MJC --- Mathematically Justified Cybersystem

1 接近遭遇direct contact
マジンガーZ
話外伝
●
接近遭遇
direct contact
光子力研究所・コントロールタワー
いったものばかりだったから、 普通の 人型
は確かに
珍しい。だが、弓は、その形に見覚えがあった。
﹁あれは⋮⋮﹂
弓がその名を口にする前に、ヒューマノイドの腕が
ロケット噴射で飛んだ。近くのビルに命中し、粉々に
粉砕する。
﹁ロケットパンチ⋮⋮Zと同じ武器だ。間違いない﹂
弓はマイクを取った。映像を送り続けるアフロダイ
ヒユーマノイド
モニターを見ていた所員がいきなり声を上げた。
﹁所長、あれを見てください。今までに見たことのな
い機械獣です﹂
時々刻々、送られてくる被害状況をチェックしてい
た 弓 弦 之 助 は、 所 員 の 肩 越 し に モ ニ タ ー を 覗 き こ ん
だ。
モ ニ タ ー 画 面 の 中 で、 美 し い 女 性 型 の シ ル エット
が、炎をバックに立っていた。ドクターヘルが作り出
した機械獣は手が何本もあったり、武器が不自然に体
から生えていたり、半人半獣の外見を持っていたりと
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MJC
—— Mathematically Justified Cybersystem ——
裕川 涼
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光子力研究所・一階格納庫
Aに向かって呼びかける。
﹁さやか、攻撃するな。アフロダイAのミサイルを喰
らってはひとたまりもない﹂
機械獣に命中する前に撃ち落とされることが多かっ
たとはいえ、アフロダイAのミサイルはそれなりに強
力である。
﹁わけは後で話す。とにかく甲児君に任せるんだ﹂
弓は通信機のチャンネルを切り替えた。
﹁甲 児 君、 可 能 な 限 り 壊 さ な い で 捕 ま え て く れ な い
か?﹂
﹁へ? 機械獣をですか?﹂
﹁今回は多分大丈夫だ。出来るだけ壊さないように持
ち帰ってくれ﹂
﹁一体どういうことです? 所長﹂
のっそり博士が背伸びして弓の後ろから画面を見つ
めた。
﹁あ れ は ミ ネ ル バ X だ。 も と も と、 マ ジ ン ガ ー Z の
パートナーとして設計されたものだ﹂
弓は、三博士達を順に見た。
﹁いつかはこうなることを予想しないでもなかったが
⋮⋮﹂
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青木ヶ原樹海の原生林を切り開いて作った平地の真
ん中に、富士山に似せて作られた光子力研究所の白い
外壁が屹立していた。研究棟は外壁の半ばまでの高さ
の、曲面で囲まれた台形型の建物の内部にあった。こ
の附近の地下から産出するジャパニウムと、それから
取り出せるクリーンなエネルギーである光子力を発見
した兜十蔵博士は、ジャパニウム合金と光子力の研究
開発の拠点にするために光子力研究所を設立した。研
究所の運営が軌道に乗った頃、一番弟子であった弓弦
之助に所長の地位を譲って十蔵博士は引退し、別荘に
引きこもって、密かにマジンガーZという人型の巨大
ロボットの製作を開始した。マジンガーZが完成した
直後に、かつてのライバルであったドクターヘルに別
荘が襲撃され、十蔵は、マジンガーZを孫の兜甲児に
譲って息絶えた。以後、ヘルはしばしば機械獣と呼ば
れる巨大ロボットを差し向けて研究所ごと超合金Zを
奪おうとした。光子力研究所は防衛に立ち上がること
になり、同時にマジンガーZの整備の基地としての役
割を果たすことになった。
研究所の正面玄関の上方に管制塔がそびえ立ち、ヘ
ルからの襲撃を常時警戒している。建物裏側に太陽炉
やジャパニウムの精錬設備のプラントが建設され、排
水 処 理 施 設 ま で 完 備 し て い る 研 究 所 は、 単 な る 研 究
3 接近遭遇direct contact
拠点だけではなく、最新鋭の設備を誇る工場でもあっ
た。研究所では、もりもり、のっそり、せわしの三博
士がブレーン役を務め、多岐にわたる分野の研究者や
エンジニアが勤務していた。
そ の 光 子 力 研 究 所 の 一 階 格 納 庫 に、 甲 児 が マ ジ ン
ガーZで抱きかかえて運んできたミネルバXが収容さ
れていた。
﹁で、連れて帰ってきたのがこれか。確かに、女性型
とはいえZの面影があるのう﹂
せわし博士が鋼鉄の美女を見上げた。
非破壊検査用の設備を動かすレールが櫓を組んでそ
びえているその脇に、特別な支えも必要とせず、巨人
が直立していた。
﹁でも先生、申し訳ないけど、少しは壊れちゃったみ
た い で す よ。 Z が 近 づ く と 泣 き 出 す し 煙 を 上 げ る し
で⋮⋮﹂
甲児が状況を報告した。
﹁その程度なら大丈夫だ。修理できるだろう﹂
﹁修理って、これをですか? 機械獣にしてはずいぶ
ん華奢だし、攻撃もしてこないし、一体これは何なん
です?﹂
﹁名前はミネルバX。マジンガーZのパートナーにな
るはずだった。詳しいことは部屋で話そう﹂
光子力研究所・応接室
動作を停止した後は自動的に各関節をロック、オー
トバランサーで直立可能な姿勢をとるシステムは、弓
の師、兜十蔵が最初に実用にこぎつけたものだった。
﹁支え無しで立っていられる間は、故障といっても大
したことはない﹂
ミネルバXの立ち姿の微妙な関節の曲がり具合は、
アフロダイAのそれとほとんど同じだった。かつて研
究室で共に過ごした師の設計の特徴を、弓は、まぎれ
もなくそこに見出していた。
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3
﹁あれは兜博士が設計なさったロボットだ﹂
応接室のテーブルをはさんで、弓は、甲児と、娘の
さやかに向き合っていた。
﹁兜 博 士 の 別 荘 が 爆 破 さ れ た と き、 何 者 か に よって
設計図は持ち去られてしまった。今頃になって実物が
現れたということは、あのとき図面を奪ったのもドク
ターヘルだったに違いない﹂
﹁確かにマジンガーZに似ているけれど、パイルダー
で合体するわけでもないし、アフロダイAのミサイル
で簡単に壊れるようなものなんでしょ。どうしてそん
なものを作ろうとしたのかしら?﹂
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訊いたさやかに、弓は答えた。
﹁兜博士は、マジンガーZにパートナーをつけてやろ
うと考えられたのだよ。超合金Zで作って、光子力を
動力源にしていれば、そこそこ強力なものになったは
ずだ﹂
﹁パートナーにはアフロダイAが居るのに⋮⋮﹂
﹁あれは、私が兜博士の指導のもとに作った地質調査
用ロボットの後継機だ。目的が違う﹂
明らかに不満そうな顔をしたさやかを見て、弓は続
けた。
﹁最 初 か ら 兜 博 士 は ミ ネ ル バ X を 無 人 運 用 す る つ も
りでおられた。 マジンガーZには操縦席があったが、
以前に見せてもらったミネルバXの設計図には、操縦
席は無かった。﹃機械的にも戦闘力が増すとか傷つい
た時の救助をするとか、いろいろ有利な点がある﹄と
おっしゃっていた。それだけならば確かにその通りな
のだが、当時の私には、兜博士が一体何と戦闘するつ
もりでおられるのか、さっぱりわからなかった﹂
﹁訊かなかったんですか? 先生﹂
﹁訊こうと思った。ところが、兜博士は﹃勇ましい豪傑
には心をなごませる優しい女性がついているものじゃ
よ﹄と笑いながら続けておっしゃった。これも確かに
人 間 で あ れ ば そ う い う 場 合 も あ る か も し れ な い。 だ
からといってロボットでそれを実現しようと考えるの
は、相当なマニアの発想ではないかと⋮⋮。まあ、ロ
ボットに感情移入できるところまで、とことんマニア
に徹したから、あの途轍もなく素晴らしい研究業績が
出せたのかもしれない。ただ、こんな言葉をきいてし
まっては、 戦闘云々が何かの冗談のように思えてね、
訊きそびれてしまった。研究所自体は最初から光子力
の平和利用を謳っていたから、そうそう表だって兵器
開発の話などできなかったし、もしかしたらもっと上
の方から調査でも依頼されたかと思わないでもなかっ
たのだがね﹂
﹁ミネルバXはマジンガーZのパートナーだっておっ
しゃいましたよね﹂
﹁そ う だ。 ミ ネ ル バ X に は パ ー ト ナ ー 回 路 と い う 特
殊な装置があるから、操縦者が居なくてもZのパート
ナーとして動くのだ﹂
﹁でも、でも、さっきぼくが近づいたらぶっ倒れちゃっ
たけど、刺激が強すぎたのかな﹂
弓は、一瞬だが師が目の前に居るのではないかとい
う気がした。ごく自然にロボットを人間のように扱う
甲児の態度は、十蔵に通じるものがあった。
﹁その通りだ。ジャパニウムも光子力も持たないミネ
ルバXは、Zの出す強い波長に耐えられなかった。そ
5 接近遭遇direct contact
光子力研究所・一階格納庫
れで、オーバーヒートして、冷却オイルが目からあふ
れたんだ。まるで、悪魔に作られた我が身の不幸せを
嘆いていたようだった﹂
どこにどんな負担がかかったかは、もっと詳しく調
べてみないとわからない。弓は立ち上がった。
﹁今日はこれくらいにして、明日から本格的な調査を
始めよう﹂
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甲児とさやかが自室に引き上げたのを見届けてか
ら、 弓 は 一 旦 所 長 室 に 戻った。 だ が、 ど う し て も そ
のまま休む気分にはなれず、眠れそうにも無かったの
で、台所からウイスキーの瓶とグラスを持ち出し、格
納庫へと向かった。
本 当 な ら、 ま だ 酒 な ど 飲 ま な い 方 が 良 い の は 弓 に
もよくわかっていた。ついこの間、ジェットスクラン
ダーの誘導装置を開発したスミス博士の偽者が研究
所に侵入し、 弓は、 スクランダー格納庫で襲われた。
光線銃で撃たれた左上腕部はまだ動かすと痛みがあっ
た。骨には達していなかったが、ビームが通った組織
が熱で気化して失われた後の傷は、その深さに比べて
出血は少なかったものの、治りが遅かった。
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三博士や所員達も居なくなった格納庫のライトは全
て消され、常夜灯だけがぼんやりと全体を照らしてい
た。弓は、ミネルバXと向き合って、グラスの半ばま
でウイスキーを注ぎ、そのまま一気に飲み込んだ。強
いアルコールが咽に引っ掛かって思わず咳き込んだ。
咳がおさまるのを待って、弓はつぶやいた。
﹁ヘル、貴様一体何を作ったかわかっているのか?﹂
ヘルは、兜十蔵を強烈にライバル視していた。その
ヘルが、十蔵の設計をそのまま踏襲してロボットを作
るなど、プライドが許さないはずである。
﹁そ う ま で し て、 ヘ ル、 お 前 は 何 を 得 よ う と し た の
だ⋮⋮?﹂
眠くなるまで、というつもりで飲み始めた弓だった
が、 考え事をしていると余計に目が冴えてしまった。
師の設計したロボットをヘルが作って寄越したという
事実に対し、弓はどうしても納得できないものを感じ
ていた。
﹁これは私が作るはずのものだ。ヘル、貴様になど作
らせるつもりは⋮⋮。師を継いだのはこの私だ﹂
誰 も い な い 格 納 庫 に 弓 の 声 が 響 い た。 ロ ボット を
作って動かしてみることで得られる情報は多い。それ
が、天才十蔵の設計ともなればなおさらである。
弓 は、 ミ ネ ル バ X の 足 元 に 近 づ い て 座った。 そ れ
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ほど飲んだわけではなかったが、傷を負って調子の出
ない体には急に酔いが回ってきて、一度座ると立ち上
がるのが億劫だった。弓は、ミネルバXの足にもたれ
た。背中を通して冷たい金属を感じた。鼓動に合わせ
て痛み始めた左腕をそっと動かし、ミネルバに触れさ
せた。冷やすと楽になる。
熱伝導率も熱容量も超合金Zとは違うな。見込ん
——
だ通り、材質はヘルお得意のスーパー鋼鉄か⋮⋮
弓は目を閉じた。
徹底的に調べて設計図を再現してやる。何なら私
——
があるべき姿に作りなおしてやってもいい⋮⋮
明日の調査手順を考えながら、弓はヘルと十蔵の関
わりを思い出していた。
拘束系
Holonomic system
○○大学・兜研究室
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弓が初めて兜十蔵教授の研究室に来たとき、研究室
は多忙を極めていた。直前の空襲で下町が焼かれたた
め、研究室をあげて機材やら資料やらを分散させて保
管するための作業の真っ最中であった。
十蔵がドイツから帰ってきて大学で研究室を立ち上
げて間もなく、日中戦争が始まった。翌年、国家総動
員法が制定され、三年後には、日本は太平洋戦争へと
突入した。兵役を免れた科学者は、直接・間接を問わ
ず軍事を指向する研究に携わることになり、十蔵もま
た例外ではなかった。原子力が兵器に応用できるとい
うことは、既にこのころ原子力工学者の常識となって
いたが、技術的問題から五年以上先になると考えられ
ていた。国内では、理研を中心として、ウランの濃縮
から始めて、兵器開発を目指した研究者グループが軍
と一緒に活動していた。 しかし、 その人数は少なく、
まともな工業生産力を欠いた状態では実現は不可能
だった。
原子力工学を専門に選んではみたが、これから先何
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7 拘束系Holonomic system
をどうしたものかと不安を覚えつつ、弓は兜教授のと
ころを訪れた。
﹁戦時研究に参加することになるのでしょうか﹂
﹁参加も何も、ここには材料が何もないのだがね﹂
おずおず切り出した弓に向かって、十蔵はあっさり
と答えた。
﹁では、これまではどんな研究を行ってこられたので
すか﹂
﹁原子力をエネルギー源として利用するための基礎研
究だ。 平たく言えば発電所の設計だな。 残念ながら、
今の日本の状態では当分建設できそうもないが﹂
十蔵はわずかに溜息をついた。
﹁ウランは理研に集約することになっているし、陸軍
も 援 助 し て い た。 そ の 理 研 の 設 備 も こ の 間 の 空 襲 で
灰になった。ここも早々に疎開させることになるだろ
う﹂
﹁では、一体どうすれば⋮⋮﹂
﹁物が無くても物理法則は変わらん。聴ける講義は聴
いて勉強しておくことだ。それから、早めにテーマを
決めるつもりがあるなら、やってほしいことがある﹂
十蔵は、透明なサンプルケースを弓に手渡した。
﹁これまでに分かっているどんな物質とも違っている。
これが何で、何ができるかを調べるのが君の仕事だ﹂
金属光沢を放つ試料が中で転がって音をたてた。
﹁ウランがらみじゃないんですか?﹂
﹁それは既に調べたが、 ネガティブだった。 だから、
我々で研究してもかまわないだろう。まあ、ゼロから
やれとは言わん。私がこれまでに調べた結果を見せよ
う﹂
十蔵は、古びたノートを三冊、背後の書棚から引き
出した。弓は受け取り、自分の机に戻ってノートを開
いてみた。
ノ ー ト は ハ ー ド カ バ ー の A 4 版 の も の で あった。
所々に記された日付と、全てドイツ語で書かれていた
こ と か ら、 十 蔵 教 授 が ド イ ツ 留 学 中 の も の で あ る こ
とがわかった。一冊目の前半は核物理の基礎研究に混
じって、新元素の可能性がある物質Xの分析という項
目がしばしば出てきていた。二冊目では、新元素だと
したらどのような性質を持ち、利用できるかという可
能性を理論的に検討していた。後半になると、理論計
算に混じって、機械工学の基礎実験について書かれて
いた。 三冊目の最初の方で理論計算は終わっており、
残りは人型のロボットの設計製作に関するものであっ
た。核物理の研究、せいぜい逸脱したとしても新エネ
ルギー探索の研究になるはずが、どうして途中からま
るで違うものになったのかと訝りつつ、弓は、十蔵の
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富士山麓・仮設実験棟
実験の追試から始めようと考えた。
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2
十蔵は、設備のほとんどを大学から富士山麓青木ヶ
原の山中の仮設研究棟に移動させていた。 研究棟は、
樹 海 を 切 り 開 い て 均 し た 土 地 の 上 に、 一 棟 ず つ 少 し
距離を置いて建ててあった。間にコンクリートの塀を
作って両側に盛り土してあり、建物の周囲を土手が取
り囲んでいるような光景だった。辺鄙な所なので当面
は空襲の心配は無いとはいえ、もし攻撃を受けて一つ
の建物が火事になっても他に延焼しないようにという
配慮であった。
テーマも実験場所も決まったものの、弓は、実験を
すぐに開始することはできなかった。講義の合間に半
日がかりで出かけて実験しようにも、まずは移動のあ
との調整からやらざるを得ず、その上しばしば停電で
作業を中断することになった。自家発電装置の簡単な
ものはあったが、装置を存分に動かすには燃料が不足
していた。
五月の東京大空襲の時、弓は十蔵とともに疎開先の
仮設実験棟に来ていた。後から確認したところ、大学
の建物は無事だったが、水道も電気も止まってしまっ
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ており、大学での実験継続は不可能となった。
十蔵は、弓を伴って富士山麓の樹海の、弓にテーマ
として渡した鉱石を拾った辺りを探索した。自然にあ
いた竪穴の側面や路頭を注意深く削ると、それらしい
鉱石をもっと掘り出すことができた。リュックに詰め
て担いで帰れる量はわずかだったが、精錬に使える電
力に限りがあったので、それで足りていた。
弓は、不安定な電力の条件のいい時を狙って、小さ
な炉で鉱石を解かし、精錬作業をして、新しい金属の
純度を高めたものを分離していた。合金を作りやすい
ため、純度はなかなか上がらなかった。正体を突き止
めて利用法まで調べるには、もっと集める必要があっ
た。まともな実験器具も動力源も無しに、何とか工夫
しながら実験を続けていたある日、十蔵が新聞を持っ
て実験室にやってきた。
﹁広島に新型爆弾が落とされた。多分ウランだ﹂
﹁では、実現したんですか。日本が作って逆転を狙うっ
ていう軍の宣伝はありましたが⋮⋮﹂
﹁動力も材料も欠いていては、夢物語に過ぎん。理研
の連中は今頃悔しがってるだろうな。科学者としての
完全な敗北を意味する﹂
十蔵は冷静だった。
﹁先生は悔しくないのですか?﹂
9 拘束系Holonomic system
広島
﹁ウランで先を越されただけだ。次には抜けばよい﹂
十蔵は、弓が単離した金属を入れてある小さな試料
瓶を手に取った。
﹁この状況では、なかなか集まらないのですが⋮⋮﹂
﹁継続してくれ。それからちょっと一緒に出かけたい
ので準備してくれ﹂
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十蔵は、弓を伴って広島に向かった。弓はガイガー
カウンターを入れた箱を担ぐことになった。非公式の
調査ということで、既に入っている調査団とは別行動
をとった。
核反応のエネルギーが莫大だということを、 弓は、
計算の上で知ってはいたが、その大きさを実感したの
は、廃墟となった街を見た時だった。燃えないはずの
コンクリートは高熱で灼かれて風化し、金属はまるで
ガラス細工で出たゴミのように溶け落ち捻れたままの
形で固まっていた。
﹁あまりにも効率が良すぎる。これでは、普通の戦争
で使う兵器には、却って不向きだ﹂
何もかも吹き飛ばされた爆心地を見て、十蔵は呟い
た。 至る所に瓦礫に混じって人骨が散らばっていた。
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普通に空襲されたのであれば、もっと建物も、そして
死体の肉片も残っているはずだった。
﹁神の浄化の炎と呼ぶか、悪魔が運んできた地獄の業
火と呼ぶかは立場によって違うだろう⋮⋮しかし、発
見したエネルギーをこんな形では使いたくないもの
だ﹂
﹁勿論、地獄⋮⋮の方でしょう、先生﹂
