第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生低学年の部 特選 こころのこびん 中川根第一小学校 1年 中谷 咲穂 みずいろのこびんってなんだろう。きれいなこびんのおはなしかなぁ。 よんでみたら、みずいろのこびんは、くちからだせないことばやきもちをしまってお くところで、こころのなかにあるんだって、わかったよ。 しゅじんこうのようちゃんは、ともだちのしんちゃんに 「あたらしいげぇむをかして。」 といわれて、ほんとうはいやだったのに、うんとうなずいたよ。しんちゃんに、けちな やつとおもわれたり、なかまにいれてもらえなくなったりするのが、こわかったんだね。 いやだっていえないきもちを、みずいろのこびんにいれて、ふたをしちゃたよ。 おかあさんが、しごとでかえってくるのがおそくて、ようちゃんは、ひとりでごはん をたべていたよ。わたしだったら、ひとりでたべられるかな。いつも、かぞくでたのし くたべているから、ひとりじゃさみしいな。ようちゃんは、おかあさんといっしょにご はんをたべたいってきもちを、またみずいろのこびんにしまっちゃったよ。 わたしには、みずいろのこびんってあるのかな。きっとあるとおもう。ともだちとけ んかをしたときに、つかうこともあったよ。わるぐちをいいたいきもちになったけれど、 こころのなかのこびんに、そっとしまったんだ。でも、ひとのこころのなかはみえない から、こころのなかのこびんに、そっとしまったんだ。でも、ひとのこころのなかはみ えないから、みずいろのこびんにぜんぶいれると、さいごになみだになってでてくるよ。 だから、じぶんのいいたいことを、ちゃんというといいよ。でも、ともだちのきずつ くことばはいわないといいよ。いわれてきずつくようなことは、しまっておくよ。 じぶんのきもちをつたえて、ともだちのきもちをきくといいよ。わたしも、これから、 こころのこびんをたいせつにするね。そして、じぶんのことも、ともだちのことも、か んがえていくよ。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生低学年の部 特選 しっぱいにかんぱい! 中川根第一小学校 2年 小田 健太 「しっぱいにかんぱい」って、なんでしっぱいしているのにかんぱいなんだろうと 思い、読んでみたくなりました。 たつやのおねえちゃんは、一年生からずっとリレーのせん手にえらばれていました。 今年は六年生で一組のアンカーをつとめ、一位でテープを切ることがおねえちゃんの ねがいでした。たつやもみんなも、おねえちゃんならきっとそのゆめがかなうとしんじ ていました。 しかし、たつやのおねえちゃんはリレーでしっぱいをしてしまい、しっかくになって しまいました。おねえちゃんは、ショックでごはんを食べられないくらいおちこんでし まいかわいそうだなぁと思いました。そんな時、おじいちゃんからの電話で、おじいち ゃんの家に来るように言われました。そこで、おじいちゃんは、いとこや大おじさんた ちのしっぱいした話を聞かせて、力いっぱいかんぱいをして、おねえちゃんをはげまし てくれたのです。 ぼくも人には言えないしっぱいをして、ないたこともあります。かんぱいしてもらっ たことはないけれど、友だちのしょういくんに 「けんたくん、だれだってしっぱいするんだよ。まちがえてもいいんだよ。」 と、はげましてもらったことがあります。ぼくはその時、とてもうれしいきもちになり ました。 ぼくはしっぱいした時、話したくないし、人に見られるのもいやです。しっぱいする ことははずかしいことだと思っていました。 でも、この本を読んで、しっぱいすることはなにもはずかしいことではないと思いま した。これからもいろんなしっぱいをすると思いますが、家ぞくに話して、しっぱいに かんぱいをし、だれかがしっぱいしたら、 「しっぱいにかんぱい」 と、言ってあげたいです。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生中学年の部 特選 「ホネホネたんけんたいを読んで」 中川根南部小学校 3年 笹木 雅朱 ぼくがこの本を知ったのは、学校のゆったりランドという、本がたくさんある部屋で した。ぼくは、この本を見つけた時、二年生の一学期に左うでのほねをおったことを思 い出しました。とてもきょうみがわいてきて読んでみました。 この本は、いろいろな動物のほねが出てくる本です。まずさい初にでてきたのは、ヘ ビのほねでした。ヘビのほねはろっこつがたく山ありました。次にでてきたのは、カメ でした。カメのこうらの中にもろっこつがあってびっくりしました。インコや、サイチ ョウという、アフリカやインドの森の中に住んでいる、口ばしの大きな鳥のほねや、前、 家族で行った水族館で見た、イルカやペンギンのほねもでてきました。イルカは T 字 がたのほねで、ペンギンは海の中をすいすい泳ぐためのフリッパーとよばれる、平たい ほねでした。