Twinkle:Tokyo Women`s Medical University

Title
Author(s)
Journal
URL
胎児期より乳幼児にわたる死亡率と死亡率性比の都鄙別
観察
諸岡, 妙子; 甕, 君代
東京女子医科大学雑誌, 25(3):119-132, 1955
http://hdl.handle.net/10470/12480
Twinkle:Tokyo Women's Medical University - Information & Knowledge Database.
http://ir.twmu.ac.jp/dspace/
41
(:東京女医大回・第25巻第3号=貞:119
133告諭030年β月)
胎児期より乳児期にわアこる死亡率ご
死亡率性比の都鄙別観察
東京女子医科大学衛生学教室(主任 菅岡i専入教授)
助教授
諸
モイ
岡
妙
オカ
タ_[
子
u
甕
君
代
七八P
キミ
ヨ
(受付 昭和29年11月9日)
緒
言
ち死亡統計は殆んど洩れなく男女の生命保持の様相を
男児出生数が女児出生数より多く,叉生後の死
つたえる。古くはズユースミルヒ,ケトレーの古典よ
亡数も,女性に比して男性が多いことは,古くか
り,男女の死亡の差異,殊に男性死亡が女性死亡より
ら認められた事実である。減数分裂の法則よりす
高率の所以については,、種々の説があるが,いずれも
れば,受胎直前の男性となるべき娘細胞数と,女
性となるべき娘細胞数とは同数であるから,もし
両両:の娘細胞に対して,受胎の機会が平等である
ならば,受胎直後男性個体数と女性個体数は同
数,即ち性比(男/女×100)は100であるべきで
ある。しかるに出生時の性比は100を越え,点画
決定的とは云い難い。Newsholmeは環境条件の改善
くの
に伴い,乳児死亡率における男性超過の現象は避け難
いことを認め,Lenzとその門下Schirmerも,欧洲
(4)
(5)
に於で乳児死亡率とその男性の女性超過率との間に地
理的(国別),時間的(累年別)に逆行関係あることを
指摘し,この事実を次の仮説により説明した。即ち,
「一般に外的原因による乳児死亡率が高い時は,元来
では105∼107である。受胎後出生までの期間に母
先天的疾病,遺伝因子によって起る男性乳児死亡率の
胎内で死滅するものの数は,生存胎児数に比べれ
女性乳児死亡率に対する超過率は:却って低下するのは:
ばほんの僅かにすぎない。しかもその中で集計さ
当然である。」と。即ち乳児死亡率が低下して来れば,
れるものは,わすかに妊娠第4カ月以後の胎児の
死亡(即ち死産)のみである。死産の性比は吾国
乳児死亡の高率の時期におおいかくされていた男性の
先天的弱性が現れて来て,換言すれば,環境条件が改
では120∼130である。受胎時の性比の正確な推定
善せられて来ると,女性に比して男性死亡率の減退が
は極めて困難であるが,諸氏の推定をみても,ま
少くて,男性の死亡超過現象は避け難く前面に押出さ
(1)
た以上の事実からしても,少くとも出生時の性比
れて来るというのである。
よりも大きく,100を越すことは当然である。男
吾国の資料については川人が累年的(1908∼1929
(6)
年),地方別(府県別,昭和3,4年度)に乳児死亡率
性となるべき個体数と女性となるべき個体数とは
同数であるべぎであるのに,受胎性比が100を超
えるとV・うことは,受胎の機会が,男性となるべ
き娘細胞と女性となるべき娘細胞に平等でないこ
とを想像させる。即ち男性となるべき個体は女性
及び死産率と夫々の性比との間の相関々係を検討し,
Lenz一説を批判している。その他受胎後の生命維持に
おける男女の差異についで,吾国でも田生や死産性比
の研究が幾つかある。
L7♪∼(14)
となるべぎ個体よりも受胎の機会が多V・,或は受
LenzやSchirmerの云う様に,死産率や乳児
胎能力が高いとv・うことになる。これを裏付けす
死亡率の低下とともに,性比はどこまでも上昇す
る幾つかの研究もある。
るものであるか。吾国の資料については,川人は
C2)
この様に生命の始源である受胎当初より,男女畦豆
Lenz一説と合致する点と,この説では説明できな
の聞には生命維持の機能に差異が認められる。母胎内
い事実とを認めている。筆者等は吾国の戦前まで
にある胎児期から,分娩を経て,母胎を離れれば,生命
の一:貫した死産統計と乳児死亡統計によって,男
殿損の危険の程度については,資料が得易くなる。即
女の素質や抵抗力の差を表す最も簡単な指標とし
一 II9 一一.