放射線を測定しながら、弓はやっと言葉を発した。
﹁何、神だって時には無慈悲なものだよ。だが、科学
技術を使うなら、神と悪魔のどちらになるか選べる立
場でありたいな﹂
十蔵は鞄から地図とクリノコンパスを取り出した。
しかし、目標となるべき建物は無く、道であったはず
の場所が瓦礫で埋め尽くされているとあっては、今居
る場所と地図を対応させるのは難しかった。
﹁本格的な測量の道具でも持ってくるのだった﹂
﹁精度は悪くなりますが、コンパスだけで何とかする
しかなさそうですね﹂
﹁私の指示通りに歩いて測定をしたまえ﹂
遠 く に い る 弓 の 身 長 は、 コ ン パ ス の 鏡 に 小 さ く 映
る。その縮小率から距離を決めて、爆心地周辺の測定
を終えた時には、 既に日が暮れかかっていた。 弓は、
瓦礫の間から見えている土を掬って缶に入れた。蓋を
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富士山麓・仮設実験棟
して、外れないように紐で縛った。
﹁此処で食べ物を口に入れない方がいい。早々に引き
上げよう﹂
十蔵に言われなくてもそうするつもりだった。夜通
し歩いて、明け方には、まだ動いている鉄道の駅にた
どり着いた。富士山麓の実験棟に戻るには、さらに丸
一日以上が必要だった。
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長崎に同種の爆弾が投下されたという情報を聞いた
のは、広島から戻ってきた翌日のことだった。今度は、
十蔵も﹁調査に行こう﹂とは言い出さなかった。その
かわり、広島での測定結果を書き込んだ地図と、弓が
測定している最中の、持ち帰った土の放射能の値を見
て、深い溜息をついた。
﹁そう長い時間待たなくても、また人が住めるはずで
す。喜ぶべきことでは⋮⋮﹂
﹁だから完敗なのだ⋮⋮﹂
十蔵は続けた。
﹁いくら連鎖反応が早いといっても、始まれば急激に
温度も圧力も上がる。余程巧く作らない限り、未反応
のウランがばらまかれてしまう﹂
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﹁じゃあ、早く減ってるということは⋮⋮﹂
﹁ほぼ完全にウランを核反応させたということだ。工
学の勝利だな。それも圧倒的な﹂
十 蔵 は、 弓 が 使って い た ガ イ ガ ー カ ウ ン タ ー の ス
イッチを切った。部屋に静寂が戻った。
﹁我々に勝ち目はない。だが、負けたところで殺され
はせんだろう。次のことを考えて研究を続けるんだ﹂
弓の肩を軽く叩いて、十蔵は背を向けた。
日 本 が 全 面 降 伏 し た の は そ れ か ら 間 も な く で あっ
た。その日も、普段と変わらず、実験棟周辺にはうる
さいほど蝉が鳴いていた。
暫 く し て、 国 内 の 原 子 力 関 係 の 研 究 室 に は 占 領 軍
の調査が入った。核兵器開発が行われていたかどうか
を調べる目的であった。十蔵は何度か呼び出され、研
究室の設備や購入した材料の伝票までチェックされた
が、やっていないものはやっていない。何一つそれら
しいものが出てこなかったので、兜研究室に対する調
査は早々に打ち切られた。
弓が続けていた新物質を特定するための実験は、材
料が放射線を全く出していなかった上に、核物理学と
の関係もなかったため、ありふれた材料工学の実験と
みなされて、殆ど無視されていた。
11 拘束系Holonomic system
物資は不足していたが、それでも少しずつ良くなっ
ていた。発電機の数を増やしてどうにか小型のサイク
ロトロンを動かし、弓は、十蔵からもらった材料が新
元素であることを突き止めた。とりあえず、その新元
素をジャパニウムと呼ぶことに決めた。これが弓の学
士論文となった。弓が、研究を続けたいと希望したた
め、十蔵は、新元素が何に使えるか、特にエネルギー
源と材料の両面にわたって調べることをテーマとして
与えた。十蔵は、新元素にはエネルギー源になるもの
とそうでないものの二種類があるはずだと予測したか
ら、それを確認することが弓の次の仕事になった。
そのためには、できるだけ純度の高いジャパニウム
をたくさん手に入れる必要があった。弓が仕事にとり
かかろうとした頃に、もりもり、せわし、のっそりの
三博士が研究室にやってきた。三人は、もともと十蔵
の研究室で研究していたが、戦争が激しくなったので
繰り上げて博士号を取得後、軍の技術将校の下で働い
ていた。国内の研究機関に派遣されて、兵器の開発に
協力することがその任務だった。戦争が終わって軍が
無くなったので、再び研究をするために、十蔵のとこ
ろに戻ってきたのだった。三博士は、弓が取り組んで
い る 問 題 の 話 を き く と、 金 属 を 再 結 晶 さ せ て あ る 程
度まで純度を高めるための大型の装置を作ってしまっ
た。 大 学 の 実 験 室 育 ち の 弓 よ り は、 開 発 の 現 場 を く
ぐってきた三博士の方が、ものを作る手際はずっと良
かった。
弓は、純度の高いジャパニウムを手に入れようとし
たが、修士論文の締め切りには間に合わなかった。結
局、 よ り 純 度 の 高 い 合 金 の 形 に 精 錬 で き る 設 備 を 設
計・製作し、動作を確認したという内容をまとめた。
ジャパニウム鉱石の採集は、ほとんど人力に頼って
いた。手軽に採集できる場所は、十蔵がかつて偶然手
に し た 附 近 だ け で、 手 に 入 れ ら れ る 量 も 限 ら れ て い
た。新しく戻ってきた三博士も一緒になって研究を進
めることになったから、あっという間に材料が不足す
ることになった。
﹁本格的に採掘するしかないということだな﹂
弓 と 三 博 士 の 報 告 を 教 授 室 で 聞 い た 十 蔵 は、 立 ち
上がって書棚から富士山周辺の地質調査図を取り出し
た。実験棟の位置がインクで書き込まれ、その近くが
帯状に赤い色鉛筆で塗られていた。
﹁富士山の洪積世の地層のうち、ジャパニウムの鉱脈
がありそうな場所の推定位置だ。過去のボーリングに
よる調査は間隔が広すぎて、正確なことまではわから
ないが⋮⋮﹂
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﹁そこにジャパニウム鉱石が?﹂
﹁おそらくな。私が最初に見つけたのもここだった﹂
十蔵は、赤く塗った領域の端を指さした。
﹁では、早速採掘を﹂
もりもり博士が部屋を出て行こうとした。
﹁待ちなさい。 地図の上では比較的平坦に見えても、
実際には樹海で足場も悪い。そう簡単に調査などでき
んよ。第一どうやって機材を運ぶつもりかね﹂
﹁それなら私に考えがあります﹂
すかさず言った弓を見て、十蔵は続きを促した。
﹁ロボットを作ってみてはどうでしょう? 先生が以
前やっておられたように。人の力が足りない時こそ必
要なのでは﹂
﹁ロボットか、面白い。やってみなさい。みんなも手
伝ってあげなさい﹂
こ の 日 か ら、 弓 は、 人 型 巨 大 ロ ボット の 設 計 を 始
めた。
ジエネレータ
十蔵のノートを参考にして設計を始めたから、基本
構造はすぐに決まった。原子炉の代わりに、航空燃料
で動くタービン発
電機 を背負わせ、人が乗り込んで動
かせるように操縦席を後頭部に作った。さらに、胴体
内部に爆薬を積み込み、両腕と頭部に測定装置との接
タ ン デ ム
続コネクタやカメラを取り付けた。操縦のための装置
と測定のための装置を全部操縦席で動かすことにした
ため、操縦席を四方からパネルやスイッチが取り囲む
恰好になった。
﹁二
人乗り にした方が良かったのではないか﹂
整備用の足場の上に立って腕の配線を確認していた
弓の方へ、梯子を登りながら十蔵が近づいてきた。
﹁いや、大丈夫です。私一人でも何とかなります﹂
﹁大量の爆薬を積んで足場の悪いところを動き回るわ
けだが、安全にやれるのかね?﹂
﹁信管は現地で取り付けます。そうそう爆発はしない
﹂
でしょう。それよりも ——
﹁何かね?﹂
﹁山林にダメージを与えてしまわないか心配です﹂
鉱 石 の 分 布 を 知 る に は 実 際 に 掘って み る し か な い
が、 ボ ー リ ン グ の 数 を そ う そ う 増 や す こ と も で き な
い。弓は、爆薬を使って人工的に地震を発生させ、揺
れが伝わる様子を広範囲に測定することで、地下の構
造を調べるつもりだった。
﹁それについては、出来るだけ被害が出ないような計
画を立てよう。まあ、道路を造らなくても調査機材を
運んで設置できるのが最大の利点だろうな﹂
13 拘束系Holonomic system
弓が地質調査用ロボットの最終点検をしていた頃、
十蔵は一人の青年を弓に引き合わせた。
﹁私の息子で、剣造という﹂
﹁あなたが⋮⋮﹂
弓は右手を差し出した。剣造は力のある掌で握り返
してきた。教授の一人息子が先日同じ大学の同じ学部
に入学したという話は、弓も伝え聞いていた。
﹁早 く 研 究 に 加 わ り た い と い う の で、 私 の 研 究 室 に
限って参加を許すことにした。ここの設備も使うこと
になるだろうからよろしく頼む﹂
﹁実験装置の説明はいつでもやりますが、その⋮⋮﹂
どこから説明すればいいのでしょうか、と続けよう
とした弓に向かって、十蔵は笑った。
﹁私の研究に関連する部分については、学部で教わる
ようなことは全部知っている。英才教育などするつも
りは全く無かったが、勝手に勉強しおったのでな﹂
驚いている弓に向かって、剣造は﹁よろしく﹂
、と会
釈した。
地 質 調 査 が 始 ま る と、 弓 は、 研 究 棟 の 隣 に 新 し く
作った 急 ご し ら え の 建 物 で 過 ご す こ と に なった。 ロ
ボットの整備用の道具や燃料、調査で持ち帰った岩石
資料などを入れる倉庫を兼ねていた。外から見ても中
にはいってみても、研究施設というよりは、町工場の
建物に近かった。
数日分の食料と野営道具一式を積み込んで調査に出
かけ、作業に区切りがつくと戻ってきてロボットの整
備とデータの整理をするのが弓の生活の全てだった。
軽量合金で作ったとはいえ、エンジンを軽くすること
が で き ず、 故 障 に せ よ 燃 料 切 れ に せ よ、 山 中 で 立 ち
往生したら最後、搬出が困難になることは明らかだっ
た。それだけに整備点検には手を抜けない。
特 に ト ラ ブ ル が 多 発 し た の は、 予 想 通 り 関 節 部 分
だった。フィールドに出て、細かい砂が入り込むと途
端 に 動 き が 悪 く なった。 毎 回 分 解 し て 掃 除 し て い た
が、傷ができたり、無理に動かしたためゆがんだりし
た部品が出て、しばしば関節の一部を新品と交換して
いた。 この日も、 弓が次の調査の準備をしていると、
十蔵が様子を見に来た。
﹁はかどっているかね﹂
﹁ええ、何とか﹂
整備用の足場につかまったまま、弓は答えた。十蔵
は広い屋内を歩き回っていたが、痛んでしまったため
交 換 し た 部 品 を 並 べ て あ る 一 角 で 足 を 止 め た。 小 型
の一つを手にとって力を入れる。 ガリ、 と音がして、
引っ掛かりながら動いた。
14
﹁外で使うなら、可動部分は完全に覆った方がいい﹂
﹁そ う し た い の で す が、 重 く な り す ぎ て 難 し い の で
す﹂
弓 は、 整 備 の た め に 足 場 か ら ロ ボット の 腕 に 飛 び
乗った。その衝撃で腕がゆっくりと角度を変えた。滑
り落ちそうになって、弓は慌ててロボットの腕にしが
みつきながらゆっくりと下に移動した。
﹁おい、関節を固定しておかんか、馬鹿者﹂
やっと の 思 い で 床 に 飛 び 降 り た 弓 を 見 て、 十 蔵 は
溜息をついた。弓の作業用机の上にあった紙と鉛筆を
持ってくると、紙を床に置いて簡単な図面を描いた。
﹁こんな感じで固定してはどうかね﹂
弓は、差し出された紙を受け取った。ロボット内部
に関節固定用の器具をとりつけた、関節部分だけを覆
うカバーが描かれていた。
﹁すぐ作業にかかります。ただ、次に出かけるのが数
日遅れてしまいますが⋮⋮﹂
﹁かまわんよ。これまでのところ順調に進んでいるよ
うだしな﹂
作業机の脇に富士山麓の地図が貼ってある。そこに
書き込まれた調査ポイントを見て十蔵は頷いた。
野 外 調 査 が 一 段 落 し た 頃、 日 本 列 島 は 梅 雨 入 り し
た。 連 日 の 雨 で 調 査 に 出 る こ と が で き な く なった の
で、 弓 は 集 め た デ ー タ か ら 内 部 の 地 層 の 状 態 を 推 定
するための計算に取り組んでいた。十蔵の指示で、最
初に考えていたよりずっと地下深くまで調べることに
なったので、データの量が増えていた。その作業の合
間を縫って、 ジャパニウム鉱石を炉に入れて溶かし、
再結晶を繰り返して精製を行っていた。
ジャパニウムの純度を上げることは難しかった。溶
かして冷やす時に、大部分が他の金属と合金を作って
しまうため、うまく取り出せなかったのだ。急冷すれ
ば表面の一部にだけほとんど純粋なジャパニウムが膜
のように出てくることはあったが、たくさん作るのは
無理である。弓は、どういう組成にすれば、最もたく
さんジャパニウムを取り込んだ合金ができるかを調べ
続けた。加える金属を変えながら何度も溶かしている
うち、手持ちの炉で過熱した位ではどうしても溶けな
い固まりができてしまった。
﹁これ以上の精製は無理か⋮⋮﹂
次の手順を試すため、試料を取り出して箱に入れか
け、弓は手を止めた。
﹁溶けない合金か⋮⋮使えるかもしれない﹂
弓 は、 固 ま り の 周 囲 に こ び り つ い た 余 分 な 材 料 を
切り落とした。カッターでも切れない固まりが手元に
15 拘束系Holonomic system
残った。さらに、丁寧にヤスリで削って、芯の部分を
取り出した。それから数日かけて、密度、硬度、電気
的・磁気的性質から初めて、実験棟でできる測定を順
番に試し、一通り終わったところで結果をレポート用
紙にまとめて、十蔵の部屋を訪れた。
十蔵は、息子の剣造と話をしていたが中断し、弓が
持ってきた結果に目を通した。
﹁チタンよりも固いのに衝撃に強い、か。その上融点
が高く、熱による変形も少ないというのだな﹂
﹁偶然できたものです。組成は後から調べました﹂
削ること自体が困難だったため、光やX線を使って
組成を調べたので、あまり正確とは言い難かった。
﹁材料としては素晴らしい性質を持っている。これを
使えば、今君が使っている地質調査用のロボットの性
能は格段に上がるだろう。合金Zとでも名付けてはど
うかな。ジャパニウムの濃度はさほど高くなくてもで
きるということか﹂
﹁はい、この組成なら量産できると思います﹂
弓は答えた。
﹁どう思う?﹂
十蔵は、弓が持ってきた結果を剣造に渡した。剣造
は、ぱらぱらと紙をめくって目を通した。
﹁実用的には、量産するならこちらでしょう﹂
﹁こちら、というと既に何か別のものが?﹂
剣造の言葉に、弓は引っ掛かるものを感じた。
﹁実は、まだ少量だが、ほぼ純粋なジャパニウムを取
り出すことに成功した﹂
﹁何ですって? 一体どうやって? 私は随分たくさ
ん試してきてもできなかったのに⋮⋮﹂
年下の駆け出しの研究者である剣造があっさり成功
したというのを聞いて、弓は驚愕していた。
ウランと同じ方式でね。ハロゲン
﹁化学的な方法 ——
化させて溶液にしてから、 電気を使って析出させた。
だから、わずかな量しか取り出せていないのですよ﹂
﹁気付かなかった⋮⋮﹂
弓は呻いた。
﹁むしろ、 弓さんのおかげで私は気付いたんですよ。
弓さんが、鉱石を溶かして再結晶させるやり方をあれ
ほど試して見つからないのなら、私が同じことをやっ
ても出来るはずがないですから﹂
剣造の言葉は、弓の方法は袋小路に迷い込んでいる
と婉曲に指摘する内容になっていた。だが、剣造の口
調には、皮肉めいたところは微塵もなかった。
﹁詳しくは、こうなります﹂
剣造に実験ノートを差し出されて、弓はページをめ
くった。一週間もあれば追試できる内容だった。
16
﹁これで、好きな組成で合金を作れますね。ジャパニ
ウム濃度が高いもので、いい性質を持った合金を探す
なら、弓さんの方が早いでしょう﹂
﹁それは、できると思いますが⋮⋮﹂
﹁少し調べてみてくれんかね? 私の予想ではこのあ
たりだと思うが⋮⋮﹂
十蔵は、ペンを取り出し、合金の組成を机の上の紙
に走り書きして弓に渡した。
﹁どうせこの天気では、建物の中でデータ処理をする
しかないのだろう?﹂
十蔵の部屋の窓から見える雲は分厚く、土砂降りの
雨の音は部屋に居てもうるさい位だった。
﹁しかし、これは剣造さんの成果です。応用まで含め
て研究を継続されては⋮⋮﹂
﹁そ の こ と で し た ら 気 に な さ ら な い で く だ さ い。 ま
だ、 冶金の経験では私は弓さんには及びませんから、
弓さんに続けていただいた方がいいものが出来ると思
います。それに、今度はロボットの設計を手がけるつ
もりなので、両方を同時にやる余裕はありません﹂
剣造は、父十蔵のしてきたことを踏襲するつもりな
のだと弓は思った。
弓は、剣造が見つけた精製方法をそのまま追試して
みた。処理途中の液体に強い磁場をかけると、ジャパ
ニウムが二つに分離した。磁石の周りに集まってきた
ものの量は少なかったが、集めて精製したものにγ線
や中性子を照射すると、入れたエネルギーよりも多く
の光を発することがわかった。磁石に引きつけられな
かった方にはその性質は無かった。十蔵が予想した通
り、ジャパニウムにはエネルギー源になる燃料用のも
のと、材料になる合金用のものがあることは間違いな
かった。夜通し、エネルギーを発する様子を観察した
後、朝一番に十蔵を捕まえて弓は報告した。予想通り
だった、と満足げに頷く十蔵を見て、徹夜明けにもか
かわらず、弓は気分が高揚していた。
三博士達に手伝ってもらって、弓は、剣造が見つけ
た精製方法をスケールアップした、ジャパニウム製造
プラントの建設にとりかかった。材料を入れるタンク
や、析出させるための巨大な電解層の間を配管が結ん
でいた。さらに、廃液処理装置まで接続すると、ちょっ
と し た 化 学 工 場 に なった。 地 質 調 査 の つ い で に、 ロ
ボットを使って鉱石を掘り出すようになってから、手
に入るジャパニウム鉱石の量は以前よりかなり増えて
いた。この夏、弓は、ジャパニウム鉱石を集める作業
に追われることになった。
純度の高い材料用のジャパニウムを用いて、ジャパ
17 拘束系Holonomic system
ニウム濃度の高い合金をいくつか作ってみたら、合金
Zよりもさらに頑丈なものができた。成分を変えたと
きの性能の違いをあらかた突き止めてから、弓は十蔵
の所へ報告に行った。既に秋になっていた。
﹁見つけたか﹂
十蔵の問いは短かった。
﹁はい、しかし、大量に作るのはまだ無理です﹂
狙った組成の合金はたくさん作ることができたが、
期待した強度が出るものはそのうちのわずかだった。
弓が手にしていたのは、せいぜい数センチ四方程度の
板状の試料に過ぎなかった。
﹁強 度 が 出 る 理 由 は、 原 子 レ ベ ル で 欠 陥 の な い 合 金
になるからか⋮⋮君が最初に見つけたものが合金Zな
ら、これは超合金Zとでも呼ぶべきだろうな﹂
﹁生産量を増やす方向で進めましょうか?﹂
﹁それは急ぐ必要はない﹂
﹁では、私はどこまでで一区切りつけましょうか?﹂
そろそろ学位論文をまとめる時期になっていた。
﹁何 を 書 い て も か ま わ な い が、 足 り な く て 困 る こ と
はあるまい。 ロボットの設計製作から地質調査から、
ジャパニウムの分離精製プラントの設計運用まである
のだから﹂
考えた末、弓は、ジャパニウムからクリーンなエネ
ルギーを取り出すことができることを確認したという
内容で論文をまとめることにした。原子力工学を専門
に選んだ初志貫徹のつもりだった。さらに、もし十分
なエネルギーを確保できていたなら、太平洋戦争など
しなくて済んだかもしれないし、戦争を始めたとして
も終わらせる時にはもう少し有利な条件で講和できて
いたかもしれないという考えたことも、エネルギー取
り出しにこだわった理由だった。基本となった現象の
発見とその実験の説明にページのほとんどを費やし、
連鎖反応で安定してエネルギーを取り出す条件を計算
したものをまとめるという内容で第一稿を書いた。
十蔵の指導を受けるため、弓は手書きの原稿と図を
持って十蔵の部屋に向かった。十蔵は机の上に大きな