今度家族と水族館に行くときは、この本を思い出して、もっとよく動物の 体を見てみたいです。 ホネホネたんけんたいを読んで、びっくりしたことがたくさんありました。うさぎの しっぽのほねが長いということ、コウモリの羽には小さい指が五本ずつあり、クジラや アザラシのほねと同じようになっているということなどです。読んでいくと、ぼくたち ヒトと同じほねの動物が多いということがわかりました。動物の頭のほねもヒトと同じ 様に、いくつものほねを合わせている、ほうごう線という線がありました。サルのほね が、一番人間に近いということも知りました。だから、さるは人間のようなげいができ たり、頭がいいのかなと思いました。 ヒトや動物が持っているほねって、いったいどんなものなんだろう、と思って、この 本に出てくる「マキコたい長のほねけんきゅう室」というページで調べてみました。 まず、ほねの仕事はきん肉とくっついて体を動かしてくれます。ほねをぬいてしまう と体がぐにゃぐにゃになって、体の形をしていることができません。ほねの中のこつず いという所で、新しい血を作ることができ、カルシウムやリンなど体にとって大事なえ いようをためておいて、ひつような時に血をとかして使います。また、ほねは、やわら かいのうみそやないぞうを守ります。 色いろなはたらきをするほねは、ぼくが大きくなるためにとても大切なものなんだと 思いました。そのためには、ごはんをしっかり食べて、早ね早起きをして、たくさん友 だちと外で体を動かして遊んだり、運動したりしたいです。 このホネホネたんけんたいをたくさんの人に読んでもらって、ほねの大切さを知って もらいたいです。きっとみんながけんこうで、楽しくくらせるんじゃないかなと思いま す。ぼくは、まず友だちにしょうかいしたいです。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生中学年の部 特選 ホームランを打ったことのない君にを読んで 中川根第一小学校 3年 山本 悠矢 ぼくは一年生からスポーツ少年団に入って野球をしています。さい近やっとスーパー ジュニアの試合に少しずつだけど出ることができるようになりました。だから、ホーム ランどころかヒットもまだあまり打ったことがありません。今年の夏、ぼくは高校野球 を夢中になって見ていました。それは、静岡県の常葉たちばな高校がベストエイトまで のこったからです。もしかしたら、ゆう勝できるんじゃないかと思ってわくわくしまし た。さい後は負けてしまったけれど、庄司というせん手は県大会の決勝で二打席連続ホ ームランを打ちました。とてもかっこよかったのをおぼえています。どうしたらあんな にすごいホームランを打てるようになるんだろうと思い、読んでみたくなりました。 主人公のルイは、試合で一アウト一・三るいのぎゃく転のチャンスにバッターボック スに立ちました。でも力が入りすぎて、ボテボテのセカンドゴロ。けっきょく負けてし まいました。もしもぼくだったら、おちこんじゃうよな。大きなチャンスの時に自分の 打席が回ってくると、うれしい気持ちと不安な気持ちのりょう方が出てきます。だから とてもきんちょうします。ぼくも試合の時、二・三るいのチャンスだったのにボテボテ のピッチャーゴロで、とてもくやしい思いをしたことがあります。ルイはその日コンビ ニで仙ちゃんに会いました。仙ちゃんは交通じこで歩けるようになるかわからないほど ひどいけがをしていたそうです。でも、仙ちゃんは一生けんめいリハビリをして歩ける ようになりました。それだけでもすごいのに、仙ちゃんはいつかホームランを打ちたい という夢をあきらめないのがすごいと思いました。ぼくならあきらめずにがんばれるか どうかわからないし、野球ができなくなるなんてこわくて考えたくありません。 ぼくは、家でお父さんといっしょに野球の練習をしています。どんな強いボールでも とることができるように、キャッチの練習をしたり、すぶりの練習をしたりしています。 ホームランを打つためには、まず食じやウエイトトレーニング、地道な練習を何年も続 けることが必要だということを知りました。だからいきなりホームランを打つんじゃな くて、少しずつ仙ちゃんのように夢をあきらめずにがんばることが大切なんだと知りま した。ぼくはまだホームランは打ったことがないけれど、初めてヒットを打ったことが ないけれど、初めてヒットを打った時のことはしっかりとおぼえています。とても速い 球だったけれど、ぼくの打った球はサードを抜けていきました。とても気持ちがよくて うれしくて「もっと打ちたい。」という気持ちになりました。きっとホームランを打っ たら、もっと気持ち良くなれるんだろうなと思います。ぼくもいつか場外ホームランを 打ってみたいです。そのためにもこれからの練習をがんばろうと心に決めました。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生中学年の部 特選 かわいそうなぞう 中川根南部小学校 4年 山中 麻由奈 わたしが、この本を読んでみたいと思ったのは、『かわいそうなぞう』とは、何がか わいそうなのか知りたくて読んでみました。 