42
ての性比の推移をみることとする。胎児が母胎内
にある時期ど,出生後の最初の1年間を,遍回し
娠中絶を含むこと多く,戦前の資料と同列冨比較する
た生命の最初の期間と考えて,その間分娩という
めた。そしで都鄙の資料の得られるものは,明治39
生命胚胎後最初の一一一大転機を劃するが,その間に
(1906)年・)昭和13(1938)年の33年聞であるQ
ことは困難であるから,今回は戦前の資料の観察に止
資料:内閣統計局,明治39年∼昭和13年日本帝国人
おける男女の生命保持の様相が如何に展開される
口動態統計
かを検討したいとおもう。
研究結果
研究方法並に資料
1 死産率と死産率性比の年次酷推移
研究方法をのべれば,第一に総死産率とその性比の
1.総死産率とその性比の年次的推移
年次的推移を観察し,更に妊娠6ケ月未満と7ヵ月以
Lenz及びSchirmerは乳児死亡率,死産率の
上の死産に分類して,率と性比の推移をみた。第二に
乳児死亡も同様に,総乳児死亡:を月令別に1月未満,
(4) (5)
低下とともに,外的,環境的影響が少くなって,
1∼6月,6∼12月に分類しで観察した。更に乳児死亡
内的,素質的弓肉が判然現われ、,本来の男子の弱
の中1月未満の新生児死亡を日令別に5日未満,5∼
みが強く出て,死亡性比が上昇すると説いてい
10日,10日∼1月にわけで,年次的に率と性比の推移
る。同様に,死亡率の低い国は性比が高く,死亡率
をみた。第三に33年間の資料の合計により,個体の歴
の高い国は性比が低いと云っている。吾国の死産
史に於て,胎児期から分娩を経て生後1年の間に,死
率(第1図,その1.a)は…般に今世紀初頭出産
亡率と死亡率性比が妊娠月数,生後月令を追うで如何
1.CGO対90前後であったが,以後順調な低下を示
に変化するかを,大量観察した。
し,今次大戦前には40分後に達している。都鄙の
性比の観察にあたつでは,死亡実数による男女比
関係は1916(大正5)年までは農村が都市より少
は,それを含む人口の男女の割合に影響されるから,
しく高率であったのが,死産率の低下の程度が,
こeでは率による死亡率性比即ち男子死亡率/女子死
都市に比して農村の方に強いため,都鄙交叉し
亡率×100を用いた。母胎内の期間の死亡には死産を,
分娩後1年の期間のそれには乳児死亡統計を用いた。
て,1917(大正6)年以後は農村は都市よ1)低位
そして都市と農村の性比を観察した。即ち都市的地域
となり,以後都市の低下の傾向が弱いので,都鄙
としては,人口10万以上の市合計を,農村的地域とし
間の差は次第に拡がる傾向がある。
てはその他の市郡の計を以てした。第2次大戦後の資
一方性比(第1図,そのLb)は,農村では死
料は,戦前と様式も異り,殊に死産統計などは人工妊
産率の順調な低下に対して,死産率性比も上昇線
第1図 死産率と死産率性比の年次的推移
その1.総死産率とその性比の年次的推移
a.総死産率の年次的推移
aoo
n
s
纏90
、、,’
死8。’
産マ。
…一
@、、、
\ぐ》
ヘヨ
も
,一一、
ノ
\い♂
へ
、㌔
、韓噛
恥
ノロリ
ρ一’ @
産Zl。
:
対2ρ
㌔ノ
ロ
”、、
グ
㌦,翻
、一顯郭“一、
\、
\∼\へ乏
顧。
な3。
j都市
一膝赫
\ 、、㌦
L..一
ho
o
:90G lglo igtF
D恥3 B斑3 .大.斗
19ユ。
19オ
1.eso
大rう
大」4
瑞∫
一 120 一一一
195S
_』
一一
t91Fo
P藁ゆ
略.19
43
b.総死産率性比の年次的推移
死産三門莞欝.・…
一・1…三三
纏13。
塞t+
死
荏1ユ。
ダへ
乳。
箆1。.
9e
19・も大冷1う嚇一耐一一「誌誘一
大9 大」峯 9防 PG.iO
円3う 明53
性比も高b。即ち率では1917年に都鄙交叉して,
を辿P,1906(明治39)年の101位から大正末年
には114まで達している。しかし昭和以後率の下
都鄙の高低は逆転するが,性比は率の交叉とは無
降がやや緩かになると,性比も停滞気味である,
関係に,一一一.A貫して都市が高いのである。つぎに死
都市の死産率の下降は農村に比し余程緩徐である
産を妊娠月数により分けてみることにする。
が,性比もこれに伴い,上昇の程度は緩かで,農
2.妊娠6カ月未満死産率とその性比の年次
村ほどでばない。…,二の年度を除き,殆んどすべ
的推移
ての年度で都市の性比は農村より高い。Lenz一説
妊娠6ヵ月未満の早期死産率(第1図,その2.
に一致するのは,めざましく死産率の下降する時
a)は,はじめから都市が高い。都市では,1900
期,即ち1906∼1916年についてのみである。地域
年代の始め出産1,GOO対25前後から低下の傾向ぱ
的には,Lenzの云う様に死産率の低い都市的地
殆んど目立たす,近年に到っても25程度に停滞す
方がよIJ)高い性比を示したのは1916年までで,
る。農村では25位からやや低下線を辿るが,1925
1917年以後近年に到るまで,死産率の高V・都市は
(大正琴)年頃からは15程度に停滞する。都鄙の差
第1図 死産率と死産率性比の年次的推移
その2.妊娠6ヵ月未満死産率とその性比の年次的推移
a.妊娠6ヵ月未満死産率の年次的推移
一
一一一…都窪
只雛
一耀村
轍・・
一;x’hz一”L:;一}:=:S一一t:::t==r::x一.一一一一一F−ts . tde kettS一一m一一一一一L−r−m一一一i一一rv一一一一
ダ∼ユ◎
雲犀
与鷲
き
loひも
誌一一_..1__L一
ゐ温幽__晶
191g
1馳。
19ゆ
19)g. ’
。撃つ OP綿
入4・
b.
飼
畜・・
⊥_一L_菖_』
1950
tgiS
一☆一鄭布 二尉
tttts 唐刀^ltt @’NxtviSs一一一s’一..ss..itti @’iSsx.
ノ\
t
’
銘.lo
郎.Lヲ
妊娠ヵ月未満死産率性比の年次的推移
八
f,毅矧3。
大,千
大『)
t;LrttttXSs”NNs..Ns
,ノ、、
’こJ;」・一一一一一一’v〈へべ
毒i。.
