【 『前衛』2016 年 6 月号掲載】 若者デモと極右の伸長――フランス社会党政権の混迷 米沢博史(2016 年 3 月執筆) (I) 「もはや左翼政権ではない」――大規模デモと重鎮の離反 「私は重大な政治的不一致により政権を離脱する。私は自分自身、自分の責務、自分の たたかい、自分の他者に対する関係に忠実である方を選ぶ」――1 月 27 日、トビラ法相は こう言い残して辞任した。オランド大統領が治安強化を目的とした憲法の改正を提起し、 そのなかで、テロで有罪判決を受けた者の国籍をはく奪するという極右の主張を、二重国 籍者に対するものに限り受け入れたことが、トビラにとっては耐え難いことだったからだ。 トビラは、仏領ギニアの反植民地主義運動から政界に入った黒人女性で、オランド政権 (バルス内閣)の人事政策の目玉だった。彼女は、植民地時代に横行した黒人売買と奴隷 制について、フランスが国家として初めて「人道に対する罪」と認めた法律(2001 年 5 月 10 日成立)を提案した人物としても著名だ。法制化に尽力した彼女の姓を冠して「トビラ 法」と呼ばれている(※注1)。 トビラ法相辞任について、フランス共産党のピエール・ロラン全国書記(党首)は、 「こ れで 2012 年大統領選の公約に忠実な人は政権からいなくなった」「フランスの政権はもは や左翼ではない」と評した( 「ユマニテ」2016 年 2 月 1 日付)。 2 月末、エルコムリ労相の片腕として、労働法典改正案の作成に関わるジャックマン戦略 顧問が辞任した。 「左翼は殺された」――ジャックマンは仏紙「ルモンド」 (2016 年 3 月 3 日付)で辞任に至った胸の内をぶちまけた。「(労働法典改正での)解雇しやすくする政策 が、失業とのたたかいになるなんて、誰が信じるか」「左翼を辱め分断する右翼的自由主義 的な文面に反対することが大事なのだ」 。 オランド政権は、昨年末から今年にかけて、憲法と労働法典という国民生活の根本にか かわる基本的な法律を、緊急事態体制の強化と労働規制の推進の方向で改定しようとして いるが、法改正にかかわる重鎮が、のっけから相次いで辞任した。 大規模デモと身内の離反――政権の内と外の両方からオランド政権のほころびが出てき ている。 オランド大統領は 3 月 30 日、批判の高まりに抗しきれず、ついに憲法改正の断念を表明 した。 パリ 16 万人、全国 120 万人――高校生・学生や労働者がデモ 「雇用の不安定化に反対」 「未来は破壊させない」――3 月 31 日、初春のパリの雨空に若 者の声が響いた。非常事態宣言下にもかかわらず、パリで 16 万、全国 260 都市で 120 万の 労働者、青年・学生、高校生が、労働法典の改定法案(通称「エルコムリ法」案)の反対 デモを行った(参加者数は主催者発表) 。 オランド大統領・バルス首相の政権が狙う労働法典の改定の内容は多岐にわたるが、法 律や全国・産別の労働協約よりも企業別の労使合意を優先する制度を導入する(※注 2)、週 35 時間労働制の緩和を進める(※注 3)、経済的解雇が可能な事由に「技術的変化」や「競 争力維持に必要な事業再編」を付加して解雇をしやすくするなど、基本的に財界の意向に 1 そって、労働者が歴史的に勝ち取ってきた権利を後退させるもの。これに若者が反発を強 めているのだ。 3 月 31 日の全国統一行動は、フランス全国学生連合(UNEF)、全国高校生連合(UNL) 、 独立民主高校生連盟(FIDL)の 3 つの学生・高校生団体と、有力労組の労働総同盟(CGT) 、 労働者の力(FO) 、公務労組の統一労組連盟(FSU)、連帯の 4 つの労働組合の計 7 団体が 共催した 2 回目の全国行動。9 日の第一回行動には、パリ 10 万人、全国で 50 万人のデモ となった。