本書に寄せて、序文 - 統計物理学 研究室

粉粒体の物理学
砂と粉と粒子の世界
ジャック・デュラン 著
奥村 剛、中西 秀 共訳
平成 13 年 12 月 12 日
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本書に寄せて
粉粒体の物理には輝かしい伝統がある。ルイ 16 世時代のクーロン、19 世紀
のファラデーとレイノルズ、そしてバグノルドという卓越した英国人も忘れ
てはならない。バグノルドはローレンスのように砂漠の砂に心を奪われた。
しかし、彼はそれ以上に砂を支配する法則を理解しようと努めたのだった。
これらの偉大な先駆者がいたにもかかわらず、そして彼らの弛まぬ努力に
もかかわらず、粉粒体の力学は、大部分が未だ理解されずにある。全く初等
的な疑問であってもはっきりとした答えがまだないこともしばしばである。
例えば、建設中のアパートの床に砂山をつくったとしよう。この堆積の重さ
はどのように分布しているのだろうか?それは、その砂山がどのように積ま
れたかによっているのか?
この類いの質問はさまざまの職業分野で重要である。サイロに小麦を貯蔵
している大規模農業に始まり、Guyon と Le Troadec が「この奇妙な石のメ
リーゴーランド」と表現した、
「土星のリング」を調べたいと思っている宇宙
探検家に至るまで、多くの例がある。
今、私が触れた2人の著者は、最近 “le Sac de billes (小石の袋)”、(Odile
Jacob, 1994) という本を書いた。この本は、こうした問題に対する生き生き
とした入門書であると同時に、多孔性物質のような少し変わった対象に対す
る入門書でもある。しかし、彼らの後を受けて、もう少し精密な、科学を学
ぶ学生に適した教科書が必要である。ジャック・デュランは、長年にわたり、
学部最終年の学生たちに粉粒体の話をしてきた。そして、いくつかの重要な
法則を浮き彫りにすることに成功してきた。例えば、摩擦があるときには、
釣合い状態がいくつもあることを生き生きと示した。彼は、簡単な実験から
始めて重要な事実を描き出した。もっとも、
「ほとんど簡単」とでも言い直し
たほうがいいかもしれない。粉粒体はしばしば我々を出し抜くからだ。私の
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ように単純な理論家はすぐに、1キロの砂、1つの漏斗、何本かのチューブ、
そしてガラス容器さえあれば、ほとんど何でもできると思ってしまう。実際
には、いくつもの些細な実験的注意点を見落としたために、結果が変わって
しまったり、とんでもない結果が得られたりするものだ。粉粒体の物理には
お金はかからないが、入念な注意が要求されるのである。また、危険とも無
縁ではない。何もないように見える工場の一室が恐るべき爆発を引き起こす
こともあるのだ。
粉粒体という、ほとんど全てがこれから理解されるであろう分野で、フラ
ンスの物理学者や力学研究者の活発な様子を眺めるのは、私にとって大変嬉
しいことだ。10 年足らず前から、パリ、リヨン、レンヌにおいて創造性あふ
れる研究グループが現れた。なかでも、ピエール=マリー・キュリー大学の
ジャック・デュランのグループは特筆に価する。私は、個人的に、この本の
構想中の各章の草稿段階から、この本を読む機会に恵まれた。これを通じて
私は多くのことを学んだ。かつて私たちは、砂に興味を持った若い人々にバ
グノルドの本を読むことを薦めてきた。しかしこれからは、まず始めにデュ
ランの本を読むべきである。
私には、日本では広く一般の人々が、この本を待ち望んでいるように思え
る。科学的な観点からはもちろんのことだが、文化的な観点からもそう思う
のである。というのは、昔、久保亮五氏が組織された物理の夏の学校のこと
を懐かしく覚えているのだが、この学校は大磯という太平洋の砂浜の前で開
催された。その砂浜に、私は、
「大磯駅」という題の渓斎英泉の古典版画で再
会した。また、私は安部公房の「砂の女」を読み、これを映画で見たことも
ある。このようなことから、私は日本の人達が、我々物理学徒のように、砂
の神秘性と不安定性に敏感なことを知っているのである。
2001 年 12 月
ピエール・ジル・ドジャン
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序
「物体は、別々に動くいくつかの小さな部分に分
かれている場合には液体であり、全ての部分が接
触している場合には固体である。」
ルネ・デカルト、哲学の原理(1644–1647 )
上に引用した文をデカルトが書いた時には、恐らく粉粒体は彼の念頭にはな
かったであろう。しかし、ある意味でそうであってもおかしくはない。粉粒
体は通常の液体の性質を持ってはいない、というよりも全く異なるが、確か
