E.C.O文科会(里山) 2003 年 8 月 1 日 現代の里山における問題と可能性 G03MJ006 久保田 邦仁 1. はじめに 高度経済成長以来、都市化が進み、日本におけるいわゆる「自然」と呼ばれている場所 は減少した。そして、1960 年代以降のニュータウンの建設、近年の都市の拡大によって、 それはますます加速していった。その結果として、地域社会において「自然破壊」の問題 が発生した。自然破壊には、動物種・数の減少、森林の減少、景観破壊などがある。しか し、それらは「自然」と呼ばれているものだけでなく、文化や人間同士の関係などの場面 においても影響を与えてきた。その一つとして里山における問題がある。里山は自然環境・ 人間の文化などの様々な要素で成り立っているのだが、今これが危機に瀕しているという。 そこで本稿では、「里山」と呼ばれている地域における問題点に焦点を当て、“何が問題 なのか”、“どうして問題なのか”について述べる。次に、里山が内在している可能性を踏 まえた上で、里山を持続させるためのその利用方法について検討をする。 2. 里山とは何なのか 里山とは何なのだろうか。日本全国に「里山」と呼ばれている地域は何十カ所もある。 しかしながら、そこにおける地域特性や環境は多種多様であり、一概に“このような地域 が里山である”と呼べるものではないと考えられる。 人のあまり住んでいない「奥山」に対して、人の住んでいる里に近い山(農用林)を示 す言葉として定義されたのが「里山」である。しかしながら、その定義では里山に対して リアリティを持つことはできない。その理由は、本来「里」と「山」とが対立した概念で あることや、「山」とついているにもかかわらず、山地だけがその対象地域ではなく、田園 や雑木林の景観なども含めて「里山」と表現することもある。そこで、この章では、 「里山」 とは何なのかということについて、生活という観点や生態学的観点からその特徴を捉えて みる。 2.1 一般的に里山とは 里山と奥山や市街地との違いは何なのだろうか。奥山は単に人里から遠いということや、 そこの自然環境への人間の関与がきわめて軽微であるということ以外にも、生活圏から遠 いため頻繁にそこに手を入れることがないという特徴がある。一方、市街地は非常に人間 の関与を受けてきた。気候や土質などから本来成立するべき植生や生態系からはほど遠い 状態にある。だから、植生(「緑」と呼ばれているもの)は、多くの場合、人間によって管 1 理されている。それに対して里山は、人間の手が加わってはいるが、それが環境に適応し、 自律した生態系が成り立っている地域といえよう。この場合の「自律した生態系」という 意味は、人間による「破壊(撹乱、環境の改変)」があることによって、その地域のある生 態系が成り立っているということである。例えば、雑木林に手を入れることで、地面に日 光が当たりアカマツ、クヌギなどの植物種が生えることができるが、もし日陰になってい たのならばそれらの種は育ちにくい。また、踏まれて硬くなった土地を好んで生える植物 種もある(オオバコなど)。そして、そのような草木の葉、花、実をあてにしている昆虫や 鳥獣もいる。また、このような状態を「二次的自然」と定義している論者も多く存在する。 2.1 生態学的観点から捉えると 生態系は時間と共に遷移する。そして、それぞれの環境にあった生物が存在する。中で も、撹乱された土地に適応した動植物にとっては、定期的にその環境が改変されることが 生息条件となる。その要因は、山崩れ、自然発火の火災、洪水などであるが、人間が手を 加える行為もこれに含められる。そのような要因によってできた森林(雑木林など)は「二 次林」と呼ばれている。そのような地域では、いったん伐採されてから生え直し、年月が たつと再び伐採される。太くて背丈の高い木は多くはないが、林床に光が入りやすいため 草が育ち昆虫や鳥獣も集まる。また、田畑においても同様で、農作物以外にも雑草が進入 してくる。そして、水田は湿地(自然界に湿地は少ない)であるが、そこでは、オタマジ ャクシやメダカなどの水生動物が生息する場にもなる。 2.2 生活という観点から捉えると ここで考えてみたいのは、「人が手を加える」とは一体どういうことであるか。