特別企画刀剣展 「美濃関鍛冶の歴史と 刀装具の美」 関の孫六(兼元)・兼定の刀をはじめ 清流長良川の砂鉄から鍛刀した 国体記念日本刀を展示! 美濃彫鐔(つば)等の刀装具展 同時開催! 美濃(関)伝は、大和(奈良) ・山城(京都)・相州(神奈川) ・備前(岡山)とともに「五か伝」 の一つとして知られており、現在でも関市でその 700 有余年の伝統を受け継いで刀匠が鍛刀をして います。 今回は、ぎふ清流国体の剣道会場において、南北朝時代から現代までの関鍛冶が作刀した日本刀 を一堂に展示し、美濃鍛冶の歴史展として紹介します。 関の孫六で有名な「二代目兼元」や「兼定」の戦国時代の日本刀を中心に、江戸時代に 関市に残って作刀した刀匠の刀や明治・昭和に関伝の伝統技法の継承に尽力した「小坂金兵衛兼吉」 ・ 「渡邊兼永」など時代別に紹介しています。 さらに、ぎふ清流国体開催記念として、現代刀匠の「吉田兼久」刀匠が、清流長良川の砂鉄を集め、 記念刀を製作されましたので、ぜひご覧いただきたいと思います。 今回の特別展は、関市所有の刀剣を始め「赤羽刀」として寄贈を受け研ぎ直した刀剣や個人の 刀剣をお借りして開催しています。 また、武士の装いである拵を始め、鐔や小柄・笄・縁頭といった刀装具も個人からお借りして 刀装具展として同時開催をしています。 ぎふ清流国体の観戦とともに関市の誇る伝統の技と美を鑑賞してください。 期間 平成24年9月25日(火)~10月28日(日) 場所 わかくさ・プラザ 学習情報館1階 特別陳列室 为催:ぎふ清流国体・ぎふ清流大会関市実行委員会、関伝日本刀鍛錬技術保存会・愛刀会 ぎふ清流国体 特別企画刀剣展「美濃関鍛冶の歴史と刀装具の美」 わかくさ・プラザ 特別陳列室 平成 24 年 9 月 25 日(火)~10 月 28 日(日) 刀剣展示(刀 10・太刀 2・脇差 5・短刀 1・薙刀 1・拵 5) NO 1 種類 刀 銘 無銘(志津) 時代 長さ 南北朝 69.6 特 徴 本来はもっと長大な太刀であったが後代に大磨上 げ(おおすりあげ)されて無銘の刀となったのが惜し まれる。さすが正宗十哲と言われる「兼氏」の作で、 大和系鍛冶の特徴がうかがえる 2 拵 朱塗梅花皮鮫打刀拵(しゅぬ - - りかいらぎさめさやうちがたなこしらえ) 3 刀 兼秋 鞘の鮫皮紋様が梅花に似ていることから梅花皮鮫 (かいらぎ)鮫皮という。 室町前期 62.8 中間反りが深い細身の打刀姿で古風な銘と共に時 代が上がるのを感じる。 4 刀 兼光 室町前期 74.6 雅味のある銘振りと刀姿が室町前期の古関鍛冶を 物語っている。 5 脇差 濃州関住兼定作 室町中期 55.6 永正元年十一月日 小板目肌がよく詰み地沸つき、刃文は互の目丁子乱 れで金筋・砂流しを交えた資料的価値の高い優品。 永正元年(1504 年)の貴重な年紀を切り 500 年振 りに里帰りした。 6 拵 黒石目雲文塗鞘脇差拵 7 脇差 兼基作 - 室町中期 - (くろいしめ うんもんぬりさや わきざしこしらえ) 44.0 尖り互の目を三本杉風に焼き「兼元」一門の刀匠と 思われるが、この書体は味わいがある。 8 刀 兼元 室町中期 60.8 本作は二代兼元「関の孫六」の円熟期の名刀である が、磨上げ(すりあげ)が惜しまれる。 9 脇差 陸奥守大道 桃山 46.8 文禄三年八月日 10 刀 濃州関住人兼則作 文禄三年(1560 年)の作は陸奥守受領の最晩年作 といわれる。短寸ながら迫力みなぎる作刀である。 室町後期 68.7 天文十三年八月吉日 重要刀剣「兼則」の快心の作。天文十三年(1544 年)の作で戦国武将の注文打ちと思われる。よく鍛 えられた地鉄に細かな地沸が一面につき明るく冴 える。刃文は変化に富んだ互の目が为体で見所多く 魅力的な刀である。 