魔女狩りと近代ヨーロッパ

EIEIElll︰
化宇史研究 KAGAKUSHI
Vol.20,pp.37∼ 53,1993
〔
科学史研 究 の 新 潮 流 〕
魔女狩 りと近代 ヨー ロ ッパ
鈴
木
晃
仁
拿
期 か ら近代初頭 の ヨー ロ ッパ 史 の ラ ン ドマ ー クと
序
な る事件 と魔女狩 りの関係 につ いて広 い視点 に立 っ
この20年 ほどで ヨ ー ロ ッパ の魔女狩 り研究 は急
た解釈を次 々 と提 出 し,か つ て の ロー カルな,時
速 に進展 した.19世 紀 の 末 か ら蓄積 された実証的
と して マ ニア ックな興 味 に しか 訴 え な い タイプの
な研究 を基 に,1970年 前 後 か らの魔姑
研究 か ら急速 に脱皮 して きた。 近年 の 研究 の成熟
り研究 は,
優れ た歴史家 た ちが広 い視 点 に立 った力作を次 々
は,一 次資料 の調査 に基 づ く実 証 的 な研 究 だ けで
と発表 し, そ れ に 東」
激 され て洗練 された歴史意識
な く,彼 らが提 出 した大 きな枠 組 みの 仮 説 の刺激
と大規模 な資料 の調 査 に基 づ く高 い水準 のモノグ
によ るところが大 きい.
ラフが数多 く発 表 され る成 熟 した研究領域 に成長
して きたlL近 年 で は,学 生 向 けに重 要 な一 次 資
料 。二 次 資料 の ア ン ソ ロ ジー も編 まれ,魔 女狩 り
世的迷信 の残滓 とみなす啓 蒙主 義以 来 の史観 か ら
の歴史 を平易 に解 説 した 教 科書 も何冊か出版 され
頭 に固有 の問題 と して捉 え 直 す 方向 で一 致 してい
ているな ど,魔 女 狩 り研 究 は近代初期 の歴史 の教
育 の中 で も完全 に定 着 して い る。.
る。「
近代 と魔女狩 り」 と い う問 題 が いか に逆説
このよ うな近年 の研究 の 多 くは,魔 女 狩 りを中
離 れ,魔 女狩 りを中世 に起 源 を 持 ちつ つ も近代初
的 に見えよ うとも, ク ロ ノ ロ ジ ーを見 れば魔女狩
研究 の進展 は,魔 女 狩 りは強迫観念 に取 り憑 か
りが近代初頭 に特徴的 な現 象 で あ る こ とは明 らか
であ る()魔 女狩 りを支 え た デ モ ノ ロ ジ ー が 明確
な形 を取 るのは15世紀 の末 であ り,魔 女裁判が ピー
れた邪悪 なサ デ ィス トが 作 り出 した ヨー ロ ッパの
歴史の中のおぞ ま しい孤 立 した挿話だ とい う,以
前 の研究が多か れ少 なか れ共 有 して いた前提を批
クに達 す るの は,幾 つか の 例 外 的 な地域 (例えば
18世紀 に魔女狩 りが始 ま った ポ ー ラ ン ド)を 除 い
判 し,魔 女狩 りを同時 代 の 歴 史 の状況 に関係づ け
て理解す ることが必 要 で あ るとい う新 しい合意か
ら始 ま っため.そ の結 果 , ヒ ュ ー ・ トレヴ ァー =
ローパ ー,キ _ス .ト マ ス,ア ラ ン ・マ クファー
て、 16世紀後半 か ら17世紀 前 半 で あ る.す なわち
フラ ンスでは絶対主義 が 浸 透 しつつ あ り (絶対主
義 の理論家の ジ ャ ン 。ボ ダ ンは魔女 狩 りの手 引書
も出版 して い る),オ ラ ン ダ ・イ ン グ ラ ン ドで は
レン,カ ル ロ ・ギ ンズ ブル 久 ェマニュエル ・ル=
ロワ=ラ デ ュ リ, ロ ベ ー ル ・マ ン ドルー, ロベ ー
市民革命が戦 われた時期 (イ ン グラ ン ドで最 もイ
ル ・ミュシ ャ ンブ レと い った ョー ロ ッパの中世 ・
ンテ ンスな魔女狩 りは内乱 の 最 中 の1645年 に起 き
近代史 の研究 を リー ド して きた斧 々たる歴史家 た
て い る),科 学史 の ク ロ ノ ロ ジ ー で 言 え ば , ベ ー
コ ンや ガ リレオやデカル トとい った科 学 革 命 の巨
ちが,異 端 の迫害 ・ル ネ ッサ ンス ・宗教改革 ・絶
対主義 ・科学革命 ・民 衆 文 化 の後退 などの中世後
1 9 9 3 年2 月 2 4 日受 理
* WellcOme lnstitute
連 絡 先 W e l l c O m e l n s t i t u t e , 1 8 3 E u s t oRnO a d
L O n d O n N ヽV 1 2 B N , U . K
人た ちの生 涯 と重 な る時 期 に , ョ ー ロ ッパ の魔
女 狩 りは ク ライ マ ッ ク ス に 達 して い る. 俗 耳 に
りや す い 「中 世 の 魔 女 狩 り」 と い う言 葉 は甚
入
だ しい時 代 錯誤 で あ る こ とを 改 め て 強 調 して お き
(37)
化
学
史
研
v01 20
究
ェ ッセ ンスを好意 的 に紹介 す ることに力 を注 いだ
ー ー
全体 を通 じて,筆 者 は レヴュ ア 以上 の役害1を
に か
僣称 しな い こ の小稿 の以下 の部 分 は 3節 分
ー
れ,第 1節 で デ モ ノ ロジ の思想史,第 2節 で魔
ナ
こヽヽ
.
度
No l
一
近年 の研究 の多 くが共有 して いるいま つの態
は,魔 女 狩 りの発生 と終焉 を魔女狩 りの手引書
・
を書 いた神学者 ・法学者 牧師や実際 に裁判 を行 っ
ー
た裁 判官 た ち,一 言 で言 って エ リ トの態度 の変
の
女裁判 の社会 史,第 3節 で は魔女狩 りの衰退 間
ー
題 を取 り扱 う。細 か い史実 や地域 差 な どのデ ィ
ー
化 のみ に関係 づ け るので はな く,エ リ トの文化
と民衆 文化 との力学 の中 に位 置 づ けよう, と い う
パ ー スペ クテ ィヴで あ る.1967年 に トレヴ ァー=
テイルに関 す る情報 は最少限 に ととめ,紙 幅 の都
。
・
合 で法制 史 上 の テ クニ カルな議論 や戦争 飢饉
な
流行病 ・経済 的危機 な ど と魔女 狩 り との関係 ど
7).魔
女狩
の幾 つかの重 要 な ポイ ン トを割 愛 した
ローパ ー は 「村 の迷信」 の問題 を意図的 に不間 に
付 し,歴 史家 に と つて重要 なの は迫害者 で ある教
ー
養 あ る エ リ トの態度 だけであ るか のよ うに問題
ー =口
め
を取 り扱 った .魔 女狩 りが (ト レヴ ァ
りが ヨー ロ ッパ 全体 を覆 った現象 で あ ることを反
が
映 して各国語 で研究 が 出版 されて い るが,筆 者
ヵ ヴ ァー した の は主 と して英語 で書 かれた もの と
パ ーが なぞ らえ るよ うに)ナ チのユ ダヤ人狩 りの
一
フラ ンス語 の研 究 の ご く 部 だ けで あ る。魔女狩
に
りが最 も激 しく,組 織 的 な魔女狩 り研究 が最初
い
始 ま った ドイ ツ語 圏 が,近 年国際 的 に評価 が高
オ リジナ ルな優 れ た解釈 を提 出 して いないよ うな
よ うな モデ ルで,す なわち裁判官 たちが町や村 を
巡 回 して怪 しい人 間 を拷間 にか けて 自白を引 き出
し魔女 と して処刑 して いたな らば,問 題 にな るの
は迫害 の ロジ ックだ けであ ろ う.(映 画 『薔薇 の
印象 を筆者 は持 って い るが, こ れが大 きな見落 と
名前』 を ご覧 にな った方 はそ のよ うな印象 を持 た
ー
れた ので は ?)し か しヨ ロ ッパ の魔女狩 りにお
しで な い ことを祈 って い る.
ー
いて は,魔 女 の告発 のイニ シアテ ィヴは エ リ ト
の側 で な く魔女 と顔見知 りの村 の隣人 が取 ってお
1.デ
モ ノ ロ ジー の 思 想 史
ー
り, こ の告発者 たちはエ リ トが持 って いたの と
は別 な ロジ ックを使 って隣人 を魔女 だ と名指 して
文化 人類学 者 が明 らか に した他 の地域 の魔女徘」
の観念 と異 な り, ヨ ー ロ ッパ の魔女 は単 に超 自然
い る, と い うのが現実 で あ る。.魔 女 狩 りは権 力
の側 か らの一 方 的 な迫害 と して行われて いたので
的 な方法 で危 害 を加 え るだ けで な く, この能 力を
悪魔 との契約 によ って キ リス ト教 を拒 む事 と引 き
ー
はな い ケ ー スを解釈す るの はエ リ トの側 だ っ
たが, あ る人間 を魔女 と して法廷 に連 れて きた の
バ
替 え に手 に入れ,夜 間 に空を飛 んでサ トに集 ま っ
て悪魔崇拝 の儀式 を行 うと考 え られ て いたヽ こ
はほ とん どの場合民衆 の側 だ ったのであ る 魔 女
ー
狩 りを近 代初頭 の エ リ トの文化 の問題 と してだ
のキ リス ト教 に特 徴的 な悪魔 の理解 は,初 期中世
けで な く, よ り広 い社会史 の コ ンテク ス トで論 ず
る こ とが必要 だ とい う合意 は以上 のよ うな事情 に
進展 し,15世 紀 の後半 に明確 な形 を取 る。 この長
ぃプ ロセ スの なかで特 に重要 なの は, ス コ ラ哲学
基 づ いて い る.
