総特集 Part Ⅰ CO2 25%削減へ 温暖化対策と金融の役割 総特集 CO2 25%削減へ する制度に強い賛意を表明しているのはなぜ だろうか。EUがEU−ETS制度を始めた途端、 図表1 PartⅠ 温暖化対策と金融の役割 排出権取引制度の代表形 キャップ&トレード型 例:京都議定書国際排出権取引、EU-ETS 実排出 購入義務 環境NGOはその反対の旗を降ろしてしまった のだが、こうした態度の変化についての説得的 な理由は、ついぞ明らかにされたことはない。 排出量取引制度、3つの誤解 排出枠割当・取引制度の効果 第二は、 「排出枠割当・取引制度を導入すれ ば、温室効果ガス削減目標を確実に達成する 21世紀政策研究所 研究主幹 澤 昭 裕 ことができる」という誤解である。現在、排出 販売可能 キャップが厳しすぎれば、 全員枠が守れなくなり、排出権が暴騰。 キャップが甘すぎれば、 販売側ばかりになり、排出権が暴落。 ベースライン&クレジット型 例:京都議定書CDM 販売可能 キャップ= 法的排出枠 実排出 「対策なかりせば」 排出予想量= ベースライン 実排出 排出予想量が厳しすぎれば、販売可能排出権が見込めず、 対策をとるインセンティブがなくなる。 排出予想量が甘すぎれば、販売可能排出権が過剰に。 枠割当・取引制度の導入賛成派の人々が、こぞ ってこう主張しているのだが、制度を導入す スライン)に比べて増え方が小さくなってい れば、温室効果ガス削減が確実に達成される ればその差を排出枠(クレジット)として発生 2010年3月12日、地球温暖化対策基本法案が れまでの一般的法律構造から見て、同制度を わけではない。それは、法的義務としての排出 させるため、実際には一般的な理解でいう「排 閣議決定された。政府部内での議論がどのよ 導入するとすれば、 (オークション方式ではな 可能枠と、実際に排出されてしまう量を明確 出削減」は達成されていない(図表1参照) 。 うなものであったかは詳らかにされてはいな い限り)特定の行政機関が、各排出主体に対し に区別していないことから生まれる誤解であ ちなみに、排出枠取引市場で金融的に稼ぎ いが、排出量取引制度の導入を巡って、賛否両 て、法的順守義務が課せられる「排出枠」を何 る。要は、排出枠を市場で調達すれば、実排出 たい人にとっては、排出枠が不足気味で推移 論があったと報道されている。今後、国会に議 らかの基準で割り当てることから制度の運用 は規制値(当初割り当てられた排出枠)を超え するほうが有利だ。技術的に不可能なキャッ 論の場が移るので、同制度についての議論も は始まる。そうして割り当てられた排出枠を、 て排出することができるのである。企業は需 プ(国別目標)を政府に掲げさせることができ 深まっていくこととは思うが、いまだ様々な 市場で取引することが可能になるように測 要がある限り、排出枠を買ってでも供給責任 れば、排出枠市場を堅調に推移させ、投資家を 誤解が存在していることから、本稿では同制 定・報告・検証措置などを含めて制度設計して を果たそうとするので、買ってきた排出枠で 呼び込む良い材料になり、取引も活発化する。 度の問題点について解説しておきたい。 いくのが「取引」の部分である。 超過分を埋める。多くの場合、コストの安い海 そうなれば、手数料収入は増えるし、自らポジ 外からの枠調達になろう。 ションをとって投機に参加する際の不確実性 しかし、 「 (有害物質の)温室効果ガスの排出 排出量「取引」の内容 枠を取引する」のだから、排出枠を「排出する 海外に余剰の排出枠があるとすれば、それ も低下する。こうしたことから、最近では各国 第一の誤解が、そもそも日本語名称が「排出 権利」と考えれば、 「汚染の権利を売買する」こ はどこかで排出を減らしたのだから、世界全 政府に、より達成困難な排出削減目標を法的 量取引制度」とされていることから、原油のよ とを正当化するような制度だと見られてもお 体では排出は減っているという反論もあろう 拘束力のある形でコミットさせようとするロ うな物的商品と同様に、CO2 そのものを取引 かしくない。倫理的にも大きな問題を含むた が、仮に世界各国とも野心的な目標に取り組 ビーイングの勢いが相当増している。 するものだという思い違いである。本誌の読 め、京都議定書の発効に至る国際交渉におい んでいるとすれば、余剰の排出枠は市場に存 者にまさかそういう誤解をしている人がいる て、国際的な排出枠割当・取引制度である京都 在しないはずである。