図面を何枚も拡げて見ていた。
﹁先生、まとめたので見ていただけますか?﹂
弓は、十蔵に論文を差し出した。ついでに机の上に
目 を や り、 十 蔵 が 熱 心 に 見 て い た も の が、 こ れ ま で
に見たことのないロボットの設計図であることを見て
取った。
﹁こ れ は⋮⋮先 生 は ま た 新 し い ロ ボット の 設 計 を な
さっていたのですか?﹂
﹁いや、これは剣造の考えたものだ﹂
18
﹁何という⋮⋮﹂
論文を出しに来たことも忘れて、弓は目の前の図面
に見入った。この半年、論文をまとめるためのデスク
ワークばかりになって、弓は倉庫兼整備工場の方には
顔を出していなかった。入れ替わりに剣造が出入りし
て、ロボットの腕やら足やらの試作をやっているとい
うことを話にはきいていた。
﹁素晴らしく洗練されている⋮⋮﹂
弓も、自分で地質調査用のロボットを作り、実際に
動かして経験を積んでいた。参考にした十蔵の設計に
対し、自分なりに改良点を見つけていたし、それを活
かして次はもっと性能の良いものを作ろうという計画
を立てていた。しかし、剣造が出した答は、弓の想像
を遙かに上回っていた。
親馬鹿と言われるかもしれんが
﹁私 も そ う 思 う ——
な﹂
﹁とんでもない。これは本物です。私が作ったのとは
比べものにならない性能を出せると思います﹂
言いながら、弓は、ロボットの開発をテーマにして
学位論文をまとめなくて良かったと心底思っていた。
剣造とロボットの開発で競争しても、到底勝てる気は
しなかった。
﹁それで、博士号を取った後はどうするつもりかね?﹂
﹁できれば、今の仕事を続けられたらと⋮⋮﹂
﹁原子力工学者としての仕事かね?﹂
﹁そう⋮⋮です﹂
弓は、 ロボットの設計図をちら、 と見た。 この先、
ロボットの設計を主な仕事に決めたとしたら、敗北感
を味わい続けるだけだろう。
﹁それなら、私の助手になるがいい。そして、新しい
エネルギー源の開発を進めることだ﹂
﹁よろしいのですか?﹂
先輩にあたる三博士も居れば、弓を独力で超えつつ
ある剣造も居る。それをさしおいて助手になっていい
ものか、と弓は気になった。
﹁弓君が居た方が、他の皆が動きやすい﹂
﹁そういうものですか⋮⋮﹂
﹁そういうものだ。皆、君の手伝いをするのを楽しん
でいたはずだ﹂
十蔵の言う通りだった。弓自身はさほど意識してい
なかったが、弓は、困っている姿を見ると周りがつい
つい手伝いたくなるような雰囲気を持っていた。
﹁エネルギー利用と、合金Z、超合金Zの生産が主な
仕事だ。ただし、超合金Zについては暫くの間、発表
を差し控えてくれ﹂
﹁合 金 Z で も、 世 の 中 に ア ピ ー ル す る 性 能 を 十 分 に
19 拘束系Holonomic system
持っていますが、しかし何故です?﹂
﹁広島を思い出せ。後に残った放射能を除けば、街の
破壊の主な原因は、急激なエネルギーの発生によるも
のだ。超合金Zの性能があれば、臨界量を遙かに超え
たジャパニウムを、高圧を保ったまま内部で一気に連
鎖反応させることができる。クリーンでもエネルギー
はエネルギーだからな。放射能を持たないだけで、大
量の熱とそれによる大気の膨張、広範囲にわたる衝撃
波の発生は十分に起きる﹂
﹁確かに爆弾を作ることは、理論上は可能です﹂
﹁放 射 能 が 残 る と な る と 使 用 を た め ら う こ と も あ ろ
う。だが、ジャパニウム爆弾は後に放射能を残さない、
極めて効率のよい通常兵器ということになる。兵器と
して使いやすい分、却って始末が悪い﹂
﹁わかりました。平和利用を掲げて研究を進めます﹂
部屋を出て行こうとした弓を、十蔵は呼び止めた。
﹁来 年、 私 は 海 外 出 張 で 当 分 の 間、 日 本 に は 居 な い
かもしれん。その間の研究室の実務をやってもらいた
い﹂
﹁どちらへ行かれるのです?﹂
﹁ロードス島だ﹂
エーゲ海のロードス島に、人類の有史以前のものと
思われる遺跡が見つかったという話は、既に何度か新
聞に出ていた。
﹁しかし、あそこは考古学者の仕事場所では⋮⋮?﹂
﹁実は、最近になって巨大ロボットが出土した。ほと
んど動態保存されているらしい。数千年も動作可能な
状態で保存する技術や、それがどれほどの性能のもの
な の か は、 ロ ボット 工 学 者 で な い と わ か ら ん。 近々、
考古学者と工学者で調査団を作って、本格的な発掘作
業をすることになった。チームに加わるように要請さ
れたので、引き受けるつもりだ﹂
十蔵の専門は原子力工学だったが、地質調査とはい
え人型巨大ロボットの運用実績を持つ研究室は他に無
かったので、調査を依頼されたのだった。
﹁先生の留守の間は出来る限り研究室をお守りします
が、剣造さんの指導は私にはちょっと⋮⋮﹂
荷が重い、と弓は言いかけた。
﹁ああ、それなら気にすることはない。あれは、卒業
したらすぐアメリカに留学して、博士号も向こうで取
るつもりでいる。大学のことは、私も時々は帰国する
から、そんなに心配することもなかろう。私がやって
き た 研 究 の 記 録 は 置 い て お く か ら、 好 き に 使 う と い
い﹂
昨年、対日講和条約が締結されて、アメリカとの人
的交流も再開されつつあった。それでも、アメリカに
20
留学できるのは、他の国に行かれては戦略上まずいと
認められるような人材が優先されていた。弓は、自分
も行ってみたいと思わないでもなかったが、剣造が描
いた設計図を思い出して納得した。
富士山麓・仮設実験棟
そ の 後、 弓 は 学 位 論 文 を 二 度 修 正 し て、 審 査 と 最
終 試 験 を 受 け て 学 位 を 取 得 し た。 そ の 直 後 に、 十 蔵
はロードス島に旅立ち、剣造はMITに留学していっ
た。
弓は、十蔵に与えられたテーマを三博士達と進めな
がら、十蔵が残して行った昔の研究の記録を追いかけ
ることになった。
●
5
夜の実験室の床を、途切れることなく水が流れてい
た。白衣の前にゴムのエプロンをかけ、マスクとヘア
キャップを付けた弓の前で、麻酔で眠らされたウサギ
が横たわっていた。頭から背中にかけて、毛は完全に
剃られていた。その脇には、鈍い光沢を放つロボット
の腕と足が並んでいた。細い金属の信号線が伸びてい
る。
一週間前にも同じような実験をやった。 その時は、
P
H
A
S
E
脊髄に到達してから足の神経をたどり、ロボットの足
を つ な い だ。 麻 酔 か ら 覚 め た ウ サ ギ は、 ど う に か ロ
ボットの手足をコントロールしていた。今回は、可能
な限り脳に近い位置でロボットの足を繋いでみるつも
りだった。脳だけを残して残りを機械の体にして動か
すことが最終的な到達点だと弓は考えていた。
十蔵がロードス島へ出向いてから、弓は研究室の留
守を守り、順調に光子力エネルギーの基礎研究を進め
ていた。研究室のメンバーの協力も得られ、進捗状況
には何の問題もなかった。客観的に見て、弓は十分す
ぎるほどよくやっていた。しかし、弓にとって、それ
は十蔵の引いたレールの上をただ歩いているだけに過
ぎなかった。
十蔵の部屋で剣造の描いた設計図を見た時のショッ
クを、弓は忘れることができなかった。ロボットの設
計ではこの先剣造には到底勝てない。材料開発にして
も、剣造から大きなヒントをもらっている。ジャパニ
ウムの発見、性質の特定の実験を中心になって実行し
たことは確かだが、それは全て十蔵の着想と指導によ
るもので、弓が自ら決めてやったものではない。十蔵
と出会ってから今に至るまで、 研究者としての弓は、
十蔵の掌から一歩も出ていない。地質調査は相当の部
分を独自にやったが、既に調査の大半は終わったと判
21 拘束系Holonomic system
断していたし、 この先地質学者になる気は無かった。
三 博 士 達 は、 め い め い の び の び と ロ ボット や エ ネ ル
ギー利用の研究をしており、研究室を任された弓を一
応は立ててくれていた。弓は意識して調整役に徹して
いた。三博士の誰かとぶつかる方向に自身の研究を進
めてもうまくいかないだろうと予想していた。
弓個人としてはどの方向に進もうかとあれこれ考え
ながら、十蔵の残した記録を調べることになった。十
蔵が積極的に手を出していないのは、生体で機械を制
御するという部分だとわかった。そこを攻めれば、十
蔵とも剣造とも違う部分で自分のオリジナルな研究が
できるのではないか。
弓は、ピンセットでウサギの皮膚をつまみ、ハサミ
で切開した。何度か生物学の研究室に通って教わった
ので、作業に慣れてきていた。脊髄に到達するのに大
した時間はかからなかった。今回の実験では、脳を活
かすのは本来の体で、手足の制御の信号だけを延髄の
近くで入れ替えることになる。間違って生命維持に必
要な神経を傷つけると実験は失敗である。弓は、一つ
一つ確認しながらロボットにつながる細い信号線を埋
め込んでいった。全てが終わり、麻酔が覚めるの待つ
だけになったとき、疲れ切った弓は椅子に座り、手術
台に顔を伏せて眠ってしまった。
弓君、此処に居たのか?
——
声をかけられて弓は目を覚ました。脇に十蔵が立っ
ていた。
﹁先生⋮⋮いつ日本に? ロードス島の調査中ではな
かったのですか?﹂
﹁国際会議がらみで仕事を頼まれてな、準備のために
急遽帰国した﹂
﹁おっしゃってくだされば、迎えに行きましたのに﹂
﹁何、 気にしなくていい。 君にも一緒に会議に出て、
光子力の現状について発表してもらう。内容を指示す
るから準備をしてほしい﹂
﹁わかりました﹂
仕事の指示をしながらも、十蔵は立ったまま、実験
台の上を眺めていた。
﹁で、これはどういうつもりかね?﹂
﹁私なりに調べた結果です。光子力の実用化は三博士
達が中心になって、もう間もなく実現する。ロボット
の設計は、どう考えても剣造博士がブレイクスルーす
るでしょう。我々のグループでほとんど手を付けてい
ないのは、生き物を使って小型の機械をコントロール
する分野です﹂
﹁確かにその通りだが⋮⋮私のノートを見たのか?﹂
﹁ ——
はい。小型のロボットを作ろうと試みた部分を
22
読みました。その後ほとんど進んでいないようでした
ので⋮⋮﹂
十 蔵 は、 脇 の ワ ゴ ン の 上 に 置 い て あった 弓 の 実 験
ノートを手に取った。無言で最初から読んでいく。
﹁こういうことを始めるとは、予想外だったな⋮⋮﹂
﹁私は、先生のおっしゃること以外、してはいけない
のですか? 指示された仕事は十分やっているつもり
です﹂
﹁確かに、 君は、 私が指導した弟子の中でも優秀だ。
研究室のことも非常によくやってくれている﹂
﹁それなら、 残った時間で私が自由に研究をしても、
何も問題は無いはずです﹂
珍しく弓は食い下がった。
﹁だが、これでは⋮⋮﹂
十 蔵 は、 実 験 台 の 上 で、 機 械 の 腕 を 繋 が れ た ま ま
眠っているウサギを見た。
﹁生き物を機械の部品にしているだけだぞ﹂
﹁ですが、私には、私にしかできなかった仕事は何も
ない⋮⋮﹂
﹁そんなことで悩んでいたのか? だから、私がやっ
ていなかった研究に手を出したのか?﹂
﹁いけませんか? 先生﹂
弓が普通程度に優秀な研究者だったら、十蔵や剣造
の仕事を見て凄いとは思ったとしても、自分にも何と
かなるかもしれないと楽天的に考えただろう。 だが、
弓は優秀すぎた。それ故に、十蔵や剣造の才能が、努
力で追いつけるものではないことを、容赦なく認識す
ることになった。そこで、弓は、十蔵も剣造も手をだ
していないテーマを探して進もうと考えたのだった。
﹁いけなくはないが⋮⋮君のしていることは、ヘルの
追試だ﹂
﹁ヘルって⋮⋮もしかして、ロードス島調査団の?﹂
調査団の代表が、考古学とロボット工学の二つの分
野を専門とするドクターヘルという研究者であるとい
うことを、弓は、以前に新聞で見た記憶があった。
﹁私 が ド イ ツ に 留 学 し て い た 時 の、 元 同 級 生 で も あ
る。ともかく、君がやっている実験は、随分前にヘル
が終えている﹂
﹁一体どういうことですか?﹂
﹁まあ、ついてきなさい。どうせウサギが目を覚ます
までの間、待っているしかないのだろう?﹂
十蔵は歩き出した。
十蔵は、教授室まで弓を連れて行った。留守中、部
屋の資料は弓が自由に見ていいことになっていたが、
その弓にも入れない、 施錠された物置が奥にあった。
23 拘束系Holonomic system
十 蔵 は 鍵 を 開 け、 扉 を 開 い た。 ほ こ りっぽ い 臭 い が
漂ってきた。
十蔵は、入り口にある照明のスイッチをいれ、まっ
すぐ奥に進んだ。四畳半ほどの広さの空間に、古い真
空管やら測定機器やらが雑然と積まれていた。その奥
に、木の箱が立てかけてあった。十蔵は、箱の全面の
蓋 を ず ら し て 脇 に ど け た。 等 身 大 の 機 械 の 体 が 中 に
立っていた。
﹁かつて、ヘルは、生き物の体を機械で置き換えよう
とした。そのヘルの研究を見て、私なりに試作したも
のだ﹂
頭 部 は が ら ん ど う で、 首 か ら 下 は 金 属 の フ レ ー ム
で輪郭が作られ、内部のメカが見えるようになってい
た。
﹁これは⋮⋮﹂
弓は、手を伸ばして胸の中に格納された機械に触れ
た。次に、腕をとって軽く曲げた。抵抗無く関節は曲
がったが、人間のものよりずっと重い腕であることが
わかった。
﹁どうして発表なさらなかったのです?﹂
﹁ヘルの研究が倫理的に問題になってな、ドイツでは
表だってこの手の仕事はできなくなった。そのうち帰
国して原子力工学に忙殺されているうちに戦争にな
り、それどころではなくなった﹂
十蔵は、弓と並んで立ち、久しぶりに自らの成果を
眺めた。
﹁私にはここまでが限界だった。この構造と重量を見
てみろ。顔の形や体格は人間のようにできても、中身
は機械そのものだ。まあ、この程度のものは、本気に
な れ ば 君 な ら す ぐ に 作 れ る だ ろ う。 い い 材 料 も 手 に
入ったことだしな﹂
弓は、獲物を追う目で機械の体を見つめていた。
﹁ヘルは大型ロボットも作ったが、そちらは私の作っ
たものの方が性能が良かった。私は、動力源と材料の
開発でヘルの先を行っていたからな。ロボット工学だ
けならせいぜい互角の勝負だった。専門分野は一つで
は足りない。その分野を支えているもう一段下の分野
を押さえると、開発で優位に立てる﹂
心しておきます﹂
﹁ ——
﹁実のところ、この研究をそのままにした理由は別に
あるのだ﹂
十蔵は独り言のような調子で言った。
﹁こ ん な も の で も、 人 間 以 上 の 力 は 出 せ る。 人 間 と
違って、弾丸を喰らっても、そうそう死ぬことはない。
痛みを感じないように作ることだってできるだろう。
脳だけ生かしておける維持装置を組み込めば、人間を
24
作り替えることだって原理的には可能だ﹂
﹁それが、何故いけないのですか? 体が機械になっ
ても人は人です﹂
﹁な あ、 弓 君。 人 間 を 洗 脳 す る と き に は ど う や る か
知っているかね?﹂
意外な質問に、弓はすぐには答えられなかった。
﹁一つの方法は、体の自由を奪ったり単調な行動をさ
せたりして、脳がニセの感覚を得るようにし向けるの
だ。そのタイミングで別の情報を与える﹂
﹁一体何の関係があるんですか?﹂
﹁君は、 脳が機械を制御することしか考えていない。
だが、その時、脳への入力はどこから来るのだ?﹂
十 蔵 は、 試 作 品 の 機 械 の 体 か ら 目 を 離 さ ず に 問 う
た。
﹁体を動かした時、意識しなくてもその情報は脳に戻
る。そのフィードバックがかかって初めて脳は正常に
動作するのだ。だから、入力を、元の体があったとき
とは違うものにしてやれば、案外脳は簡単に狂うかも
しれん。ニセの信号を与え続ければ、外から脳を操る
ことだってできるだろう。敵と戦えと洗脳すれば、死
なない兵士の軍隊を作ることができるのだ。このこと
がわかれば、軍は私に仕事をさせただろうな﹂
﹁そこまで考えていませんでした⋮⋮﹂
﹁サイボーグの開発を目指せば、これまでとは違った
何かが見えると思ったのか?﹂
十蔵は、弓の方を向いた。
﹁だが、ヘルもまた、ずっと先を進んでいる。私がこ
れしか作れなかった時、体重から触った感触まで人間
そっくりのものを作っていた。脳で機械を制御するこ
とだって、動物実験までは成功させていた﹂
﹁では、その後のヘルは⋮⋮﹂
﹁はっきりしたことは分からん。が、簡単には死なな
い 兵 士 を 作 る た め、 ナ チ ス に 合 流 し た と 聞 い て は い
る。どううまく立ち回ったものか、戦犯にはならずに
研究を続けているが、詳しいことは私にも何一つ言っ
てはくれない。 多分、 思い出したくもないのだろう。
考古学などという、現実の利害とは無縁の学問を第二
の専門にしていることとも、何か関係があるのかもし
れんな﹂
十蔵は、箱の隅に突っ込んであったノートを取り出
し、弓に手渡した。これまでに弓が借りたのと同じ種
類のハードカバーのノートだったが、半分ほどのサイ
ズで、ページの端は黄ばんでいた。五ミリ方眼の罫線
の中に、 日付と共に縦書きの日本語が書かれている。
実験記録ではなく日記であることが見て取れた。
﹁あまり考えたくはないが、第三帝国では人体実験の
25 拘束系Holonomic system
レール
やりたい放題だったに違いない。ヘルが仕事の成果を
全て提供していれば、死なない兵士の軍隊を得たナチ
スが負けることなどなかったと思うが、何があったの
だろうね。 ともかく、 あの才能がその経験を積んで、
一体どこまで研究を進めたのか、私にもちょっと想像
がつかんよ﹂
十蔵は言葉を切って、哀れむ目で弓を見た。
﹁君 が ヘ ル を 超 え ら れ る な ら い い が な。 さ も な け れ
十蔵のノートより抜粋
ば、私の路
線 からは外れても、今度はヘルの背中を見
ることになるだけだぞ。それでも、得られるものがあ
ると信じるなら、ヘルの後を追うがよい﹂
●
6
ドイツに来て半年経った。 毎日が講義と実験だが、
新しいことを知るのは楽しい。同級生の多くは、週末
になるとベルリンの街へ遊びに出かけているが、私は
金を節約するために大学の図書館で過ごすことにして
いる。
図書館居残りの常連組に、ヘルという男がいる。ラ
イン地方の貧しい家の生まれだときいている。子供の
頃から神童と呼ばれていて、大学へは奨学金を得て進
×月×日
P
H
A
S
E
学してきた。窪んだ大きな目と痩せぎすの体がこれま
での苦労を物語っているようだ。大抵は薄汚れた白衣
か綻びた上衣で、図書館の端の方で本を読んでいる。
×月×日
今学期の成績が発表された。自分では完璧にこなし
たつもりだが、いくつかの科目でヘルに負け、総合順
位で二位だった。世界は広いと認めざるを得ない。
講義が終わってから、廊下でヘルを見かけたので声
をかけた。﹁成績一位、 おめでとう。 実は僕も自信は
あったが今回は完敗した﹂と言うとヘルは嬉しそうに
笑ったが、すぐ真顔になって﹁成績が悪くなれば奨学
金を打ち切られるからな⋮⋮﹂と呟いた。
×月×日
こちらの生活にもだいぶ慣れたし、トップは取れな
いにしても、成績は二位を保っている。そろそろ、婚
約者のゆみこを日本から呼び寄せようと、手紙を書い
た。大学では聴講生も受け入れているので、共に学ぶ
ことができるだろう。
×月×日
26
時々、下宿の机の引き出しから、握り拳ほどの金属
光沢を放つ石を取り出して見ている。
高 校 の 時、 夏 休 み に 富 士 山 へ 山 歩 き に 出 か け、 青
木ヶ原の樹海に踏み込んで道に迷った。木の枝が時折
途 切 れ る と、 満 天 の 星 が 見 え て い た こ と を 憶 え て い
る。原生林をさまよい続け、何度か溶岩の洞穴に落ち
そうになって肝を冷やした。夜明け頃には何とか林道
に出ることができ、遭難を免れたのだが、その直前に
滑り落ちた穴の底で拾ったのがこの石だ。昔の火山の
活動で、マグマと共に古い地層が押し上げられて地表
に出てきたものらしい。何とも不思議な輝きをもって
いたし、これまでに鉱物の図鑑などでも見たことがな
かったものだったので、そのまま持って帰った。高校
の理科の実験室を借りて、何でできているのか知る限
りの方法で調べようとしたが、既存の鉱物のどれにも
あてはまりそうになかった。
も う 少 し 私 の 知 識 が 増 え て、 大 学 の 分 析 装 置 を 借
り る こ と が 出 来 れ ば、 何 で あ る か が わ か る だ ろ う と
思う。
×月×日