我々の遠 くない祖先たちは、里山と呼ばれている地域において生活をしてきた。そこでは、農業や 林業を中心とした活動が盛んであった。クヌギ・アカマツなどの樹木は薪炭材になったり、 防風林になったりなどしてきた。つまり、 「手を加える」とは、そこ利用して「生活をする」 ことである。そして、その生活には地域によって伝統や手法が異なるため、そこに成立す る「里山」も多種多様なものになる。 2.3 里山はシステムである 里山を考えるとき、「田舎風景」ということから「ランドスケープ(景観、地域環境)」 として捉えることがある。しかし、これまで述べてきたように里山を見た目だけで捉えて しまうとその本質がわからなくなってしまう。生態系の上に成り立っていて、人間の生活 がそれに大きく関与していて、それらが時間スケールで変化している(季節変化など)と 考えると、里山を「システム」として捉えるのが妥当ではないかと考えられる。里山をシ ステムとして捉えることで、生態系だけでなく、生活だけでもなく、両方の要素が関わり 続け、ときには変容を遂げると認識することができる。 2 3. 里山で発生している問題 里山に注目が集まる中、“里山が危機に陥っている”としばし指摘されている。だが、具 体的にどのようなことが問題なのかというと、その論点はぼやけている。また、よく「里 山が荒れている」と表現されているが、その中身は理解されていないことが多い。そこで、 ここでは具体的にどんなことが里山において問題になっているのかを考えてみる。 3.1 開発と放棄 里山の問題として真っ先に考えられるのは開発である。雑木林などに覆われた山を開発 し、宅地、公園、道路、ゴルフ場、ダムなどの施設を建設することがある。これは、目に 見えやすい里山の破壊であり、景観そのものが消されてしまう。つまり、「人の手が入りす ぎる問題」である。特に都市部が近いと、アクセス面などから開発地域の対象となる。と くにニュータウン建設において、里山の開発は顕著であった。また、ダム建設は里山自体 を消滅させてしまう。 以上のような「人の手が入りすぎる問題」に対して、「人の手が入らなすぎる問題」とい うものがある。里山に人間の手が入らないと生態系は<次の状態>に遷移する。遷移する ことによってその地域の林床には草がなく、照葉樹の多い森林に変わり、動植物は暗い森 に適応したものが生息することになる。すると、雑木林や草地に生息していた昆虫や鳥獣 も姿を見せなくなり、当初の里山の生態系とは違ったものになる。そうすることにより、 (そ れが良い悪いということは別にして)生物種の多様性は低下する。また、成長期に光を必 要としないタケが進入し、竹林となってしまうこともある。そして、里山の「放棄」によ って変質していく里山の面積は、開発の比ではない(田中、2002、73)という。 3.2 外来種(移入種)の進入 外来種の進入は里山だけでなく、様々なところで議論されている。一般的には、鑑賞と して持ち込まれたセイタカアワダチソウや、牧草としてシロツメクサ、食用としてセイヨ ウタンポポなどがある。ここでは、里山で問題となっている外来種について述べる。 まず先程、紹介した竹林問題の原因であるモウソウチクについて紹介する。モウソウチ クは、江戸時代に中国からもたらされた種であり(日本古来のタケは、マダケや)、大きな タケのタケノコを採取できたり、建築材として使用できたりするが、その繁殖力は大きい。 そして、その繁殖力があまりにも大きいためタケのとして消費しきれなくなり、いつしか 雑木林は竹林ばかりになってしまう。 また、マツクイムシ(マツノザイセンチュウ)も里山では問題となっている。里山の景 観に欠かせないアカマツやクロマツを枯らしてしまう。マツクイムシは、1900 年ごろ長崎 にアメリカか輸入された松材に潜入して、現在では日本三景の一つである松島までに達し ているという。 3 昆虫では、外国産のカブトムシやクワガタが問題となっている。身体が大きく攻撃力も 強い外国産の種が、日本産のカブトムシなどを追いつめる可能性は少なくないという。ま た、近似種の場合は交配して、今までとは明らかに違う遺伝子配列の生物種を生み出した という例もある。 外来種が急速に繁殖しても、日本の環境では「その種を受け止める条件」が整っていな いため、その種を制御する力が働かない。