GKH022203 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

49
再領土化される祈り
――メキシコ・キンタナロー州マヤ教会における日常的実践――
初
谷
譲
次
〔要旨〕 美しいカリブの海岸線に面したトゥルムのマヤ遺跡は世界的ビーチ・リゾート
として知られるカンクンから車で2時間程度に位置し,チチェン・イッツア遺跡と並ん
で人気観光スポットである。遺跡に隣接するトゥルム市は,いまや3万人を有するトゥ
ルム自治体(2
0
0
8年設立)の首府として栄え,郊外には国際空港の建設が計画されてい
る。同市の幹線道路沿いに並ぶ土産店やレストランを利用する観光客には,そこがかつ
てクルソー・マヤと呼ばれた反乱マヤの聖地であることは思いも及ばない。観光客が往
来する大通りからわずか1ブロック入ったところにあるシュロ葺き屋根のマヤ教会(祭
祀センター)では,輪番制で聖域を護衛するシステムが現在も維持されている。本稿
は,2
0
0
8年夏に実施したフィールド調査に基づいて,キンタナロー州のマヤ教会におい
て実践されているミサと呼ばれる祈りをテクスト化し,再領土化という観点から考察し
たものである。資本主義はあらゆるモノを脱領土化して,一元的価値を付与して市場に
流通させ,私的所有権によって再領土化するシステムである。このメカニズムから自由
でいられる人間は地球上にはいない。しかしながら,その再領土化のやり方は一律では
ない。近代的個人は再領土化するさいには,再−脱領土化を想定してモノの市場価値を
モニタリングする。それが祈りであれば,
「正しい」かどうか確認する。しかし,マヤ
の人びとは祈りを再−脱領土化することを想定することなしに,日常的空間に埋め込む。
再−脱領土化する必要のないものは市場的価値という意味において「正しい」必要はな
く,何世紀にもわたってブリコラージュされながら受け継がれてきたのだ。
〔キーワード〕 脱領土化,再領土化,条理空間,平滑空間,ブリコラージュ
は
じ
め
に
本稿は,「メキシコ・キンタナロー州トゥルム市マヤ教会の護衛制度と伝統的ノベナ――近
代と伝統の境界線上を生きるという戦術――」
(『天理大学学報』第2
1
9輯,2
0
0
8年1
0月,1
2
3―
1
4
2頁)の続編である。昨年に引き続き,本稿は2
0
0
8年7月∼8月にかけて実施したメキシコ
のキンタナロー州トゥルム市およびフェリペ・カリジョ・プエルト市におけるおよそ1ヶ月の
フィールド調査に基づいている。
前稿でも説明したが,昨年からのフィールド調査は7名のメンバーによる科研プロジェクト
の一環として実施されている。統一テーマは「日常的実践におけるマヤ言説の再領土化に関す
る研究」
〔平成1
9∼2
1年度科学研究費補助金・基盤研究 B―1〕である。以前にもほぼ同じメン
バーで科研プロジェクトを実施し,今回のプロジェクトはその研究を補完かつ発展させようと
するものである。前回の統一テーマは「マヤ・イメージの形成と消費に関する人類学および歴
(吉田編)である。同研究
史学的研究」
〔平成1
4∼1
6年度科学研究費補助金・基礎研究 B―1〕
では主として中米先住民のマヤ民族および文化に関するイメージ(言説を含む)が,植民地支
50
天理大学学報 第6
1巻第1号
配者はもとより人類学者や歴史学者,考古学者などの研究者,さらには観光客などの他者によ
ってどのように形成され,また消費されてきたかという点に関して明らかにした。そして,今
回のプロジェクトは他者によるマヤ・イメージの消費ではなく,他者によって消費の対象とし
て脱領土化されたマヤ文化を再領土化しようとするマヤ自身の日常的実践に焦点を当てようと
するものである。筆者はこれまで歴史学的にマヤ研究をしてきた。つまり,古文書館の文献資
料に基づいてマヤの歴史を再構成しようとしてきたのだ。しかしながら,今回の統一テーマに
は歴史学的にアプローチすることができないとの判断から,現地におけるフィールド調査とい
う方法を選択した。
調査地は,メキシコ・キンタナロー州政府から公式に「マヤ地域(zona maya)
」と称され
ている地域である。フェリペ・カリジョ・プエルト市(同名の自治体の首都)はかつてチャン
・サンタ・クルス(小さな聖なる十字架)と呼ばれ,反乱マヤの聖地であった。1
8
4
7年にはじ
まったカスタ戦争の名で知られるマヤ系先住民の大反乱は,1
8
5
3年以降は長期のゲリラ戦とな
り,反乱が完全に終結するのは聖地チャン・サンタ・クルスが陥落した1
9
0
1年のことであった。
反乱者数8万人,戦死者数1
5万人,持続年数5
4年という点において突出しているとはいえ,
カスタ戦争が例外的事例であったわけではない。スペインからの独立を達成した1
8
2
1年からメ
キシコ革命が勃発する1
9
1
0年までの「1
9世紀メキシコ」では,大小多数の反乱が記録されてお
り,農村地帯は恒常的反乱状態にあったといってよい(1)。
さて,連邦軍に鎮圧されサンタ・クルス・デ・ブラボと名を替えた聖都は,ブラボ将軍指揮
下,兵舎,弾薬庫,病院,電信網,カリブ海に面した港ビヒア・チコまでの軽便鉄道など,矢
継ぎ早に諸施設が整備されていった。1
9
0
2年1
1月,正式にこの地域はユカタン州から分離され,
キンタナロー連邦直轄領となった(1
9
7
4年に州に昇格)
。さらに,米国におけるチューインガ
ムの普及により,その原料のチクルが採集されるチコ・サポテ(サポジラ)が多くみられるこ
の地域の開発がはじまった。チクル・ブームによって急速に国家に統合されていったこの地域
のマヤ人は,ティシュカカル・グアルディア村,チャンカー・ベラクルス村,チュンポン村お
よ び ト ゥ ル ム 村 を あ ら た な 聖 地(祭 祀 セ ン タ ー)と し て 紐 帯 を 維 持 し て き た(初 谷
1
9
9
0,1
9
9
6)
。
さらに,1
9
7
0年代にはいまや国際的ビーチリゾートとして確固たる地位を築いているカンク
ン(キンタナロー州北東部海岸)の開発がはじまっている。しかし,マヤ地域が本格的に観光
ブームに巻き込まれていくのは1
9
9
0年代後半以降のことである。カンクンの南側にあるプエル
ト・モレロスからトゥルムにかけての海岸線地帯を中心にリビエラ・マヤと呼ばれる観光エリ
アの開発が急ピッチで進んできた。コバルトブルーともエメラルドグリーンとも言われる美し
いカリブ海を望むキンタナロー州東部海岸地帯は,「都市インフラ整備を含む国家主導型のビ
ーチリゾート大規模総合観光開発」の影響,あるいはマスツーリズムの波が押し寄せるように
6)
。1
2
9キロメートルにおよぶカンクン=トゥルム回廊は4車線
なったのである(杓谷:2
0―2
の道路(一部建設中)で結ばれている。
また,昨年からすでに決定していたことであるが,2
0
0
8年3月1
3日トゥルムはソリダリダー
自治体(首都はプラジャ・デル・カルメン)から独立した。総面積4
3
1
9平方キロメートルを有
したソリダリダー自治体のおよそ4
7%にあたる2
0
2
7平方キロメートルが分離され,トゥルム自
治体となった。トゥルム自治体は2
9の市村に3万7
8
8人の人口を有している。年間3
0万人以上
の観光客を受け入れる自治体としてさらなる発展が期待される。トゥルム自治体人口の6
5%は
観光産業に従事しており,今後の発展によりさらに外部から人口流入が予想される(La
51
再領土化される祈り
Jornada 紙)
。また,トゥルム市郊外に国際空港の建設も予定されていると聞く。
さてこのように急速な観光開発
の波に巻き込まれているトゥルム
市には,反乱マヤ(クルソー・マ
ヤ)の祭祀センターが存在してい
る。トゥルム市の新市街地の中心
に位置する中央広場から2ブロッ
ク離れたところに,マヤ教会はあ
る。シュロ葺き屋根のマヤ様式の
建物は,周囲が高い金網で囲まれ
ている。教会に併設されるクアル
テル(兵舎)には,グアルディア
と呼ばれる教会護衛役が宿営して,
写真1 多数の観光客でにぎわうトゥルム遺跡
教会を守っているのだ。昨年の調
査報告では,同マヤ教会の護衛制度と伝統的ノベナを題材として,マヤ教会に集う人びとの日
常的実践における再領土化の問題を考察した(初谷 2
0
0
8)
。本稿では,マヤ教会で日常的に
営まれている祈師による祈りのテクスト化とその考察を試みたい。
1.トゥルム市マヤ教会における祈りの風景
今回の調査中,マヤ教会で執り行われる毎朝7時からのミサ(祈り)に参加させてもらうこ
とを日課とした。ミサは早朝の5時と7時の2回,夕方7時の合計3回おこなわれる。コンパ
ニィア(中隊)と呼ばれる教会護衛役には,指揮官(comandante)
,隊長(capitán)
,副隊
長(teniente)
,軍曹(sargento)
,伍長(cabo)などの軍隊式役職名をもつものたちとともに,
必ず1名の祈師(rezador)が含まれている。最初の1週間(7月2
0∼2
6日)の担当祈師はド
ン・エステバン(Don Esteban Pat Caballero)であった。かれは薬草で病気を治療するクラ
ンデロ(呪医)でもある。ある日の朝の2時間くらいを切り取って順路的に記述してみたい。
早朝6時半,マヤ教会に到着。マヤ教会をぐるりと囲うフェンスは高さ2メートル以上はあ
り,入り口は3ヶ所ある。鍵こそかかっていないが,カンヌキがかけられている。自分であけ
て,教会敷地内に入る。教会の敷地は教会の建物と護衛役が寝泊りする兵舎(クアルテル)と
そのあいだには1
2メートル四方のコンクリート床の中庭スペースがある。このスペースは,教
会屋根と兵舎の屋根をわたすかたちのシュロ葺き屋根で覆われている。つまり,教会,中庭,
兵舎は外からみると大きなシュロ葺き屋根で全体が覆われているようにみえる。もちろん,そ
れぞれ独立して葺かれているのだが。