で論 じられ た悪魔 と魔術 との関係 と,12世 紀 か ら
異端 の迫害 を き っか け に して キ リス ト教 と社会 の
か ら長 い時 間 をか けて神学 や 自然哲学 な どによ り
この小稿 の 目的 は,上 に概観 したよ うな方 向で
進 ん で きた近年 の魔女狩 り研究 の成果 を紹介 し,
敵 に関す る ステ レオ タイプが形成 され た ことで あ
今後 どの よ うな方 向 の研究 が可能 かを示唆す るこ
る。
とで あ る.「海外研究動向」 と い う枠 組 み を考慮
して,で きるだ け多 くの興味深 い刺激的 な立論の
ー
中世 の思想 が デ モ ノ ロ ジ の形成 に果 た した役
ー ・ ー
割 につ いて は, 」.B ラ ッセル, エ ドワ ド ビ
(38)
魔女狩 りと近代 ヨー ロ ッパ (鈴木)
ター ズ らが詳細 な研究 を発表 して い る。.教 父 時
中世 の ヨー ロ ッパの知識人 たち は悪魔 と繋 が りを
代 か らキ リス ト教哲学者 は,魔 術 ・占星術 な どの
異教 の教養 をキ リス ト教 か ら切 り離 し,そ れ らは
持 つ 人間 につ いての強力 な ス テ レオ タイ プを形成
して いた.ノ ーマ ン ・コー ン らが示 した よ うに,
悪魔 の欺 きで あ り迷 信 で あ ると論 じ,魔 術師 は ア
カ タ リ派 ・ワル ド派 などの組織的 な異端 を迫害 し,
ンチ =キ リス トの手 先 で あ る と非 難 して きた.7
彼 らを徹底 して邪悪 な敵 と して塗 り潰 す ため に,
世紀 の ビザ ンテ ィ ンで は,司 教職 を得 るために悪
異端者 たちは秘 かに集 ま って同性愛 ・異性愛 の乱
魔 と契約 を結ん だ聖職者 の物語 も書 かれ,現 世 で
交 や近 親相姦 に耽 り,嬰 児 を屠 ってその肉 を貪 り,
の利益 と引 き替 え に神 を捨 て るよ うに人間を誘惑
キ リス ト教 の儀式をあざけ って悪魔 を崇拝 し,善
す る悪魔 の姿 も定着 して お り,修 道 院 の初心者 向
きキ リス ト教社会 と道徳 を根本 か ら転 覆 す ること
けの手 引書 のなかで は,悪 魔 の誘惑 に対 して信仰
と規律 で身 を守 るよ うに しば しば忠告 されて い る.
を企 ん で い る, と い う社会 の敵 につ いて の像 が形
・
成 された )。この異端者 の ステ レオ タイプは, 社
こ うい った長 い歴 史 を持 つ魔術 と誘惑 す る悪魔 を
会 の他 の望 ま しくな いセ クターの上 に も写像 され,
結 びつ け る観念 を水脈 に して,12世 紀 にア ラ ビア
とギ リシアの文献 が ヨー ロ ッパ に流 入 し,そ れ ら
らい病患者 は獣 のよ うな無差別 な性 欲 を持 ち (イ
ゾル デ は姦通 の罰 と して らい病患 者 に輪 姦 され る
に含 まれて いた魔術 へ の関心 が増 大 した とき も,
よ う定 め られ る),ユ ダヤ人 は悪 魔 を 崇 拝 じキ リ
スコラ哲学者 た ちの多 くは魔術 に対 して,む しろ
これ まで よ り厳 しい態度 を取 った.ロ バ ー ト ・グ
ス ト教徒 の嬰児 を殺 して喰 う (『ヴェニ スの商人』
の シ ャイ ロ ックは肉を要求 す る), な どの イ メ ー
ロス テス ト,オ ー ヴェルニ ュのギ ヨーム, トマス ・
ジが 12世紀以降着実 に広 が って い く1の
.こ の邪 悪
アク ィナ スな どの影響 力 が あ った哲 学者 は,魔 術
な社 会 の敵 の像 は魔女の上 に徐 々 に結 晶 し,14世
や 占星術 の詳細 な知識 に基 づ いて,そ れ らの多 く
は悪魔 の技 であ ると論 じて い る1の
.魔 術 に対 して
―
よ り共感 を示 した学者 例 えば ダ ンテ 『神曲』 で
紀 の始 めか ら魔女裁判の記録 に,単 に超 自然的 な
地獄 に落 とされた魔術師 と して悪 名高 いマイケル ・
ス コ ッ トー も.星 の影響 な どの 自然 的 な方法 で達
成 され る魔術 の存在 を主張 しつつ ,少 な くとも魔
術 の一 部 は悪 魔 の助 けを借 りた もので あ ることを
認 めて いた こ れ ら12・13世紀 の ス コ ラ哲学者 の
デモ ノ ロジー は,以 前 か ら存在 した誘惑す る悪 魔
方 法 で危害 を加えた とい う罪状 だ けで な く,悪 魔
の集 団崇拝 や嬰児殺 しな どの罪状 が 現 れ るよ うに
な るD.魔 女 と異端やユ ダヤ人のイメー ジが重 な っ
て いた ことは,「魔女」を さす言 葉 と して, し ば
しば 「カ タ リ」「ワル ド」 と い う異 端 を さす言 葉
が訛 った形 が用 い られ,ま た魔女 が悪魔 を崇拝 す
る集会 は 「サ バ ト」 「シナ ゴー グ」 な どの ユ ダヤ
と悪 魔 の助 けを借 りた魔 術 に関す る観念 を, ヨ ー
教 の ボキ ャブラ リーで呼 ばれた ことか らも明 らか
で あ る・).
ロ ッパ の イ ンテ リに共 有 された体 系 的 な世界観 に
これ らの魔術 につ いての ス コ ラ哲 学 の精密 な議
はめ こみ,そ れ らを孤立 した不思 議 な現象 で はな
論 と,キ リス ト教社会 の敵 を迫 害 す る強 力 なイデ
オ ロギ ーが融合 して,悪 魔 と契約 を結 ん で得 た超
く,合 理 的 な説 明 と関心 の対象 で あ る世界 の働 き
の一 部 であ ると した。 この結果,悪 魔 と魔術 につ
いての考察 は教養 あ る人 間 が学 ぶ べ き知識 の一 部
自然 的 な手段 で人 に危害 を加 え, サ バ トで集 団的
にな り,後 にデモ ノ ロ ジーが広 く知 識人 に共有 さ
な悪 魔崇拝 のおぞ ま しい儀式 を行 う魔女 , と い う
ヨー ロ ッパ の魔女 の標準的 なモデルが 作 り出 され
れ る素地 を作 った。
た。 15世紀始 めの フラ ンスや スイス ー当時 ワル ド
派 が迫害 されて いた地域 ―の魔女裁判 の記録 では,
高度 に洗練 され た哲学 的 な議論 の外 で も,後 期
(39)
化
学
史
研
v 。1 2 0 N o l
究
女狩 りの モデルが確立 され る時期であ
。 ド イ ツで
す で にこのモデ ルが確立 されて い る
ニ コ会士,ハ
異端 審間 に携 わ つて いた二人 の ドミ
1520年頃 か らの約半世 紀間,宗 教改革 と反宗教 改
ヨー ロ ツパ の
革 の初 期 の激動期 に,奇 妙 な ことに
コ プ ・シユプ レン
ー ー
イ ン リッヒ ・クラ マ とヤ
ガーが,教 皇 イノセ ン ト8世 の勅書 とともに悪 名
ロ ジーの出版 も底 を打 つ
各地 で魔女 裁判 もデ モ ノ
B).そ して1560年頃 か ら,以 前 よ りず っと激 しさ
した時
高 い 『魔女 に与 え る鉄槌』 を1486年に出版
には,魔 女裁判 の ロジ ックは法廷 ですで にあ る程
を
を増 して魔女狩 りが再開 し,そ れ まで魔女 狩 り
が始 め ら
知 らなか った地域 で も大規模 な魔女裁判
ー
れた時 に,再 びデ モ ノ ロジ の出版 も盛 んになる.
に14版を重
度 確立 して いたので あ る.1520年 まで
い
ねた 『
鉄槌』 は,魔 女 の観念 を作 り出 した と う
ロジーヘ の興味 が直接魔
地域 によ つて は,デ モ ノ
ー ス (例
女狩 りを引 き起 こす原因 にな ってい るケ
よ りむ しろ,出 版 され た裁判 マ ニ ュアルの形 で魔
“
ヨー
女 の審間 を標準化 し ヽ 魔女 につ いての観念 を
えば1590年代 の ス コ ッ トラ ン ド)も あ る。人文主
ス コラ哲学 ・異端
義 と宗教改革 が激 しく攻撃 した
ー
に られ た
審 間 ・修道 院 とい うフ アク タ を背景 作
の
デ モ ノ ロ ジーが,16世 紀 を生 き延 びて世紀 後半
ロ ッパ全体 に広 め る役割 を果 た した と言 え る.魔
に基
女 =背 教者 とい う 『鉄槌』 が標準化 した観念
づ いて,魔 女 は人や動物 に危害 を加 えただけでな
なされ,
く,キ リス ト教 に対 して直接敵対 したとみ
一
しば
生 きなが ら火災 りにされ るとい う 裁判官 は
一
い
しば絞首刑 に処 して温情 を示 したが 最 も厳 し
一
に さ らに強 力 にな って復活 したの は つ の謎 で あ
る.お そ らくこれ は,魔 女裁 判 の復活 が新 たなデ
モ ノ ロジーヘ の需要 を産 んだためで あ り,『鉄槌 』
ー
の
した
以 来 の一 連 のデ モ ノ ロジ と魔女裁判 連動
パ ター ンは,デ モ ノ ロジーが現実 の魔女狩 りを支
えな
処罰 の対象 とな った。 (目に 見 え る危 害 を加
くと も,悪 魔 と契約 を結 んだ とい うだけで魔女 は
っ
極 刑 に値 す る, と い う極 端 な 見 解 す ら あ
え正 当化 す るプ ラクテ イカ ルな性格 を持 って
た、)
男
る.し か し
一
は
『鉄槌』 が果 た した もう つ の役 割 は,女 性
性 よ り劣 った危険 で邪悪 な存在で あ るとい う,
いた
ことを示 す
一
しか しな が ら,精 妙 な スコラ哲学 に つ の起 源
を持 つ ことか らも察 す ることがで きるよ うに, デ
一
モ ノ ロジー は知 的 に洗練 され た営 み と して の 面
に
主 として スコ ラ哲学 で唱 え られ て いた観念,特
な
女性 を危険 な誘惑者 とみな した修道士 に顕著 観
")『 鉄槌』 自身, ス コ ラ哲 学 的 な
も持 って いた
の
学 問 的討論 の形式 を取 って書 かれてお り,魔 女
しよ
実 在 とそ の有罪 を合理的 な議論 によつて証 明
うとい う目的 を持 って いた 16世 紀 の後半以降,
の 『悪 魔
。
と りわ け ドイ ツの医師 ヨハ ン ワイヤ
の欺 きにつ いて』 (1563)や イ ン グ ラ ン ドの ジ ェ
=女 とい うステ
念 を魔女 の観念 と結 びつ け,魔 女
ニ
レオ タイ プを作 り上 げた ことで あ る ド ミ コ会
の修道士 であ った 『鉄槌』 の著者 によれば,女 性
は知性 に欠 け,信 仰 が弱 く,虚 栄心 が強 いので物
い
質的 な利得 を追 い求 め,男 性 よ りも性欲 が激 し
1つ
ので,悪 魔 の誘惑 に陥 りやす い 魔 女狩 り と女
性 の問題 につ いて は次節 で また触 れ るが,『鉄槌』
ー
パ
が確立 した魔女 =女 とい う観念 は, ヨ ロ ッ 全
の
体 を平 均 して 魔 女 と して 処 刑 さ れ た人 間 約
80%が 女性 であ る と い う事 態 に確 実 に貢 献 して
ン トリの レジナ ル ド ・ス コ ッ トによる 『魔女術 の
な
解 明』 (1584)な どの著作 が, 魔女 を有 罪 とみ
に
す根拠 を学 問的 な議論 によ つて否定 し,そ れ ら
ンド
・
対 す る反批判 が ジ ヤ ン ボ ダ ンや スコ ッ トラ
ジェイ ム
王 ジェイ ムズⅥ世 (後の イ ングラ ン ド王
い る.