比9。 Iuath1.一..LN.sdi..s..a.一de.u−一一s一一一,−awh”一#r−L−h,di−a
1930
1o2ユ鳥
酵ユタ
1906 ’ lg io
o玲3う Dみ憾
19二
人4
’人。つ
一 121 一
大.14
眺.ぢ
1935
瑞.,o
44
は次第に幅を増している。
3.妊娠7ヵ月以上死産率とその性比の年次
つぎに,率が高く,低下の傾向のない都市の性
的推移
比(第1図,その2.b)は,農村性比より高く,
妊娠7ヵ月以上の後期死産率(第1図,その3.
115∼130の間で,上昇傾向はみせない。率の低い
a)は都鄙共に下降する。、1906年70台から1938年
農村は性比も低く,1906年頃1CO前後から,大正
30台にまで下降している。即ち妊娠前半期に比し
末期まで即ち率が下降する頃虫でには115前後へ
て下降の程度は余程大きい、,換言すれば,総死産
と,都市より大きい上昇をみせているが,その後
率の下降はヰとして妊娠7カ月以上の後期死産率
率が停滞すると,性比も著しい変動はない。都鄙
の低下に負うものである,,率は始め農村が高い
間の性比の間隔は大きい。
が,下降の程度は農村が大きいため,1925(大正
第1図 死産率と死産率性比の年次的推移
その3.妊娠7ヵ月以上死産率とその性比の年次的推移
a.。妊娠7ヵ月以上死産率の年次的推移
}i)
》臥に
s毒
一一 ヲ赫
一一・…
以−i曝や
N
上ヤ
h 60
N
、v”、笥、
麹
卸
N
、隔
m 、、,ノNs
”. .t s
Nv.
是・・
ゴzo
持1。
\一’0
190ら 1910
9恥う β肺ヨ
1う19
1ら10
1う■s
大吾
六う
大.14
1ら30
臼ろ5
1sヨ5
0るlo
b.妊娠7ヵ月以上死産率牲比の年次的推移
一._
O布
…
O門
帥雛
以・蝿
よ肉
..p
2t pe
産
Ho
一\一一
_
りゆへ
も
一.一p 。. __.。..!’へ
毒ゆと竺
’一一一/へ歴メでこ郷ニンr:〉、二爵ζ二必睡ζこ
“
x,V
Ctt
.bヒ
90
”m一.ein,.一Awh
tgtS
iらlc,
、.隔_一Mm._弔_轟」_轟_、らf..Ut、._匙,,誌_軸砧A
19。も
.B蒐3つ
明.45
人4
IS2e
1”t)?”;
大.c)
人「}
ID5c
E) b’ .6
1‘) ,yj
t)lf,,lv
14)年頃には都鄙相寄り,ユ928(url八口:・3)年以後
じで1CO∼115の聞を上昇し,農村の早期死産性比
農村け都市より低くなり,接近して下降する。
とはほぼ変らない。ただし上昇傾向のみえるのは
この期の都市面上ヒ(第1図,その3.b)は都市
大正末までで,その後は停滞する。
の早期死産性比よりほぼユ0位低く,1CO∼115め閥
妊娠7カ月以上の死産率が容易に下降するの
で,上昇傾向は著しくない。農村¢’性比もほぼ同
は,環境の改善に対して鋭敏であることを示し,
一 122 一
. 45
これは一方低い性比を以て表われ,’之に対して6
・1938年には80前後まで低下している。その傾向は
カ月未満の早期の死産は改善が難く,素質的要素
都会に著しいことは周知のところである。即ち,
がつよく,これは高い性比に表われている。7ヵ
今世紀初頭までは都市が農村より遙かに高率であ
月以上の死産率性比の都鄙の関係は,始めは率と
ったが,都市の極めて順調な低下に対し,農村の
は逆1’C都市が高く,、農村が低いが,都鄙の率の接
乳児死亡率は改善されす停滞したため,1928(昭
近に従って都鄙の性比は相錯綜して来る。即ち
和3)年都鄙の交叉によって都市が農村より低位
Lenz一説に一致するのは1925(大正末)年頃ま
となり,以後都市は次第に農{寸を引離して,より
でである。総死産率と性比の関係がLenz一説に
低位となる。この都鄙の関係ぱ先述の死産と逆で
狽翌キるのは1916(大正5)年までであった。し
かるに7ヵ月以上の死産をみれ,ば更に遅く,1925
ある。即ち今世紀初頭の吾国の都市的環境は乳児
死亡を悪化せしめ,都市は農村より遙かに高い乳
(大正14)年まで一致してV・るが,妊娠前期死産が
児死亡率を示していたが,同じ時代に,農村と比
なんらLenz一説に一致しなv・点よりみれば,総
べて都市環境の悪影響は母胎内の胎児には及んで
死産の上記の現象は,妊娠後期死産の影響と思わ
おらぬ。即ち死産率は却って未開の農村に高い。
れる。
その後都市化のよい影響が都了行の乳児死亡率を著
ll 乳児死亡率と乳児死亡率性比の年次的推移
しく低める時代となるが,胎児に対しではその影
1.総乳児死亡率とその性比の年次的推移
響は及ばす,ユ917(大正6)年以後都市の死産率
は農村より高く,一向低減せす,むしろ農村の方
一・
文化の向上,環境の改善が乳児死亡率を低下せ
が順調な低下を示すのである。
しめることは諸先進国の夙に体験したところであ
って,吾国でも今世紀始めまでは出生1,000対200
さて乳児死亡率性比(ee ll図,その1. b)も亦
前後であった乳児死亡率(第H図,その1.a)が,
率の侭;下とともに・105位から115前後へと上昇す
第皿眼 乳児死亡率と乳児死亡率性比の年次的推移
その1.総乳児死亡率とその性比の年次的推移
a.総乳児死亡率の年次的推移
i20
>lo
ttti
,へ
聾
:
ユOo
縦
L.“ti:
乳lg。
兜tg。
,, x
八,〆レ燃
死
II tt
tIT。
x ,,
† t6。
亀’
憲
……
Nv’ ’t‘
:
t”
’N :
s
N
s
へ
s
N
歌 1KO
’
、 ,へ
、ノ
_IZi・。
7t
Nl,ri・’
ll・・
1、へ
芝P。
紙
110
\/、
tbo
ら
へ
!