すでに護衛中隊指揮官(コマンダンテ)のドン・アルベルト(Don Alberto Pat Be)は教
会の庭の掃除をしている。筆者もほうきをもって掃除を手伝う。昨日は夕方にノベナの食事が
ふるまわれたので,空き瓶や栓が転がっていて,結構ちらかっていた。教会内では,祈師のド
ン・エステバンが一定のリズムで鐘をたたいている。今日もノベナが行われることを人びとに
報せているのだ。筆者も靴を脱いで教会内に入る。教会入り口はマヤ語でクカと呼ばれるシュ
ロの葉でアーチ状に飾られている。教会内部はがらんとしていて,幅6メートル奥行き1
2メー
トルくらいで,床はコンクリート製であるが,長年の使用でつるつると黒光りしている。教会
内にはあかりはなく,入り口から差し込む光と奥のほうに見える蝋燭の火だけが頼りで,薄暗
52
天理大学学報 第6
1巻第1号
い。正面には,至聖所(gloria)と呼ばれる聖域があり,高さ2メートルくらいの壁で隔てら
れている。その壁にも入り口があり,シュロのアーチで飾られている。
写真2 フェンスで囲まれたトゥルム市マヤ教会
至聖所入り口の右側には質素な木製の椅子が置いてある。護衛役がそこに杖をもってすわり
至聖所を警護する。至聖所手前の空間には,左右に入り口があり,やはりシュロのアーチ飾り
が施されている。壁際にはベンチがおいてあり,天井にはラミジェテ(花束)と呼ばれる紙テ
ープで作られた飾りがぶら下げられている。
至聖所の内側にはさらにカーテンがぶら下げられており,外から中が見えないようになって
いる。祈師が至聖所に入ったので,追いかけて筆者も同行する。まず,祈師は至聖所のカーテ
ンをうえにひっかけるかたちで開く。至聖所に入ると,高さ1メートル,長さ4メートル,奥
行き6
0センチくらいのコンクリート製の蝋燭台が目に入る。そこには,だいぶ短くなった5∼
6本の蝋燭があたりを照らしており,真っ暗な至聖所の様子がかすかにわかる。蝋燭台の両側
にはテーブルが置かれており,右側のテーブルにはヒカラ(瓢箪椀)が3
0個くらい置いてある。
ついさきほど,民族衣装のウイピルを着た女性がお供えのアトレを青いバケツに入れてもって
きたので,それもテーブルに置いてある。左側のテーブルには日本のお茶碗よりやや大きめの
陶器茶碗がやはり3
0個くらい置いてある。また,テーブルには蝋燭がはいったダンボール箱が
置いてあり,祈師は新しい蝋燭を2
0本ほど出して蝋燭台にばらばらと置く。すでにともってい
る蝋燭から火をもらって,1本1本新しい蝋燭に火をともしては,底を火であぶって少し溶か
して蝋燭台の直径1センチくらいの穴にたてる。蝋燭台には1列およそ3
0個の穴があり,それ
が5列あるので,合計1
5
0本くらいの蝋燭をたてることができる。朝のミサでは祭壇に一番近
い列にだけ,蝋燭を立てる。今日は1
7本に火がともされている。
祈師はお供えのアトレをヒカラにそそぎ祭壇にお供えしていく。合計7個のアトレが祭壇に
供えられた。蝋燭台の奥にある祭壇は高さ1メートル2
0センチ,奥行き1メートル,幅4メー
トルくらいである。祭壇は,白い布で飾られている。その白い布には,合計6個の花束と3個
の十字架が刺繍されている。祭壇の上には,1メートルくらいの大きな十字架。それより少し
小ぶりの2本の十字架が置かれている。これが,トゥルムの3本の聖十字架である。その十字
再領土化される祈り
53
架の前には,5
0センチくらいの十字架が3本置かれている。さらに,3
0センチくらいの十字架
も3本置かれている。すべての十字架にはウイピルが着せられている。十字架の左隣には,8
0
センチくらいのマリア像らしきものが布で覆われて置いてある。そして,その左には造花で飾
られた額がふたつ置いてある。ひとつには,3つの十字架の絵が飾られている。もうひとつは
何が飾られているか確認できない。たしか昨年の記憶によるとイエスの肖像だったように思う。
そして,それらすべての前には,造花や生花が花瓶に入れられて飾られている。
祈師が蝋燭台の右前にひざまずく。筆者もそのとなりに,ひざまずく。祈師は鐘を鳴らしな
がら祈りをはじめる。祈りは通常で4
0分,土日は1時間かかる。祈りが終わると,祭壇に供え
られたアトレをいただく。祭壇の両側に小さな椅子が置いてあり,赤い布がかぶしてある。そ
のうえには,小さな十字架がおいてある。「あの椅子はなんのためですか」と筆者,
「日曜日に
イエスさまが天から降りてきて人びとの生活ぶりをごらんになる。そのときにあの椅子にすわ
って休憩なさるのだ」と祈師。
教会から出て,教会とクアルテルのあいだのベンチに腰を下ろし,祈師と話をする。
「今日
の祈りは長かったですね」と筆者,「その通り。今日は天にいる神に祈るべきよき日だから
だ」と祈師。「曜日によって違うのですか」と筆者,
「そうだ。月曜日は死者に祈る日,火曜日
は悪い日,水・木はよい日,金曜は悪い日,土・日もよい日で,洗礼などは水・木・土・日に
行うのがよい」と祈師。
マヤ教会最高責任者の聖職者ドン・モイセスが教会にやってきた。「おはようございます,
ドン・モイセス」と筆者,「おはよう,ちょっと手伝ってくれるか」と聖職者。いっしょに教
会内に入る。どうやら,至聖所の両側のテーブルが古くなって相当いたんでいるので,新しい
テーブルと入れ替えるらしい。新しいテーブルは8人がけくらいの一般家庭で使用するような
どこにでもある食卓である。まず,至聖所の古いテーブルを外に引っ張り出す。「この机はど
れくらい使っているのですか」
「さあね,大昔からだよ」というような会話をしながら,テー
ブルのうえに置かれた大量のヒカラを新しいテーブルの上に移す。そして,ぴかぴかの新品の
家庭用食卓は聖域に似つかわしくないなどと思いつつ,至聖所の両側に設置する。しかし,聖
職者は満足げである。いったん外に出たので,至聖所の暗さに目が対応できない。
「暗いです
ね」と筆者,「そうだろう。以前,ここに電灯をつけようかと提案したが,長老たちに却下さ
れたのだ」と聖職者。
2.日常的実践における近代と伝統の境界線上を生きるという戦術
以上が,トゥルム市マヤ教会におけるミサの風景である。意識的に教会内の様子も記述して
みた。写真1枚あれば,こと足りる風景を記憶に基づいて描写すると実にまどろこしい。昨年
の報告書(初谷 2
0
0
8)でも述べたように,マヤ教会においてはマヤ役職者たちは,研究者に
メモ帳,筆記用具,録音機器,カメラおよびビデオなどの情報機器の使用を禁じる。だからと
言って順路的経験をいっしょにすることを拒否することはない。むしろ積極的に参加をうなが
す。ただし,その順路的経験を地図的知識に整理しようとするそぶりに対しては強い拒絶反応
を示すのだ。筆者は前稿で,このようなマヤ職能者たちの態度を「情報操作の優劣による他者
化を防いだうえで,儀礼への参加は認めることで研究者を他者化することもしないという日常
的実践における近代と伝統の境界線上を生きるという戦術」であると指摘した。
他方で,この地域の人びとが1
9世紀カスタ戦争の反乱者の末裔であるとの枠組みのなかで理
解しようとする研究者もいる。たしかに,高さ2メートルのフェンスで囲まれ,兵舎と呼ばれ
54
天理大学学報 第6
1巻第1号
る宿営施設には軍隊式役職名をもつ護衛役の中隊が教会を守っている様子から,反乱のなごり
であると断定することはたやすい。
リサマ・キハノは『チラムバラムの書』(2)から受け継がれるマヤの終末思想とその預言の
伝統のなかにマヤ教会に集う人びとの行動を位置付けようとする。リサマは「なんとならば,
今こそ白人に対するユカタン蜂起のときが到来したのだから。これが,心にとどめるべきもの
として余が汝らにしるしを示している理由である」(3)というカスタ戦争の「語る十字架の神
託」を引用したうえで,「マヤたちは,この預言に含まれるメッセージが実現される時がくる
ことを我慢強く待ちつづけているのだ」
(Lizama:1
4
7)と述べている。そして,ティシュカ
カル・グアルディア村の教会護衛役の甥で,トゥシク村の祈師の息子であるという人物の語り
を収録し,その語りがマヤ預言の書『チラムバラムの書』の内容を受け継ぐものであるとして
次のように述べている。「世界の終末に関するこの語りは『チラムバラムの書』に含まれる一
連の預言との連続性を示している。すなわち,キンタナロー州のマヤたちはこのメッセージを
4
0
0年以上にもわたり唱え続けている。これらの預言がくびきからの開放を求める民に希望を
与えているのだ」
(Lizama:1
4
8)
。たしかに,論文に収録された語りのなかに「2
0
0
0年からし
ばらくすると世界の終末がくるのだ。でも,このしばらくがどれくらいの期間なのかは誰も知
らない。3
0年なのか1世紀なのか,だれも知らないのだ」という世界の終末について触れられ
てはいる(Lizama:1
4
8)
。
また,レベルは異なるが今回の調査で次のようなことがあった。伝統的ノベナがおこなわれ
ていたマヤ教会に,イタリア人観光客が紛れ込んできた。筆者はトラブルを回避しようと,そ
の夫婦に近づいていきマヤ教会聖職者のドン・モイセスを紹介したうえで,教会見学における
ルールを説明した。ふたりは素直に教会近くの店でロウソクを3本買ってきて,靴と帽子を脱
いで教会内に入った。至聖所の祭壇にはたくさんのお供えが並び,祈師が祈りをささげていた。
イタリア人夫婦は好奇心旺盛で,筆者に祭壇のうえに置いてある十字架やマリア像について盛
んに質問してきた。至聖所内で説明することはまずいと思い,教会から出てから質問に答えた。
そうこうしていると,伝統的ノベナのメインイベントである「豚頭のダンス」が始まった。こ
れについても一通りの説明をした。ダンスも終わり人びとが引き上げはじめたとき,つぎのよ
うなやり取りがあった。「このあと教会では一晩中マヤ音楽と祈りがおこなわれるのですか」
と観光客,「いいえ,朝方にミサと呼ばれるロザリオの祈りがおこなわれるだけですよ」と筆
