「ダルマ」に関する最新の研究成果(2)

龍谷大学アジア仏教文化研究センター ワーキングペーパー
No. 11-05(2012 年 1 月 31 日)
「ダルマ」に関する最新の研究成果(2)
桂 紹隆
(龍谷大学文学部教授)
【キーワード】ダルマ、ヴェーダ、法典、叙事詩、文法学、ベンガル地方
アジア仏教文化研究センターのユニット1は、南アジア諸国における仏教文化の多様性とその現代的可
能性を研究課題としているが、サブユニット1は主としてインド亜大陸における伝統的な仏教思想を研究
対象としている。昨年は、インドの伝統思想を考えるとき最も重要なキータームである「ダルマ」に関す
る最新の研究成果を集めた Journal of Indian Philosophy のダルマ特集号(Patrick Olivelle責任編集、第32巻第
5-6号, 2004年)の中から10編の研究論文を抽出し、その概要を紹介した。本年は、残りの7編の研究論文の
概要を提示する。昨年同様、筑紫女学園大学人間文化研究所リサーチアソシエイト小林久泰博士の全面的
な協力を得たことを記して感謝の意を表したい。
(桂紹隆)
要約一覧
(1) Joel P. Brereton, “Dhárman in the Ṛgveda,”(リグヴェーダにおけるダルマン)Journal of Indian Philosophy 32,
pp. 449–489, 2004.
(2) Richard W. Lariviere, “Dharmaśāstra, Custom, ‘Real Law’ and ‘Apocryphal’ Smṛtis,”(法典、慣習、
「実法」
、
「疑
似聖典」) Journal of Indian Philosophy 32, pp. 611–627, 2004.
(3) Patrick Olivelle, “The Semantic History of Dharma: The Middle and Late Vedic Periods,” (ダルマの意味の歴
史:ヴェーダ時代中後期)Journal of Indian Philosophy 32, pp. 491–511, 2004.
(4) Albrecht Wezler, “Dharma in the Veda and the Dharmaśāstras,” (ヴェーダと法典におけるダルマ)Journal of
Indian Philosophy 32, pp. 629–654, 2004.
(5) James L. Fitzgerald, “Dharma and its Translation in the Mahābhārata,”(マハーバーラタにおけるダルマとその
翻訳)Journal of Indian Philosophy 32, pp. 671–685, 2004.
(6) Ashok Aklujkar, “Can the Grammarians’ Dharma Be a Dharma for All?” (文法家にとってのダルマはすべて
の人にとってのダルマか?)Journal of Indian Philosophy 32, pp. 687–732, 2004.
(7) Frank J. Korom, “The Bengali Dharmarāj in Text and Context: Some Parallels,” (ベンガル地方のダルマラージ
ュのテキストとコンテキスト:いくつかの対応例)Journal of Indian Philosophy 32, pp. 843–870, 2004.
論文要約
(1) Joel P. Brereton, “Dhárman in the Ṛgveda,” Journal of Indian Philosophy 32, pp. 449–489, 2004.
