流山市 思井上ノ内遺跡

文化財センター速報
平成 23 年 12 月
整理作業中
おも い か み の う ち
流山市 思井上ノ内遺跡
流 山 市 思 井 上 ノ 内 遺 跡 は 、つ く ば エ ク ス プ レ ス 流 山 セ ン ト ラ ル パ ー ク 駅 周 辺 の 開
発 事 業 に 伴 っ て 発 掘 調 査 を 行 っ た 遺 跡 で 、現 在 は 報 告 書 の 作 成 に 向 け て 整 理 作 業 を
進 め て い ま す 。発 掘 調 査 は 平 成 10 年 か ら 14 年 に か け て 6 次 に わ た っ て 行 い 、調 査
面 積 は 約 12,000 ㎡ に の ぼ り ま す 。
思 井 上 ノ 内 遺 跡 で は 縄 文 時 代 早 期 後 半 と 後 期 前 半 の 集 落 が み つ か り ま し た 。こ の
う ち 今 回 紹 介 す る 縄 文 時 代 後 期 前 半 の 集 落 は 今 か ら 4,000 年 ほ ど 前 に 営 ま れ た ム ラ
で 、 考 古 学 の 世 界 で 堀 之 内 1 式 ~ 2 式 と 呼 ん で い る 時 期 に あ た り ま す 。 集 落 は 15
軒 の 竪 穴 住 居 跡 が 直 径 約 80m の 環 状 に 並 ん で い ま す 。
写 真 は 竪 穴 住 居 跡 か ら 出 土 し た 縄 文 時 代 後 期 の 土 器 で す 。堀 之 内 1 式 は 縁 に 把 手
が あ り 、文 様 が 縦 方 向 に 描 か れ る の が 特 徴 で す 。堀 之 内 2 式 は 縁 が 平 ら で ラ ッ パ の
よ う に 開 く 形 、文 様 は 平 行 な 線 で パ ネ ル の よ う な 区 画 を 描 き 、平 行 線 の 間 を 縄 文 で
う め る の が 特 徴 で す 。 こ れ ら の 文 様 は て い ね い に 描 か れ 、 高 さ 20 ㎝ 程 度 の 小 さ な
土器が多いのも特徴のひとつです。
堀之内1式
木の葉のような文様がたてに 3 個
描かれています。
正面に2個並んでいる穴は補修孔
といい、縁にヒビが入ったけれど全
体は割れてしまわなかったときに、
ひもでしばって補修した時の穴です。
道具を大切に使うという、エコの精
神が感じられます。
土器の底がないため全体の高さは
わかりませんが、残っているだけで
30 ㎝ 近 く あ る の で 、 か な り 大 き な 土
器だったことはまちがいありません。
堀之内1式
2 本の平行な線が、縦方向にギザギザに描かれ
ています。こちらも残っているだけで、高さが
30 ㎝ 近 く あ り ま す 。
堀之内 2 式
形・文 様 と も 典 型 的 な 堀 之 内 2 式 土 器 の 特 徴 を
持 っ て い ま す が 、 高 さ が 35 ㎝ と 大 き く 、 た い へ
ん珍しいものです。
堀之内 2 式
大 き さ と 形・文 様 と も 堀 之 内 2 式 の 特 徴 を よ く
表 し て い ま す が 、文 様 の 描 き 方 が 雑 な 点 が こ の 土
器の特徴です。
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