北極圏と 北欧ハイライト 12 日間 北極圏と 北欧ハイライト 12 日間

北極圏と
北欧ハイライト 12 日間
∼ノールカップでミッドナイト・サン∼
ヨーロッパの地図を見るとスカンジナビア半島の最北端
スン海峡の対岸はスウェーデンで、僅か5km しか離れて
いない。バルト海と北海を結ぶ重要航路で、通行する船か
度10分21秒だそうだ。北欧四ヶ国を巡りノールカップ迄行
ら通行税を徴収し国家の財源を潤わせた。税の徴収は15世
くツアーを選んだ。北極圏の遙か北迄行き、真夜中に太陽
紀の始めから1857年迄続いたそうだ。クロンボー城は国の
が沈まないミッドナイト・サン(白夜)を体験できる6月
発展と王の権威を象徴すべく10年の歳月を掛け1585年に完
に旅をした。
成された。17世紀にはスウェーデン軍に占領され塔が破壊
されたが、再びデンマークの手に戻り20世紀中頃にようや
く修復され、北ヨーロッパ最大のルネッサンス様式の城と
してその美しい姿を蘇らせた。シェイクスピアの「ハムレッ
ト」の舞台としても知られている。その後、フレデンスボー
城とフレデリスクボー城にも立ち寄り夕方にはコペンハー
ゲン市内に戻ってきた。チボリ公園で夕食を済ませメリー
ゴーランドに乗り童心に返った。
第1図 北欧と関連周辺地区の地図
1 デンマークの首都コペンハーゲンから旅は始まった
北欧の最初の訪問地はデンマークの首都コペンハーゲン
だった。デンマークの位置は北欧四ヶ国の一国と言っても、
地図で見るとドイツの北隣りの陸続きでオランダにも近く
写真1 オアスン海峡で通行税を徴収したクロンボー城
ヨーロッパの延長に感じる。北欧四カ国として括られてい
る理由は、この国がかつてノルウェーとスウェーデンを併
合し、北海帝国を築いたという歴史に基づいている。今
2 ハンザ同盟の都市ベルゲンからフィヨルド観光
翌日は、コペンハーゲンから空路ノンストップで1時間
でもグリーンランドやフェローズ諸島を統治しているし、
半の旅を経てノルウェーのベルゲンに到着した。作曲家グ
1944年迄はアイスランドも統治していた事でも伺い知れる。
リークはベルゲン出身でオスロやコペンハーゲンで活躍し
午前中は市内観光でアンデルセンの童話に出てくる「人
名声を得た。1885年42歳の時にベルゲンに戻りフィヨルド
魚姫」の像や、スウェーデン王に一晩で耕せるだけの土地
を眺めるこの地で過ごした。高台にある家と岸辺にある小
を与えると言われ4人の息子を牛に変えて土地を耕した伝
さな作曲小屋を見学した。
説の女神「ゲフィオン」の泉、そしてアンデルセンの生家
ベルゲンの歴史はオーラル・ヒッレ王が興し、古くは
を見学した。次にコペンハーゲンの基礎になったクリスチャ
1070年にさかのぼる。北海の漁業基地で12∼13世紀にはノ
ンボー城を見学した。昔は王宮だったが今は国会議事堂や
ルウェーの首都となりハンザ同盟に加わった。ベルゲン湾
最高裁判所として使われている。午後は市内からバスで北
に面してカラフルな三角形の切妻屋根の家が建ち並ぶ一角
40km のヘルシゴーへ移動しクロンボー城を訪れた。オア
にハンザ博物館がある。ベルゲンと諸外国との商取引を牛
SEAJ Journal 2008. 5 No. 114
53
耳っていたハンザ商人の生活振りを彷彿とさせる家具や用
具が展示されていた。魚市場では港町らしい活気あふれる
3 ヨーロッパの最北端ノールカップで
ミッドナイト・サンを体験
声が飛び交い干しダラ、スモークサーモンそして巨大なカ
