⁄ ギリシャ文字がわかれば 金融工学がわかる

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ギリシャ文字がわかれば
金融工学がわかる
カップラーメンはなぜ熱湯3分なのか
3分といえばラーメンである。ラーメンの中でも特にカップラ
ーメンである。ラーメンにもさまざまな種類が存在する。
一般的にインスタントラーメンは、麺がひらべったい立方体状
に加工され、パリパリに乾燥させられている。ソーメンのように
棒状に束ねられて乾燥させられたものもある。生麺もあるし半生
状のものもある。カップラーメンはさしずめ、ラーメン類スナッ
ク麺科3分属カップラーメンとでも言えるのであろう。
カップラーメンの存在感は圧倒的である。スーパー、コンビニ
には必ず生息している。アメリカでもイギリスでも本場の中国で
も生息している。世界中に分布しているのだ。ラーメン類スナッ
ク麺科3分属カップラーメンだけではない。4分属生麺系カップ
ラーメン、3分属チキンラーメン、あるいは3分属カップ焼きそ
ばなどが生息している。
カップラーメンの作り方を見てみよう。「熱湯を注いで3分待
て」と書いてある。なかなか鋭い表現である。もしも「熱湯を注
がないで3分待っても何も起こらない」という説明であったとす
れば、これは正しい説明ではあるが、カップラーメンを作るのに
は役立たない。一方、水を注いで3分待っても悲惨である。やは
り、熱湯を注いで3分なのである。単なる湯ではなく熱湯である
ことも重要だ。生ぬるいお湯、例えば風呂の残り湯などを注ぎ込
んでも悲惨な結末を迎える。
「3分たったら粉末スープを入れてよくかき混ぜて食え」とも書
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ギリシャ文字がわかれば金融工学がわかる
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いてある。粉末スープを入れなかったら麺とお湯だけのラーメン
になってしまう。これをラーメンと呼んでいいのかどうか定かで
はない。粉末スープを入れたとしても、十分にかき混ぜなかった
ら極めて味の濃淡の激しいラーメンになってしまう。
カップラーメンの作り方は、素晴らしく効率的で情報量が豊富
な解説ではなかろうか。もしも、カップラーメンの食べ方が「お
湯を注いで、しばらく待って、そろそろ食べ頃かな、と思った時
に適当に粉末スープを入れて食べなさい」と書いてあったら世の
中は大混乱だ。熱湯とか3分とか非常に明確な指示が出ているか
ら、われわれはおいしいカップラーメンを作れるのである。
カップラーメンの解説で強いて欠点を挙げるとすれば、「作っ
たら5分以内に食え」とか「18すすりで麺をすすり込め」とか
「口で食え」とか「カップにじかに手を突っ込むとヤケドするぞ」
とか「ダイエットには効果がない」とか「ラーメン以外の用途に
は使用するな」とかいった注意書きが欠けている点かとも思う。
メーカーの努力を喚起したい。
ラーメンの作り方に金融工学のエッセンスがある
ラーメン屋に行ってラーメン作りの現場を観察するとわかる
が、麺を茹でる際に3分とか4分とかいった時間に縛られている
ふうではない。オヤジさんが大量のお湯に麺をサラサラといつく
しむように流し込み、しばらくお湯の表面を眺め、やにわに取っ
手付きのザルみたいなもので、バラバラになった麺をうまくかき
集めて、お湯をきってできあがりである。
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ラーメン屋のオヤジさんは、この「しばらくお湯の表面を眺め」
が何分なのかを時計で計っている様子はない。体が覚えているの
である。これは感覚である。体で覚えないとわからないのだろう。
おそらくオヤジさんは、その日の気温、湿度、麺の具合、お湯の
状態などさまざまな要因を総合的に判断して、その日の麺の最適
な茹で時間を感覚で決定しているのだろう。
これは職人技である。体で覚えた感覚は職人技なのである。ラ
ーメン屋に行けば、職人技を持ったオヤジさんがいるので問題は
ないのだが、カップラーメンを食べる時には職人技などといった
立派なものは必要としない。「とりあえず食欲を満たしたい、た
だし、相応にうまくないと嫌!」程度がカップラーメンに対する
期待なのである。
カップラーメンの職人技を持ち合わせていないわれわれに必要
なのは、職人技すなわち感覚をわかりやすく表現した説明なので
ある。わかりやすくするには数字が最も簡単だ。3分待てという
のは感覚を数値化してわかりやすくした結果なのである。
もう一度、カップラーメンの作り方に戻ろう。なぜ3分なのだ
ろう。2分57秒とか3分12秒ではないのだろう。具の肉とか海老
とかタマゴをあれほどまでに乾燥させてしまう技術を持ったラー
メン会社である。いいかげんな数字を書くとは思えない。熱湯と
いうのも気になる。何度以上のお湯を熱湯と呼ぶのか。95度なの
か98度なのか100度なのか。100度の場合は気化し始めるので、そ