11 薙刀 濃州住兼国作 桃山 45.4 慶長二年丁酉八月吉日 慶長年紀の薙刀は貴重でしかも出来は優れている。 三阿弥甚 九郎兼国の傑作と思われる。慶長二年 (1597 年)の作。 12 太刀 氏房 室町末期 72.4 二字銘氏房の太刀としては傑作品である。茎(なか ご)の棟を摺り上げ打刀に改造したのが惜しまれる が美しい地鉄に志津を彷彿させる刃文が素晴らし い。 13 脇差 関三阿弥兼高 江戸前期 48.7 新刀期に残った関鍛冶の快心作の一振。互の目乱れ を焼き身幅広く重ねもしっかりした健全な脇差で ある。新刀期になると美濃鍛冶は全国の城下町に移 住し美濃国には兼高・兼門・清宣・兼国・兼常など が残った。 14 刀 兼元五代目兼直作 江戸前期 74.4 長さはたっぷりあり身幅と重ねも充分ある三本杉 を焼いた健全な良刀。兼元五代目を名乗る珍しい作 である。 15 脇差 関之住兼門 江戸前期 45.2 脇差ながら健全な作である。善定一門の総領家を継 ぐ。後年丹波守を受領してから照門と改名した。 16 拵 黒研出鮫腰刻鞘脇差拵 - - (くろとぎだしさめ 17 刀 兼貞 江戸中期 68.8 初代が蜂屋(美濃加茂市)で鍛刀して以来この一派 元禄十二乙卯年二月吉日 こしきざみさや わきざしこしらえ) を「蜂屋兼貞」と呼んでいる。元禄十二年(1699 年)の年紀が貴重 18 拵 黒石目塗鞘打刀拵 - - (くろいしめ ぬりさや うちがたなこしらえ) 19 短刀 於東都近江国胤明淬之 明治 27.2 全国的に知られた名工堀井胤明(たねあき)との合 濃州関住兼吉両作 作。兼吉が鍛えて胤明が焼入れした刀である。 明治三十九年五月吉日 刀身には緻密で美しい三十六歌仙の歌と選者が彫 られている。 20 太刀 無銘(伝兼吉 小烏丸造) 62.2 明治 (金兵衛兼吉 明治 44 年 5 月吉日時年 75)と鞘書き。 本作はやや小振りの造りながら入念な作刀である。 21 刀 濃州関住渡邊兼永作 68.1 昭和 の目乱れを焼く。昭和 15 年の作刀である。 紀元二千六百年二月吉日 22 拵 軍刀拵 - - 23 脇差 濃州関兼久作 平成 58.3 以長良川砂鉄製鉄鉧 ぎふ清流国体ぎふ清流大会 記念之 24 刀 濃州関吉田剱兼久 た砂鉄から鉧(けら)をつくり鍛刀した。 79.6 平成 類 平成 22 年 6 月 12 日・13 日に関市を为会場として 開催された第 30 回全国豊かな海づくり大会を記念 して吉田兼久刀匠が清流長良川から収集した砂鉄 から鍛刀した。 平台展示(鐔(つば)10) 種 平成 24 年 9 月開催のぎふ清流国体・ぎふ清流大会 を記念して吉田兼久刀匠が清流長良川から収集し 偲炷兼正 以長良川砂鉄 製鉄鉧作之 第三○回全国豊かな海づくり ぎふ長良川大会開催記念 NO よく詰んだ地鉄に矢筈と角張ったり丸みのある互 平台展示(目貫 2・小柄 1・笄 2・縁頭 5) 銘 時 代 形 状 種 類 銘 時代 1 水草藻貝瓜蝶図 無銘 古美濃 室町末期 木瓜形 秋草図 目貫(めぬき) 無銘 古美濃 室町後期 2 鶯宿梅の図 無銘 古美濃 桃山 菊花形 秋草図 目貫 無為 古美濃 桃山 3 秋草図 無銘 古美濃 桃山 菊花形 撫子図 小柄(こづか) 無銘 古美濃 桃山 4 秋草図 無銘 古美濃 桃山 撫角形 秋草図 笄(こうがい) 無銘 古美濃 室町初期 5 藻貝図 無銘 古美濃 桃山 竪丸形 松樹図 割笄(わりこうがい) 無銘 古美濃 桃山 6 秋草に鹿図 無銘 美濃 江戸初期 丸形 丁子唐草図 縁頭 無銘 古美濃 桃山 7 唐草花文図 無銘 美濃 江戸初期 撫角形 舞鶴に老松烏居図 縁頭 無銘 古美濃 江戸初期 8 虫尽図 無銘 美濃 江戸前期 丸形 秋野の図 縁頭 銘 美濃住光伸 江戸中期 9 十二支に秋草図 無銘 美濃 江戸前期 木瓜形 鳳凰に花桐図 縁頭 銘 美濃住光仲 江戸中期 10 鳳凰と桐に龍図 無銘 美濃 江戸前期 木瓜形 秋虫図 縁頭(ふちがしら) 銘 美濃住吉長 江戸中期 「美濃彫」 : 美濃彫は江戸時代に美濃を中心に造られた刀装具です。