくまって時の過ぎるのを待っていた。
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えぐ
何度か腹の底を抉られるような衝撃があり、生きた心地がしなかった。外へ逃げるのは
尚更危険である。
長い長い時が過ぎ、ようやく外が静かになった。
高谷という先輩が上半身を乗り出して、壕の外の様子を窺っていた。
「馬が暴れてる!」その声につられて恐る恐る外へ出た。
傷ついた瀕死の馬が狂ったように暴れまわりながら過ぎ去っていった。
皆の顔は泥だらけ、太陽だけがまぶしく照りつけている。
まだ硝煙の匂いが当たり一面に立ち込め、十メートル程先に大きい擦り鉢状の穴が出
来、底に水が溜まっていた。
横を流れる六軒家川の小蟹が、何事もなかったように水辺を這っていた。
我々の近くにも二つほど防空壕があり、そこには近隣に住んでいた人たちだろう、老婆
たちが数人入っていったのを覚えている。
その防空壕が、なかった。同じく大きな擦り鉢状の穴と化していた。
周りには赤い色を中心に、なぜか色鮮やかな紙が、いっぱい散らばっていた。
そのうちの一枚を拾った同僚が、ウヘエと情けない声を上げた。
いろがみ
鮮やかな色紙に見えたものは、バラバラになった老婆たちと、その衣服だった。
市電伝いに工場へ帰る途中、到る所に大きな穴(被爆池)があき、側に先程の馬だろう
か、息も絶え絶えで倒れていた。その横を擦り抜けて工場へ帰った。
工場の中も見る影もなく悲惨な状態で、総ての建物が破壊され、操業は壊滅状態であっ
た。
場外待避していたため、工場の仲間には人的被害がなったのが不幸中の幸いであった。
我々は為す術もなく定刻まで時を過ごし、帰途についた。
途中、先程の馬が人々によって解体の真っ最中。
それはまるで死肉をむさぼるハイエナか、はたまた禿鷹の群れにも似ていた。あたり一
面が真っ赤であった。
逃げるようにその場を離れて梅田方面に向かって歩き始めた。電車の開通しているとこ
ろを求めて、どこまでも、どこまでも歩き続けた。
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そして・・・昭和二十年八月十五日
今の人たちは知らないことだと思うが、空襲は終戦直前、つまり昭和二十年、戦争が終
結したその年に熾烈を極めた。
東京、名古屋では本格的な空襲が始まったのは前年の昭和十九年(1944年)と手元
の資料にはあるが、大阪では終戦の年、昭和二十年から始まったのである。
同輩の誰もが言うように、戦争は飢えに始まり、今の時代に比べすべてが地獄である。
ところが私自身が体験した命の危険を伴う本当の地獄は、わずか二か月ほどの間に集中
していたことを知り、七十代半ばをすぎた今になって、がく然とした。
この年齢になってこうして書き物の真似事をするにあたり、書店で普通に売っている本
から、取り扱いに注意するよう言われた図書館での閲覧を含め、はっきりした記憶、あや
ふやな記憶がすべて一所に落ち着いた。
それにしても、たった二ヶ月間ほどの空襲体験だったとは。
それは意外で、もっと長かったような気がした。数年続いたような感覚が今でもある。
しかし資料は嘘をつかない。
終戦直前、連日連夜の空襲で工場の設備は殆ど破壊され、毎日炎暑の中、瓦礫の後片付
けに皆、身も心も擦りへらしていた。
その日も朝から警報が頻繁に発令し、いつ空襲があっても不思議ではなかった。
上司から昼頃、天皇陛下が直接ラジオを通じて、国民に呼び掛けられる玉音放送の達示
があり、皆、なんだろうといぶかっていた。
やがてその時間になり、空襲によって壊された工場の片角に服装を正して集合。
ラジオから流れる初めて拝聴する天皇陛下の重々しいお言葉はかの有名な「米英支蘇四
国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり・・・」「堪えがたきを堪え忍びがた
きを忍び・・・」等。
断片的に拝聴するお言葉は一般的な言葉ではなく、その上、当時のラジオの性能が極端
にわるく、全員直立不動の姿勢を崩さず聞き入ったが、何を言っているのかさっぱりわか
らなかった。
大騒ぎになったのは放送が終わってから、数時間後である。
日本が、戦争に負けたということである。
14
午後になってから、ずっとひっきりなしに鳴り響いていた警報がぴたっと鳴らなくな
り、日本が戦争に負けたということを、噂であるかのように皆が語りだした。
その時になって、初めて事の重大さが感じられた。
信じて止まなかった必勝、神国日本の威厳。それらが音をたてて崩れ落ちた。
戦争に負けた重苦しい雰囲気が辺り一面に漂った。
虚脱感と、空襲から開放された安堵感が心の中を相互によぎり、長い長い、気怠い時間
が過ぎていった。
偶然その日は遠くで雷鳴が轟いた。心なしか、二六百有余年続いた神国日本の終焉を、
神々が怒っているようにも思えた。
退社後、路上で買ったその日の夕刊には大きく終戦の事が報じられ、見出しにこれから
の日本、いばらの道を踏み越えて云々・・・と記載されていた。
宵闇が迫り、燈下管制から開放された馬場町のNHKを帰宅途上の市電より見ると、電
灯が明々と灯り、不夜城のように光り輝いていた。僅か一日の差で、森ノ宮の砲兵工廠で
多くの人が死んだというのに。
・・・これらが、私が今、老齢の身ながら思い出して書けた、限界である。
はっきりと覚えていることだけを書いた。細かいことは、随分昔のことで記憶が定かで
ない。
戦後、報道されたところによると、原爆投下訓練として模擬原爆を大阪に投下したと聞
く。
思わず戦慄が体全体を過り、身の竦む思いをした。その恐ろしさは今でも忘れることは
できない。
現在~平成十五年五月十二日(水)
あれから五十八年。いい思い出などないのに、なぜかそこを歩きたいと思った。
思い出のJR安治川口駅に降り立つ。
ツツジの咲き乱れる駅は、半世紀前の出来事を語る物は何も残っていない。
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高いコンクリートの堤防がどこまでも続いている。
堤防のそばからは川が見えなくなっているが、船の汽笛やエンジンの音の響きが心地良
く伝わってくる。
もとの道を引き返す。
長い踏切待ちにふと線路脇に目をやると、排気ガスにもめげずたんぽぽが健気に咲いて
いる。
当時の勤務先、住友金属工業株式会社製鋼所の正門前に立った。
殺風景な外塀がどこまでも続いている。東北の角に立体駐車場があり、警備員がいない
のをいいことに、最上階まで上ってみた。屋上より工場内が一望できた。
勿論、爆撃にあった実習工場、青年学校校舎、武器庫等の当時の建物は何もないが、整
備されたとはいえ敷地内には教練に明け暮れた運動場の名残と、そして稲荷神社だけが残
っている。
懐かしさに胸が熱く込み上げてくるものを感じ、いつ迄も立ち去れず私は佇んでいた。
空襲警報の都度、場外待避をした西九条までの道を歩いてみた。
春日出、四貫島、千鳥橋と、聞き覚えのある町並は平和に息づき、当時を知る何物もな
いが、ただ一つ朝日橋の手前、戦禍にあったと思しき銀杏が若葉を風になびかせていた。
当時は防空壕のある西九条まで、その都度駆け足で往復していた。
今、歩いてみればバスの停留所が九つもあり、あまりの遠さに年齢を感じた。
朝日橋を渡った。ここに五十八年前、私たちの生死を分けた防空壕があった、ここは現
在、大日本塗料の敷地になっていて、当時を知る由もない。
今の平和な日本を築く為、戦争の犠牲になった人々のために、祈りを込めて合掌する。
この日だけで何度も私は合掌した。
時計を見れば、午後3時。バスに乗っていた時間をのぞけば、5時間ほど歩き回ってい
ることになる。
朝日橋のたもと。
横を、幼子を後ろに乗せた自転車が通り過ぎ、子供がおもちゃを道に落とした。私はそ
れを拾い上げ、子供に渡した。
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「ああ、どうもすみません。」若いお母さんだった。
ビデオカメラその他荷物を重そうに肩に下げ、車ばかりが行き交うこういう場所でひと
り、この老人は何をしているのだろうと、変に思ったのか、心配してくれたのか。
その時の会話。
「今日は暑いですねー」
「暑いですなー」
「どちら、行かれるんですか?」
「いえ、昔の思い出がある場所を歩いてるんですわ。」
「飲み物、子供ので良かったらありますけど?」
「いやーあどうも、ありがとう。お気持ちだけ頂いておきます。」
「そうですか。ショッピングセンター、あっちの、今トラックが曲がってきたところを歩
いたら、ありますので。よかったら休憩して行かれたらどうですか。水分きちんと取って
くださいね。」
「どうもありがとう。」
今、日本が良い国だと言う人は少ない。
しかし平和こそ、何事にも変えがたい幸せであり、良い事なのだ。今は良い時代であ
る。日本は良い国になった。私の年代では誰が何と言おうが、単純にそう思う。
幼い子供を自転車の後ろに乗せ、私に親切な言葉をかけてくれた若いお母さん。
そして私は、南街劇場の前で、戦火の中、死んだ子供を抱き、錯乱状態になっていた母
親を思い出した。
本当に酷い国だった。酷い時代だった。酷い戦争だった。
横を流れる六軒屋川は、今も昔も変わりなく流れている。
土や水は何も語ってくれないが。
人々の悲しい物語。私たちの小さな物語。
しかし土地は、全ての悲哀を知り尽くしている。
そして今尚生きている者たちが、決して忘れてはならない、断片的な記憶を共有してい
るのだ。
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今、あの中で共に生き延びた蓬原正平君、ぼっさんはどこで、どうしているのだろう。
私は数えで今年、七十四になる。今でこそ老体なりに健康ではあるが、もう人生の幕締
めは近いかもしれない。
町よりも風景よりも、私が探しているのは、ぼっさんこと蓬原正平君である。ぼっさん
に会うことこそ私の最後の願いであり、願わくば、執筆途中のこの自分史の最後の章を、
ぼっさんの章としたい。
平成十五年五月十二日(水)
記
一時間程度かけて、尚子はこの章を一気に読み直した。
時計を見たら、午後四時を回っていた。
いけない。
所長室に起きっぱなしのケータイを取りに走った。
案の定、夫からの文句たらたらメールがいくつか入っていた。
子供を迎えに行くのを忘れていた。
大騒動を巻き起こしてくれたこの本だが。
大騒動の、肝心な部分はこの本からは削除した。
その部分に何人もの人間が振り回されたが、今となっては、そんな部分は何の意味もあ
りはしない。
この本が、あの時代の出来事の生々しい記録として。
そう評価してくれる人があるのなら、それが結局、父たちにとって一番幸せなことなの
だろう。
そして、父の記録は我が子たちにも伝えていかなければならないことでもある。
今からさかのぼること八年前。
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第一章 平成十九年一月
夜、すでにベッドの中にいたときにかかってきた電話は、入院中の父がいよいよ危ない
という知らせだった。年末年始の昼勤夜勤連続八日間、直後の休日だった。
稲垣尚子は、今すぐ駆けつけると短い返事をして、電話を切った。
尚子が駆けつけたとき、父はすでに下顎呼吸になっており、目が覚めることは二度と望
めない状況だった。
こうなることは十分に予期していた。
ただし、当初の所見より、父は長く頑張った。
尚子が来て、家族全員が揃ったところで、もうこれ以上は迷惑はかけないとばかりに、
一時間ほど後に父は息を引き取った。
平成十九年一月八日没。七十九歳。
食道に癌が発見され、末期と診断されたのは約一年前。
最初こそ父は鬱病の入り口にいたが、やがて気を持ち直し、癌と共生しているかのよう
に、ゆっくりと頑張った。泣き言もほとんどなかった。
尚子が苛ついたのは、弟夫婦と義理の妹の親族の態度である。遠くに住んでいるわけで
もなく、長女でありながら、毎日見舞いに来ないのはどういうことか。看護婦のくせに他
人の世話の方が大事なのか。
そういうことだそうだ。
夜勤の当直が多い。特にここ何か月かは、父の見舞いには週に二回程度しか来られなか
った。できるだけ顔を出すようにしているつもりだったが、世間一般の常識からすればか
なりの親不孝となるらしい。
職業柄、父を患者の一人として観てしまう部分はあった。
無理な方便を言わなければならない患者ではなかった。父本人はしっかりと病状を察し
ている。父は逆に、尚子に気を遣うようになった。俺はいいから仕事にはよ戻れ、などと
よく言った。
19
弟夫婦は尚子とは違った。
彼らは親戚連中がよく出来た夫婦と褒めるように、毎日のように甲斐甲斐しく父親の見
舞いに訪れて、同じ言葉ばかりかけていた。
尚子からすれば、彼らは父の状態を良く見ているようでいて、父の気持ちを観ていると
は言いがたかった。仰々しい言葉を嫌う父の気持ちを少しもわかろうとしない。わかろう
とする気もない。そして、父の窮屈そうな様子を少しも考慮している様子がなかった。
稲垣尚子は三十四歳。大阪の阿倍野区に住んでいる。未婚。看護学校を二十二の時に卒
業してから、ずっと看護師をしている。所帯というものを知らないので若く見られる。
若い頃の経験は全部人並みだったと思う。馬鹿な医者にセクハラをされたこともあっ
た。毎週末コンパの連続で体重が四キロも増えたこともあった。カラオケでも歌う歌には
まったく困らなかった。遊ぶ時間もない時期は、買い物で憂さを晴らした。
今は仕事でもプライベートでも、いっときのようなバタバタした忙しさはないが、仕事
せわ
人間というほどの忙しさはなくても、仕事以外、これと言ってすることもないし、遊びた
いとも思わない。少々退屈と鬱屈を感じ始めている頃だった。
一般OLよりも贅沢な遊びを満喫したあと、同僚たちは次々と結婚した。子供ができ職
場から離れた者もいるが、独身時代と変わらず颯爽と働いている者もいる。おっかさん風
の魅力を備えて働いている者もいる。
尚子にも付き合った男はいたが、結婚までには至らなかった。どういうわけか、尚子と
縁があった男たちは「仕事を取るか俺を取るか」風に迫ってきた。今という時代の言葉で
はないが、そういう男としか縁がなかった。
人はいつまでもバブルを謳歌する独身女性などと言う。確かに一般企業に勤める同年代
の独身女性よりは、収入が多い。しかし尚子には貯金と呼べるほどのものはない。
遊びで散財する年齢はずっと前に過ぎたが、今は毎月の収入をCDやDVDに費やす。
住むマンションの、三つある部屋のうち一つはそれらで埋まっている。友人には、なんと
女らしさのない部屋だと笑われたこともある。
二十代の頃は毎週コンサート、ライブに出かけたものだが、近年はあまり行かなくなっ
た。一緒に行く人間がいなくなったせいもある。
買ったCDを最後までじっくり聞く時間はない。DVDは観ないまま放置してあるのが
何十枚と重ねてある。なのに買うだけは買う。
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父親は昭和一ケタ世代らしく、生真面目な性格ではあったが、あまり仕事熱心な人間で
はなかった。出世もしなかった。定年まで市バス車庫で、のんびりと働いていた。
退職後はハイキングから作文教室に至るまで様々な趣味に勤しみ、引退老人の鏡のよう
な生活を送っていた。
成績優秀とは言えなかった尚子が金のかかる看護専門学校へ行けたのは、そして弟の英
司が私立大学に六年も行けたのは、父に稼ぎがあったからではなく、尚子が生まれる前に
世を去った、母親の両親が遺した遺産のおかげだと聞いている。
尚子は社会人になってからも、十年以上実家に住んでいた。現在住んでいるマンション
から自転車で十五分ほど、隣の住吉区にある。
弟が結婚してから、家に居辛くなってきた。
自分の居住部屋であった六畳間と八畳間を弟夫婦に明け渡す形になり、尚子の部屋は二
階の奥の、四畳半の間になった。尚子の部屋はレコード、CDで完全に埋まってしまっ
た。
まるっきりの和風一軒家に住みながら、テレビドラマに出てくるような部屋にしたいら
しく、弟夫婦は部屋を改装した。六畳間二つと八畳間二つを分ける仕切り・鴨居がすべて
取り除かれ、最低限の家具だけが置かれ、まるで雑誌の表紙に登場するような、すこーん
とした何もない部屋になっていた。
父も私物を全部二階に移すように言われ、母親に至っては台所と寝室しか居場所がない
ような状態になった。
物にあふれた尚子の部屋に、弟の嫁が文句を付け始めた。
最初こそすみませんと笑っていた尚子だったが、家事らしい家事は一切やらず、一日の
大半を、ファッション雑誌を読むこととテレビを見ることに費やすこの嫁に、尚子も次第
に反感を持ってきた。
部屋を借りる程度の金を貯めた尚子は、二年前に引っ越しをした。同時に仕事が忙しく
なった。同じ市内にありながら、実家に帰る機会がほとんどなくなった。
たまに帰れば、仕事から解放されて久しい父は趣味に忙しく、あまり家にいない。母と
世間話をするために帰っているようなものだった。弟夫婦との埋めがたい溝は広がる一方
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で、七十を過ぎた年齢ながらいまだ家事全般を受け持っている母親だけが、尚子の話し相
手になった。
そして父の入院。
家族にこっそり告知などするな、全部隠さずに俺に言えと医者に強く出た父親の態度は
完全に裏目に出て、食道癌末期と直接告知された父親は、気落ちを超え、鬱病のようにな
った。
その頃は尚子もよく見舞いに行った。反応もなく宙を見つめる父親のそばで、自分も何
もせずに時間を過ごした。
ある日、ふと父親の視線が正常になり、尚子に仕事のことなどを訊いてきた。
それは鬱病から正常への復帰だった。
死の予感に打ちのめされた人間には、同じ時間をゆっくりと共有する友人、家族の存在
が一番の良薬であると尚子は職業柄知っている。
完治はしない。父の命はタイムリミットが来ている。そのときまでの時間をゆっくり
と、いい形で過ごせることを尚子は願った。
そこでまた、弟の嫁とその親が邪魔をしてきた。尚子が看護もせずに本を読んでさぼっ
ている、娘だけに大変な看護をさせて、実の娘は何をしているのかと、嫁の母親が、父の
いるところで母に抗議したのである。
その幼稚な言い分に呆れたが、父は、自分が介護されている状態であることを自覚させ
られ、気兼ねするようになった。家族に対しても、おまえら帰ってくれと言うことが多く
なった。
尚子が病室を後にすると、嫁は父親の背中をこれでもかとさすり、裏返った声で大丈夫
ですか、大変ですよね、などと繰り返す。
癌末期の患者に対して大丈夫ですか、大変ですか、など本当に馬鹿げている。しかし弟
夫婦や親戚は、そんな白々しい態度が優しさであると、勝手に思い込んでいる。
尚子は嫁に対して以上に、自分の弟のふがいなさに腹が立った。弟に厳しい言葉をぶつ
ける機会が増えた。しかし弟はへらへらと笑っているだけである。腑抜けである。
葬式では父をお疲れ様と送り出してあげたい一方、弟夫婦、嫁の親戚連中と数日一緒に
過ごさなければならないことを考え、尚子は気が滅入った。
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尚子の祖父祖母は早くからいない。父母の直系の親戚といえば、和歌山に住む父の妹夫
婦と従姉妹二人。母には独身の姉がいたが、数年前に亡くなった。昭和初期生まれの人間
としては、父母ともに兄弟姉妹が少なすぎる。
え
み
り
通夜、葬式では結局、弟の嫁絵美里の両親、親戚一同が数多く集まり、父をよく知らな
い人が大半だったゆえ、通夜での話題の中心は父のことではなかった。
何を言われても普通に応対しようと尚子は思っていたが、会話は質問であり、そして質
問の九割は結婚のことだった。誰もが何度も同じことを訊いてくるのには参った。
葬儀はつつがなく終わったが、親戚一堂が帰ったあと、香典袋を乱暴に広げながら、額
の多い少ないを話していた弟夫婦にはつくづく情けない思いがした。
仏壇の前に仕立てられた小さな祭壇を前にひとり、居眠りでもしているかのように長い
時間座っていた母親が不憫に思えた。
父がいなくなったということは、これから母があの馬鹿な夫婦のペースに合わせて生活
をしなければならないということである。
尚子はこれまで以上に実家に帰り、母親の様子を見なければならないと思った。
第二章 さっさと片付けられた遺品
葬式から二週間ほど経ったある日。
実家の前に不用品回収業者の軽四が止まっていた。嫌な予感がして尚子は家に走り込ん
だ。
絵美里が珍妙な格好をしていた。家の中でも、貴金属店の店員のようなブランド物のブ
ラウスを着ているのはいつものことであるが、ピンクのタオルで鼻と口を覆い、後頭部で
括っている。そして業者に何やら偉そうに指示を出していた。
「ちょっと待って! 何やってんの絵美里さん」
「家の整理です」
「整理って、これ全部お父さんのもんばっかりやないの!」
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電気製品の類い、カメラ、長年コレクションしていた雑誌、ビデオテープ、スキーの板
に登山用具、そしてたくさんの服。父の私物が今まさに業者によって運び出されるところ
だった。
「中身確認した?」
「古い箱とか、ケースとかそんなものばっかりですし」
「あのな。まだ二週間も経ってないやん! お母さんがこうしろって言うたの?」
尚子の激しい口調に絵美里はうろたえたが、すぐに聞いたような台詞を口にした。
「使わないものは整理する。大事なことですよね」
「だからお母さんがこうしろって言うたのかって! こんな勝手なこと、私が許さんから
ね!」
「許すも許さないも、整理整頓は人生の整理整頓だって、前に言わなかったですか、あた
し?」
「あんたの人生に私らを入れんといて。ふざけんといてよ、まったく!」
回収業者が困った顔をしていた。
「今日のところは申し訳ありませんけど、お引き取りください。手間賃、お支払いしま
す」尚子は自分の財布の中から五千円札を取り出して、業者の手に押し付けた。
絵美里はタオルを床に叩きつけ、憮然とした顔で出て行った。
すぐに母が奥から、おずおずと出てきた。
「助かったわ。やめてって言うたんやけどね」
「整理整頓好きもあそこまで行ったら、宗教か病気やで。なあお母さん、やめて、って本
当に言うたん?」
「・・・言うてない」
「どうせ、いつもみたいに押し切られたんでしょ」
「そやけどありがとう」母は古いカメラを手に取った。
「邪魔になるわけでもなし。お父さんのもん、捨てるやなんてまだまだ」
母はしょぼくれた顔から、急にスイッチが入ったような笑顔になった。「そやけどあん
た、絵美里さんに初めて、がつーんとかましてくれたねえ!」
何かと気の強い絵美里に、常に指図される側であった尚子が、今初めて絵美里を言い負
かしたことに尚子自身も気が付いた。
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「ふふふ。どこ行ったんやろ、絵美里さん」
「知らん。さあこれ、元のところに戻そ」
「お母さん、これは?」
階段を下りたところのスペースに、同じく父の私物、映画のDVDやCD、歌舞伎のパ
ンフレットコレクションなどが、玄関先に乱雑に置かれた物とは別に、きれいに整理され
て置かれてあった。
「英司が言うてたんやけど、売るんやって、これは。インタンネットの億ション、みたい
なやつ」
「オークション。知らん人に全部売るんよ、これ」
「へぇ! かなんわぁ。そんな。いずれ片付けなあかんのはわかるんよ。そやけど売って
どうするん。お父さんに怒られる」
「もっかい私がきつく言うとく。英司は全然当てにならんからね」
母はよいしょ、とダイニングの椅子に座った。「そういうたらあんた、帰ってくるのお
葬式以来やね。仕事は?」
「明日の夜勤までお休み。今日はゆっくりできる」
「そうかそうか。絵美里さん今晩はアクセサリーの勉強会とかで出て行くそうやから」
弟の英司が帰宅したのは普段より遅い十一時前だった。なぜか絵美里も一緒に帰ってき
た。
ご飯は済ませてきましたから、と絵美里が母に言った。連絡してくれたらごはん、無駄
にならなくて済んだのにね、と母が言うと、絵美里は、尚子さんに持って帰ってもらった
ら無駄にならないでしょう、とそばにいる尚子をまったく見ずに言い放った。
「英司来い。ちょっと話や」尚子は風呂場へ向かおうとする英司を止めた。
「なに。さっき絵美里から聞いたよ。親父の遺品のことやろ?」
すぐそこに絵美里がいる。自分の分だけコーヒーを入れて、澄ました顔でテレビのリモ
コンを触っている。
尚子は仏頂面の英司を玄関まで引っ張って行った。
「あのね。聞いてると思うけど」
「何がやねん」
「絵美里さんに怒鳴ったった。お父さんのもん勝手に触んなって」
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「へ? そんなん聞いてないぞ。おねえがあいつに怒鳴ったの? わはは、やるなあ」
「笑い事と違うで。あんた、このことだけは絶対に、絵美里さんの好きにさせんといて。
骨董品のカメラも、お母さんには思い出の品なんよ」
「うん。まーそやけど、いつかやっぱりそういうものは切り捨てなければ。余計なものを
すべて捨てて、最低限の家具しか置かない。一部で流行してるらしいで。これからもっと
流行する」
「知らんがな。くだらん。そんなもん流行するか」
「おねえは片付け、でけへんもんな」
「よう言うな。押入れの、使えへんガラクタの山は何?」
「見えないところはOKなんよ」
「違う。自分のものだけは置いておきたい。親のものは邪魔やから捨てる。絵美里さん、
一体何考えてる。ずっと尻に敷かれて、あんたみたいな馬鹿旦那見たことないわ」
「感情論と違う。要るものは全部、映画も音楽もパソコンの中。何年か経ったら絶対、そ
うなってる。CDもDVDも全部なくなる」
「ア、ホか。今、お父さんの持ち物について言うてるんや!」
「物にしばられる生活は、あかん」
「どんな顔して言うとんの。あんた、ゲームとかマンガとか全部仕事場に置いてるそうや
な。お母さんに聞いたぞ」
「いや、それは違う。子供に毎日接する仕事やぞ。子供の遊びとか、知っとかなあかんや
ないか。家には俺はそういうものは持ち込まん」
「しょうむない。聞いとれんわ。あのな。物に縛られるのが嫌やったら、無人島で裸で暮
らしたらええねん」
「極端な」
「あのな。切り捨てる、って何? 絵美里さんに踊らされてんのは知ったこっちゃないけ
ど、ええおっさんが嫁はんに踊らされて、流行に踊らされてるんとちゃうで。姉ちゃん、
あんた見てたら不甲斐のうてしょうない。年々、毎月毎月、あんたはアホになっていって
る」
英司は尚子を見ず、壁をきょろきょろ目で追っていた。怒られている子供のような動作
であるが、英司はいい歳になってもこうである。無論愛らしさもユーモラスさもない。
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「絵美里さんの非常識な考え方は、あんた一人でかぶれ。あんたまであの人と同じことや
るんやったら、姉ちゃんが許さんからね。
ええか、あんた。お母さんの気持ち、考えて。遺品整理はお母さんに全部任す。わかっ
たね。値打ちあるもんやったら、いずれオークションで売るのはかまへん。そやけど、あ
んまりにも早すぎる。まだ四十九日も経ってないねんで! 全部、しばらくそのままにし
とくこと。守れへんかったら、私、あんたも絶対に許さんからね」
「わかったわかった。ちゃんと言うとくから」
一番言いたいことを言わずに我慢する。
それが母の性格だが、家庭内で揉めると母が悲しむことを尚子はよく知っている。
だから尚子はこれまでも、独身時代以上に派手な生活を続け、旦那に機嫌をうかがわ
せ、母を家政婦のように思っている絵美里の行動を表立って正すつもりはなかった。
しかし今回のことは気になった。母は昭和の主婦そのままの人間であり、健康維持と、
新聞を切り抜いて冷蔵庫のドアにぺたぺた貼る程度しか趣味がない。家族との思い出の品
以外、個人的な私物などほとんど持っていない。
父の私物について、特に古いものには、母も同時に思い入れを持っている。今それらを
思い切り良く処分されてしまったら、母はおそらく抜け殻のようになってしまうかもしれ
ない。
絵美里にはしつこく釘を刺しておかねばならない。しばらくは少々無理をしてでも、週
に数回は実家に戻ろうと尚子は思った。
数日、職場でも尚子の頭の中は父の遺品と絵美里問題で占められていたが、そんな矢
先、尚子の勤める病院で、病後児保育部門閉鎖という案が出てきた。
病後児保育部門とは、回復期にあるが、まだ集団保育を受けることが困難であるという
時期の園児を院内で預かるというシステムである。
赤字閉鎖というわけではなく、たまたま近所に病後児を預かる保育所が開園したという
理由だった。
尚子の仕事に直接関係のある部門ではなかったが、責任者が尚子と同期の人間であり、
助けてくれと泣き付かれた。
夜勤の新人を教育する時期と重なり、仕事は多忙を極めた。
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週に数回実家に帰るつもりが、二週間近く帰れない日々が続いた。
まだまだ忙しい日々が続く。毎日のように母には電話をするが、母は大丈夫よと繰り返
すだけで、実際家の状況がどうなっているのかわからない。
家には数時間しかいることはできないが、ある平日の午後、尚子は帰ってみた。
心配していたことが的中した。
父の私物がきれいに無くなっていた。
物にあふれていた父の部屋は仏間になり、弟夫婦の部屋同様、あまりにすっきりした部
屋に変わっていた。
母は情けない声で、仕方ないよと言うばかり。
仕事もしていないのになぜか平日昼間は家にいない絵美里に連絡をし、すぐに帰宅する
よう尚子は強く言った。
残された人間が悲しみから抜け出て元気を出して生きて行くことがお父さんの供養に繋
がる、私らの幸せこそお父さんが喜ぶことではないですか、などと、絵美里は最初こそし
おらしく、遣い古された言葉を言った。そこで尚子が、オークションにかけたお父さんの
遺品がいくらになったのか教えなさいと訊いたところ、絵美里は開き直った。
「この家の世帯主は、英司さんですよね?」
型通りの言葉しか持たない絵美里が滑稽ですらあった。お父さんが喜ぶとはよく言えた
ものだ。小金を得たところで、母に旅行にでも行ってらっしゃいと小遣いを渡す気持ちす
ら、この夫婦にはない。
臨時収入は、別室や押入れに山のように積まれた最新電化製品の追加と、絵美里の遊び
代、洋服代に消える。
「あんたの親がこうなったら、同じことするの?」
「私の親は関係ないです。まだまだ元気ですから」
「へえ。関係ない、の。怒る気も失せるわ」
「だったら口出すの、やめてもらえます?」
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「あんたこそ、この家に口出すのやめてよ!」おろおろする母を後目に、ついつい尚子も
大声で応戦した。
やめて、やめて、と母が身を挺して割り込んできた。
しかし母が抑えたのは、絵美里ではなく尚子だった。
「怒ったらあかんの、怒ったらあかん」
子供を叱るような母の口ぶりに、尚子は冷めてしまった。
尚子を睨みつけた絵美里は、これからはもう遠慮しない、と一声怒鳴り、ぷいっと部屋
から出て行ってしまった。最初からなぁんにも遠慮してないやんか、と尚子がぼやいた。
母はダイニングチェアに座り、頭を垂れていた。
英司がいれば尚子は十二分に八つ当たりしてやったところだが、母に対してはそういう
わけにもいかない。
自分と絵美里が今日のように喧嘩すれば、そのことがまた母のストレスになる。
とりあえず仕事が一段落付いたら、母を旅行にでも連れて行けないかと、尚子は頭を切
り替えて考えた。
尚子は夕方、仕事に戻った。
仕事が身に入らなかった。
父の病床で聞いた思い出話。趣味の話。
いつも尚子は、父の話をじっと聴いた。
元気になったらもう一度山に登りたい。いつもその話だった。
もう一度ピッケルを使いたい。しかしこんな身体や。尚子、そのときは一日でいいから一
緒について来てくれ。
ええ歳して親子で山登り? まー、今の病気治ったら考えたってもええかな。
何とでも言え。正直、最後の親子遠足かもしれん。そやけど雪山はあかんな。俺は自信あ
るけどおまえが滑ってこける。
テントは二十年も前に買ったもんやけど、年に二回は天干ししてるんや。高かっただけあ
って破れもほつれもない。あの中でもう一回、キャンプしたい。
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はいはい。
はんごう
飯盒はな、俺が二十歳くらいのとき、大先輩の、仲間の爺さんにもらったもんや。あれで
炊いた飯は本当に旨い。覚えてるか?
その飯盒は尚子も覚えている。確かにそれで炊いたご飯はおいしかった。尚子が幼い頃
の思い出である。
それら登山用品はもうない。
愛好家に譲られたのならまだ納得もできるが、粗大ごみとして業者に持って行かれてし
まったのである。
絵美里と英司が許せないと同時に、ただただ尚子は残念で悲しかった。
故人が大事にしていたものは、見るたびに故人を偲ばせる。故人の思い出に浸らせてく
れる。それが最も身近な供養なのだ。多趣味な父は特に遺品が多かった。
父が最後まで腕につけていた、露骨に偽物のブランド物時計。それは尚子がもらった。
マンションの自分の部屋、父の写真の前に置いてある。
実家の中を細かく探したわけではないが、父の遺品は、この時計だけになってしまった
のだろうか。母は何か持っているのだろうか。
母は一年程度、父の闘病生活を共に過ごした。ほっとした気分も少しはあるに違いな
い。後は自分だけの人生を生きてくれればいい。そう考えたいところだったが、あの家に
弟夫婦と三人暮らしとなると、母の心の平穏もないかもしれない。
最悪の予想であるが、母が身体を壊せば老人ホームにさっさと入れられてしまいそうな
気もする。
孫でもいればいいのだろうが、絵美里の意思で子供は作るつもりはないそうだ。そこに
ついては、未婚の尚子には口を出すことはできない。
当分は、夕食に母を呼び出すことくらいしか尚子にはできない。早速明日母に電話しよ
うと尚子は思った。
次の休日は母と食べ歩いた。母はよく食べた。
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弟夫婦のことについて、思うところをしっかり聞き出そうと思ったが、話題は世間話に
終始した。
かまを掛けても、母は弟夫婦のことについてはほとんど話さなかった。結局、尚子が職
場の愚痴ばかり喋っているような具合だった。
尚子は少し安心した。あるいは尚子が思うほど母はストレスを持っていないのかもしれ
ない。
弟夫婦と同居することになった頃は一日中、絵美里の文句を言い続けていた母だった
が、二年近くも経てばそういうこともなくなった。
今回のこともさほどストレスにはなっていないようで、尚子は拍子抜けした。一緒に暮
らす母はそれなりの妥協策を見つけ、絵美里ともお互い争わないように上手くやっている
のかもしれない。
父の遺品を勝手に処分されたのは、個人的にこれからもしこりが残るが、自分が彼女ら
と一緒に住んでいるわけではない。何事も母の意思が一番大事である。
父が逝ってまだ二週間程度。とりあえず母は元気を取り戻しつつあった。
第三章 不思議な遺品
日曜日の夕方。
大手学習塾の雇われ教室長をしている英司は、今日はどこへも出ずに家にいる。絵美里
はまたどこかへ出かけている。
仏間で父の思い出話を話す尚子と母の間に、英司がちゃぶ台を持ち込んで入ってきた。
「何とも、おとんのオーラが全然なくなったちゅうか、まー、ここまできれいに片付けて
しまうことはなかったと俺も思う」英司はあぐらをかいたまま、床をとんと叩いた。
「今頃何言うてんの。アホ。だったら何で止めへんかった」
「まあ、それは」
「頼りない家長もおるもんやわ。入ってくんな。向こう行け」
「まあまあ、ケンカしなさんな」母がお供え物を頬張っている。
「おねえ、親父のもん、ひとつだけ残したるって知ってる?」
31
「何よそれ!」
「ああ、机やね」母が平然と言葉を返した。
「お父さんの机? あの古い事務机? なんでまたあんな汚い机。残すんやったら他のもの
があるでしょ!」
尚子は、かつてこの部屋の隅に置かれていた事務机を思い出した。和風の部屋にはまっ
たく似合わない、大きくて不恰好な事務机。
英司がしみじみとした顔で語った。「あれはどうしても捨てられへんかった。ほれ、椅
子が入る部分、中のほう、そこにペタペタとシールが貼ってあってな。俺が貼ったやつ。
ビックリマン。それ見たら、泣けてきてなあ。おとん、なんで剥がさんかったのかな、っ
て」
ちょこんと正座をしている母が継いだ。
「汚い机やったけど、無頓着やったからなあ、お父さんは。仮通夜も、葬式も全部来てく
れた中村のおっちゃん。昔、仕事失敗して事務所畳んで、そのときにお父さん手伝いに行
って、それでもらってきた机。変なもん大事にするんよ、お父さんは」
「机、どこに置いてんの」尚子は英司に訊いた。
「物置」
「ちょっとおいで」尚子は立ち上がった。
「別に見んでもいいやんか。上に何か乗せたるし、めんどくさい」
「机に引き出しいっぱいついてたやろ。まさかあんた、引き出しの中身まで全部捨てたん
とちゃうやろな?」
「いいや、そのままと思う」
「机、物置の外に出して!」
引き出しだけを取り外そうと思ったが、引っ掛かってちゃんと開かない引き出しがあっ
た。物置前は暗かったので、尚子と英司、二人がかりで机が、部屋に運び込まれた。
引き出しの中に入っていたのは、使い差しのメモ帳、筆記用具、何か月も前のテレビ雑
誌、百円ライター、電池、およそガラクタの類いばかりだった。
一番下の大きな引き出しには、何冊分かの雑誌・新聞のスクラップと、サイズの揃って
いないそれらの重しに使われていた、郵便局の古いキャラクター人形があった。それを逆
さにすれば、足の裏に拙い字で、なおこ、と書かれてあった。
32
「私の勝ちやな」尚子は英司に言い放った。
「何?」
「お父さんは私のものをこうして残してくれてた。あんたのものは何や。その剥がれかけ
のシールだけや。しょせんあんたなんか、ビックリマンのシール程度の人間や」
「何言うとんねん、俺のものもあるって」
英司はムキになって、引き出しの中身をさらに探った。
「なんか引っかかってるぞ。取れへんな。大きい封筒みたいなやつ。よいしょ。うーん、
手が届かん、見えとるんやけどな。おねえの太い腕で取ってみて」
英司の頭をはたきながら、尚子はA4サイズの封筒を引き出した。
丁寧に封がしてあった。
「わ、これおとんのへそくりとちゃう?」
「私とお母さんがもらう。あんたには一円もやらん」
封筒を開けると、最初に見積書と書かれた紙が出てきた。
中には一回り小さい封筒も入っており、父の直筆で、「響子・尚子・英司へ、お願い」
と書かれてあった。
三人は驚きの声を同時に上げた。
便箋と共に、フロッピーディスクケースが入っていた。
便箋に書かれた内容は短いものだった。
俺にもしものことがあったらと思い、こうして手紙を残しておく。
フロッピは自分史の完成品である。十年以上にわたって愛用のワープロで書き綴ってきた
ものである。印刷屋に出したらすぐ本にできるようにしてある。俺の貯金でどうにか、や
とみやま
ってくれ。恥ずかしくないように文章教室の富山先生に手伝っていただき、読みやすく文
章を直してある。
手間をかける。しかしこれは最後の手間である。よろしく頼む。毎度おおきに。
では。
武雄
「お父さんの手紙や・・・」母が先に手にとって、読み返した。「口で言うといたらええ
のに」
33
「お父さん、ええカッコしいやねえ」
「なんじゃこれ」ケースからフロッピーディスクを取り出した英司が間抜けな声を出し
た。
中に入っていたのは記録用のフロッピーではなく、「佳子の代筆」というアプリケーシ
ョンディスクだった。
父は亡くなる直前まで、1990年代のワープロを何度か修理しながら、ずっと愛用し
ていた。パソコンに興味を持ったことはなかった。
「お父さんのワープロは」
「あれも絵美里が処分した」
「ワープロがなかったら中身、読めんやんか!」
「それ以前に、これに中身が記録してあんのか? おもいっきりアプリケーションディス
クやで」
「まだフロッピー、引き出しの中にあるかも」
三人は引き出しの中身をすべて床に出し、フロッピーを探した。
あった。
自分史修正中①、自分史改訂部分②、と書かれた二枚である。
「これのことかな」
「ワープロがないから確かめようない。完成品て書いてないな。おとんは、ここぞという
ときにどんくさいおっさんや。多分俺らに残すフロッピーを間違えたかも」
「うーん、多分そうかな」
「英司、ワープロって、本体にも記憶できるはずやったな?」
「俺からすれば骨董品や。確か、ワープロちゅうのは出た当時、本体にしか記録でけへん
かった。それからフロッピーに記録できるやつが主流になって」
「お父さんのワープロって、お母さん、画面大きかったよね?」
「なんか、畳んであって、ぱんと広げるやつ」
「だったら中身にも必ず記憶してあるはずやね」
「そやけどワープロがもうないねんから、中身読まれへんぞ。俺のパソコン、フロッピー
読み取るとこないからな。こないだ、電器屋へ行ったらパソコン全部、フロッピー読む部
分がない。ちょっとした文章、渡したりすんのにすんごい困る。おねえのパソコンは?」
34
「私のノートも付いてない。でも病院に読めるやつがある。そやけど、ちゃんと読み取れ
るのかな」
「アプリがなかったら無理やな」
「どういう意味?」
「ワープロで記録したフロッピーは、フロッピーデバイスが付いてても、そのままではパ
ソコンでは読み込めへんちゅうこと」
「何でワープロ捨てたんよ!」
「知らんがな! 俺とちゃうわい!」
便箋を手に持って固まっていた母が言った。「持って行ってもらったゴミ屋さんに訊い
たらいいんとちゃう?」
外出先の絵美里に連絡をつけ、次に廃品回収業者に連絡したが、ワープロはすでに処分
され、影も形もないとのことだった。
「しかし八十手前にしてワープロって。何で老人らしく紙に書いて、残しとけへんかって
ん。どうせやったらパソコンで書くとか、ほんとにおとんは半端なことしたな」
「お父さんらしいっていうか・・・今の時代にパソコンでもない、手書きでもない、ワー
プロって何なんよ」
「・・・同じワープロをどっかで探してくるしかないか。ネットオークションで探そ。と
りあえずこの中身、読みたいしな」
「病院に古いパソコンがあるかもしれん。どっかでアプリ落として、テキストデータで読
み出せると思う。あかんかったら、どこかでワープロの中古品買うわ、私が」
尚子は見積書、と書かれた書類に目を落とした。
「これ。見て」
「太陽出版。出版社?」
見積額が二百八十万円、とあった。英司が笑い出した。
「おとん、出版社へ行きよったんや。自分史の見積もりが二百八十万円。ぼったくりや。
目が飛び出て、あきらめたんやろな」
「そんなにお金かかるもんなんか?」母が尋ねた。
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「編集代、ソフト使用料、校正代、データ変換費、テータ媒体費用・・・って、なんじゃ
これ。年寄り相手やから何もわからんと思いやがって。
フッツーにパソコンで編集して、印刷して製本してもらうだけやったら百冊、二百冊単
位で、五十万、いや、三十万もかからんと思う。ライバルの塾で中学生の問題集、自前で
作ったおっさんがおってな。製本代はそれなりにかかるけど、中身、編集とかは、テキス
トで取り出せたら、後はワードに張り付けるだけ。俺がやったってもええ」
「あんたは信用できん。私がやる」
「おねえ、自由時間のないかわいそうな仕事人間やんけ」
「うるさい」
「しかし、この二枚のフロッピーの中身を見てみんと何とも言えんな」
「そうやね。佳子の代筆も調べてみるけど、やっぱりお父さん、清書のフロッピーを間違
えたんやろか。二枚のフロッピーの中身、もし完成品やったら、すぐにでも本にしてあげ
よ」
「それは、お母さんは反対や」
二人は目を丸くした。
「おかん、めっちゃ空気読んどらんのとちゃう?」
「お母さん、本言うても、出版社なんかに頼まん。印刷屋で、パンフレットみたいなもん
にしてもらったら。二十万三十万もあったら、多分立派なもん作ってあげられる」
「あかん。お葬式代、なんぼかかったか知ってんのかあんたら。この先もあれこれお金要
るねんで」
「出た、金の亡者。そこだけはホンマ、現実に戻るの早いよな」
「お母さん、お金やったら私が出すよ?」
「お金ない、って言うてんのとちゃう。お父さんは確かに、いくらかお金遺してくれたけ
ど、お墓のこととか、まだまだお金はかかる」
「興冷めやのお」
「はいはい、わかったわかった」
母は気難しモードに入っていた。尚子は英司の尻を叩き、会話を中断した。
第四章 断片
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翌日、尚子は病院の同僚で、パソコンに長けた同僚に尋ねてみた。ワープロの会社のホ
ームページへ飛ぶと、しっかりパソコンで読み込めるアプリが無料で配布されていた。同
僚はひょいひょいと三枚のフロッピーを調べてくれた。
自分史完成品、と書かれたケースの中に入っていた「佳子の代筆」は、やはり見たとお
り、中身もワープロのアプリケーションディスクだった。
あと、二枚のフロッピー。
それは思ったとおり、自分史の完成品ではなかった。
父はやはり、ここぞというところで大失敗していた。
ただし、たくさんの文章が残されていた。
同僚は中身を全部テキストファイルに変換し、ワープロソフトに貼り込んでくれた。尚
子はそれをプリントアウトしてもらった。
目次らしきものがある。
エッセイのようにまとめられた文章のそれぞれには番号もなく、ページも打たれていな
いが、ちょうど百章分のタイトルが別のページにあった。
年代別、育ち別に分けているというものではなく、自分史といっても、エッセイ集のよ
うなものだった。それぞれに脈絡がなく、時代もごちゃごちゃになっているようである。
または、ここにない清書では、ちゃんと時代順に揃えられていたのかもしれない。
プリントアウトしたものを数えてみたら、百枚近くもある。文章の数は、全部で三十ほ
どあった。
この三十ほどの文章がさらに細かく分けられて百章になるのか、あるいは残りの七十の
文章が別にあるのか。完成品がないのでわからない。
プリントアウトしたフロッピーの中身を、尚子は母と英司に渡した。
実家では以降も、家中でフロッピーディスクの捜索がおこなわれたが、一枚も発見でき
なかった。
尚子は父の手紙にあった、文章教室の富山先生に連絡するよう、母に頼んだ。父に長
年、文章のてほどきをしてくれた人物である。その人がひょっとしたら、完成品のフロッ
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ピーを持っているかもしれない。
しかし母は断った。本にする場合にかかる費用というものがどうしても気にかかるよう
で、反対する尚子に対し意固地になっている。お金がかかることについては、昔から母に
はそういうところがある。
尚子が連絡した。
そして軽くショックを受けた。残念ながら、その富山先生も御歳九十歳で一昨年の暮
れ、亡くなったということだった。
そういえばお父さんと一緒にお葬式行ったわ、と後で言った母に、尚子は少し腹が立っ
た。
病床で自分史を書く人たちと何度か接したことがある。手書きで書く人もいれば、ノー
トパソコンを使いこなしている人もいた。
自分史出版ビジネスというものが昔からある。父も出版社に出かけていった。
自分史とは、家族、近しい者たちに見てほしいという思いで作られる、まさに自分の歴
史である。
つまり言い換えれば、遠い親戚や他人が読んでも面白いものではない。尚子の父、武雄
の自分史も当然そういうものだと思っていた。
ところが、あの父にこれほどの文才があったとは、特に娘である自分と、弟の英司には
驚きだった。
もちろん尚子も、父からじかに戦争の話を聞いたことは何度もある。
尚子の世代では戦争の話が、国語の教科書などでもよく扱われた。子供映画会のような
イベントでは、いつも戦争の映画だったような記憶がある。
多くの、元子供たちがみんな体験した、大変な時代があったおかげで今の平和な時代が
ある。尚子もそう考えてきた。
つまりその程度の感覚である。
尚子にとって最も印象的だった戦争の話は、人間の話ではなく、戦時中の動物園、毒殺
された象の話だった。
かつて父が話した話はどれも、色としてはまったく同じものであり、聴いてあげるのが
仕事のように思っていた。
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看護師という仕事でも、老人の患者から戦時中の話をよく聞く。内容は大体父の話と同
じである。父も、そして老齢の患者たちも、悲しい経験を通して、今という時代のありが
たさを説いた。
尚子の世代の大半は、それらの話のコンセプトをしっかり理解してはいる。ただしどの
話もカラーが同じ。傾聴してあげるという態度があって初めて成立するストーリーであ
る。
自分たちが日常生活の手を止めるような話はない。もう、六十年七十年過去の話なの
だ。
中には、悲惨な時代を知らない戦後生まれの人間を非難するような、押しつけがましい
話し方をする老人もいる。あまりしつこく聞かされると、正直鬱陶しい。
それに。今の日本で、本当の戦いで人が死ぬことこそないにせよ、競争という緩い戦争
の中で、人は引退するまでずっと疲労困憊していく。今の時代だって生きていくことは大
変で、形の違う戦争が繰り広げられているのだ。
自分が体験していない逸話、説話が今の自分を助けてくれることはない。すべて昔の悲
しい物語であり、それ以上でもそれ以下でもない。尚子は、普段は父の話を思い出すこと
などまったくなかった。
しかし文章そのものが、何事においても緩く、のんびりしていた父のキャラではなかっ
た。生々しい戦争の描写に、尚子は軽くショックを受けた。
父が書いたものについては、短いものすら尚子は読んだことがなかった。自分史を書い
ていると自分の口で言っていたが、どうせ年寄りらしい、説教くさい内容だと思い、少し
も興味が湧かなかった。
文章を書くと人が変わる、そういう人がいると聞くが、父がまさにそうだった。
父の文章の中でも、気にかかったのは『ぼっさん』、蓬原正平という謎の人物の描写で
ある。
「蓬原」という名前には振り仮名がなかった。母に訊いたが、大抵の漢字に強い母も知ら
ないと断言し、取り付く島もなかった。
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塾の講師をしている弟英司もわからないと、いつもの頼りなさを披露した。
自分でネットで調べたところ、あいはらとも読むし、よもぎはら、ふつはらとも読んだ
りするらしい。どれにしても変わった苗字である。
第一章、大阪大空襲の話だけでA4用紙五枚ほどにびっしり。
全部読むのは数日かかりそうだった。
第五章 蓬原
夜勤の休憩時間。
尚子はコンビニに行こうと、裏口から外に出た。
実質入院患者の喫煙場所となっている、病院前のバス停で、顔見知りである初老の当直
警備員がタバコをふかしていた。
「こんばんは」
「あ~、どうもどうも。あれ? 稲垣さんタバコ吸いはんの?」
「吸いませんよ。今からコンビニ行くんです」
「今おでん七十円セールやで。あー。そうや。来週講義室で、お医者さんの会議があるや
ろ? あれ、土曜やったかな日曜やったかな。今わかる? 椅子出したりとかせなあかんの
よ、わしらが老体に鞭打って」
「ちょっと待ってね」尚子はポケットから手帳を取り出した。
「土曜日やね。えーと、土曜日、二時。なあなあ。それよりも橋本さん、この字読め
る?」
蓬原、と自分で書いたページを開いた。以前この警備員には、尚子が入院患者の名前を
読み間違えて大笑いされたことがある。
「なんじゃこりゃ。あい、はら、かな」
「やっぱり、あいはらかな」
「何や。知り合いか?」
「うん、ちょっとね」
「同じ名前の入院患者さん、おるで」
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「えっ、ほんと?」
「間違ってたらごめん。南館四階、内科入院の患者さん。えらいばあさんやけどな。最初
急患で朝早う来た人や。変わった名前やったからその字、覚えとる」
尚子は病棟に戻り、パソコンで患者検索をしてみた。
蓬原初江。
「よもぎはら」だった。
年齢九十三歳。かなりの高齢である。
内科病棟に入院、今日で十六日目。
れいじんちょう
住所は天王寺区伶人 町 。
したでらまち
父がかつて、生まれてから母と結婚するまでずっと住んでいたと聞いた天王寺区下寺町
は、この病院から自転車で行ける距離で、そのエリアから来ている患者も数多くいる。伶
人町といえば下寺町の隣である。
ひょっとしたら、ひょっとする。これはもう少し調べてみなければならない。
ただし、院内でも個人情報がうるさいこともあり、病棟違いで顔も知らないこの患者に
ついて、パソコンであれこれ調べるのも気が引けた。担当の人間に聞くのが一番話が早
い。誰かに見られる前に画面を閉じた。
ちょうど応援を求めてきた救急外来に、尚子は向かった。
尚子は気になることがあれば集中が保てないタイプである。学生の頃、それにこの仕事
に就きたての頃は仕事中先輩に指摘され、怒られたことも度々あったが、今はそういうこ
とはない。
ただしそういう癖がなくなったわけではなく、何か別のことに気を取られながらも、目
の前の仕事を何とかミスせずやり遂げるというテクニックを身につけたに過ぎない。
救急外来にやってきた患者は腸閉塞と診断され、入院することになった。
死ぬほど痛かったと患者は涙を流したが、処置が済んでからは尚子はうわの空だった。
ありがとう、と手を握られ、我に返った。
そしてカルテを見ると、患者の名前が「武雄」とあった。珍しい名前ではないが、父と
まったく同じ名前である。
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蓬原、そして武雄という名前の患者。同じ日に二つの偶然。
父が、蓬原初江に会えと言っている。
もちろん偶然に過ぎないことはわかっているが、好奇心を正当化するために尚子は勝手
にそう解釈した。
夜勤が開けた朝、尚子は要らないファイルをダミーに抱え、内科病棟へ出向いた。
「ちょっと、いいかな」尚子はあくびをかみ殺している後輩に声をかけた。
後輩は弾かれたように立ち上がった。
「どうも、稲垣先輩オハヨございます。今、あたしちょうど手が空いてて、検温の患者さ
んは武田さんが行ってまして、それから」
「いいんよ、ゆっくりしてて。あと三十分で終わりやね。それよりも。お願いあるんやけ
ど」
「はい、なんですか?」
「405号室の蓬原さん。実はね、親戚やねん。私が子供の頃、親戚一同と喧嘩別れし
て、それから付き合いはないんやけど。でも歳が歳でしょう。ちょっと話、したいと思っ
てね。他の人が何か訊いてきたら、そういうふうに言っといてくれる?」
尚子は適当なことを言った。
後輩の顔が曇った。
「問題あるかな?」
「いえ、問題はないですけど、蓬原さん、認知症ですよ。ほんとやったらすぐに退院する
予定やったんですけど、独り暮らしで。入院前から結構ヤバかったみたいです。遠くに住
んでる息子さんとの同居を拒否してるそうで。受け入れる施設が決まるまで、何となくま
だ入院なさってます」
「会話は?」
「いっぱい話しはるんですけど、何言うてはるのかようわかりません」
「そうか。まあ、頼んだよ」
蓬原初江はベッドに腰掛け、穏やかな笑みを浮かべていた。
「おはようございます。私、稲垣って言います。はじめまして、ですよね」
「そうか、そうか。おはようさん。はい、おはようございますよ」
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「つかぬことお伺いしますけど、蓬原さん、伶人町にお住まいやね?」
「あんた、看護婦さん?」
「はい。このとおり」
「吉田さんは? 辞めさされたんか?」
「いえいえ、今日はもう帰りましたけど、ちゃんといますよ」
「辞めさされてないんか? ちゃんとおるんか?」
「いえ、だから、辞めさせられてなくて、ちゃんと働いてますけど、今日は夜の十二時に
帰りました」
「あんたは? 看護婦さんか?」
「はい。稲垣尚子といいます」
「吉田さんは辞めさされたんか?」
老婆は急にそわそわし出した。「体温計、探してんか。吉田さんが熱、測ってくれるね
ん」
「あの、おばあちゃんは、伶人町におうち、あるんですよね?」
「んー? かんじんちょう?」
「伶人町です」
「勧進帳は得意やでえ。大恩教主の秋の月はァ 涅槃の雲に隠れェ~」
「はぁ?」
「吉田さんはどこにおるの」
確かに会話にならない。
蓬原初江からしばらく、調子外れの勧進帳のレクチャーを受けた後、尚子は出直すこと
にした。
「じゃあ蓬原さん、私、帰るよ。また遊びに来るからね、ぼっさんによろしくー」
最後の言葉は思わず口から飛び出したものだった。なぜだかわからない。
父の自分史に書かれていた、妙に気になった「ぼっさん」と「蓬原さん」、ここ数日頭
にずっと引っ掛かっていた二つの言葉が思わず口に出てしまった。
ほう
そして呆けていた初江の表情が一瞬にして変わった。口調も別人になった。
「あんた、あの子に何の用事や?」
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「蓬原正平さんのことです。ぼっさんと呼ばれていたのを知ってます。ひょっとして初江
さんの知り合いの方ですか?」
「正平に何の用事? あんた、タケオの知り合いか?」
いきなり核心である。父の名前が出てきた。
「はい! 私、稲垣尚子です。稲垣武雄の娘です! ああよかった。初江さんに読んでほし
いものがあるんですよ」
尚子は嬉しさに舞い上がった。
認知症の症状が出ているものの、勧進帳の弁慶のセリフを暗記している人間である。症
状のましなときはきっと、父の物語も読んでくれるに違いない。何だったら自分が読んで
聞かせてあげてもいい。
しかし喜ばしい気分も次の瞬間、全部消えた。
初江は病棟に響き渡るような大声で、泣き始めたのだ。
何事かと、看護師たちが走りこんできた。
その日は昼夜勤の不規則シフトだった。四時間程度は寝る時間があったが、それが潰れ
た。
昔の思い出話をしているうちに何か嫌なことを思い出したようです、と尚子は担当看護
師長に出任せを言ったが、親戚ではあっても、仮にも看護師が認知症の患者を不穏にさせ
るとは何事かと怒られた。
次は事務室。
自分に直接関係のないことまで、この際とばかりにあれやこれや言われ、ザ・スネーク
と呼ばれている、嫌われ者医局長から解放されたときは、もう十時を回っていた。
そして運悪く仮眠室には清掃業者が入って大掃除の最中であり、尚子はげそっとした気
分になった。
駅前のファーストフード店まで出かけた。
夜勤、日勤の連続二回程度なら眠気を殺す訓練は積んでいる。
尚子は父の自分史の続きを読むことにした。
ぼっさん。
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蓬原正平。
そして蓬原初江。
まだ若かった父に、どのような物語があったのか。
闇市の思い出
終戦後、雨後の竹の子のように、ここかしこの繁華街や駅周辺に闇市ができ、人々は当
てもなく、まるで砂糖にたかる蟻のように集まりひしめき、蠢いていた。
そこには様々な品物があり、金さえ出せば何でも買えたが、みな高嶺の花であった。
私も例外でなく、阿倍野、鶴橋、梅田と大阪を代表する地域の闇市をさ迷った一人であ
る。
今の阿倍野橋近鉄の前の道路(阿倍野筋)も闇市で賑わっていた。
ある日、雑貨を売っていた、小さな初老の男性が、取締官にゴム紐の寸法を誤魔化して
客に販売したとのことで、厳しく追求されていた。
三十の物差しでゴム紐を伸ばして計り、実寸が不足しているとのことである。買った客
も参考人として同行せよと言われている。
戦後とはいえまだ軍隊口調の残っている時代で、罵倒と脅迫に近い言葉を浴びせられた
店主は、とうとう店をそのままにして、客と一緒に連行されて行った。
今と違って物資が不足していた時代では、店主のやったことは悪いことかも知れない
が、あまりの詰問に見ている者も圧倒されて、気の毒であった。
又ある日、道端で風呂敷を広げて巻き寿司を売っていた、髪を三つ編みにしたもんぺ姿
のまだ十五、六歳のあどけない女の子にも、取締りの手は弛むことはなかった。
生ものである巻き寿司が、今で言う賞味期限だろうか、その時間を迎え、半額で売られ
た。それに対し、半額で売ってもらえなかった、数時間前に買った客が、厳しく女の子を
咎めた。モンスター・クレーマーの走りのような人間だった。
その騒ぎを聞きつけた取締官が、やはり軍隊調の厳しい言葉で女の子を問い詰めた。
女の子は目にいっぱい涙を溜めて取締官に哀願をしたが、残った巻き寿司が無残にも踏
み潰され、女の子は連行されていった。
45
特に年少の者が店を出していた場合、そういうことはよくあった。連行されたといって
も、留置場に入れられるわけではない。
かみ
そもそも、その字の通り、闇市は法律違反である。お上の許可なしの露店、夜店である
(闇に紛れて商売をしているという意味ではない)。
ずるい人間は取り締まり官に金を握らせていたのだろう。交差点、四つ角で大々的に商
いをしている闇市商店に知らん顔をし、取締官はたとえば、店番一人の道具屋や、子供が
店番をしている食べ物屋など弱い者を標的とした。毎日のように彼らから罰金を巻き上げ
た。売り上げを頂いた。
その罰金は国庫に入っていったのか、または取締官の懐に入っていたのか。
愚問である。
そのときの世相からすれば取るに足らない小さなことかも知れないが、両手を目にかざ
し、泣きながら連れられて行くその女の子の後ろ姿が、今も脳裏に残って忘れられない。
哀しい想い出の一駒である。今、もし元気でいるなら私と同じくらいの年齢だろう。
さて昭和十八年頃、私の母(当時四十歳位)は、生活のために幼い私の妹を、疎開先で
もあった、父(故人)の姉夫婦が住んでいた和歌山に預け、私だけを連れて六十歳代の義
父と再婚した。義父というよりは、祖父のような年齢の人間だった。
義父は実子を戦争で失い、戦後失業し、僅かな財産を処分して生活をしていたが、それ
も底を尽き、私の家は、母の内職(近所の店から回してもらう着物の仕立て)、僅かな私
の給料で生計を立てていた。
終戦間もない、まだ米の配給制があった時代、欠配や遅配の続く最中、生きて行くため
なりふ
には形振りかまわず働いて、私たちは誰もが、好き嫌いを言っている場合ではなかった。
ぬか
風呂へ行くにも石鹸がなく、母から糠を貰い、それで代用するように言われたこともあ
る。自分が漬物になったような気分がした。
夕方勤務を終えて帰宅しても、食べるものもなく、母は暗い部屋で座っていることが多
かった。
一握りの米に、雑草や大根葉を入れ、粥を作って親子三人飢えをしのいだこともあっ
た。
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みのしま
妹の疎開先、和歌山の箕島に実父の姉夫婦が住んでいた。月に一度程度、そこへ行くの
が私の大きな楽しみだった。
まま
天王寺駅で切符を購入するにも一般人には儘ならぬ時代である。切符代は往復とも伯母
夫婦が立て替えてくれ、帰りはいつもたんまりと食べ物をくれたので、私の箕島行きは母
にとっても義父にとっても嬉しいことだったと思う。
和歌山までの電車は当時、日に三本程度しかなかった。徹夜で並んでやっと切符を購入
して、今現在の御堂筋線であっても比較にならないくらいの満員列車にゆられて箕島まで
行ったことは、あの苦しかった時代にあって唯一の楽しい思い出である。
伯母夫婦の家は山紫水明に恵まれた有田川河口にあり、近所の小柴電線という会社の社
員食堂に勤めていた伯父一家は、食料には恵まれていた。
戦争が終わってすぐの、昭和二十一年の夏くらいだったと思う。大阪までトンボ帰りで
はなく、細かい諸事情は忘れたが、一週間程度、滞在させてもらったことが忘れられな
い。
箕島での毎日はいつも満腹で、夢のようだった。燃料の代わりにと裏のミカン山へ薪取
り、川で青海苔を採集、そして近くの刈藻海岸で泳いだりして、自然を相手にのんびりと
して過ごした。
その帰りの車中でも、生涯忘れられない出来事があった。
帰阪する日が近づくと食料事情や義父への気遣い、勤務先の過酷な労働などを思い出し
て、私は大変気が重くなった。
帰阪の日、伯母夫婦の心づくしの貴重な食料品を大きなリュック一杯に詰め込んで、列
車に乗り込んだ。
駅では幼い妹、その友達などが手を振って見送ってくれた。
駅が遠くなり、トンネルの多い海岸線を走る、満員列車のデッキにぶら下がり、煙にむ
せぶ。
そして、その日は運悪く、海南駅で全員降ろされ、闇物資の没収があった。順番に並ば
されて、持物の検査があった。
本当に酷い話である。田舎でもらったり、買った物もすべて闇物資ということだった。
闇市で売る人間も当然いたが、私はそうではなかった。飢えている大阪の人間が、食べ物
豊富な田舎の親戚に食べ物をもらって帰る途中である。その食べ物もまた、闇物資という
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ことになった。何ヶ月に一度だけ、家族で喜び合いながら食べる食事。それまで法律違反
ということだ。そこまでして、官憲たちは私たち庶民の食べ物を奪った。
自分の番が近づき、私は泣き出したい気持ちで一杯になった。
人によっては諦めて、その前に荷物を線路に投げ出す者もいた。線路の上に鮮魚が投げ
出されていたが、検査官が見張っているため、誰も拾う者がいなかった。
汽車が発車すれば、その鮮魚は検査官がホクホク顔で持って帰ったに違いなかった。
又は没収を恐れ、駅に差し掛かる手前の場所へ物資を放り投げ、家族を線路脇で待たせ
ておくという手はずを実行した頭の良い者もいたらしい。
さて順番が来て、私はいよいよ食料を没収される事を覚悟した。
その時、予期せぬことが起こった。
見るからに恐ろしげな検査官は、私の順番を飛ばしたのである。まるで私が透明人間
で、見えないかのように。
私を見逃してくれたのである。厳重な警戒にも関わらず、私だけが潜り抜けられたので
ある。
まだ私が少年であったからであろうか。検査官にも私と同じような年頃の子供がいるた
こぼ
め、目溢しをしてくれたのだろうか。
帰ると、母が喜んだのは言うまでもない。
生きるために国民が総て必死になっていた時代に、買出しや闇物資は果たして悪いこと
であったのだろうか。官憲に対しては今も腹が立つ記憶ばかりであるが、ただ、官憲も鬼
ばかりではなかった。
またこんなこともあった。
ある日、蓬原さんの別宅があった南海平野線文の里で下車し、ふと線路の上を見ると、
パンが落ちていた。
電車を降りる人の波に紛れ、しめしめとばかりに、私は引き返した。誰もいなくなって
から、そのパンを拾おうとして線路上に下りた。
それは、固く冷たい石であった。
線路の鉄粉がその石に付着して錆びているため、パンに見えたのである。
今、パンが道に落ちていても、誰が拾うだろうか。しかし当時は拾ったのである。
48
現在の感覚では喜劇であろう。だが、当時の世相はまさに悲劇であった。食べ物が有り
余る時代まで生き延びることができた私は幸せだと思う。
当時、私は省線(現JR環状線)を乗継ぎ、鶴橋から大軌電車(現近鉄奈良線)に乗っ
て、若江岩田の町工場まで通勤していた。
当時の鶴橋駅周辺は、今のように店が建て込んでおらず、駅の東側は広場になってい
て、多くの闇市が並んでいた。
一日の仕事を終えて帰る途中、乗換をするために必ず、賑わう鶴橋の闇市の前を通らな
ければならなかった。
私は当時十六歳、忌まわしい戦争がやっと終わり、束縛のない自由な世の中になったと
はいえ、戦争は世相に深い傷跡を残し、人々は町にさ迷っていた。
ある日、私も空腹を耐えながら闇市を当てもなく歩き続けていた。横にはぼっさんこ
と、蓬原正平君がいた。
その日は、ふかし芋の懐かしい匂いが立ち込め、その横では韓国人の母娘が、片言の日
てんぷ ら
本語で客寄せをしながら天麸羅を揚げていた。
黄金色に輝く海老や烏賊の天麸羅。私は棒杭のようにその場に立ち竦み、動けなくなっ
た。丁度その日は給料日。今と違って給料は封も切らずに親に渡し、その中から僅かな小
遣いを貰っていた時代である。
しかし余りにも強烈な誘惑に、前後の見境もなく私は封を切り、天麸羅を買って、その
場でむさぼるように食べてしまった。いい格好をして、ぼっさんにも同じものをおごっ
た。
それは、生涯忘れられない美味しい味だった。
ぼっさん共々空腹を満たしたが、さて、封を破かず持って帰らなければならない給料袋
を、どのように弁解したら良いものかと思案しながら帰宅した。
文房具屋で同じ給料袋が売っていないかと、ぼっさんといくつかの店を巡った。しかし
売っていなかった。
日もとっくに落ちて、家に帰らなければならない時間が過ぎた。
義父は、今か今かと私が帰るのを待っていた。勿論私を待っていたのではなく、給料袋
を待っていた。
49
そしてその給料袋は、封を破いた跡があった。私はその場逃れの、いい加減な言葉で言
い繕ったが、しつこい追及に遂に嘘も吐けなくなった。天麩羅の値段を義父は知ってい
た。
ぼっさんと食べたので二人分の金を使ったことになるが、私は二人分の天麩羅を、空腹
に負けて食べたと涙を流して謝った。
母はその側で何も言わずに居たが、激しく怒り飛ばす義父とは違い、母の目は私に許し
を乞うているかのように、憂いを含んでいた。
その義父も、数年後にあっけなく病気で死んだ。
義父、と書くくらいだから仮にも父親である。
戦争で片親になった子供は数え切れない。義父、義母が新しい親になったという環境の
子供も勿論数え切れない。
そのすべてが子供にとって嫌な親と言うことはできない。実の親同様、ささやかながら
幸せな家庭に恵まれた子供も多くいる。
ただし私にとっては、義父は父親とは違った。
ただただ金にうるさく、働きもしない、くだらない人間だった。
それでもまだ、母親がいた私は幸せだったかもしれない。
母もまた幸薄い人間だったが、私に対しては優しい母だった。
ぼっさんに対しても同様である。私の母親とぼっさんはよく話し、義父に隠れて母もよ
くぼっさんを可愛がった。
時の悪戯でぼっさんは今、私の近くにはいない。行方が知れない。長い期間私はぼっさ
んを探したが、未だに出会えていない。
今は福祉の手厚い介護を受け、障害を持った人も暮らしていける時代である。
二重苦を抱えるぼっさんであるが、必ず、まだ生きているはずである。私は確信する。
ぼっさんについての確信は決して外れることはない。私にはぼっさんを探す責任がある。
ぼっさんのことについては別章で詳しく書くことにする。
50
平成十六年四月二十八日(水)
出た。またぼっさんである。
尚子は目次をじっくりと見た。ぼっさんについて書かれた章を探した。
あった。
「九十九章
私とぼっさん(蓬原正平君)」という、まんまのタイトル。
百章の一歩手前、九十九章というと、父がかなり大事に思っていたことが綴られている
はずだ。
しかし目次があるのみで、肝心の中身が見当たらなかった。
ついでに、終章と名打たれた第百章もなかった。
目次だけ見せるなんて。ここまで読ませておいて、大事な部分を読ませない父に対して
は腹立たしくもあり、さすがうっかり者の父というか、複雑な気分になる。
実際腹立たしいのは、ワープロを捨てた絵美里である。
時計を見ると、病院に戻らなければならない時間が迫っていた。
持ち場の小児科に戻ると、同僚がにたにた笑っていた。
「尚さん、ザ・スネークに絞られたんやってね」
「整形外科の患者さんを小児科に上げたのはどの新人や!って怒られた。サイン書いてな
いからわからんがな」
「うーん。患者さんあと数日で十五歳の十四歳、新人は間違うわ、そりゃ。多分タマちゃ
んやろね」
「私もそう思う」
「問い詰めよか? タマちゃんもう来てるよ」
「あかん。失敗責めて人は育たん。若い子は褒めて育てよう。私が身をもって感じたこと
です。って語らせんといてよー。あの子の今のメインの仕事は患者さんの相手やからね。
あとでさらっと言うとく」
「なあなあ、内科のばあちゃん、何言うて泣かしたん?」
「もうそんなこと広まってんの?」
「キツネ」同僚は下唇を突き出した。
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「出た、あいつか。蛇に狐にいい加減にしとけ。ま、不穏にさせること言うたんは私やけ
どね」
「認知症の人?」
「うん。担当外やけど、話をしに行って何が悪い。私は負けんぞ」
第六章
父のクローン
それから尚子はしばらく、勤務後や休憩時間に蓬原初江の病室に通った。
一番最初こそちんぷんかんぷんの会話に終わったが、コツと言うまでもないボールの投
げ方受け方がわかれば、初江は耳が遠いわけでもなく、至って気安い普通の老婆だった。
九十三歳の割にはしっかりしている。
躁状態の時間があり、認知症との診断が出ている。
当然、在宅時介護関連の医師と、入院時担当の医師とは違う人間である。最新のカルテ
には不穏時錯乱気味、と書いてあるように、精神病の類いであり、要介護2認定の元とな
っている認知症については、数日続けて話してみたところ、その兆候はほとんど見えなか
った。
初対面の日は、初江が全面的に信頼を置いていた吉田という担当看護師が実は、本当に
辞めると初江に告げた直後であり、パニック状態にあったことがわかった。
老人の精神疾患については、介護側の人間の多くは医者を含めて、全部認知症で一括り
にする。どっちにしても手がかかるから、全部認知症にしておけということである。
現在の病名は、軽度の肝不全と、間質性肺炎。
肺炎には注意を要するが、軽度の症状が慢性化しており、当分は容態急変の恐れはない
との所見だった。
初江は陰気な人物でない分、尚子には話しやすかった。
ただしぼっさん、そして父の話題を出さぬよう、気をつけて尚子は話した。
通ううちに会話の量も増えていった。
初江は戦前から伶人町に住んでいるそうだ。その頃の話になると初江は淀みなく話し
た。
52
「それはもう、子供がいっぱいおった家でねえ」
「初江さんには何人くらいお子さん、いらっしゃたんですか」
「私の子? 私の子はゲンチとシンジと、シンイチ」
「ゲンチ? どんな字書くんです?」
初江は尚子の手を取り、手のひらに源一、と書いた。
「ゲンチ、ゲンチって呼ばれてた。源一の友達から、ようわからんのまで、家はいつも子
供でいっぱいやった」
「にぎやかそうですね」
「ああ、もう。賑やかで」初江は顔をくしゃくしゃにした。
「ちょうど戦争のときやったんですよね」
「あのへんは寺ばっかりの町。私は、奥井さんとこや西山さんとこみたいに、死んでしま
うわ、死んだ、いう体験はしたことないな。
私らは良かった。可哀想なんは子供らや。お父さんや兄ちゃんが戦争に行ったまま帰っ
てけえへんとか、お父さん兄ちゃんが仕事先で空襲に遭うて死んだとか、子供らは可哀想
やった。私の家にはな、そんな子らが集まってたんや」
「初江さんの人徳ですよ。きっと学校の先生みたいに頼れる人やったんですね、初江さん
は。そうか! 初江さん、本当に先生やってたんですか?」
初江には昔の模範教師のような、凛とした空気が今も残っている。
「わたしゃ、先生とちゃう。私の亭主が学校の先生やったんや。天王寺第一、尋常高等小
学校。違うわ。名前が途中で変わった。えーと。天王寺国民学校。空襲で焼けて、なくな
ってしもたけどな」
よく覚えてますね、などと言うのは新人がよくやる失言である。
「国民学校ですか。それで、初江さんは旦那さんの手伝いをやってらしたんやね」
「いえいえ。妻は夫を慕いつつ、やないけどな。懐かしいなあ」
「源一さんがみんなのお兄さん役ですか?」
「いやいや、あれはおとなしい子でなあ。一番偉そうにしてたんはタケオ。おもろい子で
なあ」
父だ。
「タケオさんは、やんちゃやったんですか?」
53
数日前、ぼっさん、そして父の話で初江は大声で泣き出した。こちらからは訊かずに、
初江が話すに任せなければならない。
「やんちゃでやんちゃで、アホでまあ、どうしようもない子なんやけど、なんぼ怒っても
私らになついてくる。一番可愛らしい子やったね。でもなぁ、タケオには変わった癖があ
ってなぁ」
「変わった癖?」
「すぐに裸になりよる」
「え?」
「すぐにすっぽんぽんになって、プラプラさせて踊りよるんよ。小さい子ならかまへん。
あれはかなんで。子供の時から大人になってもずっと。十五、十六ちゅうたらもう大人や
ろ。そんな歳で、ちんちんプーラプラソーセージや。ほら、テレビでよう出てた。おっち
ゃん三人組の、たけしさんとかダウンタウンさんにひどい目にあわされる、誰やった」
「ダチョウ倶楽部ですか?」
「あははは。そうそう。裸であんな踊り、やりよるんよタケオは。見たないっちゅうに」
「・・・見たないですね」
「二十歳過ぎてもずっと裸踊りは続いたなあ。変な踊り、自分で考えてな。アッホやで」
初江の楽しそうな笑い声に、同室のギャラリーも耳を傾けている様子がわかった。尚子
はただただ恥ずかしかった。
父がそこまで弾けたキャラだったとは。
「へーえ。面白い子やったんですねえ」
ぎょうずい
「スッポンポンのたこ踊り。 行 水 しよるときなんか、みんなで裸の行進や。いっちょま
えに兵隊さん気取りよってな。でもすっぽんぽん。あーははは。まったくたまったもんや
ないよ、家のもんは」
「ふふふ。でも楽しそう。ゲンチさんは、子供さんたちは今、家にいらっしゃるんですよ
ね」
しまった、と尚子は思った。初江は独り暮らしだと聞いている。
「源一? 源一は死んだ」初江があっさりと言った。「そんな、今みたいに、病院来たら
安心ちゅう時代やなかったからねえ。病気らしい病気はせん子やったけど、ある日、腸炎
であっという間にあの世行き」
「ごめんなさいね、いらんこと訊いて」
54
「かまへん。今も生きとるのは二番目の伸司だけやな」
しばらく沈黙があった。初枝の気を高ぶらせるようなことは訊かなかったつもりだが、
逆に悲しい思いをさせてしまったようだ。
「そやけどね」初江は続けた。
「いろんな、しんどいことことがあっても、タケオはずっと家に来てくれたな。引っ越し
したりやなんやで、家に来る子供らの顔ぶれは変わったけど、それでもいつもタケオは来
てくれた」
「タケオちゃんはそのとき、何歳くらいやったんですか?」
「もう働きに出てたからねえ。武雄は戦争前にお父さん亡くして、お母さんも線の細い人
で、病気がちやった。働けへん、ごくつぶしの新しいお父さんと、疎開してた妹さんが一
人おった。お人形さんみたいな妹さんやったな。タケオはみんな養うために、高等小学校
二年くらいから、もう働いてたんとちゃうかな」
「高等小学校二年っていうと?」
「中学生くらいやな」
タケオは間違いなく父のことである。自分はタケオの娘であるという言葉が喉下まで出
かけた。
「それでも、裸踊りは止めんかったな。夏、冬関係あらへん」
「はぁ・・・」
そのとき、担当の看護師が入ってきた。食事の時間である。尚子の休憩時間もほとんど
なくなっていた。今日は一時間近くも話しこんだことになる。
「ほな蓬原さん、また来ます」
「はい、またおいで。楽しみにしてるで。明日か?」
「明日はお休みなんよ。残念。そやけどあさって、来ます」
「待ってるからなー」
初江は満面の笑顔で見送ってくれた。
武雄と呼んでくれる人はもう居ない
55
私は両親、父方の叔父二人、叔母一人、そして祖母、という大家族の中で産声を上げ
た。
生まれた時は、皆、武雄、武雄といって可愛がって育ててくれた。
一番早く亡くなったのは下から二番目の叔父。
大阪の税関に勤め、映画俳優の岡譲二に似ていたと言われる。昭和八年、何と享年二十
五歳。
そして同十三年に父、四十八歳。私は九歳だった。大変優しい父だったので、泣き通し
たのを覚えている。
二人とも結核。余りにも早い死であった。
そして祖母が終戦直後に、東京の叔母の家で亡くなった。
その後、母、叔母と次々に亡くなった。
一番最後に残った末弟の叔父であるが、これがと言えば失礼か、非常に長生きした。
五年前の平成九年、九十四歳で大往生した。
家庭内では自己主張が多く、家族にはぼやきを聞かされることも多かったが、子供のよ
うな人物であり、私には憎めない人間だった。
特に私は幼時のときに一緒に住んでいたからか、私は七十近い年齢なのに、人前ではよ
く『武雄武雄』と呼び捨てで連発し、その口調は六十年前と何一つ変わっていなかった。
それが滑稽であり愛らしくも思えた。
この叔父は、私が生まれた翌日に、当時は手に入れにくい、総天然色の絵本を何冊も買
ってきてくれたとも聞いていた。生まれたばかりの赤ん坊が絵本を読めるはずがないのだ
が、叔父の人柄を示す話である。
この叔父が世を去り、これで私を取り巻く目上の人達は、総て過去の思い出の彼方に逝
ってしまった。
さて学生の頃は、友人が私を呼ぶときは姓字の『稲垣』(もっと小さい頃には稲垣の垣
だけ、『ガキ』と呼ばれていたこともある)。
職場の同僚、上司達は『稲垣君』。社会的地位が出来た中年以降から、役職名や敬語で
呼ばれるようになった。
そして私自身、何時の間にか家族や部下に対し、目下という意識で行動するようになっ
た。
56
知らぬ間に年を重ねていた自分にふと気がついた。
そこで一抹の寂しさが心の中を吹き抜ける。もう私を呼び捨てにする人は、誰も居ない
のだ。
私は、定年退職してから趣味のグループと楽しく接している。
今、在籍している『憩いの山岳会』であるが、中高年しかおらず、否、中のない高年ば
かりというべきか、高齢者の集まりであり、平均年齢が七十に近い。
山岳会とは名ばかりで、お山会と呼ぶ方が正しい。ハイキングで自然と親しむのを活動
目的としている。いつ迄登れるか若干の不安があるが、皆、心身共に老いを知らず溌溂と
している。
過日、京都で、谷川の水で喉をうるおし、私たちは楽しい山登りをしていた。
「おーい、稲垣君」
突然聞き慣れない言葉が耳に入った。
久しく聞かなかった『君』付け。通常皆にさん付けで呼ばれているので、誰だろうと思
って振り向くと、この会の先輩であり最近喜寿を迎えられた三村氏の和やかな笑顔があっ
た。
ちなみ
その声は私の耳元に快く響いてきた。 因 に会長の小松氏にも君付けで呼んでいただい
ている。
同年輩の人達は社会の頂点を得て執拗に過去にこだわっている人が多く、言葉一つでも
気をつけなければならないが、ここではみな平等。まだ平均年齢そこそこである私は、こ
の会ではまだ若輩であったことに気が付いて、一人微笑んだ。
両親、叔父叔母、学校の恩師、職場の上司等々、心の奥にはいつ迄も生き続けている
が、現実は尽く過去の人々になった。
特に最近になって思い出すのは『稲垣君』『稲垣係長』『稲垣次長』、そういった呼び
名ではなく、子供の頃呼ばれていた『武雄!』というそのままの名前である。
いつも賑やかだった蓬原さんの家。
源一という同級生のおとなしい子がいた。ガキ大将もいた。彼らの弟、妹もいた。
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蓬原さんというのは代々学校の先生をなさっている家であり、財産家の大きな家だっ
た。
夫婦とも優しい人で、誰彼関係なしに家に入れてくれ、食事やおやつを毎日のように頂
いた。私は幼い頃から大人になるまでしょっちゅうこの家に通い、年少の子たちの面倒を
見ていた思い出がある。
勿論ぼっさんこと蓬原正平もいた。
苗字は同じであるが、ぼっさんはこの蓬原家の子供ではない。
蓬原家はもうひとつ、別にあった。分家本家のような関係だったと思う。ぼっさんの家
はもうひとつの蓬原の家であり、その家では大変辛い目にあっていた。
その代わり、私たちがよく遊んで世話になった蓬原家では、ぼっさんは他の子達同様親
切にしてもらっていた。
上田和道というガキ大将につかまって泣かされるのは、いつもぼっさん。『たけにいち
ゃん、たけにいちゃん』とよく、私を呼んだ。
助けを呼ぶときは泣きそうな『たけにいちゃん!』であり、遊んでいるときは間延びし
た声の『たけにいちゃーん』だった。
今現在、身内では数人のいとこ達が私の名前を呼んでくれる。
しかし『武雄』と呼び捨てで呼んでくれる人は、もう誰もいない。
もし会えたら、彼はなんと私を呼んでくれるだろうか。ぼっさん、はよ来い! 今でも
そう、言ってくれるだろうか。
そんな寂しさを、子供の頃の思い出で繕っているそんな毎日である。
平成十四年六月二十五日(火)
記
この自分史の端くれには校正などない。文章の露骨な間違いもある。尚子は微笑んだ。
ぼっさん、はよ来い!って、それはお父さんのセリフでしょ。
すぐに思い出した。
笑えない話がある。
初江に聞いた父の裸踊り。大人になってもまだ。
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その話については尚子には思い当たる部分がないわけでもない。
尚子が小学生の頃、父はよく裸で家の中をうろうろしていた。英司は丸出し怪人と呼ん
で、喜んでいた。風呂上がり、父と並んで裸で行進していたこともある。
今で言う裸族である。小学校高学年の頃だったか、尚子が父の顔を見るのも嫌だという
時期があったのは、それが理由であったに他ならない。尚子が中学生にもなるとさすがに
そういうことはなくなったが。
パンツ一丁、若い世代は略してパンイチなどと言ったりするそうだが、父はパンイチで
はなく、なぜかシャツだけを着て下を着なかったことが多かった。意味不明である。
尚子が家を出て、そして弟の嫁が旅行に出ているときなど、怪人が十何年かぶりに復活
し、母の話によると、そのシャツイチのまま椅子などに座ったりするから、母は激怒した
そうだ。情けない話である。
父の文章によると、ぼっさんこと蓬原正平は、蓬原初江とは甥っ子の関係だったようで
ある。それも、複雑な事情を抱えていたようにも思える。
ぼっさんの家族は空襲で死んだ、とあった。空襲についての文章で、ぼっさんを育てて
いたのは、蓬原初江ではない別の親戚だった、と思わせるようなことも父は書いている。
ぼっさんにとっては、蓬原初江は育て親よりも優しい伯母(叔母)だったかもしれな
い。
しかし病室で、初江が大泣きしたその理由は何だったのだろう。
自分の息子が死んだことを、素の表情で初江は語った。悲しい時期は過ぎ、思い出とな
っている、そういうことだろう。
となると、甥っ子の名を出しただけで号泣したその理由がわからない。
いずれそれもわかる。尚子はこれからも時間があれば初江の病室に通うつもりだった。
あの調子なら退院も近いかもしれない。
つまらない横槍を入れてくる人間がいないのが助かった。
上司に知られて邪魔をされたところで、親戚であるということで通す。まさか戸籍証明
を持ってこいとは言われないだろう。
59
第七章