-1-
本稿においてBreretonは、Paul Horschの先行研究における結論を3つの異なる手法で検討し直している。
その違いは次の通りである。
(1)
HorschがṚgvedaに見られるdhármanという語をdhármaという概念やインド文化の歴史というより広い
範囲で議論しているのに対して、本稿ではṚgvedaに見られる用例に限定して考察を行っている。
(2)Horschが動詞語根√dhṛの他の名詞的派生形や動詞的派生形を議論しているのに対して、本稿では
dhármanとdharmánという語に限定して考察を行っている。
(3)Horschがdhármanという語の意味範囲を示す実例を選択しているのに対して、本稿では、名詞的派生
形や動詞的派生形を議論しているのに対して、Ṛgveda中のdhármanとdharmánという語のすべての用例を解
説している。
結論としてBreretonは次の3点を明らかにしている。
(1)dhármanの概念の起源はその語の語形を保っている。そしてそれはインド・イラン語の言葉という
よりもヴェーダ語の言葉であり、宗教的なキータームとなる他の多くのヴェーダの言葉と比較してより最
近の新造語である。この言葉の意味は「支持する(support)
、支える(uphold)
、基盤を与える(give foundation
to)
」を意味する動詞語根√dhṛから直接的に派生しており、従って、
「基盤」
(foundation)という訳語がその
典拠のほとんどにおいて妥当する。
(2)dhármanという語は「物理的なもの」を意味し得るものであり、
「普遍的、宇宙的な基盤」さえも意
味し得る。すなわち、祭式によって作り出された基盤や祭式のための基盤、そして、共同体のための物質
的、あるいは社会的な土台を作り出す王の権威を含むような基盤を意味することもある。
(3)Ṛgvedaの範囲ではdhármanという語の意味論的発展を示す典拠はほとんどない。神話(myth)から
法(law)への展開というHorschの考えはṚgvedaの分析の中に導入された文化的進展という理解によって影
響されたものであり、その分析から導き出されたものではない。実に、王の権威という「法的」
(‘legal’)
な意味でのdhármanが定期的にṚgvedaの古い核となる部分にあらわれるのに対して、一方、普遍的基盤と
いう「神話的」
(‘mythic’)な意味でのdhármanは特にṚgvedaの後代の部分にしかない。Ṛgvedaの範囲での
歴史的な進展を反映するよりむしろ、
「基盤」という意味が持つ異なり、かつ、相互に支持し合うという
側面としてdhármanという語の様々な意味を捉えた方がより良い。
(2) Richard W. Lariviere, “Dharmaśāstra, Custom, ‘Real Law’ and ‘Apocryphal’ Smṛtis,” Journal of Indian
Philosophy 32, pp. 611–627, 2004.
-2-
本稿は1997年にミュンヘンから出版された論文(In Recht, Staat und Verwaltung im klassischen Indien, ed.
Bernhard Kölver, Munich; R. Oldenbourg, 1997)の再録である。
まずLariviereは、
(1)Mayne、
(2)Govinda Das、
(3)Ludo Rocherという代表的な三者の言葉を引用し、
彼らがダルマ・シャーストラ文献をどのように理解しているのかを以下の3通りにまとめている。
(1)疑いなく実際の法律(real law)と関連したもの。
(2)政治的拘束力を持たない、単なる宗教的願望(pious wish)を示したもの。
(3)習慣(custom)とは無関係な純粋に学者的な解説書(purely panditic commentaries)
。
その上で、Lariviereは、自分の理解がこれら3ついずれとも異なると主張する。Lariviere自身は、ダルマ・
シャーストラ文献を地方の社会的規範や伝統的な行動規範を記録したものとして理解している。彼の主張
の独自性は、dharmaの集積をすべて習慣(custom)の記録とみなす点にあると言えよう。そしてその自身
の見解を正当化するため、本稿でLariviereはダルマ・シャーストラ文献やミーマーンサー文献を検討して
いる。
Lariviereによれば、ダルマ・シャーストラとは、格言や指針、助言の集積であり、裁判官やグルや王の
意見を法的に有効にするものである。その意味ではダルマ・シャーストラは司法行政の実践に係わるもの
と言える。しかし、ここで言われるダルマ・シャーストラとは現代の西洋的な意味での「規則」
(codes)
ではない。すなわち、あらゆる状況、あらゆる争議に例外なく適用されるようなテンプレートとして作成
されたものではない。その点で、Lariviereは実際の法律(real law)と関連させてダルマ・シャーストラを
理解する(1)Mayneとは見解を異にする。
またLariviereは、ダルマ・シャーストラを法令(codes of law)と見なす誤りを指摘している点で(2)
Govinda Dasの見解を支持している。しかしその一方で、ダルマ・シャーストラの内容がGovinda Dasが言う
ような単なる宗教的願望以上のものであり、政治的権威によって厳密に強制されてきたに違いない「現実
的なもの」
(reality)を表すものであるとLariviereは指摘している。
さらにLariviereは、学者的な解説書や綱要書であるダルマ・シャーストラは国の法(law of the land)とは
ならないという(3)Rocherの見解に対して若干の修正を求めている。すなわち、ある見解を合理化した
り、説明したり、正当化することは、Rocherが言うように「学者的」な論究の範疇に文類されるはずのも
のであるが、しかし「権威のある文献」とはまさにそういった類のものであり、そのような権威ある文献
に説かれた「法」であることで、その法の重要性も保たれるのであるLariviereは指摘する。
以上の考察を踏まえて、Lariviereは次のように結論する。すなわち、ダルマ・シャーストラは現実的(real)
な意味での「法」
(‘law’)を表すものではないが、しかし、ダルマ・シャーストラに記録されている習俗
-3-
(practice)は国の法(law of the land)を表しており、インド社会の歴史を構成することにおいて現実的な
価値を持つものである、と。
(3) Patrick Olivelle, “The Semantic History of Dharma: The Middle and Late Vedic Periods,” Journal of Indian
Philosophy 32, pp. 491–511, 2004.
