Philharmony December 2012 ©S.Takehara t i o t u D s e l r a h C 今月のマエストロ シャルル・デュトワ 繊細な音響設計と 卓抜なリズム感覚を 強固な統率の中に反映 文 相場ひろ 今月のマエストロ シャルル・デュトワ NHK交響楽団は長くドイツ・オ ことは当然ながら、独墺系あるいは ーストリア系の指揮者を迎えてキャ ロシア系のスタンダードな曲目につ リアを築いてきた。ウィルヘルム・ いても、よく整えられたサウンドで シュヒター、ウォルフガング・サヴ 肌理の細かい演奏をするようになっ ァリッシュ、さらにはオットマー た。この実りの豊かさが高く評価さ ル・スウィトナーやホルスト・シュタ れ、デュトワは 1998 年より新設の インなど、歴代の常任指揮者や名誉 音楽監督のポストに就任して 5 年間 どくおう き め 指揮者には独墺系の正統を伝える指 重責を担い、退任後も名誉音楽監督 揮者が名を連ねているし、レパート としてN響と密接な関係を続けてい リーの上でも、ベートーヴェン、ブ る。 ラームスといった重厚なドイツ音楽 そしてこの 12 月、そのデュトワ に定評があったように思う。それゆ が十八番ともいうべき曲目を携えて、 え、1996 年のシャルル・デュトワの N響の指揮台に戻ってくる。 常任指揮者就任は、当時の音楽界を 大いに賑わした。以前にも来日公演 の経験があり、日本の聴衆に馴染み 優れたリズム感と音感で生む 濁りのないサウンド のある名前だったとはいえ、当時 今回の公演ではAプロに、日本で のデュトワは、音楽監督を務めてい はなかなか上演機会の乏しい歌劇 2 たモントリオール交響楽団との一連 作品が演奏会形式で登場する。デュ のレコーディングで、フランス系 トワはラヴェルの管弦楽作品を得意 の近代音楽によって人気を集め、フ とし、そのほとんどを録音してい ランス音楽のスペシャリストという る。彼はリズム感覚や音感にひとき 目で見られていたからだ。加えて彼 わ優れたセンスを持つ音楽家で、特 は、音楽メディアにおいても注目度 に音高に関しては、単に鋭い感覚を の高いスター指揮者であったことか 持つだけでなく、その場その場で最 ら、N響としてはたいへんな勇気を 適な音程とバランスを的確に把握し しようへい 持って彼を招聘したことと思う。 て、個々の奏者に課すことができる。 にご そして、この英断は幸運な結果を 彼のトレードマークともいうべき濁 もたらした。オーケストラは彼の薫 りのない、美しいサウンドはそこか 陶を受け、レパートリーを積極的に ら生まれてくるのだが、精妙な管弦 拡大して、定期公演のプログラムが 楽書法と大胆な和声法とを兼ね備え 一挙に多彩なものとなった。合奏 たラヴェルの楽譜の再現にあたって、 くん とう 面ではアンサンブルの精度が向上 こま 彼ほど適任な音楽家はそういるまい。 し、かつ色彩についてもより濃やか 《こどもと魔法》は、童話的な世界 な表現が可能となった。フランス系 の中で、ラヴェルの作品としても最 のレパートリーへの適応が培われた も繊細な色彩を繰り広げる作品であ つちか せんさい 待される。 ストラヴィンスキーもまたデュト ワがよく取り上げる作曲家である。 《歌劇「夜鳴きうぐいす」 》は、スト ラヴィンスキーとしては青年期のロ マンチックな作風と、個性を確立し せんえい ギのモダンな書法の真骨頂が発揮さ れたこれら 3 作品を一挙に聴かせよ うというサービス満点のプログラム は、それだけでも興味を惹くが、今 回はさらに、ベルリオーズの《ロー マの謝肉祭》序曲と、ルイ・ロルテ す ィを独奏に据えてリストの《ピアノ た後年の尖鋭な作風とがとり混ぜて 協奏曲第 2 番》もプログラムに盛り あらわれる作品だが、アンデルセン 込まれている。特に後者は、きらび の童話でも有名なストーリーの持つ やかで演奏効果の高い同じリストの 詩情豊かな雰囲気が、デュトワの指 《ピアノ協奏曲第 1 番》の陰に隠れ 揮の下どのように再現されるのか、 て演奏機会に恵まれないものの、ロ 興味深いところである。 マン派らしい気分の変転を巧みにす ストラヴィンスキーではもう 1 曲、 くい取った名品である。リストに定 Bプロに《春の祭典》が入れられて 評のあるソリストとの共演だけに見 いる。これは 1987 年にデュトワが 逃せない。 初めてNHK交響楽団と共演した際 この他Bプロでは、武満徹の《ノ に取り上げた曲目であり、その大成 ヴェンバー・ステップス》と、ワデ 功を記憶にとどめておられる方もい ィム・レーピンの独奏するシベリウ ることだろう。かつてとびきりの難 スの《ヴァイオリン協奏曲》が予定 曲として知られた《春の祭典》の、 されている。デュトワはN響とのレ あふれる色彩と錯綜するリズムの再 コーディングに際しても武満作品を 現には、繊細な音響設計や卓抜なリ 取り上げており、その音楽に対して ズム感覚を強固な統率の中に反映さ ひとかたならぬ関心を寄せているよ せることのできる彼の美点が、存分 うだ。N響定期公演で《ノヴェン に発揮されるに違いない。 バー・ステップス》を彼が振るのは、 サービス満点のプログラム、気鋭 のソリストとの共演に期待 鮮やかな色彩や沸き立つリズムが もたらす興奮ということならば、C プロのメインであるレスピーギの 「ローマ三部作」も負けてはいない。 いくつもの異なるリズムや調性を重 層的に重ね合わせ、かつ全体として 明澄なサウンドを実現するレスピー 2000 年 6 月に次いで 2 度目。尺八 と琵琶の独奏と競演するこの作品は、 海外の指揮者にはとりわけ縁遠いは ずで、それを再び手がけようという あたり、デュトワの武満の音楽に対 する傾倒ぶりがうかがえて興味深い。 一見意外な組み合わせながら、N 響の定期公演も含めデュトワはしば しばシベリウスを演奏会で取り上げ ている。実は筆者は 20 年ほど前に、 Philharmony December 2012 り、デュトワの冴えた棒さばきが期 今月のマエストロ ロンドン・フィルハーモニー管弦楽 まれたシベリウスの楽譜を前に、デ 団の演奏会で、やはりレーピンと共 ュトワとレーピンがどのような対話 演したヴァイオリン協奏曲を聴いた を繰り広げていくのか、興味は尽き ことがあるので、彼ら 2 人として ない。 は共演に自信のある曲目なのだろう。 せい ち シャルル・デュトワ 独特の精緻な書法で密度高く書き込 (あいば・ひろ 音楽ライター) プロフィール スイスのローザンヌ生まれ。生地 1991 年から 2001 年まではフランス およびジュネーヴの音楽院でヴァイ 国立管弦楽団の音楽監督を、2008 オリン、ピアノなどとともに指揮 年から今夏まではフィラデルフィア 法を学んだ後、シエナ、タングル 管弦楽団の首席指揮者を務めた。現 けん さん ウッドなどで研 鑽 を積み、1959 年 在は後者の桂冠指揮者およびロイヤ よりスイス・ロマンド管弦楽団やロ ル・フィルハーモニー管弦楽団の芸 ーザンヌ室内管弦楽団の舞台に立つ 術監督兼首席指揮者の座にある。 ようになる。チューリヒ放送管弦楽 日本との関わりも深く、1996 年 団指揮者、ベルン交響楽団首席指揮 にはフランス系の指揮者として初め 者を経て、1970 年代にはスイス国 てNHK交響楽団の常任指揮者とな 外へと大きく活動の場を広げ、メキ り、その後も音楽監督として 2003 シコ国立交響楽団やエーテボリ交響 年まで同楽団を率いた後、同年 9 月 楽団を率いた。1977 年にはモント に名誉音楽監督に就任した。加えて リオール交響楽団の音楽監督とな 2000 年から 3 年間は札幌のパシフ り、2002 年に辞任するまでの 25 年 ィック・ミュージック・フェスティバ 間、厳格なトレーニングによってオ ル芸術監督としても活躍した。NH ーケストラの技術的・音楽的レベル K交響楽団とはその後も共演を重ね を飛躍的に向上させ、国際的な名声 て お り、 最 近 で は 2011 年 12 月 の を獲得するようになった。 定期公演に出演している。 デュトワは世界各地の管弦楽団 や歌劇場とも数多く共演しており、 (相場ひろ) 第 1742 回 NHKホール 12/1[土]開演 6:00pm 12/2[日]開演 3:00pm 1742nd Subscription Concert / NHK Hall 1st (Sat.) Dec, 6:00pm 2nd (Sun.) Dec, 3:00pm シャルル・デュトワ [指揮] [conductor] Charles Dutoit [副指揮] [assistant conductor] [合唱] [chorus] 岩村 力 Chikara Iwamura 二期会合唱団 Nikikai Chorus Group (合唱指揮/冨平恭平、鈴木彰久) (Kyohei Tomihira, Akihisa Suzuki, NHK 東京児童合唱団 ( 「こどもと魔法」のみ) (合唱指揮/大谷研二) [コンサートマスター] 篠崎史紀 chorus master) NHK Tokyo Children Chorus (L’enfant et les sortilèges) (Kenji Otani, chorus master) [concertmaster] Fuminori Shinozaki ストラヴィンスキー Igor Stravinsky (1882-1971) 歌劇「夜鳴きうぐいす」 Le rossignol, opera (concert style) (演奏会形式・字幕つき) (47 ) [夜鳴きうぐいす] [Le rossignol] [料理人] [La cuisinière] [漁師] [Le pêcheur] [中国皇帝] [L’empererur de Chine] [侍従] [Le chambellan] [僧侶] [Le bonze] [死に神] [La mort] [日本からの使者] [Envoyé japonais] アンナ・クリスティ ディアナ ・アクセンティ エドガラス・モントヴィダス デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン 青山 貴 ジョナサン ・ レマル エロディ・メシェン 村上公太、畠山 茂 Anna Christy Diana Axentii Edgaras Montvidas David Wilson-Johnson Takashi Aoyama Jonathan Lemalu Elodie Méchain Kota Murakami, Shigeru Hatakeyama Philharmony December 2012 A Program Program Japanese Supertitle Sahoko Tanabe/ Earphone Guide Co,. Ltd. 字幕 田辺佐保子 字幕操作 イヤホンガイド/G・マーク A 休憩 Intermission ラヴェル Maurice Ravel (1875-1937) 歌劇「こどもと魔法」 L’enfant et les sortilèges, opera (演奏会形式・字幕つき) (44 ) (concert style) [子供] [L’enfant] [ママ・カップ・トンボ] [Maman, La tasse chinoise, La libellule] [安楽椅子・雌猫・リス・羊飼いの男] [Le bergère, La chatte, L’ecureuil, Un pâtre] [火 ・うぐいす] [Le feu, Le rossignol] エレーヌ・エブラール エロディ・メシェン ディアナ ・アクセンティ アンナ・クリスティ Hélène Hébrard Elodie Méchain Diana Axentii Anna Christy [お姫様・コウモリ・フクロウ・羊飼いの娘] [La princesse, La chauve-souris, La chouette, Une pastourelle] 天羽明惠 Akie Amou [ソファー・木] [Le fauteuil, Un arbre] [大時計・雄猫] [L’horloge comtoise, Le chat] [ティーポット・小さな老人・雨蛙] [La théière, Le petit vieillard, La rainette] ジョナサン ・ レマル デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン エドガラス・モントヴィダス 字幕 和田ひでき 字幕操作 イヤホンガイド/G・マーク Jonathan Lemalu David Wilson-Johnson Edgaras Montvidas Japanese Supertitle Hideki Wada/ Earphone Guide Co,. Ltd. Soloist アンナ・クリスティ Anna Christy ©Dario Acosta 米国のソプラノ。