レへ》’
90
o
ewwwww−wwwwYW
1906 1910
191;
ICiS Lp
1926
s月3つ 三門
メk}穿
フ〈.う
大.杵、
一 」28 一
sち
鬼赫
1うき。
Skな
lgヨら
眺.’σ
46
b・総乳児死亡率性比の年次的推移
死亡率断喫二二・…
sち
層一…圃
駆+
12。
,’
Y
藻
,一
_
’、
ノ驚’
llo
黛覧llo
@
C’ @ 、
、
、,一’
}
A’
!’、、’6㌧、
,、
,一 一隔
lOo
・機
90
19・も 191。
1弓貯
ヒり 卵紬
蛛D4
19功
頼滋」」_』_4
1曳じ
135。
ア吟
ホ3 ●
lgヨr
タ娼5’
酪’o
る。都鄙の関係は,率の高低の移動の大であった
Lenz一説のあてはまるのは叩和初年率交叉以後で
大正末期までは,乳児死亡率性比線は都鄙錯綜
ある。
し,上昇傾向も著しくないが,率の都鄙交叉する
2. 1月未満新生児死亡率とその性比の年次
昭和初年始めて,率の低い都市の性此が農村のそ
的推移、
れよりも高くなって来る。率の低下¢)順調な都市
生後1月未満の三生児死亡率(第fi図・その2・
の方が性比は上昇傾向がつよヤ・。都鄙別にみて
a)は終始農村が高く,都市が低い。1900年代の
第1図 乳児死亡率と乳児死亡率性比の年次的推移
・その2.1月未満新生児死亡率とその性比の年次的推移
a。1ヵ月未満新生児死亡率の年次的推移
90
il:
、
一一…
,戸鱒、
、ノ
毒幽
、、
し一 HN
、
一荒村
一’、
、
ノ
一一一
ノ
、
、
h. N
翌’躰
ソ予ち
Nxt−N
s
、い一、
患払
N一一’N
N....”’
m
、 ,!、・・一’
畿.ミく3。
F F
一一
暗ユ.
ゆ
升 1。
・ノ
o
一一.一_L_.L.L−L..昌一
s
1ら。も
鰍59
黙
1う10
賜約
lgユ。
1う宵
)〈 9
大=1十
19]o
i93S
Db’ .S
v9 b’ .io
b.1月未満新生児死亡率性比の年次的推移
一…づ騨隼
一一竃村
髭憶
ロへA/一一ノ @\/’〉’\/\一。!
’\’ヘノ噛縄・
獣
鍵%
t
/へ》/、 _ノへ
!へ、/
㌔へ、
N
uavm/x../X
Nt
19ftwh, b31,0, S94’ k2is .’,‘,.giS i8v.}g i8gs,.’
一 124 一
47
3. 1∼6月乳児死亡率とその性比の年次的
始め都鄙共出生1,000SS75前後よゆ1938年までに
農村はほぼ501(,都市はほぼ40まで低下してv・
推移
性比(第U図,その2.b)は後期死産のそれよ
1∼6月の哺乳期の乳児死亡率(第ff図,その
3.a)は,半世紀聞に70∼80から20∼30に下る
り高Vb。都市は110∼125へ,農村は100’)115へと
が,はじめ都市は高位で振巾大きく,順調な下降
これも上昇する。
を始めるのは大正末年からである。農村の1∼6月
即ち分娩を劃して,都市は農村に比し,新生児
乳児死亡率は都市に比し下降きわめて緩慢である
に対して良好の環境を提供し,率は低く,素質的
から,1930(昭和5)年はじめて都市が農村を越
る。
影響がつよく現われて,性比は高bというLenz一
えて低位となり,以後都鄙の開きは次第に増して
説を完全に裏書する事実を呈する。
Vbる。
第L図 乳児死亡率と乳児死亡率性比の年次的推移
その3.1∼6月乳児死亡率とその性比の年次的推移
a.1・V6月乳児死亡率の年次的推移
v:ll
素,。
[聡/ご
羽6・
s弟
一_.
一・薙ネ・1
\こ》
9し.!
(臨画
Nl. ;.. re
\
無ll
ノ‘
h一一’”’”
w
、 朝へ
’
v
ノ!
O. i 10
狩 10
V.v
o
i9。6 1引。
鯛.り 明牛も
1930
19th
P18
一一一一↓一一』一し書}
メs4
木3
1うヨY
1(弧う
メ≒1十
酪ノe
跳,1デ
b.1∼6月乳児死亡率性比の年次的推移
一一『一一
ラ予ち
一一一一一一・一・一一一
繩q
一i
−Sn 1)Le
;KN
ノ、
D 110
慢乳
,へ /・、
一..NttN
\一へ ノ \’
’ 、ノ
i .一 ’ ’N/
..一.
