クオリティ国家に学ぶ - ぶぎん地域経済研究所

海外視察レポート
クオリティ国家に学ぶ
スイス レマン湖地方
株式会社ぶぎん地域経済研究所
代表取締役社長
島雄
廣
1.はじめに
昨年10月、埼玉経済同友会の海外経済産業視察団の一員として、「クオリティ国家に学ぶ」
をテーマにスイス西部のレマン湖地方を訪ねた。
現地では、日系企業の「サンスタースイス」のほか、世界最大の食品会社「ネスレ本社」
、
欧州を代表するビジネススクール「IMD」
、20世紀の天才時計師「フランクミューラー」の時
計工房、そして250年の伝統あるプライベートバンク「J.Safra Sarasin」など、スイスを代表
する企業を視察した。
視察の途中、世界遺産に登録され
ているレマン湖の北岸にあるラヴォ
ー地区のブドウ畑を観光しながら、
ワインを味わう贅沢な時間を過ごす
ことが出来た。
ヨーロッパの中央にあるスイスと
いう小国は、日本人にとって美しい
山々、透明な湖、古い街並みがあり、
治安の良さと経済水準の高さから
「住みたい国」のトップにランクさ
れるだろう。
しかしながら、この美しい国には
レマン湖北岸 ラヴォー地区のブドウ畑
苛酷な歴史があり、現在は EU 加盟
問題や銀行の守秘義務緩和などの大
きな課題を抱えている国でもある。
スイスについて調べようと本を探したが、ヨーロッパの大国に関するものに較べてあまりに
少ないことに驚かされた。英独仏などの歴史に対して、スイスのような小国の歴史は付録に過
ぎないようだ。
このレポートでは、視察先の感想も交えつつ、スイスという国について考えてみることにし
たい。
2.スイスについてのキーワード
⑴中立の歴史
スイスにとって中立とは、小国が大国の中で生き抜くための方法であったと言える。北のド
イツ、西のフランス、南のイタリア、東のオーストリア(ハプスブルク家)と四方を大国に囲
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まれていたため、地域ごとに事情に
応じて外交関係を結んでいた。
例えばドイツとフランスが戦うよ
うなことがあれば、各々の国と友好
関係を持つスイス内部の地域が仲違
いしてしまう。国内の諸地域の結束
を維持するためには、他国の戦争に
参加しないことが必要であり、どち
らの国にも手を貸さない中立の伝統
が生まれた。
ジュネーブのホテルから見るレマン湖
また、資源に乏しく貧しいスイス
は、多くの傭兵を偏りなく欧州諸国に派遣して、経済の安定を得ていたが、当時はこれが中立
の原則に反するとは思われていなかった。
中立は傭兵という血の輸出の代償として得たものでもある。
⑵多言語と政治
公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語の三つである。ほぼ7:2:1の割合で使われ
ており、スイス人は英語を含め3か国語以上を操る人が殆どである。
スイスは州(カントン)や地方自治体が、教育や福祉、水道、電気などの公共サービス、警
察、消防などで広大な自治権をもっており、連邦政府の役割は外交や国家安全保障、主要道路
の運営、関税、郵政業務などである。
内閣は7名の大臣で構成され、ドイツ語圏(4人)
、フランス語圏(2人)
、イタリア語圏(1
人)の割合で各地域から選ばれる伝統となっている。これは複数の言語を平和に共存させると
いう平等の原則に基づくものである。
また、元首となる大統領は7名の大臣が任期1年の輪番制で大臣と兼務することになってお
り、毎年大統領が交替する。これはもし大統領を直接選挙すれば、圧倒的に人口の多いドイツ
語圏のスイス人が政治を支配することになりかねないからである。
⑶国民皆兵
スイスでは、男性は20歳で軍隊に参加し、15週間の基礎訓練を行う。そして、2年に一度、
3週間の兵役義務を負い、42歳までに計300日の訓練が義務付けられる。その間、自宅に銃や
弾薬を置き国を守る、いわゆる「民間防衛」を行わねばならない。
しかしながら、宗教的理由などから兵役を拒否する場合は、社会福祉活動などで代替する道
も開かれている。女性は自由意志で軍に参加でき、ジェット機の女性パイロットもいる。
スイス軍の義務は、①国防、②災害対策、③国際平和の推進の三点であり、平和維持活動に
も積極的に参加している。非常事態には、軍は35万人を動員できるが、通常は3,
500人の職業
軍人が、兵役訓練や警備などの職務に当たる。
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⑷EU 非加盟
1997年と2001年に EU 加盟交渉が国民投票にかけられたが、いずれも圧倒的多数で否決され
た。EU 法を受け入れた場合、経済関係だけでもスイスの法律の半分を改正する必要がある。
その改正も国民投票で否決されれば不可能となる。スイスの民主政治そのものが EU 加盟を妨
げていると言える。
