大阪市立科学館研究報告 24, 17 - 20 (2014) アーク灯の歴史と復元のための試作 大 倉 宏 * 概 要 アーク灯は最 初 期 の電 流 利 用 例 であり、1851 年フランスのデュボスクは最初の商 業 的アーク灯を製作 している。日 本 で最 初 に公 の場 で燈 った電 灯 はこのデュボスク式 アーク灯 であり、このアーク灯 を復 元す る意義は大きい。今 回 復 元 のための試 作 を行ったので報告する。 1.はじめに 1878 年、日本で初めて公の場で燈った電灯はアー ボルタの電池の発 明は 1800 年であった。これにより ク灯であった。ちなみに、エジソンが白熱 電 球を発明し 電 流 を利 用 することが可 能 になった。1802 年 、ロシア たのが翌 1879 年である。明治元年が 1868 年なので の 物 理 学 者 ペトロ フに より アーク 放 電 が 発 見 さ れ 、同 1878 年は明治 11 年になる。まさに文明開化の時代で、 年 デービーも炭 素 電 極 によるアーク放 電 を発 見 した。 この年の 3 月 25 日、東京木挽町(銀 座 )に電信中央局 彼は、1808 年(あるいは 1815 年)2000 個のボルタ電池 が 開 業 し、祝 賀 晩 餐 会 が 虎 ノ門 の 工 部 大 学 校 ( 東 大 を使ったアーク灯の公 開 実 験にも成 功 した。 工 学部の前 身 )の大ホールで行われた。このとき、時の 明 るいアーク 光 を 出 すため炭 素 棒 が 使 われ たが電 極 は非 常 に高 温 になり、蒸 発 したり燃 えたりして短 くな ると放 電 は維 持 できない。それがアーク灯 の欠 点 であ 工 部 卿 伊 藤 博 文は、エアトン教 授 にアーク灯を点 灯さ せることを命じた。 エアトンはイギリスから来たいわゆるお雇い外 国人で、 り最 大 の問 題 点 で、 長 時 間 使 用 するには対 向 する電 優 秀 な学 者 であり、教 師 であった。彼 は、藤 岡 市 助 、 極の間隔を一定に保 つ工 夫 が必 要 であった。 中 野 初 子 、 浅 野 応 輔 ら 学 生 を 指 導 し、グ ローブ 電 池 当 時 は性 能 のよい発 電 機 が無 くアーク灯 は電 池 で 点灯させることが多かったが、ステイト(1836 年あるいは 50 個を使ってアーク灯の点灯に成功した。 「藤 岡 市 助 伝 」には、「宴 会 席 上 は白 夜 の感 を呈 し、 1847 年)やセリン(1857 年)は時 計 仕 掛 けで対 向する炭 貴 客 拍 手して大 いにこれを歓 迎したが、それは束の間 素 棒 電 極 を 動 か す し く み を 作 っ た 。 デ ュ ボ ス ク (1851 で、やがて会 場 にシューという音 を聞 くと同 時 に、アー 年 ) は セリンと 並 ん で 最 初 の 商 業 用 アー ク 灯 を 作 っ た ク線 (ママ)は切れて宴席はたちまち暗黒となる」 2) と記さ 一人であった 1) 。 れているとある。この日を記念して後に 3 月 25 日は電 一 方 、ヤブロチコフは、平 行 に炭 素 電 極 を配 した 気記念日に制定された。 「電 気 ロウソク」を交 流 で点 灯 させる方 法 を発 明 した このときのアーク灯 がフランス製 のデュボスク式 アー (1876 年 特許 )。これが実 用 的 なアーク灯 と呼 ばれるこ ク灯 であった。天 井 に吊 るされた(設 置 された)と言 う記 ともあり、1878 年 のパリ万 国 博 覧 会 では、オペラ座 大 述 があるが、現 在 写 真 や図 面 で手 に入 るものは、全 て 通りに 64 個のヤブロチコフのアーク灯が設 置された。 テーブルなどに置 いて使 われる形 状 のものだけなので、 アーク灯 がガス灯 に取 って代 わるためには性 能 のよ い発電 機が必 要 であった。