イリノイ州シカゴ生 オペラに R. シュトラウス《ナクソス島 まれ、カリフォルニア州パサデナ育ち。 のアリアドネ》のツェルビネッタで出演。 母親は日本人。シンシナティ大学音楽 ヨーロッパではイングリッシュ・ナショ 院で学ぶ。2000 年、ニューヨーク・シテ ィ・オペラでのモーツァルト《魔笛》の パパゲーナでデビュー。同役は 2004 年 10 月、メトロポリタン歌劇場のデビュ ーの際も歌っている。コロラトゥーラ・ ソプラノとして評価され、同歌劇場で も 2010 年 9 月、オッフェンバック《ホ フマン物語》のオリンピアを歌っている。 2011 年 11、12 月、 シ カ ゴ・リ リ ッ ク・ ナル・オペラに頻 繁 に出演している。装 飾歌唱の技術の高さからヘンデルのオペ ラのヒロインやドニゼッティ《ルチア》 のタイトルロールなどを得意としている。 日本では 2008 年夏に小澤征爾音楽塾 公演、J. シュトラウス《こうもり》でア デーレを歌っている。N響とは初共演。 (吉田光司) 料理人(夜鳴きうぐいす ) 安楽椅子・雌猫・リス・羊飼いの男(こどもと魔法) ディアナ・アクセンティ Diana Axentii モルドヴァのメゾ・ソプラノ。生年当 時のモルダヴィア・ソヴィエト社会主義 共和国のニスポレニに生まれる。2002 年 にフランスに移り、リヨン国立高等音楽 院で学ぶ。2004 年、エリーザベト王妃国 際音楽コンクール声楽部門で第 5 位入賞。 以来フランスを中心に活動している。 2006 年 9 月、ナンシーでツェムリン スキー《フィレンツェの悲劇》のビアン カ、2006 年、2007 年、ナンシーとボル ドーでモーツァルト《フィガロの結婚》 のケルビーノ、2009 年 8 月、グライン ドボーン音楽祭でのドヴォルザーク《ル サルカ》の料理人の少年を歌う。近年は パリ国立オペラ(バスティーユ歌劇場) にたびたび出演しており、2010 年 6 月 にはロッシーニ《湖上の美人》のアル ビーナ、同年 12 月には R. シュトラウス 《ナクソス島のアリアドネ》の木の精を 歌っている。2008 年 7 月、パリ国立オ ペラ来日公演でのデュカス《アリアーヌ と青ひげ》ではセリゼットを歌った。N 響とは初共演。 (吉田光司) Philharmony December 2012 夜鳴きうぐいす(夜鳴きうぐいす ) 火・うぐいす(こどもと魔法) Soloist Program 漁師(夜鳴きうぐいす ) ティーポット・小さな老人・雨蛙(こどもと魔法) A エドガラス・モントヴィダス Edgaras Montvidas ©Lina Taukacikiene リトアニアのテノール。1975 年、リ トアニア南西部のキーバルタイの生まれ。 2001 年、ヴィリニュスのリトアニア音 楽院を卒業。在学中の 1999 年にリトア ニア国立歌劇・バレエ劇場でのドニゼッ ティ《ルチア》のアルトゥーロでデビュ ー。2001 年から 2003 年までロンドンの コヴェント・ガーデン王立歌劇場の若手 芸術家養成コースに参加。2004 年から 2006 年まで、フランクフルト歌劇場に 所属。近年は英国、ドイツ、フランスで の活動が主で、ことにリヨン歌劇場に頻 繁に出演している。ヴェルディ《椿姫》 のアルフレードやドニゼッティ《愛の妙 薬》のネモリーノなど青年役を得意とし ている。 旧ソ連出身であることからロシア・オ ペラも歌い、チャイコフスキー《エフゲ ーニ・オネーギン》のレンスキーは当た り役の一つである。ストラヴィンスキー 《夜鳴きうぐいす》の漁師はエクサン・プ ロヴァンス、リヨン、アムステルダムで も歌っている。N響とは初共演。 (吉田光司) 中国皇帝(夜鳴きうぐいす ) 大時計・雄猫(こどもと魔法) デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン David Wilson-Johnson 英国のバリトン。1950 年、ノーサン ずれにおいても極めて高い水準の歌唱を プトン生まれ。ロンドンの王立音楽院 聴かせてくれる。 で声楽を学ぶ。初期は合唱団員として活 オペラの舞台からは 2006 年に引退し 動。1976 年、コヴェント・ガーデン王立 ているが、演奏会では今なおベテランの 歌劇場でのヘンツェ《われわれは川に来 巧さと存在感を大いに発揮している。ラ た》でオペラの舞台にデビュー。以来長 ヴェル《こどもと魔法》の大時計および 年に渡って第一線で活躍している。幅広 雄猫は、1997 年の録音でも歌っている。 いレパートリーをもち、バッハ、ヘンデ N響とは、2008 年 12 月にストラヴィン ルなどバロック声楽作品、ベルリオーズ スキーの《エディプス王》、2011 年 10 の声楽大作、ヴェルディやワーグナーの 月にブラームスの《ドイツ・レクイエム》 オペラ、シェーンベルクの十二音技法作 で共演している。 品、そして英国の近現代の音楽など、い (吉田光司) Soloist 青山 貴 Takashi Aoyama 東京藝術大学卒業、同大学院修士課程 役、《椿姫》ジェルモン役、《トスカ》ス 修了。二期会オペラスタジオ第 44 期マ カルピア役、《ナブッコ》タイトル・ロー スタークラス、および新国立劇場オペラ ルなど数多くの作品に出演。コンサート 研修所第 4 期修了。2004 年から文化庁 ではベートーヴェン《第 9》やヘンデル 派遣芸術家在外研修員としてイタリア・ 《メサイア》、モーツァルト《レクイエ ボローニャに留学。その後ミラノで研 ム》などのソリストを務めた。N響定期 鑽を積んだ。2007 年イタリア・トリノの には 2011 年 12 月シャルル・デュトワ指 第 6 回カルロス・ゴメス国際コンクール 揮の《一千人の交響曲》にソリストとし 第 1 位、 第 19 回( 平 成 20 年 度 ) 五 島 て出演。美しい声と確かなテクニックで、 記念文化賞オペラ新人賞を受賞した。 さらなる活躍が期待されている。 オペラでは新国立劇場、東京二期会等 の公演において《仮面舞踏会》レナート (柴辻純子) 僧侶(夜鳴きうぐいす ) ソファー・木(こどもと魔法) ジョナサン・レマル Jonathan Lemalu ©Sussie Ahlburg 1976 年、ニュージーランドのダニー 2005 年 3 月、モーツァルト《ドン・ジョ デンに生まれたバス・バリトン。両親は ヴァンニ》のマゼットでメトロポリタン サモアからの移民。ロンドンの王立音 歌劇場にデビュー、同役は翌年の来日公 楽大学で声楽を学ぶ。在学中の 2001 年、 演でも歌っている。 ロンドンのBBCプロムスにおけるヴォ 近年は、ガーシュウィン《ポーギーと ーン・ウィリアムズ《音楽へのセレナー ベス》のポーギーや、メルヴィル原作の ド》のソリストとしてデビュー。以来英 ヘギーの新作オペラ《白鯨》のクイーク 米を中心に世界中の歌劇場、演奏会で活 ェグが大きな評判となった。演奏会歌 躍している。柔軟な声と多彩な表現力を 手としても人気が高い。N響とは 2011 武器に様々な役をこなし、なかでもヘン 年 12 月、マーラーの《一千人の交響曲》 デル、モーツァルト、そしてブリテンの のソリストとして共演している。 バス、バリトン役で高い評価を得ている。 (吉田光司) Philharmony December 2012 侍従(夜鳴きうぐいす ) Soloist Program A 死に神(夜鳴きうぐいす ) ママ・カップ・トンボ(こどもと魔法) エロディ・メシェン Elodie Méchain フランスのアルト。1998 年 2 月、新 っている得意な役である。2004 年 3 月、 しい声国内コンクールで入賞し、これを ローザンヌでグルック《オルフェオとエ 受けて舞台デビュー。1999 年 3 月、コ ウリディーチェ》(ベルリオーズ編曲版) ンピエーニュ帝国劇場でのドビュッシ のオルフェオで出演。宗教曲の独唱も頻 ー《ペレアスとメリザンド》でジュヌヴ 繁に受け持っている。 ィエーヴを歌い、以来同役はマルセイユ、 ラヴェル《こどもと魔法》のママ、カ アムステルダム、ナンシー、ルーアンな ップ、トンボは、最初期にトゥールーズ どでも歌う当たり役である。またベルリ のキャピトル劇場およびモンペリエ歌劇 オーズ《ベアトリスとベネディクト》の 場で歌って以来の持ち役で、2012 年 8 ウルスラも、ローザンヌ、トゥールーズ、 月には英国のグラインドボーン音楽祭で ボルドー、パリ(シャトレ座、オペラ・ も歌っている。N響とは初共演。 (吉田光司) コミック座)、ルクセンブルクなどで歌 日本からの使者(夜鳴きうぐいす) 村上公太 Kota Murakami 東京音楽大学声楽演奏家コース卒 験を重ねてきた。また《メリー・ウィド 業。新国立劇場オペラ研修所第 6 期修了。 ー》カミーユ役をはじめオペレッタにも 2006 年から文化庁派遣芸術家在外研修 出演。2010 年にはシンガポール・リリッ 員としてイタリアに留学。ボローニャ・ ク・オペラに《ボエーム》ロドルフォ役、 アカデミア・フィラルモニカで研 鑽 を積 《魔笛》タミーノ役、2011 年に《サロメ》 んだ。 ナラボート役で出演するなど、海外にも 2007 年 新 国 立 劇 場 10 周 年 記 念 コ ン 活躍の場を広げている。今年 9 月の二期 サ ー ト に 出 演 し た ほ か、2008 年 東 京 会公演《パルシファル》では聖杯の騎士 シティ・フィル オーケストラル・オペラ 役を務めた。N響とは、今回が初共演と 《トリスタンとイゾルデ》若い水夫の なるフレッシュなテノールである。 声、2009 年東京二期会公演《カプリッ チョ》イタリア人テノール歌手役など経 (柴辻純子) Soloist 畠山 茂 Shigeru Hatakeyama 東京藝術大学卒業、同大学院修士課程 《騎士オルランド》カロンテ役など、オ 修了。二期会オペラスタジオ、マスター ペラにおいて欠かせないバス歌手として クラス修了。2005 年から文化庁派遣芸 活躍している。 術家在外研修員としてイタリア・ミラノ コンサートではベートーヴェン《第 で研鑽を積んだ。 9》やモーツァルト《レクイエム》など オペラでは《フィガロの結婚》 、 《ニ のソリストを務めるほか、2012 年 5 月 ュルンベルクのマイスタージンガー》 、 には東京フィルハーモニー交響楽団によ 《蝶々夫人》 、 《魔笛》、《ジャンニ・スキッ るショハットの歌劇《アルファとオメ キ》など数多くの作品に出演。2008 年 ガ》(演奏会形式・日本初演)に出演した。 ペーター・コンヴィチュニー演出の《エ N響とは今回が初共演となる。 フゲーニ・オネーギン》ザレツキー役、 同年北とぴあ国際音楽祭でハイドンの (柴辻純子) 子供(こどもと魔法) エレーヌ・エブラール Hélène Hébrard フランスのメゾ・ソプラノ。パリ生ま ルビーノを歌っている。 れ。19 歳でパリのフランシス・プーラン エブラールはリサイタルでは、バロッ ク音楽院に入学。