この話は、せん争のあったころの東京の上野動物園の話です。上野動物園には、三頭 のぞうがいました。そのころは、日本が、アメリカとせん争をしていて、動物園にもば くだんが落ちるかもしれないという時代だったそうです。ばくだんが落ちたら、おりが こわれて動物達が、あばれ出すかもしれないので、し育係の人達は、ライオンやトラや クマ達にどくを飲ませて、殺してしまったということを知り、悲しくなりました。 最後に残された三頭のぞうも、殺されることになりました。私は、(えー、かわいそ う、やめて。)と心の中でさけびました。ぞうのジョン、トンキー、ワンリーは、頭の いいぞうで、どくの入ったエサを食べようとしませんでした。どく薬の入った注しゃも、 ぞうの皮がかたくてできませんでした。わたしは、ほっとしました。でも、し育係の人 達も考えたことでしょう。決して、うれしくてやっていたのではないのだから。食べ物 を何日もあたえてもらえないぞうのうち最初にジョンが死にました。読んでいて、むね がつまるほど、辛い場面でした。トンキーもワンリーもだんだんやせほそって元気がな くなってきました。わたしは、〝助けてやりたい〟とそれしか考えられませんでした。 二頭のぞうは、芸をすればエサがもらえると思って、し育係の前で、ぐったりとした体 で、後ろ足で立ちあがり、前足を折り曲げたり、鼻を高くあげてばんざいをしたり、体 中の力をふりしぼって、芸とうを見せました。わたしは、どうにもしてあげられないし 育係の人たちの気持ちを考えると、いても立ってもいられなくなりました。 わたしは、この場面を読んだだけの読者なのに、悲しくなりました。でも、とうとう 二頭のぞうは、バンザイの芸とうしたまま死んでしまいました。ぞうも辛かっただろう し、それを見ていたし育員の人たちもぞうの前で冷静さをよそおい、辛く、悲しかった と思います。私だったらとても、この場にいることはできません。大きなぞうのいぶく ろには、ひとしずくの水さえも入っていなかったのです。わたしは、おなかがすくと、 おなかがいたくなります。ぞうたちも、すごく苦しかったし、ことばが話せるならなん と言って、泣きさけんだのでしょう。想ぞうもつきません。 せんそうは、みんなが悲しみ、苦しむことだと思います。ぞうや動物達を殺さなくて もいいように、もっと他の考えがなかったのかぁとも思いました。しかし、世界中から せんそうなんてなくなれば、こんな悲さんなことは起こらなかっただろうし、絶対して はいけないことだと強くかんじました。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生高学年の部 特選 地雷ではなく花をください 本川根小学校 5年 山下 あかり みなさんは地雷って知ってますか。地雷とは地面に埋まっているばくだんの事です。 戦争が終わった今でも、残っている地雷が一億一千万個もそのままになっているそうで す。このため一時間に三人がどこかで亡くなったり、おおけがをしているのです。何も 悪いことをしていない、子供達や動物達までも被害にあうなんて許せないと私は思いま した。他の国では、山にも野原にも、田や畑にも、学校の校庭にだって地雷はたくさん 埋められています。もうどこに埋まっているかがわからなくなっているのです。また、 簡単には見つけることも取りのぞくこともできないのです。 特にひどいのは、お菓子やチョコレートに似せたような地雷がたくさんばらまかれて いることです。子供たちが安心して暮らせる日は、いつ来るのでしょうか。私は、日本 という平和な国で安心して生活しています。友達と楽しく勉強したり、遊んだりしてい ます。あたり前だと思っていたけれど、そうではないことに気づきました。 この本を読んで私は考えました。この地雷を見つけだして取りのぞくため、多くの 人々の力とたくさんのお金がかかります。気の遠くなるような大変な作業です。この本 の作者が言います。「そのお手伝いができるのは、あなたと私です。ひとつ取りのぞい たら花の種、ひとつ取りのぞいたら木を一本植えましょう。」 「世界中の人達で協力すれ ばきっとできる。」でも今の私には何もできません。安全で豊かな地球になるように願 います。 最近では、日本の会社が地面に埋まっている地雷を除去する大きな重機を持って行っ て地雷の除去をしている所をテレビで見たことがあります。私は、そのテレビを見て、 嬉しく思いました。日本だけではなく、他の色々な国々でもそのような活動をどんどん 増やしていってもらいたいです。戦争などに、全然関係のない子供達が、これ以上手足 をなくしたり、命をうしなったりしないように、協力し合ってもらいたいです。 私もこれからこの読書感想文で書いたことを忘れないで、協力できるようなことがあ ればやっていきたいです。 みなさんもこの本を読んでみてください。小さなことでもいいのです。