3章 イオン結合とイオン結晶 - 名城大学 農学部 有機物性化学研究室

3章 イオン結合とイオン結晶
ここでは、NaCl、Na2SO4 などのような原子および多原子イオンから成るイオ
ン結晶の生成、構造、格子エネルギー、物性の解説とともに、有機イオンやラ
ジカル電子を含むイオン結晶、イオン液体などを紹介する。
ラジカル - 不対電子を持つ化学種を「遊離基」
「フリーラジカル」
「イオンラジカル」と
言い、その不対電子をラジカル電子という。ラジカル電子の存在は、反応性、導電性、磁
性、生理活性、遺伝に密接に絡んでいる。
出典
復習
有機物性化学の基礎
斉藤軍治
物性化学
裳華房(s60 年)2章
松永義夫
化学同人(2006)
3章
(高学年向き)
元素記号を用いて物質を表した式(化学式 chemical formula)のうち、
分子を表記するのは分子式(molecular formula)(例:He, H2O, O2, C6H6)で、イ
オン結晶では各構成元素の最も簡単な整数比で表す(実験式 empirical formula
例:NaCl, NH4Cl、Na2SO4)。化学式を用いて化学反応(chemical reaction)を示し
たものを化学方程式(chemical equation)という。左辺に反応物(reactant)、右辺に
生成物(product)を書き、左辺と右辺で同じ種類の原子数は同じである。
2H2 + O2
→
2H2O
(反応式は→を用いる)
「同温同圧のもとでは、すべての気体は同じ体積中に同数の分子を含む」とい
うのが「アボガドロの法則」で 0℃、1.013×105Pa(パスカル)
(1気圧)で、6.0221×1023
個(NA, 凡そ 6×1023)の気体分子を集めると、その種類によらず 22.414 l(リット
ル、凡そ 22.4 l)となる。この粒子数を含む純物質を1モル(mol)という単位で
カウントする。基準は炭素で、炭素 12.0 g が1モルである。上の化学反応は、
2モルの水素と1モルの酸素が反応して2モルの水ができることを示す。酸素
原子1モルは 16.00 g、酸素分子1モルは 32.00 gで、物質量という。純物質
1モルの質量はモル質量(M
g/mol)で、分子の場合、単位を除いたのが分子
1
量(molecular weight)である。イオン結晶では実験式を用いた化学方程式が用い
られ、分子量の代わりに式量(formula weight)が用いられる。
化学反応で重要なのは反応物、生成物の前につく係数と熱の出入りである。
エタノールを燃やすと、炭酸ガスと水が生成するので
aC2H5OH +
bO2
→
cCO2 + dH2O
係数 a―d を化学量論係数(stoichiometric coefficient)という
炭素で
2a = c, 酸素で
a + 2b = 2c + d, 水素で
6a = 2d であるから,
a:b:c:d =1:3:2:3 となり
C2H5OH
+
3O2
→
2CO2 + 3H2O
である。熱の出入りを考慮した熱化学方程式(thermochemical equation)では、
反応物、生成物の状態が重要であり、化学式の後ろに気体(gas)g, 液体(liquid)
l, 固体(solid) s の記号を付ける(熱化学方程式は等号を用いる)。
C2H5OH(l) +
3O2(g) =
2CO2(g) + 3H2O(l) + 1366.7 KJ
1 モルのエタノール(液体)と3モルの酸素(気体)の反応により、2 モルの炭
酸ガス(気体)と3モルの水(液体)が生成し、1366.7 KJ の発熱を伴う。
イオン化傾向:2 つの元素のどちらがより酸化され易い(あるいは還元され易い)
か、つまり酸化還元反応における化学平衡がどちらに偏っているかの序列であ
る。イオンの溶液中での安定性や電気化学活量など化学平衡として反応が進む
方向を決定づける他の因子に大きく影響され、定量化は困難。(Li, K, Ca, Na)
> Mg > (Al, Zn, Fe) > (Ni, Sn, Pb) > (H2, Cu) > (Hg, Ag) > (Pt, Au) のよ
うに( )内のイオン化傾向は条件に依存する。貸そうかな、まああてにすな、
ひどすぎる借金。化学電池ではイオン化傾向の大きい金属が負極、逆が正極。
2
3.1)イオン結晶
3.1.1) 原子イオン間のイオン結晶
無機イオン結晶は、電子を出して安定な陽イオンとなる原子と、電子を受容
して安定な陰イオンとなる原子との間のクーロン静電引力が働いてできる結晶
である。各イオンは最外殻が満たされた安定な希ガス型電子配置をとる。代表
例は、周期表1族 Na(電子配置 1s22s22p63s1)と 17 族 Cl(1s22s22p63s23p5)から構成
される食塩(岩塩)で、3.1 式で表される。
Na +
Cl

Na+(1s22s22p6) +
Cl(1s22s22p63s23p6)
(3.1)
Na+は Ne 型、Cl-は Ar 型電子配置を取る。NaNa+のイオン化反応に必要なエ
ネルギー(イオン化ポテンシャル、Ip)は、5.14 eV である。一方, ClClにより 3.61
eV のエネルギー利得(電子親和力, EA)がある。したがって、3.1 式の右辺のイオ
ン対を形成するには 5.14  3.61 = 1.53 eV のエネルギーが必要である。結晶へと
凝集すると、異種イオン対間のクーロン引力、また同種イオン間のクーロン反
発の総和による安定化エネルギー(マーデルング・エネルギー,
M)が得られる。
岩塩の凝集エネルギーは約 7.9 eV で、3.1 式の右辺へ必要な 1.53 eV を凌駕して
いるので安定なイオン結晶となる。イオン結晶を得る第一の条件は 3.2 式である。
Ip