者,「それは,あなたがそう思っているだけで教会では秘密の儀礼がおこなわれるのではない
ですか」と観光客,「そんなことはないと思いますよ」と筆者,
「それはあなたがそう思ってい
るだけですよ」と引かない観光客。トゥルム村のマヤ教会に近づいてくる観光客は多くはない。
1週間に1組あるかないかだ。なにしろ高いフェンスで囲まれたマヤ教会には護衛役がおり鋭
い視線を投げかけてくる。異様な空気を感じて観光客は近づいてこないのだ。それでも教会を
訪れてくる観光客はこの地域のマヤがクルソー・マヤと呼ばれる反徒の末裔であることなどあ
る程度の情報をもっているのだろう。そして,「謎めいた集団」というマヤ・イメージを消費
しにくるのだ。
もうひとつのエピソードを記しておこう。伝統的ノベナの最終日の儀礼を待っているとき,
教会と兵舎のあいだの中庭のベンチで聖職者のドン・モイセスとそのときの教会護衛役の指揮
官ドン・パブロがマヤ語で会話をしていた。しばらく静観していると,ドン・パブロが兵舎か
ら古い本を持ち出してきた。ビニール袋から大事そうに本を出すと聖職者のドン・モイセスに
手渡した。ドン・モイセスは本の頁を繰りながら,ときおり朗読したりしていた。筆者は残念
再領土化される祈り
55
ながらマヤ語を解しないので,ふたりのやり取りは理解できなかったが,会話のはしばしのス
ペイン語の単語からふたりは宗教的な話題で話をしているらしいことがわかった。思い切って,
「その本は聖書ですか」とドン・モイセスに聞いてみた。すると,「聖書ではないけれど,似
たようなものだよ。マヤ語で書かれているんだよ」と穏やかに話してくれた。研究者としての
好奇心が高まるが,本を見せてくれと頼む勇気はない。なぜなら,教会護衛役のドン・パブロ
は他所者に対しきわめて警戒心が強く,筆者にはまったく心を開いてくれていなかったからだ。
聖職者ドン・モイセスからすでに,「今週の護衛役責任者のドン・パブロには気をつけたほう
がいいぞ。絶対,質問なんかしてはだめだ」と釘をさされていた。ドン・パブロの敵対心とも
思えるほどの筆者への警戒心は露骨である。さて,以上のような体験から筆者が,
「教会の兵
舎には宗教的内容のマヤ語の古い本が大事そうに保管されており,夜になると教会内の至聖所
でその朗読がされるに違いない」という印象をもつことも可能である。
前回の科研プロジェクトでは,マヤ・イメージが植民地支配者はもとより人類学者や歴史学
者,考古学者などの研究者,さらには観光客などの他者によってどのように形成され,消費さ
れてきたかという点に関して明らかにした。そのなかで筆者は,「反乱するマヤ」というイメ
ージがおもに観光という脈絡で他者によって消費されている点を明らかにした(初谷 2
0
0
5)
。
「反乱するマヤ」のイメージはキンタナロー州政府によっても再生産され続けている。毎年7
月末にカスタ戦争記念式典がティホスコ村においておこなわれ,カスタ戦争指導者の孫たちが
式典に招かれる。州知事も参加するこの式典では,カスタ戦争の概要が朗読され,
「みなさん
はカスタ戦争のクルソー・マヤの末裔なのです」というアイデンティティを植え付けられる。
マヤ教会の役職者は「マヤ職能者」
(dignatario maya)という敬称が与えられ,月額3
0
0ペソ
の補助金が支給される。語る十字架の発祥の地には,州政府と自治体によってりっぱな教会が
建てられ観光化されている。研究者もこのようなマヤ・イメージの形成に加担してきたのだ。
研究者の残した民族誌や論文が脱領土化され(一人歩きして)
,マヤ・イメージの形成に利用
される。また,インフォーマントが人類学者との会話のなかで求められている「正答」を学習
してしまうこともあるだろう。
グローバル化が進むなかでメキシコでは先住民のおもに米国へのデカセギと移民が急増して
いる。ユカタン半島のマヤたちも例外ではなく,自らの生活空間を離れ米国への移住を始めて
いる。おもな移住先は,カリフォルニア,オレゴンおよびコロラドの諸州である。先住民のア
イデンティティをメキシコにつなぎとめておくために,国旗もスペイン語の国歌も役にはたた
ない。メキシコでは,2
0
0
5年1
2月8日に「紋章・国旗・国歌に関する法令」第3
9条が改訂され,
スペイン語以外の先住民言語による国家斉唱が許可された。自らのローカルな生活空間をトラ
ンスナショナルに飛び越えていく先住民たちを糸の切れた凧にしないためにメキシコ政府は必
死の抵抗を試みる。一枚岩的なナショナリズムの構築が困難な状況にあって,せめてローカル
なアイデンティティを保持させることで国への帰属を担保する。これが現在メキシコが推し進
める多文化主義の正体である。外国とりわけ米国からの送金がメキシコの主要な外貨収入を占
めている現状で,鵜飼の鵜に紐を切られてはたまらないということなのだろう。このような状
況にあって,メキシコの人類学者や歴史学者には先住民の本質主義的イメージの創出が国から
期待されている。
マヤたちはマヤとしてのアイデンティティを強く保持しつつ伝統を維持するために日々奮闘
しているというイメージを戦略的に利用するメキシコの官製多文化主義から離れた場所に身を
置こうと,筆者は考えている。そこで,マヤ教会の役職者たちが研究者に対し加えてくるさま
56
天理大学学報 第6
1巻第1号
ざまな制限に関して,前稿(初谷 2
0
0
8)では,「何を守ろうとしているのか,何を隠そうと
しているのか」ではなく「なぜ禁じるのか」という問いの立て方をした。そして,このような
マヤ職能者たちの態度を「情報操作の優劣による他者化を防いだうえで,儀礼への参加は認め
ることで研究者を他者化することもしないという日常的実践における近代と伝統の境界線上を
生きるという戦術」であると指摘したのである。そして,マヤ教会は近代知と権力のシステム
(条理空間)に包摂されてはいるが,独自の言語とルールによってそこを平滑空間化している,
と述べた。マヤ教会は「閉じられた空間」ではなく,だれでもアクセス可能な公共の場である。
ただ,そこには条理空間に住むトゥルム市民や観光客が共有する近代合理的な基準では測れな
い,あるいは測られることを拒否するようなルールが存在している。研究者はマヤ教会の護衛
制度の組織や運営方法を体系的に知りたいと考える。しかし,そのような知の体系のなかに位
置づけられることを拒否するような態度が人びとのあいだに見られるからである。
本稿では,このような日常的実践に関して,マヤ教会祈師の祈りのテクストの分析を通して
もう少し議論を進めたい。つまり,本稿ではマヤたちが「何を隠そうとしているのか」という
問いにアプローチしてみたい。
3.マヤ教会祈師の祈りのテクスト
前述のように今回の調査では,マヤ教会において毎朝7時にとりおこなわれるミサと呼ばれ
る祈りに参加させてもらった。ミサだというので最初は,村びとたちが出席するのかと思って
いたが,誰ひとり来ない。ミサは祈師が至聖所でひとりでおこなうのである。筆者が参加させ
てもらっているので,時には至聖所入り口に護衛役がすわっていることもあったが,たいてい
はそれもなかった。1
9
3
0年代のティシュカカル・グアルディア村の民族誌において,ビジャ・
ロハスも日常のミサについて「参加者はほとんどなく,護衛役のしたっぱたち(soldados)の
姿が見えるくらいである」
(Villa Rojas: 3
4
6)と記述している。
さて,このミサにおいて唱えられる祈りのテクストを2つ入手できた。ひとつはトゥルム村
マヤ教会の担当祈師から複写させてもらったもので手稿である。もうひとつのバージョンはフ
ェリペ・カリジョ・プエルトのクルス・パルランテ教会の担当祈師に複写させてもらったもの
でありタイプライターで印字されている。なお,後者には祈りの録音もさせてもらった。
両テクストを転写して,録音で確認しながら,じっさいの祈りの順序通りに整理したものが
表1である。そのままの転写版であり,正書法および文法上の誤り等に関する訂正はいっさい
加えていない。左列題名横の丸カッコ内の数字は祈りの時間(分:秒)であり,文中は原文の
頁番号である。祈りの構成を順にみていこう。マヤ教会ミサの祈りの前半部は以下のとおりで
ある。
【0
0
1】El Señal de Cruz(十字架のしるし)を唱える。
【0
0
2】Acto de Contrinción(使徒信経)を祈る。
【0
0
3】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
0
4】Ave María(天使祝詞)を1
0回祈る。
【0
0
5】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
0
6】Salve de Mundo を唱える。
【0
0
7】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
0
8】Ave María(天使祝詞)を1
0回祈る。
再領土化される祈り
57
写真3 祈りのテクスト
【0
0
9】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
1
0】Salve de Mundo を唱える。
【0
1
1】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
1
2】Ave María(天使祝詞)を1
0回祈る。
【0
1
3】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
1
4】Salve de Mundo を唱える。
【0
1
5】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
1
6】Ave María(天使祝詞)を1
0回祈る。
【0
1
