韓国Expedition

韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
日時 1995年 8月9日∼8月26日
場所 大韓民国 江原道(カンウォンド)
1 東江(ドゥンガン)リバーツーリング
チョンソン∼ヨンウォル間(72Km)
2 1dayラフティング
1995夏合宿 韓国Expedition
終戦50年日韓友好川下り合宿
1 ドゥンガンリバーツーリング
2 1dayラフティング
韓国 Expedition
韓国の清流を下る
文、後藤寛明
ドゥンガンリバーツーリング’
謝辞
アウトドアスペース風魔の橋目勅子さん、
我々にいろいろアバイスしてくれたアジョッシ、
ソウルからわざ
わざ6時間もけて迎えにきて、そして再びソウルまで行きドゥンガンまでれて行ってくれたホンさん、そして
ブルーウェーブ
(チョンパ)
カヤックのみなさん、
トング大学洞窟探検部のみなさん、
日本語が話せるアジョッ
シ、
ラフティングツアーのみなさん・パラグライダーのインストラクター、
ドゥンガン流域に住む優しい人達、
金剛(クムガン)旅人宿のアジョッシ、洗濯屋のアジユンマ、山内菊ちゃん。みなさまのおかげで楽しい旅が
できました。心からお礼を申し上げます。
120
メンパー 後藤寛明(法律3年)
滝川晃(建築3年)
竹田一(応化3年)
掘内寛晃(建築1年)
現
実
で
あ
る
。
い
ろ
い
ろ
と
考
え
さ
せ
ら
れ
た
合
宿
で
あ
っ
た
の
は
確
か
だ
。
れ
な
い
。
い
ず
れ
に
せ
よ
、
厳
し
い
対
日
感
情
が
存
在
し
て
い
る
の
は
現
実
で
あ
り
、
日
韓
関
係
を
よ
り
よ
い
方
向
へ
進
め
て
い
く
の
は
か
な
り
難
し
く
、
一
筋
縄
で
は
ゆ
か
な
い
の
も
ま
た
え
な
か
っ
た
。
そ
れ
は
、
我
々
が
偶
然
に
も
そ
の
よ
う
な
場
所
に
し
か
居
合
わ
せ
な
か
っ
た
か
ら
か
も
し
れ
な
い
。
も
う
少
し
込
み
入
っ
た
話
を
し
て
い
れ
ば
ホ
ン
ネ
が
で
て
き
た
の
か
も
し
い
う
か
憧
れ
を
韓
国
の
人
々
は
持
っ
て
い
る
と
い
う
こ
と
だ
っ
た
。
そ
の
よ
う
に
し
か
受
け
止
め
る
こ
と
が
で
き
な
か
っ
た
し
、
そ
れ
し
か
感
じ
る
こ
と
が
で
き
な
か
っ
た
。
そ
れ
し
か
知
り
題
、
経
済
間
題
な
ど
さ
ま
ざ
ま
な
障
壁
が
あ
る
が
、
肌
で
感
じ
た
の
は
、
日
本
が
過
去
に
行
っ
て
き
た
こ
と
に
つ
い
て
の
恨
み
よ
り
も
、
む
し
ろ
経
済
大
国
日
本
へ
の
尊
敬
と
い
う
か
羨
み
と
少
な
く
な
っ
て
き
て
い
る
ら
し
い
。
日
本
の
若
者
が
戦
争
を
知
ら
な
い
の
と
同
じ
よ
う
に
韓
国
の
若
者
も
当
然
知
ら
ず
、
話
だ
け
が
受
け
継
が
れ
て
い
る
。
現
在
、
日
韓
間
に
は
戦
争
責
任
間
反
日
感
情
︵
こ
こ
で
は
日
本
の
植
民
地
政
策
に
つ
い
て
の
︶
は
未
だ
に
古
い
人
間
は
持
ち
続
け
て
い
る
が
、
﹁
嫌
な
こ
と
は
も
う
忘
れ
た
﹂
と
い
う
風
潮
ら
し
く
、
あ
え
て
口
に
出
す
人
は
お
腹
を
す
か
し
て
い
た
よ
う
に
見
え
た
の
か
も
し
れ
な
い
が
︶
た
か
ら
だ
。
さ
﹂
と
自
分
に
い
い
き
か
せ
て
出
発
し
た
が
、
現
地
へ
行
く
と
そ
ん
な
不
安
は
払
拭
さ
れ
た
。
そ
れ
は
、
我
々
が
行
く
先
々
で
厚
い
も
て
な
し
を
受
け
︵
そ
れ
は
我
々
が
ビ
ン
ボ
ー
で
と
て
も
い
の
だ
ろ
う
か
。
﹂
と
不
安
を
抱
い
た
の
を
よ
く
覚
え
て
い
る
。
で
き
る
こ
と
は
粗
相
の
な
い
よ
う
に
韓
国
の
礼
儀
作
法
と
文
化
、
歴
史
を
学
ん
だ
上
で
出
発
し
、
あ
と
は
﹁
な
ん
と
か
な
る
感
じ
た
。
つ
ま
り
、
韓
国
人
の
ほ
と
ん
ど
が
我
等
日
本
人
の
こ
と
が
嫌
い
と
い
う
こ
と
に
な
る
。
﹁
相
当
の
覚
悟
が
必
要
だ
な
。
何
か
文
句
を
言
わ
れ
た
ら
ど
の
よ
う
に
対
処
し
て
ゆ
け
ぱ
よ
る
共
同
世
論
調
査
の
結
果
が
掲
載
さ
れ
、
厳
し
い
対
日
感
情
の
存
在
が
浮
き
彫
り
に
さ
れ
た
。
﹁
日
本
嫌
い
韓
国
で
6
9
%
﹂
と
書
か
れ
た
の
を
見
て
韓
国
へ
行
く
こ
と
に
少
し
戸
惑
い
を
な
ど
に
関
す
る
韓
国
内
の
日
本
批
判
、
天
皇
の
韓
国
訪
間
の
実
現
化
な
ど
。
さ
ら
に
我
々
が
出
発
す
る
前
、
朝
日
新
聞
朝
刊
1
面
︵
7
月
2
9
日
付
︶
に
は
朝
日
新
聞
と
韓
国
東
亜
日
報
に
よ
な
っ
て
い
る
1
9
9
5
年
、
日
韓
関
係
に
は
今
だ
深
い
溝
が
存
在
す
る
の
が
現
状
で
あ
る
。
戦
後
補
償
間
題
や
従
軍
慰
安
婦
問
題
、
渡
辺
美
智
雄
元
副
総
理
に
よ
る
﹁
日
韓
併
合
条
約
﹂
発
言
1
9
9
5
年
8
月
は
戦
後
5
0
年
を
迎
え
、
さ
ら
に
日
韓
の
間
で
は
6
月
に
日
韓
基
本
条
約
調
印
か
ら
3
0
年
を
迎
え
た
。
し
か
し
、
戦
後
5
0
年
と
い
う
歴
史
の
タ
ー
ニ
ン
グ
ポ
イ
ン
ト
と
は
じ
め
に
121