本稿においてOlivelleは、ヴェーダ時代の中期から後期(紀元前800-400あたり)にかけての文献に見られ
るdharmaという語の意味を検討し、その歴史的変遷を考察している。
リグ・ヴェーダやアタルヴァ・ヴェーダでは、dharmaという語は宇宙論的、儀礼的、倫理的な意味を含
んだ幅広い意味で用いられるが、後代の文献に見られるような中心的な役割を担うものではなかった。そ
れがブラーフマナ文献、アーラニヤカ文献、ウパニシャッド文献を経て、徐々にその重要性が増していっ
たのかというとそうではない。Olivelleは、そのことを明らかにするため、ヤジュルヴェーダ・サンヒター、
ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド、シュラウタ・スートラ、グリフヤ・スートラに見られる
dharmaの用例を詳細に検討している。検討の結果、Olivelleは、それらの文献の初期、特にブラーフマナ文
献、初期ウパニシャッド文献では、dharmaという語がヴァルナと王の話という限定された文脈の中で用い
られていることを指摘している。そのことに基づき、Olivelleは次のような仮説をたてている。すなわち、
dharmaという語はもともと王族に関連した特殊な語彙であり、王が守らせる義務を持つ社会秩序や社会の
法律を示すものであった。それが抽象化して、dharmaは王の上位にある宇宙的な力を意味するようになっ
た、と。
しかし、このような意味で用いられるdharmaが、何故、バラモンの生き方の本質として定義され、中心
的課題として後代の論書で盛んに論じられるようになったのか。この疑問に対してOlivelleは仏教の影響を
考える。その最も重要な理由としてOlivelleが挙げるのは、仏教以前の時代に、dharmaという語が宗教的語
彙の中で中心的役割を占めておらず、神学者たちがそれを宗教的に良い生き方などと定義することができ
るような意味をdharmaという語は獲得していなかったということである。
Olivelleの仮説をまとめると次のようになろう。原始仏教の時代に、ブッダの悟った真理を定義するため
に、dharma、すなわち、王の上位にある力というバラモン的な概念が導入された。そして、あまり重要で
はない概念であったdharmaが仏教を定義する重要の概念へと変化し、徐々に倫理的な意味合いを持つもの
と変化していった。
さらにOlivelleは、このような仏教的なdharmaが宗教的な語彙としてインド全般に広まった原因としてア
ショーカ王の影響を無視することができないとする。すなわち、仏教を厚く庇護したアショーカ王の碑文
-4-
にはdharmaという語が、約111回(繰り返しを除く)も用いられており、しかも彼は完全に倫理的な用語と
してこの語を使用している。このような状況下で、仏教徒とバラモン教徒の双方が競い合い、互いに影響
し合ったことで、仏教的な意味でのdharmaがバラモン社会の中に浸透していったとOlivelleは考える。また、
ダルマ文献の成立や文法家のヤースカやパーニニのdharmaの用例からも、dharmaという語がその当時、倫
理的な意味で一般に広く用いられていたことが分かるが、年代論的な観点から見ても、それが自分の仮説
と齟齬を来さないとOlivelleはまとめている。
(4) Albrecht Wezler, “Dharma in the Veda and the Dharmaśāstras,” Journal of Indian Philosophy 32, pp. 629–654,
2004.