私達ができる ことは限られているけれどできることもあります。私は願うことや、募金をすることは、 できると思います。 地雷で手、足をうしなってかわいそうなんて思ってもらいたくありません。手、足を うしなってもできることはたくさんあるので、かわいそうなんて思わないでほしいです。 第 4 回川根本町感想文コンクール 小学生高学年の部 特選 サケのふしぎ 本川根小学校 6年 石川 拓実 ぼくがこの本を読んで、すごいと思った所は二つあります。 一つ目にすごいと思った所は、サケはふるさとの川に帰って来るという所です。 理由は、川はこの世界にたくさんあるのに、その中の一つの川を当てるのはかなり難 しいと思うからです。ぼくがもしサケだったら、そんなことは出来ずに、逆に迷ってし ますと思います。だけどサケは、道をまちがえずに自分のいたふるさとの川に帰ってく るのですごいと思いました。しかしサケがふるさとの川に帰ってくるための方法がまだ 分かっていないということです。サケがどのようにしてふるさとの川に帰ってくる方法 はまだ分かっていません。ぼくはたぶん、サケの体の中に磁石のような物が入っていて、 それでふるさとの川の場所が分かると思っていました。しかし、本を読んでいたら、今 の考えは、サケがふるさとの川へ帰るための一番有力な方法ということが分かりました。 もしこのような方法でふるさとの川に帰ることができるなら、サケはすごい魚なんだな ぁと思いました。 二つ目にすごいと思った所は、子どものサケはえさでなくても、川から流れてくる物 なら石でもなんでも食べるという所です。 理由は、川から流れてくる物なら石でもなんでも食べるのは、少しでも長生きをしよ うと思っているからだと思ったからです。小さいころから一ぴきで生きるのはとても大 変だということが分かっているから川から流れてくるものなら石でもなんでも食べる んだとぼくは思います。 ぼくにはきらいな食べ物があります。それは乳製品です。いつも学校で牛乳やチーズ などが出て来る時、がまんして食べるけれど、その後に気持ち悪くなってしまったりす るので、できれば食べたくないです。 だけど子どものサケは、好ききらいもせずに川から流れてくる物なら石でもなんでも 食べてしまうのですごいと思いました。また、子どものサケはみんなで協力をするとい うことです。サケはサケでもまだ子どものサケなので、一人でなんでもするわけではあ りません。できないならみんなで協力をします。ぼくは子どものサケなのにみんなで協 力をするということができるのでとてもすごいと思いました。 このこと以外にもサケの不思議はたくさんあります。このようなことをして、サケや 子どものサケは一日一日をがんばって過ごしています。ぼくにはできないことが小さい サケはできるということはとてもすごいと思いました。だからぼくも一日一日を大切に して生きていきたいと思いました。 第 4 回川根本町感想文コンクール 中学生の部 特選 がばいばあちゃんへ 本川根中学校 1年 池本 夢実 拝啓、がばいばあちゃん。天国でも一生懸命働いていますか?孫の昭広さんの活躍に 目を細めていますか?“がばい”っていうのは佐賀の方言で“すごい”っていう意味だ そうです。みんなに勇気を与えてくれるすごいばあちゃん、私も勇気をもらった一人で す。 8才の昭広さんを預かることになった時は、惑わなかったですか?私が 4 年生の時、 母が入院し、おばあちゃんに面倒をみてもらったのですが、「子育てなんて忘れちゃっ てるから困ったねぇ。」と言っていました。預かったその日にかまどの火の焚き方を昭 広さんに教えたばあちゃん。私は昭広さんをうらやましく思います。だって母が入院し た時、私には何も出来なかったのです。おばあちゃんは何でもしてくれたけど私は病気 と戦っている母がいない間は自分も何か役に立ちたいと思っていました。がばいばあち ゃんは「人生は死ぬまでのひまつぶし、仕事はお金のもらえる最高のひまつぶしばい。」 て言ってたけど自分に役割があるって大切な事ですね。役割を与えられた昭広さんは大 変だけど、子供扱いされずにばあちゃんの片腕として認められていたのできっとやりが いがあったと思います。 ばあちゃんの家はすごく貧乏だったのに、本を読んでいても“大変だな”とか“つら いだろうな”という感情が全く起こってきませんでした。昭広さんがお腹が空いたと言 えば「夢や。」と言い、川に棒を仕掛けて市場から流れてくる野菜をすくったり、胸を 張ってそういう事をするばあちゃんからはみじめな印象が感じられないのです。大人に なった昭広さんが、 “お金のない貧乏なんて不幸ではない。心の貧乏がいちばん不幸だ。” と綴っています。私達はお金に困っていなくても不平不満を言います。友達が持ってい るゲームソフトを自分が持っていないだけで損をした様な気持ちになります。物があふ れている現代では心の貧しい人が増えているように思います。ばあちゃんの「世間に見 栄を張るな。」という言葉にはっとさせられました。