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
何度これをくりかえしたら下関につ
くのだろう。ああ、青春18きっぷ。
東江の情報(我々の知る限り)
太白山脈に源を発し、漢江(ハンガン)に流れ込む南灘江の支流の1
つ。水は冷たく、夏に水量が多いためトロ場でも流れが早い。水は沸か
せば飲めるがなにせのどかなところで牛が川でブリブリとしているくら
いなので、下痢に悩まされたのはいうまでもない。もらった井戸水も沸
かした方がよい。ヨンウォルから下流にはダムが3ヵ所あり両岸ともポ
テージ可。だが、交通量の多い狭い道なので危険。ラフトを見かたがラ
フトをするほどの激流ではない。出発地点はチョンソンがよく電車でア
プローチ可。灘簸工(ハンタンガン)は鉄原(チョルウォン)付近で激
流である。
韓国の清流を下る
装備 ラフト(RV −2000)、カヤック
(フェザークラフトKライト)
、ヘ
ルメット、パドル、PFD、スロー
バック、
カラビナ、ダプルアクショ
ンポンプ、ストーブ(MSR)
、コン
パス、マップメーター、ナペ各種、
梅干し、
米、ファーストエイドキッ
ト
地図 韓国のロードマッブ
(韓国版マッブル)1O万分の1
神保町の三省堂マップハウスの
店員の話しでは、韓国の地形図は
軍事機密上の理由からか25万分の
1しか取り寄せることができない
という。それは、38度線を境に北
朝鮮と休戦状態なのだから当然の
事だろう。ソウルなどの大都市や
観光地などはかなり詳しいものが
あるが、観光図であり川下りには
不適。
しかも、
東江をカパーしてい
るものはない。
だが、
現地で川下り
をしていたトング大学の人達は5
万分の1地形図らしきものをもっ
ていた。どのようにして手に入れ
たのだろうか。我々の調査不足な
のだろうか。ツアー終了後ソウル
の書店などで探しまわったが相当
な地図は見つからなかった。ロー
ドマップを使用したのは初めて
だったが不自由は感じなかったし、
地形図を使用しなかった分、興味
深いツーリングとなった。
122
なぜ韓国なのかというと
それは近所の本屋である釣り雑
誌を立ち読みしたことがすべての
はじまりだった。韓国の渓流釣紀
行で美しい流れの中でアマゴやイ
ワナを釣り上げる内容であった。
日本と同じような雰囲気で水もき
れいで川下りできそうだった。し
かし、そのときはただ韓国にもア
マゴやイワナがいるんだなと感心
した程度で、その川の名前までは
覚えていなかったのだが、なぜか
あの韓国の美しい流れが俺の頭か
ら離れられなかった。そしていつ
のまにか、すでに失われてしまっ
た昔の日本の川の姿が韓国で見れ
るかもしれないと思い込んでし
まった。
俺は若いし、昔の日本の川
の姿というものを知らずに育ち、
その姿を見に最後の清流四万十川
も数回下ったが、四万十川はもう
ダメだと言われる今日この頃、ど
こに昔の日本の川の姿があるのだ
ろうかとても興味があった。だか
ら日本と似ている韓国に期待を
もったのだった。それから数件ア
ウトドアショッブを訪ねるが情報
は得られなかった。ある日、フェ
ザークラフトのカヤックの補強な
ど、いろいろとお世話をしていた
だいている大島さんの結婚式の二
次会で冒険家九里徳泰さんに韓国
のことを聞くと、
「昔、
ローリー
(イ
ネステーラー)と一緒に下ったこ
とがあるけどあまりいい川ではな
かった。山も低いから水量も少な
いよ。」と期待していた返事とは
違っていた。それから数日後、
新宿
にあるアウトドアスペース風魔へ
行き、橋目さん(背の高いお姉さ
ん?)に韓国情報を尋ねたところ、
r一週間前に韓国のカヤッカーが店
に来て(それはホンさんだった)
、
名刺をもらったんで連絡レてごら
ん。英語が少し話せるよ。
」という
のですぐに手紙を出したところ、
すぐに返事が返ってきた。
サポートしましょう。以上3つの
コースをすべてこなすのには1週
間かかります。いらっしゃるのな
ら、キャンプ道具と個人装備が必
要です。
また、
カヤックやラフトを
貸す事もできます。私と連絡した
ければこの番号へ電話してくださ
い。できるかぎり君たちに会いた
いです。
追伸、橋目さんによろしくお伝え
ください。 ホン グンピョ より
手紙とB1ue Wave KayakC1ub
手紙の内容
のパンフレットが送られてきた。
後藤寛明さん、あなたから手紙 そのパンフレットの写真にボール
をいただいて驚いています。いつ、 ペンで川の名前とホンさんの名前
韓国に何人来るのかおしえてくだ が記されていた。すぐに部長の滝
さい。韓国にはきれいな川がたく 川へ運絡し、俺の独断を語った。
さんあるので、いらしてください。 「東江にしよう。グレード2∼3で
気に入るとおもいますよ。
しかも72 Kmとツーリングには
1、漢灘江(ハンタンガン)
ちょうどいい。そして時間が余っ
(ソウルから車で2時間 たらハンタン川へ1day ラフトを
コースは13kmでグレード2-4) し、1週間観光して帰国後四万十川
2、東江(ドゥンガン)
へ直行しよう。
」と納得させた。次
(ソウルから車で5時間 の日の午前中に手紙に書いてあっ
コースは72kmでグレード2-3) た連絡先に国際電話をいれると、
3、ニアリン川(ニアリンチャン) リーさんという人が電話にでた。
(ソウルから車で4時間 「ホンさんは英語が苦手で、しかも
コースは30kmでグレード2-3) 夜から朝まで仕事をしていて日中
「ガン」
とは大河を意味し「チャン」 は寝ているので私が連絡役をして
とは小さい川を意味するらしい
くれと頼まれました。
」と流暢な英
もし君たちが韓国へくるのなら、 語でしゃべった。ホンさんは眠ら
123
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
荷物満載。おいっ!だいじょーぶかよこんな
んで。しかも、だすんだわ、スピード。
ない市場である南大門市場(ナム
デモンシジャン)で仕事をレてい
る。あとから聞いた話では、
リーさ
んはホンさんの友人で昔、オース
トラリアで数年仕事をしていたら
しい。