1480年か ら1520年くらい まで の期間 は,『鉄槌』
ー
を始 め と して多 くの デ モ ノ ロジ が 出版 され,魔
ズ 1世 )に よ って出版 され るとい う段階 に入 ると,
デ モ ノ ロジー は高度 に知的 な論戦 が戦 わ され る領
(40)
7/{ (r+x)
tiEfts-tr
ffitr.W?
ー
ー ・
域 にな る。 そ して, ス チ ュア ト クラ クが示
したよ うに, こ の魔女 につ いての議論 は,旧 い史
人 の最 も著名 な魔女狩 り反対論 者 は と もに,カ ト
観 が誤 って前提 して いた よ うな ドグマ テ ィックな
魔女狩 り全面賛 成派 と進 歩 的 な全 面否定 派 の対立
い うプ ロテ スタ ン トの激 しい カ トリック攻 撃 の ポ
レ ミックを共有 してお り, ト レヴ ァー =ロ ーパ ー
が魔女狩 りを止 めた フ ァク ター とみ な した宗教 上
の寛容 の原則 に従 って魔女狩 りに反対 して い るわ
リック教会 の奇跡 と儀式 は全 て まやか しで あ ると
・
とい う図式 を取 らず に,聖 書 の解釈 全 ての 「魔
。
術」 が悪魔 の技 か ど うか 魔 女 が飛 行 した り姿 を
。
変 えた りす る ことが可 育しか 否 か な どの さまさま
なポイ ン トに関 して同時代 の複数 の思想 の潮流 を
ー
けで はな い.宗 教的寛容 はむ しろ, ワ イヤ を徹
底的 に反駁 した魔女狩 り賛成派 の ボ ダ ンが 別 の著
反映 しなが ら少 しず つ 異 な った見解 が存在す る,
発達 し複雑化 した姿 を取 って いた.
作 で強力 に表明 して い る.魔 女狩 りは宗教 的 な敵
対 が もた らす社会 の危機 の産物 で, そ の危機 が最
この複雑 なデ モ ノ ロ ジー の論争 のなかで中心 に
な ったポイ ン トの一 つ は,聖 書や古典古代 の文学,
終 的 に寛容 の原則 によ って解決 され た時 に魔女狩
ー =ロ ー パ ーの モ
りが終 わ った, と い う トレヴ ァ
教父 や ス コ ラ学者 の書 物,中 世 の年代記 や聖 人伝
な どの膨大 な文献 に現 れ る魔女 につ いての記述 の
デ ル は少 な くともワイヤ ー, ス コ ッ トと彼 らを め
").
ぐる論争 には妥 当 しな い
解釈 であ る.こ れ ら 「書 か れ た」証拠 の中 で特 に
デモノ ロジーの論争 は こうい った聖書 な どをめ
重要 だ ったの は,人 文主 義 と宗教 改革 の影響 で聖
書 の字句 の正確 な解 釈 に関心 が高 ま って いた こと
くる プ ッキ ッシュな議論 だ けで な く,法 廷 で得 ら
れた魔女 の 自白や証人 の証言 な どの経験 的 な証 拠
の解釈 をめ ぐる議論 も含 んで いた.こ の タイプの
も反映 して,聖 書 で あ った.(特 に 「聖 書 の み 」
)旧 約 ・
を主張 した プ ロテ ス タ ン ト諸派 にとつて。
議論 において は,魔 女 が悪 魔 の助 けを借 りて行 っ
新約 とも聖書 は魔女 の実 在 と厳 しい処罰 を主張 す
る論者 に圧 倒 的 に有利 な記 述 を数多 く含 んで いた.
た とされて いる行為 を 自然哲 学 的 に ど う説 明す る
彼 らは こぞ って 『出 エ ジプ ト記』 の 「魔女 を生 か
副 のエ ン ・
してお いて はな らな い」や 『サ ムエル言
した教会法 にお いて は,魔 女 の空 中飛 行 な どは現
実 に起 きる ことではな く幻覚 ・夢 であ り, こうい つ
ドルの魔女 の記述 を引 き,悪 魔 や魔女 の実在 を疑
た行為 の実在 を信 じる ことは迷信 で あ る と主張 さ
うものは聖書 に明確 に書 か れて い ることを疑 う無
れてお り,15世 紀以 降 にお いて も,魔 女 狩 り反対
神論者 であ ると論陣を張 った こ の強力 なポ レ ミッ
クに対 し, ワ イヤ ー は ヘ ブ ライ語学者 の助 けを借
派 は もちろん賛成派 によ って も この教 会法 の意 見
りて,聖 書 で言及 されて い る 「魔女」 とい う言葉
は実 は 「毒殺者」 を意 味 す ると反駁 した。 ス コ ッ
何 が不可能 か をめ ぐって は意見 の差 が あ ったが,
トは当時霊魂 否定論者 と して激 しい攻撃 の対象 に
な って いた ピエ トロ 。ポ ンポ ナ ッツイ と同 じ見解
がで きるの は神 だけで,悪 魔 の技 は いか に不可思
議 に見え よ うとも自然 の働 きの範囲 に入 っている,
を取 って,聖 書 で言 われ て い る悪魔 は人 間 と関係
とい う点 に関 してはデ モ ノ ロ ジス トの 間 にはぼ完
を持 ち得 る実在 で はな く,単 に人 間 の理解 を超 え
全 な合意 があ った.そ れ ゆえ,悪 魔 と魔女 に帰 さ
た技 が行 われた ときにそれ を説 明す るため の比喩
だ とい うカ トリック ・プ ロテ ス タ ン トの どち らに
れて いる事 の うち何 が事実 で何 が 虚偽 か とい う間
己ごろに成 立
かが ポイ ン トにな る も と もと 9世 糸
は常 に意識 されて いた 悪 魔 と魔女 に何 が可能 で
ア ク ィナ スの定式化以来,真 の奇 跡 を起 こす こと
とって も受 け入 れが たか った ラデ ィカルな議論 に
20.こ の二
基 づ いて魔女 と悪魔 の実 在 を否定 した
(41)
題 は,「 自然 の働 き」 の境 界 設 定 の 問 題 と重 な っ
て いた.例 えば,「魔女 が動 物 に 変 身 す る こ とが
で きるか」 「魔女 が空 中 を飛 行 で き るか 」 な どの
■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ︱ ︱ ︱ ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ロ ロ ー ー ー ー i l l l l l l l l
化
学
史
研
究
問題 は,「人間 に隠 されて い る 自然 の 手 段 を用 い
Vo1 20 NO l
て悪 魔 は これ らの驚異 を 引 き起 こす ことがで きる
みで あ った ことを示 そ うとす る24).クラー クに よ
れば,近 代初頭 の言語 ゲームの基本 は ヒエ ラルキー
か」 とい う問題 として議論 されたので ある ク ラー
の頂点 とその正反対 の位 置を占め る二 つの もの を
クが鋭 く指摘 す るよ うに,悪 魔 の介 入 は超 自然的
対照 し,後 者 によ って前者 を際立 たせ,前 者 の正
な説 明で,悪 魔 によ らな い説 明 は 自然 的 ・科学的
しさと価値 を再 定義す ることで あ った 正 義 や真
な態度, と い う現在 の多 くの魔女狩 り研究者です
理,正 しい宗教 と政治 な どの 「秩序」 の維 持 と再
ら前提 して い る図式 は,「 自然」 というカテ ゴ リー
生産 のため には,そ れ と正 反対 の 「無秩 序」 を仮
につ いての アナ ク ロニ ズム に基 づ いて い る2の
。
科学 的 。経験 的 な 自然哲学 と悪 魔 と魔女 の実在
を論 ず るデ モ ノ ロ ジーが 完全 に両立 した ことを示
す例 が,王政復 古期 の イ ン グ ラ ン ドで ジ ョゼ フ ・
想 し (あるい は 「愚者 の祭 り」 の よ うに意 図的 に
表象 す る ことが必 要 だ ったので あ る.無 秩 序 を対
比 的 に想 定 し表 象 す る戦略 に従 って,魔 女 はサ バ
グラ ンヴ ィルが ヘ ン リ ・モアや ロバ ー トoボ ィル
に支 え られて 出版 した デモ ノ ロ ジーで あ る")以
トで十字 架 を踏 み付 け,聖 餅 に唾 を吐 きか け, ミ
サを逆 か ら唱 え,後 ろ向 きに ダ ンスをす る と描 か
前 の多 くの デモ ノ ロ ジー は聖 書 の解釈 な どの書物
の上 の証拠 と魔女 の 自由な どの 「現実 の」証拠 の
双方 を用 いたが,グ ラ ンヴ ィル は 当 時 ロ イヤル ・
ソサ イ エ テ ィを中心 に確 立 されつつ あ った科学 の
方 法 を反 映 して (彼はそ の フェ ローで あ り,ベ ー
コ ン主義 の スポ ー クス マ ンで あ った ), 裁判 での
証言 な どの 「現実 の」証拠 を収 集 し,そ れ らを魔
女 の実在 を証 明す る議論 の要石 とした。 グランヴィ
ル らに とって不幸 な ことに,当 時現実 の魔女狩 り
作 り出 し),そ の無秩序 との対 比 に よ って 秩 序 を
れ る.王 権神授 を称 えた ジェイ ム ズⅥ 世 が デ モ ノ
ロジーを出版 し魔 女 を裁 くことの必 要 を説 いたの
は,神 ―悪魔 と い う対立 項,神 の地上 の代 理人 と
しての国王 ―悪 魔 の配下 の魔女 とい う対 立 項 を設
定 し,そ の対比 によ って 自 らの政治 の正 しさを再
認識 させ秩 序 を再生産 しよ うとい う当時 の ゲ ー ム
の規則 に従 った結 果 であ る, とクラー クは論ず る
クラー クの この議論 は必 要以 上に壮 大 に作 られ
が激減 して いたので,彼 らが企 画 した大規模 な経
たモデルに基 づ いて い るせ いか,「 実 証 的 Jな 歴
史家 た ちの評 価 は高 くないが, も っ と注 目 されて
験的 な証拠 の収集 に基 づ くデ モ ノロジー は素材不
然 るべ きモ デ ルで あ る ク ラー クの モ デ ル の 一 っ
足で短命 に終 わ ったが, この ロ イヤル ・ソサイェ
テ ィの中心 メ ンバ ー たちの例 は,魔 女狩 りと近代
の長所 は, 18世紀 にデモノ ロ ジー が顔1的に没落 し
た ことを,新 しい秩序 の再生産 の ゲ ー ムの登場 と
科学 を単 純 に対立 させ る ことが で きな い ことを示
して巧 く説 明 で きることで あ る デ モ ノ ロ ジーが
して い る
衰退 す る17世紀 の終 わ りか ら18世紀 は ヨー ロ ッパ
思想史 研究 にお ける政 治 や イデ オ ロキ ーの役割
へ の注 目を反映 して,デ モ ノロジー と当 の
時 政治 。
イデオ ロギ ー との関係 も,幾 つ か の優 れ た論考 の
対象 にな って い る。 その 中で最 も大 きな野心的 な
仮説 はクラー クが 提 出 したモデル であ る ク ラー
クは,近 代初頭 の論理学 ・レ トリック ・政治学 な
どの分析 を通 じて,当 時 の 「言語 ゲ ー ム」 あるい
は 「思考 の文法」 の エ ッセ ンス を抽 出 し,デ モノ
ロ ジーが そのゲ ー ム の規則 に忠 実 に った
則
知的営
(42)
全体が政 治 的 に比較 的安定 した 時 代 ,「 17世 紀 の
危機」 が終 わ った時代 であ り,魔 女 を焼 き殺 して
まで秩序 を再生産 す る心 理的 な必 然性 が 薄 れ た時
