県内首長リレーインタビュー 毛呂山町 井上 健次 町長(55歳) 毛呂山町 児で、穏やかな早春の日差しの中、終始和や かに行われる。それに対し秋の流鏑馬は、15 歳前後の3人の少年が主役となり、神聖な儀 式を経て、祭馬の「乗り子」となる。11月3 ゆうまとう 日の「本祭り」に行われる「夕的」で、多くの 観光客が見守る中、クライマックスを迎える。 また、 「ゆず」も全国的に有名だ。毛呂山 町は、日本最古のゆずの産地ともいわれてお り、毎年年末に開かれる「ゆず祭り」には、 「この町に住むことを誇りに思ってもらえるように」と 熱く語る井上町長 その気品ある香りを楽しみに毎年多くの人が 訪れ、年末の風物詩となっている。ゆずを加 毛呂山町は埼玉県の南西部に位置し、町の 工 し た、 う ど ん や 唐 辛 子、 ロ ー ル ケ ー キ、 西部は県立黒山自然公園が含まれる緩やかな ジャム、アルコールなどの製品開発も盛ん 外秩父山地の山裾が広がり、中央から東部に で、 「愛情特産品」として町の直売所などに かけては関東平野が広がっている。町内には 並んでいる。町のHPでもゆずを使用したレ 越辺川や葛川、大谷木川、阿諏訪川などの河 シピを公開しており、自宅で簡単にゆず料理 川が流れ、森林や平野林が広がる自然豊かな が楽しめる。 環境にある。このような自然に囲まれた一方 ■未来ある若者の活躍に期待――――――― で、町の中心部にはJR八高線と東武越生線 平成25年、スペイン・バルセロナで開か が通り、駅も4駅を有している。また、町内 れた世界水泳選手権大会400m個人メ を東西に走る県道川越坂戸毛呂山線に加え、 ドレーで、日本人選手初の金メダル 平成24年には南北に走る県道飯能寄居線バ を獲得した瀬戸大也選手は、ここ イパスが開通して、鉄道・道路ともに重要な 毛呂山町の出身だ。昨年の活躍 ルートが築かれている。 さらに毛呂山町は「医療と福祉のまち」の も目覚ましく、特にアジア競技 大会の金メダルタイムは、 顔も併せ持っている。特定機能病院として県 この年の世界ランキング1位 を代表する埼玉医科大学病院は、長い歴史を の記録を打ち立てた。 持ち、地域医療における高度な医療提供を 行っている。 ■町が誇る伝統文化と特産品――――――― 毛呂山町は活力あるまち づくりを推進するために、 毛呂山町を語るうえで忘れてならないの が、鎌倉時代から続き、埼玉県指定無形民俗 文化財にも指定されている「流鏑馬」だ。同 町の流鏑馬は武芸ではなく、地域に継承され ている祭りで、春と秋に開催される。春の流 鏑馬の主役は7歳前後のあどけなさが残る男 44 ぶぎんレポート No.185 2015 年 2 月号 ▲秋の流鏑馬は三地区から一頭ずつの馬が 出される。一の馬は白で「源氏」 、二の 馬は紫で「藤原氏」、三の馬は赤で「平家」 を表しているといわれている。 平成元年にスポーツ健康都市宣言を行い、若 者をはじめ、スポーツへの取組みを推奨して いる。町の歴史を紐解くと、950年以上も続 く前述の流鏑馬や、40年近く続く四季を通 かる。 毛呂山町に生まれ育った井上健次町長は、 また、毛呂山町では次世代を担う若い世代 地元の消防団や体育指導員、中高のPTA役 のために教育に力を入れており、町内の小中 員として町に根差した活動を続けており、2 校すべてに支援員を配置、子どもの習熟度に 期の町議員を経て4年前に町長に就任した。 合わせたきめ細やかなサポートを行ってい 未だ深い傷跡が残る東日本大震災が発生し る。小学校の夏休みには、町内の4小学校の た直後に就任し、就任直後から「オールもろ 6年生の代表が参加して、議場にて所属長を やま」の復興支援プロジェクトを立ち上げて 前に質問を投げかける「子ども議会」が開か 被災地へ継続的な支援活動を行っている。 れている。子ども会議は20回を数え、町の 毛呂山町も他の自治体同様、厳しい財政の 恒例行事となっ 中にある。限られた予算の中で確実な政策を ているが、毎年 遂行するために、 「行財政戦略室」を設置し、 内容の変わる子 組織規模を縮小した 「よりコンパクトな行政」 どもたちの質問 を目指している。徹底して無駄を省くととも から、現在の毛 に計画的に人員を削減し、町の公共施設の効 呂山町がどのよ 果的な利用などについても積極的に取組んで うに映っている いる。その一方で、都心から50㎞という立 のかを考える貴 地を活かした企業誘致による雇用創出の実現 重な機会となっ や、恵まれた自然環境を活かし、町内自給率 ている。 を高めるために農業塾をスタートさせ、町の ▲夏休みの恒例行事となった「子ども議会」の 様子。議員だけでなく、議長も小学生が 担当して、緊張の中、質疑応答が行われる。 ■協働によるまちづくりの推進を――――― 活性化を推進していく予定だ。 今年は毛呂山町が誕生して60年を迎える。 井上町長は、町民は毛呂山町の 「オーナー」 昭和14年に毛呂村と山根村が合併して毛呂 で、自らを「タウンマネージャー」と称し、 山町となり、その後、昭和30年に川角村が オーナーから信頼される町づくりがマネー 合併し、現在の毛呂山町となった。合併60 ジャー(支配人)としての責務で、スタッフ 周年に向けて、昨年からさまざまな記念イベ (職員)一丸となり、町政に取組んできた。 ントが開かれており、町は活気に満ちている。 一昨年からは町民との対話集会「タウンミー ティング」を設け、町民の声を町政に活かす 毛呂山町の概要 人 口(平成 22 年国勢調査) 39,054人 世 帯 数(同上) 15,644世帯 平均年齢(同上) 44.8歳 生産年齢人口比率(同上) 66.4%(25,932人) 面 積(同上) 34.03平方キロメートル 名目町内総生産(平成 23 年度市町村民経済計算) 794億3,100万円 事業所数(平成 25 年工業統計) 45事業所 製造品出荷額等(同上) 270億7,528万円 事業所数(平成 24 年経済センサス) 1,009事業所 年間商品販売額(平成 19 年商業統計) 326億1,697万円 とともに、町民との 「協働によるまちづくり」 の推進に積極的に取組んでいる。 平成27年度は、毛呂山町の「第四次毛呂 山町総合振興計画」の最終年にあたり、次の 振興計画策定に向けての重要な年度となる。 町長は来月で一期目の満期を迎えるが、引き 続き「タウンマネージャー」としての責務を 遂行したいと願っている。 ぶぎんレポート No.185 2015 年 2 月号 ▲毛呂山町のゆずは、結実するまでに二〇年近い歳月を要し、 興は、古くから町に根付いていたことがわ 丹念に育てられる。そのゆずを加工したさまざまな食品が 開発され、ゆず同様、町の特産品となっている。 して開かれるマラソン大会など、スポーツ振
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