だから英語がペラペラで、
聞
き取るのに少し苦労した。我々の
スケジュールを伝え、出発前に再
び連絡すると伝えた。
それから、メ
ンパーの名前と血液型、緊急連絡
先、装備リストをFAXで竹田の家
からリーさんのもとへ送信し、手
紙の返事と我々が韓国で何をやり
たいのかというはっきりとした趣
旨と地図を送っていただきたいと
という内容の手紙をホンさんのも
とへ送った。
ロールマットを敷いてシュウマイ
をつまみに酒をのみだす。そうす
ると出発までの4時間はあっとい
う問に過ぎてレまうのだ。そして
電車に乗り、なんども乗り換えを
して下関駅に着いたのは8月10日
の夜8時過ぎであった。
(通勤通学
時の車内にラフトを持ち込むのは
毎度のこと大変ご迷惑をおかけし
ます。)でその夜、関釜フェリー
ターミナルの場所を確認し近くの
お好み焼屋でメシを喰って、下関
駅前のパスターミナル上の広場で
ピバーク。8月11日は駅構内の食
堂で和定モーニングを食べ、漁港
へ散歩しに行き、
ボケッとする。
昼
過ぎにデパートでおみやげの日本
酒を買ってフェリーターミナルヘ
出発の日に再び電話すると 移動。6時30分にフェリーは出航
釜山港に迎えに来た時に顔がわ した。フェリーの中にはセサミス
からないのでネームカードを作っ トリートのビックパードみたいな
ておくようにと言われ、
その時、
地 担ぎ屋のアジュンマ
(おばさん)
が
形図はないという返事がその日に 2等船室を仕切る。そして、我々に
あったため、韓国でなんとか代わ 向かって何かを言った。言ってる
りのもの手にいれるしかなかった。 ことはわからないが場所を譲って
8月9日、昼の1時に部室に集合し、 くれた。
そのかわりに「釜山へ着い
荷物、
装備のチェック。
そしてビン たらウォークマンを持って税関を
ボー大学探検部愛用の18きっぷで 通ってくれ。
」という。そんなこと
東海遺線の23時58分品川発大垣行 して見つかったら入国管理法違反
きに乗るために、品川駅のホーム で捕まっちまうぜと恩を仇で返す。
に着いたのは20時で席をとるため 同じ区画にいた、日本旅行を終え
に荷物を置き、我々はホームに て帰国するアジョッシ(おじさん)
124
と一緒に話をした。日本の物価の
高さとか安重根(アンジュングン)
のこと、
豊臣秀吉の朝鮮出兵、韓国
のインスタントヌードルでは何と
いう銘柄が安くて旨いのか(我々
にとってはかなり重要なことだ)
、
朝鮮戦争、韓国観光の見所など夜
遅くまで続き、時にはかつての日
本の植民地支配の話にしんみりと
した。対日感情をナマで聞くこと
ができた貴重な時間だった。翌朝、
釜山の税関を過ぎたのは丁度9時
だった。ホンさんがプロテックの
ヘルメットを持って迎えに来てく
れ、我々は怪しいものを持ってい
るのでお互いにすぐにわかった。
そして総重量100Kg以上の我々4
人の荷物が4WD 乗用車のキャリ
アーの上に粗大ゴミのように積ま
れ、ラッシングペルトで縛られ、
バーからはずれた荷物はルーフを
へこましている。そしてハイウェ
イを時速160Km、車間距離約30m
でソウルヘ向かう。かなりのス
ピードなのでブレーキをかけると
きは必ずハザードをだして減速す
る。途中パーキングヘ3回よってキ
ムチ入りうどんなんかを食べる。
日本のパーキングとさほど変わら
ない。車内から悠々と流れる洛東
江(ナクトンガン)
を見るがあまり
きれいではない。ソウル郊外に近
定員オーバーの為、弱者はカーゴ
スペースで耐えるしかないのだ
ずくとどしゃぶりの雨と渋滞に見
舞われ、車の上の荷物が心配だっ
た。そして、
ブルーウェーブカヤッ
クチームのクラブハウスがあるハ
ンタン川のほとりへは、北緯38度
線を越えるので検間を3ヵ所通る。
軍服を着て、ライフルを構える兵
士が北朝鮮のスパイか、厳しい兵
役から逃げ出してきた者かどうか
を調べる。クラブハウスに着いた
のは夕方6時を過ぎていた。そこ
で、ダンサー、コルシカ、ピロェッ
ト、セイバーなどカヤック6艇を車
3台に積んで東江へ向かう。途中、
検問を5ヵ所通過したがそのうち
の1ヵ所だけなぜか緊迫した様子
で、ホンさんが「パスポートを用意
しろ」と言ったときには少し汗を
かいた。
しかし、
ホンさんだけ免許
証を見せただけで我々はパスポー
トの提示を求められなかった。夜9
時頃、サムゲタンを食べに食堂へ。
日本では土用の丑にはウナギだが、
韓国ではサムゲタンをたべる。と
りあえず数種類のキムチが先にだ
され、それから20分位たってから
サムゲタンがやっとでてきた。白
いスープに若鶏が丸ごと1匹入り、
腹の中にはモチ米、あんず、栗、高
麗人参などが詰まり、いかにもス
タミナがつきそうな食べ物で、辛
くなくてとてもおいしい。そこで
ジンロ
(焼酎)
を飲むとほろ酔いに 「ゴトーさん、Dong −gun is なり、再び車に乗りこむときには sometimes danger,but sometimes
睡魔に襲われ、ホンさんに起こさ no Prob1em。」「リパーレス
れ気がつくと見知らぬ街の道路の キューで使いたいものがあれば何
路肩に車は止まっていた・時間は か貸すよ」というので50m のス
夜中の2時。
食料調達のため雑貨屋 ローロープとプーリー(滑車)と
のシャッターを無理やり開けさせ フック(クライミングで使う)
、カ
た。店の人は迷惑している様子が ラビナ5個にテープスリンクを借
全くないどころか、眠そうな様子 りた。
「ホンさん50mもロープなげ
すらなかった。そこでピンボーな れるのかよ。韓国人はパワフルだ
日本人学生はたくさんのインスタ なあ一。
」と感心した。そうして20
ントラーメンを買い込んた。そし 分後にやっと飲み会の仲間に入り、
て、午前3時過ぎにスタート地点の 1時間程盛り上がったあとに眠っ
ガソリンスタンドに到着し、飲み た。
会がすぐに始まった。俺は楽しそ
うな飲み会を横目に、ホンさんと 出発はチョンソン、北緯37度21分から
車のなかで東江下りの注意事項の (day 1 )
確認をする。
「危ない瀬は必ずスカ 朝7時に起床。小雨で少し霧がか