カラヤン財団の助成に ク音楽、モーツァルトを得意とする一方、 より、2000 年 9 月からチューリヒ歌劇 オッフェンバック、メサジェのオペレッ 場の国際オペラ・スタジオに参加。2004 タのアリアや、アーン、プーランクなど 年 2 月、パリのシャンゼリゼ劇場でのラ のフランス近代歌曲も好んで取り上げて ヴェル《こどもと魔法》の子供で本格的 いる。またワイル、ガーシュウィンなど デビューを果たす。2004 年 6 月、ジュ の 20 世紀作品や、同時代のポップスも ネーヴ大劇場でのマスネ《マノン》でジ 歌っており、2009 年 12 月にはパリで「岸 ャヴォットを、2009 年 6、7 月、英国の から対岸へ」と名付けられた意欲的なプ ロングバラ・フェスティヴァル・オペラで ログラムの演奏会を行っている。N響と のモーツァルト《フィガロの結婚》でケ は今回が初共演である。 (吉田光司) Philharmony December 2012 日本からの使者(夜鳴きうぐいす) Soloist Program お姫様・コウモリ・フクロウ・羊飼いの娘(こどもと魔法) A 天羽明惠 Akie Amou ©Akira Muto 東京藝術大学卒業。オペラ研修所、二 国内でも新国立劇場などのオペラに定 期会オペラスタジオ修了。シュトゥット 期的に出演するほか、《ルル》(3 幕版日 ガルト音楽大学、ベルリンで研鑽を積ん 本初演)のタイトル・ロールや、リゲテ だ。1995 年ラインスベルク音楽祭で《ナ ィ《ル・グラン・マカーブル》、一柳慧《愛 クソス島のアリアドネ》ツェルビネッタ の白夜 》、清水脩《修禅寺物語》など現 役に出演。同年ソニア・ノルウェー女王 代作品での活躍が目覚ましい。N響とは、 記念第 3 回国際音楽コンクールに優勝。 1995 年にバッハ《ヨハネ受難曲》で初 その後、ドイツを拠点にジュネーヴ大劇 共演以来、定期公演にソリストとしてた 場、ザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オ びたび出演。2011 年 12 月シャルル・デ ーパー) 、ベルリン・コミッシェオーパー ュトワ指揮の《一千人の交響曲》でも澄 など欧州各地の歌劇場や音楽祭に出演し んだ美しい声を聴かせた。 ている。 (柴辻純子) Chorus 二期会合唱団 Nikikai Chorus Group 二期会合唱団は、日本で最初のプロフ 得ている。 ェッショナルのオペラ合唱団。1952 年 オペラ公演以外にも、オーケストラ公 に旗揚げされた声楽家団体「二期会」の 演や青少年のための音楽鑑賞教室等に多 第 2 回オペラ公演《マルタ》 (1953)に 数出演。N響定期への出演回数も数多く、 おいて結成され、それ以後、二期会オペ 近年ではウラディーミル・アシュケナー ラのすべての合唱を担当している。 ジ、シャルル・デュトワ、ネルロ・サン 合唱団のメンバーは、2600 名を超え ティの指揮で共演。2011 年 10 月のN響 る二期会会員・準会員から公演ごとに組 定期アンドレ・プレヴィン指揮の《ドイ 織され、高水準の歌唱力、オペラ出演で ツ・レイクエム》では柔らかく美しい合 鍛えられた演技力、合唱団としての高い 唱を披露した。デュトワとは 2008 年以 アンサンブル能力と豊かな声量によって、 来の共演となる。 (柴辻純子) 日本を代表する合唱団として高い信頼を 合唱(こどもと魔法) NHK東京児童合唱団 NHK Tokyo Children Chorus 1952 年 3 月、 「少年少女に豊かな心を」 「コダーイ・ゾルタン生誕 100 年記念国 という願いから、NHKの教育番組と子 際合唱コンクール」青少年部門第 1 位・ ども番組の充実を目的として創立された 総合部門グランプリなど国内外の多数の NHK東京児童合唱団(旧称・東京放送 コンクールに入賞。2009 年N響ととも 児童合唱団)は、NHKの放送出演はも に「天皇・皇后両陛下ご成婚 50 周年記念 とより、海外の合唱団との交流や国内の ご即位 20 周年記念コンサート」に出演 主要オーケストラと共演を重ね、1972 した。近年は、新国立劇場などのオペラ 年の創立 20 周年記念演奏会以来、毎年 の合唱への出演も数多い。シャルル・デ 定期演奏会を開催、邦人作曲家への合唱 ュトワ指揮のN響とは、2010 年、2011 作品の委嘱など、多くの作品を国内外に 年に続いての共演となる。 紹介している。 (柴辻純子) Philharmony December 2012 合唱(夜鳴きうぐいす、こどもと魔法) ©S.Takehara Program Igor Stravinsky 1882-1971 ストラヴィンスキー 歌劇「夜鳴きうぐいす」 (演奏会形式) A アンデルセンの童話による《歌劇 作では端役だが、歌劇では漁師の歌 「夜鳴きうぐいす」 》はストラヴィン が、間奏や全幕のエピローグとなり、 4 スキー初期の作品だが、別の鳥に遮 その歌詞は物語の展開を先取りする。 られて、飛び立つのはずいぶん遅れ やがて夜鳴きうぐいすが登場。月夜 た。歌劇の第 1 幕を仕上げたところ に美しいヴォカリーズを繰り広げる へ、ディアギレフ率いるロシア・バ が、そこへ騒々しく現れるのは中国 レエ団から《火の鳥》の注文が来た 皇帝の家来たち。皇帝の「ぜひ夜鳴 のだ。その後ストラヴィンスキーが きうぐいすの歌を聴きたい」との仰 《ペトルーシカ》、《春の祭典》を書 せで、夜鳴きうぐいすを探しに来た いて楽壇の寵児となったことは、周 のだ。僧侶( 「チンペー」という意 知の通り。1913 年、モスクワの自 味不明の台詞を連発する)や侍従た 由劇場に促されて、中断していた ちを森へ案内するのは、料理人の 《夜鳴きうぐいす》に立ち戻ったス 娘。宮中で夜鳴きうぐいすを知るの トラヴィンスキーだが、三大バレエ は彼女一人で、他の連中は雌牛やカ 作曲による作風の変化は大きく、第 エルの鳴き声との区別もつかない始 1 幕(師リムスキー・コルサコフと 末。一同の懇願に、夜鳴きうぐいす ドビュッシーの影響が色濃い)と同 は「森の中でお聴きくださるのが一 じ様式で続きを書くのは不可能だっ 番ですが、皇帝がお望みとあらば」 た。といって第 1 幕を書き改める気 と宮廷へ赴くことに。 にもなれず、「第 1 幕とそれ以降と 第 2 幕(宮廷) 中国皇帝の宮廷。 では舞台が違うから」と自らに言い 聞かせて筆を進めることに。そうこ 陶磁器でできた宮殿に、家来たちが 賑やかにひしめく。複雑なリズムと うするうちに自由劇場は倒産してし 《ペトルーシ 煌 び や か な 音 色 は、 まい、結局《夜鳴きうぐいす》はロ カ》第 1 場の謝肉祭の場面さなが シア・バレエ団により初演される運 ら。やがて皇帝がお供をひきつれて びとなった。 登場( 〈中国の行進曲〉)。歌い始め 第 1 幕(海岸) 夜、海に近い森。 る夜鳴きうぐいす、感激して涙する 幻想的な導入部(夜空をドビュッシ 皇帝……。そこへ 3 人の日本からの ーの〈雲〉がよぎるようだ) 。海上 使者が到着し、皇帝に機械仕掛けの の小舟から、夜鳴きうぐいすを待ち うぐいすを献上。前口上を述べなが 望む漁師の歌が聞こえる。漁師は原 ら使者の一人がゼンマイを巻く。機 ボエ) 。これは面白い、2 羽のうぐ いすの聴き比べを……と振り返ると、 本物の夜鳴きうぐいすがいない! 怒り心頭の皇帝は、無礼な鳥の国外 追放を命じ、機械仕掛けのうぐいす を自分の寝室に運ばせる。漁師の歌 が次の幕を予告する。 第 3 幕(寝室) 夜、月明かり、皇 帝の寝室。皇帝は病臥している。そ の枕頭には死に神が。不 にも死に 神は、皇帝の冠や刀や旗を我が物と している。まわりにうごめくのは、 皇帝の過去の悪行の影(合唱) 。皇 帝は音楽で不吉な影を追い散らそう とするが、肝心なときに機械仕掛け のうぐいすは動かず、宮廷の楽師も 皇帝の呼びかけに応えない。ただひ とり皇帝の危機に駆けつけたのは、 あの夜鳴きうぐいす。美しい歌で死 に神をひきつけ、「もっと歌ってほ 謝し、高位を与えて報いようとする が、鳥は「あのときの陛下の涙が何 よりの褒美でございます」と謝絶し、 夜ごと歌いにくると約束して去る。 かくして生気を取り戻した皇帝だが、 それを知らぬ廷臣たちは、早々と葬 列を組み、太鼓と銅鑼を打ち鳴らし て皇帝の寝室へ。そこへ、朝の光に 包まれて「皆のもの、おはよう」と 挨拶する皇帝。廷臣たちは仰天、平 伏する。最後にもう一度、漁師の歌 が聞こえてきて、幕。 様式上の不統一が気がかりだっ たのか、1917 年にストラヴィンス キーは、第 2、第 3 幕の音楽のみで 《交響詩「うぐいすの歌」》をまとめ た。なお、彼はバレエ音楽《妖精の くちづけ》 (1928 年)でアンデルセ ンの童話に立ち戻ることになる。 (近藤秀樹) しければ、冠を返しなさい。刀も、 旗も」と促す。さらに、わびしい歌 を聴かせて、死に神に棲家の墓場を 懐かしがらせ、ついには退散させて しまう。皇帝は夜鳴きうぐいすに感 作曲年代:1908 ∼ 1909 年、1913 ∼ 1914 年 台本:アンデルセン「夜鳴きうぐいす」(『ア ンデルセン童話集』第 2 巻所収)に基づき、 作曲者とミトゥソフが執筆 初演:1914 年 5 月 26 日、パリ・オペラ座、ピ エール・モントゥー指揮、ディアギレフ制作 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 3(Es クラリネット 1、バス・クラリネット 1)、 ファゴット 3(コントラファゴット 1)、ホル ン 4、トランペット 4、トロンボーン 3、テュ ーバ 1、ティンパニ 1、シンバル、アンティー ク・シンバル、トライアングル、小太鼓、大太 鼓、テューブラー・ベル、タンブリン、タムタ ム、ピアノ、チェレスタ、ギター、マンドリ ン、ハープ 2、弦楽 Philharmony December 2012 械機械仕掛けのうぐいすの歌(オー Program Maurice Ravel 1875-1937 ラヴェル 歌劇「こどもと魔法」 (演奏会形式) A 心温まる童話を書いたアンデルセ 続いて、算数の教科書から小さな老 ンは、実は孤独だった、と批評家の 人が登場、デタラメの九九で子供を 花田清輝は言う。 「耐えがたいほど 混乱させる。いつもとは反対に、子 孤独でもなければ、誰が真夜中にひ 供は家具や本に翻弄され、為すすべ そひそとささやきあう、木や花やコ がない。せめて飼っている雄猫(巨 ップの話に耳を傾けることができよ 大になっている)が話し相手をして う」 ( 『復興期の精神』 ) 。では、 《歌 くれるかと期待するが、雌猫と一緒 劇「こどもと魔法」 》で大時計やテ に啼いてばかり。その猫たちのあと ィーポットを歌わせたラヴェルは孤 を追って、子供は月明かりの庭へ。 独だったろうか? 歌劇の筋をたど 第 2 場 夜の庭の情景。昆虫、雨蛙、 ってみよう。 梟 、夜鳴きうぐいすたちがさざ 第 1 場 古い家の子供部屋。時は夕 めく。魔術師ラヴェルの真骨頂。だ 暮れ。宿題をさぼって母親に叱られ が、庭の動物、植物たちは、家具た る男の子。母親が去ると、腹いせに ち、絵本たちにも増して、子供を恨 家具やペットにあたり散らす。する んでいる。庭の木が「お前がナイフ と不思議、ソファーと安楽椅子が歌 でつけた傷が痛む」と呻き、トンボ いはじめ、踊りはじめる。魔法の始 が、コウモリが「恋人を返せ、仲間 まりだ(だが、それは魔法使いのせ を返せ」と迫る。リスは間抜けな蛙 いではなく、母親が去ったからなの に「捕まるぞ、逃げろ!」と警告し、 だ) 。生を得た無生物は、みな悪意 か敵意(無関心を含めて)を子供に 向ける。大時計は「おれの振り子を 外しやがって」と怒り、ティーポッ トはボクサーの真似をして「おまえ の鼻にパンチをくれてやる」と英語 混じりに歌う。日も落ちて寒気を感 自分を捕まえて籠に入れた子供を非 難する。そのリスを中心に、いつの まにか庭のすべての生きものたちが 寄り添い、輪になって、庭は友愛の 情に包まれる。