﹁エネルギーを取り出せる日が来るかもしれない。た
だ、問題は何に使うかだ﹂
原子力工学の教授が言った言葉だ。核物理学は、ど
んな現象が起きるかということを、そしてどんな現象
は絶対に起きないかということを予測できる⋮⋮はず
だ。しかし工学的に何が実現できるかまでは教えてく
れない。
カイザー・ヴィルヘルム化学研究所では、新元素と
同位体と粒子の発見ラッシュが続いている。
×月×日
最近、機械工学の講義に潜り込んでいる。原子力が
単なる動力源だというのなら、何に使うかというアイ
デアを同時に持っていた方がいい。いろいろ考えたの
だが、人間の力を拡張するために使う可能性を探るこ
とにした。人間が操縦する、巨大で力の強いロボット
を 作 る こ と。 十 分 な 耐 爆 ・ 耐 放 射 線 の 性 能 を 持 つ こ
と。原子力の実験には危険を伴うものがいくつもある
が、人間を安全な殻で覆ってしまえば自由に実験でき
るだろう。
ヘルも機械工学の講義に時々姿を見せているが、い
つもではない。 どうしているのかと訊いたら、 何と、
生物学を学んでいるという答えだった。
27 拘束系Holonomic system
×月×日
ヘルには気の毒なことをした。ゆみこを呼んで少し
してから、ヘルがゆみこのドイツ語や他の勉強を親切
に教えてくれるようになったので、つい、ヘルの好意
に甘えていた。しかし、ヘルはゆみこに恋心を抱いて
いたらしい。
私がゆみこの下宿に出向いて話をしていたら、ヘル
がやってきてゆみこにプロポーズしようとした。ひど
く気まずい思いで、実はゆみこは私の婚約者だと説明
したら、ヘルは何も言わずに出て行ってしまった。婚
約者とは言っても、結婚は、無事に大学を卒業し、日
本に帰って職を得てからの話だ。だから他人には、こ
とさらにゆみこが私の婚約者であるということを言っ
ていなかったのだが、逆に誤解されてしまったようだ。
×月×日
あれ以来、実習以外の時間にヘルの姿を大学で見か
けることが無くなった。週末の図書館にもヘルは顔を
出していない。試験になると出てきてほぼ満点を取っ
ているので、勉強はしているらしいが⋮⋮。ところが
今日、同級生達が﹁ヘルが犬や猫を追いかけて殺して
いるのを何度も見た﹂と言っていた。さすがに心配に
なって、ヘルの下宿を訪ねることにした。
大学で住所を確認したら、ヘルのアパートはスラム
のはずれにあった。街を歩いていると、時々、何とも
言えない異臭が漂ってくる。小一時間歩き回ってよう
やくヘルのアパートを見つけた。階段を上がって二階
にあるヘルの部屋のドアをノックした。返事も何もな
く、いきなりヘルが扉を開いた。中から強烈な腐臭が
漂ってきて、思わず顔を背けた。ヘルが﹁入れ﹂と言っ
たので、私はハンカチで鼻と口を押さえながらゆっく
りと中に入った。
異常な悪臭の元は一体何かと部屋の中を見回した
ら、大きなバケツの中に腐敗した動物が無造作に突っ
込まれているのが目に入った。犬や猫の足が何本か飛
び出していて、白い蛆が這い回っている。気持ちが悪
くなって、流しに向かい、水を流しながら吐こうとし
たら、﹁捨てに行く暇も無くてな﹂ とヘルが笑いなが
ら近づいてきた。
﹁犬や猫を殺しているというのは本当だったのか?﹂
と訊いたら
﹁本当だが、成果はあった﹂
と、ヘルは平然として答えた。気分が悪いなら外の
空気を吸えばいい、とヘルは言い、窓際の椅子に私を
座らせた後、窓を開け放った。そのときになって初め
て、足許に何かがじゃれついているのがわかった。機
28
プロトコル
械の体を持った犬と猫だった。関節や胴体を動かす小
型のサーボモーターが剥き出しになっている。
﹁もしかしてこれを作るために犬や猫を殺したのか﹂
﹁そうだ﹂
﹁ロ ボット を 作 る だ け な ら、 何 も 殺 さ な く て も い い
じゃないか﹂
﹁ロボットに見えるのか、そいつが﹂
ヘルは大笑いし始めた。 私が黙っていたら、﹁お前
にならわかると思ったのに﹂と、分厚い実験ノートを
放ってよこした。
ノートには、実
験手順 が延々と記載されていた。動
物の脳を取り出して長期間生かすための培養方法に
始まり、脳と脊髄の一部から信号を取り出す方法、そ
れを機械につないで増幅する方法を書いたものだと
わかった。途中で失敗した部分は赤で線を引いて消さ
れ、さらにやり直した結果が追記されている。最後の
方は、ミクロな構造を持った滑り運動をする機械、つ
まり人工筋肉の開発のアイデアが書かれていて、こち
らはまだ着想の段階だった。ノートを読み終えて顔を
上げた私の目の前に、ヘルは機械仕掛けの犬を突きつ
けた。 頭の覆いを外すと、 白っぽい色の脳が見えた。
ノートに書かれた通り、脳のあちこちに電極や信号線
が接続され、機械の体へとつながっていた。
誰が何と云おうとヘルは間違いなく天才だ。とにか
く、もう少し衛生状態にも気を配らないと病気になる
ぞ、とだけ忠告して、私は大学に戻った。腐臭が体に
染みついて、なかなか抜けない気がしたのが少々憂鬱
だった。
×月×日
研究室に出入りが許されて、大学が持っている設備
が使えるようになったので、以前から気になっていた
石の分析を始めた。といっても、ロボット開発の方を
先に進めているので、少しずつしか進まない。
どうやってロボットを制御して動かすのかという問
題 は、 私 に とって さ ほ ど 難 し く は な い。 問 題 は 材 料
と動力である。今は、航空機用のエンジンを使ってい
る。近い将来、原子核の反応からエネルギーを取り出
せるようになるかもしれないし、その時にはエンジン
自体は小さくできるかもしれないが、放射線の遮蔽ま
で考えるとそれなりの重量になる。さらに手足を付け
て動かすとなると、よほど軽量かつ丈夫なもので作ら
ない限り動かない。関節だって荷重がかかればそれだ
け摩擦が増えてしまう。図面はとっくに出来ているの
だが、どの材料で作るかを決めかねて、毎日、金属の
状態図や相図を見ては、強度計算を繰り返している。
29 拘束系Holonomic system
×月×日
実験室に戻ったら、面白い物を見せてやるというヘ
ルの伝言があったので、早々に実験を切り上げてヘル
のアパートに向かった。前回のとんでもない悪臭には
かなり参っていたので、覚悟して出かけた。
部屋は暗くて内部の様子がよく見えなかったが、特
に腐敗臭はしていなかった。さすがに全部片付けたら
しい。﹁そのまま進め﹂ というヘルの声に、 私は足許
を気にしながらゆっくり歩いた。いきなり部屋の照明
がついた。部屋の真ん中にゆみこが立って、微笑んで
いた。
﹁どうして君がここに⋮⋮﹂
﹁見せたかったのはそれだよ﹂
部屋の隅の机の前で、ヘルが椅子に座っていた。
﹁ゆみこに何をした?﹂
訊いたがヘルは何も答えない。代わりにゆみこが両
手をあげて、私の肩を掴んだ。そのまま押されて私は
後ずさった。後ろに下がりながら、私はゆみこの頬に
触れた。柔らかい感触だったが人の組織よりは弾力が
あった。胸にそっと触れたが、やはり同じだった。だ
が、機械よりはずっと人に近かった。壁まで追いつめ
られ、ものすごい力で両肩を壁に押しつけられた。逃
れようとしてもびくともしない。両肩が粉砕されるか
という痛みが走って、私は悲鳴を上げた。
﹁戻れ!﹂と
いうヘルの声が飛び、ゆみこは力を抜いた。両手を下
げ、踵を消して元居た場所にゆっくりと歩いていく。
﹁そろそろわかっただろう?﹂
﹁ヘル、動物だけでは飽きたらずにまさか人間を⋮⋮﹂
﹁それはこの次の段階だ﹂
ヘルは笑って、ゆみこの首から上を覆っている厚い
樹 脂 の 皮 膚 を 剥 が し た。 金 属 製 の 頭 部 が 露 わ に なっ
た。ヘルは中を分解して見せた。精巧なメカニズムで
埋まっているだけであった。
﹁まだ簡単な動きしかできんが、コンピュータが進歩
すればもっと人間らしくなる﹂
人 体 実 験 で は な かった こ と に 安 心 し た。 そ の 一 方
で、本物のゆみこと区別が付かないほど精巧な出来に
は驚嘆した。いい材料が開発できれば、もっと人に近
づけることも可能だろう。人とロボットが共存するの
なら、こんな形もあるのかもしれない。
×月×日
材料の組み合わせがようやく決まったので、巨大ロ
ボットの製作に入った。身長は十五メートル、体重は
二十五トン程度になる見込みだ。これでやっと先に進
める。
30
だが、それよりももっと驚くことがあった。富士山
で拾った石には、どうやら未発見の元素が含まれてい
る。ロボット用の材料を決める実験のかたわらで調べ
てきたのだが、おそらくこの結論は正しい。石の一部
の光っている部分から、微量ではあったが金属単体に
近いものを削り落とすことができたから、性質は間も
なく明らかにできるだろう。また、最初に非常に強い
光か、何かの粒子を打ち込んだことがトリガーとなっ
て、大量のエネルギーを取り出せる可能性がある。簡
単な測定で求めた実験式を外挿して予測しているだけ
なので、本当かどうかは実際にやってみないと確定し
ない。もし、エネルギーの殆ど全てが光として出てき
て、高エネルギー粒子線は出さないのであれば、被曝
の心配も放射能汚染の心配もないだろう。いずれにし
ても、日本に戻ってから試料をもっと手に入れて詳し
く調べる必要がある。かなりセンセーショナルな内容
な の で、 十 分 な 確 証 を 得 る ま で は 発 表 す べ き で は な
い。当分の間、実験結果は秘密にしておくつもりだ。
ヘルが大学に出てこなくなってから、二回に一回く
らいの割合で、私が学年一位の成績をとることができ
るようになった。成績優秀でないと国に顔向けが出来
な い と い う 事 情 を 抱 え て い る の は 私 も 同 じ だ が、 正
面から争って勝ったわけではないから、複雑な心境で
ある。
×月×日
ヘ ル の 研 究 が 気 に なった の で、 等 身 大 サ イ ズ の ロ
ボットの試作をやってみたのだが、どうにもうまくい
かない。 ある程度以上小型にできないのだ。 関節も、
小さくしすぎると歪んだりしてうまく動かなくなって
しまう。屈強な男性の体格で作れば何とかなるが、ゆ
みこのような小柄な女性の体格と同じにするのは無理
だ。制御の部分も小型化できない。各関節を駆動する
信号を外から与えてやるなら何とかなるが、ヘルのよ
うに、小さな頭部に組み込むのはとてもできそうにな
い。どうやってブレイクスルーしたのか、全く分から
ない。つくづくヘルは天才だと思う。
×月×日
研究発表会の後、一騒ぎあった。
私は、特殊合金製のロボットを操縦し、重い建築素
材を持ち上げたり、 指先から放電して溶接をしたり、
不要になった鉄筋コンクリートを切断したり叩き壊し
たりといった操作をやってみせた。ロボットは完璧に
動いて、拍手喝采だった。
31 拘束系Holonomic system
ヘ ル は、 ゆ み こ の 姿 を し た ロ ボット と、 前 に 私 に
見 せ た 犬 と 猫 を 連 れ て き た。 人 間 そっく り の 外 見 と
動作をするロボットと、動物の脳で制御されたペット
に、同級生も教授陣も心底驚いた様子だった。ロボッ
トの動きは前よりずっと洗練されていて、 私ですら、
時々本 物 の ゆ み こ が 居 る の で は な い か と 思った ほ ど
だった。発表が終わってから、ヘルに頼んでゆみこの
ロボットを持たせてもらった。女性の体重を書くのは
差し控えるが、何を材料にして作ったのか、人間だと
言っても何の違和感もない重量だった。
しかし、評価をするときに、動物実験のやり方が倫
理的に問題になったらしい。また、ゆみこが私の婚約
者で、ヘルが振られた事は皆知っているので、そのゆ
みこそっくりのロボットを伴って現れたヘルは、未だ
にゆみこをあきらめられないのかという哀れみの目を
向けられることになった。 さらに厄介な別の問題は、
宗教的反発だった。ヘルが完成させたロボットは、あ
る程度自律的に判断して動くものだったので、一部の
保守的な教授から﹁造物主になるつもりの不遜な人間
に学問を続けさせるのは不適切ではないか﹂という批
判が相次いだ。
ヘルは大学に残ることを希望していたが、倫理的・
宗教的理由での批判の声が大きかったため、卒業はさ
せるが大学には残らないということで決着した。
この騒ぎのおかげで、私が作っていた等身大ロボッ
トについても、教授から﹁やりすぎるな﹂と釘を刺さ
れることになってしまった。当分、等身大サイズのも
のについては実験を中断するしかない。
い ず れ に し て も、 歴 史 に 残 る 奇 妙 な 研 究 発 表 会 に
なってしまったことは確かだ。原子力工学者を養成し
て い た は ず が、 ク ラ ス の 成 績 一 位 と 二 位 の 二 人 と も
が ロ ボット の 研 究 成 果 を 発 表 し た の だ か ら 当 た り 前
だが。
×月×日
ヘルが逮捕された。理由は人の脳を使ってロボット
を コ ン ト ロ ー ル し た と い う も の だ。 も う 病 気 で 助 か
らない人を助けたのだというのがヘルの言い分だった
が、 本 人 の 同 意 を 得 て い な かった の が 決 定 的 に ま ず
かった。
帰国が迫っていたが、 私はヘルに面会しに行った。
思ったよりヘルは元気そうだった。
﹁私も、君がやったようなロボットを作れば良かった
のかもしれないな﹂
﹁なぜ、そうしなかったんだ?﹂
﹁とても君には勝てないと思った。だから⋮⋮﹂
32
うまれ
ヘルは顔をそむけながら、呟くように言った。
︵十蔵のノート終わり︶
ベルリン・国際会議場
7
﹁この容貌と 出自 のせいで、素直に才能を認められた
ことなど無かった。成績が良ければカンニングの疑い
をかけられ、実力が本物とわかると紙一重の狂人扱い
だ﹂
﹁私はいつだって君を天才だと認めてきたつもりだ﹂
﹁君だけだ。 そして、 俺も君を天才だと思っている。
最初に下宿に来てくれた時の実験記録は全部君にやる
よ。もう必要ないからな﹂
ヘルは、 実験ノートは下宿の机の引き出しの中で、
入り口にも鍵はかけていない、と言った。
﹁研究をやめるのか?﹂
﹁いいや。だが、今のまま続けるのはもうたくさんだ。
人は裏切るがロボットは裏切らない。俺の才能を認め
ぬ世界など要らない。俺はロボットの住む世界を愛す
る。だから世界を手に入れて作り替えてやる﹂
ロボットは裏切らないと断言したとき、ヘルはやは
りゆみこの事を思っていたのだろうか。
●
P
H
A
S
E
国際会議場では、大ホールでの基調講演の後、続け
て招待講演が行われた。
兜十蔵は、招待された講演者の一人だった。ジャパ
ニウムの発見から新元素であることの確定、その性質
が新しいエネルギー源としてどう利用できるかを、図
を交えて説明した。その後、いくつかの小さな会場に
分かれてパラレルセッションが行われることになって
いた。
弓の発表は、三日目の午前中で、質疑応答も含めて
三 十 分 が 予 定 さ れ て い た。 十 蔵 が 講 演 中 に ﹁実 験 の
詳細は弓が説明する﹂と言ったため、弓は普段にも増
して念入りに準備することになった。このため、講演
が終わるとすぐにホテルの自室にこもって、想定され
る質疑応答がどうなるか、考えを巡らせることになっ
た。
座長から講演題目と共同発表者と所属組織の名前を
読み上げられて、弓は壇上に登った。スライドを映す
ために部屋の照明が落ち、講演要旨を見たりメモをと
るのがやっとの薄暗さになる。薄暗い部屋の座席はほ
ぼ埋まり、 後ろの方で立ち見している参加者も居た。
発表に関心が持たれている、と思うと弓は緊張した。
やがて、スライドが映し出され、弓の英語がマイク
を通して会場に流れた。ジャパニウムが新元素である
33 拘束系Holonomic system
ことの実証、 エネルギー源になるものを集めた方法、
実際に反応させてみたら出てきたものが光だけだった
ことを、順に説明していく。余計な情報を一切削ぎ落
としたスライドの一枚一枚に、弓や三博士達の数ヶ月
分の仕事が凝縮されていた。反応条件を振って、エネ
ルギーをどこまで取り出せるか調べた結果を話し始め
た時には、 講演時間が終わりに近づいていた。 弓は、
二十分で終わらせるはずの講演を二十五分かけて終え
た。その分、質疑応答の時間が減ることになり、座長
は、聴衆に向かって、短い質問に限って受け付けると
告げた。聴衆の一人から手が上がった。
﹁反応のメカニズムはわかっているのですか?﹂
短いが、最も本質的な質問だった。弓は、まだそこ
ま で 進 ん で い な い と 答 え た。 分 か ら な く て も 条 件 出
しさえしっかりできればエネルギー源として使えるの
で、そちらを優先していると補足した。
﹁他の目的には使えないのですか? 例えば、何かの
材料を作るとか⋮⋮﹂
二つめの質問に対しては﹁軽量で頑丈な合金を一種
類だけ作れたので、もうすぐ論文として発表する﹂と
答えた。超合金Zに一切触れなかったのは、十蔵との
打ち合わせの通りだった。
講演が終わって、弓は壇上を下りた。聴衆の方も入
れ替わりのために、会場を出入りしている。後ろの入
り口から出て行く十蔵の姿を見て、弓は後を追った。
﹁あれで良かったのでしょうか﹂
﹁良くやった﹂
十蔵の一言で、弓はやっと緊張から解放された。
国際会議の三日目の夜、会議場に隣接したレストラ
ンで簡単な懇親会が行われた。天候が安定していたの
で、 屋 外 の 広 い バ ル コ ニ ー に も テ ー ブ ル と 椅 子 が 並
べてあった。弓は、ワイングラスを片手に、料理を載
せた皿をもう一方の手に持って、屋外の隅のテーブル
に置いた。立食パーティーなので、参加者は思い思い
に、皿とグラスを手に議論していた。師の十蔵は、古
くからの友人達と話をするため、あちこち歩き回って
いた。
二 度 目 に 取って き た 料 理 を 全 部 平 ら げ る と、 弓 は
やっと落ち着いた。発表は今日の午前中に済んでいた
から、後は情報を集めて帰国するだけであった。知っ
た顔は殆ど居ない。どう営業したものか、と思ってい
たら、 弓と同じくらいの年齢の精悍な東洋人が一人、
タ バ コ の パ イ プ を 片 手 に 歩 い て き た。 弓 の 脇 を 過 ぎ
て、バルコニーの柵にもたれた。
﹁日本人ですか?﹂
34
エーテーハー
弓は声をかけた。
﹁そうです﹂
﹁初めまして、私は⋮⋮﹂
﹁兜十蔵教授のところの弓博士ですね。実に面白い発
表だった﹂
﹁ありがとうございます﹂
弓 は、 そ の 男 の 胸 の 名 札 を 見 よ う と し た。 察 し た
相 手 が、 名 札 を 手 で か ざ し て 見 せ た。 所 属 は ETH チューリッヒ、コスモロジーグループ、名前はUMO
Nと書いてあった。原子力工学の分野ではきいたこと
のない名前だった。さらにその男はスーツのポケット
から万年筆を抜き、机の上の紙ナプキンの束から一枚
を取って ﹃宇門﹄ と走り書きしたものを弓に渡した。
弓がそれを確認したかどうかを見ようともせず、宇門
はさらに紙ナプキンを十枚ほど取り、万年筆で点線や
波線と矢印でできた図形を何種類か乱暴に走り書きし
た。時々書き損じて、斜線を引いて消している。発表
に興味を持ったのなら、当然、エネルギー源としての
可能性や、ちらっと会場でも出た材料開発の話を詳し
く聞き出そうとするのではないかと予想し、どこまで
話すべきかと身構えていた弓は、宇門の振るまいに拍
子抜けした。
﹁発 表 を 聞 い て 私 が 思 い つ い た 限 り で は、 あ り 得 る
フレームワーク
反 応 過 程 は こ れ だ け だ。 定 石 通 り に 摂 動 展 開 し た と
して、未発見の粒子をいくつか仮定すると、最終的に
光が出てくるところはうまく説明できそうだが⋮⋮う
ん、おかしなことはたくさんありそうだが、それでも
の枠組み を変えるほどでもないか⋮⋮﹂
今
先に話しかけてきておいて、さっさと自分の世界に
入り込み一人で納得している宇門を見て、弓はどう会
話を続けたらよいものかと困惑していた。 そのうち、
宇門は紙ナプキンをまとめて弓の前に突き出した。
﹁実に変わった現象だ。一体どうやって発見したので
すか?﹂
弓は、受け取ったナプキンを見た。宇門が描いたの
は、素粒子の反応を表すファインマン・ダイヤグラム
だったが、弓の方はそんなものを使って考える習慣は
全くなかった。見慣れない図形に、宇門が一体何を考
えているのかさっぱりわからず、弓はそれ以上議論す
ることができなかった。
﹁兜教授の指導によるものですが⋮⋮兜教授もほとん
ど偶然発見したらしいです﹂
﹁なるほど⋮⋮他にも何かやっておられるのですか?