EA
<
M
(3.2)
Na+をさらにイオン化するには 2p 軌道の電子を剥ぐ必要があり 47.29 eV を必
要とする。生じる Na2+と Cl2-の間でのマーデルング・エネルギーは、3.2 式を
満足できないので、NaCl は1価イオン対で止まる。無機原子イオンから成るイ
オン結晶は、融点が高く、電気の絶縁体で、水などの極性溶媒によく溶け、電
解質として働く。中には、イオン伝導性に優れたものがある。しかし、これら
の性質に従わない多くの例外があり、また、有機-無機複合系イオン結晶や有機
3
物イオン結晶は次節で紹介するように、一般的性質を要約するのが困難なほど
多様性に富んでいる。
3.1.2) 多原子イオン、分子イオンを含むイオン結晶およびイオン液体
アンモニウム(NH4+)、フォスフォニウム(PH4+)、その水素原子をフェニル基
で置換したアニリニウム (C6H5-NH3+ )やテトラフェニルフォスフォニウム
[(C6H5)4P+]、またシクロプロペニル、シクロヘプタトリエニル(トロピリウム)な
ど多くの無機多原子陽イオン、有機陽イオンがある(図 3.1)。また、過塩素酸イ
オン(ClO4)、硫酸イオン(SO42-)、トリフルオロメチル硫酸イオン(トリフラート)
図3.1 有機イオンの分子構造
(CF3SO3 - )、燐酸イオン(PO43-)、などの無機多原子陰イオン、フェノラート
(C6H5-O)、p-トルエンスルフォネート(トシラートアニオン、CH3-C6H4-SO3, TsO)、
ピクラート(C6H2(NO2)3-O)、シクロペンタジエニル (Cp)などの有機陰イオンがある。
分子イオンが孤立した系(気体や希薄液体)では、余剰電荷は分子全体に非局在
化が可能であり、TsO、ピクラート、Cp 分子は電子余剰分子としての性質を示
す。しかし、結晶においてこの考えは成立しないことが多い。アニリニウム、
4
TsO、ピクラートが形成するイオン結晶では、これらの分子イオンの余剰電荷は
分子全体に非局在せずに、置換基の部分(N, SO3, O)に局在する。他方、Cp、
トロピリウムなどでは事情が異なり、余剰電荷の分子全体への非局在化が孤立
分子や結晶でも生じている。 シクロプロペニルは 2電子系、トロピリウムおよ
び Cp はベンゼンと同じ 6電子系で、(4n+2)個の電子の環は大きな非局在化エ
ネルギーをもつ安定な閉殻電子構造の分子であるというヒュッケル則に従って、
イオン結晶中においても非局在化は維持される[1]。
変わった物質として、アルカリ陽イオンを包摂したクラウンエーテルなど多
種多様なイオンが開発されている[2]。その中でも、融点が室温より低いイオン液
体が、蒸気圧が極めて低いので環境を汚さないグリーンな反応溶媒として、最
近注目を浴びている[3]。これは、エチルメチルイミダゾリウム(EMI)などのような
対称性の低い陽イオンを用いた塩である。
囲み 1
イオン液体:室温で液体であるイオン性化合物を言う。1914 年にヴァルデンがエチルアミ
ンと硝酸の反応でエチルアンモニウム硝酸塩(融点 14C)を得たのが最初で、1992 年に湿気
にも安定なイオン性液体 EMI•BF4 が発見されて以来、アルキルイミダゾリウム陽イオンと
無機および有機陰イオンよりなる多数のイオン液体が開発された。他にホスフォニウム、
ピリジニウムを陽イオンとしてイオン液体が多く報告されている。一般にイオン性化合物
の結合エネルギーは分子性化合物のものより大きいので, 融点を下げるため融解エントロ
ピーを大きくできるような非対称性成分分子がイオン液体に用いられる。蒸発エンタルピ
ーは大きいので沸点は高く、蒸気圧はきわめて低い。高いイオン伝導度(104~101 Scm1)
を示す。液体温度領域が広く、引火性が無く、粘性が低いことから、電解質、反応溶媒、
抽出溶媒への応用が期待されている(エントロピー、エンタルピーは 5 章)
。
囲み 2
ミセルと逆ミセル:石鹸、界面活性剤などの親油基と親水基を持つ両親媒性物質を水に溶か
すとある濃度(臨界ミセル濃度、critical micelle concentration , cmc)以上で親水基を外側に、
親油基を内に向けた球状会合体(球状ミセルと言う)を形成し、ミセルの中心に溶媒中の油成
分が閉じ込められる。これが、石鹸が衣服から油性の汚れを取り除く機構である。球状ミ
セルの濃度が増すと層状ミセルなどの構造に変化する。エアロゾル OT とも言われる図の
O
O
ような界面活性剤を無極性溶媒に溶かすと、親水基が内側にした
逆ミセルを形成し、球状ミセル内に水を含み、このミセル内部の水 C8H17OCCH2CHCOC8H17
SO3-Na+
の極性は普通の水とは大きく異なる。
5
囲み 3
クラウンエーテル:ペダーセンにより発見された環状エーテル化合物で、環内に様々の
アルカリ金属イオンやアンモニウムイオン(M+)をゲスト分子として包含する。包含さ
れる陽イオンのサイズと環の中央にある空隙サイズの適合性に依存した錯形成(ホス
トーゲスト化合物)が行われる。陰イオン(X-)は強いイオン対形成から緩和される。
従って、イオン結晶 MX はクラウンエーテルを含む無極性非水溶媒(多くの有機溶媒)
に可溶となり、X-は M+に強い束縛を受けずに存在するので、反応性が極めて向上す
る。このような陰イオンを naked anion という。生体内で、活性な naked anion を
生成することは危険であり、クラウンエーテルを飲取しないよう取り扱いに注意す
る。クラウンエーテルは、それを形成する原子数と環内の酸素の数で慣用名が決定さ
れる。18-クラウン-6 エーテルが
最も一般的に利用される。レーンは
クリプタンドを用い、3 次元包摂化
合物の化学を展開し、クラムは、こ
れらの包摂化合物(ホスト-ゲスト)
の化学を分子認識の視点で展開し、上述 3 化学者は 1987 年にノーベル化学賞を受賞
した。包摂化合物(クラスレート化合物)として、ヒドロキノンへのメタノール、Ar, Kr,
Xe の挿入、-シクロデキストリンへの中性分子の挿入、ヨウ素デンプンなどがある。
囲み 4
トロポロン:無色針状晶、融点 49~50C、シクロペンタンジオン-(1,2)をクロロフォルム中
で N-ブロムコハク酸イミドと煮沸して生じた臭化物を 100C に加熱すると得られる。この
合成法は、台湾大学に勤務中の野添鉄男(後、東北大教授)により開発された。野添は台
湾のヒノキ材に赤色の鉄(Ⅲ)錯塩として含まれるヒノキチオール(4-イソプロピルトロポロ
ン)の研究を通して、非ベンゼン系芳香族炭化水素、7員環芳香族化合物の化学を発展させ、
日本の構造有機化学の基礎をきずいた。
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チャールズ・ジョン・ペダーセン(Charles John Pedersen、1904 年 10 月 3 日 – 1989 年
10 月 26 日)はアメリカ合衆国の化学者。父親はノルウェー人で母親は日本人。母親は、朝
鮮で豆や蚕の貿易に携わっていた日本人一家の娘で、ヤスイ・タキノ。自身も日本名とし
て良男(よしお)という名を持つ。8 歳まで朝鮮で過ごした後、神奈川県横浜市にあるイン
ターナショナルスクールのセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに学んだ。
化学を学ぶため、1922 年(大正 11 年)にアメリカ合衆国に渡り、デイトン大学(オハイオ
州デイトン)で学位を得た後、マサチューセッツ工科大学(MIT)(マサチューセッツ州ケ
ンブリッジ)で修士課程を修了した。MIT の教授らは大学に残り博士課程を修めるよう薦め
たが、父親から学資を受け続ける生活を嫌ったペダーセンは実務の世界に移った。この決
断から数十年後にペダーセンはノーベル化学賞を受賞することとなるのだが、こうした経
6
緯から、ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物ということになった。
1927 年(昭和 2 年)、デュポン社で研究員として働き始め、65 歳で退職するまで、42 年間
にわたって同社に奉職した。この間、25 の論文と 65 の特許を残した。1967 年(昭和 42 年)
に発表された 2 本の論文では、クラウンエーテルと命名されたリング状の分子が安定した
構造を持つ金属イオンなど電荷を持ったイオンを捕らえる性質を持つことを明らかにした。
この発見は超分子化学研究の礎を築き、この論文は今日では化学論文の中でも最も偉大な
論文のひとつとみなされている。この発見の後にこの分野の研究を深めたドナルド・クラ
ム、ジャン=マリー・レーンとともに、1987 年(昭和 62 年)にノーベル化学賞を受賞した。
1983 年(昭和 58 年)に骨髄腫と診断され、そのため体は急激に弱っていったが、1987 年
(昭和 62 年)にはノーベル賞を受賞するため、病身に鞭打ちストックホルムまでの旅行を
敢行した。ノーベル賞受賞の 2 年後、1989 年(平成元年)に死去
ドナルド・ジェームズ・クラム(Donald James Cram, 1919 年 4 月 22 日 – 2001 年 6 月 17
日)は、アメリカ合衆国の化学者で、「自然分子の機能を模倣することのできる三次元分
子の合成」の業績により 1987 年度のノーベル化学賞を受賞した。クラムはチャールズ・ペ
ダーセンの画期的なクラウンエーテルの合成の研究を発展させた。ペダーセンの仕事はイ
オンや特定の金属原子を認識して、選択的に結合できるような、基本的には二次元の分子
を合成することだったが、クラムはこのような物性を持つ三次元の分子を創った。また、
三次元構造の相補性により様々な分子を選択して取り込みうる一連の分子を設計した。彼
の仕事は後に、特徴的な構造に基づく特別な振る舞いをする人工酵素などの開発へと繋が
った。彼はまた、立体化学の研究や自身の名にちなんだ「非対称性の誘導に関するクラム
の規則」の研究も行った。この規則は以後「クラム則」として、立体選択的な反応の理解
に用いられるようになった。
ジャン=マリー・レーン(Jean-Marie Lehn, 1939 年 9 月 30 日 - )
はフランスのアルザス地方、バ=ラン県ロスハイム出身の有機化学
者、超分子化学者。ストラスブール大学を卒業、後同大学教授。ク
リプタンドの発見など、超分子化学に大きな業績を残したかどで
1987 年のノーベル化学賞を受賞した。
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3.2) イオン結晶の構造
イオン結晶における格子エネルギーを算出するに当り、陰イオンと陽イオンが
構築する結晶構造の知見は極めて重要である。ここではその中の重要なものを
紹介する。
格子エネルギー(lattice energy):結晶格子を構成する原子、
分子あるいはイオンが気体状態か
ら固体結晶になるときの凝集エネルギーである。格子エネルギーは絶対零度における凝集
エンタルピー(エンタルピーは5章で詳しく扱う)変化ΔH0 の負として定義される。金属結晶
7
および分子結晶では絶対零度における昇華熱に相当する。格子エネルギーは特にイオン結
晶に関連して論じられることが多い。
3.2.1) イオン結晶の構造
イオン間に働くクーロン静電力は方向性をもたないので、イオン結晶の構造は