ただ一人、子供を除 いて……。 孤独を感じ、思わず「ママ」と呟 じた子供が暖炉に近づくと、火が く子供。それを聞いて我にかえった 「悪い子には火傷させるぞ」と脅す。 庭の生きものたちは、争って子供に 引き裂かれた絵本の中で、羊飼いの 飛びかかる。自分こそが復讐を、と 少年少女たちが別離を悲しみ、おと 揉み合う動物たち。ついに動物たち ぎ話のお姫様が子供の不実をなじる。 は、肝心の子供を忘れてケンカを始 してしまう。それを見た子供は、傷 ついたリスの手当てをし、そこで力 尽きて気を失う(この瞬間から、魔 法は解け始める。子供は孤独から解 放されるのだ) 。 今度は動物たちが、怪我をして気 絶した子供を助けようとするが、手 当ての仕方がわからない。相談する 動物たち。 「さっき、この子は『マ マ』って言ったよ」 「この子を家に 連れていこうよ」 。相談はやがて合 唱となる。 「私たちも呼んでみよう、 『ママ』って」 「ママ、ママ!」 。 動物たちは、目をさました子供を、 優しく護って母親のところに届け、 「この子は良い子 暁 の月のもと、 です」と歌いながら去っていく。子 供の「ママ」の一言が、この歌劇を 締めくくる。 ラヴェルの母親への愛情の深さは よく知られているが、 《こどもと魔 法》に取りかかったとき、彼の母は すでに亡くなっていた(1917 年 1 月) 。 ラヴェルは生涯独身で通し、子供 をもたなかった。作家コレットによ る台本は、当初「我が娘のための喜 遊曲」と題されていたが、作曲者の 意向( 「自分には娘はいない」 )で変 更された。 台本自体にもラヴェルはかなり手 を入れたらしく、ティーポットと 中国のカップのラグタイムや、リス の歌うアリアは作曲者の発案である。 また、ラヴェルは猫の啼かせ方にも こだわり、この件でコレットに手紙 を書いている。どうやら家具や動物 に声を与えるべく腐心したのは、作 家よりも作曲者だったようだ。 ラヴェルがモンフォール・ラモリに 居を構えたのもこの頃で(1921 年) 、 その家がおもちゃ箱さながらだった ことは有名(機械仕掛けの夜鳴きう ぐいすもあったという) 。もはや母親 のもとに戻れないラヴェルは、この 家で《こどもと魔法》の筆を進めな がら、木や花やコップのひそひそ話 に耳を傾けていたのだろうか? (近藤秀樹) 作曲年代:1920 年(1919 年とする資料もある) ∼ 1925 年 初演:1925 年の 3 月 21 日、モンテカルロ歌劇 場、ヴィクトル・デ・サバタ指揮、ラウール・ギ ュンブール演出、バレエ場面の振付ジョージ・ バランシン、主役の子供役マリー・テレーズ・ ゴレ 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボ エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ ト 2、Es クラリネット 1、バス・クラリネット 1、 ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テュー バ 1、ティンパニ 1、小ティンパニ 1、トライ アングル、小太鼓、シンバル、大太鼓、タム タム、ムチ、ラチェット、グイロ、ウッドブ ロック、ウィンド・マシーン、アンティーク・ シンバル、スライド・ホイッスル、シロフォン、 チェレスタ、ハープ 1、リュテアル(ピアノで 代用)、弦楽 Philharmony December 2012 め、そのなかで 1 匹のリスが怪我を Program B Program B 第 1744 回 サントリーホール 12/12[水]開演 7:00pm 12/13[木]開演 7:00pm [指揮] 1744th Subscription Concert / Suntory Hall 12th (Wed.) Dec, 7:00pm 13th (Thu.) Dec, 7:00pm シャルル・デュトワ [conductor] Charles Dutoit [尺八] [shakuhachi] [琵琶] [biwa] [ヴァイオリン] [violin] [コンサートマスター] [concertmaster] 柿堺 香* 中村鶴城* ワディム・レーピン 堀 正文 Kaoru Kakizakai * Kakujo Nakamura* Vadim Repin Masafumi Hori 武満 徹 Toru Takemitsu (1930-1996) ノヴェンバー・ステップス(1967)* November Steps (1967) * (20 ) シベリウス Jean Sibelius (1865-1957) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品 47 Violin Concerto d minor op.47 (32 ) Ⅰ アレグロ・モデラート Ⅱ アダージョ・ディ・モルト Ⅲ アレグロ、マ・ノン・タント Ⅰ Allegro moderato Ⅱ Adagio di molto Ⅲ Allegro, ma non tanto 休憩 Intermission ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」 (35 ) Igor Stravinsky (1882-1971) Le sacre du printemps, ballet 第 1 部 大地礼賛 1. 序奏 2. 春のきざし― 乙女たちの踊り 3. 誘拐 4. 春の踊り 5. 敵の都の人々の戯れ 6. 賢人の行列 7. 大地へのくちづけ 8. 大地の踊り Ⅰ L’adoration de la terre 1. Introduction 2. Les augures printaniers – Danses des adolescentes 3. Jeu du rapt 4. Rondes printanières 5. Jeux des cités rivales 6. Cortège de sage 7. Adoration de la terre 8. Danse de la terre 第 2 部 いけにえ 1. 序奏 2. 乙女たちの神秘なつどい 3. いけにえの賛美 4. 祖先の呼び出し 5. 祖先の儀式 6. いけにえの踊り Ⅱ Le sacrifice 1. Introduction 2. Cercles mystérieux des adolescentes 3. Glorification de l’élue 4. Évocation des ancêtres 5. Action rituelle des ancêtres 6. Danse sacrale Soloist 柿堺 香 Kaoru Kakizakai 1987 年 32 期NHK邦楽技能者育成会 近年は、2007 年ベトナムで本名徹次指 卒業。横山勝也に師事。1997 年第 3 回 揮の《ノヴェンバー・ステップス》を演 長谷検校記念全国邦楽コンクール尺八の 奏、2010 年パリ・シャンゼリゼ劇場でマ 部第 1 位、優秀賞受賞。 リア・ジョアン・ピリシュのピアノ・コン 1989 年日本伝統文化交流協会による サートに出演するなど、海外でも広く活 イタリア・マダガスカル公演、1994 年第 動している。 1 回 国 際 尺 八 音 楽 祭、1999 年 第 1 回 オ N響とは、2000 年定期でシャルル・デ ーストラリア尺八フェスティヴァルをは ュトワ指揮、2002 年岩城宏之の指揮で じめ国内外の多くの尺八の音楽祭に出演。 琵琶の中村鶴城ともに《ノヴェンバー・ 2000 年小澤征爾バースデーチャリティ ステップス》で共演した。 ーコンサート、2001 年武満徹没後 5 年 (柴辻純子) 特別企画では《エクリプス》を演奏した。 琵琶 中村鶴城 Kakujo Nakamura 鶴田流琵琶奏者。筑 前 琵琶を初代藤 ク・ミュージック・フェスティバル、サイ 巻 旭 鴻、後に転向して薩 摩 琵琶を鶴田 トウ・キネン・フェスティバル松本、米国 錦史 に師事。第 28 回日本琵琶楽コンク タングルウッド音楽祭など国内外の音 ール第 1 位。 楽祭や長野冬季オリンピックなどに出 古典作品の研鑽に努めるとともに、詩 演。小澤征爾、シャルル・デュトワ、ク のための「詩曲」 、和歌のための「連詠」、 リストフ・エッシェンバッハらの指揮で 口語体と文語体を織り交ぜた「琵琶伝」 オーケストラと共演している。N響とは、 などの新形式に取り組むなど、琵琶楽の 2000 年、2002 年に尺八の柿堺香ととも 革新を試みている。 に《ノヴェンバー・ステップス》で共演 現代音楽においては、武満徹《ノヴ した。 ェンバー・ステップス》、 《エクリプス》 、 《秋》などのソリストとしてパシフィッ (柴辻純子) Philharmony December 2012 尺八 Soloist Program B ヴァイオリン ワディム・レーピン Vadim Repin 現代最高のヴァイオリニストの一人。 集』などが挙げられる。 1971 年、シベリアのノヴォシビルスク N響とは、1992 年以来数多くの共演 に生まれた。ザハール・ブロンに師事。 を 重 ね、 前 回 は 2009 年 6 月 の 準・メ ル 1989 年に 17 歳でエリーザベト王妃国際 クルとのラロの《スペイン交響曲》。今 音楽コンクールのヴァイオリン部門で優 回の指揮を執るシャルル・デュトワとも 勝。以後、世界の一流オーケストラや名 2001 年 12 月のオーチャード定期公演な 指揮者たちと共演。ディスクも数多く残 どで共演している。40 代に入り、まさ し、最近の録音としては、ニコライ・ル に全盛期といえるレーピンの名演に期待 ガンスキーとのフランク、グリーグ、ヤ したい。使用楽器は、1743 年製のグァ ナーチェクの『ソナタ集』、ラン・ラン、 ルネリ・デル・ジェズ「ボンジュール」。 ミッシャ・マイスキーとのチャイコフス キー、ラフマニノフの『ピアノ三重奏曲 (山田治生) 1930-1996 武満 徹 ノヴェンバー・ステップス(1967) 武満徹は《ノヴェンバー・ステッ プス》の構想にさいしてこう語って いる。 「琵琶と尺八がさししめす異質 の音の領土を、オーケストラに対置 することで際立たせるべきなので ある。 (中略)洋楽の音は水平に歩 行する。だが、尺八の音は垂直に樹 のように起る」 。その一方で次のよ うにも語っている。 「琵琶と尺八の 音が、オーケストラに水の輪のよう にひろがり、音が増えてゆく」 。初 期からオーケストラ作品を書くと ともに、 『切腹』 (1962 年) 、 『怪談』 (1964 年)などの映画音楽で琵琶、 尺八をはじめとする日本伝統音楽の 楽器を用いていた武満は、異なる文 化に育った楽器間の異質さを痛感し ていた。しかし、その異質さを出会 わせ、心通わせる場を設けたいとい う構想があったのだろう。 《ノヴェンバー・ステップス》のオ ーケストラのうち、木管楽器と金管 楽器は舞台中央に位置するが、弦楽 器、打楽器、ハープは、舞台の左側 と右側に分かれて位置するように指 示されている。この 2 群に分けられ たオーケストラについて武満は「幾 重もの花弁として、琵琶と尺八を包 んでいる」と語っている。 《ノヴェ ンバー・ステップス》のオーケスト ラは、一人の奏者が一声部を受け持 つよう記譜されており、武満の言う 「幾重もの花弁」とは、細かく分け られた声部を指しているだろう。そ こには、琵琶、尺八の音をオーケス トラの全奏者で受けとめる、という 構想があるだろう。 オーケストラと、琵琶、尺八が交 互に登場しながら曲は進行する。オ ーケストラと、琵琶、尺八が交代す るさいには、ハープは複数の音符を すばやく奏し、金属打楽器が瞬時に 重ねられ、弦楽器は奏者間で異なる パッセージを奏して騒音的な響きを 発する。琵琶の撥音や尺八のむら息 などの衝撃的な響きとわたりあえる 響きが、オーケストラから創出され ている。 ( 崎洋子) 作曲年代:1967 年 楽器編成:オーボエ 2、クラリネット 3、トラ 初 演:1967 年 11 月 9 日、 ニ ュ ー ヨ ー ク、 リ ンペット 2、トロンボーン 3 /テューブラー・ ンカーン・センター・フィルハーモニック・ホー ベル、ゴング、タムタム、チャイニーズ・シン ル(現エイヴリー・フィッシャー・ホール)、小 バル(以上の打楽器は左側に配置)/テュー 澤征爾指揮ニューヨーク・フィルハーモニック、 ブラー・ベル、ゴング、タムタム(以上の打楽 鶴田錦史の琵琶独奏、横山勝也の尺八独奏 器は右側に配置)/ハープ 2(左右に配置)/ 弦楽(左右2群)/尺八ソロ、琵琶ソロ Philharmony December 2012 Toru Takemitsu Program Jean Sibelius 1865-1957 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 B ジャン・シベリウスの《ヴァイオ リン協奏曲》は、彼が残した唯一の 協奏曲であり、20 世紀を代表する 名作として世界中の人びとに愛され ている。若いころ、ヴァイオリンの ヴィルトゥオーゾを目指したことも あるシベリウスは、同協奏曲の創作 に満を持して臨んだはずである。そ の作曲に集中した 1903 ∼ 1905 年は、 シベリウスが数々の交響詩や《第 2 番》までの交響曲を発表した後であ り、優れたシンフォニストとして揺 るぎない地位を確立した時期でもあ った。作曲者の円熟した表現手法や 巧みなヴァイオリン技法がこの協奏 曲に集約されているのは、こうした 理由によるだろう。 シベリウスがヴァイオリン協奏曲 について最初に言及したのは、1899 年 9 月である。その後 1902 年には 具体的な絵図を描きはじめ、翌 1903 年をとおして精力的に創作に励んで いる。しかしこの時期、シベリウス は誘惑の多いヘルシンキでの都会生 活に経済上の危機感を抱きはじめて いた。周知のように、シベリウスは 生涯、厳しい借金に追われる生活を つため、ヘルシンキから北に 30 キ ロほど離れたヤルヴェンパーに土地 を購入し、そこに新住居(妻アイノ の名前にちなんで「アイノラ」と命 名)を建築して家族と移り住む決心 をするのである。 こうした人生上の転機を目前にし て、1903 年秋にはヴァイオリンの名 手、ブルメスターに協奏曲の初演を 依頼、作品の創作は最終的な段階を 迎える。ところが、アイノラの建築 に伴う経済的理由のため初演の日程 を早めざるをえず、都合が合わない ブルメスターの代わりに、ヘルシン キ音楽院の若いヴァイオリン教師ノ ヴァチェクに独奏の大役が委ねられ てしまうのである。1904 年 2 月 8 日 に行われた《ヴァイオリン協奏曲》 の初稿の初演は、独奏者の力量不足 と超絶技巧を伴う複雑な楽曲構成の ため、無残な失敗に終わる。 シベリウスは激しく落胆するが、 同年 9 月にはヘルシンキを離れ、ト ゥースラ湖畔の雄大な原野に囲まれ た新住居アイノラへと向かうのであ った。アイノラ移転後のシベリウス は、ヤルヴェンパー近郊の豊かな自 送っているが、その理由のひとつは 然や大地の息吹から清新なインス るといわれている。そこで 1903 年 か、その作風に質的な変化が見られ 高価な酒や嗜好品を好んだからであ 末、彼はそうした生活に終止符を打 ピレーションを得たからであろう るようになる。1905 年夏に着手され 業ではそうした作風の変化が明確に 表れており、たとえばいくつかのパ ッセージを大胆に削除して楽曲を凝 縮し、シンフォニックな要素を強調 するなど、ユニークな構成と洗練さ れた書法が際立つ結果となった。 改訂稿の出来栄えにシベリウスは 心から満足し、1905 年 10 月 19 日、 リヒャルト・シュトラウス指揮ベル リン・フィルハーモニー管弦楽団に よる初演の運びとなる。しかし、日 程がまたしてもブルメスターの都合 と合わなかったため、同管弦楽団の コンサートマスター、ハリールが独 奏者に抜 されることになるのであ った。この一連の出来事で、ブルメ スターは同協奏曲の演奏を生涯にわ たり拒否したという。 なお、巨匠シュトラウスの尽力に もかかわらず、改訂稿もただちに 聴衆の理解が得られたわけではない。 レパートリーとして定着するには、 名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハ イフェッツやジネット・ヌヴー、ダ ヴィッド・オイストラフらによる作 品の録音や普及活動など、さらに長 い年月を要している点は心に留めて おきたい。 作曲年代:1903 ∼ 1905 年夏 初演[初稿]1904 年 2 月 8 日、シベリウス指 揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、ヴ ィクトル・ノヴァチェクの独奏。[改訂稿]1905 年 10 月 19 日、リヒャルト・シュトラウス指揮ベ ルリン・フィルハーモニー管弦楽団、カレル・ハリ ールの独奏 第 1 楽章 アレグロ・モデラート ニ 短調 2/2 拍子。ラプソディックな幻 想性と堅固な論理性の両要素を備え た、きわめて独自の構成を有してい る。楽曲冒頭で独奏ヴァイオリンが 奏する清冽な主題によって全体が統 一されているが、中間部に現れる長 大なカデンツァや壮絶な終結部では 独奏者の演奏技巧にスポットライト も当てられる。 第 2 楽章 アダージョ・ディ・モルト 変ロ長調 4/4 拍子。最初に木管楽器 が奏する楽想と、続いて独奏ヴァイ オリンに乗って登場する朗々とした 楽想の二つに基づいている。ゆるや かな三部形式を土台としたロマンス 風の緩徐楽章。 第 3 楽章 アレグロ、マ・ノン・タン ト ニ長調 3/4 拍子。力強い大地の息 吹を感じる原始的なリズムに乗って、 圧倒的な力量が要求される独奏ヴァ イオリンが自在に天空を飛翔するよ うな、ヴィルトゥオーゾ風のフィナ ーレ。ロンド形式に基づいているが、 楽曲は常に新しい局面を求めながら 終結部のクライマックスへと推進し ていく。 (神部 智) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ1、弦楽、 ヴァイオリン・ソロ Philharmony December 2012 た《ヴァイオリン協奏曲》の改訂作 Program Igor Stravinsky 1882-1971 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」 B ストラヴィンスキーは、バレエ 《火の鳥》を作曲中に幻影を見た。 飽和しかかった瞬間、静けさが訪れ、 私たちは緊張から解放される。 異教の春の秘儀のなか、いけにえの 続く〈春のきざし─乙女たちの 娘が踊って息絶える……。この幻影 踊 り 〉 では、同じ不協和音の規則 が《春の祭典》の発端だが、ここに 的な連打と、不規則なアクセントが は面白い符合がある。 《火の鳥》の 結びつく。さまざまな旋律とリズム 最後では魔王カシチェイが滅び、石 が切り貼りされ、ここでも音の網目 化していた人々が甦るが、同じロシ が複雑化してゆくが、背景となる拍 ア民話をストラヴィンスキーの師リ の刻みはほとんど変わらない。その ムスキー・コルサコフも《歌劇「不 刻みが突如崩壊し、音楽は〈誘拐〉 死身のカシチェイ」 》で扱っており、 の遊戯へとなだれ込む。前曲とは対 そこでは魔王の死は春をもたらすの 照的に頻繁に変化する拍子。 だ。 荒々しい遊戯が終わると、フルー ロシアの冬は長く厳しい。それゆ トのトリルを背景にクラリネットが えロシアの作曲家たちは春を むこ 素朴な旋律を吹き、 〈春の踊り〉を となく歌ってきた。 《春の祭典》の 導く。重いリズムを引きずる輪舞は、 テーマ自体は新しくない。異教の儀 やがて金管の咆哮や銅鑼の殷々たる 式も太陽神イアリロも、リムスキー 響きを呼び込み、最高潮に達する。 に先例がある(たとえば《歌劇「雪 再び先の木管の旋律を挿 んで、 娘」 》 ) 。では何が違うか? 春の秘 〈敵の都の人々の戯 れ〉が始まる。 儀の暴力性であろう。ストラヴィン ティンパニが刻む独特のリズム、勇 スキーは言う、 「ロシアの暴虐の春、 壮な金管の旋律。そこへ長老が供の それはたちまちにして起こり、あた 者に導かれて登場( 〈賢人の行列〉 ) 。 かも大地全体がバリバリと音を立て ここでは個々のパートは同じ音型を て砕けるようだ」 。では、この暴虐 反復するだけだが、反復の周期がそ の春を迎えるのに、ストラヴィンス れぞれ異なり、しかもパートの数が キーはどんな秘儀を用いたか? 徐々に増すため、やはり音の飽和が 第 1 部 大地礼賛 〈序奏〉は高音 生じる。 域のファゴット独奏に始まり、他の そして、またもや沈黙。賢人の 楽器が順次絡んで、複雑な網目がで 〈大地へのくちづけ〉 。次の瞬間、弾 きてゆく。網目が次第に詰んで音が かれたように〈大地の踊り〉が始ま 第 2 部 いけにえ 〈序奏〉が夜の 空気を漂わせ、 〈乙女たちの神秘な つどい〉が始まる。輪になって遊戯 を行う娘たち。 突如、ティンパニと弦の連打が 静謐を破る。いけにえとなる娘が遊 戯の中で選ばれたのだ。立ち尽くす 娘の周りで、 〈いけにえの賛美〉が 体を浄化する秘儀なのではないか。 乙女はついに倒れ、その体を人々は 高々と差し上げる、太陽神イアリロ に向かって。 スキャンダルを巻き起こした 1913 年の初演以来、百年が経過したが、 この春の秘儀はいまだに人々を魅惑 しつづけている、作曲家たち(メシ アン、ブーレーズ)を、舞踊家たち 行われ、物々しい〈祖先の呼び出 (モーリス・ベジャール、ピナ・バウ し〉のコラールにティンパニと大太 シュ、マーサ・グラハム)を。初演 鼓が合いの手を入れる。 そして、静かに〈祖先の儀式〉が 始まる。単調な拍子、呪文のような イングリッシュ・ホルンの旋律。や がて金管が加わり、儀式は熱を帯び るが、再び最初の単調さと静けさを 時のニジンスキーの振付も復元され た。 「暴虐の春」は甦り続ける。 「ス トラヴィンスキーは生きている」 (ブ ーレーズ) 。 (近藤秀樹) 取り戻す─嵐の前の静けさ。 一瞬の後、 〈いけにえの踊り〉が 炸裂する。複雑で不規則なリズムは、 乙女の体を捻じ 切るためのものか。 否、このリズムは、たえず身体の意 表を突くことで、身体を惰性から解 放するのではないか。いけにえの身 作曲年代:1910 ∼ 1913 年 台本:作曲者とニコライ・レーリヒ 初 演:1913 年 5 月 29 日、 パ リ、 シ ャ ン ゼ リ ゼ劇場、ピエール・モントゥー指揮ロシア・バ レエ団により上演、ヴァーツラフ・ニジンスキ ー振付、ニコライ・レーリヒ衣装 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、ピッコ ロ 1、アルト・フルート 1、オーボエ 4(イング リッシュ・ホルン 1)、イングリッシュ・ホルン 1、 クラリネット 3(バス・クラリネット 1)、Es ク ラリネット 1、バス・クラリネット 1、ファゴ ット 4(コントラファゴット 1)、コントラフ ァゴット 1、ホルン 8(ワーグナー・テューバ 2) 、トランペット 4、ピッコロ・トランペット 1、バス・トランペット 1、トロンボーン 3、テ ューバ 2、ティンパニ 2、大太鼓、トライアン グル、タンブリン、タムタム、シンバル、グ イロ、アンティーク・シンバル、弦楽 Philharmony December 2012 り、大地礼賛を熱狂的に締めくくる。 