代であ る.ま た政治的闘争 にお いて悪魔 に対 す る
聖戦 とい うフ ァクター は重要性 を失 い, よ り世俗
化 した闘争 の レ トリックが用 い られ たた め,悪 魔
の配下 を敵 に す る必 要 が 低 下 した さ らに イ ン
グラ ン ドにお いて は議会制 と政党政治 ― ヒエ ラル
キ ーの唯 一 の頂点 で あ る神授権力 の王 に よ る支配
魔女狩 りと近代 ヨー ロ ッパ (鈴木)
とは全 く異質 な秩 序 のモデル ーが確立 した時代 で
の は,民 衆 はデ モ ノ ロジー を信 じて いなか った と
あ り, ジ ェイ ムズⅥ世 が行 って いたゲ ー ム とは異
い う点 であ る.告 発 は人間,動 物,農 作物 などに
な った ものが支配 的 にな った時代 であ ると論 ず る
魔女 が不思議 な仕方 で危 害 を加 え た とい うもので
ことが で きるだ ろ う.ク ラー クの政治 の表象 の言
語 ゲ ー ムの概念装置がデモノロジーを説明するオー
あ り,悪 魔 との契約や サ バ トなどは全 く現 れない。
総 じて悪魔 に対 す る神 学 的恐怖 は エ リー トの もの
ルマ イテ ィの モ デ ルで ないことは言 うまで もな い
リズムにつ いての研究 が現れ ることを筆者 は強 く
で あ り,民 衆 に とって霊 の呼 び出 しや魔術などの,
エ リー トが悪魔 の技 とみ な した行為 は,人 間 の力
を超 えた聖 な る力 へのア クセスの手段 の一 つであっ
期待 して い る
て,問 題 にな るの はそれ らが悪意 に基 づ いて悪 い
が, ク ラー クに続 くデ モ ノ ロ ジー と政治 の シンボ
2.魔
結果 を産 むか (邪悪 な 「黒 い」 魔 女 術 ), そ れ と
女 狩 りの 社 会 史
多 くの聖 俗 の法廷 で行 われた魔女裁判 を図式化
す る と,1)裁
く側,2)裁 かれ る側,3)告 発者 の
三 者 が構 成 して い た2D。 この うち,1)の 判 事 な
どの裁 き手 は,デ モ ノ ロ ジーの著者 たち と同 じ教
養 あ る エ リー トの社会的 グル ー プに属 してお り,
多 くは悪 魔 との契約 やサバ トなどの観念 を信 じて
も善意 によ って望 ま しい事 態 を もた らす か (「白
い」魔術)で あ った。魔女裁 判 にお いて,ェ リー
トと民衆 は 「魔女」 とい う言葉 で違 うものを意味
して いたので あ る2つ
.
魔女 と して裁 かれた者 の プ ロ フ ィー ル につ いて
いた。ニ コ ラ ・レ ミの よ うに自 らの ロ レー ヌでの
は,膨 大 な裁判 記録 の地道 な調査 の結 果,か な り
確 か な ことが わか って い る2の
。比 較 的確実 な概算
ー
によれ ば, ョ ロ ッパ 全体 で10万強 の人間が魔女
魔女裁 判 の経験 を取 り入 れてデモ ノ ロジーを出版
と して裁判 にか け られ,6万 近 くが処 刑 され た。
した判事 た ち もい る も ちろんす べ ての判事 が デ
モ ノ ロ ジー の観念 に基 づ いて有罪判決 を出 して い
しば しば誤解 を招 く仕 方 で比較 され るナチのユ ダ
ヤ人狩 りと違 い,魔 女 は属性 で はな く行為 に基 づ
たわ けで はな い イ ングラ ン ドの多 くの魔女 は、
いて裁 かれて いたので,広 く既婚未 婚 ・貴賎 の老
彼 らが加 え た とされ る危 害 にのみ基 づ いて有罪 と
若男女 か ら犠牲者 がでて い る し か しや は り,現
されて お り, デ モ ノロジーの痕跡 は -1603年 か ら
ジェイ ム ズ I世 を国王 に戴 き,悪 魔 との契約 は改
在 「魔女」 と言 った ときに普通 に想 像 され る 「
孤
独 な貧 しい老婆」 とい うス テ レオ タイ プは,現 実
の犠牲者 の像 に比較 的合致 す るとい って よい 14
正 され た魔女 狩 り法で強調 されて い たに もかかわ
らず ―法廷 で は殆 ど見 いだせない20。 しか しこ う
い った例 外 を別 にすれば,魔 女を裁 い た判事 たち
世紀前 半 に散 発的 に起 きた魔女裁判 で は,宮 廷で
の多 くは,程 度 の差 こそ あれデモ ノ ロジーを信 じ
主流で あ ったが,そ れ以 降 は圧 倒 的多数 の犠牲者
て いた
が社会 の下層 か ら来 て い る.富 裕 な商人 や牧師,
判事 やその家族 な どの エ リー トが魔女 と して裁 か
2)の 魔女 と 3)の 告発者 は同一 の 「民 衆 」 とい
うくく り方 がで きる社会的 な グル ー プか ら来 てお
の政治 的陰謀 との関係 で処刑 された上 層 の人間が
れ るの は連鎖 反応 で起 きた大量 処刑 の きわめて例
り,地 理 的 に も同 じ村 の顔見知 りで あ ることが 多
外的 な場 合 に限 られて い た (裁 き手 と同 じ階級
か った_両 者 の社会的 な スティタスの間 には若干
に属 す る大学 出 の教養 あ る魔術 師 が悪魔 との契約
の差 が あ ったが (総 じて告発者 の方 がやや上で あ
る),両 者 とエ リー トの裁 き手 との ギ ャ ップの 方
が ず っと大 き い。 この ギ ャ ップが 最 も明 らか な
の 罪 状 で 裁 か れ た こ とは 殆 と な か っ た29)ま
た, ヨ ー ロ ッパ全体 で裁判 にか け られた者 の うち
80%近 くが女 性 で あ り,例 え ば ジ ュ ネ ー ヴで 告
(43)
化
学
史
研
究
Vo1 20 N。
1
発 され た (男女併 せ た)魔 女 の うち 75%が 50歳
らの 自白 は殆 どの場 合拷 間 の もとで得 られた もの
以 上 で あ り, イ ングラ ン ドのケ ン トで告発 された
を 占 め る (未亡人 44%,未 婚者 35%)3の
。
で あ り,拷 間 の苦 しみか ら逃 れ るために魔女 たち
は判事 が 聞 きたが って い る こと― デモ ノロジー に
描 かれて い る こ と―を何 で も語 った とい う解釈 が
この老 年 の独身 の女性 へ の偏 りを説明す るため
に様 々な試 みが されて きた。 キ ャロライ ン ・マ ー
妥 当 であ る.難 しいの は,果 た してサバ トなどの
集 会 が デ モ ノ ロ ジー によ る全 くの捏造 なのか,そ
チ ャ ン トら歴史的 にナイー ヴな論者 は,あ たか も
デ モ ノ ロジーや エ リー トの書物 に表明 されて い る
れ と もそ の核 とな る行為 が実際 に存在 したのか,
女性 を邪悪 な敵 とみなす思想が直接 この偏 りを作
取 って い るが,後 者 の見解 を支持す る幾 つかの優
れ た研 究 もある エ マニ ュエル ・ル=ロ ワ=ラ デュ
女性 の魔女 の うち,結 婚 して いな い もの は 79%
り出 したか のよ うに議論 して い るが,魔 女 の告発
とい う問題 で あ る。 多 くの歴 史家 は前者 の見解 を
リは,魔 女 は厳 しい領主 へ の反抗 と してキ リス ト
の メカ ニ ズムを考 え ると, この タイプの議論 には
説得 力 がな い■).よ り洗練 された説得力が あ る解
教 を捨 て た と い う19世紀 の ミシュ レの見解 を再生
釈 は職 業 的 。社会的 。経済的 な ファクターを重 く
し,キ リス ト教 と中央集権 国家 に屈 しなか った山
見 て い る。 告発 された魔女 の中 には,薬 草 な どの
岳地方 の農民 は,権 力 と秩序 に対 す る象徴的 な反
知識 に詳 しい (それ らを毒薬 に調合す ることもで
きる と恐 れ られ て いた)調 理人 や,民 間治 療 者
抗 と して 逆 しま の 世 界 観 を持 った, と 論 じて い
る3のょ り重要 な発 見 は,カ ル ロ ・ギ ンズ ブ ル グ
(癒す ことがで きる者 は魔術 に よ り病気 に す る こ
が北 イ タ リア の フ リウ リ地方 の異端審間 の記録 か
と もで きるとみな された),出 産 の現場 に立 ち会
う (新生児 に危害 を加 え る機会が あると考え られ
ら発掘 して きた 「ベ ナ ンダ ンテ ィ」 の驚 くべ き例
で あ る34)。フ リウ リの農民 の間 に広 く信 じられて
て いた)産 婆 が しば しば現 れ る ま た,社 会 の下
いた豊 饒儀礼 に関 す る民 間信仰 によれば,特 殊 な
層 の高齢 の未亡人 や独身女性 が十分 な収入を得 る
能 力 を持 った人 間 で あ る 「ベ ナ ンダ ンテ ィ」 の霊
機 会 は少 な く,彼 女 らは しば しば貧 しく慈善 に頼 っ
魂 は,夜 間 に ウイキ ョウの枝 に乗 って空 を飛 んで
集 ま リー帯 に乗 ってサバ トに集合する魔女 の原型 ―
て生 きて い る気難 しい村 の厄介者 にな って いた
しか し, これ らの ソ リッ ドな フ ァクター に較 べ て
実証 は難 しいが,近 代初頭 の ヨー ロ ッパ は戦争 や
悪霊 た ち と戦 って, そ の戦 いに勝 つ とそ の年 は豊
流行病 な どの結 果未亡人 が増 え,プ ロテ ス タ ン ト
の民 間信 仰 を きわ めて慎 重 に取 り調 べ た結果,彼
諸 国 で は修 道院 の解散 な どで,社 会的 に安定 した
らは魔女 で あ る と結論 して いる ギ ンスブル グの
しか るべ き役割 を持 たない女性 に対 す る懸念 が増
発 見 が 民 衆信仰 の歴 史 の中で極 めて重要 であ るこ
大 して いた時期 であ り, これを背景 に父や夫 な ど
とは言 うまで もな いが, し か しこの 「
豊饒儀礼 が
ー
エ リ トによ って異端 と背教 と して解釈 され る」
作 にな る と信 じられて いた 異 端審間官 たちは こ
の男性 の権威 に服従 して いない女性 に対す る漠然
と した不安 が,魔 女 の告発 に何 らかの役割 を占め
て いた こと も確実 だ ろ う")
とい うパ ター ンが ヨー ロ ッパ全体 の魔女狩 りの歴
魔女 と して告発 された者 たちが現実 に何 を した
史 に と って どの程度妥 当す るか につ いて は,多 く
の歴 史家 は消極 的 な態 度 を と って い る39「 証 拠
のか, と い う問題 は最 も難 しい。魔女 の 自白の 中
の不在 は不 在 の証拠 で はな い」のは もちろんだが,
に含 まれて い るサ バ トヘ の飛行 や悪魔 との性 交 を
この パ タ ー ンは他 の地域 の裁判記録 に殆 ど現れな
全 て現 実 にあ った ことだ とみなす,常 識 か ら極端
い。 現実 に何 らか の形 で サ バ トと類似性 が あ る民
に外 れた見解 を とる歴史家 は今 で はいな い.こ れ
衆信仰 ゆえ に魔女 と して裁 かれた人間 の数 は決 し
(44 )
魔女狩 りと近代 ヨー ロッパ (鈴木)
て多 くはな い と信 じて よ い.