陰イオ(半径 R)、陽イオン(半径r)の数の比、半径比、分極率によって支配さ
れる。各イオンはできるだけ多くの反対符号のイオン(その数を配位数:
coordination number)に取り囲まれるようにして安定化する。陽イオンと陰イオン
の数の比が 1:1 の場合の配位数は、8、6、4 である。
1)陽イオンの半径と陰イオンの半径に大きな違いがない時(r/R > 0.73 である
と)、主に塩化セシウム型: CsX(X = Cl, Br, I)、NH4X(X = Cl, Br, I)など、約 50
種の化合物がある。配位数 8。
2)陽イオンが小さくなり 0.73 > r/R > 0.414 ならば岩塩型:上記 CsX(X = Cl,
Br, I)を除く全てのハロゲン化アルカリが属す。200 種以上の化合物がある。
閃亜鉛鉱
配位数 6。
3)
陽イオンが小さくなり、陰イオンが大きくなると
(0.414 > r/R)閃亜鉛鉱型(別名 CuCl 型: 閃亜鉛鉱(ZnS)、
CdS、ハロゲン化銅(I)など 40 種近くの化合物がある。Cu+,
Clの位置に炭素 C をいれるとダイヤモンド構造となる。配位
ウルツ鉱
数 4)やウルツ鉱型(別名 ZnO 型) (ウルツ鉱(ZnS、ウルツ
鉱は閃亜鉛鉱の多形で、より稀に産出), ZnO, CdS, AgI な
ど 20 余種の化合物がある。配位数 4)をとることが多い。
陽イオンと陰イオンの数の比が 2:1 または 1:2 の場合の配位数は、配位数は
ほたる石
8:4, 6:3 と 4:2(1:2 ではその逆)で、
8
1) r/R > 0.73 ならば配位数 8:4 のホタル石型(ホタル石
CaF2 のほか MF2(M = Sr, Ba, Cd, Hg, Pb)、MO2(M = Zr, Hf, Ce, Th, U)など
100 種以上の化合物がある、また Ca と F を入れ替えた構造を逆ホタル石型とい
う(M2O や M2S (M = Li, Na, K, Rb))、
2) 0.73 > r/R > 0.414 で配位数 6:3 のルチル型(ルチル(金紅石)は酸化チタン(TiO2)
の多形の一つ。MF2 (M = Mg, Mn, Fe, Co, Ni, Pd, Zn), CaCl2,
ルチル
CaBr2, MO2 (M = Ge, Sn, Pb, V, Nb, Ta, Cr, Mo, W, Mn, Ir)など
約 40 種の化合物)、
3) 0.225>r/R なら 4:2 配位の Cu2O 型(Ag2O など)
などが知られる。図 3.2 にこれらを示す。また、塩化セシ
ウム型、岩塩型、閃亜鉛鉱型における、陰イオン同士が互いに接し、同時に陰
イオンと陽イオンがちょうど接するときのイオン半径比(r/R)を示す。
囲み 5
ルチル(rutile, 金紅石, TiO2)は 10%以内の鉄を常に含む。硬度 6~6.5, 比重 4.18~4.25 で
鉄分が多いと 5.2 に達する。金属光沢からダイアモンド光沢。赤褐色-赤色-黒色。透過光は
深赤色。主屈折率は 2.903, 2.616、主誘電率は 170,860 でいずれも造岩鉱物中最大。100 m
程度の短波長まで分散がない。人工結晶は人造宝石として用いられ、その微結晶から成る
酸化チタン磁器は強誘電体で、磁器コンデンサー、ピックアップなどに利用される。
囲み6
酸化チタン: 結晶構造にはアナターゼ型(正方晶)、ルチル型(正方晶)、ブルサイト型(斜方晶)
がある。アナターゼ型の酸化チタン(IV)を 900 ℃以上に加熱すると、ルチル型に転移する。ま
た、ブルサイトを 650℃以上に加熱すると、やはりルチル型に転移する。ルチル型は最安定構
造であるため、一度ルチルに転移すると低温に戻してもルチル型を維持する。酸化チタン顔
料・着色料:白色の塗料、絵具、釉薬、化合繊用途などの顔料として使われる。塗料の顔料に
は触媒としての活性の低く熱安定性等に優れるルチル型が用いられ、チタン白(チタンはく)、
チタニウムホワイトと呼ばれる。絵具として他の色と混ぜて使った場合、日光に長期間さらさ
れると光触媒の作用によって脱色したり、絵具が割れてしまったりする場合がある。また、人
体への影響が小さいと考えられているため、食品や化粧品の着色料(食品添加物)として利用
されている。光触媒:アナターゼ型とルチル型が用いられるが、アナターゼ型の方がバンドギ
ャップが大きく一般的に光触媒としての活性が高い。オフセット印刷:光を照射すると導電化
する性質を利用し感光体として用いられる。感光波長が紫外域のため明室処理が可能。酸化亜
鉛を利用した従来のものよりも耐久性が高く、解像度も高い。触媒担体:固体触媒の担体とし
て用いられる場合がある。日焼け止め:400 nmよりも短波長の光を強く吸収する一方で、可視
光吸収は無いため日焼け止め(サンスクリーン剤)にも使われる。太陽電池:赤外線を取り込
む次世代太陽電池の素材として注目されている。
9
図 3.2 結晶構造 a) CsCl 型、 b) 岩塩型, c) 閃亜鉛鉱型(CuCl 型) d) ウルツ型(ZnS
型、ZnO 型), e) ホタル石型、f) ルチル型、 g) Cu2O 型
a) CsCl 型 CsCl の単位格子
r/R=0.732 [(2R+2r)/2R=3]
全ての原子が同種なら体心立方格子(body
centered cubic, bcc, 占有率 68%, 全てのア
ルカリ金属、Ba, 多くの遷移金属が属す。
2r
1
R
2
b) 岩塩型 NaCl の単位格子
r/R=0.414 [(2R+2r)/2R=2]
陽イオン、陰イオンは各々面心立方格子(face
centered cubic, fcc, 占有率 74.1%)、全てが同種
原子なら単純立方格子(simple cubic、sc, 占有
率 52%, Po の低温相)である。岩塩構造はイオ
ン結晶以外にも多く見られ、多くの遷移金属
は B, C, N, Si および Ge と結合して岩塩型構造
の金属性物質を与える。これらは脆く、硬く、
融点が高い。良い熱伝導体、導電体である。
1
1
1
2
r
2R
O
c) 閃亜鉛鉱型(CuCl 型),
r/R =0.225 [R/(R+r)=2/3]
全原子が同種で
ダイヤモンド型構造
(4 配位、Si,Ge,
灰色 Sn,占有率は
34%)である
d) ウルツ鉱(ZnS)型
(ZnO 型)
Q
2
P
L
Q
1
2r
L
Ti
e) ホタル石型
O
f) ルチル型
O
R
P
Cu
O
g) Cu2O 型
囲み 7
ホタル石(フルオライト) 結晶を火の中に入れると光を発するので、この名がある。緑や紫
の美しい結晶であるが、硬度 4 で軟らく劈開性が強いので日本では宝石に使われない。高級
光学レンズ材、フッ素の貯蔵材、濃硫酸に入れて加熱するとフッ化水素(HF) が発生する。
10
3.3)格子エネルギー
3.3.1)マーデルング・エネルギー
イオン結晶の理論はボルンにより発展された。距離 rij 離れた格子点にある価
数 zi とzj のイオン間に働くクーロン相互作用エネルギーEij は、
Eij=
zi z j e 2
(3.3)
4 0 rij
結晶中の全静電エネルギーEc は
Ec=
1
2
E
i j
(3.4)
ij
である。NaCl 結晶では、1 モルの zi(Na+) = 1, zj(Cl) = –1、NA = NNa+ = NClで、
Ec は
Ec =
1
(NNa+  Eij
2
i ( j  Na  )
+ NCl
E
i ( j  Cl  )
ij
)
=
NAEij
(3.5)
である。図 3.3 に示すように、NaCl 結晶は、Na(白丸)が作る面心立方格子(face
centered cubic, fcc)と Cl-の面心立方格子の組み合わせより出来ている。Na+(j の
位置)の周りの、イオンの種類、個数、j からの距離を表 3.1 にまとめる。
したがって、マーデルング定数 Mr を用い、Eij は 3.6 式となる。
図 3.3 NaCl 結晶の核間距離rと全ポテンシャル・エネルギー(3.8 式)
3r
5r
r
4r
2r
11
表 3.1(図 3.3 参照)
第1隣接イオン
第2隣接イオン
第3隣接イオン
第4隣接イオン
Eij =
e2
4 0 r
(–6/r
イオンの種類
Cl
Na+
Cl
Na+
+ 12/2r
個数
6
12
8
6
 8/3r
距離
r
2 r
3 r
4 r
+ 6/4r
 •••) = 
e2
4 0 r
M r (3.6)
1 モルの結晶の静電引力エネルギー(マーデルング・エネルギー)は 3.7 式となる。
NAe2
Mr
Ec= 
4 0 r
(3.7)
マーデルング定数は、結晶構造に特有の値で、配位数が大きいほど大きい(表
3.2)。表中には、イオン間の距離r以外に、立方格子の 1 辺の長さ a でのマーデ
ルング定数をも示す。また、マーデルング定数を 1 式量中のイオン数で割った
値は、ほぼ一定になる。ボルンによるイオン結晶の理論は、点電荷近似で、ま
た剛体近似であるため、複雑で軟らかな有機イオン結晶への適用には注意を必
要とする。
表 3.2 結晶構造と配位数、マーデルング定数(Mr, Ma)
Mr
Ma
構造
配位数
a と r の関係
CsCl
8
1.763
2.035
2r/3
6
1.748
3.495
2r
岩塩
4
1.638
3.783
4r/3
閃亜鉛鉱
ZnO
4
1.641
CaF2
4
2.519
5.038
4r/3
Mr/
0.88
0.87
0.82
0.82
0.84
3.3.2) 格子エネルギー
イオン核が近接すると電子雲間での反発ポテンシャルが生じるので、1モルあ
たりの全ポテンシャルエネルギーE(r)は、ボルン-ランデの式(3.8 式)で表され
る。
12
E(r)= 
N A z 2e2
Mr
4 0 r
+ B/rn
(3.8)
3.8 式のエネルギーは平衡距離r0において(dE(r)/dr)r=r0 = 0 であるから(図 3.3
右)、
r0  (
B(
4 0 nB 1 /( n1)
)
M r N A z 2e2
r0
n 1
(3.9)
M r N A z 2e2
)
4 0 n
(3.10)
である。したがって、r = r0 でのポテンシャルエネルギーは
E(r0)= 
M r N A z 2e2
1
(1  )
4 0 r0
n
(3.11)
と成る。この符号を変えた値が格子エネルギーU(r0)(0 K, 常圧で気体状の構成
粒子が1モルの周期的固体つまり結晶に凝集するときに得られる安定化エネル
ギー)である。
U(r0)=
(3.12)
M r N A z 2e2
1
(1  )
4 0 r0
n
3.8 式のnをボルン指数と言い、実験で求められる結晶の圧縮率から求めるこ
とができる。ポーリングはnとして 5(He 型イオン、7(Ne 型イオン)、9(Ar およ
び Cu+型イオン)、10(Kr および Ag+型イオン)、12(Xe および Au+型イオン)を提案
した。陽イオンと陰イオンが異なる型の電子配置のイオン結晶では、両イオン
の n の相加平均を用いる。SrCl2 では Sr(Kr 型
n=10)と Cl(Ar 型
n=9)と組成比
より n = (10+9+9)/3 = 9.33 となる。表 3.6 に、圧縮率から得られたnとポーリン
グの提案による n を比較する。
13
表 3.3 ボルン指数
ハロゲン化アルカリ
LiF
LiCl
LiBr
NaCl
NaBr
ポーリングの n