ベルゲンからノールカップ迄は直線距離で丁度1,000km
ニ足が並んでいた。その後、ケーブルカーで標高320m のフ
ある。150km 手前のトロムソ迄はベルゲンから飛行機で2
ロイエン山の中腹へ登り夕闇迫るベルゲンの港と町を一望
度の途中給油を経て3時間20分掛かった。途中、眼下には
した。
氷河で削り取られた沢山の入江を見る事が出来た。トロム
翌日はバスと列車と船に乗り、ソグネフィヨルド観光を
ソは既に北極圏内で北緯69度40分に位置する。夏は白夜、
楽しんだ。ベルゲンから北東100km をバスで移動すると、
冬はオーロラを求めて多くの観光客で賑わう港町だ。昼食
全長250km、最深部分では1,308m と世界最大のソグネフィ
はクジラの握り寿司にカモメの玉子、そしてサーモンとご
ヨルドが細く入り組んだグドヴァンゲンに到着する。フェ
当地料理だった。ポーラ博物館、トロムスダーレン教会そ
リーに乗ると各国からの観光客と合流し色々な言語が飛び
してトロムソ博物館を見学してホテルに一泊した。ポーラ
交った。船内アナウンスも各国語だ。狭い入江をフェリー
博物館の前にあるアムンゼンの像の前で集合写真を撮った。
は音も無く出発し、氷河で削り取られた険しい斜面から滝
彼は友人を救う為にここトロムソを飛び立ちそのまま消息
が流れ落ちたり、アザラシが岩で日向ぼっこをしたりする
を絶ってしまったそうだ。夜中に外へ出てみたら太陽が明
姿が見られた。沢山のカモメがフェリーを追いかけてくる
るく輝いていてミッドナイト・サン(白夜)を体験したが
のを見ると、海岸から100km も入り込んでいるが海水の続
さほどの感動は沸かなかった。
きである事が理解できる。遠くには万年雪に覆われた山も
翌日、トロムソから更に北へ飛行機で移動しアルタとい
見える。100万年前の氷河期には1,000∼3,000m の分厚い氷
う小さな町に到着した。ホテルで一旦休憩した後、いよい
河で覆われていたのを想像すると気が遠くなる。2時間の
よノールカップを目指すバスに乗車した。ツンドラ地帯を
フェリーによるクルーズもあっという間に終わり、フロム
走る途中で周りは雪や氷が目に入り、夏ではあっても寒々
という町に到着して陸に上がり、今度は山岳鉄道に乗車し
しい景観である。ノールカップはノルウェー本土ではなく
た。谷間の急斜面をゆっくり走る電車は途中で臨時停車し、
マーゲロイ島という小さい島の岬の先端に位置するため一
豊富な水量の水が怒涛となって流れ落ちる「ショースの滝」
旦フェリーに乗り換えた(その後、海底トンネルが完成し
を見学させてくれた。ミュールダールでそれまでののどか
今では直接車で移動可能になったとのこと)
。驚く事にこの
な山岳鉄道からベルゲン行きの急行列車に乗り換え風光明
最果ての地に人類は約1万300年前に定住し始めた事が直前
媚なフィヨルド観光を終わらせた。
に見学した「ノールカップ博物館」で知る事が出来た。バ
スで更にツンドラ地帯を移動し断崖の上に立つノールカッ
プを象徴する大きな「地球」というモニュメントがバスの
車窓から見えてきた。バスを降り建物に入った時には既に
ミッドナイト5分前だった。シャンペンボトルの栓がポン
ポン開く音が聞こえてきた。全員に注がれたシャンペング
ラスで乾杯すると音楽に合わせて北側の窓のカーテンが
ゆっくりと開けられた。曇り空ではあったが太陽の光が海
写真2 世界最大のソグネフィヨルド
54
SEAJ Journal 2008. 5 No. 114
