『もの作りの発想と実現』 担当教員 板良敷 敏 教授 学籍番号 3062039 氏 村上 憲一 名 1 『もの作りの発想と実現』 学籍番号 3062039 村上憲一 建築家になる為スイスでの修行時代に、模型作りの体験から『物事を立体化(三次元化) して考える』ということを学び、 『もの』や『考え方』を立体的に見ると少し先の世界が見 えることに気が付いた。 建物を建てるという行為は、平面化(二次元化)された設計図を基に作られるが、建築 家の頭の中のイメージは三次元であり、そのまま三次元表現の出来る設計図を作ることが 理想であった。 14 世紀、イタリア・ルネッサンス期最初の建築家、フィリップ・ブルネレスキー (1377-1446)が発明したとされる遠近法(パースペクティブ)により描く完成予想図が 20 世紀後半まで唯一の三次元表現であった。 それらが 1985 年頃のパーソナルコンピューターの出現と、その後のパソコンの進歩に より、建物が完成する以前にそのデザインや色彩など、あらゆる角度から色々な検討を何 度でも出来るようになり、建築界は大きく変化した。 私はパーソナルコンピューターを設計の道具として利用し、コンピューターグラフィッ クを描き、模型では表現できなかった内部のデザインまで見ることが出来るようになった コンピューターの可能性を実感した。 パーソナルコンピューターをパソコンと呼び、コンピューターグラフィックスをCGと 呼ぶようになった 1988 年、建築のCG制作会社を設立し、それまでの設計事務所の知識 と技術をもとに新たな『もの作り』に挑戦することを考えた。 それは、『日本の立体地図(三次元都市データ)を作る』という創いである。 私達は、もともと立体空間の中で生活をしていて、周りにある全ての地物も立体的な情 報をもっている。 又、山間部では山や河川の起伏という立体情報があり、都市空間では地上だけでなく地 下深くまで立体的な空間利用を行っている。 現時点ではそれらを全て二次元の平面地図で表現している。しかし、大都市のビル街の ような複雑な情報は二次元では表現しきれない。 建築と同様に立体(三次元)は最も効果的な表現方法である。現代の複雑な立体的空間 情報をあるがままに表現し伝える為には、平面の地図ではなく立体的な形式で伝えること 2 が素直で望ましい方法と考えた。 三次元地図を作るという考えに大きく影響しているのは、小学校低学年のとき先生から 聞いた伊能忠敬という人のことである。1800 年の江戸時代に天文学の知識を使って徒歩で 正確な日本地図を作り上げた、というスケールの大きい話に感銘を受けた。 そして小さな子供だった私に壮大な夢を与えてくれた。 伊能忠敬は 55 歳から 71 歳まで 17 年間の歳月を費やして日本全国の測量を完成させた。 そして日本全図(伊能図)が完成したのは忠敬の没後 3 年のことであった。 それから約 200 年が経ち、彼のパイオニアとしての勇気と信念の強さ、そして地道な継 続による夢の実現に学び、1990 年、43 歳になった私も日本全国の立体地図作りに挑戦す ることにしたのである。 『三次元都市データ(立体地図) 』を作るという提案は、最初若い 4 人のCGスタッフ 達から理解を得ることは出来なかった。なかには辞表を出してくるスタッフもいた。当時、 ひとつの建物のCGを作るのには数枚の設計図からあらゆるデータを入力し、大変な手間 と時間をかけて制作していた。それを考えると広大な範囲の地図を立体化するということ は気の遠くなるような話であり、三次元の立体地図の必要性すら存在していなかったので ある。何のデータも無い都市の三次元データ化は、イメージすら出来なかったのが現実で あった。 そこでまず、私自身が机上での制作理論を考えるのに半年間を費やした。そしてスタッ フ達を説得した。 1. これは世界でまだ誰もやっていない研究である。 2. 三次元都市データが必要とされるのは 21 世紀に入ってからである。それまで 10 年の期間がある。 3. 資金は全く無いので、私の設計事務所の利益を総て研究開発費にあてる。 4. CG会社を存続させる為、都市データの開発は土曜、日曜の休日を利用し、総勢 4 人のスタッフ全員で行う。 数週間後、以上のような内容を理解してくれたスタッフ達と休日を使って本格的な研究 開発をはじめた。 はじめに入力データの入手について問題があった。当時は航空写真や衛星写真がなかっ たため、1/2500 の平面地図が唯一入手できる素材であった。 そこで、立体化するための三次元データ(建物の高さなど)の収集をいかにするかとい う課題があった。さらに、自ら実測するしか手がないことが分かり、実測手法について研 3 究した。この検討にあたっては、設計の知識が大変役立った。 次に、その二次元(平面地図)データ、実測した三次元(高さ)データをどのようにコ ンピューターに立ち上げていくかという課題があった。しかも、当時のコンピューターは 今よりずっとデータの処理能力が低い為、作業がなかなか順調に進まず大変苦労した。 こうして暗中模索がしばらく続いたが、研究開発から約 2 年経過後、札幌市がコンピュー ター上に立体地図として映し出された。自ら考えた方法によって札幌市の三次元都市デー タが完成したのである。 札幌 三次元都市データ この試作によって、イメージでしかなかった立体地図が視覚化され、その制作方法が 4 人の若いCGスタッフ達によって実証された。 そしてこれらの制作を経て得られた知識と制作方法をマニュアルとしてまとめ、研究開 発の最終結果とした。このマニュアルの内容の中から特許を 3 件取得している。 私達の三次元都市データ制作は、どこからも資金提供を受けず、又、金融機関からの借 り入れもせず、全て自分達の持っている能力だけで研究開発したので、低コストで作れる ことが大前提であった。さらに、制作課程を詳細にマニュアル化したことで、CG制作の 能力を持たない素人(学生や主婦)でも数週間の教育とマニュアルをもとに制作すること が可能となった。 その後、私達は若いフリーターと学生達を使って、大都市である東京都、ヨーロッパの 中でも複雑な都市構造をもっているイタリアのベニスなどを制作し、全世界のどの都市に おいても制作可能であることも実証している。 東京都中央区 三次元都市データ ベニス 4 三次元都市データ 今では三次元都市データの建物や地下街にも入っていくことが出来る。又、地図の中に 四次元の時間軸を取り入れ、昼や夜の街、夏や雪の降る街を自由に歩き回ることが出来る。 技術と発想は、世界でも類をみないものを持っているが、21 世紀になっても立体地図の 本格的な実用化には至っていない。 小樽 三次元都市データ しかし私は、若い時に身につけた立体的に思考するという経験から、一般の人々も立体 地図をもとに物事を考えると別の世界が見えてくることを、多くの人たちに伝えたいと思 っている。 私の思想、そして 16 年間に渡って蓄積された知識と技術は、次世代のスタッフへと確 実に継承されている。 私はこれから世界の都市の立体化を目指しグローバルな情報発信を展開しようと考えて いる。そして夢の実現に向かってさらなる一歩を踏み出していきたい。 記 5 2006 年 関西国際大学にて
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