謎解きスタート
尚子が協力を依頼されていた病後児保育室閉鎖問題であるが、担当者である同僚は泣き
言一辺倒で関係者との話し合いに臨もうとしていた。
それでは駄目だと思った尚子は、ここをよく利用する親たちの協力を取り付けた。
こういう部署は地域にいくつあっても余るということにはならない、保育所そのものの
数が足りないからといって、病後児や障害児関連まで減らすのは医療の立場からして非常
に嘆かわしく、恥ずかしいことだと会議で発言し、同期の尻を叩いた。
そして行政も絡んでくる問題なので、書類作成が最も大変な仕事だった。
役所に出す文章の内容など、インターネットか、医局に山ほど置いてある行政関連の書
類から拾えばいい。しかし日常会話では登場しないお堅い言い回しを随所に混ぜ、内容を
できるだけ多くする。見出し、タイトルのキャッチコピーにも、できる限り難しい漢字を
入れる。名詞の送り仮名抜き、「申渡」や「受取」「組合せ」など、名詞として使う際に
は送り仮名を取る。それが役所には受ける。先輩に教えてもらったことである。
書類仕事には尚子以外、誰も慣れていないこともあって、結局尚子が一番疲れる仕事に
なった。
おかげで、病後児保育部門閉鎖の是非については何年か先にまで持ち越されそうな雰囲
気になり、まずは一安心となった。
それらの仕事はもちろん尚子の普段の仕事と同時進行である。足りない睡眠時間以外は
ずっと仕事をしているという状態が、十日ほど続いていた。
二週間ぶりの休日が取れ、それも次の日が夜勤スタートだったので、一日半ほどの時間
ができた。
疲れ切っていた尚子は、買ったまま観ていないDVDを見ながら、ひたすらごろ寝して
過ごした。
受け持ちの患者の容態が急変すれば、オンコールで、つまりケータイでいつ何時でも呼
び出されるのが普段の休日であるが、その日はオンコール当番からも外され、この業界で
言う本当の休日だった。
そして久しぶりにゆっくりしてしまったことを、尚子は大きく後悔することとなった。
60
休日を満喫して、明くる日の夕方近くに出勤したとき、蓬原初江が今朝早く、急死した
ことを知らされた。
状態はずっと変わらず、小康状態だった。
昨日の昼間、はっきりした口調で、稲垣尚子看護師さんをお願いします、お話がしたい
んです、と担当の看護師に訴えたそうだ。
同僚の看護師は、久々に休みが取れた尚子を呼び出したりせず、稲垣さんは明日また来
ますから、と伝えたらしい。
今朝になって、夜明け近くに突然肺炎の症状が出て、熱が四十度近くにまで上がり、意
識が混濁。
うわ言を繰り返し、八時前に息を引き取った。
さかい ね
そのときの担当がキツネこと、性格の悪い看護師として内外に有名な坂井根看護師長だ
った。
坂井根師長は、尚子を呼ぼうとする看護師に、担当でもない人間を呼ぶ必要はないと言
ってストップをかけた。そういうことをする人間だった。
尚子は怒りに震えたが、今掛け合っても無駄であるのはわかっている。坂井根は協力し
ようとすれば必ず断り、リクエストをすると逆に食って掛かってくる人間である。
一日半も休みがあったのなら、なぜ初江に付き添わなかったのかと尚子は悔やんだ。九
十三歳入院患者、容態急変は毎日常に想定しておかねばならないことだ。
わずか一週間ほどの付き合いだったが、これからもずっと仲良くなっていきたいと思う
人だった。年齢が年齢だったが、それにしても突然すぎた。
初江は、尚子をさらに迷路に誘い込む言葉を遺していた。
担当看護師は、初江のうわ言の内容をメモしており、尚子にそれを伝えてくれた。
メモは坂井根の目を盗んでの走り書きであり、四人の名前があった。
稲垣尚子さん。
次に、シンジ。和歌山に住む息子の名前である。何度か初江の見舞いに来たそうだが、
尚子は一度も顔を合わせていない。
次に、タケオ。尚子の父である。
そして、次の名前に尚子は驚いた。
61
キョウコ。
第一に自分の知るキョウコとは、母親の響子である。タケオと来てキョウコと来たら、
自分の母親以外に誰がいるというのか。
四人の名前以外、話す内容は意味不明だったそうだ。すべて名前だけの、同僚の走り書
きだった。
尚子はとりあえず、二時間ほどかけて目の前の仕事を片付けた。
その後、休憩時間でもないのに、禁断の喫煙スペースと呼ばれる病院裏口、朽ちた非常
階段にまで出て、早速母に電話をかけて訊いた。
母は、蓬原という名前にも、初江という名前にも全然心当たりがないと言った。
それが一体どうしたの、と尋ねる母親に、そういう名前の患者さんが亡くなったと言っ
たが、何の反応もなかった。電話を切り、尚子は階段に座り込んで考えた。
自分。シンジ。タケオ。そしてキョウコ。初江の最期の言葉。
このまま放っておく気にはなれなかった。
初江の急死について、和歌山の息子に内科病棟の担当者が連絡をつけたそうだ。
息子は、初江を担当する介護支援専門員、ケアマネにその後の手続きを依頼したそうで
ある。介護保険が定着していなかった、自分が若い頃にはそういうことはよくあったが、
久しくそういう話は聞かない。独居老人のその後の世話は葬儀屋がする。
初江の在宅介護を担当していたそのケアマネの名前と、事業所が患者情報に併記してあ
ったので、尚子は遅い時間の電話を詫びながら、連絡した。
今晩、つまり今の時間に通夜がもう始まっており、明日の午後、早々に葬式だそうだ。
この日は三交代制の中シフト。夜の十二時に仕事は終わるが、引き継ぎがあるので一時
近くになる。親戚の通夜ということにして、引き継ぎを同僚に頼み、尚子は早めに病院を
出た。
タクシーで天王寺区伶人町の初江の家に来た。
午前一時前。
主を失った家に生気はない。
62
通夜の場所等の貼り紙はなかった。
迷惑を承知で、何時間か前に連絡をしたケアマネに再び電話をした。
ケアマネはすぐに出た。まるで仕事中のような声だった。
「こう言っては何ですけど、ここまでやってくださるケアマネさん、最近聞きません」
有馬という名前のケアマネは背の高い、豪快に禿げ上がった男だった。
大型電器店社長のような雰囲気であるが、豪快な印象と共に、親切で丁寧な仕事をして
いる印象があった。
「ははは。一般の福祉の人間は、何でも葬儀屋さんだけに任せて家で寝てけつかるもんで
すからね。普通今頃私かて、家で寝てます。お通夜に誰もいないやなんて、初江さん可哀
想やないですか」
和歌山の息子はまだ到着していない。
「有馬さん、明日お昼間もお仕事でしょう?」
「はい」
「なかなかできないことです」
「看護婦さんかて同じようなもんでしょ? わしらよりもっとしんどい仕事でしょう」
「あれ、私看護婦って言いましたっけ?」
「病院で何度かお見かけしました。二回とも入れ違いになったようで。初江さんがあなた
のこと、言うてました」
「そうだったんですか。申し訳ありません、無礼しまして」
棺に入った初江に、有馬は視線を移した。
「初江さんは明るい人でしたよ。お笑い番組ばっかり見てました」
「これからもっと仲良くなりたいところだったのに・・・あの。他に親戚の人とか、来な
いんですか?」
「この葬儀屋さん。家族葬専門です。初江さんが、ここで葬式やってくれって。遺言でも
ないですけど、生前の言葉です。自分は地味な人間やから、死ぬときも地味でええねん、
て。
63
いくらそんなこと言うてたとしても、ちゃんと呼ぶべき人がおるとは思うんですけど、
まあ、どうなっとるんだろうな。連絡先でわかるのは和歌山の息子だけでしてね。その人
らが他のとこ、きっと連絡してくれとるとは思うんですが。
勝手に家の中ひっくり返して、親族の連絡先を調べるくらいのこと、私には屁でもあり
ませんが、会社に止められましてね。前に一回そういうことやって、えらい揉めたことが
ありまして。老人中心の世界で個人情報やくそや言うても、仕事の邪魔にしかならんので
す」
有馬は初江の額を撫でた。
「ひゃあ、冷た。寂しいお通夜やけど、ごめんやで初江さん」
「有馬さん、お葬式はどうされるんです? 何でしたら私も出ますけど」
「・・・稲垣さん、申し訳ないですけど、今、ちょっとの時間、ここで独りでおってくれ
って言ったら怒ります?」
「いえ、大丈夫ですけど」
「やっぱり、もっかい家に行ってきます。鍵のある場所知ってます。これ内緒ですよ。近
くに住んでる親戚の人くらい、やっぱり呼んでやらんと。こんな寂しい通夜、あらへん。
和歌山の息子も全然連絡ないし」
「いいですよ。私が番してますから」
「いいんですか、本当に?」
「はい」
「じゃ、ま、一時間程度でまた帰ってきますから、お願いします」
有馬は尚子に向かって両手を合わせて拝み、そのままの姿勢で初江にも拝み、出て行っ
た。
一旦出て行ったと思ったら、バタバタとうるさい足音を立て、戻ってきた。
「すんません、あれ、初江さんが持ってた私物ですけど、ワタシ中、見させてもらいまし
た」
座る者なく並べられたパイプ椅子のうちのひとつに、和風の小さなバッグがちょこんと
置かれてあった。
「なんも大したもん入ってませんでしたが、古い写真が入ってました。昔の初江さん、美
人さんでしたよ。見てあげたら初江さんも喜ぶと思います。では」
再び有馬は出て行った。
64
尚子は初江に声をかけ、かばんの中にある写真を見せてもらうことにした。
色あせたモノクロの写真。
昭和初期の写真であることが背景からもわかる。
現物を再プリントしたものらしく、紙質はしっかりしていた。
初江が写っていた。にこやかに微笑んでいた。
「初江さん、美人やったんやねえ」尚子は初江に話しかけた。
初江の横には丸眼鏡をかけた男性。学校の先生をしていたという主人だろう。
その横、後ろに子供たちがいた。
走っている子供。カメラを前に緊張した面持ちの子供。
一点を見て、尚子は絶句した。
「うそ、何これ? 何、これ?」
父が写っていた。丸坊主で、モノクロ写真でもはっきりわかるくらいに日焼けしている
ランニング姿の少年。一目で父だとわかった。
父の姿に驚いたわけではない。
まるで合成写真のように、まったく同じ顔に同じ姿をした父が二人、並んでいるのだ。
父に弟や兄がいた、という話は聞いたことがない。
これが。この人が。
すぐにわかった。これがぼっさん、蓬原正平である。父は、この人の存在を伝えたかっ
たのである。
写真に並ぶ二人は不気味なくらいに、まるっきり同じ顔。同じ背丈で同じ姿勢である。
父が、はっきりと二人写っている。
違いと言えば、右側の父が光線の加減か、若干暗い顔になっていて、左の父のランニン
グシャツ、その端がズボンからだらしなくはみ出していることくらいである。
晩飯を食べていなかった尚子は、近場のコンビニへ買い物に出た。
戻ってくると、一人の紳士が初江の前にいた。
「母の、御知り合いの方でしょうか」
「はい、看護婦をしております稲垣尚子と申します」
65
「ああ、あの病院の。恐れ入ります。今どきの病院はここまでしてくださるんですか」
「いえ、お通夜の手配はケアマネさんがなさったことでして。ケアマネさん、有馬さんと
いう方ですが、今初江さんの家まで行かれてます。もっとたくさん、知らせる人がいるん
じゃないかって」
「家まで? それはそれは・・・」男は恐縮している。「申し遅れまして。私、息子の伸
司と申します。この度は母が、大変お世話になりました」
「あ、いえいえ、私はただ・・・」
「後はここ、預かりますので。気をつけてお帰りください。些少ですが、タクシー代で
す」
「私、まだここに居ようと思うんですが」
「看護師さんにそこまでさせるわけには参りません」
「私、看護婦としてここにいるのではなく、初江さんとはその、親しくさせていただいて
ましたので」
「そうですか。しかし仕事に触りがあってはいけません。一旦お帰りください」
紳士然とした息子は穏やかな口調ではあったが、母の最後の世話まで他人に任せた気ま
ずさからか、表情は固かった。
そこに有馬が帰ってきた。
型通りの挨拶をした後、有馬は伸司に対しずけずけと言った。「あの、勝手に初江さん
の家に入らせてもらいましたから。おたく以外、親類の連絡先など何もわからんかったん
ですからね。不法侵入じゃありませんよ、はい、ケアマネ特権です。お葬儀もすべて、初
江さんが私に申していたとおりに決めさせていただきました。お母さん、亡くなったのに
家族さん、誰も病院へ来ない。どないなっとるんでしょうかねぇー。遠いからとか、事情
があるのはわかってますよ、ええ。だからといって、後で、家族でもない人間がなんだか
んだと言われて来られても、絶対に困りますからね」
「はあ・・・あれこれと、すみません」伸司は言葉を濁した。
結局、翌日の葬式には初江が通っていたデイサービスの友人をはじめ、蓬原伸司の家族
など、家族葬部屋一部屋分の椅子が足りなくなる程度の参列者が参加した。
初江と同年代の親族はいなかった。
葬儀後、近所の和食レストランでささやかな会食が開かれた。
66
写真について訊ける人物がいるかと尚子は期待したが、明るい初江のキャラクターを偲
ばせる思い出話に華が咲くも、初江の育ち、歴史についての会話はなかった。
尚子や有馬が会話を先導できる雰囲気ではなかった。
通夜のとき。
有馬が初江の家に行き、伸司が来るまで、尚子がコンビニへ食べ物を買いに出たそのわ
ずかな間。
一人の女性が人目を忍ぶようにして入ってきた。
初江の前で号泣し、そしてすぐに出て行った。
女性は葬式の際も式場の外で拝み、斎場へ行く際にも一人でタクシーに乗った。
その女性の存在に、誰も気がつかなかった。
第八章
尚子という名前
音の止まらないオルガン
昭和五十六年六月。友人(伊賀義則氏)の娘洋子ちゃんから、私の娘にと、中古のオル
ガンを譲り受けた。
当初は何の支障もなかったが、何かの弾みで故障した。
スイッチを入れると、鍵盤に指を触れなくても一カ所、音が出たままになった。
それでも我が家の小学校一年生の娘、尚子は、それを宝物のように大事にしていた。
近所の個人レッスン場で初歩の手解きを受けて、予習復習には終始、音が鳴り止まない
オルガンで練習をしていた。
拙い曲の練習、その前にも後にも「プーー」。壊れた鍵盤から鳴る間抜けな音が響く。
娘は気にせず必死で練習していたが、私には気になって気になって仕方がなかった。
お日様が出ている時間の騒音は、隣近所お互い様。特に日曜日になると朝から晩までプ
カプカプカ、プー、プーーー。下手な練習曲、続いてプーーーー。その繰り返し。
さすがに頭が痛くなってきた。えらいものを与えてしまったと思った。
67
最初はすぐ飽きるだろうと思っていたが、ますます娘は練習にのめりこんだ。故障して
いるオルガンであるが、娘はオルガンとはそんなものだと初めから思っているのか、文句
も言わず練習を続け、腕もめきめきと上達していった。
でもオルガンは壊れている。私は親として、心の片隅にいささかの不憫さを感じた。
娘の名前は尚子。長女である。
尚子という名前は、よくあるような、祖父祖母が時間を掛けて考え抜いてつけた名前で
も、我々夫婦が姓名判断に四苦八苦してつけた名前でも、何でもない。
近所の小さな産院で尚子は生まれ(退院したときはまだ名前がついていなかった)、産
院から出て、よろよろ歩く妻を支え、その足で近所の神社へ参拝に行った。
無事生まれました。ありがとうございます。
初めての子供だったので私も妻も心配した。別段何かの宗教に信心していたわけではな
いが、それでも神社の拝殿に向かって心から頭を下げた。
そこの神主は顔見知りだった。神主は破顔一笑で我々を迎え、拝殿の裏にある、小さな
家に迎え入れてくれた。
茶菓子などを頂いていると、今では考えられない話だが、神社が赤ん坊の名付けを三千
円でやっているということだった。
商売気というわけではないだろうが、「由緒あるこの神社で名づけられた子達は皆さん
元気に健やかに育っています」との言葉に、とりあえず私たちは三千円を払い、「尚子」
という名前をもらった。神主が硯と墨を持ってきて、アッという間に書き上げてしまっ
た。
どんな名前だったのか忘れてしまったが、私たち夫婦が考えていた名前の候補は三つほ
どあった。どれも、尚子というようなシンプルな名前ではなかった。
神主の勢いに負け、ついついもらってしまった尚子という名前。神主の達筆な字で半紙
に書かれ、乾かされた物がボール紙に挟んであるだけだった。
妻は、お寺の子でもあるまいし、古くさい感じだと言い、私もぴんとは来なかった。
一応名前のひとつの候補として、一晩じっくり妻と、この娘に似合う名前を選んだらい
い。
その程度の考えで私たちは家に帰った。
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結局、尚子という名前が、娘の名前になった。
耳には平凡な印象に聞こえるが、高尚という言葉にあるように、ありがたい名前ではあ
る。大人になり、様々な問題に直面しても、子供のころの純真さを忘れずに「なおも」変
わらず、「なお」前進する人間に育ってほしい。
妻は別の名前がいいと言い張ったが、考え疲れたのだろうか、結局私の思いに賛同し
た。
壊れたオルガンで黙々と練習する尚子。
カメラを買いたいのを我慢して、私は年末のボーナスで、ナショナルのテクニトーン
(エレクトーン、電子オルガン)を購入してやった。
ボタンの操作一つで音色やリズムが変化し、ヘッドホーンで音を外部に漏らさずに練習
もできた。
たかがオルガンの最新型と思っていた私は、尚子の器用さに驚いた。ピアノ同様、両手
が違う動きをするのは勿論のこと、足まで動かし、ペダルを踏んで低音をなぞるのであ
おぼろ
る。一回やらせてみてと私が言い、娘から手ほどきを受けたことを 朧 げに覚えている
が、邪魔、向こうへ行ってと言われたことも覚えている。
娘は目を輝かして益々練習に励んだ。上達するとともに発表会などの催しがあり、近所
の人まで誘い、家族一同で聴きに行き、晴れがましい舞台の演奏に目を細めていたものだ
った。
やがて尚子は中学校を卒業、市内の商業高校に入学した。吹奏楽では五、六十年の伝統
のある由緒ある学校で、そこでは鍵盤だけではなく打楽器も担当して益々、その方面に頭
角を現わしていった。
打楽器といっても種類は多く(木琴、鉄琴、大太鼓、小太鼓、トライアングル、ドラ
たた
ム、カスタネット等々)一応何でも敲いていた。
娘は学友や先輩、後輩に交ざり、曲目によっては他の打楽器と掛持ちで、あまり広くも
ない舞台を曲に合わせて忙しなく行き来していた。
その上、大きい音がするので、観客席からは非常に目立ち、微塵のミスも許されない
が、器用にそれをやりこなしていた。
69
三年間の充実した学園生活も無事に終え、やがて卒業。
商業学校なのでそのまま会社に就職でもし、親としては若手係長などと縁ができ、サラ
リーマンの嫁として生きていくものだと考えていたが、娘の希望は我々親には、想像もし
ていないものだった。
ある日私が仕事から家に帰ると、妻と尚子がけんかをしていた。
尚子は高校卒業間際の企業との合同面接で、大きな失敗をやらかし、就職先が決まらな
かった。
理由を聞いて、私も呆れた。
銀行の人間との面接で、将来の夢は何ですかと面接係に聞かれて、看護婦になることで
す、と答えたそうだ。
銀行の人間を相手に、何を考えているのか。商業高校である。
看護学校に進学したいなどと、それまでにそんな話は、私も妻も一言も聞いていなかっ
た。テレビドラマか何かの影響に違いない。弟、英司の私学高校の学費もあり、私は頭を
痛めた。
そして結果的に、尚子は黙々と、看護の道を貫いてくれた。テレビの影響か、などと思
った私は後々深く反省することになった。
幼い頃は、親でさえいらいらするほどののんびり屋であった娘だが、何かに熱中すると
何か月も夢中で没頭するというのは、やはり私に似ている。
学校の勉強の成績は大したことなかったようだが、短期間でエレクトーンをマスター
し、幾種類かの打楽器も身につけた娘である。その後その情熱を、医学方面の勉強に向け
たようである。
それはしっかりと形になった。看護専門学校の三年間は、家でゆっくりしている尚子を
一度も見たことがなかった。
家では気が散るということで、図書館で勉強、三年生にもなれば実習先の病院で泊り込
みに近いこともしていたようだ。
70
駅の近くの書店で偶然出会っても尚子は知らん顔をし、親をなめとるのか、と私が厳し
く叱ったこともあった。そんな、思春期の娘である故私とはお互い敬遠し合うような関係
が続いた時期もある。
そんな尚子が、看護婦の免状をどういうわけか、私に一番先に見せた。これからも家を
空けることが多くなるが、一生懸命仕事頑張る、と娘は頭をちょこんと下げた。
阿呆抜かせと私は心にもないような言葉を言い、照れ隠しで、私は外に出て行った。
いつも行く公園で、当時もらったばかりの飼い犬、リョウ太と一緒に私は感慨に浸って
いた。
それから十年余り。尚子はまだ結婚もしていない。
弟の英司が先に結婚してしまった。
最近私はふと思いだす。
音がとぼけたオルガン。そしてエレクトーン、打楽器、それから看護婦になるための勉
強。
それで尚子は、楽しかったのだろうか。幸せだったのだろうか。
他人と競わせてばかりいるような環境を、私たちが与えてしまったのではないだろう
か。心配になるときもある。
それでも尚子は今もたまにこちらの家に帰ってきて、病院での話を面白おかしくしてく
れる。仕事はつらい事もあるようだが、一生続けていくとも言っている。
音の止まらなかった、壊れたオルガン。あのころは耳障りだと思っていた音も、今では
本当に懐かしい。
尚子の生き方と、私の行き方は、実は似ているのではないか。
あのオルガンのように、無音で静かな部分がない。練習をやめてもプーと音が鳴ってい
る人生、つまり、ずっと動いているということだ。
私とて、落ち着きのない人間だと他人にも身内にも言われたことは、数限りない。私自
身としては落ち着きがある、ないも、ただやりたいがまま、動きたいがままに暮らしてい
るだけだが、人が見ればいつも忙しなく動いている人間らしい。
本来はのんびり屋の尚子だったが、幼いときは別として、私は尚子が居眠りしている
姿、昼寝している姿を一度も見たことがない。
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昔から妻はよくそのへんに転がって昼寝などしているが、そういうところ、尚子はまっ
たく母親と似ていない。
人は言う、生きがいこそが幸せであると。
しかしそれは私の様な老人に当てはまることだと思う。
尚子はまだ若い。仕事をはじめとして忙しく常に何かに没頭するのも結構。私の血が受
け継がれているようで、正直嬉しい。
しかしこれからは結婚して、できれば辛い思いなどすることなく、安泰な生活を送って
ほしいと思う。
平成十五年四月二十日(日)
記
今回の内容は、さすがに涙なしには読めなかった。
オルガンのことはよく覚えている。しかし壊れていたとは知らなかった。
エレクトーンも楽しかった。優しかった先生、発表会でのみんなの拍手。いい思い出ば
かりである。
アメリカで1970年代に有名になったブラスロックバンドのライブ映像を深夜のテレ
ビ番組で見てから、ドラムス、パーカッションの動きに衝撃を受け、打楽器に一気にはま
った。三十四といういい歳になった今でも、友人が呆れるほどに洋楽CDばかり買う。そ
の原体験は、あの時期にあった。
自分の出す音でコンサートホールの空気が震える、あの感覚。忘れられない思い出であ
る。商業学校へ通っていたのは、まさに部活のためである。
そして仕事について。商業学校なりの資格はいくつか在学中に取ったものの、数字関係
に全然興味が持てなかったことと、純に、人に感謝される仕事の代表格である看護婦にな
りたいと憧れた。子供のころから長年憧れていたというわけではないが、高校を卒業した
周辺のあの時期は、本気で看護師になりたいと思っていた。
テレビの影響ではない。実はマンガの影響である。
け
父に反発していた時期もあったが、裸族の気があるのが嫌だっただけであり、憎んでい
72
たわけでも何でもない。裸族は知らないが、父に一時期反発する娘など、どこの家でもあ
る話だ。
尚子が社会人として病院に勤め出してから、ここ十何年は父とは良好な関係だった。趣
味に忙しく、父は家をよく空けていたが、家にいたときは父はよく喋った。父が歳を取る
に連れて、話す内容も量も多くなってきたような気がする。
ただし父は自分の育ちのこと、家のことについては話したことがなかった。もっといろ
いろ話しておけばよかったと思う。
どちらかといえば家族孝行の娘ではないと自分では思ってきただけに、父がこういうふ
うに自分のことを思っていてくれたことは、尚子には嬉しかった。
そして自分の名前が三千円。まったく知らなかった。
父のちぐはぐな自分史は、コピー用紙を読みやすくファイルに綴じた形にしてある。読
いけはし た
ま
みながら、泣き笑いで休憩時間を過ごしていた尚子は、新人の池端多摩がこそっと休憩部
屋に入ってきたのに気付かなかった。
名前の響きの通り、猫に似た可愛らしい二十二歳の新人である。お互い気が合って、し
ょっちゅう食事に行く仲である。ちなみに一周り年上、大先輩の尚子をちゃん付けで呼
ぶ。
「な、泣いてる! どうしたの? なおちゃん何? ふられたの? 誰に? そいつ蹴っ飛ば
したるから何でも言ってみ」
「違うねん、タマちゃん。これ」
多摩は父の自分史のコピーをしげしげと眺め、読んだ。
「亡くなりはったお父さんが書いたの?」
「うん。あんまり、自分の話とか、お父さんと話したことなかったからね」
数分程度読んで、多摩は早くも涙ぐんでいた。
「音の止まらないオルガン。なおちゃんのこと、か。詩的やねぇー」
多摩は仕事でもよく涙ぐみ、怒られてばかりいる。
患者に感情移入することはこの業界ではいけないことだとされるも、尚子自身はそれが
いけないことだとは少しも思っていない。生き死に、または人生の転機を迎えている人が
多い世界なのである。自然に、分け隔てなく患者と接する多摩は全年齢層の患者に好かれ
73
ており、誰に何と言われようが、よく涙ぐむこの個性をずっと持っていてほしいと尚子は
思っている。
「ねー。タマちゃん。ほんと申し訳ないんやけど、私、二日ほど有休取ってもいいか
な?」
「いや、そんな、なおちゃんの自由です」
「私がまったく知らんかった、お父さんの謎が度々出てくるねん。お父さんが書いた自分
史は、断片的な形でしか残ってない。この際いろんな人に会って、全部知りたいんよ。か
まへんかな?」
「どっか、遠くに行っちゃうの?」多摩は不安一杯の表情をした。
「いや。たった二日もあれば十分。全部大阪市内。多分」
「あたし、おやじ、生まれたときからおらん。だからなおちゃんには頑張ってほしいよ」
「いやいや。ありがとう」再び涙が湧いてきた。
「こんなとこで泣かんとってください、てーかあたしも泣いてるわ。なはは。他の人が見
たらびっくりするね」
二日間の有休を取った尚子は、次の日早速、ある家へ向かった。
富山悦子。父より一足早く亡くなったが、父が通っていた文章教室の先生であり、父が
最初に自分たちに遺した手紙、その中で、自分史を手直ししてくれたと父が語っていた人
物である。
父が世話になった人間である。尚子は線香を上げるために訪問することにした。ただ、
家族が話しやすく親切な人間であれば、父の話も少しは聞けるかもしれない。
娘、息子とも大学で教鞭をとっているという富山家は、かなり大きな家であり、家の中
は書物であふれかえっていた。嘱託教員であるという娘が尚子に応対してくれた。父の葬
儀にも母娘で来てくれたそうで、気付かなかった尚子は恐縮した。
尚子が仏壇に拝んだあと、娘は茶菓子とお茶を用意してくれた。
「学生さんだけじゃなくて、いろんな場所で母が教えていたということは私も嬉しいで
す。母はね、大学教授でしたの、日本文学の」
「父がそんなすごい方に教えていただいたとは、恐縮です」
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「いえいえ、母はほんとに教えマニアでしてね。定年になって二十年近く、現役時代と全
然変わんないくらい、毎日、いろんな方に文学史とか、歴史とか、文章とか、教えてたん
ですよ。ほんと、家の中が本だらけでしょ。このパソコン万能時代に」
「私は本の、紙のにおいが好きです。父も本が好きでした。私も一度、お母様とお話しし
たかったです」
居間に飾られた、上品な人物の写真が父の先生であったことは訊かないでもわかった。
「お母様、本当に先生という感じの方ですね。私の父はお母様よりいくつか年上ですけ
ど、きっと、かしこまって教わっていたと思います」
「稲垣さんはね、よくここに来てましたよ。稲垣さん、自分史を作りたいとかで」
「家まで来たんですか。厚かましいですね。すみません」
「いえいえ、楽しい方でしたよ。なんかこう、威厳もあられて、でもしゃべったら大変面
白い方で」
「とんでもないです。何か失礼なこととか言いませんでしたか。黙るってことができない
人間で」
「今頃また二人で、自分史の続き、書いてるかもしれませんね」
「娘の私が言うのもおかしいですけど、父はよく本は読んでましたが、ここまで文才があ
るとは思ってませんでした。いえ、文才があるのかないのかわかりません。ただ、これだ
けいっぱい書ける人だったんだ、というのを娘の私は知りませんでした」
「そんなことおっしゃったら。お父さん、照れますよ」
「いえ。怒られそうです。でも、私にも教えてくれたら良かったのにって。私は家には住
んでいませんが、近くに住んでます。しょっちゅうというわけじゃありませんでしたが、
家にはよく帰ってました。でもお父さん、文章書いてるのを全然見せてくれなかったんで
す」
「それはね、完成品をどーんと見せて、びっくりさせるおつもりだったんでしょう。稲垣
さんの自分史は、それはもう読み応えあるものだと思いますよ。
普通、自分史なんて、社長さんの人生自慢なんですから、他人が読んでも面白いもんで
はありません。でも、稲垣さんの場合は違いました。私も少しだけ、つまみ食いみたいに
して読みましたけど、すごく面白かった。なんせ、母が稲垣さんのこと、大好きだったん
ですよ。何で若い頃から物書きにならなかったんだーって母が言ってたくらいですから」
「あの、どのくらい、お読みくださったんでしょうか?」
75
「あらま。失礼ですよね、勝手につまみ食いみたいに読むなんて」「いえいえ、もしたく
さん読んでくださってたとしたら、非常に嬉しいですし、私も助かるんです。その、父の
兄弟、兄か弟かわかりません、そのことについて、何か書かれていたこと、ありましたで
しょうか?」
「はい、確かにそういうこと、お父様、書かれてましたね。何でも、生き別れの。あの時
代はよくあった話かもしれませんが、可哀想な話です」
「私、まったく父から聞いてないんです。父に兄弟がいたなんて話。それが知りたいと思
っておりまして」
「そうですか。でも私がつまみ読みした限りでは、詳しいことは書いてませんでした。私
も完成を待っておったんです。稲垣さんとの共同作業だ、なんて母もにこにこ笑いながら
言ってたんですよ」
「父は、最後に自分史の完成品を遺してくれました」
「ドラマみたいですよね」
「いえ・・・その。父は間違って、全然関係のないフロッピーディスクを遺したんです。
清書といいますか、完成品は、ワープロと共に行方不明になったんです。ここというとき
に失敗する、父らしい話です」
「そうなんですか? なんということでしょう。残念でしたね」
「でも、途中まで記録したフロッピーが残ってまして、それを印刷したものがここにあり
ます。余分に印刷したからこれ、もらってくだされば嬉しいです」
「ああ、よかった。お父様の自分史、完全になくなっちゃったわけじゃないんですね」
富山は文章を目で追い始めた。
尚子はその間、壁一面を埋め尽くした本の背表紙を見ていた。
「あらら。すみません、夢中で読んじゃって」
「これ、見てください。しっかり百章まであります。でも、今残っているものをプリント
アウトしたものは、三十章程度しかありません。何とかして、残りを探したいんです。友
人の多かった父のことです、ひょっとしたら、フロッピーディスクをどなたかに預けてい
るということも期待して、これからいろんな人に会おうと思っています」
「ノートがあるじゃないですか。母は、完成の手引きとか、言っておりましたよ」
76
「それは・・・」
「ノートですよ。手書きの。ワープロ打ちする前の下書きですよ。まだ読んでらっしゃら
ないのですか?」
「あの・・・すみません、ノートが、あったんですか?」
「母が自分で、稲垣さんの文章の内容をノート二冊くらいにまとめてたノート。稲垣さん
へのインタビューノートみたいなものでしたわ。Q&Aみたいに、いっぱい書かれてまし
た。娘さんにも知らされていないお父様のご兄弟、そんな大事なことでしたら、事情は私
にはわかりませんが、ノートに書いてあるはずですよ。ほら、目次にも」
「この99章の内容がないんです。一番知りたい部分が」
「だったら絶対、ノートに書いてあると思います。母はきっと、そういう大事なことを訊
き逃したりしません」
「すみません。ノートは、父に渡してくださったんですか?」
「いいえ。お母様に渡しましたよ。先週線香上げに来てくださって。先週、火曜日だった
かな」
「私仕事が忙しくて、母とは全然会ってないんです。私、看護師の仕事してまして、今日
も直接病院から来たんです」
「そうですか。何日もかけて、文庫本の量をノートにまるまる書く、なんてことが平気だ
った母です。パソコンも使わないで」
尚子は黙り込んで考えた。
「あ、大丈夫ですよ。娘が言うのも変ですが、母は文章教室のベテランです。ちゃんと稲
垣さんの文章の個性を尊重して、まとめていると思いますよ。母の個性ではなく、ちゃん
と稲垣さんの個性が出ている文章になっているはずです」
「いや、はい、それはどうも、本当に感謝します」
実は、ここ一週間で実家には二回ほど帰っている。母は一言も、そんなノートのことを
言っていなかった。
大きな疑問を抱えたまま、尚子は富山家を辞去した。
腹も立ってきた。母に対してである。
母は、父の自分史のコピーも渡さないで、父を助けてくれた人のノートだけもらって帰
った。
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そのことを尚子はまったく聞いていない。
大体、この自分史の断片を発見し、意気揚々とあれこれやっていたのは自分と英司だけ
で、なぜか母は乗り気ではなかった。それどころか、反対しているような雰囲気を出し
た。暇なときにコピーしておいて、といったことも嫌がった。
金のかかることはまず現実を優先。思い出よりお金。加えて、気丈に見えても悲しみが
勝る今の時期に、まだ、母は父の話を読めないのだ、とそう好意的に解釈していた部分も
あったが。
母については、もうひとつおかしなことがある。
蓬原初江が亡くなった日、初江のことを母に電話して尋ねた時の母の口調は、怒気をは
らんでいた上に、かなり早口だった。知らん、そんな人は知らん。と、どうしてあんな
に、愛想なく答える必要があったのか。あれは、馬鹿な弟英司を叱っている時の口調であ
る。
そして尚子の質問攻めを予想していたのか、尚子が帰ってくるなり、母は非常に素っ気
ない態度を取った。
「お母さん。蓬原、初江さん。知ってるよね。なんで私に知らんなんて言うたん? それ
から。富山さんとこでノートもらったことも」
ドラマの再放送をのんびり観ていた母は、平日の昼間に突然帰ってきた尚子の質問に対
し、じっと目を閉じるという反応に出た。
「何? 寝てどうすんのよ」
「尚子、ちょっと座りなさい」
「座ってるし」
「お父さんの自分史やけどな。あれは、封印や」
尚子は目が点になった。「封印、ってなに? そんな言葉知ってたん」
「尚子。お父さんはな、事の真剣さちゅうか、重大さを理解してなかった。何人の人が、
不幸になってしまうようなことが、お父さんの歴史には書いてある」
「歴史って、そんな大袈裟な」
「笑い事とちゃう!」
「何言うてんの。お母さん。初江さんのこともちゃんと教えて!」
「はつえさん? あんた前も言うてたな。誰やそれ」
78
「不幸になる? 意味がわからん。お父さんは犯罪者か? んなアホな」
母はそこで黙った。真剣な表情だった。
「お母さん、変なこと言わんといてよ!」
「私は何も言ってない。勝手に騒いでんのはあんたや」
「そら、お母さんの嫌がる話もあるかもしれん。お父さんが浮気したとか? でもな、あ
れはお父さんが私らに読んでほしいと思て、書いて、遺したもんや。読んであげなあかん
のとちゃう?」
「そうや、ご名答や。真っ直ぐさんのあんたの言うとおり。そやけど、これだけはお母さ
んの言うとおりにし。話し合いはなし」
母はテレビの音量を大きくして、尚子を完全に無視した。
尚子はテレビのスイッチを切った。
母は怒ったが、尚子の迫力にたじろいだようだった。「話し合いなしなんか、私許さん
よ」
「偉そうに。許すも許さんも。これはお母さんの問題や。あのな。お父さんは一回、浮気
したことがある。あの人のこっちゃ、そのことも面白おかしゅう、書いてるんや。お母さ
んはそれが気に食わんのや!」
「五秒でわかる嘘つかんといて。お父さんがそんなこと書くわけないし、もし書いたとし
ても、お母さんが今さらやきもちなんて焼くわけない。それから! そんなしょうむない
話を富山先生が助けたりするわけない!」
母は万策尽きた、という表情になった。
「さあ。ノート出して」
「・・・ない」
「ないって」
「捨てた」
「はあ?」
「もう一回だけ言う。二回は言わん。みんなが、不幸になる。私もあんたも。だから、お
父さんの文章は封印。知らんかったほうが幸せ、ってことなんか世の中、なんぼでもあ
る」
「はいはい。お父さんが浮気して、めちゃくちゃ揉めて、そいで、私は本当はお母さんの
子やない!とか?」
79
「・・・・・・」
「ちょっと。黙らんといてよ」
「あんたは正真正銘私の子や。病院でDHC検査でも何でもやったらええ。大体、顔も似
とるがな」
「そしたら・・・お父さん、なんか、悪いことしたん? 罪の告白、とか? あはは。たば
このポイ捨てもせえへんかったお父さんやで。ありえへん」
「そう。立ちしょんもしたことない人や。大往生とはいかんかったかもしれんけど、お父
さんはいい人生を送って、亡くなった。それだけの話」
「私もそう思う。そやから、教えて。なんで、富山先生が書いてくれたノート捨てたり、
初江さんのこと知らんって言うたり。なんで?」
「二回は言わん、って今言うた。とっとと、帰り」
「はあ?」
「家、帰り!」
「家ここやん」
「私の言うことわからん子なんか、娘とちゃう。この話、するんやったら、あんたもう二
度と帰ってきなや。わかったか。今日はとっとと自分のマンション、帰り!」
母が振り下ろした拳で、ティッシュの箱がぺしゃんこになった。
母とはもちろん、何度も口喧嘩をしたことがある。
しかし母娘喧嘩など大体いつも同じようなネタであり、激昂するどちらかが激昂する流
れというものも、大体いつも同じである。だから母娘である。
ただしさっきの母親の怒り方は、普段と雰囲気がまるで違った。
まず母が、あれほど尚子に激しく怒ったのは記憶にない。
そして。初江を知らないという、嘘。
まだある。自分よりも年長の老人の家をよく訪問し、いわゆるおばんアート、小さいキ
ューピーの服やタコ人形の帽子などの作り方を率先して教えている母である。富山先生の
ノートを捨てるなど、あり得ない。
しかし母が言っていたことが事実だとしたら。
本当にノートを捨てたのだとしたら。
父は、何か犯罪に関係している?
80
父は間違っても犯罪を犯すような人間ではなかった。
そこは信じたいも何も、絶対にあり得ない。
誰もがそう思っているからこそ、母は隠したい?
正直な父が、書いてはいけないことを書いてしまっていた?
違う。
父は、何らかの犯罪に巻き込まれたのだ。
他人が起こした犯罪ではあっても、父の、何らかの事情がその犯罪の原因となった。
少なくとも入院するまでの父は至って明朗快活な人間だった。何かを隠していたという
雰囲気などカケラもなかった。ということは、自分が生まれる前の話だろうか。
仮にそうだとしても、三十五年近く、それ以上昔の話について、今、母が血相を変える
出来事、エピソードとは?
何を馬鹿なことを自分は考えている。映画の観すぎである。
首を振った瞬間、尚子にもっと悪い想像が浮かんだ。
母が、認知症になった?
そうなっても、少しもおかしくない年齢である。
認知症の始まりは、いきなりではない。その人らしくない行動、言動がまず最初であ
る。
となれば。
弟夫婦が主導権を握るあの家にいれば、母はおそらく絵美里の意向で老人ホームに入れ
られる。
すかんぴん
尚子には貯金と呼べるほどの貯金はない。多趣味の英司はいつも素寒貧である。絵美里
の両親は金遣いが荒く、もし金を持っていても、自分の母親のために用意してくれたりは
しない。
高い入居費用を負担し、ごゆるりと暮らせる有料老人ホームならまだしも、大阪府の外
れ、田舎の特別養護老人ホームでも入れられた日には。
決して表には出ない、人間としてあり得ない施設の風景を仕事柄度々目撃したことがあ
る尚子は、途端に怖くなってきた。
81
母に持病でもあれば、看護師である自分の立場を利用して、質のいい老人保健施設へ、
という手もあり得る。しかし母のように身体は至って健康、認知症のみとなると、行き先
は(金あり)→有料老人ホーム、(金なし)→特別養護老人ホーム、となってしまう。
自分の家の親は大丈夫、と思う人間ほど、なぜか親が認知症に見舞われる。看護師であ
ろうが介護士であろうが、自分の親のこととなるとわからない。
もう頭がいっぱいである。
尚子はその足で、弟が働いている学習塾に来た。
そんなことは初めてだったので、英司は驚いた。
尚子は真剣この上ない態度で、誰が何と言おうと、母親を病院へ連れて行って、検査を
受けさせるよう命令した。おねえが連れて行けよ、という当然に予想された反応を、尚子
は迫力で許さなかった。
結果的に、母に認知症の徴候は一切なかった。
あくる日に英司が病院へ引っ張っていき、検査を受けさせた。最初は嫌がったそうだ
が、病院ではついでに身体の健康診断まで、乗り気で受けたそうである。母は知り合いを
見つけて話し込み、英司は放って帰ったそうだ。
そして健康診断の検査結果は、腎臓の働きが少し悪いかもしれないが、加齢に伴うもの
であり、塩辛いものを好んで食べるような習慣を控えれば、まったく心配は要らないとい
うものだった。
では。母があのような態度を取った理由は、父にある。やはり父の自分史にある。
尚子が見た写真に写っていた二人のクローン人間。二人の父。
父には双子、または年子の弟がいたのだ。
父の文章によれば、その人、ぼっさんこと蓬原正平がまだ生きている可能性が大であ
る。二重苦、とも書いてあった。身体に障害を抱えていると考えるのが妥当である。
そして、そこには母が隠す何かの事情がある。そうだ。父のことではない。母が隠した
いのは、父の兄弟のことだ。
尚子は、父の兄弟が、障害を抱えたまま、薄暗い施設で両膝を抱え、一日中じっとして
いる姿が思い浮かんだ。
82
自分史の断片からでも、父が言いたいことは尚子にはわかった。
母の態度で推測できるような何らかの大きな秘密が表に出るのを父は厭わず、自分の双
子の兄弟の消息をつかみ、もし悲しい境遇にあるのなら、助けたい。そう思っていたに違
いない。
その人物に、隠しておかねばならない何かがあるのだ。
その人物が生きているのなら、尚子にとっては、初めて会う叔父になる。自分が何もし
なければ、叔父は寂しい場所で姪や甥の存在も知らず、一人寂しく死んでいく。父はそう
考えていたのだろう。
結局父は具体的行動を起こす前に、病魔に冒されて逝った。
自分が何もしなければ、という言葉は、今の尚子に当てはまる。
尚子は決めた。
父の思いを、遂げてやるしかない。蓬原正平こと、ぼっさんを探す。
母は放っておく。
自分史の断片、まだしっかり読んでいない文章を読み込んで、父が若い頃、辿った道を
探す。
十四年間勤め、いまだかつて、たったの一日も取ったことのない有休を二日取っただけ
で、宿敵である坂井根看護師長には、優雅に遊ぶ趣味を持たれて結構やね、男と旅行かと
露骨な嫌味を垂れられた。
どこの職場にでもある話だが、誰かが有休を取ることを考慮してシフトは組まれていな
い。一人が有休を取ると必ず誰かに地獄の連続シフトが強制されたりして、迷惑がかかる
ようになっている。だから有休がとりにくいという仕組みになっている。
いっそのこと、労働基準法に基づく有休、自分の場合は残る十二日を一気に消化してや
ろうかと尚子は考えた。十二日間で、父とその双子の謎を解き明かす。そして叔父が苦し
い環境にあるのなら、助け出す。
仲の良い先輩同僚、後輩に了承が得られたらの話であるが。
キツネやスネークなどの敵が何と思おうが、それは気にしてはいけない。
83
ちょうど都合がいいことに、自分はまだ看護師長の資格は与えられていない。いまだ身
分は一看護師である。
看護師長になるための研修を受けている立場だが、研修を行う上司は、しばらく東京の
親病院に行ったきりで、今年中に帰って来るのか来ないのかわからない。したがって尚子
への研修も中途で、続き待ちという状態である。
去年、有休を買い取ってもらった際には、特に医局の心無い人間には、仕事が恋人だ何
だと陰口を叩かれたものである。何をしても陰口を言う、心貧しい連中である。
まずは先輩同僚後輩に、真摯に相談してみる。駄目なら、睡眠不足覚悟で、仕事と並行
させる。仕事は決して疎かにしない自信はある。
尚子と仲のいい人間は、みんな尚子の肩を押してくれた。
一年で一番、規模の大きい全体新人研修があるのも助かった。全体研修は、新人にとっ
ても大体わかりきっていることの確認と徹底であり、ベテランとされている自分の出番は
案外少ない。口撃と説教が好きな人間の出番である。
それに最近は新人十人のうち男性が一人二人いる。作業的にしんどい仕事を、彼らが受
け持ってくれる。
つわもの
二週間の有休一括消化を実践した 兵 が、かつて一人だけいた。辞めて久しいが、海外
旅行に彼氏と行った女性だった。
有休を一括消化したいのだがどうでしょう、と尚子が話をしただけで、医局と事務局は
その人物の名を出し、職業倫理が足りないと露骨に怒った。加えて、坂井根看護師長およ
びその一味からの幼稚な嫌がらせが始まった。
こうなると尚子も意地になった。
仲間の了承は得た。必要な準備、用意、申し送りも完璧に整えた。尚子でなければ相手
するのがしんどい患者数人に対しても、遠くに住む叔父を引き取るために遠方へ何度も通
わねばならないと、適当な事情を話して説得した。適当ではあるが嘘ではない。もしぼっ
さんなる人物が見つかれば、本当に実家に引き取るつもりだ。母がどうしても嫌がるな
ら、自分が何とかする。施設に入れたりはしない。そこまで尚子は説明した。難儀とされ
る患者も、しっかりと尚子の肩を押してくれた。
事務局、医局は全員反対。非常識。何を考えている。それでも看護師か。自分の持ち場
所フロア以外では矢を浴びせかけられ通しの一日だった。
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一看護師の事情になぜ院長までと尚子は思ったが、キツネかスネークの仕業だろう、普
段は尚子の前でも冗談をよく言う院長が大人げのなさを発揮し、食堂で、ソースを独り占
めして尚子に渡さなかった。
しかし鶴の一声があった。
理事長である。好々爺として知られる理事長は経営陣にあってただ一人、遠方に住む父
の兄弟を捜して引き取るという尚子の話を気に入り、お小遣いと称し寸志までくれた。
理事長の了承を得たので、尚子は気兼ねなく、全有休を消化できることとなった。
第九章
辿る坂道
まず尚子は丸一日かけて、ちぐはぐで断片的な状態となっている父の自分史を全部読み
切った。
興味ある話、ぴんと来ない趣味の話、いろいろあったが、ぼっさんこと蓬原正平につい
ての文章を読みあさった。
顔、体型、服装、何から何までまったく同じ父が並んで二人写っている、蓬原初江の遺
品である不可思議な写真は、初江の息子、伸司の了承を得て、尚子が持っている。
父には年子、または双子の兄か弟がいたということになる。ただしそんな話はただの一
度も、父からも、誰からも聞いたことがない。
尚子は親戚筋に心当たりがないか、何軒か電話をかけて訊いた。
父に年子または双子がいたという話には誰も反応を示さなかった。なんじゃそれ、と笑
う遠い親戚もいた。
尚子たちだけではなく、親戚にも、正平の存在は知らされていないようである。
好奇心と不安が入り混ざる。しかしじっとしてはいられない。
二日目から尚子は動き出した。
和歌山県橋本市。
尚子の叔母、父の妹が入所している有料老人ホーム「和みの里」がある。
85
かなり認知症の進んだ叔母は、兄である尚子の父が死んだことをまだ知らない。知らせ
ないほうがいいという判断を施設が出したからである。
尚子は昔からこの叔母が好きだった。
父と同じ、天王寺区下寺町生まれではあるが、幼い頃から和歌山に疎開し、大阪に戻る
ことなく、今現在の年齢まで過ごしている。若くして役所勤めの人間と結婚し、生涯一度
も働いたことがないという珍しい境遇の人物で、世間の汚れを一切知らず、天然記念物級
にのんびりした、天下泰平なキャラは尚子が幼い頃からまったく変わっていない。
要介護度4という重い状態ではありながら、施設では職員の手をさほど煩わせることも
なく、子供に返って、やはりのんびりした毎日を送っている。
昔の話なら聞き出せるかもしれない、そう思って尚子は叔母に会った。
残念ながら、尚子の質問に対しても叔母は相槌と笑みを返すだけで、昔のことは話さな
かった。
尚子は蓬原初江の持っていた写真を見せた。
二人の父。「にいちゃんや、にいちゃんや」と叔母は目を細めた。右の父も「にいちゃ
んや」、左の父も「にいちゃんや」。
「おばちゃん、何でお父さん二人おるの? どっちがお父さん?」尚子は訊いたが、叔母
はにいちゃんや、両方ともにいちゃんやがな、と微笑みながら答えるだけだった。
あさご
次の日に向かったのは兵庫県朝来市。
父の従兄弟が住んでいる。父よりも三つほど年上の人物である。父の見舞いにも何度か
来てくれた。
老夫婦は尚子がコピーしてきた父の自分史を興味深くじっくりと読んでくれた。
しかしここも、結果的には空振りだった。
葬式やその他行事で会うことはあったが、当時は一緒に遊ぶことはなかったらしい。
父と行き来したのはこの二十年間の話で、子供の頃の話や、稲垣の家についてはほとん
ど知らない、ということだった。
86
口縄坂の思い出
大阪市天王寺区、下寺町一丁目。光明寺や大覚寺など、寺が多く密集した一角から松屋
町筋を隔て、まさに地名の通り、寺の近くにある下町に私は生まれ、育った。
この辺りはちょうど上町台地との境目でもあり、まさに坂に恵まれていた環境であっ
た。私の子供時代の遊びは、常に坂と共にあった。
い
く たま
げんしょうじ
くちなわ
あいぜん
きよみず
有名な生國魂神社方面から北から順に、真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、
おう
天神坂、逢坂。これは天王寺七坂として、大阪の観光ガイドブックにも載っている。
天王寺七坂。どれほどご大層なものと思われるが、言ってしまえば石畳のただの坂であ
り、私としては見慣れているせいか、大して情緒的なものとは思えない。ガイドブックの
写真には、何と上手に、雰囲気たっぷりに写真が撮られているものかと感心させられる。
京都とはまた違った石畳の風情を思わせ、都会育ちの人たちには歴史街道のひとつなの
かもしれない。
情緒的以前に、この場所は私にとって、まさに子供から大人になり、それ以降も長い間
暮らしていた大変懐かしい場所である。
私の住む長屋は坂を下り切って、松屋町筋を隔てた側にあった。
周囲はごちゃごちゃした長屋が多数存在しており、寺側を背にして進み、左、方角でい
えば南、動物園方面に向かうと、やがて新世界である。当時はお世辞にも綺麗な町並みと
は言えなかった。
戦災にあうまでは大阪の典型的な町並みがあったわけだが、松屋町筋を境に、まるで江
戸時代に戻ったかのような情景が今でも存在している。
ななさか
それが天王寺七坂、寺町付近である。
私が住んでいた長屋周辺は今や一切当時の面影はなく、スーパー、住宅が立ち並び、真
上には阪神高速が走っていて、新世界よりもずっと近くに賑やかな日本橋商店街がある。
黒門商店街も近い。
しかし松屋町筋向い、寺町は平成になっても、いまだあの時代の雰囲気を濃く残してい
る。
87
中でも私がよく遊んだのが、口縄坂周辺である。先日、デジカメを買い換えたのを機に
子供時代の思い出を辿り、何十年ぶりに口縄坂を歩いた。
家の近所に、大八車やリヤカーを中古販売している店があった(正確に言えば大八車は
車輪が2つで、総木製であり人力で引くもの)。
当時の子供たちにとって大八車は嫌な思い出しかない。そういうものであり、荷物運び
や引っ越し手伝いなど親の仕事を手伝わされた、しんどい印象がある。
大人にとってだけでなく、自転車や単車と連結するリヤカーの登場は、子供たちにとっ
ても画期的なものであり、それは単純な話であるが、数人の子供が荷台に乗ることが出
来、また、わりと危険なことではあるが、誰かが引っ張り、皆で乗るスリルを味わえる格
好の乗り物だった。
リヤカー中古販売の店は、はっちゃんという友人の両親が経営しており、それ故はっち
ゃんは大変器用で、店からもらった部品で私ら子供たちが遊ぶリヤカーを作った。
当時、どの坂の上にも、自転車やリヤカーが突っ込んでくるのを防ぐための縁石や、小
さな柵があった。
谷町筋、地下鉄夕陽丘駅方面から、その縁石や柵までの数十メートルが緩い坂になって
おり、そこで子供たちはリヤカーに乗って良く遊んだ。
今でもよく覚えていることがある。
最初に言い出したのははっちゃんだったか、いつの時代にもいる悪ガキ友達だったか、
またはひょっとしたら私かもしれない。
口縄坂の入り口には柵ではなく石柱が道を塞ぐようにして二本、立っており、それでも
私たちはリヤカーを横に倒して難なく乗り越えた。
度胸試しという意味合いもあったのだろう。何ということか、石畳の坂道を悪ガキ五人
がリヤカーに乗って下り降りたのである。
勿論、安全対策はしっかり準備したつもりだった。寺の敷地から落ち葉の詰まった布袋
をたくさん調達してきて、それを頃合のいい場所に置いた。
坂道のスリルを味わい、興奮が頂点に達したところでたくさんの落ち葉入り布袋が衝撃
を受け止め、ブレーキ代わりをしてくれるという算段である。落ち葉袋は十や二十できか
ず、山のように用意して配置した。
88
ところが、上下に激しく揺れながら石畳を暴走するリヤカーは、山のように配置された
布袋を軽く吹き飛ばしてしまった。
途中で上田和道君がリヤカーから飛び降り、止めようとしたのだが、後輪に弾き飛ばさ
れ、布袋と同じように道を転がって見えなくなった。
当然の話であるが、坂の登り口にはリヤカー、自転車避けはない。そして、四人の子供
が乗ったリヤカーが広い松屋町筋に・・・
自転車や三輪トラックとぶつからなかったのは幸運と言う他なかった。リヤカーの勢い
は止まらず、ついに揚げ物屋の店先に突っ込んだ。当然のように大騒ぎになった。謝って
済む、泣いて済む問題ではなかった。
誰かが揚げ物屋の油を足に少しかぶった程度で、大怪我をした者は誰もおらず。運が良
かった。
しかし誰も良かったなどとは言わなかった。頭の形が変わるくらい、大人に叩かれまく
った。
恥ずかしくも楽しかったことを色々思い出しながら、口縄坂を歩く。
坂の上にある織田作之助の文学碑、その真横、二本の石の柱が、今でもそのまま残って
いる。
年下の子供が食べていたおはぎを取り上げて食べていたら、その兄が追いかけてきて、
走って逃げる最中にこの石柱に激突し、頭から血を流したことも思い出す。それでも私は
おはぎを全部食べた。
阿呆な醜態が日常だった、そんな時期もあった。
情けなくも面白かった思い出に顔をほころばせながら、私は清水寺に場所を移した。こ
れは本当に「きよみずでら」と読む。清水の舞台まである。勿論、京都の清水の舞台と比
較すれば規模も何もかもまったく違う。
ただし、大阪のこの清水の舞台はまがい物ではない。
文献によると、建立された江戸時代当時は、京都の清水寺と同じ風景が味わえる場所と
して、新清水寺とも呼ばれていたそうである。遥か過去、本当のことである。
今、ここから見えるのは誠にそっけない、マンション、ビル群である。ロボットの頭を
逆さにくっつけたような通天閣の上部がよく見える。
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坂を上りきった場所一体は夕陽が丘という地名である。ビルがなかった時代には、上町
台地の境目に位置するこの場所から、大阪港に沈む綺麗な夕日が見渡せたのだ。
私は一旦清水寺を出た。いつも子供が一杯遊んでいた、広い庭があった蓬原のおばちゃ
んの家が、清水寺を東に出て、右手に歩けばすぐにあるはずだった。
ところが、不覚にも迷ってしまった。しばらくうろうろした後、やはり、最初に来た場
所が蓬原家跡地であることがわかった。あまりにも様子が変わりすぎていてわからなかっ
たのである。
今風のマンションが建ち、狭い道を四苦八苦しながら大きな車を運転するおばさんが、
駐車場へ入っていく。
マンションの名前が大きく表示してあるが、まったく意味のわからない外国語である。
このマンションの敷地がそのまま蓬原家だった。
懐かしさ以上にあっけなさも感じながら、そのまま歩いて、一心寺前に出た。
ここには親類縁者の何人かが骨仏となって鎮座している。
天王寺七坂の一つである逢坂のみ、ガイドブックでもなければ外から来た人はまったく
わからないだろう。
一心寺前の大きな国道が逢坂なのである。
来た道を囲うように大回りに戻った。
松屋町筋の天王寺方面はオートバイ通りとして、以前は数多くの単車屋が並んでいた。
今も数軒の店舗が残っているが、昭和の時代は単車屋修理屋が三十軒四十軒もあり、壮観
な眺めだった。
松屋町筋沿いに十五分ほど歩き、再び口縄坂、くだんの揚げ物屋があった(勿論今は影
も形もない)場所を再び通り過ぎ、学園坂に出る。
大阪女子学園高校、現夕陽丘学園高校の真横の坂を上る。
この道にはあまり思い出がないのだが、少なくとも昔はこんなゆったりした道ではなか
ったように思う。
車道ではあるが、車の通行量も少なく、今日のように天気もよく気温も心地いい午後の
時間には、落ち着きと風情のある歴史街道のように私には思えた。
90
今日半日の思い出巡りを反芻しながら私は歩いた。
平成十四年十一月三日(日)
記
意気消沈して尚子は大阪に戻ってきたが、やはり父の文章に背中を押される気分にな
る。
次に行こうと思う場所は文章に書かれている場所。
父の生家があった天王寺区下寺町と、その隣にある伶人町である。
蓬原初江の家が、今もそこにある。父は場所を勘違いしていたようだ。
初江について知ることが、父とぼっさんについて知る一番の近道だと思う。初江の暮ら
しが知りたかった。
タケオちゃん、と呼ぶあの口調は父と初江の非常に良好な関係を物語っていた。
初江に繋がる人間を探したい。初江は戦災孤児たちを預かっていたという話を尚子にし
てくれた。そんな人は、顔も広いに違いない。
初江繋がりで、当時の父を知る人間が必ずいる。親類に話を聞いて回るよりも、そっち
の方が得るものがあるだろうと思った。
あの人の善さそうなケアマネージャー、有馬に無理を言って協力をお願いする。あの人
なら話を聞いてくれそうな気がした。
有馬は翌日仕事が終わったあと、尚子に付き合ってくれるとのことだった。
仕事を休んでまでようやりまんな、と豪快に笑われたが、一円の金にもならない尚子の
リクエストを有馬は快く引き受けてくれた。
第十章
助っ人、有馬
あくる日、尚子は地下鉄谷町線と御堂筋線が交差する天王寺駅に昼過ぎにやってきた。
有馬の勤務先である谷町九丁目の事務所に訪問することになっているが、約束の時間ま
ではまだかなりある。
91
父の手記を元に、目的地までの地下鉄二駅分ほどを散策してみることにした。
ケータイには天王寺七坂の詳しい説明、ガイドが出ている。それに沿って歩いてみた。
七坂では一番最後に紹介されている、一番南の逢坂が位置的には最も近くにある。
父の手記にもあった通り、風情も何もない大きな国道だった。
尚子はこれまでに何度も、この道を通っている。大阪南部に住む人間なら誰でも知って
いる道である。
平日とはいえ、参拝客というよりは観光客のような、四天王寺から一心寺への人だかり
が見えた。
一心寺には仕事が忙しいのを理由に長い間来ていないが、父母は毎年正月、盆に参詣し
ていたはずである。
こつぼとけ
一心寺はお 骨 佛 の寺として有名であり、墓は要らないという人たちは遠くからでもこ
こに来る。
永大供養料は数万円。最初の一回のみ。宗派関係なく骨を引き取り、その骨は骨佛と呼
ばれる大きな仏像の原料となる。参拝客はそれぞれ年代順にいくつかある仏像を拝む。
平日であるせいか、参拝客は老人と外国人ばかりである。
まず入り口にある貼り紙を見て尚子は吹き出した。
正月の書き初め大会に出てくるような、人間の背丈くらいある大きな筆で書かれたよう
な字で「ごめんなさい」とある。
何がごめんなさいかと思えば、参拝者専用駐車場がなくなった、そこらの一般の駐車場
を利用してくれという旨のことだった。
尚子がここに来るのはおよそ十年ぶりくらいである。盆や正月となると出店も出て、も
っとにぎやかになる。それに一心寺所有の、一心寺シアターという劇場が隣接しており、
かつては毎年お盆に稲川淳二の怪談公演が定番化していたという、なかなか香ばしい技を
持っている寺である。尚子がそばを通ると、「シアター劇団員募集」というお知らせが貼
ってあり、さらに技は進化し続けているようである。
外国人バックパッカーたちがスタンプカードと地図を見て会話していた。
出入り口近くで托鉢をしている者は一切当山とは関係ありません、とこれも太い筆字で
書かれてある。
92
アメリカ村あたりで、袈裟と大きな笠に身を固め、托鉢をして小銭を稼ぐ外国人集団が
いると尚子は聞いたことがあるが、ここら周辺の地域もそういう輩が出没してもおかしく
ない。
「お写経なさいませ」と書かれた、何箇所かに貼られたポスターは、駅にある広告のよ
うにカラフルである。
天王寺七坂スタンプラリー、七つのスタンプを集めてご利益をもらいましょう、という
のもある。
観光地化しているだけあって、入り口付近にはあれこれとポップなレイアウトがうかが
える。何とも珍妙な雰囲気である。
喫煙スペースは、境内から切り離されているわけでもなんでもなく、右、左、植え込み
の横で、タバコを吸いたい者は普通に吸える。父と同じ年代の人間が、一服していた。
尚子は、飲み会のときだけ喫煙人間であるが、そんな大人数の飲み会も最近はない。仲
間同士の飲み会では、誰も吸う人間がいなければ吸わない。
看護師にあるまじき話かもしれないので、一番仲のいい後輩の池端多摩くらいにしか言
っていないが、退院後、最期までを過ごした家で、医者には当然厳禁されていたにかかわ
らず、一日一本と自分で勝手に決め、父は犬の散歩のとき、決まった場所で、本当に美味
そうにタバコを吸っていた。あえて尚子は止めなかった。
漫画から飛び出てきたような、ウシガエルのように太った狛犬が上を向いて大きく口を
開け、その口に吸殻を放り込むようになっている。くだらない小物が好きな尚子は、もう
か
ひ
少しサイズが小さければ欲しいと思った。狛犬にはひとつひとつ「果皮箱」と書いてあ
り、これは初めて目にする言葉だった。
そういえば今のご時勢にあって、神社仏閣、葬式場はなぜ喫煙にうるさくないのだろう
と思った。
骨佛は奥のほうにあり、隣のお堂では何十人が揃って経を唱えている。
ここまで入って来ると、出入り口付近の観光地めいた空気はなく、さすがに由緒正しき
日本の寺となっている。
骨佛は古いものから新しいものまで七体ほどあり、それぞれに納骨された年代が書かれ
てある。
線香は、束ねられて売られていて、一束二十円。ばらすことなくそのまま火をつけ、畳
一畳大の線香灰の上に立てる。
93
手のひらを振り、煙を頭にかける。昔からの人々の習慣だ。頭が良くなるということで
尚子も子供のときにいつもやられた。効果があったかどうかは全然わからない。
次に向かったのは、一心寺から歩いて五分程度の清水寺。すぐにわかった。
修行場として活用されている、大阪市で唯一の天然の滝がここにあり、パワースポット
としていくつかのサイトで紹介されている。
さて、実際の滝はプラスチックパイプから三本、三メートルほど上から水を垂らしてい
るとしか見えないものだが、天然の滝と書いてあるから、天然の滝なのだろう。
滝そのものはさておき、墓をはじめ石のモニュメントが数多く林立する、奥まった場所
にある滝の霊場は、四六時中渋滞していそうな車道からわずか徒歩数分程度という場所に
あることを考えると、都会の異空間と呼ぶにふさわしい。
滝から階段を上り、一般の墓の間を歩いたところに、父が書いていた清水の舞台があっ
た。
確かにビル群しか見えず、高台の趣きも何もないところであるが、「かつて」という部
分にこだわり、こうして江戸時代からの建築物を残している人たちがいることに尚子は微
笑ましい気分になった。
口縄坂もすぐにわかった。坂を上り切った場所に、父が頭をぶつけたという石柱が二本
立っていた。
父は尚子が幼い頃から、よく新世界へ連れて行ってくれた。昭和四十年代から五十年
代、観光地となるずっと以前の、言うなれば汚い場所であった頃の新世界である。
おかげで、食べ歩き雑誌によく載っている「串揚げ屋」なる表記を見ると、串揚げなど
と何をおしゃれに、串カツと言えと、いまだに思ってしまう。
かつては大阪のブロンクスのように誰もが思っていたこの場所は、確かに日雇い労働者
と酔っ払いの町であったのは間違いないが、幼い子供にも決して危険な町ではなかった。
おかしな人は数え切れないくらい目撃したが、危ない目に遭ったことなど一度もない。
内容はよく覚えていないが、父は新世界という街を幼い尚子、英司に解説しながら歩い
た。
だから尚子は、父は新世界で育ったのだと長い間思っていた。その割には父はほとんど
酒を飲まない人間だったし、ガラの悪い友人もいなかった。新世界の突然変異かと尚子は
94
思っていたものだ。
今、石畳の寺町に立って、父の子供時代を想像してみる。
決して楽な子供時代を生きてきたわけではない父だったが、新世界のジャンジャン横丁
も、この閑静な寺町、口縄坂も、すべて子供の足で十分に歩いて行けるという雑多なエリ
アに住んでいたというところに、尚子は父の性格、キャラクターを納得した。
石畳と木々は何百年に渡り、毎日ここを歩く信心深い老人たちも、走り回る子供たちも
同様に、優しく見守ってきたのだろう。
ただし、そんな淡い感動も、谷町九丁目周辺まで歩いて行くにつれて、かなり薄れてく
る。
寺のまん前に、ラブホテルがある。トラック一台分程度の道路を隔て、双方、表玄関で
堂々と向き合っている。
同じ人間が経営しているとなれば見事だな、などと思いながら、駅に近づくにつれて周
囲はラブホテルだらけになり、駅の近くで軽く腹ごしらえしようと思っていた尚子は困っ
た。
とりあえず歩く通りを変えて足早に駅まで向かおうと思ったが、角を曲がった瞬間、偶
然に有馬の勤める「ほっこり介護サービス」が目の前にあった。
禿げ上がった大男である有馬は、黄色い派手なトレーナーを着ていた。それには事業所
の名前が、ポップ調の字体で大きく書いてある。
元気よく挨拶をしてくれた有馬に、尚子は思わず笑ってしまった。
「でしょう、ええ。面白いでしょうとも」
「すみません、ごめんなさい、なんか、アメリカの漫画に出て来る魔神みたいだったもん
ですから。アラジンの魔法のランプですか」
「言うね、言うねえ、稲垣さん。わはははは。老人介護がなんで黄色だか、俺はいまだに
よくわからないんやなあ。外出るとき、恥ずかしいですよこれ。わはは。
それで稲垣さん、初江さんとこに行って、調べものしたいっちゅうことやったね?」
「はい。有馬さん、時間いいですか。これ、読んでいただきたいんですけど」
尚子は有馬用にコピーしておいた、この地域近辺についての父の手記を渡した。
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「お通夜の時に少し話しました、父の自分史の一部なんです」
「ほお」
有馬は尚子の遠慮を無視して、コーヒーや茶菓子をかいがいしくセットし、そして老眼
鏡を取り出し、ソファーにどっかと座って読み始めた。
「・・・しかしこれが、完全な形で残っていないとは痛いなあ」
「完全な形で残っていたら、もっと凄い量になってたと思います。数えたら、字びっしり
で紙、百四十枚くらいありました。章のタイトルが書いてあるページから推測して、それ
でも三分の一程度の量だと思います」
「いやあ、惜しいよ! 惜しすぎる! なあ稲垣さん、このへんの年寄りにも読ませたい。
できたらでいいんやけど、読める分全部、また見せてくれへん?」
「はい、ありがとうございます、また持ってきます」
「それで・・・蓬原正平、別名ぼっさん、これだけだと確かに、すごい謎の人物やね。私
も初江さんの介護に十年近く携わってきましたけど、一度もその名前は聞いたことがない
ですわ」
「何回も蓬原正平、ぼっさんという名前が出てきます。目次らしきリストには『私とぼっ
さん(蓬原正平君)』というそのものずばりの章があるんですけど、内容が今、ありませ
ん」
「お父さんとまったく同じ姿の正平少年、か。面白そうですな。協力しますよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ、頭下げんといてください。あなたのお願いがね、初江さんのお願いのように
思えるんですわ。クローン人間のあの写真見せられた日にゃ、じっとしているほうがおか
しい。早速初江さんの家まで行ってみましょう。もっと写真とか、あるかもしれん。
とその前に、ちょっと嫁に電話かけさせてください。それと一応、和歌山の息子さんに
電話かけて了承だけ得ときますわ」
車を止める場所がないとのことで、自転車で向かうことになった。尚子は自転車を借り
た。
「失礼」
96
有馬はくわえタバコである。その数メートル後ろを尚子がついていく。地名どおりまさ
まと
に夕陽が丘、夕陽がちょうど有馬の頭に反射し、タバコの煙がその頭を霞のように纏い、
かなり風流な絵となっていた。
有馬はママチャリにガニ股でまたがり、運転しにくそうな割にはすいすいと、尚子を置
き去りにしそうな勢いで進んでいった。辿る道がまさに尚子がさっき通ってきた道と寸分
違わなかった。
あとは口縄坂を下りるか下りないか、という分岐点に差しかかった。
有馬は坂を下りず、左に曲がった。すぐに一軒の家の前に自転車を止めた。
尚子は初江の通夜の晩、真夜中にタクシーでこの家に来ている。先ほどの自分の散歩コ
ースの目と鼻の先にあったとは、まったく気がつかなかった。
植木鉢の下から鍵を取り、有馬は戸を開けた。初江ちゃ~ん、来たよ~、などと大声を
たてている有馬は非常に楽しそうだった。
初江自身も今回の入院であの世へ行ってしまうとは夢にも思っていなかったのだろう。
台所兼居間は生活臭がそのまま残っている。
冷蔵庫の中身を掃除すると、今にも初江が帰ってきそうな感じがした。
老人の家の、このにおいを嫌う人たちも多いという。
熟成した畳のにおい、線香のにおい。
尚子はこの、典型的な老人の家の香りが嫌いではなかった。
一般的な子供には、健在であれば祖父、祖母が合計四人いる。子供であれば誰しも最低
二人くらいは祖父、祖母が存命しているものだが、尚子には生まれつき祖父も祖母も誰一
人いなかった。祖父祖母がいて、田舎のある友人を昔から羨ましく思っていた。
仕事でもそうである。同僚の中には老人のケアに文句を垂れ、我慢しながらやっている
などと公言する人間もいたが、尚子は進んで老人の世話をした。
有馬は何とも厚かましく、せんべいの封を切り、むしゃむしゃと食べている。
そう思う尚子も、勝手に急須をコンロにかけ、お茶を飲んでいた。
勝手に押しかけて家に入り込んでいるに関わらず、初江に招待されているような気がし
た。有休でも取らなければ、こんなまったりした時間は持てなかった。
「稲垣さん、寝てるんですか?」
97
尚子は考え事をするとき、顔を下に向ける癖がある。新人の頃から何度となく怒られ注
意されたが、これもいまだに治らない。
「起きてますよ。目ぇ、閉じてないじゃないですか」
「これから、どうされます? なんかこの部屋にいると落ち着きますね。落ち着いてしま
いましたがな。そこの畳でごろーんと、寝転びたなってきた。今にも初江ばあちゃん、帰
ってきそうですね」
「そうですね。なんか、この部屋もいずれ片付けられると考えたら悲しいですね」
「俺らが帰ったら、初江さん、あっちの部屋から出てくるんとちゃいますか」
「まあ、アホなことを」
「ほんま、初江さんが元気やった頃、そのままの部屋やもんな」
いきなり、玄関ががらっと開く音がした。
二人はびっくりして顔を見合わせた。
「あのー、誰かいてはんの?」
初老の女性の声がした。
有馬が走り出た。「どうもどうも。ぶた猫、元気ですか」
「あやぁー、びっくりした。おばあちゃん帰ってきたんかと思ったわ」
「ああ、この人、私の仕事仲間です」
尚子は頭を下げた。「こんばんは」
「ぶーちゃん、預かっててええの?」
有馬が説明をした。「ぶーちゃんというのはねえ、初江さんの猫。わしがお通夜のと
き、ここにきたときにこの方とお話ししてね」女性が初江の葬式に来ていたのを、尚子は
思い出した。
有馬は女性に向き直った。「この家も、多分、和歌山の息子さんが処分されると思いま
す。ぶーちゃんは・・・」
「ああ、元々私があげた猫やし。うち二匹おるから、一匹増えたってどうってことあらへ
ん。でもこの家」女性は玄関先をぐるりと見回した。
「寂しいね、家のご主人がおらん、ちゅうのは」
女性はすぐそばの家に戻り、狸のような、大きな猫を抱きかかえてきた。
98
「わあ、大きな猫ちゃん」
「この子、女の子やけど赤ん坊のときからぶっさいくな顔しててなあ。不細工のぶーちゃ
ん。おばあちゃんにいいもんいっぱい食べさせてもろて、ぶたのぶーちゃんになってしも
たけどな。ぶーちゃん、この家もいつまであるかわからへん。いっぱい、走っておいで」
女性は猫を放し、のそのそと猫は部屋の奥へ歩いていった。
「そうなんですよ。お年寄りの家がなくなってしまうのは、寂しいもんです」有馬が腕を
組んで言った。
女性は猫を抱えて帰っていった。
「では僕らもおいとましましょうか」
「はい。やっぱり部屋のもの、いじくるなんてできません」
「くつろいだだけでしたな」
「はい」
「和歌山の息子さんに、部屋片付けたときに、古いものとか写真、見つかったら見せてく
れと、それだけ頼んどきますわ」
「お願いします」
「収穫、なかったかな?」
「いえいえ、ここに来て、本当に初江さんと一緒の時間を過ごせたというか、変な話です
けど、そんな感じがしてます」
「初江さん、ほんまに来とるねんで」
「さっきお隣のおばさんが戸、ガラッて開けたとき、有馬さんほんま、めっちゃ情けない
顔してたやないですか。子供がビックリしたみたいな顔、なされるんですね」尚子はけら
けらと笑った。
買い物をして、自分の部屋に帰ってきたら、日付が変わろうという時間だった。
風呂に浸かりながら、今日一日の出来事を尚子は復習するかのように思い出していた。
とりあえず、調査は手詰まりである。
古い写真を持って近所を尋ね回るという手段もあろうが、特に寺町エリアから松屋町筋
で隔てられた、父が住んでいたという長屋があったという一帯は、きれいな一戸建てか、
マンションしかないような場所である。
99
とりあえず明日は昼まで寝て、どうするか考える。
どうしようもなければ、有休を取りやめて仕事に戻る。いや、有休を取りやめて、とい
うのはどうだろう。また医局の人間が怒るに違いない。
目をつぶり考えた。
そのうち寝てしまった。
鼻の奥に湯が入り、飛び上がった。大きな咳が立て続けに出た。
なぜか、父に笑われているような気がした。
第十一章
G線上のアリア
生涯の趣味・音楽
私の父は、私が九歳の頃肺炎でこの世を去った。
父は大変音楽の好きな人間だった。幼かった故私には淡い記憶しかないが、父の兄弟か
ら伝え聞いた話である。重くて、すぐに割れるSP盤を鳴らす蓄音機(レコードプレーヤ
ー)がかろうじてあった程度で、オーディオなど何もなかった時代、音楽という趣味は高
尚なものだった。楽器を演奏する人に限られていたそうである。
父は私が生まれる前はしょっちゅうバイオリンを弾いていたそうだが、私の覚えている
限り、弾いているその姿は見たことがない。生活に追われていたのか、時間の余裕がなか
ったのか、知る術もない。形見のバイオリンだけがそれを知っているくせに、何も語ろう
とはしない。
音楽の好きだった父の影響か、それとも生まれながらに好きだったのか、私は小さいと
きから音楽には、非常に関心があった。
私は、小学校の通知簿は殆どが可か良であったが、唱歌だけはいつも優(当時の採点
は、優、良上、良、可)で、他をよせつけなかった。
そうして、五、六年生、高等科一年生と三年間、担任の先生が音楽で教鞭を執られてい
たのが幸いして、私は、音楽とは生涯離れられなくなってしまった。音楽は今も尚、良き
友として、いつも側にいてくれる。
100
当時は、楽譜や理論は全く習わず、ただ歌唱力があればそれで良かった。先生が歌う。
それを真似する、それだけで良かった。
習った歌は、文部省唱歌のほかに、叙情歌や世界民謡が多く、今でも口ずさむと当時の
ことが思い出される。
荒城の月、サンタ・ルチヤ、ローレライ、シューベルト、ブラームスの子守歌など、枚
さくふう
挙にいとまがない。特にドイツ民謡『ローレライ』は、近藤朔風の歌詞で、ライン河の岩
礁に佇む人魚に魅せられて、波間に沈む船の伝説的な物語である。
先生は蓄音器を教室に持ち込まれて、皆に何回も聞かせた。それは、東京音楽学校女生
徒が歌い、一番は独唱、二番は斉唱、三番は合唱だった。私は過去に聞いた曲にはない、
合唱の美しい和音に魅せられてしまった。
同じく『故郷を離るる歌』は二部合唱であり、ともすれば高音に引き摺り込まれそうに
なるのだが、私だけは最後まで低音を歌い挙げて、先生に褒められたことがあった。♪園
かずまさ
の小百合、ナデシコ、垣根の千草・・・から始まる吉丸一昌作詞の歌詞は、就職のために
故郷を後にする心境を切々と歌い上げて、田園の美しい風景が盛り込まれている。
私は大阪生まれの大阪育ちなので、歌に出てくるような風景を知らなかった。しかし何
かしら、心の奥にじんと来るものを感じさせられた。
そしてブラームス・シューベルトの子守歌もしかり。ソプラノの、玉を転がすような珠
玉の歌声で、こんな美しい曲がこの世にあるのか、と思うほど叙情的な歌詞と旋律は、私
の心をしっかり捉えて離さなかった。
しかしそんな感傷に更ける時間は、そう長くは続かなかった。
日本は次第に軍靴の響きが高まって来た。私も高等科二学年を卒業(昭和十九年四月)
して、十五歳の少年工として軍需工場へ駆出されて行った。
音楽も戦時歌謡が主に歌われるようになり、工場の片隅で聞く『予科練の歌・空の神
兵』等は、歌詞さえなければ良い曲ではあったが、時局に応じた軍歌に過ぎなかった。
その軍歌もテンポのいい長調のものから、『同期の桜』のような短調の曲が主流を占め
るようになり、そこも人々が疲労していた時代を表現していたと今では思う。
ただラジオ歌謡に『椰子の実』が時々流れるのに、荒んだ心を洗い流してくれるよう
な、清々しさを感じた。
101
戦局は徐々に悪化の道をたどり、やがて終戦、巷では『リンゴの歌』が大流行。
しかし何がリンゴか。当時の私は貧乏であり、リンゴなど高嶺の花で、一つとて買える
わけがなかった。生きるために精一杯で、又、音楽など趣味を活かす心の余裕は全くなか
った。私にはリンゴの気持ちなどこれっぽっちもわからなかった。
昭和二十六年、その頃になると世の中もやや落ち着いて来た。四月に私は定時制の高校
に入学し、早速、課外活動の音楽部に入部、それからの四年間は、仕事に勉強そっち退け
で音楽に没頭した。
顧問の吉元先生の指導のもと、バイオリンの猛練習。先生も生徒も熱心さが高じて、
大々的な呼びかけをして、交響楽団を創立するまでに至った。
当時、労音という音楽鑑賞団体があり、月に一度、格安でクラシック音楽の鑑賞ができ
た。
朝日会館で聴いたメンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲、指揮朝比奈隆、バイオ
リン辻久子。関西交響楽団の演奏で当時としては、贅沢なメンバーであった。
又、オペラも椿姫、蝶々夫人、カルメンなど立て続けに鑑賞し、暮らしは変わらず貧し
いながらも、気持ちが豊かになった。
学校の方でも、シューベルト作曲の未完成交響曲やハイドンの驚愕交響曲など、幅広い
演奏活動が繰り広げられていた。
しかし皆の技術がそれに伴わず、それに追い討ちをかけるように、資金面や吉元先生の
転職で、先細りになり、遂には消滅していった。
その後、音楽教室を経営された先生は、自宅でアンサンブルを結成され、私は早速、そ
れに所属した。曲は主にバロック音楽で、バッハやヘンデルの重厚な音楽に接することが
できた。
G線上のアリア。当時も、そして今でも、実は、私の生涯で一番好きな曲である。どこ
か気恥ずかしく、誰にも言ったことはないが。
古今東西、世界各国、様々なアレンジがある名曲であるが、やはりバイオリンの、曲名
通りG弦だけで演奏されるシンプルな演奏が一番である。
何度聞いても、何度練習しても飽きることはなかった。先生の指示で四弦全部を使う演
奏をしたこともあったが、逆に難しく、聞いている人間もつまらなかったと思う。
102
演奏家。楽団員。私は、そういう職業に心から憧れた。先生の元を訪れる大先輩は、熱
く語る私に様々なアドバイスを下さったのを覚えている。
しかし現実は厳しかった。仕事も歳とともに、重要なポストに配属され、趣味の両立が
難しくなった。理屈では割り切れない心の葛藤が生じ、やむなく仕事を選んだ。
現在、定年になってから十余年経った。専ら音楽の鑑賞に時を費やしている。
私は定年まで市バスの車庫で、時刻表を作ったり、バス賃の清算をしたり、バスの誘導
をしたり、そういう仕事をしていた。大型運転免許、つまりバスの運転免許を持っていな
いのに、変な話である。
だから、バスは無料なのでよく利用はするが、自動車全般が好きでない。何年も何年
も、大きな自動車を相手にするような仕事だったからである。技師や修理屋であれば興味
も持てただろう。免許も持っておらず、ただただ誘導するだけ、掃除するだけ、幸い、交
通網が発達している場所に済んでいることもあり、私は車には興味を持てなかった。勤め
始めたころ、会社が金を半分出してくれて、自動車免許を取るには取った。しかしずっと
ペーパードライバーである。自家用車を一度も持ったことがない。息子がよく不満を垂れ
た。
それと同じで、音楽を職業としなかったからこそ、今、音楽が楽しめるとも思う。もし
音楽を職業にしていたら、今、老後の趣味は一体何になっていただろうと考えることもあ
る。
家庭ではCDでステレオ鑑賞。テレビでは、特に衛星放送ではいつも世界各国の音楽に
接することが出来る。そうして時間がないときは、予約録画が出来、まさに至れり尽くせ
りの便利な時世になっている。
最近カラオケにも興味を持ち、文字通り下手の横好きで近所に迷惑のかからない程度に
こっそりと歌っている。
し ょ う じ
レパートリーは主にナツメロ。好きな歌手は伊藤久男、藤山一郎、東海林太郎、岡本敦
郎など、それに叙情歌。
こぶしの聞いた曲は駄目である。演歌は私は好かない。独特のこぶしは私に言わせれ
ば、声の曲芸に過ぎない。心には響かない。
平成十四年一月二十四日(木)
103
細かいところは何のことやら、尚子には読んでいてもさっぱりわからない。
五年ほど前か。カラオケセットを買い、近所迷惑にも、よく家で歌っていた父だった
が、すべて演歌だと尚子は思っていた。しかしそれらは演歌ではなかったらしい。
生まれついての音楽好きということは、尚子は見事に父親の血を引いていることにな
る。
仕事に忙しく、じっくり聴く時間もないのに、毎月CDに数万円を散財する。洋楽、そ
れも若い人間しか聞かないと思える激しいロックが多い。
G線上のアリア。
これは尚子も、昔から非常に好きな曲である。
数々ロックにもアレンジされている。1970年代のクラシックロックバージョンから
今の北欧人気ギタリストのメタルバージョンまで、十程度のバージョンを尚子は知ってい
る。
尚子はそれらをまとめてパソコンに取り込み、CDに焼いてみた。
1969年にデビューした、エクセプションというオランダのプログレッシブロックバ
ンドがいる。クラシックの名曲をプログレッシブロックにアレンジした、その曲数はおそ
らく世界一である。今では知る人ぞ知るというバンドである。そのデビューアルバムに収
録されているバージョンが、尚子は一番好きである。
実際バイオリンのソロ演奏からは程遠く、クラリネット、トランペットにピアノ、後年
のシンセサイザーを思わせるキーボードが入れ替わり立ち替わり、かの旋律をなぞる。尚
子はこれほど心が洗われる、美しくも躍動感のある演奏は知らない。
曲名通りG弦だけで演奏されるシンプルな演奏が一番、そう言う父がもし聞いたら、こ
の騒々しい音に顔をしかめるだろうか。
しかし最新のハリウッドアクション映画も大好きだった父である。目を輝かせて聴いて
くれたかもしれない。
父の想いをこうして読むだけで。
秘密は秘密として、置いておくべきではないか。
五十年、それ以上過去の事実を探るのは、やはり自分の手に余る。
104
あともう一日休んだら、有休は返上して仕事に戻ろうか。
元気で仕事を続けることが、一番父の遺志に沿うことである。そして今は小憎らしい
が、もっと母親にも付き合ってあげなければならない。
音楽を聴き、もの思いにふけっていただけの一日だったが、気がつけば真夜中の二時を
過ぎていた。
第十二章
しらすや社長
ケータイの着信音で目が覚めた。
「はい、もしもし東三階です」
「は? 何寝ぼけてらっしゃるんですか? 有馬ですわ。あーりーま。稲垣さん?」
「あ、はい、はい、おはようございます」
「だはは。もうお昼の十二時ですよ。おそようごさいます」
「あ、こんにちは」
「起きましたかー!」
喝を入れるかのようなやかましい声に、尚子は布団をまくり上げ飛び起きた。
「はい、はいはい、起きました」
「あのね、稲垣さん! 和歌山の伸司さんから、お礼の電話がありまして」
「そうですか」
「それがですね・・・んーと、私、勝手にも、初江さんによく世話になっていたタケオさ
んと、クローン人間について、何か心当たりはありませんかと訊いてみたんですわ。そし
たらまあ、武雄さんのことも正平さんのことも覚えてると、伸司さんおっしゃるじゃない
ですか」
「え!」
「お父さんのクローン人間は、ちゃんと実在したんです。伸司さんは、話を聞きに来るな
ら歓迎してくれるそうです。和歌山まで。遠いけど、休暇中ならどうってことないでし
ょ。どうです? どうします?」
105
好きなように言う有馬だったが、有馬がいなければ本当にあきらめてしまうところだっ
た。
尚子は思わず拳を握り締めた。一旦追究、調査をあきらめる気になったが、ついに二人