兜教授はロボットの開発でも有名ですが﹂
弓が、ダイヤグラムの内容について話さなかったの
で、宇門はあっさり話を変えた。
35 拘束系Holonomic system
﹁生き物の体から出る信号を使って、ロボットを直接
制御しようと考えました﹂
多少の酒の勢いも手伝って、ほとんど唯一自分から
始めたテーマを弓は口にしていた。
﹁サイバネティクス・オーガニズムとは、原子力工学
とはまた随分かけ離れた仕事ですね﹂
﹁でも、 兜教授に止められてしまいました。 この先、
どうしようかと思っている。 やはり、 これまで通り、
新エネルギーの開発に専念するべきなのかもしれな
い⋮⋮﹂
宇 門 は、 わ ず か に 首 を か し げ て 続 き を 促 し た。 弓
は、十蔵とのやりとりを簡単に話した。
﹁その研究、続けてくれた方がありがたい。話を聞い
た限りでは、兜教授は研究自体を禁止したわけではな
さそうだしね﹂
宇門は平然と言った。
﹁しかし、倫理的な問題もあるだろうし⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いや、でもそういう技術だったら、もともとあ
そこで使うものだろう?﹂
宇 門 は 上 空 を 指 さ し た。 弓 は、 宇 門 の 指 先 を 目 で
追った。星空が広がっていた。
﹁地球じゃ必要無いかもしれないが﹂
﹁一体どこで使うつもりなんです?﹂
エ イ リ ア ン・ビ ー ク ル
﹁周回軌道から先だ。温度差が大きく水も空気もない
から、ヒトの体を維持するには無理が大き過ぎる。生
かすのが脳だけで済めば、宇宙空間での行動の自由度
は相当広がるはずだ﹂
﹁あなたは何を目指しているのです?﹂
﹁宇宙の謎を解き明かすこと、それから人類の仲間を
捜すこと﹂
﹁仲間?﹂
﹁地球外生命体だ﹂
﹁はあ?﹂
﹁そう。 宇宙の彼方には必ず居ると私は信じている。
今のロケットはせいぜい太陽系内にしか探査機を送れ
ないが、私の本当の狙いは恒星間だ﹂
弓は、かすかに微笑んでいる宇門を見た。
U F O を 目 撃 し た と い う 話 は、 十 年 以 上 前 に 空 軍
パイロットによってもたらされたことがきっかけとな
り、その後も報告例が増えつつあった。空軍としては、
国防上の理由から、正体不明の飛行物体を見てしまっ
たら、とりあえず全力で追いかけないわけにはいかな
コンタクテイ
い。ところが、世間では、UFOが異
星人の乗り物 で、
軍や政府が異星人の来訪を隠しているという陰謀説が
広がっていた。挙げ句に、 特定の人々 がテレパシーで
UFOと連絡を取り合っているとか、宇宙のどこかに
36
ユートピア社会が実現しているという噂話まで登場
し、UFO目撃譚はオカルトじみた方向に変わってき
ていた。
弓には、異星人が存在するという宇門の主張は、単
に世間のデマに振り回されているだけのものに見え
た。第一、今の技術では太陽系の外に出ることもまま
な ら な い。 そ れ な の に 恒 星 間 飛 行 を 考 え る と い う の
は、目の前に居るのは一体どういう種類の誇大妄想狂
なのかと訝った。しかし、せっかく発表に興味を持っ
て く れ た 人 を、 初 対 面 で あ か ら さ ま に 不 審 人 物 扱 い
することもできない。弓はとりあえず黙るしかなかっ
た。
話が終わって、兜十蔵が建物の中から出てきた。弓
が思わずそちらに注目した。弓と同じ方を見て、弟子
の所に来るのだろうと察した宇門が立ち上がった。
﹁まあ、さしあたっては、V2よりはましなものを作
りたいと思ってるよ。いずれは私もあそこへ行くつも
りだしね﹂
﹁これをどうすれば⋮⋮﹂
弓は、ナプキンとしては使えなくなった紙束を揃え
た。
﹁別に捨ててしまってもかまわない。可能性のある反
応と展開の各項を順番に書いてみたただけだしね。互
いに打ち消すものも含まれていそうだから、発散はし
ないと思うが⋮⋮﹂
﹁実際に調べてみるつもりはないのですか?﹂
﹁こ こ か ら 先 は 専 門 家 に お 任 せ し た い ね。 私 の 研 究
テーマでもないし、第一、その場しのぎの経験則の山
に分け入りたいとは思わない。それに、どうやら宇宙
論まで書き換えるような代物でもなさそうだしね﹂
核物理学の成果が、単純な法則に還元されるような
ものとはほど遠いことは、 宇門の指摘の通りだった。
言いたい事だけ全部言ってから、さっさと立ち去った
宇門の後ろ姿を、弓はあきれて見ていた。入れ替わり
に、十蔵が来て、椅子を引いて座った。
﹁楽しんでるかね? 昼間の発表には何か反響があっ
たかね?﹂
﹁ええ、これがそうです﹂
弓が差し出した紙ナプキンの束に描かれた図を見
て、十蔵は目を細めた。
ほう、あの発表を聴いただけでこんなものを書
﹁ ——
いたか。とすると、専門は宇宙論か場の理論か ——
い
ず れ に し て も 我々の 業 界 の 人 間 で は な い な。 一 体 誰
だ?﹂
弓が出したもう一枚の紙ナプキンの署名を見て、十
蔵は頷いた。
37 拘束系Holonomic system
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﹁名前と噂はきいたことがある。ス
イス連邦工科大 の
シュバイラーのところに来ている俊英だが⋮⋮相当な
変人って話だ。もっとも、あの分野に居るのは﹃たっ
た今宇宙の始まりを見てきました﹄と大真面目に主張
する、頭が向こうの世界に行ってるような奴ばかりだ
がね﹂
確かに私の目の前でもその人は別世界に行ってまし
た、と補足したくなったのを、弓はどうにか押さえた。
﹁V2を超えたいとか宇宙に行きたいとか言ってまし
たが⋮⋮一体何を飛ばすつもりなんでしょうかね﹂
﹁そ れ 以 前 に 本 人 が 上 空 を 飛 び 回って 観 測 や ら 実 験
や ら を し と るって 話 だ。 挙 げ 句 に 訓 練 と 機 体 の 性 能
チェック と 称 し て ドッグ ファイ ト も ど き の こ と ま で
やったらしい。さすがに大目玉だったそうだが⋮⋮﹂
﹁目茶苦茶だ⋮⋮﹂
﹁あそこのボスはもっと豪傑だ。フォン・ブラウンの
向こうを張ろうという連中が集まっているところの親
玉だからな﹂
十蔵は朗らかに笑った。
﹁飛んでる間に何か見てしまったのだろうか⋮⋮﹂
弓は小声で呟いた。宇門にもらった紙束を捨ててし
まおうかどうしようかと一瞬迷ったが、まとめて上衣
のポケットに突っ込んだ。
●
○○大学・兜研実験室
8
国 際 会 議 を 無 事 に 終 え て 弓 は 帰 国 し、 平 穏 な 研 究
生活を送っていた。十蔵は、そのままロードス島調査
団に戻って調査を続けていた。調査開始から約三年が
経っていた。
ある日、出勤前に新聞に目を通そうとした弓は、ポ
ス ト か ら 新 聞 を 引 き 抜 い て そ の 場 に 立 ち つ く し た。
﹃ロードス島で大規模な落盤、爆発事故か?﹄
大きな活字の見出しが一面に出ていた。慌てて開い
て記事を読む。記事は、原因不明の爆発事故でロード
ス島の発掘現場が完全に土砂に埋もれたこと、事故の
原因も調査団の安否も不明であると書かれていた。社
会面の関連記事まで読んだが、生存者については何も
情報がなかった。
弓は急いで研究室に出向いた。 三博士や学生達も、
ロードス島の爆発を知っていた。
﹁兜教授の安否はまだわからないのですか?﹂
のっそり博士が、研究室に出てきた弓をいち早く見
つけて訊いた。
﹁私も、今朝新聞で知ったばかりです﹂
﹁外務省経由で問い合わせてはいるが、現地が大混乱
しているらしく、ろくに情報が入ってこない﹂
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38
もりもり博士が片手にタオルを持って、汗を拭って
いる。
﹁事故が起きて、何時間経っているかもはっきりしな
い⋮⋮﹂
﹁現場は孤島ですからな。定時連絡が入らず、異常に
気付くまでに数時間は経過してるだろう﹂
﹁とにかく、これから航空券を取って、現地に向かお
うかと思っています﹂
弓は、オフィスの机の引き出しを開けて、パスポー
トを取り出した。
﹁直行便はない。パリかロンドン経由でギリシャへ飛
んで、そこからは船で行くことになる﹂
﹁しかし、時間がかかりますな。うまく乗り継げると
は限らない﹂
せわし博士が顔をしかめた時、電話が鳴った。
﹁兜研究室、弓です﹂
﹁弓博士ですか?﹂
兜剣造からだった。
﹁ロードス島のことはご存じですね。現地へは私が行
きます。ボストンからなら今日中に着ける﹂
取り乱した様子もない、落ち着いた声だった。
﹁私もこれから行こうと思っていたところです﹂
﹁ ——
いや、弓博士には、何かあったときの連絡係と
して日本に留まっていただきたいのですが﹂
﹁わかりました。何かわかったら連絡をください﹂
﹁すぐに連絡します﹂
弓は、念のため自宅の電話番号を伝えた。
剣造から、弓宛に兜十蔵教授生存の連絡が入ったの
は、その日の午後だった。ただ一人、燃料の切れたク
ルーザーで漂流しているところを救助されたというこ
とだった。
十蔵の帰国は遅れた。事故の後、脱出できた只一人
の人物であったため、急遽組織された救助隊に、事故
の詳細について情報を提供するために呼び出されたか
らである。事故の原因について、十蔵は、復元したロ
ボットの暴走による爆発だと説明した。しかし、その
説明はほとんど信じてはもらえなかった。発掘と復元
作業はほとんど終わりに近づいていたが、いくら復元
したといっても、人類の歴史よりも古い時代のロボッ
トの動力が活きているはずがない。第一、操縦席もな
いロボットを動かす手段など実現していないはずだ、
というのが大勢の考えだった。
からくり人形であれば、いくら巨大であってもその
動作原理は見れば誰でもわかるから、材料さえ揃えれ
ば古い時代でも製作は可能である。しかし、リモート
39 拘束系Holonomic system
で動かすとなると、最低でも電磁気学の完成を待たな
ければならない。熱機関で駆動するならワット以降の
科学が要るし、 原子力なら二十世紀の物理学である。
十蔵の主張を受け容れるには、遺跡の他の部分の状態
に比べてあまりにもアンバランスな科学の発展を考え
なければならず、無理がありすぎる。
それでも、十蔵の話を参考にしつつ、調査に参加し
ていた主な国は合同で救助隊を組織し、派遣した。救
助隊がロードス島に着いた時、遺跡の入り口は完全に
落盤で埋まっていた。無理に掘り出そうとしたら再び
爆発や落盤が起きて、救助隊の犠牲者が増える一方で
あった。このため、何度かの救助隊派遣の後、救助作
業は打ち切られることになった。
一人で戻ってきた十蔵を、弓は、東京国際空港まで
出迎えた。十蔵の荷物は小さなボストンバッグ一つだ
けだったことが、ロードス島から身一つで逃げ出した
ことを物語っていた。
﹁ご無事で良かった。大勢の研究者が亡くなり、発掘
の成果が失われたことは残念ですが⋮⋮それでも、先
生まで失わずに済んで本当に⋮⋮﹂
弓は、 十蔵の荷物を受け取ると、 先に立って歩き、
駐車場まで案内した。
﹁しかし、本当は何が起きたのですか?﹂
﹁復元したロボットの暴走だ。ミケーネの巨人伝説を
こんな形で確認することになるとはな⋮⋮﹂
優れた科学力と莫大な財宝を持つ古代ミケーネ人
は、 常 に 周 辺 諸 国 に よ る 侵 略 の 脅 威 に さ ら さ れ て い
た。ミケーネ人が財宝を守るために、侵略者を攻撃す
るために巨人を作り出して迎え撃ったというのが、今
に伝わる巨人伝説であった。
﹁復元には成功なさったのですね?﹂
﹁うむ、完璧にな﹂
﹁では、もしかしたら、ミケーネの巨人が本来の力を
発揮するようになり、発掘に関わった科学者達を侵略
者だとみなして襲いかかってきたのでは﹂
﹁そういう可能性もあるかもしれんな。だが、ミケー
ネの人々が尊敬と驚嘆に値する科学技術を持っていた
ことは確かだ﹂
﹁そんな優れた文明が、なぜ他の種族に受け継がれる
ことなく消えてしまったのでしょうか?﹂
﹁い い 質 問 だ。 種 族 の 秘 法 と し て い た か ら 種 族 と と
もに滅びたのか、あまりに突出していたため伝えよう
も無かったのか、他に渡す位なら葬り去ると決めたの
か⋮⋮もう少し調べることができればはっきりしたか
もしれんな﹂
40
大学にある十蔵のオフィスまで、弓は荷物を持って
従った。
﹁明日の午前中に全員を集めておいてくれ。今後の研
究計画について話し合いたい﹂
﹁そんな⋮⋮事故の後の長旅でお疲れでしょうに、少
しはお休みになった方が﹂
﹁我々は、やっと今頃になって、巨大ロボットを動か
せるようなったが、それでもミケーネのやったことの
再発明でしかない。現代人の我々がうかうかしていた
ら、古代ミケーネ人に笑われるぞ﹂
戻ってきた十蔵が指示したのは、光子力エネルギー
を実際に動力源として使えるようにすることだった。
通常の核分裂は自然に崩壊することで起きるか、外か
ら中性子が核に衝突することで起きる。しかし、ジャ
パ ニ ウ ム 核 分 裂 は、 強 い 光 に を きっか け と し て 起 こ
り、発生するエネルギーもまた光であった。自然に崩
壊するものは殆ど無いため、反応を開始させるために
は、手軽に利用できる太陽光を収束して照射すること
になった。
施設の建設場所が必要であったため、戦前から使っ
ていた富士山麓の仮説実験場を引き続き使うことに
なった。新たにプレハブの研究棟を造り、小型の太陽
炉を備え付けた。太陽の光を凹面鏡で一点に収束させ
た後、鏡で反射させてジャパニウムに導くというもの
であった。ある量以上の反応が起きると、出てきた光
がさらに次の反応を起こす連鎖反応が始まる。ジャパ
ニウムの量と配置と光の吸収材料の使い方次第で反応
を制御することができるはずであった。
反応の結果出てくるものが光であっても、大量のエ
ネルギーが短時間に放出されることに変わりはない。
このため、ジャパニウム反応炉の容器には合金Zが使
われた。これ以外の材料で容器としての性能を満たす
としたら超合金Zだったが、今回は量を確保しやすい
合金Zでいくことになった。
ロードス島から戻ってきて三年足らずの間に、設備
がだんだん大がかりになったので、十蔵は、新エネル
ギーの開発に専念するための部門を新たに立ち上げる
ことにした。十蔵は、大学や政府に対して、光子力を
使えば効率の良いクリーンなエネルギー源を手に入れ
られる可能性があると説明した。﹁核﹂ ときくと無条
件 に 拒 否 反 応 を 示 す 国 民 が 多 く、 原 子 力 を 進 め る に
も限界があったため、光子力をもっと重点的に研究す
るべきだということになった。元々は原子力工学科に
あった兜十蔵の研究室は、組織改編で大学内に新しく
作った﹁新エネルギー探索部門﹂の所属となった。所
41 拘束系Holonomic system
仮研究棟・弓のオフィス
属とはいっても、兜研究室が丸ごと名前を変えてその
部門に移っただけだった。そして、ゆくゆくは国直轄
の研究拠点を作り、その時には発展解消させることが
決まった。
●
9
弓は、新研究所の場所を何処にするか検討せよ、と
十蔵に命じられて、地質調査の記録を引っ張り出して
いた。条件は、ジャパニウムの採掘が敷地内でできる
ことと、発電用の原子炉を所内に建設できることだっ
た。
﹁ ——
で、良さそうな場所はあったかね?﹂
地質調査の結果を研究室の机の上に広げて考え込ん
でいる弓に向かって十蔵は訊いた。弓は、図をトレー
ス す る た め の シャー カ ス テ ン の 上 に、 ト レ ー シ ン グ
ペーパーに写し取った図を重ねて十蔵に示した。
﹁原子炉を建設するとなると、万が一に備えて、断層
は避けなければならないし、直下型の地震でも致命的
な被害を受けない場所を選ぶ必要があります﹂
﹁なら、岩盤の上にでも建設するしかないだろう﹂
﹁それは無理です、先生﹂
ジャパニウムの産出する場所は、富士火山帯の洪積
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世の地層に限られていた。玄武岩質の溶岩を噴出した
のが最近の噴火で、その前の古富士の噴火の火山灰が
関東ロームとなってその下に厚い層を作っていた。 ﹁偶然、地表に吹き飛ばされたものを除けば、ジャパ
ニウムは、関東ロームの下の境界あたりにあり、場所
も限られています。また、鉱脈の存在範囲ですが、大
部分が地下深いところにあるため、どこまで広がって
いるのか、完全にはよくわかりません。産出場所がな
ぜ旧来の富士火山帯にしているのかについて、地質学
的な説明はまだありません。
﹂
火山の分類はグローバルテクトニクスで考えること
になっており、従来の火山帯の分類に地質学的な意味
は無いことがわかっている。
﹁では、どうするのかね?﹂
﹁いずれにしても、地震から逃れることはできません
し、かといって断層の調査も無理です。ですから、地
震が起きた時の波の伝わり方を推定し、揺れの少ない
ところを候補に選びました。あとは基礎工事で何とか
するしかないでしょう﹂
弓は、最良と考えられる地点を指さした。富士山北
側の鳴沢付近であった。仮研究棟からは三キロメート
ルほど北西になる。
﹁では、その場所に決めよう﹂
42
富士山麓・仮研究棟
十蔵は、弓の部屋に来るときに持ってきた筒を開け
た。丸めてあった紙を広げて弓に示した。
﹁これが研究所の大まかな図だ﹂
建物自体は台形だったが、面は微妙にカーブしてい
た。側面の外壁が建物の屋上の両脇に超そびえ立って
いた。
﹁これは⋮⋮富士山をモチーフになさったのですか﹂
﹁そうだ。地下に原子炉を建設し、上部は太陽炉とす
る。ジャパニウムの精錬所を施設の一部として建設す
るつもりだ﹂
﹁本格的ですね。まるで工場だ﹂
﹁光子力研究所と呼ぶことになるだろう。光子力の研
究拠点であると同時に、ジャパニウムの製造と管理を
一手に担うのだ。監督官庁もそのつもりでいる﹂
クリーンなエネルギー源にもなり、優れた材料を作
り出す原料だといっても、使い方次第では原爆並の兵
器を作ることもできる。そうである以上、使用量や利
用方法については一個所でまとめて管理するしかな
かった。
●
10
光子力研究所の建設は順調に進んでいた。兜研究室
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は、大学内に新エネルギー探索部門を作った時に、戦
時中の疎開先であった仮説実験棟の方に再び移転して
きていた。疎開中とは異なり電力の供給も十分で、棟
の数も増えていた。大学とは独立の研究部門に分かれ
た二年後、十蔵は光子力研究所の設立準備組織を大学
とは別に作り、人材を集め始めた。研究所の建物の着
工とほぼ同時であった。
光子力研究所の基礎工事が始まった頃、兜剣造が妻
とともに帰国し、兜研究室に合流した。剣造は既にM
I T で 学 位 を 得 て い た が、 日 本 の 大 学 の 組 織 に は 属
さず、 光子力研究所設立準備組織の研究員になった。
ちょうど、より高性能な光子力反応炉を開発するプロ
ジェクトが立ち上がり、仮研究棟が立ち並ぶ敷地の外
れに専用の別棟を建てたばかりだった。剣造は、新し
く作った実験室で、特にロボットの動力源として使え
る小型反応炉の設計と製作に専念していた。噂を聞い
て、剣造のチームに加わりたいと言ってやってくる研
究員も増えていた。
弓は、研究棟の周りを取り囲む塀の上に登って、富
士山麓の設備を見渡していた。塀はもともと空襲に備
えて作ったものではあったが、その後も事故による火
災の時の延焼を防ぐため、撤去していなかった。仮研
究棟の三キロほど南東の方に、建設中の光子力研究所
43 拘束系Holonomic system
が見えた。まだ、足場が組まれ、何台ものクレーンが
資材を引っ張り上げている状態だった。富士は麓近く
まで白くなっていた。
足音がして、弓は振り返った。剣造が、新棟側から
登ってきていた。
﹁こんな寒いところで、一体どうなさったんです?﹂
﹁雑用の合間の休憩ですよ。研究所を作ることになっ
てから、あれこれ片付けなければならない事務仕事が
急に増えてしまったもので﹂
研究所設立に関わる雑用は、兜十蔵一人ではとても
こ な せ る も の で は な く、 弓 も つ ぎ 込 め る 労 力 の 大 部
分をさいてサポートに当たっていた。幸い、若手が育
ちつつあったので研究の進捗にはさほど影響していな
い。
﹁本 当 は、 現 場 で 実 験 を し て い る 方 が 幸 せ な の で す
が⋮⋮そうも言っていられない。あなたの方はどうで
す?﹂
﹁一〇〇万馬力程度までは到達できそうです﹂
﹁それは⋮⋮ちょっとした原発並みですね﹂
﹁た だ、 ま だ 問 題 が あ り ま し て ね。 最 初 の 反 応 で 出
てきた光を次の反応に使って連鎖反応させた場合、速
度を適切に保つ必要がある。出た光を全部次の反応に
使ってしまうと、確実に爆発しますから﹂
﹁では、適当な吸収体を中に置けばいい。原子炉の制
御棒と同じように﹂
光子力研究所も原子炉を持つことになっているな、
と思いながら、弓は建設現場を見た。
﹁私もそう考えました。 ただ、 効率よく光を吸収し、
かつ内部の高温にも耐えなければならないから、どん
な材料を使うかが問題だったのですが⋮⋮﹂
﹁解決したのですか?﹂
﹁ええ。合金用ジャパニウムの方を使うのです。光の
吸収に関しては燃料用ジャパニウムとほぼ同じ性質で
す か ら 効 率 も い い し、 強 度 の 点 で も 問 題 は あ り ま せ
ん。もちろん、内部にどう配置するかも含めて最適化
することになります。 すぐにテストに入りますから、
数日のうちに結果を報告できますよ﹂
剣造は、詰め襟の白衣をなびかせながら、盛り土の
斜面を降りていった。
翌日の昼過ぎ、相変わらず雑用の書類書きに追われ
ていた弓が遅い昼食を摂るため、オフィスの扉を開け
ようとしたとき、轟音が響いた。建物が揺れ、ガラス
窓の何枚かにヒビが入る。事故だと直感し、弓は外に
走り出した。新研究棟の方から大量の煙が上がってい
た。遅れて十蔵が教授室の方から走ってきた。
44
﹁何事だ?﹂
﹁わかりません。でも、新棟の方だ﹂
二人は塀を回り込んで新棟に向かった。他の研究員
や学生が後に続いた。
新棟は吹き飛び、原型を止めていなかった。延焼防
止のつもりで設置した塀の新棟側の土砂は半分以上飛
び散って無くなり、辺りに土煙を漂わせていた。露出
したコンクリートも一部が砕けていた。
﹁誰かいないのか!﹂
弓は大声で叫んだ。返事はない。駆けつけてきた研
究 員 達 が、 爆 発 四 散 し た 研 究 棟 の 跡 を 手 早 く 調 べ て
回った。最初に悲鳴が上がったのは、敷地のはずれの
林の中からだった。
﹁どうした ﹂
瓦礫を跳び越えながら走って行った弓が見たのは、
木に叩きつけられて倒れている剣造の妻の姿だった。
右手右足と胴体の約三分の一が欠けていた。即死であ
ることは間違いがなかった。
﹁何てことだ⋮⋮じゃあ、剣造博士はどこだ!﹂
弓は周囲を見回した。真後ろの仮研究棟側でもりも
り博士の声が上がった。
﹁剣造博士! しっかりしてください﹂
﹁動かしてはいかん! 今救急車を呼んだ﹂
!?