今の私達の暮らしを見たら、ばあ ちゃんは怒るかもしれませんね。お金や世間体よりも、自分に正直に納得のいく行動を とることが大事だってわかりました。ありがとうばあちゃん。 ばあちゃん、私はもう一つお礼を言いたい事があります。私は 8 年間空手をやって いるのですが、その中で保育園児や小学生の指導もする立場となっています。なかなか やる気が出ない子や、うまく出来なくてふてくされてしまう子をどうやってやる気にさ せるかで悩んでいましたが、ばあちゃんからヒントをもらいました。ばあちゃんは昭広 さんの成績が悪くても「国語と社会と英語の1と理科の 2 を足したら5になる。人生 は総合力や。」と言って元気づけていましたね。私はそれを読んで、こんな風に言って もらえたら劣等感を持たないで又頑張れるだろうなと思いました。その時自分の空手の 指導の仕方が悪い所ばかり注意していた事に気づきました。そこで次ぎのけいこの時は 少しでも良くなっている所や、その子が頑張っている所を見つけ、「そう、それでいい よ。」と言うようにしました。出来なくて涙ぐんでいる子には、ばあちゃんのまねをし て「泣くな、笑顔でやれ。笑顔は宝じゃ!」と言って私自身も笑って見せました。そう したらみんなやる気になって、私の言う事をしっかり聞いてくれるようになったのです。 又、その子のいい所をほめていると私の気持ちも“この子きっとうまくなる”とプラス 思考に変わってくることがわかりました。日々のけいこの中で、うまくいかない日もあ りますが、そんな日こそ笑顔でプラスの声かけをして行くように今は心がけています。 昭広さんが野球や陸上で力を発揮できたのも、挫折をのり越えて漫才師になれたのも、 いつも昭広さんの力を信じて全力で応援してくれるばあちゃんの支えがあったからだ と思います。こんなに愛情をかけてもらって昭広さんは本当に幸せだった事でしょうね。 ばあちゃん、中学を卒業した昭広さんが広島へ行ってしまう時には本当につらかった ね。思わず「行くなー。」って言ってしまったばあちゃんに私も泣いてしまいました。 この前ボランティア活動でデイサービスのお年寄りのお世話をした時、一人ぐらしのお 婆さんが「子供が来てるとはずみがいいよ。」って言ってくれたけど、昭広さんがいな くなったらばあちゃんも一人ぐらし。昭広さんに「めし食え。」とか「風呂入れ。」って 言う事もなくなって淋しかったでしょうね。でも 8 年間ばあちゃんと暮らした昭広さ んは、ばあちゃんから受け継いだ前向きで明るい心のおかげで今の自分があることにす ごく感謝しています。そしてこうしてばあちゃんのことを本にしてみんなに自慢してい ます。お陰で私もばあちゃんに会えました。昭広さんの様に前向きに頑張るからどうぞ 見守っていて下さい。 第 4 回川根本町感想文コンクール 中学生の部 特選 夢に向かって 本川根中学校 1年 前川 裕音 盲人ランナー高橋勇市さん。2004 年 4 月、伴走者とともに、マラソンを 2 時間 37 分 43 秒で走り、視覚障害者(全盲)の世界記録を樹立した立派な人だ。目の病気の ため、高校生の時から視力が低下し、34 歳で完全に失明。つらく苦しい日々を過ご し、生きる希望をなくし、自殺を考えたことも一度や二度ではない。けれども、何度 も立ち上がり、走ることを通じて自分の可能性に挑戦し続け、2004 年 9 月には、ア テネ・パラリンピックで優勝するという快挙をなしとげた。 私も兄と母の影響で、小学 2 年の時から走ることを続けている。今では走ること が生活の一部とまでになった。でも、もし私が高橋さんのように障害をかかえるよう なことになったら、それでも走り続けることができるのだろうか・・・。 目が見えない状態で走るとはどんなことか。目を閉じてみた。普段の生活の中では 寝る時以外、目を閉じることなどない私には、家の中でさえ動くのがこわくて、満足 に歩くことすらできない。暗やみに一歩を踏み出すことは、とても勇気がいることな のだ。それなのに盲人ランナーとして努力をおしまず、明るく、前向きに生きる高橋 さん。自分の強さと支える周りの人達の愛情とが一緒になって、そんなすばらしい大 きな力を生み出すことができるのだと思う。 私はよく、各地で行われるマラソン大会に参加する。実際そこで、高橋さんのよう な障害のある人達が伴走者とともに、一生懸命走っている姿を見ることがある。とて も目が見えないとは思えない立派な走りだ。伴走者の支えで走り続ける姿を励ますど ころか、逆に私達の方がその頑張りに励まされているような気がする。たぶん、もの すごい集中力と、とぎすまされた感覚を持っているに違いない。 高橋さんにとって、走り続けることの意味。それはきっと、生きていることの証な んだと思う。それから比べれば、私が走り続けていることの意味なんて、あまりにも ちっぽけなことに過ぎないのかもしれない。でも人は、自分にしかない「とりえ。」 を求めたりもする。私には走ることがある。