相模原市立環境情報センターエコギャラリー企画展 大船渡・南フランスの子どもたち・若きアーティストそして相模原 アーティストインタビュー 宮崎敬三 (アートディレクター・写真家) 斉藤: 「震災から一年ということで環境情 報センターでは、2012 年 3 月 11 日~5 月 13 日にわたり復興支援写真展を開催しました。 そこで宮崎さんには展覧会のディレクションを行っ ていただいたわけですが、そこにいたる経緯を教え ていただけますか?」 宮崎: 「まず私が新沼さん(昭和 35 年大船渡市 盛小学校卒同級会)たちと一緒に、相模原の大野北公 民館で復興支援写真展をやっていたときに、環境情 報センターの斎藤さんが観に来られて、次は環境情報センターで展覧会をしませんか?と声 をかけてくれました。」 「環境情報センターのギャラリーを見にいくと、人間にとって心地よい木の素材で、できた 椅子や大きなテーブルが沢山置いてあり、それらを見てここでは普通の写真展ではないこと ができそうだなと思いました。そこで最初に浮かんだアイデアが大船渡ラベンダーを使った 展示構成でした。 前回の展示で、ラベンダーが大船渡にあるということを、物販スペースを見て初めて知り ました。そんな意外なものがあるの かと興味を持ちました。物販をされ ていた方に話しかけてみると、ラベ ンダーウィンドというグループで 復興支援をしている方たちでし た。」 「活動内容は被災地の避難所、仮設 住宅を回って、コンサートを開催し て、そこに住まわれている方々とお 茶を飲みながらラベンダーのサシ ェ作りをして出来上がった製品を、 復興イベントで販売しているとの ことでした。そのひとつの出来上が った仕組みがすごく美しいと思いました。ラベンダーは作業中もハーブの効果で癒され、そ こに歌があり、お茶を飲んだりしてコミュニケーションがうまれます。そこにすごく感銘を 受けて、展示参加を依頼しました。」 「ラベンダーを主軸に展示を構成して、前回に引き続 き南フランスから支援している渡辺さんにも出品して いただき、京都にいる私の仲間にも参加してもらいま した。それぞれの立場でできる表現というのを集結さ せて、それぞれが想像していなかったところに展覧会 をもっていくにはどうしたら良いか、他にはないイベ ントにするには何が必要なのかを考えました。」 斉藤: 「展覧会期間中、色々な取り組みがありまし たけどそのなかでも印象に残っていることはありますか?」 宮崎: 「やっぱりコンサートは展覧会でも一番肝のところ。そのコンサートのなかでシ ダユキさんのお母様についての新聞記事の朗読がありました。シダユキさんのお母様の最後 の行動。」 「ユキさんの娘さんを車に押しこんで『生きよバンザイ』と叫んで波に流されていったと いう、その最後の…なんというか…現実として最後の時を迎える人間の凄み、その話は胸に 刺さって、もう言葉が出ないです。」 「そのあと大船渡市出身の土井尻さん(ラベンダーウィンド)の歌があって。それも要するに 目の前の人間の凄みですよね。目の前の人が声を出すとか、視線が合うとか、それは生きて いるという証…。」 「マイク等を通さずに歌声が館内に響き渡りました。『生きよバンザイ』っていう言葉…コ ンサートに来られたお客さんも、その 言葉を胸に残しながら歌を聞いていた と思います。実際涙を流している方も 多数みえました。今回あらためて感じ たのは、たくさんの表現、歌や芸術と いった表現というのは、それは生きて いるからできることであって、生きて いるのであれば惜しみなく表現すべき だということ。」 斉藤: 「コンサートはお客さんの確 かな反応もあって大成功でしたね。」 宮崎: 「どうやって『人』に届けるか をみんなで考えました。もちろんそのな かのスタッフさんには大船渡出身の方 もいて、その人たちと一緒に活動できた ことが、なにより私にとって嬉しく、と ても幸せなことでした。みなさんそれぞ れの立場で行動している方というのは、 自分で楽しんで支援していて、とてもい きいきとしています。そういう人たちと いると、自然と元気が出てきて自分も負 けないようにと思う。 それを関わった人たちみんなが感じ たと思います。そして土井尻さんのイン タビューにもあったような『共鳴』とい うのが生まれていくのだと思います。」 斉藤: まさに『共鳴』したコンサートでした。コンサートに向かっていろんな人が携わっ てきてカタチになり、共鳴し、感動につながりましたね。宮崎さん、これからの活動などあ れば教えていただけますか? 宮崎: 「具体的に決まっていることが一つあります。それは、大船渡で偶然出会った人 たちと、次は仲間としてもう一度集まろうということです。