のっそり博士が駆け寄った。弓も再び瓦礫を避けな
がら、剣造のもとへと急いだ。
剣造は、 土砂をかぶったまま塀の傍に倒れていた。
両 手 両 足 が あ り 得 な い 方 向 に 曲 が り、 白 衣 が 血 に 染
まっていた。
﹁しっかりするんだ、今助けてやるぞ﹂
兜十蔵は、 両手を地面に突いて剣造に呼びかけた。
剣造の口元がわずかに動く。
﹁他に怪我人は居ないか?﹂
集 まって き た 研 究 員 や 学 生 に 向 かって 弓 は 言った。
メンバーが違いに顔を見合わせる。
﹁今日来ている人で、行方が分からない人は他には居
ないようだ﹂
せわし博士が研究室の人数を確認した。
﹁﹃今回の実験は私がやる、 順調に始まったら遠隔操
作でデータを集める﹄とおっしゃってましたので、私
達は新棟から退避していました。もしかしたら、先生
は、何かを感じておられたのかもしれません﹂
剣造の研究チームの一人が言った。
救急車がサイレンを鳴らしながら走ってきた。停車
するなり薄いブルーの服を着た救急隊員が降りてき
て、剣造をストレッチャーに乗せて救急車に運び込ん
だ。十蔵が続いて乗り込んだ。一緒に乗ろうとした弓
45 拘束系Holonomic system
を、十蔵は止めた。
﹁こ れ だ け の 事 故 だ。 警 察 に 連 絡 し な け れ ば な ら ん
し、そうすれば実況検分が入る。君に対応してもらい
たい﹂
﹁お孫さんには⋮⋮﹂
﹁私から知らせる。研究室を頼む﹂
サイレンを鳴らして走り去る救急車を、弓は他のメ
ンバーと共に見送った。
富士山麓・兜博士の別荘
十蔵から連絡があったのは、弓が警察の事情聴取か
ら一旦解放された夕方だった。剣造の怪我は開放骨折
が数カ所に広範囲な内臓破裂で、全身状態が悪すぎる
た め、 手 の 施 し よ う も な く 時 間 の 問 題 だ と い う こ と
だった。
﹁どうせ助からないなら、病院ではなく、剣造
が気に入っていた別荘の方で最期を迎えさせたいので
一旦連れて帰ることにした﹂と十蔵は伝えた。
この夜、弓は帰宅せず、研究室に泊まっていた。夜
中に何度か、立ち入り禁止の黄色いテープが貼られた
ところまで行って、懐中電灯で周囲を照らしながら見
回った。放射冷却で気温が氷点下に向かって下がり続
ける、晴れた冬の夜だった。
●
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たった今、息を引き取った。残念だ。
——
兜十蔵からの電話を、弓は、未明のオフィスで受け
た。すぐ行きます、いや、そちらに伺わせてください、
と叫んで受話器を置いた。普段から十蔵は、弓とも研
究室の他のメンバーともプライベートな付き合いはほ
とんどしていなかった。十蔵の側でそれを好んでいな
い様子で、弓も承知していたが、今回はそんなことに
構ってはいられなかった。
車を飛ばして十五分ほどで別荘に着いた。弓はノッ
クするなり扉を開けた。玄関に出迎えにきた十蔵と目
があった。入れ、と目配せされて、弓は奥へと進んだ。
剣造は寝室のベッドに横たわっていた。白いシーツ
が顔までかけられていた。すぐ脇に、取り外された酸
素呼吸器が置いてあった。
信じられない﹂
﹁ ——
弓はつぶやいた。十蔵が、茶色い大きな封筒を手渡
した。
﹁病院の検査の結果だ﹂
中身はレントゲン写真だった。弓は、一枚ずつ、部
屋 の 照 明 に か ざ し て 見 た。 手 足 の 骨 は 何 カ 所 か で 折
れ、一部が応急処置されていた。肋骨や鎖骨も折れて
いた。腹部に本来はっきり見えるはずの胃腸や肝臓と
いった器官は、それらしい形が見当たらなかった。体
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の大部分が破壊されたのだということは、素人の弓に
もわかった。
﹁開放骨折の部分だけ処置したが、まず敗血症は免れ
なかっただろう。それでも、内臓が無事なら両手両足
の切断で命だけは助かったかもしれん。だが、内臓ま
でこれでは、手術をするだけ無駄だというのが医者の
結論だった﹂
﹁苦しまれたのでしょうか﹂
﹁意識は二度と戻らなかったよ。脳と心臓がたまたま
無事だったから、しばらくの間は保ったのだろう。酸
素吸入器だけは借りてきたが、それ以上の延命措置は
とらないことにした﹂
﹁まだ小さい子供を二人も残して、研究も半ばで⋮⋮﹂
弓は、十蔵の方を向いた。
﹁やはり、私はサイボーグの研究を止めるべきではな
かった。人体実験と誹られたっていい、たとえ機械の
体にしてでも、剣造博士を助けたかった⋮⋮﹂
﹁君はそこまで⋮⋮﹂
﹁ヘルなら確実に助けられた筈だ。私はヘルを目指し
ていればよかったのだ﹂
﹁あるいは、な。だが、君はヘルじゃない。ヘルには
なれない﹂
﹁わかっています。でも⋮⋮﹂
無念だ、と続けようとしたが、弓は言葉を発するこ
とができなかった。代わりに、レントゲン写真をまと
めて封筒に入れ、十蔵に返した。
﹁警察の捜査はどうなっている?﹂
封筒を受け取りながら十蔵は訊いた。
﹁あと三日ほどはかかりそうだと﹂
﹁事情聴取の終わったメンバーに頼んで、こちらに来
るように言ってくれないか。葬儀の準備をしなければ
ならないので助けてほしい。私と、孫二人だけではど
うにもならないのでね﹂
﹁わかりました。ところで、奥様の方は今どちらに?﹂
﹁監察医のところだ。検死と解剖が終わったはずだか
ら、午前中にはこちらに戻される﹂
弓 は、 剣 造 の 亡 骸 に 一 礼 し て 立 ち 上 がった。 夜 が
明 け よ う と し て い た。 朝 か ら ま た 警 察 の 捜 査 が 始 ま
る。 そ れ ま で に は 研 究 棟 に 戻って い な け れ ば な ら な
かった。
仮研究棟・兜教授室
葬 儀 と 並 行 し て、 警 察 の 実 況 検 分 が 続 い て い た の
で、弓は対応に追われることになった。四日目になっ
て、警察の捜査は一旦終了した。
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47 拘束系Holonomic system
関係者の刑事責任が直ちに問われることは無かった
が、 研 究 室 と し て は 事 故 原 因 を 突 き 止 め て、 今 後 ど
のように事故を防止するかを考えなければならなかっ
た。弓と三博士は、研究棟があったあたりを歩き回っ
て残骸を回収した。
爆発した反応炉の部品は、周囲の原生林の木をへし
折ったり、荒れ地の岩に突き刺さったりしていた。そ
れを注意深く掘り出して全部一個所に集める作業は、
後になるほど部品が小さくなったために難航した。作
業の終わりには、金属探知機を借りてきて、研究室の
メンバー総出で破片を集めることになった。
剣造が書いた反応炉の設計図の原本は爆発で失われ
たが、コピーを十蔵が保管していた。集めた部品がそ
れぞれ炉のどの部分かを突き止めるのに、一ヶ月程か
かった。
炉の容器として使われた超合金Zの破片は、全て内
部からの力で破壊されたことを示していた。欠陥の無
い超合金Zでは、ミクロな欠陥をきっかけとして破壊
が起きることはあり得ない。安全のために取り付けて
あった圧力開放弁は吹き飛んでいた。内部が短時間の
うちに高温高圧になったために、弁の部分に穴を開け
た程度では対応できず、 容器の強度が保たずに破裂、
さ ら に そ の 破 片 が 周 囲 を 破 壊 し、 わ ず か の 間 に 炉 を
完全に崩壊させたということがわかった。設計で見込
んだ以上の連鎖反応が一度に起きたことは明らかだっ
た。
連鎖反応がどの程度の速さと規模で起きるかは、燃
料用ジャパニウムの量によって決まる。しかし、剣造
が使っていた燃料用ジャパニウムは爆発で飛び散って
しまっていて、正確な量はわからなかった。さらに詳
しく調べた結果、光の吸収体として使われたはずの合
金用ジャパニウムの部品が、燃料用ジャパニウムでで
きていることがわかった。
弓は、調査結果を持って十蔵の部屋を訪ねた。中間
報告でも構わないから一区切りついたら知らせろ、と
十蔵に命じられていたからである。
﹁それでは、剣造は、反応を押さえるつもりで逆に燃
料を供給してしまったことになる﹂
説明を受けた十蔵は、新型反応炉の図面を見て考え
込んだ。
確かにこの炉の構造なら、吸収体のあるべき場
﹁ ——
所に燃料を投入したりすれば、爆発的な連鎖反応が起
きるだろうが⋮⋮﹂
﹁しかし、信じられません。剣造博士に限ってそんな
ミスをなさるなど﹂
﹁では、他にどんな可能性があるというのかね?﹂
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﹁それは⋮⋮﹂
も し 研 究 室 内 の 誰 か が、 合 金 用 ジャパ ニ ウ ム だ と
偽って剣造に燃料用ジャパニウムを渡していたとした
ら、まさに今回起きたような爆発を狙って起こすこと
ができる。あるいは、誰かのミスで、分離した燃料用
ジャパニウムと合金用ジャパニウムの仕分けが間違っ
て い た 場 合 も 同 様 で あ る。 燃 料 用 ジャパ ニ ウ ム と 合
金用ジャパニウムは、目で見ただけでは区別がつかな
い。﹁他の可能性﹂ とは、 故意にせよ過失にせよ、 研
究室内の誰かに対し、剣造の死の責任を問うことを意
味していた。
﹁私だって、自分の研究室のメンバーを疑いたくはな
い。 情けないが、 剣造個人の失敗であってくれれば、
それが一番丸く収まる﹂
﹁しかし、必要なのは真実を知ることです、先生﹂
剣造はつい最近まで海外に居た。戻ってきてからは
新棟にこもりきりで、研究室とはほぼ独立に動いてい
た。剣造の研究チームに志願してきたのは、剣造の噂
をきいて自ら志願して集まった人達ばかりであった。
人間関係の確執も研究の上での利害も、何らかの事件
に結びつく程のものがあるとは考えにくかった。
﹁とにかく、燃料用ジャパニウムの生産量と貯蔵量を
チェックしてみます﹂
仮研究棟・弓のオフィス
核 爆 弾 並 の 兵 器 の 材 料 に な る 燃 料 用 ジャパ ニ ウ ム
は、生産から貯蔵、使用に至るまで、ウランやプルト
ニウムと同程度の厳しい管理がなされていた。今のと
ころジャパニウムと光子力については準国家機密扱い
だが、近いうちに機密指定される見込みで、それだけ
に注意を払って扱っていた。だから、確認も追跡も可
能な筈だと弓は見込んでいた。
●
13
数日がかりで、弓は、貯蔵してあるジャパニウムの
量を確認した。燃料用と合金用では磁気的性質が違う
ので、磁化の測定器と質量分析装置を使って、貯蔵し
てあるジャパニウムの抜き取り検査を行い、純度と現
在の貯蔵量を求め、製造記録と照合していった。研究
室の誰かを疑うことになる作業であったため、他のメ
ンバーに手伝わせることはできなかった。研究室のメ
ンバーがほとんど帰宅した夕方から、弓はたった一人
で明け方まで作業することになった。
燃料用ジャパニウムの総量に違いが出れば、合金用
の代わりに燃料用が使われた証拠になる。燃料用と合
金用がもし混合していたら、分けて貯蔵するときの作
業にミスがあったことになる。仮に爆発が人為的なも
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49 拘束系Holonomic system
のであると判明したとしても、それが過失であってほ
しいと願いながら、弓は測定を続けた。
調査を終えて結果を整理してみたら、生産量と貯蔵
量は誤差の範囲で一致していた。何度計算しても間違
いは無かった。研究室の誰かを疑わなくて済んで、弓
はほっとしたが、肝心の問題は解決していなかった。
他の仕事を中断して、弓は、余分な燃料用ジャパニ
ウムがどこから来たのか考え続けていた。一週間ほど
考えたが進展は無かった。週末になって、もう今日の
と こ ろ は 終 わ り に し よ う と、 ペ ン や 定 規 を 机 の 引 き
出しに放り込もうとして、弓は動作を止めた。引き出
しの奥に、無造作に古い紙ナプキンが突っ込んであっ
た。以前、国際会議で宇門にもらったものだった。弓
は、紙ナプキンの束を出し、描かれたファインマン・
ダイヤグラムを順番に並べた。一番簡単な図は、原子
核を作っている陽子や中性子が崩壊し、ニュートリノ
を出しつつ光に変わっていく過程を現していた。宇門
が描いたのは、弓の馴染んだ核反応の式ではなく、素
粒子の相互作用に直したものであった。その図から式
を導いて定量的な計算をすることは、弓の知識ではで
きそうになかったので、かわりに参考書を図書室で捜
し出し、何が書かれているかを読み取ることに専念し
た。
イベント
複雑に入り組んだ図の途中に、合金用ジャパニウム
が燃料用ジャパニウムと反応して、燃料用ジャパニウ
ムに変わる過程が現れていた。その過程は、別の図形
が表す項と打ち消し合うから現実には起こらず、元に
戻ることになっていた。さらに別の項を宇門は図で追
加し⋮⋮ほぼゼロだと式で示した上で、斜線を引いて
消していた。だが、もしこの消した項がゼロにならな
かったらどうなるか。そこまで考えて、弓は、十蔵の
部屋に電話を入れた。帰る支度をしていた十蔵は、す
ぐに部屋にやってきた。
弓は図の意味を簡単に説明した。
﹁なるほど。ダイヤグラムで考えるというのは確かに
強力な方法らしいが⋮⋮﹂
十蔵も図を前にして考え込んだ。目の前の図は、原
子力工学やロボット工学の分野では見たことのないも
のであった。
﹁加速器を使った衝突実験や、宇宙線の相互作用のよ
うな、一発の事
象 だけを考えるのであれば宇門博士の
図はおそらく正しいと思います﹂
宇宙物理と結びつく地上での高エネルギー実験が、
普段はどう行われているかを考えながら弓は言った。
﹁しかし、極めて限られた場所で立て続けに反応が起
きる場合には、ゼロだとしていた項が残り、結果とし
50
て合金用ジャパニウムが燃料用ジャパニウムに変わる
過程が完全には消えないのではないでしょうか﹂
かつて宇門に揶揄された ﹁その場しのぎの経験則﹂
を相手に研究を続けてきた実験家の直感だった。
﹁それで、変換が起きるとしてどの程度のものになる
か、見積もれるのかね?﹂
﹁私には、 この図からそれだけの計算はとても⋮⋮。
図を描いた本人ならば可能でしょうが﹂
﹁もし、合金用ジャパニウムから燃料用ジャパニウム
が作れるということになると、それは当分の間、第一
級の機密事項になるだろう。そうそう気軽に外部に計
算を頼むわけにはいかんしな﹂
﹁いっそ宇門博士をこちらに引っ張り込めませんか。
例えば研究員として来てもらっては⋮⋮そうすれば守
秘 義 務 を 課 せ ま す。 ポ ス ト に も ま だ 余 裕 が あ り ま す
し﹂
﹁無理だな﹂
十蔵はあっさり否定した。
﹁この間、知り合いの天文学者に聞いた話では、宇門
博士は八ヶ岳の蓼科高原に天文台兼打ち上げ施設を立
ち上げて、運用に追われている。既に世界最大級のミ
リ波の電波望遠鏡を建設し、宇宙望遠鏡を周回軌道に
乗せて、観測に入ったそうだ。理論に明るいだけでは
なく、実験家としてもプロジェクトマネージャーとし
ても相当な腕らしい。ただ、宇宙人実在説を強硬に主
張して本格的にSETIを始めたために、天文学者の
間ではすっかり異端扱いだというが⋮⋮そんな人物に
向かって、今度新しく作る光子力研究所で研究員とし
て雇ってやると言ったところで、果たして我々のとこ
ろに来るかね?﹂
﹁じゃあ、何か適当な役職を付けてみては⋮⋮﹂
﹁天体物理学やロケット打ち上げのチームが光子力研
究所に来たって、お互い仕事にならんだろう﹂
弓は軽く溜息をついた。
﹁確かに、仕事の優先順位も興味の持ち方も全く違い
そうですね。第一、この図だって、私の発表から一体
どうやって思いついたのか皆目見当もつきません﹂
十蔵や剣造であれば、その天才ぶりは弓にも理解で
きた。開発目標やテーマに対するアプローチが弓の想
像できる範囲にあったからだ。だが、宇門が一体何を
どう考えて反応過程を推定してのけたのか、弓には全
く理解不可能であった。
﹁実 験 天 文 学 と 宇 宙 論 に どっぷ り 浸 かって い る の な
ら、我々とは住んでいる世界も見ているものもまるで
違うだろう。我々が宇門博士の鼻先でロケットでも打
ち上げない限り、仕事で絡んでくることはないと思う
51 拘束系Holonomic system
サーベイ
光子力研究所
れたが、吸収体として入れた合金用ジャパニウムが燃
料用ジャパニウムに転換することが確認できた。剣造
の引き起こした爆発事故は、反応を押さえるために炉
の中に入れた合金用ジャパニウムが、最も効率よく光
を吸収する場所に置かれて一度に燃料用ジャパニウム
に変わったため、急激に連鎖反応起きたことが原因で
あるとはっきりした。
も と も と 埋 蔵 量 の 少 な い 燃 料 用 ジャパ ニ ウ ム を 増
やすことができるのだから、この発見は朗報ではあっ
た。﹁兜剣造博士の死を無駄にするな﹂ をスローガン
に、弓と三博士が中心となって、光粒子増殖炉の開発
を開始した。
●
兜剣造の死から約一年後に、光子力研究所は落成し
た。一九六三年であった。落成の直前に、弓は教授に
昇任していた。新研究所の運営は、兜十蔵が初代所長
に、弓が副所長となり、三博士がそれぞれ異なった開
発部門の長となるという体制であった。人事はほとん
ど十蔵の一存で決められた。
落成式に続いて行われた記者会見で、十蔵は、超合
金Zと光子力について正式に発表した。分厚い特殊合
14
がね﹂
﹁しかし、燃料用ジャパニウムへの転換が機密になる
とすると、宇門博士からこの情報が広まってしまうこ
とはないのでしょうか?﹂
﹁その可能性もまず無いな。その図を描いたことさえ
も、彼はさほど意識していない筈だ﹂
ジャパニウムに関する発表をしてから、兜研究室で
は、他の研究グループから関連論文が出てくるかどう
か、調
査 を行っていた。天文・宇宙論分野からは、関
係しそうな報告は皆無であった。 この分野の関心は、
より根源的な粒子を求める高エネルギー実験や、重力
と強弱電磁の力をどう統一すればいいのかということ
にあり、個別の原子核反応などは誰も相手にしていな
かった。
﹁さて、どうするかね?﹂
﹁計算できないのだとしたら、実験してみるしかあり
ません。最初にするべきことは剣造博士の追試だと思
います。今度は最初から爆発に備えてやってみます﹂
一月半ほどかけて、弓は剣造の作った反応炉を再現
した。ただし、今度はわざとに壊れやすい場所をあら
かじめ作っておいた。さらにそれを、コンクリートの
耐爆容器の中に入れた。追試で反応炉はまたしても壊
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金を簡単に破壊する光子力と、光を発して輝く超合金
Zのデモンストレーションに、記者団は驚嘆し、それ
が原子力とは異なりクリーンなエネルギー源であると
説明されると歓声が上がった。弓は、十蔵の横に立ち、
記者達の質問に答えた。
取材が終わった後、十蔵は、研究所全体の動力を制
御するコントロールルームに向かった。太陽炉も原子
力発電所も全てが順調に動いていた。
﹁組織としても整ったし、設備としても申し分ないな﹂
﹁ええ。これも先生のお力です﹂
弓はそう言いつつ、制御室を見回した。
﹁めでたい日なのに、何を浮かない顔をしている?﹂
十蔵に言われて、弓は我に返った。
いえ、本来なら先生の隣に居るべきなのは、私
﹁ ——
ではなく剣造博士ではなかったかと﹂
﹁気にすることはない。第一、君を選んだのは私だ﹂
﹁私が今ここに居るのは、私などよりずっと才能があ
る剣造博士が亡くなられたからではないのですか。だ
としたら手放しで喜ぶことなど、私にはとてもできま
せん。むしろ恥じます﹂
﹁いや、君が適任だ。光子力とジャパニウムの超合金
を主にロボットの開発だけに使うのなら、私の息子の
方が適任だっただろう。だが、この研究所のミッショ
ンは、もうそれだけではないからな﹂
﹁どういう事ですか﹂
﹁エネルギー問題の解決を目指すのが、我々の研究室
の主要なテーマだったな。この研究所の総発電量を考