本稿は1999年にドイツ語で発表された論文(“Über den sakramentalen Charakter des Dharma nachsinnend”)
をRobert FultonとOliver Freibergerが英訳し、さらにそれをPatrick Olivelleが改訂したものである。
かつてPaul Hackerは、
“Dharma in Hinduismus”(Zeitschrift für Missionswissenschaft und Religionswissenschaft 49,
1965)という論文の中でヒンドゥーに見られるdharmaを、ヴェーダ聖典に基づくものであれ、良いことに
ついての意見の一致に基づくものであれ、極めて経験的(empirical)なものであると分析した。この分析
に対して、本稿でWezlerは次のような疑念を呈する。すなわち、ヴェーダ聖典のdharmaとダルマ・シャー
ストラ文献のdharmaは単一のヒンドゥー的なdharmaの2つの側面であるのか。それら2つは、古代インド
の文化の全く異なる要素からなるのか。そして、dharmaという総合的な概念は二次的なものなのか。この
ような疑念を出発点として、Wezlerはdharmaという概念についての考察を行っている。
まずWezlerは、ダルマ・シャーストラ文献に見られるdharmaがヴェーダ的なdharmaとは異なり、専ら「習
慣」
(custom)を意図しているというLariviereの説に対して強い賛意を表明する。その上で彼は、ダルマ・
シャーストラ文献のdharmaが普遍的な「法」であるという考えが、ヴェーダ聖典のdharmaからの移行によ
って生まれたものでないと主張する。そしてむしろ、そういった考えはおそらくヴェーダ聖典やダルマ・
シャーストラ文献の両方に共通してあったdharmaということばとすでに結びついていたのであろうと分
析する。
Wezlerは、ダルマ・シャーストラ文献に見られるdharmaの概念がヴェーダ化(Vedification)
、神聖化
(sacramentalization)されていく様子を検討しつつ、それがヴェーダ的な供犠の衰退に関係していると分析
する。例えば、生き物を保護することへの責任などというイデオロギーがバラモンたちの関心事となって
きた。Wezlerによれば、それは、ブッダなどの沙門たちが興隆した時代において、犠牲なしに自身を「高
める」可能性を確実なものとしたいという、また、あらゆるdharmaに関する問題の専門家や裁判官などの
-5-
ような祭官としての役目を越えた収入を確保したいというバラモンたちの願望を反映したものなのであ
る。
結論としてWezlerは、Hackerのようなこれまでの純粋に歴史学的なアプローチだけでなく、社会学的な
アプローチの必要性を指摘し、ダルマ・シャーストラ文献に見られるdharmaのヴェーダ化、神聖化が内的
な救済をもたらす方法の日常社会への普及を原因としたものであるとまとめている。
(5) James L. Fitzgerald, “Dharma and its Translation in the Mahābhārata,” Journal of Indian Philosophy 32, pp.
671–685, 2004.
本稿においてFitzgeraldは、叙事詩マハーバーラタ(特にŚāntiparvan)にみられるdharmaという語の概念
について、特に訳語の観点から考察している。
具体的検討に入る前に、Fitzeraldは、Paul Hackerの論文(“Dharma im Hinduisms”, Zeitschrift für
Missionswissenschaft und Religionswissenschaft 49: 93-106, 1965.)とWilhelm Halbfassのエッセイ(“Dharma in the
Self-Understanding of Traditional Hinduism.” In India and Europe: An Essay in Understanding. (310-333). Albany:
SUNY Press, 1988.)に対して本稿でのdharma理解の手がかりとなったことへの謝辞を述べている。特に
Halbfassが強調する、dharmaという語はヴェーダ祭式伝来のものではないし、何らかの独立した宇宙的自然
法則を示すものでもないという考えに強い賛同を示している。これまでdharmaを自然法則(natural law)と
する理解が広く受け入れられてきたが、それに対してFitzeraldは、マハーバーラタの中でその理解を正当化
する根拠はほとんどなく、あったとしても、それは別様に説明されるべき類のものであると指摘している。
