文学 メントー(指導者) マーガレット・アトウッド 小説家

文学
メントー(指導者)
マーガレット・アトウッド
小説家であり、詩人、随筆家、文芸評論家のマーガレット・アトウッドは、カナダ
の文学界で傑出した存在であり、今日、最も高く評価され、多作で知られる作家の
一人です。エコノミスト誌で 巧みな言葉の職人 と称された彼女は、すでに 50 冊
以上もの書物を執筆しています。
子供時代に 1 年の半分を母国のカナダ北部の大自然の中で過ごしたアドウッドは、
幼い頃からずっと、ものを書くことを天職だと思っていました。「とにかく書く
ことばかり考えていました」と話す彼女は、6 歳にして最初の詩を書き、高校生の
時には、すでに作家になることを宣言していました。トロント大学を卒業した後、
ハーバードのラドクリフ大学に進み、1962 年に修士課程を修了しました。その頃に
は、現在も支援している小規模の文学誌に作品が掲載されるようになりました。
その 4 年後、2 作目の詩集『The Circle Game(サークル・ゲーム)』で、当時カナダ
で最も栄誉ある文学賞であったカナダ総督文学賞を受賞し、多岐のジャンルで活躍
する偉大な作家への道のりを歩み始めました。
国際的に高く評価され、広く読まれている小説には、『Edible Woman(食べられる
女)』(1969 年)、『The Handmaid’s Tale(侍女の物語)』(1985 年)、『Cat’s
Eye (キャッツ・アイ) 』(1988 年)、『Alias Grace (またの名をグレイス) 』
(1996 年)、ブッカー賞受賞作『The Blind Assassin (昏き目の暗殺者) 』(2000
年)などがあります。また、小説『Oryx and Crake (オリクスとクレイク) 』で
「スペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)」を再び手掛けました。アトウ
ッドは「スペキュレイティブ・フィクション」を完全に現実的とは言えないにして
も、実際に起こり得る可能性のある出来事を描いた小説、と定義づけています。
最近の作品には、小説『The Year of the Flood(洪水の年)』(2009 年)やノンフィ
クション『In Other Worlds:SF and the Human Imagination』(2011 年)などがありま
す。
マーガレット・アトウッドは、環境保護活動家、社会評論家として知られる他、
指導、編集、インターネット上でのアドバイス、ノンフィクション作品を通じての
若手作家育成の活動でも評価を得ています。さらに、iDoLVine.com を立ち上げ、
リモート電子ブックサイン会などオンライン上での読者イベントを行い、文学の
普及に尽力しています。「言葉に次ぐ言葉と、さらに続く言葉。それは、力なので
す」と熟達の域にある作家は話します。
舞台芸術
メントー(指導者)
パトリス・シェロー
フランスの演出家パトリス・シェロー (67 歳) は、演劇、映画、オペラの幅広い
作品の中で人間関係を深く追求しています。「分野は異なっても、その核にある
ものは同じ。ストーリーを伝えることです」と彼は話します。
シェローのストーリーを伝える才能は若い頃から際立っており、学校劇でも俳優、
監督、舞台主任として活躍しました。画家の両親によって芸術的感性が育まれた
彼は、15 歳にして舞台芸術の天才と絶賛されました。その 7 年後には、プロの監督
として活動を始め、パリ郊外に公共劇場を作りました。そして 30 歳を前にして、
初めてオペラを上演しました。
1970 年代半ば、シェローは活動の幅をさらに広げ、サスペンス映画『La chair de
l’orchidée(蘭の肉体)』を制作。また、最も有名な監督作品のひとつであるワーグ
ナーの神話『Ring Cycle (指環)』をバイロイト音楽祭 100 周年記念で上演しました。
19 世紀の産業革命時代に舞台を設定するという画期的な解釈で話題を呼んだこの
作品は、今でも世界中でオペラの演出に影響を与え続けています。
フランスでは演劇界の実力者、そして俳優として知られるシェローは、過去 30 年間
にわたり、映画でもその芸術的手腕を発揮しており、時として私的要素の強い数々
の映画作品を発表し、多くの賞を受賞しています。その中には、『L’Homme blessé
(傷ついた男)』(1983 年)、大ヒットした叙事詩的映画『La Reine Margot(王妃
マルゴ)』(1994 年)、『Ceux qui m’aiment prendront le train(愛する者よ、列車に
乗れ) 』(1998 年)、官能的映画として名高い『Intimacy (インティマシー / 親
密)』(2001 年)、『Son frère(ソン・フレール - 兄との約束 )』(2003 年)、
『Gabrielle (ガブリエル)』(2005 年)、『Persécution(迫害)』(2009 年)などが
あります。
最近では、ニューヨークとパリの映画学校で講師を務め、ルーヴル美術館のゲスト