赤銅の黒地に金がよく映える一方で秋草 や虫のモチーフを好み、ほのぼのとした雰囲気を感じさせる作品が多いことも特徴です。室町・桃 山時代に見られる作品は「古美濃」として江戸時代以降の「美濃彫」とは区別されています。 「鐔」 : 「笄」 : 「縁頭」: 「目貫」: 手が刀身へ滑るのを防ぎ相手の攻撃から手を守り、バランスをとる。 烏帽子からはみ出した髪を整える道具であったが装飾性を増していった。 柄の鐔よりに装着するのが「縁」 、柄の先端に装着するのが「頭」 刀身を柄に止める目釘を隠すための装飾として生まれたが握りやすくする ため美意識のポイントになっていった。 美濃(関)鍛冶の歴史 美濃(関)伝は、大和(奈良) ・山城(京都) ・相州(神奈川) ・備前(岡山)とともに「五か伝」の一つ として知られており、室町時代に成立したといわれています。 その始まりは刀祖「元重」が関へ移り住み刀鍛冶を始めたとされていますが大和・越前から刀匠が美濃 に移住して始めたという説もあります。 「元重」と同じ頃に活躍した刀工としては「金重」が挙げられます。 また、この頃には「兼氏」一派が大和から直江(養老町)や志津(南濃町)へ入り、その後、弟子たち が関へ移り住み作刀を始めました。 室町時代になると増加した鍛冶職人の統率を目的に「鍛冶座(鍛冶職人の自治組織)」が結成され春日神 社を本所とします。また、 「兼光」の直系の子孫である「善定家」を筆頭に「関鍛冶七流」が成立し「関は 千軒鍛冶屋が名所」と世にいわれました。 応仁の乱(1467 年)以後、関鍛冶は最盛期を迎え三百人近い刀工がいたといわれています。 関の刀剣は「折れず、曲がらず、よく切れる」と称され、戦国時代の代表的な刀工に「関の孫六」とし て知られる「兼元」 。銘を「之」と刻むことから「之定」とも呼ばれる「和泉守兼定」 。大胆で迫力ある「兼 房乱れ」と呼ばれる独特の刃文の「兼房」がいます。 織田信長は関鍛冶の「若狭守氏房」 ・ 「兼常」を、武田信玄は「兼道」を、徳川家康は「兼法」をお抱え 鍛冶として召し抱え、関鍛冶は他国へ移住していきます。 関ヶ原の合戦(1600 年)以後、江戸時代になると「兼門・兼高・清宣」のように関で作刀した刀工もいます が、多くが武将に抱えられ山城・尾張・越前など全国に移住していきます。 明治になると廃刀令により関鍛冶伝統技術の衰退を憂えた「真勢子兼吉(小坂金兵衛) 」が私財を投じて 関刀剣鍛錬所を建設し多くの弟子を養成しました。その門人の「渡邊兼永」は昭和 9 年に日本刀鍛錬塾を 開設し鍛錬技法を伝授・指導しました。 このようにして関伝日本刀鍛錬技法は兼吉・兼永により伝承され、現代はその孫弟子・ひ孫弟子によって 受け継がれています。 ◆関鍛冶伝承館で同時開催中◆ ぎふ清流国体・ぎふ清流大会応援事業 日本の名刀展 関の孫六(二代兼元)と兼定 期間 平成24 年9月29 日 ~10 月29 日 場所 関鍛冶伝承館(南春日町) 「赤羽刀」 : 戦後、連合軍の指示によって集められた刀剣類が東京赤羽の米軍基地に保管されていました。 これを「赤羽刀」と称し、平成 11 年に所有者の判らない刀剣を全国の公立博物館に譲渡されました。 関市には 480 振の赤羽刀が譲渡され、今までに 114 振を研ぎ直しなどの修復整備を行いました。
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