1969 年ウッドストックの記憶 ――ロック音楽祭、若者、世代―― 京都大学 森山貴仁 1 目的 本報告の目的は、1969 年に米国で開かれた無料野外ロック音楽祭ウッドストックの記憶の検討 である。69 年 8 月 15~18 日に開かれたウッドストックは数十万人もの観客を集めたにもかかわら ず、他のロック音楽祭とは異なり暴力事件は報告されず、 「愛と平和の祭典」として理想化される。 本報告は、このウッドストックを多面的に考察し、より広い視野から捉えることを試みる。 2 方法 主な分析対象は、新聞雑誌や、映画、二次文献、ネット上の語りである。それらは、ロック音楽 祭を批判する保守派、ヒッピー文化に同調する立場、そして一般の意見の 3 つに分類できる。 3 結果 第一に、ウッドストックの記憶の多様性が理解できる。準備や開催段階を詳細に検討すると、ウ ッドストック音楽祭に関わったのは若者やヒッピーだけでなく、保守的な地域住民や警察、利益目 的の実業家など多様な人々だった。そのために、新聞における批判的な記事、ウッドストックを「共 同体」として映そうとする映画、場所や空間を重視する観客の語りなど、ウッドストックにかんす る言説は、重なり合いながらも異なる様相を見せている。 第二に、上のような多様な言説がありながらも、それらに底流する特徴が存在する。つまり、ウ ッドストックの記憶では、ロック音楽と、若者、世代、1960 年代という異なる概念が同一視され ており、この傾向はウッドストックに対し肯定的でも否定的でも変わらない。ウッドストックなど ロック音楽祭は、当時の若者だったベビーブーム世代の多くを惹きつけ、1960 年代の他の社会運 動と同様に反社会・反商業主義の姿勢を示した。そのため、ロック=若者=世代=1960 年代とい う一連なりの言説が形成されたのである。 最後に、こうした言説によってウッドストックから捨象された人々が見える。ウッドストックが 1960 年代の若者を主役とする社会現象と捉えられると、1969 年ウッドストックに関与した成人の 地域住民や、ベビーブーム世代以降の若者は、その言説から排除されていった。ウッドストックは 1969 年以降にも、94 年と 99 年に開催されたが、そこでは失われた時代精神が指摘され、69 年ウ ッドストックこそ「オリジナル」だと幾度も語られたのである。 4 結論 このように本報告から、ウッドストックにかんする語りの多様さ、しかしその様々な言説に共通 するロック=若者=世代=1960 年代のイメージ、そしてベビーブーム世代を主役とした結果、他 の「世代」が影をひそめたことがわかる。こうしたイメージは 1960 年代という時代のイメージ一 般とも重なり、ウッドストックの記憶は 1960 年代像や世代論を考える上で重要だといえるだろう。
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