デルタ航空沿革: 1920 年代 ―デルタ航空の誕生 「デルタ航空」の創立者

2009 年 6 月 17 日発表資料「デルタ航空、旅客便運航開始から 80 周年を迎える」添付資料
デルタ航空沿革:
1920 年代 ―デルタ航空の誕生
「デルタ航空」の創立者 C.E.ウールマンがルイジアナ州モンローに本拠を置く史上初の農業用民間航空会社
であったハフ・ダランド・ダスターズ社の買収を指揮したことにより発足した「デルタ・エア・サービス」は、創立の
地であるミシシッピ川の河口デルタ地域にちなんでこのように命名され、1928 年に開業しました。デルタ航空の
旅客機初飛行は、テキサス州ダラス発ミシシッピー州ジャクソン行きで、機体客室内装は木製パネルに枝編細
工の椅子、シートベルトはなく手すりにつかまる形式で、窓は開閉可能という、乗客定員 5 名のトラベルエア S6000-B 型単葉機の運航でした。
デルタの旅客機初飛行
テキサス州ダラス発ミシシッピー州ジャクソン行きの広告
(1929 年 9 月)
1930 ~1940 年代 ―アトランタ
デルタ航空は 1930 年にジョージア州アトランタへのサービスを就航し、1941 年に本社をモンローからアトラン
タに移転し、今日までアトランタを本拠地としています。デルタ航空(Delta Air Lines, Inc.)の社名を正式に採用
したのは 1945 年でした。
1941 年に本社をモンローからアトランタに移転
当時のアトランタ空港とデルタ航空の本社の様子
(1946 年頃)
1950 年代 ― ハブの先駆者とジェット時代の幕開け
デルタ航空は 1955 年に他社に先駆けてハブ空港とスポーク運航体系を取り入れ、乗客の皆様はハブ空港で
デルタ便に乗り継いでいただくようになりました。アトランタは当時から現在までデルタ航空のハブ空港です。
1959 年には、デルタ航空はダグラス DC-8 型ジェット機を就航した最初の航空会社として、ジェット時代のパイ
オニアとなりました。また、同じ頃、ジェット機の後退翼に似た赤・白・青の三角形の「ウィジェット」が、デルタ航
空の公式ロゴとして採用されました。
ジェット時代の幕開け
C.E.ウールマンが初 DC-8 ジェット機を命名
(1959 年 9 月 15 日)
1960 年代 ― 高速化の時代
1961 年、デルタ航空はアトランタ発ロサンゼルス行きの初の直行便で東海岸と西海岸を結び、また、カリフォ
ルニア州とカリブ海をつなぐ路線を就航しました。1962 年にはデルタ航空の DC-8 型機が、ロサンゼルスとアト
ランタ間の飛行時間 3 時間を切った最初の民間航空機となりました。ちなみに、この記録(2 時間 57 分 11 秒)
は今日まで生きています。
コンベア 880 ジェット機がアトランタ空港より離陸
(1960 年代前半)
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1970 年代 ―創業 50 年
1970 年代にはデルタ航空の旅客機はすべてジェット機になり、またノースイースト航空との合併により、ニュー
ヨーク・ボストン地域における一大航空会社となりました。1978 年には、デルタ航空はアトランタ-ロンドン路線
の就航により、大西洋路線の運航会社にもなりました。1979 年の旅客サービス 50 周年記念行事で、デルタ航
空は 1970 年代を華々しく締めくくりました。
デルタ航空初の大西洋路線運航-アトランタ-ロンドン路線の広告
(1978 年 4 月)
1980 年代 ―「スピリット・オブ・デルタ(The Spirit of Delta)」がアジアへ
1980 年代には、デルタ航空は史上 2 回目の損失を計上して財政不安に陥りました。しかし、1982 年にはデル
タ航空社員の自主的給与引き下げという驚くべき取り組みにより 3 千万ドルを調達し、デルタ航空初のボーイ
ング 767 型機購入が可能になりました。同機はデルタ航空社員の強い愛社精神を記念して、「スピリット・オブ・
デルタ(The Spirit of Delta)」と命名されました。
1981 年、デルタ航空は「フリークエント・フライヤー・プログラム」(1995 年に「スカイマイル」と改名)を開始し、
1984 年にはハワイ路線を就航しました。1987 年にはウェスタン航空がデルタと合併し、デルタ航空は、米国第
四位、世界第五位の規模を誇る航空会社となりました。デルタ航空初の太平洋路線運航は、アトランタからオ
レゴン州ポートランド経由東京便の就航でした。翌年、デルタ航空はアジア路線を運航開始しました。
デルタ航空初のボーイング 767 型機
「スピリット・オブ・デルタ(The Spirit of Delta)」の命名式
(1982 年 12 月 15 日)
デルタ航空初の太平洋路線運航
アトランタからオレゴン州ポートランド経由東京便の広告
(1987 年)
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1990 年代 ― デルタ航空のグローバル化
