1 ゆがみのない研究者 宮田真人 大阪市立大学・大学院理学研究科

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ゆがみのない研究者
宮田真人
大阪市立大学・大学院理学研究科・教授
贈る言葉文集♪♪くれーなずーむまちのーひかーりとーかげのーなか♪♪
誰の企画でしょう?書く方も読む方もこんな恥ずかしいものはありません。ラブレターと果たし状を束にし
て全員に配るようなことですから、初めのうちは喜んで読んでも、何回か読み返すうちにだんだん恥ずか
しくなって、最後には本棚の肥やしになることうけあいです。下田先生といっしょに学会発表でもしたこと
があれば、 どたばた見聞記 でも書いてごまかせるでしょうが、私にはそんな経験はないので作文はヘ
ビーなものになりがちです。もちろん、今から書くことは 熱いラブレター の範疇に入ります。
私は18年前に下田先生の研究室に助手として赴任し、前任教授の福村先生が研究されておられた マ
イコプラズマ というバクテリアをテーマに研究を行い、この4月に教授に昇進しました。
汚れた英雄♪♪らりほー!らりほー!ららららーららーららーら∼♪♪
私が、大学院前期博士課程の頃だったでしょうか?こんな題名の、つまらない映画が少し流行りました。
この映画には原作の小説があって、それは「二枚目で超すけこましの主人公が、美女千人切りで貢がせ
たお金で、オートバイレーサーとしても大成功する」という、ありえない、くだらない、ストーリーでした。そ
んなことはどうでもいいのですが、「汚れた英雄」の単語を少し入れかえると「ゆがみのない研究者」にな
ります。私の眼には下田先生はその様に写っているのですが、これは多くの方に同意していただけるも
のと思います。
ゆがみのない
どんなことが、「ゆがみのない研究者」の印象を与えるのでしょうか?実験や、指導や、執筆や、学会や、
研究費獲得や、大学運営を、まんべんなくこなすことでしょうか?あるいは、「変な負け惜しみを言わな
い」とか、「自分の理解できないことを闇雲に否定しない」ことでしょうか?多分、両方だと思います。そん
なことできて当たり前じゃないか、と研究者でない方は思われるかも知れませんが、そうではありません。
私は下田先生に会うまでは、他人の研究内容は軽々しく褒めてはいけないし、自分たちの研究の方向
性をごちゃごちゃ議論してはいけないと教えられたように思います。これは少し極端な例ですが、程度の
差こそあれ、潜在的にこのような意識が植え付けられている人は少なくないと思います。
ゆがみのできない理由
下田先生にゆがみが感じられない理由は2つ考えられます。一つは天賦の才能と日々の研鑽によって、
研究活動の全てが人並み以上にこなせることです。相撲でよくいう、「地力がある」というやつです。もう
一つは学科内でかかるプレッシャーが少ないことです。さらに、プレッシャーが少ないということに二つの
意味があります。一つは、異論もあるかも知れませんが、外部からの期待、もっというと「大阪市立大学
生物学科の教授だからこれくらいの業績があって当たり前だ。」、という基準がそれ程高くないこと。もう
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一つは、教員の研究分野が多岐にわたっているため、お互いに批判しにくいことです。うれしいことに、
当学科には「よく理解できないことは適当にけなしておけ」ではなく、逆に「よく理解できないけど、きっと
ありがたいんだ」といった見方をする、おめでたい風潮があります。このことはつい最近まで、当学科の
特徴であると信じていました。しかし、先日の発令式で、生活科学部出身の大学理事長も、「市大には自
由があるので研究者には居心地がいい」といっておられました。「ゆがみのない研究者」は実は大阪市
立大学教員全般のセールスポイントなのかも知れません。
土曜の朝晩は絞める
一般に、ゆがみのない研究者は肩の力が抜けているので熱くならないと思いがちですが、下田先生の
場合は違います。18年前にここに来たときに驚いたのは、土曜日は気分が弛みがちだからということで、
毎週朝10時に全員が集まって研究室の掃除をして、夕方7時からは分裂酵母の研究会をすることを義
務づけておられたことです。今から思うとカルトか軍隊か嫌がらせみたいな感じです。私もいつかは自分
の研究室をそのようにしてみたいと夢想しているのですが、これまでも、そしてこれからも不可能でしょう。
去年の大学1年生対象の新入生歓迎会の挨拶で、「いまどきの日本人はみな癒されることばかり考えて
いるが、そんなことより先に一生懸命に勉強、研究をすることを考えなさい。」と下田先生が言われました。
私も同感なのですが、気が弱いのでそのようなことはとても口に出して言えません。逆に下田先生はふ
つうに人に言えるほど強い決意で臨んでこられたのだと思います。
目標
私がこの研究室に来たときは、もちろん面接の時に下田先生にお会いしましたが、前任教授で故人の、
福村教授になぜか気に入られて採用されました。ですから最初は、「下田先生が、変な人(悪い意味で
の)でなかったらいいな」くらいにしか思っていませんでした。しかし、しばらくこの研究室で過ごすうちに
下田先生は私の研究における目標となりました。わかりやすくいうと、研究内容で下田先生に同意しても
らったり、褒めてもらったり、驚いてもらったりすることが自分の研究活動の全ての基準になったのです。
分裂酵母研究にデビュー?
