コンピュータネットワーク分野の技術動向と展望 教授 加藤 由花 情報処理の世界は,現在大きな変革期を迎えています.モバイル通信やユビキタスコンピューティン グの発展は,かつての夢物語を現実のものとし,私たちのライフスタイルを大きく変えるほどのインパ クトを持ちました.しかし,ICT があまりにも当たり前のものとなった結果,大学の情報関連学部の人 気は急落し,業界内には何とはなしに閉塞感が漂っています.昨年 3 月の震災では,通信インフラの脆 さ等,情報システムが抱える多くの問題点も明らかになりました.このような状況を打破するためには, 今までと同じやり方を続けていてはダメです.新たなビジョンの提示,革新的な技術による問題解決, 研究分野の融合,異分野間の連携等が重要なキーになると考えます.本稿ではこれらの点を踏まえ,コ ンピュータネットワーク分野の今後の方向性について,考察してみたいと思います. 本題に入る前に,コンピュータネットワーク(主にインターネット)の歴史について,簡単に振り返 っておきましょう.インターネット普及の歴史は,大きく 3 つの世代に分けられます.1969 年の ARPANET の誕生から,インターネットの商用利用が解禁される 1990 年代はじめまでが第一世代であ り,現在のインターネット技術(ルーティングプロトコル等)のほとんどがこの時期に確立しています. 当時のインターネットは学術研究基盤であり,送信したデータが確実に相手に届くこと(接続性)が第 一の(そしてほぼ唯一の)設計目標でした.第二世代は,インターネットが企業活動基盤として発展し た時代であり,それまでほとんど考慮されてこなかった安全性に対する要求が急速に高まりました.フ ァイアウォール,暗号化通信等,インターネット上のセキュリティ技術の多くがこの時期に確立されて います.その後,第三世代(2000 年~)になるとネットワークのブロードバンド化,端末の低価格化等 の外部要因により,インターネットは急速に大衆化していきます.提供されるサービスも多様化し,多 くのマルチメディアサービス(映像配信等)が利用されるようになりました.その結果,サービスの品 質に対する要求が顕在化し,主にアプリケーションレベルでサービスの高品質化が実現されました. そして現在は,ソーシャル,モバイル,クラウド,実世界情報等がキーワードとなり,明らかにこれ までとは異なる種類の進化が起こっています.進化の方向性は大きく分けて 2 つあります.1 つはネット ワークアーキテクチャ自体の変化です.ここまで見てきたように,現在のインターネットは,接続性を 最優先に設計されたネットワークであり,セキュリティ技術,品質制御技術等はこのベース上に無理や り追加されてきました.このアーキテクチャ自体を見直していこうというのが 1 番目の流れです.そし てもう 1 つはネットワーク利用形態の変化です.これは,ネットワークに接続される端末側のユビキタ ス化が進み,実世界サービスとの融合が進んできたという流れです.以下,それぞれを説明します. ■ネットワークアーキテクチャの進化(新世代ネットワークとネットワーク仮想化) 1 つ目の方向性は,IP ネットワークの次の世代を見越し,新しい設計思想・技術によるネットワーク を構築していこうという流れです.米国では 2000 年ごろより,既存のインターネットを根本から見直し て将来のネットワークを構築する「クリーン・スレート・インターネット構想」が議論されるようにな り,テストベッド GENI(Global Environment for Network Innovations)の構築が進められています[1]. EC(European Commission)では The Network of the Future として,将来のネットワークに関する有 望な研究テーマに対するファンディングを行っていますし[2],日本でも NICT を中心に新世代ネットワ ークの研究が活発に進められています.新世代ネットワークの実用化は当分先になる見込みですが,要 素技術であるネットワークの仮想化・高機能化については,昨年あたりから急速に注目度が高まってい ます.これは SDN(Software Defined Network)と呼ばれる技術で,ネットワークの構成,トポロジ等 をすべてソフトウェア的なアプローチだけで変更できるネットワークです.OpenFlow[3](スイッチか ら経路制御機能を独立させるための技術) ,イーサネットファブリック(複数のスイッチで構成するネッ トワーク全体をあたかも 1 台のネットワーク機器のように制御する)などの技術により実現されます. ネットワークの仮想化・高機能化は,歴史的には決して新しい概念ではありません.コンピュータネ ットワークに電気通信網的なインテリジェンスを導入しようという試みは古くから存在しており,例え ば Stupid network[4]や Active Networks[5]などがあります.プログラマブルネットワークの概念が,そ もそものインターネットの設計思想と相容れないため,結局普及することはありませんでした.ただし, SDN は現在,データセンタでの利用が加速しており,今後広く普及する可能性があります.データセン タではサーバの仮想化が進み,VM 追加・変更時のネットワーク変更等,ネットワーク運用が複雑化し ています.SDN では,ソフトウェアからの一元的な制御が可能になるため,様々な事業者が興味を示す 技術となっているのです. ■ネットワーク利用形態の進化(サイバー・フィジカル融合社会のためのサービス基盤の構築) もう 1 つの方向性は,センサネットワークやユビキタスコンピューティングの発展により,実世界情 報利用サービスへの注目が高まっていることです. Cyber Physical Systems[6]や Internet of Things[7] のように,サイバー・フィジカル融合社会の実現に向け,様々な研究開発が行われています.屋内・屋 外を問わず,大量の実世界情報が情報システムに収集可能になってきたことから,広域に遍在する個々 のセンサから収集した実世界情報をサイバー世界に集積・再構築することで,人々の活動をより統合的 かつ高度に支援していくことが可能になってきています.具体的には,実世界情報を効率的に収集する センサシステム,通信プロトコル,通信システムの基礎技術,および収集した実世界情報をサイバー世 界に流通・再構築するためのオーバレイネットワーク,Web コンピューティング,クラウドに関する技 術,再構築した実世界情報を効果的に実世界へ還元するためのエージェント技術,ヒューマンインタフ ェース,サービスプラットフォームに関する情報技術など,様々な分野を横断した基礎技術の確立が必 要です.現在,それぞれの用途に応じてデータの収集,分析等が個別に行われていますが,今後は,こ れらを統合するためのプラットフォーム,標準化等が重要な意味を持つようになると考えられます. <参考文献> [1] GENI: http://www.geni.net/ [2] The Network of the Future: http://cordis.europa.eu/fp7/ict/future-networks/ [3] 西原他, “OpenFlow 技術の概要,” 情報処理, Vol.51, No.8, pp.1023-1029, 2010. [4] D.S. Isenberg, “The down of the stupid network,” ACM networker, Vol,2, No.1, pp.24-31, 1998. [5] D.L. Tennenhouse et al., “A survey of active network research,” IEEE Com. Mag., Vol.35, No.1, pp.80-86, 1997. [6] Cyber-Physical Systems (CPS): http://www.nsf.gov/pubs/2008/nsf08611/nsf08611.htm [7] Internet of Thing 2010 Conference: http://www.iot2010.org/
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