月夜の贈り物

月夜の贈り物
風花
小町
一
2011年11月某日、今朝も私は3日間の介護滞在を終え、JR福山駅の新幹線
上りホームに足早に向かっている。
福井の我が家に帰るのだ。
通い慣れたところなので、バスを降りてまっすぐ駅の窓口に飛び込み、乗車
券と自由席特急券を買い、改札を出て、次に来る列車に乗るべくホームに並ぶ。
ここまでを一気に行って、ほっと我に返るのだ。
私は、瀬戸内の街福山市で一人暮らしを続ける88歳の母のもとに、遠い北陸
の街福井から通って来ている。初めの数年は、病気をしたり、何か人手がいる
時に求めに応じて通っていたが、年齢を取るごとに回数も増え、ここ2年程は
毎週往復する介護スタイルになってきている。
3~4日で福井と福山を住み分けているのだが、ときおり、
「ここはどこ?
私は誰?」状態で、自分が今どちらに居るのか分からなくなることもあるし、
母の元にいる時は旧姓を名のるので、口ごもってみたり、言い間違えていたり
する。
「へえ、こんな事になるのか。」と、面白がってもいる。
1997年に父が亡くなり、その後も80歳過ぎまで仕事をしてきた母親との介護
の日々でのやりとりには、それはそれはいろんな事があった。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、
「冷蔵庫にいっぱい買い物してあるからね。」
と、一人母を残して飛び出すようにして帰ったこともあったし、母の嬉しそ
うで元気な姿に、遠くからでも手伝いに来てよかったと満足することもあった。
また、私自身の体調が悪い時もあったし、先行きが見えなくて、不安に駆られ
る時もあった。
母からはよく言われたことがある。
「あんたはする事が雑だねえ、血液型はO型だったねえ。どうにかならない
かねえ、その大雑把な性格!」と。
何か気にいらない事があったらしい。が、私はそんなことに構っていられな
い。
「今さらどうにもならないでしょう。お父さんお母さんから貰った物だし。
おあいにくさま。でもね、B型とO型の相性はいいんですって。」
と、ジャブを返す。まあこれは、いい方のやりとりだ。
今さら言われてもどうしようもない事を、何度も何度も繰り返される。幼子
が「もう一回!」と求めてくる様な可愛さはないのだし、いい加減に返答して
いると、とんでもないことになったりする。
二
東京行きの「のぞみ」の白い車体がラインをくねらせて、スーと目の前に現
れた。何とか座れそうだ。
三人がけの通路側の席がひとつ空いていたので、迷わずそこに決めた。窓側
では、福山からのサラリーマン風の男性客二人がごそごそやっている。40歳前
後かな。私が荷物を棚に上げようとするのを察知して、「大丈夫ですか。」と、
さっと手を添えてくれた。軽やかな身のさばきは都会人のもので、私も、
「あり
がとうございます。」と、気持ちよく礼が言えた。
このやりとりがあったせいか、一人がビールやつまみを出して酒盛りを始め
た時も、そうだよね、ビールでも飲んで長旅を楽しまなきゃね、と心でエール
を送り、私は本に向かうことができた。二人は友達らしかった。楽しそうに会
話がはずんでいた。ある時、私の耳に東京の地名が飛び込んでくることがあり、
次第に二人の会話に気を取られるようになった。
そして別の一人が、
「兄貴にしてやられたよ!」というくだりでは、もう完全
に虜になってしまっていた。えっ!何??
「ほら、僕、家買ったじゃん。ローンも組んだしね。僕、出張も多いから、
親にね・・・、あいている部屋を使っていいよってね、掃除がてら使って
もらっていたのよ。そしたらさあ・・・、結婚している兄貴が所沢の方に
すぐ家を買っちゃってね・・・。すぐ後にだよ。」
「・・・・・。」
「あっ、やられた。兄貴にしてやられたと思ったね・・・。」
今の私には「してやられた」と言う男性の気持ちが、よーく理解できた。
事の真偽はともかくとして、あり得ることだし、親の老後の面倒をみるという
ことでは、この男兄弟にもこれから大変なことがいろいろあるんだろうなあと、
思いを馳せた。
私の場合は、下に弟と妹がいるのだが、ごく自然に長女の私の所に役割が廻
ってきた。昔から母が、SOSをいつも一番最初に私の所に出してきていたの
で、この相談に答えているうちに“お姉ちゃんに”となったのであろう。そう
なると私も“してやられた”口かもしれない。
ともかくも、老いた親を最後まで面倒みて、看取るというのは、親の恩とか、
親への感謝の気持ちに報いるとかいうレベルの問題ではないことは確かである。
良くも悪くも、やってみれば分かる。それに、本気で正面から取り組んでみな
いと、分からないことでもある。
三
私は、新大阪の駅で降りて、ここで在来線に乗り換える。
湖西線経由のサンダーバードにである。車窓の景色を楽しみながらの福井まで
の二時間は程よく心地いい。山崎、京都と過ぎて、琵琶湖を右に、比良山系を
左に眺めながらのひとときは、絶妙である。
四季折々、時刻によって、空模様によって、千変万化する木々や湖の水面の