私がここに来て研究を始めて9年間は、「分子生物学会こそ命!」と思って頑張りました。今から考えると、
それは自分の本来の志向とは違っていた様にも思いますし、逆につらい立場で生きていったことが後の
ためになった様にも思います。分子生物学会に行かなくなって久しいので現在の動向はわかりませんし、
私が穿った見方をしていたのかも知れません。しかし、当時(1990 年代前半)の学会の風潮は、「バクテ
リオファージから始まった分子生物学は大腸菌を経て、ついに真核生物の酵母にまで到達した。最終的
な目標はヒトであるが、近い将来は会員全員が、線虫、ハエ、あるいはカエルを研究しなくてはならな
い。」みたいな感じでした。学会会場での合い言葉は「君、まだ大腸菌やってるの?(かわいそうに)」でし
た。熱心に研究と発表を繰り返したためにそれなりには歓迎されましたが、大腸菌よりさらに下等な(?)
マイコプラズマを研究している、どこからわいて出たかもわからない私は、あまりお呼びでない存在でし
た。そして片想いの私は、生物種をまたいで次々に見つかってくる遺伝子と、生物種が変わっても共通
の遺伝子操作法、そして異なった生物の研究者間で交わされる熱い議論などを、ただただ、眩しい気持
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ちで眺めるしかありませんでした。同時に、自分ももっとかっこいい(?)テーマに移らないといけない、と
ずっと考えていました。移動先の候補に、「分裂酵母の細胞周期(分化)」があったことはいうまでもあり
ません。皆と同じように確立した研究分野でやれば自分はもっとましに出来るはずだという、根拠のない
期待もありました。しかし今から思うとそれは 安易な考え です。まだ未熟で(今でもそうですが)、ものが
まともに考えられなかったためにそんなことを思ったのだと今では反省しています。偉大な先人たちが打
ち立てたテーマで、すばらしい結果と論文を効率よく生み出すのもいいかも知れません。ただ、全ての人
がそれをやっていたのでは新しいものは生まれないでしょう。
広野に旗を立てる
下田先生の最終講義はすばらしいものでした。さすがに半年間もかけて準備されただけのことはありま
す。少しでもまともなものにするために、私はこれから18年間をかけて最終講義の準備をすることを決
意しました。下田先生の講義の中で、「昔は研究分野の開拓が容易で、何かはじめると広野に自分の旗
を立てる様な感じでしたが、最近はそれも難しくなりました。」という部分がありました。私自身はこれまで
に、「マイコプラズマの滑走運動」という新しい広野に自分の旗を立てて、さらに小さな基地を作ったもの
と自負しています。さらに、もし今の研究テーマに飽きが来ても、また未到の広野に旗を立てることが出
来るような気がしています。この数十年で多くの
生命現象が研究され美しいストーリーとして発展
しましたが、それと同時に研究の手法も驚くほど
進歩しました。数年前の生物学研究は匍匐前進
で進んでいく感じでしたが、現在はフェラーリに
乗ってただアクセルを踏み込んでいく感じです
(もちろん、フェラーリはゲームセンターでしか乗
ったことはありません)。生物学研究は以前より
今の方がずっと容易であるというのが私の持論
です。