17 日と 24 日にも青年学生・高校生のデモが全国各地で行われ、行動の波となっ ている。さらに 4 月 6 日に青年の行動、4 月 9 日に第三次全国統一行動が予定されている。 反対署名は本稿執筆時点で 128 万人以上に達した。 これだけの青年・学生と高校生が労働者とともに立ち上がり、波状のデモを行う光景は、 ちょうど 10 年前の 2006 年 3 月、当時のドビルパン内閣が導入しようとした若者初回雇用 契約(CPE)の反対デモを彷彿とさせる。このとき、一旦、議会で成立した CPE がシラク 大統領の判断で廃案となり、次期大統領の有力候補と目されたドビルパン首相が、政治的 に失墜する一因となった。フランスでは、高校生や青年学生が大きく動くと、政権が揺れ 動くのだ。 今回のデモは、近年、押し込まれ気味と思われていたフランスの労働運動や青年・学生 運動がまだ顕在であることを示した。 フランスでは、労働者保護制度の基本に労働法典があり、手厚い保護を細かく規定して いる。バルス首相はこれが雇用拡大を阻害していると考え、1 年前からこの制度の改革を準 備してきた。昨年 4 月 1 日、この制度の改革を検討する審議会の設置を発表し、座長に行 政裁判所(コンセイユデタ)のコンブレクセル判事を指名し、5 月に審議会が正式に発足し た。同審議会は、9 月に労働法典の簡素化と、雇用・賃金・労働時間・労働条件の 4 分野で、 従業員の過半数を代表する労組の合意があれば、企業レベルの労使合意を優先する改革を 提言した。さらに今年 1 月、バダンテール元法相を座長とする新たな委員会が、改定労働 法典の基本原則を列挙する報告を政府に提出した。政府はこれらの提言を受けて、2 月に労 働法典改定案( 「エルコムリ法」案)をまとめた。 政府は、法案の修正を約束し、当初案にあった不当解雇の補償金の上限設定を撤廃する などの譲歩で切り抜けようとしている。しかし、労組や学生・高校生団体は、「全体的な考 え方は不変」 「労働者の権利を後退させ、とくに青年雇用の不安定化を促進する」 (7 団体共 同声明 3 月 15 日付)として、反対行動を続ける立場を表明している。 マクロン法――規制緩和推進法の強行可決 労働法改定は、一年前から準備されていたものではあるが、昨年フランスで注目を集め ていたのは、むしろもう一つの規制緩和のパッケージ法である「経済成長・経済活動・経 済的機会均等法」 (通称「マクロン法」7 月 10 日成立、8 月 7 日発効)の方だった(※注 4、 注 5) 。 マクロン法は、①規制領域の開放、②投資と技術革新の促進、③労働と労使関係の発展 を三つの柱としており、日曜営業と夜間営業の規制緩和、不当解雇等の損害賠償の上限設 定、長距離バス路線の自由化など、多岐にわたる規制緩和を盛り込んだもの。経営者側に 有利な労使関係の改革が基本となっており、労働界はもちろん法曹界や政権党である社会 党内からも反対の声が上がっていた。 2 これに対し、バルス首相は 2 月と 7 月の議会での法案採択にあたり、首相の責任をかけ て表決なしに採択するという強硬措置を使って、社会党反対派による造反の動きを制した。 現行の第五共和制憲法では、政府提出の予算法案や社会保障財政法案については、政府の 責任をかければ議会の表決なしに採択できるとする憲法第 49 条 3 項(※注 6)がある。これ を適用したもので、不信任動議が可決されなければ、その政府提出法案は採択されたもの とみなされる。しかし、これは、2006 年にドビルパン首相がこの条項を発動した際、オラ ンド自身が、 「民主主義の否定」として批判した“禁じ手”である。 