ブラッシュは発 電 機 とともに アーク灯照明システムを構 築 した(1878 年 頃)。 どのように吊るし点灯したのか詳細は分からない。 なお、一 般 人 の見 た始 めての電 灯 は、明 治 15 年 (1882 年)11 月 11 日、東京銀座 2 丁 目 大 倉 組 前 (現 在 の松 屋 銀 座 店 向 かい)のブラッシュ式 アーク灯 2.日本初の電 灯 3) の 点 灯である。このときの情景 は『錦絵に表れた「電 気 事 業 」 事 始 』 と して 現 在 休 館 中 の 電 気 の 資 料 館 所 蔵 の * 大 阪 市 立 科 学 館 (中 之 島 科 学 研 究 所 ) [email protected] 「東京 銀 座 通 電 気 灯 建 設之 図」という錦絵 に残され有 名である。白熱電球(熱 熾 灯 )は 1884 年 6 月 25 日 の 大倉 宏 上 野 駅 での鉄道開 通 式 4) (あるいは 1883 年 1 月 22 日 なかったので、 の鹿鳴館夜会 )である。大 阪 では、明 治 19 年(1886 年 ) パリの国立 工 大 阪 紡 績 (通 称 三 軒 家 紡 績 、東 洋 紡 の前 身 )でエジソ 芸 学 校 の資 料 ン式 直 流 発 電 機 により夜 間 照 明 のため白 熱 電 球 が利 センターにあ 5) 用された 。 ったアーク灯 の資 料などか 3.デュボスク式アーク灯 ら笹 尾 氏 は外 デュボスク(Jules Duboscq 1817-1886)は比 色 計の発 観を復元して 明 でも 有 名 な 人 物 で、 アー ク 灯 の 電 極 を 調 整 する 時 いる。こ のアー 計 機 構 を考 案 した。彼 のアーク灯 とされるものには、さ ク灯は今でも まざまな年号が付けられているが、1851 年 のロンドンの 点 灯 させること 世 界 博 覧 会 でアーク灯 により金 メダルを受 賞 し、1855 ができ、今年 年と 56 年にはパリでも受 賞 し、1853 年には彼の装置 の 2 月に JR 川 を使った写真撮影 法 の本を出 版 している 6) ので、発明 崎 駅 前 にオー 笹 尾 氏 の 製 作 し た ア ー ク 灯 (東 芝 は、1840 年代後半から 1850 年 代 前 半 であったと思わ プンしたばかり 未来科学館蔵) る。 の東 芝 未 来 科 炭 素 棒 電 極 のアーク 灯 を 電 池 で点 灯 させると陰 極 学館に常設展示として展示されている。 に比べ陽 極はより早 く消 耗 する。デュボスクはラック・ピ 真 鍮 製 で大きさは、高さ約 60 センチ、円筒 部の直 ニオンで電極を繰り出 したが、ギヤ比を 2:1 にして陽極 径は 15 センチ。スライダックで降圧した交流 20~40V の方 をより早 く繰 り出 すようにしてアーク光 の出 る場 所 程度で点灯する。炭素棒は直径 2 ミリ程度のものがつ を一 定 に保 つ工 夫 をしている。この歯 車 は ぜんまいバ いていた。上下の電極が 2:1 の割合で動くところはオリ ネで動かしたようだ。 ジナルと一緒であるが、電極 が自動 的に繰り出す機 構 当 時 、劇 場 でも使 われたほか、幻 灯 機 の光 源 として までは再 現 されてなく、本 体 円 筒 部 から出 たレバーつ も使われたようだ。幻 灯 機 用 のフードのついたデュボス まみを回して動かすようになっていた。電極の動きは滑 ク式 アーク灯 の写 真 ・動 画 ・図 版 がネットでいくつか見 らかであった。点 灯 時 は 電 極 の減 りをレバーつまみで ることができる。またセリンのアーク灯 が動 画 で見 ること 追 いか け放 電 を 持 続 させる 。 内 部 の 機 構 は 見 せてい できる 7) 。セリンのアーク灯 は重 力 で動 くようだが機 構 は良く似ているそうである。 