むしろ、余剰の排出枠が とは思えないが、それでは日本の行政システ メカニズムの活用に最も強く反対していたの あるとすれば、どこかの国が比較的達成が容 第三は、排出枠割当・取引制度が「努力した ムの中で具体的にどのように制度が運用され は、環境NGOやその主張を支持したEUだった 易な甘い枠を外交上確保したという証拠であ 者が報われる仕組み」、「どんどん減らしたほ るかを正確に想像できる人がいるかと言えば、 のである。 る。また現行制度上は、京都メカニズムのうち うが得する仕組み」であるという誤解である。 ところが最近では、政府部内でもあるいは CDMがベースライン・クレジット方式によっ これは誤解というより、詭弁と言ったほうが 排出量取引制度の正確な表現は、 「温室効果 環境運動においても、いわゆる「環境派」を自 て排出枠を創出していることから、実排出が いいかもしれない。これに関連して、 「排出枠 ガス排出枠割当・取引制度」である。日本のこ 認する人々が、こうした「汚染の権利」を売買 あっても、何も対策を採らなかった場合(ベー 割当・取引制度は、最小のコストで削減を達成 それほど多数ではないだろう。 36 2010.5 2010.5 「努力した者が報われる」という詭弁 37 総特集 CO2 25%削減へ する制度」であり、 「技術革新をもたらす制度」 する情報を正確に掌握しているわけではない い企業に対して、排出枠売買を通じて補助金 であるという命題についても、正確な理解を ため、現実の世界では、枠配分は公平性を満た を渡すことになってしまうのである。 しておかなくてはならない。 すことはありえない。 まず、ある排出削減義務を課されたら、それ 要するに、 「どんどん減らせば得する」ので 排出枠割当・取引制度の逆進性の国民的議論を を達成するためにコストが生じることを忘れ はなく、自らの削減ポテンシャルに対して、ど 上記のような誤解に加えて、先進各国では てはならない。そのコストの大小は、企業によ の程度の枠が設定されるかによって、各企業 常識であるにも関わらず、日本でほとんど議 って異なる。なぜならば、企業によって技術レ の損得勘定が大きく左右するのがこの制度な 論されていない問題が、排出枠割当・取引制度 ベルや構造が異なるからである。仮に全ての のだ。どんどん減らそうにも技術的に減らせ の所得に対する逆進性である。炭素に価格を 企業が同じ規模で操業しているとすれば、旧 ない場合や減らすコストが市場で成立してい つけて売買すれば、化石燃料を含むエネルギ 式の技術を使って生産すれば排出量は相対的 る排出枠価格を上回る場合には、無理な努力 ーコストは必ず上昇する。 に多く、先進的な技術を使って生産すれば排 をすることなく、排出枠を購入して済ませて 出量は相対的に少なくなるだろう。 しまう。 そこに一律の削減量を課されたとした場合、 エネルギーは生活必需品であり、消費税と 同様に逆進性が問題となる。よって、景気回復 一方、どんどん減らすことがまだまだ可能 に加えて労働者家族の保護が大きな政治課題 前者の効率の悪い企業は、既存の普及技術を な企業は、設定された枠自体が甘いことを逆 となっている米国では、この制度を含む法案 導入することによって排出削減を低コストで 手にとって、排出枠を市場に売却すれば儲か 成立の可能性が小さくなっている。豪州でも、 大量に行えるが、後者の効率の良い企業は、そ るのである。現実上、枠の割り当て方式として ビジネスへの悪影響を心配する最右派と逆進 れ以上の先進的な技術は存在していないので、 最も有力な「グランドファザリング方式」 (過 性を問題視する最左派の連合によって、上院 さらに排出量を削減するためには、自ら研究 去の排出実績に基づく割当法 )では、まさに で2度も葬り去られた。日本でも、同制度が導 開発して革新的な技術を開発せざるを得ない。 「努力した者が報いられる」のではなく、これ 入されれば、最低所得層や寒冷地域への打撃 しかし、排出枠取引市場が利用可能となって まで努力してこなかったからこそ、現状の排 が大きい(図表2、3を参照)ことが明らかに いれば、前者の企業から安価に市場に対して 出量に見合う排出枠を受けることができ、そ されている。