の場合には「水蒸気を注げ」というのが正しい表現なのか。
カップラーメンを最もうまく作るためには、おそらく、それぞ
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図-11ラーメンの作り方は金融工学的にできている
職人技
質の確保
わかりやすさ
各々のラーメンに
適した作り方
熱湯を
注いで
3分
れのラーメンごとに2分57秒38とか、3分12秒16とかいった時間
が設定されうるだろう。お湯だって熱湯ではなく98.5度とか97.2
度とか、一定の数値があるのだろう。
理屈では、カップラーメン作りの最適な時間や最適な湯温(科
学的には水温)が決定されるのであろうが、これは現場(台所)
においては非現実的である。水温計をヤカンに入れ、ストップウ
ォッチ片手にカップラーメンを作るわけにはいかない。そこで
「質の確保」と「わかりやすさ・使い勝手のよさ」の両方の均衡
点を見つける必要性が出てくる。
最適な点は1点に集約されるが、人間の舌で感じ取れる「旨さ」
は最適な1点のまわりに少しだけ幅をもってばらけている。例え
ばカップラーメンの待ち時間だ。2分57秒38から2秒62過ぎても
麺の旨さはそれほど変わらないだろう。少なくとも人間にとって
は、その差は感じ取れないだろう。
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そうであれば「3分」というわかりやすい数値にして、麺の質
は維持したまま、わかりやすさと使い勝手のよさを優先するのだ。
お湯だって98.5度も98度も90度も大して質に差が出ないのであれ
ば、「その辺の温度だったらどれでもいいよ」という意味で「熱
湯」ということにしてしまうのである。
統計学や工学は感覚を数値に置き換える学問だ。統計や工学的
解析の結果を、そのまま利用することは難しい場合が多い。カッ
プラーメンの時間や温度の例のとおり、数値をそのまま利用する
こと(温度計とストップウォッチでラーメンを作る)は非現実的
である。そこで、現実に応用できるように、一定の妥協をするの
である。妥協のポイントは「質を大きく損なうことなく」かつ
「わかりやすく使い勝手がいい」の2点である。
金融工学もこの2点を常に意識しながら発展しているのであ
る。解析結果としていろいろな数値が出てくるが、それらの数値
を真っ正直に使うことは稀である。現実のさまざまな条件を加味
して、多少“まるめられた”数値が利用されることが多い。これ
は質を考慮しつつも、わかりやすい数字にして、現実に応用でき
るようにする工夫である。
難解なのはギリシャ文字のせい
金融工学とはなんだろうか。金融だけでも難しそうだし、工学
だけでも難しそうだし、その両者が合体した金融工学など、聞い
ただけでも「許して!
! かんべんして!」という気持ちになる。
アントニオ猪木とジャイアント馬場が合体してアントニオ馬場に
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ギリシャ文字がわかれば金融工学がわかる
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なったようなものだといえば、ますます混乱を助長するだろうか。
金融工学の代表格はオプションである(14、15章参照)。オプ
ションが浮かぶとデルタとかガンマとかが意味はわからないのだ
が頭に浮かび、ついでにギリシャ文字も頭に浮かぶ。δだβだΣ
だと気取った形のあの文字だ。
金融工学は確かに難しい。難解な公式や定義のてんこもりだ。
金融工学は理屈そのものが非常に難解である。何回勉強しても難
解である……などというシャレを言っても難解である。
難解ではあるのだが、所詮は同じ人間が考えたことだからわか
らないはずはない。理解を妨げている要因はなんだろう。実は、
その要因はギリシャ文字にあるのではないかと筆者は睨んでい
る。ギリシャ文字……読めないのだ。読めないものはわからない
のである。やつらはいやにカクカクトゲトゲしている(Σ、Δ、
Γ等)かと思えば、必要以上にダラダラしている(θ、Ω、γ等)
こともある。とても文字には見えないし、読み方を知らない限り
読みようがない。
考えてみていただきたい。「『Ω』はどう読みますか?」と問わ
れたとしよう。オタマジャクシの頭部のようなこの曲線を読めと
いわれても「もっこり」とか「プックリ」としか読みようがない。
『ε』だったらどうだろう。「3が反対向いたやつ」としか読めな
いのだ。Ωは「オメガ」、εは「イプシロン」と読むのであるが、
読み方がわからないと頭にもスラスラ入ってこない。『Ω+ε=
Γ』なんて算式が出てきたらパニックである。「えーっと、もっ
こり+3が反対向いたやつの合計が、ん? Γってなんだ? も
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うっ! どうでもいいっ!」。読めないがゆえに、わかりにくさ
が増幅されているのである。
ギリシャ文字なんて大したことはない。文字に馴染みがないこ
とで恐怖心もわくが、気にせず、それぞれの文字に与えられてい