ウトしろ、渡し船のワイヤーは触 かる。ガソリンスタンドは小さな
るな。ソガリというシマの入った ドライブインであることがわかっ
魚が釣れるかもレれないがトゲを た。俺が寒くて震えていたのを見
もっているので触るときは気をつ はからってくれたのか、ホンさん
けろ。
」そしてロードマップを目の は俺にコーヒーをごちそうしてく
前で破き、2枚手渡してくれた。そ れた。
起きているのは二人だけ。
川
の地図にアマゴやきれいな水がと を見下ろすとたこ糸を巻いておく
れる沢の場所、銀行や雑貨屋の場 棒のようなものにテグスが巻いて
所、白竜洞窟や、美しいアラヤン ありたくさんの針がついている仕
峡、高氏洞窟の位置を書き込んで 掛けを川の下流へ流し、手で引っ
くれた。
「たくさんの村があって、 ばって魚を引っかけて取っている
人もやさしいし、水も沸かせば飲 人がいる。ホンさんに聞くとこの
めるから。
」そして、車の中でさん あたりではポピュラーな魚の取り
ざん言っていたことをまた語った。 方だという。みんなを起こし、
朝メ
125
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
準備OK。さあスタートだ。
ホンさん達には、本当に世話
になりっぱなしだった。釜山
港に着いてからここまで、
我々はただおとなしく車に
乗っていればよかった。
シのカップうどんをたべるために
お湯を沸かしている間にラフトを
膨らまし、カヤックを組み立てて
いると地元の人達が2,3人来て
「な
るほど、
フムフム」という様子で見
つめ、組みあがったフネをポンポ
ンとたたいた。
食後、
フネを川に下
ろして始めて水の色を見た。なか
なかきれいではないか。水量も多
く、魚もたくさん群れている。そし
て、断崖絶壁の岩山のダイナミッ
クさを見て圧倒された。
「なんとい
うところを流れているんだ!こん
なところはじめてだぜ。これはい
けるぜ。
」そして待望の出発!流れ
が早く、
1分も経たないうちにいき
なりクラス3の瀬に突入、後ろを振
り返るとラフトもガンガンに水を
かぶっている。
水量も多く、流れも
早く、
水も冷たく、
しょっぱなから
こんなんだと先が思いやられると
感じたのは俺だけではなかった。
その瀬をやり過ごすと巨石がごろ
つき、右岸の崖にラップしそうな
危険地帯を左寄りのチキンルート
で逃げ下るとやっとゆったりした
流れになり、景色を見る余裕がで
きた。雨は小雨程度で降ったり止
んだりして天気はイマイチだが、
下っていくうちに霧は薄れ、岩山
に低い雲がかかっている中を進ん
でいく光景はまるで仙人になった
126
ような気分で幻想的だ。ドゥンガ にある大きな木の下で雨宿りをし、
ンは、ほとんど右岸が険しい山や 彼等から頂いた桃と饅頭をたべな
断崖絶壁で左岸が河原というパ がらドゥンガンのことを聞いた。
ターンである。岩山に必死にしが 「ヨンウオルから下流にダムが3つ
みつく木々は遠くから見ると、無 あって、それを越えるのは大変で、
造作に振りかけられた青のりのよ おまけにヨンウォルは大きな町で
うで、所どころ岩肌が顔を覗かせ 生活排水が入ってくるのでとても
ている。スタートしてから1時間 クサイからヨンウォルで終えるべ
後、ブルーウェーブの人達と別れ きだ。
」さらに続けて、
「今日は我々
た。彼等は明日仕事があるので届 のOB会なんだ。鶏5羽を2万ウォ
らなけれぱならないのだ。
「EnJoy ンで買ったので1羽分けてやるか
slow padd1ing!」と言われ、彼 ら食べに釆い。今日の我々のキャ
等の後ろ姿が消えかかる頃、雨が ンプ地はここだ。
」と地図に指で差
強くなってきた。
それから1時間後 し示してくれた。
「俺達はs1ow ぐらいだろうか、
我々は2艇の異様 padd1ingだからそこまで行けるか
なブラックラフトに遭遇した。話 どうかわからない。行けたらごち
を聞くとトング大学洞窟探検部の そうになります。
」と言うと、
「我々
部員だという。俺はヒゲをのばし は先に行って待っているからゆっ
ていたからか、OBに間違えられ くり漕いでこい。それではまた会
た。1艇のラフトは現役生が乗り、 おう。
」と言って再びポートに乗り
もう1艇はOBが乗り、おまけに 込んで出発した。
しかし、
彼等はあ
モーターが付けられている。瀞場 まり来てほしくないような雰囲気
になると2艇は合体して、爆音をた を醸し出していたので、我々はど
てて進む。うちらのラフトも一繕 うしようかと悩んだ。とりあえず
につなげてもらい、どしゃぶりの 行ける所まで行こうということに
雨の中一人だけ除者の俺は抜かさ なり、彼等の誘いを忘れてダラダ
れまいと一生懸命漕ぐが最後に抜 ラと進んだ。それから4時間後、岸
かされた。お昼頃に上陸したのは、 で彼等が手を振っているのを見て、
増水して茶色に濁った支流の流れ せっかくだからお言葉に甘えて上
込みだった。トング大学の連中と 陸しようということになった。テ
一緒に、廃校になってしまったよ ント設営後、我々は斜面につくら
うな寂しい小学校の校庭の隅っこ れた床の抜けそうな東屋に座らさ
スタート直後の瀬は、正直なところ我々を
少々ビビらせた。最初からこれでは先が心配
になった。しかし、その後はたいした瀬もな
く実にのんびりムードただようツーリングと
なった。
れる。
そこは食堂なのか、
それとも
普通の家なのかよくわからない。
東屋は木陰の下で、川を見下ろす
ことができるので食事もおいしく
食べられそうだ。とりあえず数種
類のキムチが。そして数分後に大
皿に茄られた鶏がテーブルに運ば
れ、小皿には生の青唐辛子や生に
んにく、サンチュ(サニーレタス)
にコチュジャン(唐辛子味噌)
、生
たまねぎなどがある。
おまけに、ジ
ンロ(焼酎)まで出して頂いたの
だった。鶏の骨までしゃぶるよう
に食べ終わってから、酒を飲みな
がら話をした。家の主が早くかた
ずけたそうに見ているので、きち
んとお礼を言ってテン場に戻った。
少し早すぎた夕飯に腹がいっばい
で、みんなロールマットを敷いて
横になったまま、眠ってしまった。