えてみたまえ﹂
計画の段階から、光子力研究所は、その規模に比べ
て不釣り合いなエネルギーを確保していた。実験目的
とはいえ、太陽炉で駆動する光子力反応炉は効率が良
い分、大型の火力発電所をゆうに超える電力を供給で
きる。その上、地下に原子力発電所を抱えていた。光
子力によるエネルギーが開発中なのでバックアップが
必要だし、ジャパニウム精錬のために十分な電力を確
保しなければならないといって余裕を持たせる方向で
仕様を決めていたが、いざ運転に入ってみると、余っ
てしまうエネルギーが莫大過ぎる。
﹁確かに、普通に光子力の研究やジャパニウムの精錬
をしているだけでは、動力系の半分以上が遊んでいる
状態になります。落成してから言うのも何ですが、ま
さかどこかで見積もりを誤ったのでは⋮⋮﹂
おずおずと弓は切り出した。
﹁いや、最初から狙い通りだ。これでいいんだよ。光
子力の研究を掲げて進むのは勿論だが、かといって原
子力の研究を捨てるわけではない﹂
53 拘束系Holonomic system
﹁だからわざわざ原子炉を⋮⋮﹂
﹁そ れ だ け で は な い。 光 子 力 反 応 炉 の 効 率 を 上 げ る
のと並行し、余剰電力を使って核融合の研究を行うの
だ。トカマク程度はまとめて数台、余裕で動かせるだ
けの場所も動力もある﹂
﹁何ですって? さっき、クリーンで効率のよいエネ
ルギーだと記者の前で宣伝したばかりではないです
か﹂
﹁別に嘘はついておらんよ﹂
十蔵は笑った。
﹁光 子 力 は エ ネ ル ギ ー 問 題 を 一 気 に 解 決 で き る 力 を
持っている筈です﹂
﹁原理的にはな﹂
十蔵はコントロールルームの扉を開けて歩き出し
た。弓は後を追った。地下の採掘場へと続くエレベー
タが一階で止まっていたので、待ち時間無しに乗り込
んだ。
﹁問題はジャパニウムの埋蔵量だ。光子力を駆使して、
日本のエネルギーを二十年支えろと言われれば、まあ
できないこともないだろう。だが、それで世界を救う
ことはできんよ﹂
エレベータが地下最深部で止まり、十蔵は扉を開け
て出た。掘削用の機械が何台か備え付けてあった。
﹁これまでのところ、富士山裾野附近からしかジャパ
ニウムは見つかっていない。これを使い尽くせば、新
しい鉱脈を発見しない限り先はない。かといって、石
炭や石油にも問題はあるからな﹂
﹁そのうち枯渇してしまうということですか﹂
石油危機が何度か話題になり、原油の価格が上がる
ことも経験していた。
﹁枯 渇 な ら ま だ い い。 我々は エ ネ ル ギ ー 確 保 の た め
に石炭や石油を掘り出して使ったから、地球上の炭素
の分布と循環を大幅に乱してしまっている。その乱れ
は、おそらく、地球が自然に調節できる範囲を超えて
いる。我々はまだこの地球を理解しつくしたわけでは
ない。正直、この先、何がおきるか私にも分からんよ﹂
﹁確かに、公害はあちこちで問題になっています。し
かし、風力や水力だってあるじゃないですか。新しく
燃料になる材料を植物から得てもいいはずです﹂
﹁公害はせいぜい一地方の問題だが、我々が将来直面
するのは、地球規模の環境の激変だ。第一、風力は火
力と併用しないと安定運用できないし、水力で何とか
なるのは地球上のごく一部に過ぎん。かといって燃料
確保のために新たに植物を育てれば、その分だけ農地
を確保しなければならん。さらに環境が破壊されてし
まうぞ﹂
54
フユージヨン
弓は、十蔵の次の言葉を待った。
﹁環境を破壊せずに効率よく世界中で使えるだけのエ
フイツシヨン
ネルギーを得るには、やはり 核融合 しかない。我々が
目指すのは、光子力をスターターにして核融合炉を動
かすことだ。これができれば、世界が救われる。ジャ
パニウムと違って、 水素は地球上の至る所にあるし、
スタンダード
宇宙を見渡しても最も存在量が多いからな。核
分裂 の
原子炉は、まあ一時的なものだと考えている﹂
核に対する国民のアレルギーが大きかった反動で、
光子力の研究拠点を作ることが認められたにも関わら
ず、十蔵の言葉はその期待を裏切る内容であった。
﹁光子力は、核融合炉の開発が遅れたときの生命線に
なり、さらに最初に火をともす役割をするはずだ。君
には地質調査をやってもらった。別に地質学者になっ
てくれることを期待したつもりはないが、学ぶものも
あっただろう。今の 標準的 な考え方を﹂
﹁グローバル・テクトニクス⋮⋮それから地球惑星系
の全体について﹂
﹁そう。地球上の物質とエネルギーの循環について考
えることになったはずだ。それならわかるな? この
先、君はこの世界を⋮⋮地球を見ながら研究を進める
のだ。むろん、君一人だけでできることではない。材
料開発、反応炉の開発、動かすためのロボット工学や
制御工学、そしてこの地球を理解するための気象学や
地質学といったものをバランス良く進めていくことに
なる﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁この研究所は、 単に光子力の研究拠点に止まらず、
いずれ、世界を救う最後の砦になるだろう。国民の核
アレルギーなど、時間が解決する。それまでに研究が
潰されるようなことがあってはならん。だから、徹底
的に平和利用を掲げておかなければならないのだ。年
齢からいって、私が先に此処を去ることになるが、私
の後を継いで、研究を進めて欲しい﹂
もともと軍属だったことを突っ込まれないために、
三博士は研究所の行政面で表には出ない立場に居た。
平和利用の宣伝に差し障る可能性があるからだった。
﹁私には、ヘルの才能も無いし、剣造博士に代わる力
もない。私は結局どちらにもなれなかった。せめてど
ちらかになれていれば、心おきなくあなたを継ぐと言
えたものを⋮⋮﹂
﹁弓 君、 そ ろ そ ろ 自 分 の 才 能 に 気 付 い た ら ど う だ ?
研究所にさまざまな人材を集めて動かしていくには、
君は不可欠な人材なんだ⋮⋮。単独で大きなブレイク
スルーをする研究者は確かに目立つ⋮⋮私も、それか
ら私の息子もそのタイプだった。だが、それだけで物
55 逆行解析reverse engineering
事が進むわけじゃない﹂
﹁力の及ぶ限り、やれるだけのことをします﹂
後戻りはできない。弓はこの先の人生を、光子力の
平和利用に捧げると誓ったのだった。
逆行解析
reverse engineering
光子力研究所・一階格納庫
1
﹁弓教授、一体こんな所で何をなさっているのです?﹂
ミネルバXに寄りかかったままの姿勢で、弓は目を
開けた。せわし博士が立っていた。
﹁何だ、もう朝なのか。つい、いろいろ考えてしまっ
て⋮⋮﹂
﹁こんな所でお休みになられては、疲れがとれません
ぞ。それに、こりゃ一体何です?﹂
脇に置いてあったウイスキーの瓶とグラスを、せわ
し博士がめざとく見つけて手に取った。
﹁どうも、眠れそうになくてね。それで⋮⋮﹂
﹁やれやれ、お嬢さんに見つかったら怒られるでしょ
うなぁ。まだ、化膿止めの薬をのんでおられるという
のに、酒など⋮⋮傷を悪くしたらどうするんですか﹂
﹁飲んだといっても、ほんの少しだけで⋮⋮﹂
ばつが悪そうに言う弓の目の前で、せわし博士は試
薬の残量を確かめる目で瓶をチェックした。
﹁まあ、これは後でこっそり戻しておきましょう﹂
せわし博士が瓶とグラスを白衣のポケットに突っ込
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56
んだ。
扉が開いて、もりもり博士とのっそり博士が入って
きた。甲児とさやかが続いた。
﹁まずは全身の調査からですな﹂
せわし博士とのっそり博士が、非破壊検査用の整備
塔に飛び乗った。手早く光子力レントゲンの装置の電
源を入れる。
﹁記録を頼みますよ﹂
﹁了解﹂
せわし博士が光子力レントゲン装置をレールに沿っ
て上下左右に移動させた。ミネルバXの内部構造が映
し出される。頭、胸、両腕、と調べた後、腹のあたり
のブルーに輝く部品に光線を照射した。
﹁や は り、 材 質 は ス ー パ ー 鋼 鉄 で す。 構 造 は マ ジ ン
ガーZとほとんど同じですが⋮⋮胸のところにZには
無い回路がついているようです﹂
せわし博士が、モニターを指さした。
﹁多分、それがパートナー回路だろう。試しに光線の
出力を上げてみるんだ﹂
弓の指示で、 のっそり博士が出力を最大に上げた。
途端に、ミネルバXの目が輝き、腕が動いてレントゲ
ン装置を叩き落とした。作業台が破壊される。間一髪
で、せわし博士とのっそり博士は作業台から飛び降り
光子力研究所・ラウンジ
て、整備棟のレールにしがみついていた。レントゲン
装置は下の弓目がけて落下してくる。甲児に突き飛ば
されて、弓はかろうじて直撃を免れた。床に転がった
衝撃で、左腕の傷が痛む。思わずうめき声を上げかけ
て、甲児やさやかに心配をかけまいと歯を食いしばっ
た。
﹁怪我はないか?﹂
一度深呼吸してから弓は博士達に声をかけた。
﹁大丈夫です﹂
揃って博士達が答えた。
﹁やはりな、あれが彼女の心だ。神とも悪魔ともなる
心なのだ﹂
﹁さっぱりわかりませんよ、弓教授﹂
呟いた弓に向かって、せわし博士が言った。
﹁コーヒーでも飲みながら検査の結果を検討しよう。
ラウンジに来てくれ﹂
そういえば朝から何も食べていない。ついでにトー
ストでも頼むか、と弓は思った。
●
2
﹁で、そもそも、そのパートナー回路というのは、一
体何なんです?﹂
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57 逆行解析reverse engineering
ラウンジでくつろぎながらもりもり博士が訊いた。
﹁もともとは、私が光子力研究所を管理するために開
発していた技術だった。光子力研究所を作った時、一
度にいろんな研究部門が立ち上がり、測定器やら設備
やらが大量に入った。 当然不具合も出る。 ところが、
装置によっては、型番が同じなのに内部で使われてい
る部品が違っていることがあったのだ。そこで、何が
使われているかを推定する非破壊検査の技術が必要に
なった﹂
トーストをかじりながら弓は説明を始めた。
﹁電気回路の動作には、全て特有のノイズが伴う。だ
から、ノイズを測定して時間・周波数解析してデータ
ベースを作っておくのだ。そうしておけば、別の機器
のノイズパターンを測って照合すれば、たちどころに
中で何が動いているかわかることになる。私が作った
のは、設備や機械の管理に使うための単なる分析機器
だった﹂
﹁兜博士は、それをミネルバXの制御に使ったという
のですか?﹂
﹁そうだ﹂
﹁何でまたそんなことを?﹂
﹁無人で動く自律型のロボットでマジンガーZを補佐
しようと考えたとき、兜博士もまたフレーム問題に直
面することになった﹂
単純に﹁Zを補佐しろ﹂とロボットに命令した場合、
補佐の具体的な内容が細部まで決まらない限りロボッ
トは動けない。 一緒に何かを持ち上げればいいのか、
攻撃をすればいいのか、Zに迫る攻撃の楯になればい
いのか、さまざまな可能性がある。人間であればどう
すればいいか瞬時に判断できることでも、自律型のロ
ボットは、副次的に起こりそうなことを考慮したり無
関係なことは考慮しないようにしたりして、その中で
最適なものは何かを探索してから動くことになる。と
ころが、普通にやったのでは、起こりそうなことも無
関係なことも、組み合わせは膨大な数、場合によって
は無限大になるため、最適なものを出すには長い時間
がかかったり、結局最適なものを決められないという
ことが起きたりして、ロボットが全く動けなくなって
しまう。この種の問題をフレーム問題という。
﹁フ レ ー ム 問 題 を 回 避 す る た め に は、 何 を す べ き か
探す範囲を最初に絞り込まなければならなかった。そ
の た め に は、 Z の 動 き そ の も の を 使 う の が 最 も 単 純
だ。とはいっても、カメラで動きを撮影してZが何を
やろうとしているのかを読み取っていたのでは、やは
り時間がかかりすぎる。だから、Zのさまざまな動き
によって生じるノイズをとらえることで、どうやって
58
光子力研究所・一階格納庫
Z を 補 佐 す る か 決 め る こ と に し た の だ。 そ れ が パ ー
ト ナ ー 回 路 の 役 割 な の だ よ。 兜 博 士 は、 判 定 に コ ン
ピュータを使わず、その代わりパターンに選択的に応
答する電子回路を作って、ハードウェアで実現した﹂
﹁では、さっきいきなり暴れ始めたのは⋮⋮﹂
﹁パートナー回路に対して、外からZとは関係のない
強い信号を入力したからね。自分に対して危害を加え
るものだと判断して、自動的に排除しようとしたのだ
ろう。ロボットの判断としてはあまり良くないね。お
そらく、パートナー回路に不具合があるのだろう﹂
﹁修理してみましょうか﹂
もりもり博士が立ち上がった。
﹁お願いします。回路の壊れている部品を超合金Zの
ものに置き換えて、冷却系の点検を﹂
●
3
ミネルバXの修理をもりもり博士に任せて、 弓は、
久しぶりに自作の雑音測定器を引っ張り出した。今で
は、所内の装置の管理用には、弓の作ったものではな
く市販の簡単な装置が使われていた。しかし、条件を
変えて測定をするには、自作の装置を使う方ができる
ことが多い。
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感度を上げるために大きめのアンテナを接続し、測
定装置と記録用コンピュータの電源を入れた。せわし
博士とのっそり博士は、弓の指示で研究所内の倉庫に
部品と取りに行っていたが、やがて戻ってきた。
﹁言われたものは全部持ってきましたが、一体何をす
るつもりなんですか?﹂
のっそり博士は台車から部品の入った箱を引きずり
下ろした。
﹁パートナー回路の予備を作ってみようと思ってね﹂
﹁確かにこれだけあれば十分作れるでしょうけど、今
でも動いているのに必要なんですか?﹂
せわし博士が部品の入った段ボール箱を開けた。
﹁装置は作って動かしてみるのが理解への早道だ﹂
﹁そりゃまあ、兜博士はいつもそうおっしゃってまし
たが⋮⋮﹂
﹁それに、今ならもっといいものが作れる﹂
﹁どうしてです?﹂
﹁開発の時期が時期だからねぇ﹂
弓は、格納庫入り口のボタンを押して扉を開け放っ
た。キャスター付きの台に載せた測定器を格納庫から
外に運び出した。
﹁パートナー回路を作った時、おそらく、Zはまだ完
成していなかった。兜博士はZを制御する電子回路だ
59 逆行解析reverse engineering
光子力研究所・ラウンジ
けを先に作って、そこからのノイズを元にパートナー
回路を設計したのだろう。だが、今ならZが完全に動
いている。あれだけのものが動けば、全身からもっと
区 別 し や す い パ タ ー ン で 強 い ノ イ ズ が 出 る。 そ ち ら
を使った方が、より完全なパートナー回路になるはず
だ﹂
弓は、白衣のポケットからヘッドセットを取り出し
た。頭にはかけず、片手で持ち、マイクを口に近づけ
た。
﹁甲児君、Zを動かしてみてくれ。普段の戦いの動き
を再現してみてほしいんだ﹂
﹁わかりました、先生﹂
パイルダーオンしたまま待機していた甲児が、弓の
指示通りに、準備された標的を攻撃した。
●
4
測定を終えた弓は、先にラウンジに引き上げて休ん
でいた。一時間ほど仮眠をとっていたら、三博士達が
戻ってきた。
﹁ミネルバはどうなった?﹂
弓 は、 応 接 セット の 机 の 上 の コ ー ヒ ー サ ー バ ー か
ら、博士達の分を注ぎ分けた。
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パイルダー
﹁パートナー回路の修理は完了しました。テストを兼
ねて甲児君がマジンガーZで連れて行きましたよ﹂
もりもり博士が答えた。
﹁ミネルバ本体の調査は終わったのかね?﹂
﹁ええ。別の光子力レントゲン装置で前後左右から写
真を撮ってあります﹂
﹁写真から設計図を起こせそうか? 兜博士のオリジ
ナルが奪われてしまった以上、ミネルバXの本体を調
べて、改めて図面を引くしか無いのだが⋮⋮﹂
﹁問題ありません。休憩が終わったら、すぐ取りかか
りますよ。ただ、ちょっと気がかりなことが⋮⋮﹂
﹁何かあったのですか?﹂
﹁ミ ネ ル バ の 構 造 は Z と ほ と ん ど 同 じ だった の で す
が、Zとは違って、制御回路が二重になっていました。
Zの操
縦席 の役割をしているのはパートナー回路の方
なのですが⋮⋮﹂
パートナー回路を搭載した以上、制御は全てパート
ナー回路を介して行うのが自然ではある。
﹁兜博士のオリジナルでも二重になっていたかどうか
までは、本体を見ただけではよくわからんな。万が一
の故障に備えて予備を用意したということもあり得
る。ただ、本来ならパートナー回路の故障で自動的に
停止するはずだが、そうではなかった。どうやら別の
60
制御回路は取り除いた方が良さそうだが⋮⋮まあ、も
う少し調べてから決めよう﹂
﹁しかし、Zと一緒に行かせて大丈夫なんですか?﹂
﹁せわし博士、修理は完全に終わったのだからミネル
バが暴走することは無いだろう。それに、ミネルバの
製作はどうやらヘルの手に余る仕事だったようだ﹂
﹁と、申されますと?﹂
﹁Zに近づけばヘルの命令をきかなくなると知ってい
たら、ヘルはパートナー回路など外して寄越したに違
いない。しかし、兜博士の設計図に忠実に実装したも
のがやってきた。ヘルはただ単に図面通りに作ってみ
ただけで、その意味までは理解できなかったに違いな
い﹂
﹁確かに、構造はZと同じですが、細かい部分はパー
トナー回路によって動かすように変えてあるようでし
た﹂
﹁パートナー回路を外すとなると、変更がミネルバX
の全身に及ぶことになる。多分、ヘルはどうしていい
かわからなかったから、そのまま作ったのだろう﹂
弓はコーヒーを口に含んだ。ゆっくりと飲み込む。
﹁それに、Zが近寄っただけで本体が壊れるような作
り方をしている﹂
﹁何と言ってもスーパー鋼鉄製ですからなぁ。超合金
Zとはワケが違う﹂
のっそり博士が相槌を打った。
﹁その通りだ。材料を変えたらそれに応じて設計図の
方も手直ししなければいけないのだが⋮⋮超合金Zの
性能を前提にして設計された部分がどこなのか、ヘル
は押さえ損なったと見える。まあ、今回はヘルが兜博
士の設計を十分理解していなかったのが、我々にとっ
て救いだったが⋮⋮﹂
さやかがラウンジに入ってきた。追加のコーヒーを
ポットごとテーブルに置き、弓に白い紙の薬袋を差し
出した。
﹁お父様、きちんとお薬をのまないと⋮⋮﹂
ミネルバXの調査で忙しく、化膿止めも痛み止めも
朝からのむのを忘れていたことに弓は気付いた。少し
前から傷が再び痛み始めていた。左腕をかばいながら
薬を取り出そうとした弓から、さやかは再び薬袋を取
り上げ、一回分の錠剤を弓の掌にそっとのせた。弓は、
錠剤を口に放り込んでコーヒーで流し込んだ。
﹁お父様、ミネルバっていう名前に、何か意味がある
んですか?﹂
﹁ミ ネ ル バ は ロ ー マ 神 話 に 出 て く る 神 様 だ よ。 ギ リ
シャ神話の女神アテナと同一の神で、知恵と戦いを司
る女性の神だ﹂
61 ミネルヴァの梟Die Eule der Minerva
﹁だから女性の形に作られたのかしら﹂
﹁う む⋮⋮。 ア テ ナ は、 ア テ ナ は ア テ ナ = グ ラ ウ コ
の添名を持っている。グラウコピスと
ピス Glaucopis
は、輝く目、青い目、灰色の目を持つ者と言われてい
るが、その語源から考えると梟の顔をした、という意
味になる。また、梟はアテナの使いだとも言われてい
るよ﹂
﹁そういえば、パートナー回路が青色に光ってたわ﹂
﹁兜 博 士 は、 あ れ を 梟 の 目 に 見 立 て た の か も し れ な
い﹂
﹁あの形と色で﹃梟の目﹄だなんて、何だか由緒ある
宝石みたいね﹂
さやかは口元で笑った。 宝石にしては随分立派だ、
第一大き過ぎますなあ、と博士達も笑った。
﹁ところで、ミネルバXはどうしているの?﹂