Fitzeraldは、マハーバーラタに見られるdharmaという語の意味が多様に用いられることを述べた後、しか
しそれらに共通しているのは「
『超越的に』
(すなわち、我々の経験領域を超えて)
、良いもの、あるいは
正しいもの」
(what is ‘transcendently’ good or right to do or be)という概念であるとする。そしてこのような概
念を以下のように大きく3つのグループに分割する。
(I)
‘Law’(法)
、
‘Merit’(功徳)と訳されるような、死後、行為者の利益となるような規範的行い(normative
action (karman))
(II)
‘Right’(正しさ)
、
‘Just’
(真っ当さ)と訳されるような、正確さ、正しさ、良さ、正義といった
抽象的な性質(abstract quality)
(III)
‘Virtue’
(徳)
、
‘Piety’
(敬虔)と訳されるような、普遍的に良いとされる個性、習慣、傾向
Fitzeraldはこのうちの第一の「規範的行い」としてのdharmaを本稿の中で「dharmaの基本的テーマ」
(‘Basic
Theme of Dharma’)と呼び、さらにそれを意味の繋がりという観点から、
(1)
「外的規則」
(vidhi, śāsana)
、
-6-
(2)
「内的義務」
(kārya, ṛṇa)
、
(3)
「行為」
(karman, kṛta)
、
(4)
「功徳」
(sukṛta, puṇyakarman)という4
つに分析する。前二者は「規範的行い」の「規範的」という側面から導き出され、後二者は「行い」とい
う側面から導き出される。
マハーバーラタの「dharmaの基本的テーマ」では、dharmaは常に何かしら「行為」
(karman)と関連す
る。Fitzeraldは、それを個別的な意味のものと集合的な意味のものに二分する。個別的な意味でのdharma
とは、階級、性別などに応じて異なり、svadharmaと言われる概念を示すものである。他方、集合的な意味
で用いられるdharmaとは、個別的な意味でのdharmaの集合を示すものである。非常に曖昧に幅広い意味で
用いられるこのような集合的な意味でのdharmaは、慣例的に、宇宙の秩序の原理のようなものとして理解
されてきた。しかしFitzeraldはここで、Halbfassに従い、マハーバーラタにはそのような理解の根拠はない
ことを指摘している。
さらにFitzeraldは、先に4つに分析した「dharmaの基本的テーマ」を(i)それらがそれぞれ単独の意味
で用いられる場合、
(ii)それらが複合して用いられる場合、
(iii)すべてを含む一般的な意味で用いら
れる場合の3通りに分ける。そして、そのうちの最も一般的な意味でのdharmaの訳が、
‘Law’、
‘Merit’の
二つに集約されると述べるとともに、それぞれの訳語の長所と短所について論じている。
最終的に、Fitzeraldは、
‘Law’という訳語がdharmaの訳としてまずまず無難なものと結論する。その理由
を彼は、
「dharmaの基本的テーマ」の4つの分析のうち、極めて重要な前二者、すなわち、
(1)
「外的規
則」
、
(2)
「内的義務」を包含しているからであると説明する。さらに、
‘law’という英語がなお持ち続け
ている宗教的な語感が、dharmaのそういった宗教的義務という側面をいくらかでも示し得るのではないか
とFitzeraldは考えている。
(6) Ashok Aklujkar, “Can the Grammarians’ Dharma Be a Dharma for All?,” Journal of Indian Philosophy 32, pp.
687–732, 2004.
本稿でAklujkarは、主にパタンジャリのMahābhāṣyaとバルトリハリのTrikāṇḍīに基づき、サンスクリット
文法学とdharmaの関係を考察している。
Aklujkarによれば、文法学者たちがdharmaの概念について語るのは、パーニニの作品の有用性を確立し
ようとする場合である。文法的表現に習熟した者たちにとって、非文法的表現の意味はそれに対応する文
法的表現を想起することで理解される。他方、非文法的表現に慣れ親しんだ者たちにとっても、理解は同
様に起こるが、それは反対の仕方で起こる。すなわち、彼らが文法的表現を聞いたとき、彼らの記憶は、
関連する非文法的表現に向けて喚起される。このことについて文法家たちは、前者と後者のいづれにおい
-7-
ても、会話があった場合に同じくらい直にそういった理解が起こると考えるが、彼らが文法的な語形を用
いた方が良いと考えるのは、それによって人はdharmaを獲得することができるからであるとしている。
Aklujkarはパタンジャリやバルトリハリが用いるdharmaという語には次のような3つの意味があると分