日本語が話せるおじいさんに会った
(day 2)
朝メシはインスタントラーメン
を食べた。トング大学の人達は食
料が余ったらしく我々にインスタ
ントラーメン5,6袋とでかいポー
クランチョンの缶諸をブレゼント
してくれた。彼等は
「今日はここで
上陸して、OB会は終わる。
」と地
図に指をさし、
「一緒に同じ場所で
川下りをやめよう。夜はそこで
「そこにア
泊って明日の朝一緒にソウルヘ帰 予定だと彼に告げると、
ろう。
」
『そう言ってくれるのはう マゴがいるのは僕も知っているよ。
れしいし、メシもごちそうになっ アマゴやイワナは韓国には江原道
たし、
とても感謝しています。
しか (カンウォンド)にしかいないの
し、スローパドリングの俺達は彼 で、釣っているとこ見られたら罰
でも、
日本人だから
等にはついていけないし、それに 金取られるよ。
もっとのんびりしたい。あくまで 知らなかったと言えば許してくれ
」
「行きの車の中でホン
も下るのは俺達なんだ。
』と我々は るだろう。
考え、
「俺達にかまわずに行って下 さんが夏休み、江原遺にある奥さ
さい。いろいろありがとうござい んの実家に遊びにいき、近くの川
大
ました。
」と告げて彼等と別れた。 でアマゴを5,6匹フライで釣り、
しばらくタパコを吸いながら河原 物は32mもあり、塩焼にして食べ
でゴロゴロしているとスタート地 たら美味しかった。川の魚はアマ
点で会った人がやって来た。ラフ ゴが一番うまいと自慢し、罰金取
トのツアーサポートをしていると られるなんて言っていなかった。
いう。
すると、
軍服を着た人が二人 ホンさんはウソつきだ。」と言う
やってきて何かを言って去って と、彼は爆笑し「韓国では日本人だ
いった。彼が言うには、
「彼等はポ から知らなかったといえば何をし
」とジョークをとばし
リスで、ここでキャンプをしては ても大丈夫。
いけないと言った。ここは水源地 た。すると彼がサポートしている
でこの場所から水を取って山をひ ラフトが休憩のために上陸した。
とつ越えたところにある町の飲料 彼と会うことはもうないだろうと
水にしているのでノーキャンピン おもったが、「またどこかで会お
出発しようと
グなんだ。でも、
君達はすでにテン う」と言って別れた。
トを撤収してしまっているし、た した時にさっきのポリスがやって
とえキャンプしていたとしても日 きた。何かを言うのだがよくわか
本人だから知らなかったと言えぱ らないので、地図を引っぱり出し
きょうはここ
大丈夫だ。もしキャンプしていれ て「今はここにいて、
でキャンプする予定だ。
」と英語で
ぱ罰金をとられるのだけど、うま
く言い訳をしてあげたので心配し 言うとフムフムとうなずいてくれ
ないで。
」今日はアマゴが釣れる支 た。
流の流れ込みをキャンブ地にする 韓国はアウトドアブームなのか
127
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
トング大学探検部の方々。
なんと、エンジン付なのだった。
河原にはカラフルなテントがたく と日本語で言うので
「はあ一」と驚
さん張られ、水遊びを楽しんでい きの余り口に出してしまい、
「そう
る。直線距離は1kmだが約9km です」
と答えると「私は大東亜戦争
蛇行している区間に入る。途中、
左 時代に日本語の教育を受けました。
岸に小さな滝を発見し、上陸した。 ゴハンを食べていきなさい。さあ、
岸から30m位のぽっていくと冷た 座って。
」こんな山奥の田舎で日本
くてきれいな水が落ちている。喉 語が聞けるとは思ってもいなかっ
を潤し、座禅を組んで滝に打たれ たという驚きの反面、こんな長閑
たが冷たくてじっとしていられな なところにまで日本語教育が及ん
い。そこから見下ろすと岩山の間 でいたなんてと当時の日本の帝国
を縫って悠々と流れるドゥンガン 主義の脅威さを知った。小魚と
は美しく、しばらく景色に見とれ じゃがいもなどが入ったキムチ鍋
た。とてものどかなところで、川の と小魚を油で揚げたキムチ(小あ
浅瀬には牛が5,6頭入り涼んでい じの空揚げ甘酢風のようなもの)
、
る。フネで3m近くまで接近すると ごはん、
とうもろこし、スイカなど
見知らぬ侵入者をじっと
をだしてくれたのだ。小魚は骨が
見つめている。するとドボドボと 多く、
川魚独特の匂がしていた。
お
糞を川に落とし糞が流れてきたの そらくオイカワやハヤだと思う。
で慌ててそこから逃げた。蛇行区 おじいさんも、あの引っかける仕
間を抜けると昼近くで、家が2,3 掛けをもっていたからだ。とうも
件見えてきたので上陸し、お茶を ろこしは白い粒で、モチモチとし
飲むために水をもらいにいく。近 た歯触りをしていて甘くはないが、
くにいた人に「ムル、チョセヨ」と 初体験の食感に新鮮さを感じた。
言うと井戸まで連れていってくれ 「若いのだからもっと食べなさい。
」
た。しかし、
ポンピングしても水が と言うのでお腹いっぱいになるま
でないので別の井戸に案内しても で食べた。
」好意的に接してくれた
らった。お茶を飲みながら休んで おじいさんは地図上に危険ポイン
いると、河原に張られたテントか トを示してくれた。
「この辺りは昔
ら我々に向かって手招きしている から船運の難所で、ひっくり返っ
人がいるので行ってみると、なん て何人も死んでいるので気をつけ
とそれは日本語が話せるおじいさ て行きなさい。
」おじいさんは我々
んだったのだ。
「日本人ですか?」 が出発するまで近くで見守り、最
128
後に再び「気をつけていきなさ
い。」と手を振って見送ってくれ
た。それからしばらくは歯のすき
まに引っかかった小魚の小骨を気
にしながら漕いでいった。
アマゴの釣れる支流の流れ込み
に到着し近くの人に地図を見せる
と、その人は「もっと下だ。
」と言
う。地元の人がそう言うのならと
下流に進むが、やはり間違えてい
たようだ。楽しみにしていたアマ
ゴ釣りはできなくなってしまった。
予定キャンプ地から2Km下流に
ある渡し船の船着き場のそばに
キャンプ地を変更した。小腹がす