6.0
7.0
7.5
8.0
8.5
圧縮率からの n
5.9
8.0
8.7
9.1
9.5
3.4) ボルン-ハーバー サイクル
格子エネルギーを直接測定することは不可能である。実験により得られる標準
状態(常圧、298 K なので 0 K での値より 2.48 kJ mol-1 だけ大きい)の熱力学デ
ータを用い、イオン結晶の格子エネルギー(Hc: エンタルピー 5 章で詳しく解
説)を求める方法としてボルンとハーバーが独立に提案した循環過程をボルンハーバー サイクルという。図 3.4 に塩化ナトリウム結晶の例を示す。
図 3.4 塩化ナトリウム結晶のボルン-ハーバー サイクル
Na(固体) + (1/2)Cl2(気体) 
H0f↓
NaCl(固体)
 ΔH 0 sub  (1 / 2) ΔH 0 d
H0c
Na(気体) + Cl(気体)
↓ +Ip – EA
 Na (気体) + Cl-(気体)
+
Hc0 = –Hf0(NaCl 固体) + H0sub + (1/2)H0d + Ip – EA
(3.13)
となる。ここで、
NaCl(固体)の標準生成エンタルピー
H0f=–411 kJ mol-1
Na(固体)の標準昇華熱(=Hf(Na 気体))
H0sub=108 kJ mol-1
Cl2(気体)の標準解離熱(=2Hf(Cl 気体))
H0d=2122 kJ mol-1
Na(気体)のイオン化エネルギー(=H0f(Na+ 気体)–H0f(Na 気体))
Ip =494 kJ
mol-1
Cl(気体)の電子親和力(=H0f (Cl 気体)–H0f(Cl- 気体))
EA=349 kJ mol-1
多くの物質において(特に多価イオン状態の)EA を求めるのは困難であるが、
3.13 式は
14
H0c = –H0f (NaCl 固体) + H0f (Na+ 気体) + H0f (Cl– 気体)
(3.14)
となり、各々の標準生成熱で記述される。表 3.4 にボルン-ハーバー
サイクル
による格子エネルギーを示す。これらの値は文献により 10 kJ mol-1 程度の変動が
見られる。
簡単なモデル計算でのイオン結晶の格子エネルギーU(r0) (3.12 式)は、3.14 式
より実験的に得られる格子エネルギーHc と、良い一致を示す(一番右の欄の値
が小さい)。分極の大きいイオンになるほど一致が悪く(Hc–U(r0))が大きくなり、
剛体近似である 3.12 式の欠点を示す。また、3.12 式は、実測の r0 を用いている
ため、イオン結合性のほかに共有結合性を強く含む結晶(ハロゲン化銅やハロゲ
ン化銀)において, (Hc–U(r0))は大きくなる。
表 3.4 ハロゲン化アルカリの格子エネルギーHc(kJ mol-1)と計算による格子エネルギー
U(r0)(3.12 式)の比較。r0:平衡核間距離,
n
U(r0) Hf(MX) Hf(M+) Hf(X-)
H c
Hc-U(r0)
結晶 r0
配位数
LiF
2.01
6.0
6
1006 -612
682
-271
1023
17
NaF
2.31
7.0
6
901 -569
611
-271
909
8
KF
2.67
8.0
6
795 -563
515
-271
807
12
NaCl 2.81
8.0
6
756 -411
611
-246
776
20
KCl
3.14
9.0
6
687 -436
515
-246
705
18
CsCl 3.56
10.5
8
622 -433
461
-246
648
26
NaBr 2.98
8.5
6
719 -360
611
-234
737
18
KBr
3.29
9.5
6
660 -392
515
-234
673
13
CsBr 3.72
11.0
8
598 -395
461
-234
622
24
LiI
3.02
8.5
6
709 -271
682
-197
756
47
NaI
3.23
9.5
6
672 -288
611
-197
702
30
KI
3.53
10.5
6
622 -328
515
-197
646
24
RbI
3.66
11.0
6
603 -328
495
-197
626
23
CsI
3.96
12.0
8
567 -337
461
-197
601
34
CuCl 2.35
9.0
4
864 -137
1090
-246
981
117
AgCl 2.77
9.5
6
783 -127
1019
-246
900
117
AgI
2.81
11.0
4
738
-62
1019
-197
884
146
15
*****************
マックス・ボルン 1954 年ノーベル物理学賞(量子力学)
、弟子にハイゼンベルグ、ジョン・
フォン・ノイマン、パウリ、孫にオリヴィア・ニュウトン・ジョン
ノイマン型
コンピュータ
ノーベル
物理学賞
ノーベル
物理学賞
歌手
ノーベル
物理学賞
マックス・ボルン(Max Born、1882 年 12 月 11 日 - 1970
年 1 月 5 日)は、ドイツ生まれのイギリスの理論物理学
者。量子力学の初期における立役者の 1 人である。1954
年ノーベル物理学賞を受賞。1926 年量子力学の確率解
釈(統計的解釈)を発表。ロバート・オッペンハイマー
と共に、「ボルン-オッペンハイマー近似」(ボルン近
似とも)と呼ばれる近似法を編み出す。1933 年にはド
イツでナチス・ドイツが興隆しユダヤ人排斥運動を行っ
たため、ボルンは教職を辞し、英国に渡ってケンブリッ
ジ大学講師・エディンバラ大学教授に就任する。第二次
世界大戦後の 1953 年にドイツへ帰国。
フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868 年 12 月 9 日 – 1934
年 1 月 29 日)はドイツ(現在のポーランド・ヴロツワフ)出身
の物理化学者、電気化学者。ユダヤ人から改宗したプロテスタン
トである。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボ
ッシュ法で知られる。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種
毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼
ばれることもある。ハーバー・ボッシュ法の業績に対してノーベ
ル化学賞(1918)
。詳細は章末
********************************
16
3.5) イオン半径と配位数
3.5.1) イオン半径と低スピン・高スピン状態
イオンは剛体球ではなく、その大きさは周囲の条件(反対の電荷の配位子の性
質や配位数)の影響を受ける。ハロゲン化アルカリの最外殻電子が存在する s
軌道も p 軌道も球対称の確率分布をもち、イオン半径の大きさの領域において
は、なめらかに減少した関数であり、イオン半径は明確に規定できるものでは
なく、規定の仕方に依存した値である。ポーリングはイオン半径の値を、半径
が最外殻電子の感じる有効核荷電に逆比例すると考え、岩塩型構造を仮定し、
配位数 6 として核間距離から理論的に求めている(有効イオン半径)
。配位数が 6
でないときは補正を必要とする。シャノンらは、イオン結晶構造の正確な電子
密度分布を求め、密度の最小の位置がイオン半径に相当するものとしてイオン
半径を決定した(結晶半径)(表 3.5)。ポーリングのイオン半径に比べ、シャノン
のイオン半径では、陰イオン半径が小さく、陽イオン半径が大きく規定されて
いる。これらのイオン半径は核間距離を陰イオン半径+陽イオン半径(r0 = r + R)
として規定されているので、ポーリングのイオン半径とシャノンのイオン半径
を混同して使用してはならない。6 配位の O2-のイオン半径を 1.40 Å としたポー
リングのイオン半径よりも、6 配位 O2-および F-の半径をそれぞれ 1.26 Å およ
び 1.19 Å としたシャノンらの値が実際のイオン半径に近い。
Cr, Mn, Fe, Co, Ni のイオン半径はスピン構造により値が変化し、抵スピン/高ス
ピンで表す(薄青)。また、Cu+と Zn2+のイオン半径は対称性に依存し四面体/八
面体で(薄赤)、同様に Ni2+は四面体/正方平面(黄)で表す。H-では 1.54, 1.94(ポー
リングの値を修正)、2.08 Å(ポーリング)がある。
17
表 3.5 各種イオンの結晶半径 (Å)
2
13
14
1
+
2+
3+
Li
Be
B
C4+
0.90
0.59
0.41
0.30
Na+
Mg2+
Al3+
Si4+
1.16
0.86
0.68
0.54
K+
Ca2+
Ga3+
Ge4+
1.52
1.14
0.76
0.67
Rb+
Sr2+
In3+
Sn4+
1.66
1.32
0.94
0.83
+
2+
3+
Cs
Ba
Tl
Pb4+
1.81
1.49
1.03
0.92
3
Sc3+
0.89
Y3+ 1.04
ランタ
ノイド
4
Ti4+
0.75
Ti2+
1.00
Zr4+
0.86
Hf4+
0.85
5
V3+
0.81
V2+
0.93
15
N31.32
P3-
16
O21.26
S21.70
Se21.84
Te22.07
Po2-
As3Sb3Bi3-
17
F1.19
Cl1.67
Br1.82
I2.06
At-
6
Cr3+ 0.76
7
Mn3+
0.72/0.79
8
Fe3+
0.69/0.79
9
Co3+
0.69/0.75
10
Ni3+
0.70/0.74
11
Cu3+
0.68/-
Cr2+
0.87/0.94
Mn2+
0.81/0.97
Fe2+
0.75/0.92
Co2+
0.79/0.89
Ni2+
0.69/0.63
Cu2+ 0.87
Nb
Mo
Tc
Ru
Rh
Ta
W
Re
Os
Ir
12
Zn2+
0.74/0.88
Pd
Cu+
0.74/0.91
Ag+ 1.29
Cd2+ 1.09
Pt
Au+ 1.51
Hg2+ 1.16
ランタノイド
La3+ Ce3+ Pr3+ Nd3+ Pm3+ Sm3+ Eu3+
1.17 1.15 1.13 1.12 1.11 1.10 1.09
Gd3+ Tb3+
1.08 1.06
Dy3+ Ho3+ Er3+
1.05 1.04 1.03
Tm3+ Yb3+
1.02 1.01
3.5.2)熱化学的イオン半径
表 3.2 に示したように、マーデルング定数を一式量中のイオン数で割ると、
ほぼ一定の値となる。これを利用すると、全てのイオン結晶の格子エネルギー
を、岩塩型構造で代用し、構造未知のイオン結晶の格子エネルギーの推定やイ
オン半径を求めにくい複雑なイオンの有効半径を評価できる。岩塩型構造で、
Mr = 0.874であるから、3.12 式は n = 9, r0 = r + R として、
0.874N A z 2 e 2
z z
1
(1  )  1071   kJmol 1
U(r0)=
4 0 (r  R)
9
rR
(3.15)
となる(カプステインスキーの式)。例えば、3.15 式を用い、イオン結晶 M1X と
M2X ならびに M1+と M2+の標準生成エンタルピーと M1+と M2+のイオン半径を使
い、複雑な陰イオン X の半径 RX を次式より推定できる。
18
 M X zM zx
1071(
1
1
rM1  RX