G20には EU が加盟国を代表して参加し、英独仏伊は単独で加わり、ロシアやトルコもメン
バーであるが、スイスには発言の機会はない。
現在、100万人以上の EU 市民がスイスで暮らし、40万人のスイス人が EU 諸国で生活して
いる。また、スイスのヨーロッパへの輸出は全体の6割、輸入は8割を占めているにも拘らず
加盟に反対するのは、伝統的なスイスの地域主権と直接民主制の弊害と言えるだろう。
3.視察先企業について
⑴サンスタースイス
サンスターという会社は、もともと自動車用ゴム糊の製造販売からスタートした。ゴム糊を
入れる金属製のチューブに練り歯磨きを入れたのが、サンスター歯磨きの第一号であった。
1988年に歯ブラシのバトラー社を買収し、
「GUM」という歯周病予防の製品が目玉商品の
ひとつとなっている。本社機能を2009年にスイスのローザンヌに移転した理由については、以
下に集約される。
①スイス人は勤勉かつ多言語である。
②P&G 社やコルゲート社の拠点があり、多国籍企業や WHO などの国際機関も多い。
③教育水準が高く、医学や工学博士などの人材が豊富である。
④バイオ大国かつ環境保護活動が盛んである。
⑤税制上の恩典がある。
(進出後10年間は無税、実効税率は20%)
サンスターはドメスティックな企業
という印象が強かったが、話を聞くう
ちにスイスに本社を移転したのは戦略
として当然のことのように思えてきた。
⑵ネスレ本社
売上高10兆円の世界最大の食品会社
ネスレは、ドイツ移民の薬剤師アンリ・
ネスレが作った小さな粉ミルク工場か
ら始まった。液体のミルクを粉末に変
える技術が進歩し、その技術はコーヒ
ーに応用された。
ネスレは M&A を活用したブランド
ネスレ本社
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戦略を取り入れ、コーヒーの「ネスカフェ」
、調味料の「マギー」、パスタの「ブイトー二」、
チョコレートの「キットカット」など70余りの主要商品を「世界戦略ブランド」と位置付けて、
スイス本社でラベルやロゴ、広告等を一元管理している。
ネスレの強さはその収益力の高さに現れている。売上高10兆円に対し、営業利益は1兆5,
000
億円で営業利益率は15%に達する。日本の大手食品会社は、キリン7%、味の素6%、エスビ
ー食品3%であり、ネスレの突出ぶりが分かる。
毎日10億個のネスレ商品が世界中で販売されている。スイスの企業に共通した強みはブラン
ド力とグローバル化にある。多数の強力なブランドと世界中で手広く売っていることが利益の
差になっている。
ネスレは世界最大の食品会社ではあるが、世界の食品業界から見たネスレの世界シェアーは
1.
7%にしか過ぎず、まだまだ拡大の余地は大いにあると話していた。
⑶IMD ビジネススクール
International Institute for Management
Development(IMD)は、ネスレを母体とする
ヨーロッパを代表する企業系ビジネススクールで
ある。
IMD は、学問機関でありながら、ひとつのビ
ジネスとして運営されている。経営幹部が直面す
る諸課題を解決することや、世界で活躍できるリ
ーダーを養成することを目的としており、アカデ
ミック(学業)とプラクティカル(実業)がひと
つとして教育されている。
IMD ビジネススクール
企業向けの研修プログラムも充実しており、顧
客の要望に応じた1週間程度の企業カスタマイズプログラムも用意されている。ただし、1人
当たり100万円の研修費用と聞いて驚いた。
ところで、スイスの教育制度の特徴は、学歴よりも職業訓練を優先する制度であることだ。
スイスの国立大学は、連邦工科大学チューリッヒ校(ドイツ語圏)
、連邦工科大学ローザンヌ
校(フランス語圏)の2校のみであり、州立大学などを含めた大学進学率は30%程度と EU 平
均を大きく下回る。大学以外の高等専門学校や職業訓練学校が充実していることや学歴による
収入格差が小さいことが理由である。
ドイツ語圏のスイス、ドイツ、オーストリアでは、徒弟制度に由来する職業実習制が行き渡
っており、企業側も卒業前から長期のインターンシップにより学生を教育訓練して、そのまま
即戦力として雇用する。これが、EU の中でこの3カ国の若年層の失業率が低い背景となって
いる。
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⑷フランクミューラー時計工房
1992年に設立された時計工房はレマ
ン湖を見下ろす絶好の場所にある。日
本人にも縁のある場所で、かつて新渡
戸稲造が国際連盟事務次長をしていた
ころ私邸があった。
フランクミューラーは、芸術性の高
い時計作りに励み、20年間で時計業界
を席巻した。ユニークな時計が多いが、
中でも特に遊び心を刺激されたのはビ
フランクミューラー時計工房