ランナーは皆、その思いを胸に、走るこ とを楽しみ、生きがいとし、自分なりの目標を持ち、時には故障と戦いながら実力の 向上に向けて、日々、トレーニングに励む。好きなことであるからこそ、やりとげる 達成感もひとしおだ。 高橋さんは、走ることだけでなく、日々の生活においても、色々な人の手を借りる 必要がある。もちろん、私だって同じだ。どんな人でも、一人では生きて行けない。 互いに支え合いながら成長していくのだと思う。感謝の気持ちを成果で伝えたい!! その強い思いが高橋さんの無限の努力につながり、走る力を日々パワーアップさせた のだと思う。 夢を持つこと、目標を持つこと、それに向かって努力をすること。口で言うほど簡 単なことではない。気持ちはあっても、何か障害があればそう簡単には前に進めない ことも多いだろう。今の私の兄がそれだ。 兄は高校へ入学し、念願の陸上部へ入部。夢や希望でいっぱいの中、自分でも体が 悲鳴を上げていることに気がつかず、いくつかの故障が重なってしまい、走ることが 出来ないでいる。でもそんな中、兄は前向きな気持ちで自分の出来る範囲でのトレー ニングをして体をきたえている。ある意味、高橋さんと重なるように思える。 あせらず一歩一歩、夢に向かって努力を惜しまない。苦しい時こそ前向きに、決し てあきらめない。そして、自分を支えてくれるすべての人、物、事に対しての感謝の 気持ちを持ち続けることが出来れば、どんなに大きな壁にぶつかったとしても、きっ といつかは乗り越えられるのだと思う。 夢に向かって走る。夢に向かって努力する。そんな事が出来る人ってやっぱりすご いと思う。高橋さんも、夢に向かって走り続け、多くの人に支えられながらここまで きた。 今の私は、部活動と勉強をどう両立させて趣味のマラソンを続けていくことができ るか、それが将来的にどうつながっていくのか、そんな思いの中で日々を過ごしてい る。そのうちこれだ!!と思うことが見つかるだろう・・・くらいでいるが、それで はダメなことくらい分かっているつもりだ。だから、せめて小さなことから、「夢」 ではなく「目標」から立ててみようかな。そう。高橋さんのように大きな夢が見つか るまで・・・。 夢に一歩、明日に一歩、一歩一歩 歩んでいこう。 第 4 回川根本町感想文コンクール 中学生の部 特選 ラララ親善大使を読んで 本川根中学校 3年 坂下 もも 「ある日突然、エイズが僕の村にやってきて、僕のお父さんとお母さんを奪って行 った。僕は何も悪いことをしていないのに。僕はエイズが憎い。」 ガーナ共和国に住む、十歳の男の子が、親善大使である紺野美沙子さんに言った言 葉です。紺野さん心にこの一言がずっしりと根を下ろしたと言います。 俗に「開発途上国」と言われるところで、HIV/エイズが大きな問題だという事は 私も知っていました。この一言に、紺野さん同様、私も心を痛めました。 この本は、UNDP(国際開発計画)親善大使・紺野美沙子さんが、十年間に七カ 国もの国を訪れ、真の豊かさと貧しさをつづったエッセイでした。世界地図すら頭に 入っていない私は、「開発途上国」がどういったところなのか、親善大使って何をし ているのか、全くと言っていいほど知りませんでした。だからこそ、《子供たちにど うしても伝えたい、開発途上国のこと》という、本の帯表紙の言葉に魅かれました。 この本を読んでいくと、今の自分達の生活とはかけ離れ過ぎていて、想像もつかな いようなもの、時には信じられないようなものもありました。 一番私が衝撃を受けたのは、カンボジアでは「人身売買」が存在している、という ことです。二十一世紀の現代に、そんなものが存在しているなんて、信じられないし、 信じたくなかったです。また、人間一人当たりの値段は 300$∼500$、日本円にす ると三万円∼五万円だそうです。流行のゲームを買うのとほとんど同じなんです。こ んな事があって良いのか、と私は怒りを感じました。また、がっくりしたのは子ども たちを売っているのは親なのだそうです。今日食べていくお金も無い貧しい人達は、 たった数千円でも子供を手放すということでした。 この事実を知り、私は「信じられない・・・。」この言葉しか浮かんできませんで した。自分の子を数千円で手放す親の気持ちはいったいどんなものなのだろう。普通 ならありえないことです。しかし、「人身売買」が存在するという事は、それほどま でに厳しい生活を強いられているんだという事を強く感じさせられました。また、私 たちのようにお腹が空いたらご飯を食べることができ、病気になったら病院に行ける、 そんな生活がどれだけ幸せなのか改めて感じました。 この本に出てきた子供たちの瞳は写真でも分かるほど本当にキラキラしていまし た。しかし悲しい事に、幼くして両親をなくした子、親に捨てられた子、地雷によっ て片足を奪われた子・・・と、つらい過去を抱えている子供も多くいました。 つらく悲しい過去を抱えながらも、前向きに生きている子供たちの夢。それは、私 たちとは全く違いました。