を知る人物が登場した。
和歌山まで行くしかない。
昨晩電話で連絡をしたところ、平日であるにかかわらず、いつでもいらっしゃいという
ことだったので、早速尚子は午前中に家を出て、和歌山市までやってきた。
駅まで迎えに行くべきだがその時間仕事を離れるわけにいかない、直接来てほしいとい
うことだった。駅から歩いて五分の「しらすや」という会社。通夜の際にもらった名刺に
は取締役とある。
詳しいことは電話では聞かなかったが、手入れされたちょび髭、ブランド物のスーツ、
まるっきり紳士であった蓬原伸司の姿を思い出し、尚子は緊張した。
しらすやは、本当に駅から五分の、商店街のど真ん中にあった。
ただし、平屋建ての大衆食堂だった。
昼時を過ぎた二時。
尚子はおそるおそる、店の引き戸を引いた。
「いらっしゃい。どうぞどうぞ。遠いところをようこそ」
白い割烹着に身を包んだ蓬原伸司がいた。言葉少なだった通夜、葬式の時とは雰囲気が
違う。
「昼、お食べになられましたか?」
「いいえ、あ、でも昼前に軽く食べました」
「じゃあちょっと待って。おすすめ食べてください」
伸司は軽い身のこなしで厨房に入り、早速料理を始めた。
「お葬式でお会いしましたかね。連れ合いは今パチンコに行ってます。お恥ずかしい限り
です」
何とも返事のしようがない。
どん、と前に置かれたのはカツ丼だった。
106
ソースカツ丼、なる奇怪な食べ物を職場の男連中が食べていたことがあったが、カツの
上にどろんと乗ったタルタルソース、見かけはソースカツ丼同様グロテスクである。尚子
は昔からこういう脂っこいものは好きではない。
「まあいいから食べてみなさい」
「ええ、はい、ありがとうございます」
おそるおそる、一口食べた尚子は、その旨さに感嘆した。
「新メニュー、女性にも安心、ヘルシービーフカツ丼でございます。ヘルシー、という死
語が郷愁を誘っております。加古川のカツめしにヒントを得ました。ソースは特製タルタ
ル。薄いピンク色はサーモンです。野菜ペーストのブレンドも絶妙です。見た目より薄味
ですが、だからこそ女性向けかと。牛肉もいい部分使ってて、太くはないですが、しっか
りした味でしょう」
「本当においしいです」
「遠いとこまで、よく来てくれましたね」
「いえいえ、快速で一時間かからなかったです」
「あなたに詫びなければならないことがあります。母の通夜、葬式のときは愛想がなく
て、申し訳ありませんでした。改めないといけないとは思うんやが、わたくし、介護やら
病院について、あんまりいい印象を持っておりませんで」
「そうなんですか」
伸司はかんかんになって話し出した。
「私ね、こんな年齢で盲腸炎になって、一昨年、入院したんですよ。すごく親切な看護婦
さんがいてね。私は感謝した。退院した明くる日、家に訪問してくれて。親切なだけじゃ
なくて、美人さんと来たもんです。病人に勇気と感動を与える、看護婦さんの鏡です。ウ
チにまで来てくれて、私は感動した。そいで、うちの病院でやってる訪問介護サービスな
んですけど、どうですかときたもんですわ」
「あらら・・・」
「なめとんのか、と。私はまだ介護受ける年齢まで二年ほどあるわいと言うと、病気が原
因なら特例があるとか、何とか言いやがって。介護老人扱い、しよったんです、私を。営
業活動しくさるくせに、私がしらすや社長であることなど知りもしない。それ以前に、知
り合いが病院の院長などをやってるのですが、患者、利用者というのは経営者側では患
客、そういうふうに捉えられているのかと」
107
「はあ。なんと申しましていいのですか、私の病院はそんな露骨なことしてませんし、や
れと言われても、私ならやりません」
「いやいや、あなたに怒ってるんじゃない。私の個人的体験からあなたたちに対して、偏
見の目を持ってたことを謝りたいんです。あなたは母に本当に親切にしてくださった。ケ
アマネの有馬さんや、あなたの病院の若い看護師さんからも訊きました。改めてお礼に伺
いたいと思っていたところなのです」
「看護婦としても、医局の人間がその患客やとか、お客さんなどと飲み会で言うてるのを
聞いたら、良い気分がしません」
「看護婦、とおっしゃいました?」
「はい。それが?」
「看護師って言わないんですか」
「看護師でも看護婦でもどっちでもいいんです。といいますか、私はちょっと変わった考
え、してまして、今風とちゃうというか。看護婦さーん、って呼ばれたら、女しかできな
い仕事、私しかできない仕事をしてるんや、みたいな気持ちになるみたいな、そんな感じ
です。看護婦でも看護師でも、患者さんが思うようにおっしゃっていただければ」
「あなたは頭の柔らかい人ですな。返す返す、以前の非礼をお詫びします」
伸司は頭を下げた。その拍子に和帽子が落ちた。尚子は笑った。
「あの、お葬式の際はすごく立派な方だなと思ってまして、社長さんかと思ってました」
「何をおっしゃいますか、社長ですわ。一応。大衆食堂しらすやの社長です」
「失礼いたしました。奥さんと、二人でやってらっしゃるんですか」
「平日昼間はアルバイトの人も来てくれますけどね」
尚子は店を見渡した。
昭和風の雰囲気でありながら、店主の丁寧でかっちりした性格を反映してか、細かい部
分まで手入れが行き届いている。
瓢箪型の七味入れや木目の綺麗な箸箱など、調度品の数々は見た目に量産品ではなく、
ハンドメイドの高価なものであると思える。テーブルがやや広めであるが、料理があって
こそ映えるレイアウトである。
「それはそうと、看護師さんが患者の葬式に来てくれるだなんて大丈夫だったのですか」
「大丈夫って?」
108
カツ丼をほおばる尚子のほうがすでにタメ口になっているが、尚子はまったく気付いて
いない。
「いや、看護師さんが葬式に来てくれるなど、私は聞いたことなかったもので」
「特定の患者に対する特別扱いがどうのこうのと、しょうむないこと言う人は今でもいて
ますよ。でも昔ではないですから。
それよりも蓬原さん、私がお通夜、お葬式に出させていただいたのは、初江さんとお話
させていただいた縁です。蓬原さん、これをまず読んでいただきたいんです」
尚子は父の手記の、蓬原家に関する部分を抜粋したものを伸司に渡した。
「父が完成を見ずして遺していった、自分史の一部なんです」
「ほう」
伸司は熱心に読み始めた。
お客さんだ、違う、個人的なお客さんだ、パチンコやめて帰って来るように、という旨
を伸司はケータイに向かって怒鳴った。
荒っぽい、別人のような地元語だったので、尚子は驚いた。
「確かに、ここに出てくる蓬原さんの小母さんというのは、私の母親のことです」
厨房ではパチンコから呼び戻された伸司の妻がふてくされた様子で動いている。
「覚えてます。私は六歳くらいだったかな。あの頃、本当に家はにぎやかでした。よく覚
えています」伸司は遠くを見ている。
「それで、この写真なんですが」
「はいはい、母が持ってた写真やね」
「初江さん、きれいな人だったんですね。だんなさん、伸司さんのお父さんもドラマに出
てくる学校の先生みたいです」
「戦災孤児、というのかな。あのへんは寺町で、空襲からも逃れ、焼け野原という様子で
はなかったが、特に大阪大空襲のときは、数分歩けば地獄でしたね。私の家には、家がな
くなった子、家に居場所がない子がいっぱい集まっておりまして、今で言う学童保育みた
いなものでしょうかね。私は楽しかったな。夜、寝るときも友達がそのへんに寝てるんで
すから。あ?」
写真をじっくり見る伸司も、やはりその部分に気がついたようである。
109
「懐かしい。いやほんと、懐かしい。これですね、有馬さんがクローン人間だとかおっし
ゃってたのは」父と、ぼっさんを伸司は眺めている。
「本当に懐かしい。やっぱり生き写しですね」
「それが、私の父なんです」
伸司は驚いた。「ほお! あなた、そう、稲垣さんだ、はいはい、あれ、お名前伺った
ときになんで気付かなかったんだ。アッホですな、私」
「父と同じ顔をしている少年は一体、誰なんですか? というか、どっちが父だかわから
ないんです」
もう一度伸司は写真を眺めた。
「片っぽは武雄さんで、片っぽはぼっさん、正平さんです」
「父の、弟ですよね」
「双子の、弟になりますね、武雄さんの。それで武雄さん、元気にしてるんですか。あ。
いや、父が遺した、とさっきおっしゃいましたね。ということは」
「父は、二か月前に」
「そうですか・・・」
「その、ぼっさんのことなんですけど。この、父の手記にも何度も出てきます。お名前は
蓬原、正平さんですか?」
「はい。そうです。が、ちょっと複雑でしてね。蓬原の家が絡んでくる話です。当時、蓬
原家は二つありまして」
尚子の頭が混乱し始めたと同時に、店に客が三人入ってきた。
ちょっとあんた、と妻が声をかけたが、伸司はやかましいー!と返事し、厨房に戻る気
配はまったくない。
「あなた、お父さんのこと調べてるんですね。母とは? ずいぶん前から母のことは知っ
てらっしゃったんですか?」腕を組み、感慨深そうに伸司が訊いた。
「それが、初江さんが亡くなられる十日ほど前に、初めて会いました。初江さんが私が勤
める病院に、患者として入院なさったのです。先に私はこの、父の手記を読みました。そ
して偶然、初江さんが入院していらして」
「それは偶然じゃないね。母が、いや、母と武雄さんが呼んだんだよ」
「父は自分史を自費で出版したかったと思うんです。私たち家族の至らなさですが、それ
が叶わず、父は死にました。父が旧式のワープロに向かい、自分史を書いているのは知っ
110
ていましたが、私はまったく興味を持ちませんでした。老人の頭の体操としてはいいこと
やってるな、程度で。今になって、フロッピーディスクから、文章の断片を元に、父のこ
とを私もっと知りたいと思いまして」
「健気ですなあ」
「とんでもないです。生きてるうちになんで訊かんかったぁ、と父に叱られます」
「知ってることは何でも教えますよ。で、何でした?」
「ぼっさん、正平さんです。正平さんは蓬原家に、養子か何かに? でも私は、正平さん
の存在すら知りませんでした。父には妹がひとりしかいません」
伸司は再び写真を眺めた。
「武雄さんの妹さんはずっと和歌山に疎開してたんだ、確か。あ、ほら、ここ、姉妹がお
るやろ? この子らが武雄さんにとっても、妹みたいなもんでね、長いこと会ってないけ
ど、今も面影あるのかな」
伸司は、父たちの前に立つ二人の女の子を指で示した。珍しいカメラを前に緊張してい
るのか、あるいは普段からそういう表情なのか。二人とも、寂しそうで悲しそうな顔をし
ている。
「両親を戦災で亡くして、私の母が親代わりに育ててた子らです。武雄さんにもぼっさん
にも、よくなついてたなあ」
「みんな、仲が良かったんですね」
「そうですね。しんどい時代でしたが、私の母の家は子供にとっては楽しい家でした。
確かに武雄さんと正平は双子でしたけど、正平のほうは養子に出されたんです。
蓬原家に話を戻すけど、戦時中は、蓬原家は二つあってね。こないだ死んだ私の母親の
初江と、親父の昌夫。親父は学校の先生をやっていました。それで息子が、私入れて三
人、母以外全員男の五人家族。
もうひとつの蓬原家は、親父の兄貴の家です。そっちの蓬原家は、石油の会社をやって
まして、ウチ以上の、かなりの資産家でした。ケチな家でね。先生やってた私の親父とは
随分と違って、伯父は何かと荒い人間でした。正平は、そこに養子にもらわれたんです。
赤ん坊ができなくてね」
「だったらなぜ、父はそのことを隠したんでしょう」
「さあ。私も、あくまで聞いた話ですが。当時私はまだちっちゃかったですから。聞いた
限り、覚えてる限りで話しますが。
111
正平が、石油の会社やってる蓬原家に養子へ行ったのはこの写真よりもずっと前です。
その蓬原家は、正平と、生まれたばかりの赤ん坊を残し、全員、大阪大空襲で焼け死にま
した」
「家の人が全部、亡くなられたんですか?」
「はい」
「正平さんはその後・・・」
「その後、石油の会社は、近藤という家が引き継いだんです。空襲で死んだ夫婦、嫁の方
の弟です、近藤ってのは。知りませんか? あ。稲垣さん、ちょっと場所移そう。さっき
から、アレがこっちの話、聞いとるんです」伸司は目線を後方に向け、厨房内で忙しく動
く妻を示した。
「夕方、お店忙しくなるんじゃないですか。私また、日曜日にでも出直して来ます」
「大丈夫大丈夫」伸司は立ち上がった。
また厨房の妻とやり合うのかと尚子はひやひやしたが、尚子に対しては妻は優しい笑顔
を向けた。
「おねえちゃん、酒は飲まさんとってね! おっさん飲んだら家に帰ってしまいよるか
ら!」
「はい、わかりました。ご商売のお邪魔になって申し訳ありません」尚子は頭を下げた。
「尚子さん、近藤誠一郎って知ってますよね」
セルフサービスのコーヒーショップ。
伸司は長靴を脱ぎ、靴下姿のままリラックスし切っている。ダンディーに見えたあの日
とのギャップが面白いと改めて尚子は思った。
「はい、庶民派として有名な、あの人でしょ」
テレビにもよく出ている、大阪出身の国会議員である。
「あの近藤の生家が、近藤石油店なんです」
「え? どういうことです?」尚子はコーヒーを吹き出しかけた。
「近藤家は、蓬原石油店から、会社、財産すべてそのまま引き継ぎました。そこの社長が
こうじん
またやり手でね、今では誰でも知ってる、あの光神石油です」
尚子はむせた。「わぁ。すごい話になってきましたね」
112
「近藤議員は、生まれた頃は蓬原の姓を持っていました。光神石油創始者、蓬原の息子。
つまり・・・」
「戦災で家族が死んだ、蓬原石油店の生き残った赤ん坊?」
「察しが早い。そういうことです」
「じゃあ、正平さんはどうなったんですか?」
「そこからがわからないんです。正平さんは蓬原石油店に養子にもらわれた後、そこでひ
どい仕打ちを受けたと聞いています。私にとっては伯父夫婦にあたる、その家族が全部戦
災で死に、一人難を逃れた正平なんですが、生き残ったことは確かなんですけど、その後
がわからない。
もちろん近藤家に引き取られたとは思うんですがね。養子とはいえ蓬原家の長男でした
から。
尚子さん、私、この写真、どっちが武雄さんで、どっちが正平君か、はっきりわかりま
すよ。尚子さんはわかる?」
何度となく見た写真を尚子は再びじっくり見た。
違いがわかったような気がした。
尚子の表情が変わったのを伸司が読んだ。
「この写真が撮られた時期は、おそらく正平君は、連中の実の息子である赤ん坊の弟とは
違って、石油屋の蓬原家で苛め抜かれていたような時期だったのかもしれません。私の家
に来るのが一番の楽しみだったんでしょうね。これ、どことなく悲しい目をしているほう
が、正平くんですよ」
右側の「父」が暗い表情に見えるのは、どうやら光線の加減ではないらしい。
「そもそも、正平さんは養子に迎えられながら、なんで苛められてたんですか?」
「母なら詳しい事情、知ってたと思うんだけどなあ。私の知ってる限りでは、正平は十歳
くらいだったかな、最初はそれは、大事にされてた。子供ができなかったんだな。石油屋
には。だから石油屋を継ぐ息子として、大事にされてた。と思う。
それが、子供が生まれた。養子にしたことが無駄に思ったんじゃないかな。赤ん坊を溺
愛して、養子にもらった正平には手を返したように、つらい態度で当たり続けた」
「ひどい話・・・と言いたいところですが、どうして養子を解消しなかったんでしょう」
「体裁でしょうな。世間体。どこの家でもプライバシーなんてない時代だったから。跡継
113
ぎが欲しいて養子迎えて、赤ん坊生まれて、養子解消だなんて、そりゃ近所には格好悪い
話でしょう」
「その後、父と正平さんの間に何があったんでしょう?」
「それは私にはわかりません。母にも聞いてない。わかってるのは、正平君はこの写真、
まだ二人とも十四、五歳といったとこかな。十八歳になる前にはもう、正平君の消息が不
明になったと思うんだよな。
それで、写真のここに写ってる、私の兄貴。長男。これは、死にましてね。病気で」
「はい、初江さんから伺いました。腸のご病気だったと」
「そう。それに、写真のここ。コイツも兄貴なんだけど、オート三輪に轢き逃げされて、
死にました。三人兄弟は私だけになったんです。端に小さく半分だけ、心霊写真みたいに
写ってるこのチビ。やっと歩き出した頃かなあ。これが私です」
「へぇー」
「あの、伶人町の家には父と母が二人で暮らしてた。十五年ほど前、父が死んで、以降は
母は独り暮らし。私がね、こうして、嫁の実家に金出してもらって店を出して。
それでね、こっちに越してくるように何度も言って来たんだよ、母には。よくある話で
すけど、母はこの家を出る気がないって、ずっとそう言い張ってた。そうそう、武雄さん
と正平さんの話だったね」
伸司は眉間に手を当てて考え込んだ。
「はっきりとは覚えてないので、申し訳ないんだけど、私、昔、武雄さんに何回か、正平
さん、ぼっさんのことを尋ねたことがあります。あるときからぼっさんを全然見なくなっ
たもんだからね。
俺も探してるけど全然行方が知れん、とか、武雄さんはそんな返事をしたなあ、確か」
「父は、怜人町の初江さんの家には、訪問していたのでしょうか。その、最近というか、
初江さんがおばあさんになってからも」
「母に電話したとき、よく武雄さんの話をしてたよ。よく、来てくれてたと思いますよ。
でも、そうやな、昔話もよくしてたけど、武雄さんの家の話やとか、武雄さんの子供た
ち、つまりあなたの話とか、そういうのは聞いたことないかな」
「私がそういうこと、知らなかったのは申し訳ないというか。でも、私の母です。母がま
ったく知らないなんて言うのが、不思議なんです。初江さんのこと、すっごいムキになっ
て、そんな人知らないとか言ったんです。あれは嘘ついてます。なぜ嘘つくの
114
か・・・」」
「待って。それはない」
「ホントですよ」
「ないない。え、ひょっとして尚子さんあなた、知らないんですか? へ?」
「何がです?」
「お母さんだよ。あんたの」
「母がどうかしました?」
伸司はテーブルの上に置かれた写真を指差した。尚子は何のことだか、さっぱりわから
なかった。
「尚子さん、この姉妹、よく見てください。特に小さい、妹のほう」
小学校二年生三年生程度だろうか、妹と思しき女の子はじっとカメラを見ている。尚子
と数十年の時間を超えて、視線が交差した。
「うそ。え。似てる・・・」
「似てて当たり前。それが響子ちゃん、あんたのお母さんだよ」
「・・・お父さんとお母さんは遅い見合い結婚したって。お父さんが四十くらいのとき。
そう聞いてます。お母さんは高槻の会社で事務員してて」
「何だ高槻って。武雄さんと響子ちゃんは幼なじみだよ。写真は嘘つかない」
「嘘ついてるのはお母さんや・・・」
「そういうことになるな」
尚子は写真を手に取り、幸の薄そうな幼い姉妹を再びじっくりと眺めた。
みどり
写真の少女は間違いなく母である。隣の姉も、数年前病気で死んだ母の姉、 碧 だっ
た。そっちは母よりも濃い面影があった。
「母はどうして、何も話してくれないんでしょう」
「・・・なんでやろうな」
「母は、初江さんのことを知らないと言いました。かなり頑なな言い方でした」
「不可解だ。あれほど母に世話になっておきながら」
「すみません」
「あなたが謝ってどうする」
「頭、こんがらがってきました」
「何か事情があるんじゃないかな。大変な事情が」
115
「伸司さん、何かご存じないです?」
「知ってたら話すよ。娘であるあなたにも、話したくない事情がきっとあるんじゃないか
な。ただし響子さんにとっては、うちの母は本当の母親と言ってもいい存在だった」
「必ず、母から聞いてみます。この写真に写っている母のお姉さん、碧さん、母の姉で
す」
「癌になられて。葬儀に行ったよ」
「優しい叔母でした」
「じゃあそのとき、俺とあなたは会ってるわけだ」
「覚えておられます?」
「うっすらと覚えてるよ。武雄さんが紹介してくれたな、確か。なんてーのか、今よりも
っと丸々してたね。あ、ごめん」
「はい、あの頃は丸々してました」
「この写真の時期からずっと、父と母は同じ家で暮らしてたんですか」
「そこははっきりしない。戦後も、離れに姉妹はずっと暮らしてた。それは覚えてるな。
他にも三人ほど、母が戦災孤児を引き取って育ててた。私は東京のほうの学校へ行くこと
になって、そのまま東京で仕事を得て、ある日帰ってみれば母と親父しかいなかった、の
かな、そんな記憶しかない。
んーと。ああ、そうだ。武雄さんと響子さんが結婚したと聞いて祝いを持って行った覚
たいしゃ
えがあるんだが、どこだったかな、大阪の住吉だ、そうそう、住吉大社の近く」
「今も母が住んでます! その家で私も育ちました」
「ほう。そうか。そのな、私がはっきり覚えてることがありましてね」
「伸司さん、敬語とタメ口、混ぜないでも構いません。偉そうに語ってください」
「そうか。あのな、結婚祝い持って行ったとき、私は武雄さんと十何年かぶり、久しぶり
に会ったんだ。さっき言うたように、私は東京で仕事してたから、会う機会がなかったん
だよ。それでな」
「はい」
「悲しい気分になったんだ。それを覚えてる」
「どうしてですか?」
「武雄さんと会ったのにな、正平さんと会っている気がしたんだ。二人とも、小さい頃か
ら歳の離れたアニキみたいに慕っていたのに、俺は、たった十年程度会わなかっただけ
116
で、武雄さんと正平さんの区別がつかなくなってたんだよ。地元、離れたら人間、そうな
っちまうのかなって」
「正平さんとも会ったんですか? そのとき」
「いや、もう正平は完全に行方不明だった。二人揃ってたら、そりゃあアニキだったんだ
から区別できたと思う」
「よくある話、じゃないですか。偉そうに生意気なこと言うてすみません。でも悲しいな
んて、思わなくてもよかったと思います」
「武雄さんの娘さんからそう言われれば、まあ、そういうことなのかな」
「そもそも、初江さんのことです。そんなに世話になった人なのに、母はどうして」
「普通なら隠すはずがない。隠す必要がない。だから。隠す大きな理由があるんだろう」
「母を問い詰めてみます」
「尚子ちゃん。それはやめておきなさい。お母さんもいいお歳でいらっしゃる。今、言い
たくないということは、墓場にまで秘密とやらを持っていくつもりなんだろう」
「でも、母に訊けば正平さんのこともわかるかもしれません」
「もしもの話だが。お母さんが傷ついて、生きていけないと思うような罪を感じてもか
い?」
「母の、罪でしょうか。それともやっぱり父の罪でしょうか」
「俺にはわからんよ。尚子ちゃん。兄弟いたっけ?」
「はい、頼りない弟がいます」
「あんたら姉弟がものすごく傷ついてしまう真実が隠れているのかもしれない。こんな言
い方するのも失礼だけど、許してね」
「なんでしょう」
「あんたは、おそらく弟さんも、普通の家庭の普通の子供として育ってきた。育ててもら
った。お父さん、お母さんがあんたらに借りがあるような、そんな育て方はしなかったは
ずだ。あなたと話してたらそれがわかる」
「はい・・・自分で言うのもなんですが、立派に育ててもらいました。看護学校も行かせ
てもらって、弟などお金のかかる私立大学まで行かせてもらって、留年までして」
「普通に立派なお父さんで、普通に素晴らしいお母さんだ。どんな出来事が隠れているに
しても、あんたらに大事なことは、大事に育ててもらったことじゃないかな。何かをお母
117
さんが隠しているとあんたは言うけど、隠して当然のことをお母さんは隠しているだけ。
暴くべきじゃ、ないかもしれない」
「やっぱり、そうでしょうか。父の浮気のことなんかが書かれてて、それを母が嫌がって
るのかな、なんて最初は思いましたが」
「浮気だったら許すよ、そんなもん。けっつの青い今の時代の夫婦などとはわけが違う。
仮にも大阪ど真ん中の一般世帯だ。若い頃のおやじの浮気など、歳食ってたら、なおさら
どうでもよくなって当然だよ。でも」
「でも?」
「あくまで推定、仮定だよ。お父さんじゃなくて、お母さんの不貞、それに近いことだっ
たらどうする。お母さんはいくつになっても隠したいと思う。恥ずかしいとか、そんなこ
と以前に」
「それを父が、書いたってことですか・・・」
「いや、それはないよな」
「はい、それはないと思います。母の過去はわかりません。でも、お父さんがお母さんの
過去の過ちというのですか、それを今さら自分史に書くなんてことは、絶対にありませ
ん。父にとってもかなり、恥ずかしいことじゃないですか」
「そうだよな。自分史、とやらに合わなさすぎる。つまらないことを言った。申し訳な
い。
とにかく、だ。それは、夫婦の秘密、ということになるんじゃないか。戦時中の苦労話
なら、喜んで語る世代だ。なのに、尚子ちゃんの母さん、父さんは秘密を抱えている。そ
れは余程の秘密なんだろう。尚子ちゃんがあれこれ知りたいという気持ちは分かるけど、
それはお父さん、お母さんにとって喜ばしいこと? 違うよね」
「・・・はい。その通りだと思います。父は、懺悔をしていたのでしょうか。それとも、
告白だったのでしょうか。懺悔ではなく告白だとしたら、それを埋もれさせるのは、父の
本意ではないと思うんですけど」
「だよな」
「はい?」
伸司は顔を上げ、まっすぐに尚子を見た。なぜかその目が笑っている。
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「ここまでは、年齢相応の人間として正しいことを言わせていただきました。ここから
だ。私が本当に思うことは。あんた、いいこと言うよ」
「はい?」
「あの年代が、懺悔などするもんかい。私だって覚えがないと言えば嘘になるが、浮気は
浮気で、本気じゃない。俺ら以上の世代ではな。いや黙って聞いてくれ。お父さんはきっ
と、そんなつまらないことを懺悔してるんじゃない。ましてやお母さんの恥になるような
ことを、絶対に書くはずがない。武雄さんはそういうことを懺悔する世代ではない。断言
してもいい。
お父さんの自分史、ほら、この目次。お父さんは、しっかりと秘密を告白してるんだ
よ。お母さんに気を配って、脚色あり、あるいは全然別の物語にすり替えらえられている
かもしれないけどな。読みたいなあ、俺は。
秘密というのは、武雄のことでも響子ちゃんのことでもなく、やっぱりぼっさん、正平
のことじゃないか。俺は、近藤家。近藤家が何か悪いこと、しやがったという気がしてな
らない。なあ尚子ちゃん、正平さん、生きてると思う?」
「はい。そうなんです。なぜかわからないけど、絶対生きてるって気がするんです」
「俺も正平、ぼっさんがまだどこかで生きているという気がする。ということは、俺の母
さんも関わってくるかもしれないよな。
不幸な事実とやらにたどり着いたとしたら、そのときは調査をやめて、知らんかったこ
とにすればええねん。止まるな、尚子ちゃん。なんか熱くなってきたな。俺は結局、そう
言いたいんだ」
「・・・私の母が傷つくのなら、もちろん、暴いて、責め立てるようなことはしません。
誰にも知らせず、私だけにとどめておきます」
「あかん。俺には教えてくれ、俺も誰にも言ったりしないから」
「わかりました。伸司さんにはお教えします。とりあえず今、母は放っておくほうがいい
でしょうか」
「放っておいたらいいんじゃないの。何、笑ってんの?」
「はいっ」
「なんか、おもろいことでも俺言ったか?」
尚子はしばらく笑いをこらえていた。なぜこういうときに笑うかと自分でも思うが、標
準語と大阪弁が交互に飛び出す伸司の口調が面白いのである。
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「あの、伸司さんは標準語と大阪弁、かなり混じってますね。すごく面白くって」
「東京、長かったからな。今でもビジネスでは標準語だ。なっはっは。そんなことはどう
でもええ。
正平。正平は養子になって、金持ちの家だったから、幸せなことだったんだろう。しか
し居心地が悪かった。習い事からすぐに逃げてきて、私の家にしょっちゅう遊びに来てい
た。
この写真は、あの時期、にぎやかなあの家そのままの、いい写真かもしれない。
武雄、尚子ちゃんのお父さんは正平が酷い目に遭うたびに難波まで怒鳴り込みに行っ
て、同じように叩かれて、帰ってきたりとか。そういうこともあった。
今思ったんだけど、戦災で蓬原石油が一度なくなって、正平は近藤家に、改めて養子と
して、ちゃんと正式に迎えられたんやろか。いや、私はてっきりそうなったと思ったんだ
が、今考えてみると、変な話とちゃうか。近藤家に迎えられてたなら、死にでもせん限
り、消息不明なんてありえん。悪い想像やが、正平は近藤家から放り出されたんとちゃう
か。
けど、そうだったとしても、武雄さんがぼっさん、正平の存在を娘のあんたに隠してい
たという理由にはならないしなあ」
「今思ったんですけど、ぼっさん、正平さんは、現在光神石油の重役として、経営に携わ
っている。そういうこともひょっとしたらあり得るんじゃないでしょうか」
伸司はぽかんとした顔をした。
「尚子ちゃん、凄いなあ。逆転の発想だ、それ。そうだよ。行方不明の老人なんかじゃな
い。ぼっさんこと蓬原正平は、ひょっとしたら光神石油の重役なんだよ。スケールのでか
い話になるなあ。光神石油のことについて、いっちょ調べてやるか」
「わかりませんよ、あくまで想像じゃないですか。ちょっと今、調べてみます」
尚子はケータイで光神石油関連のページを探した。
「・・・全然出てきません、正平っていう名前」
「そうなんか。うーん。今、じっと考えてみたけど、やっぱりキーパーソンは響子さん、
あんたのお母さんかな。言ってしまうけど、私が一番ショックを受けたことでもある。
俺の母親の葬式に、来てない。実際、来ないはずがない。どういうことか。ほんと、知
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ってはならない秘密、とか隠れてるんじゃないやろか。わからん」伸司は昭和の映画の探
偵役がよくやっていたように頭をグシャグシャと掻いた。
「いろいろ教えてくださって、本当に感謝しています。
私の父には双子の兄弟がいて、正平さんは、戦争中に蓬原石油に養子に迎えられた。そ
の蓬原石油は、戦災で焼け、正平さんと、赤ちゃんが生き残った。蓬原石油は親族の近藤
さんの力で再建され、近藤石油、そして光神石油となった。そして生き残った幼い弟が会
社を継いだ。それが近藤誠一郎。その過程で、養子ではあれ蓬原家の長男であるはずの正
平さんは、どこかへ姿を消した」
「若い人はまとめるのが上手い」
「若くないですって。伸司さん、ここまで教えてくださって、感謝してます。ありがとう
ございます。私、全部わかるまで、どこまでできるかわかりませんが、調べてみたいと思
います。今になって、父となぜもっと話さなかったのか、一緒に時間を過ごさなかったの
か。後悔です」
「それは違うよ、尚子ちゃん。今でこそ介護なんて商売があるから、とことんまで親に息
子、娘が付き添ったりできるけどな。昔はね、親との別れなんか、たいがい、いつも突然
だった。突然じゃなくても、ええ歳した親が病気になれば、まず間もなく死んだもんだ。
あなたは、看護婦さんの仕事が忙しいんでしょ。だったら、親にしては、言うことなん
かない。武雄さんが死んでから、尚子ちゃんに対してやね、何でもっと親孝行してくれへ
んかった~、なんか言ってたら」伸司は幽霊の真似をして、両手をだらんと垂らした。
「そんなもん親失格だ。今尚子ちゃんがやってることが、武雄さん、お父さんに対する最
高の親孝行だと思いたい。悲しい事実が、隠れていたとしても」
「そうおっしゃってくだされば・・・」
尚子は胸が一杯になって、何も言えなくなった。
そんな空気を気まずく思ったのか、伸司は急いで付け足した。
「それでや、正平さんのことを近藤の家に訊きに行っても、ちゃんと答えてくれるかどう
かわからん。私がついて行ってもいいけど。
それでや。正平のことを知るには、それよりも、ひょっとしたら効果的、いや効率的
か、シンプルで、ストレートな方法があるかもしれんのだよ」
「と、いいますと?」
121
第十三章
除籍謄本の壁
翌日、尚子は実家に帰った。
テーブルの上に父の自分史のコピーを広げ、母と弟の英司に、これまで調べてきたこ
と、これからの予測を演説した。
特に母に対しては、宣戦布告ではないが、はっきりと自分の決意を示した。
ただ、先日蓬原伸司に言われたように、母に対して直接疑問をぶつけることはしなかっ
た。
母が自分から話してくれるのを待つしかない。
母は絶対に何かを隠している。どんな話でも食いついてくる母が、この話については無
反応である。
絵美里はさすがにバツが悪いのか、二階に引きこもっていた。
いつまでも仲間外れにするのも大人げないと思い、尚子はさりげなく絵美里を呼んだ。
コーヒーを入れてくれるよう頼んだ。
尚子の話に、英司だけが目を輝かせた。
謎の人物ぼっさん。
父の双子の兄弟。
天下の光神石油。
有名人議員、近藤誠一郎まで絡んできた。
近藤議員を詰めたらどうや、金要求しろ、と馬鹿なことを英司が言った。本当に馬鹿で
ある。これからの調査でもこの弟は一切助けにはならんと尚子は肩を落とした。
母は完全に口を閉じてしまった。
「おかん、なんで不機嫌なん?」
英司が間抜けな口調で尋ねた。
尚子が母に対し強硬な態度に出られたのも、ここに英司がいるからである。母にしてみ
れば、前回のように怒ったりすれば、間違いなく英司が興味が持ってしまう。
「あら、おかん無視しよった。耳、遠なったんか?」
返事の代わりにクッションが飛んできた。
「お母さんは昔のこと一切振り返らないタイプ。まあ、私はどこか施設で寂しく暮らして
122
るかもしれない、お父さんの兄弟について調べたい。ほんとに寂しく遠いところで暮らし
てるんやったら、こっちに呼んであげたい。
はいはいお母さん、お金かかりませんよ。私の仕事関係で、いい施設探してあげる。そ
れだけ。英司、あんたは何もせんでええからね。あ! それよりも。私の名前、三千円!
読んだ、英司?」
「読んだ読んだ。笑ろたなあれ。なあおかん、俺の名前も神社の神主さんが付けたん
か?」
母は向かいの田中さんところに用事があると独り言を言って、裏の勝手口から出て行っ
てしまった。
「・・・実はな、調べるの全部、やめなさい、ってお母さんにすっごい怒られた。おとと
い」
「なんかおねえに反対してるのは、今の態度見てたらめっちゃわかる」
「私はね、ぼっさん、正平さん、二重苦を背負ってるお父さんの弟について調べたいん
よ。その人が生きてたら、助けてくれ、ってお父さんは私らに頼みたかったんやと思う。
その人の消息がわかったら、オッケー。普通に暮らしてはるんやったら、挨拶できるよう
なら挨拶くらいはして、お金持ちの嫌な人やったら知らん顔して、そいで、施設に入って
はるんやったら、そんなん、放っとくわけにはいかんやろ。
お母さんはきっと、お金のことばっかり心配してるんやと思う。悲しいけど、それもま
たあの年代の性質。情よりお金」
「俺らが面倒、見なあかんのか?」
「あんたもか。情けない。誰もあんたなんかに頼まん。全部私がどうにかする」
有休が明日で終わる。
しかしまだ仕事に復帰する気はない。
その旨は病院に連絡し、仲間たちの了承も取った。一週間分の休職届けは、明日出しに
行くつもりである。
まだもう少し父のことを調べてみたい。
一日一日が異様に短い。仕事に戻ればおそらく、両立は無理である。フットワークの軽
い今の間にやりたいことを全部やっておきたかった。
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三日後、蓬原伸司と尚子は、大阪、中央区役所にいた。伸司がわざわざ和歌山から出て
きてくれた。
その伸司は初江の通夜の時と同様、紳士姿である。改めて堂々としたものだった。介護
保険サービス対象年齢になった人間には見えない。
伸司は、戸籍係窓口に問い合わせるなどということはしなかった。昨日のうちに知り合
いの弁護士から、委任状のようなものを書いてもらっていた。
それを窓口に提示し、二人は区役所の面談室に通された。
「相続関連のご相談ですかね」
年齢は若いが、落ち着いた雰囲気の係員が応対した。
「はい。天王寺区役所に最初問い合わせたら、こちらの中央区役所のほうが話が早いと言
われまして」
「はい、うかがっております」
「本来なら弁護士が来るべきなんですけど、私の強い要望で私が来ました。委任状はここ
にあります」
「蓬原さん、私どもは何を提示すればよいのでしょう?」
「かなり古い話になるんですけど、光神石油はご存じですよね」
「あの光神石油ですよね」
「はい、あの光神石油です。私の伯父夫婦が、光神石油の前身になる蓬原石油店を、戦争
前から経営しておりました。大阪大空襲の際、伯父夫婦は二人とも死にました」
係員は神妙な顔をして聞いている。
「十三歳くらいの息子と、赤ん坊を残して夫婦共に死んだのです。
それから近藤という、私の伯母の、弟夫婦が蓬原石油を再建します。会社の名前は近藤
石油、と変わりました。
近藤夫婦は、蓬原の生き残った子供を育て、跡を継がせます。近藤石油はやがて光神石
油と名前を変え、今に至ります」
「ということは、入閣も噂されている近藤議員、あの近藤議員の話ですか?」係員は姿勢
を正した。
124
「はい、生き残った赤ん坊こそあの近藤議員です。でも、私たちが知りたいのは近藤議員
のことではありません。近藤議員は、かつて近藤家に引き取られた、蓬原家からの養子、
当時の赤ん坊であり、そのことは近藤議員は隠してはおりません。知る人なら知っている
話です」
「そんな話、私もトーク番組か何かで聞いたことがあります」
「私たちが知りたいのは、戦災以前に蓬原家に養子として迎えられていた戦災時の少年、
近藤議員の兄、蓬原正平、旧名、稲垣正平についてのことなんです。
近藤家は誠一郎、つまり甥っ子に当たる赤ん坊を養子に迎えた。そしてもう一人、戸籍
上は蓬原誠一郎の兄に当たる蓬原正平。彼の行方を私たちは捜しております」
「その、正平さんは、近藤家には迎えられなかったんですか?」
「迎えられていたなら二度目の養子になりますが、消息はまったくわかりません。近藤議
員は兄の存在など、一言も話しておりません。
私はね、蓬原正平は、不当な、不穏な方法で、近藤家から放り出されたと、そういう疑
いを持っておるわけです。それを調べることも含めて、私どもは正平の行方を探しておる
のです。それから、ここにおられるお嬢さん」
伸司は尚子を係員に紹介した。
「稲垣尚子さんと言います」
「どうも」
「この人の、先日亡くなられたお父さんなんですけど、その方が稲垣武雄といいまして。
武雄さんには双子の兄弟がいました。その双子の兄弟というのが、蓬原に養子に行く前
の、正平なのです。稲垣さんのお父さんは、どういうわけか、亡くなられるまで、双子の
兄弟の存在を一切、尚子さんはじめ家族には伝えていませんでした」
「ちょ、ちょっと待ってください。まとめさせてください」係員は書きなぐったメモを忙
しそうに目で追った。そしていくつか細かい質問をした。
「えーと。蓬原、正平さん。中心人物でいいですよね。
正平さんは、稲垣武雄さん、ここにおられる尚子さんのお父さんの、双子の兄弟であら
れた。
正平さんは蓬原石油に養子に出され、蓬原正平になられた。その蓬原石油が戦災で無く
なった。
125
生き残ったのは、正平さんと、赤ん坊。蓬原石油は、えーと、血縁である近藤さんが再
建した。その近藤さん夫婦は、甥っ子である蓬原石油の赤ん坊、今の近藤誠一郎議員を養
子に迎えた。
しかし、蓬原石油に過去養子に迎えられていた正平さんは、姿を消した。再び養子に迎
えられたのかどうかは、わからない。
そういう、ことですか?」
「養子に迎えられたのか迎えられなかったのか、その確信はないんです。しかしですな、
仮にもし、正平さんが近藤家に養子として迎えられていたとしたら、そして今も生きてい
たら、財産分与の話も絡んできます。しかし、金の話じゃない」
伸司はひとり熱くなっていた。「この娘さんのね、先日亡くなった武雄氏、お父さん
が、自分史、それも自費出版すらできなかった未完の自分史を残してましてね。泣ける話
じゃないですか。その中に、何度も正平さんの記述が出てくるんです。正平に会いたい、
会いたいと。しかし結局会えないままに、この世を去られた。
この娘さんは、そんな人物のことは一言も知らされていない。健気にも、この娘さんは
お父上の人生を辿ろうとしておるのです。看護婦という仕事を休んでまで。尚子さんも言
いなさい」
「はい、その、できることなら、正平さんの戸籍とか、どうなってるのか知りたいと思い
まして」
「個人情報何たらかんたら、おっしゃられるんでしたら、弁護士立てる用意があります。
でも私らは財産相続やら、揉め事を起こすわけじゃありませんで。ですから訴状関連の準
備など一切してません。
お父上は過去を家族に告げたかった。しかしそれが成らなかった。無念だったことでし
ょう。はい。しかし。過去を父一人に持って行かせるのではなく、その娘が共に感情を分
け合って、無念を残し、いまだそこらへんを漂ってらっしゃるお父上を、安らかにあの世
に行かせてあげようという娘さんのこの気持ち。おわかりですか?」
「はい、お話はわかりました。稲垣家の戸籍なら稲垣さんが閲覧されればいいですし、尚
子さんですか、あなたにとっては、蓬原家の養子になった正平さんとは姪である関係にな
りますので、蓬原家の戸籍閲覧は問題ありません。その、正平さんが戸籍上どこへ移られ
たのか、基本的には、記録がされているでしょう。
ただし、懸念が二つあります。
126
先ほど、蓬原家は戦災で世帯主さんご夫婦が亡くなられたとおっしゃられましたよね。
除籍謄本といいまして、世帯主が亡くなって久しい場合、戸籍の記録が復活しているかど
うかを確認してもらわねばなりません。除籍謄本があるかどうか。
どなたか親戚の方が戦災以降、手続きを取られていないとしたら、謄本は存在しませ
ん。正平さんの記録がそこで途絶えてしまうことになります。その場合は代替法を考えま
すが、なにぶん古い話です。スムーズに進むとは考えにくいです。
もうひとつの懸念なんですが。
過去、あくまでこういった場合も存在した、というお話ですが、一家全員が亡くなった
その戸籍を、言うなれば上書きして、親族が会社や店を受け継いだ、というケースがあの
時代にはたくさんありました。今とは何もかもが違う、昔の時代の話です。
あの時代においてあくまでも合法的に、近藤家が蓬原家を継いでいたとしたら、正平さ
んの行方は近藤家の戸籍を見れば一目瞭然です。ただし、近藤家の戸籍を勝手に閲覧する
ことはできません。近藤家の了承が必要です。一般のご家庭なら委任状と判子で住民票を
取ることくらいできますけど、あの、光神石油のご本家となりますと、近藤家の現住所が
どこなのか私は知りませんが、おそらく役所係員に対面で関係を問われることになるでし
ょう。その際に近藤家にも連絡が行きます。大きな家は、そういうものです。
もう一つ、余計なことかもしれませんが、戦争中、役所もたくさん焼けました。戦後、
直後によくあった話ですが、戸籍そのものが焼失した場合、大した確認もなしに、まず名
乗った者優先で新しい戸籍が作成されたケースも多いのです。
正平さんの戸籍が近藤家で復活していればいいんですけど、もしそうではなかった場
合、正平さんはまったく別のところで、戸籍を作っていることが考えられます。最悪の場
合、まったくの別人として戸籍が作成されている場合もあります」
「そこをはっきりさせるための弁護士です。近藤家の戸籍閲覧に、どうかご協力いただけ
たら嬉しいのですが」
「まず、近藤家の現住所、本籍ですね。相続請求を弁護士のほうから提出いただければ、
こちらも協力できますが」
「いや、相続請求はしない、という方向で、近藤家に話を持っていけたら」
「それは先ほどうかがいましたが、相続請求でもしないと戸籍は閲覧できません」
「私たちはそんな、ハイエナみたいに遺産をどうのこうの、そんなことは考えておらんの
です」
127
「そう申されましても、私たちは中立な立場ですので。目的に至るまでの方策をアドバイ
スさせていただいているまでです。話を戻しましょう。蓬原石油店ですか、その戸籍が焼
失していなければ、話が早いじゃないですか。今から早速調べます。一時間もかかりませ
ん」
伸司は若い職員に頭を下げた。「ありがとうございます。戦災で戸籍が消滅、これでも
し事件が絡んでいたらまるで『砂の器』ですな」
若い職員は何のことかわからず、笑顔で固まっていた。
調べてもらったところ、蓬原家の戸籍はやはり焼失していたままになっていた。かつて
蓬原石油店、その後近藤石油があった場所は、今は小さな公園になっていた。
蓬原という名前の人間がかつてそこに住んでいたことすら、記録に残っていなかった。
公園の登記簿を調べてもらったが、公園ができる前の土地はやはり近藤石油株式会社、
となっていた。
二人は肩を落として区役所を出て、近くのうどん屋で遅い昼食をとった。
「収穫があったのかなかったのか、ようわからん展開になったな」
「ついに近藤家が絡んできたということですよね」
「近藤家が戸籍を調べさせてくれるわけがない。何十年も前から、こっちの蓬原とあっち
の近藤は没交渉になってるから。
こっちが何らかの訴訟起こして、弁護士に戸籍閲覧を申請させる。それが今のところ、
正攻法やな。財産分与の請求は一体何等親までできるのか、どうやったかな。誰かに昔教
えてもらったんだけどな。まずそこから勉強や」
「ちょっと待ってください、訴訟ってそんな」
「ドライに今風に考えなさい。うまく行けばあんたの家が近藤家からお金、もらえるんや
で」
「別にお金がほしいってわけじゃ」
「じゃあ私が訴訟の矢面に立って闘おう」
「あのう。話が変な方向に行ってませんか」
128
「聞きなさい。少年犯罪の民事裁判と一緒やがな。知ってるやろ。例えば、数億円請求っ
てことやったとしても、加害者家族に払えるわけない。そんな判決も出ない。大きな裁判
起こすことで、隠されたことを知ることができるっていうシステムやで。
とにかく一番重要なのは、正平さんの行方や。蓬原の家、わしの家にも関係すること
や。わしの母親、初江は、あんたのお母さん、響子さんの親代わり。なのに葬式に来んか
った。勘違いすなよ。お母さんが薄情や、って言うてるんやない。事情が隠れてる。その
事情イコール、どこかで生きてるぼっさんこと、正平や。訴訟の件、すぐには行動に移さ
んけど、そうなるケースも考えといて。わしが訴える立場と違う。血縁上、姪になる尚子
ちゃん、あんたが原告となるかもしれん」
「そんな、私無理です!」
「これこれ。そんないっぱいいっぱいの顔せんでもええ。
世の中の裏というものをひとつ教えて差し上げましょか。尚子ちゃんが訴訟起こして
も、つまり姪が叔父のために裁判起こしても、まず却下や。裁判にもならん。しかし近藤
家が恐れるのは、評判、世間体や。そこでこっちから近藤家の弁護士に働きかける。マス
コミが来てもー、一切なーんにもしゃべりませーん。その代わり正平の居場所、教えて。
調べて。そういうふうに話を持っていく」
「伸司さん、すごいっすね」
「任せや」
「そやけど最初の手続き、弁護士さんには頼まなあかんですよね? お金かかるんでし
ょ? 伸司さんだけに負担はかけられません」
「いやいや、酒の肴に話、するだけだから。俺の弟分みたいな奴がいる」
「恐縮します。私はまだまだ、どこまでできるかわかりませんが、父の若い頃を知る人物
を探してみます」
「うん、頑張ってくれたまえよ」
「ありがとうございます」
父とぼっさん、双子の兄弟に関わる真実。そこには悲しい出来事が隠れているかもしれ
ないという不安と同時に、父から投げかけられた謎解きのような気もしていた。
蓬原伸司も断言したように、父の兄弟はまだ生きていると信じたい。正平が生きている
のなら、自分の行動の意味が大きく成る。
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核心にはまた辿り付けそうにもないが、そこへの道筋が見えただけでも大きな収穫だと
尚子は思った。
尚子は再び、父が少年時代を過ごした谷町周辺を回ろうと思い、伸司と会った明くる日
の午前中、自分が勤める病院の、よく知る訪問看護部の人間に、昼休みに話を聞いてもら
った。
休職願いを出した人間がこんなところで何しとると言いたげに、事務の数人が訝しげな
視線を飛ばしてきたが、尚子は気にしなかった。
地元の人間ならここに入っているとおぼしき、谷町周辺にある介護施設の情報をいくつ
かもらったが、その晩に宴会をするというノリになってしまい、結局夜のシフトに入って
いる人間まで参加したので、明け方まで飲んで騒いでしまった。
休職中にこれではダメだと思い、数時間寝て早速谷町方面へ向かおうと思っていたが、
目覚まし時計は用を成さず、起きれば昼を過ぎていた。
和歌山の蓬原伸司は仕事もそっちのけに、早速弁護士と対策を練ると言っていた。
こんなことでは申し訳ない。
そこにちょうど、伸司からの電話があった。
「どうも伸司さん。あの、谷町周辺でご老人がたくさん住んでおられるそうな介護施設と
か、調べてたんです、今日は、はい」
なぜか伸司は最初に名前を名乗ってから、言葉を発しなかった。
「弁護士の方とお話、されたんですか、どうなってます?」
「あの、尚子ちゃん。そのことなんだけどね」
えらくシリアスな口調だった。
「はい」
「調査は、全部やめるんだ。お願いではない。君と、君の家族のために、お父さんのこと
を調べるのは全部やめなさい」
「・・・近藤一族に脅された、とか」
「馬鹿な。まだ一昨日の二日後だぞ。実は昨日、私はお母さんとお話した」
「私のお母さんと? 連絡、したんですか?」
「違う。お母さんが私に連絡してきた」
「お母さんが伸司さんのケータイ、知ってたの?」
130
「そんなことはどうでもいい。尚子さん。休職願いを取り消して、今すぐ仕事に戻りなさ
い。そして調査は全部やめるんだ」
「母にどう頼まれたのか知りませんが、区役所までつきあってくださったじゃないです
か、伸司さん。そんなこと言われても困ります」
「困ってるのはこっちだよ」
「伸司さんのお母様、初江さんも関係している話です。頼まれただけで、はいわかりまし
たって絶対、ならないですよね? 母は何を話したんですか」
「それは言えない」
「ずるいです」
「長々話を聞いたわけじゃないんだ。たった一分、いや三十秒程度だ。挨拶すらなしに、
いきなりあんなことを言われちゃ、私も協力するわけにはいかないし、君を止めななけれ
ばならない。私の母も、生きていれば私と同じ考えだろう。間違いなくな」
「母は何を言ったんです? 私納得できません」
「・・・人が死んでるんだ」
「はい?」
「あなたのお母さんが言ったこと、そのまま言うよ。
人が、三人死んでます。人が三人死んでます。だから尚子を止めてください。お願いし
ます。
お母さんから聞いた言葉は、それだけだ。
何があったのかはまったくわからないが、お父さんはおそらく、後先考えずに懺悔をし
ているようだ。いいかい。君の家のことを考えるのなら、そしてお父さんのことを考える
のなら、この話はすべておしまい、中止だよ。わかったか?」
尚子は言葉を無くした。
第十四章 ぼっさんの今
「ぼっさん、ほんとにそれ、好きだよな。少々長いドライブになるけど、我慢してくれよ
な。レインマンは勘弁だぜ」
みずき
木本瑞樹は後部座席へと一人の老人を導き、車で出発した。
131
老人は早速、後部ドア側面に着いたカーステレオ用スピーカーの表面に両手を当ててい
る。
みのう
短い坂を下り、『箕生市立身体知的障害者施設・緑風園』と書かれた、大きなモニュメ
ントのような案内板を車は通り過ぎた。
「俺だってクビ覚悟なんだから。感謝してくれなかったら困る。あとの仕事は心配するな
って先輩は言ってたけどな、正直不安だ~」
老人は目を閉じたまま、車の揺れに身体を任せている。
車は大通りに出た。高速道路入り口までもうすぐだった。
「どこかコンビニで、しょんべんでも済ませとくか。ぼっさん、腹減ったか? って、聞
こえないのにごちゃごちゃ言っても仕方ないんだけど。黙ってるって、僕無理。ははは」
老人は、スピーカーに両手のひらを当てたまま、心地良さそうに身体をゆっくりと動か
していた。
ぼっさんと呼ばれるこの老人は、耳も聞こえなければ目も見えない。重複障害と呼ばれ
るものである。
振動を感知するのだろう。車の中で音楽が鳴っていると、いつもぼっさんはスピーカー
に触る。耳が聞こえないのに、音楽が好きなのである。
ぼっさんは介護する人間を選ぶ。女性全般OK。若い女性なら特にOK。男性は基本的
に嫌がる。
ただし、瑞樹のようなお気に入りも中にはいる。お気に入りの人間でないと、ぼっさん
は尻に根が生えたようにその場に座って動かないのが常だった。
時間に追われた介護人が無理やり手を引っ張ったりすれば、ぼっさんは映画レインマン
の主人公のように、大きな声を上げて泣く。
本名、田中雄三。その本名にしても、遥か過去に行政がつけた名前だそうだ。ぼっさん
というニックネームの由来ははっきりしない。
車は高速道路に入った。
ぼっさんはコンビニで用を足し、パンを二つ食べ、今は気持ち良さそうに寝ている。
瑞樹はひと仕事やり遂げたように、ため息をついた。
132
東京から大阪に越して来て、この仕事に就いて約五年。こんなことをやらかすのは初め
てである。ゆえに焦りもあるが、若干の爽快感も感じていた。
今から七時間ほど後、朝には、施設はちょっとした騒ぎになるだろう。
こういう仕事は、自分のようにフットワークの軽い人間にしかできない。
先輩から話を持ちかけられたときは、無茶な話だと思った。
しかし何度もその先輩に説得され、そしてぼっさんが別の場所へ移される期日が迫るに
つれ、瑞樹はその気になってしまった。
施設職員という身分ではあるが、二十七歳という年齢でお人好しだけが取り柄であり、
家族も持たず、金もない瑞樹という人間が、さらにお人好しの先輩に利用されているとい
う気が、自分でもしないでもない。しかし目的はぼっさんを助けることである。自分たち
なりに崇高な目的なのだ。もう後戻りはできない。
ぼっさんの本当の年齢についても諸説あるが、公式には七十四歳ということになってい
る。
施設が木造であった時代から、ぼっさんは施設に住んでいた。三十年近く居住している
ことになる。
施設入居者の中では飛び抜けて長老であり、たまに顔を出す老齢の元職員でさえ、ここ
に来た頃のぼっさんを知らない。
この市の障害者施設の通例では、行政で言う高齢者、六十五歳以上の者は居住できな
い。地域によっては障害者高齢者複合施設もあるが、箕生市にはその施設がない。
ぼっさんの場合は特例で、この障害者施設にずっと住んでいた。職員以上に長年ここに
おり、他の入所者に比べ、介護に手がかからないということも理由だった。
しかし七十を過ぎて久しい年齢ということで、ぼっさんはついに特別養護老人ホームに
送られることになった。行政の決定措置である。
ぼっさんは迎えに来た特別養護老人ホームの職員に抵抗した。本気の抵抗だった。
目も見えず耳も聞こえないのによくわかるな、と施設職員は感心した。そのたびに老人
ホームの職員はあきらめて帰った。そんなことが何度か繰り返された。
行政側が意地になった。とうとうぼっさんは、老人ホームへと正式に送られることとな
った。何でも、十人体制でやって来るそうである。
その日が、明日である。
133
こ が ね き
ぼっさんが送られる予定の特別養護老人ホーム小金木荘は、小金木町にあるから小金木
荘という安直な名前の印象に現れているように、設備も良くない特別養護老人ホームであ
り、職員の質も悪い。瑞樹が働いている緑風園で、老齢になった身寄りのいない者は、小
金木荘へ行くという流れができている。瑞樹たちは悪評を聞くだけではなく、実際に何度
も酷い現場を目撃している。
家族のいない生活保護の老人を数多く囲い込み、役所による、お約束の査察に対し、致
命的な減点を出さないよう、悪達者な職員が何人もいる。現場仕事をしているヘルパーた
ちは、瑞樹が毎月訪問するごとに十人単位で顔ぶれが代わっている。
介護人のヘルプも必要なく、自室で優雅に食事をとり、入浴が大好きなぼっさんがそん
なところへ放り込まれたら、どういう目に遭うのか。想像するだけで心が痛む。
今井勇介という瑞樹の先輩が、とんでもない話を持ちかけてきたのは二週間ほど前だっ
た。
ぼっさんを小金木荘ではない、他の施設へ移すという。どこの許可も得ない、スタンド
プレーである。
今井という人間は、施設入居者に対しては私情を差し挟んではいけないというこの業界
の基本ルールに対し、何を抜かすかと日頃から毒づいていた。
一日八時間九時間、ときには丸一日一緒に時間を過ごすのだから、情が移って当然であ
る、というのが今井の考え方だった。
私情は不平等を生むと上司は偉そうに垂れるが、ここは学校ではない。上は、行政がら
みでそこらへんを大きく勘違いしている。特に老人施設であれば、ここで終生を向かえる
人間がほとんどなのだ。入居者個人個人に合わせた対応が必要であり、寝たきりでもない
者に対しては、家族と同居している際に起こる日常のトラブル程度は体験してもらわねば
ならないし、また入居者同士家族的関係を築いてもらいたい。職員が他人行儀では、そう
いう人間として当たり前の環境を作ることはできない。
今井や瑞樹は全入居者に、大きく私情を持ちながら仕事をしているつもりだった。不平
等どころか、この仕事の理想的態度だと彼らは自負している。彼らにしてみれば、マニュ
アル通りの対応をする時点でこの仕事には向いていない。
そんなことを日頃から考えているものだから、入所者からの人気は抜群でありながら、
特に今井は、ケアマネやケースワーカー、そして上司にはかなり受けが悪かった。
134
そんな今井に手取り足取り仕事を教えてもらい、この業界で育ててもらい、そして影響
を大きく受けたのが瑞樹である。
なんと
ご か ざ ん
富山県南砺市、五箇山というところにあるグループホームにぼっさんを受け入れてもら
う手筈を整えたと、そこまで瑞樹は聞いている。今井は近隣のサービスエリアで、瑞樹と
ぼっさんを迎えてくれる予定である。
車は快調に進んでいる。
夜明け前に早くも、岐阜県養老サービスエリアに着いた。
そこで一度ぼっさんは目を覚ましたが、パニックになる様子はまったくなかった。
ぼっさんは普段と同じように瑞樹のベルトを後ろからつかみ、ひょこひょことおとなし
くついてきた。
瑞樹と一緒にトイレを済ませ、そして手を洗い、それからぼっさんはにやにやと笑いな
がら自分の口をぽんぽんと指で叩いた。腹が減ったという合図である。
こんな時間の外出を変に思うことなく、ぼっさんなりに、予告も何もなしの小旅行を楽
しんでいるように瑞樹には思えた。
朝九時前に、今井と待ち合わせている飛騨白川パーキングエリアに到着した。白川郷、
有名な観光地である。瑞樹にとっては初めて来る場所だった。パーキングエリアはほぼ車
で埋まっていた。
混雑してはいるが、車は秩序を守り、ばたばたと動いている人間もおらず、田舎の観光
地ならではの、のんびりした空気がパーキングエリア全体を包んでいた。
瑞樹が探すまでもなく、今井が先に瑞樹の車を見つけ、声をかけてきた。
「よう来た。ごくろう。ぼっさん疲れてないか? ぼっさん、俺やで」今井はぼっさんの
手を握った。地蔵のようないつもの表情で、ぼっさんは笑みを浮かべた。
「偶然、時間ぴったりに着きました。施設はこの近く?」
「ああ。次のインター下りて、車で二十分程度。もう向こうとは話つけてある。それより
おまえのほう、仕事のほうは大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ。一応ぼっさんが独りで脱走したような偽装工作やりましたけ
ど、僕と先輩が真っ先に疑われるに決まってます。ぼっさんが特養に移されるという日に
135
ですね、ぼっさんを筆頭に、ぼっさんお気に入りの僕ら二人が無断欠勤となれば。あああ
あ、僕仕事に戻れるのかなあ」
「そのへんは心配すな」
「そこまで計画済みですか!」
「と、言いたいところやけどな」今井はかっかっか、と老人のように笑った。
「笑えないっすよ。先輩が誘ったくせに」瑞樹は口を尖らせた。
「とりあえず徹底的に言い逃れろ。ごまかせ」
「問題山積みですよ。いつもぼっさんの世話してるスメアゴルとか太平のおばさん。ぼっ
さんいなくなったら絶対泣きますよ」
「スメアゴルもええ歳やもんな。このままやとぼっさんと同じくあの地獄特養に送られ
る。まだまだ俺らの仕事は山積みや。この世界の不条理を是正する。これは第一歩や。誇
れ、瑞樹」
「何言ってるんですか。いっぱいいっぱいですよ僕ら」
「こっちの施設には理解者、協力者がおる。ちゃんと施設で待ってる。おまえ、少しだけ
会って帰るくらいの時間あるやろ。ぼっさんのことを自然体で、ちゃんと考えてくれる人
らがおんねん」
「まー、ぼっさんにとってはめでたしめでたしですか」
ぼっさんはまた自分の口をたたいている。
「ぼっさん、食ってばっかりです」
「それだけ嬉しいんとちゃうか。心配してたおまえはまだまだ未熟者や。福祉のプロとは
言えん」
「はいはい」
「ここから俺が運転する」
「あれ、車じゃないんですか?」
「高速、走ってるバスがあるんや。車やったら無理やけど、徒歩やったら、ほれ、反対車
線のサービスエリアに行けるって知ってるか?」
「知ってますよ、それくらい」
今井は運転席の瑞樹と交代した。「ぼっさんまだ食いよるやろ、なんか買うてきたって
くれ」
「了解」
136
瑞樹は小走りで車から出た。
飛騨牛コロッケなるものを買い、瑞樹は車に向かった。
ここまで来たのだから観光でもして帰りたかったが、そろそろ仕事場からの電話があっ
てもおかしくない時間だっだ。
ぼっさんが脱走、そして今井と瑞樹が無断欠勤。今井はこのまま職場を辞めるそうだ
が、瑞樹はその気はない。言い訳は考えてあるが、今日中に戻ってこいと怒鳴られること
も考えられる。こっちでゆっくりしている時間はないだろう。
今井から預かった一万円札は、うっかり者の今井らしく、中にもう一枚、小さめに畳ま
れた一万円札があった。
コロッケを一つかじりながら、瑞樹は戻った。
車が、なかった。
以前、サービスエリアで迷子になったことがあったので、車の位置はしっかり確認して
いた。
自分の車がどこにも見えない。
焦るというより、瑞樹は唖然とした。
ケータイが鳴った。仕事場からの電話だった。
一旦は無視したが、しつこく鳴り続けるので仕方なく出た。
予想通り無断欠勤を責める上司の声が飛び出したが、瑞樹は上の空で、文脈を成してい
ない返答をした。何を言っているのか自分でもわからず、同時に広いパーキングエリアを
見渡していた。
今井とぼっさんが乗った車は、どこにもいない。
はっきりとわかるのはそれだけだった。
一時間程度が経過した。
瑞樹は冷えたコロッケを持ちながら、座り込んでいた。
137
仕事場仲間から一度電話があった。上司との会話があまりに要領を得ないものだったた
め、当初の思惑通り、体調不良を上司は本気で信用し、心配しているようだった。ぼっさ
んの話は出なかった。
瑞樹には当然、職場のことなどまったく頭にない。
今井に自分が、ここに捨てて行かれたのだ。
あり得ない。
無くなった自分の車。いなくなった今井とぼっさん。帰れるのか帰れないのかわからな
いような、寂しい財布の中身。
インフォメーションセンターの女性に、同乗者に放って行かれたと伝えた。
農村の老婆をからかっているかのような、滑稽な服を着た中年女性は、胡散臭いものを
見る表情で対応した。詳細に状況を話したところで、埒が明かなかった。
高速バス用の歩行者用出口があるので、そこから出て、タクシーでも拾ってください、
と言われた。
瑞樹はサービスエリアを徒歩で出た。
ケータイで位置情報を得てから、タクシーを呼んだ。
もうすぐ最寄の駅に着くというところで、大型家電店があった。信号待ちのタクシー車
内から、「お店でインターネット無料体験実施中」というノボリが目に入った。
大阪にはインターネットカフェ、なるものが登場してきた時期だったが、ここらへんは
まだそういうものはないのかもしれない。
瑞樹はタクシーを降りた。
ネットで調べたところ、今井が言っていた五箇山グリーンハウスというグループホーム
など、存在しなかった。
丸一日かけて、瑞樹は大阪まで戻った。
今井のケータイに何度も電話をしたが、不在のアナウンスが繰り返されるだけだった。
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そしてぼっさんが脱走した瑞樹の職場は、意外にも、まったく騒ぎになっていなかっ
た。すぐに帰って来るでしょう、帰ってきたら即特養に連絡します。そんな警備員の態度
に瑞樹は拍子抜けした。
入居者仲間に協力を仰ぎ、行き先を紙に書いて、施設御用達の介護タクシーを呼び、ぼ
っさんは日帰り脱走をしたことがこれまでに何度かあったのだ。
そのたびぼっさんは何食わぬ顔をして戻ってきたが、今回もそう解釈されていた。
体調不良を装った瑞樹の嘘も普通に通用していた。もう大丈夫なのか、と心配までされ
る始末だった。
数時間は普段通り仕事をしていた瑞樹だったが、ぼっさんの一番の親友スメアゴルが、
ずっとぼっさんの名前を呼び、施設の一階から五階まで全部、職員が止めるのも聞かずに
捜し歩いている。
今井については連絡がないので何もわからない。連絡を待つしかない。
ただ、ぼっさんがこのまま本当にいなくなったら、という気持ちが湧き上がって来ると
同時に、涙目でぼっさんを探すスメアゴルを見たら、やはり瑞樹は黙っていることができ
なかった。
大事な話があります、と瑞樹は神妙な顔つきで、上司にすべてを告げた。
ところが、上司の態度も素っ気なかった。
今井のやりそうなことだ、きっとぼっさんを旅行にでも連れて行ってるんだろう、三、
四日うちに戻るわい、と勝手に決め付けた。
一切身寄りのないぼっさんのことである。施設の警備をかいくぐって脱走しいなくなっ
たところで、施設の過失とはならない。施設を責める身内の人間が存在しないから、そう
なる。
瑞樹は考えた。
こうなると、今井が瑞樹に、実在しない施設に連れて行くなどと嘘を言った理由がわか
らない。
おまえも今井に信用されてないんやろ、情けない下っ端やの、と上司は笑った。一日半
さぼったペナルティーはちゃんと償ってもらうぞ、今井の奴はもうクビやな。
そういうことになってしまった。
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途方に暮れたまま、仕事を続けるしかなかった。自分の車を奪われてしまったことにつ
いては、警察に訴え出る気などまったく起こらなかった。
第十五章 安い悪企み
今井勇介のもとに、旧友である三流ゴシップ雑誌記者、伊崎浩次から連絡があったのは
一週間前。
もともとは今井が、古くからの友人である伊崎に、インターネットを使った在宅アルバ
イトでもないかと相談をしたのがきっかけだったが、話が妙な方向に進んでいた。
「にわかには信じ難いな」今井はチューハイ四杯目。
「長い時間かけて話したのに、ちゃんと聞いてるんかおっさん。近藤議員を直撃やぞ」伊
崎も生ビール四杯目。
「天下の光神石油を相手に。そんな、おっそろしいこと」
「何がだ。大きな仕事ってーのは、やっぱり自分の足で探さなければならん、ということ
を痛感したよ」
「語んなよ」
「今からビビっててどうするんだ。おまえだって仕事辞めるつもりなんだろ。俺もようや
く、吹けば飛ぶようなバカ出版社から足を洗うことができるよ」
民政党議員五期目、近藤誠一郎。大阪出身の国会議員。年齢をまったく感じさせない、
敏腕かつ人気のある議員である。大阪に戻り知事になるとも、入閣するとも噂されてい
る。
生家は元々船の重油を精製する会社だったそうだが、太平洋戦争特需で関西屈指の石油
会社に成長した。現在も船舶関係に圧倒的なシェアを持っているため、原油価格の変動に
もさほど影響されない安定した経営を続けている。
近藤は三十代半ばに社長を務め、四十五歳で政界に進出。現在六十二歳。しかしその年
齢にまったく見えない人物である。プライベートや、テレビ出演の際は五十歳手前くらい
に見えた。
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数年前から会社運営を退いている形は取っているものの、世間の解釈は依然として、光
神石油といえば近藤誠一郎。そういう人物である。
弱者のための行政手続きをシンプルにし、福祉を食い物にする悪産業を数々駆逐してき
たその功績は、一般人に対しては決して目立つものではなかったが、弱者からの賞賛はや
がて一般人にも伝播し、大企業出身の政治家としては大変珍しく、誠一郎は庶民派政治家
として多大な人気があった。
伊崎がつかんだのは、おそらく近藤家から隠されているに違いない、誠一郎議員の兄の
存在である。
偶然、近藤家で家政婦をしていたという人間と飲み屋で縁ができた。近藤家の秘密を買
わないか、と持ちかけられた。
誠一郎議員に、兄がいる。国内有数大企業の創始者、長男である。それが何かの理由で
戸籍を改ざんされ、最初からいないものとなっている、という情報である。
ゴシップ雑誌編集者の勘が動いた。
不肖の兄。身内に酷い待遇を与えた冷血の家族。
これは正義の味方、近藤誠一郎にとっては大きなスキャンダルになる。
「これは金になる。俺は早く借金返す必要があるんでな」
「大丈夫かいな、ほんま」
「何言ってる。この計画はおまえが主役だぞ」
そう言われ言葉を濁す今井だったが、しかし金には大いに興味がある。実際この話を聞
いた瞬間から、伊崎の話に乗ろうと決めていた。
「そやけどなあ。ほんまに確実なんやな。人違いでしたー、やったらシャレならんで」
「かなり古い話になるが、元家政婦に聞いた話は信用できると俺は踏んでる」
「裏付けとかは。おまえが調べたんか? 探偵とか頼んだんか?」
「そんな時間はない」
ち
「時間と違ごて、金ないだけやろうが。ほんまにぼっさんが近藤誠一郎の兄さんなん
か?」
「ぼっさんって」
「あだ名。おまえのご指名、田中雄三だ。大体やな。おまえがその、家政婦からあれこれ
聞いて、そいで俺がよく仕事で行く施設にその人間がおる、ってあんまりにも偶然過ぎひ
141
んか」
「偶然過ぎる偶然だから、これは絶対ビンゴと俺は思ったわけだ。田中雄三という名前
の、関西に在住の障害者の老人。まず間違いない。なんせあの、光神石油会長様、近藤大
輝からじかに聞いたらしいぞ、家政婦のおばんが」
「もう一回確認させてくれ」今井は身を乗り出した。
「チマチマしたことはやらない。最初からどかーんと行く。何でも訊け」
「俺が田中雄三を誘拐して、おまえに引き渡し、それから近藤誠一郎にいきなり引き合わ
せる予定やな」
「誘拐とは人聞きの悪い」
「近藤側に、知らん、こんなおっさん、て言われたら?」
「それはない。近藤家が蓬原家の財産をまるまる譲り受け、誠一郎議員の兄貴を捨てたそ
の理由とは! そこがメインだ。近藤議員の親父、近藤大輝名誉会長様に関わる話だぞ。
きっと面白い記事が書ける」
「雑誌に載せられたくなければ、金出せ、と」
「そうだ」
「兄の存在を消し去った捨てた極悪人め、ばらされたくなかったら金出せぇ、と」
「そういうことだ」
「なんかこう、もひとつぱっとせん、スケールに乏しい脅迫やのう」
「脅迫とは何だ。ま、そういう説もあるな。しかし実際金になる脅迫とは、映画じゃある
まいし、ぱっとしないものなんだよ。庶民派人情派で通っている近藤誠一郎には表沙汰に
はできない大きなスキャンダルだ。俺の腕でスキャンダルにしてみせる。あいつらがシラ
を切るんだったらな。
まあ確かに、あんまりカッコよろしゅうない脅迫ではあろう。だからこそリスクは少な
い」
「金のこと、はっきりさせとこ。おまえいくら請求する気や」
「いいとこ、五百万だな。おまえには、奮発して三割程度渡してやる」
「三割ってなんや。アホ。さっき言うたなおまえ。俺が主役とちゃうんか。田中雄三を連
れ出さんと始まらん話やろう。せこいことを。半分よこせ」
「話をよく聞け。金の話だけではない。おまえは観方が狭い。コンビニにしか売ってな
い、くだらんゴシップ雑誌ばかり作ってる会社に契約で雇われてる俺だが、そこまでのこ
142
とを調べ上げたこの腕を近藤陣営に買ってもらうことも考えてる」
「アホか。なぁーんにも調べてないやんけ」
「うるさい。俺の目的は、実際、脅迫ではない。俺の腕を近藤陣営に買ってもらうこと
だ」
「はあ?」
「待て。心配するな。事務所、持たせてもらったら必ずおまえを雇うから。政治家関係に
は必ずお抱えの、裏の記者というのがいるんだ。それでだ、おまえのことだよ。おまえ給
料いくらって言ってた?」
「手取り十四万五千円、一生上がる気配なし、ボーナスもない」
「だろ。よくそれで生きていけるな」
「周りは独身ばっかりや。かといって俺みたいに嫁と子供がいても、年金と健康保険以外
は何の手当もない。クソ安っすい給料は、福祉産業の平均や」
「子供、塾にも行かせられないで、奥さんも働きすぎで老ける一方」
「ほっとけ」
「それもこれも、おまえが福祉? 施設? そんなくだらない仕事やってるからじゃない
か。俺が独立したら、おまえを助手にしてやるって」
「毎月手取り三十万は欲しい。最低有限会社にして保険もつけろ」
「悪いようにはしない。事務所構えるのが俺の目的だ」
「ぼっさんは目も見えんし耳も聞こえん。おまえに任せることはできん。近藤に会わせる
際は俺も必ず一緒に行くぞ」
「よし。わかった」
第十六章 近藤誠一郎登場
あんな場所に放り出して、瑞樹を焦らせた形にはなっただろうが、騙しているつもりは
今井にはない。金が入れば瑞樹にも分配する。金が入らなくなっても礼はする。いずれ瑞
樹にも感謝されるよう、事を進めるつもりだった。
143
瑞樹を放り出したのは、瑞樹から今の時点で仕事を奪うことはできないと思ったからで
ある。今、自分の手伝いをさせるということは、瑞樹まで即無職になってしまうことを意
味した。
瑞樹が急にいなくなったのに少々不安を示したぼっさんだったが、瑞樹と同じくいつも
世話になっている今井が運転手になっただけのことで、ぼっさんはすぐに安心を取り戻し
たようだった。
目的地には三十分程度で到着する。
五箇山グリーンハウスという施設は存在しない。しばらくぼっさんを預かるために、瑞
樹についた嘘である。
目的地が五箇山周辺にあることは嘘ではなく、林道温泉なる場所のそばにある、定員十
名程度の小さなグループホームが、ぼっさんの滞在予定先だった。
今井のかつての同僚が家族経営で運営する施設であり、身寄りもなく、障害のある老人
をしばらく保養させてくれと今井が頼めば、老人の身元をうるさく訊くこともなく受け入
れてくれる人たちだった。
脅迫相手の近藤誠一郎は今現在、ここから車で一時間程度の高岡市に所用で滞在中であ
る。
そろそろ、伊崎が近藤と最初のコンタクトを取るはずである。
つまづ
ところが計画はここで 躓 いた。
当初、今晩中にぼっさんを近藤誠一郎に引き合わせる予定だったが、ぼっさんが抵抗し
たのである。今井の言うことも聞かなかった。滞在先のグループホームで、泣いて椅子に
しがみついて、動かなかった。
誠一郎議員の予定は伊崎が調べているが、仕事を終わらせた夕方以降だとホテルの部屋
にこもるので、コンタクトは取りにくくなるそうだ。
時間が迫っていた。
仕方なく今井は伊崎にその旨を伝え、ぼっさんこと田中雄三の写真を数枚撮り、伊崎の
ケータイに転送した。
144
近藤誠一郎が光神石油の御曹司であるということは誰もが知っているが、誠一郎は特定
の産業と結びついた利権集団には一切所属せず、特に中小企業対策、福祉政策では有言実
行を旨とする、珍しい庶民派の政治家である。
そんな議員は豪華な場所での、豪華な食事が好きでないそうだ。
おそらく市内で一番大きなホテルで、誰かと会談したようであるが、議員はそんなとこ
ろに泊まらず、食事もしない。食事はおそらくファミリーレストラン。昼間会談をしてい
たホテルの斜め向かい。
伊崎の読みは的中した。
議員は街を歩くときも大勢で歩かず、例えば査察に行った先に貸してもらった作業服の
ようなものを着て、一日中そこらをうろうろする。
この日も、近藤議員はグレーの作業服で食事をしていた。
年配の秘書がスーツ姿である。誰がどう見ても、秘書のほうが偉そうだった。
伊崎は彼らが食事する真後ろの席に陣取り、一気に本題から持ちかけた。
スーツ姿の秘書は愛想がないが、議員は突然の珍客の話を普通に聞いた。
「・・・ということなんですが。こういう噂、困りますよね」
「困らせているのは貴様だろう。事実無根だ。風変わりな脅迫してきやがって」お付きの
秘書が、えらく乱暴な口を利いた。
「丁寧なご返答、恐れ入ります。あなたは秘書でいらっしゃいますか」
「そうだ。おまえのようなチンビラから議員を守る秘書だよ」
近藤誠一郎は若い時期の男前ぶりをそのまま残す、引き締まった長身の人物であり、一
方、このお付の秘書はブルドッグのような顔で、年齢は老人手前、どちらが政治家に見え
るかというと、間違いなくこの秘書のほうである。
やまさき
「秘書さん。山埼さんですか。あなた言葉、汚いなあ。いいですか。俺はチンピラではな
く、そしてこれは脅迫でもありません。いいですか。ここまで調べ上げた、私の腕を買っ
てもらいたいんです」
近藤誠一郎本人は返事をせず、かといって伊崎を完全に無視しているわけでもなく、伊
崎が元使用人から聞いた内容を元にして作ったレポートや写真を見ながら、食事を続けて
いた。
145
「今すぐ出て行かないと、警官呼ぶぞオイ」
「わからん秘書さんですな。私はねえ、これを記事にしたりするつもりはありません。偶
然、近藤様のおうちと長い間縁をお持ちの人と話す機会がありまして、近藤さんのご両親
とも懇ろにしていた人物の証言です。
ありゃあ! 私もずっと応援してきた近藤先生が、こんな、非人間的なと疑われること
を家族ぐるみでなすっていた歴史があるなんて! こりゃもう、放っておけない気持ちに
なりましてね」
「おい、近藤議員が入閣に当たって、今、どこの大臣とどんなプロジェクトを進めている
か、答えてみろ」
「ええと。それは、プライベートのお話ですか?」
「いいから答えろ」
「えーと。その。そうだ、大阪の知事になるんじゃなかったでしたっけ?」
「ほれ。何が応援してきた、だ。新聞も読んでないじゃないか。ゴシップ記者め。本当に
警察呼ぶからな」
「ちょっと待ってください。先生の迷惑、考えなきゃ。先生にとって不名誉な話を揉み消
す手数料は、百円でいいんです。百万円じゃないですよ。百円です。
いいですか。繰り返しますが、私の腕を買ってもらいたい。先生に関する、これから以
降の、先生の名誉の報道を扱う。そういう立場が欲しいんです」
「何言ってる。転職したいのならハローワークに行け。私らは記者に対してもいつも公平
だ。独占記事を扱わせる人間などおらんわ」
「え~。本当ですかぁ~?」
ここで初めて、近藤が口を開いた。
「伊崎さん、と言いましたね。どう取られても結構だが、私はあなたが何を言っておられ
るのか全然わからない。あなたが持ってきたこの古い戸籍謄本。原本だね。こんな珍しい
もの、よく用意できましたね」
関係者から証言を取ったのは事実であるが、この謄本は偽造である。こういう仕事で飯
を食っている知り合いの人間に頼んで作ってもらったものだ。
議員の目は純粋に疑問を持っているように見えた。
このタヌキどもめ、と思う伊崎は得意気な表情で答えた。
146
「昭和二十年代、空襲で焼ける以前の、蓬原家の戸籍謄本です。これと近藤家の謄本を照
らし合わせれば、謎がどーんと。
特にここ、蓬原正平さんの欄です、読みますよ、『昭和十七年五月十六日、大阪市天王
寺区、曙町三ノ十二、稲垣家当主稲垣道江カラ養子、続キ、昭和二十二年一月十四日大阪
市南区神原町一ノ二二蓬原家当主蓬原政吉カラ養子』。
ということはですね、お兄さんの正平さんはしっかりと近藤さんちに、再び養子として
迎えられている。
それから、ここの左。誠一郎さん、あなたの名前がある。この昭和二十二年という時
期、あなたはまだ一歳だ。ここ、これがあなたですよね」
「一般の人たちはどれだけご存知だか知らないがね、後援会の方たちはみんな知ってる。
私のホームページにもちゃんと書いてある。光神石油は近藤石油からはじまり、その母体
は戦災で死んだ私の実の両親が興した会社、蓬原石油店だ。孤児になった私は、店を継い
だ、死んだ母の弟夫婦に養子として迎えられた。そのことを私は一切隠していない」
「はい、知っております。しかしお兄さんのことは、どこにも、一言も触れられてません
でしたよね?」
「ああ。私に兄がいたなんて、それはまったく初耳だ。あなたがお話を聞いたのは、島田
という人物ですかね。山本さん? あるいは、西崎という女性?」
「お答えできかねます」
「私に、兄がいるのか。もし事実であれば、私にとっても知っておかなければならない重
要な事実だ。礼を言う、ありがとう。謝礼は後ほど出す。ごくごく常識的な金額です。あ
とはこちらで調べます。ご苦労様」
誠一郎議員はフォークの先にニンジンを突き刺そうとするが、なかなかうまく行かな
い。
つまりまったく素の態度である。
本当に近藤議員は何も知らないのか? 伊崎は動揺した。
「あの、すんません、議員」伊崎は卑屈な笑みを浮かべた。
「秘書さん、まだ恐い顔してらっしゃいますけど、近藤議員を脅迫したり、そういうこと
をするつもりはないと何度も申しております。つきましては、何か、仕事をいただけない
でしょうか」
「おまえ、本当に厚かましい奴だな」
147
秘書の居丈高な声を議員が抑えた。「事実なら私が知りたい。あんたが見せた戸籍謄
本、一体どこから手に入れた」
「それはお答えできかねます」
「ははは。まあいい。正直、君の態度など私にはどうでもいい。この戸籍謄本は偽造だ」
議員は紙をくんくんと嗅いだ。
「プリンターのインクのにおいがする。古い紙のにおいじゃない」
「違います。原本です! 脅迫なら、コピーとか持って来るでしょ、普通。何でしたらこ
れを今、あなたに差し上げてもいいんです」
「一の字」
「はい?」
「数字の一の字だ。あなた、知ってますか」
議員は胸ポケットに差したボールペンを取り出し、戸籍謄本の余白に、壱、弐、参、と
いう漢字を書いた。「あの時代、役所の文献はすべてこっちの漢字だったはずだ。銭湯の
木製のロッカーに、いまだに残ってるところ、私は知ってるよ。
あのね。君にとっては意外だろうが、政治家といっても私は清廉潔白が信条でしてね。
私生活でも。お引き取り願いましょう」
「帰ります。でも一つだけ聞かせてください。本当はお心当たり、あるんでしょう。お兄
さんがいなくなったことについて」
「それには答える義務はない。ただお引取り頂く前に、ひとつだけ教えてくださいな。お
礼は食事代、こっちで支払おう。あなたのケータイに入ってる、その写真。その人物は、
今どこにいるのかね? また、お答えできかねます、か?」
誠一郎の態度はかなり余裕があった。
「私も生活があります」
「あなたのリクエスト、考えてやってもいい。その写真、このアドレスにすぐに送りなさ
い」
「・・・はい」
「繰り返すが、もしこの人物が本当に私の兄だというのなら、私自身知り得なかった事実
を知らせてくれた、それ相応の礼はする」
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議員は伊崎の名刺を手に取った。「君の会社、爆発ミリオン出版? 凄い名前だな。用
事があればこちらから会社に連絡して、君を呼び出してもらう。君個人には連絡しない。
胡散臭い人脈は持たない主義でしてね」
「いやあ、会社も相当胡散臭いですが。でへへへ」
伊崎の媚び笑いを近藤議員は無視した。真っ直ぐ睨みつけている秘書の目が不気味だっ
た。
「あの。そんなつもりはなかったのでありますが、脅迫と一瞬でも解釈されたのならお詫
びします」
「呆れるな。何という調子のいい」山埼は怒った表情を変えない。
「はい、よくそう言われます。何とぞ、お仕事を下さる件、考慮くだされば幸せに存じま
す。よろしくお願いいたします」
伊崎は席を立った。
「コラ。全部置いていけよ」
「戸籍謄本は、偽物じゃない本物ですから、返却しなければなりません。勘弁してくださ
い。本物ですが、あんまり当てにならないかなと思えます本物ですので」
「やっぱり偽物か」
「出直してまいります。私も独りで仕事をしているわけじゃありません。あ、念のため、
今日のことは出版社とは無関係なので」
「仲間がいるのか?」山埼が鋭い声を投げかけた。
「人聞きの悪い。先生を応援する同志ですよ」
ビジネスホテルの一室。
珍しく苦々しい顔をした近藤誠一郎が、山埼に問い質していた。
議員の方針で、出先ではいつもビジネスホテル一般のシングルルームである。ベッドと
ちゃぶ台だけしかないような狭い部屋で、議員と会話する秘書は自分くらいだと、山埼は
いつも思う。
「山埼、どういうことだ。あれ行方不明の兄さんじゃないのか。何十年ぶりだけど、わか
ったよ私は」
149
「私だって驚いてますよ。正平さんは行方不明ののち、死んだかと。確認をしたわけでは
ないですが、私はそう思ってます。名誉会長だってそうですよ。あの戸籍謄本、あれは偽
造でしたよね。警察に言いますか」
「やめなさい。兄が生きているのなら私はすぐに会う。山埼、あいつらをすぐに調査して
くれ。これだよ」
議員はケータイに送られてきた、伊崎からの写真をかざした。「これは間違いなく兄さ
んだ。書類の偽造はできても人間の偽造は無理だ」
「何言ってるんです議員。写真などパソコンでいくらでも加工できますよ」
「いや、違う。この写真は本物だ。兄さんの顔そのものだ。老人になってるが、私にはわ
かる。絶対に間違いない」
「違います。写真も偽造です。騙されちゃいけません、議員たるお人が。調べてはおきま
すが、あいつら、あんまり周りを頻繁に飛び回るようなら、どうにかしなければなりませ
んよ」
「・・・あんな人間の話を鵜呑みにする私だと思うか」
「いえ」
「しかしこの写真は兄さんだ。山埼、然るべき所に回してくれ。この写真。偽造かどうか
くらい、ちゃんと調べればわかるだろ?」
「はい、それくらいは」
「親父の調子は?」
「相変わらず、あまり良くありません」
「じゃあ直接は訊けないな・・・」
何とも拍子抜けの気分で伊崎は車に乗った。今から今井が待つ施設に戻る。
邪な意図を持っていたのは事実だが、たった三十分程度の会話で、近藤議員側のペース
に完全に飲まれてしまった。
田中雄三、今井が連れてきたぼっさんという老人を無理矢理引っ張ってきて、さっさと
近藤に引き渡し、謝礼をもらったほうがよかったかもしれない。
となると謝礼の額はいくらくらいになるのか。
謝礼よりも、うまくいけば私設秘書にでも雇ってほしいのが本心である。または名の通
った新聞社あたりを紹介してほしい。
150
このままでいくと、微々たる謝礼と、近藤議員の一協力者、一恩人として後援会会報な
ど載せられて終わりという結果が待っていそうな雰囲気だ。
協力を頼んだ今井は仕事を辞めるそうである。
そんな今井の生活を保証する甲斐性など自分にない。近藤家の話を聞いた元家政婦に対
しても、約束の報酬をまだ全額支払っていない。
すべてが面倒臭くなってきた。
そんな気分のまま、伊崎が運転する車は、今井が待つグループホームに到着した。
時間は夜十時を回っていた。この地域なら深夜という時間帯である。
なのに、小さなグループホームは建物全体、明々と光が灯っていた。
バイクにまたがって、無線で連絡している警官が二人いる。
早々にあの秘書が警察に連絡したのか? なぜこの場所がわかった?
