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青木修 ;
青木修(あおきおさむ〉
獣医学博士・獣医師
現職 : 凶日本装蹄師会事務局長
1950年生まれ。 1974年、麻布獣医科大学(現
麻布大学)獣医学科を卒業し 、 日本装蹄師会
入会。 1979年麻布大学大学院1導士課程終了。日本装蹄師会
で装蹄師教育にか力、わるかたわら、装蹄理論を確立するた
めに、バイオメカニクスの視点、から馬の歩行運動の研究に
従事。著書に「装蹄学 J 、「日本装蹄発達史」など。現在、
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競走馬の蹄鉄は
9mmx22mm 、重量:125g 以下
JRA では、レースで履く蹄鉄にルール
を設定している。要点は次のとおりだ。
日本各地で活発な講演活動も行っている。 2004年、アジア
句え から初めて国際馬獣医師殿堂入リ。
され、八代将軍吉宗に献上された。ウマた
ちに付き添ってきたオランダ人のなかに、
馬や北海道和種(どさんこ)などである 。
装蹄師もいたという。彼は日本人に装蹄や
今の区分から言えば、それらは、ポニ一、
蹄鉄の技術を伝えた 。 が、それは結局、日
の仲間である。ポニーとは、体高ー肩の高
本では普及しなかった。在来和種の蹄が丈
さーカ'ì 147cm以下のウマたちの総称だ。在
夫だったこと 。 路面が柔らかく、蹄への負
来和種馬は、荷駄を背中に積み、あるいは
担が少なかったこと 。 すでに時代は平和に
《装着時のでき上りが厚さ 9mm以下、
人を背に乗せるなど、人々の暮らしに役立
なり、軍馬としてのウマの重要性が薄らい
最大部分の幅 22mm以下、重さ 125g以下の
ってきた。が、ウシに比べれば、労働力と
でいたこと、などの理由が考えられる。
もの。ただし、高さ 2mm以上の突起物が
しての役割は小さかったようである。日本
ある蹄鉄や他馬を傷つける危険性のある加
の古い絵巻物などには、
工蹄鉄は禁止》
競走馬には令兼用蹄鉄骨
2 輪の車を引くウ
シの姿がしばしば描かれている。いっぽう、
さて、現在の装蹄や蹄鉄は、いつ頃、日
本に上陸したのだろうか。それは明治 6 年
まで待たなければならない。武士のステイ
馬車を引くウマの姿を見ることはまずない。
タスシンボルだったウマは、明治維新後、
合戦や武者行列などを描いた絵画には、武
富国強兵の時勢に乗り、国策として軍用馬
の強化策が進められた。その一環としてフ
レース当日、装鞍所の入り口では、専門
将たちを乗せたウマたちがしばしば登場す
の担当者が蹄鉄を検査する。ルールに適合
る。この時代、ウシは貴族の乗る牛車や庶
ランスから装蹄師を招き、近代装蹄の技術
していれば、どんな蹄鉄でも使うことは出
民の荷車の牽引に使われていた。ウマはも
を日本人に伝授した。さらに明治 23年には、
来る。が、実際には JRA が認定したや兼
っぱら武将を乗せる軍用馬だった。
ドイツから装蹄の指導者を招いている。
用蹄鉄、と呼ばれる既製品蹄鉄を履いて出
走する競走馬がほとんどだ。
江戸時代の末期まで、日本に蹄鉄は存在
いずれ Lこせよ日本の装蹄は、フランス式
しなかった。もっぱらハダシだった。たま
に始まり、途中でドイツ式を導入し、それ
ただし兼用蹄鉄が普及する以前、中央競
にワラで編んだ、ウマわらじゃを履くこと
らを基盤に独自の技法として形づくられて
馬では調教とレースで、異なったタイプの蹄
はあった O その当時のウマわらじは今に残
きた。それは軍馬用の装蹄方法で、あった。
っていない。が、ウマを描いた当時の絵画
第 二次大戦後は、軍馬が姿を消し、代わり
のなかには、わらじを履いているウマの姿
に競走馬や乗用馬が主役になってきた。そ
鉄を履いていた。
アルミ合金製の調教用蹄鉄は、一般に太
くて厚みがあり、耐久性に優れている。い
っぽう、競走用蹄鉄も素材は同じアルミ合
金だ。全体的に細身で、通常サイズの蹄鉄
こで装蹄にも改革が求められ、昭和 56 年、
が写されている。
日本の蹄鉄「はじめて物語 J
1 個が 75 g とごく軽い。が、耐久性は乏し
日本に最初に蹄鉄が持ち込まれたのは、
い。そのためレース後には調教用蹄鉄に打
徳川時代。オランダから数頭のウマが輸入
国際 G 1 。ジャパンカップ、レースの開催を
契機に、国産の兼用蹄鉄が登場することに
なる 。 ここに昨今の競走馬用令スポーツ装蹄や
が、その端緒についたのである 。
ち替えなければならない。
蹄鉄はや蹄釘、と呼ばれる専用の釘で、
蹄の側壁に固定されている。通常は、一
つの蹄に 6 本の釘を使用する。レースの
競走用には兼用蹄鉄
たびに、調教用→競走用→調教用と蹄鉄
を打ち替える。その結果、蹄は釘で傷つ
き、末端部がボロボロになる。蹄の弱い
ウマでは、そのために出走を回避せざる
を f専ないこともある。
昭和 59年、この問題を解決するため、
競走用蹄鉄の軽量性を活かしたまま、調
教中にも使用できる蹄鉄が実用化された。
それが現在の兼用蹄鉄の「はじまり」で
ある。
兼用蹄鉄の「はじまり」からさらに遡り、
ここで日本の装蹄の「はじめて物語」を
紹介しておこう。
江戸時代は蹄鉄いらず
日本にも古くからウマがいた。それは
在来和種と呼ばれる小柄なウマたちだ。
現在でも 8 種の在来馬が残存する。木曽
競走用蹄鉄の規格と、兼用蹄鉄、
(次回は 1 月 23 日発売号)