IN
、
ノ
、
騨’
、
’甲㍉の一
.一−tX”v”
N
’
\ノ’戸f邸CN
鳴lo。
或
セ90
縛。髄
−a“rkptL−L−k−L一一L−Ldia
L“.一ka−一mu一.
is to
IStS
19xo
1うヨ。
f3gs
薄藍
JX 9
大.4
性比(第.R図・その3・b)は110∼ユ20間で,都
19巧
人.i斗
醍{}
β猛.’o
低く,殆んど上昇しない。
鄙共に下降の傾向のなV・前半期は都鄙相接近し錯
4・6∼12月乳児死亡率とその性比の年次的
綜する。昭和5年ゐ率の交叉以後は,性比は概ね
推移
都市が農村より高くなる。1月未満新生児死亡の・
6∼12月乳児死亡率(第皿図,その4.a)は1935
性比が,率の下降とともに上昇するのに比し,1
(昭和10)年までは率は都市に:大,即ち40∼60∼
∼6月未満の性比は新生児のそれより一般にやや
30,農村に小,即ち30∼40∼30,都市が率の下
一 125 一
48
三男図 乳児死亡率と乳児死亡率性比の年次的推移
その4.6∼12月乳児死亡率とその性比の年次的推移
a.6∼12乳児死亡率の年次的推移
…晶二
窪6
六
も。
ノ、’
、
曲
’
A
@
@’ 、
’、
I
、 ’
m
二
ア)午
鞘,L3・
生’愛一_2.oδ9七
巳tt。
、
へ
、
! 、
,、
、 !
癒
、’
、、\
し,
ノ、
、’
!
、’
、
● ’
’
C’
し’
♪’
、 ’亀らL
A,’
、
、、
y
鞠
、
D。
19。ら
1り1写
1りlo
燗X
ソき3 卵割
1り巧
19λ。
蛛C→ 、
人,り
Pき。
}ううワ
タ冶5
純mo
b.6∼12月乳児死亡率性比の年次的推移
。_..
ナ済ち
勲寺
7“ 12e
,’、軸
=’ lio
’、
局
樗し1。。
箋う・
瞳
、
画’_.」一
1鱒1。
囎,ヨラ B船3
!
ノ
ボ
r\ノ
9㌧、,’’ 、一 鳴一 一
’
、
\
/ハ㌦一、
A
,
、、
A!
㍉rり1’
191ぢ
’②ユ・
lo班
193。
大,脅
大3
人吟
酪∫
193y
酪lo ・
以上月惣別に乳児死亡とその性比の年次的変化
降期に入るのは大正末年で,農・村の下降は1∼6
をみると,月令の若い程環境の改善の影響が早く
月のそれより更に緩慢である。
性比は1∼6月のそれよ1)更に低く(第∬図,
表われることは,既に筆者等の一人が詳述したと
その4・b),農村に大,即ち105∼110,都市に小,
ころである。これに対して性比は月令の若い程高
ロお
即ち95一・110である。都市の性比の上昇程農村の
く,素質的な本然の姿を早く去わし,月令の遅い
性比の上昇は著しくない。離乳期にあたるこの時
程低く,本来の姿が隠されている。かかる現象は
期では,都市的環境の悪影響は1∼6月の哺乳前
殊に都市に於て著しく現われているのである。
半期よりも夏に酷に都市の乳児に作用し,都鄙の
阻 新生児死亡率と.新生児死亡率性比の年次
率の交叉は前期より更に遅れる。都市の死亡率の
高い開,素質的な傾向は既に失われて,都市性比
は極めて低く,95∼105を:呈すQ1935(昭和10)
年以後都市環境の改善に伴う乳児死亡の下降とと
的推移
1年未満の乳児死亡の中,月令の若い程都鄙の
死亡率の交叉の時期1即ち農村に対し都市の死亡
改善の時期は早く現われる。即ち1月未満の新生
児では最も早く明ik 39年以前に,1∼6月の乳児
もに性比は上昇し,都鄙相交り,都市の率が農村
より低くなるのに呼応して,都市の性比は農村を
では昭禾1」5年に,6∼12月の乳児では昭禾1】10年に
越えて高くなり,昭和13年度のみを除けば,全期
率の交叉が行われることが前項で明かである。つ
間を通じて全:くLenz一説と一致する。
ぎに1月未満の新生児死亡を分類して,日令別に
一 126 一一
49
都鄙の死亡率と性比の関係をみることにする。
』はほぼ20まで下降する。昨年度を通じ,農村ぱ都
1. 5日未満新生児死亡率とその性比の年次
市より高率である。統計資料のない1906年以前に
的推移
5日未満の新生児死亡率(第皿図,その1.a)
は,都市の方が農村よりも劣悪な時期があったか
もしれないと想像されるが,都鄙交叉の時期は確
は,1906年出生1,000対25∼30より,1938年に
実には推定できなV・。
第旧訓新生児死亡率と新生児死亡率性比の年次的推i移
その1.5目未満新生児死亡率とその性比の年次的推移
a.5日未満新生児死亡率の年次的推移
440
一一…
?ソ
一…・一
謗s
累
50h
}簾
鯉2・
豊塁16
げ祭
購。
.gny.