伊崎は方向転換し、この場を去ろうとした。
そこに声がかけられた。
「伊崎!」建物から出てきた今井だった。
「大変や。ぼっさん、田中雄三が連れて行かれた! ホームの人間が勝手に交番に知らせ
やがった!」
第十七章 行ったり来たり
尚子は、休職を取り消すか、悩んでいた。
あれから一度、実家に帰ったが、母は普段の母だった。「人が三人死んでいる」そうだ
が、母に訊くことなどできなかった。
殺人の告白、など、父が自分史で書くはずがない。理由も意味もわからない。戦争体験
から始まり、老人らしい飼い犬のエピソードも書いてあるような自分史の中で、恐ろしい
犯罪の告白など、するわけがない。
まず、人が三人死んでいるということを、父は知らないはずだ。
151
ぼっさんこと蓬原正平が、実は殺人犯だった。もしそういう事実があったとしても、そ
のことを父は知らない。
父は正平の思い出を書いているだけだろう。あるいはその思い出の中に、事件とダイレ
クトにつながるエピソードがある?
尚子はA4用紙百数十枚をじっくり読んだ。
ぼっさんについて、そういう事件を思わせるようなことは一切書かれていない。事件の
カケラもなさそうな、のんびりした文章ばかりである。
粗大ゴミにして出されてしまったワープロの中に眠っているであろう自分史完成版に
は、おそらくぼっさんのことをもっと詳しく書いてあると思われる。
母は、おそらくその詳しい内容を知っている。
いまだ会ったことがない人物とは言え、叔父は叔父である。
ひょっとしたら、凶悪犯罪者の叔父。
それが明るみに出ると、尚子の将来もない。子供に勉強を教える仕事をしている英司な
どは即職を失う。
母が心配しているのはそれなのか。
その推測が当たっていれば、自分にも忌まわしき殺人者の血が流れていることになる。
そして。
近藤家、近藤清一郎議員にとっては、血のつながりのない、過去の兄のことだとはい
え、確実に失職するだろう。
そこまで考えて、尚子は顔色を失った。
丸一日、部屋にこもって考えていた。
和歌山の蓬原伸司に電話をした。
「伸司さん、すみません、母は、『三人死んでる』と言ったんですか? 間違いないです
か、その言葉」
「間違いないよ」
「三人殺されてる、とかじゃ、なかったんですよね」
「違う。死んでる、と言った。殺されてるとは言ってない」
「ぼっさんこと、正平さんが殺人事件、起こしてるんじゃないかとか、思っちゃっ
て・・・」
152
「それはないだろう、とは言い切れない。その可能性もある。なんだ、尚子さん、まだ調
べる気なんか?」
「どうしたらいいでしょう。最初は私も、行方不明のお父さんの弟さんが、どこかで苦し
い生活をしているんだー、なんて勝手に思って、助けてあげなきゃとか、天然ボケ極まる
こと考えてました。そうです、天然です、昔から言われるんですわたし」
「落ち着きなさい。今手元にある、お父さんの思い出を大事にしてあげてやね・・・」
「もう、そんな平和な話じゃないと思います」
「まだ調べるつもりなんだな」
「恐いです。もう調べたくありません。でも、じっとしていられません。どうしたらいい
でしょう」
「・・・一つだけ、アドバイスというか、注意だ。近藤家にはコンタクト取ったり、絶対
しないように。尚子ちゃんまで拉致されたり、最悪、消されてしまうよ、もし正平が近藤
家に絡んで、やばい事件起こしてるんだったら」
「そうですね。絶対に表に出てはいけないという事情は、私の家よりもあっちのほうが強
いでしょうから。でも、父の自分史から始まった話です、私が近藤家に直接訊いたりしな
い限り、決して気付かれることなどあり得ません」
「まあ、そうだろうけど」
「私、変ですか?」
「何が?」
「やっぱりお母さんの言うように、全部、やめてしまうのが普通ですよね」
「そればっかりは何とも言えないな。俺は。俺もね、尚子ちゃんがくれたお父さんの自分
史のコピー、毎日読んでるんだよ。ぼっさん。正平。こんな思わせぶりな書き方されたら
な。肝心な部分がないし。
これは確信に近い感覚なんやが、あんたのお父さん、武雄さんが事件を起こしたなんて
ことは100%、ない。ただし、お父さんが起こした迂闊な行動が原因で、正平が、事件
を起こす羽目になってしまった。それについての、懺悔じゃないのかな、お父さんが娘さ
ん息子さんに、本当に伝えたかったことは」
「懺悔なら、しっかり受け止めたいと思います。後悔はしません。結果的に父を恨むよう
になっても。このままだと、私、仕事にも戻れません。そんな気分になれないんです」
153
「だから、気が済むまでやったらいいじゃないか。ここまで来たら。俺は応援するよ。お
金とか、大丈夫か?」
「すみません、ご心配くださって。それは大丈夫です」
「しつこいみたいだけど、近藤家には絶対近づいたらあかんで」
「ぷっ」
「何だ。人の話し方に、また笑ってんのか」
伸司との会話でかなり気が晴れた。
これからは気迫勝負、気合い勝負である。
もっとも信憑性があると思える推測は、ぼっさんこと蓬原正平は事件であれ事故であ
れ、三人の命を奪った。父はそのことが、自分が起こした何らかの行動が原因だったと、
生涯後悔していた。
あるいは父が知らぬままだったことも隠れているかもしれない。自分がすべてを知った
そのときは、自分が父と正平の間に立ち、亡き父の前で経過を報告したい。もちろん、正
平にも生前の父のことを伝えたい。そして蓬原伸司以外には、母にも弟にも、誰にも教え
ない。
正平は絶対生きているという気がする。死んでいれば、ちぐはぐの自分史とはいえ、弟
が死んでいると、父ははっきりわかりやすい部分に記録したはずである。
唯一の不安は、正平が危ない人物だったらどうしよう、ということであったが、おそら
く七十代半ばも過ぎた老人である。対峙することがあっても、危険はないと思いたい。
尚子はすっぴんのままコンビニに買い物に出かけ、遅い夕食を買ってきた。若い頃から
ナチュラルメイクに近いもので通しているが、お気に入りの化粧用品はまあまあ値の張る
ものばかりである。
近年は化粧のために化粧をしているつもりはなく、肌のために化粧をしているつもりで
ある。しかし最近になって、すっぴんでコンビニには行けるようになってしまった。
ただしスーパーとなると抵抗がある。そのうちスーパーであろうがどこであろうが、
堂々と行けてしまう年齢が来るのかと、愚かなことを考えてへこむ。
出来合いの、買ってきた食事をテーブルの上に並べ、しばらく悩んでいた。仕事をして
ほう
いたときはあり得なかった、呆けてしまうほどにのんびりした空気である。
154
今日はくたくたに疲れた。
市立中央図書館で、大阪市内、大阪近辺で起こった「三人が被害者」というこれまでの
殺人事件、または事故について調べた。
す
時間制限があったが、平日でガラ空きだったこともあり、繰り返して閲覧申込書を書
き、結局十時から六時まで、昼食もとらずに調べ倒した。
徒労に終わったと思った。
大体、調べる対象が膨大すぎた。
有料で絞り検索をやらせてくれる新聞社があるから、図書館に来ないでも調べられる。
それに、費用の相場などわからないが、探偵に頼むという方法もある。
そういう、一気にすべてがわかってしまうような方法に頼る気は尚子にはなかった。そ
の勇気がなかった。
他人に協力を頼んだりすれば、父親の汚名を掘り出してしまうようなことにもなりかね
ないのだ。
自分だけが知れば、それでいいのである。
図書館で、『弱者への向学のすすめ』というタイトルの、近藤誠一郎著のビジネス新書
を借りた。
二時間ほど寝て頭がすっきりしたので、読んでみた。
なかなか面白い内容だった。
近藤議員の生い立ちも、その本に数十ページにわたって書かれていた。それは尚子がこ
れまで蓬原伸司に話を聞き、自分の頭の中で組み立てた内容と寸分変わらなかった。
これまでの自分の行動が馬鹿らしくなった。もっと早くに読むべきだったと尚子は思っ
た。
ただし、一つだけ書かれていないこと、すなわち議員が隠していることがある。
尚子たちが調べている議員の兄、すなわち父の兄弟、ぼっさんの存在である。
あきちゃんとクロベエ
155
あきちゃんは小学校1年生の女の子です。
あきちゃんの家には、クロベエという犬がいました。
クロベエは長い顔をした、ひげもじゃの、外国のおじいさんのような顔をした犬でし
た。
ある、冬のできごとでした。
あきちゃんのおじさんが、朝のさんぽにあきちゃんをつれていったときのことです。
クロベエは、えき前のしょうてんがいの、じてん車おき場のそばにあるダンボールばこ
に入れられて、すてられていたのです。
お母さんは、そんなへんな顔のきたない犬、いりませんと言いました。でも、あきちゃ
んのおじさんのおうえんもあって、顔の長いきたない犬は、あきちゃんの家にかわれるこ
とになりました。
クロベエはおじいさんのような顔をしているのに、年れいがまだ1さいと少しであるこ
と、ざっしゅなのに外国のめずらしい犬の血がはいっていました。
クロベエは、ぶさいくでした。
あきちゃんの友だちは、みんな、ころころしたかわいらしい犬をかっています。わるい
友だちはへんな顔の犬、とからかいましたが、クロベエのあまえんぼうのせいかくは、あ
きちゃんがいちばんよく知っています。
どうぶつが好きでなかったあきちゃんのお母さんも、だんだんとクロベエのめんどうを
見てくれるようになりました。
あきちゃんはひとりっ子だったので、学校の時間、ならい事の時間以外はすべて、クロ
ベエといっしょにいました。
お父さんがくろうして犬ごやをつくりましたが、クロベエはほとんどその中にはいませ
ん。
クロベエはあきちゃんには弟のように、そしてお父さんお母さんには小さい子供のよう
に、いつも家の中をついて回りました。
クロベエがあきちゃんの家の家族になって、5年ほどがすぎました。
あきちゃんは6年生になり、クラブかつどうにならい事、さらにいそがしい毎日をおく
っていました。
156
お昼のさんぽはお母さんのしごとでした。
お母さんはクロベエを連れたまま、よく買いものに行きました。
スーパー入り口のはしらに、クロベエのリードをくくります。
クロベエはいつもおとなしく、待っていました。
ところがある日、買いものをすませたお母さんがもどってくると、クロベエがいません
でした。
お母さんはおどろいて、スーパーのけいびいんさんに話しました。
スーパーのぼうはんカメラに、赤いふくを着たおばあさんが、クロベエをつれていくと
ころがうつっていました。
クロベエは、ぬすまれてしまったのです。
その夜、あきちゃんとお母さんはけいさつに行って、犬をさがしてください、とたのみ
ました。
けいさつの人はしんせつでしたが、犬だけじゃなくて、人も、いっぱい、いなくなって
るんだよ。けいさつは、いなくなった人をさがすのにいそがしいんです。と、泣いている
あきちゃんにせつめいしました。
あきちゃんは、いんさつができるきかいを持っている友だちに助けてもらい、はり紙を
いっぱい、作りました。
クロベエととったしゃしんは100まい以上ありました。
いろんなしゃしんをつけていんさつし、たずね犬のはり紙を、お父さんお母さん、おじ
さん、友だちもみんな手伝って、じてん車にのって、いろいろなところにはりに行きまし
た。
なん週かんかすぎましたが、クロベエはまだかえってきません。
あきちゃんは、まよい犬がほごされるという、どうぶつあいごセンターにも毎週かよい
ました。
もし、クロベエがまいごになっていれば、かならずそこにいます。
でも、そこに行くたびに、あきちゃんはたいへんかなしい思いをしました。
あんらく死、といって、かい主の見つからない犬やねこは、みんな死んでしまうので
す。
157
センターのおじさんは言いました。
子犬や子ねこならもらい手があるけど、おじいちゃんおばあちゃんの犬、ねこはだれも
もらってくれない。おじさんもいつも、かわいそうに思えてしかたがない、と。
でもあきちゃんには犬、ねこがおじいちゃん、おばあちゃんと言われても全然わかりま
せん。
みんなかわいい犬、ねこなんですから。
あきちゃんは、泣きそうな顔であきちゃんを見つめる犬たちを、クロベエのかわりにも
らっていこうと、何どもかんがえました。
でも、クロベエを見つけるのが先だと、がまんしました。
クロベエは家ぞくであり、自分の弟なのです。
ぜったいに見つけてあげなければなりません。
クロベエがいなくなって、もう半年がすぎました。
あきちゃんはならい事のひとつをやめ、クラブかつどうもお休みをもらいました。
あきちゃんは毎日、クロベエをさがしています。
クロベエは、ぬすまれたのです。
ほかの家の子になって、さんぽをしているかもしれません。
あきちゃんはがんばりました。毎日毎日、いろんなところを歩きました。
自分の弟を人さらいのようにさらっていった人は、ゆるせません。
あきちゃんはずっと、はり紙をスーパーでくばり、あいごセンターにかよい続けまし
た。
にた犬がいる、というれんらくを聞けば、電車にのって出かけていきました。
あきちゃんは一人でけいさつにもかよいました。
やさしいけいかんのおじさんが、あきちゃんが来たときには、ほけんじょなどにれんら
くを入れて、たずねてくれました。
その日は日曜日でした。
あきちゃんは電車で3つむこうのえき、その近くのこうえんを歩いていました。
雨がふってきました。
あきちゃんはかえろうとしました。
158
雨なのに、かさもささずに、犬を3びき、つれているおばあさんがいました。
あきちゃんは犬が大好きですから、たとえクロベエにぜんぜんにていない犬をつれてい
る人と話すときも、犬の頭をなでさせてもらいます。
みんな、いい人ばかりでした。
あきちゃんは、犬をなでようと、おばあさんにちかづきました。
犬は、赤いふくをきせられていましたが、あきちゃんにはすぐにわかりました。
おばあさんのつれている犬は、クロベエでした。
「クロベエ!」
あきちゃんは大きな声でよびました。
クロベエはすぐにこっちをむき、くるくる回り、ぜんしんでよろこびをひょうげんしま
した。
しかし、おばあさんはこわい顔をして、ずりずりと3びきの犬を、ひっぱっていきまし
た。
「その犬わたしの犬です! クロベエです!」
クロベエであることはまちがいありません。
クロベエはくるったようになき、あきちゃんにかけよろうとします。
おばあさんは犬たちをひきずり、あきちゃんをまったくむしして、歩いていきます。
「へんな子や! かえり! むこう行き!」
おばあさんはおこりましたが、目の前にいるのは、長い間さがしてきたクロベエです。
あきちゃんもだまってかえるわけにはいきません。
おばあさんから少しはなれて、あとをついていきました。
おばあさんは犬をつれたまま、いっけんの家に入っていきました。
あきちゃんがいくら戸をたたいても、おばあさんは出てきませんでした。
クロベエは大きな声でずっと、ないていました。
つぎの日、お父さんといっしょにあきちゃんはふたたび、その家にやってきました。
家の中から、はげしくなくクロベエの声が聞こえました。
「あれはクロベエやな。まちがいない。」と、お父さんも言いました。
おばあさんと、お父さんが、話しています。
159
あきちゃんの足もとにはクロベエがいます。よろこびすぎて、おしっこをもらしていま
す。
しばらく会わないあいだに、クロベエは太ったようです。
やっと会えた。
あきちゃんはうれしさで、なみだがあふれました。
そして。
お父さんはどういうわけか、クロベエをおいていく、と言いました。
クロベエをのこしたまま、お父さんとあきちゃんは車で家にかえりました。
「なんで? どうして?」
あきちゃんはうったえました。
お父さんはあきちゃんに言いました。
「あのおばあちゃんは、頭のびょうきや。おばあちゃん、死んだ犬が生きかえって、来て
くれたって言うとる」
「ちがうよ! クロベエは私の家の犬やんか!」
「わかっとる、わかっとる。でもな、今すぐあのおばあちゃんからクロベエ、取り上げて
み。おばあちゃん、どうなる? おばあちゃんはな、おまえがクロベエを弟と思ってたの
と同じように、クロベエをむすこか、まごみたいに思ってるんやで」
「そやけど!」
「泣くな。なにもクロベエをあのおばあちゃんにあげる、ってこととちがう。ちょっと、
ほかの人にそうだんしてみよう。クロベエがああして、元気で生きてるってことがわかっ
ただけでも、よかったやんか」
お父さんはあきちゃんの頭をぽんぽんとやさしくなでましたが、あきちゃんはなっとく
がいきませんでした。
つぎの日、あきちゃんの家に知らないおじさんが2人、やって来ました。
1人のおじさんは、くやくしょの人で、もう1人のおじさんは、あのおばあさんのむす
こさんでした。
2人のおじさんと、お父さんお母さんが、長いあいだ話をしていました。
160
あのおばあさんはかいごのしせつに入らなければいけない、しかしおばあさんはそれを
いやがっている、3びきの犬がおばあさんの生きがいであり、犬が1ぴきでもいなくなっ
たら、おばあさんは今いじょうに体を悪くしてしまう。
そんな話でした。
けっきょく、クロベエはこの家にもどってくることはありませんでした。
今、あきちゃんは週に2、3回、おばあさんの家にかよっています。
さいしょはこわかったおばあさんも、今はあきちゃんがくるのを楽しみにしてくれて、
おやつやジュースをくれます。
テレビをいっしょに見て、2時間くらいいることもあります。
おばあさんはたまに、あきちゃんにはむずかしい話をしますが、ふーん、へぇー、と言
って聞いているだけでおばあさんはよろこんでくれているようです。
おばあさんのむすこさんが、かんしゃして、高いお肉や、はこに入ったお父さんのビー
ルを持ってきてくれます。
あきちゃんのきもちはかわりました。
かんしゃするのはわたしのほうかもしれない。
クロベエはわたしの弟になるとどうじに、あのおばあさんのまごにもなったのです。
クロベエはすごい。クロベエは、犬が大好きなおばあさんという友だちをわたしにしょ
うかいしてくれた。
そういうきもちでした。
(おわり)
なんだこの話は、と、読んでくださっている方の声が聞こえてきそうである
先日、駅前の大きな古本屋で、何年か前にベストセラーになった、大人でも読める現代
の童話というのを100円(税別)で買ってきた。
一時間程度で読破できる読みやすい本だったが、それに感化されて、私も僭越ながら、
童話調の文章というものに挑戦してみた次第である。
161
因みにあきちゃんというのは実在の人物。今より二十年程度前の話で、和歌山に住んで
いた私の妹の娘、姪っ子の中田亜紀ちゃんのことである。
会話の部分など、私が創作したが、話の流れは大まかな部分、事実であり、話の冒頭に
出てくるおじさんとは、私のことである。
上述の話の中では、私と亜紀ちゃんが朝の散歩中、捨てられていたクロベエを見つけ
た、としているが、実際は違う。
あの日、私は仕事で出かけた和歌山市内で、少々飲み過ぎ、家に帰るのが面倒くさく、
当時橋本市内の新興住宅地に宿替えしていた妹の家に、迷惑にも深夜近くに押し掛け、妹
に文句を言われながら、居間に転がって寝て、朝早く叩き起こされ、トボトボと朝の道を
帰る羽目になった。
小さかった亜紀ちゃんが、私の後を付いてきて、駅まで見送ってくれたという次第。ク
ロベエを見つけたのはそのときである。
あの犬を飼うことになった、おっちゃんありがとう、とわざわざ電話をくれた亜紀ちゃ
んだったが、後日、再び妹夫婦宅を訪問したとき、犬はいなかった。そのときに亜紀ちゃ
んから聞いた話を元に、1割程度脚色したのが、上述の話である。
本来窃盗事件になるところが、痴呆症気味の年老いた女性には犬を盗んだという意識は
なかったのだろう。
その後も女性と亜紀ちゃんの家との交流は続き、数年後彼女は息子さんと同居すること
になり、三匹の犬もその家の飼い犬として、寿命を全うしたそうだ。おばあさんは驚くこ
とに、今も生きている。百歳を越えているのではないだろうか。
あきちゃんは現在三十二歳。結婚して北海道へ越したが、車いすや杖などをレンタル、
販売する福祉ストアーチェーン店の店長、という重要な仕事をしている。
去年、亜紀ちゃんが里帰りした際に何年かぶりに会った。人間性も体格も随分と立派に
なったが、私には、亜紀ちゃんは亜紀ちゃんである。
そのときに聞いた話であるが、亜紀ちゃんは大学を中退し、ペットショップに就職した
そうだ。そして迷い犬、捨て猫を助けるボランティアに熱中しすぎて、仕事を辞め、何や
ら、老人ホームへたくさんの犬、猫を連れて行く活動を始め、その縁で介護の世界と縁が
できたそうである。亜紀ちゃんのご主人はボランティア活動時代からの先輩であり、今
も、その、介護施設に犬や猫を連れて行く協会の会長をしているそうである。
162
クロベエがいたから私は今の仕事をしている。懐かしい昔話の中で、亜紀ちゃんはそう
言った。
亜紀ちゃんがクロベエを思い続け、探し続けたからこそ、亜紀ちゃんの今の人生があ
る。亜紀ちゃんがあのとき、クロベエを探すことをあきらめていたら、まったく別の人生
を送っていたことだろう。
そんなことを考えながら、今私の足下で寝ている我が家の飼い犬、リョウ太を見てい
る。
マルチーズである。小さい座敷犬だが、よく太って、まるで豆タンクである。犬のカレ
ンダーに出ているマルチーズのような、すっきりした愛らしい顔ではない。
このリョウ太も我が家に来て12年。
人間でいえばもう老人という年齢。
しかし私は同じ老人でありながら外にも出て、忙しく毎日を送っているというのに、ど
うしてこいつは寝てばかりいるのだろう。子犬の頃から寝てばかりいる犬である。老人で
も働け。動きなさい。
尻を足でつつくと、眠そうな顔をこちらへ向ける。「おい、用もないのに邪魔すな」そ
んな顔である。
物語のような生涯を送ったクロベエとは、えらい違いである。
平成十四年七月十二日(日)
記
尚子は長尾トモと食事をしている。父のこと、ぼっさんのことはすべて解決し、以降も
長尾トモは尚子のよく友人、大先輩となってくれた。
「あら偶然!」と後ろで声がして、すると自分の母が立っていた。厚かましく、席を移動
してきた。母と一緒にいたのは、黒い犬の刺繍が入った服を着た、おばあさんである。
「ちっちゃいおじょうちゃんからもらったワンちゃんの話をしてましてねえ。クロベエっ
ていう犬でしたのよ」
「ワンちゃんも嫌いやないですけどぉ、なんちゅうても猫のほうが可愛いよねえ」どこか
で見た女性。そうだ。初江の家に訪問した際、太った猫を連れてきた女性である。
163
「ぶーちゃん、元気にしてます?」
初江だった。
「あれ? なんで? 初江さん? なんで?」 そう尋ねる尚子の横から、また別の人間の声
がした。
「違うよ、にいちゃんやがな。二人とも、にいちゃんやがな」和歌山の施設にいるはずの
叔母まで入ってきた。
「来ましたよ来ましたよ!」 店に駆け込んで来たのは、確か作文教室の先生。
「こっちです、稲垣さん!」
店の入り口、父の顔が少し見えた。
そこで目が覚めた。
うなさ
まったく、今の自分の周りは老婆だらけである。 魘 れそうな気分にもなる。
尚子は寝そべりながら悩んでいた。
これからの方針である。
無計画に、かつて父が育った地域を歩き回るわけにもいかない。
従兄弟の亜紀ちゃんは、今は遠くに住んでいるが、確かに父の文章そのままの、頑張り
屋の人間である。
犬と人間、クロベエとぼっさん。探す対象はまったく違うが、おまえもあきちゃんと同
じように頑張らんかい。そして俺を助けてくれ。ぼっさんとの間をつないでくれ。
父から、そう言われているような気がしてくる。
そう、父も蓬原伸司同様、自分のことをいつも俺、と言っていた。いい歳をして何が俺
や、と父の前で笑ったこともある。
それにしても、父の意外な面には驚かされ続けである。
これが現代の童話だとしたら、へたくそな童話である。
しかし父は感覚の幅が非常に大きな人間だったのかも知れない。
父はもう死んだのだから、自分が何をどう頑張っても、それは遺族の自己満足である。
父の言葉が頭に浮かぶのは、自分の思いゆえ。妄想に近いものだとも言える。
それでもいい。父の、感覚の幅を真似したい。
まず、自分にできることを完遂しよう。
164
残る方法はやはり、ひとつしかない。
しょうしゃ
時間をかけて、古い写真を持ち、下寺町、伶人町の 瀟 洒 な家々を一軒一軒訪ね歩くこ
と。周辺の介護施設を訪問すること。
休職願いまで出してやっていることである。納得行く答えが出るまでは、やはりあきら
めるつもりはない。
尚子は目覚ましを七時という普段より早い時間に合わせた。明日、再び寺町へと足を向
けようと決めた。
役所に、ある老人の家族の所在を問い合わせても、個人情報なんたらで教えてくれな
ほぞ
い。人の命が尽きようとしているのに、と臍を噛んだことが、病院の仕事でも二度三度で
はなかった。
身内を捜している旨を告げ、朝から三軒ほどの施設を訪問した。しかしやはり、介護施
設でも個人情報保護云々を垂れられ、いきなりの徒労だった。
三軒目では世間話に付き合ってくれた初老の職員がいたが、老人の持つ財産目当てに親
戚を名乗り、物を売りつける連中が多いそうだ。尚子はどの施設でも看護師の身分証を出
したが、警察や役所の人間の同行なしに、人捜しはまず相手にしてもらえないとのことだ
った。
これは想定していたことである。
午後は、曲がりくねった道沿いにならぶ、大きな家々の呼び鈴を尚子は押して回った。
インターホン越しではこっちの自己紹介もろくにできない。宗教の勧誘か何かと思われ
たのだろう。四軒ほど連続でつれない応対を受けたあと、目の前に続く住宅の数々を見
て、尚子はげんなりした。
コンパクトなセカンドカー。子供の自転車。洋風の植木。艶々のレンガ。表札のポップ
字体。
まったく、老人が住んでいる気配がないのである。
それでも尚子は夕方近くまで、家々の訪問に時間を費やした。
蓬原家の周辺は大体回った。
165
何の収穫もなかった。
明日は父の住んでいた長屋があったという、下寺町のほうへ行こうと思うが、しかしそ
っちはマンションだらけである。
まさか会わないだろうな、と意識はしていたが、同じ道を行ったり来たりしているう
ち、見覚えあるポップな字体が大きく横に書かれた軽自動車とすれ違い、「その後、どう
なりました!」と、大きな声が飛んできた。
有馬である。
「はい、有馬さんのおかげで伸司さんにも詳しくお話が訊けました。ありがとうございま
した」
もはや他人には頼めないことである。適当なことを行って去ろうと、一瞬は躊躇した
が、勢いに負けた。
気付けば有馬の事務所にいた。
確かにこの人物なら、母の言う恐ろしい事情とやらを知っても、騒がないだろう。しか
し黙っておくのも悪いので、タイミングを見計らって、しっかり告げる。それで、協力を
拒まれたなら仕方がない。
尚子は新しくわかったことを有馬に教えた。
そして、戸籍を辿る調査はこれ以上苦しいこと、残る手立ては当時を知る近隣の老人に
直接話を聞くということ、結局振り出しに戻ってしまったことを尚子は説明した。
「なるほど。二回の養子を余儀なくされた正平少年の数奇なる運命。双子の片割れが存在
を隠したその謎、か。サスペンスのドラマみたいですな。しかし年寄りのオンパレードで
すな。関連する人らみんな」
「何分昔の話なもんですから」
「この辺の年寄りについては任せてくださいな」
「こちらこそ、もう有馬さんにお手伝いを頼める理由も何もないのですが」
「あなたはお父さんの供養、私は初江さんの供養。まあ、こんなおっさんでよければでき
ることは何なりと」
有馬は書類棚から一冊のノートを取り出し、ぱらぱらとめくった。
「清水寺周辺、口縄坂周辺、それと、下寺町一丁目、でしたね?」
166
「はい」
独り言のように有馬が続けた。
「そのへんで住んどる人間・・・うちが世話してる老人は十三人いますね。三人はただ今
入院中。除外。一人は・・・良くないなあ。話できる状態じゃない。一人は出身栃木、一
人は鹿児島の人ですから、関係ない。残るは七人・・・うち一人は台湾の人や。あかん。
話、聞けるのは六人やな。今何時? 七時前か。あかん。山岸さんはもう寝とるな。今か
ら急いだら全員、話聞けるかも。行きましょう」
「あの、電話しないでいいんですか?」
「かまへんですよ。今の時間は、どの年寄りも一番退屈にしてる時間です。早く行かん
と、みんなはよ寝よりますからね。よしこの人から先に行こう」
有馬はノートをパーンと叩いた。
前回同様、やはり自転車である。
有馬は前回同様ガニ股ですいすい飛ばしていき、尚子は必死で追いかけた。
三人の老人の家を回り、夜九時過ぎになった。残る二人は後日話を聞きに行くことにな
った。
三人の老人は戦前からこの地域に住んでいる人間であり、地域の情報はあれこれと教え
てくれたが、蓬原家の子供たちや、ぼっさんについては知らなかった。
有馬と尚子は自転車を押し、清水寺の裏あたりをとぼとぼと歩いていた。
「駄目なのかなあ」尚子はつぶやいた。
「なんですかその、あきらめたような口調は。まだ二人おるじゃないですか」電球のよう
な頭を近づけて有馬が話した。
不意に、涙が出てきた。
「あら? なして。あらあら。尚子さん、どうされました? 困ったな。泣いたらあかんが
な。こういうのは、時間がかかるから、ゆっくり、わしもまた手伝いますから。あきらめ
んと」
「す、すみません。気が緩んじゃったのかな」
「これで良かったらどうぞ、まだ汗とか拭いてません、洗濯したあと未使用ですから」
有馬が自転車のカゴからタオルを取り出して、尚子に渡した。
167
「ありがとうございます、あれ、どうしたんやろ、ごめんなさい」
涙が止まらなかった。
「あの、まあ、わし、嫁も子供もいてますが、よかったらほれ、肩とか」
「何言ってるんですか有馬さん」
「泣いたまま素にならんとってくださいよ」
「有馬さん、本当に申し訳ありません」
尚子は有馬に向かい、深々と頭を下げた。
「あの、有馬さんに黙っていることがあります」
「何ですの」
「母親に、父のことを調べるのを、やめるように強く言われてしもたんです。理由がある
んです。その理由は、まだわかりません。でも、母は、三人の人が死んでる、って」
「へっ?」
「だから、私が探している人は、最悪の場合殺人犯かもしれないし、最悪じゃなくても、
大きな事故を起こしたことがある人です」
「そりゃ、いつのこと?」
「全然わかりません。最近のことかも、大昔のことかも。有馬さんなら頼れると思いまし
た。有馬さんしか頼る人がいません。本当にごめんなさい。有馬さんが嫌なら、もう私、
お願いすることは何もありません。お詫びは何か、ギフト券でも送ります」
「なんやっ、ギフト券て」
「すみません、言葉が思い浮かびません」
「嫌ですね、まったく、尚子さん、えらいこと頼んでくれましたなあ。嫌で嫌でたまりま
せんわ」
「本当にすみません。ごめんなさい」
「話は最後まで聞きなはれ。尚子さんが最初からそれを言ってくれなかったのが、嫌で、
寂しいなあと。
あのですね、あの文章読んだ限りでは、お父さんはまず犯罪者などでは絶対にありませ
ん。
ぼっさん、弟さん。ひょっとしたら犯罪者、それも逃亡中の。とか。でもねえ、尚子さ
んはお父さんの遺言、とちゃうわ、その、未完成の自分史を辿って、お父さんの言い遺し
たかったことを知りたい、ってことやよね」
168
「はい、そうです」
「最悪の事実がわかったとしても、覚悟はありますか。例えば尚子さんには、例えばや
で、叔父さんのやったことについて、被害者に対する責任などあらへん。そやけど、これ
も最悪の場合、被害者に民事裁判起こされたりとか。親戚は尚子さんの家しかないような
場合やけどな。
加害者の姪っ子として、被害者に直接会ったり、そういうことはどう?」
「父なら、必ず責任を果たしたと思います。私は、被害者の人たちに会います。賠償でき
るかどうか、わかりませんけど」
「なんや、泣いてたと思ったら、屁我慢してるみたいな顔になって」
「そういうこと、言います?」
「尚子はん。まあ、全部、あくまで想像の話やけどな」
「でも私、覚悟はあります。父なら、必ずそうしました」
「ひょっとしたらお父さん、賠償とかしてたの? 生前」
「全然、そんな話はちょびっとも、聞いたことありません」
「ということはや。お父さんは加害者から責められるような立場ではなかった、と思った
らええんとちゃう? お父さんは、弟の起こした事件、事故を知らん。うん、絶対そう
や。お父さんは、ただただ、会うことが叶わなかった弟さんを想い、昔の話にきれいに色
を付けて尚子さんらに話したかっただけなんや。あら。また泣くの?ほれ、肩。タダや
で」
「もう涙止まりました。次にまたお願いします」
「へーい、またいつでも」
「本当に有馬さんには感謝してます。今日、本当に途方に暮れて、どうしようかと思った
とき、ぴかっと、有馬さんの顔が浮かんだんです。有馬さんが一番頼れる人だって」
「ちょっと待て。今、ぴかって言うたな。ぴかって」
「死んだらすべて終わり、ってみんな言います」
「聞いてんのか」
「確かに死んだ本人にとってはすべての終わりですが、残された人間にとっては、それこ
そ死んだ人が、何も遺さずに消滅するってこともあるやろうし、借金を代わりに払えとか
生活を守れとかいう通告書を遺す人もいる。勝手な解釈ですけど、私の父はね、なんか大
きな矢印をどんっ、と遺してくれたような気がしてるんです」
169
「・・・人間、死して何を遺す、か。深いなあ」
「父は何とも不思議な謎を私たち家族に残してくれました。知ってもらいたくなければ、
秘密は墓場まで持っていく。でも、父は知ってもらいたいからこそ、秘密を私たちに文章
で遺したんです。
父は私に、謎を解いてほしいって、きっと願ってます。でなければあんな文章は遺しま
せん。その謎を解きたいというか、私はゲームに挑戦しているような気分になっているの
かもしれません。
アホですよ、こんなことのために休職願いまで出して。でも、父がひとりで歩いてきた
道を、私はたどって来ました。この短い期間の中で。私は百メートル、いや、たった一メ
ートル、父が作った道の距離をどれほど辿ったか、全然わかりません。けど、私は歩いて
ます。父は喜んでいると思います。
いろいろ悩みました。この先には、きっと悲しい事実が待っています。今現在、母親と
冷戦が続いてます。
けど、本当に父が隠したいことなら、一度も私に話してくれたことのない正平さん、ぼ
っさんのことをあれだけたくさん、書くはずがない。そやから、これは父が私に解け、と
言って残してくれた謎なんです。もし謎が解けへんかっても、父は父で喜んでくれるかな
って。全然取り留めのない話で、ごめんなさい」
「お父さんの自分史、ちゅうことやね。お父さんはおっちょこちょいなところがあられ
て、大事な告白とも言える家族、親類に向けた言葉を残したフロッピーを、間違って捨て
てしまった。
そうですね、うん。告白ですわ」
「懺悔じゃなくて?」
「懺悔とちゃう。お父さんが犯罪犯したわけやないんやから。告白や。お父さんはね、最
後にはちゃんと、告白したかったんやと思いますよ。そうでなかったら、自分史にあんな
見出しは書かない。
謎の第九十九章、私とぼっさん(蓬原正平君)。ええですか尚子さん、部外者の私が言
うのはおかしいですけど、尚子さんは謎を解いてください。尚子さんが考えるそのまん
ま、お父さんはきっとそうしてほしいと思っているはずですわ。
年寄りをたくさん看取った私が言うんですから、間違いありません。稲垣さん、看護婦
さんじゃないですか。ほなら、わかりますよねえ」
170
数十メートルほど先、老婆がこの遅い時間に、道を掃除していた。
「あ!」また有馬が大声を出した。老婆がこっちを見た。
「尚子さん! 写真ですよ、写真!」
「写真がどうしました?」
「初江さんが持ってたあの写真! どこで撮られてたか。そこ、注意しましたか?」
バッグの中にある写真を出して確認するまでもなかった。
「家、ではなかったですね。お寺です」
「子供が集まって遊ぶ場所。このへんだと一番に、お寺! 昔からそうやったに違いな
い」
有馬は自転車を押したまま走り、道を掃除していた老婆が今しがた閉めた、寺の門の勝
手口を叩いた。
「あの、すんませーん!」
老婆はすぐに出てきた。
たにきゅう
「こんな時間に申し訳ありません、私、 谷 九 で介護の仕事をしている者でして。有馬と
言います」
息堰切って話す有馬の迫力を前に、老婆は立ち尽くしたまま聞いている。
「実はですね、見ていただきたい写真があるんですわ。戦争時分の、ある家族の行方を捜
してるんです。地域に住む住民としてですね、是非協力願えませんでしょうか!」
「ああ、そうですか・・・ここ暗いから、今電気つけます」
尚子は写真を取り出し、老婆に見せた。
「このお寺、どこかわかりますか?」
「はいな、これは興南寺やわ」老婆は即答した。
「近くですか!」
「有馬さん、声でかいです」
はな
「興南寺の奥さんはお華つながりでねえ、何やったら今、連絡したげよか?」
「いえいえ、こんな遅い時間に申し訳ないです」尚子は恐縮した。
「奥さん、いつも遅うまで韓国ドラマのデーブイデイ、見てはるんや。大丈夫、お話好き
な人やで。有名なお華の先生」
171
「ほらほら。こういうことって、ダメだと思ってたら、繋がるときはとんとーんと繋がっ
ていく」
なぜか有馬のほうが得意げな顔をしていた。
十分後、先ほどの寺から歩いて五分程度の興南寺、そのお堂に有馬と尚子は通されてい
た。
夜でもはっきりわかった。
写真が撮られた場所は、今いるお堂の目の前だ。
上品な老婆が盆を抱え、しゃなりしゃなりと歩いてきた。
「誠に申し訳ありません、こんな遅い時間に、本当」
大きい声を出して相手をびっくりさせるであろう有馬を制して、尚子が先に挨拶をし
た。
「私は稲垣尚子と申します。西大付属病院で看護師をしています」
たけお
「私は有馬健男と申します。介護の仕事をしております」
「有馬さん、タケオっていうんですか?」老婦人よりも先に尚子が声を上げて、有馬の顔
と名刺を交互に凝視した。
有馬に名刺をもらった覚えがない。漢字は違うが、父と名前が一緒だったとは。
後にしなさい、と有馬は尚子の膝をはたいた。
「長尾トモと申します。何か、大事な用と電話でお聞きしましたが」微笑をたたえて、老
婦人が言った。そして続けた。「ねえ? 稲垣さんところの?」
「え? はい、稲垣ですが・・・?」
「武雄ちゃんの娘さんでしょ。すみません、お名前失念いたしました」
「尚子です!」
「お葬式の際はどうも。お母様、どうされていますか」
「気付かないで誠に失礼しました」尚子は畳に額を擦り付けた。
「いえいえ、あれだけたくさんの方が来られてたお葬式。年寄りなんてみんな同じ顔やか
ら、あなたが覚えてなくても何の不思議もありません」
「そんなことは。今日、ここに伺わせていただいたのは、まったくの偶然でして、自分で
も驚いています。こんな時間に本当にすみません。今日はこの写真だけ、見て頂きたいん
ですが。もしお話を聞いてくださるのでしたら、後日また早い時間に伺わせていただきま
すので」
172
「いいのよいいのよ。今日は楽しみにしてたドラマ、緊急特番とやらで中止ですって。お
ほほほ」
写真を見た老婦人は一瞬驚き、笑顔になる。
「あらー、これは。本当に懐かしい。昌夫先生のご家族ですね」
老婦人は写真を指で一点一点、なぞっている。
「ゲンちゃんとシゲちゃんは可哀想やったけど。初江さん、しばらく会ってないわね。元
気かな。ミドリちゃんとキョウコちゃん、かいらしいねえ。小さかったんやねえ。ああ、
おほほほ、タケオちゃんとショウヘイちゃん、並んで写ってるからどっちがどっちかわか
らへん。そやけどやっぱり面影ありますねえ」
呆気に取られ、尚子は言葉が出なかった。
「武雄ちゃん・・・病気するまでは、年に三回くらいは来てくれてましたかねえ」
「来てたんですか! ここに?」
「はい。しばらく来んから、家に連絡したら、あなたのお母さん、キョウコちゃんが電話
に出て、大きな病気をして入院してると。だから私、何回も府立病院までお見舞いに行き
ましたわ。そういえば武雄ちゃんのお葬式、蓬原の家の人は誰も来てはれへんかったよう
に思いましたが」
「初江さんは先日、私の病院で亡くなられました。しばらくお体を悪くしてらしたようで
す」
「・・・ああ。そうですか。しばらく見んかったし、細ってらしたので、心配してはおっ
たんですが。なんで、誰も連絡してくれへんかったんやろ・・・」
「長尾さん、ケアマネ、介護支援専門員である私が、初江さんの最後のお世話をさせてい
ただきました。初江さんの、遺言というほど大層なものではないですが、家族葬で、ひっ
そりと。それがご意向でした」
「そうですか。長生きしたら誰でもひっそりと。ですね。それは、御苦労様でした」
「長尾さん、この写真の人たち、みんなご存知なんですか?」
「ご存知も何もこの写真、私が撮ったんです。だからはっきり覚えてますわよ。
そうですね、このお寺に来てくれた人、よく写真撮ってあげた。まだカメラがないよう
な時代、お坊さんのくせに私の父は道楽者で」
「後日、お持ちしますが、父は、自分史を書いてたんです」
「じぶんし?」
173
「はい。自分の生い立ちを綴った文章です。その中で、自分が生まれ育ったこの地域のこ
とを書いてます。私は、父から双子の兄弟の存在を、まったく聞いておりませんでした。
私、お父さんの双子の兄弟、正平さんを探してるんです」
「武雄さん、正平ちゃんのことをご家族に言わなかった、ってことですか?」
「はい。父が死に、その後父の自分史を読むまでは、父に兄弟がいたなんて話、ただの一
度も聞いたことがありませんでした」
老婦人の顔が曇った。
「事情が、あったんでしょう。正平君。武雄ちゃんの弟。弟って言うても、双子です。
元々、あの子は可哀想な子やった」
「といいますと?」
「正平君は油の会社やってた、難波の家に養子にやられてね。学校の先生やってらした初
江さんのご主人の、兄夫婦の家です。そのときはお祭りみたいにみんな喜んだ。有名なお
金持ちの家やったから。
でも、そこに赤ちゃんが産まれたのよ。結局、正平君はその家族にいじめられるような
ことになってしもてね。養子に行かされてから、よく正平ちゃんは逃げ出して。ここへも
暗い顔をして、よく来てました。毎日厳しく勉強させられて、気に入らないことがあれば
物差しで叩かれる。怪我するくらい。もう可哀想で。
あすこはご夫婦どちらかが子供のできない身体だという噂があったんです。だから正平
ちゃんが養子に行った。やけど、その後すぐに、赤ん坊が生まれた。養子の意味は何やっ
たんや、となったんでしょうかね」
「それは昭和十年代の話ですよね。空襲で、そのおうちの人は全部亡くなったと聞きまし
た」
「そう。あれは忘れもしません。大阪大空襲の日です。
ちょうどその日は真っ暗な中、近所の人がみんな蓬原さん、初江さんのうちに集う形に
なったの。坂の下、日本橋方面が火の海でね。みんな不安になって集まったんよ。初江さ
んとこはこの近所で、一番大きい家やったから。ずっと昔に改築なすって、今は家だけし
かないけど、昔はあの界隈の敷地全部、蓬原さんの家やったのよ。
そのときも正平ちゃんは家を逃げ出して、初江さんの家におった。赤ん坊も、お腹を壊
してたそうで、近所のお医者さんに預けられてました。そやから二人は、死なんで助かっ
た。家の方は、そりゃ油屋ですもんね。跡形も何もなかったわ」
174
「正平さんは、その後どうなったんですか?」
「それが、私にもよくわからないんよ。武雄ちゃんには訊いたことありますよ。正平ちゃ
んはどこへ行ったのって。でも、愚連隊に入って、とか、続きを聞くのがためらわれるよ
うな、あんまりいい話とちゃうかって。近年は、正平ちゃんの話はまったく武雄ちゃん、
しませんでした。私も何か、訊きにくうてね」
時計は十一時を回っていたが、話が終わりそうな雰囲気はなかった。
「その、正平さんが、何か犯罪に関わっていた可能性があるのです」
「犯罪?」
「事故かもしれません.何か、ご存じないですか」
「・・・そんなこと、お父さん、自分史に書かないわよね」
「はい。ただ、私がこうして父のことを調べていることに母が猛反対で。その母が、私に
ではなく、私を手伝ってくださっている、この写真に写っている蓬原伸司さんに、調べる
のを即刻止めるように言ったんです。それがつい先日です。長尾さん、何か心当たり、あ
ったら教えてほしいんです」
「・・・思い当たることがあれば、尚子さんですか、あなたに教えます。でも、私の知る
限りではそういうことは何もありません。
そうや。ねえ。久しぶりですので、私、響子ちゃんに会って話しましょう。武雄ちゃん
のお葬式で何分か立ち話、しただけなのよ」
「いえ、そんな」
「武雄ちゃん、亡くなって四十九日もまだでしょう。昔話をしてきます。初江さんと私
は、響子ちゃんと碧ちゃんの母親だったような時期があったのよ。響子ちゃん姉妹は、両
親の顔もほとんど知らなかったの。え? そういう話も聞いてないの?」
「はい。両親は結構歳行ってから、見合い結婚したと聞いてました。母の両親は、私が生
まれる前に病気で死んだって聞きました。父と母が幼なじみだったやなんて、まったく聞
いてません。母は何を考えているんでしょう」
「おそらく、正平さんのことでしょう。
ねえ、尚子ちゃんの意思を確認したい。お母さんが隠したいことがわかって、それが嫌
で、辛いことやったたら、あなた、どうする?」
「どうも、するつもりはありません。父が言い遺したかったことを知れば、誰にも言うつ
もりはありません。内容次第では、手伝ってくださった伸司さんにも言いません」
175
「わかった。じゃあ、上手に正平ちゃんのことを、お母さんから訊いてきます。大丈夫、
あなたから頼まれたって言わないから」
「こんな時間に押し掛けて、そこまで言ってくださって、何と感謝したらいいのか。本当
にありがとうございます」
一切出番がなかった有馬も、つられて頭を下げた。
「尚子ちゃん、武雄ちゃんの自分史、私にも見せてくれませんか」
「はい、もちろん。明日にでも持ってきます。肝心なところがわからないんですが、ぼっ
さんのことがいろいろ書かれてます。完成品じゃないんです。歯抜けというか、未完とい
うか、父はそれをワープロに記録してたんですけど、その保存状態が悪くって。完成品と
言うのは程遠いですが、それでも印刷できたのが百四十枚程度、あるんです。読みにくい
部分もあるかもしれませんが。一番知りたい、肝心の部分が欠けてるんです。最後まで、
父らしくおっちょこちょいでした」
「ふふふ。そやけど、ぼっさん・・・懐かしいわ。あの子のあだ名でしたわね。生きてる
のなら今頃どこで、何をしてるのやら」
「そのぼっさんを、私は探してます。仕事もお休みもらってるんです」
「そうや!」急にトモは腰を上げた。
「あきらめるのは早いわよ。もう十年以上も前の話になるけど、このお寺の先代。私の亭
主。正平君を見た、というお話を聞いて、確かめに行ったことがあるんよ。先代は二年前
にあの世に行きましたけど。
ちょっと待ってて。先代の日記帳にそのときのことが書いてあります」
すぐにトモは戻ってきた。
表紙の色が褪せた大学ノートに、筆ペンでびっしりと書かれた、確かに寺の住職らしい
日記だった。
「ほらほら、このあたり。平成十三年六月二日土曜日」
達筆すぎて、改行もまるでなく、尚子にも有馬にもよく読めない。
ぽかんとなった彼らの様子を察して、トモが朗読した。
あ
江戸時代より檀家で或る近畿郵政局の金村さんが、蓬原正平君旧・稲垣正平君を箕生の施
設で目撃した旨を聞いた。
176
本日、確認の為赴く。
い
正平君は昔の面影は無く哀れにも盲目で或ったと謂う。
我その施設にタクシに乗り目指す。
特別養護老人ホウム小金木荘。
正平君の年齢は我より二十は若い故、六十過ぎであると推測される。
どのような経緯が或ったのか知らず老人ホウムとは余りに不憫。
そ
こ
こ
こ
正平君が其処で暮らしていれば此処興南寺に引き取る事を考える。
小金木荘に到着し該当人物を尋ねる。
盲目の老い人は幾名ばかりいたが名前も外見も正平君に或らず。
とは謂え金村さんは不確かなことを言う人物には或らず。
我返す返す尋ねる。
か
そんな人間は入所しておらず、又、最近亡くなった人でも彼の様な人間はいない旨返答。
我残念且つ深い悲しみを想い帰途のタクシに乗る。
「先代はね、しょっちゅうこの日のことを言ってたんですよ。老人ホームの職員の態度が
成ってなかった、って。滅多なことでぼやかない人が、えらく怒ってました。
やけど・・・正平君は結局そこにはいなかったんですから、尚子さんの助けにはならな
いかな」
「いえ、そんなことはありません。長尾さん、今の私の正直な気持ちですが、父が遺した
謎が、解けなくても私はいいんです」
「謎?」
「はい。父は、双子の弟である正平さんの存在を、たった一言も、娘の私に教えないまま
あの世に行ってしまいました。でも、私たちに正平さんのことを、父は教えたかったはず
です。父と育ちを同じくした正平さんは、もう一人の父みたいなものです。父と、正平さ
んの辿った道を知りたいんです。私が道をたどれば、それだけで父の供養になると思いま
すから」
トモは尚子の両手を握り、抱き寄せた。
「あんたは、ええ娘さんや。うん、そうしたり、そうしたり」
「あの、蓬原さんとこの伸司さんに言われた言葉、そのまま言っただけなんですけど」尚
子は照れた顔を下に向けた。
177
「かまへんの。あなたが今、本気でそう思ってるということが大事なんやから。がんばっ
てね」
長尾トモは何とも、余韻のある話し方をする人物だった。住職が亡くなった後、寺を実
質的に護るその妻として、威厳と大きな優しさがあった。
普通に暮らしていたら、ああいう人とは会えないままで終わる。おそらく有馬も同じよ
うなことを考えているのだろう。
しかし余韻はすぐに吹き飛んだ。
また、ラブホテル街に差しかかりつつあった。
前回通った昼間とは違い、今の時間はさすがのドリームワールドと化している。
「ちょわー。環境悪すぎ。嫁も娘もおるわしが女の人を口説いてるみたいやないか」気ま
ずさを隠しているのか、有馬が一層大きな声で笑った。
「いえいえ。私も恥ずかしがる年齢とちゃいます。うわっ、ベルサイユ宮殿と大阪城?」
「わしは地元やから慣れとるけど、あなたみたいなご妙齢の女性と歩くのは、これがあく
まで業務上のミッションでありましても、只今までの会話の空気を見事に邪魔してくれる
この風景には少々腹も立ちますなあ」
「なんでそんな、変なしゃべり方になってるんです」
「女の人と歩くとことちゃうなあ。いや、そういう用があるならしっかりと歩くところな
んやけど」
「さすが、こういう所まで地元のことを知り尽くしてらっしゃるんですね」
「知り尽くしてませんわ」
ほろ
独特の幌がかかった目の前のホテルの駐車場から、それぞれ自転車に乗った、カップル
と言うには年齢が行っている男女がよろよろと出てきた。
「ありゃー」
「あれー」
「どう見てもわしより歳、上やで」
「従業員の人とちゃいます?」
「いや。今どきおっさんおばはんも好きなんよ、こんなとこ」
「有馬さんもですか。へえ」
「いつそんなこと言うた」
178
「でも、こないだも、今日も本当にありがとうございました。会った人をすぐに安心させ
て、信用してもらえる。有馬さんみたいなキャラは私ら看護師にとっても手本にしたい部
分があります。今のお仕事、きっと有馬さんにとっては一生お続けになられる、天職なん
でしょうね」
「こんな変な場所で、照れさせんといてください」
あと三十分ほどで日付が変わろうとする時刻だったが、二人とも自転車にまたがること
はなく、のんびりと押して歩いている。
「わしの出番、全然あらへんかったな」
「いえ。有馬さんのおかげです、ほんま、すべて。そうや、有馬さん! タケオって。有
馬さんの名前」
「名刺渡したじゃないですか」
「もらってませんよ!」
「そう? やっぱり、名前が一緒となると放っておけないんですわ。わははは」
「ねえ有馬さん、トモさんがさっき、父が最近、初江さんとも、トモさんとも会ってるっ
て言ってましたよね」
「それが?」
「なぜ自分史の中で、父は初江さんの家を間違ったり、それ以前に、なんで初江さんのこ
と、ちゃんと書いてないんやろ」
「はて。わしが知ってれば教えますが」
「はぁー、ますます謎ばっかりが増えて行く。あ、ごめんなさい、有馬さんに偉そうに言
うて」
「いえいえ、協力を願い出たのは私ですから」
「ともかく、有馬さん、今日も本当にありがとうございました。今日は地下鉄で帰りま
す。まだ最終に間に合うみたいなんで。今度また、おごります。看護と介護の意見交換会
と行きましょう」
「そりゃええねえ。あそこから乗ったら? 自転車、戻しときますわ」
「ありがとうございます。早速私、明日その小金木荘に行ってみます。十年も前の話や
し、多分空振りに終わると思うけど、動き出したらとんとーんと進む、っていう有馬さん
の言葉信じて、行ってきます」
「仕事柄特養の中のことはよう知ってるで。日曜まで待ってくれたら、俺も行けるけど」
179
「明日、駄目ならまた付き合ってください。ほんと、有馬さんがいなかったら私、とっと
と仕事に戻っていたところです」
「あのねえ、仕事も大事でしょ。何か、いらんことをしたような気がしないわけでもない
ですな」
「辞めたわけじゃありませんし。私十七年十八年勤めて、有休、連続して取ったの初めて
なんですよ。なんかそこまでしなければならないと、自分で思ったというか」
「早く行きなさい。最終、出てしまいますよ。何か新しいことがわかったら教えてくださ
いよ」
「わかりました。本当に今日はありがとうございました。いずれ母と、弟も連れてお礼に
うかがいますので。じゃあ!」
第十八章 悪い施設とだらけた職員
小金木荘は大阪府北部、茨木市のはずれ、駅からとても歩いては行けないような場所に
あった。
タクシーの運転手に、それとなく尚子は尋ねてみた。
あまり評判のいいとことちゃいまんな、という返事だった。
十年前、寺の住職という大それた人物が訪問し、残念な思いをした場所である。今さら
自分のような人間が行って尋ねても、何の収穫もないどころか、門前払い必至だろう。
遊びであれ仕事であれ、知らない場所へ行くときは必ず計画を練るのが尚子の常だった
が、今回ばかりはまったくの白紙だった。
職員に訊いても絶対無駄である。代替策としては、年季の入った入居者を当たるしかな
い。
では具体的にどうするか。
尚子は今朝から考えているが、いい考えが思いつかないままだった。
タクシーは小金木荘に着いた。
「お父さんお母さんをここに入れるつもりやったら、やめといたほうがええで」考え込ん
でいた尚子を気遣ってか、運転手が去り際に言った。
180
タクシーが去った、施設前のロータリー。
四つほどバケツを並べ、水を入れている若い男がいた。
職員のようだが、非常にだらしない感じがする。バケツに水は効率よく入って行かず、
地面がびしょびしょである。こんなだらけた職員がいる施設なのだから、やはりろくな施
設ではないのだろう。
尚子はその職員と一瞬目が合ってしまった。急いで目を逸らし、自動扉の前に立った。
開かない。
扉の向こうには受付のようなものがあるが、照明も落とされており、誰もいなかった。
「あのー」
だらけた職員が話しかけてきた。
「開かないですよ、そこ」
「そうなんですか。入り口はどこですか?」
出入り口はあちら、と書いた紙が貼られていた。
病院などでは夜間や休日はメインの出入り口を閉ざしているが、今は平日の真っ昼間で
ある。
「電気代節約で、自動扉まで切ってるんです。せっこい施設です。入り口は向こう、通用
口から入ってください」
その通用口が尚子が立つ位置からは見えなかった。
「案内します」
「いいです、ありがとうございます」
「つまんない仕事ばっかりやらされて腰痛いんです。体操がてらに案内します」
職員は身体をくねった。変な奴だった。尚子は離れて歩きたいと思った。
「入所者の家族さんですか?」
「いいえ。大阪市内で看護師してます」
「ひょー。看護師さん、ねえねえ、コンパとかはしないの? あー、介護の人間は貧乏人
ばかりだからダメだって? あはは、大丈夫大丈夫、当たり前のことだから怒らないっ
て」
ねえねえ、とは何だ。病院にはこんなふざけた職員はいない。
男は勝手に喋り続けている。
「コンパって。誰も言わないですよ、今どき」
181
「死語かぁー」
「死語ってわけじゃないですけど」
「看護師さんたちとコンパとか、やったことないんだよね。あこがれだ。あはは」
少し会話に付き合ったのがまったく馬鹿らしいと尚子は思った。男はまだ話し続ける。
「今用務員みたいなことやらされてるんです。面倒くせー。働ける老人を活用しろって。
基本だろって。まったく」
くだらない話を聞く気はない。尚子はただ後を着いて行った。
職員も職員であれば、建物も建物である。壁にいくつも並んだ、地上へ落ちそうなエア
コンの室外機。その壁にはヒビを補修したものであろうが、真新しいコンクリートの筋が
巨大蜘蛛の巣のように、ぐねぐねと気持ち悪い模様を描いている。
通用口には、安っぽい字体の施設名が紙にプリントアウトされ、カードケースに入って
貼られてあった。カードケースの中が湿っていた。
まだ中にも入っていないのに、みすぼらしさが目立つ。
自分は看護師であり、そして親戚の蓬原もしくは近藤正平という人物を探している。か
なり以前にここにいたという情報を聞いた。何かわかることがあれば教えてもらえない
か。
ストレートに、尚子は施設内の職員に尋ねた。
やはり、木で鼻を括ったような返答が返ってきた。
「警察、行政の方以外には、過去の入所者については個人情報保護で教えられません。最
近のことであれば二親等以内の血縁を証明するものを提示してくだされば情報を出すかど
うかの検討はいたしますが、二年以上前だったら無理ですね」
想定していた対応だったが、しかしそう言われてしまえばおしまいだった。「この建物
のおんぼろ加減の割には、お役所最先端みたいな言葉を話されますね」と嫌味のひとつも
言いたくなったが、尚子は思ったことをすぐに口に出す性格ではない。
テーブルまで案内してもらったのはよかったが、つれない言葉を吐いたあとそのまま職
員は仕事に戻ってしまった。待たされた時間を含め、その間わずか五分程度だった。
さっきの若者が、肩を落とし出て行こうとする尚子を、手招きして呼んだ。
「あの、少し聞こえたんだけどさ、お年寄り探してるんですか?」
182
若者は先ほど同様、軽い調子で訊いてきた。
「はい。所在を確認したいんです。わかりませんかね?」
「僕ね、ここの人間じゃないんです。別の施設で働いてるんです。仕事でヘマ、やらかし
まして、今日は休みなのに、ここに呼ばれて」
あんたのことなどどうでもいい。
「ここのこと、わかるかな?」
男は急に厳しい表情になった。
「個人情報保護法がありますので。コンプライアンスです」
だったら何で呼び止めたの! とついに尚子が怒る寸前、若者はふゎははは、と笑い出
した。
「じいさんばあさんのためにならずして、なぁにがコンプライアンスですか。僕ねえ、よ
くじいちゃんばあちゃんって言って、施設の人間に怒られるんです。そりゃ基本は、山田
さんだったら山田さーんだけど、僕が孫とおんなじ歳だったりして、そしたら、おじいち
ゃんおばあちゃんって呼んでくれって、頼まれたりすることもある」
「はぁ・・・」
「そうそう。資格のためについ最近勉強させられたんですけど、大体ね、最近登場してき
たみたいな英単語、コンプライアンスにニーズにアクセスメント、まだあるぞ、ノーマリ
ゼーションにビアカウンセリングにカンファレンス、まだある、インテークにアドボカシ
ー、くだらない。全部、とてつもなく仕事の邪魔。誰が考えたんだと実際思いますね。英
会話でも全然使わない言葉ばっかりだそうですよ。知ってました? 賢いバカどもが福祉
を滅ぼすんだ」
「あの、別に最近でもないし、言葉間違ってるのありますけど」
「どうでもいいっす。とにかく、僕でわかることであれば教えますよ。知り合いも働いて
るから。もちろんおたく、お目当ての老人の身内さんでしょ?」
「叔父に当たる人になります。でも、十年くらい前の話なんですが」
大仰に若者は驚いた。「じゅ、十年? どうだろう。僕は最近のことしかわかんない
し、ここの知り合いもそんなに長く働いてないしなあ」
「長い期間入所されている方とか、おられますよね?」
「調子のいいときだったら、やたら詳細に昔の話する人、何人かいるよ。この建物、要介
護度別にフロアが分かれててね。今頭に浮かんだ歴史博士は要介護3だって言ってたか
183
ら、三階にいます。三階なぁ・・・三階は難しいかもしれないなぁ・・・そうだ、おねえ
さん看護師でしょ。ナースの服着て、何々さんに検査要請です、とかテキトーなこと言っ
て、突撃かます。そうしたら三階の固いガードも突破可能かもしれません」
何を勝手に言ってるのだ。
「話聞けますか。無理なんですか。無理だったら、帰ります」
座ったばかりでありながら尚子は立ち上がり、出入り口に向かおうとした。
「こんなところまで来たんだったら、他に探す手立て、もうないんじゃないです?」尚子
の今の言い方に少々むっと来たのか、不機嫌そうに若者は言った。
・・・まったく若者の言うとおりだった。
協力者の話はきちんと聞くべきだ。
昨日まで自分は、これまで知り合う機会もなかった人たちに助けられてきたのである。
「ごめんなさい。この場所にたどり着いたのはいいんですけど、ここからどう進めたらい
いのか、もうわからなくって。手詰まりなんです」
「まあ、スキ見計らって、三階まで行って、ちょこっと訊いてきますよ。大事なこと、紙
にでも書いてもらえます?」
「すみません、助かります」
「しっかしねえ、一階の全フロア、水拭きですよ。今どき、モップで水拭き。洗剤までケ
チって、バケツにキャップ半分のハイター。キャップ半分超えたら駄目って、猿みたいな
おばさんにきつく言われました。なんで床掃除するのにハイターなんだ。ビンボーくさい
のにもほどがある」
本当によく喋る若者である。ここで初めて尚子はじっくりと相手を見た。
尚子の年齢からしても若者という言葉がぴったりである。三十にはまだなっていない
とげ
か。言葉に棘はなく、ぼやく様子がユーモラスでもある。だらけているが、悪い人間では
なさそうだ。
「今日の午後全部使って。ペナルティー。馬鹿らしい。今からミッション開始だ。一階の
受付、ヒマそうなのが三人いるでしょ。あそこへ行って、わけのわからないことを叫ん
で、騒いでください。さあ」
「そんな、無理ですよ」
「ウソです。あ、やべー。ミッションはもう少し後にしてください。猿のおばさん、一番
184
うるさいのが今下りてきました。あのおばさんがいなくなったら。ねえ、話だけでも聞き
ます。あら? お猿、戻って行ったな」
若者は再び座った。
「あっちで話聞かせてよ」
「あっち?」
「入り口ロビーでありながら、人口密度の最も少ないエリアです。こないだ、出前取って
ここで食ってたらさすがに怒られましたけど。あはは。話すくらい何でもありません」
真横を歩行器を押した老婆が、挨拶をして通った。にこやかに言葉を返す若者の表情を
見て、看護業界でよく言われる介護の人間特有の、相手の目を見ない白々しい挨拶、また
は商売くささも、まるでないのを尚子は感じた。
「のど渇きました? 缶コーヒーおごります」
「いえ、自分の分は出します、いえ、お話ししてくださったので私がおごります」
「いいっていいって。なんか口の中までハイターくさいんだな」
尚子と若者は薄暗い、入り口ロビーのソファーに座った。
「細かいことを話すと何時間もかかると思うから、まず、どんな人か、説明させていただ
きますね。昔の写真があります」
写真を見た若者はまた、ふゎはははと笑った。
「古すぎるじゃん、写真。これじゃわからないなあ」
「でも見てください。ここ」
「ん? わぁ、これ、まったく同じボーズがいるじゃん」
「左側が私の父親です。先日亡くなりました。右側の人が父と双子の弟で、私の叔父、蓬
原正平さんです。この人を捜してるんです」
「よもぎはら、しょうへい。よもぎはらしょうへい」
若者は名前を二度口にし、考え込む仕草を見せた。
「・・・聞いたことないなあ。他、手がかりは?」
「出身は大阪、天王寺区です。父は手記を残してました。自分史です。その内容を元に、
叔父の行方を捜してるんです。叔父は、二重苦を背負っていたということなんです」
「にじゅうく?」
「目が見えなかったそうです。二重苦というくらいですから、あとは借金なんだか、病気
なんだか、私には全然わかりません」
185
「お父さんの自分史? それにはそのへんのこと、詳しく書いてないの?」
「はい。自分史は未完成でした」
尚子はメモ書きに蓬原正平、と漢字で書いた。
「これでよもぎはら、って読むんだ。珍しい名前ですね。よもぎまんじゅうのよもぎ?」
「知りません」
「二重苦の蓬原正平。生きていれば何歳くらい?」
「父と同じ歳ですから、八十二歳です」
「まさか、ぼっさんじゃねえよな。ぼっさんだったらびっくりするよな、あはは」
尚子は長椅子から飛び上がらんばかりに立ち上がった。
「今、何て言いました!」
「よもぎまんじゅう」
「ぼっさんって今言いませんでした?」
「ああ、ぼっさん。名前は田中雄三。え、ちょっと待てよ。ぼっさんは目も見えない、耳
が聞こえない。え! 二重苦じゃん!」
「たなかゆうぞうとちゃうの。蓬原、もしくは稲垣正平!」
「うわあ、タメ口」
「タメ口にもなる! お礼はちゃんとするし! とにかくはよ教えて!」
「ちょっと待ってよ、そんな早口で言われても。ぼっさんならよく知ってるよ。年齢
は・・・七十四歳。七十五だったかな。あんたの言うぼっさんよりちょっと若いな」
「ぼっさんなんて変わったあだ名の人、そんじょそこらにいるわけないやん! どこにお
るの、ぼっさんは!」
「ちょ、ちょっと待ってって」
尚子の勢いに若者は押された。尚子はすかさずケータイに入っている父の写真をかざし
た。
「似てない? これ、うちの父さん」
即、若者は尚子と同じテンションで驚いた。
「げーっ! 間違いない! これお父さん? ぼっさんとまったく顔同じだ!」
尚子と若者が続けて大きな声を出したので、明らかに時代遅れのポロシャツを着た職員
が数人、様子を見に来た。何か注意を垂れようとしたが、尚子を見て、何も言わず戻って
行った。
186
「さぼってると怒られるんじゃないですか?」
「怒られるのは慣れてます。僕、ここの職員じゃないし」
「え?」
「近くの障害者施設で仕事してます。仕事でヘタこいたら、ここでペナルティーとして仕
事やらされる慣わしなんです。僕、木本瑞樹っていいます」
「稲垣尚子といいます。自己紹介遅くなってごめんなさい」
「稲垣さん、場所移そう。廊下拭き、とっとと終わらせるから、申し訳ないけど裏、あっ
ち、駐車場脇のベンチでちょっと待っててくれるかな?」
「待ってます!」
遠目に、せっせと仕事をしている瑞樹を眺めていると、尚子のケータイが鳴った。
二日前に訪問した、興南寺の長尾トモだった。
「ご機嫌さん。尚子さん、今いいかな?」
「はい、全然大丈夫です」
「早速、さっきお母様とお会いしましたよ。積もる話をした後で、正平ちゃんのことも訊
いてみましたよ」
「ありがとうございます! どうでした?」
「それがね・・・もう何十年も前から消息がわからないって」
「やっぱりそうですか・・・」
「だから、言ってみたの。尚子ちゃんも弟さんも、みんなでディナー行きませんかって。
何年後でしたっけ、西日本で一番高いビルができるって、天王寺、今いっぱい、店できて
るでしょ。だからディナーしましょうって言ったのよ」
「はい」
「でね、尚子ちゃん、あなたのことを訊かれちゃったのよ。尚子がそっちに行ったでしょ
う、って。尚子ちゃん、ごめんなさい。そう訊かれたら、嘘はつけないのですよ」
「はい」
「お母さん、しんみりと、言いましたよ。いずれ、お父さんのこと、そして正平さんのこ
とは、尚子さん、弟さんにきちんと話すって。今はまだ、心の準備ができてないんですっ
て」
187
「そうですか・・・」
「だから尚子ちゃん、お母さんの言うとおり、しばらく待ってあげたらどう?」
「そうですね。母がそんな気になってくれたのなら」
「響子ちゃんは昔から嘘をつかない子。だから信用してあげて」
「本当にありがとうございます」
「でも、お母さん、武雄ちゃんの自分史の写しですか、弟さん夫婦に預けたままで、今持
ってないって言うのよ」
弟夫婦はいつも母のそばにいる。やはりおかしな言い分であるが、それはトモには言わ
なかった。
「それでしたら、明日にでも私が持っていきますので」
「そう! すごく読むの、楽しみにしてますから。じゃあね」
「はい、ありがとうございました」
長尾トモの年齢は聞いていないが、七十過ぎの自分の母親の親代わりをしていた時期が
あると語った人物である。九十を越えているに違いない。元気さと声の張りはすごい。
トモが言っていたように、母がそういう気になっているのだったら、自分はもう動かな
いでいいかもしれない。
しかしここまで来た。ぼっさんを知っている木本の話も聞きたい。今日はしっかり、話
を聞こう。
そう思っていると、またケータイが鳴った。
母からだった。
「もしもし」
「尚子、今どこや! 仕事、休んでるんやってな! 何してんの!」
怒っているときは、質問に「?」マークはつかない。全部びっくりマークになるのが母
である。
「なんで知ってんのよ」
「あんた、おりもせん、お父さんの双子の兄弟とか、あれこれ調べてるそうやね! 英司
にも聞いたで!」
「長尾さんが今日、家にいらっしゃったでしょ」
「話、逸らしな! お父さんに弟とか、そんな人間、おらん! 何調べてるか知らんけど、
勝手にそんなんしたらお父さん怒るで!」
188
「なんで? お父さんは自分のこと全部、私らに知ってもらおっていう気持ちで・・・」
「馬鹿!」
母にアホと言われたことはあるが、馬鹿と言われたのは初めてである。
「そんなことしたら絶対お父さん、悲しむ! 今すぐやめなさい! ええか、尚子」
母の声に泣き声が混じった。
悲しいのはわかるが、何について泣いているのか、娘である自分にもわからない。父が
死んだことについて、母なら私らに比べ、日にち薬の効き目が遅いのは当然だろうし、ま
たは自分が正平のことを知ることが、泣くほど悲しいことなのだろうか。
ええか、の後がなかった。
「何やの。あのねお母さん、正平さんていう人が実在したってことはもう、全部わかって
るねん。過去に何があっても、私が知ることができたら、誰にも言わへん。英司にも言わ
へんし。お父さんの言い遺したかったことを無視する、っていうのが私、でけへん。それ
だけ」
「・・・ほなら、勝手にしたらええ」
「うん。勝手にする」
「もう、帰って来んでええで」
「わかった。帰らへん」
「馬鹿!」
生まれて初めて言われた馬鹿が二回続いた後、電話が切れた。
母にも言い分があろうが、嘘までついて馬鹿、はない。響子ちゃんは嘘をつかない子。
そう言ってくれた長尾トモにも失礼な話である。実際は大嘘つきである。尚子は腹が立っ
てきた。
大体、すべて父が餌を投げてよこしたようなものである。母に非難される覚えはない。
母が隠そうとしているのが忌まわしい記憶なら、父もまた秘密を墓まで持って行ったはず
なのだ。
母にとっては悲しい事実でも、父の意志に従い、自分はは事実を知る。そして、知るだ
けだ。どこにも公開したりするつもりもないし、その必要もない。
尚子と瑞樹はファミリーレストランにいた。
瑞樹の働く障害者施設で、ぼっさんと呼ばれる老人が三十年近く住んでいること。
189
瑞樹が勤め出した五年前から、ぼっさんをずっと瑞樹が世話していたこと。
それよりずっと以前から、定期的にぼっさんは健康診断のため小金井荘に通っていたこ
と。
そして年齢が年齢であるため、特別養護老人ホームである小金井荘に、強制的に移され
ることになったこと。
小金木荘は入所老人に酷い扱いをしている悪名高き施設。瑞樹はそれを気の毒に思い、
先輩と共に勝手にぼっさんを富山県の施設に移そうと計画を立て、実行した。