に「別々に動くいくつかの小さな部分に分かれ」てはいる。そして、デカル
トが心に描いていたような固体性を持っているわけではないが、
「全ての部分
が接触している」。
この粉粒体の持つ多面性こそが、ごく最近に至るまで、その性質に対する
我々の理解が進まなかった原因である。粉粒体は、自然に広く存在している
ばかりか、多くの人間活動にも深く関係しているにも関わらず、この有り様
なのである。しかし、ようやく物理学のさまざまな分野での最近の発展に促
されて、以前の世代の科学者やエンジニア達から引き継いできた概念が、批
判的に再検討されている。その結果、粉粒体についても、過去 10 年間その
研究に打ち込む数多くのグループが世界中に誕生した。それらは、実験観察、
数値シミュレーション、新しい概念、そして理論模型といったいろいろな形
で、多くの成果を上げてきた。
このような多くの新しい成果を前にして、この分野に新しく参入しようと
する人は少し圧倒されてしまうかもしれない。更に困ったことに、この成長し
つつある分野では、未だ用語にさえ統一されていない。私がこのことに気づ
いたのは、液体物理の上級コースを教えるために題材を集めていた時であっ
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た。この教科書の目的は、読者がこの新しく刺激的な研究分野により容易に
参加できるようにすることである。主に教材として意図し、大学の学部学生
や、この分野に参入しようとしている研究者、そして粉粒体を扱う加工技術
に興味を持つ若い技術者の要求に答えるようにしたつもりである。更に広く、
ある程度の理論的素養のある人すべてを対象としている。つまり、極めて単
純な実験から出発して、そこから如何にして概念や理論を築いてゆけるかに
興味のある人、そして、しばしば予想外で直観に反した振る舞いをするこの
媒質をどう理解できるかを学びたい人、こういった人すべてにこの本を読ん
でほしい。私の目標は、統一された言葉を用いて本を書き、その本を読めば
粉粒体の物理の基礎が習得でき、更に、最近の発展を理解するための素養が
得られる、そんな本を書くことであった。
この新しい分野の現状を見ると、どんな進歩も実験によるところが大きい。
かつてアンリ・ポアンカレ(Henri Poincaré)は、「大分以前から、もう実験
など必要ないとか、二三の簡単な仮定の下に世界を構成できるなどと、みん
な思うようになってしまった」と嘆いている。彼の嘆きは、粉粒体の物理学
に特によく当てはまる。この本の底流にあるのはこの問題意識である。この
精神に従って、本書には、実験装置の記述や、できる限り制御された条件の
下での実験結果の説明を数多く含めた。これらを示すことによって、概念や
モデル、あるいは憶測の域を出ていないとも思える考え方の背景を理解でき
るだろう。このやり方の限界は心に留めておく必要があるが、この方針はこ
の分野が未だその揺籃期にあるという特質から来ることでもある。その意味
で、この本で議論する概念や結果は「現時点で」知られているものである。
つまりこの本自身、この分野についての我々の理解が発展してゆく過程にお
ける、ある不完全な断面でしかなく、それはこれからも大きな変更が加えら
れるであろう。
無味乾燥な事実の寄せ集めにならないように一冊の本を書くには、取り上
げる問題を選択するのに多少なりとも恣意的にならざるをえない。その選択
の責任は著者のみにある。たとえ私自身が将来後悔しなければならないとし
ても、多くの成果の中からあるものを除かざるを得ないことは、一度や二度
ではなかった。その理由は単に、それが私の説明の流れにうまく乗らないと
いうことであったり、私の専門分野から離れ過ぎてしまうなどということで
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あった。その仕事があまりに簡単にしか説明されなかったり、全く触れるこ
とができなかった人達には、御容赦いただきたい。決して私がその研究に否
定的な判断をしているわけではない。私の選択基準は、教育的見地と、問題
に対する私自身の論理の流れに合うかどうかということだけであった。その
判断はしばしば困難で、苦痛を伴うほどであった。
序文を終えるにあったって、私の研究グループの同僚と友人(Eric Clément,
Jean Rajchenbach, Touria Mazozi) に感謝したい。また、国立科学研究セン
ター (CNRS) および欧州 HCM(Human Capital and Mobilty) ネットワーク
に属する不均一および複雑物質の物理学研究グループのメンバーにも謝辞を
述べたい。彼らは、多くの専門的な題材を提供してくれたばかりではなく、
本書に溢れんばかりの情熱をも吹き込んでくれた。彼らのおかげでこの本は