b.5日未満新生児死亡率性比の年次的推移
死亡率獣離鑑叢一×…
一一
吾 j40
/\,、八,、、。_∼〆’……へ、/∼へ、
森…
1
笹1知
弩“o
も
ノ
もノ
、 /ノ ㌧. ”/\,’ v ’ノ
幽
b主
’
し ノ
ジ__ンー/《へ〆)>>
率1。。
・陸
上しSe
lg◎6
1釧o
eD.3う B掃.43
t915’
19ユ。
19ユs
19}o
大.4
)k.9
大ノ4・
sる .8
率の交叉に対し,盤比(第皿図,その1.b)は
一一
19]g
8愚jo
都市は約5位まで,農村は10位までに下る。低下
都鄙共上昇する。都市では110より130∼135まで,
の程度はぎわめて順調で,5日未満のそれよりも
農村は1COより120まで相平行して上昇の一・一途を辿
降下が急である。農村に比し都市の低下の程度は
更につよいので,1907年以後は都市が農村より常
る。
に低位にある。
即ち,全年度を通じて率の低い都市が率の高い
農村より性比が高く,また率の低下に呼応して性
性比(ee m図,その2. b)は5日未満より一般
に余程低く,率の下降に伴い,100前後から115程
比の上昇する点,LenZ一説に全く合致する。
度上昇の傾向がみられる。二三の年度を除いて,
2.5∼10日新生児死亡率とその性比の年次
殆んどすべての年度で,率の低い都市の性比は農
的推移
村のそれより高いが,都鄙の差は5日未満の性比
5∼10日の新生児死亡率(第墓誌,その2.a)は
1906年には都鄙殆んど同率の25位であって,この
頃が交叉の時期と思われる。その後1938年までに
に比し,はるかに小で,都鄙相近すいている。
これも亦Lenz一一説に全く一致する。
一 127 一
,co
第11図 新‘エミ児死亡率と新生児死亡率性比の年次的推移
その2.5・vlO H新生児死亡率とその性比の年次的推移
a.. 5∼16rT楽}〒lk!h!ク’E亡率(わ喚三掬1勺推移
s弟
・一…一
キ.’3e
宮突こ==\/べ
「3一
一e. be
2賄
一戦*寺
\一一一ヘー.=一
嶺・
一一一一一..一一一一 一一 一M一
名一ヒ。
190も 1うめ
慧尋
B月.Bg
1も1ぢ
t9−e
大.9
ナ∼十
B戸.B
19坊
1930
193S
大一.1十
Bts,.r一
Bb’.io
b. 5一ユ0口新生児死亡率個三比の年次的推i移
一一・・一一一一郭市
竃
D3
t
t−
塞村
暫ヒ三
X’一一一一一.一x..rl.;:’1::一一tL.一v−Nt−hv
Nこご「ノ’㍉’
?Rx
、”、一、“’、、 一鴨
一
hと一 1
一;・ ,2
iA一一Ll....」..,“一一“−a.“
193S
Dle
言詠。
lglぢ
εマ1‘)oら Plo
酔曝3酬3 粉
3. 10日∼1月新生児死亡率とその性比の年.
次的推移
.
P3 ,ie
眺9
大、1‘i一
の都鄙の交叉は19】2(大正1)年で,以後都市が
農村より低くなる。薪生児の三つの期聞の申で,
10 H∼1月新生児死亡率(第璽図,その3.a)
第∬図
1g巧
ig li)
ナ∼3
都鄙の交叉,即ち都市化のよV、影響が及ぶのが最
新生リ己列三亡F率と新生B屯亡率暫まヒの年次的推移
その3.10日∼1月新生児死亡率とその性比の年次的推移
a.10日∼1月新生児死亡率,7)年占如勺推移
一一一一聯苧
.)k..
30
一一1一 i30
る
曲.
fh lio
湊11。
m
m、
”、
@,’
八‘ 、
,’、 ’
110
f
’
、
・v・
、
’ρ、
f
lo。
し’
‘
@、
@、
,鴨、’
,”
、、
C’ @
’
亙
、、
,、 .
@ 、! 、
、
、
”
、
、 ’
I㍉’
、
轟
90
》
.し
’、
エヒ
キ寺
掻 ’
A、、 ’ 、 ’、、 ’ 、 ’ 、、’
191写
D・も 1910
タB.も3 β卵3
≠kヰ
●
1ら店
19ユ。
蛯、
l84・
o
↓_L一一一._Q
19ヨ∫
1930
陥5鳳
マ6..10
@ ■
b.10H∼1月籍生兜死亡率悟此の年次的捲移
s苧
一一…。
各ド。
,へ
右P・
!
’\
,
、一一’ 、
、、!’
A’
f
£
.1
鶏.キ寺
9、 ’
、
,’、、
@\/」\
、
’
、’
、
隔、.
@、
,’ 、’
f
、
@ 、
f、
一
、,’
L1‘。
A’
@
, ’、
、
鴛
義
1906
ド)lo
X科り 野州ヨ
19六大.十 9
19:め
蛯R ●
一 .128 一
tう班.
Z」千
Igヨo
?C、亨
β3r
X6.lo
51
も遅い。都市では25位から10∼15まで,農村では
係を年代的に観察したわけであるが,次に分娩と
25∼30から15∼20まで下る。1
いう生涯における最初の一大転機を劃して,母胎
性比(第皿図,その3.b)ぱ5∼10日死亡率性
内から生後1年間にわたる死亡率とその性比が,
比より高く,U5∼125聞で都鄙相錯綜し,大なる
上昇下降はみられない。即ちLenz説には一致し
個体の歴史で如何なる様相を呈するか大量観察す
なv・。
間を集計して,妊娠月数及び生後月令毎に,死産
ることにする。資料は明治$9年∼昭和13年の33年
W 胎児期より乳児期にわたる死亡率と死亡
率及び乳児死亡率とそれぞれの性比を算昂した。
率性比
ます胎児期より乳児期にわたる死亡率(第IV図,
以上死産率及び乳児死亡率と夫k’の性比との関
a)をみる。妊娠3カ月未満は届幽もなく不明で
第]V図 胎児期より乳児期にわたる死亡率と死亡率性比
a・胎児期より乳児期にわたる死亡率(単位1月)
一一一一一 %F lp
一一一
k料
rTo
喜し死6。
籍
i“L
案4。、
/l
愛一
l
出出3。
亙軋。
1
9’ぎ
ノ
ノ
姦}%}。
vvo
N
t一.一
一
N
“t
34・9678《う出IAヨ
G
’与
頑恥只敷 生 生お月令
b.胎児期より乳児期にわたる死亡:率性比
噛性民縫職一
之ユ。
三轍・晒骨・1・・
).lo
享し7P( IOD
只、・
荻穫)9。
……
暴1伽
s下
一粟i+
一ア寸
性i’lo
上( 16。
150
i4b
1歯
Po
s
’
’
t
“o
leo
90
3ZFE6739×123
6
墜下月雪 S‘:生後月令
一 129 L
1等
5.cr.