ただけなかったが、後に入手 した図面で見ると、想像し た通りラック・ピニオンであった。 ネットでは、「フーコー&デュボスク電 磁 レギュレータ (Foucault & Duboscq electromagnetism regulator)」と 4.アーク灯復元の試作 いうものが散 見 される。これは、フーコーの発 明 した電 4-1.試作品 磁 的 調 節 機 構 にデュボスクの機 械 式 機 構 を組 み合 わ せたものであろう。 レオン・フーコーは、1851 年 地 球の自 転を照明する 振り子 実 験を成 功 させたことで有 名 な物 理 学 者 である。 笹 尾 氏 のアーク灯 の写 真 や、いくつかのデュボスク 式 アーク灯 の写 真 や図 面 を元 に、株 式 会 社 リテン( 京 都 府 久 御 山 町 ) に 委 託 し て 実 際 に 点 灯 でき る アーク 灯を試作した。 医 学 校 を中 退 した彼 は、師 のドネの顕 微 鏡 写 真 撮 影 筐 体 はプラスチック製 で、 のた め、アーク 灯 の 電 極 を 電 磁 石 を 使 っ て一 定 速 度 支 柱 や皿 部 はステンレスであ で動 かす電 気 調 節 装 置 を発 明 した。フーコーは、ドネ る。上 部 の電 極 は固 定 で、顕 が 45 年に著した「顕 微 鏡 学 教 程」の第 2 巻の共著者 微 鏡 の鏡筒を動かす調 整 ネ 8) になっている 。 ジを改 造 して下 部 の電 極 が ネジを回すことにより移動させ 3.笹尾氏のアーク灯(東 芝 未 来 科 学 館 蔵 ) 昭 和 53 年(1978 年)、日 本 最 初のアーク灯の点灯 から 100 年ということで、当 時のアーク灯を再 現しようと ることができる。大 きさや外 観 はできるだけ笹 尾 氏 が復 元 し たアーク灯に似せた。 いう 機 運 が 高 まり 、 照 明 文 化 研 究 会 の 副 会 長 だ っ た スライダック で降 圧 した 20 笹 尾 局之 氏 (故 人 )が、デュボスク式 アーク灯 を復 元 し ~ 25 V で 点 灯 さ せ る こ と が で た 9,10) 。 残 念 ながら既 に当 時 の実 物 、及 び資 料 が残 ってい きる。電 極 は入 手 しやすい製 図用の 2 ミリφの鉛筆芯を使 試作したアーク灯 アーク灯の歴史と復元のための試作 うようになっている。鉛 筆 芯 、電 圧 を適 当 に選 べば、調 最 近、芯 は赤 熱する程度 に通 電、あるいは蒸し焼き 整ネジを操 作し下 部 電 極 を動 かすことで 5~10 秒 程 し、糊 (あるいは油 ?粘 土 成 分 ?)を飛 ばしてから使 えば 度放電状態を維持することができる。 よい 11) とアドバイスをいただいた。ハードな芯が割れ易 いのは、芯の中の油のようなものが温度が上がり、揮発 4-2.点灯結果と考 察 するせいかもしれない。 電極炭素棒には、三 菱 鉛 筆 芯ホルダー用 替 芯 (2 ミ スライダックの他 に、20V5Aまで出 せる直 流 電 源 装 リφ)を使った。4H から 4B まで様々な硬さのものが市 置 が あった の で、それ でも 試 して見 た 。ぎ りぎり アーク 販されているのでいくつか試 してみた。電 圧は 20~25 光 を出せるが、明るいアーク光を出 そうとすると針 が振 Vで行った。 り切れるまでボリュームを上 げないといけないので、メイ 光らせ方は、電 極 を最 初 に接 触 させてから少し離す ンにはスライダックで実験した。 ものだと思っていたが、1~2 ミリの間 隙を最 初から開け ておき、スライダックで電 圧を徐々に上 げると 15~20V 付 近 で放 電 が起 こった。紫 外 線 が出 るので、サングラ スを装着して実験を行った。 3.