キュレーターにも任命され、舞踊、オペラ、舞台芸術、映画、絵画を統合させた
展覧会「Les Visages et les corps(顔と体)」を 2010 年に開催しました。また、初の
英語での舞台作品が 2011 年にロンドンのヤング・ヴィック劇場で上演されました。
音楽
メントー(指導者)
ジルベルト・ジル
伝説的な歌手、シンガーソングライター、ギタリストのジルベルト・ジル(69 歳)
は、ブラジルで最も影響力のあるミュージシャンの一人です。革新的な音楽と豊か
なメロディーで知られ、これまでにアルバム 52 作をリリースし、そのうちの 5 枚は
プラチナディスク、12 枚はゴールドディスクを獲得、レコードの総売上は 4 百万枚
にも上ります。半世紀近くにわたり、ジルはボサノヴァ、バイヨン、サンバ、レゲ
エ、ロックなどさまざまなジャンルの音楽を融合させ、ビートルズからジミ・ヘン
ドリックスなど、多様な影響を受けた音楽を作り続けています。
「子供の頃から、私にとって音楽は情熱であり、情熱を仕事にするのが夢でした」
と話すジルは、彼が 3 歳の頃から、母親がその音楽への興味を後押ししました。
1963 年、バイア連邦大学で、ギタリストでシンガーのカエターノ・ヴェローゾと
出会ったことが人生の転機となり、トロピカリズムの創造という 2 人の長期間に
わたるコラボレーションが始まりました。この活動は反体制的な要素を持っていた
ため、当時の軍事独裁政権から脅威とみなされ、2 人は投獄され、その後、イギリ
スへ亡命しました。
1972 年に、ロンドンから戻ったジルは、徐々に独自のスタイルを築き始め、代表作
となるアルバムの制作や公演を次々に行い、1978 年にモントリオール・ジャズフェ
スティバルに出演すると、世界中から注目を集めました。以来、アルバム『Quanta
Live』(1999 年)や『Eletracústico』(2005 年)、最新アルバム『Fé na Festa』
(2010 年)などでグラミー賞を 10 回受賞しています。ここ数年のツアーでは、
息子のベンと共演することも多く、独特のサウンドで世界中の観客を魅了して
います。
また、音楽家としてのキャリアと並行して、環境保護活動家、政治家としても活躍
しています。2003 年にはブラジルの文化大臣に任命され、2008 年まで務めました。
その他にも、1999 年にユネスコ平和芸術家へ任命され、2005 年にスウェーデンの
ポーラー音楽賞とフランスのレジオンドヌール勲章を贈られるなど、数多くの栄誉
に輝いています。
視覚芸術
メントー(指導者)
ウィリアム・ケントリッジ
その豊かな創造性で自らの芸術分野さえも超越する、ビジュアルアーティストの
ウィリアム・ケントリッジ(56 歳)は、アパルトヘイト政策下及び廃止後の南アフ
リカでの実生活における個人的、政治的影響を投影したインパクトの強い作品で
高く評価されています。「ポリティカルアートや、多義性や矛盾を持つ芸術、そし
て未完の表現、不確かな終結に興味があります」とケントリッジは話します。アパ
ルトヘイト政策反対を唱えた弁護士の両親が、彼に自らを取り巻く世界に疑問を
投じることを教えたといいます。
1976 年、ウィットウォータースランド大学で政治学を修めたケントリッジは、ヨハ
ネスブルグ美術財団とパリのジャック・ルコック演劇学校で学び、そしてジャンク
ション・アヴェニュー劇団の一員として働きながら、10 年間に渡ってデッサンと
演劇、両方の世界を追求しました。
1980 年代半ば頃、ケントリッジは彼を最も有名にした作品の制作を開始しました。
それは、木炭によるドローイング、アニメーション、映画、演劇を融合させた革新
的な手法で、ドローイングを部分的に描き直しながら 1 コマごとに撮影して流動的
なアニメーションを生み出すものでした。ハンドスプリング人形劇団との映像コラ
ボレーション、また有名な作品『Nine Drawings for Projection(プロジェクションの
ための 9 つのドローイング)』シリーズでも、同様のアプローチで、複数のメディ
アを融合させた作品を作りました。
昨年、ケントリッジの作品はニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ミラノのスカ
ラ座、ニューヨーク近代美術館、ウィーンのアルベルティーナ美術館、そしてパリ
のルーブル美術館、ジュ・ド・ポ ーム美術 館で展示されました。2009 年、彼は
タイム誌 の「世界で最も影響力のある 100 人」のひとりに選ばれています。また
2010 年、芸術・哲学部門で京都賞を受賞し、さらに 2011 年にはアメリカ文学芸術
アカデミーの名誉会員に選ばれました。
2010 年 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 近 代 美 術 館 で 大 規 模 な 回 顧 展 『 William Kentridge: Five
Themes』を開催し、またメトロポリタン歌劇場で初演されたショスタコーヴィチの
『The Nose (鼻)』の演出を手掛けました。「ひとりのビジュアルアーティストが