「優秀なプロフェッショナルになって国や両親のために働 きたい」「国を開発したい」この国の子供たちの夢は自分のことではないんです。ど んなに満足な生活が出来なくても、一番に考えているのはみんなの幸せなんです。今、 私たちが生活している社会はどうなのだろう。 「自分さえ良ければ・・・。」もちろん 全部が全部そうではありませんが、少なからずあると思います。私も同じです。だか らこそ、この子供たちの夢には驚きました。それと同時に、尊敬もしました。苦しい 状況でもそう考えることのできるきれいな心を持った子供たちが本当に羨ましかっ たです。 しかし、どんなに素敵な夢を持っていても、理想を描いていても、現実に待ってい るのは厳しい生活なんです。一日三食食べることは愚か、何も口にしないまま過ごす こともあるということでした。 そういった生活をしている子供達に、私ができることって何なんだろう。そう考え たとき真っ先に頭に浮かんだのは、ユニセフ募金でした。 小学校の修学旅行で、全校児童から集めた募金を持ってユニセフ協力へ行きました。 そこで、 「世界の恵まれない子供たち」の事について少しだけ学びました。それ以来、 私はユニセフの募金箱をみつけるたびに少しですが、お金を入れるようにしてきまし た。 私はこの本を読んで、「私も何かしたい」そう強く思うようになりました。紺野さ んのようにたくさんの国を周る事はできませんが、世界のこういった現状から目をそ らさず、少しずつでも色々なことを知っていくことが今の私にできる一番の事だと考 えました。 この一冊の本に出会えて本当に良かったと心から思います。 第 4 回川根本町感想文コンクール 高校生・一般の部 特選 アリソン 川根高等学校 2年 松山 緑里 「戦争を終わらせることができる、それだけの価値がある宝」−実際、戦争が起こ る原因やきっかけは数え切れない程あるだろう。人種の違い、宗教の違い、価値観の 違い。自然の豊かな日本では想像もつかないが、水や食料などをめぐる争いが起こる ことも少なくないだろう。もしそれらを防ぐことができたとしても、完全に終わらせ ることのできる宝なんて、実在するのだろうか。 私はもちろん、戦争なんて無いほうが良いと思っている。理由は何であろうと、人 間同士が命を奪い合うことなどあってはいけない。そう思う。だが、戦争というもの を経験したことのない私には、戦争そのものがいまいちわかっていない。せいぜい、 敵と味方がいて、お互いにけんかをし、どちらか一方が全滅するか、降参して逃げ出 すかすると、もう一方の勝ちとなる。その程度の解釈しかできない。 しかし、現実の戦争はそんなに簡単ではない。「両国の仲が悪いのは、お互いが、 自分達こそがヒトとしての先祖だと思っているからなんだ。」主人公の通う学校の教 師の言葉だ。この物語の世界には二つの国があり、どちらの国民も同じように「自分 達が先に生まれてきた。だから対等な立場で仲良くするなんておかしい。」という考 えを持っている。向こうの国より自分達のほうが正しいし、ずっと優れているという ことを認めさせたいと思っている。これが戦争の問題だ。 このことを知った時、心の奥から一つの思いがよみがえってきた。私は昔から社交 的な性格ではない。控え目で声も小さく、人と話すのが苦手だ。なので、自分の意見 を人に言うことは少ない。そのせいか、友達にはよく聞き上手だと言われることもあ ったりする。それはそれで嬉しいのだが、そんな私にも、自分の考えを理解してほし い。誰かに認めてもらいたい。そんな思いを持つ事だってある。 しかし、いざ勇気を出して言ってみても、誰も理解しようとしてくれなかったのだ。 真剣に放った思いが誰にも届かないのはとても辛かった。友達が深い意味も込めずに 発する言葉より軽く受け取られたり、なんとなく流されてしまうんだったら、いっそ 言わない方がましだったじゃないか。そんな考えばかりが脳裏をよぎり、知らず知ら ずのうちに人を遠ざけるようになった。一人でいるのは寂しいが、人と接している時 の方が疲れるのだ。自分を受け入れてくれないのなら、自分も友達を受け入れる必要 がない。友達なんていらないと思った。そして、普段は控え目な私でも、友達の誰か が一度でも挑戦的な態度をとるようなら、戦う覚悟があった。戦ってでも認めさせた いと思っていた。それだけ強い思いを持っていた。 つまり、戦争とは、強い思いと思いのぶつかり合いのことを言うのではないだろう か。相手の気もちを受け入れずに、無理矢理にでも自分の気持ちを認めさせようとす る。戦争に勝つことで、考えを共有させることができる。だから人は戦うのだ。 ただし、それは間違っている。無理矢理ではなく、お互いが相手を理解しようとし なければいけないのだ。人種とか、宗教とか、その人達にとってはとても大切なこと かもしれない。でも、それより前に考えなければいけないことがある。それは、自分 も、戦っている人達も、傷ついたり、命を落としたりしてしまう人達も、みんな同じ 人間だということ。誰もが対等な立場にあり、平等だということだ。