織り成す風情にはいつも癒されている。今日は快晴。波もなく広大だ。澄み切
った青空に、遠く対岸の山々が薄い紺色の姿を低く連ねている。
「わおっ!今日もいい。お昼にしようかな。」
シートに深く静かに横たわっていた私は身体を起こして、駅弁をひろげた。
昨日、私は母に心の底から大声をあげた。初めてのことだ。
最近母はデイサービスに通うのが面白くないらしい。お世話になっているのは、
一軒の民家で運営されている少人数の介護施設なのだが、よい点、足りない点
を私も了解した上でお願いしてきたから、母の言い分も分からないことはない
のだが・・・。最初愚痴から始まり、だんだん非難へとエスカレートしてきて、
私の言うことなど受け付けられなくなっていった。私も“またか”と、受け流
せばよかったものを、疲労が蓄積していたのか、スイッチが入ってしまった。
「いいかげんにしてちょうだい!介護士さん、ケアマネージャーさん、い
ろんな人に気を使ってもらってるよ。自分の思いどうりにならなかったから
といって、そんな風に言わなくても・・・。皆がどれだけお婆ちゃんのこと
を思って世話して下さってるか、考えてみて!」
「分かってるよ、ありがたいと思ってるよ・・・。もういい。何もしても
らわなくていい。生きててもしょうがない。世話など焼いてもらわんでもい
い。・・・」
私も母も大声を張り上げてやりあった。お決まりの、行くところまで行った
感じだ。3~4日の滞在だから、いつもはここまでにならないところで気持ち
をコントロール出来ていたのだけれど・・・。自分自身びっくりしているが、
母も私の剣幕に驚いたのか、しばらくして顔を合わせた時には何事もなかった
かのごとく、「今日の夕飯、何にする?」と、話しかけてきた。
それにしても、60歳を越えて大人であるべき私が、病を繰り返して、小さな
身体になってしまっている老いた母を相手にすることではないと反省している。
一日経って薄れて来ているとはいえ、まだ気持ちの収まりはつかないでいた。
自己嫌悪というか、何だか誰かに試されている気さえする。
美味しく弁当をいただいて、いつしか寝てしまったらしく、
“敦賀”をアナウ
ンスする声で目覚めた。北陸トンネルを抜けると、今庄そして武生と続き、30
分で福井だ。山里の紅葉がみごとだ。重そうな鈴なりの柿の木が色鮮やかで、
晩秋真っ盛りである。
四
我が家の玄関を開けると、3日の間に溜まった用事が山のように迎えてくれ
る。郵便物は勿論、今回は宅配便も届いている。再配達の手続きをとる。それ
から町内の班長として配り物を済ませると、石油ストーブを出し、灯油も注文
しておいた。今回の福井4日間の滞在では、車のタイヤを冬用に交換してもら
ったり、庭の冬支度もしなくてはいけない。
てきぱきと急ぎの用事を片付け、食料の買出しに出かけ,夕飯を終える頃、
やっと福井の住人に戻った。
郵便物に目を通した。その中に喪中欠礼を知らせるハガキがあった。友から
のものだった。ハガキには87歳で亡くなられた母上が生前に詠まれた歌が添え
られていた。引用する。
我を見下し話す背丈となりし子に
我が魂のすべてをゆだねる
草を刈る鎌露にぬれ時折は
小石にふれて火花を散らす
(冴子
作)
ああ、ここにもある。親を見送った友のひとつの姿が浮かんだ。
今私は、見送られる側の覚悟のような思いを歌にして逝かれた、母と同世代の
先輩女性の心の強さに敬服している。この母上は終戦の時、二人の幼子を抱え
て満州から引き上げてこられ、女手一人で育てあげられたという。母の痛みを
知るその子も、私と同じでもう60歳を過ぎている。気丈で頑張りやの母上から
命だけでなく魂のすべてまでも託されて、重い月日を共に寄り添われたことと
思う。
私と母の、最期に向かう歩みも、どんなものになるのか知りようもない。こ
れから先、母の自我と私の自我とが、どんな折にどんな火花を散らすことにな
るのか、在り様のままに受け止めてみようと思う。近頃は幸いなことに、いろ
いろなサポートも受けやすくなっているし・・・。
コーヒーを手にしながら、安らいだ気持ちの私がいた。
気がつけば、時、折りしも、玄関の横で、花ミズキが季節外れの満開の花を
咲かせてくれている。すりガラスの窓の向こう側が、闇の中でパーッと明るく
オレンジ色に燃えあがっているのだ。
一年に一度、11月中旬頃、気温がめっきり冷え込み、そして里の紅葉が盛り
になるちょうどその頃、我が家の花ミズキも褐色の葉を月の光に照らされて、
今年最後の美しい輝きを極めるのである。
月の光の明るい輝きと、花ミズキの落葉前の、ぎりぎりのタイミングが揃っ
たときの一夜に届けられる贈り物である。その上、もうひとつ厳しいことには、
私の気持ちの方に余裕がないと、受け取れないことになるのだ。
今宵は、私へのごほうびとして、ありがたく感謝していただいた。
この後4~5日で、花ミズキは枯葉をパラパラと散り落し、来春に咲くたく
さんの花芽を用意して、冬眠に入るのである。
(2012.2.3)