イスラム教と日本の宗教との対話 WCRP日本委員会 事務総長 杉谷

イスラム教と日本の宗教との対話
WCRP日本委員会 事務総長 杉谷義純
宗教間の対話なる言葉は、今から 20 年位前までは、一種の奇異なる響きをもって聞かれた。
なぜならば、歴史上には数々の宗教戦争が存在し、その原因には、それぞれの宗教教義の
根底にある絶対性が、他宗教の存在を許容できないと説明されてきたからである。平和と
人々の心に平安をもたらすはずの宗教が、戦争の根本原因と考えられていたのであるが、は
たしてそうであろうか。
確かに社会、文化、経済、政治そして宗教が混然一体となっていた社会情況において、宗
教のもつ絶対性が戦争の遂行に大きな役割を負わされてきた。さらに近代に入っても、民族
意識、軍隊の指揮を鼓舞するために宗教的感情が、為政者に利用されてきたのも事実であ
る。つい最近でもイラク戦争において、アメリカのブッシュ大統領がゴッドに勝利を祈り、イラク
のフセイン大統領がアッラーに勝利を祈ったことは、記憶に新しいことである。宗教は常に両
刃の剣になりかねない危険を孕んでいるのである。このような宗教を宗教本来の使命を全う
させるために、宗教者は何をすべきか。特に世界が二極構造に分極化し、一触即発の核戦
争が人類の滅亡を招きかねないという運命共同体になりつつあるとき、その危険を除去すべ
く、あらゆる手立てが要請されてきた。その中でも少なくとも宗教が対立を増長する側に立つ
のでなく、宗教の垣根を越え対話を通じて対立を和らげる責任が宗教者に課せられてきた。
このような時代背景の中で、第 2 回バチカン公会議(1961~1965)において、カトリックは、カト
リック教会以外の宗教との対話を開始した。このようなバチカンの姿勢は日本の宗教者にも
大きな影響を与え、1967 年に世界連邦日本宗教委員会が、1970 年には世界宗教者平和会
議が、それぞれ日本の諸宗教の指導者によって組織された。かくして、イスラム教と日本の宗
教者の交流は、それまでは個人レベルでは行なわれていたであろうが、2つの諸宗教組織を
通じて次第に幅広く盛んになっていったのである。
1970 年 10 月第 1 回世界宗教者平和会議が京都で開催され、イスラム教を代表して、元国
連総会議長、元ハーグ国際司法裁判所所長のザフルーラ・カーン氏が基調講演を行い、参
加者に大きな感銘を与えた。すなわちカーン博士は講演の中で次のように述べている。
「真の意味における平和は、唯単に有形的安定状態、あるいは戦争や闘争の不在状態を
意味するものではない、ということは十分認識されている。」又「平和とは、個人が一面におい
ては、その創造主と、多面においては、その同胞との、温情ある調和と、それへの志向を意
味する。これは、個人対個人、個人対社会、社会対社会、国家対国家、約言すれば全人類相
互間と、人間と宇宙との間の同心的関係の全体にあてはまる。それは、人生のあらゆる面、
肉体的、知的、道徳的、宗教的側面を包含する。それが宗教の第一義的関心事であり、かつ
そうあるべきである。」さらに「平和は人間の心情に発しなければならない。如何なる人も、自
己に対して平和でなければ、その同胞と平和に暮らすことはできない。又何人も、その創造主
と平和でなければ、自己と平和に暮らすことはできない。かくて、平和の問題の核心は、個人
は彼の創造主と平和にすることを通じ、またその結果として、自己と平和に、又人類全体に対
して平和にならなければならぬということである。」
このようにカーン博士は、平和にとって大切なことは、平和を志向する強い意思が重要であ
り、又主体的実存的問題であることを十分認識する必要があることを、訴えているのである。
深いイスラム教の信仰にもとづきながら、どの宗教にも通じる普遍的な平和への姿勢を説い
たカーン博士の講演は、イスラム教に対する敬意と理解を大いに深めたのではないだろう
か。
次に、世界連邦日本宗教委員会では、中東和平の実現に向けて、日本の宗教者の果たす
べき役割について模索し、1975 年 12 月、日本ムスリム協会代表斎藤積平氏と、比叡山長臈