最有力労組の労働総同盟(CGT)は 6 月 16 日付の声明で、 「日曜労働の一般化、深夜労 働の拡大、経済的解雇の被害者の権利の削減、旅客輸送と空港の民営化、労働権の処罰対 象からの除外――これだけ経営者側の要求を満たしておきながら、労働者に対する見返り がない」法案の成立に、 「第五共和制でもっとも強権的な制度」を利用していると厳しく批 判した。 (II)「戦争状態」の宣言――2 つの大規模テロ事件 フランスは昨年、連続テロ事件(1 月 7~9 日)と同時テロ事件(11 月 13 日)という 2 つの大きなテロ事件に見舞われ、世界的な注目を浴びた。 1 月の週刊紙「シャルリ・エブド」 (※注 7)本社の襲撃をはじめとした連続テロ事件は、 死者 17 人の犠牲者を出した。射殺された容疑者 3 人はいずれも、フランスで生まれ育った 30 代前半(32~34 歳)の移民系住民と判明した。 フランス政府がシャルリ・エブド事件の翌日、テロ犠牲者を追悼するデモを 1 月 11 日行 うと決定すると、労働界もこれに呼応して、CGT、CFDT、CFE-CGC、CFTC、UNSA、 連帯、FSU の 7 労組が、フランス全土で「追悼とテロ襲撃への怒り」のデモを行うように 共同で呼びかけた。この 1 月 11 日のデモには、パリで 200 万人、全国各地で 370 万人が参 加する異例の大行動となった。 フランスは 11 月 13 日、死者 137 人以上というさらに多くの犠牲者を出す同時テロ事件 に見舞われた。オランド大統領はただちに「非常事態宣言」を発令した。 CGT や CFDT など前回と同じ 7 労組が、 「何ものも民主主義、平和、自由への攻撃とた たかう決意を妨げるものではない」との共同コミュニケを発表したが、非常事態宣言の発 令により、前回のようなデモの開催は許されなかった。 非常事態宣言は、デモ・集会の禁止、昼夜の家宅捜索、報道規制、人や車両の通行禁止、 立入禁止区域の設定、劇場の閉鎖、公務執行妨害の疑いのある者の滞在禁止など、市民の 自由と権利が大幅に規制できる緊急措置である。 現行の第五共和制憲法には、16 条に「非常事態措置権」 、36 条に「戒厳令」が明記して ある。非常事態措置権の発動要件は、国家の独立や領土保全の侵害、国際協約の履行の重 大な侵害かつ公権力の公正な運営の中断である(憲法 16 条 1 項) 。一方、戒厳令は、外国 との戦争や武装反乱による急迫の危険(1878 年戒厳令法第 1 条)が想定されている。 今回の非常事態宣言は、そのどちらでもなく、1955 年 4 月にアルジェリア戦争(※注 8) への対処のために制定された緊急事態法に基づいて発令されたものである。その憲法上の 根拠は明確でなく、その要件も、 “公的秩序への重大な脅威を生じさせる急迫した危険”と 曖昧で、事実上、その時々の大統領の政治判断に委ねられる形となっている。 3 緊急事態宣言のもとでの人権侵害行為 オランド大統領は 11 月 18 日、緊急事態宣言の 12 日間という有効期限を、3 カ月間延長 することを決めた。さらに、報道規制を撤廃し国会への報告を課す代わりに、テロ関与疑 惑者に対する令状なしの家宅捜査、移動の制限、電子機器付き足輪の装着、団体の強制的 解散を可能にする追加措置の法案を国会に提出した。これは特例規定に基づき、憲法裁判 所(憲法院)の事前審査に付されず、即日可決・公布された。 当局の一方的な判断で、テロとの関係を疑われた者たち(その大半が移民系住民)は、 深夜・早朝の令状なしの乱暴な家宅捜査で心身や家財に危害を加えられたうえ、自宅拘禁 や日常的な出頭命令で移動の自由を制限され、その結果、職を奪われたり人間関係が壊さ れたりする――こうした人権侵害の実態が、アムネスティやヒューマンライツウォッチな どの人権団体の告発やマスコミ報道などで明らかにされている。アムネスティ国際事務局 ニュース(2016 年 2 月 4 日付)によると、家宅捜索は 3,242 件以上、移動制限は 400 世帯 以上で、トラウマに苦しむ人が何百人も生まれているという。 