 M X zM zx
2
2
rM 2  RX


)  H f (M1 )  H f (M 2 )  H f (M1 X)  H f (M 2 X)
このようなイオン半径を熱化学的イオン半径という(表 3.6)。
表 3.6 熱化学的イオン半径 (Å) [4] (括弧内は 4b)
イオン
イオン半径 イオン
イオン半径
+
2–
NH4
1.51(1.61)
CO3
1.64
NMe4+
2.15
IO4–
(2.49)
AlCl4–
2.81
N3–
1.81
–
BF4
2.18 (2.28) NO2–
1.78
–
–
BrO3
1.40
NO3
1.65
CH3COO–
1.48
O22–
1.44
ClO3–
1.57
OH–
1.19(1.23)
–
ClO4
2.26 (2.36) SO42–
2.44 (2.30)
CN–
1.77
SeO42–
2.35(2.43)
CNS–
1.99
TeO42–
(2.54)
イオン
CrO42–
MnO42–
PO43–
AsO43–
SbO43–
BiO43–
PtF62–
PtCl62–
PtBr62–
PtI62–
イオン半径
(2.40)
2.15
(2.38)
(2.48)
(2.60)
(2.68)
2.82
2.99
3.28
3.28
また、四面体陰イオンのイオン体積は、内側イオンの半径 Ri と外側イオンの半
径 Ro を用い、3.16 式で与えられる(表 3.7)。ただし、この表の値は表 3.5 のイオ
ン半径を用いていない。
陰イオン体積=(Ri + 2Ro)3 (Å3)
(3.16)
表 3.7 四面体陰イオンのイオン体積 (Å3) [5]
イオン
体積
イオン
体積
イオン


14.7
22.2
FSO4
BrO4
InCl4
15.3
25.4
HSO4
ReO4
TlCl4


16.4
26.5
BF4
IO4
GaBr4


18.4
61.6
ClO4
GaCl4
InBr4
体積
68.9
75.7
76.8
85.2
イオン
TlBr4
GaI4
InI4
TlI4
体積
93.0
105.8
116.2
125.8
また、直線状陰イオンの長さが、結晶構造解析を基にして表 3.8 で与えられる[11]。
表 3.8 直線状陰イオンの長さ (Å) [5]
イオン
長さ
イオン
長さ


10.2
9.30
I3
IBr2
9.42
AuI2
Au(CN)2 9.2
イオン
BrICl
ICl2
19
長さ
9.0
8.7
イオン
AuBr2
AuCl2
長さ
8.70
8.14
3.6) 多彩なイオン性物質
3.6.1) 黒鉛層間化合物(図 3.5)[6]
黒鉛は、ベンゼン環が平面網目をなして配列した層が、上下に積み重なった層
状化合物である。層間に働くのはファンデルワールス力で、3.35 Å(この長さは
ファンデルワールス結合の典型的な距離として頻出する)離れている。極めて軟
らかく、層の間が簡単に劈開するので、潤滑剤として利用される。面内と面間
方向での伝導は各々約 104 S cm1と約 10 S cm1で、異方性(約 103)は非常に大
きい(表 3.9)。この異方性の差は、主に移動度(単位電場におかれた物質中の
電子(electron)または正孔(hole)の速度)の差であり、面内によく流れ、面間で
はベンゼン環の相互作用が弱くあまり流れないことを反映している。
表 3.9 天然黒鉛(括弧内の数値は合成黒鉛 HOPG:highly oriented pyrolitic graphite)の輸送パ
ラメータ(e, h はそれぞれ電子、正孔を意味する)
n /cm3
RT /S cm1
 /cm2 V1 sec1
4
4
4
4
2.610 (2.310 )
e:1.110 (1.2410 )
ne = 2.721018
面内
4
h:1.510
nh = 2.041018
10(5.9)
 (3.3)
1.11019
面間
黒鉛を臭素の蒸気と接触させたり(C16Br, C8Br)、カリウムの蒸気と接触させる
と(C36K, C24K, C8K)、括弧内に示す組成の化合物となる。臭素やカリウムは層と
層の隙間に挿入するので、層間化合物(intercalation compound)といわれる。アル
カリ金属 M との反応で得られる層間化合物の色は、金属の進入した層の数(n)に
応じて、さまざまである(3.17 式)。
C+M C60M (n=5,灰色)C48M (n=4)C36M (n=3,青)C24M (n=2,鋼の青色)
C8M (n=1,青銅色)
(3.17)
20
図 3.5 黒鉛と C8K(ステージ1)の構造模式図。黒鉛、黒鉛があり、前者が一般的。
左上図は黒鉛の層一枚(グラフェン)。左下図は黒鉛で、赤の層―青の層―赤の層の順
で積層する。右図:黒鉛層(-○-○-○-)とカリウム層(-----)の交互積層でカリウムは
真ん中の図で示す, , , の周期で挿入する(との層間距離=5.35 Å、黒鉛のみではA
BABの周期で 3.35 Å)