それが三日前の話。
そこまで聞いて、尚子は感激した。素晴らしい偶然の連続に感謝した。
瑞樹は照れた。
しかし、三人の人間が死んでいるという母からの話を伝えると、瑞樹は途端に真剣な表
情になった。引いてしまうのは、瑞樹でなくても、誰もがそうだろう。しかしそこを隠し
て手伝ってもらうわけにはいかない。
「でもねえ・・・ぼっさんはかれこれ三十年以上も、目も見えないし耳も聞こえない。あ
の平和さ、天下泰平さは筋金入りです。ぼっさん殺人犯説、おもいっきり却下ですね。事
故を起こしたという説も却下、でしょ」
「でも、まだ正平さんが元気だった、若い頃の話じゃないかな」
「ぼっさんはそんな人間じゃありません! あのぼっさんが、若い頃の話でも、悪いこと
なんかするわけがないです。それだけは言えますね、絶対。手も、足もつるっつるの人な
んですよ。過酷な人生を送ってきた、そういう人じゃない」
「そう、なのかな」
「そういえばぼっさんっていつから目、耳が駄目なのかな。僕知らないや。ねえ稲垣さ
ん、僕思ったんだけど、全部過去の、遙か過去の話ですよ。まあ仮に、犯罪に関わる話だ
ったとしても、時効が来てるでしょ。大丈夫大丈夫、ぼっさんに会えばすべて解決だ」
「ありがとう木本さん。あなたは父の恩人かもしれません」
「そんな、大げさな。やめてください」
「今日はもう遅いですね。明日もお仕事なの? また明日、お邪魔してええかな? あー、
正平さんに、なんて話しかけたらいいんやろ?」
瑞樹は白けた顔をした。
190
「あのう。それですけど」
「いえいえ、そこまでやってくださったのなら、後はすべて私が。正平さん、私たち家族
が引き取ります」
続く話は尚子を落胆させた。
「だから、違うんだって。ぼっさん、行方不明なんだよ」
「え?」
「だから、騙されたんだ。僕、真夜中に車走らせて、ぼっさん連れて、富山まで行った。
正確に言ったら、富山の手前。あの、何てとこだったっけ。どべーんとした、への字型の
屋根がくっついた純和風の大っきい家、それがたくさんあるところ。
そこらへんのサービスエリアで先輩と落ち合って、そいで、先輩が僕の車に乗ったま
ま、ぼっさんと姿を消した。僕はサービスエリアに取り残された」
「何よそれ。サービスエリアで車から放り出されたら、帰って来れへんやんか」
「電車で帰って来たよ」
「元々、どういう計画やったの」
「先輩が手配した施設に、ぼっさんを移す。そこは入居者が伸び伸びと暮らす、今日の小
金木荘みたいなところとは大違いの施設。そういう話だった。
で、僕がサービスエリアで放り出された後、ちゃんと調べた。そしたら、そんな施設は
存在しない」
「ぼっさんは? 捜索願いは? その先輩は? あなた車盗まれたんやろ?」
尚子は数年に一度、後輩を厳しく叱責するような口調になっていたが、それに気付か
ず、瑞樹もまた抗議する余裕もない。
「そんな一気に訊かないでくれよ。僕は捜索願い、出せる立場じゃない。施設の上の人間
はまったく探す気、ない。目も耳も駄目なくせにぼっさんは脱走の常習犯でね」
「ひどい話。ぼっさんは誘拐されたってことでしょ!」
「ははは、ぼっさん誘拐して何の得が」
「可笑しくない。車、盗まれたままなん?」
「うん」
「うんて。アホみたい」
191
「アホって何ですか! 先輩から全部、持ちかけられた話なんですよ、ぼっさん救出作戦
は。ぼっさんと先輩は何かの事情があって、今こっちに戻って来れないだけだ。連絡待ち
してんだよ、僕」
「連絡を待て、って言われたの?」
「いんや」
「やっぱりアホよ」
「アホアホって何ですか!」
「あのね。よく聞きなさい」
田中雄三という名前は、どういう事情からか、障害を持った身元不明老人として、行政
が付けた名前。本名は蓬原正平。ひょっとしたら近藤正平。正平が養子先に行った石油商
店が戦災で全焼、その石油商店を次いだのが近藤家。
光神石油の母体。そして全国的知名度を持つ近藤誠一郎議員が近藤家から登場した。近
藤家に戸籍がある、ないに関わらず、正平は近藤家と何らかのつながりがある。
尚子の説明を、瑞樹はぽかんとした表情で聞いていた。
「ちゃんと聞いてる木本くん?」
「聞いてるよ。リピートさせて。ぼっさんは、戦前、石油売ってる店に養子に行った。そ
こが、戦争で無くなった。その家を、近藤家が継ぐこととなった。ぼっさんはまた、近藤
家の養子になった、ということ?」
「そこはまだ、はっきりとわからんの。近藤誠一郎。あの近藤誠一郎は、蓬原石油店、正
平さんが最初に養子に行った、戦災で焼けたところの子供、赤ん坊やった。赤ん坊の頃の
名前は蓬原誠一郎。その赤ん坊と、正平さん二人だけが難を逃れて生き残った。他の家族
はみんな空襲で死んだ。つまり、近藤誠一郎議員も養子やねん」
「ちょっと待って。近藤、誠一郎って、あの庶民派の国会議員?」
「そう」
「へーっ!」
「驚くの、遅い。でね、近藤議員はそれを隠してない。近藤誠一郎著のビジネス新書って
いうの、読んでみたけど、自分の育ちも隠さんと普通に書いてる」
「ちょっと待って。じゃあ、正平さん、ぼっさんは天涯孤独の身だよ」
「あなたがちょっと待ちなさい。話を最後まで聞いて。近藤議員の書いた本には、正平さ
192
んのことはまったく書いてない。ホームページで探せる範囲だけど、近藤議員に兄、兄さ
んなどいないことになってる。隠してるのよ、近藤議員が」
「じゃあ、蓬原、その家から、近藤議員だけが養子にもらわれて、兄だったぼっさんはど
うなったの。ぼっさんも養子にもらわれてたなら、身元不明の老人ってことにならないよ
ね」
「そう。何か、秘密がある」
「ぼっさんは実は光神石油の第一継承者だった! とか? 何かすげー話になってきたじゃ
ん」
「何らかの事情で、近藤家に見捨てられた。と私は思う。そこに私の父さんが絡んでくる
から、もう、わけがわからんわけ」
「僕が一番、わけわかんねー」
「ねえねえ、木本さん、協力してちょうだいよ」
「年下なんですから瑞樹と呼んでくださっていいですよ」
「お願いします、瑞樹くん」
「おねえさんに頼まれたら嫌とは言えないですけどね、その代わり、合コン頼みますよ」
「まっかしといて。独身看護婦ならいっぱいおる。いい人、紹介してあげる」
「あはは、嬉しいなぁ」
「全員アラウンド40、50の怖い人たちばかり。キツネとかブエモンとかブタチュウと
か、素敵なニックネームの方たちがいっぱいいてます」
「稲垣さん、僕をおちょくってるんですか」
「そんなん、若い子はみんな彼氏おるに決まってるやん」
「ちょっと、訊いていいですか」
「何」
「稲垣さんは、その、ご結婚しているようには見えません」
「してない。彼氏も・・・とか、最近彼氏とか、そういう言葉を言うのがしんどいんよ」
「その彼氏もいない」
「それがどないしたのよ」
「おかわいそうに」
「何よ」
「稲垣さんもアラウンド何とかの孤独を嚙み締めて生きてらっしゃるんですね」
193
「何も知らんくせに何、勝手に言うてんのよ」
「だって今、若くてきれいな子が、彼氏いるって言ったじゃないですか。若くない人は彼
氏いないんだ」
「何勝手に決めてんのよ」
「年齢は訊きませんけど、大体稲垣さんのご年齢の人って、自分でよく、私もう若くな
い、って言うくせに、若くないって人に言われたら、めっさ怒りますよね? あれはなぜ
ですか?」
「いつ、私が自分で、自分が若くないなんて言うた?」
「稲垣さんもその、ブタチュウの仲間ですか?」
「こら。どつくで」
だんだん話の内容が崩れてきた。
時間は夜の十時前。店でもう三時間以上も粘っていることになる。
「ねえ。ちょっと場所移しませんか」
「いいけど。どこ行くのよ」
「駅前に最近、インターネットカフェってできたんです。知ってます?」
「マンガ喫茶のこと?」
「マンガもいっぱいありますね。ちょっと、思いついたことがあるんです、僕、パソコン
持ってないから」
瑞樹は、近藤誠一郎のホームページを検索し、尚子と頭を並べてじっくり閲覧した。
「うわ。これ。ほら。議員の活動予定」
「富山県高岡市で講演会。日付。どう?」
「・・・ぴったしです。まさに、僕があそこで置いてきぼり食らった日です」
「正平さんは、近藤誠一郎に連れて行かれた・・・」尚子は宙を見る。
「いや、どうですかね。ぼっさんはおとなしく富山までのドライブに付き合ってくれたん
ですが、あの年齢です、かなり疲れてました。
第一に、僕や先輩にはぼっさんは心を開いてくれていますが、知らない人間について行
くことは100%あり得ません」
194
「どういうこと? でも車に乗せて連れて行かれたんやったら、その先輩に、どこへ連れ
て行かれてもわからんやんか」
「ぼっさんには他にもニックネームがあります。地蔵様、そしてレインマン。知ってま
す? レインマン」
「ダスティン・ホフマンとトム・クルーズの」
「よく知ってますね。ぼっさんは知らない人間にしつこく何かされたり、とにかくあれを
やれ、これをやれと手取り足取り強制された日には、レインマンのオッサンみたいにぎゃ
あぎゃあ泣くんです。すんごい声ですよ。監禁でもされない限り、ぼっさんを遠方に連れ
て行くのは無理だと僕は思う。今井先輩はまさか、そこまでやらない。いや、今井先輩が
連れて行くなら、どうかな。わかんねえや」
瑞樹はパソコンのキーを叩いた。
「何すんの?」
「あの地域周辺の施設を検索して、片っ端から電話してみます。ぼっさんを運搬する中継
地点として、どこかの施設が使われているかもしれない。なんで思いつかなかったんだ
ろ!」
「何時やと思ってるの。明日にしましょ」
「この時間なら施設は夜勤の人間が暇そうにしてるから。いいんです」
瑞樹は数分調べごとをした後、片っ端から電話をかけ始めた。
「もしもし、真珠苑ですか。夜分にすみません。私、大阪府吹田警察の要請で先日行方不
明になった老人を捜している、小金木荘の旗本と申す者ですが」
早速瑞樹はいい加減なことを言っている。
何軒目かの電話だった。
「はい、え! おられますか! 田中雄三さん! 見かけは丸坊主。はい。目と耳に障害を
持たれてます。はい。はい! 間違いないですか。そうですか、ゆうゆうハウス・りんど
うさん、所在地はホームページに出ているもので間違いないですね?」
通話口を押さえて、瑞樹は尚子にどうします?と尋ねた。
「明日、行くって言うて」
「行けないっすよ! 僕仕事ですよ!」
195
「あんたと違う、私が行くんよ」
第十九章 ぼっさんとの対面
翌日、レンタカーの運転席には瑞樹がふてくされて座っていた。
「好きなもの、食べさせてあげるからって。いつまでもブスッとせんといて」
「いつまでも、と言われるほどまだ時間は経ってませんけど。インター入って十分しか経
ってませんよ」
「その言い方。ねー。まだまだ目的地まで遠い。介護の話、聞かせて。看護師の私に質問
とか、ない?」
「別に」
「もー。ねえねえ、やっぱり介護は給料、安いんでしょ。どのくらい安いの?」
「勝手にまあ。余計なお世話です。おいしいもの食べさせてあげる~、と言われたって、
だったら今日の休業補償分くらい食べさせてもらいますからね」
「はぁーい」
「・・・・・・」
「今。ええ歳して馬鹿みたいな返事すんな、って思ったよね?」
「何も言ってませんよ」
「そういう目ぇやった」
「運転中ですよ、前しか見てないですよ。それにずっと前から不思議なんですけど、目、
手、歯って言えばいいのに、どうして関西の人はいちいち目え、手え、歯あって言うんで
すか?」
「言いません。ちゃんと目、って言いました」
「あはは。ちょっと今、むかっと来たでしょ。おっしゃ」
「おっしゃって何」
「おっしゃは、おっしゃです。子供ならヤッター、ってとこですか」
「おちょくってる?」
「はい。まだ吹田ですよ。長い道中、漫才でもやりながら行きましょうよ。はぁ。まった
く、僕もなんて人がいいんだろ」
196
「いえいえ。瑞樹さん、本当に助かりました。ありがとうございます。瑞樹くんが行った
らぼっさんもおそらく安心するもんね」
今日、尚子が瑞樹に頭を下げるのは五回目くらいである。
「乗りかけた船ですよ。それも無理矢理乗せられた」
「いいの? 仕事」
「ぼっさん探しに行くから休んでいいか、って言ったらフツーに休んでいいって言われま
した」
「ねえ瑞樹くん、唐突やけど、日給いくらもらってんの」
「聞いて驚いてください。手取りにすれば四千六百円。時給換算、五百円とちょっと」
「おかしいやんか。大阪の最低賃金が・・・七百、いくらやった?」
「尚子さんも世間知らずですね。それは時給アルバイトの賃金。たとえ月給十五万円程度
でも、そこからしっかり年金と税金と保険代、引かれます。手取り十一万円とか。僕だけ
じゃなくって、そんな人だらけです。介護は。昨日の小金木荘なんかもっと酷いんじゃな
いかな。
時給の最低賃金は法律? 条例?とかで決まってても、月給の最低賃金は決まってなど
いません。この国は無茶苦茶だ。さしあたって一番貧乏くじを引いてるのが福祉の人間。
ああ、人間小さいっすよねえ。こんなことでぶつぶつ怒ってたら。しかし看護師さんに
も知ってほしい。介護は月給十万円台前半あたりが当たり前だということ。七年後八年後
も変わんないでしょうね。
でも、介護報酬は医療並み。医療事務とか介護事務、勉強したことあります?」
「事務は疎いかな。ごめんなさいね」
「医療も介護も、点数制で、日本全国どこでも、細かいところまで全部点数決まってる、
ってのは知ってますよね?」
「うん、そのくらいは」
「介護の世界では、現場の人間には報酬の二割も行かない。施設、会社丸儲け。坊主より
も丸儲け。これだけたくさんの大企業が介護に参入してくるわけですよ。あの。僕、しゃ
べりすぎ?」
「ごめんね」
「なんで謝るんですか」
「いくら介護が給料安いっていっても、その金額笑えんわ」
197
「うわーははは!」
瑞樹が急にハンドルを叩いて大声を出し、尚子は驚いた。
「だったら僕が笑う。笑わなきゃやっていけない仕事ですって。それと正確に言えば、僕
の仕事は老人介護じゃないですよ。障害者施設です。老人手前の人も多いから、ま、老人
の介護と変わらない場合も多々ありますけど。給料は、介護も障害者施設もまったく同じ
です」
「瑞樹くん、他にもっと給料のいい仕事あるでしょ。そもそもなんで、五年もそんな給料
でその仕事続けてんのよ」
「どういう意味ですか。尚子さんも無粋なこと聞きますね。そりゃ介護に比べたら。看護
師の資格取るだけでも学校行って、年数かかって、すんごい金かかる。介護と看護、給料
も違って当然ですよ。そりゃわかってます。
でもね、半分公的な仕事なのに、おもいっきり搾取されながら、仕事やってる人たちの
気持ちってわかりますか。
仕事は金じゃないっすよ。やり甲斐です。僕みたいな人間を、頼ってくれる人らが職場
にはたくさんいるんです。ぼっさんもそのひとり。給料が安いからって、簡単に辞められ
る仕事じゃないです。仕事はやり甲斐で決まります。僕を必要としてくれてる仕事なんで
す。辞めようなんて、僕は思ったことありません」
瑞樹の演説を尚子は黙って聞いていた。
「・・・たまに軽口叩いて、怒られることあるの。仕事場の人らにも、患者さんにもね。
ごめんなさい、瑞樹くん。失礼なこと言いました」
「だははは。ウソです」瑞樹は舌を出した。「そんなくさいこと、考えてません。僕ね、
両親は死んじゃったんだけど。借金残して二人とも死んじゃってね。僕は親の家に住んで
たから、途端に行き場所、なくなった。僕には学歴も、コネも何もない。
そいで、先輩が大阪に呼んでくれた。ぼっさん連れて逃げた先輩です。元々選択肢がな
かった仕事だけど、今じゃ、少しは利用者たちに頼られて、嬉しいって思うこともあるけ
どね。最初は福祉関連の仕事なんて御免だと思ったけど、これしか仕事がなかったから。
先輩はまあ、恩人みたいなもんです。騙されても、車持って行かれても、腹が立つどころ
か、四日五日経ってもいまだ連絡がないから、心配なんです」
198
「どっちみち失礼なことを言うたんはごめん」尚子は再び謝った。「必ず、ちゃんとお礼
するね。ありがとう。そう、優しい若い看護婦の子、紹介したげる。猫みたいな子だけど
ね、いい子がおるのよ」
「いや、そんな」
急に瑞樹は緊張して、黙りこくってしまった。
今日、尚子に付き添う第一の理由がある。
昔から、年上の女性に瑞樹はよく惚れる。瑞樹は二十七歳。尚子は三十四だそうだが、
その年齢には見えない。
まだ会って二日目なのに、大阪から富山までの長い道をこうしてドライブしている。瑞
樹は嫌々来ているという態度を取ってはいるが、本当のところは嬉しくてたまらない。
「あの、尚子さん、若い男ってどう思います?」
非常にくだらない質問だとは思ったが、瑞樹は訊かずにはいられなかった。
「うーん、若い連中はダメやね。大体、聞く音楽もヤワなもんばっかり聴いてて。草食系
っていうの? あれ、あかんね。どついたろかと思う」
「じゃあ、ヤカラみたいな声のゲロゲロなラップ? マッチョな男がいいとか?」
「ああ、あれもあかん。ガラ悪いのはダメ。そういえば、瑞樹くんはどっか中性的なと
こ、あるよね?」
「勘弁してください」
「モテるでしょう瑞樹くん?」
尚子の言うとおりで、小さいときは女の子とよく間違われた。
瑞樹は東京郊外で、野原を丘を駆け回り、ガキ大将と取っ組み合いのケンカをしたこと
もある少年時代を送ってはいたが、小学校六年生のときの演劇会では、かぐや姫をやらさ
れた。ものすごく評判が良かった。
実際、瑞樹はかなりモテた。それは見かけゆえで、見かけ通りの性格ではない瑞樹は何
人の女性と付き合っても、例外なくすぐにふられた。見かけについてあれこれ言われるこ
とについて、いまだに瑞樹はコンプレックスを持っている。
「ごめん。黙らんとってよ。人間、見かけとちゃうよね。うん。中身は瑞樹君、しっかり
してると思うよ。男らしいって」
「そんな取って付けたみたいに。まだ何も男らしいとこ、見せてないじゃないですか」
199
「最近の奴はあかんね。介護でもおらん? 女の子らと下着の話なんか、普通にやっとる
わけよ。若い女の子もあんなのがいいのかなあ。私あかん。おもんない」
「尚子さんはおっさん系とかいうやつですか。そういえば昨日、会ったばかりというの
に、めっちゃ僕にタメ口利いてましたよね」
「あのね。私は普通ですよ。ただ、男女、まったく意識しないとか言う割に、話題は女の
子の話題ばっかりで、それに普通に入っていく男はうっとうしい。こんな話、つまら
ん?」
「いや、退屈しないで済みます、もっと喋ってください」
「さっきの話蒸し返すわけじゃないねんけど、私、初めて瑞樹くん見たとき、あっち行
け、って思った。あはは、ごめんね」
「がーん。そんな僕、印象悪かったですか」
「小金木荘。たいがい汚い、あの建物。やる気のない職員。一言目にコンパコンパ。こり
ゃアホや、あかんて思たよ」
「僕の仕事場、緑風園っていうんですけど、仕事ぶり、一度見てほしいですよ」
「見てみたいなあ」
「いやあ。やっぱりだめかなあ。年下の、ぱりっとした奴にいつも怒られてばっかりだ
し、大抵遊びながら仕事してるもん。書類仕事も間違ってばっかりだ」
「私かって偉そうなこと言われへん。師長のおばさんたちには怒られてばっかりやし。女
の世界やからねえ、しつこいのが多いんよ」
「何言いますか。しつこいバカがのさばってるのは男の世界でも同じですよ。特におっさ
ん。中年おっさん」
「おっ、次は中年おっさんと来ました」
「かえって、おじいさん、老人ですね、老人は頑固でも芯のあるかっこいい人もいるし、
認知症かかってても、優しい人は優しい。この軽い時代に、頑固っていうのはカッコいい
と思うときあります。ありません? いかんのはね、おっさんですよ。僕に言わせれば。
中年。日本は中年がダメだ。どうしようもない。空気を読めない。人に怒って自分に優し
い。こっちが新しい知識を語れば必ず疑う。どこかで聞いた話を自分の哲学みたいに語
る。話を先回りすれば怒る。空回りのやる気に気付かない。すぐに意地になる。どうでも
いい細かいことをねちねちねちねち、頭もハゲてれば心もハゲだ!」
「・・・おっさんに、何か恨みでもあるの?」
200
「ああ、ありますね。僕は五年、この仕事をしてる。五年経ってもガキ扱いで、おっさん
どもが偉そうに。大体、怒る、怒られるってのが僕は昔からわからない。怒れば人は伸び
るとかハゲは言うけど、そんなものは一万年前の時代遅れだ!」
「ほお。言うねえ。もっと言えもっと言え」
「ハゲはとっとと引退しろ!」
「あははは」
「・・・僕は人生失敗した人間ですから、偉そうには言えないです」
「福祉とか、病院かてそうやけど、会社とはルールが全然違うって言うやんか。人間関係
が仕事のクオリティ、低くしてるってとこがホント多いよねー」
「さすが尚子さん、わかってらっしゃる。とりあえずハゲはダメだ」
「頭はかなり来てらっしゃるけど、私、すごくいいおじさん知ってるよ」
「いいってどういうことですか。その考えは間違ってますよ。ハゲはダメに決まって
る!」
話が弾むまま、車は快調に進み、夕方前には瑞樹が置き去りにされた、飛騨白川パーキ
ングエリアに到着した。
「腹減りました」
「私もおなか減った。もうすぐよね?」
「はい、次のインター降りたらもう富山県で、目指す林道温泉、ぼっさんがいるとこまで
二~三十分程度ですか。食べたらすぐに出ます。夜になる前に着けるんじゃないかな」
ちょうど日が落ちた時刻、午後七時過ぎ。
二人はレンタカー備え付け最新ナビのおかげでまったく迷わず、外目には民宿のような
グループホームに到着した。
「よし。俺は警察の人間だ。警察の人間だ。尚子さん、今から着替えます」
「うん」
「うんじゃなくて、あっち向いててください」
「大丈夫? 警察の人間とか言って?」
「いや、警察の人間とはあちらには言ってません。僕は小金木荘の人間です。警察の要請
で、とホラ吹いてます」
201
「しかしスーツまで持ってきて、凝ってるねえ。あらあ、スラックスしわだらけやで」
「アイロン持ってません。クリーニング屋に出すほどスーツ着る機会ないです。今井先輩
に買ってもらったスーツだったなこれ。
じゃあ行ってきます。ひょっとしたらバレてるかもしれないし、いや、今井先輩もここ
にいるかもしれません。尚子さんは車の中で待っていてください。ぼっさんを見つけ次
第、連れてきます。先輩、いたらややこしくなりそうだなあ」
「戻って来なかったら、私も中に入るからね」
瑞樹は尚子に返事をせず、玄関へ入って行った。
職員は人懐っこそうな若い女性だった。
「すみません、昨日夜遅く電話した、小金木荘の旗本と申します。田中雄三さんを引き取
りに参りました」
若い女性職員はすべてを真に受け、まるで警察の人間を迎えたかのような、かしこまっ
た態度になった。
「お待ちください。田中さん今連れてきますね」女性は、きょとんとした顔で部屋の隅に
座っていた若い男性に、田中さんを連れてきてと頼んだ。
「ところで、誰が田中さんをここへ?」カチコチになっている女性には悪いと思ったが、
瑞樹は詰問調で尋ねた。
「はい。その、どうしよう。昨日のお電話を受けた際ですね、田中さんをこちらに連れて
来られた今井さん、ケータイここに忘れたまま、ずっとどっかに行っちゃって、帰って来
ないんです。まだ帰ってきてません。どうしましょ」
それなら都合がいい。酒好きの今井先輩のことである。この田舎町に早々退屈して、ど
こかに飲みに出かけたまま帰らないのだろう。今井の意図はいまだわからないが、今は尚
子にぼっさんを会わせるのが先である。
「構いません。これは犯罪関連ではないですから。今井さんが勘違いをして、施設移動許
可が出ていない田中さんを連れ出してしまった形になっているのです。その、今井さんで
すか? その方は田中さんをここに入居させる予定で連れて来たのですか?」
「はい、私はそう聞いておりまず」
「行政の人間と田中さんを面会させてから、あとは田中さんの意思です。これは、明日の
日付まで有効の田中さん移送許可です」
202
瑞樹は今朝作った架空の書類を女性に見せた。女性は一旦書類をじっと見たが、手にと
って確認することはしなかった。
ぼっさんが車椅子に乗せられて、やってきた。
見慣れたぼっさんとはまた違って見える。尚子の父の写真を見せられたからだ。
ぼっさんは寝ているようだったが、瑞樹が手を握ると、顔をさっと上げ、「おう、お
う」と嬉しそうな声を出した。
「では、今井さんが戻られたらお伝えください。緑風園に戻る前に大阪、吹田警察署生活
安全課に出頭するように」今井にはそのくらいのお灸を据えてやっても構わない。
「はいっ。わかりました」
尚子は車の外に出て、待っていた。十メートル程度向こうに立っていた
瑞樹はゆっくりと車椅子を押した。
ニット帽をかぶって出てきた人物は、間違いなく父だった。
父が座椅子で居眠りをしている顔、そのままだった。
まさかここまで、父に似ているとは尚子は思わなかった。
父がそこにいた。
足腰はまったく丈夫なくせに、面倒くさがり屋のぼっさんは車椅子にすぐ乗りたがるの
を瑞樹はよく知っている。
ぼっさんの両脇を抱え、立つように促すとぼっさんはすっと立ち上がり、瑞樹は車まで
導いた。ぼっさんは普通に車に乗り込んだ。
立ち尽くして号泣している尚子も、とりあえず車に乗った。
急いで発車した車の中、後部座席では、上機嫌なぼっさんとなぜか距離をとり、ドアの
内側に張り付くようにして尚子が泣いていた。
「何やってるんですか」
「お父さんと、いっしょ。おんなじ。お化けみたい。似過ぎ」
203
「でしょうとも、僕も写真見てびっくりしたもん。これはただの、叔父と姪っ子のご対面
じゃないよな。でも、テレビみたいに抱き合ったり、手を握り合ったり、しないの? な
んでそんな端っこに寄って泣いてるんですか?」
「わからへんわよ! どうしてええのか、私わからん」
尚子は涙と鼻水でぐずぐずになっていた。
ふと、尚子のひざに手が添えられた。
ぽん、ぽんと手は尚子のひざを叩いた。
尚子は涙を拭いた。暗い車の中ではよくわからないが、ぼっさんは尚子のほうを向き、
微笑んでいるようだった。
「ねえねえ、瑞樹君、正平さん、喜んでるのかな?」
「男だったら、ウメボシ口に含んだみたいな顔して、アサッテの方向見ますから。女性な
ら何でも来いのぼっさんですよ。喜んでるに決まってます」
「あほ。正平さんと会話するには、どうしたらいい?」
「うーん、僕とは以心伝心ですけどね」
「じゃあ正平さんに伝えて。私、あなたの兄弟の武雄の娘だって」
「んな、無理ですよ」
「今、以心伝心って言うたやんか!」
「そうですね、ぼっさんの手のひらに何回も、そう書いてみたらどうですか。文章はだめ
ですよ。多分わかんない」
尚子はひざの上に添えられた手を取り、たけお、むすめ、たけお、むすめ、と何回も綴
った。
「おおおお!」
ぼっさんが声を上げた。瑞樹は思わず前につんのめった。
「どうしたぼっさん!」
たった二語で通じた。ぼっさんはおいおいと泣き出した。
尚子と手を握り合い、二人泣くその姿はやはり、テレビドラマのようだった。
「くさい展開だなあ・・・」
運転しながら、瑞樹も涙ぐんでいた。
204
高速サービスエリア。
車の中同様、尚子はぼっさんに寄り添っていた。もう泣いてはいない。
指点字、なるものがある。視覚障害者のための点字タイプライターのキー、その配置そ
のままを指に当てはめ、会話者が耳と目の重複障害を持つ者とコミュニケーションをはか
る方法である。
ぼっさんはその学習を途中で投げ出したと瑞樹は聞いている。
しかし簡単な名詞なら、ぼっさんの指に触ることによって伝えることができ、瑞樹たち
近い人間は最低限のコミュニケーションは取ることができた。
あなたのはなし。
瑞樹はぼっさんに自分のことを言わせようとしたが、なぜかぼっさんは指での会話を、
手を振って拒否する。何かを書く動作をした。
ぼっさんは一応、筆談ができる。しかし相手の言葉が聞こえないため、自分の意思だけ
を伝える一方的なものとなる。
売店で瑞樹が買ってきた、長距離トラックの形をした幼児用の太いペンを握りしめたま
ま、ぼっさんは何かを書きそうな勢いを見せた。
そしてその寸前でじっと止まっていた。
「だめだ、わかってねえのかなあ」
「待ちましょう。きっと頭の中、整理してるのよ」
ぼっさんの手が動いた。
うどん アゲがぶ厚い
厚アゲ
瑞樹はぼひゃひゃと笑った。「そうそう、ぼっさんはいつも一番に食いもんだ」
尚子は、ぼっさんの斜め右後方、テーブルに座る中年夫婦がうどんを食べているのを見
た。ご当地の名物なのか、きつねうどんの揚げが厚揚げに近い、珍しいものである。
「すごいやん、正平さん。においでわかるのね、お揚げが」
「犬並みですよ」
「そんな言い方、せんといてください」
205
なおこ たけおの娘さん
ぼくのめいっ子さんです
「はい、はい、そうです!」尚子はぼっさんの膝をたたいた。
たけお げんきですか
そうでないことを、指を叩いて瑞樹が伝えた。
「おお」ぼっさんは短い声を出した。
きょう子 げんきですか
「きょう子って、誰?」瑞樹が、時間の止まったような顔をしている尚子に訊いた。
「母は元気だって伝えて」
直接伝えられないのがもどかしかった。
ぼっさんは見えない目を見開き、遠くの方を見た。
「ぼっさん、それゾンビみたいだからやめなって」
「瑞樹くん、ほんま失礼なこと言うね」
いよいよ父の謎を語ってくれるのか。
尚子は心が震えた。
ぼっさんはそのまま、動かなかった。
二十分ほどが経過した。ぼっさんはなぜか左目から涙を落とした。
尚子は優しく拭いた。
「ぼっさん、フリーズしちゃったよ。尚子さんどうしよう」
「待ちましょう。おなか減ってないのかな、正平さん」
「そうだ、ぼっさんに本当の自分の名前、ちゃんと書いてもらおう」
そのとき、尚子のケータイが鳴った。
実家からである。
ばっちりのタイミングだった。
206
目の前に父の兄弟である正平がいる。
母にもそれを伝える。伝えなければならないと思った。
もう母は言い逃れができない。母から、母しか知らない話を聞き出す。それができるの
は今しかない。
しかし電話の声は、母ではなかった。
弟の嫁、絵美里だった。
「どうしたの? 珍しい」
「お母さんが・・・たった今、救急車で」
「何があったん!」
「わからないです。たまたま私、早く帰ってきたら・・・お母さん、最近寝付きが悪いか
らって、もらった睡眠薬、いっぱい全部飲んじゃいました」
「違う! 睡眠薬と違ごて睡眠導入剤! ちゃんと救急隊の人にそれ、言った?」
「睡眠薬だって言いました」
「あんたに怒っても仕方ないわ。命の危険はない。やけど腎不全肝不全、もし長時間目が
覚めへんかったら脳障害が心配。他の薬は飲んでないよね? お酒と一緒に飲んだり、し
てへんよね?」
「はい。お酒は飲んでないです」
「どこの病院?」
「わかりません」
「まだ搬送先、決まってないねんね」
「わかりません」
「折り返し救急隊から電話あるから、しっかり聞いといて。わかったね!絵美里さん、パ
ニックにならないで!」
「わかりました」
そばで電話を聞いていた瑞樹が心配そうな顔をした。
「何か、大変なことになったみたいですね」
「私もわけがわからん。とにかくすぐに大阪に帰る。車出してくれるかな」
雰囲気を察したのか、ぼっさんものっそり立ち上がった。
207
第二十章 キツネに逆ねじ
三時間後、尚子たちは病院に到着した。
何ということか、母の搬送先は尚子の勤める西大付属病院だった。
同僚たちは一様に心配する言葉を口にしたが、母が乗せられた救急車を出迎えた救急外
来当直が、よりによって、キツネこと坂井根看護師長だった。気まずさを通り越したよう
な状況だった。
「救急隊も粋なことやるわよね~」キツネが尚子の顔を見るなり言い放った。
「休職中の稲垣さんのお母さんが自殺未遂やとは、これは困った。男と海外旅行に行って
るんとちゃうかったの? 国内旅行ってか? 今さっき、えらい若い男と一緒におったね。
やるーっ。あ、仕事だ仕事。こんなことって本当にあるんやね。胃洗浄、大変な仕事が終
わったところで娘さんの登場です。何か、いいように利用されたって感じやね。休暇中の
稲垣さん、意見は? あ、休暇の理由は家庭問題? 結構ピンチってか」
途中までは黙って聞いていたが、キツネを無視した尚子は母に駆け寄った。
「全部済んでるわ。私がさぼってると思ってるわけですかぁ? しょうむない家庭の問題
を持ち込んで責任重大やな。医局長の前でも全部説明してもらいますよ! はた迷惑な」
尚子はキツネを無視して、一通りバイタルチェックをした。
次に、キツネの前にずいっと進んだ。
スニーカーでおもいっきり、キツネの足を踏んだ。クロックスのサンダルでは相当に効
き目があるに違いなかった。踏んだ足は除けなかった。
「・・・つまらんこと、言うてんやない。患者の気持ちや家族の気持ち考えろ。看護師の
基本やろ。これは私のお母さんや。しょうむないこと言うてるんは、そっち。確かに家庭
問題。普通考えられへん状況に今、ある。医局に言うて騒ぐなら、勝手に騒げ。しかしこ
の人の前では、対患者として普通に仕事しろ。わかった?」
ケンカ言葉を吐いたのは、実際のところ、尚子は生まれて初めてである。
数秒の無言。
しまった、と尚子は思った。
208
仮にもキツネは上司である。それに、身長も横幅も尚子を上回る。
そうっと、キツネの顔を見上げた。
キツネは愛想笑いをして、急いで二回、うなずいた。
勝った。
キツネは尚子の気迫に押され、申し渡しのように淡々と患者の状況を説明した。薬物中
毒以上に、急性腎不全を起こしていることが心配である、とのことだった。
そして病室に向かった尚子を、さらに驚かせることがあった。
「ぼっさん奪回作戦大成功。あはは。さて、今からどうしよう」
国道沿いのラーメン屋。ぼっさんはラーメンをきれいに平らげた。
ラーメン、うどんのたぐいを食べた後は、真冬以外は必ずコンビニでソフトクリームで
ある。
「これでいつも血糖値とか、平均値なんだからアンタは凄いわ。でもまた健康診断、ちゃ
んとしなけりゃだめだね」
助手席でソフトクリームを食べるぼっさんの横で、瑞樹はもう慣れたという気分で、途
方に暮れていた。
「ぼっさん見つけてきましたー、って仕事場に戻っても、ぼっさん、アンタ地獄の小金木
荘行きだよ。わかってんのかよ。平和な顔してさ。まったく。尚子さんの連絡待ちだけど
ね、アンタ、尚子さんの家で暮らせたらいいのになあ」
ぼっさんは満足げにふんふんと頷いている。瑞樹の話を理解しているわけではなく、こ
れはそろそろ布団で寝たいという合図である。
「しかたないなあ。今日は僕とこで寝な」
尚子よりも瑞樹よりも深刻な雰囲気で、途方に暮れている二人がいる。
近藤誠一郎を脅し、無理なら仕事をもらおうという、つまらない計画を実行した伊崎
と、瑞樹の先輩の今井である。
ぼっさんが、警察からの要請で来たという施設職員に連れ去られたらしい。姿格好を聞
いて、今井は瑞樹に違いないと思った。
209
どうして瑞樹がこの場所を知ったのか、それは不明である。電話一本で確かめることは
できるのだが、事の次第を説明できる状況ではない。
二人は行き場所も定めず、富山と岐阜の境目辺りを、瑞樹から拝借した車でうろうろし
ていた。
伊崎はぼっさんをもう一度連れてきて、近藤陣営と引き合わせるそうだ。本当に兄弟だ
ったとしたら、近藤議員は伊崎に感謝をし、謝礼または仕事をくれる。
そう言い張る伊崎に、今井はいい加減うんざりしていた。金と仕事が欲しいがために伊
崎の話に乗った今井だったが、最初に味噌が付いた仕事がうまく進むとはまったく思えな
い。それよりも、瑞樹にどう話をごまかそうかと考えていた。
ケータイが鳴った。伊崎が緊張の面持ちで出た。
「はい、伊崎でございます。お電話ありがとうございます」
近藤議員の秘書、山埼からである。
「さっきは忙しくてゆっくり話せなかったが、なんだ。どういうことだ、田中雄三が行方
不明になったとは。おまえらは近藤議員を、しいては日本民政党をからかっとるのか」
「いえ、いえ、そんな。こんなふうになるとは思ってませんでして、はい」
「近藤議員に感謝したまえ。議員は兄弟の存在に、大きな関心を持ってらっしゃる。だか
ら、おまえらは今からでもすぐに田中雄三を捜せ。見つけたらすぐに、この電話に連絡し
ろ。わかったな!」
「はい、わかりました」
「あのじいさん見つけたら、近藤議員にもそれなりの用意があると言っておく」
「わかりました、それはありがたいことです」
電話は切れた。
「なんやねん?」
「今井、喜べ。やっぱりこの話は死んでない。あのじいさん捜すぞ。近藤議員の強いリク
エストだ。じいさん、おまえの後輩のところにいるんだな。大阪に戻るぞ」
第二十一章
絵美里、恐怖する
数々、ここまで偶然が続くと、超自然的なことも信じたくなってくる。
210
母の病室は内科病棟405号室西窓側。
蓬原初江がいたベッドとまったく同じだった。
母は眠り続けていた。
母が自殺未遂をしたのは、自分が正平のこと、蓬原家のことを調べていることが原因で
あるのは間違いない。
電話では、母は蓬原正平のことを調べることは止めよ、と繰り返した。勝手にしろ、帰
って来るなと言われた。あれから母とは一度も話をしていない。
しかし誤算もいいところだった。
こうなるまで母を追いつめていたとは。
富山からの帰り道、尚子はずっと言葉を失ったままだった。
生きてはいられない。
母はそう決意したのである。そういうことである。
そこには、どれほど重い事実が隠れているのか。
母は危篤状態というわけではない。しかし急性腎不全の度合いによっては予断を許さな
い。
隣にいる弟の英司は、丸椅子の上で器用に居眠りをしている。
付き添いは一人までなので、絵美里はさっき帰されたところだった。尚子はこの病院の
看護師なので例外である。
尚子は英司の尻を叩いて、起こした。
談話室で話をした。
英司は、母さんがこれほど思い詰めているのだから、父のことを調べるのは止めろと言
う。過去のことなどどうでもいいと。
父に双子の兄弟がいたことを、尚子は英司に教えた。ケータイで撮影した正平の姿を見
て、英司は驚愕した。三人が死んでいるという母の言葉もそのまま伝えた。
仕事まで休んで何を調べてるんだ、とこれまでは揶揄するような態度だった英司も、父
の葬儀以来の真剣な表情を見せた。
とてつもないことをやらかした可能性がある正平の存在が、母を自殺未遂まで追いやっ
た。現状況ではそうとしか考えられない。
211
いつも横柄な話し方をする英司も、深刻な表情で、ここはやっぱり母のことを一番に考
えた方がいいんじゃないかと言った。
尚子もそう思いつつあった。
瑞樹によると、このままだと、目も見えず耳も聞こえない叔父、正平は、見た目にも居
心地が悪そうな、あの特別養護老人ホームに強制的に入れられるという。
尚子としても何とかしてあげたい。そこは母に知らせないでも、できることである。正
平が、何を起こしたのかはわからない。しかし三十年間、目も耳も不自由だったと聞いて
いる。身内贔屓かもしれないが、遠い過去に何があったとしても、もう罰を受けているで
はないか。
自分も何も知らないままで、ぼっさんこと正平に余生をのんびり送らせてやりたい。
そこについては、英司も自分にできることがあれば、と同意した。
尚子は父と正平に関する調査をすべて、止めることにした。
その旨の母への伝言を英司に残し、尚子は病院を出た。
あくる日。
大阪、梅田近辺まで瑞樹は出てきた。
「正平さん!」
尚子と待ち合わせていた瑞樹は、瑞樹さんじゃないのかよと思って悲しくなった。
尚子は助手席のぼっさんに手を握って挨拶をし、後部座席に遠慮なく乗り込んだ。
「で、お母さんの状態は?」
「ありがとう。まだ目が覚めてない。でも大丈夫。瑞樹くん、まさかまだレンタカーに乗
ってるとは思わんかった。お金、私払うから。いくら」
「二十万四千円」
「ギャグ、要らんよ」
「そんなこと心配してもらわないでいいです。それよりも尚子さん、病院にいないでいい
の?」
「危篤状態ってわけやないから。夕方には病院に戻る。正平さんのこと、放っておくわけ
にはいかんからね」
212
「なんか、キビキビ、てきぱきし過ぎ」
「なんで?」
「お母さんがあんなことになったのに」
「私はこれでも看護師やで。命の危険がない。ほんとによかった。お母さんもすぐに目覚
めるやろうから、とりあえずメソメソしてられへん。
っていうか。お母さんにどう謝ったらええのか、それ考えて、実は気が滅入りそうなん
やけど」
瑞樹にはそうは見えなかった。尚子に、何か吹っ切れたような雰囲気を感じた。
「お母さんがあんな事やらかしたのは、絶対私のせい。過去にきっと大きな秘密があるん
やね。私がそれを知ろうとしてることが、お母さんを追い詰めてる。過去のことは過去の
こと。もう調べるのは止めて、私、仕事に戻る」
「でもぼっさんはどうなるんです?」
「ちゃんと考えてるよ。瑞樹くんも、正平さんをあの施設に入れたくないでしょ?」
「だからこそ今ここにいるんです。でも困ってます。このぼっさん、どこへ連れていった
らいいのか。尚子さんの叔父さんになるわけですから、尚子さんの家で住んだら一番いい
とか、考えてました」
「うん。とりあえず私のマンションに来てもらう。いろいろさせて、瑞樹くん申し訳な
い」
ぼっさんはあくびをしている。まだ眠そうである。
「ぼっさん、食ってばっかりいますけどね、介護する側としては本当に手の掛からない、
いい人なんです。グループホーム、ってわかります?」
「認知症の比較的症状が軽い人たちが共同生活する、家みたいな、小規模の施設のことで
しょ」
「軽くない人もいますけど。ほら、ぼっさんが何日か預けられてた、富山のゆうゆうハウ
スりんどう。ああいうところ。ぼっさん、どこか入れるところないかなあ」
「私の病院にも訪問看護部あるけど、訪問やからなあ。瑞樹くんのほうが介護業界明るい
でしょ?」
「そりゃね、ぼっさんのためにいちばんいいのは、有料老人ホームに入ってもらうことで
すよ。でも、知ってると思うけど、金がすごくかかる。契約料の安いところ、最近出てき
てはいるけど、それでも毎月十五万、二十万は必要。
213
生活保護
それは生保である程度カバーできるにしても。生保の条件っていうか。今現在、唯一の
親族になる尚子さんたちが、叔父の世話を放棄するっていう書類にサイン、できる人とは
思わない」
尚子は居眠りをしているぼっさんを上目で見ながら、考え込んだ。
「・・・できひん。そんなことしたらお父さんが泣く」
「でしょ。となると、尚子さんや、尚子さんの家族、毎月十五万二十万、出せますか?」
「んー・・・わからん」
「ぼっさんは、自己負担なしで介護保険適用の特別養護老人ホームに送られることが決定
してます。僕は絶対に、あそこに入れたくない。
しかしグループホームはどこでも、確実に順番待ちだし、ほんと、あのゆうゆうハウ
ス、あそこみたいな田舎にコネがあればいいんだけど」
「なんか、悪いね瑞樹くん。私もとりあえず、知ってる人にいろいろ訊いてみる。ねえ、
私今日何も食べてないのよ。ぼっさんもお腹減ってるんじゃない? どこか行きましょ」
「心配事よりも食いっ気ですか尚子さんも。ぼっさんと同じだ」
大阪中心部のファミレスとなると探すのが難しい。
しかしゆったりできるファミレスはぼっさんのお気に入りだ。
しばらく走り、駐車場がやたら狭いファミレスを見つけたが、案の定満車となってい
た。
「近くに車預けてくる。尚子さんはぼっさんと降りて、先に入ってて」
尚子と正平は先に車から降り、ファミレスに入ろうとした。
ちょうど昼時であり、満席であるのが外から見てもわかる。待合い席にも人があふれて
いる。
尚子はぼっさんを目の前の、バス停のベンチに座らせた。
店に入り、待ち客リストに名前を書き込んだ。
そのとき、ケータイが鳴った。絵美里からだった。今日は一日母に付き添ってくれてい
る。
「ごくろうさん、ごめんね絵美里さん」
「あの、お母さん、さっき少し目を覚ましました」
「え? よく聞こえない、ちょっと待って」
214
車の往来が激しく、絵美里の声が聞き取りづらかったので、尚子はぼっさんをバス停の
ベンチに座らせたまま、駐車場の奥のほうへ入っていった。
「お母さん目、覚ましたの?」
「はい、すぐにまた寝ちゃいましたが」
こんなに早く目を覚ましたのは良い兆候である。
「おしっこ、出てる?」
「はい。大丈夫だと看護師さんが言ってました。おしっこの袋、さっき取ってもらいまし
た」
「そう。よかった」
「あのぅ・・・」
「ん?」
「あの、こないだ、ひどいこと言うてごめんなさい。いろいろと面倒かけてるのに」
「こないだって?」
「あたしもすごい、悪いこと言ったって思ってるんです。お父さんの大事な思い出の品
を・・・いくら英司さんがそうしろって言ったからっていっても」
「英司が?」
「あの。尚子さん、あたしがおうちに来た頃を思い出してください」
「はい」
「お片づけ上手でした? あたし」
「うーん。よう覚えてないけど、うちのお母さんばっかり掃除してたような」
「お母さんには申し訳ないです。そうです、あたし実は掃除あんまり、っていうか全然で
きない人間で」
「私と一緒やん」
「ですから、英司さんなんです。部屋をトレンディードラマみたいにしたいって言った
の。そりゃ、あたしもあんまりモノ、持ってない人間ですから、最初はへぇーって思った
けど、人の気持ちを疎かにしてまで、整理整頓って何、って思うようになったんです。お
父さんのことで。お父さんの文章、私も読んでます」
「そうなん?」
「はい。モノたくさん持ってるけど、全部大事にしたい、子供のときに買えなかったもの
に囲まれて自分は幸せだ、なんて書いてあるのを見て、お父さんが元気だった頃を思い出
215
して」
「えーと。ちょっと待って。じゃあ、お父さんのもの、いろいろ処分したのは?」
「英司さんの指示です。でも私がしたことにしとけって。そのほうがお掃除主婦みたいで
カッコいいやろ、って。もう全部言っちゃいます。英司さんの仕事場の塾、一階の奥に空
き部屋みたいなのがあるの、知ってます?」
「知らんわよ」
「そこ、英司さんが何年も前から、ゲーム機とか、ガンダムのプラモデル百体くらい、飾
ってるんですね。そいで、塾長さんに、その部屋を使うから全部中のもの出せ、って言わ
れたそうなんです。それで、おうちの二階全部に、ガンダム飾ろうとしてます。今。四畳
半の部屋を戻して、そこをお父さんの仏間にするそうです」
「何っそれ」
「心は痛むけど、男のロマンを優先させたいとか言いました。一つや二つならまだ許せま
すが。百体全部置くそうです。これだけは譲れないって言うんです。おとといケンカしま
した」
「心の底から情けない。アホか、あいつ」
「はい、アホです」
「許さん」
「・・・遊び人主婦と言われてしまうのに引け目を感じて、ついつい尚子姉さんの前では
大人げないって言うか、突っ張った態度取ってしまったのは認めます。ごめんなさい。で
も、私も疲れました。生活に疲れたんじゃないです。英司さんのアホさに疲れたんです」
「・・・姉として、ごめんなさい。そんなアホなら、見捨ててくれても」
「ある意味見捨ててますが、おうちから出て行こうとは思ってません。だってあたし、お
母さんとは実家の母親よりも仲いいんです」
「申し訳、ないなあ」
「いいえ、私はおうちに残って、正直、英司さんを放り出したい気分です」
「そうしよか。賛成。離婚して、絵美里さんはお母さんと養子縁組しよ。ほんとに私の妹
になってしまうけど、いいの?」
「はい。ふふふ」
「絵美里さん、私ら、一緒にごはん食べに行ったこともないよね。人に気、配らなあかん
仕事やから、どんな難儀な患者さん相手にもうまいことやってきたけど、自分の私生活っ
216
ていうの、苦手なものには、勝手にレッテル貼って、逃げてたって気がする。私ら、お互
い、とっつきにくかったよね」
「はい」
「それをどうにかせえへんかった、私が悪い」
「違います、悪いのは私です。お昼間、何回もおねえさん、私見てたんです」
「お昼間?」
「病院で働いてるおねえさんです」
「へ? それはまた?」
「英司さんは一切関心持ってくれませんけどね、私、昼間はしょっちゅう、友人の子供が
きっかけなんですけど、発達障害の子供とか、身体に障害持った子供の遊び相手、やらせ
てもらってるんです」
「いつから」
「結婚前からです」
「なんで、教えてくれへんかったの?」
「はい・・・なぜでしょ」
「これから、仲良くなれそうやね」
「はい!」
「ごめんね。英司の稼ぎで、ママ友とお茶ばっかりしてるって思ってた」
「お茶はよくしますよ。目が離せない子供たちも一緒に」
「英司は中学生のとき以来になるか。私、久々にしばく。いいよね?」
「私も協力します」
「ねえ、夕方にはそっち戻るから交代しよ」
「尚子さん!」
「はい?」
「あの。お母さんのことがあったから、てわけじゃないんですけど、前から英司さんとも
話し合ってるんですけど、やっぱり、子供作ろうかな、って。お母さんも喜ぶと思うし」
これは予想もしていなかった言葉だった。
「そうですか。私が不甲斐ないばかりに母には気苦労、いっぱいさせてるけど、絵美里さ
んがそう言うてくれて、嬉しいです」
「いえ」
217
「気が変わるってこと、ないよね?」
「はい、私がそう思ったんです、大丈夫です」
「よかった。夕方また会いましょう。今梅田の近くなんやけどね、ケーキ買ってくから一
緒に食べましょう」
「はい!」
自分が何をするよりも、これは何よりも母にとっては嬉しいことである。今は落ち込ん
でいるだろうが、母の気持ちが一番和らぐことだろう。
ケータイを両手で挟むようにして持って、尚子は小走りで道路に戻った。
瑞樹がファミレス、入り口付近に突っ立っていた。
「ぼっさんどこ?」
「おるでしょ、そっち」
バス停のベンチには誰も座っていなかった。
「ファミレスの中? 全部見たよ」
「誰かにトイレに連れていってもらってるんじゃ?」
尚子はファミレスに入り、店員をつかまえ、訊いてみた。
店員は男子トイレまで見に行ってくれたが、ぼっさんはどこにもいなかった。
「どういうことなんだよ。また行方不明かって!」瑞樹が頭を抱えた。
周囲を走り回って探したが、正平の姿はどこにもなかった。
警察では、二人とも焦るあまり、頭の回転が止まっていた。
後になって、二人は後悔した。瑞樹が前に出ず、一緒に住んでいる叔父が行方不明にな
ったとでも尚子が言えば、こうならなかったものを。
警官が目の前で、瑞樹の勤める施設、緑風園に電話をしている。
身元引受人は私たち施設です。そこにいるのは木本という職員です。田中正三さんが見
つかれば、真っ先に施設のほうに連絡してください。
まさ
施設の言い分が勝った。そういうことになってしまった。
瑞樹いわく、ぼっさんは施設にとってはドル箱のような存在だそうだ。ぼっさん一人に
毎月何十万円という金が動く。特に今度の小金木荘はそういう老人を囲い込むのを得意と
218
していて、一旦入所させられてしまうと、生活がどっしりと安定した二親等以内の家族が
登場しない限り、退所させるのは難しいとのことである。
彼らは肩を落として、警察署を出た。
そのあともしばらく、ファミレス周辺を車で、または徒歩で捜したが、徒労に終わっ
た。
抵抗する人間と、しない人間。
ぼっさんの中では完全に基準が出来上がっている。
嫌だと思う人間の言うことは聞かない。
好きだと思う人、知っている人、安心できる人であれば手を引かれるがままに従う。
目と耳、重複障害を背負う人間なら安全に生きていくための、当然の自衛策であった。
今、ぼっさんを後ろから抱きかかえるように、右肩に手を置き、左手を握って導いてく
れている人間は、自分よりも小さく、かなり若い女性である。姪っ子の尚子ではない。誰
だかわからない。しかしこの手は柔らかくて、暖かく、安心できる手である。
ぼっさんとしては、声を出して尚子と瑞樹に知らせたつもりである。だから彼らが後ろ
から付いてきていると思っていた。
稲垣絵美里は、夕方、病院に戻ってきた尚子と交代して、病院から一度家に帰ってき
た。
尚子はケーキを買っては来たが、一緒に食べる雰囲気ではなく、えらく疲れているよう
で、絵美里に全部持って帰って食べるように言った。
義母の状態が危険を脱したのをいいことに、ソファーで絵美里は居眠りをした。
玄関の呼び鈴が鳴った。
寝ぼけた声で絵美里はインターホンの受話器を取った。
「稲垣さんですか。すみません、こちらに稲垣武雄さんはおられますか」低い、嫌な声だ
った。
「おられません、どなたですか」
219
「大阪市のほうから来ました。稲垣武雄さんのことについて、おうかがいしたいことがあ
ります」
「はーい」
立ち上がった絵美里は、すぐに止まった。
もうすぐ夕食というこんな時間に、役所の人間が来たりするだろうか?
先日、絵美里の主婦友達が、役所から来たと名乗る人間に寸借詐欺をされたという話を
思い出した。
固定資産税に関する調査で、民間の会社の手を借りるから費用を負担せよと言う。固定
資産税を安くするための調査であり、半分を役所が持つが、半分を支払ってほしい。その
言葉に友人は騙された。警察には通報はしたが、二万円程度の被害だったため、これとい
った捜査はしてくれていないらしい。
そもそも、武雄は死んでいるのである。役所が知らないわけがない。つまり、ここにも
詐欺集団が来たということだ。
「あの、開けてください」
「大阪市の、何という部署ですか」
少し間があった。
「固定資産課です」
間違いない。詐欺師だ。ドアを開けてはいけない。すぐに警察に電話しなければならな
い。
「武雄さんは今いません。お帰りください」
「大変重要な話なんです。あなたは娘さんですか。だったらぜひお話させてください」
「警察呼びますよ!」
ブツッ、というインターホンが切れる音が聞こえた。
いけない。
自分がさっき入ってきた、裏の勝手口が開けっ放しかもしれない。変なところに頭の回
転が速い犬のリョウ太が、絵美里よりも先に裏口へと走った。
勝手口は案の定開けっ放しだった。
よせばいいのに、絵美里は顔を出して外を少し覗いた。玄関側からこっちへ向かってい
る、黒尽くめの太った男と目が合った。
きゃっ、と叫んで、絵美里は勝手口を閉め、鍵をかけた。
220
「すみません、怪しい人間ではありません。どうしてもお話がうかがいたいのです」
「駄目です! こっちから確認しますので、自分の勤め先の部署を今おっしゃってくださ
い! 電話して確かめます!」
返事はなかった。
男の足音が、再び玄関先に向かうのがわかった。
絵美里はソファーの上に正座し、息を殺した。
三分程度じっとしていた。
そして思いついたように、警察に電話しようとした。
リョウ太が尻尾をぴょこぴょこ動かしながら、絵美里を見上げて、何度もうなづくよう
な動作をしている。
「ばか。あれはお客さんと違う!」
そして再び、玄関の呼び鈴が鳴った。何度も連続して。
警察に電話しようとした瞬間。
「あのー、稲垣さん、連れてきました!」
若い女性の声だった。
詐欺師は二人組か?
「あのー。開けてくださーい!」
台所の窓から恐る恐る、絵美里は外を見た。
あまりのことに、声を失った。
二か月前に死んだこの家の主、稲垣武雄が斜め下を向き、ボーッと立っていたのであ
る。
不審な中年男の訪問者に、若い女性、その次は、幽霊。
頭が変になったのか?
目を何度もこすって、絵美里は再び外を見た。
間違いない。
武雄の幽霊だ。
手まで前に垂らし、ポーズも完璧だった。
221
ぎゃあああああ!
絵美里は叫び声をあげ、裏の勝手口から外に出て、逃げ出した。
「あれ? なんや今の叫び声? ねぇーえー。稲垣さん、どうしよ。おうち、誰もいてへん
で」
若い女性は正平の腕を持ち、問いかけた。
しばらく呼び鈴を鳴らし続けたが、反応がない。
「しゃあないな。えーと。どうしよ。また学校、戻ろか。稲垣さん。学校やで。懐かしい
で」
もちろん正平には何が起こっているのかわからなかった。
ただ、しばらく下を向いたまま、次は顔を上げ、何か、懐かしいものに触れたような顔
をしていた。
第二十二章
若すぎるクラスメート
聴講生
大阪市立図書館においてあったチラシがきっかけで、私は再び学生となることになっ
た。
七十五歳の学生である。昨年の四月から一年間、天満の浜井高校の聴講生として、受講
することになった。
私が参加するのは週に一回。火曜日の午後一時から一科目九十分で、二科目約三時間。
聴講生には色んな分野が用意されていたが、私が希望したのは、製作中の自分史の足しに
もなるかと思い、『国語表現』と、そして『音楽』。
それをもっと事前に教えられたとしたら、私は参加するのを辞退したことと思われる。
クラスの片隅に私と同年輩のクラスメートがいると当然のように考えていた。
222
授業が来週から開始されるという4月初旬、学校へ訪問し、そこで聞かされた。老人は
私含め、たった3人だけだった。そして私以外の2人の女性は、美術工芸関係の授業を受
けると聞かされた。
ということは、国語表現も、音楽も、聴講生は私たった一人だけである。なんと言えば
いいのか、これは聴講生を募集する大阪市の宣伝不足ではないのかと後に思ったが、そん
な余裕はそのときにはなく、興味本位で来てみたが、大変なことになったと思った。
しかし今更辞退するわけにもいかなかった。
先生は国語、音楽共に、二十代半ばの女の先生である。私の孫といってもおかしくない
ような年齢だ。
国語表現の主な内容は、文章の書き方で、毎回課題を与えられて、原稿用紙2枚程度に
まとめて文章を作成して提出、次回には赤ペンで訂正やコメント付きで返却される。その
他、教材に基づいて『文章の組み立て方』の講義がある。
一部の生徒だが、授業態度が非常に悪い。若いから当然といえば当然だが、私語、物を
食べているなど目に余る行動が多い。
だが、他の生徒はあまり気にしてはいないようだ。教師も見過ごしているわけではない
が、軽く注意を促すだけで全く効果なし。
私は聴講生の分をわきまえて、怒鳴りたい気持ちを抑えていた。これが今の若い人達で
ある、邪魔をしてはいけないという気が先にあるので、我慢ができた。
しかし私に渡された、入学時の受講上の心得。
授業内容の範囲を超える質問をすること、同じ内容の説明を繰り返すこと、私語、携帯
電話の使用、その他クラスの秩序を乱すことを禁ずると、細々と記載されていた。
これだけは納得が行かなかった。聴講生に心得を周知させ、一方学生には心得はいらな
いというのだろうか。迷惑を受けているのは私のほうである。
昭和二十五年、世間が少し落ち着きを取り戻した頃、働きながら近くの高校に夜間入学
した頃は皆、向学心に燃えていた。授業態度も極めて真面目で、午後五時から九時頃まで
の授業、終了後の約一時間、クラブ活動(音楽)をしたものだった。
223
そして今という時代。あまりの相違に唖然としたが、過去に拘わっていては前進がない
と、自分に言い聞かせて勉学に励むように心がけた。
当初授業の秩序を乱していた女の子たちは、私のことなどは近所の暇なじいさん程度に
しか思っていない。怒りを堪えて、私は無視をしていた。
しかし、日が経つうちにだんだんと空気が柔らかくなってきた。若いクラスメートたち
と話す機会が、だんだんと出来た。
話してみればみんな普通の子である。
面白いことを言わなければ相手にしてもらえないと思う一方、その面白いことが思いつ
かず、思いついても時代も何も違う。
す
そういう風に私は彼女らに対して拗ねていたような気持ちがあったことを、後になって
反省した。
若い人間が調子に乗っている。いちびっている。それだけで私らは腹が立つ。テレビの
タレント等々。
しかし私らの年代が息子娘や孫以外の若い人間と一緒に時間を過ごす機会など、普通あ
るものだろうか。市民講座と名打たれたこのような特別な機会を利用しない限り、一般の
若者たちと時間を共にするということはない。
そして私は考えを改めた。若い子もオジンも、話せば今も昔も一緒。しいては、人を見
かけで判断するのは間違い。それを、私のように七十をとおに過ぎた人間に自覚させてく
れた部分にも、この市民講座に参加した意義があった。
亜美ちゃんと耀ちゃん(ようちゃん、と読む)という子達は特に私に親切にしてくれ
た。学校へ行き始めて数週間後くらいに、早めに学校に来るように言われ、何かと思っ
て、言われたがままに早く行ったら、混む食堂で私の席を取っていてくれた。学食である
が、こんなに若い子達と食事を同席することなど初めてだった。
それに本来、聴講生は遠足や社会見学の類いに参加する機会はないのだが、彼女らにな
かば無理やりに誘われて、学校の許可も得、奈良までの観光バスにも乗った。バスの添乗
員は私を嘱託の教師だと思ったようで、全員の笑いを誘った。
さて音楽の授業。
224
音楽の好きな私はどんな授業かと楽しみにしていた。当初は歌が主で『上を向いて歩こ
う』『アメージング・グレース』等を斉唱や合唱で歌っていた。
その次はギター演奏、それぞれに楽器を与えられて、簡単な曲を習った。生徒達は殆ど
器用に弾いていたが、始めての私は歳のせいか、ぎこちなく、しかし負けてはならじと、
頑張った。
弦を強く押さえすぎるので、左手の指先が麻痺する。それでもロシア民謡の『行商人』
のメロディーを何とか弾けるようになった。
授業では時々、気分転換のために、音楽映画の『アマデウス』や『ファンタジア』を何
回かに分けて鑑賞もした。
十月頃よりグループに別れて、器楽合奏の練習に取りかかった。20数人いたので、
4、5人に別れ、五組のグループが、それぞれ曲を決めて練習に取りかかった。
私のグループは5人、まったく、孫のような女子生徒ばかり。最近の生徒は髪を染め、
服装も自由でいささか目のやり場に困ることもあったが、とりあえず私は何食わぬ顔をし
ていた。
授業中の飲食は禁止なのに、私の机の上にも、彼女らがくれたゴムのような柔らかいビ
ーンズ(あれはおいしい)、チョコレート、クッキー、市販のお菓子が貯まってくる。先
生が私の机の前を通過するたびに、何か言われるのではないかとひやひやした。
曲は沖縄の『島の歌』に決定、私の受持ち楽器は、タンバリンとバイオリンである。最
初の五小節は、バイオリンのソロがあり、続いてピアノや木琴でメロディーを奏でる。タ
ンバリンやドラムがリズムを刻み、最後にまた、バイオリンに持ち替える。
約五分ぐらいの短い曲である。最初は問題ないと高を括っていたが、発表日が近づいて
きたので、家でも余儀なく練習した。
妻も息子も、一体何を始めたのかと驚いていた。しかし私は気にしない。
父の形見であるバイオリンは相当長い間弾いていないので、弓の毛もぼろぼろ。弦を買
った梅田の楽器屋で頼み込んで、傷んだバイオリンの応急処置をしてもらった。弦の音調
を合わせるのにも、古い記憶を呼び起こし、何とか体制を整えた。
演奏が終わった瞬間。同じ班で一緒に演奏をした亜美ちゃん、そして『白鳥の湖』のピ
アノ独演奏を見事にこなした、ピアノの腕はプロ級の耀ちゃんが、輝いた目をして私の手
を取り、スポーツ選手をねぎらうかのように、クラスメートの前で私の手を上げてくれ
225
た。私は照れてしまい、何も言えなかったが、この時点で講座に参加して良かったと、心
から思った。
音楽は後、個人演奏会の日を残すのみである。私の練習はまだまだ続いた。
二月十五日(火)、いよいよ最後の日。
国語表現の授業では、バレンタインデーのためか教師がチョコレートを皆に配った。変
われば変わるもので、それを食べながらの和やかな授業、『この一年を振り返り』の課題
で文章を作成。
教壇でみんなが、携帯電話の便利さや、今読んでいる本(漫画)や音楽などのスピーチ
があるが、よくわからなかった。これも時世と、黙って聞いていた。
相変わらず一部の生徒は騒々しいが、慣れたせいか、あまり気にならなかった。
大した波風もなく、全員を掌握するための、教師の態度が今頃になってから解かってき
た。
会話の機会も長らくなかった、同じく孫のような女性教師とも、年が明けた時期から話
すようになった。
各自、与えられた曲を披露する発表会。
前回とは違い、全員がそれぞれ個人演奏である。耀ちゃんが妖精のような素晴らしいピ
アノ演奏を聞かせてくれた一方、生カラオケとでもいおうか、先生のピアノ伴奏つきで今
風の歌を歌うだけという子もいる。
私の番になり、私はバイオリンを弾いた。難しい部分を省いた、メインのメロディーだ
けの『G線上のアリア』。
ただしビブラートもおぼつかない、酷い演奏である。老人がやるのでこんなもんだと思
って練習した、自分の気持ちに甘えがあった。
酷い演奏であることに自分が気づき、私は焦った。頭が真っ白になり、手が止まりそう
になった。先生が即興でピアノ伴奏をしてくれた。最後まで弾き終えることが出来た。お
かげで恥をかかずに済んだ。
父の形見のこの楽器に、泉下の父もどんな気持ちで聞いていただろうか。
演奏が終わり、教師が皆の前で、聴講生の私のために、労をねぎらって全員が拍手をし
てくれた。
226
これで聴講の授業の全てが終了した。
平成十七年二月十五日(火)
記
ますおかよう
女性の名前は益岡耀、といった。
それなりに就職活動もして、高校卒業後一度は勤めたが、うるさい上司に口応えをして
辞めた。わずか四日のスピード退社だった。
それ以降は二十三歳になる今まで、正社員にはなれずアルバイトである。ピアノが好き
なのでそれ関連の仕事に就きたいと思っていたが、楽器の会社、ピアノの講師、全部落と
された。もう、耀に夢を追い求める気持ちはなかった。
親と住んでいるため食うには困らない。しかしそのためか、アルバイトも長続きしな
い。
今日は派遣会社からの帰りだった。登録料に三千円も取られた。後は自宅待機、とは人
をなめている。それに髪の色のバランスが悪いとは、何という言われ様か。金髪と茶髪は
天と地ほど違うと、女史のような女性が偉そうに垂れた。何を言うか。これは茶髪だ。
いい加減家賃くらい払えと親がうるさい。小遣いはずっと昔にない。
途中で辞めてしまった通信教育のローンの支払いが月に二万ほど、週一の割合で友人と
遊ぶのにひと月合計二万円ほど。バイト代は七万八万程度なければ苦しい。
わけのわからん派遣会社など使うより自分の足で探したほうが早いわ、三千円返せ。耀
はひとり毒づいた。
ふてくされて歩いていると、喫煙スペースがあったのでそこでタバコを吸った。自分の
車として使っている母の軽自動車が、近隣の駐車場より安い、目の前のファミレスの駐車
場に止めてある。
通りの方角をふと見ると、バス停に懐かしい顔を見つけた。
「稲垣さん!」
耀は駆け寄った。
数年ぶりに会う稲垣さんはなぜか、居眠りをしているような感じで、目を閉じて、バス
停のベンチに座っていた。
227
耀はいろいろ言葉をかけたが、様子が変だった。
「稲垣さん何やの、寝てるの? ねえ、わーたーし!」
稲垣さんはゆっくりと顔をこちらに向けたが、目を開かない。
耀ははっと、気がついた。
学校で楽しく時間を過ごしたあの時で、稲垣さんはもう七十いくつだって言ってた。知
らない間に稲垣さん、こんなになっちゃったんだ。
耀は再会を喜んだ直後に、悲しくなった。
「どうしたん? 誰かとはぐれたん?」
耀は稲垣老人の知り合いらしき人間を目で探したが、周囲には誰もいなかった。
耀は思わず稲垣老人の手を取った。
老人はフガフガの声で、誰かの名前を言った。声のトーンも変だった。あの、張りのあ
る声をしていた稲垣さんからは想像もできない声だった。
しかしこの人は間違いなく稲垣さんである。
「家族の人は? 稲垣さん、聞こえてる?」耀はつかんだ腕を揺さぶった。
稲垣老人は自分の目と耳を指差し、指で×マークを作った。
そうだったのか。
きっと大きな病気でもしたのだろう。
耀は優しく声をかけた。「家族の人とはぐれたんやね。大丈夫大丈夫、ちゃんと家に連
れて帰ってあげます。でも稲垣さん、家どこやったっけ」
はじめ
山埼 始 は焦っていた。
あの変な雑誌記者が来たときは、ただのチンピラ記者だと思って追い返したつもりが、
当の近藤誠一郎議員が興味を持ってしまった。
この写真の人物については、山埼ははっきりと覚えている。
覚えている、どころではない間柄の人物である。
もちろん誠一郎もこの人間をはっきり覚えている。
ただし誠一郎は、「その後」についてはまったく知らない。
その誠一郎が日に一度は尋ねてくる。
もはや放ってはおけない。
228
外部に隠すのではない。体裁良く話を整えて、週刊誌などに話が載る前に、こちらから
先に出してしまうのだ。急ぐ必要がある。
誠一郎が過去、近藤家に養子として迎えられたことは世間も周知の事実である。
そして、蓬原家の養子であった少年。議員の兄となった少年。
その少年もまた、近藤家の養子となった。
少年にとっては蓬原家に続き、二度目の養子だった。
そして、正平も誠一郎も成人を過ぎてかなりの年数が経った時期に起こった、ある出来
事。もう四十年以上前になる。
その出来事は当主、近藤大輝の意向により近藤家ではタブーとなり、誠一郎はその出来
事は知らない。当主以外では山埼のみが知っている。
それを今、ほじくり出そうとする連中が出てきた。
兄がまだ生きていて、そして不自由な暮らしをしているというのなら、人間として黙っ
てはいられない。と近藤議員は山埼に言う。
非常に面倒なことになりそうである。
誠一郎の兄、正平は生きている。ずっと以前から山埼はそれを知っている。
実のところ、山埼の懸念は正平ではない。誠一郎に兄がいたという話は、こちらが関係
者を仕立て上げ、いくらでも美談にできる。
正平の、双子兄弟の片割れ。そっちが問題なのだ。
おそらくあの胡散臭い雑誌記者は、兄弟の片割れが遣わせた者だろう。
今になって。
恩を忘れて、何を要求して来ようとしているのか。
施設に入っている近藤正平でなく、一般人として生きているもうひとりのほう、稲垣武
雄。
あの人間が目立つような動きをすると、チンピラが言っていた「隠された兄」疑惑など
より、もっとマスコミが喜びそうな事態になってしまうかもしれない。
会長は九十を過ぎ、目下療養中。会長が心を傷めると、あっという間にあの世行きとい
うことも十分に考えられる。
稲垣武雄がまだあの家に住んでいるのであれば。
チンピラ記者には正平を捜すように仕向け、注意を逸らす。
229
早速山埼は大阪にいる部下に連絡し、稲垣武雄について調べるよう命令した。
一時間もしないうちに返答があった。
稲垣家は今も大阪市住吉区にあるそうだ。
山埼は直接、稲垣武雄に会う気になった。
部下から再び電話があった。
稲垣武雄は、二十日ほど前に癌で死んだ、とのことだった。
山埼は舌打ちをした後、数分間、じっと目を閉じた。
自分が感じた嫌な予感はすべて消えたことになる。
それにしてもすっきりしない。
稲垣武雄とは、以前から、一度は会わねばならないと思っていた。が、自分より一周り
年上である武雄はおそらく日本人男性の平均寿命程度の老人であり、こうなることは十分
に考えられた。
役所の人間にでも成りすまして、家までじかに行って確かめろと、再び部下に指示をし
た。
一時間後、電話があった。
間違いない、とのことだった。
とりあえず。
これでチンピラ記者が何を言って来ようが、近藤家のタブーは決して表に出ることはな
い。
当の近藤正平は、目も見えなければ耳も聞こえない、話せないのである。
ほっとすると同時に、山埼は非常に寂しい思いもした。
いや、寂しさではなく悲しさである。大変複雑な悲しさである。
あとは誠一郎議員にどう説明するかだ。
230
しっかり者のはずである絵美里が我を無くして、わけのわからないことを電話の向こう
で口走っている。「早く、お父さんが、ああ、わあ」、それ以外は言葉になっていない。
急いで尚子は実家に帰った。
呼び鈴を鳴らした。
家には明々と電灯が点っているのに、誰も出てこない。
かばんに入れてあるはずの鍵がなかった。ここ何年も、母のいないときに家に帰ってき
たことはないので、尚子は実家の鍵を久しく使った覚えがない。
絵美里はいないようだ。
尚子は裏の勝手口に回った。
無用心なことに、勝手口は大きく開いたままになっていた。
そして家の電話が鳴り続けている。
さっきの、パニック状態の絵美里の電話は? 絵美里は無事なのか?