実行犯 10 人のうち 5 人がフランス国籍を持つフランス人で、主犯格はベルギーのブリュ ッセル郊外の貧困街の出身者だ。実行犯を出したパリ南郊クールクロンヌのボデ市長は、 事件後のテレビ中継で、 「教育の失敗があり、都市郊外での移民統合政策に失敗がある」と 苦渋の表情を浮かべて述べていた。 強権的措置は移民系住民の統合や貧困と社会的疎外の問題をますます複雑化し、テロを 再生産するのではないかとの危惧の声も生まれている。にもかかわらずオランド政権は 2 月 16 日、非常事態をさらに 3 カ月、5 月 26 日まで延長する法案を通した。 OECD の統計によると、 「第三国国民」 (EU域外国からの移民)の失業率は、フランス 国民の失業率よりも 2 倍以上高いことが明らかとなっている。高等教育を受けた者に絞っ ても同様である(※注 9)。 フランス社会がテロリストを根絶するためには、こうした実態を解決することこそ求め られている。 イタリアのキエンゲ元移民融和担当相は、同時テロ事件は欧州の社会統合政策の失敗 か?」と仏週刊誌に聞かれ、次のように答えている。 「われわれは、ゲットー化によって危険地帯を作り出している。そこで若者たちは見捨 てられた感情を抱き、テロ組織によっていとも簡単にリクルートされる」 「社会への本当の 帰属感を抱くためには、外国出身者は、第一世代であろうと、第二世代であろうと、第三 世代であろうと、同等の統合政策を、とくに雇用分野で、享受しなければならない」 ( 『Jeune Afrique』ウェブサイト 11 月 19 日付) しかし、オランド政権は、憲法 16 条と 36 条の改定し、非常事態宣言の憲法的位置づけ を明確にする方に力を入れた。このなかには、テロ容疑者の国籍はく奪という極右が主張 してきた措置を、二重国籍者に限り認めるとする内容が加えられているため、社会反発が いっそう強まり、前述のトビラ法相の辞任劇も起きた。 CGT などの労組や各種の市民団体は 12 月 18 日、共同声明 「緊急事態宣言からの脱却を」 を発表し、 「テロの危険といかなる関係もない人たちをも標的となる緊急事態からの根本的 な方向転換」を求め、改憲反対を訴えた。そして、3 月 30 日、追い詰められたオランド大 統領は、憲法改正の断念を表明。改憲反対の世論と運動が勝利した。 4 報復空爆と「憎しみの連鎖」への反発 オランド政権はまた、同時テロ事件の犯行声明を出した「イスラム国」 (IS)が拠点とす るシリアの都市ラッカへの報復空爆を 15 日夜と 17 日未明の 2 回に渡り実施した。さらに 16 日、王権の象徴の町ベルサイユで上下両院協議会を招集し、 「フランスは戦争状態にある」 と宣言した。 リビア空爆によるガダフィ政権崩壊の翌年の 2012 年に就任したオランド大統領は、2013 年 1 月のマリ軍事介入から始まって、8 月の化学兵器を理由にしたシリア軍事介入の画策、 同年 12 月の中央アフリカ軍事介入、2014 年 9 月仏人人質殺害後のイラクでの対 IS 空爆開 始、同時テロ事件後のシリアへの報復空爆の強化に至るまで、中東・アフリカ地域への軍 事介入路線を突き進み、 「対テロ戦争」の泥沼に深々と足を突っ込んでいる。 こうしたテロと報復空爆の連鎖に反発する声がフランス社会でも上がっている。 同時テロで妻を失ったジャーナリストのレリス氏が SNS で、 「(テロリストに)憎しみと いう贈り物をしない」と、憎悪の連鎖を自ら断ち切る意志を語ったことが報道され、世界 に大きな感動を与えた。仏軍のシリア空爆開始(2014 年 9 月)に対して「戦争はわれわれ に仕掛けられた罠」と批判したドビルパン元首相の指摘は将来を予見したものとして、同 時テロ事件後、改めて話題を集めた。