グラファイト(黒鉛)











A




A

A

A

A
これらはイオン結晶であり、アルカリ金属が正電荷をグラファイトが負電荷を
もつ。グラファイト上にアルカリ金属から余分の電子が与えられ、この電子(ラ
ジカル電子)は結晶内をかなり自由に動き回り、金属結合の性格を持ち、C8K(挿
入物の割合の一番多い層間化合物を第 1 ステージという)などは母体である黒
鉛よりも優れた伝導性と、低温で超伝導(Tc = 0.15 K)を示す。層状構造は無機物
でも頻繁に見られ、CdI2 は(Iイオン層+Cd2+層+Iイオン層)が繰り返し単位
で、単位間はファンデルワールス力が働いているだけで、結晶はたやすく平行
な層に分かれる。CdCl2 や M(OH)2 と示される多くの水酸化物も非常に良く似た
層状構造を形成する。
**********************
層状物質で有名なものとして粘土鉱物がある。主成分は層状珪酸塩鉱物(フィロ珪酸塩鉱
物)
。方解石(カルサイト)
、苦灰石(ドロマイト)
、長石類、石英、沸石(ゼオライト)類
などの鉱物も粘土粒径の場合、粘土鉱物と呼ばれるが、一般には層状珪酸塩鉱物のことを
粘土鉱物という。金属イオン(アルミニウム、ナトリウム、カルシウム等)と珪酸が連結
しできたシートが層状に形成されている。このシートの間隙に水や金属イオン、場合によ
っては有機物まで容易に取り込み放出することから、湿度調整やイオン交換性、触媒など
機能性材料として、生活用品をはじめ多様な分野で利用されている。また、セラミック素
21
材や陶器の原料として利用されている。
**************************
3.6.2) C60 陰イオンラジカル塩
C60 分子は、3 重に縮退した最低空軌道(LUMO)をもつので、6 個の電子を受容
する。K などのアルカリ金属の蒸気にさらすと C60 分子が3 価の K3C60, 4 価
の K4C60、6 価の K6C60 などが得られる。C606-は閉殻構造であるが、C603-や C604
-
は陰イオンラジカル分子である。C60 分子の第 2LUMO も 3 重縮退しており、C60
分子が12 価である Ba6C60、Li12C60 などが得られ、C60 分子は総計 12 個の電子を
受容できる。超伝導を示すのは、主に C603化合物(K3C60,
に、3 価以外のイオン結晶(Ca5C60,
K3Ba3C60,
Ba4C60,
RbCs2C60 など)で、他
Yb2.75C60 など)も超
伝導体である。K と C60 分子からできるイオン結晶超伝導体 K3C60(Tc = 18 K)
では、格子定数 14.17 Å の面心立方晶である固体 C60 に、3 個の K が、半径 2.06
Å の空隙 o-site(o、octahedral 八面体)と半径 1.12 Å の 2 種の空隙 t-site(t,t'、
tetrahedral 四面体)を占め K3C60 を形成する(図 3.6)。アルカリ金属のサイズが異
なる場合、大きいイオンが o を、小さいイオンがt、t’を占める(Rb2CsC60、
Tc = 31 K)。
図 3.6
C60 分子と K3C60 の構造
3.6.2)両性イオン(双性イオン、ツヴィッターイオン、ベタイン)
両性イオンとは、一つの分子内に+の部分との部分が存在するもので、分子全
体としては中性であるが、分子内で電荷の分極があり、大きな双極子モ-メン
トをもつ。生体系では多くみられ、たんぱく質など分子内にNH2基とCOOH
基を持つ分子では、COOHから陽子がNH2に移動した状態が安定なことがあ
22
り、両性イオンとなる(図 3.7)。陽子移動でな
く電子移動による両性イオンもある。分子内
(フェノールベタイン)の吸収が溶媒の極性
を示すパラメータとして使われる。これらの
化合物は、各々、基底状態が D1+--A1-または
D1+•A1-で示され、第一励起状態への遷移は
分子内または分子間での電荷移動であり、終
図 3.7 両性イオン
状態は D0--A0 または D0•A0 で示される(3.18 式)。
e
D1+--A1-