アカマツやクロマツはマツクイムシに対する耐 性がないため、マツクイムシは爆発的に繁殖する。このようなことは、生態系の地位を乗 っ取るといっているといえる。すなわち、在来種との共存を図るのではなく、在来の生態 系を変えてしまうのだ。それは外来種の投入量が多いことや、交通機関の発達により種の 広がる時間が短縮されたことなどに起因している。 これらの種の駆除は難しい。例えば、モウソウチクで考えてみる。地上にあるモウソウ チクをいくら丸刈りにしても、また翌年生えてくる。モウソウチクを駆除するためには、 地下茎を掘り起こさなければならないが、それにはブルドーザーなどで地面を掘り起こさ なければならない。しかし、そうしたからといって在来種が戻ってくるとは限らないし、 新たな外来種が進入してくる可能性もある。他の外来種にも同様のことが起こる可能性が ある。おそらく、数千年単位の長い期間をかければそれらの種も生態系の中に取り込まれ て行くと考えられる。しかしながら、それまでの間に日本固有の生物種は姿を消して二度 と現れなくなるだろう。 3.3 里山のごみ問題 里山における驚異の一つとしての「人間」がある。開発や放棄、外来種の持ち込みをす る主体という意味ではなく、来訪した人間による害である。それはごみの投棄である。ジ ュースやビールの空き缶、お菓子の箱、たばこの吸い殻、スーパーのビニール袋などであ る。これらのごみは、捨てられ方やビニール袋の中身をチェックすると、たいていがハイ カー(ハイキングに来た人)によって捨てられたものだとわかる。推測するに、ハイキン グの際にコンビニで弁当を買い、それを頂上か峠か景色のよいところで食べ、いったんは 持ち帰ろうとするが、誰も見ていない森の中で捨ててしまうのだと考えられる。また、道 路の近くにむき出しに捨てられている空き缶は、ドライブの際に捨てていってしまうもの だと考えられる。 里山におけるごみ問題としては産業廃棄物の不法投棄が最もたちが悪い。従来、産業廃 棄物はマニフェスト制度によって管理(排出事業者が産業廃棄物の処理を委託する際に産 業廃棄物の名称・数量等を記入して、廃棄物の流れを自ら把握・管理するシステム)され ているのだが、業者としては安く済ませたいという意向が働く場合がある。もし、破格の 業者に委託するとその業者は安く済ませるために、不適正な処理を行う(どこかに捨てて くるだけ、つまり不法投棄をする)ことがある。里山は都会に近く、斜面はなだらか、道 もわりと密に延びている。その割に、日常的に人の目は光ってはいない。つまり、こっそ 4 りと産業廃棄物を捨てるにはもってこいの場所である。産業廃棄物の不法投棄により、毒 性物質が暴露したり、土壌に付着してしまったり、地下水汚染を引き起こしてしまったり などの問題が発生するといわれている。 3.4 文化の消滅の意味 里山文化の特徴的なことに棚田地域による農作がある。棚田は、綿密な計画と巧妙な技 術による石垣で作られ、水田が保たれている。ある郷土史には、棚田の近くに山城が築か れていたり、戦乱があったり、水争いや一揆などがあったことなどが記されている。 石垣には修復が欠かせない。水が漏れては水田にならないからである。以前はその修復 には石垣を組み直していたが、近年ではコンクリートで固められてしまう石垣も見かけら れる。確かにその方が簡単で壊れにくいが、石垣の間に生息していた生物種は、生息場所 を失うであろう。 また、里山に住む人々は、さまざまな伝承を伝えている(田中、2002、111)。農作業の 知恵や道具、薬草の知識、祭りなどの行事、草木の利用などである。かつては当たり前の ように知られていた事柄が、伝承されなくなり消えつつある。 2 章で里山は、生態系だけでなく、人間の暮らしも含めたシステムであると述べたが、様々 な要因により人間社会の変貌と解体が発生し、里山文化が消滅することは、里山システム 自体が存在できなくなるおそれがあることを示しているといえよう。 4. 里山の可能性と持続させるための方法 里山を保存しようとして全国で「里山トラスト」と呼ばれる運動が行われている。しか し、里山を昔のままに保存することは不可能である。それは、先にも述べたとおり、里山 は生態系の上に成り立っているからである。