7】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
1
8】Salve de Mundo を唱える。
【0
1
9】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
2
0】Ave María(天使祝詞)を1
0回祈る。
【0
2
1】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
2
2】Salve de Mundo を唱える。
【0
2
3】El Padre Nuestro(主の祈り)を1回祈る。
【0
2
4】Salve de Mundo を唱える。
【0
2
5】Ave María(天使祝詞)を5回祈る。
【0
2
6】Gloria(栄唱)を1回祈る。
【0
2
7】Salve を1回祈る。
祈師たちも認めているように,これは「ロザリオの祈り」である。ロザリオの祈りは,珠を
繰りながら主の祈りと聖母マリアへの祈り(天使祝詞)を繰り返していく祈りである(来住:
58
天理大学学報 第6
1巻第1号
6)
。主の祈り1回,聖母マリアの祈り(天使祝詞)を1
0回,栄唱1回で1連という単位であ
る。そして,主の祈りを唱えるまえに主の生涯の出来事を黙想あるいは唱えるという習慣があ
5世紀頃に定着した「喜びの玄義」
「苦
る。この主の生涯の出来事は「玄義」と呼ばれる(4)。1
しみの玄義」
「栄えの玄義」はそれぞれ5玄義づつあるので,主の祈り1回,聖母マリアの祈
り1
0回,栄唱1回で1連のあと玄義をひとつ黙想あるいは唱えることを1
5玄義繰り返すと,合
計で聖母マリアの祈りを1
5
0回唱えることとなり,これが一番本格的なロザリオの唱えかたで
ある(来住:1
8)
。マヤ教会におけるミサにおいては,この玄義の部分に Salve de Mundo と
いう祈りが唱えられており内容的にも異なっている。また,Ave María(天使祝詞)の唱え方
も,通常は最初に3回,そして1
0回を5連でロザリオの珠を一巡するが,マヤ教会では1
0回を
5連唱えてから,最後に5回唱えられている。この点については,複数の祈師から「ロザリオ
の珠は5
5個だから天使祝詞は5
5回唱えるのです」と確認している。
むろん,祈りのテクストには文法的間違い,文章の一部欠落や異同は見られるが,マヤ教会
のミサにおける祈りの前半部はカトリック信者がおこなうロザリオの祈りと内容的にも構成上
もほぼ一致していると言ってよい。ついでマヤ教会ミサの祈りの後半部であるが,以下のよう
に構成されている。
【0
2
8】Chan Santa Dios/ Santo Dio menor
【0
2
9】Letanía
【0
3
0】Suba
【0
3
1】El Padre Nuestro
【0
3
2】Ave María 5 veces
【0
3
3】Señor
【0
3
4】Sialbentido
【0
3
5】Ave María Purisima
【0
3
6】Salve 9 veces
【0
3
7】Sialbentido
【0
3
8】Ave María Purisima
【0
3
9】Oración en maya
まず,特徴的なのは「聖母マリアのレタニア(連祷)
」がラテン語で祈られていることであ
る。テクストには相当に間違いがあるが,ラテン語のレタニアであることは間違いない。そし
て,最後【0
3
9】にマヤ語で祈りが唱えられる。この祈りの転写作業は今後の課題としておき
たい。残りは,スペイン語の祈りであるが,原典を特定できない。これも今後の課題としたい。
4.ブリコラージュされる祈り
今回の調査では,前章でテクスト化した祈り以外にもいくつかの祈りを聞くことができた。
祈師によっても,ミサのおこなわれる曜日によってもかなりのバリエーションがあることは確
かだ。しかしながら,ロザリオの祈りに加えて,いくつかのスペイン語の祈りとラテン語の祈
り(レタニア)
,そして最後にマヤ語の祈りという構成は同じである。3
0
0年以上にわたる植民
地期に持ち込まれたカトリックの祈りがどのような系譜をたどって現在のマヤ教会で実践され
る祈りになったのかを特定していくことは困難だろう。したがって,ここで言えることは,祈
59
再領土化される祈り
りの継承のされかたについてである。
ある祈師に動機について質問すると「1
3歳くらいの頃だが,夢のなかで祈師になりなさいと
言われたんだ。母に相談したら,それは神さまのお言葉だからその通りにしなさい,と言われ
た」という。「そこで,村の祈師にお願いして祈りのテクストを写させてもらった。しばらく,
祈りの練習をしていたら,ある村びとが来て,家でお祈りをあげてほしいと頼まれた。自分が
祈りの練習をしていることは誰もしらないはずだから,だれに聞いたのかと質問すると,夢で
あなたに頼むようにと告げられたのだ,と言っていた」ということである。祈りのテクストは
手書きで転写されたのである。転写の繰り返しでテクストは変形していく。
ある祈師は言う。「祈師になったのは,祖父がそうだったからだ。祈りのテクストなどない。
祖父から口伝えで教えてもらった」
。その祈師の祈りを聞かせてもらっていて,耳に残ったフ
レーズがあった。「オクレメンテ,オピアン」というくだりである。後に,それが La salve の
なかの oh clemente oh piadosa だとわかったときには,胸のつかえがとれた。7
0歳を越える
この祈師のスペイン語はたどたどしい。たとえば,スペイン語動詞の複数人称の活用形はすべ
て1人称複数である。また,あるとき「英語を話す人は米国からくるが,ラテン語を話す人は
どこの国から来るのか」と聞かれた。この祈師は,ラテン語はもちろんのことスペイン語の祈
りさえその正確な意味を理解して唱えているわけではないのだ。
自らの唱える祈りあるいは所有する
祈りのテクストが正しいかどうかが再
帰的にモニタリングされることはない。
かれらの祈りはユカタンの大地のなか
に埋め込まれたまま日常的に実践され
る。つまり顔のある空間=平滑空間か
ら持ち出す必要も意図もないので,祈
りの正典を作成する動機がない。祈り
の継承は図書館,複写機,録音機器と
いった情報機器を使った近代知によっ
てなされるのではない。それは,レヴ
ィ=ストロースのいう「ブリコラージ
写真4 伝統音楽マヤ・パシュを演奏する
ュ」あるいは,セルトーのいう「日常
クルス・パルランテ教会の護衛役たち
的なもののやりかた」としての「戦
術」という実践知の働きによって実施
されるのである(5)。
スペイン語の祈りの原典を特定することは今後の課題としたい,と先に述べた。しかし,特
定することに意味はなさそうである。ブリコラージュによって継承されてきた祈りが,原典か
らどの程度変形してしまったかを明らかにすることに意味はない。それぞれの祈師にとっては,
現在自分が唱えている祈りこそ「正典」であり,その「正しさ」を近代知によって確認する必
要はないからだ。なぜなら自らの日常的空間に埋め込まれた祈りを再−脱領土化する必要がな
いからだ。近代を特徴付ける脱領土化とは,あらゆるモノの商品化のことにほかならず,脱領
土化されたモノは市場価値という一元的基準を付与されて世界中を駆けめぐる。植民地もしく
はポストコロニアルな支配状況におかれた社会においても,暴力や強制を伴うとはいえ脱領土
化されたモノの消費は実践される。それを再領土化と呼ぶとすれば,その再領土化の「やりか
60
天理大学学報 第6
1巻第1号
た」は近代知のそれとは異なる。マヤの人びとは脱領土化された「カトリックの祈り」をブリ
コラージュによって再領土化するのである。むろん,それは「条理空間」にではなく生活の場
である「平滑空間」に埋め込むのである。
今回の調査において筆者は,マヤ教会の至聖所に置かれたテーブルを新しいモノに交換する
現場に立ち会った。そのとき筆者は,新しいテーブルを「どこにでもあるような安物の家庭用
食卓で,至聖所にはふさわしくない」と感じた。しかし,至聖所に設置し儀礼に使用する大量
のヒカラ(瓢箪椀)を並べ終わると,そのテーブルは二度と脱領土化されることのない存在価
値を付与されて,マヤ教会という日常的実践における生産手段として埋め込まれたのである。
むすびにかえて
2回の調査でマヤ教会においておこなわれるミサの祈りのテクストを2種類入手することが
でき,録音もさせてもらった。しかしながら,少なくともこの地域のマヤ教会において他所者
に祈りのテクストを複写させたり,録音させたりすることは一般的ではない。たとえば,先述
のトゥルム市マヤ教会教会護衛役のドン・パブロは,筆者が朝のミサに出席することを快く思
っていなかった。教会内に入るときには,入り口に張ってある「カメラの使用を禁ずる」とい
う看板を指差して「カメラや録音機をもっていないだろうな」とかならず念をおした。自らの
日常的実践(儀礼)に他所者が参加することを拒むことはほとんどないが,参加したことで得
られる順路的経験を地図的知識(科学的知識)に整理しようとすることには制限を加える。つ
まり,セルトーの言葉を使えば,日常的実践を空間として観察されることを拒否するのである。
また,マヤ教会をプラットの言う植民地的状況における接触空間=コンタクト・ゾーン
(Plat:7)だとすれば,そこでの非対称的力関係を一時的に解消し,順路的経験知が統御す
る空間に変える戦術だと言える。前稿ではこれを近代的管理装置が配置される計量的空間であ
る条理空間の再平滑空間化という概念で捉えた。また,セルトーの言葉を借りれば「こうした
「もののやりかた」は幾千もの実践をつくりなしており,そうした実践をとおして使用者たち
は社会文化的な生産の技術によって組織されている空間をふたたびわがものにしようとするの
である」
(セルトー:1
7)
。
今回も伝統的ノベナの儀礼(初谷 2
0
0
8)に参加させてもらった。マヤ教会からお供えを提