D0--A0
e
D1+•A1-
または

D0•A0
(3.18)
したがって、これらは極性溶媒中でイオン性の高い基底状態が大きく安定化し、
遷移エネルギーは大きくなり、吸収帯はより高エネルギーの短波長へシフトす
る(ブルーシフト)。一方、極性溶媒からより非極性の溶媒へ代えると、基底状態
の安定化は小さく吸収帯はより低エネルギーの長波長へシフトする(レッドシフ
ト)
。これまでに得られた多くのベタイン(ツヴィッターイオン、分子内両性イオ
ン)のイオン性が完全に1であるとの証拠はない。分子内電荷移動化合物を
D+--A-(0   1)と記述し、電荷移動量を実験的に定め、電荷移動量とそれ
らが示す物性との相関を定量的に検討することが必要である。
囲み 8
ベタイン(betaine):アミノ酸の N-トリアルキル置換体で、1 種の第 4(級)化合物で
ある。アミノ酸に過剰のアルカリの存在のもとにヨウ化アルキルか硫酸ジアルキルを
作用させて得られ、結晶でも水溶液中でも両性イオン(ツヴィッターイオン)として
存在する。広義では、第 4 アンモニウム塩基、オキソニウム塩基、スルホニウム塩基
などの分子内塩で両性イオンを形成するものを全てベタインという
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************
フリッツ・ハーバー
生い立ち
ユダヤ人の家系。父は染料を主に扱う商人。11 歳のときにギムナジウムに入学し文学や哲
学を学び、自作の詩を作った。一方で化学にも興味を持った。はじめ自宅で実験を行って
いたが、異臭がするからなどといった理由で父に禁止されたため、その後は叔父の家で実
験を行っていた。1886 年、ベルリン大学へと進学し化学を専攻した。1 学期化学を学んだ
あと、1 年間ハイデルベルク大学で学び、その後 2 年間の兵役についた。兵役終了後はベル
リンのシャルロッテンブルク工科大学で学んだ。ここでは有機化学の分野で名をあげたカ
ール・リーベルマンに学んだ。当時ドイツでは新しい学問分野である物理化学の人気が高
まっていた。ハーバーもこの分野に魅力を感じ、今までの専攻分野を変更して、物理化学
における代表的な研究者であるヴィルヘルム・オストヴァルトのもとでの研究を望んだが、
職に就くことができなかった。そのため、職を求めて企業や大学を転々としたが、思うよ
うな仕事場を見つけることができず、24 歳の時に父親の染色商の手伝いを始めた。ここで
は商売の方法などをめぐり父親と意見が食い違った。そのうえ、フリッツは商業上の失敗
により、会社に大きな損害を出してしまった。父の元を離れ、イェーナ大学で修学した。
ここでルドルフ・シュトラウベの講義を聞き、化学者になりたいという気持ちが再び強ま
った。そのため再びオストヴァルトに、研究室に入れてくれるよう懇願したが、その願い
は叶えられなかった。そのため他の研究室を探し求め、1894 年、カールスルーエ大学のハ
ンス・ブンテのもとで、無給助手として働けるようになった。またこの頃、ハーバーは洗
礼を受け、ユダヤ教徒からキリスト教徒へと改宗した。当時のドイツではユダヤ人に対す
る反感がいくぶんかあった。ハーバーはもともと宗教には熱心でなかったため、改宗する
ことによって形式的にでもドイツ人の一員となろうとしたのである。
カールスルーエ大学時代
25 歳にしてようやく落ち着いた職場を得ることができたハーバーは、同じ研究室にいた友
人にも恵まれ、才能を発揮していった。1896 年に発表した論文「炭化水素の分解の実験的
研究」は学界の注目を集め、この論文がきっかけで同年、無給助手から、講義収入を得る
ことのできる私講師へと昇格した。さらに 1898 年には、電気化学の教科書となる『理論的
基盤による技術的電気化学概論』を出版した。当時ハーバーはこの分野における経験が浅
かったため、執筆に当たっては、同僚からは恥をかくことになるから思いとどまるよう言
われた。しかし結果的にはこの教科書は好評で、ブンテはもとより、オストヴァルトから
も評価された。そして同年、助教授となった。1901 年には、兵
役期間中に知り合ったクララ(化学 博士)と学会で再会し、
同年に結婚、翌年には長男を出産した。1904 年に平衡論を利用
した窒素分子からのアンモニアの合成法の開発に着手した。こ
れは 1912 年に BASF で実用化され、現在ハーバー・ボッシュ法
として知られている。1906 年はにカールスルーエ大学教授とな
った。アンモニア合成の成功により、ハーバーの知名度は著し
く上昇した。
ハーバーの元には国内外から多くの学生が集まり、
ハーバーを呼び寄せようとする大学や企業からの誘いもまた多
くあった。そして 1912 年、ハーバーは新たに作られたカイザ
ー・ヴィルヘルム物理化学・電気化学研究所に所長として就任
した。
クララ・イマーヴァール
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第一次大戦
第一次世界大戦が勃発すると、ドイツに対する愛国心の強かったハーバーは従軍を志願し
た。しかしその願い出は却下され、代わりに軍からガソリン凍結防止用の添加剤の開発を
命じられた。その問題を解決した後にハーバーが関わったのが、毒ガスの開発であった。
毒ガスの開発は、ハーバーの前にヴァルター・ネルンストが担当していた。ネルンストは、
砲弾に「くしゃみ粉」を入れて発射する計画を立てたが上手くいかず、すでに開発からは
撤退していた。ハーバーもはじめは砲弾に催涙ガスを入れて発射させる計画を試みたが、
実現が難しかったため、ボンベから直接ガスを散布する方式に切り替えた。ハーバーは毒
ガスの開発に熱心に取り組み、軍もハーバーを信頼し、ハーバーに毒ガスに関する全権を
与えた。ハーバーはアンモニア合成などの際につかみとった企業とのつながりを利用し、
毒ガスの材料を確保した。さらに、物理化学・電気化学研究所のほぼ全体を、毒ガスの研
究に利用した。当時研究所にいたオットー・ハーンに、毒ガスの使用はハーグ条約に違反
するのではないかと問われたハーバーは、毒ガスを最初に使用したのはフランス軍だと述
べ、さらに、毒ガスを使って戦争を早く終わらせることは、多くの人命を救うことにつな
がると語った。ハーバーが指揮した毒ガス作戦は、4 月 22 日にイープル地区で実行に移さ
れた。この時は大きな成果をあげたが、作戦を続けてゆくうちに連合国側も対応しだし、
しだいに当初のような成果をあげられなくなっていった。一方で毒ガス作戦は国際的な非
難を浴びた。また、ハーバーの周囲でも一部に反対意見があった。カールスルーエ大学の
同僚であるヘルマン・シュタウディンガーがそうであったし、妻クララも夫が毒ガス兵器
の開発に携わることに反対し続けた。そしてついには 5 月 2 日、クララは抗議のために自
ら命を絶った。もともとクララは化学の分野で博士号もとった才女であったが、フリッツ
はクララに、科学を捨て妻として家庭に入るよう押しつけ、しかもフリッツは仕事に熱中
するあまり家族に気を使うことはほとんどなかったという。そのためもあってか、クララ
は徐々に家に引きこもりがちになっていた。クララの自殺には、毒ガス作戦への抗議の他
に、こういった生活や、さらには同じ化学者である夫の活躍へのうらやみなど、いくつか
の理由が重なったものであるともいわれている。ハーバーはクララの死後も毒ガス作戦を
継続した。毒ガス戦の戦場はイープル地区以外に、東部戦線へも拡大していった。ここで
はドイツ軍のみならず連合国軍も毒ガスを使用し、その戦闘はエスカレートしていった。
ハーバーは研究所を利用し、フォスゲンやマスタードガス(イペリット)などの新たな毒
ガスやその投射機などの開発を進めた。しかし戦争が長引くにつれドイツ軍はしだいに劣
勢となり、1812 年 2 月にはハーバー自身も、この戦争で勝てる見込みはないと述べた。そ
れでもなおハーバーは毒ガスに関する研究開発を続けた。一方では 1917 年 10 月、ベルリ
ンのクラブで知り合ったシャルロッテと再婚した。
ノーベル賞受賞
1918 年 11 月に戦争は終結した。ハーバーは、毒ガス開発のかどで戦争犯罪人のリストに載
せられたといううわさが流れており、国際法廷において死刑の判決が下るだろうともいわ
れていた。そのためハーバーは肉体的にも精神的にも疲れ切った状態にあった。ハーバー
は妻子を連れてスイスへと逃亡した。自らの逮捕の可能性がないと分かったハーバーはド
イツに帰国し、研究所の再編に取り掛かった。そのさなか、ハーバー・ボッシュ法の業績
に対するノーベル化学賞受賞の知らせを聞いた。ただし当時、ドイツの科学界に対する国
外からの反感は大きく、この受賞に対しても各国からの批判があった。ハーバーはその後、
研究所の再編と共に、研究者を集めて発表を行うことを目的とした、ハーバー・コロキウ
ムを開催した。ここでは、「ヘリウム原子からノミにいたるまで」と謳われたように、化
学、物理学から、生物に至るまで、幅広い領域を対象にした。このコロキウムは以後 30 年
25
余りにわたって続いた。一方で自らの研究においても、1919 年にマックス・ボルンと共同
でボルン・ハーバーサイクルを提唱するなど、成果をあげ続けた。
資金の調達
ドイツの敗戦により、ハーバーの研究所は資金難におちいっていた。ハーバーはこれを解
消するため、星一による星基金を活用するなど、財政面での改善を進めた。さらにハーバ
ーは、賠償金の支払いに苦しんでいたドイツの国家財政を改善するために、海水から金を
回収する計画を始めた。ハーバーは、賠償金の支払いとその後の復興資金を得るためには
50,000 トンの金が必要と見積もった。そしてこの金を取りだすために、1920 年、M 研究室
と名付けた極秘の研究室を作り、世界中の海から海水を採取し調査を行った。しかし実験
の結果、海水に含まれる金の量は、当時推定されていた値よりはるかに少なく、採算が取
れないことが明らかになった。そのためこの計画は 1926 年に中止された。一方で、1924 年
に西回りの世界一周の旅に出て、星一の招待により、日本にも 2 か月滞在。函館で叔父ル
ートヴィヒの遭難 50 周年追悼行事に参加した。また、妻のシャルロッテとは性格が合わず、
1929 年に離婚した。
晩年
愛国的科学者として名声の絶頂にあったハーバーだが、1933 年にその生涯は暗転した。ナ
チスが政権をとると、ユダヤ人の多かったカイザーウィルヘルム協会への圧力が強まった。
ハーバーは、第一次大戦の従軍経験が考慮されたために自らが解雇されることはなかった
が、研究員におけるユダヤ人の割合を減らすよう求められた。しかしハーバーは、この要
求は受け入れなかった。1933 年 4 月、ハーバーは、研究員を採用するにあたって今まで自
分はずっと人種を基準にしたことはなかったし、その考えを 65 歳になった今になって変え
ることはできない、さらに、「あなたは、祖国ドイツに今日まで全生涯を捧げてきたとい
う自負が、この辞職願を書かせているのだということを理解するだろう」と記した辞職願
