テーマ: ジャン・ルーシュの映像を観る

日本映像民俗学の会【民族誌映画を探る】
◎テーマ: ジャン・ルーシュの映像を観る
~西アフリカ独立前に記録された労働移民の映像~
○ 期日: 2009 年 11 月 3 日(火=祭日)午後 2 時 00 分~6 時 00 分
○ 場所: 四谷区民センター11 四谷地域センター集会室4
参加費:一般500円
学生:400円
地下鉄丸の内線「新宿御苑前」駅下車 徒歩5分
新宿区内藤 87
電話:03-3351-3314
上映の作品
Battle on the Great River by Jean Roush 1952 前半のみ 15 分
1946 年、ニジェール河でカバ狩りの様子を捉えた彼の最初の映画を撮影した。小船の上での三脚
の使用をあきらめて、自分自身の体を動く三脚と見立て、彼独自の撮影方法を用いた。映像は、そ
の後に撮りなおしされる。漁民は厚板を縫い合わせ大型の船、浮き付きの銛を造る。狩りするにあた
って、猟師は川の精霊と直接に交渉する。一弦のバイオリンと太鼓のリズムに乗って、女たちはトラ
ンス状態になり川の精霊が憑霊する。さらに新しい宗教であるハウカ教徒の映像が収められている。
8隻の小船と一隻の大型船がニジェール川を進む。河馬は草薮の沼地に潜んでいる。2トンの雌河
馬を捕らえた。ルーシュ自体は、あまり自慢できる作品ではないと言っているが、もう失われた伝統
的な狩りの記録。
Jaguar. By Jean Rouch 1967 93min
ルーシュは、50 年代初め、まだアフリカが独立する前(ニジェールは仏国領、ゴールドコーストは英
国領だった)、この労働移民の調査をし、社会学的モノグラフを残した。数千人のソンガイの男たちは、
若き日に黄金海岸などに旅した話しを語る。
映像では、ルーシュの 3 人の友人(助手)が、毎年乾季になると、短期季節労働者としてゴールドコ
ーストに移民するアフリカの若者の役を演じる。3 人の若者が、ニジェールのサバンナの村から、ゴ
ールドコースト(後のガーナ)の港や町へ、金と冒険を求めて出発する。この映像は、旅、途上での出
会い、アクラとクマシでの経験、そして 3 ヶ月後に、村に帰還する話である。映像は、一部はドキュメ
ンタリーであり、一部はフィクションであり、一部は内省的なコメントである。3 人の若い移民労働者役
のラミ、イロおよびダモレは、即興劇を演じる。
1954-55 年に撮られた映像は無声であった。当時小型の同時録音可能な撮影機は出現していな
かった。撮影前に劇に即興性を計画し、俳優の対話と解説は後から録音された。数年に渡る事実収
集の民族誌調査の基礎の上に成り立つ、フィクションの映像を、ルーシュは cine-fiction と呼んだ。
(他の批評家は ethno-fiction と呼ぶ)
「狂気の主人公」Les Maitres Fous (The Mad Master) By Jean Rouch 1954 28 min
「狂気の主人公」は、1920 年代から 1950 年代に、西アフリカで広まったハウカ教派の憑依儀礼の
映像。教派の成員は「力」、つまり植民地主義が強いる政治権力と技術の力を、崇拝する。ハウカ儀
礼の参加者は、ニジェールから英国統治下にあったゴールド・コースト(1957 年に独立したガーナ)の
首都アクラに職を求めて移住した都市労働者たちである。
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1953 年ルーシュは、小さなハウカ集団の祭司に依頼され、アクラ郊外の農家で催された年一度の
儀式を撮影した。その結果が、「狂気の主人公」で、ハウカたちはイヌを屠殺して料理し、食べ、荒々
しくはね踊り、口に泡をふくにつれて、イギリスの支配体制側出身の将軍や医者、トラック運転手の
霊にとりつかれていくさまを写している。ルーシュは、街中のハウカ構成員の日常の仕事ぶりを織り
こむことによって、儀式が、植民地という状況下にある移民労働者の生活の緊張をうまく処理するの
に役立っていることを、それとなく示している。
会
場
案
内
大木戸口
新
宿
御
苑
地下鉄丸の内線
◎ 新宿御苑前
四谷4丁目交差
新
宿
道
り
点至新宿→
四谷市民センター
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日本映像民俗学の会
代表:牛島 巌
〒160-0014 東京都新宿区内藤町 1-10 テラス小黒 201
事務局:北村皆雄
Tel 03-3352-2291 Fax 03-3352-2293 E-mail [email protected]
お知らせ
日本映像民俗学の会の 32 回大会について
日時: 2009 年 12 月 25 日(金) 26 日(土) 27 日(日)