供してくれる家まで,祈師を先頭に十字架を手にもつ護衛役とマヤ・パシュ楽隊が行進する。
これに同行する。目的地の家では聖職者と長老たちが待ち構えているのだが,そこで筆者の手
にもお供えのヒカラを手渡してくれることで暗黙に歓迎の意を表してくれる。その行進の途中
で,少し酔った男が筆者に「お前は何が欲しいのか」と悪意の言葉を浴びせてくる。何度も言
われたので,「ただ楽しんでいるだけです」と答えた。そうすると,行進についてきていた子
供たちが筆者の返答に同調してくれるように,大声で「そうそう,楽しい,楽しい」と合唱し
てくれた。その後,その男は何も言わなくなった。マヤ教会は儀礼に参加して楽しんでいる者
を排除したりはしないのである。
本稿では「何を祈っているのか」に関して,マヤ語以外の部分の作業は完了した。少なくと
もマヤ語以外の部分においてマヤ的要素は見られない。植民地支配によって暴力的に押し付け
られたカトリックの祈りを,マヤ人たちは摸倣しながら(6),実践知の働きによって継承し,
ユカタンの大地に埋め込んでいった。正典としてテクスト化(脱領土化)され,植民地ユカタ
ンにもたらされたカトリックの祈りは長い歴史のなかで受け継がれ,ユカタンの地に再領土化
された。かれらは遠い土地で生産され脱領土化された祈りという製品を消費しながら別のもの
再領土化される祈り
61
を生産してきたのだ。セルトーは消費と呼ばれる生産について次のように言う。「かれらイン
ディオたちは,押しつけられた儀礼行為や法や表象に従い,時にはすすんでそれをうけいれな
がら,征服者がねらっていたものとは別のものを作りだしていたのだ」
(セルトー:1
4)
。
ただし,セルトーがいう「別のもの」とは何なのかを問うことは保留しておこう。祈りの最
後に添付されているマヤ語の祈りをテクスト化する作業のあとで考察することとしたい。少な
くとも,本稿で転写したスペイン語の祈りにおいては,対象となる神格は「父なる神,神の子
イエス,聖霊,聖母,聖人」であり,カトリックの枠組みからの逸脱は認められないからであ
る。ただ先取りして述べておくと,マヤ語の祈りに別の神格が発見されようがされまいが,か
れらは脱領土化された「他者の祈り」を顔の見える空間のなかに再領土化し,その「正しさ」
を再帰的モニタリングする必要のない「自分たちの祈り」を日常的実践のなかで再生産しつづ
けているのである(7)。
(付記)
本稿は「日常的実践におけるマヤ言説の再領土化に関する研究」
〔平成1
9年度∼2
1年度科学
研究費補助金・基盤研究 B―1〕の研究成果の一部である。研究代表者の吉田栄人先生(東北
大学)をはじめ,メンバー各位に謝意を表わしたい。
注
(1) 1
8
2
0年から1
9
0
7年にかけて,合計1
9
5の反乱が記録されているが,そのうち土地の略奪や共有
地解体に抵抗するものが3
9,
喪失した土地の回復をめざしたものが3
5,
あわせて7
4で全体の3
8%
を占めており(Reina:1
6
9)
,この時期のメキシコ農村史が先住民共同体と大農園(アシエン
ダ)とのせめぎあいを軸に展開したことをしめしている。ちなみに,植民地期の中央メキシコ
で起こった1
4
2の反乱のうち土地を原因とするものは,3
0で全体の2
1%を占めているにすぎない
(Taylor:1
3
5)
。
(2) 『チラムバラムの書』とはスペインによる征服後にマヤ聖職者たちが文化を継承するために
アルファベットを使ってマヤ語で書き残した手稿の総称である。
「チラム」とは預言者を意味し,
「バラム」はジャガーを意味するマヤ姓である。また,チラムバラムはマニ村に実在した預言
者の名前でもある。手稿は加筆修正されながら継承されてきており,1
7世紀末∼1
8世紀初頭の
ものが実在するもっとも古いバージョンである。断片的なものも含めて1
8種類が現存し,もっ
とも知られているのは『チュマイエルのチラムバラムの書』で英訳(Roys)
,スペイン語訳
(Barrera Vázquez)がある。
0
7)を参照のこと。なお,そ
(3) 手稿として残る「語る十字架の託宣」の英訳は,Briker(1
8
7―2
の和訳は初谷(1
9
9
9)参照のこと。
(4) 現在の玄義は以下のように計2
0玄義である。なお,
「光の玄義」は2
0
0
6年に教皇ヨハネ・パウ
ロ2世によって新たに加えられた。
喜びの玄義(Los Misterios Gozosos)
第1玄義 お告げ(La Anunciación)
第2玄義 ご訪問(La Visitación)
第3玄義 ご降誕(El Nacimiento de Jesús)
第4玄義 主の奉献(La Presentación)
第5玄義 主の発見(El Niño Perdido y Hallado en el Templo)
光の玄義(Los Misterios Luminosos)
62
天理大学学報 第6
1巻第1号
第1玄義 イエスの受洗(Su bautismo en el Jordán)
第2玄義 カナの婚礼(Su autorrevelación en las bodas del Caná)
第3玄義 イエスの宣教(Su Anuncio del Reino de Dios, invitando a la conversión)
第4玄義 ご変容(Su Transfiguración)
第5玄義 聖体の秘跡の制定(Institución de la Eucaristía, expresión sacramental del
misterio pascual)
苦しみの玄義(Los Misterios Dolorosos)
第1玄義 ゲッセマネでの祈り(La Agonía en el Huerto)
第2玄義 むち打ち(La Flagelación de Nuestro Señor Jesucristo)
第3玄義 いばらの冠(La Coronación de Espinas)
第4玄義 十字架を担う(Jesucristo, la cruz a cuestas y camino al Calvario)
第5玄義 ご死去(La Crucifixión y Muerte de Nuestro Señor)
栄えの玄義(Los Misterios Gloriosos)
第1玄義 ご復活(La Resurrección del Señor)
第2玄義 ご昇天(La Ascensión)
第3玄義 聖霊降臨(La Venida del Espíritu Santo en Pentecostés)
第4玄義 聖母の被昇天(La Asunción de la Virgen Santísima)
第5玄義 天の元后(La Coronación de la Virgen Santísima como Reina de Cielos y
Tierra)
(5) 小田は「近代知」と「実践知」を対比させて以下のように述べており,本稿はそれに依拠し
て使用している。
「近代の知は,あらゆるモノを脱領土化して,その脱領土化によってそのモノ
の来歴などの特異性を消去し,いわば「部品」化した断片を,全体的なプラン(
「大きな物
語」
)にしたがって,国民国家などのツリー状構造をもつ全体へと再領土化して統合し,その全
体のなかで固定された同一的な意味(アイデンティティ)を付与するのである。
(中略)
それに対して,生活の場の知としてのブリコラージュによる断片のつなぎ方は,ポストモダ
ンの知とも近代の知とも違っている。ブリコルールの知(
「生活知」や「実践知」と呼んでもい
い)は,ポストモダンの知とおなじように,断片の特異性を消去するようなツリー状構造によ
る全体化に抵抗する。けれども,全体化に抗するには,一切の関係性を拒絶しなくてはならな
いといったポストモダン的な戦略しかないわけではない。断片が他の断片(他者)との関係を
もつことは,ツリー状の全体のなかに同一的な意味を付与されて固定されることとおなじでは
ないからである。ブリコラージュとは,そのような全体なしに断片を断片のままつなぐやりか
たを指すことばだった」
(小田 WEB 版第6章)
。
(6) 紙幅の都合で祈りの「正典」を掲載できなかった。ロザリオの祈りのスペイン語版は下記ウ
ェッブサイトを参照のこと。
(http : //www.devocionario.com/maria/rosario_1.html#ORACIONES)
レタニアのラテン語版は下記を参照のこと。
(http : //www.sadca.com/arivera/PLdev08.html#Letania)
(7) 吉田は,マヤの宗教的実践をマヤ世界の再創造のプロセスとして理解しようとするシンクレ
ティズム論を批判し,そこにマヤ的要素が見られたとしてもそれは神と人間との関係の文化的
表現にすぎないと指摘しているが(吉田:7)
,筆者も同様の立場をとろうと考えている。
再領土化される祈り
63
主要参考文献
小田亮『WEB 版 日常的抵抗論』2
0
0
8年8月アクセス(http : //www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/page
005.html)
。
小田亮「越境から,境界の再領土化へ:生活の場での〈顔〉のみえる想像」杉島敬志編『人類学的実
2
1頁,2
0
0
3年。
践の再構築』世界思想社,2
9
7―3
セルトー,ミシェル・ド『日常的実践のポイエティーク』国文社,1
9
8
7年。
桜井三枝子『祝祭の民族誌――マヤ村落見聞録――』社団法人全日本学士会,1
9
9
8年。
来住英俊『目からウロコ ロザリオの祈り再入門』女子パウロ会,2
0
0
6年。
杓谷茂樹「メキシコ,キンタナ・ロー州における観光開発の過去・現在・未来――北部海岸地域を中
心として――」南山大学ラテンアメリカ研究センター『ラテンアメリカの諸相と展望』行路
社,2
0
0
4年。