一年経って支援の輪も『これぐ らいに大きく膨らんで帰って来ました』というイベントを七夕祭りに合わせて開催します。 南フランスの渡辺さんも日本に戻ってきます。被災地の事を忘れないよう、また向こうの人 たちと一緒にイベントを作りあげたい。そこでまた予想していなかったような『共鳴』が生 まれたらすごく嬉しいですね。」 斉藤: 「そうですね、今回は、音としても共鳴でしたが、いろいろな取り組みがこれかも 響きあうと良いですね。」 宮崎敬三 京都精華大学芸術学部卒 2011 年 7、8 月東北被災地に出向き記録撮影する。 2012 年 1 月から京都、神奈川で震災写真を軸にした展覧会 が続く。 田中真吾 (写真家) 斉藤: 「今回、南三陸を撮られたということで すが、写真はどんな想いをもって撮られたのです か。」 田中: 「今回の写真は、宮崎くんと、また別の 作家さんの手伝いで南三陸のほうに同行する機会 があって、その時に撮影した写真です。実際に、 向こうに行くまでどういう状態であるのか、まっ たく分かっていなかったので、とりあえずカメラ だけもっていこうと思って…。」 「向こうにいる間はほとんど作家さんの手伝いだったので、撮影している時間はそんなにな かったのですが、あまりにも被害がひどく、現実感とかけはなれていたので、なんとかそれ を留めようという感じでシャッターを切っていた感じです。」 斉藤: 「今回被災地に行って、みなさん色々な事を考える事が多かったと思いますが、南 三陸に行かれた田中さんは何か感じた事などありますか?」 田中: 「震災があったとき、大阪にいたので、テレビでしか見てなかったのですが、テレ ビに映っている映像と自分の身の回りの日常とのギャップがとても大きくて、そういうとこ ろから日常の感じ方が変わったかなと思います。実際、向こうに行っていろいろ考えました が実際は、まだうまく言葉 として纏まらず外に出せ ない状態で…。」 「そして今回、この展示の 機会をもらったので、少し でも写真を人に見ていた だいたり、壁に並べたりす ることで、自分でも整理を しようと試みました。『こ れから』というところで す。」 宮崎: 「まず私が撮影した記録写真はすべ て 2011 年の夏の写真だったので、2012 年の今の状態、人が生活しているというとこ ろから、かけはなれたような、無人の物悲し さの風景。それを写真で伝えてほしいと田中 くんには、お願いしました。展示が美談だけ で終わらないよう、現実は現実として見ても らおうと…。」 斉藤: 「雪がすごいですよね……」 田中: 「そうですね、一晩でだけでもかなり積りましたから。4日間、滞在していました が、最初の2日間は雪が積もっていませんでした。2日目の晩に雪が降って、3日目の朝起 きたらあれだけ真っ白になっていました。雪が降ると全て、本当に何もないというか、地面 も倒壊した建物も全て隠されて、白一色になっていることに驚きました。」 斉藤: 「一年経っても、まだ何もない状態ですよね…」 田中: 「何も変わっていない状態ですね…」 斉藤: 「今回参加していただいた企画展ですが、立体的な組み立てというか、平面的な 写真展ということだけではなくて、コンサートを開いたり、展示もあり、お菓子もあったり とか、そういうものを今回、環境情報センターで、普通の美術館とは違った展示を試みたの ですが、参加していただいてどうでしたか?」 田中: 「おもしろいと思いました。 さくら祭りが行われていたというこ ともあったと思うのですが、色々な年 齢層の方々に気軽に見てもらえたの が、すごく印象的でしたね。美術館と は違った関わり方が出来る可能性を 感じました。」 斉藤: 「今回参加することに何か特 別な思いはありましたか?」 田中: 「年末年始に宮崎くんの展覧 会の手伝いで被災地の写真の編集な どをしました。その後 2 月に別の作家さんと南三陸に行ったのですが、その人から話が来 た時も、年初めに宮崎くんの手伝いで間接的に震災に関わっていたので、『何かの縁かな』 という気持ちで行きました。そしてまた、その南三陸行きに対して宮崎くんがリアクション をしてくれたので、これもまた縁を感じました。せっかくの縁なのだから、その中で出来る ことをしたいという気持ちがありました。」 斉藤: 「そうですね。今回の企画も全体が繋がり、縁がカタチとなった、そんな感じです ね。今回は写真を出していただいていますが、これからどのような活動をされたいと思って いらっしゃいますか?」 田中: 「普段行っている自分の芸術活動はもちろんメインとして続けていきますが、やは り南三陸の方に4日間行って色々と経験させていただいたので、今回のような写真展示も続 けていきたいと思いますし、そこで見たこと、感じたことをなんとか人に伝えていくすべが あるのであれば、伝えていきたいなと考えています。」 