写真3 ヨーロッパ最北端「ノールカップ」は岸壁の突端
北極圏と北欧ハイライト 12 日間
に反射して輝いていた。真夜中ではあるが北極点の向こう
様式と呼ばれる薄いレンガ色をした木造建築で辺りには背
から沈まぬ太陽が顔を出してきた。感激の一瞬だった。
の高い綺麗な色のルピナスが沢山咲いていた。直ぐ近くに
は1952年開催のオリンピックに使われたスキージャンプ台
があった。シミュレーターに乗ったらオスロの町を見下ろ
し飛び落ちるジャンパーの気分を体験する事が出来た。次
にフログネル公園を散歩し有名な「おこりんぼう」の像を
見た。右足を少し上げ両肩を怒らし泣き叫んでいる像を見
て思わず笑ってしまった。次に見た高さ17m の石柱「モノ
リッテン」はオスロのシンボルである。あらゆる年齢の男
女121人が複雑に絡み合った様に見とれてしばしその場に佇
んでしまった。次に目指すはヴァイキング船博物館だ。オ
スロフィヨルドで発見されたヴァイキング船が3隻展示さ
れていた。最大のオーセバング号は全長20m で、女王の埋
葬船と見られている。一緒に発見された数々の副葬品が展
写真4 沈まぬ太陽ミッドナイト・サンを眺める
示されていた。そもそもヴァイキングはスカンジナビアで
8世紀から11世紀に掛けて暮らし、ヨーロッパ各国に進出
再びフェリーとバスでアルタの町に戻って来たのは朝の
した。一般には悪い海賊のイメージしか残っていないが、
5時だった。ホテルで一休みしたが、午前中は自由時間だっ
文化・物資を広めた交易商人の役目も果たしたらしい。特
たので別のご夫婦と4人でタクシーを拾ってアルタ博物館
にノルウェー系は最もダイナミックで長距離を移動し、地
の岩絵を見に行った。一周5km の見学通路から見る事が
中海迄侵攻した事が知られている。ルート66のドライブ中
出来る2,500点以上にものぼる岩絵が1973年に発見され、そ
(本誌104号参照)に出会った彼らも先祖ヴァイキングの
れらは世界遺産に登録された。紀元前4200年から紀元前500
DNA が残っているのだと気が付いた。最後に国立美術館に
年頃に描かれたと推定されている。大きな花崗岩の平滑な
立ち寄りムンクの「叫び」を鑑賞したがどうしてあの絵が
部分に狩猟の様子、トナカイや熊、クジラ等の動物そして
盗まれたのか理解出来なかった。自分には他の部屋で見た
船、幾何学模様がシンプルに描かれている。殆どが薄くて
フランス印象派の作品の方がずっと魅力的だった。
見難いが、一部鮮やかな朱色になった部分は誰かがなぞっ
た様な気がする。自然条件が厳しい北緯70度のこの僻地に
大昔から人類は暮らしていたのかと思うと不思議に思えた。
夕方、トロムソ経由でノルウェーの首都オスロに飛行機で
移動した。
写真6 「おこりんぼう」の像で思わず笑った
写真5 鮮やかな朱色の岩絵
5 スウェーデンの首都ストックホルムで
4 ノルウェーの首都オスロでヴァイキング船を見学
ノーベル・ディナーを賞味
オスロの町が一望出来る標高350m の丘の上に建てられた
午後は空路1時間でオスロからスウェーデンのストック
ホルメンコッレン・パーク・ホテルに宿泊した。ドラゴン
ホルムに移動した。ホテルに到着してから各自正装に着飾っ
SEAJ Journal 2008. 5 No. 114
55
て市庁舎の地下にあるレストラン「スタッスヒュース・シュ
金色に輝くタマネギ型の尖塔が印象的だった。ヘルシンキ
ラレン」に向った。ノーベルの誕生日である12月10日には