え られた りす る災難 によ って 誘発 され る ことを示
魔女狩 りの犠牲 者 の多 くは,デ モ ノロ ジー が 広
した_ 災 難 に遇 った もの は 同 じ村 の住人 が魔術 に
めた集団的悪魔崇拝 の観念 と拷間 の使用 によ る も
ので あ る.エ リック ・ ミデル フォー トが 南西 ドイ
よ って危害を加えた と告発 す るが, 魔 女 だ と名指
された者 と被 害者 の関係 は あ る共通 の パ ター ンを
ツの魔女 狩 りの研 究 で示 す よ うに,莫 大 な数 の魔
示す. 魔 女 と告発 され た ものが′
l 颯 のお金, 食 料,
女 が社会 を転 覆 しつ つ あ るとい う恐 怖 に駆 られ た
薪 などの物乞 いを し, 被 害者 が それを拒 み, しば
判 事 た ちは,悪 魔 の配下 を根 こそ ぎに しよ うと し
しば彼女 が悪態 をつぶ や きなが ら ( これが後 に呪
て,魔 女 だ と告発 され た ものがサ バ トで 見 か けた
文 であ ると解釈 され る) 立 ち去 る, とい うパ ター
仲間 の魔女 の名前 を 自状 す るまで拷 間 を止 め ず,
ンである。 この時 に物乞 い を拒 んだ側 に罪 の意識
その結果拷 間 と自 白 の連 鎖反応で次 々に魔女 が処
が発生す る 当 時すで に エ リザ ベ ス救貧法 が徐 々
刑 され るとい う状況 が 出来 す る.こ の タイ プの魔
に施行 されてお り, 貧 困 は個 人 の責任で あ り, 慈
女狩 りにお いて は,拷 間 の効果 とサ バ トの観 念 の
みが暴走 し,無 差別 な処 刑 が行われ る.ト リー ル
善 は国家が正 当な シス テ ム に沿 って正 しい貧民 に
の魔女裁判 で は,平 均 す る と 1人 の 魔 女 は約 20
ることはむ しろ貧民 の怠惰 を助長 す る悪 習 であ る
人 の共犯 の 名前 を 自白 させ られて い る。 エル ヴ ァ
ンゲ ンに お いて は16H年 の 70歳 の 老 婆 の 拷 間 と
との観念 が広 ま りつつ あ ったが, 一 方 で施 しを拒
む ことはキ リス ト教徒 と して の慈善 の義務 と共 同
処刑 を き っか けに して大 規模 な魔女狩 りが始 ま り,
体 の相互 に助 け合 う義務 を履 行 しなか った ことに
同年 の約 100人 ,翌 年 の約 140人 の処刑 を頂 点 に
な るか らであ る。 この罪 の意 識 ゆえ に, 災 難 に見
魔女狩 りは猛 威 をも、るい,犠 牲者 には, オ ル ガ ニ
舞われた ときに, 彼 は即座 に 自分 が施 しを拒 ん だ
ス ト,聖 職 者,判 事 とその妻 な どが含 まれ,街 を
訪 れ たイ ェ ズス会士 は この ままの ペ ー スで魔 女 狩
相手 を思 い浮 か べ, 彼 女 を魔 女 だ と告発 し本 当 の
りが進 めば一 人残 らず処 刑 されて しま うと恐 れ て
い る デ モ ノ ロ ジー と拷 間 の使用 は,一 件 の魔 女
裁判 が始 まれ ば連鎖 反応 で 大量 の犠牲者 を 出す仕
のみ行 うことであ り, 個 人 が無差別 に施 しを与 え
悪人 は彼女 だ と自分 に説得 す る ことで, そ の罪 の
意識 を拭 い去 ろ うとす る。 魔女 の告発 は古 い共 同
体 と慈善 の理念 にそむ いた罪 の意識 を他人 に転嫁
す るとい う機能を担 っていた, と トマスとマ クフ ァ
ー レンは
結論す る. こ の鮮 や か な モデ ル は, 確 実
組 みを持 って お り, こ の特 に ドイ ッに顕 著 な メカ
ニ ズムによ って ョー ロ ッパ の魔女狩 の
り 規模 は著
しく大 きな ものに な った ことは確実 で あ る36).
ぜ魔女告発が1 6 世紀 か ら1 7 世紀 に集 中 して いたか
しか し大 量 処 刑 の 最 初 の一 弾 き とな った 告 発
を大 きな歴史 の流 れの 中 で 説 明 してい る. 貧 富 の
や,孤 立 した告発 は いか に して行 われ たのだ ろ う
差が大 き くな りつつ あ り, 貧 困 と慈善 に関 す る古
か ? こ の メカ ニ ズム を説 明 したモデルの なか で
い共同体的な理念が新 しい個 人主義的 な ものに変
現在最 も広 く受 け入 れ られている古典的 な ものは,
キ ー ス ・ トマ ス とア ラ ン ・マ クフ ァー レンが イ ン
わ りつつ あ る 「移行期」 の 社 会 において, 魔 女告
発 は心理 的 なカ タル シスの役割 を果 た したので あ
グラン ドの ェセ ックスの記録 の研究 に基 づ い て20
る
な証拠 によって支 え られて い るばか りで な く, な
年以上 も前 に発表 した もので あ る3つ
。 彼 らは まず
エセ ック スの魔女裁判 の告発 は殆 ど例外 な く,人
足 を乗 せたよ り豊 か な告 発者 が 自分 よ り貧 しい者
間 や動物 が 奇妙 な死 に方 を した り原因不 明 の病 気
を魔女 だ と告発 して い る。 1 6 9 2 年に 1 9 人 が 処 刑
に罹 った り,農 作物 や チ ー ズなどに ダメ ー ジが与
されたァメ リカで最 も有名 なセ ー ラムの魔 女裁判
(45)
エ ッセ クスにおいて は, 新 しい社会 の理念 に片
化
学
史
研
究
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は,同 じ移行期 の産物ではあるが,全 く逆 のパ ター
ンー古 い社 会 の理念 に しがみつ いて い る貧 しい側
対 して 「開 かれ た」 もの にす ること,つ ま り民衆
が新 しい理念 を代表す るよ り豊 か な もの を魔 女 だ
と告 発す る―を示 して い ることを ボイヤ ー とニ ッ
セ ンバ ウムの緻密 な共同研究 が明 らか に した“).