の葉上照澄師をエジプトのアズハルに派遣した。中東和平については、イスラム教、カトリッ
ク、ユダヤ教の三教の対話が大切であることを認識していたからである。さらに対話の重要
性を説得していく役割は、世界唯一の原爆被爆国である日本の宗教者の使命と考えたので
ある。2人はアズハル総長を引退直後のファハーム博士に面会、日本の宗教者との相互理
解のために来日を要請したのであった。ファハーム博士はイスラム教学の最高権威であり、
当時のナセル大統領も帰依していたといわれる碩学であり、すでに 80 歳になっていた。そこ
で来日の招請はなかなか受け入れられないのではないかと覚悟していたが、あっさり「アッラ
ーの思召しです。喜んで訪日しましょう。」と受諾されたのであった。葉上師によるとファハー
ム博士は、かって日本の青年にアラビア語を教えたことがある。その青年の勉強が終って食
事の時になると、必ず合掌してお祈りをし、食事を終えるとまた合掌して祈ったのであった。そ
こでかねがね東洋の小さな島国である国民が深い宗教心をを持っていることに尊敬の念を持
ち、その宗教がどんな宗教であるか興味をもっていたので、是非一度日本を訪ねてみたい、
と思っていたそうである。かくしてファハーム博士は翌年の 1976 年 6 月、イスラム最高審議会
のオーエーダ事務総長らを連れて来日、第 8 回世界連邦平和促進宗教者大会に出席、「イス
ラムの倫理と平和」のテーマで講演をされ、聴衆は 5000 人を越えた。
さらに翌年の 1977 年 5 月には今度はエジプトから招請状が届き、葉上師はじめ、日本の仏
教、神道、教派神道、新宗教の代表がカイロを訪問した。ファハーム博士と旧交を温めると同
時に、サダト大統領を表敬、同じアブラハムの子孫であるユダヤ、キリスト、イスラムの3教の
対話推進を提言したのであった。そして、代表が帰国した同じ 1977 年の 11 月 9 日サダト大統
領が電撃的にエルサレムを訪問、中東和平が劇的に進展の様相を見せた。そこで葉上師や
大本教の広瀬師ら代表団参加者は、サダト大統領にその快挙に敬意を表すと共に、シナイ
半島返還の折は是非ともユダヤ、キリスト、イスラム3教による合同礼拝を行なうよう書簡を
送ったのであった。間も無く停戦協定が成立、シナイ半島がエジプトに返還されることが発表
されると、サダト大統領から葉上師等に緊急招待状が届けられた。シナイ山麓のラハという場
所で返還式が行なわれ、引き続いてアズハル総長ビサール博士の祈りのあと、ユダヤ、キリ
スト、イスラム3教の典礼による儀式が執行されたが、その式典に出席の要請であった。大統
領は式典において「このラハの地に3教の共同礼拝堂を創建する。我々はみな同じアブラハ
ムの末裔である。戦いや争いで兄弟の血を流してはならない。この聖堂を建設するために、
世界の他の宗教の協力もお願いしよう。」とスピーチをした。招待した日本の宗教者を意識し
ての挨拶であった。このように中東和平そして3教間の対話の道筋が漸く見えはじめ、日本の
宗教者の願いもかないつつあるように思われた。しかし歴史は暗転してしまった。サダト大統
領は 1981 年 10 月 6 日、イスラムの過激派兵士に暗殺されてしまったのである。イスラエルと
妥協したとの理由であった。サダト大統領の蒔いた種を育てるべく、葉上師や広瀬師はシナ
イ山の共同礼拝を計画、1984 年 3 月、ラハに日本、アメリカ、イスラエル、エジプトの宗教者
130 人による平和の祈りが捧げられた。そしてサダト大統領、アズハル総長との交流が機縁と
してはじまったアラブ圏との宗教交流は今日まで脈々と続けられているのである。目的の達
成には、これから幾度も歴史の試練にさらされるであろうが、発端は一青年の宗教心が大き
な役割を果たしたことは、注目すべきである。
一方、1987 年 4 月、第5回庭野平和賞の受賞式が東京で開催された。この賞は世界平和に
貢献した宗教者に対し贈られるもので、世界 120 カ国、800 人の宗教者や学識者からの推薦