そして、そのこ とに気付くということこそが、宝なのではないだろうか。その宝を手に入れることが できれば、この世界からも戦争がなくなるのだろう。 戦争は、たくさんのものを奪っていく。家族や兄弟、あるいは大切な人を。それは とても悲しいことだと思う。でも、戦争があったからこそ得たものもあると思う。そ れは、きっと大切な人を、愛する人を、共に戦う同士を思いやる心だ。いて当たり前 だと思っている人を失う痛みを知ることで、初めてその人が大切だと気付くのだ。私 自身も、友達を遠ざけてしまってから初めて、その大切さに、温かさに気付かされた。 対立することもあるし、わかり合えないこともある。でも、いつも私を見守ってくれ、 困った時は助け合い、支えてくれていた。だからこれからは、友達をもっともっと大 切にしていきたい。友達だけでなく、私の周りのみんなも大切にしていこうと思う。 第 4 回川根本町感想文コンクール 高校生・一般の部 特選 「宇宙の謎はどこまで解けたか」を読んで 川根高等学校 2年 伊藤 将大 晴れた夜、空を見上げるとそこには今にも飲み込まれてしまいそうな真っ暗な空と、 そこに輝く、まるでダイヤモンドをちりばめたかのような星、そして僕らを照らして くれる月があります。僕はその光景が大好きです。 僕がこの本を読んでみようと思った理由は、その光景を作り出してくれている宇宙 をもっと知りたいと思ったからです。 宇宙には言葉では表せない程の長い歴史があり、その中で物質が無数の銀河を生み、 それぞれの銀河の中では、何千億という恒星が次々と生まれては死んでいる。僕らの 暮らしている地球は、四十六億年前に冷たいガスとダストの雲の中から太陽と他の惑 星とともに生まれた。宇宙、銀河、星、そして僕らをつくったのはある一つの物質。 はるか遠い天体の世界に、地球とは全く別の生き物、異質の文明があるかもしれない。 こんなおもしろい事に興味を持たない人がいるだろうか。この歳になると少し難しい 文章でもある程度のことはわかるのでとてもおもしろかったです。 その中でも特に興味深く、感銘を受けたのが宇宙のはじまりの話と地球外生命体の 可能性の話でした。 かつて宇宙のはじまりは「火の玉宇宙」と呼ばれる状態で、膨張するにつれて温度 が下がると、それまで物質と反物質の対発生、対消滅をくり返してきた火の玉宇宙が、 対発生反応を起こすエネルギーを失う。そこで全ての粒子と反粒子がぶつかり合い光 になると、もう新しい対発生が起きなくなる。しかし、物質が反物質よりもごくわず かだけ多かったとすると、余分の物質は対消滅の相手がいないまま生き残る。それが 今、宇宙を作っている物質ということになる。というものです。 僕はこれを知った時ものすごく感動しました。もはや神のいたずらとしか言いよう がない。それがなかったら全ての今はない。やっぱりすごいと思います。そして、そ れを発見した人間も、偉大だなぁと思います。 もう一つは地球外生命体の可能性の話です。どこか遠い遠い星に、僕らと同じよう な形をした生物、もしくは、想像もつかないような形をした高度な知能を持った生物 がいるかもしれない。もしかしたら、それらも同じような考えを今しているかもしれ ない。そんな事を考えるだけで興奮してきます。 しかし、実際のところ惑星探査ロケットなどによる目ざましい成果は、逆にこれを ほぼ完全に打ち砕いてしまいました。火星にしても金星にしても厳しい環境下にあっ て、高等な生物の存在は望めないという残念な結果になってしまいました。それでも 火星には地下に大量の水が閉じこめられていて、過去に大きな湖があった地形的証拠 があるので原始的な生物がいる可能性はわずかながらあるみたいなので、これからそ ういうのが解明されていくのがたのしみです。しかも、これは太陽系内の話で、銀河 系の中に 100 億の惑星があってもおかしくはなく、数多くの生命が満ちている。そ の可能性は高いらしいです。その観測は難しいが、将来的には不可能ではないみたい なので、僕が生きているうちに地球外生物の存在が確認されてほしいなぁと思います。 宇宙は本当におもしろいなぁと本を読んで感じました。本の中に書かれている科学 的な事だけでなく、たくさんの目撃情報などがある宇宙人や UFO の存在などとても 興味深いです。信憑性は低いかもしれませんが、NASA は宇宙人と接触している。 二千十二年にフォトンベルトが接近して地球が電子レンジの中みたいな状態になる。 未来から来た男。などもすごくおもしろいと思います。 僕らがこうして生きていられるのも宇宙があるからといっても過言ではないと思 います。長い授業も宇宙の歴史から言えばほんの瞬きにも満たないことで、人間は本 当に小さい存在だと思います。それでも奇跡によって生まれた地球、その中で奇跡に よって生まれた僕らはもっとその事を大切にし、一日一日を生きていかなければと感 じました。
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