で はな く,普 遍 的 に妥 当す る単 一 の規範 に従 うよ
うに仕向 けた時代 であ った こ の規範化 に と って
重要 なのは,民 衆 が各 々の独 自のル ー ルで な く国
セ ー ラムの村 には魔女 パ ニ ンクが始 ま る数十 年前
家 によ って与 え られ る法 を用 いて行動 す ること,
が それぞれ属 して い る共 同体 に特有 な文化的規範
か ら,二 つの グル ー プの緊張 が続 いて いた.一 方
はセ ー ラム村 の親都市 であ る近 隣 の大 きな国際的
貿易都市 (セー ラム市)と の商業 的繁 が りによ っ
て経済的 に上昇 して い るダイナ ミックな グル ー プ
範 された問題解決法 を採 用 した。 家畜 が奇妙 な死
であ り, も う一 方 はセ ー ラム村 は セ ー ラム市 か ら
に方 を した時 に,個 人的 な復讐 や保 護用逆魔術 の
独立 した組 織 にな り地域住 民 の独 自の共 同体 を作
使 用 によ って その問題 に対処 す るので はな く,誰
るべ きだ とす る経 済的 に没落 して い る ス タテ ィッ
それ が魔女術 をか けた と法廷 に訴 え出 る ことが絶
クな グル ー プで あ る。 パ ニ ックの直 前 には,後 者
の グル ー プは村 の新 しい牧師 を味 方 に付 け,牧 師
対主義 のイデオ ロギ ーが 要求 した文化 的 な慣習 で
の説教 を通 じて,個 人 の欲得 を共 同体 の理念 に優
が 「開 かれた」 ものにな ってい く時 期 に魔女告発
先 させ る利 己的 な者 は,よ きキ リス ト教徒 の村 に
が起 きた の は,一 部 の富裕 な農民 た ちが新 しい文
潜む裏切 り者 の ユ ダで あ り, キ リス ト教道徳 に挑
化 的規範 を採 用 したか らであ る.即 ち,16世 紀末
戦 す る悪魔 の手先 であ るとい うポ レ ミックを組 み
か ら17世紀前半 の魔女告発 の増加 は, フ ラ ンスの
立 てて いた。 若 い娘 たちが悪魔憑 きのよ うな奇妙
権 力 が もくろんだ規範化 と近 代化 が成功 した こと
な発作 を示 した ときには,後 者 の グル ー プが前者
の グル ー プを背教者で魔女 で あ ると告発す る条件
を語 って い る, と ミュシ ャ ンブ レは結 論す る
ミュ シ ャ ンフ レの テー ゼ は必 ず しも強固 な実証
で 支 え られて い るわ けで はないか, ク ラー クが 同
は熟 して いたので あ る
魔女 の告発 が発生 した村 の レヴェルでの力学 は,
ロベ ール ・ミュシ ャ ンブ レの野心的な解釈 によ り,
よ り大 きな政治 ・イデ オ ロギ ー の問題 と関係 づ け
られて い る39 ミ ュ シ ャ ンブ レは主 と して フ ラ ン
スの事例 の研究 か ら, ト マスや マ クフ ァー レンが
発見 した経 済的 。社会 的 に 「
上 か ら下 へ の」魔女
告発 のパ ター ンを発 見す る し か し彼 の解 釈 によ
れば,告 発者 が して い るゲ ー ム は心理 的浄化 のそ
れで はな く,絶 対主義国家 の イデ オ ロギ ーが村 の
日常生活 の レヴェルヘ と浸透 して いた時代 に,風
向 きを敏 感 に察知 して時流 に乗 り遅 れ ま い とす る
身振 りであ った。近代初 頭 の フ ラ ンス は,絶 対主
義 と反宗教 改革 の聖俗 の両権力 が 中世 には 「閉 じ
られ ていた」農村 に浸透 し,個 々の農村 を中央 に
(46)
民 衆 同士 の間 で問題 が起 きた ときに彼 らの間 で そ
れを解決す るので はな く,そ の問題 を法廷 に訴 え
る ことで あ る.魔 女 の告発者 た ちは この新 しい規
あ った.民 衆文化 の改革 が進 み, フ ラ ンスの農村
じ時期 の デモ ノ ロジー に同 じ民衆 の 文化的慣習 の
改革 の戦略 を発 見 して い ることは,前 者 のテ ー ゼ
を支持 す る一 つの材料 にな るだろ う1・ク ラー ク
によれば, デ モ ノ ロ ジーの文献 に は,『 鉄 槌 』 や
ワイヤ ー, ボ ダ ンな どの裁判 マニ ュアル や知 識 ノ
、
の間 での論戦 と して書 かれ た もの とは違 うタイブ
の 出版物 が存在 した そ れ らは,民 衆 へ の説教 や
平信徒 と牧 師 との対話 の形式 を取 った伝道 的 ・教
導 的 な書物 で,特 にプ ロテスタ ン トに顕著 であ る
が , カ トリックに も共通 に見 られ る こ の タイプ
の民衆 向 けの デ モ ノ ロ ジー にはサバ トの記述 や 自
然 哲学 のテ クニ カルな議論 は含 まれてお らず,病
気 ・家族 や家畜 の死 。作物 の被害 な どの不幸 な 出
来事 が起 また と きの正 しい解釈 と対処 の仕方 に重
■■ ■ ■ ■ ■ ■ ︱ ︱ ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ロ ロ ー ー ー ー ー ー i l l l l l l l
E1dftD lfft=
点 が 置 かれて いた。 これ らの不幸 は神 の メ ッセ ー
ジであ り,犯 した罪 に対 す る で
罰 あ るか,信 仰 が
い
試 され て るか で あ る と解 釈 しな けれ ば な
らな
い.そ の不幸 に対 して, こ れ
まで よ く行 われてい
たよ うに,村 の民 間魔 術 師 の所 に っ
行 て不幸が こ
れ以上 起 きないょ ぅに魔術 で って
守
もらうのは最
も間違 った対処 の仕方 で あ る。 その
魔 術師 は悪魔
の手先 であ って,不 幸 が起 きたか
らとい って彼 に
頼 るの は悪魔 が仕掛 けた民 に はま って
信仰 を失 う
ことに な るか らであ る.ミ デ ル フ ー
ォ トが示すよ
うに, こ の ロ ジ ックは一 方 で,不
幸 が起 きたと き
に人 が しな けれ ば な らな いの は
,魔
女 を焼 き殺す
こ とで はな く自 らの行 いを反
省す る ことで ぁ る,
とい う魔 女狩 りを止 め る方 向 に も い
働 た.し か し
またその一 方 で,村 の民 間魔
術師 に守 って もらう
とい う手 段 を禁 じられ た民 衆 に
残 され た身 を守 る
有効 な手段 は法廷 に訴 え る こ とで ぁ
り,多 くの民
衆 向 けデモ ノ ロ ジー も告 発 と法 によ る
裁 きに頼 る
ことを勧 め て ぃ る.次 々 と家 が
畜 奇 妙 な死 に方を
し,雹 で作物 が 全滅 す るの を まの
あた りに して,
ヨブの よ うに じっと えて
耐
神 を信 じるよ りも,魔
女 を告発 して それ以上 の被 害 を食 い めるほ
止
うが,
よ り多 くの平信徒 に とって 説得
力 が あ る対処 の仕
方 であ った とぃ ぅ想 像 は不 自然 な もので
はないだ
ろう
ミュ シ ャンブ レや ク ラー クのモ
デルは,民 衆 か
らの魔 女告発がェ リー トが持 っていたデモ ロ ー
ノ ジ
とは独立 に行 われつっ も,絶
対 主義 や宗教改革 ・
反宗 教 改革 な どの エ リー トの イデォ ロギ _の
産物
であ るとい ぅデ リケ ー トな議論 を立
て,近 代初頭
の ヨー ロ 、
ンパ社 会 が ェ リー トの新 しい価値
観 を受
け入 れて ぃ くプ ロセ スの 中 に魔女
狩 りを定位 して
い る.平 信徒 は ミサに 出て いれば
ょぃ とぃ う特別
な機会 にお ける 「身振 り」 を
強制 す る宗教か ら毎
日の事態 の解釈 の仕 方 を教 え よ うとす
る 隔と、
」を
夕 ゲ ッ トに した宗教 へ,個 人 や 々の
個
共同体 が
独 自に解 釈 し維 持 す る秩序 の観念 か ら国
家 が均―
(47)
- rr .z,." (ffi7F)
に与 え る法 に基 づ いた秩序 の
観念 へ と移 行 した時
代 に,新 しいェ リー トの文 化 を受
容 した民 衆 たち
は魔女 を告発 しは じめ る, と い
ぅ彼 らの議 論 は説
得力があ る.ま た,彼 らの モ デルの
大 きな長所 は,
ロー カル な フ ァクターで
はな く,両 宗教 改革 のイ
ンパ ク トゃ国家 の建設,そ して ェ ー
リ トの文化規
範 の浸透 な ど,総 じて ョー ロ ッパ 全体 に
広 く見 ら
れ る現象 を もとに魔女 狩 りを説
明 しよ ぅと試 みて
い る点 であ る.バ ー クが
言 うよ うに, これ まで蓄
積 され た緻密 な地域 別 のモ ノ グラフを
もとに,魔
女狩 りを ヨー ロ ッパ全体 の現象 と して
論 じる時期
は熟 してい る。).彼 らの 「文化変
容」 のモ デルは,
その糸 □ と して重要で あ ろ う。
3.魔
女 狩 りの 衰 退
17世紀後半 か ら18世紀初 頭 にか
けて,始 ま った
時 と同 じよ ぅに ヨー ロ ッパ 各国 で ほぼ
足並 みをそ
ろえて魔女 狩 りは衰退 し終 焉 す る4υ
.こ の 衰 退 を
説明す ることは,「不 在」 を 説 明 す る こ
との 原 理
的 な難 しさにつ きまとわれ,研 究 が
もっと も進 ん
で い ない領域 であ る 特 に魔女
狩 りの衰退 の研究
を難 し くして ぃ る事情 は,魔
女 狩 りは総 じて 「
静
か に」 消えて い った とぃ ぅ
事 実 で あ る。 17世紀 か
ら18世紀 にか けての魔女 の実在 へ の
反 駁 や魔 女狩
り法 の撤廃 な どの法 の改正 は, いず れ
も各 地域 で
の現 実 の魔女 狩 りが は っ きりと
衰退 した後 ,あ る
い は絶 えた後 で現 れて い る
特 に法 の 改正 が魔女
狩 りに とどめ を刺 した こと は確 実 だが
, なぜ魔 女
狩 りが衰退 したか とぃ ぅ問題 は これ らの
衰退 の後
にや って きた フ ァクター によ って
は説明で きない
また上 に論 じて きた多 くの優 れ た
研 究 も魔 女狩 り
の発生 の メカ ニ ズムを説
明す るの に力 を 注 ぐあ ま
り,衰 退 の問題 に触 れ ることが な い
少
.
この衰退 を引 き起 こ したの は
主 と して ェ リー ト
の側 であ るとい ぅ点 に関 して は
歴史 家 た
ちは合意
して い る 1661年 の ドイ ッで民 の
衆 集団抗 議 が魔
女狩 りを止 めた劇 的 な例 もあ るが,魔
女狩 りに対
化
学
史
研
究
す る 「下 か らの」反対 を認 め るのは難 しい し, 1 8
V0120 NO l
世紀 に入 って も発生 した魔女 だ と疑 われた人間 の
い うパ ター ンを 示 す. 上 に も述 べ た よ うに, こ
の集団処 刑 で は魔 女 の ステ レオ タィプが崩 れ, パ
リンチの例 が 示 す よ うに, 不 思議 な手段 で危 害 を
ニ ックが 進 む に従 って 上 層 の ェ リー ト
も処 刑 さ
加 え る人 間 に対 す る恐怖 は教 養あ るエ リー トよ り
れ る こ の異常 な事態 を前 に して, 人 々 は 自 らが
む しろ民衆 にお いて長 く残 った。 民衆 が魔女狩 り
して きた ことに対 す る自信 を喪失 し, 代 わ って魔
の衰退 に果 た した役割 は決 して大 き くはな いだ ろ
ぅ4 3 ) .