析する。
(a)
「個人が行うように期待されるところのもの」もしくは「シャーストラやアーガマが人に行うよう
忠告するところのもの」
(b)
「規範に準じることによって生み出される、積極的で目に見えない、すなわち、非世間的な結果」
(c)
「構成要素、属性、性質」
このうち、目下問題となるdharmaの意味は(a)と(b)であり、それらが密接に関連し合う一方で、
(c)
とは趣を異にすることをAklujkarは論じている。
続いてAklujkarは、パタンジャリによると、dharmaとは(1)
[文法的なことばを]知ること(jñāna)
、も
しくは(2)シャーストラの知識を前提とした[文法的なことばの]使用によって結果するものとされて
いることを指摘する。そして、そのうちの(2)が本来のヴァールティカ作者の見解であるが、パタンジ
ャリ自身は(1)の見解をより好んでいたようにも見えると指摘する。
さらに、Aklujkarはバルトリハリがdharmaと文法をどのように結びつけていたのかについて次のように
述べていると指摘する。
「人は知覚や推理のみを通じて、dharmaを生み出す語の項目の能力を確立するこ
とはできない。究極的には、特別なことばや精神的エリート(śiṣṭa)の振る舞いにおいて表現されるアー
ガマ、すなわち『受け継がれてきた知識』を非世間的な問題を決定するものとして認めねばならない。
」
と。すなわち、書物であれ、人であれ、アーガマとしての文法学的知識があってはじめて、dharmaの獲得
を人は目指すことができるのである。
文法学者たちは文法的な言語使用を通じて人はdharmaを獲得すると主張するが、それは単純に言語使用
が文法的であるということだけでそうなるとは主張していない。何故なら、人は誰か文法的な言語使用を
している人を真似ることもできるからである。従って、言語使用はその背後にあるシャーストラの知識に
裏付けられたものでなければならない。
Aklujkarはそのような知識を獲得するためには感覚の抑制や心の集中が必要とされると論じる。そして
そのことも、サンスクリット文法学者たちによるdharmaへの従事がバラモン社会における理論や実践との
別個なものではないということを実証しているとAklujkarは分析している。Aklujkarによれば、このような
文法学を通じたdharmaの獲得という文法学者たちの考え方は、ヨーガなどといった他のバラモン社会での
考え方と同じように、宗教的・精神的なものと世俗的なものの隔絶を退けるためのより大きな知的活動の
一端を示しているのである。
-8-
(7) Frank J. Korom, “The Bengali Dharmarāj in Text and Context: Some Parallels,” Journal of Indian Philosophy 32, pp.
843–870, 2004.
本稿でKoromは、ベンガル地方に広がるダルマラージュ信仰を、特にゴアルパラという村を調査対象と
しつつ、文献学と民俗学との双方を融合した観点から考察している。
冒頭でKoromは、maṅgalkabyaと呼ばれる中世のベンガル詩群のうち、Dharmaを称えるDharmamaṅgalと呼
ばれる詩の存在を紹介するとともに、それに基づく現代の儀礼が各集落において独自な発展を遂げている
ことを指摘する。
Koromによれば、Dharmamaṅgalに語られる内容はヒンドゥーに伝わる他の物語文献の内容と多くの共通
性を持つが、ダルマラージュ信仰を理解する上で、文献の内容的理解はあまり重要な役割を担わない。そ
うではなくて、文献と実際に行われている儀礼の関係、Koromはこのような関係をテキストとコンテキス
トの関係と呼ぶが、それを弁証法的なものとして見ることが有用であるとしている。
次にKoromは、テキストと儀礼的なコンテキストが如何に対応しているかを、創造主、徳の高い王、運
命の支配者、変幻自在の者、貧困者の友、恩恵を与える者としてそれぞれ描かれるダルマラージュについ
ての具体的記述をそれに基づく実際の儀礼とともに詳細に検討する。そして、そのテキストとコンテキス
トの関係が主題としては対応関係にありつつも、ゴアルパラ村においてはそれらが地方色の強い独自な発
展を遂げ、直接的な繋がりを持たない場合もあるということを証明している。
結論としてKoromは、各集落においてテキストとコンテキストが直接的な繋がりを示さない場合もある
が、そのことを詳細に検討することで元々の文献と地方化された儀礼との間の相互作用を理解することが
できるだけでなく、現代の儀礼が生み出した革新的な崇拝手段の複雑なその生成過程をも理解することが
できるとまとめている。さらにフィールドワークを文献学的な吟味と組み合わせることこそが、ダルマラ
ージュの複合的なパーソナリティーを正しく認識させるものであると指摘している。
-9-