影るが,届出の始まる妊娠3・」4ヵ月「(妊娠満3
「総死産率の低下とともに死産率性比が上昇する
勇月以上4貫目未満,即ち第4月め意。以下これ
のは,明治後期∼大正末期の,死産率の低下の特
に準ず)ほわすか出産1,000対都鄙1∼2でしある
に順調な時代で}’ サの傾向はとりわけ農村に於て
が,妊娠月数を増すに従って死産率は上昇し,最:
著しく,昭和以後の率の低下の緩慢な時代や,低
二月の妊娠9∼10ヵ月には都市20,農村25位とな
る。その間77∼8ヵ月までは都市が上位,8∼9カ
下の程度の著しくない都会では性比の上昇は著し
月以後農村が上位となる。その後分娩を劃して生
死産率は1916年までは農村が高率であったが,
くない。
後1憎め新生児死亡率は一躍上昇して,都市出生
1917年都鄙交叉して,以後都市が高位となるが,
1,000対48,農村64と一なる。その後月令を増す毎
性比の方は一貫して都市が高い。
に死亡率は下降して生後2∼3月には11∼12,3∼
妊娠6ヵ月未満の前期死産率は都市が高く,し
6月には7∼8,6∼12月には5N6となる。都鄙の
がも低下はみえす,農村はやや低下の傾向がみえ
関係ぱ生後1月未満及び1∼2月までば農村が上位』
る。性比は一般に高くしかも都市が特に高いが,
であるが,2∼3月以後都市昨上位となる。即ち分
上昇傾向はみせない。農村の性比は大正末期の率
娩を中心に,死産率の最:も高い分娩直前即ち妊娠
の低下線を辿る頃まで上昇傾向をみせる。
後期の2ヵ月と,出生直後の2カ月は,都市に比
妊娠7ヵ月以上め後期死産率は,6ヵ月未満よ
し農村の胎児及び嬰児に対して環境が一層酷なこ
,りも大きい下降をみせる。1924年までは農村の方
とが判る。これに反し,妊娠前期と生後2月以後
が高位,1925年以後都市が高位とkる。都市の性
の乳児に対しては,わすかの率の差乍ら,都市環
比は前期死産性比より約エ0位低く,上昇傾向は著
境の:方が悪い。
しくないが,農村の性比は前期死産のそれと余り
一方胎児期より乳児期にわたる死産率及び乳児
変らす,大正末期までは上昇傾向がみえる。率の
死亡率の性比(第IV図, b)をみると,妊娠3∼・4
低い都市の性比添高く,農村がこれに反するのは
ヵ月の死産率の性比は都市214,農村170,即ち男
1925年までで,以後は率の接近に従って,都鄙の
児は女児の約2r倍程度も生命を損われる。尤も妊
性比は相錯綜して来る。
娠第4カ月目頃までぱ,肉眼的には男女の区別は
困難で,女児胎児を男児と誤まることも考えられ
2.乳児死亡率と乳児死亡率性比
なV・ことはなV・が,肉眼的にも性別の明かとなる
1928年以後都鄙の交叉によって,都市が農村より
妊娠4∼5ヵ月となっても依然として男児の死の危
低位となることは死産の揚合と逆であるQ性比は
険は女児に比し大で,特に都市では女児の1倍半
の割合で死ぬ。即ち性比は都市152,農村126であ
はじめ都鄙錯綜するが,率の交叉以後率の低い都
総乳児死亡率は都市の:方が低下の勢がつよく,
市の性比は農村よりも高くなり,上昇傾向も著し
くなる。
る。妊娠5∼6ヵ月になると,漸く都市109,農村
105と下って,6∼7ヵ月で最低の都市105,農村
101の谷を作る。その後妊娠7∼8,8∼9ヵ月と上
1月未満新生児死亡率は終始農村がたかく,都
市低く,共に下降する。性比は終始都市が高く農
昇して,9∼10ヵ月には都市120,農村U5の山を
村は低く,いすれも⊥昇する。
作る。分娩を経て,出生後の1月は死亡率性比は
1∼6月乳児死亡率は1930年以後都市が低位とな
妊娠最終ガの死産率性比と同じ程度の都市ユ21,
り,性比はそれまでは都鄙錯綜,率の交叉以後都
農村112の山につすくが,その後は次第に下って,
市が農村より高くなるが,都鄙共上昇しない。
生後6∼12月には105程慶まで達す。都鄙の関係
6∼12月乳児死亡率はユ936年以後都市が低位と
は,妊娠期間中を通じて及び生後6月まで都市の
なる。性比は農村は大きいが,上昇せす,都市は
死亡率性比が連続高位であって,6月目過ぎて始
小さV・が,上昇する。性比は月令の若V・程高く,
めて農村の方が高くなるQ
丁令を増す程低くなる。
3.新生児死亡率と新生児死亡率性比
総括並にむすび
以上の研究結果を総括すると,
1.死産率と死産率性比
5日未満新生児死亡率は全年度を通じて農村が
都市より高位で,都鄙共下降するが,性比は都市
が高く,しかも都鄙とも上昇する。
一130一
53
5∼10日薪生児死亡率は1907年以降農村が高位
る。しかして,或程度率が下りきって,停滞気味
で,5日未満のそれより急速に低下する。性比は
になると,性比も停滞する。