女裁判 の正 しさに対 す る深 刻 な疑 いを持 つ よ うに
エ リー トの態度 の変化 の うち,最 も直接的 に
魔
な る, と い うのが ミデル フ ォー トの シナ リオであ
る4 4 ) .
女 狩 りを止 め る効果 があ り, また最 も確実 にた ど
しか し,魔 女 狩 りの衰退 を説 明す るには, これ
る ことが で きるの は,法 廷 での手続 きに関す る変
らの裁判記録 に基 づ いて歴 史家 が安 全 に議論 で き
化 であ る。 魔女裁判 にお いて有罪 を実証す るのが
る領域 だ けを見 て い たので は不十分 であ るとい う
きわめて難 しい ことは,魔 女狩 りの初期 か ら一 貫
こと も歴 史家 た ちが一 致 して認 め ることで あ る
法廷 の外 で も, エ リー トた ちの中で魔女 術 に関す°
る懐疑 的 な態度 は徐 々に支配 的 にな って きた。 し
して法律家 た ちが 警告 して きた ことで あ る 16・
17世紀 の魔 女裁判 の被害者 の多 くは当時 の裁判 の
基準 に照 ら して不十分 な証拠 の もとに処刑 された
の で あ って,パ リの高等 法院 のよ うに裁判 と審間
の基準 が厳 格 に守 られ た法廷 で は,有 罪判決 の
割
合 は劇 的 に低 い.そ して パ リ高等法院 は地方 の裁
か しこの問題 が難 しいの は,一 握 りの無神論者 や
唯物論 者 を別 にすれ ば, ェ リー トた ちの多 くは悪
魔 の働 きや魔女術 の実在 を根 本 か ら否定 したので
はな い, と い ぅことで あ る。 彼 らは単 に 日常 の 出
判所 を統 括 す る機 関 と して,地 方 の法廷 で杜撰 な
来事 を悪 魔 や魔女 に帰 す習慣 を失 ったの で あ る.
基準 で行 われて い る魔女裁判 に対 し17世紀 の ご く
多少 の カ リカチ ュアを許 して も らえば,神 学上 の
問題 と して魔女 や悪 魔 が存 在 す るか と聞 かれれ ば
始 めか ら一 貫 して憂慮 を示 し,下 級 の法廷 によ り
厳密 な基準 を適 用 す るよ う指 導 している パ リの
法廷 の地方 に対 す る支配 (これ も絶対主義 の 1コ
マで あ る)が , フ ラ ンス全体 の魔女狩 りを衰退
さ
イ エ ス と答 えた者 たちが,村 の農民 が子供 の死 を
魔女 に帰 した ときには一 笑 に付 す習慣 を身 につ け
たので あ る.5)
せ た とい うア ル フ レ ッ ド ・ソマ ンの説明 は説得力
が あ る ま た17世紀後半 の イ ンク゛ラ ン ドで はバ ー
バ ラ ・シ ャ ピロが 論 じるよ うに,
哲 学 の領 域 で
クターだ とされて い るのが,魔 女狩 りが衰退 す る
17世紀 後半 に成熟 す る科学革 命,特 に機械論哲学
の妥 当 な証拠 の条 件 に関 す る基 準 の変化 に連動 し
が提 出 した世界観 で あ る 魔 女狩 りの衰退 と近代
て, 法 廷 に お け る十 分 な証 拠 の観 念 の変 化 が よ
科学 の関係 は,前 提 され ることが 多 く,正 面 か ら
論 じた優 れた研究 は少 な い。 ブライア ン ・イー ズ
り厳密 な もの に な った た め, 魔 女告 発 が 有罪 判
この習慣 の変化 を引 き起 こ した一っの重要なファ
決 に終 わ る こ とが 少 な くな って い る. も う一 つ
の 魔 女 裁 判 の 衰 退 に 関 す る説 得 力 が あ る
議論
は, ミデ ル フ ォ ー トが 提 出 した魔 女 狩 りが 自 ら
を カ ヴ ァー した野心 的 で は あ るが仮説 が先行 して
が 作 り出 した グ ロ テ ス ク な 状 況 の 重 み に 耐 え
ラ ンスに焦点 を当 てた よ り説得 力が あ る研究 が主
リー によ る コペル ニ クスか らニ ュー トン以後 まで
い る観 が あ る研究 と, ロ ベ ー ル ・マ ン ドル ーの フ
かね て崩 壊 した とぃ ぅ解 釈 で あ る 南 西 ドイ ッ
にお いて は, 拷 問 と 自由 の連 鎖 反応 で 大規 な
模
機械論哲学 がかか げた秩序 あ り法則 に従 う世界 と
大量処 刑 が起 きたあ とで魔女狩 りが終 焉す る, と
い う思 想 は,世 界 か らオ カ ル トな 力 を追 し
放 ,
(48)
た る成 果 であ る40.彼 らの議論 の エ ッセ ンス は,
EAfr D t:ltft=
悪 魔 が通 常 の 自然 の過程か ら
逸脱 した現 象 を作 り
出す 余地 を な く した ばか りで な
く,一 見 異 常 で
あ るか の よ ぅな現 象 にお い
て も機 械 論 的 な説 明
が可能 であ る, とぃ ぅ態
度 を生 み 出 した とぃ ぅも
の で あ る.特 に,1640年
代 に デ ヵ ル トらに よ っ
て唱 え られ る機 械 論 哲 が
学 広 ま るの と, パ リの
高等 法 院 が 魔 女 狩 りに対 して ょ
り懐 疑 的 な態 度
を示 す よ ぅに な る現 象 の に
間 因果関係が あ る と
した, エ リー トの メ ン タ リテ
ィの 変 化 に関 す る
マ ン ドル ー の 議 論 に は一
見 か な りの説 得 力 が あ
る.
もちろん近代 科学 v s デ モ ノ ロ ジー
と ぃ ぅ図式
は必 ず し も2 0 世 紀 の 歴
史 家 が 彼 らの 頭 の 中 だ け
で作 り上 げ た もの で はな い
. 1 8 世 紀 以 来魔 女 狩
りは機械 論哲 学 や近 代科学 の おか
げで 消滅 した,
とい う意 見 は繰 り返 し
表 明 され て きた. 1 7 0 1 年 に
魔女 狩 り反 対 を唱 え た ク リスチ ン ・
ャ
トマ ジゥス
は, 魔 女 の実在 を信 じるばか
げた考え は, デ ヵル
トが スコ ラ哲学 者 の巣窟
を破壊 した結 果消 滅 した
と書 き, リチ ャー ド . ベ ン ト ー
リ は1 6 9 2 年に ロィ
ヤル ・ソサ ィ ェ テ ィの
力 と, ニ ュー トンや ボ ィル
の よ うな人 々の努力 で
, 魔 法使 いの お 伽話 を信 じ
る人 間 が 減 った, と近 代科
学 を讃 えて ぃ る●) . こ
れ らの証言 は しか し歴史
的事 実 と して無批 判 に受
け入 れ られ るべ きで はな く, 魔
女狩 りを止 め新 し
い心性 を 獲 得 した人 々 が
, 新 しい習 慣 に文 化 的
な妥 当性 を 与 え よ ぅと した
と きに, 機 械 論 哲 学
に その根拠 を求 めたの だ と
解釈す るべ きでぁ る.
ベ ン トリーが
史 実 に反 して ボ ィル と ロィャル ・ソ
サ イエ テ ィの名 前 を 出 して い
るの は, この科学 の
役割が 「正 当化 」 の それで あ った こ
とを象徴 して
い る。
科学 を 「
魔 法使 いの お伽話」 と対置 させ るの
は
広 い意味 での 「啓蒙主 義」 と べ
呼 る現象 であ る.
民 衆 の俗信 や過度 に信心 深 い人
間 の迷 信 へ の啓蒙
主義 の攻撃 と椰楡 はょ く知 られて
お り, このイ デ
オ ロギ ー の内部 の魔 女 の
問題 をめ くる力学 ― トー
リー対 ホ ィ ッグ,ェ リー トと
民衆 のギ ャ ップ,無
神論 へ の警 告 な ど ― につ いて はす
でに幾 つ かの優
れ たモ ノ グラフが あ り,
大規 模 な研究 の近刊 も予
告 されて い る5の
.ぉ そ らくこの領域 での確 な
実 研
究 が ,啓 蒙主 義 が 定着 す る以 に
前 始 ま った魔女 狩
りの衰退 に光 を投 げ掛 ける と
同時 に,魔 女狩 りの
衰退 を可能 に した新 しい心 性 を
明 らか にす るこ と
で,啓 蒙主 義 その ものの
前史 にっ ぃて も新 しい知
見を得 る こ とが で き るだ ろ う
啓 蒙 主 義 の イデ
,
(49)
証拠 は きゎ めて乏 しい とぃ
ぅのが現 在 の状況 であ
る
I
目 日 H E H H H H H H H = = = Ч I I I I I I I I I I ■ ■ ■ ■ ■ ■
この解 釈 は しか し,多 くの
問題 を抱 えて ぃ る.
まず, マ ン ドル ーの テ ーゼの
核 は,上 に触 れた ソ
マ ンによ って ほぼ
完全 に否定 され た。 ソマ ンは
新
しい資料 の発見 に基 づ いて
ー
ン
,マ
ドル の因果 関
係 は もとょ リク ロ ノロジー その
ものを否定 し,パ
リにお いて はデヵル トが生 まれ
た ころか ら裁判 官
たち は懐疑 的で あ った こと
,そ して これ はメ ン タ
リテ ィの問題 で はな くて裁判上 の
テ クニ ヵル な問
題 であ った こ とを明 らか に した ジ
ュネ ー ヴにお
いて もデヵル ト哲学 が
広 まる前 に魔 女狩 りは事実
上終 焉 して ぃた ことが報告 され い 17)ま
て る
た,
17世紀 に機械論 哲学 を推進
した大立 者 た ち 自身 の
日か ら悪 魔 の介入 の可能性 の
否定 を聞 くことが余
りに も少 な いばか りでな く,我 々
が持 って ぃ るの
はむ しろ,上 に も触 れ たょ
ぅにイ ングラン ドで は
ボ イル を 含 め た ロ ィ ャ ル ・
ソサ ィ ェ テ ィの 重
要
なメ ンバ ー た ちが 魔 女 の
実在 を証 明 した が って
い るとい ぅマ ン ドル ー らに
明 白 に不 利 な 証 拠 で
あ り,パ ラケル ス ス, ァ グ
リッパ (ヮ ィ ャ ー の
師), ジ ョン ・ゥェプス ター (グ ラ ン
ヴ ィル の 論
敵)な どの 自然 世 界 にお け るオ カ ル
トな力 を積
極 的 に認 め た魔 術 的 な思 想 が 一
家
貫 して 魔 女 の
実在 と力 に反 対 して ぃ る とい マ ン
ぅ
ドル ー らの
シ ナ リオ に 合 わ な い
4の
事態 であ る 機 械論哲 学
が 直接 魔 女 狩 りの 衰 退 と
魔 女 の 実 在 に対 す る信
念 の低下 を 引 き起 した, と ぃ ぅテ _ゼ
を支 え る
- D y ir (t+^)
化
学
史
研
究
オ ロギ ー と世界観 が ロ ックや ニ ュー トンや ヴォル
テ ー ル たちの知 的巨人 によ って
ヽア
01 20
卜I。 1
社 会 的 機 関 , 社 会 ・経 済 的 な 背 景 , そ
して エ リー
定式化 され る半世
トの 文 化 が よ り広 い社 会 の 中 で 機 能 す る と き どん
紀近 く前 か ら,エ リー トたち は 「脱魔術化Jさ れ
な 振 る舞 い を みせ るか, な どさ ま ざ まな フ ァク ター
た世界 に住み,そ の世 界 に相 応 しい習慣 を身 につ
を 総 合 して 魔 女 狩 りを研 究 しよ う と い う近 年 の 洗
けて い た, と い う仮説 を立 ててみ ることがで きる
練 さ れ た 態 度 は, 科 学 の 応 用 の 問 題 を 考 え る と き
と筆者 は考 えて い る.