ックリ時計である。文字盤の数字が1
の次が5というようにデタラメに並び、時計の針が1の次は2のあるところに飛んでゆくとい
う、まことに奇抜でゆかいな時計である。
1970年代、スイスの時計産業が日本のクオーツ攻勢に押され、壊滅状態に追い込まれたのは、
当時のスイスにクオーツ時計が生産できる電子産業が存在しなかったためである。そこでスイ
スの戦略としては、大規模なグループ化と機械式時計への資源の集中による復活を図った。
「スウォッチ」の名前は Second Watch の短縮であるが、
「時計は時を知るためのもので
はなく、贅沢を気軽に身につけ、着替えるもの」と位置付けた。スウォッチグループは M&A
戦略により、
「オメガ」
、
「ロンジン」
、
「ラド
ー」
、
「ブレゲ」など19のブランドを傘下に収
め、世界最大の時計コングロマリットとなっ
た。スウォッチはブランドイメージを再構築
して、マーケティングによりブランド価値を
高めることで、1個数百万円という高級時計
を販売する仕掛けを成功させた。
日本の家電メーカーも、スイスの時計産業
を見習い、付加価値が高く利益の出る分野に
経営資源を集中し、復活することを期待した
芸術性の高いフランクミューラーの時計
い。
⑸プライベートバンク J.Safra Sarasin 銀行
2013年6月に Sarasin 銀行と J.Safra 銀行が合併して出来たスイス上位のプライベートバン
クである。スイスのプライベートバンクは、複数の経営者が債務について無限の責任を負う銀
行で、その大部分は莫大な資産を代々引き継いでいる資産家一家が経営している。
財務内容は公開されず、経営者の信頼性や秘密主義が売り物である。世界中の王族や貴族を
含む富裕層の資産の保全や運用が主要業務であり、外国人の預金を受け入れる最低単位は、1
億円相当以上である。
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しかしながら、スイスのプライベートバンクは最大の強みとされてきた守秘義務が外国当局
から非難され、転換期を迎えつつある。
OECD では国際的な租税回避の防止のため、他国間の金融口座の自動的情報交換を実施す
る方向で検討中であり、米国では米国人の海外金融機関を利用した租税回避を防止するため、
米国人の海外口座に係る情報提供を要求している。
J.Safra
Sarasin の合併は、このような守秘義務緩和の流れに対応するためであろう。今後、
顧客の情報を定期的に報告する義務を課せられるため、システム対応面の負担や各国の税務・
法務事情に精通した人材の確保に伴う人件費負担など、スイスのプライベートバンクにとって
は莫大なコスト増加が見込まれるからだ。
同行では、スイスの小規模のプライベートバンクは、今後3割減少すると見ている。守秘義
務緩和は10∼15年先のことと予想していたが、2∼3年後の本格実施となり、その対応に困惑
しているとの言葉が印象に残った。
4.むすび
スイスの企業の強みは「ブランド力」と「グローバル化」にあることは間違ないが、この強
みを産み出しているのは何かと考えた時、単に多言語・多民族というダイバーシティだけでな
く、スイス社会の持つ重層構造にあるのではと思えた。スイス社会は、突き詰めて考えると、
自由と自主を重視するリベラルなフランス語圏の文化と規則と統制を重視する保守的なドイツ
語圏の文化の融合体であり、これが重層的な文化を生み出しているのではないだろうか。
更に、職業訓練を重視する教育制度が、マイスター制度によるものづくりの伝統を守る一方、
連邦工科大学は、小学生の段階から選別されて来たエリート学生を世界トップクラスの研究者
として養成し、数多くのノーベル賞受賞者を輩出している。この二つの重層構造がスイスを根
底で支える強みではないだろうか。
日本の企業が、スイスのブランド戦略やグローバル化戦略を真似ようとしても容易ではない。
それよりも日本とスイスに共通するものづくりの伝統を活かして、互いにその良さを持ち寄っ
て、西洋と東洋が融合した新たな商品を創り出すことを考えても良いのではないか。
今年は、日本とスイスが1864年に修好通商条約を締結し、国交樹立して150周年の記念の年
である。各種のイベントが計画されているようであるが、これを機に、両国の産官学における
広範囲の交流が一層活発化することを望みたい。
参考文献
宮下
啓三
「700歳のスイス――アルプスの国の過去と今と未来」
(筑摩書房 1991年)
森田
安一
「物語スイスの歴史――知恵ある孤高の小国」
(中公新書 2000年)
福原
直樹
「黒いスイス」
(新潮新書 2004年)
踊
共二
「図説スイスの歴史」
(河出書房新社 2011年)
大前
研一
「クオリティ国家という戦略」
(小学館 2013年)
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