いたのでインスタントラーメンを
食べて、ロールマットの上でポ
ケーとして横たわっていると、み
んないつの間にか眠ってしまった。
夕方、辺りが騒がしくなったので
起きると、出発したときに見たラ
フトツアーの一行が我々の目の前
でテントを張っているではないか。
そして、川の水で米を研ぎサンチ
ユ(サニーレタス)を洗っている。
しばらくするとあのラフトのサ
ポートの人が来た、
「どうしてここ
に?」
「テン場を間違えた。
」と言う
と大笑いされた。彼等のタ食が済
むとメシを喰えと言われ、残り物
をごちそうになった。ごはんと白
菜キムチにカニキムチ、サンチュ
ちょっと一服している間に裸人出現。
油断は禁物だ。
とモヤシのスープだ。我々が一通
り平らげると、日韓友好宴会が始
まった。チョンチュンホと名乗る
おじさんに我々は捕まり、ソジュ
(焼酎)をたくさん飲まされた。
チョンさんはかなり酔っ払い「オ
レは千葉でタイル張りをやってい
たことがあるんだ。コーリアンキ
ムチイズNO.1!」といいながら
こぶしを股間から天空に向かって
ガッツポーズを連発!!そして釣
りエサで使うとてつもない臭いを
放っているサナギの缶詰と生の青
とうがらしをコチュジャンにつけ
て食べさせられ、チョンさんは
我々が嫌々食べているのを楽しそ
うに見ながら、精力がつくぞと
ガッツポーズをきめまくる。そし
て、チョーヨンピルの
「釜山港へ帰
れ」をみんなで合唱した。
「君達は
お客さんだから、どんどん飲んで
どんどんタパコ吸いなさい。
」儒教
の国のもてなしは半端じゃなかっ
た。日本語とハングルが夜の河原
に飛び交い、わからないことは俺
の隣に座っているサポートの人が
英語で訳してくれた。
「Don’t make a pizza。
」
(ゲロはくなよ)
と言われた滝川は酔ったまま川へ
飛び込むので竹田が慌てて引っ張
り上げ、
1年生の掘内は体育座りの
まま眠っている。チョンさんは他
の人に抱き抱えられてテントヘ運
れていかれた。残ったのは俺と竹
田とサポートの3人で、
「ツアーで
使用しているラフトは何という名
前の船なのか?」とか、
「この辺り
は伝統的な韓国の農村社会だ。
」な
どと話していると再びチョンさん
が大声をあげながらやってきたが、
テントヘ連れ戻され、しばらく
チョンさんの寄声がテントから静
かな夜の河原に響わたり、エキサ
イティングな飲み会の幕は閉じた。
鉛付き場で (Day 4)
ニ日酔いでぐっすり眠っている
と「メシ喰え」
と無理やり起こされ
た。あれだけ飲んだチョンさんは
正気になっていた。
「昨日は失礼し
ました。
」とにっこりしながら頭を
下げた。彼等のツアーは今日が最
終日なので、残りの食料を置いて
いってくれた。瀬の入口までカ
ヤックに乗って彼等を見送った。
その日、
我々はこの場所に1日ゆっ
くりすることにした。渡し船の主
人は片手がなく、川に渡されたワ
イヤーを脇で抱え、もう片方の手
でワイヤーを引っばりながら鉄製
のボートを対岸から対岸へと食料
品や人、
牛を運んでいる。渡し船の
お客さんはキャンプをする人達と
夏休みを利用して帰省する人達で、
渡りたい人は対岸から「アジョッ
シー」
(おっさ一ん)と叫ぶと主人
が近くの家からてくてくと歩いて
出てくるという仕組になっている。
主人は我々がテントを張っている
場所から50m程離れたとうがらし
畑を抜けた所に住んでいて、小さ
な雑貨店と思わしきものもやって
いる。店の中は薄暗く、お菓子や
ジュース、ソジュ、
ホコリを被った
シャンペンなどが置かれている。
たった2日しかそこにはいなかっ
たが店のアジユンマ
(おばさん)
に
水をもらいに行ったりもして少し
仲良くなった。夕方、毛針を振る
と、オイカワがたくさん釣れすぎ
ておもしろくなかった。
その夜、
ト
ング大学から貰ったポークラン
チョンをぶち込んだカレーを作っ
て食べた。
堀内、裸人デビュー
in Korea (Day 4)
朝起きると、1人の男が近づいて
きた。パラグライダーのインスト
ラクターをやっているといい、明
日からラフトでヨンウォルヘ行く
という。彼は韓国風お好み焼と
ビールをもってきてくれたので、
朝から少しほろ酔いになる。おじ
いさんから聞いていた危険ポイン
トについて尋ねると
「波が高く、
水
129
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
ソウルのバスはなかなか止まってくれない。
満員だと通過してしまうのだ。
1時間近く待
たされ、すわりこむ我々。
中央の帽子のアジョッシはソウル観光のガイ
ドを買って出てくれたホンさんのカヌークラ
ブの方。
ちなみに、
「アジョッシ」とは「おにいさん、
おじさん」などという意味。
がたくさん入ってきて危険だよ。
でも君達なら大丈夫。
」彼と握手を
交わし、出発した。しばらくする
と、掘内がラフトの上でスッポン
ポンになり、我がクラブ唯一の裸
人ぶりを韓国でも発揮している。
彼にはしゅう恥心というものがな
い。どこで脱ごうとお構いなしだ。
水がだんだんきれいになり、村
がなくなり、鳥と川の音しか聞こ
えない。たまに聞こえるのは我々
の声で、断崖絶壁に反響するので、
遠くで何を言っているのか分かる
ほど声がよく通る。崖の木々にシ
マリスがスルスルと登っていくの
を何度も見た。滝川は河原でリス
に小便をかけてしまったというで
はないか。川でリスを見たのは初
めてだが、こんなにたくさんリス
を見かけるのは自然が色濃く残っ
ている証拠だ。
否、これが自然なん
だ。開発の手が及んでいないんだ
と実感した。川の真ん中に巨石が
あり、そこを抜けると左岸に誰の
足跡もない真っ白なサンドビーチ
を発見。時間は昼の2時で、スター
ト地点から3Kmしか進んでいな
いが、
ここに泊ることにきめた。
川
にいながらシーカヤックでプライ
ベートビーチを見つけた気分だ。
我々は上陸するや否や裸の掘内を
寝かせて砂で埋め、股間の部分だ
130
用して突入し、
難なくクリア。アラ
ヤン峡を抜けると村が現れ、河原
にテントがたくさん見えてくる。