土井尻 明子 (ソプラノ歌手) 斉藤: 「土井尻さん、今回はありがとうござ いました。コンサートいかがでしたか?」 土井尻: 「演奏しながら被災地で私の演奏を 聴いてくださった方々の事を思い出しました。 そして相模原の方々にも真剣に聴いて頂けたの でとても嬉しかったです。」 斉藤: 「土井尻さんが代表をされているラベ ンダーウィンドネットワークについて活動のき っかけなどを聞かせて下さい。」 土井尻: 「ラベンダー畑は震災前から知っていて震災後ずっと気になっていました。でも 4 月上旬にやっとの思いで帰省した時はコンサートをする避難所にたどり着くのが精一杯 で、7 月に 2 度目の帰省をした時に見に行きました。周辺は碁石海岸という景勝地で被害 がひどかったのですが、高台の畑にはきれいに紫色のじゅうたんが広がっていました。それ はまるで亡くなった方々が生き残った方々に向けて励ましているかのようでした。とても生 命力を感じました。この花で何かをしなければと直感的に思いました。それがきっかけで す。」 斉藤: 「これからどのように活動を展開していきたいと思っていますか?」 土井尻: 「昨年は、とにかく大船渡に帰って大船渡の人達を励ましたいという気持ちが強 く、大船渡の事ばかりを考えていました。でも今年は、被災地に行きたいけれど行けない、 支援したいけれど支援方法がない、そういう人達へ向けても活動の場を広げたいと思ってい ます。」 斉藤: 「わかります…相模原の皆さんは、ラベンダーの花束 作りや、メッセージを書くなど『被災地のみなさんのために自 分に出来る事があって良かった』と喜ばれていました。」 土井尻: 「私は大船渡のラベンダーが様々な人の手から手に 伝わって行くことを望んでいます。 コンサートをする時も思い ますが、直接会って伝える事の大切さを日々感じています。人 が共鳴し合える場を作りたいです。人の体はほとんど水分だと 聞いた事があります。声楽は自分の体を共鳴させて声を出して います。水の波紋が広がって行くようにゆっくりと人 と人が共鳴し合えたらいいな…。」 宮崎: 「人数とか関係なく、歌いながら『今、伝わ ってるな』とか感じますか?」 土井尻: 宮崎: 「感じますね。」 「今日は、どういう感じでしたか?」 土井尻: 「志田由紀さんの新聞記事のお話の前と後ろで変わりましたね。 はじめは『何 だろうこの人?』という感じで見られているのを感じました。志田さんのお話をしたらぐっ と私に視線が集まってきたのを感じました。『この人から何が聴けるのか?』という思いを 強く感じました。」 インタビュアー 斉藤奈美(環境情報センター) 写真展へのコメント 1 東日本大震災で突きつけられた、信じられないような被害の光景は、本当に痛ましいもの でした。すぐさま家族・知人・友人の消息確認をとり始め、そして地元との連絡が取 れてからは支援物資の収集と輸送にとりかかりました。起きてしまったことを直視し ながら、とにかく復興への足がかりを築きたくて通い詰めました。 その中で、震災を自らのこととしてとらえて復興を応援する、多くの国内外の皆様と縁を 結びました。そのおもいと行動力には、人間ってこんな人のことを思いやることができるの かと驚かされ、勇気づけられ、頭が下がりました。 復興に向かって一歩踏み出した被災地は、かつて抱えていた課題をも乗り越えて活気にあ ふれたまちづくりをするためには、まだまだ知恵を出し合い、論議し、自らの付加価値を高 めていかねばなりません。過去に類を見ないほどの災害をもたらした地震と津波からの教訓 を学んで防災に役立て、さらに二度と同じ失敗を繰り返さないような日本へと進むためにも まだまだ自由闊達な吟味が必要です。その吟味をしながら、身の丈で”復興がなるまでの支 援”を続けたいと思います。 写真展スタッフ 新沼 岩保 写真展へのコメント 2 平成23年3月11日(金)午後2時46分 東北に信じ難い大震災が起きました。 自分に今、何が出来るか考え、被災された人々の日々を想い、 被災地の復興を願い、安心・安全を祈り、支援を考え・・・ 日常が過ぎて行くとき、あの日が薄れていく自分がいます。 大船渡支援活動に際して 「3.11 を! あなたを! わ・す・れ・な・い・よ あの日に起きた事を伝える!!」 「被災地の今を伝える!被災地の人々を伝える!被災地の未来を伝える!」 伝え方は様々・・・ 「わ・す・れ・な・い・よ」を形にして場所を移してつなげて・・・ 「そして伝えたい!!」 これらの活動は自分自身の清心を静めるためにつなげたい。 写真展スタッフ 笹本 二郎
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