さいごに アーク灯の歴史は 200 年ほどあるが、白熱電球の台 頭とともにやがて姿を消 し、限 られた場 所にしか残 らな 電 極 が 消 耗 するので、つ まみで電 極 を動 かさないと かった。1880 年代アメリカでは 590 件にものぼる特許 放電は終わってしまう。うまく電 極を動かせば 5 秒 以 上 が承 認 されたそうだが、アーク灯 の技 術 は既 に廃 れて 点 灯 させることは可 能 であるが、熱 で器 具 が破 損 する いて、当時の機 械や放 電の機構を文献で追うことは容 心 配 があったので、あまり長 時 間 点 灯 させることができ 易 ではない。同 じ発 明 ・ 発 見 の 記 録 も 複 数 のネット上 な い 。 また 、 上 下 の電 極 火 坑 (本 文 参 照 )は で き な い が 、放 電 さ せ る と 先 端 が 尖 っ て く る 。先 端 は 赤 熱 し、放電後みると白い灰が付いてい る。 に異なる年が書かれているような状態である。 アーク灯 は、直 流 で点 灯 すると陽 極 の先 端 に火 坑 と 12) が正 確 に対 いう凹所ができ、これが高い輝きの光源となる そうで 向 してなく1 ある。ぜひとも調 べてみたいが、今 回 の実 験 の範 囲 で ~2 ミリずれ は、火坑はできていない。 ている。遊 火 坑 のできない原 因 のひとつは、炭 素 棒 が細 すぎた びがあるの のではないだろうか。東 芝 未 来 科学 館で見せていただ で、支 柱 部 いた笹尾氏のアーク灯には 2 ミリφの炭素棒が付いて 分に力を加 いたので、我々も入手しやすい 2 ミリφを使うこととして、 えながら対 試作を製作した。 向させ、つ しかし、後に入手した笹尾氏の文章や図面によると 4 まみで電極 ミリφとある。おそらく炭 素棒 は消耗品 なので後に入 手 を操作しなければならない。けっこうコツが必 要 である。 しやすい 2 ミリφに付け替えられたのであろう。 エジソンの実験と称して、スライダックを使って 0.5 ミ 2 ミリφより太 い炭 素 棒 は、理 科 実 験 の電 気 分 解 用 リのシャープペンシルの芯 に通 電 し 白 熱 (赤 熱 )させて の電 極くらいしかないと思っていたが、ホルダー芯には 光らせる実験がある。数 秒 で芯 が燃えたり蒸 発 したりで 太さにバリエーションがあり、5.7 ミリφくらいまでは、比 終 わるのだが、最 後 はわずかな時 間 アーク光 を放 つ。 較 的 容 易 に 入 手 できるようである。器 具 の 取 り付 け 部 この実 験 の経 験 からハードな芯 は割 れ易 いことを知 っ 分を太い芯を取り付けられるよう改造してぜひ試したい。 ていたので2Hは向 かないだろうと思 っていたが、果 た 電 源 装 置 にも多 少 不 安 が残 るが、電 池 なりバッテリー してそうであった。 を使うなりすれば可能であると考えられる。 2Hは弾 けて危 険 であった。HBはうまく行 くこともあ るが、割 れてしまうことがある。Bはヒビが入 ることもあっ 謝辞 たが割れることはなかった。まあまあである。2Bは良 好 東芝未来科学 館の荘司金 秋氏には、開館直 前の多 であっ た 。4Bも 良 好 である が 、消 費 が 速 いよう に 感 じ 忙 な時 に、 笹 尾 氏 のアーク 灯 を見 せていただき、また た。 解説いただいた。感謝いたします。 電 極 は、硬 く 炭 素 量 の 多 いものが適 しているそうだ 国 立 科 学 博 物 館 の前 島 正 裕 氏 には、ブラッシュ式 が、相反する条件 である。ブラックさが増 すにつれ良好 をはじめ様 々なアーク灯 の原 理 、笹 尾 氏 のアーク灯の になっていく傾向 があったが、あまりブラックだと消耗が ことなどを教えていただいた。感謝いたします。 激 しいようである。今 のところ2B辺 りがベストであるよう に思える。 