川でスキューパダイビングをして
いる人達もいる。右側の断崖に
ポッカリと洞窟があいていて、入
口にはな皆かアジュンマが3 人
座っている。どうやってここまで
来たのだろうか、対岸からは50m
はある。こんなところでケービン
グができるなんてと、入口に上陸
し、ヘッドランプをもって奥へ入
る。洞窟内は、冷たい水が流れてい
て、かなり奥まで続いている。20m
位行くと水深が深くなり、天井も
低くなっている。水の冷たさに我
慢できず、このまま進むとハイポ
サになりそうだったので断念した。
ヨンウォルへ (Day 5) 誰か今度、きちんとした装備で突
プライペートビーチを離れるの 入してください。報告特っていま
はとても惜しかった。出発して右 す。ドゥンガンは夏に水が多いら
鮎釣師もいないので、
日本と
カーブを過ぎるとウワサの危険ポ しく、
イント、アラヤン峡へ突入!巨石 正反対でとても快適だ。おまけに、
が川をふさぎ、とても風光明媚な 日本と同じような雰囲気で、もの
ところで断崖絶壁を見上げながら すごい田舎の中を流れている。
(ハンガン)の支
下る。しかし流れは早いが水面は ドゥンガンは漢江
流の1つであって、
下流にはいくつ
フラットだ。アラヤン峡の出口は
もの巨大なダムで寸断されている
長さ50mほどの瀬になっていた。
もしかして危険ポイントってここ ことを考えると河口近くまできれ
かよ。スカウトしに行くと岩が多 いな四万十川は素晴しいと思う。
いグレード2の荒瀬で最後に隠れ しかし、四万十川流域の村よりも
岩があった。一応ヘルメットを着 遥かにに田舎だと感じさせるのは、
けは埋めずにさらしカリ首の刑に
して、砂や水をおもいきりぶっか
けてやる。裸になった罰だ。数分
後、拷問から解放された掘内はそ
のまま違くへ消えていった。どう
やら、拷間が快感になってしまっ
たようだ。
ビーチで砂山を作ったり、岩や
砂で港を作りそれに波を起こして
崩す津波ごっこをしたりと、とて
もじゃないけどハタチそこそこの
人間が絶対にやらないような遊び
をした。
そして、
汗を掻いては川へ
飛び込み、日燥けをしては川へと
そんなことを繰り返した。その夜
はテントを張らずに4人並んで満
天の星空を見ながらビパークした。
出発前の面子。この10分後に濁流の中に
投げ出されることなど、誰も知らない。
絶対にドゥンガン流域の村々であ
るといえる。ヨンウォルに近づく
と護岸されているところが目立っ
てくる。下水処理場の排水口らし
きものが見え、町の気配を感じた。
左岸からメチャクチャきれいな川
が流れ込み、そこを遡行し、
橋の挟
からムリヤリ上陸してリパーツー
リングを終えた。さっそく町へ繰
りだし、銭湯へ行き、シジャン(市
場)へ食料を買いに行った。
(Day 6,7)
銀行へ換金しに行き、町をぶら
つき、駅で竃車を予約し、リーさ
んに電話をいれる。風呂に入った
後に鶏カルビを食べに行き、喫茶
店で寛ぐ。翌朝、
ヨンウォル駅から
トンイル号で清涼里(チョンニャ
ンニ)
駅へ。
ホンさんが車で駅に迎
えに釆てくれ、そのままクラブハ
ウスヘ。
明日、
ハンタンガンをラフ
トで下るのでスカウトしに行くと、
1週間前に見た川想は一変してい
た。茶色の濁流が沈下橋をオー
パーフローしていた。濁流を一目
見たとたんに昨年の9月17日に事
故を為こした大増水の岩手県安家
川を思い出した。
「ここは今グレー
ド5だが、
この水量だと少し下流に
クレード6になるところがあるん
だ。アブローチできないので、そこ
を見るためには下らないと見に行
くことはできない。
」とホンさんが
言う。
グレード6なんて今まで見た
ことがない.できれば見てみたい
が、見にいったら死ぬなんて言う
のだからどうしようもない。グ
レード6というのは本当なのだろ
うかと疑った。
しかし、
目の前の瀬
はものすごかった。ウイリアム
ニーリーの「KAYAK]の巻末に出
てくるbrain waveとか爆発波とか、
まさにあの本の数種類もの波のオ
ンパレードであった。
「この水量で
ここをカヤックで下れる人は韓国
には1人しかいない。
」とホンさん
が言う。竹田は「RV(探検部愛用
ラフト)で下れそうじゃん。
」なん
て言うので「なにパカなこと考え
てんだこのアホ!!RVじゃ小さ
すぎるよ。沈したことのない人間
はこれだから困る。確かに竹田は3
年間不沈伝説を築いてきてはいる
が、それはたまたまラッキーだっ
ただけで川下りが上手ということ
ではない。そういうヤツに限って
川読みを疎かにするんだよ。川読
みは俺にとって否パドラーにとっ
て永遠不滅の課題なんだ。おまえ
のそのイカレタ脳細胞の1つが重
大事故を生みだすんだよ。不沈伝
説は確かに尊敬に値するがそれは
君の実力ではないんだ。下るとす
れば完璧なレスキュー体制の下で
だ。それに、グレード6を下る上で
完壁なんて言葉はこの世に存在し
ない。おまえはどれだけリパーレ
スキューを知り、実行できるんだ。
俺はこんな状態では何もできない
し、なにより下る実力がない。おま
えはエキスパートか?口達者にな
るのなら下ってからにしろこのど
アホ!」
と心底から思った。
竹田が
言葉を発してから数秒間のうちに
これだけのことが頭に浮かんだ。
俺は決して偉そうなことは言って
いない。逆にとても素直すぎるく
らいだ。この半端じゃない水量を
見れば俺の考えに共感する人は少
なからずいる。
しかし、
世の中には
ただ者ではない人が存在するのが
現実で、もしかして竹田もそのう
ちの1人かもしれない。もしそうだ
としたら心の底から謝ります。
その夜、クラブハウスにはメン
パーが集まり、和やかな宴会に
なった。
女好きのチョイさんに「日
本の女の子は世界で一番カワイイ。
君たちのクラブには女の子はいる
の?カワイイ子いる?」と質間さ
れたり、
ヘタクソな日本語で
「日本
で芸者と一緒に寝るのはいくらか
かりますか?」と尋ねられたとき
は困ったが、
「3万円くらいだ」と
適当に答えた。そんなの知らない
131
韓国の清流を下る
韓国の清流を下る
でかいフネだ。
のりごこちはロイヤルサルーン並
よ!