﹁マ ジ ン ガ ー Z と ロ ボット 同 士 の デ ー ト じゃな い か
な⋮⋮﹂
聞いた途端にさやかは怒りを露わにした。さやかに
この手の冗談は通じない。弓は慌ててなだめようとし
た。
﹁甲児君が⋮⋮ロボットの方がいいなんて、全くもう、
信じられないわ!﹂
さやかはラウンジを駆けだして行った。
ミネルヴァの梟
Die Eule der Minerva
光子力研究所・管制塔
1
所 内 放 送 で 弓 教 授 宛 に 緊 急 呼 び 出 し が か かった の
は、 新しいパートナー回路を組み終えた直後だった。
弓は、組み立ての機材や計測器をそのままにして管制
塔へと急いだ。
モ ニ タ ー 画 面 の 中 で、 機 械 獣 ア ー チェリ ア ン J 5
と マ ジ ン ガ ー Z が 戦って い た。 マ ジ ン ガ ー Z の 光 子
力ビームに合わせてミネルバXもビーム攻撃をする。
ア ー チェリ ア ン は 大 破 し て 地 面 に 転 がった。 管 制 塔
内で、 見守る所員達から驚嘆の声が上がった。 だが、
アーチェリアンが最期に射た矢は、正確にミネルバX
のパーートナー回路を破壊していた。ミネルバXは暴
走し、街を好き勝手に破壊し始めた。
﹁ヘルに制御が戻ったんだ﹂
あの余分な制御回路はやはり外しておくべきだった
と思いながら、弓は甲児に帰還命令を出した。さやか
のアフロダイAには追跡を続行させた。
Z が 戻って き た の で、 弓 は 一 旦 外 に 出 て、 予 備 の
パートナー回路を渡した。
●
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4
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62
光子力研究所・ラウンジ
﹁制御をこちらに戻すには、もういちどパートナー回
路を動作させる以外にない。予備のパートナー回路を
ミネルバXに取り付けてくれ。それが出来ないときは
破壊するしかない﹂
再び管制塔に戻った弓が見たものは、目の前にある
ものを手当たり次第破壊しながら、原子力発電所に向
かうミネルバXの姿だった。
原子力発電所の原子炉格納容器が壊されたら、放射
能を帯びた冷却水やガスが放出され、炉心の放射線源
もばらまかれることになる。何とか止めようと駆け寄
るZを、後ろからアフロダイAのミサイルが追い抜い
て、ミネルバXに命中した。その場に崩れ落ちたミネ
ルバXに、マジンガーZの手でパートナー回路がはめ
込まれた。しかし、ミネルバXの破壊は動力系や制御
系の大部分に及んでいた。パートナー回路は動作した
が、ミネルバXは全機能を停止した。
●
2
﹁ミネルバを埋葬してやりました。海の中です。いつ
か甦らせる時がくればいいですね﹂
甲児からの報告を、弓はソファに沈み込んだまま聞
いた。ミネルバXの原子炉は既に取り出して解体作業
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に回していた。
﹁ああ、そうできるといいね﹂
弓は曖昧に答えた。
超合金Zならともかく、海の中ではスーパー鋼鉄の
腐食は早い。戦いが終わってから引き上げた場合、元
の形をとどめている保証はどこにもなかった。
﹁ミネルバXは私を許してくれるかしら?﹂
﹁さやかは発電所を、街を守ったのだ﹂
弓は、座り直してソファから身を乗り出した。
﹁奪われた設計図はもう一度作り直した。甦らせるこ
とはいつでもできるから、あまり気にしてはいかん﹂
﹁じゃあ、今すぐ作って、お父様。甲児君のパートナー
は私よ。 だから今度は私がミネルバXを操縦するわ。
超合金Zと光子力があれば、私だって戦える。アフロ
ダイAよりずっと強くできるんでしょ﹂
﹁駄目だ﹂
﹁どうして?﹂
﹁パートナー回路無しではミネルバXは動かん。無理
に操縦席を作ったとしても、そんなものに乗るのは危
険すぎる。もし、パートナー回路がミネルバをZの楯
にすることを決めたら、一緒に破壊されてしまうぞ﹂
﹁そんなの、自分の身を守れ、って命令を出せばいい
だけじゃない﹂
63 ミネルヴァの梟Die Eule der Minerva
光子力研究所・管制塔
﹁そう簡単にはいかん。自身の安全とZの補佐を同時
に満たす最適解をはじき出すのはとても難しい。何を
するか決められなかったら、ミネルバXが戦いの最中
に立ち往生してしまうぞ﹂
﹁甲児君に﹃アフロダイAは起重機代わり﹄なんて言
われたのよ。悔しいわ﹂
﹁そんなところで張り合ってどうするんだね?﹂
﹁⋮⋮もう、お父様のバカ!﹂
さやかは、乱暴にドアを開けて出て行った。
●
3
所内のメインコンピュータの端末の前で、弓は設計
図を眺めていた。もりもり博士が、ミネルバXのレン
トゲン写真をもとに作ったものである。
﹁弓教授、ここにいらしたんですか? お嬢さんがす
ごい剣幕で格納庫の方に行きましたよ﹂
せ わ し 博 士 は、 弓 の 隣 に 座って 設 計 図 を 覗 き こ ん
だ。
﹁うむ⋮⋮さやかのことは、しばらくそっとしておく
しかないだろう﹂
弓は設計図を切り替えた。
﹁⋮⋮ die Eule der Minerva beginnt erst mit der ein-
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ミネルヴァの
brechenden Dämmerung ihren Flug——
梟は黄昏とともに飛ぶ、か。ミネルバXは姿を現すの
が早過ぎたのかもしれんな﹂
﹁ヘーゲルの言葉ですな、所長﹂
﹁
﹃法哲学要綱﹄の序文だ。本当はこの直前に、 Wenn
die Philosophie ihr Grau in Grau malt, dann ist eine
Gestalt des Lebens alt geworden, und mit Grau in
Grau läßt sie sich nicht verjüngen, sondern nur erkenと言っている。哲学がその灰色を灰色に描く時生
nen
命の姿は既に老いているし、灰色に描いたからといっ
て生命は若返らず、ただ認識されるのみだ、とね。随
分わかりにくい言い回しだが、学問というものは結局
は現実の後を追う、ということだ。まだフレーム問題
も十分に解決していないという現実があるのに、ミネ
ルバの名を持つ自律型ロボットが、不完全な作られ方
で現れたのだからねぇ⋮⋮﹂
﹁学問になるのを待ってなどいられませんぞ﹂
﹁それもそうだ﹂
弓はせわし博士の方を向いた。
﹁我々は工学者であり、技術者の集団だ。その現実の
方を推し進める側のな﹂
﹁日暮れになって、梟が普通に活動し出すのを待って
いたのでは、仕事になりませんな﹂
64
﹁それじゃあ昼のうちに、飛び立たれる前に梟を捕ま
えに行くとするか﹂
せわし博士が吹き出した。
﹁実 際、 う か う か も し て お れ ん。 マ ジ ン ガ ー Z と 同
じ基本構造を持ったミネルバXをあのヘルが作ったの
だ。 当然、 Zの機能も癖も知られてしまっただろう。
次からはもっと弱点を突いた攻撃が来るぞ﹂
﹁気を引き締めてかからねばなりませんな。ところで
この設計図はどうなさるおつもりで?﹂
﹁復元したとはいえ、元々は兜博士の考えられたもの
だ。保管して、兜博士の業績目録に追加しておこう﹂
﹁そういえば、そのヘーゲルですが、著作の多くは弟
子が講義録をまとめたもので、本人が自分で書いたも
のはわずかだそうですね。しかも講義ノートは未完成
で、弟子が大いに苦労したと。妙なところで兜博士に
似てますなぁ﹂
今度は弓が苦笑する番だった。兜博士の業績でまと
まっていないものは一番弟子の弓が整理していたが、
大 量 に あ る た め、 い つ に なった ら 終 わ る の か 目 処 も
立っていなかった。
モニターの一つが、ノイズパターンの画像を表示し
た。
﹁所長、あれは⋮⋮?﹂
光子力研究所・格納庫
﹁私の雑音測定器だ。さっきは攻撃があったので急い
で管制塔に来たから、電源は入れっぱなしで格納庫に
置いたままにしてしまったのだが⋮⋮﹂
Zからのデータを取っていたとき、管制塔からも確
認できるように、データを流す設定にしてあった。
﹁該当無しって出てますが⋮⋮これは一体?﹂
所内の装置なら全て登録されているから、自動的に
照合された結果が表示されるはずである。新しく用意
した装置なら該当無しと判定されるが、この時間、格
納庫に装置の搬入は行われていない。生身の人間であ
れば、そもそも装置には引っ掛からない。
﹁いかん、侵入者かもしれん﹂
﹁さやかお嬢さんが下に⋮⋮﹂
弓は、コンソール下の引き出しを開けた。拳銃を取
り出し、スライドを引き、初弾を装填する。
﹁警備員に連絡を﹂
白衣の裾を翻して、弓は管制塔を飛び出した。
●
4
格納庫の入り口のドアを勢いよく開けて、弓は中に
駆け込んだ。作業服を着た男が二人、壁際にさやかを
追い詰めていた。
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65 ミネルヴァの梟Die Eule der Minerva
﹁そこで何をしている!﹂
叫んだ弓に向かって男が発砲した。空気を焼く音と
ともに光線がすぐ後ろの壁に命中する。スミス博士の
偽者に撃たれた記憶が甦った。
﹁お父様!﹂
さやかが隙を見て逃げ出した。男がさやかの方に光
線銃を向けた。弓は男に向かって走りながら、迷わず
引き金を引いた。格納庫に轟音が響く。男は膝をつい
たが、なおも銃をさやかに向けた。さやかに駆け寄っ
た弓は、左手でさやかを力一杯引き寄せ、後ろに庇っ
た。左腕に激痛が走るのもかまわず、弓はさらに二発
を撃ち込んだ。一発が頭に命中し、人工の皮膚を引き
裂いた。明らかに人間ではない、機械の顔を晒した男
が、そのまま後ろ向きに倒れた。
残る一人が光線銃を構え直した。弓は、胴体を狙い
撃ちにした。排莢され、硝煙の臭いが漂う。三発立て
続けに弾を撃ち込まれ、 体を作る部品が飛び散った。
男はその場に崩れ落ちた。
﹁殺したの⋮⋮?﹂
﹁見なさい、人間ではない。多分ドクターヘルの部下
だ﹂
ただ一人の理解者になるかもしれなかった兜十蔵を
殺した時から、ヘルは完全に狂ったに違いない。人と
ふれあうよりも、世界を奪う方を選んだのだから。
﹁あしゅらといい、鉄仮面といい、ヘルは異形の者し
か作らんつもりらしい⋮⋮﹂
人そっくりなものを作る気もない、ヒューマノイド
を 作って も そ れ を 人 と し て 扱 う つ も り は 最 初 か ら 無
い。自分の思い通りに動くサイボーグでさえも仲間だ
と考えるつもりはないというヘルの精神に、弓は背筋
が寒くなった。
﹁一体研究所へ何をしに⋮⋮﹂
﹁おそらく、パートナー回路の情報を盗みに来たのだ
ろう。ヘルが理解できなかった部分だ﹂
ヘ ル は 世 界 を 欲 し がって い る。 だ が、 人 間 を 欲 し
がってはいない。地球人類がヘルの前に跪いたとして
も、彼の望みは満たされないだろう。彼が作る世界に
は、ロボットしか居ない。今でもそうだし、これから
もそうだ。彼が征服した後の世界に人間の居場所はな
い。 それに気付いていないのだろうか? それとも、
知った上でたった一人、自分だけしか居ない王国を作
るために戦っているのか⋮⋮
二人目の男がゆっくりと動いた。光線銃を弓に向け
る。弓は頭を狙って引き金を引いた。全弾撃ち尽くし
てスライドが後退する。 男は完全に動かなくなった。
脳だけを生かすために封じ込められていた透明な培養
66
液が流れだし、静かに床に広がっていった。
﹁お父様⋮⋮﹂
弓 は さ や か を 抱 き 寄 せ た。 左 腕 の 傷 が 開 い て 出 血
が始まり、白衣を赤い血で染めていく。警備員を先頭
に、三博士達が格納庫に駆け込んできた。
﹁所長、ご無事ですか!﹂
動かなくなった引き金に指をかけたままで、弓の右
手がゆっくりと下がる。
﹁ヘル、貴様はどこまで行っても傀儡の王だ﹂
彼方を見つめながら発した弓の叫びが、格納庫に響
いた。
完 ——
——
あとがき︵ネタバレ注意︶
三八話の外伝のつもりでいたのだが、書いてみたら
三八話のノヴェライズになってしまった。
マジンガーZ研究機構に投稿されたゆりあさんの
ファン フィク ﹁ミ ネ ル バ の フ ク ロ ウ は 宵 闇 の 訪 れ を
待って 飛 び 立 つ﹂ に 触 発 さ れ、 私 も 書 い て み よ う と
思った。 直 ぐ に 書 き 終 え る つ も り が の び の び に なっ
て、随分時間が経ってしまった。
︵数 学 的 に
Mathematically Justified Cybersystem
正当化されたサイバーシステム︶とはつまりはロボッ
トの意である。持って回った言い方だが、元ネタは﹁ペ
ンローズの量子脳理論﹂より︵このオッサン、最近は
言うことが彼岸にイッちゃってて面白い︶
。
ヘルと十蔵の学生時代の関わりは、桜多吾作版のマ
ジンガーZコミックス﹁たたかえDrヘル﹂が元ネタ
である。十蔵の婚約者のゆみこはここに登場する。
というのは束縛条件があるとい
Holonomic system
う意味である。解析力学の用語で、運動を制限する条
件がついているものを指す。ロボットの制御がまさに
これを前提にしていて、アームの長さや角度やクリア
ランスが拘束条件となる。
本編に登場する博士達は、全員、それぞれの分野で
成果を出して地位を得た後の姿で登場する。 しかし、
67 あとがき
今回の創作では、弓の大学入学の頃に始まり、まだ若
い時を書くことになった。それなりに悩んだり迷った
りする姿があって、それが年齢を重ねて本編の指揮官
としての貫禄︵?︶を持つようになったのだと納得し
てもらえればいいかな、と思っている。
旧制の帝国大学はむしろ今でいう大学院修士課程程
のような面があったということなので、入って直ぐ研
究の手伝いのようなことを開始するように書いてし
まった。このへんは作者もまだ調査がゆきとどいてい
ない。大間違いがあったらおわびしたい。
三博士が軍属であったとか、 光子力発見の経緯や、
ドイツでの十蔵とヘルの関わり、早いうちからの弓と
剣造の関わりなどはすべて私の創作である。設定と大
きな矛盾はしないように気を配ったつもりであるが、
手 持 ち の 資 料 は 限 ら れ て お り、 も し か し た ら 間 違 い
もあるかもしれない。また、本編について異なったイ
メージや解釈をしておられる方には、あくまでも私個
人のオマージュであるということで、広い目で見てい
ただければ有り難い。
なぜ、弓教授が地質調査用のロボットを作ったのか
という事に対する私なりの解釈も書いてみたつもり
で あ る。 本 編 で は、 さ や か は、 ア フ ロ ダ イ A を 起 重
機 代 わ り と 甲 児 に 言 わ れ て 立 腹 し て い た が、 弓 教 授
としては前からやってる開発の延長線上だということ
で⋮⋮。さらに、どうして次世代のエネルギー源であ
る光子力を実用化しておきながら、所内地下に原子力
発電所を抱えているのか︵光子力で全部まかなえばい
いのに︶という疑問についても、解釈をつけたつもり
である。
しかし、まさか自分が十蔵視点でヘルを書くことに
なるとは思わなかったぞ︵笑︶
。最初は弓とヘルをどっ
かで会わそうかと思ったが、念のためタイムチャート
を作ってみたらちょっと無理っぽいのであきらめたの
だけど。
一 歩 間 違 え ば ヘ ル に なって た の は 弓 教 授 じゃな い
か、というのは月例会の雑談ネタ。少し反映させてみ
た。何だか悩みの多い弓教授になってしまった。
マジンガー三作品は同じ世界、というのが前提なの
で、宇門博士も登場させてみた。ただ、宇門博士は光
研 の 人 達 と は 別 世 界 の 住 人 だ し、 グ レ ン ダ イ ザ ー を
拾ったりしなければ、どう見ても光研とは関わりよう
がない人である。ただし、巨大ロボットを作らなかっ
ただけで、宇門博士の方が弓教授よりも実はマッドサ
イエンティストだろう︵というかワケわかんない宇宙
人を養子にするのは普通に考えると﹁奇行﹂だし、ま
あそういう神経の人なんだろうと︶
。
68
ジャパニウムや光子力の細かい設定、材料用とエネ
ルギー用があるといった部分は﹁マジンガーZTV手
帳﹂︵リイド社︶ を踏まえた。 次の八つの解説を活か
して書いたつもりである。
●エネルギー物質変換器
マジンガーZの体内に組み込まれていて、光子力反
応炉から出た余分のエネルギーを、再びジャパニュー
ムに還元する装置。出力調整とエネルギーの節約いな
る。エネルギーと物質とは、アインシュタインの相対
性理論︵ E=MC
︶2 により、変換することができる。
●光子力エネルギー
燃料用のジャパニュームが、臨界量に達し、核分裂
を起こす過程において抽出された、 光のエネルギー。
光とは、可視領域︵目に見える︶の電磁波をいう。燃
料用ジャパニュームは、あたかもレーザ・ビームのよ
うな均一な位相と高エネルギーを持った、光を放射し
な が ら 崩 壊 し て い く、 き わ め て 特 殊 な 元 素 な の で あ
る。
●光子力反応炉
マジンガーZの心臓部ともいうべき、最も重要な部
分の1つ。ここで燃料用ジャパニュームに核分裂を起
こさせて、光子力エネルギーを抽出する。核分裂を起
こさせるためには、ジャパニュームを臨界量にしなけ
ればならないが、そういった出力の制御はすべてコン
ピュータによって自動的におこなわれている。
●光粒子増殖炉
合金用ジャパニューム︵採掘されるジャパニューム
のほとんどは合金用ジャパニュームなのだ︶を燃料用
ジャパニュームに変換する装置。燃料用ジャパニュー
ムから出る光子を、合金用ジャパニュームにぶつけて、
連鎖反応的に変換させるため、あたかも、燃料用ジャ
パニュームが増殖しているように見える。
●ジャパニューム
兜十蔵博士が発見した、新元素。日本の、それも富
士 山 麓 の 洪 積 世 の 地 層 ︵そ の 上 に 光 子 力 研 究 所 が 建
てられている︶からしか産出できない。核分裂をしな
い合金用ジャパニュームと、核分裂する燃料用ジャパ
ニュームの2種類がある。
●太陽炉
回転放物面鏡などを使って、太陽熱エネルギーを一
点 に 集 め る 装 置。 最 初 は 光 子 力 エ ネ ル ギ ー を 解 放 す
る、起爆剤として使用された。現在では、光子力エネ
ルギーの、補助的エネルギーとして利用されている。
●超合金Z
合金用ジャパニュームには、特異な性質がある。そ
れは、他の金属と混ぜ合わせると、格子欠陥︵金属の
69 元ネタ&ネタバレ集
原子配列に生じる、乱れ︶のない合金となるのだ。格
子欠陥のない金属︵現実には、ありえない︶は、格子
欠 陥 の あ る 同 種 の 金 属 と 比 較 し て、 あ ら ゆ る 面 で 強
い。そのために、ジャパニューム合金のことを超合金
という。超合金Zが、ジャパニュームと何との合金で
あるかは、残念ながら国家機密となっている。
●超合金Z精製炉
超合金Zを精製するのではなく、ジャパニューム中
の合金用ジャパニュームを精錬して、他の金属との合
金をつくり出すところ。超合金Zは、加工がむずかし
いため、ここで精錬と同時に、いろいろな形に鋳造し
たりするのである。
公式設定踏み外しのチェックや、間違いのチェック
をしていただいた英さんに感謝いたします。
元ネタ&ネタバレ集
一一 洪積世
これは古い呼び名で、今は更新世 (Pleistocene)
と 呼 ぶ の が 正 し い。 第 四 期 に 含 ま れ る こ と に
なっていたが、その区分も変更があったので新
第三期に含まれる。一八〇万年前から一万年前
くらい。
四一 富士火山帯
こ れ も 古 い。 火 山 帯 の 区 分 自 体 に 地 質 学 的 意
味 が な い こ と が わ かって い て、 今 で は 太 平 洋
プレートの沈み込みでできる東日本火山帯と、
フィリピン海プレートの沈み込みでできる西日
本火山帯の二分類になっている。
二〇〇七年 一月八日 ver.1.0
裕川 涼