日 本 電 気 協 会 関 西 支 部 の 西 美 憲 氏 には、笹 尾 氏 の記 事 やアーク灯 の図 面 を探 し出 していただいた。感 大倉 宏 謝 いたします。また、東 芝 未 来 科 学 館 には、笹 尾 氏 の 11) 筒 井 和 幸(大阪教育大学附 属高等学校 )私 信 アーク灯の図面を提 供いただいた。感 謝いたします。 12) 日本大百科全書(小 学 館 1984 年版)のアーク灯 の項より 参考文 献 1) W. James King ‘The development of electric technology in the 19th century’ http://www.ampere.cnrs.fr/parcourspedagogiqu e/zoom/faraday/applielec/King.pdf 2) (社)日本電 気 協 会ホームページ https://www.kandenkyo.jp/pdf/yukari_vol01.pdf より。昭和 3 年 発 行 の「藤 岡 市 助 伝」に書かれてい るとある。ちなみに、大 正 6 年に編まれた藤 岡博士 寿 像 建 設 委 員 会 編 の「工 学 博 士 藤 岡 市 助 君 伝 」 が近 代 デジタルライブラリーから見 れるが、この記 述 はない。1998 年 ゆまに書 房 から人 物 で読 む日 本 経 済 史 第 9 巻として瀬 川 秀 雄 編 纂 で出された 「工学博士藤 岡 市 介 伝」は大 正 6 年 の「工 学博士 藤岡市助君伝」の復 刻 。 3) 前 島 正 裕 「日 本 国 内 に現 存 するブラッシュ式 と呼 ばれる 2 台 のアーク灯 について」(国 立 科 学 博 物 館 研 究 報 告 E 類 33 巻(2010 年)) 4) 石﨑有義「 白 熱 電 球 の 技 術 の 系 統 化 調 査 」( 国 立科学博物館技術の系統化調査報告) 5) 電 気 の歴 史 (日 本 の電 気 事 業 と社 会 )(電 気 事 業 連合会のホームページ http://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/ ) 。 ち なみに、東京 電 灯 会 社 が創 業 するのがこの年。同 ページには、1884 年 には大 阪 の劇 場 でアーク灯 が使われたとある。1989 年 までに、神 戸 電 灯 、大 阪 電 灯 、京 都 電 灯 、名 古 屋 電 灯 が相 次 いで開 業 した 。なお、 大 阪 の 環 境 2011( 大 阪 府 環 境 白 書 http://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/meiji/ )2 ページには、1883 年とあるが、これは大 阪紡績 の操 業 年 と間 違 えたのだろう。同 所 は、創 業 時 か ら石油ランプを使 用 して深 夜 業を行っていた。 6) バーモント大 学 物 理 学 科のホームページ http://www.uvm.edu/~dahammon/museum/Jules Duboscq.html より 7) YouTube の https://www.youtube.com/watch?v=EhsjiSvLLA Q から作動の様 子を見ることができる。 8) アーミル・D・ア ク ゼ ル「 フ ー コ ー の 振り子」 (早 川 書 房) 9) 笹 尾 局 之 ・落 合 勉 「アーク灯 を求 めて」(電 気 技 術 史 第 24 号 平 成 13 年 6 月 18 日発 行 (社)電 気 学 会 電気技術史技術委員会) 10) 笹 尾 局 之 「 デ ュ ボ ス ク ・ ア ー ク 灯 復 元 に つ い て 」 (「あかり」照明 文 化 研 究 会 会 報 (平 成 15 年))
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