大聖堂は市のシンボルで白亜の外観に緑色のドームが映え
ノーベル賞の授賞式が市庁舎で開かれ、大広間ブルーホー
る。昔はニコライ教会と呼ばれていたそうでフィンランド
ルで公式晩餐会が行われる。大江健三郎が1994年にノーベ
がロシアに占領された歴史を思い出した。次に1952年に開
ル賞を授賞した時に出されたのと全く同じメニューを味わ
催されたヘルシンキ・オリンピックのメインスタジアムに
行った。1920年から1928年に金メダルを9個も獲得したフィ
いた女房はニコニコ顔。室内の照明は暗く、鴨の前菜に続
ンランドの伝説のランナーである「パーヴォ・ヌルミの像」
いてメインの子牛フィレ肉のセーヴ風味がエレガントな食
の前で記念写真を撮った。フィンランドが誇る大作曲家シ
器に盛られて出された。最後にチカチカ花火が刺さったケー
ベリウスを記念した公園が海岸沿いに造られている。ステ
キが各自のテーブルに出され満足した夕食だった。
ンレスパイプのモニュメントが印象的でその前で地元の男
翌日、午前中は13世紀にストックホルムが築かれた発祥
性コーラスグループが歌っていたが、年齢から察するとこ
の地ガムラ・スタン(旧市外)に残されている王宮を見学
ろ戦友達の様な気がした。最後にテンペリアウキオ教会を
した。現在、国王一家は郊外のドロットニングホルム宮殿
訪問した。天然の岩山を繰り抜いて直径24m の銅板製のドー
で暮らしているが、執務を行う時にはこの宮殿に来るらし
ムで天井が覆われているユニークな教会だった。音響効果
い。市内で日本食を食べた後、ドロットニングホルム宮殿
が優れているのでコンサートが時々開かれるそうだ。
呼ばれるだけあって湖畔に佇む美しい宮殿であった。
写真7 ノーベル・ディナーでは花火が刺さったケーキが
写真8 「パーヴォ・ヌルミの像」の前で記念写真を撮った
出された
北欧四カ国の中でノルウェーは首都オスロだけでなく、
6 ストックホルムからフィンランドの首都ヘルシンキに
大型船でクルージング
ベルゲンでフィヨルドを見学し、トロムソからアルタ経由
でノールカップ迄、全国土を巡ることが出来た。然しなが
豪華客船「SILJA SERENADE 号」でバルト海の奥ストッ
ら他の三カ国は首都のみの見学で終ってしまった。地図を
クホルムからフィンランド湾の入口ヘルシンキ迄を夜行で
見れば広い国土でまだまだ見るべき都市が沢山有る。是非
一晩掛けてノンビリと移動した。全長203m、総トン数5万
今度行くときには、違った季節に次の都市を訪れてみたい。
8400t もある巨大な客船に乗り込むと天井の高さ18m、長さ
スウェーデンは国土の半分が森林で覆われていて北には
143m の吹き抜けアーケードに圧倒された。船内には沢山の
免税店やお土産屋があり時間を忘れて楽しめた。夕食はヴァ
イキング形式でたっぷり食事をしたが、客室乗務員には若
い日本の女性も働いていたのには驚いた。部屋はシーサイ
ド・プロムナードクラスと言って海側だったが、外の景色
いう町。(例のおもちゃのレゴの生まれ故郷)
を見ずに、ぐっすり眠りにつき、目を覚ましたらもうヘル
(元広報部 部長 奥津 和久)
シンキ港近くだった。
下船しバスに乗り換えるまでの間、朝市での散策を楽し
みながらサクランボを味わった。北欧最大のロシア正教の
教会ウスベンスキー寺院は赤レンガ造りで重厚な外観と黄
56
SEAJ Journal 2008. 5 No. 114
参考書
ワールドガイド「北欧」JTB パブリッシング
個人旅行「北欧」昭文社