幸運の女神は前髪を掴め− 永住権者としてシアトルに

住環境の良いシアトルで暮らす紗江子さん
住権が取得できることを知ったのだ。
て来ないかも知れない」。偶然にも目の
永住権者としてシアトルに移り住んで 10
EB-5(イービーファイブ)投資家永住権
前に舞い込んできた『女神の前髪』を、
年を迎える紗江子さん(仮名)は、この
プログラム」である。
紗江子さんは掴んでみようと決めたので
言葉を常に心がけている。幸運の女神
「そんな方法で本当にグリーンカードが
ある。紗江子さんにとって無借金運営と
には後ろ髪はない、迷っていては絶好の
取れるのだろうか」聞いたこともない永住
いうアメリカンライフの方針も魅力の一つ
チャンスも取り逃がしてしまうという意味だ。
権の取得方法だ、興味は沸いたものの
だったが、決め手となったのは、シアトル
これまで幾度となく直面してきた人生の
その時はまだ半信半疑だった。
のソド地区という立地だと言う。投資先
分岐点を、この言葉を胸に進んできた。
翌日、偶然にもアメリカンライフの代表、
のソド地区は全米有数の貿易港として
国際線パーサーとして長年大手航空会
ヘンリー・リーブマンと会うことになる。
知られるシアトル湾に面している。貿易
社に勤めていた紗江子さんは、いつかは
何気ない会話で親子留学のビザ取得を
港が側にあれば常に物が動き風が流れ
アメリカに住みたいという気持ちが次第
考えていると話すと、「それなら EB-5 で
ているはず。1996 年当時、ソド地区周
に強まっていったという。きっかけは、高
グリーンカード取った方が数段いい」とヘ
辺は今よりも遥かに工業地域の色が強く、
校時代にアメリカへの留学経験があった
ンリーは答えた。
スターバックスの本社ビルもセイフコマリ
ことだが、仕事を通じて世界を飛び回っ
そう、実はヘンリー・リーブマンこそが昨
ナーズ球場も、タリーズコーヒーの本社
ているうちに「国境」という概念が取り払
日たまたま手にした指南書を執筆した当
もなかった時代だ。投資物件はファース
われていく。日本人という枠に囚われな
の本人だったのだ。なんという偶然。
トアベニューサウス沿いにあり、リフォー
い「地球人」という意識。結婚後一児の
思いもよらず永住権取得のチャンスが到
ム後タイルショップがテナントとして入っ
母となった紗江子さんはやがて子供の
来した。もちろん当時の紗江子さんにと
た建物だった。決して派手な物件とは言
将来のためにも日本を離れ教育環境の
って 50 万ドルは決して安い投資額では
えない。だが程なくして、この物件の通り
優れたアメリカへの移住を決意する。
なかった。パーサー時代、同僚がブラン
を隔てた大きな敷地に、当時飛ぶ鳥を
ただ、いざアメリカに住むと言っても一体
ド品などにお金を費やす傍らで、将来の
落とす勢いで急成長を遂げていたシアト
どうしたら住めるのか。家族や企業からの
ためにとこつこつ貯めてきたお金だ。決
ル出身のコーヒーブランド、スターバック
スポンサーも望めず、永住権や就労ビ
して無駄にする訳にはいかない。だが、
スコーヒーの本社ビルが建つことになる。
ザの可能性は低い。となると、限られた
聞けばこの「EB-5」の投資は、ローリスク
スターバックス本社のソド地区への移転
選択肢の中考えられるのは親子留学と
だが利益追求型だと言う。もしかすると
は、当時のソド地区に大きな影響をもた
いう方法だった。さっそく留学地の下見の
銀行に寝かせておくよりも資産運用とし
らした。スターバックス本社ビルや同ビ
ためアメリカに渡る。訪れたのは住みや
て資金を活かせるチャンスかも知れない。
ルにテナントとして入居しているシアーズ
すいと評判のシアトルだ。子供の将来を
ただ、大切な資金を投資するからには、
デパートなどに、連日多くの人が集まるよ
考えると、住むなら全米でも特に教育水
リスクや将来性もしっかり見極めなけれ
うになったからだ。これにより周辺の地価
準の高いシアトルかカナダのバンクーバ
ば。投資には素人だった紗江子さんだが、
が当時の予想を大きく上回った事は言う
ーという考えがあってのことだ。そんな折、
これを機に不動産投資について学び、
までもない。紗江子さんは『幸運の女神
シアトルでたまたま立ち寄った書店で一
自分なりの答えを出した。まだ EB-5 の法
の前髪』を掴む事に成功したのだ。
冊の本を見つけた。アメリカへの移住方
律自体施行されて間もなく、多少の不
それから約 10 年、永住権の条件付解除
法について書かれた指南書だった。
安は拭えなかったが、「この縁を逃したら
を経て、紗江子さんは今もシアトルに暮
その時初めて紗江子さんは投資により永
永住権を取得するチャンスは二度と巡っ
らしている。
−幸運の女神は前髪を掴め−