5
0
初谷譲次「キンタナ・ロー州マヤ系インディオの民族史的考察」
『天理大学学報』第1
6
5輯,2
1
5―2
頁,1
9
9
0年。
4
9
初谷譲次「メキシコ熱帯フロンティアにおけるチクル採集産業」
『アメリカス研究』創刊号,1
3
5―1
頁,1
9
9
6年。
初 谷 譲 次「ユ カ タ ン・カ ス タ 戦 争 に お け る 語 る 十 字 架 の 託 宣(1
8
5
0年)
」
『天 理 大 学 学 報』第1
9
0
4
7頁,1
9
9
9年。
輯,2
3
9―2
初谷譲次「マヤ・イメージの形成と消費に関する歴史学的研究――カネクの反乱(1
7
6
1年)を中心に
――」
『マヤ・イメージの形成と消費に関する人類学および歴史学的研究』平成1
4∼1
6年度科学
4
4
0
1
0
0
9)研究報告書,東北大学,研究代表者 吉田
研究費補助金・基礎研究 B―1(課題番号1
栄人,2
0
0
5年,1
0
5頁∼1
3
1頁。
初谷譲次「メキシコ・キンタナロー州トゥルム市マヤ教会の護衛制度と伝統的ノベナ――近代と伝統
の境界線上を生きるという戦術――」
『天理大学学報』第2
1
9輯,2
0
0
8年。
吉田栄人「宗教的シンクレティズム研究における民族カテゴリー――ユカタンマヤの場合――」日本
ラテンアメリカ学会第1
9回定期大会(神戸大学,1
9
9
8年6月6日)における研究報告ペーパー
(http : //www.intcul.tohoku.ac.jp/syoshida/works.htm)
。
レヴィ・ストロース,クロード『野生の思考』
(大橋保夫訳)みすず書房,1
9
7
6年。
Anónimo, “Nace el municipio de Tulum” La Jornada, 14 de marzo de 2008.
Barrera Vázquez, Alfredo and Rendón, Silvia(translators)
, El Libro de los Libros de Chilam
Balam. Traducción de sus textos paralelos, México, Fondo de Cultura Económica, 1948.
Briker, Victoria Reiflet, The Indian Christ, The Indian King : The Historical Substrate of Maya
Myth and Ritual , Unversity of Texas Press, Austin, 1981.
Lizama Quijano, Jesús J., “Las señales del fin del mundo : Una aproximación a la tradición
profética de los cruzoob,” Negroe Sierra, Genny y Fernández Repetto, Francisco ed.,
Religión popular de la reconstrucción histórica al análisis antropológico, Ediciones de la
Universidad Autónoma de Yucatán, Mérida, 2000, pp.133―162.
Plat, Mary Louise, Imperial Eyes : Travel Writing and Transculturation, Routledge, London,
1992.
, México, 1980.
Reina, Leticia, Las rebeliones campesinas en México(1819―1906)
Roys, R.L.(ed. and trans.)
, The Book of Chilam Balam of Chumayel , Carnegie Institution of
Washington, Washington, 1933.
Taylor, William, Drinking, Homicide, and Rebellion in Colonial Mexican Villages, Stanford
University Press, Stanford, 1981.
64
天理大学学報 第6
1巻第1号
Villa Rojas, Alfonso, Los Elegidos de Dios : Etnografía de los mayas de Quintana Roo,INI,
México, 1978.
表1 マヤ教会ミサの祈り(原文からの転写無修正版)
【001】Señal de Cruz (0 : 12)
【001】Señal de Cruz
(1)Ave maria purisima ave
(1)AVEMARIA PRISIMA
AVEMARIA PRISIMA
maria purisima
Por la señal de la santa cruz
de nuestro enemigo libranos
gracias con cebida.
Por la señal de la santa
señor dios nuestro en el nom−
cruz de nuestro ene migo
libramos señor Dios nuestro
bre del padre del hijo y el e−
spirito santo amen.
【002】Acto de Contrinción (0 : 15)
Señor mio jesucristo dios
y hombre verdadero me pase de
todo corazon haber pecado por
que he merecido en ifierno y
perdido y en el cielo sobre to−
do. porque te ofendi a ti que
eres bondad infinito a quien
pongo firmemente con tu gracia
en emedarme y evitar, las ocaci−
ones proximas de pecado compe−
sarme y cumplir la penitencia
en el nombre del Padre y del
Hijo y del espiritu santo
Amén
【002】Acto de Contrinción
Señor mio jescristo Dios
y hombre verdadero criador
y redentor mio por ser voz
quién seis y por que hos
amo sobre toda las cosas
ami me pesa pesa mi
señor de toda corazón
de mabeso ofendido
nunca nos pecar Amén.
confia me perdonaras por tu in−
finito misericordia Amen.
【003】El Padre Nuestro (0 : 09)
Padre nuestro que estas en lo
cielo santo ficado sea tu nom−
bre benganos tu reino haga se
(2)tu boluntad haci en la tie−
rra come el cielo.
El pan de nuestro cada dia
daños hoy perdonamos nuestra
deudores no nos deje caeran
tentación mas libranos de mal
porque el tuyo es el reino y
de poder y la gloria por todos
los siglos amen.
【004】Ave María 10 veces (1 : 30)
(2)Dios ten salba maria llena
eres de gracia señores contigo
bendita tu eres entre todas
【003】El Padre Nuestro
(2−1)Padre nuestro que el el cielo
santificado sea tu nombre
venga tu Reino hagace
tu volontad de así en la
tierra como el el cielo.
El pan nuestro de cada dia
dano de oy perdonanos y
nos no deje con en
tentacion y libranos del
mal Amén.
【004】Ave María 10 veces
(2−2)Dios te salve maria llena
eres de gracia el señores
con tigo bendita tu ere entre
再領土化される祈り
las mujeres y bundito es el
todas las mujeres y bendito
fruto de tu bientre jesus.
Santa maria madre de dios
es el fruto de tu vientre
Jesus.
ruega por nosotros pecadores
ahora y en la de nuestra muer−
Santa maria madre de dios
ruega por nosotros
te amen.
pecadores ahora y
en la hora de nuestra
muerte Amén.
