NHK ラジオ 新潟ラジオセンター「朝の随想」 2014 年 5 月 19 日放送原稿 豊かな郷土人形 旧齋藤家別邸 横木 剛 日本の伝統工芸品の人形に土人形と呼ばれるものがあります。土を型に入れ、 低火力で素焼きしたものに胡粉をかけて白く塗り、さらに泥絵具で彩色をした 人形です。人間の手仕事感がたっぷり詰まっており、見た目も素朴な味わいで す。京都の伏見人形をルーツにもち、日本各地で個性的な人形が作られていま したので、土人形と呼ばず郷土人形と呼ぶ人もいます。だいたい高さは大きく ても 20 センチくらい。夷さまや天神さま、雛人形、犬や猫など、モチーフは様々 ですが、その背景には民間信仰や節句などの年中行事があります。生活の中の、 願いや祈りがこめられた人形といえるでしょう。 郷土人形は江戸時代に全国へ広がり、明治時代後期にはあちこちでかなりた くさんの量が作られるようになりました。しかし、大正時代から昭和初期にか けて、経済が発達し生活が豊かになってくると、衣装人形にそのシェアを奪わ れて行きます。我々が今、人形と考えている形式の、布の衣装をまとったもの がもてはやされるようになり、土を焼いて色をつけただけの質素な人形は衰退 していきました。 新潟県でも江戸時代後期以降、あちこちに産地が形成され、多くの郷土人形 が造られてきました。村上の大浜人形、佐渡の八幡人形などが有名ですが、そ の他にも水原や栃尾、高田など19箇所もの産地が確認されています。そのう ち佐渡には4箇所も産地がありました。全国的に見ると愛知県や岐阜県となら ぶ産地の多さで、新潟は郷土人形大国といっても過言ではありません。 村上の大浜人形は、三河の国、現在の愛知県の瓦産地大浜から職人がやって きて瓦焼きの片手間で作り始めました。それに因んで職人一家は大浜姓を名乗 るようになり大浜人形と呼ばれるようになりました。 佐渡の八幡人形は、染色を学ぶため京都を訪れた村岡文慶が、伏見人形の魅 力にみせられて、江戸時代末期から佐渡八幡で製作販売したことに始まります。 雛人形として親しまれたほか、福助・恵比寿・大黒などは縁起物として評判が よく、郷土玩具として広く島外へ売り出されました。 このように、文化は人や物の交流から発展していきます。また、そういった 交流は、自然がもたらす土地の豊かさや人々の移動などによって発生します。 新潟県は大きな川による舟運や、そこから遠くへと開けていく海運によって 様々な地方と交流があり、そのためたくさんの郷土人形産地が形成されました。 時間の中に埋もれていき、そして廃れていった郷土人形。人形として工芸的 に愛でるだけでなく、その歴史を探って行くと当時の社会的背景や、郷土と他 県のつながりなどが見えてきます。このような庶民レベルの生活や歴史が、も っと大切にされ、解き明かされて行くことを願っています。
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