場所: 長野県 伊那市生涯学習センターホール
テーマ: 放浪の系譜―空也から井月まで
―映像が語る放浪、ことばが紡ぐ遊行の文化―
主催: 日本映像民俗学の会 一般社団法人井上井月顕彰会
共催: 伊那市教育委員会
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「ジャガー」と「狂気の主人公」 解説
〇Jaguar. By Jean Rouch
牛島 巌
93min 1967
数千人のソンガイの男たちは、若き日に黄金海岸などに旅した話しを語る。映像では、3 人の若者が、
ニジェールのサバンナの村から、ゴールドコースト(後のガーナ)の港や町へ、金と冒険を求めて出発する。
この映像は、旅、途上での出会い、アクラとクマシでの経験、そして 3 ヶ月後に、村に帰還する話である。
映像は、一部はドキュメンタリーであり、一部はフィクションであり、一部は内省的なコメントである。
制作経過:
ルーシュの 3 人の友人(助手)が、毎年乾季になると、短期季節労働者としてゴールドコーストに移民
するアフリカの若者の役を演じる。ルーシュは、50 年代初め、まだアフリカが独立する前(ニジェールは
仏国領、ゴールドコーストは英国領だった)、この労働移民の調査をし、社会学的モノグラフを残した。そ
れは、象牙海岸や黄金海岸における、移民集団の経済活動と彼ら自身の社会制度構築を主眼とした社
会状態に関する、統計と資料の提示であった。この調査をもとに、季節移民自身の経験を示したのが、
この映像である。数年に渡る事実収集の民族誌調査の基礎の上に成り立つ、フィクションの映像を、ル
ーシュは cine-fiction と呼んだ。「ドキュメンタリーで、これらの季節移民について、私が表現したいことの
全部を、示すことは難しい」と。(他の批評家は ethnofiction と呼ぶ)
1954-55 年に撮られた映像は無声であった。当時小型の同時録音可能な撮影機は出現していなか
った。1957 年に、主な主役(ラミとダモレ)に指示し、荒編集の映像を見ながら、即興の話をさせた。彼ら
は、二日間で素晴らしい仕事をした。その出来上がった音声記録は、記憶された会話、冗談と感嘆、ス
クリーン上の行動についての質問と説明などで、構成される。まさに、ルーシュと仲間たちによる季節移
民の話しの映像であり、フィクションとノンフィクションの二分的観念に、一石を投じた作品でもあるの。
映像構成:
荒筋:1950 年代における短期の都市への労働移民の映像。ニジェールの若者 3 人のゴールドコースト
への移民と帰還の話。ラミ、イロとダモレは、ゴールドコーストに旅し、そこで彼らは、アフリカの大市場や
都市での労働生活を体験する。だが、雨季となり、最後に故郷に帰ってくる。
三人のヒーローの紹介:ラミ、ペウルの牧民は、ニジェールのサバンナで牛の群れを看る。イロ、サルコ
の漁民は、河で枝編みの篭を引き上げ、停泊地に向かう。ダモレ、若い“小悪漢”徴税請負人は、村の
路を馬で疾走する。
出立:毎日曜日、アユロに市が立つ。漁民イロはカヌーで、牧民ラミは家畜を連れて、来る。ダモレは、
樹の下の「オフィス」に居る。彼は読み書きできる。三人は旅に出る決断をし、準備する。マラブー儀式で、
ラミとイロは、神に祈り、良き旅を願う。憑霊儀礼で、ダモレは、精霊に旅の安全を、尋ねる。
旅:3 人は徒歩で、一ヶ月以上南への路を辿る。植物相が徐々に変わり、樹も異なってくる。ダホメイを通
過し、ソンバ人の土地に泊まり、彼らの裸の生活に衝撃を受ける。トーゴの山を踏破し、海に至る。波と
ヒトデに歓喜し、国境の税関をすり抜ける。そこで 3 人は別れ、夫々の路を辿る。漁師イロは、アクラの
港で友人を見つけ、沖仲仕となる。カメラはダモレを追う。ダモレは、舗装路を歩き、ヒッチハイクでアクラ
に着く。大都市を散策しながら、村の同輩を探す。木材市場で見つけ、労働者として雇われる。牧民ラミ
は、クマシ市場へ牛を追う別の牧民に合う。彼はアフリカの大市場クマシに入り、店を構える友人と共に、
香水、櫛、衣服などを扱う小物売りになる。
成功の始まり:ダモレは、木材商の書記になり、現場監督に昇進する。今ダモレは、粋な若者"ジャガー
“を気取る。日曜には、アクラを散策し、競馬を楽しみ、路上の踊りに加わり、クルマの選挙活動を観る。
牧民ラミは、行商人となり、衣服を売る。金鉱で古い友達ヅマに合い、商売仲間にする。
再会:イロとダモレは列車に乗り、クマシに向かい、ラミとヅマに合う。4 人は再会し、露店の看板を
“Little by Little the Bird Makes Is Bonnet”に変える。そこで目覚まし時計からエリザベス女王の絵に至
る雑貨を売る。店は繁盛し、彼らは大成功した。ある晩、雨が降り、故郷を思い出す。彼らは、刺激に満