1990 年代、デルタ航空は航空産業史上最大規模の買収活動―1991 年のパンナムの大西洋全路線及びパン
ナム・シャトルの買収により、真にグローバルな航空会社となりました。また、デルタ航空、ノースウエスト航空
及び TWA の 3 社で予約システムを合体し、ワールドスパン(WORLDSPAN)旅行情報サービスを 1990 年に
設立しました。
1995 年には、デルタ航空が五輪百周年となった 1996 年アトランタ五輪大会公式航空会社に任命され、「セン
テニアル・スピリット(Centennial Spirit)」と銘打った新型 MD-11 ジェット機をお披露目しました。五輪をテーマ
とした塗装を施されたこの機体で、1996 年アトランタ五輪の聖火をギリシャのアテネからロサンゼルスへ運び
ました。1996 年は、デルタ航空のウェブサイト「スカイリンクス(SkyLinks)」上でのインターネット予約サービス
が開始された年でもあります。
1997 年、デルタ航空は年間搭乗者数 1 億人を突破した最初の航空会社となりました。機体の外装も新調し、
また、ボーイング 777 型機も購入しました。1998 年には、国際便のファーストクラスとビジネスクラスの区別を
廃止し、新たに「ビジネスエリート(BusinessElite® )」という高級シートのセクションを設けました。同年、デルタ
航空は、「エア・トランスポート・ワールド(Air Transport World)」誌により、1998 年最優秀グローバル航空会社
に選ばれました。
パンナムの大西洋全路線及びパンナム・シャトルの買収により、真にグローバルな航空会社となりました
(1991 年経路図)
2000 年代 ―「スカイチーム航空連合」、再建、そして、世界最大の航空会社の誕生
2000 年は、デルタ、アエロメヒコ、エールフランス、大韓航空の世界連合である「スカイチーム航空連合
(SkyTeam Alliance)」創立の年となりました。デルタ航空はアトランティック・サウスイースト航空(ASA)及びコ
ムエアの買収と、業界最大の域内運航用ジェット機発注(500 機)で、その存在感を益々強めました。航空機の
外装と「ウィジェット」のロゴも現代的なデザインに刷新され、2000 年にはデルタ・ドット・コムのウェブサイトもお
披露目となりました。
2001 年には、デルタ航空は 2002 年ソルトレーク・シティ冬季五輪の聖火リレーで、聖火をギリシャのアテネか
らアトランタに運び、ソルトレーク・シティのハブ空港で、2002 年冬季五輪のスポンサーを務めました。この年の
技術革新によりチェックイン・キオスク、拡張されたゲート情報システム、及び「デルタ・ドット・コム」での仮想チェ
ックインによる利便性をお客様に提供できるようになりました。
2004 年には、デルタ航空は旅客事業 75 周年を祝賀し、以前の「ウィジェット」のロゴデザインに回帰しました。
2005 年 9 月 14 日、航空産業が直面していた様々な課題から、デルタ航空は米国破産法 11 条適用による再
建を申請しました。
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着々と再建の道を歩んだデルタ航空は、2006 年には、新たに直行便を 124 路線、発着空港を 41 か所加えて、
グローバルな事業を展開するいずれの航空会社よりも多くの便を運航するようになりました。同年、デルタ空港
はさらに、国家安全委員会により航空会社としては初めて、「職場安全の産業リーダー」と認定され、また、「ビ
ジネストラベラー(Business Traveler)」誌読者により、「最優秀マイレージ・プログラム」「最優秀航空会社ウェ
ブサイト」「最優秀エアポート・ラウンジ」に選ばれました。
2007 年、デルタ航空は再建計画を 1 年前倒しで完了し、4 月 30 日付で破産法適用から脱却しました。その際、
リチャード H.アンダーソンを 8 代目 CEO に任命しました。デルタ航空はまた、新たな 3 次元の赤色の「ウィジ
ェット」ロゴを導入して航空機の塗装外観を一新し、更に、米国の航空会社としては初めて、航空機利用に伴う
二酸化炭素排出に関する旅客のためのカーボン・オフセット制度を導入しました。
デルタ航空とノースウエスト航空の 2008 年 10 月 29 日付の合併により、世界最大の航空会社が誕生しました。
新会社はデルタの名称を継承し、本拠地をアトランタとしました。合併手続きの終了に伴い、ノースウエスト航
空は、デルタ航空の 100%子会社となりました。
デルタ航空最新のボーイング 777LR 機を、86 歳になる元社長兼最高経営責任者(CEO)のデーブ・ギャレットに捧げる式典の様子
(2009 年 6 月 10 日、アトランタにて)
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