読んで楽しいものになったであろう。奥村剛氏と中西秀氏には、フランス語
と英語の両方の原稿を丁寧に読んでコメントしてくれたことに感謝する。彼
らは、原本の精神を生かしつつ、数多くの改良と記述を明解にするを提案し
てくれたうえで、両方の版からの翻訳を見事にやり遂げてくれた。
最後に、Pierre-Gilles de Gennes 氏と Etienne Guyon 氏の両人には、本書
で議論した研究の初期の段階で決定的な寄与をしていただいたことを、深い
感謝をもって記しておく。この二人から、本書を書くにあたって不断の援助
と励ましを受けることができたのは、私にとってはこの上もない好運であり、
また、本書は彼らの仕事に多くを負っている。
Jacques Duran
フランス、パリにて
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訳者あとがき
訳者の一人(奥村)が、本書を初めて知ったのは 97 年の秋にドジャン博士か
らもらった電子メールにおいてである。彼は、私を研究室に受け入れるにあ
たり私が読んでくるべき本のリストにこの本を挙げていた。その中で、この
本が唯一フランス語の本であった。その時私は、大学の第二外国語でドイツ
語を専攻したことをいかに悔やんだことか。しかし、気合を入れて1ヶ月ほ
どフランス語を学び、早速この本を読み始めた。電子辞書をフルに使い、時
には著者に直接メールで質問しながらであったが、1ページ進むのに膨大な
時間がかかった。それでも(随分とかかりはしたものの)何とか読み終える
ことができた。こんな力ずくの読み方が継続できたのは、ただただこの本に
描かれている物理が面白かったからである(実は、ドジャン博士には内緒で
あるが、このときに渡されたリストのうち読み終えていないものもある)。そ
れほど「面白い」のである。真剣に接すれば、理工系の大学一年生でも大筋
をつかみながらこの面白さが味わえるであろう。
(少なくとも)この点に関し
ては自信を持ってお勧めする。
本書の前書きも書いているドジャン博士は、最近の「複雑系」という言葉
が巷間に溢れる 30 年以上も前から、液晶や高分子などの複雑な対象に物理学
の立場から取り組んできた開拓者で、その単純明晰な手法は名高く、1991 年
にはノーベル賞を授賞している1 。その彼がここ 10 年来、粉粒体の物理学こ
そこれらかの物理のフロンティアの一つであると見定め、フランスを中心に
活発にいろいろな研究グループを組織してきた。そのような中で生まれたの
がデュラン博士の本書である。本書においても、ドジャン博士によって築か
1 その独特なスタイルは、名著”Scaling Concepts in Polymer Physics”に余すことなく示
されているが、この本もたまたま、訳者の一人(中西)が故久保亮五先生の監修の下に高野宏博
士と日本語に訳し、吉岡書店から出版されている(「高分子の物理学」、吉岡書店 1984 年)。
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訳者あとがき
れたフランス物理学会の「軟らかい系の物理」の伝統が脈々と波打っている。
しかも、題材は更に身近で目に見える、小さな子供さえ興味を持つような現
象もあり、その中にも第一線の研究者が心引き付けられる奥深い物理がある
ことを生き生きと描写されている。
実際の翻訳にあたっては、著者のデュラン博士の助言もあり、主に英語版
を元にした。しかし、仏語版と比べて英語版では改良されている点が多かっ
たものの、必ずしもそうでない部分もあったので、基本的には英語版に沿っ
て翻訳を進めつつ、論理が理解できない時には仏語版を参照した。それでも
理解できない個所は、著者に直接、説明、改定案を提示していただいた。ま
た、学問の発展により現状に合わなくなっている記述もあったので、訳者の
方から改定案を提示して、変更を了解いただいたところもある。電子メール
での著者とのやりとりは全部で 50 通近くにはなると思う。著者は、その度に
我々の疑問を解いてくださり、日本版に対しての理解と協力を惜しまなかっ
た。この場を借りて深く感謝したい。
この様な事情もあり、日本版だけにある記述もある。また、訳者の判断で、
読者に有益と思われる点については適宜、括弧や訳注の形で補った。こうし
たことは親切のつもりが行き過ぎると本をひどく読みにくくするのでバラン
スが難しかった。今後、皆さんのご批判を賜りたい。また、翻訳には細心の
注意を払ったが、何分にも浅学非才のため思わぬ間違いがあるに違いない。
これについても、読者からのお叱りを賜りたい。
末筆ながら、本書の翻訳を勧めてくれた小田垣孝博士と、出版を担当して
いただいた吉岡書店の前田重穂さんに、感謝の意を表したい。
2001 年 12 月
中西
秀
奥村
剛