【005】Gloria (0 : 26)
【005】Gloria
gloria al padre <campana>
Gloria a del hijo
Gloria al padre goloria a del
hijo y Gloria de los
espiritu santo.
Gloria de los espirito santo.
【006】Salve de Mundo (0 : 24)
(20) Salbe de Mundo
1. Salbe de mundo señora salbe.
de lo cielo y reina. virgente
vino de dios aspura salbe de mata
tina estrella.
【006】Salve de Mundo
(15−1) Salve de mundo
salve de mundo de señora
salve de lo cielo y reino
virgen divina divina
esperansa
salve matotina estrella
【007】El Padre Nuestro (0 : 07)
【007】El Padre Nuestro
【008】Ave María 10 veces (1 : 36)
【008】Ave María 10 veces
【009】Gloria (0 : 23)
【009】Gloria
【010】Salve de Mundo (0 : 25)
2. Salbe dienalastigracia laste
bina clara y bella dia su
【010】Salve de Mundo
(15−1)salve ovienos de gracia
luz tivino clara y bea
coro de dios ange ben señora
vida y biensa.
asu coro de los hombres ben
señora piena y piensa
【011】El Padre Nuestro (0 : 08)
【011】El Padre Nuestro
【012】Ave María 10 veces (1 : 19)
【012】Ave María 10 veces
【013】Gloria (0 : 21)
【013】Gloria
【014】Salve de Mundo (0 : 31)
3. Silba alca miste diosa queto
pina y nuestra isnubla princi
posdios nuestra esperanza yar
te todo mundo isnuebla.
【014】Salve de Mundo
(15−1)salve aulora que resiste
tanto pino nuestora y nuebo
in principio a nuestras
esperansa ya todo
mundo los nueba
【015】El Padre Nuestro (0 : 08)
【015】El Padre Nuestro
65
66
天理大学学報 第6
1巻第1号
【016】Ave María 10 veces (1 : 26)
【016】Ave María 10 veces
【017】Gloria (0 : 29)
【017】Gloria
【018】Salve de Mundo (0 : 22)
【018】Salve de Mundo
4. Salbe alca miste diosa queto
sen entra nombre y tierra
(15−2)salve alca misteriosa
que tu casi nobre la tierra
de la justicia de dios el poder
vi y la llable aclamencia.
de la justicia de Dios
el padre la clemencia
【019】El Padre Nuestro (0 : 07)
【019】El Padre Nuestro
【020】Ave María 10 veces (1 : 29)
【020】Ave María 10 veces
【021】Gloria (0 : 20)
【021】Gloria
【022】Salve de Mundo (0 : 29)
5. Salba acaca señora rata
sen entra nombre y tierra el
【022】Salve de Mundo
(15−2)salve alca que señora la
pa entro cielo y Reino
conten todo dios qui dios poa
nombre porque cosa la vida y terno
cuntan toco de los hombres
porque gosa vida eterna
【023】El Padre Nuestro (0 : 07)
【023】El Padre Nuestro
【024】Salve de Mundo (0 : 25)
6. Salbe quetu reina madre porque
salu tatisana que tu jueres.
【024】Salve de Mundo
(15−2)salve guitos Reina y madre
por que solo tate y cena
(21)Nuestra esperansa la llieble
de cuarda can nuestra.
tu heres a nuestras esperansas
Llabe de los puerta y
nuestra.
【025】Ave María 5 veces (0 : 48)
【025】Ave María 5 veces
【026】Gloria (0 : 22)
【026】Gloria
【027】La salve (0 : 24)
<Campana>
Dios ten salba reina y
madre de misericordia vida
dulsura y esperansa nuestra
dios ten salbe a ti llamamos
los deterados hijos de Eva
a ti susriramos gimiendo y
llorando en este valle de
lagrimas ea pues señora abo−
gada nuestra vuelbe a noso−
tros esos tus hojos miseri−
cordiosos y despues fruto
bendito de tu vientre oh cle−
【027】La salve
(4−2)La salve
Dios te sabre reino madre
de mi sericada vida dulsura
y esperansa nuestra Dios
Te sabe a ti llamamos los
desturado hijos de Eva a ti
suspiramos gimiendo y llorando
en este valle de lagrimas Ea
pues señora abogada
nuestra vuelve a nosotros
esos tus ojos misericordia
y despues de este destiro
muestranos a Jesus luto
再領土化される祈り
mente opiadosa oh dulce sien−
bendito de tu vientre oh
pre muestramos a jesusu fruto
bendito de tu vientre oh cle−
clemente oh piadosa oh
dulce Virgen maria.
mete opadosa oh dulce sien−
pre virgen María ruega por
Ruega por nosotro santa
madre de Dios para que
Nosotros santa madre de dios
somos dignos de alcanzar
(5)para que seamos dignos de al−
canzar la promesa de nuestro
las promesas de nuestro
señor Jesucristo Amén.
señor jesus cristo. Amen.
【028】Chan Santa Dios (5 : 02)
CHAN SANTA DIOS
1. Ay como obeja dios morpetido
【028】Santo Dios menor
(16−1)Santo Dios menor
Como obeja dios mor
ay bidemos condolor. ay portos
culpas comentido. tume sericoro−
dia a señor.
pentido bendemos yo
con dolor por tu culpa
cometido
micericordia señor.
*Santo diosi santo cuerte
santo limortar. librano señor
dedo odoma.
2. Ay qui dios un ternaimano
yarmasarme criste amor ella
*santo Dios y santo
puerte santa inmortal
libranos señor
de todo mal
todo regineno simano tu meseri−
cordia a señor.
aquí mi dios tierno y
maaro llal ma sarme
(repeat*)
triste amor o ya todo
rejinaron si mano
micericordia señor.
3. Ay qui nuestra entra dicia
cuando sierpo siarpecado
eneste pido llaprestado tu
(repeat*)
me sericorida a señor.
(repeat*)
aquí lle nuestra entre
bicio cuanto sier por
sier pecado en este
pido alla prestado
4.Ay betu biera andolores tanbo
ro bil vibo como amente tu
(17)para pider ay como amante tu
mesericordia a señor.
(repeat*)
5. El muriando nos pecaras.
Juan prometa eta ondolores he−
para pider ay diensendado tu
me sericordia a señor.
(repeat*)
6. Ay osoberano nos pestares
pueste pido corazon ay por
buestra curzi de pación tu me
sercordia a señor.
micericordia señor
(repeat*)
(16−2)Ay betu hondores tan
borabibo como amén el
para pidel como amén
micericordia señor
(repeat*)
y el murirante por peca
guan prometa han dolores
para pidel biesin santo
micericordia señor.
(repeat*)
67
68
(repeat*)
天理大学学報 第6
1巻第1号
oso beramoros por postores
pueste pido corazon por
7. Ay mile criste quituira no me
llego pueste fabor ay pueste
muerte sepeturia tu me seri−
abierta crusi de pación
micericordia señor
(repeat*)
cordia a señor.
(repeat*)
(17−1)mi li triste que tujisa
no me llego pueste palo
pueste muerte ceporturia
micericordia señor
(repeat*)
【029】Letanía (0 : 57)
LETANIA
que rialison
【029】Letanía
(6−2)Letania
Crialiso
cristalison
cristali sabinos
(7)Padre salisdeis
Pirene mundodes
Pirito santos deis
Santa maria
Crista lizón
Criste savinos
pote selesteo
(7−1)pirirento mi nostuo
espirita santor deos
santa trunito unuc deos
Santo trenos unos deis
Santo vircon virgen
Maten purisima
santa maria
santa virgun vigen
santa dine triz
Maten castisima
Maten culata
mater criste
mater divina gracia
Maten mirata
Maten mabis
Maten creador
mates purisima
mates castisima
mates mitemurata
Maten salbador
Vircon frudentisima
mates maculata
mates mirabiz
Vircon freticante
Vircon flote
Vircon clemente
Peca la justicia
Savi saviensa
Graciano salatisima
Vas pritual
Vas onorables
Vas o deribación
Rosa mistica
Domines aruria
Llantuan selo
Selon matutina
(8)Salon sin pirmor
Reino pecadores
Acele cristelaro
Renina angeloro
Renina postoloro
mates guiatare
smates salbadores
vigun prudentisima
vigun meneranta
(7−2)virgun pradticanto
virgun pate
virgun clemes
virgun pideles
espicada justicia
se das tia tiensa
causalos triste
vaz piritual
vaso nos ual
vaso un cinco de bocsia
rosa mistica
tuzisca birdiga
tuzisca abornea
dominos aharia
再領土化される祈り
Renina martino
sedelis ahrca
Renina virgino
Renina compesoro
llaman selo
se la ma totina
Renina sagnatisimo
Renina sicatisima santo rosario
(8−1)selon sin primoro
repujio al pictoro
Alguinos peque toles
con solo triste alpictare
Peque te mundo
Patsolos
reina angel laro
reina parpetaro
Sabinos Dominos
Alguinos
reina postolores
reina santos hominos
Mi serenobis
Ele pornobis
Santo digena tris
reino santos sacradimo
de rosadio
aguinos di guitalo
Uti bino sianlito criste
Oremos gracia
de pecate munde pase
dominos aguinos
Juan duesimos
Dominos
Mentivo etcuyo
diguitado de pecate munde
sabinos dominos
aguinos diguitalo de
Angeloro
Ampilito
pacate munde
cere renobiz olobos nabiz
Encarnación
Ponabibo
(9)Ese cruz
Serección
(8−2)santos digna triz
udigno altisimo triste
Hadorenos en gracia tuscan
Perdocamo
Peron de criste
Dominos nuestro
Amen.
sumes dominos mentiboz
luciantiboz criste espilitu
encarnacion ohe nabibos
ellos perpeccion ellos el
Cruz otrea cereccion gloria
per tun carno crute
dominos nuestro Amén
【030】Suba(6 : 49)
1. En el que suba subli de
【030】Suba
(17−2)Suba
misterio aulo la maria a
andro las su cielo
Onenes la que sube
subli da el misterio
dolo la maria an
da a los cielos.