見渡せば、斜め向こう、こうこうと明かりが灯った新築マンションの階段の踊り場か
ら、絵美里が顔をちょろちょろと覗かせているのが見えた。
「何やってんのよ!」尚子は絵美里を呼んだ。
絵美里はぶるぶると首を横に振り続けていた。「お父さんの幽霊、オバケ」いかにも怖
そうに話した。
尚子は苦笑いをした。すぐに状況を理解した。
どういう経緯なのかさっぱりわからないが、正平がここに来たのである。
しかし独りでは無理である。
誰と一緒だったのか?
絵美里に訊いたが、警察ではなかったという。黒尽くめの太った怖い男が来て、若い女
の子もいたという。
まったく要領を得ない。
その間にも、ずっと家のほうから電話が鳴り続けていた。尚子は家に向かい、裏口から
入り、鳴り続けている電話を取った。
「ああ、やっと出ましたか。こちら、北区の浜井高校なんですけど」
231
「はい? 浜井高校?」
「困ってるんですよ、私も。まだ帰れなくって」中年女性の声だった。
「すみません、話が全然見えないんですが」
もう、あたしが代わる! という若い女性の声が電話口に聞こえ、続けてその女性が出
た。
「あの、稲垣さんですよね! 私、稲垣さん、ひとりでいるのを東梅田の近くで見つけ
て、高校で住所を教えてもらって、車でおうちに連れて帰ったんです!」
「すみません、その人、そこにいるの?」
「そ、その人って! 何ですかもう! 家、誰もいないし、鍵閉まってるし。今ここにいて
ます! 一体どうなってるんですか、あなたのおうち! ヒドくないですかこれ?」
正平が無事であるのに安心するとともに、若い女性が何者かまだわからす、それにえら
く怒っている。高校とはどういうことだろう。
「迎えに行きます。説明はそのときにします。浜井高校、って、天満の浜井高校ですよ
ね?」
そう口にして、尚子はあっ、と思った。父の自分史の中に、その高校の名前があったの
を思い出した。
もう何時だと思ってるんですかと、事務員だか教師だかわからない、怒った様子を隠さ
ない中年女性から尚子まで小言を言われ、正平、耀を加えた三人は浜井高校裏口から出
た。
尚子は益岡耀と名乗る女性に、今日の経緯と、父との関係を聞いた。
父の手記に出てきた、妖精のようにピアノを弾く女の子、若すぎるクラスメートこそ、
この女の子なのである。
尚子はその親切に感謝した。介護の必要な老人を道端に放ったらかし、送って行けば家
には誰もいないということについて、耀は湯気を立てて怒っていたが、続く尚子の話に目
を丸くして驚いた。
「稲垣さん、亡くなってはったんですか? そんなん聞いてない・・・」
「ごめんなさい。父にこんなに若い、可愛い友達がおるなんてわからなかったもんですか
ら。本当にごめんね」
232
「双子って。へえ。このじいちゃん、本当に稲垣さん。似過ぎや。おじいちゃんになって
もこんなに瓜二つやなんて、珍しいねー」
「この人、正平さんっていうんやけど、私も最近、父が死んで、初めてこの人に会うた
の。本当にびっくりした。100%生き写し。でも重複障害っていってね、目も見えへん
し耳もダメやねん」
「そうか・・・稲垣のじいちゃん、死んじゃったんや」
「父はね、自分史、手記を残しててね。その中に耀ちゃん、あなたの名前が出てくんの
よ。そやからすぐに私、あなたやってわかった」
「でへへへ。あれは照れたな。あたしが妖精のピアニスト、ってまたベタな」
二人はけらけらと笑った。
一寸の間。
「ねえちょっと待って。なんで知ってるの? なんで耀ちゃんがその文章の内容知ってる
の?」
「送別会の時、稲垣さんがくれたんです。CDロム。国語表現、って授業やったかな。作
文。ずっと稲垣さんが書いてきた文章がいっぱい、入ってんの。あ、そうか、わかった!
はあ。へえー。うん。生き別れになった兄弟って、この人のことやったんや!。すごい!
かんどー。ひやー。本当に、稲垣さんの兄弟が生きてはったんやね。映画みたい!」
尚子は耀の真正面に立ち、両肩をがしっと握った。
「耀ちゃん、そのCDロム、まだ持ってるよね?」
国語表現の授業を担当していた教師が、父が旧式のワープロで打った文章を、どのパソ
コンでも読み込めるファイルに変換してくれたそうだ。
尚子はCDロムを持ってきてくれた耀に丁寧に礼を述べ、また会う約束をした。
続けて瑞樹を呼んでぼっさんを預け、母が入院している病室に顔を出した。
母親は一度目を覚ましたあと、再び眠り続けていた。
数値は安定しており、もう心配はないという診断だった。
母が再び目を覚ますのを待たずに、尚子はCDロムの内容を読みたいがため、自分のマ
ンションへ急いで帰った。
233
「大阪の海」「夏祭りの思い出」「長い残暑」「許せんばかものたち」「愛犬」「ソニー
の飛躍」「早春賦」「テレビにないもの・新聞にあるもの」・・・作文の授業で書いたも
のなのだろう。
教師の手直しがあったせいか、改行のルールもしっかり守られた、それぞれ原稿用紙三
枚程度のずいぶんとスマートな文章ばかりで、自分史にある文章とは雰囲気が違った。
その中で、益岡耀がよく読ませてもらいました、と語っていた文章がある。
それは別フォルダーに入っており、国語教師の配慮だったのだろう。フォルダーのタイ
トルは「クラスメートに感謝を込めて」とあった。
開くと、他の文章より長いものが出てきた。父の自分史の断片に、これはなかった。尚
子は目を皿にして読んだ。
クラスメートに感謝を込めて、若い皆さんへ
「兄弟と自分」
授業ではいつも固苦しい文章を披露してしまいましたが。
ここは、厚かましくも君らの祖父、父親のような感じで書かせてもらおうと思います。
何回も先生に正された、改行をしないという私の悪い癖。
読みやすく、ちゃんと改行して書きます。
あさっては、最後の授業の後、クラスメートであり、私にとっては孫のような年齢の可
愛らしいお嬢さん六人、加えて国語表現と音楽の先生方が、こんな老人のためにお好み焼
き屋で送別会をやってくれます。
いやあ、本当に嬉しい。
私が、あなたたちを送り出すべきような立場でありながら。情けないやら恥ずかしいや
らそして、嬉しいやら。
大阪市の広報をきっかけに気軽に授業に参加しましたが、予備授業や選択授業の一環に
参加させてもらえるもんだと思い、浜井高校にやってきて、まさか、生徒さんたちと机を
並べ、普通の授業に普通に参加させてもらえるとは。
行ってみて初めて、私は驚いた。
そのときは正直、困り果てておりました。
234
女子校の教室で、頑固じじいひとり。
漫画のような場面ですね。先生ですら孫といえる年齢。先生もきっとやりにくかったに
違いないでしょう。
それ以前に、騒然とした教室。
最初こそ先生が私を聴講生の稲垣さんと紹介はしてくれたけど、何のこっちゃか、ほと
んど誰も聞いてなかった。帰りたくなった。
ところが、ここまで来るのに、大阪市の職員、学校の受付の人、そして先生、このよう
な頑固じじいが来たのにひとつも面倒臭がらず、親切に丁寧に応対してくれた。
それを思い出しました。やっぱり、初日に辞去しますとは言えません。
そんな様子で最初の一週間二週間が過ぎました。
特に国語表現については私としても周知のことばかりだったので幾分退屈し、周りを観
察してばかり。
ちー、というあだ名が私に付けられました。「ちー」とは何なのか、わからんかった。
最初、からかわれているのかと思いました。
皆さんの授業は朝からあるけど、私が受ける授業は午後からで、昼休みから登校。教室
にそろそろと入っていくような格好になります。真横の席の子はこんにちは、と丁寧に挨
拶をしてくれます。
「ちー」「ちー」髪の毛を染めたグループが数人、私を一瞬見て、そう呼びます。毎回で
す。
さすがに私も腹に据えかねて、怒ったのです。
そのグループに近づいて、こらっ!と一喝したいところでしたが、それは無理です。
私は勇気を振り絞り、ちー、とは何? 俺のあだ名?と私は聞きました。
グループの女の子たちは大笑いです。
こんにちは
→
こんちはーっす
→
ちわーっす
→
ちーっす、と、丁寧に紙に書
いて、若者語を説明してくれました。
愛想がなくいつも同じグループで固まって騒いでいるようでいて、実はちゃんと、私に
挨拶してくれていたのです。
あだ名などではなかったのです。これは何とも恥ずかしい、年寄りの勘違いでした。
この日をきっかけに、私から緊張がなくなりました。同時に腹立ちも収まりました。
235
ここから少し年寄りくさい文章になりますが、読んでください。
君たちの年代の頃は、私は苦学生。古い言葉ですが、そういう言葉があったのです。楽
学生という言葉はありませんが、苦学生という言葉がちゃんとあったのです。
旋盤工場に勤めながら夜間に学校に通ったときは、この勉強が必ず将来の役に立ち、自
分の身になると信じて勉強していました。そういう時代でした。
しかしよくよく、思い出してみました。果たして私は、今、若い人たちに説教ができる
ほど、立派で真面目な学生だったのか。
ラッキョというあだ名の教師がいました。国語の教師。
黒板消しは、黒板に横向きに立てかけて置いてあるでしょう。
教師が授業中に黒板消しを手に取ると、黒板消しに隠れていたところに、ラッキョ、帰
れ、と書いてある。私の仕業です。
勿論ラッキョはこちらを振り返り、頭から湯気を立てて怒る。私たちは全く知らん顔を
します。
ラッキョは私たち生徒に尻ばかりを向け、黒板に何か書いてばかりいる教師でした。そ
のうち誰彼ともなくラッキョと一言叫ぶ。教師は怒る。
今ラッキョと抜かしたのは誰や!
しーん。
その繰り返しがたまらなく面白かった。
まだあります。
理科室での出来事だったと思いますが、休憩時間に、私たちは教室の一番前の、教師の
あさ
机の引き出しの中を漁ったのです。種の発芽を学ぶために使う、実験用の大豆がありまし
た。
大豆は、別のところに厳重に保管してありました。食料の乏しい時代です。勝手に誰か
が盗んで持って帰らないとも限りません。
しかしそのときは、教師がしまい忘れたのか、大豆がちょうど一握り程度、引き出しの
隅にあったのです。
石炭ストーブが真横にありました。押しピンが入っている缶があり、それをフライパン
代わりにして、豆を煎って食べようということになりました。
ところが煎ったはずの豆は生焼けで、とてつもなく不味かった。
236
豆を口に入れた途端に私たちは窓を開け、べーっと豆を吐きました。
教室は三階で、夜というのに、玄関の明かりの下、真下で丁度、校長先生が花壇の手入
れをしていました。
豆は直撃。吐いたのは私を入れて五人六人程度いたと思います。さながら豆の雨であっ
たことでしょう。
全員手痛いお叱りを受けたのは言うまでもありません。まだ食べ物が世の中に欠乏して
いる時代に、何という罰当たりなことをしたものでしょうか。
話が随分と横道に逸れてしまいましたが、クラスのみんなと同じ17歳の頃の私。結局
同じようなものだったのです。
若いみなさんに、当初勝手に感じていた阻害感と腹立ちは、私が加齢と共に身につけて
しまった悪感覚だったにすぎません。猛反省です。
授業態度こそ、みんながみんな良いとは言えませんが、この教室の子たちは教師をから
かったりはしません。
私たちはあの時代、授業こそ真面目に受けていたかもしれませんが、人生の大いなる先
輩に当たる諸先生方をからかった私たちの方が、たちが悪いのではないでしょうか。
長いようで短かった聴講生生活も、あさってで終わりを迎えます。
見かけが違うのは六十年近くもの年齢差があるのだから当然の事。
しかし十七歳は十七歳、君たちも、私も変わらない人間だったと信じたいです。
昔よりも恵まれた時代に君たちは生きています。
しかし私は思うのです。
物に恵まれているからといっても、人生の苦労は私同様、若いみんなもこれから体験し
て行かなければならないものであり、それから逃げることはできません。
いつの時代でも大切なもの、頼りになるものは家族です。私には妻と娘、息子がいま
す。マルチーズのリョウ太もいます。
娘は高校を出てからずっと看護婦をしています。
人の面倒ばかり見て、私のことは放ったらかしです。
それは冗談として、あまり実家に帰ってこないくらい仕事が忙しいというのは、親とし
ては大変喜ばしいことなのです。
237
息子は、学習塾で子供に勉強を教えています。この息子は偉そうに学校の先生の真似事
をしてはいますが、実際はアホであり、私も大変気苦労をさせられました。
若い頃から、仕事は何をしても続かない。大学まで出したのに全部それを無駄にする気
かと、私もついつい怒ったこともあります。
上司が嫌だ、俺は悪くないのに苦情の処理が嫌だ、勤め先が遠すぎる、残業代が出ない
等々・・・何か一つ嫌なことがあると、息子は簡単に仕事を辞めてきました。辞め癖がつ
いてしまえばどんな仕事も長続きしないのは、当然の事でしょう。
しかし、そんな息子も、今は学習塾という分相応の仕事を見つけ、楽しく仕事をしてい
るようです。
これは勿論親の責任でもあるのですが、寛容性と耐性をという大人として大事な部分が
欠けていて、息子は子供のまま大人になったような人間です。そんな人間が子供さん相手
の仕事をしているというのですから、世の中はうまく回っているものだ、と思います。
17歳のみんなもこれから、しんどいことがいっぱいあるでしょう。
しかし何があっても、分相応の居場所が必ず見つかります。
うんぬん
「分相応の身分、生活が云々」、この分相応という言葉は余り良い言葉ではないように使
われていますが、私は決してそうは思えません。本人が幸せだと思えば、職業に貴賤はな
いのです。
17歳といえば親がうるさい、親がうっとうしい年代ですね。その点も、みんなと話す
うちに、私の中で考えが変わってきました。
息子、娘が不幸になってほしいと思う親は絶対にいません。それだけは確かです。
しかしその思いが強い故、子供にはついつい小言が多くなります。
終身雇用のなくなった時代、勉強していい会社に入って・・・という言葉にどれほどの
真実味があるでしょう。それを今の親は全然わかっていません。
言葉そのものは、私の時代と随分と変わってはいます。しかし、小うるさい言葉を言う
その気持ち「世間体」。
世間体などという言葉は、今現在では死語でしょう。
238
しかし私のような年寄りにはこういう風に思えます。自分の息子娘に自分の希望を押し
付ける親も、世間体に従うことを強制する昔の親も、行動・態度の押し付けという意味で
は、今も昔もほとんど変わっていないのです。
自分たちも若い時期があったのだから、わかっている筈なのに、付き合う友人に対して
もあれこれ注文を付け、そして自分の娘息子が何を考えているのかわからないと、本人の
目の前で言ったり。
私は今思います。程度の問題ですが、普通の17歳なら、親に反抗して普通なのかもし
れない、と。
親と仲が良すぎる17歳など気色悪く、厳しい社会への耐性を育む時期に、べったり親
が守っててどうするのだ、と思います。
それは、君たちが教えてくれたことです。
親はうるさいものです。適当に相手をしておきましょう。
何様だ、と言われたら、俺サマだと言えばいいのです。女の子の君たちに俺サマは変で
すね。だから自分の名前を堂々と名乗りましょう。
また私自身の話になりますが、私には悲しい思い出があります。
兄弟の、話です。
私には、行方不明の弟がいます。あの時代は珍しかったかもしれない、双子の弟です。
みんなが貧しかったという時代のせいもありますが、私と弟は、同じ家には暮らしませ
んでした。戦時中の話、今から60年以上も前の話です。
弟は、お金持ちの家に養子にもらわれました。
家は近所であり、養子にもらわれた後も私たち兄弟は一緒によく遊びました。
戦争が、大阪大空襲が、私たちの運命を変えてしまいました。
弟の家は、弟と、その家に生まれた赤ん坊を残し、全員死にました。
私には父親がいませんでした。私が小学生の頃、結核という病気で早くにこの世を去り
ました。
丁度弟が養子に出された頃、私の母親は再婚しました。その再婚相手、私にとっては義
父になる人物が、嫌な人間でした。病気を理由に働きもせず、酒ばかり飲んでいました。
弟は養子先がなくなってしまって、行き場がなくなりました。弟を引き取る余裕はない
と継父は言いました。私の母親はそんな継父に逆らえませんでした。
239
元々弟はこの家の人間だ、おまえこそ邪魔者だろう、と私は思いました。態度にも出
し、殴られたことも何度かあります。
弟は住む家をなくしたのです。
一人で生活などできない弟のために、私は弟が身を寄せる場所を探しました。
貧しい時代であっても、弟を受け入れてくれる家族がありました。
しかしなぜか、弟はその家には居着きませんでした。
やがて愚連隊、今で言う不良連中と弟は付き合うようになっていました。
ちゃんと働け、という私の言うことも弟は聞かず、居所がつかめないこともあり、弟と
は徐々に疎遠となっていきました。
それ以来、今に至っています。
たとえば今の時代に、ある人間が私たち兄弟と全く同じ体験をしたとします。
今では警察が行方不明者を探してくれるし、人を探してくれる専門の業者もあります。
あの時代は、私は母と継父を養って行くために仕事をしなければなりませんでした。弟
のことは絶えず気になってはいましたが、私にできること、その限界が見えた時点で、も
つ
て
うどうすることもできなかったのです。今の時代のように人探しを頼める伝手も何も、あ
りませんでした。
家庭を持つようになってからも、私は探偵などに、お金を払って依頼したことがありま
す。方々の警察署を歩いて回ったりもしました。
結果、わかったことは何ひとつありません。
もう死亡なさってるでしょうと、何人の人間に言われたことか。
生き別れの苦しさは、今の時代の人には想像しにくいものかもしれません。誰かと死に
別れるのも勿論辛く苦しいことですが、しかし生き別れは、死に別れとまた違います。
生きているのか死んでいるのかもわからず、願ったり、祈ってやることもできないので
すから。
親を大事に・・・それはどこの年寄りでも言うことですね。
私はあえてそれは言いません。実のところ、そういう考えも嫌いなのです。
親は自分で、自分を大事にしろ。息子娘を頼るな。
私はそう思っています。年長者は、いつまでも若い人間に手本や、生きている原動力、
240
そういうものを与え続けなければなりません。たとえ年老いても、まだまだ子供に教える
ことはあるはずなのです。
年老いたからといって、自分の世話をせよと、そんなものは私にとっては、生き物とし
て変だと思います。
私が言いたいこと。
それは、兄弟、姉弟、兄妹、姉妹をぜひ大事に、一生仲良く付き合って行ってもらいた
い。
親の財産分与などで、裁判を起こしている兄弟などが実際にいます。悲しくてなりませ
ん。
親と、兄弟は違います。兄弟は血を分けた、自分の分身のようなものなのです。
長い話になりましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。時計をみれば午
前二時。こんな時間まで起きていたのは何年ぶりでしょう。
みなさんがわざわざ用意してくれた、あさって、いや、明日の会食が本当に楽しみでも
あり、また寂しくもあります。
あなたたちはまだもう一年学校がありますが、私はひとまず先に卒業です。
同窓会、できたらで良いから、呼んでくだされば嬉しいです。
あなたたちがお母さんになるときは、私はいったい何歳なのでしょう。そのときまでし
っかり健康管理をして、元気な姿でまた「?」年後、会いたいと思います。
「違うでしょ、お父さん」尚子はつぶやいた。
何がどう違うのかはわからない。
しかしここでも父は正平のことをぼかしている。
家庭環境について、自分史の断片になかったことが書かれているが、蓬原家のことがま
ったく書かれていない。
それにも増して、こうして他人に話せた弟の存在が、なぜ家族には一言も告げられなか
ったのか。
弟の事情について、やはり、家族にも話せないようなことがあったのだ。
241
一度は、もう考えることをやめようと思ってきたことの数々が、再びよみがえってき
た。
蓬原家の養子であった正平。
蓬原家当主たちが戦災で死に、蓬原夫婦の間に生まれた赤ん坊を近藤家が養子として迎
えた。正平の存在に近藤家が気付かなかったはずがない。
父が耀に渡した文章に書いてあったように、生家の稲垣家に戻ることもなく、正平は愚
連隊、後の言葉で言うヤクザ者になったと匂わせることも書いてある。
なら、確かに近藤家も疎んじるはずである。
正平が重複障害を背負ったのは荒んだ暮らしの延長上の事故? あるいは事件? 三人の
人間が死んだというのはそこに絡んでいる?
愚連隊などという印象はまるでない正平老人こと、今のぼっさんであるが、三十年以上
もの歳月は人を根本から変えてしまう。
正平にその後、一体何が?
母の健康を慮って、これ以上の調査はやめようと一度は考えた尚子だったが、自分から
は何もしないで、こうしてヒントがしっかりと示されている。
父の謎、正平の謎は核心に近づいている。
真実を知ることは、父にとって喜ばしいことなのか。それもわからない。
しかし正平老人がいる。正平は、父が隠した事実の生き証人であることは間違いない。
父の謎を知ることは、正平のこれからを決めることにも繋がるのだ。
それ以前に、極悪施設行きになった正平老人を、このままにしておくわけにはいかな
い。
まだまだ仕事復帰は先になりそうである。
翌日はこれといった予定もないのに、目覚ましを早い時間にセットし、尚子は眠くもな
いのにベッドに入った。
第二十三章
突然完成した自分史
242
誰なんだよ、こんな時間に。
午前一時。ケータイの振動音がしつこく、瑞樹は目が覚めてしまった。画面を見ると、
何と今井からだった。
「何やってたんですか先輩!」
「だはは。すまん。まったく、申し訳ない。心から謝罪しよ。あんな酷いことして」
「よくもまあ」
「ぼっさん連れ出したの、おまえやな?」
「最初にぼっさんをさらった今井先輩の、一歩上を行かせていただきました。それよっ
か、今井さんがぼっさん連れて消えた理由を教えてください」
「ぼっさんはどうしてる?」
「地獄特養に送られるの、知ってるでしょ。だからぼっさんは秘密の場所にいます」
「おまえの部屋でぐうぐう寝てるんとちゃうのか?」
「・・・・・・」
「そうか。よかった。この際おまえにもすべて教える。ぼっさんの正体だ。おい。聞いて
驚け、ぼっさんはあの光神石油の・・・」
「知ってますよ。前身の近藤石油に養子に迎えられたか迎えられなかったか、みたいな」
「なんで知ってる? どういう展開?」
「こっちが訊きたいっすよ。先輩、いまどこにいるんです?」
「真ぁ~近く。おまえのマンションの、目の前」
瑞樹は部屋を飛び出した。下で今井が、笑顔で手を振っていた。
「やあ」
今井は悪びれる様子もなく、まったく普段の様子である。
「心配しましたよ!」
「怒ってない?」
「怒ってるに決まってるでしょ!」
「車、返しとく。ガソリン満タンにしておいた。おおきに」
今井はキーを瑞樹に投げてよこした。
243
「元々先輩の友達からタダで譲ってもらった車じゃないですか。車のことじゃないんで
す。あんまりじゃないですか先輩。僕はね、あんなところで放り出されたことで怒ってる
んじゃなくて、途中まで僕に協力させておいて、あと知らん顔って。怒る以前に悲しいで
す」
「ここで話してたら近所迷惑や。あっち、コンビニの前に行こう」
歩きながら瑞樹は文句をたらたらと続けた。
言い訳がましく今井が答えた。
「おまえを騙すつもりはなかったんや」
「まーそんな、常套のセリフを」
「おまえを騙そうとしたのは事実や。ただし、ぼっさんを救いたいという気分に嘘はな
い。それにや。おまえを連れていったら、おまえまで仕事クビになること、確実やったか
らな」
「それでもいいって僕、言いましたよね」
「アホ。おまえを雇ってくれるところ、すぐに見つかるわけないやろ。おまえは失業保険
もらったら、ダラダラと新しい仕事も見つけず、寝て暮らすタイプや」
「それは先輩でしょう」
「あのな。俺が仕事を新しく興して、そのときになったらおまえを雇うつもりやった。そ
こは嘘とちゃう。信用しろ」
「あんなところで放り出して。僕、ひょっとしたら帰れなかったかもしれないじゃないっ
すか。先輩のすることじゃないっすよまったく」
「ちゃんと帰りのことは考えてた。おまえに二万円も渡したやないか。忘れとるんか。釣
り返せ」
「え?」
「飛騨のパーキングエリアでおまえに、コロッケ買ってこいって言うたよな」
「釣り、ちょっと待ってくれませんか。給料日、来週でしょ」
「釣りはいらん。なんで俺がおまえを置き去りにしたかというと。俺は、何か月か前にぼ
っさんのとんでもない秘密を知った」
「それについてはですね」
244
「待て。最後まで聞け。ぼっさんはあのとおり、おとなしい人間や。でもぼっさんも、生
まれつきあんな身体だったわけとちゃう。ぼっさんの秘密は、まだ身体が元気だった若い
時期、はるか過去にあるんと違うか」
「先輩、僕もおとなしくじっとしてたわけじゃありません。あの後・・・」
そのとき、突然瑞樹のマンションの方角から、きゃーっ、ひゃーっ、という悲鳴が聞こ
えてきた。
女性の悲鳴かと思ったが、この悲鳴は聞き覚えがあった。ぼっさんである。瑞樹は走っ
た。階段を駆け上がった。
瑞樹の部屋がある三階エレベーター前、ぼっさんは配管にしがみついて喚いていた。そ
の横には、見たことのない男がいた。ぼっさんをエレベーターに乗せようと四苦八苦して
いるようだ。
「誰だ! 何してる!」
瑞樹は大声を出したが、男はひるむ様子はない。すぐに瑞樹の後ろを追いかけてきた今
井が言った。シリアスな表情に変わっていた。
「ええか瑞樹、俺らの生活がかかってることなんや。決してぼっさんを危険な目に遭わせ
へん。それは約束する。だからぼっさん、連れて行く」
「わけわかんないっすよ!」
真夜中に何事か、と住民たちがぞろぞろ出てきた。
「先輩、こんなことやりたかないですが、警察に連絡します」
見た目に不自由を抱えている老人を、連れ去ろうとしている男たち。彼らに分が悪いの
は一目瞭然だった。
「失敗。戻ろう。何という高い声だ。サイレンかって」
男はそう言い捨てた。今井は一瞬困った顔をして瑞樹を見つめたが、すぐに男の後を追
った。
結局警察は呼ばなかった。
こんな状況でも瑞樹は、今井を警察に突き出すことはしたくなかった。
ぼっさんは部屋に戻るなり、すぐにまた寝始めた。
寝ている分には至って健康な老人に見える。
目も見えないで耳も聞こえず、一体どういう夢を見ているのだと瑞樹は思った。
245
すぐに瑞樹は尚子に電話をした。深夜の電話であることを詫びたが、寝床に入ったまま
寝られずに尚子もまだ起きていた。
今起こったことを伝えると、尚子はなぜ警察を呼ばないの、と怒った。そして、一旦あ
きらめた父の調査を再開すると言う。父と、正平の秘密があと一歩でわかりそうだという
ことだった。
瑞樹には六時間後に仕事が控えていたが、どうにでもなれと思った。尚子に今から出て
こられないかと尋ねると、すぐにでも来ると言った。
しっかりと施錠を確認し、瑞樹は数週間ぶりに戻ってきた自分の車に乗った。尚子との
待ち合わせ場所へ向かった。
「レンタカー返したんやね。ぼろっちい車・・・ひょっとして瑞樹くんの車?」
「不満があるのなら、車から降りて話してください」
「ねえねえ、怖い人やった? それ」
今井と一緒にいたという謎の人物について、尚子は尋ねた。
「怖くなかったけど、胡散臭い奴だったなあ。インテリ崩れのパチンコ好き、そんな感
じ。それよりか、今井先輩です」
「なんで警察に連絡しないの!」
「できません。そっちは何か進展ありました?」
「正平さんは施設に三十年、おったって言うてたよね。じゃあ、施設に入ったのは四十歳
過ぎ。父と生き別れてから、一体何をして暮らしてたのか。
それはあとでいい。だっからね、瑞樹くん、なんで警察呼ばへんかったん。もう話はお
父さんの育ちの謎、正平さんの謎どころやないかもしれへんのよ」
「謎を探るって言ったり、やっぱり辞めるって言ったり、それで撤回って言ったり、今、
謎どころじゃないかもって? もう、わけがわかりませんよ、尚子さんも」
「正平さんのためやんか!」
「もっとスマートにできないもんですかね」
「スマートに? 言うたわね瑞樹」
「げえ、呼び捨てですか」
「なんで警察呼ばへんの!」
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「しつこいなあ。警察は呼べません! 今井先輩は」
「先輩先輩って、その先輩が悪い連中の手先になってても、瑞樹くんはまだ庇うの?」
「悪い連中の手先って、まだ全然わかんないじゃないですか」
「先輩に酷い目に遭わされたー、って言ってたの瑞樹くんやんか」
「警察は呼びません! 僕が今井先輩にもう一度会います!」
「なんか先輩庇い過ぎ。仕事紹介してくれただけでしょ。また正平さんを誘拐しにきた
り、犯罪者みたいにコソコソと。そりゃあ、私も優柔不断っていうか、前向いたり後ろ向
いたり、カッコ悪いことしてるなぁとは思うよ。そやけど、あんたの先輩は一体何の目的
持ってるん? 正平さんの邪魔になるんやったらね・・・」
「へえ。邪魔ですか。邪魔。よく言いますね、尚子さん。じゃあ、そういうことで」
「そういうことって何よ!」
「さよなら」
「ちょっと。なんか、私が悪者みたいな空気?」
「悪者です。何もわかっていない、僕の話を聞こうともしない尚子さんは。ぼっさんのこ
とはどうにかします。だからさよなら」
「聞くよ。瑞樹君の話。聞かせて。悪党の先輩の話」
「全然話聞く態度じゃないですそれ。もういいです。さよなら」
「じゃあ私はあっちでタクシー拾って帰る!」
尚子は車を降りた。
瑞樹を振り返らずに、大通りまでの道を歩いた。
瑞樹は自分の手伝いをしてくれた。その元にあるのは、自分の叔父に対する優しい気持
ちだろう。
それは感謝している。
しかしふがいない。いくら世話になった先輩だと言っても、フリーターが就職を助けて
もらった話など、どこにでも転がっている。昔の恩をいつまでも感じていて、今現在の悪
事を許すとは。要するに瑞樹は人が善過ぎるのだ。
反対車線からタクシーがやってきた。
尚子は手を挙げた。
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瑞樹は大きなあくびをした。
何の気なしにバックミラーを見て、自分の間抜けな面に嫌気が差した。
大きくため息をついた。
ぼっさんのことは自分がどうにかしてあげたい。実際、今自分の部屋でぐうぐう寝てい
る。
しかしぼっさんについてのことよりも、尚子に協力したいという気持ちのほうが強かっ
た。
女性からの要望が5、続いた後、初めて自分の要望を1程度言う。女性は自分の都合を
振りかざし、その要望は飲めないという旨を言い、去っていく。女尊男卑の傾向、その最
先端にいる自分。
それが瑞樹の女性観である。
尚子など、会ったその日にすでに上から目線だった。
諦め切ったような女性観を持っていながら、いつも同じタイプの女性に惚れると瑞樹は
思う。これだけは仕方がない。
今回はぼっさんのこともあり、自分が尚子の先手を取って動けると思っていた。今まで
とは違うぞ、と思っていた。
しかし結局何もできず、とうとう尚子は怒って、自分のもとを去ろうとしている。
今井と尚子を秤に掛けるような状況になってしまうとは。とんでもない先輩を持ったも
のだが、やはり今井を恨むことはできなかった。馬鹿を見たのはまた、自分である。
まだ親元から独立していない頃に両親を立て続けに癌で亡くし、食い詰めた瑞樹は闇金
にも金を借りた。まもなく借金地獄に陥り、東京から逃げた。そして居場所を提供してく
れたのが今井である。
そもそも今井は、東京で、高校生のときにやっていたアルバイト先の先輩だった。あの
頃から金がなかった瑞樹に、肉体労働者用の値の張る食事をいつもおごってくれた。
以降も、今井からは家族ぐるみでいろいろと世話になっている。ノロウイルスで倒れた
ときは今井の奥さんが家に来てくれた。小学生の息子は瑞樹のことをお兄ちゃんと呼ぶ。
その小学生を何度か遊びに連れて行ったこと以外、瑞樹が、世話になっているそのお礼
をしたことはまだ一度もない。いつもの軽い調子で世話になりっ放しだった。
先輩が後輩に仕事を紹介してくれただけ、などと、そんなどこにでもある話ではないの
248
である。今井に対しては、今はむかっ腹こそ立っているが、警察に告発することはできな
い。
それを、尚子にわかってもらおうと思っても無理なようである。
確かに今井は、ぼっさんを何らかの金儲けに利用したいようだが、ぼっさん本人を地獄
に叩き込むような真似は絶対にしない。それは確信がある。
瑞樹は、表社会から借りた借金は地道に返済を続けているが、親の借金も含めた裏社会
からの借金は、踏み倒したままである。
外国にでも逃げたのならまだしも、大阪まで闇金業者が追いかけて来ないのはおかし
い。今井は「大丈夫やから心配すな」と瑞樹に言ったきり、それ以上のことは言わなかっ
た。しつこく訊くなと今井は怒った。今井に、裏社会とのコネがあるようには到底思えな
いが、闇金業者からの追い込みがまったくないのも、今井が何かやってくれたおかげだと
瑞樹は思っている。
こた
表の借金、その返済も安給料ゆえかなり堪えるが、滞れば給料差し押さえが来る。今の
仕事を辞めれば借金返済は猶予されるだろうが、貯金もないのでそんな無茶はできない。
よくよく考えないでも、苦しい人生である。情にほだされて今の仕事をしている部分が
大きいが、この仕事をしている限り、年齢相応一般人の生活など夢である。
そんな中、久々に本気で惚れてしまいそうだった女性と、よく知るぼっさんを縁に知り
合ったが、やはり社会の表側に住む人と自分などとは、縁などできるはずもないのか。
親兄弟、家族はいない、金はない、給料激安。友人もまともにできない。ましてや誰か
に惚れることなど、無駄とわかり切っているはずなのに、それでも一人の女性に惚れかけ
ていたことに、瑞樹は暗い気分になった。
自分とぼっさんは、何年も前から寝食を共にしていると言っていいくらいの仲だが、近
い人間だから助けられる、というわけにはいかない。
きっと尚子が、尚子の家族が、ぼっさんを助けてくれるだろう。
ぼっさんもいつまで自分の部屋で天下太平に寝ていられるのか、わからない。尚子が去
った虚しさ。そして、ぼっさんが自分の前からいなくなる寂しさ。
まだまだ憂鬱は続くだろう。ぼっさんと一緒にいられるのもあと、数日である。それま
ではこの珍妙なコンビで、ゆっくりと過ごしたい気もする。
車を止めたまま、暗いことをうじうじと考えていたら、眠くなってきた。
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米をばらまいているかのような、急に降り始めた雨の音で眠気が飛んだ。
帰ろう。
ぼっさんを抱えてこれから具体的にどうするか、まだわからない。
明日は早番なので、数時間ほどしか寝られないが、ぼっさんは自分の部屋に隠しておい
て、とりあえず職場には何も言わないでおく。
時間をかけてぼっさんの意思を確認し、ぼっさんの希望に協力する。ぼっさんは無茶は
言わないだろう。これまでにも、一度も自分に無茶を言ったことはないのだ。
「わあっ!」
大きな悲鳴。
車の真横、助手席側で、尚子が滑って倒れていた。
「開けてよ!」
「もうっ! タオルやと思たら正平さんの服やん!」
「それしか拭くもの、ありません」
「・・・ごめんなさい。今井さんはアホやけど、大事な瑞樹くんの先輩やもんね」
「・・・前に言いましたよね僕。今井先輩のこと。職のない僕を大阪まで呼んでくれた。
東京での話なんだけどさ」
「はいはい。先輩の話はまた今度。瑞樹くんまで同じレベルのアホやと思うのは、悪いと
いうか、まだ早いっちゅうか、そういう気がしたん。それにね、瑞樹くんはまだ若いくせ
に、自分で勝手に暗くなって行ってしまうタイプやから。放っといたらあかん、って思っ
たの」
「タクシー、乗って帰ったんじゃなかったんですか?」
「近場か、って舌打ちしよったから、腹立ってすぐに降りたってん」
「あっはは」
「あははは」
「よくわかりますよね。僕、自分であれこれ勝手に考えて、暗いことばっかり考えてしま
う」
「今どき看護師はカウンセラーみたいな仕事もせなあかんからね。瑞樹くんはすごくわか
りやすい」
250
「尚子さん。確かにね、今井先輩の今の行動の理由は全然わかんない。でもさ、例えば、
尚子さんはお父さんの兄弟について調べてる。ぼっさんと、尚子さんのお父さんは仲のい
い兄弟だったんだ。
今井先輩はね、僕にとっては兄貴だ。悪人、犯罪者と決め付ける前に、何としても事情
を聞きたい。なぜぼっさんを連れて行こうとしたのか」
「今井って、どんなアホな顔してるのか、興味出てきた」尚子は屈託ない様子で笑った。
「すみません」
「私も言い過ぎました」
「今、変なことやってるのは今井先輩だ。何か犯罪めいたことやろうとしているのなら、
僕が何とか阻止する。それでも駄目なら、そのときは警察に言う。あーでもどうしよう」
「今井先輩とは今、会われへんの?」
「すぐには無理だと思います。またほとぼり覚めた頃にひょこっと戻ってくるようなこと
もあると思うけど。そうだ、奥さんに連絡してみよう」
「先輩は近くに住んでるの?」
「松原市、近くです。奥さんと小学生の子供がいます。とりあえず今日はこんなとんでも
ない時間ですから、明日にしましょう。僕、明日仕事なんですよ」
「よかったね瑞樹くん、仕事場にちゃんと戻れて」
「さあ、どうかなあ。別の施設と提携の話が進んでて。ひょっとしたらあの小金木荘にな
るかも」
「正平さんの待遇は置いといて、瑞樹くんとはずっと会えるやん」
「あんなところに住むぼっさんを見守ることは、僕無理です。てーか、ぼっさんだけじゃ
ないんですよ。うちの施設にいる老人。みんなあそこへやられると考えたら、もう辞めた
いです。辞めて全然別の施設へ行きたいです」
「そんなに酷いの?」
「いろいろありますけど、人間が十人も二十人も、裸になって並ばされる状況って、どう
いう状況だと思います?」
「まさか。戦争時代の収容所じゃあるまいし」
「戦争時代の収容所で、どうして、人が裸にされて、並ばされるんでしょう。昔も今も同
じなんです。知ってますか尚子さん」
「・・・洗う?」
251
「正解。あそこ、入浴のとき、いつもそうしてます。最初見たとき目を疑ったけど、同業
者の話では、面会者の少ない施設ではどこでもある話だそうです」
「酷いね」
「酷いです。先週からうちの事務局はバタバタしてる。これから職場の空気ががらっと変
わりそうで、すごい憂鬱ですよ」
「明日、仕事とちゃうの?」
「はい。四時間半後に、出勤です」
「ごめんね」
「今寝たら墓穴掘りそうな気がするから、良かったらファミレスでめっちゃ早い朝ご飯、
つきあってください。おごりますんで」
「私が出すよ。ちゅうか、レンタカー代、まだ払ってないよ?」
「そんな、あれこれ割り切らないでくださいって。いいって言ってるんだから、いいんで
す」
「じゃあ、レンタカーも朝ご飯も、ごちでーす」
「なんか、違うんだなあ。そんな。大阪の人があんまり、ゴチでーす、とか言わないでし
ょう」
「瑞樹くん。変なとこうるさいよねえ」
母はしばらく入院となるが、バイタルも安定し、急性腎不全もすぐに治まった。
ぐっすりと眠る母を見舞った後、尚子は医局に顔を出した。
パソコンで打ち出した、辞表を持って。
封筒に大きく「辞表」と書くために、一番太い筆ペンを買ったが、ネットで辞表の出し
方と手続きについて調べたら、そんなことする人間は今どき誰もいないと書かれていた。
自分の世間知らずに笑えたが、仕事を辞める、というのはこの年齢で初めてだった。
瑞樹の話で、決心が付いた。
自分の叔父を、父の分身を、裸で並ばせるわけには行かない。
本当は病院を辞めたくはない。
ただし無理を言って有給を取ったのみならず、続けて休職、そして復帰が迫った日に再
び休職願いを出すという厚かましさと勇気は尚子にはなかった。
252
尚子の前に座ったのは、あだ名すらつかない、この病院最強の難物とされる無機質アン
ドロイドだった。
尚子は以前と同じ説明をした。
「いくら家庭の事情とはいえ有休に休職を連続させる社会人として失格も甚だしい人間に
対してはこちらとしても無防備であるはずがなくそれ相応の体制は確保しています」と澱
みなく言われた。
話し合いはたった三分で済んだ。
次はどこの病院で働こうかという若干の不安も感じながら、尚子は瑞樹との待ち合わせ
場所へ向かった。
尚子がファーストフードを頬張る前で、瑞樹はケータイを持ったまま固まっていた。ち
ょうど今井の家に電話をかけているところだった。
「瑞樹くんどうした?」
尚子の声を無視して、瑞樹は座席に横向きにもたれかかるような姿勢になり、小声で話
し始めた。
「何してるんですか、先輩。まさか家のほうに帰ってるとは」
「今日中明日中にも、おまえから電話かかってくると思てた。瑞樹、俺には金が必要やっ
たんや。おまえには多大な迷惑をかけたなあ。許せ。もうぼっさんを誘拐したりせん」
「そんな一方的に、わかんないですよ! 説明してください!」
「電話で今、説明できるようなこととちゃうねんけどな」
「大阪市内まで今すぐ出てきてください」
「今から?」
「稲垣尚子さんがここにいます。尚子さんの前で、すべて説明してください」
「イナガキさん? って誰?」
「ぼっさんの双子の兄弟の、娘さんです」
「はあ? 意味わからん。何がどうなってるのか、説明しなさい」
「何言ってるんですか偉そうに。今すぐ出てきてください」
253
瑞樹の車。
助手席に今井が座っている。
尚子は後部座席から、今井を睨みつけていた。
「そのこわい顔してるねえちゃん、どうにかならんか」
「こわくて悪かったわね。全部話しなさい、この誘拐犯人。警察行きましょか!」
今井はしぶしぶ、伊崎という三流雑誌記者に話を持ちかけられ、それに乗ってしまった
ことを話した。
「・・・近藤誠一郎議員の黒い歴史。そういうことやった。戸籍から消えた兄の秘密。テ
ーマは、それ」
「伊崎というのは、僕の部屋からぼっさん、連れ出そうとした男のことですよね?」
「何がテーマよ。あんたらはその話を一体、どこから仕入れてきたのか言いなさい」
「昔、近藤家で働いてた家政婦からの情報らしい」
「こっちはね、死んでしもた父親が書いてた文章から、必死であれこれ調べて、やっと知
ったこと。おんなじことをあんたみたいな悪党が知ってるって、すっごい腹立つ」
小ずるい人間でありながら、人情のある人間ということは、瑞樹の様子から察してい
た。尚子はからかい気味に非難しているが、今井は尚子が本気で怒っていると思っている
ようである。
「最初は数百万という話やったんや」
「瑞樹くん、110番かな。いやいや。直接に行く? あそこ、阿倍野警察」
「聞いてくれ。一番アホを見たのは俺や。昨日夜遅く、ぼっさん来てちょうだい作戦その
二が失敗に終わったあと、伊崎が逃げやがった。計画は中止」
「ひょっとして全部、近藤陣営の命令だったんですか?」
「俺らがネタ持っていって、それであいつらが、ぼっさんを見てみたいと」
「そのために正平さんを。この悪魔!」
「瑞樹、おまえ、ゆうゆうハウスりんどうに来たよな。俺はぼっさんをあそこに入居させ
るよう、あれこれ手続きしたのは本当のことや。嘘やと思うんやったら問い合わせてみ
い。とっころがや。コラ瑞樹、おまえが施設の名を語ってあそこへ行ったりするもんやか
ら、全部プーになってしまったやないか。おまえらがウロチョロせんかったら、今もぼっ
さんはあそこにおるはずなんや」
254
尚子がグーで机を叩く要領で、今井の頭を叩いた。「こら。偉そうに言うな」
「痛ったー。暴力反対! あのな、ぼっさんが地獄特養へ送られるのを何としても食い止
める、俺かて、その目的に嘘偽りはあらへん。ただし。伊崎の金儲けと同時進行。そうい
うことやったんや。俺にも大金が入る。その予定やったが。ねえちゃん、タバコ吸うで」
「あかん。タバコ食べろ」
今井は尚子の言葉を無視し、タバコの火をつけたが、タバコを持つ手は車外に、そして
これ見よがしに下唇を尖らし、煙を車の外に吐いた。そして続けた。
「最初からぼっさんを、俺が緑風園から連れ出したら良かった。おまえを巻き込んで、俺
は反省した。信じろ。金はおまえにも分配する予定やった」
「僕は薄汚れた金など要りません」
「おいおい。そんな悠長なこと言ってられる仕事か。給料か。俺は、来月末を持ってク
ビ」
「そりゃ、行方不明になってたら当然でしょう」
「違う。前から、施設長のハゲから直々に言い渡されてた。勤務態度、著しく不良。なん
やと」
「いつ?」
「もう二か月も前から」
「そんな馬鹿な。先輩、利用者の一番人気じゃないですか」
「同時に職員の不人気一番星や。俺はマニュアル破りの常習者。緑風園もこれからいろん
な施設と提携していくにあたって、俺みたいな人間は邪魔なんやと。まあ、これまでおま
えにはいらんこと、いっぱい教えたけど、おまえはそれなりに上手いこと仕事やってる」
「・・・先輩辞めるのなら、僕も辞めます」
「ガキみたいなこと言うな。おまえが辞めたら、スメアゴルはどうなる。太平のおばはん
は。ジーラとコーネリアスは。問題児はみんな、おまえの言うことしか聞かんやろ。俺も
おまえも、二人ともおらんようになったら、やっぱり、な。おまえはもう、俺の分の仕事
も普通にできるし」
「ねえ。何しんみりしてんのよ。あんた。知ってること全部しゃべりなさいよ。さっき近
藤誠一郎のこと、言ったよね。ぼっさんが養子になったかならないか、その話?」
「よう知ってるね」
255
「先輩、ちょっと話がややこしくなりますが、聞いてください。ぼっさんには、双子のお
兄さんがいました。そのお兄さんはひと月ほど前に亡くなったんですけど、その人の名前
は稲垣武雄で、この人は、稲垣尚子さん、武雄さんの娘さんです。つまり、ぼっさんの姪
になるわけです」
「ほぉー。そういえば、あんたぼっさんに顔が似てるな」
「まじで殴るで」
「はい、殴って許してもらえるのでしたらどうぞ」今井は頬を差し出した。「でもお肌は
傷つけないで。これでも嫁と息子がいるの。お父さんどうしたの、と嫁が寝込めばパート
はお休み、子供の飯は三食ずーっと100キンのカレー、お父ちゃん大丈夫と子供が心配
すれば明日の漢字テストは0点、それが元でいじめにあい不登校、しかしすべて私の不徳
の致すところ、さあ頬をお殴りください」
尚子はあきれて言葉も出ない。
今井は続けた。「あれ? 叩かないの? ほな話、続けるで。稲垣さん。あんたのお父さ
んの、双子の兄弟である、あんたにとっては叔父であるぼっさんを、今頃になって、なん
で?」
「話せば長いんやけど。父はいずれ自費出版する気やったのか、自分史を残しててね。父
の死後、それが見つかった。そこに書いてあったことから、いろいろ調べ上げて、父に双
子の弟、正平さんがいたってことがわかった。父は弟、正平さんの存在を死ぬまで私たち
には言わんかった」
「ぼっさん、ショウヘイっていうの? 本名?」
「叔父の名前は稲垣正平。正しいに、平和の平って書く。蓬原家に養子へ行って、蓬原正
平になった。それが、ぼっさんの正しい名前」
今井は眉間にしわを寄せ、真正面を見た。
「伊崎は近藤誠一郎に、富山でじかに会うた。その後、秘書の、山埼という偉そうなおっ
さんから連絡があった。山埼は、すぐにぼっさんを連れて来いって言うた。
だから俺はおまえを呼び出して、伊崎がぼっさんを連れ出そうとした。さっきの状況や
ね。詳しいことは全然わからんが、山埼のおっさん、何か考えてるぞと俺は思う。今ぼっ
さん、おまえの部屋におるんか?」
「食い物とおやつをたんまり置いてきました。一回様子見に帰りますけど、大丈夫だと思
います」
256
「今井さん、私の実家に怪しい人間が来たの」
「どんな奴?」
「どんな奴って、あんたの知り合いとちゃうの? てか、今井さんとちゃうよね? もしそ
うやったらライターで鼻焼くよ」
「あんたの実家など、どこにあるか知らんっちゅうねん。何の話や」
「私は見てへんからわからん。市役所から来たって。義理の妹が追い返したんやけど、役
所に問い合わせたら、そんな人間を夕方に訪問させることはないって」
「それは絶対、山埼の差し金やな」
「でも先輩、そいつらがなんで稲垣さんとこへ? ぼっさん探して施設に来るのなら話は
通りますが」
「わからん。全然わからん」
「その人たち、私のお父さんを探しにきたんでしょう。稲垣武雄、ってお父さんの名前を
言ってたそうやから」
「お父さん、亡くなったんじゃ?」
「近藤陣営はそのことを知らんのと違うかな?」
「ということは、待てよ。えーと・・・」今井は腕を組む。
「伊崎は、近藤家から見捨てられたぼっさんの話をした。あわよくば金儲けになると考え
た俺らのアホさはとりあえず、どこかへ置いておこう。
庶民派で有名な近藤議員が、障害者である兄貴を捨てた過去があるなんてそんなこと、
許されるんですかねえ。いやこれは、伊崎の考えた話やで。そこで、わからんことがあ
る。ぼっさんをあいつらが探すならわかるが、探しに来た形跡がない、そうやろ、瑞樹」
「そうですね、変な人間は先輩以外は、うろうろしてません」
「ぼっさんと違ごて、ぼっさんの兄貴、稲垣武雄さんを、なんであいつらが探すねん」
「ぼっさんの過去に、尚子さんのお父さんも何か絡んでいる、ってことかな」
尚子は瑞樹の服の袖をつかんでいた。
「やっぱりお父さんも、犯罪に関わったとか?」
「あのとおり、ぼっさんは話せない。山埼という奴にも、わからないことがきっとあるん
だ。ぼっさんの事情を知る、そのために尚子さんのお父さんに用があった、そういうこと
なんじゃないですか」
「私、やまさきという人に会ってみる」
257
「おい。裏社会にも通じてそうな、なんか、怖そうなおっさんやで」
「でも私、会ってみる」
「ようもそんな、即決みたいに」
「そうですよ尚子さん、最悪の話、ぼっさんが過去に犯罪を犯していて、それで近藤陣営
のその山埼は闇社会にもコネクションがあったりして。そんな人間と軽々しく話しちゃ、
だめですって」
「お父さんがね、自分史に残した、これまで私らが知らなかった面。それは決して軽々し
いもんと違うの。私ね、仕事辞めてきた」
「えーっ!」大きな瑞樹の声に今井は顔をしかめた。
「ちょっと待てよ、なんでおまえがそんな壮大な悲鳴を上げる。おまえら、ひょっとし
て? いつの間に? え? ひえー。こりゃ一本やられました」
瑞樹は今井を無視した。
「仕事辞めてこれからどうするんですか?」
「瑞樹くん。こんな気分引きずって私、仕事に戻るなんてでけへん。気分だけの問題と違
う。私、あんなところに正平さん、絶対入れたくない。正平さん助けるのは、仕事の片手
間ででけへんと思う。まー、看護婦の求人はいっぱいあるから、この先はどうにかなる。
こうなったらもう、知りたいこと全部知りたい」
「ぼっさんと、尚子さんのお父さんに汚名が着せられるような、そんな事実がわかったと
してもですか」
「父さんは決して犯罪を隠すような人間やない。それは今も信じてる。私、毎日考えて
た。犯罪じゃなくて、悲しい話。すごい、悲し過ぎる話やから、お父さんは私らに隠し
た。隠されてる。絶対そう。まるで遺書みたいな形で、お父さんはそれを私ら家族に伝え
たかった。
知るのは怖い。でもね、そもそもお父さんがあんなもの残すからこうなったわけやし」
瑞樹が言うように、最悪の想像は正平および父が近藤陣営に絡んで、人の命に関わる犯
罪行為を行っていたということである。
いや、想像ではない。母が「三人の人間が死んでいる」と蓬原伸司に言った。確実に、
悲しい事実が隠れているのである。
しかし尚子はそれでも、父と正平の過去を知りたかった。もう気持ちはぶれない。父が
あんなものを残したから、というのは今の尚子の本心である。
258
「今井さん。やまさきっていう人の連絡先わかる?」
「わかるけど。やめときって。怖いおっさんやで」
「進まんでしょ、動かへんかったら! とりあえず電話する」
尚子はケータイを取り出し、今井の言う番号をなぞった。
「稲垣武雄の娘の、稲垣尚子と申します。単刀直入にお訊きしますが、父に、何の御用で
すか」
「何のことを、申されているのでしょう。これは私個人の電話ですが」
「だから電話しております」
しばらく相手は電話先で黙った。
「・・・とぼけても仕方ないですかね。あなたもあの、チンピラたちと結託してるんです
か? そこにチンピラがいるんですか?」
今度は尚子が言葉に詰まった。
「いますけど、結託はしていません。でも私の友人です」
真横で電話の内容を聞いていた瑞樹と今井は、何言ってる、と慌てた。
「稲垣さんには、こちらからもう用はありません。お父さんはご愁傷様でした。お父さん
の兄弟、正平さんにつきましては、私どもで方策を考えておりますので、あなたたちの出
番はありません。
尚子さんといいましたか、チンピラどもと一緒におられるのでしたら、あなたとのお話
はこれで終わりとさせていただきます。では」
「・・・だめ、切られた」
「なんで俺らと一緒にいるとか言うねん。アッホやなー」
「うるさいわね。思わず言うてしもたわよ。でもあれはクロやね。何か絶対、隠してる」
「やっぱ警察ですか。山埼を引っ張り出しましょう。こうなったら僕、とことん協力しま
すよ」瑞樹が拳を握った。
「おいおい、待ってくれって」今井が慌てる。
「警察に行っても無駄な理由その一。相手は国会議員の秘書。エラーい人。理由、その
二.役所の人間の偽もんがあんたのウチに来て、何をした?」
259
「裏口まで回ってきた」
「家の中に入ってきた?」
「きてない」
「それだけ?」
「それだけ」
「一番重要な、理由のその三。もし、山埼が俺の名前出したら、俺はどうなる。誘拐罪は
きついで。嫁と小学生抱えて。今、俺無職やのに。とか、これは理由としては苦しいけれ
ども」
今井は腰を曲げ、尚子に対して拝んだ。「ね、だからやめて。警察は。反省してます」
尚子は今井を見ていない。
父の名前を出してもああいう態度をとるとは、やはり近藤家は秘密を隠しているに違い
ない。
そもそも、個人用の電話に初めてコンタクトをとってきた相手と、短いながら会話をす
るということが、何かを隠している証拠だ。
沈黙が続いた。
じっと考え込んだ後、尚子は再び山埼に電話をした。
山埼が出るまでしつこく待った。
「なんですか。いい加減にしてください」
「私の叔父、蓬原正平を問い詰めました。今ここにいます。全部、昔のことを話してくれ
ました。私、指点字マスターしてます。ご存知ですか、指点字。重複障害を持つ方と会話
する唯一の方法です」
瑞樹と今井はぎょっとした。固唾を飲んで尚子を凝視した。
「・・・あなた、どこまでお知りになったんです」
「叔父と父と、あなたたちのことです。父が死んだからと思って安心してるんじゃないで
すか? 私は許しません。でも、あなた方を脅すつもりはありません。叔父の正平さんを
助けたいのです。正平さんにゆっくり生きてもらう準備ができたのなら、あなたたちがや
ったことを問い詰めることはしません。でも、山埼さんの口から、自分の罪を告白してく
ださい。でないと警察にすべて話します。
260
話し合いましょう。山埼さん。明日、お昼の十二時。蓬原正平、そして私が家で待って
ます。こないだみたいに、変な人間はよこさないでください」
「変な人間を送ったのは申し訳ないが、変な人間ではない。私の部下だ。不審だと思われ
たのなら詫びる。こちらも、私が表に立って探せない、会えない理由があった」
「なぜ私の父なんですか? なぜ正平さんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
「明日、来てください」
「それは無理です。今東京です。何でしたらあなた方が東京まで来てください」
「それはできません。のこのこと出かけて行って、あなたたちに何をされるかわかったも
んじゃないでしょう。私の家に来てください。絶対に来てください。場所はご存知ですよ
ね。明日十二時。今からお眠りになって、朝の新幹線で来てください」
「急に無茶を言いなさんな」
「あなた方に時間を与えたら、あなた方こそ怪しい人間をいっぱい連れてくるでしょうか
ら。いいですか。明日の昼、十二時です。来なかったら警察、雑誌社新聞社、その他に全
部話を持って行きます。では」
尚子はケータイの電源を落とした。
瑞樹も今井も唖然としている。
「やるなあ、ねえちゃん」
「よく言いましたね。指点字ときましたか。ホントに知ってるんですか?」
「知らんわよ」
「しかし山埼、来るんかな?」
「絶対に来る。政治家の秘書って、偉そうなしゃべり方するもんでしょ? でも敬語まで
遣ってたわよ。あの話し方はびびってる証拠。明日で一気に勝負。瑞樹くん、ごめんね、
いろいろ巻き込んじゃって」
「何言ってるんです。明日のこと考えてください。危なくないですか? 怖い連中引き連
れて来たらどうします? 暗殺軍団みたいなのが来たら?」
「テレビの見すぎ。明日は正平さん借ります」
「だったら僕も行きます」
「仕事あるんでしょ?」
261
「休みます。ボディーガードが必要じゃないですか。ねえ、先輩」
「ねえ、って」
「じゃあ、家の近くで待機してもらって、やばそうなのが来たら助けて。それだけ、お願
いできるかな。実家の住所、今控えて。待機場所は・・・どうしよう」
「僕にできることでしたら。やばそうなのが来たら助けます。今井さんも」
「だからなんで、俺まで」
「でもほんとに仕事休んでいいの?」
「僕なら大丈夫です」
「ぼくぼくってなんや。おまえらなんや! 勝手にできとんのか!」
のろのろ運転を続ける車が、ちょうど尚子のマンションの近くにさしかかった。
「ありがとう瑞樹くん。じゃあ瑞樹くんも帰って。十時頃、電話して起こしてあげるか
ら。じゃっ!」
今井を無視して尚子は車を降りた。
瑞樹に今井、そして昼間は暇な英司までが、家から少し離れた駐車場、瑞樹の車の中で
待機していた。
英司は額に絆創膏を二つ貼っている。何が理由か瑞樹は知らないが、昨晩、尚子に一方
的に、本気で殴られたそうだ。掃除機の柄で、奥さんにも叩かれたそうである。理由を訊
いたが、誰かに言ったらまた殴られる、ということで、教えてもらえなかった。
午前十一時四十分。
コインパーキングからは大通りまでを見通すことができ、それらしい車が来れば家にい
る尚子に連絡することになっている。
配達の軽四、近所の花屋などが通り過ぎ、まだ、タクシーや高級車などそれらしい車は
まだ入ってこない。
十一時五十分。
タクシーが入ってきた。
262
「来た来た! おねえ、本当に来たぞ!」興奮した英司がケータイの向こうの尚子に向か
って叫んだ。
タクシーは彼らの目の前に停まった。
中から老婆が降りてきた。
「なんやねん」
「ほんまに来るのかな」
「尚子さんの判断は正しい。絶対に来ますよ」これからどこへ向かうわけでもないのに、
瑞樹がハンドルを力強く握って答えた。
十二時ジャスト。
それらしい車は来ない。
「ぼっさん、どうしてます?」瑞樹は尚子を呼んだ。
「昼寝してるわよ。暢気なもんね」
「連中、少々遅れてます。あいつら、どういう態度に出るか予測できないので、気を引き
締めてください。何かあれば僕らが駆けつけますが。まさか、来ないなんてことはないで
すよね」
「大袈裟やね。大丈夫。絶対来る。それにしても遅いね」
十二時十分。
ついに、それらしい車が来た。
少々時代遅れのセダン。
運転しているのは初老の男。視線は上を向き、明らかに家を探しているような様子であ
る。
「先輩! あれ山埼ですかね?」
「俺は会ったことないって。でも間違いないやろ。運転手なしで直接来たか!」
車は彼らの目の前を左折し、稲垣家を少し行き過ぎ、そして停まった。
「尚子さん、来ました!」瑞樹の声は震えている。「ひとりですよね? あのおやじ」
瑞樹が車から出ようとした。
「ちょっと待て! まずぼっさんに会ってもらわんとあかんやないか」今井は瑞樹を制止
した。「そうっと向かうぞ。降りろ」
263
瑞樹は再び、尚子に話しかけた。
「尚子さん、ケータイは通話中のままに」
「今ケータイから離れる。・・・ちゃんと聞こえる?」
「はい、ちゃんと聞こえます」
車から降りてきた男は、片手に、黒いカバーがかかった、大きな機械のようなものをぶ
ら下げていた。
「あれ、何持ってんねん?」
「何やろ? 爆弾とちゃうか?」
「馬鹿な。違いますよ。あれは自白装置です」
電話口の向こうで呼び鈴の音が聞こえた。
緊張した様子で、はいと答える尚子の声が聞こえた。
息を呑む三人。
尚子と男の話し声は聞こえるが、何を話しているのかよく聞こえなかった。瑞樹の持つ
ケータイに男三人が顔を寄せ合っている。
数十秒が過ぎた。
何かを叩くような音が二度、聞こえた。途端に通話が切れた。
「やばい! 助けに行くぞ!」
玄関先に立っていた男を、瑞樹、今井、英司三人がかりで取り押さえた。
「何、何しまんねや!」
「観念しろ山埼!」
たちばな
「は? わし、立花! やまさきちゃいまんがな!」
「誰や! 山埼は来んかったんか!」
「ちょっと離しなさい!」尚子が男から三人を引き剥がした。「この人、電器屋の人!」
「へ?」
「なんで電器屋が?」
「何しまんねや。びっくりするわ。ほんまに」男は怒りながら立ち上がった。
264
尚子が立てたまま置いていたケータイは棚から落ち、何かにぶつかって、金魚の入った
小さな水槽の中に見事に沈んでいた。
「ごめんなさい。あれこれあって、ちょっと立て込んでまして」尚子は電器屋の親父に謝
った。
しょうみ
「立て込んでたら押さえつけられんのか。名乗った途端にこれや。びっくりすんで正味」
「申し訳ありません、本当に立て込んでるんです、今。あの、何の御用ですか?」
「稲垣さん、ですな?」
「はい」
「稲垣、武雄さん・・・失礼ですが、ひょっとして、お亡くなりになられましたか? い
や、ご在宅であれば誠に失礼」
「はい、父です。父はひと月ほど前に」
「やっぱり。ご愁傷様です。いやあね。これですわ、これ」
電器屋は、三人に抑え付けられながらも胸に抱えて離さなかった機械の、黒いカバーを
取った。
「あーっ!」尚子と英司が同時に声を上げた。
父の愛用していたワープロだった。
日本橋商店街の外れで電気機器修理業を営む、立花という名の男は説明した。
大阪市内のリサイクル屋・廃棄物関連の会社から古い電気製品などを買い取り、解体
し、金になる部品を集める、または古い機械を愛好する客に新品同様に修理して売る、そ
ういう業者である。
ある日、自分のところに流れてきた90年代製のワープロ専用機。
ワープロは、ネット販売ではいまだに売れる。見た目、状態は良さそうだった。
作動点検のために立花はワープロのスイッチを入れてみた。
パソコンと違い、スイッチを入れるといきなり作成中の文章が登場するのがワープロで
ある。
そこには、一冊の本の原稿が、そのまま印刷所へ回せるくらいに綺麗に完成していた。
立花は興味を持った。
時間をかけて、それを全部読んでしまった。
265
立花は六十六歳。七十代なかばの人間が書いた自分史は、特に世相のことについて書か
れた部分については感情移入できる内容が様々書いてあった。
このワープロの持ち主に会いたくなった。
ただし、文章の雰囲気では、この人物は癌と闘病中であり、結構高齢でもある。
生きていれば、こういうものを廃品回収には出さない。ワープロは遺品整理で出された
に違いない。
残念なことに、名前以外、住所などを示す文章は一切書いていなかった。このワープロ
を持ってきたリサイクル業者にも電話して尋ねたが、どこから預かった物かさっぱりわか
りません、とのことだった。
フロッピーディスクがセットされてあり、インデックスシールには「武雄自分史完成
品・尚子、英司へ」と油性ペンで書かれていた。
立花にはこのフロッピーディスクが気になった。機械本体はさておき、フロッピーがこ
こに入ったままということは、何らかの事情で、ご指名の尚子さんと英司さんには渡され
ていないのではないか。
「稲垣武雄さん」が亡くなっているとしたら、最近である。こういうものを早速遺品整
理に出すか。腹も立った。
自分の長年の友人が、そういう目に遭ったことを思い出した。家族に見捨てられていた
わけでも何でもない男だったが、数か月の闘病で死ぬや、息子たちの嫁が率先して、高価
な釣り道具、年代モノの舶来カメラなどをさっさとネットオークションに出し、本人がい
た部屋は壁紙は張り替えられ、一番下の娘の部屋になっている。
このワープロも、息子の嫁とやらが粗大ゴミとして出したに違いない。そういうことを
する、そういうことができる立場である。
その嫁、とは「英司さん」の嫁に違いない。毎日稲垣さんの奥さんを苛め、「尚子さ
ん」にも嫌がらせをし、今風のママとやらで、好き放題生きている人間に違いない。「稲
垣さん」も奥さんも、おそらく孫の可愛らしさだけですべてを我慢して生きていたのだろ
う。
許せん。
自分ができることは、このワープロを稲垣さんの家に届けることである。繰り返し文章
を読むうち、立花はその気になった。
266
自分史の作者、稲垣武雄さんは娘の尚子さん、息子の英司さんにこのフロッピーを渡し
てほしがっている。これを家族の元に届けなければならない。
是非頼む、と武雄さんが自分に頼んでいる。
立花は、自分の商いのエリアである浪速区、天王寺区、阿倍野区周辺に住んでいたであ
ろう稲垣武雄さん尚子さん、英司さんという家族を、何とかして探そうと思った。
ネットで検索してみた。
稲垣武雄という名前で検索すると、同じ名前がいくつかヒットしたが、明らかに年代が
合わなかった。
次に「稲垣尚子」を調べた。
大阪西大付属病院のホームページがヒットした。そして看護師の紹介。
文章の中に出てくる娘の尚子さんは、長年看護師という仕事をしている。
早速ビンゴである。これだ。間違いない。
すぐに立花は、西大付属病院に車を走らせた。
稲垣尚子は休職中、とのことだった。
連絡先などは当然教えてもらえない。
立花は粘った。自分は親戚の人間であると出任せを言ったが、窓口にロボットのように
座る男は、個人情報がなんだかんだとお題目を繰り返すだけで、埒が明かなかった。
その様子を見ていた看護師が、声をかけてくれた。親切なことに、尚子と一番仲が良か
った新人看護師を呼び出してくれた。
立花はその看護師に、経過と理由をすべて説明した。
その看護師は、尚子が一度、父の自分史のコピーを見せて涙した、池端多摩という変わ
った名前の看護師である。
池端はメモに尚子の連絡先と、今はマンションじゃなくて実家にいるからと言って住所
を書き、手渡してくれた。
その足で立花は教えてもらった住所に向かった。
行く前に連絡するのが常識であるが、立花はその日ケータイを家に忘れていた。
とりあえずこのワープロ、フロッピーを一刻も早く手渡したかった。
そしてなぜ男三人に取り押さえられねばならないのか、と立花はぼやいた。
267
病院にいる池端からの電話が、尚子のケータイに着信していたのだが、そのケータイは
金魚鉢に沈んでいる。昨日のあくる日にはさすがに行けないという旨の、山埼からの電話
もしっかり着信していた。
全員が頭を下げた。最近空き巣がよく出没しているので、とごまかした。
ワープロのスイッチを入れた尚子は、父の自分史の完成品を確認して、目を潤ませた。
立花は武雄の仏壇に拝んだ後、全員がワープロに集まっている様子に満足した。お礼を
したいと尚子は言ったが、立花は、喜んでくれたらこの地味な仕事のやり甲斐もあるとひ
とり頷き、帰っていった。
一番気になったぼっさんのページ。第九十九章「私とぼっさん(蓬原正平君)」。
これまでの疑問が一気に解けた。
父は犯罪には関係していないし、また正平を見捨てたわけではない。
そして正平の犯罪という、一番心配していたことも、どこにも書かれていない。
英司のケータイが鳴った。病院からだった。
はっきりと目が覚めた母が、尚子と英司に謝りたいとのことである。
「英司、行くよ。お母さんと一緒にこれ、読みましょう」
第百章・終章と題された最後のページ。
ご丁寧に後書きまである。
尚子はワープロの画面をパタンと閉じた。
英司も何も言わない。
父の最期の言葉と思われる、まるで遺書のような内容。
これを最初に読むべきは、母である。
268
第二十四章
母の独白
「尚子・・・」
響子はいきなり涙ぐんだ。「ごめんやで、ごめん」
「もう、心配したでー。二度と、ああいうことはやらんって約束して」
「ごめん。動転したのお母さん。許してほしい。もう、あんなアホなことやらん。ああ、
英司も来てくれたんやね。心配かけたねえ。絵美里さんもほんまにありがとう」
絵美里は、尚子がこれまで見たことがないような優しい表情をしていた。数年間はいが
み合いと無視の繰り返し、お互い嫌な人間だと思ってはいたが、ここ数週間、大事があっ
てからの絵美里はまるで人が変わったようである。大事があって人間が見えた気がする。
「それでね、お母さん。ぼっさん、正平さんのことがわかった」
響子は身体を硬くした。
「そんな顔せんと。正平さんはね、扱いの酷い老人ホームに、身内が誰もいてへん人とし
て入れられてしまう。私は、それやったらあかんと思うわけ。それだけ。ほんとにそれだ
け。他のことはもうどうでもええし、知りたいとも思えへん。それから、お父さんのワー
プロが見つかった。ほら」
英司がワープロを掲げた。
「お父さんの自分史が全部読めるようになった。正平さんのことも、全部わかったの。お
母さんが心配するようなことは何も書いてへんから。これを読むのは、私ら全員の仕事や
と私は思う。今日は勘弁、と言うんやったら出直すから」
「お父さんが・・・お父さんが、全部書いてるの?」響子の声は震えている。「私のこと
は、どう書いてる?」
「さあ。なんせすごい量、あるからね」
響子は遠い目をした。
「お母さん、しんどいんやったら出直してもいいよ」
「・・・読みたい」
「でしょ。ここにワープロ置いてくから、最初にお母さんが読んで。私らは外に出てる」
「ちょっと待ち。ワープロの触り方、わからへんがな」
「絵美里さん、お願いできるかな」
269
「わかりました」
「あの。何か揉めたんですか?」
は
尚子、英司、瑞樹、そしてぼっさんの四人が、外来患者が捌けた待合スペースで座って
いる。
英司がなぜか落ち着かず、尚子は若干、英司に対し怒っているような雰囲気である。
「昨日、何があったんですか?」
「ウチの話。恥ずかしいて恥ずかしいて、他の人に言えるはずがない、絶対」
タバコ吸ってくる、と言って英司が出ていった。
「なあ、瑞樹くん、ガンダムとか好き?」
「何をいきなり」
「その世代でしょ?」
「ひょっとして尚子さんも? 僕はなんといっても、黒い三連星ですね。その次はグフと
ランバラルかな。あれが1970年代産のアニメだと思えますか。おっさんばっかりに味
があるんです。あ、でもマクベは別。はっはっは」
「何言うてんのか全然わからん」
「何ですか!」
「英司戻ってきたら、今言うたわけのわからん話、やってみ。まる三日くらい盛り上がる
やろうね」
どこまで行ったのか、英司はしばらく戻ってこなかった。
一時間ほどが経過した。
尚子と瑞樹は、母のいる病室に戻ってみることにした。
案の定、母はタオルで涙を拭き倒していたようで、えらい顔になっていた。
英司が一足先に戻ってきていた。
「どう? 最後の章、読んだ?」
「はい。お父さんの気持ち、私全部わかったで。ふざけてばっかりおるお父さんやったけ
ど、これまで読んだやつよりも深い内容やった」
270
「お母さん、読んでたの? コピーのやつ」
「暗記するほど読みました。ごめん。もう、あんたにも隠すこと、何もないわ。よいし
ょ」
「お母さん、まだ寝ていてください」
「そうや。まだ起きんでええって」
「いいや。尚子。もういいの。お母さん、決心ついた。これから警察に行く」
何を言い出すのかと、全員が驚いた。
尚子だけが冷静だった。
三人が死んだということ。
母の犯罪だったのか?