5日未満より余程低く,上昇傾向があるが,都鄙
(4)妊娠月数がすすむ程率は高く,率の改善は
容易で,性比は低くなる。
の性比の差は5H未満より小でi都鄙相近すいて
(5)生後月令の増す程率は低くなる’Jbxf一,改善は
いる0
10日∼1月新生児死亡率は1912年以後都市が低
難く,性比は低くなる。
く,都鄙ともに下降する。牲比は5∼10日のそれ
(6)胎児期の死亡即ち死産率の改善は農村の方
より高く,都鄙相錯綜し,昇降の目立つた変化が
ない。
が容易であったが,生後1年の死亡即ち乳児死亡
率は,都市しかも月令の若い程時代的に早く改善
4.胎児期より乳児期にわたる死亡率と死亡率
が行われるQ
(7)1月未満新生児死亡では日高の若い程都市
性比
33年間の総計によって胎児期から乳児期にわた
の改善が早いが,率の改善の傾向の最:もつよいの
る死亡率をみるに,胎児期中は,妊娠月数を増す
程死産率は上昇し,分娩を劃して,更に上昇し
は5∼10日の死亡で,性比はきわめて低い。5日
未満の死亡性比は先天的の要素がつよくて,特に
て,生後1月目には:最高の山を作り,以後月令を
都市の性比は著しく高いQ
追うて低くなるQ
(8)胎児期から出生後にかけて最も死亡の危険
妊娠7∼8ヵ月までは都市が高率であるが,8∼9
の大きいのは,分娩を中心とする妊娠後期2月と
カ月以後,生後エ月未満,1∼2月までは農村が上
出生直後の2月で,特に農村に於てこの傾向が著
位となり,生後2∼3月以後は都市が上位となる。
しV・Q
即ち分娩を中心に,妊娠後期と出生直後に特に農
筆をおくにあたり,終始御懇篤な御教導と御校閲を
脇つた恩師青岡博入教授に謹んで感謝の意を表す。
村の状態が悪い。
また本研究は:,文部省科学研究助成補助金によるも
性比は妊娠初期にはき’わめて高く200前後であ
のであるととを附記し,深く感謝する。
るが,妊娠月数を増す程低くなり,6∼7ヵ月で最:
低の101∼105の谷を作るが,その後再び上昇し
主 要 文 献
て,妊娠9∼10ヵ月に115∼120の山を作り,分娩
後ぱ次第に下る。
1)立川清:性比の統計的概究,厚生科学第1巻
第2号,221頁,1940.
妊娠期間中及び生後6月まで都市の性比が高
位,生後6月を過曽て始めて農村の方が高くな
2)田申義領:遺伝学,316頁,黒藻房,1948.
3) Newsholme: Vital Statistics P. 207, 357,
る。
359, 1923.
以上胎児期より乳児期にわたる死亡率と死亡率
4) Lenz:Arch. f. Hygiene, Bd. 95, S. 126, 1923.
性比に関する研究結果を綜合考察して看守し得る
5)尿井 潜:両性と死亡,民族衛生,as 1巻第2
号,164頁,1931.
項目を次に記せば,
6)川人定男:本邦乳児死亡率及び死産率に於ける
(1)死産率及び乳児死亡率の高いときは,素質
男女の差異に就て並trTg・Lenzの学説に関する考察
の作用はむしろ現われす,環境の影響が大きく,
批判:国民衛生第9巻第6号,1039頁,1932.
悪環境の作用は,元来比較的抵抗の強V・女子にも
7)杉浦 清:吾国産児の性に就で,生理学研究第
大きく作用して,死亡率性比は低くなる。
5巻第5,11,12号,321,682,781頁,1928.
(2)環境が改善されて率が低くなると,特に女
8)古屋努雄:本邦両性出生比率に関する社会生物
子が良い環境の影響を受け易く,性比は高くな
学的研究,山本医事新報第481,482号,2848,2918
る。
頁,1931.
(3)しかし,率の高い地域の性比が低く,率の
9)古屋募雄:日本及アイヌ民族に於ける両性出生
低いところの性比が高いこと,及び率の低下に従
つで性比が上るというLenz一説は,悪環境にあ
比率の研究,民族衛生ng 5巻ee 1号,1頁,1933.
10)丸岡彦夫:性比に関する研究,医学研究第22巻
る地域もしくは時代におV・て,衛生文化的作用が
及んで,きわめて順調に率の低下を来す揚合に限
一 181 一
第5号,419頁,1952.
11)諸岡妙子;本邦都鄙保健状態の分析,第1報,
54
第3報,東京女子医科大学雑誌第22巻簾1,5号,
14)宇田 一:出生児の牲比,遣伝rg 8巻第4号,
7, 95A, 1952.
19頁, 1954.
12)高橋英次:新生児死亡の性比,弘前医学婚4巻
@15)甕君代:本邦F冷月令別乳児死亡の特…系列的
第5号, 244頁, 1953.
研究,第Q報,:東窟女子圓科大学雑誌篇24巻第1
13)高橋英次:親の年令と子供の形質,衛生統計第
号,22:頁,1954.
6巻箪8号,23頁,1953.
一 i32 一.