だから、人が手を入れられない保存はもって のほかである。人の手の入らない雑木林は暗い森に移行し、棚田も減少し、竹林へと変わ っていくだろう。そうすると、単なる「自然」になってしまい、里山システム自体が存在 できなくなる。 そのような運動のさなか、林野庁と文部科学省では、「森の“聞き書き甲子園”」と呼ば れた事業を開始した。「森の名人・名手」となる人を選出し、彼らからヒアリング調査を行 い、その文化を記録にとどめておこうという計画である。これを里山に応用して、「里山名 人」を探して記録をとり、後世に伝えるということも考えられる。しかしながら、これだ けでは里山システム自体は持続的にならない。人と里山とが関わり合わなければ消失して しまう。 そこで、この章では新しい里山の新しい可能性について述べた上で、里山システムを継 続させるためにこれからどのような利用手段があるのか検討する。 5 4.1 里山の可能性 しばし里山の新しい可能性として、地球温暖化防止への貢献、バイオマス、緑のダム、 食糧供給、オオタカやホタルの生息場所、癒し、教育の題材などが議論されている。この 中にはどう考えてもおかしなものも、有効かもしれないものも存在する。まず、それぞれ について簡単に紹介する。 4.1.1 地球温暖化防止への効果 結論からいうと、地球温暖化防止への貢献はほぼない。里山が木材を生産するから二酸 化炭素を固定できると考えがちではあるが、木材はやがて腐敗してしまう(樹木はある程 度の年齢になると光合成により使われる二酸化炭素より、呼吸として排出される二酸化炭 素の方が多くなる)。そこで生産された食料もやがて微生物に分解されて二酸化炭素と水に なる。また、水田地帯は逆に窒素成分が化学変化を起こしメタンガスを生成してしまう。 4.1.2 森林バイオマス 森林バイオマスは、再生な可能なエネルギーの上に、二酸化炭素のバランスがトータル としてゼロである(バイオマスになるときに二酸化炭素を吸収し、使用すると二酸化炭素 が排出する)。また、バイオマスとして森林を利用することで、森林は定期的に撹乱(伐採) されるため。そのため、森林バイオマスは注目されている。しかしながら、技術的・法的 にクリアしなければならない課題が多く、雑木林の伐採が非常に難しいためなかなか一筋 縄ではいかないと考えられる。 4.1.3 緑のダム 「緑のダム」とは“実際のダムを造ること”ではなく、“森林などが保水能力を持ってい るということ”である。ダムと比べるとそれによる治水効果は薄い。しかしながら、日本 の治水事業というものは 100 年に一度の大洪水を防ぐように行われている。このように、 何がなんでも洪水を押さえ込もうという発想自体が間違っていることがあるかもしれない と考えれば、緑のダムとしての効果を期待することもあながち悪くないかもしれない。 4.1.3 食材 外国から輸入された食品が食卓の多くを占める今日、“安全な日本で作られた食品を食べ たい”というニーズが高まっている。そのことに目をつけて、ファーストリテイリングな どの会社は独自に日本の農家と契約し、「安全な食品」の販売を行っている。同様に、この 里山で生産される農作物もそのような可能性を持っており、流通方法・販売方法さえ確立 できれば、安全な農作物というブランドで販売することもできる。 6 4.1.4 オオタカの生息場所 里山マップというものを作成していて、それにオオタカが棲んでいる場所を記載してい るものがある。また、オオタカを守ろうとする運動もしばし行われている。オオタカは猛 禽類であり、生態系の頂点に立つ動物の一つとされている。だから、オオタカは植生、昆 虫、動物が豊かでないと生きていけない。すなわち、オオタカの存在はそれらの生物種が 豊かであることの証といえる。そして、オオタカは自然保護運動のシンボルとされている。 しかし、オオタカの保存はきわめて画一的に行われている。そのような森では、木は切る ことはもちろん、観察することも、森に入ることさえ駄目であるといわれている。これは 鳥類の専門家が過去の経験に基づいて作った方針であろうから、間違っているとはいえな いが、これに忠実に従おうとすると、雑木林の中にはいることもできず、農作業にも支障 をきたす。 4.1.4 ホタルの生息場所 オオタカと同様のことがホタルにもいえる。