Program C Program C 第 1743 回 NHKホール 12/7[金]開演 7:00pm 12/8[土]開演 3:00pm [指揮] 1743rd Subscription Concert / NHK Hall 7th (Fri.) Dec, 7:00pm 8th (Sat.) Dec, 3:00pm シャルル・デュトワ [conductor] Charles Dutoit [ピアノ] [piano] [コンサートマスター] [concertmaster] ルイ・ロルティ Louis Lortie 篠崎史紀 Fuminori Shinozaki ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」 (9 ) Hector Berlioz (1803-1869) “Le carnaval romain”, overture op.9 リスト ピアノ協奏曲 第 2 番 イ長調(21 ) Franz Liszt (1811-1886) Piano Concerto No.2 A major Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ アダージョ・ソステヌート・アッサイ アレグロ・アジタート・アッサイ アレグロ・モデラート アレグロ・デチーソ マルツィアーレ:ウン・ポコ・メノ・アレグロ アレグロ・アニマート Adagio sostenuto assai Allegro agitato assai Allegro moderato Allegro deciso Marziale: Un poco meno allegro Allegro animato 休憩 Intermission レスピーギ Ottorino Respighi (1879-1936) 交響詩「ローマの祭り」 (23 ) “Feste romane”, sym. poem Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ チルチェンセス 五十年祭 十月祭 主顕祭 Circenses Il giubileo L’ottobrata La Befana “Fontane di Roma”, sym. poem Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ 夜明けのジュリアの谷の噴水 朝のトリトンの噴水 昼のトレヴィの噴水 たそがれのメディチ荘の噴水 La fontana di Valle Giulia all’alba La fontana del Tritone al mattino La fontana di Trevi al meriggio La fontana di Villa Medici al tramonto 交響詩「ローマの松」 (20 ) “Pini di Roma”, sym. poem Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ ボルゲーゼ荘の松 カタコンブ付近の松 ジャニコロの松 アッピア街道の松 I pini di Villa Borghese I pini presso una catacomba I pini del Gianicolo I pini della Via Appia Philharmony December 2012 交響詩「ローマの噴水」 (18 ) Soloist Program C ピアノ ルイ ・ロルティ Louis Lortie モントリオール生まれ。地元でイヴォ を敢行。モントリオール響とは、ベート ンヌ・ユベールに師事。13 歳でモントリ ーヴェンとモーツァルトのすべてのピア オール交響楽団と共演。3 年後、トロン ノ協奏曲を弾き振りで演奏している。 ト交響楽団と共演し、日本と中国でも演 ディスクは数多く、モーツァルトから 奏。ウィーンでディーター・ウェーバー ガーシュウィンまで幅広い作品を残して に学び、その後はレオン・フライシャー いる。なかでもジョージ・ペーリヴァニ から薫 陶 を受ける。1984 年、ブゾーニ アン指揮のハーグ・レジデンティ管弦楽 国際ピアノ・コンクールで第 1 位を獲得。 団と共演したリストの『ピアノと管弦楽 ベートーヴェン、ショパン、ラヴェル のための作品全集』は特筆される。 の演奏での評価が高く、これまでに、ロ N響との共演は 1994 年 6 月以来、18 ンドン、トロント、ベルリン、ミラノで 年ぶりである。 ベートーヴェンの「ソナタ・シリーズ」 (山田治生) 1803-1869 ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」 19 世紀前半のパリを舞台に、 《幻 想交響曲》などで強烈な個性を発揮 したフランス・ロマン主義の作曲家、 エクトル・ベルリオーズは、オペラ に関しては苦労が多かった。 そもそも、医学の勉強でパリに出 てきたベルリオーズに音楽家になる ことを決意させたのは、パリ・オペ ラ座で観たグルック(1714 ∼ 1787) らの傑作オペラだった。ベルリオー ズは 1830 年に型破りな大作《幻想 交響曲》を発表してからもオペラ 作曲家としての成功を夢見ていた が、ついに 1838 年、ルネサンス時 代のローマの彫金師を題材に作曲し た《ベンヴェヌート・チェルリーニ》 がパリ・オペラ座で初演された。し かし、客席からは激しい野次が飛び、 オペラはまもなく打ち切りとなった。 そこでベルリオーズは、オペラで使 った 2 つの主題をもとに、演奏会用 序曲を書いて巻き返しを図ることに した。それが《序曲「ローマの謝肉 祭」 》である。初演は 1844 年、パリ でベルリオーズ自身の指揮によって 作曲年代:1843 年 初演:1844 年 2 月 3 日、パリ、作曲者自身の 指揮による 行われ、アンコールでもう一度演奏 するほどの大成功を収めた。 ベルリオーズは同じ 1844 年に有 名な『管弦楽法』 (初版)も出版し ており、この序曲の輝かしいオーケ ストレーションは、こうした彼の深 い知識に裏付けられたものといえる。 序曲冒頭、イタリアの活発な舞 曲、サルタレロのリズムがローマの 謝肉祭の熱気をほのめかした後、聞 こえてくるのはオペラ第 1 幕のチェ ルリーニとテレーザの二重唱「テレ ーザ、命よりも君を愛す」の主題で ある。この主題は、ベルリオーズが 『管弦楽法』の中で「哀愁が漂う」 「夢想的で気高い」などと表現して いるイングリッシュ・ホルンで開始 され、続いてヴィオラに受け渡され、 他の弦や木管も加わっていく。やが て、打楽器群の激しい一撃とともに、 序曲冒頭に響き渡ったサルタレロの メイン主題が生き生きと奏され、音 楽は熱気を帯び、最後は全楽器で笑 いさざめくように終結する。 (遠山菜穂美) 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1) 、オーボエ 2(イングリッシュ・ホルン 1) 、クラリネット 2、 ファゴット 4、ホルン 4、トランペット 2、コ ルネット 2、トロンボーン 3、シンバル、タン ブリン、トライアングル、ティンパニ 1、弦楽 Philharmony December 2012 Hector Berlioz Program Franz Liszt 1811-1886 リスト ピアノ協奏曲 第2番 イ長調 C 2011 年 の 生 誕 200 年 に は、 世 界 各地でフランツ・リストの作品が数 多く演奏された。華やかなピアノ曲 ばかりでなく、宗教的合唱曲、交響 詩なども取り上げられるようになっ てきた。なかでも《ファウスト交響 曲》が幾度も演奏されたことは、注 目に値しよう。生前は、その一挙一 動が注目されていたにもかかわらず、 20 世紀前半、ロマン主義への反動 として新古典主義が台頭するにつれ て、リストの評価は低くなり、華美 なヴィルトゥオーゾ・ピースの作曲家 というイメージが目立つようになる。 1970 年から新全集の出版が開始され て、すでに今年で 42 年経つ。相変わ らずピアノ独奏曲ばかりが出版され 続けてはいるものの、そのおかげで、 無名だった作品や、有名な作品の初 期稿なども演奏されるようになって きた。21 世紀になって、リスト本人 に対するイメージと、演奏される作 品のレパートリーは、ずいぶんと変 わってきたのではないだろうか。 15 歳にして父を失くし、母を養わ ねばならなくなったリストは、ピア ニストとしての道を突き進む。1839 ∼ 1847 年には、文字通り全ヨーロッ パを演奏ツアーで巡り、空前の成功 を収め、その地位を不動のものとす る。その一方で、サン・シモンのユー トピア社会主義や自由主義カトリシ ズムなどの影響を受け、音楽家の社 会における役割などについて真摯に 熟考していく。わずか 35 歳でヴィル トゥオーゾ・ピアニストとしての活動 から退き、1848 年からドイツはワイ マールの宮廷楽長として、おもに指 揮活動と作曲活動に専念した。交響 詩という新しいジャンルを創始する とともに、ピアニスト時代に書いた 多くのピアノ曲や歌曲を改訂・出版し ている。1860 年代にはローマで宗教 音楽に傾倒していった。 1869年以降は、 ブダペスト、ワイマール、ローマに 住み、教育に力を注ぐ一方、自らの 作風は急進的となり独自の無調音楽 にまで至った。伝統的な多楽章構成 に対しては、若い時代から興味を示 さなかった点は一貫している。 リストは独奏楽器と管弦楽のため の作品を 15 曲残した。それらすべ てが伝統的な 3 楽章ではなく、単一 楽章の様相を呈している。1839 年に は《第 1 番》と《第 2 番》 、 《遺作》 のピアノ協奏曲などに取り組んでい るが、それは彼がマリー・ダグー伯 爵夫人との共同生活から離れて、ピ アニストとしての活動を再開したこ とと関係があろう。この時代、ヴィ ルトゥオーゾたちが演奏旅行でしば しば演奏した作品は自作の協奏曲だ トとしての活動を前にして、新しい 協奏曲が必要であると考え、自らの 演奏会の花形のレパートリーとして 協奏曲を作曲した可能性は十二分に ある。しかしこれら 3 つのピアノ協 奏曲を、リストがピアニスト時代に 弾いたという記録はない。ヴィルト ゥオーゾ時代に作曲を始めたものの、 結局、ワイマールに住むまでリスト が完成させなかったことは興味深い。 自らのオーケストレーションへの不 満と、伝統的なタイプの「協奏曲」 への無関心が理由かもしれない。そ の後、 《第 2 番》の改訂は、ピアニス トを引退した 1850 年前後に幾度か 行われ、1857 年には初演にこぎつけ ているものの、出版に至るまでには、 さらなる改訂を経ねばならなかった。 しばしばリストは、管弦楽のため の作品を書く時に、同時にピアノ用 の楽譜も作成していたと考えられる。 ちなみにこの《協奏曲第 2 番》の初 期稿には、ピアノ独奏曲稿も存在す る。初演の 2 か月半後の 3 月 23 日 に、リストは、初演でピアニストを 務めたブロンザルト(1830 ∼ 1913) に「私が望むふさわしいテンポ」を 指揮者とともによく考えるようにと、 アドヴァイスを送った。 全体は緩̶急̶緩̶急̶急にコー 作曲年代:1839 ∼ 1861 年。ブロンザルトに献呈 初演:1857 年 1 月 7 日、ワイマール、作曲者 自身の指揮、ブロンザルトの独奏 初版:1863 年、ショット社 ダのついた 6 部構成とも見なせるが、 主題の扱いは《第 1 番》よりもいっ そう複雑である。たとえば冒頭主題 は、ゆったりとした中間楽節ではチ ェロ独奏によって奏でられ、その後、 第 5 部マルツィアーレでは、まった く異なる堂々とした性格に変容され ていく。途中で複数の動機が絡み合 い、変容されるため、複雑な印象を 聴き手に与えるだろう。またこの第 5 部は、全体の再現部としての役割 も果たしている。伝統的な形式より も、いくつかの主題や動機を変容さ せることで、リストが全体の統一を 図ろうとしていたことは明らかだ。 主題変容に基づく単一楽章、これ は 1850 年代に集中的に作曲された 交響詩と共通する特徴である。 《第 1 番》に比べて演奏される機会は少な いものの、この点で、典型的なリス トの作品といえよう。