今後、地球温暖化対策基本法の国 供給される排出枠を購入して、高価かつ不確 の者がほとんど努力せずに利益を得ることに 会審議が進む中で、こうした論点についての 実な技術開発にチャレンジする必要なく、法 なる。逆にこれまで努力して排出を減らして 国民的議論がなされることを期待したい。 的な排出削減義務を「最小限のコストで達成」 きた者は厳しい排出枠をはめられるために、 できることになるのである。 一層努力するよりは、しぶしぶながら安価な 排出枠を購入することになってしまう。 「枠配分」の様々な弊害 結局、枠の配分次第では、 「効率の良い企業 ここで別の状況を想定してみよう。上記の から、効率の悪い企業に対して所得移転がな 効率の良い企業には、これまでの努力を反映 される危険性がある」というのが、この制度の して少ない削減義務、効率の悪い企業には逆 最大のデメリットである。制度導入賛成派の に大きな削減義務を課すとする。もし両社が 人が主張するように、仮に国際的に市場をリ CO2 1トン当たりの削減コストが同じになる ンクしたとすれば、1990年比▲25%削減のよ くらいの枠配分がなされたとすれば、最も公 うに極めて厳しい枠をはめられた日本の効率 平感のある配分となる。しかし、役所は神様で が良い企業が、EUのように達成が容易な目標 はなく、各企業の技術構造やコスト構造に関 しか提示していない地域に存在する効率の悪 38 2010.5 図表3 PartⅠ 温暖化対策と金融の役割 澤 昭裕(さわ あきひろ) 1957年生、大阪府出身。 81年一橋大経済卒、通商産業省 入省、83年行政学修士(プリン ストン大学)、97年工業技術院 人事課長、2001年環境政策課長、 03年資源エネルギー庁資源燃料 部政策課長。04年8月〜08年7 月東京大先端科学技術研究セン ター教授。07年5月から現職。 図表2 排出権取引の世帯エネルギー支出への影響 (円) 世 帯 あ た り エ ネ ル ギ ー 支 出 ア ッ プ 25,000 (%) 12.0 排 11.1% 出 権 支出増 支出アップ率 21,013 20,000 15,000 14,301 15,091 10.0 取 8.0 13,991 13,964 6.0 10,000 1.751/M 6.0% 1,258/M 6,523 5,000 3.0% 5.8% 1,192/M 5.6% 4.0 4.6% 1,166/M 1,164/M 2.0 544/M 0 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ ・二酸化炭素排出権価格=29.8ユーロ×160.88円/ ユーロ×1.6=7670.8円/トンCO2 ・需要の変化=1+価格弾性値*価格上昇割合 支出の変化=需要の変化*(1+価格上昇割合) ・年間収入5分位階級(円) Ⅰ ( 〜3,500,000) Ⅱ (3,500,000〜4,740,000) Ⅲ (4,740,000〜6,280,000) Ⅳ (6,280,000〜8,690,000) Ⅴ (8,690,000〜 ) データ:家計調査(総務省) 地域別の排出権取引の世帯エネルギー支出への影響 (円) 世 帯 あ た り エ ネ ル ギ ー 支 出 増 加 額 0.0 平均 引 の 世 帯 エ ネ ル ギ ー 支 出 へ の 影 響 (%) 0.18 エ 0.16 ネ ル 0.14 ギ 0.12 ー 支 0.1 出 0.08 増 加 0.06 率 50,000 支出増(円) 支出アップ率(%) 45,000 40,000 35,000 30,000 0.04 25,000 20,000 0.02 札青 盛 仙秋 山 福 水 宇 前埼千 東 横 新 富 金 福 甲長岐 静 名 津 大 京 大 神奈和 鳥 松岡 広 山 徳 高松高 福 佐 長 熊 大 宮 鹿那 幌森 岡 台田 形 島 戸 都 橋玉葉 京 浜 潟 山 沢 井 府野阜 岡 古 津 都 阪 戸良歌 取 江山 島 口 島 松山知 岡 賀 崎 本 分 崎 児覇 宮 屋 山 島 ・二酸化炭素排出権価格=29.8ユーロ×160.88円/ ユーロ×1.6=7670.8円/トンCO2 ・需要の変化=1+価格弾性値*価格上昇割合 支出の変化=需要の変化*(1+価格上昇割合) 2010.5 0 データ:家計調査(総務省) 39
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