ホタルの生息する川は清流のシンボルとな りがちであるが、実際ホタルは清流には生息しない。ホタルは「ちょっと汚れた水」を好 み、田園地帯を中心として生息していた。つまり、ホタルがいるということは、人間が生 活をしていて、その影響は過度ではなく、“自然分解の程度を越えていない”ということが できるかもしれない。 ホタルと魚は基本的に共存しないといわれている。その原因は、ホタルの幼虫は魚によ って大部分が食べられてしまうからである。だから、ホタルを増やすことばかりに意識を 向けて河川環境を改造すると、別の種に影響が出てしまう可能性がある。 4.1.4 教育の題材 近年、環境問題は深刻化・拡大化している。そのような中で、環境教育の必要性が求め られている。学校教育における環境教育は、「関心」「知識」「技能」「態度」「評価」を目標 としている。そして、里山にはそのようなことを身につけるための題材が数たくさんあり、 また、里山に親しみを覚えることで、何らかの「行動」のきっかけになるという可能性が ある。 4.1.5 “癒し”の場としての里山 現在、森林療法という医学の方法がある。森林療法とは、森林浴によって心身の健康を 取り戻したり、病気を予防したりする方法である。これを日本の里山で行おうというので ある。現代日本は、鬱、ノイローゼ、引きこもりなどの患者が多数いるが、それらの患者 を回復させるために、里山地域に医療施設をつくれば、福祉政策にもなり、新たな里山の 役割を与えることができるかもしれない。さらに、その経営により、里山の管理を行おう という発想がこれには含まれている。 7 4.2 まとめ 以上が、里山が内在している可能性や新たな利用方法としてのアイディアであった。し かしながら、里山システムとして持続するためと考えたときは、決定的ではないことが一 目でわかる。その理由は、生活に直結しているものがあまりないからである(農業利用は 生活に直結している)。里山システムは生活と生物との連関で考えなければならない。最も 畏怖することは、人々のインターレスト(interest;興味、関心、利益)が里山になくな ってしまうことである。里山から遠い都市に住んでいる住民ばかりでなく、里山地域の住 民までが該当する場合がある。例えば、農林業で生活をすることをあきらめ、別の収入源 になった場合は、里山地域への関心は自ずと薄れてしまうだろう。 今のところ世間では、「里山ブーム」と呼ばれているように表面的な関心にとどまってい ると考えられる。都市の住民が、観光気分で里山に訪れて景色を見るだけでは里山システ ムは持続しない。それではボランティアで雑木林を伐採したり、棚田を耕したりすること なのだろうか。それもあってもいいが、都市住民が地域住民と関わりつつ、新しい里山シ ステムへと移行する必要があるのではないだろうか。 5.おわりに 里山システムを新システムに移行させるためには、人々にインターレストを持たせるこ とが必要となろう。それは、地域住民が「そこそこ儲けられるビジネス」にすること(新 商品開発)や、新しい価値を創造すること(教育題材、医療に使える場所)など様々考え られる。そうすることで、従来の里山システムとは違った新しい里山システムになるかも しれない。従来の里山システムが違うシステムに移行するから、悪いことのように考えら れるかもしれない。しかし、新しい里山システムは、新しい人間関係・文化・郷土愛など を生み出す可能性があると考えると、それが悪いとは限らない。 里山は博物館に保存するようにして維持できるものではないと考えられる。我々が里山 の持続を願うのならば、システムとしての里山の持続を考える方法を考えなければならな いだろう。 【参考文献】 (社)日本新行技術協会 編、2000 年、『里山を考える 101 のヒント』、東京書籍 田中淳夫、2003 年、『里山再生』、洋泉社 竹内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史、2001 年、『里山の環境学』、東京大学出版会 上赤博文、2001 年、『ちょっと待ってケナフ!これでいいのビオトープ』、地人書館 8
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