* Suba suba la virgen cielo
sube a la suba del gosa de su
reino.
2. Angeles castropa sodios bani−
cuela que suba la dios madre
siete vino verba.
*(repeat)
3. Abre este la puerta princidios
y premo rempola selesticia
rosgomsales bena.
*(repeat)
suba suba suba la
virgen en cielo
suba suba suba goso
a tu Reino.
angelica tropo salido en
cuento que suba la madre
que tu vino berbo
(18−1)abre de los puertas
principio su preno
69
70
天理大学学報 第6
1巻第1号
ronpan que los quicio
4. Tirados mundo peñan narma
los quien se los belo.
dama un juego solo uno estre−
lla dia su salla antiempo.
Oneras mundo peño abre
*(repeat)
aga puego salum na un
estrella hace salba tiemplo.
5. Ballame criste suctierra cento
nto tira de las bentida dalo
mismo y cielo
Del balle mas triste subir
del contento guerra la
*(repeat)
bendita a los mismo cielos
(22)6. Nuestra soberano suplica un
fuero la sendencia y la buro
te ka contra a su cielo.
Este soberano suplicado
y suelo centencia la bore
dando contra pueblo.
*(repeat)
(18−2)Cutic balirosa que escede
7. Jetec bali rosa de a su serco
dis su qui bu salbaturia
porcolo pier inancia.
cerso que possoli toria
alor pina noencia
*(repeat)
censoy Dios del madre
sansoy mismo tienplo
8. Sota dios madre su su mismo
cielo dalos pecadores sol ma−
dre con suelo.
*(repeat)
dales pecadore
contra mismo tierno.
9. Dalos mingo juela conbictor ya
y serso a dios ase la pulso
dalos peca un juela.
*(repeat)
10. Mila reina madre ay buidras
un juego diasiboca un pina
tanas tanas un tierra.
*(repeat)
11. Enolvida señoraan su su mismo
y cielo dalos portalesa de
la contra a su cielo.
*(repeat)
12. Valla mundo todo y muri dal
(23)juego viva a saturia el cora−
zon de reino.
13. ate sus piramo qui miendo mi
llorando una queste balla de
lagrimas alto cielo.
suba suba la vireini cielo
De los mingas juelos
el combito y serso gues
hace les paso de los
pe guin juelo
misa reina y madre si
buestro si juelo que es
hace les boconpina
en el desde tierno
(19−1)nos olvida señora
sanso mundo y juego
dales parta besa
contra mismo tierno
laste mundo todo yamo
en el juego viva los atoria
el corazon de reino.
ati suspiramo jimiendo
lloran de una cueste
baye manis en el cielo
Adios madre nuestra
hasta en el cielo mundo
再領土化される祈り
suba a la suba del gosa de
lueiano por los siglo
su reino.
y tierno.
【031】El Padre Nuestro (0 : 08)
【031】El Padre Nuestro
【032】Ave María 5 veces (0 : 36)
【032】Ave María 5 veces
【033】Señor (0 : 12)
【033】Señor
(3−2)Señor
Adorote mi dios quina santa
Cruz cruzi picado esina coro−
Hadorote santa Cruz
nado reuga señora para la san−
ta santisima costada de mi buen
jesus de mi alma de mi vida
salbe donde munde nome dejer
gloria al padre gloria hijo
y los sago dolores de la Reina
de los cielo y como piadosa
madre la compañia adormento
Hadorote Señor santa cruz
Asuncia por los siglos side los
gloria de los espirito santo
Amen. <Campana>
siglos y tirno para que sipara
siempre de señor santa
Cruz adormento.
Hadorote señor santa Cruz
(4−1)a mi uliba Arisiosa a mi
esco edo esdo a mi
escan pra da palma si
briste la iglecia de señor
Hadorote señor santa Cruz
a mi orpay de la vida a mi
esta en el cielo y por toda
trinida nuestros alabansos
contirno
Hadorote señor santa Cruz
pueste de mundo de calbario
donde murio mi Jesus de
biesima no es clabado.
【034】Sialbentido (1 : 07)
(12)1. Sialbentido sialaba doy
por todo letree trenidad.
2. Siete vi nosaa cremen toy
toy san tode altaai
3.Mi maria ya cooncebi dasienn
pecaadores regiaan.
4. Onoque pirimes ragistar tu
diez tu gloria señor eun taral
5. Amenen su si y maria ya ge
sus maria señor cayun san jose.
【034】La vendita
(14−1)La vendita
sial bentida ya labado
por todo si de siglos Amén
ciete vino sacramento
desan tosan todel alto
y maria con cebida
sin pecado de original
una quien permiriz tan
tu cetn gloria gloria
y matulas
(14−2)Amén Jesus si y moria
71
72
天理大学学報 第6
1巻第1号
6. Asu san na poor lo si lo siglo
llangel sus maria
y porto delo siglos amen.
señor san Jose
asi sea por los siglos
si de los si de los
siglos Amén
【035】Ave María Purísima (0 : 09)
(13)Abe maria prisima gracia
con sevida. viva jesus madre
patia casa señor san jose,
señor san Juaquin, señora,
santa Ana, tu comiendo la
cuerpo laura do todo filegre
Amen.
【035】Ave María Purísima
(11−2)Ave maria purisima
ave maria purisima
ave maria castisimos
que viva Jesus que viva
Jesus que viva sodolos
sima madre alpatica
san Jose señor san
upa guin señora santa
Ana a que comen damos
nuestra cuerpo nuestra
alma resibi mi alma
defiende enemigo que
todo peligor Amén
【036】Salve 9 veces (6 : 12)
Salbe ena mate mi sericordia
mi todosedo diez peransa nuestra
【036】Salve 9 veces
(12−1)Salve reina mate mi
cericordia mi todo cedo
salbe atenticlamenmo ecsulino dips
pidelemos. aten sus piramos seme
nteplete elaprente de la balelle
llebo cabo nuestro de lastón
dome sericordia ocolos conberte
evie sus vino dicto susu vientre
espera nuestra salve
ya ti clamaam
diez peransolor pideles
a ti suspiramos
(12−2)genien tiplente hina
lagre vari valle ya
novis novis. nuestra señor porco
lo cielo esterno. haclen hopian
hodulcen. ciento bigo de maria
ye bocado nuestro y
nuestro micericordia oheo
con vieste y sus
a la por nobis santo digena tris
utivino siantibos ma cristo.<Campana>
venedictos
tuc tuc pentes nobis
nobis ohc tucilion con
bierte ohclemen hopia
o dulce vico maria
holo bos nobiz santo
vine triz ludigni
pro miciantibor Cristo
(13−1)y oremos o mis potencsior
pitermo dellor en glodioso
virgenes mortines maria
copos tel anime
udigno ya vilitaculo
cenos meretesartos copara
de peperaste la otcuyo
Oremos y potemto sipiternos
deus inglos dioses virgente
corcotes anima. digono empilito
llavitanto taculo semereco
espirito.
(14)coperaste. lautcuyut que naración
tetomos ullo tantivos male y mor
pespatuaro perom de criste
domino nuestro Amen. amen.<Campana>
Domino etovino maria señor
san berno bisco. Amen. amen.
再領土化される祈り
que me maraciopn retume
reye abitante por males
edo mortal veremos
en Cristo dominos
nuestro Amen Amen.
【037】Sialbentido (1 : 11)
(12)1. Sialbentido sialaba doy
por todo letree trenidad.
【037】La vendita
(14−1)La vendita
sial bentida ya labado
por todo si de siglos Amén
2. Siete vi nosaa cremen toy
toy san tode altaai
ciete vino sacramento
desan tosan todel alto
3.Mi maria ya cooncebi dasienn
pecaadores regiaan.
y maria con cebida
sin pecado de original
4. Onoque pirimes ragistar tu
diez tu gloria señor eun taral
5. Amenen su si y maria ya ge
sus maria señor cayun san jose.
6. Asu san na poor lo si lo siglo
y porto delo siglos amen.
una quien permiriz tan
tu cetn gloria gloria
y matulas
(14−2)Amén Jesus si y moria
llangel sus maria
señor san Jose
asi sea por los siglos
si de los si de los
siglos Amén
【038】Ave María Purísima (0 : 08)
【038】Ave María Purísima
【039】Oración en maya (3 : 36)
(テクスト無し)
【039】Oración en maya
(未転写)
73