また、ピアノ は《協奏曲第 1 番》よりもオーケス トラに溶け込んでおり、その意味で も交響的な作品である。この作品を、 「幻想曲」ではなく「協奏曲」とし て発表したところに、伝統的なジャ ンルに対する、リストの意気込みが 感じられる。 (なお本解説においては、リストの 作品目録の番号は割愛した) (福田 弥) 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボ エ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、 トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、シンバル、弦楽、ピアノ・ソロ Philharmony December 2012 った。すなわち、リストがピアニス Program Ottorino Respighi 1879-1936 レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」 C 近代イタリアの作曲家オットリー 戦いが開始。猛獣の唸り声と殉教者 ノ・レスピーギの代表作である「ロー たちが歌う聖歌が交錯する。 マ三部作」の中の 1 曲。タイトルの 第 2 曲 は、50 年 に 1 度、 法 王 が とおり、古代から現代までのローマ 大赦 を与える「五十年祭」の 様子。 各地の祭りを描いた交響詩で、ロー 巡礼者たちが重い足取りでモンテ・マ マ三部作では最後の作品になる。こ リオの丘を目指す光景が描かれてい の曲が作曲された 1928 年当時のイタ る。頂上に着くと輝かしい聖歌が吹 リアは、ムッソリーニによるファシ き鳴らされ、朝を告げる教会の鐘が スト政権による支配が始まっており、 鳴り、遠くから狩りの角笛が聞こえ 民衆の間に古代ローマに対する憧れ てくる。 の気運が高まっていたことも、この 第 3 曲 は、ローマ郊外のカステ 曲が生まれた背景にあるのだろう。 こ の 曲 に は、 ロ ー マの 4 つ の祭 りが描かれており、ステージ外で吹 く金管楽器、オルガン、マンドリン、 鐘などを動員しながら、オーケスト ラの音だけで見事に各々の祭りの様 子が描写されている。 リ・ロマーニの葡萄の収穫を祝う「十 月祭」 。狩人たちは角笛を吹き鳴ら し、村人たちは踊り出す。日が沈む と、踊り疲れた男女がマンドリンの セレナーデをバックに愛を語り合う。 第 4 曲は、三賢人がキリストを礼 。街はも 拝したことを祝う「主顕祭」 第 1 曲で描かれているのは、古代 う祭り一色で、あちこちでクラクシ リスト教の殉 教者と猛獣を戦わせた 中で通過する手回しオルガンや、ト ローマの暴君ネロが、円形劇場でキ ョンが鳴り、人々は踊りまくる。途 「チルチェンセス」 。興奮する見物客 ロンボーンが吹く千鳥足の酔っぱら の罵声 のな か、周囲から戦いの合図 いも登場。最後は収拾がつかない大 のラッパが聞こえてくると、残酷な 騒ぎのまま曲は終わる。 (佐伯茂樹) 作曲年代:1928 年 ンペット 4、トロンボーン 3、テューバ 1、ティ 初 演:1929 年 2 月 21 日、 ニ ュ ー ヨ ー ク、 ア ンパニ 1、大太鼓、小太鼓、シンバル、シロフ ルトゥーロ・トスカニーニ指揮 ォン、タムタム、タンバリン、トライアングル、 楽器編成:フルート 3 (ピッコロ 1) 、オーボエ 2、 グロッケン、鈴、フィールド・ドラム、ラチェ イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、Es ット、鐘、タヴォレッタ(木板) 、ピアノ 1、マ クラリネット 1、バス・クラリネット 1、ファゴ ンドリン 1、オルガン 1、弦楽、バンダ:ブッ ット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トラ キーナ 3(古代のラッパ、トランペットで代用) 1879-1936 レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」 ローマ三部作の最初の作品。1916 チューンの息子トリトンが海で戯れ 年の作曲で、ローマの名所にある 4 る様子が描かれており、勇ましいホ か所の噴水を描いている。 《ローマ ルンの信号とそれに呼応するような の祭り》や《ローマの松》のような 水の戯れの対比が印象的。 派手な演出はないが、レスピーギら 第 3 曲は「昼のトレヴィの噴水」 。 しい繊細でリアルな描写で、噴水の 観光地として有名なトレヴィの泉で 風景が音の絵画として描かれている ある。ここにはトリトンの父ネプチ のはさすが。それぞれの噴水が、夜 ューンの彫像があり、音楽はその光 明けから日没まで、時間別の景色と 景を描く。馬車に乗り、さまざまな して並べられているところにも注目 していただきたい。 神を従えたネプチューンが凱旋する。 水飛沫が真昼の光にキラキラと反射 第 1 曲は「夜明けのジュリアの するさまが目に浮かぶようだ。 冷たい張りつめた空気感をヴァイオ の噴水」 。舞台はメディチ荘の噴水。 谷の噴水」 。夜明け前のジュリア谷。 リンが表現し、牧歌的なメロディが 木管楽器によって奏される。やがて 牛の群れが通り過ぎて行くと、辺り は次第に明るくなっていく。 第 2 曲は「朝のトリトンの噴水」 。 第 4 曲は「たそがれのメディチ荘 丘の上からはたそがれ時のローマ市 内が一望でき、教会の鐘の音が聞こ えてくると日は完全に沈み、ローマ の一日は終わる。 (佐伯茂樹) バルベリーニ広場にある噴水のトリ トンの彫像から連想される光景が展 開する。朝になり、ホルンによるホ ラ貝の合図をきっかけに、海神ネプ 作曲年代:1916 年 初 演:1917 年 3 月 11 日、 ロ ー マ、 ア ン ト ニ オ・グァルニエリ指揮 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、 バス・クラリネット 1、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テュー バ 1、ティンパニ 1、シンバル、トライアング ル、鐘、グロッケンシュピール、ハープ 2、ピ アノ 1、チェレスタ 1、オルガン 1、弦楽 Philharmony December 2012 Ottorino Respighi Program Ottorino Respighi 1879-1936 レスピーギ 交響詩「ローマの松」 C ローマ三部作 2 番目の作品。作曲 くトランペットの調べが聞こえてく は 1924 年で、歴史的名所に立つ松の る。すると、それに呼応するかのよ 視点を通して、ローマの歴史を綴る うに亡霊たちの大合唱が始まり、や 形になっている。ステージ外の金管 がてまた静まっていく。 楽器、鳥の鳴き声の録音や、ピアノ 第 3 曲は「ジャニコロの松」 。ロー の使用など、斬新な試みがなされて マの街並が一望できる丘の上にある いて、一大絵巻物のような世界が展 松。夜明け前、月光が降り注ぐなか、 開する。 クラリネットが懐かしむかのような 第 1 曲は「ボルゲーゼ荘の松」 。公 歌を歌う。やがて小鳥の鳴き声が聞 園の松の下では子供たちが無邪気に こえると朝を迎える。 戦争ごっこをしている。おもちゃの 第 4 曲は「アッピア街道の松」 。ロ ラッパを鳴らし、ガラガラは機関銃 ーマと各都市を結ぶアッピア街道に の代わり。子供たちの世界を描くた 立つ松。夜明け前の静まり返った街 めに、コントラバスやトロンボーン 道のはるか遠くから古代ローマ軍の などは演奏に加わらない。 進軍の足音が聞こえてくる。その音 第 2 曲は「カタコンブ付近の松」 。 は次第に近づいてきて、ローマ市内 地下墓地の入り口に立つ松。地下か に凱旋。彼らを迎えるラッパが盛大 らは亡霊たちの歌声がかすかに聞こ に吹き鳴らされるなかクライマック え、天上からはグレゴリオ聖歌を吹 スを迎える。 (佐伯茂樹) 作曲年代:1923 ∼ 1924 年 初演:1924 年 12 月 14 日、ローマ、ベルナル ディーノ・モリナーリ指揮 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1) 、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、 バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コントラ ファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、ト ロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、グ ロッケンシュピール、タムタム、トライアング ル、シンバル、タンバリン、大太鼓、シンバル、 ラチェット、ハープ 1、ピアノ 1、チェレスタ 1、オルガン 1、ナイチンゲールの鳴き声の録 音、弦楽、バンダ:ソプラノ・フリコルノ 2(ト ランペットで代用) 、テノール・フリコルノ ( 2 ワ ーグナー・テューバで代用) 、バス・フリコルノ 2(トロンボーンで代用) ラヴェル《歌劇「こどもと魔法」》 ラヴェルとコレット 文 井上さつき モーリス・ラヴェル(1875 〜 1937) やかな雰囲気のなかで、新作を披露 が女性作家コレット(本 名シドニー・ できることも大きなメリットだった。何 ガブリエル・コレット、1873 〜 1954) よりサロンでの演奏には警察の許可も の台本による《こどもと魔法》を作曲 税金を納める必要もなかった。 したのは、1920 年から 1925 年にか フォーレもドビュッシーもラヴェルも、 けてだが、ラヴェルとコレットが最初 みな、サロンを通じてパリのエリートた に出会ったのは、それより 20 年も前 ちの世界に入った。1872 年、フォー の 1900 年ごろのこと。場所はルネ・ド ・ レを、有名なコントラルト歌手ポーリー サン・マルソー夫人が開いていたパリ ヌ・ヴィアルドのサロンに連れて行った のサロンだった。 サロンは、もともと上流階級の夫人 サロン たちが自宅の客 間で開いていた社交 的な集いであった。有名なサロンには それぞれ 特徴があり、どのような芸 術家を呼んできて自分のサロンの常連 にするか、ということが女主人の腕の 見せ所。第三共和政(1870 〜 1940) の時代には、こうしたサロンのほかに、 音楽家自身が開いていたサロンや文 芸サロンなどもあった。当時、パリで は活発な音楽活動が行われていたも のの、公的助成という点では、決して 音楽は恵まれていなかった。作曲家 の新しい音楽創造を支える上で大き な役割を果たしていたのがサロンだっ た。作曲家にとって、サロンは、政治・ 経済・文化をリードするエリートたちと 知り合いになれるばかりでなく、なご ラヴェル(1907) Philharmony December 2012 シリーズ 名曲の深層を探る 第 4 回 名曲の深層を探る のは兄貴分のサン・サーンスであった。 フォーレは 1896 年にパリ音楽院の作 曲の教授に就任すると、こんどは自分 がラヴェルやフロラン・シュミット、ジ ャン・ロジェ・デュカスなどの弟子たち をサロンに連れて行き、積極的に紹 介した。そのサロンのひとつがルネ・ ド・サン・マルソー夫人が開いている サロンだった。音楽が大事にされるこ のサロンには、フォーレ、ドビュッシー、 ヴァンサン・ダンディ、アンドレ・メサ ジェなどがよく訪れた。 毎週金曜日に開かれていたド・サン・ マルソー夫人のサロンでは、すばらし い夕食がふるまわれたあと、内輪のコ ンサートが始まった。夫人は自身すぐ れた音楽家で、フォーレが連れていく コレット 学生たちの作品もしばしば歌った。こ うして作曲家や作家、画家たちが集う なごやかな雰囲気のなかで、さまざま な作品が演奏されたり、詩の朗読が 行われたりした。モダンダンスの創始 者、アメリカの若い舞踏家イザドラ・ ダンカンが踊ったこともあった。