に 科 学 史 研 究 が 大 い に参 考 に で き る もの だ ろ う
それな ら何が彼 らの世界 を脱 魔術化 したか とい
半 世 紀 近 く も前 に, バ タ ー フ ィ ー ル ドは 近 代 科 学
う問題 は, きわ めて手強 い ト マ スが20年前 に書
の 誕 生 に 較 べ れ ば, ル ネ ッサ ンス も宗教 改革 も ヨー
いて い るよ うに,一 見す ると ヨー ロ ッパ の エ リー
ロ ッ パ と い う コ ップの 中 の 嵐 に 過 ぎ な か った と書
トた ちはさ した る根拠 もな しに世 界 に対 してオ プ
い た。 科 学 史 が 知 識 人 の 書 斎 や 大 学 や 実 験 室 な ど
テ ィ ミステ ィックな態 度 を とるよ うにな り,人 間
の イヽさ な コ ップ の 中 の 嵐 を 記 述 す るに とどま らず,
の力 を超 えた邪悪 な悪魔 や魔 女 の脅威 に怯 え るこ
広 く社 会 の 中 の 科 学 の 実 践 を記 述 す る た め に は ,
とを止 めたので あ る。 そ して この問題 に関す る歴
科 学 理 論 と応 用 の ギ ャ ップ に つ い て , そ して 応 用
史家 の知識 は,管 見 が及 ぶ 限 りで は トマ スか ら殆
が 成 功 す る 条 件 につ い て, 充 分 洗 練 され た モ デ ル
ど進 んで いない こ の問題 に答 え るには,デ モ ノ
ロ ジーの思想史 ・魔女裁判 の社会史 な どの確 実 な
を 作 る必 要 が あ るだ ろ う こ の 近 年 多 くの 貴 重 な
貢 献 を 見 て い る 「科 学 の 社 会 史 」 の 領域 にお いて,
歴史研究がで きる領域 で はな く,「 習慣 ・行 為 の
こ の 小 稿 が 紹 介 した 魔 女 狩 り研 究 が 提 出 した洗 練
歴史」 と言 うべ き困難 な漠然 と した領域 に踏 み込
さ れ た モ デ ル が 何 らか の 役 割 を 果 た す こ とを 祈 っ
む ことが必要 だろ う。
て い る.
結
文 献 と 注
び
て きた と同時 に, ま だわか って いな い大 きな問題
を沢 山持 ってい る研究領域 で あ る 特 に衰退 の 間
題 や魔術思想 。機械論哲学 との関係などを筆頭 に,
1 ) 1 9 世 紀 か らの研究 につ いて│ ま
nter
, Ⅵ i l l i a nflOヽ
`The HlstOriograph、
。f EurOpcan ` Vilch‐
crafti Progress and Prospects , ブ
οン′71 a F
o/ 1nιθrdisc:ρι
lηαr、7fts`(lr, 2t1971_2` Plぅ
435_51に 詳細 なまとめか あ る
2)Max Marwick ed.II[ι
2nd ed (HarmOnds、
科学 史研究 が貢献 で きる豊 か な可能性 があ り,向
後 の科学史家 の興味 が上昇 す ることを期待 して い
る
一方科学 史研究 も, 魔 女狩 り研究 の
進展 のモデ
ルか ら大 いに学 ぶ ことが あ るよ うに思 われ る 科
学理論 の思想史的 な研究 だ けでな く, その理論 が
どのよ うに応用 され社会 に どのよ うなイ ンパ ク ト
を与 えたのか, 理 論 が科学者 の机 の上 や実験室 か
ら現 実 の社会 へ ととの よ うな経路 をた ど って出 て
い ったのか を研究す ることが必 要 であ るとい う認
識 は, 広 く科学 史研究者 に受 け入れ られて久 しい.
デモ ノロジー とい う理論 的 システ ム, 法 廷 とい う
(50)
cたcrの√
ιαηd SOr(″ 3,
Orth: Penguin 1982):
・
ard Peters eds
Alan C KOrs and Ed、
И′
」
ι
cんcrげセfη Etzrορ。11001700 (Philadel_
anla Press
phia: Universit卜 o「 Penns、 1、
1 9 7 2 ) ; W i l l i a m M O n t e r e d , E υr ο
ροαη
‐
14■
ι
cんcrげ ι (Ne、 York: 」
Ohn ヽ il e卜
&
Sons, 1969) 教
斗書 は Brian P Lc、
ホ
ack,
Thθ Nヽι
cた」
りこれιjη Eα rι
) ハイοdarη Eし rορο
(LondOni Longman, 1987): Geoffrey Scarre,
′
Iう
jι
cんcra/t α几∂ ■イ
αgj` [η ′6`/1 αη∂ ゴ2カ
C′れι
しr). E“ rορご (LOndOni Macmillan
1 9 8 7 ) 前 者 はか な り詳 t ´
く トー タル な書物 で, 後
者 はよ り簡潔だが解説付 きの リー デ ィ ング ・リス
トが あ る
ヽ
3 ) L u c i e n F e b v r e , ` S O r c e l l e r i e , s O t t i s e、
o O―u r ё
l u t i O n m e n t a l e ? ' れれ
ハαι
as E S C 3(1948)
︱︱︱︱︱︱︱︱︱llllll日1111111日日︱日︱︱︱︱目︱ローーー■■■■■■■■■■■■■■■■
魔女狩 り研究 は多 くの興味深 い論点 を生 み 出 し
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D tilfft' = - D y /r (tS^)
pp 9-15;H R TrevOr_Roper,rん
a IL″。paα2
И/ι
ι
cん―
crα2e OF ιんe 16ιん αれd17ι 力 caれι
し′jas
(1967;HarmOndswOrth:Penguin,1969)
"4asι
a rれ Eしrορe ,`θ_ゴ
25θ (OxfOrd: Basil
Blackwell,1987)
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8熱椰轟難場
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4)地
域 別 の ク ロ ノ ロ ジ ー に つ い て は Levack,7/2ο
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麟 `cた
,pp 170 211,中 世 の魔 女 裁判 の ク
ロ ノ ロ ジー の 最 も詳
細 な研 究 は R i c h a r d K i e c k _
heFer,E“ rορeαれ И′
ι
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c/27rじ αι
s T/2θι
′F。 これ_
ごαι
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α″ αれd ι οα′れθd Cし ι
ι
“re,
1300_1500 (LOndOn: ROutledge & Kegan
Paul,1976)
5) TrevOr_ROper, rh′
E“ ′。ρ′αれ N`ι
c/2-crα
2 θ,
p 7; Peter Burke, `The cOmparative Ap―
Henningsen
(oxfordi
pp 49_50
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prOach to EurOpean WitchcraFt',in Eα
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コ
′οdarれ И/j`cた
cratt caれ ι
″cs αれd Per」ρんer_
Jas ed by Bengt Ankar100 and Gustav
clarendOn Press,
1990).pp 435_41
6)Kieckhefer,E“
″。ρc αれ И′
jι
c ん T r t αι
s, Keith
ThOmas,Reι
οれαれdιんe DecZれ `。
む二
/Mα 3じc
(1971: HarmOndswOrthi Penguin, 1973)i
Alan MacFarlane, И ″
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cんcrttQじれ rudο ′αれd
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20)
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が これ らの問題 を紹 介 して い る
8 ) 文 化人類学 は魔女 狩 り研 究が最
も恩恵 を受 けた社
会 科 学 の一 分 野 で あ る M a r w i c k 、
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詳 しい
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i 9 g 9 ) ,;
ii*;
New Trends in History
of Science
Witch-hunting and early
modern Europe
Akihito Suzuxr
(Wellcome InsLitute
for the Histor_v of Medicine)
The study of u,itch_hunting
in early modern
Europe has made a r"..,
remarkable :_^'__--'
"Lo"xr^ progress In
these trventy years
c
been
shed
onirs."1'*,i;.1,J"*'ir.:,::5
and intellectual background.
The 0..*",
paper atlempts to r,
though
r-provo*t";
iliTJ;."""" r;i' ff::
lectual outlooks
of demonologl,, ti.,".ocrul
dynamics of the accusation
of witches, and
the dectine of witch-hunrin,
F;ii;*;*
the recent historiographical
trend, th...
vlewer has iaid
stre
wasan inteliecruauy'J:,jlltr::I"#':i:
early modern iearned
world-view unO ,i",
wrtch-huntingwas an integral
part of ,;. ;;*,
outlooks of the society
in Europe,in.t."a-of
looking at them as
a vestrge of medieval
(53)
mrnd and society. There q,ere
cases where
demonologl, perfectlv
squared with
the
expenmental and screntific
research, and
accusattons of witch
were often triggered
bv
modern ejements in the
Europ."n ,oJ,-.irr-".*
the emergence of individualrsm,
,f-r" p.""r..
tron of the 6lite cultural
code into the viLlar"
socrety. Accordingly,
the decline
,"irch ;;;t:
rng ur"r not a simple
"f
triumph of modern,
.
crrtical, scientific and
enlighten"a _lni o"u.
s u p e r s t i t i o u sa n d f a n a t r c
nrpd,,tit,.D^.u-
seems
moreo,"".,lij'';io";i;,,ffr;r..;j
decline to the emerg.ence
of a new cultural
habit among the learned
6lite in the late
seventeenth century.
The content and back_
ground of the new
habit remain to b;
ir_
vestrgated.