IS の人質となった経験を持つ仏ジャーナリストのエ ナン氏も、同時テロ事件後、自らの実体験から「空爆強化は IS の罠」と英紙「ガーディア ン」 (同紙ウェブサイト 11 月 16 日掲載)への寄稿で警告している。 フランス共産党も 11 月 17 日付の声明で、 「“フランスは戦争中”という人たちは重大な 責任を取らなければならない」とオランド大統領を批判。欧米の中東への軍事介入がイラ クやリビアでの「不安定化の根本原因」だと指摘したうえで、この「戦争第一主義戦略」 がイラクとシリアの民主勢力を「疎外」させ、それが IS の「戦略的イデオロギー計画」を 強化させていると告発している。 (III)地方選挙と極右の伸長――県議会選挙と地域圏議会選挙 こうした緊迫した情勢の中、昨年 2 度の地方選挙(3 月県議会選挙と 12 月地域圏議会選 挙)で、極右の伸長が明確となった。 じつは 3 月の県議会選挙は、議員の男女比を同数にする法改正(2013 年 5 月 17 日法) により、男女ペアで立候補が義務付けられた世界初の選挙であった。しかし、話題をさら ったのは、極右政党の国民戦線(FN)が第一回投票で 25%という地方選挙で過去最高の得 票率を獲得したことであった。政党間の連携が議席数に大きな影響を及ぼす選挙制度のも と、他党と連携できない FN は、最終的には、全 4,108 議席中 62 議席(極右全体で 66 議 席)に留まったが、決選投票(第二回投票)でも 22%と高い得票率を維持した。国民運動 連合(UMP)ら保守・中道連合は、合計 2,396 議席(決選投票の得票率 45%)で勝利し、 社会党ら左派は合計 1,597 議席(同 32%)と敗北を喫した。 非常事態宣言のもとで行われた 12 月の地域圏議会選挙では、FN は投票率 27.7%と記録 を塗り替え、本土 13 地域圏(コルシカ島を含む)のうち、6 地域圏で首位を獲得した。こ の結果はいっそう衝撃的で、反 FN での一点共闘を求める機運が高まり、労組も「労働界と 民主主義にたいする危険」 (CGT) 、 「大挙して反 FN 票を呼びかける」 (CFDT)など、決選 投票での FN 勝利阻止のアピールを行なった。社会党は、共和党(UMP が 5 月に改称)よ り得票が少なかった 2 つの地域圏(ノール・パドカレ・ピカルディとプロバンス・アルプ・ 5 コートダジュール)で、候補者名簿を撤回するなど、各党が FN 対策を講じた。その結果、 第一回投票で 10%以上の票を得た候補者名簿で争う決選投票では、FN が首位を取る地域 圏はゼロとなった。FN の獲得議席は 358 議席で議席占有率は 18.7%となったが、得票率 では決選投票でも 27%を超えた(27.1%) 。 なお、フランス共産党は、第一回投票では、社会党と組まず、9 地域圏で左翼戦線(フ ランス共産党、左翼党など)らの共同名簿、4 地域圏で共産党と小政党の共同名簿で臨んだ が、決選投票まで進むことができる 10%以上の得票はどこも獲得できなかった。そこで、 同党は“第一回投票は選ぶ選挙だが決選投票は消去法の選挙”として、決選投票では、第 一に反 FN、第二に反右派という立場で投票を呼びかた。左翼戦線ないし共産党の名簿の第 一回投票での得票率が、他党の名簿との統合が可能な 5%の基準を超えた 7 地域圏のうち、 社会党が退いた 2 地域圏を除く 5 地域圏で、社会党と名簿統合をおこなった。 結果は、全体として、共和党ら右派連合が 818 議席(占有率 42.8%、決選投票の得票率 40.2%) で勝利し、 前回選挙で過半数議席を制した社会党ら左派は 677 議席(占有率 32.1%、 得票率 32.1%)に後退した。 2015 年の地方選挙の 4 回の投票(各 2 回投票制)で明らかになったことは、いずれも 4 人に 1 人が極右政党に投票する状態が続いているという現実である。 ◇ ◇ 以上、見てきたように、テロ事件で揺れた 2015 年のフランスは、対外的には、シリア空 爆拡大、対内的には、非常事態宣言の拡大・延長とマクロン法成立のための強硬措置など、 オランド=バルス政権の強権発動が目立つ年となった。 政府は、生活を向上させる明確な展望を国民の前に示すことはできないままである。今 年 1 月のオランド大統領の支持率は 22%、バルス首相の支持率は 35%というみじめな数値 だ。共和党も地方選挙で勝利したとは言え、党首のサルコジ前大統領の支持率はわずか 21% で、極右政党 FN のルペン党首の支持率 25%を下回っている。他方で、ルペンとサルコジ の拒否率はともに 54%と高い(ODOXA 世論調査 1 月 26 日発表) 。世論調査は、フランス 国民の先行き不安感を示すものとなっている。 フランスは来年、大統領選挙を迎える。混迷と矛盾を深めるオランド政権への不満と不 信を温床に極右勢力が台頭してきているなか、冒頭に述べたような若者と労働者の立ち上 がりは、一種の希望となりうるのか、今後のたたかいが注目される。 【注釈】 ※注 1 2006 年、当時のシラク大統領は、この法律制定日の 5 月 10 日は「奴隷廃止記念日」と定め、 それ以降、毎年国家式典が行われている。トビラ氏は、閣僚として参加した奴隷廃止記念日の式典で、フ ランスの国歌斉唱を拒絶し、その気骨を示した。右翼ナショナリストはそんなトビラ氏を攻撃の的にして きた。 ※注 2 フランスでは戦後、企業内労働組合の存在と活動が認められたのは 1968 年 12 月 27 日法が施行 されてからで、労働組合に各事業所内の組合支部の結成と、その活動保障のための組合代表委員の任命が 認められた。企業単位での労使交渉は、1982 年のオルー労働法改革で、経営者に毎年 1 回、賃金や労働条 件などについて労働組合との企業内交渉を義務付けられたことにより開始された。労使協定の締結が急増 したのは、1998 年の法定 35 時間労働制(従前は 39 時間労働制)を定めたオブリ法により、労働時間短縮 6 の交渉が企業ごとに行なわれた時期だ。しかしそれでも、基本的には、産業レベルで締結された労働協約 からは、従業員にとってより有利なものでない限り逸脱してはならない制度が維持されていた。これが、 2004 年の」フィヨン法以降、徐々に掘り崩されてきている。このような企業内の労使交渉優先の制度への 改変提案は、労働者保護制度を後退させる内容を持っている。 ※注 3 週 35 時間労働制は現在、攻撃の的となっている。世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席した マクロン経済相は 1 月 22 日、記者団の質問に対し「週 35 時間労働制は実質的になくすことができる」と 述べた。バルス首相も 1 月 25 日の記者会見で「習慣を変えなければならない。週 35 労働制の適用除外は、 もはや規則違反ではない」と言い放った。 ※注 4 マクロン法では、新たに「国際観光地区」 (ZTI)を指定し、地区内の日曜営業と午前 0 時までの 夜間営業を認める。首都パリでは 9 月 24 日、12 カ所に ZTI が指定されることが明らかとなった。日曜営 業に反対するパリ商業部門の労組連合 CLIC-P は、9 月 15 日に抗議行動を行なった。CLIC-P に加わる独 立労組全国連合(UNSA)の幹部は、“日曜労働は自発性に基づいてのみ行われる”という原則について、 「それは強制的自発性で、労働者に選択肢はない」と批判している(「ルモンド」9 月 16 日付) 。 ※注 5 もう 1 つ昨年 7 月に成立した重要な労働関係法に、従業員代表員制度を簡素化する「社会的対話 と雇用に関する法律」 (通称「レプサメン法」7 月 23 日成立、8 月 17 日発効)がある。 昨年、従業員代表員制度の簡素化に関する「労使対話」が 1 月 17 日まで開催された。 財界団体のフランス企業運動(MEDEF)は、規模の大小を問わずすべての企業に代表機関の設置義務 を課すことと引きかえに、従業員代表機関を統合し、簡素化をはかることを求めた。これに対し、小企業 の代表機関設置に中小企業総連合(CGPME)が反発。労組側は、それぞれが独自の専門的役割を果たし ている代表機関の一律の統合を警戒し、また、従業員取締役の拡大なども求めるが折り合いがつかず、1 月 22 日に最終的に決裂した。 政府は、労使双方と協議をし、レプサメン法にまとめた。中規模事業所(従業員 50 人以上 300 人未満) の場合、従業員代表委員(DP) 、企業委員会(CE) 、衛生・安全・労働条件委員会(CHSCT)の 3 制度を 統合し、従業員単一委員会(DUP)に一本化する。大規模事業所(従業員 300 人以上)は、職場選挙での 得票が合計して過半数となる労組(過半数労組)の同意あれば、この統合が出来ることになった。小規模 事業所(11~50 人未満)は、現行制度(従業員代表員の選出義務)が維持される。他方、従業員代表取締 役を置く義務が生じる従業員数の下限を 5,000 人から 1,000 人に引き下げる従業員取締役の義務付け拡大 の措置も盛り込まれた。 なお、CGT は、職場の労働条件を専門とする機関である安全衛生労働条件委員会(CHSCT)の役割が、 統合によって薄まることなどを危惧し、最初から反対の態度を貫いている。 ※注 6 第五共和制憲法第 49 条 3 項 「首相は、閣議の審議の後、政府提出の予算法律または社会保障財政法律案の表決について、国民議会 に対して政府の責任をかけることができる。この場合、続く 24 時間以内に提出された不信任動議が、前項 に定める要件に従って可決された場合を除いて、その政府法律案は採択されたものとみなされる。さらに 首相は、会期ごとに 1 つの別の政府提出法案または議員提出法案について、この手続を発動することがで きる」 (三省堂『新解説 世界憲法集 第 3 版』 ) 7 ※注 7 「シャルリ・エブド」紙は、 「お馬鹿で意地悪」をモットーに、 “タブーなき風刺”を売り物にす る週刊紙。イスラム教やキリスト教などの宗教も風刺や揶揄の対象とし、これまで、たびたびカトリック やイスラムなどの団体や信者の反発を買い、訴訟が起きていた。 ※注 8 アルジェリア戦争は、1954 のアルジェリア民族解放戦線(FLN)の決起から始まり、62 年の 独立承認(エビアン協定)で終わるアルジェリアの対仏独立戦争。フランスは 1954 年のインドシナ戦争敗 北でインドシナから撤退。1956 年に北アフリカのモロッコとチュニジアが、1960 年からはアフリカ全土 で仏植民地が次々と独立した。しかし、内国扱いで 80 万を超える在留仏人社会を抱えていたアルジェリア は別格で、あくまで「フランスのアルジェリア」に固執したため、戦争は長引き凄惨を極め、死者 30 万と も 40 万とも言われる厖大な犠牲者を出した。 現行の第五共和制憲法は、独立戦争による政治的危機が深まるなか、ド=ゴール首相への全権委任法 (1958 年 6 月)に基づいて起草作業が進められ、1958 年 10 月に施行された。緊急事態法(1955 年 4 月) は、この憲法制定以前の戦争初期に制定された。 ※注 9 OECD/EU indicators of immigrant integration 2015, p.311 参照 8 □
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