ち、喧騒で当惑させるような町を離れ、ニジェールの村に帰還することにした。
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帰還:4 人の友人たちと彼らの荷物は、トラックで出発する。村に辿り着くや、彼らは、3 ヶ月の旅で稼ぎ、
購入した品物すべてを、一夜で家族や親族に与えてしまう。彼らには何も残らなかったが、多くの旅の
話と持ち帰ったヨーロッパの品々のゆえに、二日間、村のキングとなった。
村の生活の再開:鉱夫で働いたヅマは、再び農民に戻る。牧夫ラミは、傘と槍を持ち、牛の群れを見張
る。漁民イロは、河馬を捕らえ、家族で食べる。ダモレは、ニジェールの女の美しさを、改めて賞賛する。
村の生活の再開が通例だとしても、イロ、ラミ、ダモレは、都市では“ジャガー”であった。粋な若者、格
好良い髪、タバコ、サングラス、現金を持ち、都市生活の知識を身につけた若者。多分 彼らは、翌年再
び短期季節移民の旅に出るか、あるいは、ゴールドコーストにおける冒険の記憶に満ちて、ニジェール
に留まるだろう。ルーシュは、この経験の意味とか、帰還した若者の生活の変化に関する質問には、答
えていないが、“Jaguar”は、アフリカの近代都市と地方の村の往来で、生起すると思われる趣を、捉え
ている。ルーシュは、信憑性と真実性を持った“ethnographic fantasy”とでも呼べる映像を、見せてくれ
る。
〇Les Maitres Fous (The Mad Master)
By Jean Rouch
1954 28 min
「狂気の主人公」は、1920 年代から 1950 年代に、西アフリカで広まったハウカ教派の憑依儀礼の映像。
教派の成員は「力」、つまり植民地主義が強いる政治権力と技術の力を、崇拝する。ハウカ儀礼の参加者
は、ニジェールから英国統治下にあったゴールド・コースト(1957 年に独立したガーナ)の首都アクラに職
を求めて移住した都市労働者たちである。
1954 年ルーシュは、小さなハウカ集団の祭司に依頼され、アクラ郊外の農家で催された年一度の儀式
を撮影した。ハウカたちはトランス状態になり、次々と植民地行政の支配者や新しい技術を持つ者の霊に
憑依される。「技術者」「トラック運転手」「医者の妻」「護衛兵長」「総督」「司令官」」そして「性悪少佐」など
の霊が憑依し、植民地行政や軍隊の「力」を真似する。植民統治者たちの霊を憑依するハウカたちは、彼
らの目に写った植民統治を反映するドラマを演じる。この映像のイメージは、強力で撹乱的である。トラン
ス状態の者は、目をギョロつかせ、喉頭に泡を流し、畜殺した犬を食べる(厳しく禁じられた行為)。
映像は、儀式の翌日アッカで働く参加者たちの寸景で終わる。彼らの穏やかな幸せそうな顔は、前日
の儀礼における凶暴さとは対照的である。儀礼がカタルシスの一形態であることを、ルーシュは示唆する。
ハウカ儀礼は、新しい技術と新しい形態の統治構造の導入に対する自発的な反応である、といえよう。
ハウカはハウザ語で「狂気」を意味する。ハウカの根源は、ニジェール河流域のソンガイ人とジェルマ人
の間に見られた伝統的な憑依儀礼にある。資質を持つ者がトランス状態になり、種々の強い神(例えば雷
神ドンゴや天神)の霊に憑依され、種々のお告げを受けた。この伝統的な憑依儀礼と同様に、ハウカ教派
は、イスラム教と共存し、儀礼にイスラムの聖者や英雄を儀礼に取り入れていた。信者の多くはイスラム
教徒である。
1927 年にはニジェールに存在していたことが確認される。ルーシュによると、第一次世界大戦に参加し
た兵士が、メッカへの巡礼を行い、ニジェールに帰郷した。彼の村で伝統的な踊りが行われていた。この
兵士は猛烈に憑依し、その最中に述べた。「私は、Malia(紅海)から来た新しい神の前衛だ、私は Malia 総
督だ、私は来迎してくる新しい神たちの先駆けだ、彼らは力の神々だ」。ハウカ教派は伝統的な憑依儀礼
に、新しい神や霊を盛り込んで急速に進展した。
フランスや英国の統治下では、幾度も禁止されたが、1954 年ルーシュがこの映像を撮ったアッカでは、
少なくとも3万人がハウカ儀礼を行っていた。他方、儀礼は土曜と日曜だけ特定の場所で行うという自己
規制が、ハウカの司祭者たちの間で合意されていた。
ハウカの展開は植民地時代の現象である。1957 年ガーナの独立と共に、アッカに移住していたハウカ
達はニジェールに戻り、ニジェール自体も 3 年後に独立した。そしてハウカも弱まり、伝統的な宗教体系に
吸収されていった。「もう植民統治の力はなくなり、ハウカも無くなった」とルーシュは語る。撮影された事
象は、ハウカ展開の最終章を示している。
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