らラフト外すのを試みずにいち早
く脱出!リバーガイドホンさん
クレージーガイド Mr。ホン しっかりしてよ。ラフトは2人に
ハンタンガンは危ないので隣の なったときにホールからはずれた
川に変更になった。そこはいつも らしく、
左岸に接岸。対岸にクルー
チョロチョロなのだが増水して下 が半分ずつ別れてしまったので
れそうなので決定したらしい。し 50mのスローロープをラフトに結
かし、沈下橋をオーパーフローし び、カヤックでフェリーグライド
ている。
クラブのメンパー誰1人も して右岸ヘローブを渡し、引っ
この川を下ったことがなく(いつ ぱってラフトを右岸に寄せた。
も水がないのだから当然だ)
、早朝 50mのスローロープはここで役に
スカウトに行ったところ大丈夫だ 立った。竹田の不沈伝説はここで
と言う。10人乗りのビックラフト 傷がついた。日本から出発すると
1艇とカヤック5艇の15人で下る。 きに「海外では何が起こるかわか
スタートして10分も経たないうち らないから、しっかりとしたPFD
にピックラフトはホールにはまり、 をもっていこう。
」と俺の半断はズ
くるくる回されてサーフィンさせ パリ的中し、
「あれだけの流れのな
られ、そこに女好きのチョイさん かでアメリカズカッブを着ていて
のカヤックが突っ込んできてラフ よかった。
」とみんなはありがたさ
トに激突!そのままひっくり返っ を感じていたが、そういう自分は
てラフトの下ヘカヤックが吸い込 5,6 年使って浮力の落ちたフェ
まれていった。
次の瞬間、体重移動 ザークラフトのツーリングペスト
の甲斐もなく川に放り出され、流 を着用していたのだが、ちょっと
されていた。ラフトに残ったのは 浮力が足りなかった。それから2,
女性2人で、残りの8人はみんな放 3mのエンテイを3つ越えた。スカ
りだされてしまった。俺のヘル ウトはリーダーのキムさんが15分
メットは水圧に耐えきれなかった ぐらいかけてセーフティールート
のか、流されてしまったが運よく を選んでくれた。岸から10mのと
拾ってもらった。掘内はメガネは ころを通れとか厳密なルートファ
残ったがメガネパンドを流された。 インディングだ。
しかし、
橋げたに
ホンさんはサーフィンしたときに 激突してラップしそうになったり、
真っ先にカメラを守り、ホールか クレージーガイドホンさんといい、
132
エライ危険なラフトツアーだ。ツ
アー終盤には2mのビックウェー
ブが3つ連続し、その波でサーフィ
ンをきめたのはクラブ最年少の高
校生で、韓国ナンパーワンジュニ
アカヤッカーだ。その波をやり過
ごすとツアーは終わった。韓国人
カヤッカーはクレージーでタフだ
なと実感させられた。
その夜、
クラ
ブハウスで豚カルビを食べながら、
ささやかな宴会が始まった。
それから1週間は観光をした。
ソ
ウルからプサンまで夜行列車で行
き、プサンの宿でテレビをつける
と、我々がさっきまで乗ってきた
線路は土砂崩れで埋り、電車は脱
線していた。そして漢江の水位が
10m以上も上がり洪水になってい
るではないか。プサンからフェ
リーで帰るときも台風が接近して
シケのなか日本へ帰国した。我々
はうまいこと韓国から逃げ帰って
きたのだ。そのまま家には帰らず、
下関から別府へ行き、フェリーで
宇和島へ渡り、四万十川へ向かっ
た。2日間、土佐大正の河原で疲れ
を癒したのだったが、まだまだ旅
は続くのであった。
我々からのお願い
我々は韓国ナンパーワンカヤッカー、
キム
さんを中心にロデオからラフトまでこなして
いるブルーウェーブカヤッククラブの全面的
なパックアップによってこのツアーを遂行す
ることができました。これは、我々と彼等の
互いの利益が一致したからだと思う。
なぜな
ら、我々はこれをきっかけに、韓国の川情報
を広げることができる。さらに、ブルー
ウェーブカヤックチームは日本で開催される
ロデオ大会の情報を入手するための伝を我々
に託すことができたからだ。なぜなら、韓国
内のパドラー人口は日本と比較して圧倒的に
少なく、
クラブ内で私的にロデオ大会を開い
てもあまりブラスにはならないかららしい。
しかし、大きな間題がある。我々は彼等のレ
ベルがどの程度なのか詳しくわからないし、
仮にロデオ大会の情報を送ったとしても外国
人選手の参加には一定の枠があり、
世界トッ
プクラスの選手が招待されるらしいので、
彼
等が参加するのにふさわしいのかは判断に苦
しむのだ。そこで、どなたかロデオに精通し
た方現地へ行って視察してきて欲しいので
す。情報を送ることはできるが、出場できな
ければ我々の行動は全く無意味なことになっ
てしまう。なんとかならないものでしょう
か。レベルはどうであれ、彼等は日本で開催
されるビックな大会から何かを学ぼうとして
いる。よろしくおねがいします
(会計報告)
帰りのフェリーにて。
右の美女は釜山の宿で知り合った
山内菊ちゃん。後藤の視線に注目。
国際電話代 5655円
写真 5920円
釜山までの交通費 40000円(下関港の港湾料含)
ドライブ中の食費 8400ウォン
ガソリン代 80000ウォン
ツーリンク中の食費 27300ウォン
ヨンウォルでの経費
ふろ代(2日間)15600ウォン
食事代 30000ウォン
嗜好品等代 15800ウォン
ヨンウォル∼チョンニャンニ問の竃車代 30000ウォン
*100円=約800ウォン
ウォンの0をひとつ取って1,25倍すると、円に換算
合計77462円 一人当り19365円
その他気が付いたこと。
日本で往復切符を買わないほうがよい。
帰りの切符は釜山港で購入
したほうが安いし、港湾料も安い。
(下関600円、釜山1000ウォン)
インスタントラーメンは200∼500ウォン。
(ノンシンヌードルが
安くてうまい。
)
缶ジュースは500ウォン、タパコ1箱700ウオン∼。
ホテルは1部屋に皆で泊ると安い。1泊5000ウォン∼。
ソウル∼プサン間に夜行列車があり、宿代が1泊うく。
カルビには種類があるので気を付けろ。
(牛、豚、鶏)
韓国ビールはあまりおいしくない。
ソウルの南大門市場(ナムデモンシジャン)にはアウトドアショッ
ブがたくさんあるがあまり安くない。
韓国は岩山が多いのでクライミングがはやっている。
大学の学食は安くてうまかった。大学周辺の喫茶店も安い。
韓国人日く、アウトドアするなら江原道(カンウォンド)
。
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