その とき、ピアノで即興の伴奏していたの は、若き日のラヴェルだった。 気の張るほかのサロンと違って、ド・ サン・マルソー夫人のサロンでは、み な伸び伸びしていた。ラヴェルの先生 であるフォーレは、メサジェと一緒に ピアノの前に座り、即興で連弾演奏す ることが大好きだった。コレットによ れば、フォーレとメサジェは連弾しな がら、どちらが奇想天外に即興演奏 だ! こうくると思っていたかい? やってみろ、仕返ししてやる!」などと 言いながら、二人はピアノの鍵盤を叩 き続けた。 このような温かい雰囲気のなかで、 ラヴェル青年はといえば、クールで皮 肉めいた雰囲気を漂わせていた。ド・ サン・マルソー夫人はラヴェルの歌曲 《クレマン・マロの墓碑銘》を自分のサ ロンで歌ったことがあったが、そのと きのラヴェルの反応について、夫人は 日記にこう記している。 「彼(ラヴェル) は自分の作品を聞いて喜んだのかしら。 わからない。なんて奇妙な人でしょう。 才能に恵まれ、いたずらっぽさがある」 。 1900 年頃、新進作家コレットは、 15 歳年上の夫、アンリ・ゴーティエ・ ヴィラールに連れられてド・サン・マル 家の名前が挙げられるたびに、礼儀 正しく耳を傾けていたが、ラヴェルの 名前が出た途端、なりふり構わず大 声を出してしまった。ルーシェは「ラヴ ェルが引き受けたとしても、長いこと かかることを承知しておく必要があり ます」と彼女に釘を刺した。ラヴェル はこの仕事を引き受けたが、それから が大変だった。 まず、台本そのものがラヴェルの手 元に届くまでに時間がかかった。1916 年に最初に送られた台本はついにラヴ ェルのもとに届かなかった。第一次世 界大戦中、志願して軍隊に入ったラヴ ェルは輸送兵として激戦地ヴェルダン の近くに配属されていたが、台本は郵 送される途中、紛失したのである。 1918 年になってようやくラヴェルは 台本を手にするが、すぐに仕事にかか ソー夫人のサロンに行き、初めてラヴ れる状態ではなかった。彼は大戦中 小説家・音楽批評家だった。そのとき、 ャーともあいまって、まともな作曲活 ふう び ェルに会った。夫は一世を風 靡 した コレットの目に映ったラヴェルの第一 印象は、 「よそよそしく超然としてい た」というが、それも不思議ではない。 その後、1906 年にコレットは夫と 離婚する。彼女は食べて行くために ダンサーになり、ムーラン・ルージュで 踊ったりもした。やがてコレットは「我 が娘のための喜遊曲」のあらすじを 書き上げ、オペラ座の支配人ジャック・ ルーシェに見せる。コレットによれば、 これはルーシェからの依頼だったとい うが、ともかく、ルーシェはこのあら すじを気に入り、作曲家の人選が始ま った。コレットは、ルーシェから作曲 に最愛の母を亡くし、戦争のプレッシ 動ができなくなっていた。 コレットはラヴェルから連絡がない ので心配して、1919 年のはじめに問 い合わせの手紙を送る。それに対し て、ラヴェルは 1919 年 2 月、メジェ ーヴから返事を書き、音信不通であ ったことをあやまり、健康状態が思わ しくないと弁解している。 「実際、すでに着手しています。紙に 書いてはいませんが、メモもとってい ます。修正さえ考えています……。心 配御無用。カットではありません。反 対です。例えば、リスの語りはもっと Philharmony December 2012 できるか競い合っていたという。 「どう 名曲の深層を探る 展開できないでしょうか。森について リスがしゃべりそうなこと、そして、そ れがどのように音楽に役立つかご想像 ください! もう 1 点。古くて黒いウェッジウッ ドの茶碗とティーポットがラグタイムを 歌うのはどうでしょうか。白状すれば、 二人の黒人女に国立音楽アカデミー (オペラ座)でラグタイムを歌わせると いうアイディアに私はうっとりするので す。……おそらく、アメリカの黒人ス ラングは使っていないとおっしゃるでし ょう。私も英語はまったく知りません も使えるでしょう。『算数』のあれは ポルカではないのですか。ご健康を 祈り、うずうずしながら、あなたと握 手いたします。 コレット・ド・ジュヴェネル」 ラヴェルが歌 詞に関して、かなり 注文をつけたことが分かる。こうして、 1920 年 2 月、ラヴェルはようやく《こ どもと魔法》の作曲に本格的に着手 したのである。 (いのうえ・さつき 愛知県立芸術大学教授、音楽学) が、あなたと同じようにします。何と かやります。この 2 点についてお考え をお聞かせ願えれば幸いです。 」 コレットは大喜びで返事を書き、ラ ヴェルの提案をすべて受入れ、次の ように書き送った。 「拝啓、 もちろんラグタイムですとも! もちろ んウェッジウッドの黒人ですとも! ミュ ージックホールのすさまじい突風がオ ペラ座のほこりを巻き上げることでし ょう! それいけ! …… 西部劇の上 映中に、映画館のオーケストラがあな たの魅力的な《マ・メール・ロア》を演 奏していることをご存知ですか。もし、 私が作曲家でラヴェルだとしたら、そ れを知って喜ぶと思います。 それから、リスはあなたが望まれる ことを何でも申します。ひたすらニャ ーニャー鳴く『ネコ』の二重唱はお気 に召しましたか。私たちはアクロバット 1939 年オペラ座 での上演のときの猫のコスチューム 1 月の定期公演には 2 人のアメリ るもので、第二次世界大戦中のニュ カ人指揮者が招かれる。Aプロには ーヨークを舞台に、4 人の孤独な人 今年のN響「夏」で好演を聴かせ 間の姿を描く。交響曲という題が付 てくれたジョン・アクセルロッドが、 けられているものの自由な構成を持 BプロとCプロには今や大家の風格 ち、ステュアート・グッドイヤーに を漂わせるデーヴィッド・ジンマン よるピアノ・ソロを伴って、様々な が登場する。ともに意欲的なプログ スタイルの音楽を混在させながら感 ラムが組まれた。 動的なクライマックスを築き上げる。 アクセルロッドによる東西の 大作競演─Aプロ クライマックスの力強さという点 では、ショスタコーヴィチの《交響 曲第 5 番》もひけをとらない。輝 ジョン・アクセルロッド指揮のA かしいフィナーレを、そのまま額面 プロでは、レナード・バーンスタイ 通りに肯定の音楽と受け取るべきか、 ンの《交響曲第 2 番「不安の時代」 》 背後にアイロニーや欺瞞を読み取る とショスタコーヴィチの《交響曲第 べきかという解釈をめぐる議論は尽 5 番ニ短調》が並べられる。前者は きないが、その峻烈な響きは聴く人 1949 年、後者は 1937 年の初演。第 の心を激しく揺さぶる。 二次世界大戦をはさんで、20 世紀中 指揮のジョン・アクセルロッドは、 葉を米ソの双方から照射したプログ バーンスタインとロシアの名教師イ ラムとでも言えるだろうか。 リヤ・ムーシンに学んだ実力者。ず 作曲家としてのバーンスタインに しりとした聴きごたえを残す公演に は近年改めて再評価が進んでいるよ なることだろう。 うに感じられる。N響では《交響曲 第 1 番「エレミア」 》が今年 5 月に 広上淳一指揮により演奏されたばか ぎ まん しゆんれつ ロマンティックな作品に酔いしれる ─Bプロ り。生前はもっぱら大指揮者として デーヴィッド・ジンマンが指揮す 音楽ジャーナリズムを賑わせたバー るBプロでは、ソリストに才色兼備 ンスタインだが、没後 20 年以上が のピアニスト、エレーヌ・グリモー 経過した今、彼の作品の演奏頻度は を迎える。 ますます高まっているように思える。 前半はブゾーニの《悲しき子守歌 20 世紀アメリカの代表的作曲家とし ての地位は揺るぎない。 《不安の時代》の題はイギリス作 家 W. H. オーデンの長編詩に由来す ひつぎ 〜母の棺に寄せる男の子守歌》とシ きよ ェーンベルクの《浄められた夜》と いう、ともに豊潤で濃厚なロマンテ たた ィシズムを湛えた作品が並べられる。 Philharmony December 2012 *1 月定期公演の聴きどころ* A ブゾーニ作品は副題が示すように、 Program 母親の死が作曲のきっかけとなって 書かれた哀悼の音楽。シェーンベル ジンマンの本領が発揮される Cプロに期待 ク作品はデーメルの詩にもとづく月 Cプロはマーラーの《交響曲第 7 夜を歩く男女の対話を描いたもの 番「夜の歌」 》1 曲のみの大曲プログ で、当初弦楽六重奏曲として書かれ、 ラム。デーヴィッド・ジンマンのマ 後に弦楽合奏用に編曲されている。 ーラーといえば、チューリヒ・トー 十二音技法に至る以前の 25 歳の作 ンハレ管弦楽団との『交響曲全集』 曲者が書いた、世紀末的爛熟と退廃 の録音で世評が高い。過剰な演出に に彩られた傑作である。 頼らず、見通しのよい明快なサウン 後半はブラームスの《ピアノ協奏 ドで作品本来の姿を伝えてくれるこ 曲第 2 番》 。独奏のエレーヌ・グリモ とだろう。マーラーの交響曲の中で ーとデーヴィッド・ジンマンはこれ も比較的演奏頻度の低い《夜の歌》 までにたびたび共演を重ねており、 が聴けるのもうれしい。マーラーの 数多くの協奏曲でレコーディングを 他の交響曲同様、大編成のオーケス 残す間柄。強靱な表現意欲を持って トラを要求する作品であるが、ギタ 決然と鍵盤に立ち向かうグリモーと、 ーやマンドリンを用いた第 4 楽章の らんじゆく きようじん せいれつ きようそう 端正かつ清冽な音楽作りによってソ 〈夜曲〉や、パロディー的な狂 躁が リストを支えるマエストロ・ジンマ 繰り広げられる第 5 楽章など、一筋 ンの姿が目に浮かぶ。 縄ではいかない多面的な性格を持つ。 あ その先駆性は決して色褪せることが ない。 (飯尾洋一) *1月の定期公演* ◉ 1/26(土)6:00pm、1/27(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール 指揮:ジョン・アクセルロッド ピアノ:ステュアート・グッドイヤー* バーンスタイン/交響曲第 2 番「不安の時代」* ショスタコーヴィチ/交響曲第 5 番ニ短調作品 47 ◉ 1/16(水)7:00pm、1/17(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール 揮:デーヴィッド・ジンマン 指 ピアノ:エレーヌ・グリモー ブゾーニ/悲しき子守歌〜母の棺に寄せる男の子守歌作品 42 シェーンベルク/浄められた夜作品 4 ブラームス/ピアノ協奏曲第 2 番変ロ長調作品 83 ◉ 1/11(金)7:00pm、1/12(土)3:00pm (C プロ)NHKホール 指揮:デーヴィッド・ジンマン マーラー/交響曲第 7 番ホ短調「夜の歌」 細川俊夫の新作世界初演と武満徹《ノヴェンバー・ステップス》 デュトワが得意のプログラム《幻想交響曲》を携えて登場 2013 年 8 月のヨーロッパ公演では、ザルツブルク音楽祭に初出演、 このほかドイツ、イタリアを含め全 6 都市を訪問する予定です(詳細は、 2013 年 2 月に発表いたします) 。 NHK交響楽団が初めて外国公演を行ったのは、1960 年の世界一周 旅行でした。以来、本年 9 月の中国公演に至るまで訪れた国は延べ 98 ヶ国、公演数は 234 にのぼります。 ザルツブルク音楽祭 2013 2013 年 8 月 25 日(日)8:00 pm フェルゼンライトシューレ 武満 徹/ノヴェンバー・ステップス* 細川俊夫/嘆きの歌(ザルツブルク音楽祭委嘱作品・世界初演) ** ベルリオーズ/幻想交響曲 作品 14 指揮:シャルル・デュトワ 尺八:柿堺 香 * 琵琶:中村 鶴城 * ソプラノ:アンナ・プロハスカ** シャルル・デュトワ 柿堺 香 中村 鶴城 アンナ・プロハスカ ©Patrick Walter/DG Philharmony December 2012 NHK交響楽団 ザルツブルク音楽祭に初出演!
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