る意味を覚えていけばいいのである。覚えればとっても便利なこ
ともあるのだ。
世の中はギリシャ文字化している
天気予報をご覧になることがあるだろう。天気予報の仕組みと
金融工学におけるギリシャ文字は同じことだと考えられる。太陽
は「晴れ」を、傘は「雨」を、雲は「くもり」を表す。それぞれ
のマークが縦棒で区切られていれば「ときどき」だし、斜め棒な
ら「のち」である。
こういったルールがあるから図−2のようにスッキリと日本の
天気が理解できるのだ。そうでなければ、図−3のようになって
しまい日本の国土が文字で見えなくなり一苦労である。「晴れの
ちくもり」という文字情報を「(1 /2 )」という非常に単純な
記号で代用できるメリットは大きい。天気予報業界でもギリシャ
文字化現象が起きているのだ。
携帯電話方面も事情は同じである。電車を待っている間、電車
から降り立って改札口を出たあたり、横断歩道で立ち止まった時、
レストランで料理が出てくるまでの間、いたるところで携帯電話
のメールチェックをしたりメールを打ったりしている人を見かけ
るようになった。携帯電話でメールを送るのは一苦労である。小
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ギリシャ文字がわかれば金融工学がわかる
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図-21スッキリした天気予報
1|5
1/5
1
1|5
1/5
1
1|5 2|1
2|1
1
1/5
1/5
1|5
2|1
図-31読むのが一苦労な天気予報
晴れときどき雨
晴れ
晴れときどき雨
晴れのち雨
くもりときどき晴れ
晴れところによりにわか雨
くもりときどき晴れ
晴れのち雨
晴れのち雨
晴れ
晴れときどき雨
晴れ
くもりときどき晴れ
晴れのち雨
さなボタンをプチプチ押し続けなければ目当ての文字は出てこな
い。そこで省略の記号が考案されている。
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「私は今、ご機嫌がうるわしい」と作文するかわりに(^_^)で
済むのだ。「怒ってるぞ、どうしてくれる!」だったら(`´)
で済むのだ。携帯電話業界もギリシャ文字化しているのである。
これだけ覚えればいいギリシャ文字のルール
ギリシャ文字に話を戻そう。例えば1から10までのすべての整
数を合計することを式にしてみよう。
合計値 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 + 9 + 10
これでは長すぎる。10までならなんとかなるが20までだと大変
だ。100や1000までなんて話になったらもっと大変だ。
そこで簡略化のスキルが重要になるのである。なんらかのマー
クを拾ってこよう。そのマークに「全部の数値を合計すること」
というルールを与えるのである。マークはなんでもいい。例えば
温泉マークにすれば上式はこう書ける。
合計値 =
&t(tは1から10までの整数)
しかし温泉マークには問題があるのだ。数学について考えてい
るにもかかわらず、温泉に行きたくなるし、そのうえフザけてい
るように思われる。かといって & の代わりに〒では郵便局が困
るし、 では不気味だ。そこで各方面との折衝の末、数学発祥の
地ギリシャの格調高く、カッコいい文字が使われているのである。
合計値 = Σt(tは1から10までの整数)
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ギリシャ文字がわかれば金融工学がわかる
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もうお気づきであろう。ギリシャ文字は読み方がわかるだけで
は許してくれないのだ。意味も覚えないと許してくれないのだ。
表-11ギリシャ文字の読み方と意味
大文字
小文字
読み方
意味
Α
Β
Δ
Μ
Σ
α
β
δ
μ
σ
アルファ
超過収益率
ベータ
ベータ値
デルタ
オプションの価格の変化率
ミュー
平均値
シグマ
大文字は総合計、小文字は標準偏差
表−1はギリシャ文字の読み方と、その意味の一例である。こ
れだけを覚えておけば十分である。わずかこれだけである。ぜひ
ともギリシャ文字アレルギーを退治して金融工学の面白さを存分
に味わおう。
金融商品のあいまいさを排除
金融工学とは何を扱う学問なのであろう。建築工学なら建物や
橋、土木工学ならトンネルやダム、人間工学なら座りやすい椅子
などとイメージはわくのだが、金融工学は??である。カネに工学
が必要なのであろうか?
工学は感覚を数値化する学問である。カップラーメンを引き合
いに出したとおり、勘や感覚を明示化するのである。50階建ての
ビルを建てる時に「鉄骨の厚さはこぶし1つぐらいです。厚さの
決定要因は棟梁の長年の勘ですね。これだとドデカイ地震でも大
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