ニューヨークの文化や幅広い分野において、これほどまでの影響を与えたことが
今までにあったでしょうか」とニューヨーカー誌のカルヴィン・トムキンズは彼の
功績を称えています。
舞踊
メントー(指導者)
リン・フアイミン(林懐民)
アジアにおいて、振付分野の第一人者として知られるリン・フアイミン(64 歳)は、
約 40 年前に台湾でクラウド・ゲイト・ダンスシアターを創設して以来、中国語圏の
コンテンポラリーダンスを牽引してきました。さまざまなスタイルを組み合わせる
彼の手法について、ニューヨークタイムズ紙は「リン・フアイミンは、東洋と西洋
のダンスのテクニックと演劇のコンセプトを見事に融合させている」と評していま
す。
リンは、5 歳の時に有名なイギリス映画『The Red Shoes(赤い靴)』を 11 回見て、
ダンスの世界に引き込まれました。しかし、彼が実際にダンサーになろうと決めた
のは、その 10 年後、振付家ホセ・リモンの斬新なパフォーマンスを見た時でした。
1960 年代後半から 70 年代にかけて、ニューヨークにあるマーサ・グレアムと
マース・カニングハムのスタジオで学んだリンは、1973 年に故郷の台湾に戻り、
中国語圏では初となる、コンテンポラリーダンスカンパニー、クラウド・ゲイトを
創設します。デビュー作『Tale of the White Serpent』を含む彼の初期の作品は、中国
の伝統的な叙事詩と歌劇を現代的な視点から捉えなおしたものでした。1990 年に
入り、物語風のアプローチをやめ、『Songs of the Wanderers 』や『Moon Water』
などの作品に見られるような太極拳や中国思想の 気 の概念、さらには書道から
インスピレーションを得た新しい表現を用いるようになると、カンパニーの評価は
急激に高まりました。リンは「私にとって、ダンスは意味を追求するものではない。
躍動する身体、力、そしてエネルギーそのものです」と話し、『Cursive 』三部作や
近年の『Water Stains on the Wall』などを含む作品の数々を通じて、観客に強い感動
を与えることを目指しています。
作家としても才能を発揮するリンは、1999 年に結成したクラウド・ゲイト 2 におい
て、台湾の若い振付家の育成にも力を注いでいます。フランス芸術文化勲章(シュ
ヴァリエ勲章)やドイツの国際モビメントス・ダンス賞の特別功労賞をはじめ、
数々の栄誉ある賞を受賞したリンは、2005 年、アジア版 タイム誌 で アジアの
英雄 のひとりに選ばれました。
映画
メントー(指導者)
ウォルター・マーチ
映画界の第一人者として世界的に知られるウォルター・マーチ(68 歳)は、映画編
集と音響で高く評価されています。「私はビジュアル化するのではなく、音を頭の
中に描き出す、つまり聴覚化することを目指しています」と話すマーチは、過去 40
年間にわたり、さまざまな映画作品の製作に携わってきました。
画家の息子であるマーチは、子供の頃から「音を描き出す」ことに興味を持って
いました。彼は、当時はまだ、目新しかったテープレコーダーを家族が購入すると、
「マイクを窓の外に向けてニューヨークの音を録音した」と話します。後に、有名
な南カリフォルニア大学の映画学科に進み、そこで未来の共同制作者となるジョー
ジ・ルーカス監督やその他の新進の映画関係者と出会い、映画の世界にのめり込ん
でいきました。
1969 年にプロとして仕事を始めて以来、マーチはフランシス・フォード・コッポラ
監督の傑 作映画『The Godfather (ゴッドファーザー) 』シリーズや 、彼の 初の
アカデミー賞受賞作となった『Apocalypse Now(地獄の黙示録) 』(1979 年)、
アンソニー・ミンゲラ監督の『The English Patient (イングリッシュ・ペイシェン
ト)』など数多くの作品に参加しました。1996 年には、 『The English Patient(イン
グリッシュ・ペイシェント)』で、アカデミー賞の編集賞と録音賞の 2 部門を受賞
し、両部門を受賞した唯一のアーティストとなった他、英国アカデミー賞も受賞し
ました。また、2003 年にはミンゲラ監督の『Cold Mountain(コールド・マウンテ
ン) 』の編集を手掛けました。マーチは映画編集に関する著書『In the Blink of an
Eye (映画の瞬き - 映像編集という仕事) 』(2001 年)やドキュメンタリー映画
『Murch』(2007 年)の中で彼の革新的技術の数々について深い知識を披露してい
ます。
著名作家のマイケル・オンダーチェは著書『The Conversations: Walter Murch and the
Art of Editing Film(映画もまた編集である - ウォルター・マーチとの対話)』の中で、
彼のことを「真の博識者である」と述べています。オンダーチェは、マーチが関心
を寄せるテーマは驚くほど広範囲で、建築から天文学、音楽理論、文芸翻訳、科学、
数学にまで至ることを明かしています。ハリウッド中でもこれほど多くの話題に
ついて語ることのできる人物はほとんどいません。