そういう展開も、心内で予感していたような気がする。だから尚子だけが驚かなかっ
た。
「警察って何や!」
「うるさい、英司。でかい声出すな」
「あんたらに関係ない話。そやけど尚子、あんたはいずれ、知ってしまう。お父さんのこ
と調べるな、って言うた私の間違い。あんたの性格、よう知ってるはずやのに。お母さん
がずるい考え方、してたと思う。尚子。あんた山埼さん、知ってるね?」
「近藤、清一郎の秘書さん。私、まだ会ったことないけど、電話で話した」
「今さっき、山埼さんから連絡があった。相談、あった。ふう」
母はため息をついた。そして大きく伸びをしようとして、腹を押さえた。「あいたたた
た」
「何してるのよ、大丈夫?」
「・・・誰も知らんままで終わると長い間思てたけど、悪いことをやったら、お天道様が
黙ってへん」
「おかん、何の話や!」
「お母さん、何のことか、ゆっくり話して。ちゃんと聞くから」
271
「いやいや、あんたらに直接関係のない話や。あんたらはお父さんの話をしっかりと読み
なさい。先に警察や。警察、呼んで。しつこう訊くんやったら、帰ってくれるか」
壁のほうに向いてしまった響子だったが、すぐに首だけを横に向け、小さい声で訊い
た。
「お父さんの本、その機械に入ってるやつ。あんたらもう全部、読んだんか?」
「まだ全部は読んでない」
「私のことは書いたるの?」
「さあ。少しは書いてるんとちゃう。そやけどお父さん。照れ屋やったから、あんまり書
いてないかもしれんね」
「最後に、書いたんのよ。私に、感謝してるって」
響子は横に手を差し出した。絵美里がタオルをさっと差し出した。響子は声を出さず、
泣き出した。
そのまましばらく過ぎた。
尚子が切り出した。「もう一回言うけどね。正平さんのことはやっぱり私ら家族の問
題。施設で三十年暮らしてた、なんて可哀想過ぎる。それだけとちゃう。今何も、私らが
やらへんかったら、長いこと、ゆっくり暮らしてた施設から出されて、酷い施設に送られ
てしまう。昔は昔、今は今。正平さんを私、助ける」
尚子の言葉を聞いているうちに、響子の目に力が戻ってきた。
「昔は昔、今は今。昔は昔、今は今」響子は尚子の言葉を繰り返した。「あんたの言うと
おりや」
「それでね、お母さん。蓬原、初江さん。よく知ってるよね。覚えてるよね」
響子は黙って、しっかりとうなずいた。
「本当に偶然。今お母さんがおる、ここ。蓬原初江さんがついこの間、おったベッドや
で。初江さんはね、ここで、ちょうどここで亡くなったの。お父さんが神様と一緒になっ
てやってる、いたずらやね」
響子は大粒の涙を浮かべて、再び泣き出した。
ただ、嗚咽の声は決して嘆きの響きを持つものではなく、まさに万感の思いで泣いてい
る様子だった。
272
そしてはっきりと、言った。
「お母さんわかった。そうか、ここで初江さんがなあ。尚子、まだ帰らんでもええで」
母は上体を起こそうとした。絵美里がそれを止めた。
「英司、あんた仕事やろ。とっとと行け。私は今からゆっくりと、お父さんの話を読む」
「ずるー」
「出て行って。英司さん。仕事に行きなさい」
第九十九章
私とぼっさん(蓬原正平君)
残すところ二章。
およそ十六年間に渡って節操なく書き続けてきたこの自分史も、第九十九章となった。
何度となく出てきたぼっさん。
ぼっさんは、正真正銘、私の弟の、正平である。
私の思い出を中心に書き続けてきたこの自分史であるが、この章については私の告白、
独白である。
実際、私が生きている間にこれを何らかの形で自費出版できるのであれば、この章は省
こうか、残そうか、今書きながらも私は迷っている。
私(たち)は昭和五年五月二十九日、東の空が明けそめる頃、大阪市天王寺区下寺町一
丁目の一角で祖母、伯父一人伯母二人そして両親との大家族の中に産声を上げた。
以前からその時が来たら、と頼んでいた産婆さんが自転車で転んで骨折し、動けなく、
産婆さんの娘さん、つまり産婆さんの見習いがやってきて、てんやわんやだったそうであ
る。
私たちは双子で生まれた。私が先に出てきたので兄ということになっている。
私は武雄と名付けられ、弟は正平と名付けられた。
一卵性双生児。まさに言葉そのままの双子であり、黙っておれば両親も間違えるほど、
私たちはよく似ていた。
273
尋常小学校に入学したときは、ちょっとした人気者になった。
別の学級にも双子がいたが、私たちほど似てはいなかった。クリクリ頭で、背丈も、色
黒もすべて同じ。
ただし性格は違った。私のほうがやんちゃで、親にも先生にもよく怒られ、一方、正平
は自分からはいたずらもしない、おとなしい性格だった。私と間違われて正平が怒られた
ことも数え切れなかった。
正平は私をいつも兄ちゃん、兄ちゃんと呼んで後をくっついて回った。先に出てきたか
後に出てきたかの違いだけであり、双子の年齢はまったく同じ。実際のところ兄も弟もな
い。便宜上そう呼ばれるだけである。
しかし正平が頼りなく、いつもにいちゃんにいちゃんと後をくっついてくるので、私は
自分が兄であるという自覚が確かにあった。「弱いほうの稲垣や」と言われ正平がガキ大
将たちにいじめられた時も、私が棒を持ってそいつらを追い回したりもした。
蓬原昌夫先生という、私たちとは家族的な付き合いで、大変世話になった先生がおり、
日頃は非常に温厚な先生であったが、私たち二人が地蔵盆の片付けのとき、食べ物を年少
の子達に分けず、勝手に頂戴したことがあった。
小さい子供たちの口の周りにおはぎのあんを塗りつけ、肝心の中身はしっかりと私と正
平が食べたという悪行だった。
昌夫先生が珍しく、本気で私たちに怒った。
私たち二人は正座をさせられた。そのときの先生の言葉である。
「兄貴がちょこまかしとるのに比べて、お前はいつもぼっさーとしとるな。お前はぼっさ
んや。」
正平のあだ名がその日からぼっさんになった。ぼんさん(大阪弁でいうお坊さんの意
味)とおっさんを掛け合わせたような、ひどいあだ名もあったものであるが、みんなに普
通にぼっさんぼっさんと呼ばれ、以降ずっとその呼び名が定着した。
父が肺病で死んで何年かたった頃。
ぼっさんこと正平は、稲垣正平から、蓬原正平に名前が変わった。私たちが十三歳の時
だった。正平は隣の区でも有数の旧家、蓬原家へ養子にもらわれることになったのであ
る。
274
蓬原夫婦には子供が生まれない事情があったと後、母から聞いたが、何がきっかけで私
の弟が選ばれたのか、それは私はよくわからない。
見かけも声もすべて同じであったので、私が養子に行ってもおかしくはなかったかもし
れないが、私は正平に比べ、とにかく落ち着きがなかった。何といっても正平は私と違
い、勉強がよく出来た。学級でいつも一番だったのではないだろうか。それが養子の決め
手となったようである。
一夜にして正平はいいとこの息子さんになったわけだが、当時は、正直私も嬉しくて仕
方がなかった。
蓬原家は「油屋さん」と呼ばれていたように、石油商店であり、自動車が町中に登場す
るずっと以前から、船相手に商売をして、財を成していた家だった。
当然私の家にも援助があり、暮らしはぐんと楽になった。
蓬原の家は私の家から割合近い距離にあり、正平も、何度も生家で泊まったりもした。
戸籍上の新しい正平の両親、蓬原夫婦も、当時は優しい人達であり、私も一緒に観劇や
歌舞伎、海水浴、いろんな場所へ一緒に連れて行ってもらった。正平にとっても幸せな人
生が待っていると思われた。
ところが、良い日々も長くは続かなかった。
蓬原家に男の子供が生まれたのである。
そのこと自体は喜ばしいことではあったが、子供ができないと医者に診断を受けた蓬原
夫婦にとって、跡継ぎが大きな問題であり、そこで正平が養子となったというそれまでの
過程があった。
いい加減な医者もあったものだが、そもそも、蓬原夫婦が人格者であれば、生まれた赤
ん坊も正平も、双方に愛を持って育ててくれたことだろう。
残念ながら、蓬原夫婦は正平を養子にしたことを後悔したようだった。赤ん坊が生まれ
てから、正平に対する彼らの扱いはガラリと変わった。そのことは、私と違っておとなし
い正平が身を持って教えてくれた。
正平には、蓬原夫婦の甥に当たるという大阪帝大の家庭教師がついていたが、夫婦は正
平を座敷牢紛いの部屋に閉じ込め、勉強を強いた。帝大に入らなければ蓬原家にいる資格
はない、そういうことだった。
275
養子の必要がなくなったのなら、養子を解消すればいいものを、なぜそうしなかったの
か、なぜ人が変わったように正平をいじめ続けたのか、それは今となっては知るすべはな
い。
居眠りをする正平を、家庭教師は叩いた。算術の答えを間違えた正平の手を、鉄製の物
差しで叩いた。傷一つなかった正平の腕は、鞭で叩かれたかのように傷だらけになった。
後に聞いた話であるが、母は正平をいじめる難波の蓬原家に、何度も話をしに行ったそ
うである。
蓬原家の奥さんについて、人が変わった、とよく母が言っていた。
その後、母はそれまで蓬原家からもらった家具などをリヤカーを借りて返しに行き、玄
関に置いたままにして帰るなど、そういうこともあった。
正平は何度も逃げ出した。そして生家である(比較にならない貧乏長屋である)稲垣家
に帰ってきた。正平は言葉少なに、あの家嫌やと言い、傷だらけの腕を母に見せた。私は
母が声を上げて泣いたのを、あの時初めて見た。
正平が逃げ出した時に来る家が、もう一つあった。
名前は同じ蓬原であるが、難波にあった石油屋の蓬原とは本家、分家のようなものであ
り、その天王寺区伶人町の蓬原家、そこのご主人こそ、私たちがよく世話になった蓬原昌
夫先生である。
私たちは奥さんの初江さんにも、何年にも渡って大変世話になった。
大きな家であり、伶人町の蓬原家にはいつも子供たちが集まっていた。
大黒柱を戦争にとられて生活が大変な家の子達を集め、食事の面倒を見てくれるような
家だった。母屋とは別に庭の一角に離れがあり、そこには十五歳位と十歳位の姉妹が住ん
でいた。この姉妹は孤児だった。
苦しい時代の中、あの家で、私たちはまるで雪国の囲炉裏を囲んでいるかのような、暖
かい時間を過ごした。
ある日、私は正平に助言をした。いい年してなぜ叩かれるのか。あいつらは他人や。こ
っちの蓬原さんはいい人たちやけど、あっちの蓬原は悪魔じゃ。帝大が何や。叩かれたら
やり返せ。男失格やと。
276
そんな私の助言をどれほど真に受けたのか、正平は度重なる仕打ちを耐えた末、暴力家
庭教師を本当にやっつけてしまった。
戸を蹴り倒し、自転車を庭の池に投げ込み、私も驚くほどのひと暴れをやってのけた。
果たしてその結果は、池に投げ込まれ使えなくなったドイツ製の高級自転車と、壊した
戸の修理代として、私の母に請求が来た。
正平は、自分が働いて返すと言ったが、そんなもので返せる金額ではなかった。
養子とはいえ自分の息子に対するこの仕打ち。私も頭に血が上った。
「お母さん!」
いつの間にか、母がベッドの脇に立っていた。
「立って大丈夫なん?」
「うん。トイレ行ってくる。あんたらはまだじっと読んどり」
「だめやって。カーテン閉めるから、看護婦さん呼ぶ」
「介護の老人扱いする気か。便所くらい自分で行く!」
「じゃああたしが付いていきます」
「ええって。絵美里さんも尚子と一緒にそれ、読んで」
母の足取りはしっかりしていた。絵美里が支える前にさっと、外へ出て行ってしまっ
た。。
そして運命の日。大阪大空襲である。
昭和二十年三月十三日。
この自分史の冒頭に長々と書いた、いまだ私の記憶に鮮烈に残る、生涯忘れられない日
が来た。
正平は伶人町の蓬原家におり、無事だった。
難波の蓬原家であるが、腸が悪かった赤ん坊は近所の診療所に預けられていて、無事だ
った。しかし裏庭に石油倉庫がある豪邸は跡形もなく焼け落ち、夫婦と、下宿していた帝
大生は死んだ。
277
この自分史のはじめのほうで先述したように、それから終戦までの二ヶ月は、誰もが生
きるか死ぬかの怒涛のような日々だった。
つかの間、伶人町の蓬原家でリラックスした時間を過ごした覚えもあるが、私は私で、
正平どころではなかったのだ。
話はその数年前にさかのぼる。
徴兵検査が満二十歳から十九歳に引き下げられたのは昭和十八年十二月であるが、昭和
二十年初頭、その年齢に満たない者は、少年志願兵に駆り出されるようになった。いわゆ
る学徒動員である。
少年志願兵。志願とは本人が望んで願い出ることであり、意志がなければ志願をする必
要もないわけである。しかし当時の世相はそれを許すことなく、十六歳の私にも当然のよ
うに志願せざるを得なかった。
当時は今と違って意志が自由に受け入れられない暗い時代である。
もうどうにでもなれと捨鉢な気持ちの時に、町内より海軍志願へ向かえとの話、流れる
ままに何の抵抗もなく、試験場に向かった。
それは敗戦の色が濃くなった昭和二十年五月頃だろうか、阿倍野区の常盤小学校で試験
があった。
試験は身体検査と運動の実技位である。当時は栄養が不足していたため、皆、体はガリ
ガリであった。身長、体重を測り、眼の検査、運動。運動といっても簡単な飛び台や鉄
棒、短距離走行ぐらいである。
内科検査はなく、午前中に形式的な検査は総て終わった。午後は直ちに結果発表であ
る。目立った病気がなければ頭の良し悪しに関わらず、受験者の殆どは合格した。
検査官が大きな声で「諸君、合格おめでとう、日本男児として大変名誉なことである。
追って沙汰をする。国に殉ずるために、総てのことに自重して待機せよ」との訓話があっ
た。
国に殉じる事は死を意味する事である。何も望んで来たわけでもないので、私には少し
の感動も湧いてこなかった。
後年の書物やテレビドラマ、映画ではそういう考えを持つ人間を「非国民」と呼び、戦
争に少しでも消極性や異論を持とうものなら日本中で迫害されたということになっている
278
が、進め一億火の玉だ、欲しがりません勝つまでは、月月火水木金金・・・そんな勢いは
日本が太平洋戦争に参加した昭和十六(1941)年から二年程度続いたものであり、私
が少年志願兵徴兵検査を受けた時期は、町内、市内、おそらく日本全国に、疲労感と飢餓
感が大きく、黒雲のように漂っていた。
都合のいいことばかりを報じる新聞やラジオの戦争報道を、また書いとるわ、また言う
とるわ、といった具合に冷めた物言いをする人間も数多くいた。
憲兵、官憲たちは、戦後まで恐ろしい存在だった。しかし、日本戦勝の高揚感に沸き一
方協力しない人間を非国民と呼んで蔑んだのは、あくまでも日本が太平洋戦争に突入した
頃の数年間である。
考えてみてほしい。空襲に怯え、焼け残った我が家も、とりあえずは生きている家族
も、次の空襲でどうなるかまったくわからない。この間まで仲の良かったご近所さんは黒
焦げ、肉の固まりになって死んだ。誰にも、「非国民」と同胞を罵る余裕など、もはやあ
るはずがなかったのだ。
神国必勝の空気が、戦争中最後までずっと続いていたかのように描かれる映画やドラマ
には、私は今でも疑問を感じている。
私は徴兵検査に合格したことを、家に帰って母に話した。母は「お前もこんなえらい時
代に生まれてかわいそうな子や」と言って、涙をいっぱい溜めていた。
如何に戦時中とはいえ、このまま親許を離れ、国策に添って戦地に赴く我が子を不憫と
思ったのだろうか、悲しそうな母の顔は今日でも脳裏に克明に焼き付いている。母の思い
出は、いつも泣き顔ばかりである。
それが、当時の私個人の状況である。
ちなみに正平は少年志願兵には志願しなかった。蓬原家が許さなかったせいである。金
持ちの言うことは官憲にも通ったようだった。
いよいよ学徒動員である。私だけではない。今で言う、中学生の年齢の男子にはいわゆ
る赤紙、召集令状が来たら、みんなとさようなら。
避けられるものなら避けたいことである、私はそう思ってはいたが、戦地に赴いた多く
の先輩方の顔が浮かび、いずれ自分も戦地へ行く、と思っていた。
279
蓬原初江の小母さんもそんな私のために泣いてくれた。私は強がって、正平の分まで頑
張ってくるといったが、頑張る前に死んだらどうする、と怒られた。
離れに住む孤児の姉妹がそんな私たちの話に加わり、小学生の妹のほうがにいちゃん、
戦争行ったらあかん、と泣いてくれた。私まで泣いたら格好悪いのでこぶしを握り締めて
我慢したのを覚えている。
泣こうが笑おうが、いつ召集令状が来るかわからない。それは明日かもしれない。
六月、七月、大阪は相変わらず空襲に明け暮れた。九死に一生の経験を重ねつつ、この
状況よりももっと酷い戦地へ私は赴く。
独りでじっと考える時間などあったら、多分気が狂ってしまう、そんな状況であり、そ
してそんな状況にあったのは私と同年代の青年すべてである。
私は朝から夜まで、住友金属工業株式会社製鋼所・実習工場で働きに働いた。頭を空っ
ぽにしたいがためだった、と今では思う。
そして八月になった。六日の広島に続いて九日には長崎に原子爆弾投下、それまでにソ
連の宣戦布告と、極度に緊迫した国際情勢が続き、もはやこれまで、という判断を国が持
ったのが、この時期だろう。
赤紙は遂に来なかった。
そして十五日の終戦。僅かな日にちの差で私は死なないで済んだ。先輩たちは、その僅
かな日にちの差で海軍少年兵となり、特攻隊として南方で戦死した。
終戦を迎える少し前。大阪は空襲の連続で大変な状態だったが、家がなくなって、かと
いって生家にも戻らなかった正平は、仕事もせずに、蓬原さんの家にもあまり来ず、ふら
ふらしていた。
正平をあのような複雑な状況に追い込んだのには私にも責任があり、正平は何も言わず
とも、母も又初江の小母さんも正平の気持ちを考え、昼間はどこで何をしているのかよく
わからない正平に対し、責めることは一切言わなかった。
終戦を迎え私たちに生命の危険は去ったが、何事においても物資が乏しい、特に食べ物
が足りない状態はずっと続いた。
280
続いた空襲のせいだろうか、伶人町の蓬原家は夕方ともなると以前にも増して子供たち
でいっぱいになっていた。
正平は、大和川、行基大橋の下で集まって暮らしていた、戦災孤児たちといっしょにい
た。それも素行の悪い連中と行動を共にしていた。
初江さんは正平の人相が変わってきた、あんなにそっくりなあんたたちやったのに、と
悲しそうだった。
ただ、そんな時期にあっても正平は正平であり、私には心を開いていた。
私の仕事帰りに、駅で私を待っていたりした。
私がカッパライなんかやめろ、と言えば俺には俺の人生、と正平は笑った。
戦時中の大変な時期であったとはいえ、私は当時の少年、青年として普通に真っ直ぐに
レールの上を走ってきた。
ところが正平の場合は、自分のせいではないのに、持ち上げられて落とされて、真っ直
ぐ走るような状況ではなかった。正平だけがそんな状況だった。もうすでに私とは考え方
も違えつつあった。
私より内気で、いつも私の後をくっついてきた弟。
それが、新しい環境の中で正平は私よりも腕っ節が強くなり、愚連隊のような生活に入
っていた。
闇市でタバコを売ることを任されたと得意げに言う弟。そんな仕事を得るまでには過酷
な事も何度も経験したに違いない。
母に食べさせてやれ、初江のおばはんに持って行け、と日頃口にできない練乳や束にな
ったチョコレートを正平は気前よく私にくれた。
しかし私は、素直にありがとうと喜ぶ気にはなれなかった。正平がくれるものが豪華に
なればなるほど、正平の見かけはいっぱしの愚連隊にますます近づいて行くように思えた
し、私から遠い場所に行ってしまいそうな気もした。
私は正平に詫びた。正平がそんな風になってしまったのも、私にも責任の一端があると
思った。
正平はヤニで黄色くなった歯を見せて笑った。にいちゃん、何で謝る、と正平は言っ
た。この生活が俺の生活や、困ったことがあればいつでも言って来いと。
281
その言葉は、かつて私が正平によく言った言葉だった。
時代は貧困の時代から高度成長期へ、急速に動きつつあった。闇市が町から姿を消す頃
には、正平と私が会う機会は徐々に減って行った。
正平は下宿を借りていたが、ある日私が行くと、正平はいなかった。姿を消してもう一
週間になる、と大家に言われた。
その後、私は色々な方法で正平の行方を探した。
まず正平の顔見知りから尋ね回ったが、何もわからなかった。
こうりょ
私はあきらめなかった。行き倒れは行旅死亡人といい、今現在でも、各役所にその人間
の特徴が味気のない文章で書かれて貼り出されていたりする。
地方の警察では、正視に耐えない写真も見せてもらったことがある。
あれは岡山に近い相生だったか、年恰好が正平にそっくりな人間がいて、遺体と対面し
た。
何と呼ぶのか、人間用の冷蔵庫に入れられていた。最もわかりやすい正平の身体の特徴
がなかったので、別人であるということがわかったが、気色が悪いやら、安心したやら
で、初めて味わう変な気分だった。
関西、兵庫から三重に至るまで、太平洋側から日本海側に至るまで、およそすべての役
所、警察署へ行き尽くした。近畿圏だけだが、仕事を持っていた私はそれだけでも4年余
の月日を費やした。すべての警察署を回った。
結局私の捜索は徒労に終わり、10年近く経過したときでも、正平の行方はまったくわ
からないままだった。
昭和三十五年十月のある日。突然、東京の人間から、正平についての消息を得た。
正平はどういう経緯からか、東京都八王子市の施設にいた。
青天の霹靂だった。私は居ても立ってもいられず、東京に向かった。
弟、正平と会ったのは、別れてから、実に三十年近くを経た時期だった。
282
私は過去を悔いる気持ちで、涙ながらに詫びた。
正平は『八王子陽光園』という施設にいた。
十余年の間に正平は病気をし、目も見えず、耳も聞こえなくなっていた。
見えない目で、正平はたくさん涙を流した。
私たちは無言で夜通し、会話をした。
それからさらに三十年。今現在。
正平の居所はあれから再び、八王子で途絶えた。
正平はあの身体で、ある日突然姿を消したそうだ。
よう
今、正平の居場所は杳として知れない。
正平も、私も事情を抱えていた。すべて、正平が蓬原石油店へと養子に行ったことに端
を発する事情である。
その事情は今も尚、私たちの生活に尾を引いている。
ぼっさん、はよ来い!
待って兄ちゃん!
今でもあの声が耳にはっきりと残ってい
る。
家族には、ぼっさんと私の歴史をいつか詳しく、私の口から語ろうと思っている。
私にも映画のような人生があったのだ、などと軽々しいことは思わない。ただただ、真
実を述べたいと思っている。
私にあるのはただ後悔。曲がりなりにもこうして普通の家庭を築き、娘息子に将来を託
す気持ちの余裕も生まれた一方、同じ母から同時に生まれながら、幸せとは言い難い人生
を歩んでしまった兄弟、正平。
私は今も正平がどこかで生きていると信じている。非現実的な話だが、私にはわかる。
双子だから、わかるのだ。
腕を怪我すると、双子の一方も同じ場所に傷ができるなど、不可思議な話を読んだこと
がある。
283
私たち兄弟にはそんなことなど一度もなかった。ただ、どれだけ離れてしまってもどれ
程時間が経ってしまっても、気持ちのつながりは存在する。必ず、正平は生きている。私
にはわかる。
私もこんな年齢である。私の生涯、最後の仕事が正平と会うことである。
明日に会えたらあさってに死んでもいい。
会えなければ私は百歳、百二十歳まで生きるつもりだ。
(九十九章
後記)
ついに私も病魔に冒された。食道癌末期、との診断である。
時間は限られている。この自分史の完成に精魂をこめるべきか、あるいはすべて止め
て、兄弟を探すために最後の望みをかけるか。
幸い癌は勢いをとどめ、先週から体調もいい。頭の動きが止まってしまう抗癌剤を拒否
して、やはり正解だったように思う。
今、病院から帰宅を許され、新年を家で過ごしている。
ずっとワープロを叩いている私に妻は呆れ顔である。娘はこんな時も仕事である。他人
の命を救っていることは私には嬉しい。
息子夫婦はくだらないテレビ番組を見てゲラゲラ笑い、今は酔っ払ってリビングで転が
って寝ている。
飼い犬がご主人の久しぶりの帰宅に全身で喜び、今、足元で寝ている。
こんな、一般人の些細な幸せが私には人生最高のプレゼントだ。
ただし、兄弟には私の幸せの一体、何分の一が与えられたというのか。
私はこのまま死ぬわけには行かないのだ。
年末のカウントダウン中継を見た。
10、9、8、7、6・・・・・・・
私の命もカウントダウンがはっきりと始まっている。自分史はもっと改訂も手直しもし
たいところだが、余力尽きて叶わぬ場合は、これでいい。後は尚子、英司に頼むとしよ
う。
残る時間はやはり、兄弟を探すことに私はすべてを捧げたい。
平成二十四年一月一日元日(日)
記
284
もう外は薄暗くなっている。
尚子が知りたかった細かい部分まで、すべてわかったわけではない。
母はじっと目を閉じている。
もう、これでいい。
ここまでわかれば、もうこれでいい。
続く最後の第百章、後書きなどまだ少し続きがあるが、父が死んだのは一月八日。
この文章を書いたわずか一週間後である。
正月、二日までは父は穏やかに過ごしていたが、三日に容態が急変、そのまま救急車で
病院へ戻され、以降、意識がはっきりしないままあの世へと旅立った。
結局、父と正平が二度目の再会をすることは叶わなかったのである。
しかし、今、父のメッセージは家族に十分に伝わった。
しばらく、全員が涙を拭き、無言だった。どこかほっとしたような空気が漂っていた。
英司がまた、戻ってきた。
「なんやあんた、仕事行ったんとちゃうかったの」
「気になって仕事なんぞ行けるか。なあおかん、警察ってどういうこと?」
「そうや。お母さん、どういうこと?」
「おかん、ボケたんか?」
絵美里が英司の頭を叩いた。
「・・・その話は、お父さんの話の中には出てけえへん。そんなもん、誰にも言える話と
ちゃうからな。山埼さんと相談して、警察に行って、それからあんたたちにもちゃんと説
明する」
「おかん、警察なんかに行く前にちゃんと話してくれや」
「先に、警察に話す。話したら、あんたら絶対に止めるから」
「お母さん・・・」絵美里が響子の肩に自分の手を添えた。
285
「絵美里さん、あんたにはほんまに関係のない話やのにね。もし迷惑かけることになった
ら、ほんまに済みません」
「お母さん、謝らないでください。一番悪かったのは私です。結婚生活というのにいっぱ
いいっぱいで、いつも気が張り詰めてました。お父さんにも、きっと冷たい、人間性の乏
しい嫁だと思われてたと思います」
思いつめたような顔をしていた母が、微笑んだ。
「ふふふ。あんたが謝りなさんな。大体、英司が一番悪い」
「俺?」
「あんたがしっかりしてへんからや。しょうむないことで、絵美里さんに緊張させて。な
あ、尚子」
「100%、完璧に同感」
「ちょっと、おねえ」
英司が病室の外に尚子を引っ張り出した。
「なんやの」
「おかん、ほんまに大丈夫か。警察行くって何やねん」
「山埼と知り合いってのが、私は一番気になるけど」
「おかんも絡んで、過去に犯罪やったってことかなあ」
「そうかもしれんね。とにかく、私らまで動揺したらお母さんの身体に触る。問題はあん
たや。情けない。おどおど、びくびくせんと普通にしとき。とりあえず、山埼に電話して
みる」
「山埼さん、お忙しいときにすみません」
「明日にもこちらから連絡しようとしていたところです。お母様、どんな具合ですか」
「はい、体調は良さそうですが・・・」
「お母様とお話ししました。少々思い詰めておられた様子だったので、その、いろいろと
話をしました。この間の私の、失礼な物言いをお許しください。私も、一体何が起こって
いるのか、私を含めた近藤家に悪い影響が生まれるのではと、そればかり心配しておりま
してね」
「訊きたいんですけど、母と山埼さんは知り合いなんですね?」
「はい」
286
「母は、警察へ行くと言っています。どういうことか、知っておられるんでしょう?」
「・・・そうですか。やっぱり」
「やっぱりって。どういうことです?」
「お母さんの、お気の済むようにしてもらったら、どうでしょう」
「何行ってるんです! 教えてください! 母は、警察ですべてを話すと言っています」
「・・・・・・」
「山埼さんが妨害するのなら、私もこっちの警察に事情を話します。母が何かやらかした
のも、山埼さんたちのせいじゃないんですか」
「待ってください。尚子さん、大きな勘違いをしておられる。私たちが、何かの事件の黒
幕だとか、そんなことを考えてらっしゃるのでは?」
「そうじゃないんですか」
「私たちは響子さん、あなたのお母さんが思い詰めているところを、和らげ、助けようと
しているところなんです。
それに、まあ、清一郎議員の与り知らない部分もありましてね。近藤家全般に関わって
くることですから、こういうことも私の仕事になってくるわけです。しかし全部、あなた
のせいですよ」
「私の?」
「あなたが、お父さんのことを調べ始めたからです。あなたが何もしなければ、何もなか
った」
「・・・それをおっしゃるのなら、私のせい、それに私の父のせいです。どうしたらいい
んでしょう、私」
「まず、お母さんの言うようにさせてあげてください」
「母を警察へ行かせていいんですか」
「言っておきますが、お母さんに罪がかかることはありません。裁判にもなりません。お
母さんが思う、お母さん自身の罪なんです。お母さんがお話する内容は、私は知っていま
す。念のため、こっちからも大阪府警に一言入れておきますが」
「教えてください。お母さん、どういうつもりなんですか?」
「それは、お母さんから直にうかがってください」
「やっぱり、あなたたちにも関係したことなんですね」
287
「清一郎議員に知られないようにするために、私も必死です。お母さんとはまた話をしま
す」
「山埼さんと、母は一体どんな関係なのですか」
「変な関係じゃないですよ。まあ、全部それも含めて、いずれ機会があったら。言うまで
もないことですが、すべて他言無用ですから。よろしくお願いしますよ」
山埼には以前のような高圧的な態度はなかった。
英司が早速今の話の内容を尋ねてきたが、自分の知る限り、世界一口の軽い人間が英司
である。尚子は適当にごまかした。
尚子たちは病室に戻った。
「お母さん。今は疲れてるやろうから、寝て。警察はまた明日でもいいやん」
「ほんまに、すまんかったね。大騒ぎさせて」
「おとんのワープロ、全部プリントアウトしてまた持ってくるから、おかんはゆっくり養
生しながら読み」
「プリントがアウト?」
「なあおねえ、全部揃ったんやったら、ちゃんと本にしてあげようや。テキスト全部ワー
ドに放り込んで、体裁整えて」
「そうやね」
ちょうどそこに瑞樹が入ってきた。
「あれま、瑞樹くんどうしたん?」
「どうしたも何も、その後どうなったのかと思いまして。ずーっと一階のロビーで待って
たんですよ。どこへ行けというんですかぼっさん連れて。アイスクリーム食べてまた寝て
ますけど」
「ぼっさん?」響子がむくっと起き上がり、瑞樹の腕をつかんだ。
「わっ」
「ミズキさんっていうの? 尚子の母です、よろしゅう。今、正平さん来てるの? どうい
うこと? 正平さん見つかったの? 正平さん元気? 一体どこにおったん?」
「お母さん、そんないっぱい訊いても。ゆっくり説明するから」
尚子は母に背を向け、瑞樹に小声で言った。
288
「ばか。ぼっさんの話は今あかんって!」
「すみません」
「尚子、ぼっさん、正平さん来てるの?」背中越しに大きな声で響子が訊いた。
「・・・うん。来てる」
尚子の問いかけには答えずに、母はむくっと起き上がり、スリッパを履いた。
「ちょっと!」
「にいちゃん、案内して」
母は尚子の横をひょいとすり抜け、再び瑞樹の腕をつかんだ。
「どうしましょ、尚子さん」絵美里がおろおろしている。
尚子は母の両肩に手を置いた。
「お母さん、正平さんは一階におる。ほんとにね、お父さんそのまま、そっくりなんても
んと違う。驚いたらあかんよ」
「驚いてショックで死んでも、今は会わなあかんねん。絵美里さん、私の服、ある?」
「はい、一応持ってきてますけど・・・」
母はよろよろすることもなく、あっという間に服を着替えた。
エレベーターを降りれば目の前が正面玄関。
玄関真横、外来患者用待合椅子に正平が座っていた。
尚子たちが来たので、両手をひざの上に置き居眠りしていた正平を、瑞樹が突いて起こ
した。
尚子は母の数メートル後ろを歩き、じっと観察していた。倒れるようなことがあったら
いけない。
正平の目の前に立つ母。
母の腰あたりに顔を向け、眠そうにしている正平。
お互い身体を支え合って泣くような、そんなドラマチックな場面は何もなかった。
尚子は肩透かしをくった。
あるいは元々、母はぼっさんのことをあまり知らない?
母とぼっさんの関係は今のところ、まったくわかっていないのである。
289
しかしぼっさんの顔は、父に生き写しである。母が驚かないはずがないのに、どういう
ことか。
母はすぐ、ぼっさんの隣にすとんと座った。
完全無表情の母。やはり腰も抜けんばかりに、驚いているようである。
眠そうに目をこすっている正平。
なぜかあたふたしている瑞樹。
「お母さん、どうしたん。正平さんやで」
「うん。ほんまやな。あのな、尚子」
「何?」
「お父さんの四十九日、一周忌。法事」
「うん」
「絶対にこの人、呼ばれへんな」
「うん」
「お父さん、化けて出たってみんな思うわ」
「なあお母さん、正平さんのことはよく、知ってるん?」
「知ってるなんてもんとちゃう」
それきり母は口をつぐんだ。
正平は再びうつらうつらしている。
自分は、正平と初めて会ったときは大泣きした。それに比べて、動きのなさすぎる母の
この様子。母の感じている衝撃と懐かしさの両方は、泣くなどというリアクションで返せ
るものではないのかもしれない。
看護師が老人二人に小さく頭を下げて、前を通り過ぎた。これでは予約時間に早く来過
ぎた老夫婦である。
「どう、お母さん。大丈夫?」
「私は大丈夫や。正平さん、身体壊してないのんか」
「うん。身体は元気そのもの」
「部屋に戻るわ」
「なあお母さん、正平さんとは会ったことあるの? 昔」
290
「・・・最近は、ちょっとな。細かいことはまた話す」
「だったらやね、手を握り合って、泣くとかないの?」
「アホなこと言いなさんな」
母はよろよろと立ち上がった。支えようとした尚子に大丈夫大丈夫と繰り返した。
家に帰るなり英司と絵美里は、ワープロデータをテキストデータに変換する作業に取り
かかった。尚子も手伝おうとしたが、邪魔やから寝てろと英司が言った。パソコン画面を
後ろから眺めていた尚子だったが、睡魔に負け、いつの間にか寝てしまった。
英司に叩き起こされた。
自分だけ違う部屋で寝ていたからか、寝ていたのは尚子だけだった。絵美里は早くから
起きて病院へ行っている。その絵美里からの電話で、母が警察を病院に呼んだ、という。
英司はまだ仕事に行く時間ではないが、父兄との大事な面談があるということで早速仕
事場へ行かねばならず、尚子一人が病院へタクシーで向かった。
尚子が病室に駆け込んだとき、話はほとんど済んでいたようで、ベッドのそばで話を聞
いていた様子の私服刑事は椅子から立ち上がったところだった。
母が何を話したのかわからないが、警官、刑事たちに厳しい空気はなかった。
「ではこれで失礼します。ゆっくり療養なさってください」
私服刑事二人、警官一人が病室を出て行った。尚子はその後を追いかけた。
「すみません、母の娘なんですが。母は何を白状したんですか」
立ち話する彼らを看護師たち、患者たちがじろじろ見た。
「一階ロビーで」
「すみませんね、本来なら警官一人が来て、別室でもロビーででも話をうかがうのが普通
なんですが」
刑事たちが警察手帳を出し、身分を示した。
291
「上の方から言われましてね。稲垣響子さんの出頭または稲垣さんからの呼び出しがあれ
ば、話だけは聞いておくようにと」
「母は、捕まってしまうんですか?」
「まさか。そんな大げさな話じゃないんです。お母さんの話は確かに、犯罪の告白だった
かもしれません。でも、戦時中のお話です」
「時効とか、そういうことですか?」
「違います。最初から、事件にもなっていません。六十年前の警察も、事件の発生を確認
すらしていません。お母さんは自分の罪を告白されましたが、仮にその話が本当であって
も、教会かどこかで懺悔していただきたいという、そういうお話でした。証拠も何も、す
べて六十年前に消失している。これは最初から事件として成り立ちません」
「一体、母の話は何だったんですか? 私ら家族も全然聞いてないんです」
「では、なおさら私たちの口から言うわけにはまいりません。お母さんの口から聞いてく
ださい。それが筋だと考えます」
「教えてください」
「では失礼します」
刑事たちは帰って行った。
尚子は病室へ戻った。
母は私服に着替えていた。
「何? もう退院?」
絵美里が答えた。「お寺なんですって・・・」
「外出や、外出。看護婦さんに許可、もらったで」
「どこ行くんよ!」
「あんた今からひまか? ってあんたはひまやな。英司は?」
「仕事行ったよ」
「すぐに呼び戻して。塾やったら生徒さん来るの、夜やろ。今から、お父さんのお墓行
く。お父さんの話はみんな、読んだな。今度はお母さんの話。全部お墓の前で、お父さん
の前で、お母さんの話をするから」
「納骨、まだやんか。家におるやろ、お父さん」
「あ、そうか」
292
「何やのよ」
「ほなら家。今から家に帰るで。あんたらも一緒にくるんや」
「ちょっと待ってよ。外出届けと帰宅届けは違うのよ」
「うるさいなあ。じゃああんたがやって。今から家に戻るよ」
一時間後、午後一時。住吉の家。
尚子、母、絵美里、何とか仕事を片付けてきた英司、そして正平、付き添いの瑞樹がい
る。
「さあ。どこから話そかな」
「その前にお母さん、しんどなったらすぐに言いや。お茶もいっぱいあるから、飲みなが
ら話すんやで。病院から一応注射キット持ってきてるから大丈夫やけど。座布団もっと借
りて・・・」
「うるさい、あんたは」
「聞こうや、おねえ」
「お父さんが今、背中支えてくれてる。最後までよう聴きや。びっくりして、倒れてしま
うのはあんたらかもな。尚子も英司も、しっかり、よう聴きや」
第二十五章
昭和二十一年夏、伶人町蓬原家
終戦から一年を経過した頃。
怜人町の蓬原家には腹を空かせた子供たちがたくさん集まっている。
初江は食べ盛りの子供たちを前に、忙しく走り回っていた。
戦争が始まった頃から、教師をやっている夫、昌夫が食うに窮している子供たちをこう
して家に呼んで、食事を与え、遊ばせていた。
戦争が激しくなるに連れ蓬原家に来る子供の数は増え、そして戦争が終わってからさら
に増え、夕方ともなるとまるで学校のように、家は子供だらけとなった。
このままやったら破産してしまうな、と夫は冗談混じりによく言った。
293
先代までは江戸時代初めから続く醤油屋をしており、難波の蓬原家同様、こちらの蓬原
家も資産家ではあったが、今のように毎日三十人近くの食べ盛りの子供たちに食事を与え
ていたら、数年後には本当に破産するかもしれない、と初江は考えたりもする。
しかしそうなったらなったときのこと。辛く暗い時代に、唯一元気な子供たちの顔を見
ているのが初江は何にも増して楽しかった。
子供たちよりひときわ背の高い、坊主頭が玄関先からにゅっと顔を出した。
仕事帰りの武雄である。
夏は武雄の季節である。仕事帰り、週に三度はここに寄るが、夏は必ずと言っていいほ
ど、子供たちを集めて行水をする。
ぎゃあぎゃあとうるさい行水に続き、裸の大行進が始まる。そのまま盆踊り大会になる
ときもある。
もう大人なんやからやめなさい、と初江がいくら言っても武雄は聞かない。女の子たち
は露骨に嫌がっているが、武雄にはどこ吹く風である。
しかし今日はそれどころではなかった。
おにぎりを頬張り、剃りたての坊主頭を子供たちの顔に押し付けて遊んでいる武雄を、
初江は奥の部屋に呼んだ。今日は武雄に大事な話があった。
「最近ぼっさんに会うてる?」
「うん。たまに」
「どう?」
「どうって、何が」
「ぼっさんの様子。やっぱり愚連隊に染まってるんか?」
「あー。立派な愚連隊やね。俺とは普通に話しするけど、周りの奴が怖わぁてたまらん。
しっかし腹減った」
何か食べるものないの、とそこらへんの戸棚を開け始めた武雄の頭を張り、ちゃんと聞
きなさいと、初江は武雄に正座をさせた。
「あのな。絶対に他の人に言うたらあかんで。あっちの蓬原の家のことや。あそこの赤ち
ゃん、覚えてるか?」
「赤ちゃん? ああ、おったな。全員爆発して死によって、生き残った赤ちゃん」
294
「近藤さん、ていうおうちがあるねん。死にはった奥さんの、弟さん」
「それがどないしてん。あんな家、もう関係ないさかい」
「あの赤ちゃんは、近藤さんが引き取ることになった」
「ふーん。それが」武雄はもう正座を崩している。
「ぼっさんの今の名字は、何」
「まだ蓬原のままとちゃうんか」
「そう。近藤さんがな、ぼっさんを引き取ってくれるんや。そういう話に今なってる」
武雄は目を丸くした。「引き取るって、あいつ、また養子に行くんか? あいつはあい
つで、勝手に生計立てとるがな」
「近藤さんは難波の家の人らと違ごて、ゆったりした感じのええ人らや。それは私もよう
知ってる」
「無理やろ。あいつに言うても。もう愚連隊に染まっとるで。石油の会社の家庭経営か?
あいつは絶対そんなんに興味持たんって」
「あんたはどうなんよ」
その言葉の意味がわからず、武雄は口を開けたまま止まった。
「あんたはどうや、って訊いてるんや」
「俺は関係ないやろ。正平が嫌がるもんを押し付けてどないする。たいがい、あの家には
嫌ぁーな思いばっかりさせられとるんじゃ。俺は協力なんかせえへんぞ」
「近藤さんは、あんたら兄弟の今の様子、全然何も知らん」
「そやから?」
「あんたが正平になって、近藤家に行きなさい。名前を変えるの。あんたがぼっさんにな
って、あの家へ行くんや」
武雄は耳を疑った。
「ア、ホ、か。俺は養子など勘弁や。そんな家、屁の爆弾でも食らえ」
「よう聞きなさい。手続きなんかいらん。あんたがそのまんま蓬原正平になって、近藤の
家に入りなさい」
「おばちゃん何を言うのん! 俺は武雄で、名前は稲垣やで!」
「見た目は正平もあんたも、まったく同じ」
「正平、もう顔変わっとるで」
295
「坊主頭になったら一緒や。ええか、よう聞き。これから大阪は復興する。あんたみたい
に毎日汗かいて働く人間も、確かに必要や。そやけど、あんたは近藤さんとこで会社を学
ぶんや」
「会社を学ぶ?」
「店をぎょうさん動かす、ちゅうこと。人も動かす。そういう人らは、外で汗かいて働く
人らとは、入ってくるお金が違うの」
初江はたたみかけた。「会社の人になって、成り上がるんや。自分の力で大きな家を建
てて、大きな家のお嫁さんをもらい。お母さんにも楽、させてあげな」
「・・・ぼっさんに黙っては、無理やろ。うちのおかんはどうなんねん」
「ほんなら、正平にはあんたから話し。それに、実はあんたのお母さんにはもう話してあ
る。心配せんでええ。武雄。ええか、正平にはあんたから話すんや」
「けど」
「そうや。正平は養子を断る。あんたが近藤の家に行くことに賛成するはず」
武雄は戦争中、十三の歳から働きに出て汗にまみれた。母と義父を養うために。
少年志願兵にも出願せず、戦争が終わってからも働くこともしない正平を、武雄は羨ま
しくも思わず、また疎ましくも思わなかった。むしろ正平は正平で、自分の道で頑張って
ほしいと思っていた。
何となくではあったが、貧乏な暮らしの中で汗水垂らして働くのは自分の分相応だと思
っていた。武雄には現状を嘆いたりする気持ちは微塵もなかった。
ところが戦争が終わった今。何もかもが変わりつつあった。
働けば働くほど金は入る。給料など微々たるものであるが、あと五年も経てば、義父に
給料袋を全部差し出す、などということはやらなくていいだろう。
一生懸命働いて、金がほしい。金があれば何でもできる。
初江の話は武雄を大きく揺り動かした。
初江が、常に正しいことしか言わないのは武雄もよく知っている。その初江にしてはあ
まりに突拍子もない話だったが、武雄は嫌な気分はしなかった。会社、と呼ばれるところ
で背広を着て働く自分の姿を想像した。輝かしい想像だった。
296
ただ、結局、自分には無理なことである
初江に言っていないことがある。
話せば初江は卒倒する。
絶対にばれないことではあったが、良心の呵責というものがある。そもそも自分には、
こうして初江と話し、この家に出入りする資格がないのである。
およそ一年前、大阪大空襲のあったあの日からすべてが変わったのだ。
武雄は悩んだ。
その日。昭和二十年三月十三日。
燃料販売業を家業とする難波の蓬原家、正平の養子先に、夕食時けたたましく怒鳴り込
んできたのは、正平の実の兄である武雄である。
「よくも弟をあんな目に遭わせやがったな! 自転車代なんか払えるか! なんじゃ! お
かんにも金請求しやがって!」
食卓から立たずに、主人が応対した。
「まだ十四歳のガキのくせして、その愚連隊みたいな物の言い方。同じ顔してんのに、お
まえは弟と全然違うのお。この家にそんな汚い棒切れ、持って入るな!」
主人の横に座っている妻が澄ました様子で言った。「ほんまこっちはアホやねえ」
武雄は勝手に上がり込み、居間をのしのしと歩いた。「そいつか、いつも弟をしばいて
るんは」
離れた膳で食事をしている、銀縁の眼鏡をかけた学生に武雄は迫った。
「覚悟せえ!」武雄は棒きれを振り上げた。
「きゃー!」主人の妻が悲鳴を上げた。
しかし武雄は棒を降り下ろす前に、学生に殴られた。
「この間おまえの弟に殴られたときは油断した。二度も同じ目に遭うか、アホが」
武雄は続いて主人にも殴られ、押さえ付けられた。学生が面倒くさそうにぼやいた。
「こんな仕事まで。お給金に入ってませんがな」
「痛い! 離さんかい!」
「やかましいな。黙れ」
主人が武雄の腹を蹴った。
297
「おい。次は許さん、て言うたな」
「やかましいわい!」
ほ
す
み
え
「いっぺん、こいつも放り込んだろ。弟と同じ気分を味わわせたる。おい寿美江、ヒモな
いか?」
寿美江は前掛けを投げて渡した。主人は武雄を後ろ手に縛り上げた。
「こら! 離せ! 離さんかい!」
主人が武雄の尻を蹴り上げ、奥の部屋に続く襖を開けようとした。
武雄がくの字になったまま飛び上がって、体当たりをした。
二人は大きな音を立てて床に転がった。
続いて武雄は主人に頭突きをかました。顔に頭をぶつけた形になった。主人は鼻血を吹
き出して、顔を押さえ、転がった。
縛られたヒモが緩んで、外れた。そこに学生が飛びかかってきた。自分が持ち込んでき
た棒きれが、自分の頭をかすった。武雄は学生に体当たりした。学生は倒れている主人に
つまづいた。武雄は学生の尻を蹴飛ばした。学生は柱に頭を打ち、ひざまづいた。
朦朧としている主人と学生を、武雄は自分がされたように、後手で縛った。寿美江は何
もできず、突っ立っていた。
弟と同じ気分を味わわせてやる? それはこっちのセリフだと武雄は思った。そして大
声を張り上げた。
「おまえら、ぼーっとせんと向こう行かんかい! オバハンも、ほら!」
血を見て、特に寿美江は震え上がっていた。武雄もまた震えていたが、悟られては元も
子もない。精一杯に粋がった。
いくつか、襖を開けた。家の中、その場所は正平から詳しく聞いていた。
「これか。ほお。ほんまに座敷牢やがな。このうすらでかい家は何べんか来たけど、こん
な部屋があるとはなあ。あいつが言うてたとおりや。おいオバハン、せいちゃんどこ
や?」
せいちゃんというのは誠一郎という名前であり、半年前この家に生まれた赤ん坊のこと
である。
「おなかの調子悪うて、三原さんの診療所に泊まってるわ」寿美江がぶっきらぼうに答え
た。
「せいちゃん、おらんで良かったな。おまえら全員、ここに入れ。はよ!」
298
主人、妻、学生家庭教師の三人は、小さな座敷牢に入れられた。
「わはは。ここにええもんがある」
武雄が手にしたのは、鍵が差し込んだままになっている南京錠である。
「しっかし、鍵まで締めてたんかおまえら。あいつは動物ちゃうぞ! 正平の気持ちをお
まえらが味わえ。逆転一発、ちゅうやつやな!」
武雄はかんぬきに南京錠をかけ、そして鍵を窓の向こうに投げた。
この家には小さな池がある。鍵が水面に落ちる音が全員に聞こえた。
正気を取り戻した主人が怒った。「えらいことしてくれたな! あほ!」
大阪帝大在学中の家庭教師だけが冷静だった。「養子の兄貴が本家に逆襲か。とんでも
ない狼藉や。養子にした以上、あいつの親はこっちや。おまえのしたことは押し込み強盗
になる」
「ええカッコ抜かすな学生。何も盗まんわい。これからは弟しばいたら、俺が許さんから
な」
「こんなことをして、おまえもタダじゃ済まんぞ。今やったら許してもらえるんとちゃう
か。さっさとここから出せ」
「ごめんなさい、反省しております。俺、ほんまに悪いことしたなあ。あらー。そやけ
ど、鍵がない。えらいこっちゃ! あんたらを助けてあげたいけど、鍵がないやんか! わ
ははは」
主人が続いて叫んだ。「あいつの親として、わしらはしっかりあいつの面倒見てるやな
いか!」
「どこがやねん! 親はおまえらとちゃうぞ! コラ学生。人、強盗呼ばわりしよって、誰
が見てもおまえらのほうが非道じゃ。子供を牢屋に入れる親なぞどこにおる!」
しつけ
「勘違いしとるな。おまえみたいに学のない奴には 躾 という言葉、知らんか? わざわざ
は
高い金を払ろて、帝大の家庭教師までつけて、そのへんの親以上のことをわしらはやっと
るぞ」
「アンタが一番、あの子に悪い影響を与えとるんよ! この鼻糞が!」
「お~こわ」開き直った武雄に、さらに余裕が出てきた。
「黙れ寿美江」ヒステリックに叫ぶ妻を諫めた主人は、武雄に向き直った。「なあ、落ち
着け。おまえの弟に、この蓬原石油店の番頭になってもらお、ちゅう教育のためや。よう
299
考えろ。おまえかて、蓬原の番頭の兄貴、ちゅうことになるんやで。ええか。今やったら
許したる。ここから出せ。そんで、晩飯でもゆっくり、食うて帰ったらええがな」
食べ物の話が出た。武雄の気持ちが揺らいだ。
ここに来たことは何度かあるが、いつもいつも豪勢な食べ物の匂いが気になって仕方が
なかった。
主人はさらに畳みかけた。「海水浴、楽しかったなあ。夏なったら、また行こか。帰り
あ
ひろ
はすき焼き食わせたる。そやからはよ、ここ開け。池から鍵、拾てこい」
武雄は、いやいや違うと頭を振った。
「海水浴? 忘れた。あん時はおっさんもええ人やったけど、なんでそんな変わってしも
たんや?」
「出さんかいオラ!」寿美江が金切り声で叫んだ。
「どっちが愚連隊やねん。ホンマに口の悪いオバハンやで。こわー」武雄はさらに三人を
からかった。「そこから出してほしい? 今日はまた寒いでんな。池に入るなんか真っ平
御免や。えーと、鍵は予備が、あるんかいな」
武雄は机の上に飛び乗り、周囲を物色し始めた。猿の真似をして尻を叩いた。「うっき
っきー。鍵は、ありまへんなぁー」
のこ
「物置に鋸がある。持ってこい!」
「そやから、なんやの。その偉そうな言い方」
「アホぼんち! とっとと鋸持ってこんかい!」
「ウチのオカンが言うてたんや。寿美江さんは上品に見えるけど、ホンマはこわい人や
で、って。そのとおりでんがな。おまえらはそこで、明日の朝まで反省しろ。お手伝いさ
んに助けてもらいやがれ。飯もナシじゃ。うんこもしょんべんもそこで垂れ流せや。
ええか。また弟をいじめたら、次はでかい犬五匹連れてきて、一緒に入れたるさかい
な!覚えとけ! ほな、さいなら」
武雄は三人に向けて、再び尻を叩いた。
武雄は晴れ晴れしい気分で屋敷を出た。
朝になればあいつらは助け出されるだろう。
その後に逆襲が来るのはわかっている。
そうしたら、またこっちも逆襲してやる。
300
俺も、やるときはやる。これからは俺を怖がって、弟をいじめたりはしないだろう。あ
いつは養子など、辞めればいいのだ。いつでもウチに帰ってきたらいい。
下町界隈を、武雄は大手を振って歩いた。
日付も変わろうとする遅い時間、誰も歩いていなかったが、歌い出したいくらい、愉快
な気分だった。
今日は疲れた。ぐっすり寝たい。
ところが、武雄は丸二日以上、一睡もできないことになる。
あと数時間後、この界隈が、町並が、住民もろとも完全に消滅するということを誰が想
像しただろうか。
三人に、永久に朝は来なかった
新世界の立ち飲み屋、その前。路上に胡座をかいて座り、二人は話した。正平はいっぱ
しに酒を飲んでいる。
正平はやはり、武雄の話を笑い飛ばした。
「ほう。そうなっとるんか。やけどな、兄ちゃん俺、あんな堅苦しい思いは二度と御免
や。養子など行かん。何で二回も養子に行かなならん。一回目で懲りた。初江のおばちゃ
んにはそう言うといてくれ」
「正平、よう考えろ。これから大阪は大きく復活する。俺みたいに毎日汗かいて働く人間
も必要やけど、おまえは近藤さんとこで会社を学ぶんや」初江の言葉をそのまま武雄は言
った。
「確かに町は復興しよる。そやけどな、何が会社や。あんなもん、金持っとる人間が貧乏
人、こき使うだけや。みんな騙されとる。戦争が終わって、爆弾落ちてけえへんようにな
った。家、燃えへんようになった。俺に言わせたらそれだけのことや。貧乏人は相変わら
ず、金持ちにこき使われて終わり。戦前となーんも変わらん。
そこで俺らの出番や。兄ちゃん、俺ら毎日何やってると思とんねん。これからは金、現
金や。現金持ってる奴が勝ち、ちゅう世の中になる」
「・・・金、動かすのは会社も一緒やないか」
301
「まあ、いろいろ見方はあるけどな。俺らは群れるのが嫌なんや。口で人動かして、紙切
れにいっぱい字書いて、電話でもしもし。そんな奴らは誰のために働くかわかってる
か?」
「家族のためや」
「違う。会社のためや。俺は自分と、子分のために金稼ぐ。俺は口だけで仕事はせん。紙
切れに字書くのも御免や。電話も鬱陶しい。俺は物売って金を稼ぐんや。その金でまた同
じ物を買うて、前より高い金で売る。金がいっぱい手に入ったら物を買い占める。値段つ
けるのは俺や」
自分が語るその仕組みの、スケールの大きいものこそ会社である。金がいっぱいという
度合いがまったく違う。ただし正平も武雄も、若すぎるゆえそこまでは考え至っていな
い。
「おい兄ちゃん。ええこと考えた。兄ちゃんがその、近藤の家へ行け」
「そんなこと、できるわけないやろ」
「できる。俺らは今も見た目、まったく同じや」
もう同じではない、と武雄は思う。
武雄の複雑な表情を正平は読んだ。
「ははは。違うか。兄ちゃんはカタギで、俺は違うか。やっぱり見た目、もう全然違うわ
なあ」
正平は武雄にぐいっと顔を近づけた。「だっからや。近藤の家に気に入られるのはカタ
ギの、兄ちゃんのほうや」
「アホ。蓬原の家に養子に行ったのはおまえやぞ。俺が行っても断られるに決まっとる
わ」
「何言うとんねん。兄ちゃんに俺の名前をやる、って言うとるんや。兄ちゃんは蓬原正
平、近藤正平になれ」
正平は初江と同じことを言い出した。
「待て。ほんならおまえの名前は何になる」
「そうやな。稲垣佐助。稲垣勘十郎。あかん、あんまり強そうやないな。
おい。ええか、蓬原正平が二人おっても誰もわからへん。兄ちゃん、俺は真剣やで。俺
らはいつでも連絡取り合ったらええ」
地べたに座り話をする彼らの前に、ぬっと誰かが立った。二人は見上げた。
302
「なんちゅう悪さ、考えとんねん」
「聞いてたんかおまえ!」正平が顔をしかめた。
伶人町、蓬原家の小さな離れに住む、親のいない姉妹、妹のほう。響子という名前であ
る。
武雄が言った。「キョウちゃん、誰にも言うなよ。これ全部、初江のおばちゃんが考え
たことなんや」
「なんや、そうやったんかい!」正平が手を叩いて笑った。「こら響子、考えてみ。俺が
こんな格好で、修行なんか行くと思うか? やめてくれ。頭下げられたって俺は断る」
「ほんなら、ちゃんと断ったらええやん!」
幼い響子は頬を膨らませた。響子が二人に怒るのには理由がある。何年も兄と慕ってい
た二人が、もうすぐ二人とも自分の前からいなくなってしまう、そんな予感がしていた。
「ガキやのぉお前は。全部断ったらもったいないやんけ。近藤の家のことは俺知らんけ
ど、蓬原の石油、全部継ぐ家や。死によった蓬原のおっさん、アメリカさんの言葉しゃべ
ってよったんやで。外の国とも行き来する、そんな商売や。
蓬原正平は次の養子を断る。それは勿体ない。そやから、これは兄ちゃんの、素晴らし
い機会なんや。俺はな、世間様の表の仕事はもうでけん。兄ちゃんは違う。響子、しょう
むないこと言わんとタケ兄ちゃんのこと考えたれや」
響子はしばらく押し黙ったあと、小さな声で言った。「やけど、嘘は悪いこと・・・」
「ガキはめでたいのお。なんせ、初江のおばちゃんも賛成してることなんや。人間、十六
過ぎたら嘘も誠もあるかい。キョウ、おまえ邪魔したら許さんからな」
響子はもう何も言わなかった。
「わかったら帰れ」
泣くのを我慢して響子は去った。
「キョウ、待て!」
正平は響子の腕をつかみ、向かいのてんぷら屋に連れて行った。適当に入れたってと言
い、十円札を四枚、店の主人に渡した。
響子はいつもの元気な響子になって、笑っていた。
その様子を武雄は、ぼーっと見ていた。
視線は響子を追っているようで、頭の中ではこれからのことを具体的に考え、悩んでい
た。
303
近藤家へ行くのなら、今の仕事をどういうふうにして辞めるか。まだまだ初江と話さな
ければならない。それに、母はどう思っているのだろうか。
いや、やっぱりだめだ。
武雄は頭を大きく振った。
ここ一年、ずっと頭から離れないことがある。
自分が一生背負っていかなければならないこと。
天ぷらをたんまり抱えた響子は手を振り、機嫌良く帰って行った。
正平が再び武雄の横に座った。
「ぼっさん、俺やっぱり無理や。おまえにも言うたやろ。あの日」
正平の顔色が変わった。
「あの話か。あんな話俺、知らん。聞いてない聞いてない。聞いとらんぞ!」
「俺は大変なことをした。お天道様は見とる」
正平は武雄の足を蹴り飛ばした。強い力だった。
「にいちゃん、まだ言うんやったらしばくぞ! もう二度と言うな! 家の跡、見たやろ。
石油倉庫が爆発して、あれだけ大きい家の何が残ってた? 焦げたドラム缶と煤けた柱だ
けや。池も、跡形もなかったやないか。兄ちゃんが何もせえへんかっても、蓬原の人間は
全員死んだんや。あの辺で何百人死んだと思とんねん。ええか、二度と言うなよ。言うた
らほんまにしばくぞ」
空襲で家がごうごうと燃える中、あの人たち三人は座敷牢の中で死んだ。
武雄はそのことをすぐに、正平だけに言った。
俺は人殺しや。
涙交じりの告白だった。
そのときの正平の励ましがなければ、武雄はどうなっていたかわからない。
確かに正平の言うように、難波周辺は一面焼け野原となり、蓬原石油店は裏口の倉庫に
可燃物を山ほど抱えていた家である。
武雄があの日、無茶をやらずとも、あの連中は助かることはなかった。正平はそう言っ
た。何度も力強くそう言った。
304
その話を蒸し返した武雄に対し、正平は本当に殴りかねない勢いで怒った。
武雄はまた涙を流した。
正平は困った顔をした。
二人とも、響子がいなくて良かったと思った。
「おい。兄ちゃんは被害者や。俺はそう思うで。あの家で俺はほんまに本当に酷い目に遭
った」
正平は身体に残った傷を見せた。
「せいちゃん。誠一郎。あの赤ん坊はかいらしいで。赤ん坊には罪はないさかい。だから
生きとる。今、その近藤の家におるんやな。せいちゃんはこれからも元気に生きていった
らええ。
そやけど、死んだ人間のこと、文句言うたらバチ当たるけど、あそこのおっさんとおば
はんは鬼畜やった。俺も被害者やけど、兄ちゃんも被害者や。兄ちゃんまで心を痛めつけ
られる必要、あらへん。兄ちゃん、ええか、近藤家で金を持て。金持ちになれ。俺の恨み
を金に変えろ。俺は商売人になる、兄ちゃんは会社の人間になる。競争や。わかったか」
正平は武雄の背中を叩いた。
母は滔々と話し続けた。
途中まで驚きを混ぜた相槌、質問を飛ばしていた尚子と英司も、空襲の日の話になると
完全に黙った。
「何? 子供のころからの知り合いやったん? お父さんと?」
「見合いしたって言うてたやんけ!」
「嘘ついてごめん」
「俺は驚いた。ほえー。ほなら、なにか、蓬原さん、伶人町の家、離れに住んでた姉妹
の、小さいの妹のほうが、おかんやったってことやな」
「あれこれと話を曲げてあんたらに伝えてたことは、ほんまに悪いと思う。
そやけどね。
お父さんは人殺しなんかとちゃう。これはほんと。喩え話と違ごて、ほんとにそんなこ
と、やってないの。
305
警察の人に言うたのは、この話や。私。私やねん。三人を見殺しにしたのは。空襲があ
ったのは夜遅く。お父さんは、ほんまに三人を座敷牢に閉じ込めた。ほんとはね。お父さ
んが帰って来たそのすぐ後、絶対何かあったと思て、私が黙って、難波の家まで様子見に
行ったんよ。
そしたら三人が、座敷牢に入れられて途方に暮れてる。私もこっぴどく怒られてね。ノ
コギリ探して来いって言われて。でも物置にノコギリなんかかった。鍵は庭の池の中にあ
るって言うから、寒いのに、池の中に腰まで浸かって鍵、探した。でも、鍵は見つからん
かった。
その間もずっと、ぎゃあぎゃあ怒られっ放し。私もしまいに頭に来て、あほって叫ん
で、そのままにしてきたんよ。ゴロゴロゴロ、飛行機の音が聞こえてきたから。あ、空襲
かもしれん!って。もう少しあそこにいたら、お母さんも空襲に巻き込まれて死んでた。
どうしようもなかった。子供の力で叩いて壊せるもんやったら、あんな木の枠の牢屋、壊
してる。頑丈なやつでな。大人、三人が壊されへんかったんよ。
そやからね。蓬原さん夫婦、そいで家庭教師の人、三人を殺したのは、私や。お父さん
と違う」
「うーん。そやけど、直接とちゃうやん。むっずかしいな、これは」
「私と、お父さんの気持ちの問題や。お父さんと私、二人の罪。私が池の中から鍵を見つ
けて、あの人らをちゃんと助けてたら、あの人らは死なんかった。だから、殺したことに
なるんよ」
「違うよ、違う、お母さん。あの一帯、全部燃えたんでしょ。牢屋から三人を出しても、
三人の運命というか、それは変われへんかったと思う」
「同じようなこと、山埼さんも刑事さんも、言うてくれたねえ」
「お母さん、山埼さんとはどういう関係?」
「ああ、山埼さんね、うん・・・」
母親は下を向いて黙ってしまった。
母が言いたくない、個人的なエピソードまで白状させることはない。尚子も英司もそう
思った。
「ねえ。お父さんは、その、難波の家で閉じこめられてた三人を、お母さんが見に行った
ってことは知ってたの?」
306
「知らんかった。私は言わんかった。言えんかった。最後までね。お父さんは最後まで、
そのことを知らんかった。自分がやった、って思ってたままやったと思う」
「納得できん。おかん、一体何年、おとんと暮らしてた。なんで言わへんかったんや」
「なんで、やろね。そのこと忘れてた時期も何年もあったし、ある日突然思い出したりし
たこともあった。けど、お父さんには言えへんかった。何でやろ。私にもわからん」
「二人が、それぞれ秘密を共有していたことになりますよね」恵美理が遠慮がちに言っ
た。「お父さんは、お母さんを傷つけまいと思って。お母さんは同じように、お父さんを
傷つけまいと思って。正解だったと思いますよ。これで」
「そうかな、恵美理さん」
「きっとそうです」
「ありがとう」
「ちょっと待てよ。近藤家、光神石油? 結局おとんはそこへ行ったんか?」
「ずるい話やね。許されることとちゃうね。
戦争中は伶人町の初江さんとこで、私らはあんまり食べもんには困らんかった。滋賀
や、兵庫の三田におる、初江さんの親戚からいろいろ届けてもらってたから。
大変やったのは戦争が終わってから。配給制がなくなって、初江さんの親戚も商売始め
はって、こっちに送ってくれるもんがなくなった。昌夫先生の給料だけやったら、相変わ
らずたくさんおる子供ら、養うことでけへんかったからね。
第一に食べ物。そいでお金、仕事。なりふり構ってる場合やなかった。結局お父さん
は、初江さんの提案どおり、正平になって、近藤さんの家に養子に行ったんや」
「でも100%俺は初耳や。おとんは若いときから市バスの駐車場、管理人長い間やって
て、定年を迎えた。そうとちゃうかったん」
「ああ。あんたの言うとおり。話はまだまだ続きがある。聞きなさい」
武雄は蓬原正平と入れ替わった。
蓬原正平として、近藤家に養子として迎えられた。
空襲で死んだ蓬原寿美江の弟、近藤家の当主である近藤大輝は、蓬原家時代の正平につ
いては養子になった時期、一度だけ会ったことがあった。一卵性双生児の兄がいるとは聞
いていたが、大輝は名前を偽ってやって来た武雄に対し、何の疑いも持たなかった。兄貴
307
は愚連隊に入り、もう家族ではなくなったと言う正平(武雄)の話を疑いなく信じた。最
初からきつい雰囲気のあった寿美江とまったく違い、弟の近藤大輝は優しく、鷹揚な人物
だった。
近藤家は、蓬原の実の子誠一郎にも、養子の正平(武雄)にも、分け隔てなく接した。
武雄は贅沢な暮らしに目が回る一方、稲垣の家に住む母親のことは忘れなかった。
間もなく義父が病気で死んだが、武雄はひとり暮らしになった母を定期的に、近藤家の
目を盗んで訪問していた。妹は大阪には帰って来ず、疎開先の和歌山の親戚の家でずっと
暮らしていた。
本物の正平は愚連隊を名乗りつつ現金商売に明け暮れ、やくざの御用聞きのような仕事
に就き、荒れた毎日を送るようになっていた。
武雄はそんな正平とも定期的に会っていたが、会う度にますます違う人間になっていく
正平に対し、武雄にはずっと悪いことをしたという気持ちがあり、一方正平は堅気の仕事
に就く武雄に気を遣い、ぎこちないやり取りが何度となく続いた結果、会う機会は徐々に
減っていった。
それから十年後。昭和三十二年。
近藤正平と完全に名を変えていた武雄は、近藤石油、神戸支店長として、寝る間もない
ほど忙しい日々を送っていた。弟の誠一郎は大阪、本町の本社で修行中である。
武雄は、近藤家には心から感謝していた。正平に酷い仕打ちを与えた蓬原家とは、何か
ら何まで違った。
来年、会社の名前が近藤石油店から光神石油と名前を変え、これまでの船舶対象であっ
た創業以来の方針が、自動車を対象とすることとなった。
ガソリンの精製工場が大阪に二つ、神戸に一つ、姫路に一つ、すでに完成していた。そ
して千葉県に二つ、工場の建設が決定している。関東進出である。
三十を過ぎていた武雄に本社幹部職への要請があったが、現場の責任者が自分の道だと
主張を譲らず、本社経営に名を連ねることは辞退した。
役員にはならない。なれない。武雄は誰にも言わなかったが、そこには、間接的に三人
の命を奪ったことへの贖罪の気持ちがあった。
近藤石油は若さを前面に押し出していく。会社始まって以来の大改革となる。
308
結果、弟、十六歳の誠一郎を将来社長に据えるべく、アメリカへ留学させることが決定
していた。
誠一郎は、まだ先の話なのに、アメリカに行くのを嫌がっていた。兄ちゃんが行け、と
うるさい。
養子同士であったせいか、二人はどこの兄弟よりも仲が良かった。武雄は勉強を教えた
ことも普通にあれば、悪い遊びも教えたことがある。提携を目的に語学学校を探しに行く
という名目で、大阪にはまだ存在しなかったストリップ小屋に、中学生の誠一郎に大人の
格好をさせて連れて行ったのも武雄である。
最近になってその誠一郎が、文句も言わずに仕事を学んでいる。週に最低一度は神戸
の、武雄の元まで遊びに来ていた。
武雄は忙しい中、人目を忍んで、自分とすり替わった正平に、季節が変わるごとに会っ
ていた。
十数年の歳月は二人をさらに、大きく変えた。
正平は、裏社会で成功しなかった。
もう、十代の頃の勢いを完全になくしていた。過去にこそこそと重ねた悪事を隠すた
め、田中雄三という偽名を名乗りながら、大正区の小さな、共同トイレのアパートに住ん
でいた。仕事は何をしても続かず、寝てばかりの生活をしていた。
正平に成り済ましている武雄は、会うたびにかなりの額を正平に手渡したが、正平はそ
の三分の一ほどしか受け取らなかった。
俺なんかと会ってたら運が逃げるぞ、というのが当時の正平の口癖だった。武雄がどう
言っても心を動かさない、拗ねた人間になっていた。
成功した武雄と落ちぶれた正平。
その仲をいまだ取り持つ人間が二人いた。
家を学童保育所に改築した蓬原初江と、友原響子である。
響子は二十歳を過ぎ、初江を懸命に手伝っていた。
二人とも、田中雄三になってしまった正平を心配したが、呼び出せばいつももっさりし
た風体でやって来て、飯を食って帰るも、正平には堕落した生活を改める気はさらさらな
いようだった。
309
そしてついに正平は病に倒れた。
頭が痛い、目が見えないと言い、正平は場末のアパートで寝ていた。正平を、響子が病
院へ連れて行った。
脳腫瘍という診断だった。
即命の危険を呼ぶものではなかったが、腫瘍はすでに視神経を完全に潰しており、蓬原
家が費用を負担し手術を受けた。腫瘍の大半は除去できたが、正平は完全に盲目となっ
た。
それを聞いた武雄は、当主である近藤大輝に、自分の身上をすべて語った。
自分は蓬原正平ではなく、稲垣武雄であったこと。
本当の正平は今盲目となり、市内の病院にいる、と。
当主の、それまでの武雄への寵愛が一夜にして一転した。
詐欺として訴えないだけましと思え、という言葉とともに武雄は近藤家から勘当され
た。誠一郎はアメリカに留学中だった。
正平は退院してから初江の家に引き取られたが、疫病神として生きていくのは御免だと
繰り返し、盲目でありながら家出を繰り返した。
とりあえず初江は今の大阪府狭山市にある施設に、正平を入れた。
間もなく正平はその施設を脱走し、行方が知れなくなった。
初江と響子は何か月も捜し続けたが、正平が見つかることはなかった。
正平の代わりに伶人町蓬原家に何となく居ついてしまったのは、数年前に母を亡くし、
そして近藤家から追い出され、腑抜けになってしまった武雄である。
近藤正平は、実名、稲垣武雄に戻った。
そして響子と遅い結婚した。
そして居を移した。
やがて娘が生まれ、息子が生まれた。
一時間余りをかけて、響子は話し終えた。
310
「まあしかし、難しい言葉も一語一句間違えんと、よくしゃべったなあ。おかんの演説
や。ボケたかと思ったら。まだ五年くらいは大丈夫やな」英司は寝そべっていたが、途中
から正座になっていた。
尚子は抗議口調で響子に言った。「お父さん、自分史にそんなことひっとことも書いて
ないよね」
「おとん、ずるいなあ」
響子は姿勢を崩している。「でもお父さんにその道を薦めたのは初江さんで、私で、そ
いで、そこで居眠りしてる正平さん。
近藤家にはそりゃあ、迷惑かけたわ。そやけどお父さんはね、近藤さんの会社にいた十
五年、いや、二十年くらいの間、身を粉にして働いた。あんたらが近藤家の人らと会うこ
ともないけどね、会長さんが、お父さんを放り出しただけで済んだちゅうのは、お父さん
がそれだけ一生懸命働いてきたからや」
英司は納得しない様子である。
「おとんにそんな雰囲気、俺は感じたことない。仕事人間のイメージゼロ」
「うん。私もそう思う」
「アホなこと言いなさんな。あんたらがあんな大きな家に住めて、看護学校の高い授業料
を払ろて、まあ、あんたはええわ。英司、ボンクラ私立大学、留年つきの高い高い授業料
を払ったのは、一体誰や」
「ずっと、お母さんの実家の財産、って言うてたよね。どういうこと?」
「私に実家はありません。強いて言うたら初江さんの家が私の実家みたいなもん」
「初江さんがお金、出してくれたの?」
「違います」
「じゃあ誰?」
「お父さんは近藤家を放り出されたけど、同時に凄い額の退職金をもらったの。だから言
うてるやんか。お父さんはそれだけ一生懸命働いてきたんや。お父さん、お金を一旦全
部、初江さんに渡した。私らが結婚するとなったとき、初江さんはそのお金をそのまま渡
してくれた。あんたらが育った今の家は、その昔は初江さんの親戚が住んでいた家でね。
その親戚が、山埼さん」
「え?」
311
「近藤誠一郎さんの秘書やってる山埼さん。お醤油屋さんやってた初江さんの家の先代、
お醤油屋さんの、共同経営者の息子さん。あのウチにもものすごい、世話になった。タダ
で、私らにあの家くれたんやで。
おまけにぼかーんと、近藤家のお金付き。一番助かってるのは、何も知らんあんたら
や。大体いつも、偉そうに物言うてる英司。お母さんは恥ずかしい。あれほどの恩をいた
だいたあの人らに対して。奥さんもうても、ダラダラと毎日を送って、文句ばっかり言う
て」
「んなもん知らんがな。なんも教えてくれへんかったやんか!」
「その、アホ丸出しの顔。恵美理さんにも申し訳ないと思いなさい。ほんま、ごめんねえ
恵美理さん」
「いえ、そんな」
「おかげであんたらは何一つ不自由なく、今になるまでのほほーんと暮らしてきてるわ
け。まず、近藤さんの家と、初江さんと、山埼さんのおかげ。尚子。私、初江さんのお葬
式も通夜も、ちゃんと行ってきたよ」
「・・・それ聞いて安心した。でもいつ? 会わへんかったやんか?」
「嬉しかったなあ、お母さん。あんたがいろいろやってくれて。あんたに見つからんよう
にお通夜も、お葬式も。こっそりとね。離れたとこで拝んでたんや。あのはげ山みたいな
人、誰? 横しか毛、ないな。彼氏か? あんなんが好みか? あんたが決めたんやたらお
母さん何も言わへん。お母さんにも紹介して」
「勝手に何言うてんのよ。あれは初江さんのケアマネさん。それよりもお母さん、なんで
そんな隠れてお葬式に出たり、コソコソする必要があったん?」
「そやから。私が三人の人を見殺しにした。それを、知られとうなかったからや。それを
ずっと黙って、お母さん生きてきたわけやから。まー、全部言うたらスッキリしたわ。こ
んなすっきりしたのは五十年ぶりや」
「スッキリするような内容か?」
「まあ、こっちにしたらお母さんが普通に元気になってくれたらいいだけの話で」
尚子は考えた。
難波の夫婦が死んだのは空襲のせいだと尚子も思うが、しかし彼らを見殺しにしたのが
父と、そして目の前にいるこの母だそうだ。
見殺しにされた夫婦は、まさに近藤清一郎の実父に実母である。
312
山埼はこのことを知っている。しかし近藤誠一郎に対して隠したがっているのは当然だ
ろう。
母が再び話し出した。
「お父さんの仕事。バスの会社の給料でウチは何とかやってきた。あんたらの将来のこと
を考えて、何とかやりくりしてきたつもり。大きいお金はずっと残しといたんや」
「さすがやおかん。ちょっと見直した。これから俺とこにも赤ん坊生まれるわけやし、今
の給料で大丈夫かな、とか思っとったんや。わはは!」
「あほ。最後まで聞き。これだけは言うとかなあかん。尚子の看護婦さんの学校、英司の
大学、あんたらが学校へ行けたのは一切付き合いを絶った、近藤家のご主人と、山埼さん
のおかげや。それから、そこのぼっさん。正平さんがいたからこそおまえらは今ここにお
る。すべてのはじまりは正平さんやった。事実は小説よりも怪なりや」
「間違ごうてるで」
「正平さんが子供のとき、石油屋さんへ養子に行くことが、もしなかったら。あんたらは
生まれてない。それが、私らの歴史。いろいろあったけど。終わり良ければ、なあ。まだ
終わってないけど、とりあえずみんな、ずっと幸せに進んで行ってる。そこの、ぼっさん
除けて」
「あのね、お母さん、私からこんなこと訊けたことやないねんけど、その、近藤さんから
もらったお金の残りを、正平さんのためにこれから遣うっていうのは? いい施設に入れ
てあげたいねん」
「お金はもうほとんどあらへん」
「げーっ!」
「英司黙れ」
「この家の固定資産税とか払ろていかなあかんし。それでな。考えてんねんけど、いろい
ろと金食い虫のこの家、売ろかって」
母は笑ったが、尚子は笑わない。
「私、それでもかまへんと思う」
「おい、待てや」英司は納得が行かない。
てんがちゃや
「天下茶屋の加藤さん、知ってるやろ。不動産屋の。私教えてもらったことあんねん。金
かけて傷んだとこ直すより、土地そのまま売ってしもたほうがええんとちゃうかって。
313
有料の老人ホーム、ぼっさんを入れたとしたら、ぼっさん生きてる間、ずっと金を払い
続けなあかん。そうするべきやと、私は思てる。私かて、できることはやってあげたい。
私が安い団地とかアパートに住んで、それは私も全然かまへんの。
そやけど、私一人で勝手にできることやない。絵美里さん、絵美里さんの家族とも相談
せなあかんしな」
「待てって。おかん、今、家借りるのにもなんぼ要るか、知ってんのか? 俺らを放り出
す気?」
「私に気を遣ってるのなら必要ないよ。てーか英司さん、放り出すとか放り出されると
か、いい歳して子供みたいなこと言わないで。まじ情けない。お父さん、そしてお母さん
がそう希望するんなら、私らが近くに住むところ借りたら済む話じゃない。いや、お母さ
んも一緒に来てください」
「そ、そやかて、俺の安い給料だけで・・・」
「私も仕事するわよ」
「絵美里さん、あかん。赤ん坊生むんやろ?」響子が慌てた。
「お母さん。そういう家族向けの、安い公団なんかあります。心配しないでください」
「へー。あーあ。家、なくなるんか」英司は観念した。
「尚子。あんたはどう思うねん」響子が尋ねた。
「私は、それでいいと思う。姉弟そろって、貯金ほとんどないって、申し訳ないけど」
「あんたらに、私らを養う義務はあらへん。あんたかて、はげ山さんと結婚とかしたらお
金ありませーん、てわけにはいかんやろ」
「何それ」
「絵美里さんにも子供が生まれる。お金もそれなりにかかる。あんたらの迷惑になるわけ
には、私もぼっさんも、それはいかん。あんたらの負担になることだけは絶対あかん。ぼ
っさんも多分そう思ってると思う」
「あー。この家ともおさらばか」
尚子がついに怒った。「英司うるさい! しつこい、アホ。あんたが一番しっかりした
こと言わなあかんのに、さっきからブツブツと!」
絵美里が加勢する。「そうよ! 情けない。まだブツブツ言うのなら、私本当に怒るか
らね。
314
それとお母さん。お金の話なら、私も黙って知らん顔しているわけにはいきません。で
も、私とこの親、あのように見かけは派手で、いかにもお金隠し持ってるような雰囲気な
んですが」
「おまえかて派手やんけー」
尚子が英司の後頭部を叩いた。いつもの平手ではなくグーだった。
「私の親、実は全然お金、持ってません。二年ほど前、姫路の家売ったのも、実は借金が
理由です。父も母も、経営コンサルタントなんて偉そうに言ってますけど、遊び人です。
ごめんなさい」
響子が遮った。「あー、もうええって。尚子もあんまり知らんと思うけど。絵美里さん
はこれまで、私に一円もお金、くれなんて言うたことないの。英司の少ない給料の中から
毎月四万円、家賃として私に渡してくれてる。そやのに、パソコンが壊れただの、車のタ
こと
イヤを換え事せなあかんだの、毎月小遣いせびるのが英司や。健康診断で塾がお金出して
くれるのに、二万円私に出させて、プラモデル買うたの私知ってんねんで」
「そ、それは・・・」
「あんたは一生、朝から夜中まで毎日働き。ええよな、絵美里さん」
「必ず、そうしてもらいます」
「なあ絵美里さん、どうなっても、あんたはしっかりと、ゆったりと赤ん坊、育てること
だけ考えて。お金のことは心配せんでもええの」
「あーあ。私、何か、大きな仕事が終わったって気がする」話を区切るかのように尚子が
言った。
「仕事?」
「お父さんの謎解き。あとはほんと、ぼっさんにどう老後を暮らしてもらうかやね」
「あのう・・・」ずっと黙ったまま話を聞いていた瑞樹が初めて口を開いた。
「その仕事は僕に任せてください、と断言はできない自分がもどかしいんですが、ぼっさ
んのために住みやすくていい施設、きっと僕が探します。この中でぼっさん、正平さんと
一番長い時間、一緒にいたのが僕です。これからも尚子さん、英司さんに協力を乞うこと
はあると思いますが、頑張りますので」
「家族の問題やのに、にいちゃん、本当にごめんねえ」響子は頭を下げた。
「ぼっさんには当分ウチにおってもらおう。かまへん、お母さん?」
「もう胸のつっかえが取れた。私に反対する理由はあらへん」
315
英司が改めて、ぼっさんの顔をしげしげと眺めた。
「おとん、生き返ったみたいで不気味やなあ。おかん、怖ないか? おとんの幽霊やで、
これ」
一度、勘違いして大騒ぎした絵美里が恥ずかしそうに横を向いた。
「ひと騒動、起こるよね。近所の人が最初にびっくりするわ」尚子も笑った。
「お母さん、体調どう?」
「なんてことあらへん。すごいすっきりした。これで私、明日の朝起きたら、ぽっくり逝
ってたりして」
「アホなこと言わんといて。ねえ、おなかすいた。私がお金出すから、なんか食べに行け
へん?」
第二十五章
再び、ぼっさんの危機
母の話から三週間ほどあと。
間もなく父の自分史が本になって完成する。
全部で百冊を、自費出版の会社ではなく、製本をやっている町工場に注文した。編集は
パソコンで、英司と恵美理、そして尚子の三人がかりでおこなった。
さすがに九十九章その他、ぼっさんの話は親戚友人にはショックが大きすぎる。そこら
へんの話は親子の間でとどめておくべきだと思い、尚子が編集した。
父が騙されそうになった自分史出版会社ほどは費用はかからなかったが、それでも数十
万はかかった。尚子が全額支払った。病院からの退職金がすべて消えた。
これで父の供養がすべて終わった。
タイミングよく、絵美里が妊娠したとの連絡が一昨日あった。
退院した母の喜びようもかなりのものだった。
残るは、数日実家に滞在したあと、現在一時的に瑞樹の職場、緑風園に戻ったぼっさん
の処遇と、尚子の新しい仕事先である。
316
まず一冊、本屋から完成品が届いた。紙質は一番良いものを選んでもらったが、書店で
売っている本とは見かけも違い、学級文集がえらく分厚くなったような装丁である。売り
物ではないのだから、もちろんこれで構わない。
タイトルは『四季・つれづれ』。もちろん父が考えたタイトルである。
季節の話など出てこないではないかと思ったが、それでも人生の春夏秋冬を綴った本で
はある。
校正、挿絵、写真。すべて尚子たち素人の仕事ではあったが、内容はともかく、それな
りのものが完成したと思う。ずっしりと重い一冊だった。
ネットでの仕事検索を中断し、尚子は届いたばかりの本を、最初からゆっくり読んでい
た。
電話が鳴った。
瑞樹からだった。
「尚子さん、大変なんです! 今すぐ来られませんか?」
瑞樹が必死で話をつけた。生活保護から外してもらう手続きも先日済んだばかりであ
る。ゆったりと暮らせるグループホームが見つかるまで、費用を稲垣家が負担し、最長二
か月、緑風園がぼっさんを預かることになっていた。
それが。
「ぼっさん、連れて行かれそうなんです!」
「連れて行かれるって、どこへ?」
「小金木荘の連中です。役所の人間と一緒に今来てるんです!」
「なんで? 引き止めてよ! もう特養へは行かないって許可、出たんじゃなかったの?