を教育大臣に提出した。ハーバーは 9 月までベルリンに留まり、他のユダヤ人研究者の転
職先を探すなどの活動を続けた。その間、自らの職も求めたが、ハーバーはすでに高齢で
健康状態が悪化しており、しかも毒ガス開発にかかわったことによって印象を悪くしてい
たせいもあって、思うような仕事を見つけることは出来なかった。10 月にはドイツを離れ、
息子のいるパリや、スイスなどで生活した。その後ケンブリッジ大学からの誘いを受けて
一旦イギリスに渡った。ケンブリッジでは触媒を使用した過酸化水素の分解の研究にたず
さわった。しかしイギリスでは毒ガスの件で風当たりが強く、たとえばアーネスト・ラザ
フォードにはこの理由により会うことを拒まれた。さらにイギリスの気候もハーバーには
合わなかった。ハーバーはスイスにいた時に、シオニズム運動家のハイム・ヴァイツマン
と出会っており、ヴァイツマンからパレスチナへ来るよう誘いを受けていた。そのため 1934
年 1 月、パレスチナへ向かおうとして、いったんスイスのバーゼルへと移った。しかし移
動中に体調を崩し、
1 月 29 日バーゼルのホテルで睡眠中に冠状動脈硬化症により死去した。
死後
ハーバーを記念して 1957 年に作られたドイツの切手
ユダヤ人であるハーバーの死は、ドイツの新聞などではほとんど
取り上げられることはなかった。また、ハーバーへの追悼のコメ
ントをした科学者も、マックス・フォン・ラウエなどのごく少数
に限られた。しかし死の 1 年後にあたる 1935 年 1 月、マックス・
プランクの提唱により、ハーバーの追悼式が行われた。開催にあ
たってはナチスから、公務員の出席禁止命令を出されるなどの妨
害を受けた。しかし式には、ボッシュ、ハーン、さらには第一次
大戦の戦友など、多くの関係者が訪れた。禁止命令のため来るこ
26
とができなかった科学者は妻を代理で出席させた。そして満席となった会場で、ハーバー
の死を悼んだ。ハーバーはケンブリッジにいた頃、自分の遺灰はクララと一緒に埋めてほ
しい、そして墓碑銘には「彼は戦時中も平和時も、許される限り祖国に尽くした」とだけ
記してほしいと遺言書に記していた。そのため現在ハーバーの遺体は、妻のクララととも
にバーゼルの Hornli Cemetery に埋葬されている。
業績
ハーバーが取り組んだのは、空気中の窒素分子 N2 からアンモニアを生成しようという試み
だった。そのためにはいったん窒素分子を 2 個の窒素原子に分離しなければならないが、
この窒素原子同士の結びつきは三重結合のため非常に強い。そのため分離させるには
1000℃もの高温にしなければならないが、温度を高くすると生成されたアンモニアが壊れ
てしまうことになる。ハーバーは熱を加えてアンモニアを生成してから素早く冷やすとい
う方法で少量のアンモニアを生成したが、それは商業的な生産を見込めるほどの量ではな
かった。1905 年、ハーバーはこれまでの研究結果を論文として発表した。しかしこの結果
はネルンストの批判を受けた。ネルンストの理論によれば、この方法によって得られるア
ンモニアの量はハーバーの結果より少なくなるはずだと主張し、実際に助手に実験をさせ
て自分の理論が正しいことを確かめた。こうして、ハーバーはネルンストと対立した。ネ
ルンストは 1907 年に開かれたブンゼン協会の会合でこの結果を発表し、ハーバーの結果は
誤りだと述べた。ハーバーはこの会合の後も、装置に精通したル・ロシニョールと共にア
ンモニアの研究を続け、圧力を加えることで温度を下げることができ、その結果、より多
くのアンモニアが作れることを発見した。1908 年にはアンモニア合成に関して BASF 社と契
約を結んだ。そして、BASF からの援助を元に研究を続けた。ハーバーは圧力の他に、反応
の際の触媒を変えることでアンモニアの生産効率を上げられるかを実験し、結果、オスミ
ウムを使うことで生産量が飛躍的に向上することを明らかにした。ハーバーはこれらの研
究内容を BASF に提供し、BASF ではボッシュを中心にその研究を進めることで商業生産を成
功させた。アンモニアは化学肥料だけでなく、火薬の原料でもあった。そのためこれによ
り、ドイツはチリ硝石に依存せず、火薬と肥料を生産できるようになり、第一次大戦の折、
英海軍の海洋封鎖にもかかわらずドイツは弾薬を製造可能であった。
人物
ハーバーは、どの分野においても、その重要なポイントを認識し、短期間で自分のものに
する能力を持っていた。そのため、今まで自分が関わっていなかった研究分野でも、短期
間で集中して学ぶことによって、その分野に精通することができた。しかしあまりに集中
するあまり、他のことに気が回らなくなったり、我を忘れたような状態になることがあっ
た。さらに神経症の症状が出ることもあり、そのため 1 年に 1 度くらいの頻度で、温泉や
サナトリウムで数週間の休養をとっていた。話術にも長けており、講演の上手さには定評
があった。また教育者としても評価が高く、ドイツ以外にもアメリカ、ロシア、ニュージ
ーランド、日本などから、多くの研究員が集まった。ハーバーは外国の研究員が祖国に帰
る時にも、その国での研究ポストを融通するなど、親身に接した。一方で家庭はないがし
ろにしがちで、2 度の結婚生活はどちらもうまくいかなかった。最初の妻のクララは結婚後
も自分の化学研究を続けたいと思っていたが、フリッツはその願いをかなえることはしな
かった。クララは社交的ではなかったが、フリッツはクララの都合を考えず、突然研究員
を自宅に招きもてなすといった行動をとったりした。フリッツがアンモニア合成で成功し
た頃、クララは、フリッツが得たことと同じ、あるいはそれ以上のことを、私は失った、
と手紙につづっている。
****************
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星 一(ほし はじめ、1873 年(明治 6 年)12 月 25 日 - 1951 年(昭和
26 年)1 月 19 日)は、福島県、
(現)いわき市出身の実業家。
「製薬王」
と呼ばれた。略称、ホシピン。SF 作家星新一の父。写真植字機を開発
した石井茂吉と森澤信夫が出会うきっかけとなった星製薬の設立者で
あり、星薬科大学の創立者でもある。野口英世やフリッツ・ハーバーの
パトロンとしても知られる。なお、彼が発案した『三十年後』は SF 小
説であるため、それが長男の親一(新一)と関連付けて語られることが
ある。
子供の頃、いたずらで放たれた矢が右目に突き刺さり失明。それ以後は義眼を入れてい
た。
1894 年(明治 27 年)
:東京商業学校(現在の東京学園高等学校)を卒業。高橋健三らの
知遇を得る。10 月、横浜からアメリカサンフランシスコへ渡る。
1896 年(明治 29 年)
:コロンビア大学に入学。(当時のコロンビア大学は、どの国の専
門学校でも卒業していれば、無試験で入学できた。ただし、星の卒業した東京商業は中
等教育の学校であるため、原則的にはコロンビア大学の入学資格は無いが、実質的に高
等商業と同等であることを説明し、入学した)。
1901 年(明治 34 年)
:コロンビア大学を卒業。修士号取得。
1906 年(明治 39 年)
:湿布薬「イヒチオール」の事業化に成功。
1908 年(明治 41 年)
:第 10 回衆議院議員総選挙に福島県郡部区から立候補し、当選。
無所属で独自の活動を行う。
1911 年(明治 44 年)
:星製薬を設立。五反田に当時としては画期的な近代的製薬工場を
建設。ホシ胃腸薬のヒットや日本で初めてキニーネの製造をするなど発展し東洋一の製
薬会社と言われるほどになる。
1918 年(大正 7 年)
:SF 小説『三十年後』発表(アイディアは星、文章化は江見水蔭)。
1922 年(大正 11 年)
:星製薬商業学校を設立。
1924 年(大正 12 年)
:戦友共済生命保険を買収し、社長に就任。
1924 年(大正 13 年)
:フリッツ・ハーバーを日本へ招待する。以後、生涯に渡って物心
両面で彼を援助する。
1925 年(大正 14 年)
:阿片令違反で起訴される(その後無罪判決)。解剖学者小金井良
精の次女、せい と結婚。
1926 年(大正 15 年)
:長男・親一が誕生(後の星新一)
。
1930 年(昭和 5 年)
:破産申し立てを受け、翌年に宣告を受ける(後に取り消しが認めら
れ、強制和議になる)。
1937 年(昭和 12 年)
:第 20 回衆議院議員総選挙で 2 回目の衆議院議員当選。
1945 年(昭和 20 年):星製薬は空襲で主力工場を破壊され、敗戦で海外拠点を失うが、
再建に努める。
1946 年(昭和 21 年)
:第 22 回衆議院議員総選挙に 3 回目の衆議院議員当選。
1947 年(昭和 22 年):第 1 回参議院議員通常選挙全国区に民主党から最多得票で当選。
1951 年(昭和 26 年)
:ロサンゼルスにて死去。星製薬は息子の親一が継いだが既に経営
は傾いており、親一は会社を手放して、後に SF 作家星新一となる。
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参考文献、参考書
1. a) 吉田善一、大沢映二著、
”芳香族性”
、化学モノグラフ、化学同人(1971).
b) 中川正澄著、”構造有機化学”
、裳華房(1979).
2. Jean-Marie Lehn 著, 竹内敬人訳 ”超分子化学”
、化学同人(1997).
3 大野弘幸監修、
”イオン性液体”
、シーエムシー(2003).
4. a) H. D. B. Jenkins, K. P. Thakur, J. Chem. Edu., 56, 576(1979).
b) A. F. Kapustinskii, Quart. Rev., 10, 283-294(1956).
5. a) J. R. Ferraro, J. M. Williams, Introduction to Synthetic Electrical Conductors, Academic
Press, Orlando, Florida, 1987. b) J. M. Williams, J. R. Ferraro, R. J. Thorn, K. D.
Carlson, U. Geiser, H. H. Wang, A. M. Kini, M-H.Whangbo, Organic Superconductors
(including Fullerenes), Prentice Hall, Englewood Cliffs, NJ 1992.
6. a) 渡辺信淳著、
”グラファイト層間化合物”、近代編集者(1986).
b) 高橋洋一、1 章文献 12d、p168、”黒鉛および黒鉛層間化合物―合成、構造および化学
的特性”.
c) 田沼静一、文献 1 章 13d、p185、”黒鉛層間化合物―電子的物性”.
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