にもとづいて選考されている。そして第5回の受賞者は、世界イスラム協議会(モタマル)と決
定したのであった。ご承知の通り、この組織はイスラム教世界の一致と他宗教との協力、対
話を推進してきた、世界最古の国際イスラム組織である。正義を伴う平和的共存を保障する
世界共同体の建設を目的に活動していることが評価された。会長のマルーフ・アル・ダワリビ
師はコーランの有名な第 49 章 13 節を引用し、「神が人間を男と女や、多くの部族や種族に分
けたのはお互いに良く理解し合うためであるので、諸宗教が宗教間、国家間の協力を呼びか
けていかれるよう、宗教指導者は役割を果たすべきだ」とのスピーチを行なった。この受賞は
当時のイラン・イラク戦争によるイスラム教に対する誤ったイメージが日本人に描かれる中、
それを払拭する役割を果たしたといえる。
さらに世界イスラム連盟(ラビタ)のオマール・ナシーフ事務総長はたびたび来日、日本人の
イスラム教理解に大いに貢献した。すなわち、1990 年第 12 回の世界連邦平和促進宗教者綾
部大会、1992 年WCRP中東会議(京都)に出席、記念講演や、中東和平を探るユダヤ、キリ
スト、イスラム各宗教の中東代表と日本宗教者を交えた意見交換に積極的な役割を果たし、
平和声明を纏め上げた。
その外 1981 年6月世界宗教者倫理会議(東京、京都)、1987 年 8 月比叡山宗教サミット(比
叡山、京都)には中東地域からイスラム教の代表が参加した。特に 1997 年 8 月の比叡山宗
教サミット 10 周年には、アハマッド・オマル・ハーシムアズハル大学総長、シリアのイスラム法
最高権威シェイク・アハマッド・クフタロ師、アル・オバイド世界イスラム連盟事務総長など錚々
たる顔触れが来日、日本の宗教者とイスラム教指導者の交流は、儀礼的なものから恒常的、
建設的なものへと深まりつつあった。特にアル・オバイド博士はNHKのテレビにも出演、日本
人のイスラム理解に大きな足跡を残した。特にこのテレビ番組には一緒に、バチカン諸宗教
対話評議会長官アリンゼ枢機卿、イスラエルのデビッド・ローゼンも出演、大いに注目を集め
た。
しかしながら 2001 年 9 月 11 日、ニューヨークなどで同時多発テロが発生、犯人がイスラム
教徒であったことから、世界のイスラム教に対するイメージが激変、この事件をマスメディアは、
イスラム教とキリスト教の衝突と報道するに至った。そこで日本の宗教者は、2002 年 8 月、サ
ウジアラビアからムハマッド・サアド・アッサーリム、イマーム大学学長、アズハルから、アブド
ラ・アジーズ、アズハル大学副学長、カーン・マルワットACRP議長(パキスタン)、イフェット・
ムスタッチ、ボスニアヘルツェゴビナ宗教間対話協議会事務局長らを招き、「平和への祈りと
イスラムとの対話集会」を開催した。この集会ではイスラム教に対する基本的理解に関する
質問が集中し、特に「ジハード」の意味やイスラムの戒律、女性観など多岐にわたって意見が
交換された。又私自身は、これらのイスラム教の宗教指導者との交流の場を設定するお手伝
いをさせていただいたり、昨年1月はサウジアラビアのジャナドリアにご招待頂き、生きたイス
ラム文化に直接触れることが出来、大変勉強になった。1987 年 8 月全世界に発信された比叡
山宗教サミットのメッセージには「宗教者は、常に弱者の側に立つことを心がけねばならない」
「平和のために祈るべくここに集ったわれわれの営みが、世界の到るところで繰り返され、繰
り拡げられ、全人類が渇望してやまないこの大いなる平和の賜物が、われわれの時代に与え
られんことを切に祈る」とある。
我々は今日の世界の様相を見ていると、戦争の原因が文明の衝突や宗教の対立であると
いう見方に与することなく、この比叡山メッセージの精神を噛みしめ、たゆまない対話への努
力を続けていかなければならないと痛切に思うのである。世界の平和の前には我々が平和
への手立てを考えれば、それ以上の試練が待っているだろう。しかし、その試練の数以上の
解決策が必ずや見つかるとの信念をもって、歩み続けようではありませんか。