生保も外れたはずじゃ?」
「そのはずだったんです。同じこと何回言っても奴ら、聞く耳持ちません。役所の言うこ
とですから反論できません!」
「わかった、すぐ行く!」
安心して瑞樹に任せていいと思っていたが。
317
三十年近くも施設にいたぼっさんである。行政が決めたぼっさんの処遇は、身内がどう
動こうが、行政の都合次第、結局悪い施設に握られてしまうのか。これからについての手
続きは尚子と瑞樹が済ませたはずなのに。
やはり自分が引き取るしかない。最初からそうしておけば良かった。
交通渋滞にやきもきしながら、タクシーは二時間後、瑞樹の待つ障害者施設緑風園に着
いた。
「ぼっさん、もう連れて行かれちゃいましたよ」瑞樹は長椅子に座ってうなだれていた。
「いろいろありがとね。ごめんね、さっき電話できつい言い方して」
「いいですそんなこたあ。もう僕、この仕事嫌になった」
「そんなこと言わないで。瑞樹くんを必要としてる利用者さんはたくさんいるでしょ。
私、今から小金木荘に行く」
「僕は・・・」
「瑞樹くんはいいよ。仕事、あるんでしょ」
「申し訳ありません」
「そんな幽霊みたいな顔せんでええって。瑞樹くんもできること、最大限にやってくれた
んやから。感謝してます。あとは家族として、話し合いしてくる。結果期待しとって」
尚子は瑞樹に向かって片手でガッツポーズを作り、車の外に出て休憩していたタクシー
の運転手に、再び声をかけた。
「家族と言われましても、お宅様は姪の関係で、今まで一度も田中雄三様と暮らされてま
せんよね。何年前から、何度くらい面会に来られてますか? 回数じゃなくて週に何回、
月に何回とか」
小金木荘事務所。
「あの、叔父の存在を知ったのがつい最近なんです」
「あー、そりゃ駄目ですね」
「駄目って、言葉が変じゃないですか?」
田中雄三。正平の今の名前であることを尚子は思い出した。
318
名刺には「小金木荘専属介護支援専門員」とあるが、人の好い有馬とは同じケアマネで
も、今目の前にいる人間は質がまったく違う。
女性ではあるが、ハイエナのような顔をしている。仮にも血縁を名乗る者がやってき
て、いきなり敵対心丸出しである。絶対に正平を手放さないという意思が露骨に感じられ
る。その理由は明確である。目と耳に重複障害を抱える正平は要介護5。生活保護費介護
扶助から毎月、入所者の中でも最高の金額が施設に入るのだ。
「さっきから違う名前おっしゃってますけど、田中ではありません。蓬原、正平です」
「あっはっは。ショーヘーですか。コメディアンみたいな、また変わった名前だこと」
最低の物言いだった。所詮利用者を金づるとして見ているから、こういう失礼な言い方
が平気でできる。
まんまとハイエナにしてやられたという感じだった。瑞樹がどうにかしてくれなかった
のかとも、思わないでもないが、同じ悪達者でないとこういう人間とは対峙できない。瑞
樹は善人であり、真っ直ぐすぎる。
戸籍変更。名前を変えるということである。そこに時間がかかっているようで、生活保
護から外してもらうのはどうしても後になってしまうのは聞いていた。役所は給付を打ち
切ったが、役所の動きが早いのはそこだけであり、今現在、まだ正平は生活保護のリスト
に入ったままだと思われる。ハイエナ女は同じ口調で続けた。
「戸籍変更はお済みですかぁ。姪っ子さんがするとなると時間がかかりますよねえ。田中
雄三様が、仮に、万が一そのショーヘーさんですか、名前が変わったとしても、私たちの
作業は入所者名簿の名前をパソコンで訂正するだけです。
さっきいきなりおっしゃいましたよね? 田中様を、私どもが連れ去ったと。人聞きの
悪いこと申されるのなら、こちらも黙っておりませんよ。弁護士がいますから。何のつも
りだか知りませんが、家なんかで暮らせっこない要介護度の高い人を家に無理やり連れて
帰って、保護費分捕ろうとするヤカラが多いもんですからねえ。生保取り消しの申請をさ
れた? あり得ないあり得ない、私に嘘が通ると思ってるんですか?」
「嘘じゃありませんよ。生活保護は外してもらうよう、もう手続き済んでます」
「みんなそう言うんですよお。残念。ここにある最新の資料では田中様は介護扶助、受け
てらっしゃいます」
尚子はとてつもなく腹が立ったが、何とか抑えた。
「そんな人間と同じにしないでください。正平さんがこれからどのような暮らしをする
319
か、あなたたちが見に来たらいい話でしょう。在宅生活は介護保険法にもあるように、介
護施設の目標じゃなかったでしたっけ」
「まあ、ヘルパー程度の浅い知識くらいはお持ちなんですねえ」
「私、西大病院の看護師です。ケアマネ資格は持ってませんが、ケアプランくらい私が作
れますけど」
「違法ですよ! 資格のない人が!」ハイエナが目を剥いた。
「見たまんまに、馬鹿な方ですね。話の含み、ってものがわからないですか」
「おかしな家族にひどいことを言われるのは慣れております。ほほほ。しかし、質の悪い
看護師もいたものですよねえ。西大付属病院って、本当ですかあ?」
「あいにく名刺は切らしておりますが」
こいつに比べれば、尚子の職場にいたキツネなど可愛らしいものだった。看護師にとっ
ては患者。介護の人間にとっては利用者。仕事のためであるという名目のために、老人の
尊厳を踏みにじる人間。少なくともこんな女のような人間は、病院にはひとりもいなかっ
た。尚子は最大の侮蔑、軽蔑をこめた視線をぶつけた。
「話の含みがわからないのは、あなたです。帰ってくださいって空気、読めないんですか
あ?」
「正平さんを、連れて帰ります。そのために来たんです」
「田中様が本日付けでここに入所するのはもう決定済みです。行政の決定です。これは田
中様のことを一番に考えてのことです。警察、呼びますよ」
「じゃあ警察の人にも見てもらいましょうか、おじいちゃんおばあちゃんたちを裸にし
て、廊下に並ばせてるところ」
その部屋にいた全員が尚子を見た。
「あーははは、何それ? 私たちがそういう扱いをご入居者様にしていると? これは名誉
毀損ですよね。担当弁護士に話、回します。大塚弁護士、事務所に今いらっしゃるか確認
して」女は、同じく尚子に刺すような視線を向けている事務員に向いて言った。
構わず尚子は噛み付いた。「あなた、普通の馬鹿じゃないですね。大阪でもトップクラ
ス狙えるくらいの馬鹿です。同時に介護産業の悪そのものです。私がいつ、ここのことを
外部に言いました? 悪の親玉である当事者と、私は話をしているだけです。名誉毀損な
ど成り立ちません」
「だったらさっきから、馬鹿だ何だと! 侮辱罪だわよ! 何! 言葉気をつけなさい!」
320
「気をつけません。馬鹿と言われて腹が立つのなら、どうぞ弁護士さん読んでください。
侮辱罪で争いましょう。あなたを侮辱していることを認めます。弁護士早く、お呼びにな
ったらどうですか。馬鹿と言われて、裁判起こすそのお手間、結構面倒くさいと思うので
すが、私は平気ですから。受けて立ちましょう。馬鹿と言われて侮辱罪、裁判。面白そう
ですね」
そもそも口喧嘩などとは無縁も無縁、必要な場面でも折れたり逃げてきた自分が、なぜ
かすらすらと言葉が出た。
「仕事中ですから帰ってもらえませんか」
「裁判するんじゃないんですか」
「おかしな人間を相手している暇はない」
「あの。今から施設内、見学させてもらいましょうか。裸で並ばせてるって話が私、フッ
ツーの人間として許せないもんで」
「あなた頭大丈夫ですか? 被害妄想もそこまで行けばすごいですねえ。施設に恨みでも
あるんですかあ? 大体、私はあなたを田中様の家族とは認めません。看護師なんてなん
ぼのもんですか。それに家族であっても他の方も入浴なさっている以上、見学するなんて
こと、絶対無理無理」ハイエナは大袈裟に手を振った。
「・・・私がいつ、入浴なんて言いました?」
ハイエナはしまった、という顔をした。
「私もこれまで、仕事柄、大抵酷い施設を見たことありますが。ここは中でも特に酷いと
ころのようですね。あなた方は人間として大事な部分が欠けています。仕事だから、とい
うのがあなたたちの口癖です。だから看護との差がいつまで経っても、埋まらないんで
す。給料が安いのも、長い目で業界を人間らしく変えようとしない、あなたたちのせいで
す」
「どうして私がそこまで言われなきゃならないんですか!」
「今の私には、あなたが介護業界の代表に思えるからです。いいですか。ご利用者様。あ
なたたちが大好きな言葉ですよね。変な言葉だと思います。ご利用者、または利用者様、
でいいんです。なぜそう激しくお客様扱いをして、老人方を呼び込むのですか。呼び込む
のは結構。しかしちゃんと、介護保険法の理念に則った仕事をされてますか? 仕事だか
ら。仕事だから。馬鹿ですか。老人たちの気持ち、感情を無視して何が仕事ですか。だか
ら看護側は、いつまで経っても介護側に精神的ケアを任せられないんです。介護報酬は決
321
して安くありませんよ。社会福祉法人に大きくピンハネされますよね。なぜそこを変えよ
うと思わないんですか? 変えるためには、経営側と同じリングの上に上がるための知
識、つまり勉強が必要なんです。そんな人、そういう心意気持ってる人、滅多に見ませ
ん。だから私たち、看護の人間は介護の人たちを下に見るんです。しょうがないですよ」
「そういうふうに偉そうに言いますが、あなたの言い分は、決して通らないんです。とに
かく田中雄三様はここに住むことが決定してます! 私たちが決めたわけじゃないですよ
お。箕生市が決定したことです。あなたが帰らないのならもう、弁護士じゃなくて警察呼
びますよ!
息子または娘をここに連れてきたら、市の人間も交えて話くらいできるかもしれません
が、田中様は緑風園に三十年も、独身者として入居なさってた人ですよね。ぽっと出てき
たみたいな姪では話になりません。長いことわけのわからないことをくっちゃべって、ご
苦労様でした。さっさとお帰りください」
ハイエナは出入り口を人差し指で示した。事務員が二人、尚子の横に立った。今さら気
付くまでもなく、尚子は部屋の人間を全員敵に回していた。
「私、ここ100年であれほど腹立ったことない」
緑風園駐車場、瑞樹の車の中。尚子は頭から湯気を立てて怒っている。
「すみません、僕の力及ばないで」
「瑞樹くんのせいとちゃうよ。でもどうしよ。こんな終わり方ってある?」
「生活保護独居老人の囲い込み。ああいう施設は、指摘すれば意地になります。長年そう
いうやり方でやってきてるところなんです。また僕が忍び込んで、連れ出すしか」
「またそれ? 根本的な解決にはならへんよ」
「じゃあどうしたら」
「・・・わからん」
「ぼっさん、連れてかれたとき。まったく抵抗しなかったんです。僕と後輩二人、不覚に
も泣いてしまいました。
だってですよ、無理やり言うことを聞かせようとする人間に対し、いつもぼっさんは抵
抗したんです。すごい声出してね。それが。今回に限って。なんであんな、おとなしく連
322
れて行かれるんだ。観念した宇宙人じゃないっつーの。去り際に、僕にあーがとー、あー
がとー、って」
尚子は唇を噛み、考え込んでいた。
「ねえ、尚子さん」
「ん?」
「ハゲ山って誰ですか。お母さんが言ってましたよね」
「何よいきなり」
「ハゲ山」
「まったくウチのお母さんも言葉悪すぎ。ていうか今、関係ないことやし。瑞樹くん?」
「はい?」
ハンドルに突っ伏して話していた瑞樹は頭を起こした。
「最後の手段。私、父の自分史持って、明日東京の、近藤家に行く。父の自分史、本にな
って完成したの。門前払いされて当然かもしれへん。でも、何とかして、近藤会長、近藤
大輝さんに会う。何としても」
「会ってどうするんですか」
「そうするしかないの。私は会ったことないけど、稲垣家の恩人、みたいな人。話を聞い
てもらって、父の自分史を読んでもらって。もし、もしの話やけど、アドバイスとか、く
れるかもしれない。偉い人やから、ぼっさんのことについても、口添えしてくれるかも。
とりあえず、必ず会う。会った上で、話を聞いてもらえないのなら、あきらめる。い
や、あきらめないで、自分でぼっさんをあそこから出す策を考える」
「協力します。尚子さんやお母さんがその気持ちなら、僕はずっと手伝います。でもハゲ
山はない。ないない。ハゲは駄目です絶対」
「ねえ瑞樹くん。すごくありがたいんやけどね、瑞樹くん、仕事どうなってんのよ。ちゃ
んとやるべきこと、あるんとちゃう? 私らのために仕事休むの何回目? もう迷惑かけら
れへんよ」
瑞樹はひどく悲しそうな顔をした。
三十秒ほど、無言の時間があった。
「じゃあ、仕事ありますんで」
尚子も車を下りた。
323
瑞樹は尚子を見ず、とぼとぼと戻って行った。去り際に一言だけ言った。
「好き好んで迷惑かぶる人間なんていませんよ」
尚子は自分のアゴをおもいっきりつねった。
よりによって、迷惑とは。
瑞樹に大変失礼なことを言ってしまった。
瑞樹だから、いろいろと普通に頼むことができた。父に対して疑問を持ったり、ぼっさ
んについて焦るのとはまた別に、瑞樹と話しているときは嬉しいし、楽しかった。
自分も瑞樹の気持ちは大体わかっているはずなのに、なぜ良識にまみれた、日頃のつま
らない態度を取ってしまうのか。
尚子は瑞樹の後を追いかけようと思ったが、もう瑞樹の姿は見えなかった。
あくる日。尚子は今井に電話した。
「お久しぶり。あのね、近藤誠一郎の秘書、山埼さん、もっかい電話番号教えて。新しい
ケータイの調子がなんか変で、文字化けだらけで山埼さんの番号がどれかわからんのよ」
「なんですか。藪から棒に」
「ぼっさんを助けたいの。あんたも知ってるでしょ。協力して。お礼はちゃんとするか
ら」
「大変なのはわかりますけどねー。尚子さん。瑞樹が泣いてましたよ。あいつ、酒飲むと
泣くんですわ。かなん奴ですわ。尚子さんは酷い人だーっ、もう僕は用済みなのかー、や
て。あいつの気持ちとか、そういうの、わかってやる余裕がないんですか。尚子さんは余
裕のない人なんですか」
「・・・・・・」
「そりゃ、あんな純な男は今どき珍しいですよ。アホですよ、あいつは。僕、僕って。僕
なんて言う奴今どきおらんですよ。尚子さんのほうが実際はるかに大人や。でも、特定の
人間しか持たん気遣いちゅうの? それをやね、真面目な正論とやらで断られたら、つま
りや、迷惑やなどと、そんなきっついことをよくもまあ。惚れてる男は最高に、いや最悪
に傷つくってもんですよ。酷い人ですわ、あなたは」
「その・・・そんなつもり、なかったんやけど」
324
「じゃああいつのこと、どう思ってるんです。あ、待って。嫌な返答なら俺、伝えるの嫌
ですからね。知りません。じゃあ、さいなら」
「ちょっと待ってよ! 瑞樹くんにそう思われて、私、嬉しいです。もっと若い子が似合
ってると、ずっと思ってたし。そやけど私、いくつ年上と思ってんのよ」
「知らんがな」
今はそういう話じゃない、と尚子は言おうとしたが、先に今井が切り出した。
「瑞樹から大体、話聞いてます。泣くだけじゃなかったですよ、あいつ。最後の頼みの綱
は日本有数大企業、光神石油名誉会長の近藤大輝。すべての、とにかくすべての答えと解
決はそこにある。ただし、そんじょそこらの社長でも会えるような人間と違う」
「口調変わったね。そう。だからね」
「わかってる。でも尚子さん、山埼というと何を考えとるんか、前、尚子さんの実家に怪
しい人間を送り込んできた人物やで。そんな人間に連絡して、危ないことないか」
「でも今井さんとは目的が違う。大丈夫」
「すんませんね、チンピラで」
「ごめんなさい」
「近藤誠一郎は、あんたのお父さんと何年か、兄弟として暮らしてた人間になるわけや
ろ」
「そうです」
「ふっふっふ。近藤大輝名誉会長様と会えるで、尚子さん。ぼっさんは必ず、助けられ
る」
「待って。なんでそんなこと言い切れるのよ」
「実は、まじでびっくりすることがあったのよ。感動したわ、俺は」
「何の話?」
「何でもいい。今から山埼のおっさんの番号言うから、控えて」
早速尚子は山埼に電話をした。
「申し訳ないですが、近藤大輝名誉会長につきましては、高齢で体調不安定のため面会で
きません」
325
「山崎さん、何も知らないで、失礼な口を利いてしまったこと、謝ります。申し訳ありま
せんでした。事情は、新しく見つかった父の自分史の残り、それから母の話で全部わかり
ました。本当に申し訳ありませんでした。それと、母と弟夫婦が住んでるあの家
も・・・」
「家ひとつでこちらも申し訳ないという気もしております。そういう歴史が、あるので
す」
「どういうことですか?」
「何でもありません。感謝は期待しておりません。ですので、あとはお母様と私が話をし
ます。あなたがお気遣いなさる必要はまったくありませんので」
「私、明日東京に行きます。いや、今晩行きます」
「何言ってるんですか」
「山埼さんがお忙しいのなら、東京でどっかに泊まって、山埼さんが相手してくれるのを
じっと待ちます」
「仕事はうするんです」
「辞めました」
「えっ?」
「辞めたんです。全部私の父と、ぼっさんのせいです」
「しかし・・・大輝会長は本当に体調を崩しておられるんだ」
「厚かましいかもしれませんが、私今、困り果てています。
名誉会長さんに会いたい理由は、正平さんです。正平さんは行政の決定とかで、酷い施
設にもう送られてしまいました。私、自分が引き取るつもりで施設に話をしに行ったので
すが、施設だって商売です。要介護度の重い正平さんは上客です。追い返されてしまいま
した。姪っ子じゃ話にならないそうです。
正平さんを助けたいんです。どうか名誉会長に会わせてください。私は看護師をしてま
す。百歳の人のケアをすることもあります」
「あまり、感情をかき乱されるようなことは身体に悪いと考えますので、面会は無理と思
います」
「じゃあ私、一体どうすればいいでしょうか」
その訴えに応えるかのように、山埼がゆっくりと言った。
「正平さんにつきましては、対応を決めさせていただきました。すでに。お母さんにも言
326
ったはずなんだけどな。まあ、あなたは何もしないでいい。知らせてくれてありがとう。
正平を、私ではありません、近藤誠一郎の名前で助けます。黙って見ておりなさい」
尚子は本当に黙ってしまった。
母との関係についてまだ何か隠しているようであるが、尚子にそこを尋ねる気はない。
任せておれば、正平は確かに悪い目には遭わないという、山埼の声にはそんな響きがあっ
た。
「ところで。尚子さん、今さっき自分史っておっしゃいましたね。何ですか、それは」
「私の父が残した、自分史があるんです。正平さんのこともたくさん書かれています。製
本屋さんに頼み、文集みたいな形にしました。売ったり、本屋さんに並ぶようなものでは
ありません。友人、親類に読んでもらう分だけ作りました。山埼さんにも送ります。お暇
なときに読んでくだされば」
「正平のことも? ほお! 着払いで今から言う住所に、すぐに送ってくれませんか」
「送料くらい払います。今すぐに送ります」
彼らは正平への対応を決めた、と言った。おそらくあの酷い施設から出してくれるの
だ。
尚子は父の自分史完成品と、そして本には載せなかった、正平について書かれた部分の
コピーを、早速指定されたところへ送った。
早速あくる日の夜、山埼から電話があった。本が届いたということと、今から読むので
遅くに電話をしてもいいか、ということだった。
尚子は待った。
こたつに突っ伏して寝てしまった尚子を、ケータイの着信音が起こした。
時計は午前一時四十分を指していた。
「遅くなって申し訳ありません。いいですか、今」
「はい」
327
「急な話ですが、今日の夜、大阪駅まで出てきていただけませんか。無理を言うようです
が、今晩でないと次は何週間後になってしまいます」
「大阪まで来られるんですか?」
「あなたに直接会って、言わなければならないことがあります」
「電話ではだめなんですか」
「電話でする話じゃありません。私が東京から大阪へ出向きます」
「私ひとりで?」
「良くない友達は連れてこないでください。でもあなたの弟さん、お母さんなら連れてき
てくださっても構いません」
尚子にもう警戒心はない。
「わかりました。行きます」
「ありがとう。では、大阪駅前、ラムダインターナショナルホテルのロビーで、八時で結
構ですか?」
「はい、わかりました」
第二十六章
成り替わりの真実と事実
朝。久しぶりに着るブランド物スーツを出してみると、袖が一部分ほつれていた。
仕立てをやってくれるクリーニング屋に持っていったが、その待ち時間、手持ち無沙汰
になり、尚子は今井に、礼を言おうと思って電話をした。
今晩のことを話すと、罪滅ぼしにガード役をかって出ると今井は言った。これからの展
開も面白そうだ、まだまだ波乱がありまっせ、とまたふざけたことを言った。
ガード役など必要ないと遠慮し、電話をすぐに切った。
尚子は緊張したまま半日を過ごした。
午後八時。ラムダインターナショナルホテル。
大阪でも屈指の豪華ホテルであり、こんな場所で待ち合わせをすることなど、尚子には
初めてだった。普通の大阪とは切り離された異空間である。
328
外国人や、ひと味違うビジネスマンたちがそちらこちらで歓談している。友人の結婚式
でしか着たことがないブランド物スーツで臨んだが、それでも自分が浮いているのを感じ
た。
山埼の方から声をかけてきた。
「お待たせしました尚子さん。小さい頃、実は何度かお会いしてるんです。幼稚園くらい
の頃かな? しかしお父さんに、目が似ておられる」
悪代官。汚職政治家。今井の言い様で、そういう人物を勝手に想像していたが、確かに
ブルドッグのような顔をしていながらも、尚子に対する態度は紳士である。例えば尚子が
勤務していた病院の特別室に入院する芸能人や政治家特有の、偉そうぶった空気はまった
く感じなかった。
山埼はホテルのカウンターへ進んだ。
「ラウンジの個室を取ってあります。食べ物お酒、何でも頼んでください。まあ、酔っぱ
らいながらできる話じゃないでしょうけど」
「尚子さん、お電話での無礼な態度をお許しください。最初は何も、わからなかったもの
だからね。私がわざわざ東京から急いでこっちにやってきたのは、それだけ重要な用件な
んです」
「・・・・・・」
「本はじっくり読ませていただきました。新幹線の中でもずっと読んでましたよ」
山埼が手に持つ本には、付箋がたくさん入れられていた。
「こういうものを残していたとは。あいつが晩年、ごゆっくりと過ごしていたようで、安
心しました。ずいぶんと昔の話になりますが、よく知った人間です。稲垣武雄に近藤正
平」
「近藤、正平」尚子は繰り返した。
「近藤家の養子で、光神石油の発展に大いに尽くしてくれた人物です」
「やっぱり、養子になってたんですね。正平さんは。いや、私の父ですよね。入れ替わっ
た話を、母から聞きました」
その言葉には山埼は応えなかった。
「私とは二十年近く、一緒に仕事をした仲です」
329
「父は、晩年はのんびりした人間でした。私は今年で三十五になりますが、私が生まれて
からずっと、自分の好きなことをしながらのんびりと生きている父の姿しか知らないので
す。母から聞いた近藤石油での仕事ぶりが正直、まるで信じられません」
「今日はその話がメインになります。稲垣武雄と近藤正平の入れ替わり。すべてを、私た
ちは知っています。それを踏まえた上で、この自分史が私にとっては意外も意外で、衝撃
的でした」
「山埼さんたちも知らないことが書いてあるんですか?」
「それもありますが。この自分史そのものに、大変衝撃を受けたのです。その詳しい話
を、今からさせてもらうにあたってですね」
そこで個室のドアが小さくノックされ、入ってきたスーツ姿の従業員が山埼に伝えた。
「山埼様と会いたいという人間が三人来ております。この場にはふさわしくない格好をさ
れているので、アポイントなしの面会は取り次ぐことはできないと断ったのですが、しつ
こくて困っております」
やっぱり来やがったか。尚子は頭を抱えた。
気持ちが舞い上がっていたとはいえ、朝、今井に電話などするのではなかった。
来たら必ず要らないことを言う英司には、知らせていない。母にも知らせていない。き
っと今井と、気まずくて今は会いたくないが、瑞樹に違いない。
三人ということは、あと一人は誰だろう。ひょっとしたらチンピラ雑誌記者の、伊崎と
いう男だろうか。
「誰だろう。尚子さんの知り合い? 弟さんかな?」
「違います。その、ひょっとしたら、ですけど・・・山崎さんとも、一度お会いになって
る人間かも、その・・・富山県あたりで」
「私がここに来るって言ったんですか?」
「アクシデントです。私から帰ってくれと頼みます。何でしたら警備員の人に言って、放
り出してもらいましょう」
「いいじゃないか。私がとっちめてやる」
焦る尚子を前に、山埼は連れてきてくださいと従業員に言った。
尚子の予想は三分の一だけ当たった。
瑞樹である。
330
そして瑞樹のベルトをつかんで後ろに立っているのは、他ならぬぼっさん。もう一人
は、見たことがない人物だった。
ぼっさんを前にして、山埼は大きく目を見開き、微動だにしなかった。尚子が驚くくら
いの反応だった。
山埼は驚いているわけではない。驚くを超えている。万感極まっているとでもいうの
か。
瑞樹は尚子を見ない。尚子が言葉を出す前に、上ずった声で山埼に言った。「はじめま
して。田中雄三さんこと、蓬原正平さんが長い間入居していた施設、緑風園の従業員の木
本瑞樹といいます。後ろにいるのは正平さんです。そして、正平さんの指点字の先生、
のがた
野方さんです」
「堺教育大学付属、バリアフリー教育開発研究センターの野方と申します。今日は木本さ
んに急に呼び出されて、来ました。重複障害の田中さんにつきまして、指点字の指導をし
ていた者です。田中さんの通訳みたいなものだと思ってくだされば」
大学に何年もこもっている院生のような、年齢不詳でぼさっとした雰囲気の男だった。
二人の言葉をほとんど聞かず、山埼は立ち上がり、正平の手を握った。
「久しぶりだ。面会に行かなくて申し訳なかった。何言ってるかわからないだろうな。で
も察してくれ。近藤会長のご意向で、あんたには会うわけにはいかなかった。今はそうは
思わない。顔を見たら。いやあ、本当に久しぶりだ。段階を踏むつもりだったが、いきな
り会えるとはな。元気か、おい」
山埼は旧友に会ったかのような様子で正平に接するも、正平は怖がる様子で一歩後ろに
下がった。
「やっぱりわからないのか。俺のことがわからないのか?」
野方が答えた。「少し待っていただければ。多分、正平さんは大部分忘れてらっしゃい
ますが、指点字、何とか思い出してもらいます。こちらの問いかけがわかれば、正平さん
は自分の答えを紙に書いてくれますので」
一歩下がった正平は、見えない目を見開き、二歩くらい、大きく前に出てきた。再び山
埼がその手を取った。
「俺だよ、わかったのか?」
正平は笑顔で、たどたどしく、はじめ、はじめ、と言った。山埼の名前である。
「わかったのかよ! おい、俺だ!」山埼は涙目になった。
331
「すごいよ、すごい。見えない、聞こえないのにな。ここじゃ狭いな。会議室でも借りて
くる。食べ物も運ばせよう」
山埼は正平の肩を二度、叩いてからあわただしく外へ出て行った。
「何とか五十音、思い出してもらわないとね」
野方は正平を座らせ、真横に並んで座り、無言で正平の両手の甲、指の部分をキーボー
ドを打つかのように叩きはじめた。横には画用紙とマジックペン。
山埼の行動が理解できず、取り残されたような雰囲気になった瑞樹と尚子だが、尚子は
瑞樹に何と言っていいのかわからない。
「・・・よくここ、わかったね」
「先輩にここ、聞いて速攻で来た。全然悪い雰囲気じゃないね。ぼっさんに語らせる。今
のとこ最強の策だと思わない?」
「うん、ありがとう」
急遽案内されたホテルの会議室では、もう一人加わった。
顔を出した人物を見て、瑞樹、野方、尚子の三人は目を疑った。
「初めまして、稲垣尚子さん。昨日夜、山埼から話を聞きまして、私も所用をすべてキャ
ンセルして、急いで大阪に駆けつけた次第です」
テレビでもよく見る、近藤誠一郎議員だった。
尚子たちが呆気に取られている前で、誠一郎はぼっさんの前に立った。
不思議な間があった。
尚子の目には、先日の風景がだぶった。
母が、病院の一階玄関前で、ぼっさんと再開したときのこと。
誠一郎の動きが止まっている。
時間が止まっているというより、誠一郎という人間の機能が止まったかのような表情。
あのときの母と同じだった。
「いや、すみません」誠一郎はすぐに我を取り戻して、尚子たちに加わった。
332
「私も入って、いいですか」
「もちろんです」
「それはどうもありがとう。実は、これから山埼がする話なんですが、私も昨日、初めて
聞きました。昨晩は一睡もしておりません。兄弟に、私は会いに来たんです」
尚子はまったく言葉が出なかった。
山埼と近藤議員は感極まっているようだが、自分にはそれどころではない。
黒々とした不安が尚子の心を覆っていた。
自分の父と母は、この近藤清一郎の実の父母を見殺しにしたのだ。山埼は、その話まで
伝えたのだろうか。
いや、伝えていないに違いない。伝えていれば、近藤議員がこのように友好的な態度で
話してくれるはずがないのだ。
「どうされましたか」
下を向いて黙った尚子に、近藤議員が優しく尋ねた。
「邪推だったら申し訳ありません。蓬原石油店での出来事。大阪大空襲で私の両親が死ん
だこと。その際の出来事について、あなたは今、考えてらっしゃるのですか?」
尚子は言葉に詰まった。
誠一郎は瞬時に自分の心を読んだ。こんな人物にはこれまで出会ったことがない。
「は、はい。近藤議員さんに、どのような顔をして会えばいいのかと・・・何でしたら、
帰ります」
「待ってください。昨晩山埼から、初めてその話を聞いたときは、私は大変驚いた。と言
いたいところなんですが、不思議と、驚かなかった。
山埼も、私が驚き、そして怒り、ショックを受けることをずっと心配していたようで
す。だから長い間、私にも山埼は言わなかった。
でも、いいんですよ、そんな昔のことは。石油備蓄庫があった家です。どっちみち誰も
助からなかった。
稲垣尚子さん、すべては、戦争のせいなんです。あなたのお父さん、お母さんに私怨を
持つ感情など、私には一切ありません。それを前提に、今日はお話しましょう」
山埼が継いだ。「尚子さん、本が一冊しかなかったもので。今、これからのお話に関連
する部分、議員に読んでもらいたいと思うんですが、いいですね」
「はい。いくらでも待ちます」
333
近藤議員は山埼がピックアップした父の自分史の内容と、本には載せなかったコピーを
読み始めた。
三十分程度が経過した。
その間、野方はずっと無言で、指点字の講義を正平におこなっていた。
尚子は瑞樹と向かい合う形で座っていたが、お互い一言も話さなかった。何度か目を合
わせたが、瑞樹は涼しい顔をして軽くうなずくだけだった。
誠一郎議員はポケットからハンカチを出していた。
そして涙を拭いて、尚子に向いた。
「・・・本来なら私の父が、あなたに会うのが筋かもしれません。でも父は九十六歳と高
齢で、今体調が良くない。よければ、山埼にすべてを語らせます。いいでしょうか」
尚子は声を振り絞った。
「はい、結構です。でも私の今の気持ちを話させてください。ひょっとしたら父が語りた
くなかった話を、母から全部聞きました。母も、この父の手記を見るまではずっと私たち
に隠していたことです。
父は、正平さんと入れ替わり、近藤家に養子に行きました。近藤石油、光神石油で仕事
をしました。入れ替わったことが発覚し、父は名誉会長さんに勘当されました。
でも、勘当された後も退職金と称して多大な援助をいただき、そのおかげで、私の家も
普通に暮らしてこれたんです。
父は自分がずるいことをしたのを隠しています。どうしてそのことを私たち家族に知ら
せずに、死んでしまったんでしょう。父は秘密を墓まで持って行ったつもりでしょうが、
でも母がすべて教えてくれました。
父に対しては、激動の時代を生きてきて、私や弟を不自由なく育ててくれて、感謝の気
持ちはあります。唯一、正平さんと入れ替わって近藤家に養子に行ったということが、そ
ういうずるいことをしたということが、私が言うのも何ですけど、惜しいというか、残念
だと思っています。父も母も、やっぱり悪いことをしたんです。複雑な気持ちです。私」
なんということか。
今の尚子の精一杯の思いを、山埼と近藤議員は聞き流した。
相づちすら打たず、そろって暗い窓の外を眺めていた。
334
間の抜けた妙な雰囲気が漂った。
自分だけが置いてけぼりをくらっているような。
何か変なことを言ってしまったのか。
父が近藤家にかけた迷惑は、自分が感謝を述べたところでどうなるものでもない?
ではさっきの、誠一郎議員の和やかな様子は何だったのだ?
尚子は頭の中が真っ白のまま、まだ続けようとしたが、山埼の表情に言葉が止まった。
山埼は困った表情を尚子に悟らせまいとしているようだが、それが息苦しいかのよう
に、尚子に対し言葉を選ぶような様子で、ゆっくりと話し出した。
「あなたが生まれる、その前。四年前にあったこと。そのことは、尚子さんはご存知な
い」
「どういうことですか」
「お母様はそこまで、話されてないのですね」
山埼と近藤誠一郎は揃って下を向いた。
「あの・・・父が正平さんと入れ替わっていたことと、父と母が近藤さん夫婦を大阪大空
襲の日、座敷牢に閉じ込めたってこと、このことだけでも、父も、母も許されないことを
したと私は思っています。でも、詫び方が私、わかりません。私にできないことでもいい
ですから、おっしゃりたいことがあるのでしたらおっしゃってください」
山埼が口を開いた。「尚子さん。尚子さんが今おっしゃった、二つのこと。子供時代の
武雄と正平と入れ替わりと、大阪大空襲当日の出来事。それ以外のこと、お母さんから何
か、聞きませんでしたか」
「おっしゃってる意味がよくわからないんですが・・・」
「キモト君、と言ったね」
「はい」
「あなたが、連れてきてくれた。彼を。若い方の行動力には感心する。感謝もしている」
瑞樹は照れていた。尚子の不安は、瑞樹には伝わっていない。
「議員、いいですか」山埼は一時間分の内容を一行に込めたかのような訊き方をした。
ゆっくりと誠一郎議員は答えた。「私は話すべきだと思うよ、山埼。ここまでしてくれ
た若い人たちに、隠すのはいけないことだ」
「同感です。尚子さん」
335
「はい」
「もうひとつ、大きなお話、大変なお話があります。ただし、それをあなたが知ったから
といって、あなたの家族のこれからに、ひびが入ることは断じてありません。私たちはこ
ういう仕事をしておりますもんで、気持ちを隠すのはお手の物です。あなたが知ったこと
だけをメインに、私たちは聞く側になって、にこやかにこの時間を楽しむ。それも簡単
だ。
でもね、あいつ。まさか来るとは思わなかった。ぼっさん。ええ、懐かしいですよ、そ
の言葉も。あいつがここに来たから、私たちは気持ちを隠せなくなった」
「でも、正平さんは目も見えないし耳も聞こえません」
「そういう問題じゃない、尚子さん。いいですか。あいつのこれからは、安心してくださ
い。今の老人ホームからすぐに出します。ですから、尚子さんはこのまま去っていただく
か。それもありです」
横で誠一郎が大きくうなずいた。
「お母さんの意思を尊重するのなら、このまま帰るのもありでしょう。しかし」
「そうだ。私も山埼と同じ気持ちだ。尚子さん、あなたのお父さんと、そして叔父につい
て、そしてお母さんについて、全部知るべきだと、私は思う。この私も、大きく関わって
いることなんですよ」
「何のことだか、私わかりません」
「どうしますか。帰られますか。聞かれますか」
「・・・聞きたい、です。私が生まれる前に、何があったんですか?」
山埼と誠一郎議員は顔を見合わせた。
「尚子さん。てっきり私たちは、あなたがすべてをご存知だと、すべてをお母さんから聞
いたものだと解釈していました。
どうやら、そうではなかったようです。お母さんの・・・お父さんに対する愛情、と思
いたいですがね。
お母さんは真実を話した。それは間違いありません。しかしそれは、お母さんにとって
の真実です。真実はそれぞれ、受け取り方があります。真実の色は、それぞれ違います。
今から話すことは、事実です。色が付かない、たった一つしかない、事実です。誠一郎議
員も昨晩、初めて知ったことです。私が、長い間隠していたことです。
336
さっき、議員は言いました。自分の実の両親が死んだことについて、そんな昔のことは
どうでもいい、と。実際の話、どうでもいいわけがありません」
誠一郎議員が継いだ。「そうですね。もっと昔に聞いていたとしたら、おそらく私も困
り果てた。怒り狂ったかもしれない。でも今は。今、聞いたから。今、聞けたから。天の
采配でしょうか。昨晩、私が山埼から聞いた話ですが、私は何もかも許す気持ちになっ
た。許すというのも変だ。とにかく、戦争を憎みこそすれ、あなたのお父さん、お母さ
ん、そこのぼっさん、誰も私は憎んでいない」
「では話します。尚子さん、よく聞いてくださいよ。
近藤正平の正体は、稲垣武雄でした。長い間一緒に仕事をしていた私は、そのことを武
雄から聞いていました。あいつが入社してきたときから、知っていました。
本当の正平、つまり蓬原家での近藤議員のお兄さん、蓬原正平は、行方不明ということ
になっていました。正平の居場所を知っていたのは武雄と私と、名誉会長だけです。すべ
て名誉会長の意向でした。
でもね、尚子さん、この本ですよ。
特に第百章と、後書きが効き過ぎた。もう議員にも黙っているわけにはいかない、と思
ったんです。すべて、あなたのお父さんの導きです」
「いえ。入れ替わった父が悪いんです」
「だから。尚子さんは事実をご存じありません。
尚子さんがおっしゃる、二人が入れ替わったというのは、戦争直後、議員がまだ赤ん坊
だった時期のことでしょう」
「もちろんです」
「・・・私たちの話はなおさら、尚子さんに衝撃を与えるものかもしれません」
瑞樹がいつの間にか姿を消していた。
「いいですか、尚子さん。私たちも、大変ずるいことをしたかもしれない。あなたのお父
さんもずるいことをしたかもしれない」
「待ってください。さっき言ったばかりの言葉をひっくり返すようですけど、誰が悪いと
かずるいとか、そんなことよりも、正平さんに安心の老後を約束していただきたいんで
す」
「だからそれは任せてください。もう心配要りません」
山埼はネクタイを緩めた。
337
「一気に話します。質問はあとで。よろしいですね」
母に聞いた以上に衝撃的な話などない。もう何を聞いても自分は驚かない。尚子は頷い
た。
「雑誌記者が来てから、あなたの家のことを調べ上げ、こちら側の人間を行かせたのは私
です。稲垣武雄が今どういうふうに暮らしているのか、まったくわからなかったものです
から。そこで稲垣武雄が亡くなったことを知りました。
戦争直後、稲垣武雄が蓬原正平として、近藤家に入ってきた。そして当時の近藤石油
で、創業者の息子として会社を背負っていくべく、帝王学を学んだ。そして私が近藤議員
と一緒に仕事を始めた頃には、稲垣武雄は、もう会社になくてはならない人物でした。素
晴らしい仕事ぶりでした。
あの時期、ネイティブの英語を話せる人間は大変少なかった。武雄は一種天才めいたと
ころがありました。海外在住経験もないのに、若い頃から完璧な英語を駆使し、会社をさ
らに大きな場所へ導いてくれたのです。アメリカ、アラブ首長国連邦、ドバイ、何度も私
は一緒に行きました」
「待ってください、それはおかしいです。父は外国に行ったことは一度もありません。父
は英語音痴で、昔から好きな洋画も全部日本語吹き替えで観ていました。父は英語なんて
一言も話せません」
「あなたの質問、疑問も想定済みでこの話をしております。ですから質問は後にしていた
だきたいのです。まだ本題に差し掛かっておりません」
「すみません」
「幼い近藤議員と兄弟として育ち、一番近い場所で、仕事、遊び、いろんなことを議員に
教えたのは誰あろう、近藤正平こと稲垣武雄さんです」
誠一郎もまた聞き手になっていた。山埼は続ける。
「友原響子さん、あなたのお母さんでした。近藤正平の正体が稲垣武雄であることを、議
員と会長に告げたのは。告げ口するような真似をしたのではありません。お母さんもま
た、私たちに近い場所にいました」
「お母さんも、近藤石油で仕事をしていたのですか?」
山埼は尚子の質問に答えなかった。
「あなたのお母さんと、武雄が、大輝社長に直接頼んだのです。
338
場末のアパートに住み、働く気も失せた蓬原正平を何とか助けてやってくれ。あのまま
では身体を壊して死んでしまう。本当は彼が近藤家に養子に来るはずだったと」
母から聞いた話と少し違うようだ。
清一郎議員は目を閉じている。尚子と山埼のやりとりを全身で聞いているようだった。
「当時の社長、近藤大輝は裏切られたと嘆きました。身分を偽ったことではありません。
武雄は、馬鹿正直にも告白したのです。大阪大空襲の日、誠一郎の実の両親であり、そし
て会長の実の姉である人間を、座敷牢に閉じこめた話を。そんなこと、言わなくていいの
に。
言わなくていいことを言う、そういうところがありました、あいつには昔から。会長は
そして近藤正平、すなわち稲垣武雄を勘当しました。
あのとき、納得しなかったのはこの私です。私の名前ですが、山埼はじめ。はじめって
のは漢字で始まる、と書くんですが、ひらがなで、山埼はじめ。当時、私は大輝社長の援
助で市会議員に立候補した。そして落選しました。
仕事をすべて投げ出しての選挙活動だったので、会社の人間には大きな迷惑をかけまし
た。落選と聞いて、会社の人間は笑いました。
しかし武雄だけは違った。私が不在中に私の仕事をすべて請け負ってくれ、そして私に
仕事を返してくれました。私は会社を去るつもりだった。武雄に引き止められたのです。
奴は私の恩人になるんです。そんな武雄が、近藤家を勘当されて、会社もクビになる。
そんなこと、私が認めません。
武雄は確かに身分を偽って近藤家に入ってきましたが、結局仕事ぶりでも、会社に多大
な利益をもたらした人間だったのですから。
大阪、上本町のスナックで、私は、会社を去る気になった正平こと、稲垣武雄を呼びつ
けました。長い間話をしました。
そして武雄は本来、近藤家に来るはずだった本物の正平をそこに呼んだんです。
それはもう、驚きましたよ。あそこで初めて、私は二人に会いました。双子だからそっ
しじゅう
くりなのは当たり前だが、四十であそこまで同じの双子など、私は知りません。
ただ、蓬原正平はかなり薄汚い格好をしてました。普通に仕事をしている人間ではない
のは、一目瞭然だった。武雄は、投げやりになってました。何もかも捨てて、東北の田舎
で暮らす、などと言ってました。
339
薄汚い格好の正平もまた、武雄を引き留めました。勘当されて引き下がるな、会社を辞
めるなと、必死で武雄を宥めていた。昔からものすごく、仲の良かった兄弟だったんでし
ょうね。
武雄はあんまり飲めない酒をがぶ飲みし、私らは話し合い、喧嘩し、懇ろにしていたそ
の店の主人が帰ってもなお、私たちは座敷で言い争いをしていた。
武雄は会社に戻ることを拒みました。社長が自分を許すわけがない、と言いました。私
と、そして本物の蓬原正平は何度も何度も、武雄を説得しました。
何がきっかけ、原因だったかわかりません。私も覚えていません。
蓬原正平と、私が取っ組み合いになりました。武雄は私たちを止めたんだと思います。
その店は、三階にあったのですが、腰から下の、はめ込み式の窓が貧相な造りで、それが
外れたのです。武雄はそこから落ちたんです。
武雄はかろうじて息があった、という状態でした。口から血を吐いていました。タクシ
ーですぐに病院へ連れて行きました。
武雄は打ち所が悪く、脳挫傷という診断でした。何週間も入院しました。命こそ取り留
めましたが、結果、光を失い、続いて音も失ったのです」
「・・・私はその時、アメリカに留学中でした。そしてこの話を聞いたのがつい昨日、昨
日の夜です。兄さんが大きな怪我としたと聞いて私は留学を中断して、すぐに帰って来ま
した。しかしそんな情だったというのは当時は教えてもらえなかった。昨日、初めて聞い
たのです」近藤議員は頭を垂れた。
尚子は大いに混乱した。
「ちょっと待ってください。正平、武雄、どっちがどっちのつもりで話されてるんです
か。混乱してます」
「・・・私だって、かなり混乱しましたよ」誠一郎がつぶやいた。
「しっかり聞いてください。光神石油で二十年に渡って多大な貢献をした稲垣武雄さん
が、脳挫傷で光と音を失った。その後も、ここにおられるように。ずっとそのままなので
す」
何を言うのか。
真実どころか、無茶苦茶なことを言っているではないか。尚子の頭は混乱を極めた。
「間違ってます。光、音を失っているのは正平さんです。父じゃありません」
340
「はい。確かにあなたのお父さんではない。しかし光と音を失ったのは、そこにいる稲垣
武雄さんなんですよ、尚子さん」
「わかりません。わかりません」
「落ち着いてください、尚子さん。正平と入れ替わって近藤家に入った武雄は、大きな障
害を持つ身体となった。今そこにいる人物です」山埼は、野方に指をタイプされているぼ
っさんを目で示した。
「武雄は当時、無職であった正平と、二十数年ぶりに再び、入れ替わったのです」
「じゃあ・・・お父さんは。私のお父さんの、本当の名前は」
「はい。あなたのお父さんの本当の名前は、蓬原正平です。お父さんたちは、再び入れ替
わったのです」
「そんなの、信じられません! 山埼さんも近藤さんも私、許せないです」
「私たちが導いたとお思いですか。違います。
武雄が命を取り留め、その後正平は二か月三か月、毎日、武雄を見舞いました。
無職の正平に、稲垣武雄として生きていくことを提案し、勧めたのは病床の武雄、本人
だったのですよ。今度は、おまえが一般人として生きていく番だと。
正平は当然断りました。
直後、病床の武雄は、自殺を試みたんです。二度も。このときです、武雄の耳も聞こえ
なくなったのは。
ついに、正平は了承しました。
稲垣家の戸籍は戦争で焼失しており、そのままになっていました。
私が、戸籍の再製手続きに立ち会いました。あなたの家の、戸籍です。世帯主は、稲垣
武雄。しかし本当の名前は蓬原正平です。間違いありません。稲垣武雄と蓬原正平は四十
歳の時、二度目の入れ替わりを果たしたのです」
「・・・お母さんは、それ、知ってるんですか」
「はい。よくご存知です」
「じゃあ、この本、この本はどうなるんですか? これは間違いなく、父が書いたもので
す!」
「はい、間違いなくあなたのお父さんがお書きになったものです。蓬原正平が、稲垣武雄
として、この自分史を書いたのです。
341
子供の頃の話は、あくまでも活発だった武雄の視点で書かれています。そういう意味で
はさすがで、素晴らしい文章力だ。私はそこに泣いた。大泣きしました。驚きの連続でし
た。口縄坂で、リヤカーで暴走した話。私がかつて、そこにいる稲垣武雄の口から聞きま
した」
「あり得ません。私の父が、愚連隊になってしまった正平さんだと言うんですか。違いま
す」
「まずあなたがおっしゃった。お父さんは英語音痴だったというお話。それも証拠の一つ
です。私が長年一緒に仕事をしていた稲垣武雄は、語学の天才でした。
この本を書いた人物は稲垣武雄ではありません。あなたのお父さんは、つまり蓬原正平
その人です」
「私、いったいどうしたら・・・」
尚子は放心状態になった。
山埼に代わって、誠一郎が答えた。
「どうしたらも何も。尚子さん、よくお聞きなさい。
尚子さんのお父さんが、あなたが生まれてから、途中で入れ替わったというわけじゃな
い。
尚子さんのお父さんは、ずっと同一人物だった。すべて、尚子さんが生まれる前の話な
んだよ。いいかい。武雄、正平、あなたにとって、名前は関係ないのです。あなたのお父
さんは、ずっとあなたのお父さんだったんです。
もしお父さんがこれを残さなかったとしたら。今こうして私たちとあなたが会うことも
なかった。
あなたの生まれる前、双子の兄弟にお父さんは名前をもらった。ただそれだけの話にな
ります。もう一度言いますが、すべて、あなたが生まれる前の話だったのですよ」
「・・・光神石油で働いていたのは私の父じゃなくて、そこにいる正平さんだったわけで
すね。ぼっさんだったわけですね。そして、戦後ずっと、愚連隊まがいのことをしていた
のが、私の父だった」
「そのとおりだが、尚子ちゃん。お父さんは、悪い人だったかい?」
「・・・好きなことをやって暮らしていた父でしたが、お酒は飲まず、ギャンブルもせ
ず、タバコ吸う程度の、生真面目な父でした」
342
「若い頃の正平、あなたのお父さんは、酒は飲む喧嘩はする、賭場を仕切って生計を立て
ていたような時期もあった。
だからこの、自分史の内容なんですよ。
お父さんは素晴らしい歳の取り方をしていた。正平は、武雄のあとを継いだんだ。非科
学的な考え方をすれば、武雄が乗り移ったような人生になる。お父さんは、つまり蓬原正
平は、本当に稲垣武雄になったんだ」
「でも、でも・・・それなら可哀想すぎます。今の正平さんが」
「大輝社長が武雄の入院費用、そしてその後の暮らしの一切の面倒を見るつもりだった。
大阪の田舎の施設から脱走して、新世界のドヤ街の汚い病院で、寝たきりになっていた武
雄を東京へ転院させたのは、一転して情に目覚めた大輝社長の意向です。
武雄は何年か、八王子の病院で暮らしていましたが、その後、目も耳も駄目なのに、一
体どういうふうに病院を脱走したのか、行方不明になりました。
何年も、私は探しましたよ。そうしたら、どういうわけか名古屋の施設にいた。そこか
ら武雄を出しました。知った理事長がいて、便宜を図ってくれるというので、大阪、箕生
の緑風園という施設に武雄を入れました」
「違うんです。昨日、違う施設へ送られました。特別養護老人ホームです。酷い施設なん
です」
「はい。それもわかってます。緑風園に会長が寄付金を入れてるはずなんだが。ひょっと
したら会長も加齢のせいで危うくなっておられるのかもしれません。手続きがおかしくな
ってるのかもしれない。しかしそこは安心してください」
そこで、正平に指点字を教えているはずの野方が話に入ってきた。その様子はなかった
が、話を聞いていたようである。
「すみません、横から。私が感じた疑問点ですが。
おっしゃられるように、そこまでそっくりな双子を、あなたたちはどうやって見分けた
のですか。武雄さんと正平さんの間で、二人だけしか知らない、何らかの作為が介在する
可能性。それが無かった、とは言い切れませんよね。いえ、邪推のようですけど、人それ
ぞれの真実のように色が付かない、事実というものがやっぱり一番大事だと、私も思うん
ですよ」
誠一郎が応えた。
「尚子さんもそう思われます? 思われますよね。
343
尚子さん、少し話を戻します。
上本町の居酒屋で、兄貴から直接聞いた話です。いまだによく覚えてますよ、ええ。
彼らは着ていた服はまったく違った。店の大将に言って、髭剃りを借りたんです。悪乗
りもあったでしょうが、正平に頼み込んで、伸びた不精髭を剃ってもらいました。そうし
たら。
あまりの相似に、私は、若い頃どうやって、他人は二人を見分けていたのかと聞きまし
た。私が訊いたんです。
薄汚い格好をしていた正平は、腕を捲り上げて見せてくれました。
どうです。尚子さんのお父さんの腕に、傷がこう、縦向きにたくさん、ありませんでし
たか。大きな手術でもしない限り、あんな跡は消えない。何度も何度も、かわいそうに、
蓬原家で家庭教師に叩かれてできた傷なんです。ちゃんと、本にも書いてあるじゃないで
すか」
そこで尚子はすべてを理解した。
母の話とは比べ物にならないくらいの衝撃だった。
父の腕には、細い傷が確かに縦向きに、いくつもあった。傷跡が平行に揃っている、不
思議な傷跡だった。はっきりと覚えている。父は確か、自転車で事故を起こしてできた傷
だと言っていた。
尚子が中学生の頃。父がふざけて腕にマジックペンで横線を書き、その傷の跡であみだ
くじを作った。英司は笑い転げていたが、尚子は引いてしまったこと。
「その傷が・・・」
「そう。若き頃の正平君である何よりの証拠です。帝大の家庭教師に何度も何度も、鉄の
物差しで叩かれてできた傷です。ちなみに、そこにいる武雄の腕はきれいなもんですよ。
武雄以外にも、生き証人がいます。あなたのお母さん、響子さんです。
お母さんは二度、結婚されてます。同じ人間との再婚です。戸籍上はね。
一度目の結婚は、光神石油で仕事をしていた本物の稲垣武雄と。そこにいるぼっさん
と、です。
そして二度目の結婚は、あなたが生まれる数年前、本物の蓬原正平と。つまり亡くなら
れた、あなたのお父さんとです。
344
ここがあなたにとって、一番大事なところなんですがね。尚子さんに英司さん、あなた
方は間違いなくお父さん、つい先日亡くなられたお父さんの子供です。どうしても気にな
るのなら、DNA鑑定でもやったらいいでしょう。二度目の結婚は、あなたが生まれる三
年前です。武雄が完全に行方不明になっていた時期です。
なぜ武雄が自殺未遂をしたり、当時、障害ある身で病院や施設から脱走をしたのか、お
わかりですか」
尚子は下を向いたまま、首を横に振った。
「武雄は、自分の世話をして生きていくなんてことはやめてくれと願い、それでも響子さ
んは献身的に武雄の世話をした。目も見えない、耳も聞こえない。武雄は考えた。一生続
く介護です。老人ならいつまでも続かないでしょうが、当時武雄は四十過ぎ。このままで
は響子の幸せはない。
武雄を探したのは私たちだけではありません。響子さんもまた何か月も捜し続けた。そ
れでも武雄は見つからなかった。
武雄の願いは、響子さんと正平が一緒になること。武雄が病床で何度も提案した入れ替
わりは、そこも含んでいたのです。しかし響子さんの願いは、武雄をずっと介護していく
ことでした。
その後、響子さんは一年ほど、精神を壊されました。
そこに大輝会長が助けの手を差し伸べました。
徐々に気力を取り戻してきた響子さんは、蓬原初江さんの家に戻った。そこには、武雄
の名前をもらった正平が暮らしていました。
その数年後、あなたが生まれたのです。尚子さんが訊けば、もうお母さんも隠すことは
ないと思います。もっと詳しい話はお母さんからうかがってください」
父の本名は蓬原正平。
自分史を書いた父こそ、若き頃のぼっさんだったのだ。
蓬原正平が稲垣武雄と入れ替わり、響子と結婚し、そして生まれたのが自分である。
その母は父とは二度目の結婚であり、それ以前に本物の武雄と結婚していた。
尚子を優しく諭した近藤誠一郎の言葉は正しかった。
父が途中で入れ替わったわけではない。父は自分が生まれてから死ぬまで、ずっと尚子
の父だったのだ。
345
ぼっさんと野方が立ち上がって、前にやってきた。
画用紙は白紙である。ぼっさんがサインペンを使った形跡がない。
野方が汗を拭きながら、言った。
「補足ですが。いやあ、私の意見も混ぜまして。指点字をここまではっきり覚えてらした
とは、私は驚きました。教える必要などありませんでした。この方の言うことをメモに書
き留めました。
この人、以前、早々に指点字の勉強を投げ出したので、こうして私が来たわけですけ
ど、投げ出したんじゃなく、たった一日で全部マスターしてしまわれたんです。なんて人
だ。
今、短時間でかなり詳細な文章を伺いました。二重障害のある方とはとても思えませ
ん。
あのですね、ここに去年の診断書があります。正平さんの、いや、武雄さんですか、目
と耳は一切、その力を取り戻してはいません。私も驚いております。私の代わりにぜひ、
指点字の講師として活躍してほしいもんです。
えー、では、タケオさんの言葉を今から読み上げますね」
私の本当の名前は稲垣武雄
山埼君がここにいるということは、尚子ちゃんや英司くんにはすべてが伝わったのでしょ
う
山崎君と会えた。私にとってはこんなに嬉しいことはありません
もう、隠す必要もないでしょう
私からも言わせてほしい
近藤石油では、正平として仕事していました
懐かしいです
こうして私はちゃんと話せます
しかし、私が話せば、正平の家族が壊れます
だから一切、話さないとずっと、決めていました
私たちは二回も立場を交換したのです
運命のいたずらです
346
二回目の交換が私と、正平の人生を決めました
それは私が近藤の家から勘当されたとき、です
近藤社長には本当に悪いことをしました
空襲があったとはいえ、蓬原の家の三人を牢屋に閉じこめた、幼い頃の私の罪は消えませ
ん
こうして生きていることも本当は心苦しいことなのです
正平は私に裕福な暮らしを、与えてくれました
私は怪我をして、目も見えなくなり、それから、耳も聞こえなくなりました
次は、私が、正平に普通の暮らしを返す番だと思いました
正平に、更正してもらいたいと私は真剣に思いました
私は人生を正平に、あげました
山埼君は一緒に仕事をした戦友です
でも私はこういう身体になっても、若い子たちが親切にしてくれるから、幸せですよ
響子は私のことを許してくれるでしょうか
弟の誠一郎に会いたい
誠一郎は元気に仕事、していますか
近藤社長は、今もご健在なんですか
尚子は涙を拭いた。
「・・・野方さん、私にも指点字、教えてください」
「任せてください」
無二の兄弟が書いた本の内容をこの人に伝えるのは、私しかいない。
声をたてず、大泣きしていた誠一郎が立ち上がった。
ぼっさんこと、稲垣武雄の手を力強く握った。
「兄さん、オレやで。ひっさしぶりやなあ」誠一郎議員の口から何十年ぶりに出た、関西
弁だった。
「お、お、お」
近藤誠一郎に手を取られたぼっさんは、雷に打たれたような顔になった。視力を持たな
い黒目で、しっかりと誠一郎の顔を見た。
自分の、もうひとりの兄弟。何年経っても忘れるはずはない。目がそう語っていた。
347
「尚子さん」誠一郎が呼んだ。
「正平が書いた、武雄視点の自分史、もっとくださいませんか」
「すみません、もう一冊しか残ってないんです」
「新しく増刷させてもらいます。これ、文庫本みたいな本にしましょう。でもなあ。私、
今気づいたんですが、お父さん、ちゃんと、すべてを告白してるじゃないですか。たった
二行、八文字で。比喩ばかり使い倒して、最後にしっかり、事実を書いてた。一番最後だ
よ。ほら、ここ」
その部分を見た途端、ここ一か月、激しく上下した自分の感情が凝縮した。
尚子は号泣した。
ぼっさんがよたよたと歩いた。
尚子の顔を触った。
「なおこ。なおこ」
ぼっさんの表情は父そのものだった。
この人もまた、父である。
尚子はすべてを受け入れた。
部屋の外で、瑞樹が窓際の段差に腰掛け、足をぶらぶらさせていた。尚子は駆け寄っ
た。瑞樹の手を引っ張った。瑞樹は段差から下ろされた。
尚子は黙って、瑞樹を抱きしめ、胸に顔を埋めた。
「!」
瑞樹は両手を横に広げたまま、動けなかった。ベアハッグをかけられたような間抜けな
格好だった。
「ありがと。すべてうまく行った。瑞樹君がおらへんかったら、何もわからんかった。感
謝してるから」
「は、は、はい、こちらこそ」
第二十七章
終章・後書き
348
一か月後。
城門のような自動扉が来る者を威圧するこの建物は、関西でも屈指の豪華有料老人ホー
ムである。
近藤家が全額費用持ちで、ぼっさんはここで暮らしている。
そして瑞樹と尚子がいた。
瑞樹は介護職員として、そして尚子は看護職員としてここに就職した。以前、尚子に理
解を示してくれた西大付属病院理事長の口利きもあった。
晴れて瑞樹は、住民票を大阪に移した。
東京に住んでいた頃のややこしい借金の返済については、山埼がすべて面倒を見てくれ
た。
「今日、あんたの方がはよ帰るよね。あー、腰痛ててて」
立って洗濯物を干す尚子と、足元で体育座りをしている瑞樹。
力関係そのままである。
「うん、買い物行っとけってことだろ」
「ようわかってるやん」
瑞樹は真面目な顔をして尋ねる。
「なおちゃん、話、蒸し返すわけじゃないんだけどさ、まだお母さんには話してないんだ
ね」
「言ってないよ。お母さんの言葉は、お母さんの解釈。真実と事実。山埼さんの言葉、私
信じてるよ。私からは訊かん。いちいち裏付けとか、いらんし」
「四十九日法要も、堂々と稲垣武雄さんだったじゃん」
「謎はまだある。でも、もう暴かないでもいい」
「入れ替わり、入れ替わりってなんか、韓流ドラマみたいじゃんか」
「知らんわよ私、韓流ドラマなんか。韓流ドラマっていったら、トモさん」
「お寺のおばあさん?」
「うん、また会いに行ってこよ」
若い頃のぼっさんは正平であり、今現在のぼっさんは武雄である。ぼっさんは二人い
た。しかし自分史の後書きにあるように、兄弟の話があの自分史だ。
349
父の人生そのものもまた、二人のぼっさんによる共同執筆だった。それがわかった今、
これ以上の詮索は無意味である。
そして今回の騒動で縁ができた人たちとは、これからもずっと付き合っていきたい。
「なおちゃん、脳挫傷ってどんな病気?」
「アホやね。病気じゃなくて怪我よ怪我」
「脳を怪我するんだろ。そんな大きな怪我をして、今ぼっさんはあんなに元気。ねえね
え、尚ちゃんのお父さん、なんで同じ大阪府内にいるぼっさんに会えなかったんだろ」
から
尚子はコンクリートの段差に乾拭き用の雑巾を置き、腰を下ろした。
「私はきっと、会うてたと思うな。何回もきっと、会うてたと思う」
「だったらなぜ、何十年もぼっさんを探している、みたいなことをお父さんは書いた
の?」
「そこも謎やねえ。でも、そう書いたほうがドラマみたいやから。ベタなドラマとか、好
きやったからねー、お父さんは」
「僕は、会ってなかったと思うな」
「ぼっさんはぼっさん。これからはここでのんびりと暮らして、もう心配ない。それがす
べてと思う」
「でもバイオリン弾く、ってのがすげーって思ったな。元々、早くして亡くなったお父さ
んのお父さんに、バイオリンを譲り受けたのは、あのぼっさんだったのかな。尚ちゃんの
お父さんだったのかな。どっちかな」
絵美里が駆けずり回って、リサイクルに出したものを数々取り戻してきた。そのうちの
ひとつ、バイオリンは実家の仏壇の前に飾ってある。
「私のお父さんに決まってるやないの。お父さんはほんまに音楽好きやったで。あのぼっ
さんと違うよ、絶対」
「お父さんに、もっと文章書いてほしかったよな。俺、会ったことないけどさ」
「読んでたら、今でも混乱する。どっちが武雄でどっちがぼっさんやったのか」
「でもぼっさん、あれからすごいよ。毎日語る語る」
「タマちゃんも指点字勉強中。どうよ、ぼっさんのあのでれでれした顔。私よりもタマち
ゃんに甘えてばっかりで」
池端多摩も、病院を辞めて尚子に付いてきていた。
「ぼっさんまで自分史書き出したら、どうなるんやろ」
350
「それはそれで面白い展開だなあ」
「やっぱりいらん。これ以上混乱しとうないよ」
業者のトラックが、がたがた音を立てて駐車場に入ってきた。
「今井先輩、今頃どこ走ってんのかな。トラックの運転手なんか辞めて、先輩もこっちに
来てくれたらいいのに」
「あいつには驚かされたよねぇー」
「先輩、照れて何にも教えてくれないんだけどさ、そういえば、先輩が言い出したことか
らすべてが始まったんだよね」
「うん。今井さんが一番の恩人かもね。ぼっさんには」
小金井荘に囚われる形で数日いたぼっさんだが、初日に今井が訪問し、指点字で事の次
第を全部ぼっさんに伝えていたのである。そしてぼっさんから直接、すべての事実を聞い
す
ていたのだ。昔からぼっさんの素人間ぶりを見抜いていたのは、今井一人だけだった。
瑞樹は乾いた枕カバーを意味もなく振り回した。
「しわになる、やめなさい」
「僕には親も兄弟もいない」
「何やのいきなり」
「でも、今は家族がいる。いや、家族ができる予定。わっはっは」
「あんた、英司みたいな笑い方やめてくれる? あんたにはなんでか、大阪に染まってほ
しくない」
「そんな殺生な。尚子はん。わいもう立派な大阪人でっせ」
「しょうむな」
第百章
終章
最後をこういう文章で締めくくるとは、数年前には考えられなかったことである。
年齢でいえば、当然かもしれないが。
この冬は異常に寒く、寒がりの私には特にこたえた。と言っても日常の行動には何の支
障もなくやりこなしていた。
351
ただ、寝ているとやけに、口から喉にかけてカラカラに乾燥し、用を足したついでに水
を飲む。飲みたいから飲むのではなく、口中を湿らす程度で再び就寝する。
一晩に何度かそんなことがあったが、寝つきが良いのであまり気にかけていなかった。
間もなく喉の奥に、痛いほどではないか、違和感を感じるようになった。それは丁度、
魚の骨が突き刺さったような感じである。
それに、風邪でもないのに声が擦れがちになった。寝てもそれは治らない。
その内に治るだろうと高を括っていたが、念のためと長居公園近くの播磨病院で受診し
た。
半日がかりで診察の結果、喉の入口が腫れているとのこと。病院には耳鼻咽喉科が無い
ので、専門医に見てもらってはとのことで、振り出しに戻った。(二月二十四日、金曜
日)
翌日、所属の憩いの山岳会例会、天理龍王山のリーダーを無事勤め、二十七日、改めて
近所の坂口耳鼻咽喉科に行った。
簡単な診察の結果、大阪府立大学医学部付属病院の紹介状を持って翌日、阿倍野橋の同
病院の門を潜った。大阪屈指の大病院である。
その段階でも、私はただ面倒臭いとしか思っていなかった。痛くもないのに、大層に。
引退した老人でも私は忙しいのだ。
初診の手続きを済まし、看護婦さんに病状の質問を受け、耳鼻咽喉科の待合いに通され
る。
長いこと待ってやっと治療室に入り、診察を受ける。五十歳位の医師から喉や鼻から細
いチューブのカメラを差し込まれ、撮影された結果。
ご家族は一緒に来られてますかと聞かれた。
あれ?、と思った。
私ははっきりと医者に言った。
家族ではなく私の体だからはっきり私に言ってくださいと。
それでは、ということで、癌の疑いが多分にあります。それもかなり進んでいますと言
われた。
数時間前までは想像もしていなかった。予想外のことであり、頭の中が真っ白になっ
た。
352
それから毎日が針のむしろに座っているような気がして、何も手が付けられなくなって
しまった。
人生の持ち時間が少なくなっていることを日常の忙しさにかまけて忘れていた。天が与
えた危険信号かもしれない。
喉の干涸びや、違和感で夜中、幾度ともなく目を覚まし、中空を眺めていても何の良策
も浮かばず、益々落ち込むばかり。
そこで私は今、冷静な心を取り戻し身辺整理を始めている。
高槻にあるアルバイト、合唱団の練習、古文書教室、文章教室、憩いの山岳会の諸事
(山行のリーダー・幹事会・憩い山荘の管理等々)、いちょう大学(大阪市主催の老人大
学)卒業生有志の集い、音楽・日本伝統古典劇・映画などの鑑賞、迷い犬のボランティ
ア、ビデオ撮影、編集等々。
思いつくまま、徐々に白紙(休止)に戻しつつある。
特に山荘の管理は、深く関わりすぎていたので若干の異論、迷惑は避けられない。つら
い選択ではあるが、私は体第一と判断して敢えて実行しつつある。
現在、大分身軽になった。何もしないと余計に落ち込むので、定年から十六年間、拙い
文を書き続けていたのを纏めている。一週間ほどかけて膨大な量の文章を整理した。
病名が判明した。その名は『食道癌』。今後の治療方法も決定した。
四月からは集中的に放射線、抗ガン剤と併用し、様子を見ながらその都度対応していく
との所見。
私は如何ともしがたい現実をそれなりに心静かに受けとめている。今後は治療に専念
し、再び心身共に元気になって皆と合まみえ、休止している活動が再起動出来ることに深
く望みをかけ、厳しい道を克服していく覚悟である。
これから、いつ終わるとも知れない闘病生活が始まる。終わりとは、死ぬことを意味し
ているのかもしれない。
だが私には多くの友がいた。彼らに会うのも悪くない。
353
ただしまだまだ、彼らに会いに行くのはあと少し、先延ばしにしたいというのが本心で
かれこれ
ある。家族・親類には彼是と迷惑をかけることになるであろうが、私はまだまだ生きる。
決してあきらめない。
趣味、遊びは休憩。
しかし一つだけ、絶対に休めないことがある。
私の兄弟、正平を探すことである。
ぼっさんに会うまでは絶対に、死ぬわけには行かないのだ。
ひとま
『終章』と名打ったが、いい加減内容も増えてきたのでここで一先ずペンを置くという
ことである。暫しの休憩のあと、再び書き始めるつもりである。
次は『闘病記』を中心に書きたい。病に悩む御同輩の皆様の励みになるような内容にす
るつもりである。
平成二十三年十二月二十三日(金)
記
あとがき
人生、幸せでしたか? と神さんに聞かれるとする。
私は大きな声で、本当に生きてきた甲斐がありました、と神さんに返事するであろう。
馬鹿げた例えで申し訳ないが。
私はアメリカ映画「キング・コング」を三回、見ている。その三つの映画は、それぞれ
時代こそ違うが、同じキング・コングである。
354
最初のキング・コングは何と昭和八年。もちろん白黒映画である。私が四歳のときであ
る。実際はもう少し大きくなってから見たと思うが、私の記憶で、最もわくわくした最初
の体験である。
人形を撮影した写真フィルムを何千枚と連続してまとめ、動画にしたものだと聞くが、
子供の目にはひたすらリアルで恐く、そして最後は高層ビルから落ちるキングコングが可
哀想で泣いた。
二回目のキングコングは昭和五十一年。勿論カラー・シネラマであり、まだ赤ん坊であ
った娘を妻に預け、今はもう故人であるが妹の旦那、晴夫さんと見に行った。
一体どのような特撮かと思えば、パンフレットに書いてあることには、原寸大、つまり
十メートル以上の実物を機械で動かして撮影したというのだから、それは本物に見えるは
ずだ、と当時は思った。
そして三回目は、ついこの間のように思われる平成十七年、ピータ・ジャクソン監督の
キング・コング。
特撮がどうのこうの、そんな次元ではない。凄いとしか言い様がない。七十をとっくに
過ぎた私が子供に帰った。
キングコングに限らず数々の映画の名作、私が好きなアクション映画の数々。
とにかく、こんな映画を作る国と日本は戦争をしていたのだから、何と馬鹿らしい戦い
をしていたのか。
戦争を体験した私だから言っても許されることだと思うが、日本は戦争に負けて当然で
あり、勝てるはずがなく、国民が皆殺しの目にあわなかったのはアメリカの情けだという
気すらする。
断片化した思い出を手繰れば、戦争が憎い。外人が憎い。敵機が、憎い。そう感じたこ
とが思い出される。
しかし憎しみはもう、記憶の彼方である。
いまだ憎しみを語る人たちもいる。私などよりもずっと優れた力量で本を出版する方た
ちがいる。反戦映画、という範ちゅうに入る映画もいまだにある。
その方たちの語ることもまた真実である。
私も同じような体験をした。ただし私としては、繰り返すが、すべて恩讐の彼方であ
る。
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子供時代、苦しかったことをこの本でも数々書いた。その意図は、同じ時代を未来永
劫、決して日本という国が繰り返さないこと、それを祈りたい。ただそれだけが私の希望
である。昔の恨み辛みを言うくらいなら、今現在、戦争している国の人たちに思いを馳
せ、早く戦争など終わるように祈りたい。昔は昔、今は今、そして何よりも大事なのは未
来。
改めて、最初のキング・コング(500円で売っていた)と、実に七十二年を経た最新
のキング・コング(娘からの誕生日プレゼント、人形付き)をDVDで鑑賞した。
私は激動の時代を生き抜いてきた。
映画は交通、金融、食物、その他すべての文化を表現する。私の世代こそ、最も濃い文
化の変遷というものを頂戴した世代ではないだろうか。映画だけではなく自動車。テレ
ビ。携帯電話。何もないのが当たり前だった時代から、何でも普通にあるという時代へ。
ずっと都会に住んでいる人間は都会の便利さをわからずに、文句を言って暮らす。
それと同じで、現代という都会に生まれ、育ち、さて、今の子供たちが私のような老人
となったとき、感動は如何ほどなものであろうか。
八十年近く生きてきた、ということが、何にも勝る贅沢だったと、私はひしひしと思
う。こんな贅沢な世代が、過去にあっただろうか。未来にもあるだろうか。
私自身は、幸せなこともあり、悲しいこともあった人生である。しかし私は神さんに言
いたい。
本当に生きてきた甲斐がありました、と。
<読んでくださった皆様へ>
製本会社から出来上がってくることを夢見て。
すべては病気から回復してからの話である。
久しぶりに文章を書いている。半年ぶりである。
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医師は持って二ヶ月と言ったそうだ。先日妻から聞いた。そのタイムリミット六月をと
うに過ぎ、暑い夏を過ぎて、今は真冬である。私は今こうして、犬の散歩をすませ、ワー
プロに向かっている。
何故かメロンが食べたい。が、流動食の身には高望みである。
体はかなり細り、体力は減った。一時はワープロの前に座る気力もなかった。
抗癌剤のせいで横にわずかに残った毛までもがすべて抜け落ちたが、先日、毛が生えて
きているのを息子の嫁が発見した。我が事のように喜んでくれた。体重も少しながら増え
てきた。
持久力がほとんどなくなったが、日に一度の外出、そしてワープロを触る程度はできる
ようになった。
抗癌剤治療が一段落してから、頭がぼうーっとすることがなくなった。あれから解放さ
れただけでも感謝である。
医者は大丈夫ですよ、としか言わないが、何が大丈夫なものかと思いつつも、抗議など
しない。
果たして最後の足掻きか、回復か、自分でもわからない。
死に対する恐怖も、生への執着も、双方乗り越えたような気持ちである。寝ているとき
が一番幸せで、楽だ。
どうなろうと、なるしかない。前向きでも後ろ向きでもなく、運命を私は受け入れる。
本のタイトルは『四季つれづれ』。
十年以上、本のタイトルについてはあれでもない、これでもないと悩み続けてきたが、
ほんのさっき、すんなりと頭に浮かんだ。
何の予備知識もない素人が作成したので、他から見れば退屈な文をだらだらと列記し
た、駄文集の類かも知れない。自己中心の年寄りの戯言を列記したに過ぎないかも知れな
い。
だが、私には定年退職後、20年近くの間は過去を振り返るのに良い機会で、思いつい
たら即実行で、今日までペンを走らせた。正しくは、ワープロの文字盤を叩き続けた。毎
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週、曜日を決めて書いていた時期もあったし、一ヶ月程何も書かない時期もあった。
そして文章教室の富山先生がいらっしゃらなければ、この文集は存在しなかった。時に
は語らい、時には叱られ、若い頃に勉強を投げたことがある私を、色々と助けてくださっ
た。この場を借りて感謝を申し上げたい。
何時の間にかこれだけの量が出来ていたと言う、何とも呆気ないものでありながら、
(正確には)十七年の間に書いてきたボリュームは、手前味噌ながら圧巻である。
一編一編を独立した短編集にまとめたことが唯一の救いか。これならまだ読みやすいと
思う。
大河小説のような自分史を書く技量は残念ながら私にはなかった。
読みづらい編の飛ばし読み、退屈しのぎの拾い読みなど何れも結構。この世に生きた証
が判れば良い。
後世の誰かが私の存在を知り、その又後世に語り継いでくれれば、それに越したことは
ない。
自己満足ではあるが、何故だか私は書き続けた。意味のあったことだと、そう思ってい
る。
癌などに負けてたまるかと、入院前は思ったが、こうして二ヶ月と言われた余命が八ヶ
月、九ヶ月と延び、不必要な闘志が薄れた。
癌には、ちょっと休んでおけ、そこらへんで遊んでおけと言いたい。
あと少し、やるべきことが済んだら、とっととあの世へ連れて行きなさい。そういう気
持ちである。偽らざる気持ちである。
<大いなる感謝を>
私には、三人の大恩人がいる。
できることならあなたたちにも会いたいが、あなたたちはしっかりと今を生きていらっ
しゃる。私などよりも、遥かに大きく生きていらっしゃる。
私は陰から、そして心から幸あれと応援させていただく。
あなたたちのおかげで私は、もはやあきらめていた家庭人になることができた。
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国を動かす立場にいらっしゃるといっても過言ではない三人の恩人たち。名前を書けな
いのは、どうか許してほしい。
そして身近過ぎる故この一冊でほとんど書けなかった妻のこと。
この一冊は妻に捧げたい。照れくさいので口で言えることではない。二人分の人生を背
負ってくれて、本当にありがとうと言いたい。
妻がいなければこの自分史どころか、私のこの人生そのものもなかった。
決して大きくはない家庭であるが、私は本当に家族にも恵まれた。家では仏頂面をして
いることも多かったが、それは、家が一番落ち着く、まさに終生の庵であると考えていた
からである。家族には一番、感謝の気持ちを感じている。
最後に。
この本は私の兄弟との共著としたい。
君がいなければこの本はない。私が自分の人生を書くことはなかった。
いや、私の人生そのものもなかった。
兄が道路を敷き、弟が舗装をした人生。君は兄でもあり、弟でもある。
私の道はもう終点が見えてきた。しかし君の道はまだ続く。細い道をしっかりと、長く
歩いてゆけ。
また、ジャンジャン横丁で串カツ食べに行こうな。昔に戻って遊ぼう。
一先ず、読んでくださった方には、拙い文章に御付き合い頂き有難う御座いました、と
心からの礼を述べたい。
また会いましょう。
平成十八年
十二月吉日
稲垣正平
稲垣武雄
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辿る坂道
<了>
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