婦人参政権説く - 吉野作造記念館

、
1
大 崎 市 古 川 出 身 の 民 本 主 義 者 士︻野 作 造 ︵
8 7 8 ∼ 1 9 3 3 ︶ が 女 性 の政 治 参 加 を 説 く
な ど し た直 筆 原 稿 2 本 と 手 紙 1 通 の計 3点 が
、
横 浜 市 の 古 書 店 で 見 つか り 吉 野 作 造 記 念 館
。
いず れ も 自 ら の 民 本
︵
大崎市︶が入手した
読 み や す い字 体 か ら 平 等 や 博 愛 の 理 念 を
。
思想 を 成 熟 さ せ た後 の大 正後 期 か ら末 の も の
、
で
大事 にし た吉 野 の忌 づ か いが 伝 わ る
︻
小 原博 人 ︼
も う 一つは 同 会 の 発
行雑誌 ﹁
文化生活﹂の
2
2年 刊第 3号所収 の
同 記 念 館 の大 川 真 副
、
原稿 の
一つは 1 9 2 0 ︵
大正
0
00字詰め1
枚︶
館 長 によ る と
9 ︶年 作 の ﹁
政治に及
、
6
男 尊 女 卑 の観 念
た 吉 野 と 谷 崎 の間 の手
調 書 の 一節 ﹂ を 評 価 し
崎 潤 一郎 の 短 編 ﹁
或る
﹁
書 斎 か ら 読 者 へ﹂ ︵2
。
谷
ぼ す婦 人 の力 ﹂ で
00字詰め原稿用紙7
。
が 強 い時 代 に 婦 人 参 政
枚半
権 の必 要 性 を 説 く 内 容
、
﹁
婦 人 の純 潔 性 が
で
る
付で﹁
文化生活研究会﹂
5
手 紙 は 2年 5月 1 日
紙 のや り と り を紹 介 す
、
る 容 で 論壇と文壇
加 し
の真 摯な交流を 物語
。
腐 敗 し た政 治 に 円 滑 さ
同年 に
や 円満 さ を も た ら す ﹂
。
な ど と う た った
、
こ の原 稿 は
人
吉 野 らが 近代 的 生 活 の
達
の発 行 人 を 務 め た 出 版
、
福 永 重 勝 宛 て の速
普 及 を 目指 し 東 京 で発
。
全く未見の
便箋2枚に原稿の
足させた ﹁
文化生活研
遅れをわびる内容を記
、
吉 野 の律儀
し てお り
。
究 会 ﹂刊 行 の 講 義 録 ﹁
文
さを示す
化 生 活 研 究 ﹂ の第 1巻
。
第 8 号 に掲 載 さ れ た
。
も の と いう
6
吉 野 は 1 年 に民 本主
、
政治
大崎 ・
記念館展示 へ 平 等 、博 愛 伝 え る
言論をリ
ードした。
3点
大 川 副館 長 は ﹁
が ど う いう 経 路 で 高 書
市 場 に出 て き た か 不 明
、
吉 野 の生 き方 や
だが
人 柄 を 新 た に知 る 資 料
。
と し て貴 重 ﹂ と話 す
同 記念 館 は劣 化 の激
し い 璽草
斎 か ら 読 者 へ﹂
る
を除く2点を来年1月
2
︲日から常設展示す
。
。
入館 料 が 必 要 問
した
、
作 家 の有島
。
吉 野作 造 直筆 の原 と手 紙 左 上 が 原稿 ﹁
政 治 に 及ぼ
稿
、
。
す 婦 人 の力 ﹂ 同右 が ﹁
書斎 か ら読者 へ﹂ 下 は速 達
で出 した 手紙H 大 崎 市 古 川 の吉 野作 造 記念 館 で
武郎らが参加し時代 の
森本厚吉
﹁
文化生活研究
、
経済 学 者 の
会﹂には
い合 わ せ は 同 記 念 館 谷
3 ・7 1 0
0 2 2 9 ・2
。
0へ
的 言 論 人 の地 歩 を 確 立
。
な分 野 を 網 羅 す る先 進
学 だ け でな く さ ま ざ ま
義論文を発表し
婦 人参 政権 説 く
〔
第 3種 郵便物認可〕