続よくわかる心電図 ver.4.0β 時政孝行 久留米大学客員教授(生理学) 蓮尾 博 久留米大学非常勤講師(生理学) 鷹野 誠 久留米大学教授(医学部生理学講座) 柳(石原)圭子 久留米大学准教授(医学部生理学講座) - 1 章 - イオンチャネルを学ぶための基礎知識 1-9 章全体の目次と参考図書は 0 章を参照してください 1 目次 0 章 総合案内 ・ 目次 ・ 参考図書・文献 ・ 著者紹介 第 1 部 イオンチャネル入門 1 章 イオンチャネルを学ぶための基礎知識 2 章 オームの法則の使い方 3 章 Shaker チャネルの構造と機能 4 章 Kir チャネルの構造と機能 5 章 イオンチャネルに関する IUPHAR 情報の読み方 6 章 演習:先天性 QT 延長症 1 章 イオンチャネルを学ぶための基礎知識 ・ イオンチャネルとは ・ 天然毒 ・ 細胞膜とイオンチャネルの役割分担 ・ セシウムとバリウム ・ 何がドア(ゲート)を開けるのか ・ 亜鉛とカドミウム ・ イオンの流束 ・ 質量作用の法則 ・ イオンチャネルの活性化 ・ 専門書を読み解くポイント(1) ・ イオンチャネルの不活性化 ・ 専門書を読み解くポイント(2) ・ イオンチャネルの脱活性化 ・ 専門書を読み解くポイント(3) ・ どれくらい開くか ・ コラム:アミノ酸 ・ 開孔促進とは ・ コラム:速度定数 ・ どれくらい出入りするか ・ NOTE:イオンの流入量 ・ 何が出入りするか ・ 参考図書・文献 第 1 章 APPENDIX よく使うグラフ 2 はじめに 今から約 12 年前のことですが、心電図の講義・実習を終えた学生からフィードバック される意見や感想を吟味してみると、波形の丸暗記に対する不安、波形のワケをきっ ちり解説していない教科書への不満を感じながら、心電図の基礎、機序と症例を渇望 しているさまが垣間見えました。これらのニーズに応えられるような教科書を企画し ていたちょうどそのとき、久留米大学が e ラーニングの導入を検討中という風の便り を耳にしました。それでは先陣を承りましょう、ということで執筆したのが「続よく わかる心電図 ver.1.0」でした。そして、2003 年春、久留米大学医学部生理学教室の ホームページにリンクさせる形式で一般公開に踏み切ったのです。その後 2011 年 9 月 からバージョン 3.2(当時)の大幅改訂に取りかかり現在に至っています。第 1 章と第 2 章は昨年夏前に改訂作業が完了し、バージョン 4.0 のβ版として一般公開中。 本書の構成を簡単に紹介します。第 1 部「イオンチャネル入門」はイオンチャネル に関する専門書を読み解くための入門書として位置づけられています。内容的にはす でに大学院レベルですが、専門性をさらにアップさせるべく第 3 章から第 6 章までの 改訂を進めています。キーワードは Shaker、Kir、long-QT など。 第 2 部「心筋細胞の興奮」では心電図の発生源である洞結節細胞の歩調取り電位と 固有心筋細胞の活動電位についてチャネル分子、チャネル遺伝子のレベルで解説しま す。キーワードは過分極誘発性陽イオンチャネル(HCNs)、ATP 感受性カリウムチャネ ル(Kir6.x/SURx)など。最適レベルは大学院生や若手研究者です。 公刊論文から引用した図には出典(引用元)を明記しました。それぞれの説明文末 尾をご覧ください。出典が明記されていない図は著者等の未発表データです。参考図 書・文献は巻末にリストアップしました。 平成 25 年 8 月 著者一同 3 1 章 イオンチャネルを学ぶための基礎知識 チャネル病(チャネロパチー、channelopathy)はイオンチャネルの先天性異常により 発症する疾患単位です。神経筋疾患が多数派ですが、QT 延長症、Dent 病、高インスリ ン血症性低血糖症、嚢胞性線維症など他臓器関連の疾患も続々と認定されつつあるの が現状です。チャネル病を学ぶ際にはイオンチャネルについての基礎知識が必要です が、そのためには電気生理学、遺伝子工学、分子生物学についてある程度の知識が要 求されます。これではハードルが高くなってしまいます。この章ではイオンチャネル について基礎中の基礎を解説します。 イオンチャネルとは イオンチャネルは多数のアミノ酸から成るポリペプチドで、刺激に応じて開閉しイオ ンの通路として働きます。図 1-1 には 3 つの細胞(左から細胞 A、B、C)が描かれてい ます。それぞれに対してイオン(●)が流入しようとしている場面を想定してくださ い。細胞 A にはイオンの通路がありませんが、細胞 B と細胞 C にはあります。細胞 B では通路のドア(ゲート)は閉じていますが、細胞 C では開いています。図から明ら かなように、イオンはチャネルのゲートが開いている場合にのみ、つまり細胞 C にの み流入可能です。ところで、1 つの細胞には数千から数万個のイオンチャネルがあり、 それぞれがクローズ状態になったりオープン状態になったりすると考えられています。 この考え方に従えば、総てのチャネルがクローズ状態にあるのが細胞 B、総てがオープ ン状態にあるのが細胞 C ともいえます。 図 1-1 イオンチャネルの概念 3 つの細胞(左から細胞 A、B、C)が描かれていますが、イオンはイオンチャネルのゲートが開 いている細胞 C にのみ流入することが可能です。もちろんゲートは開いたり閉じたりしますので、 ゲートが閉じれば細胞 C へのイオンの流入はストップします。反対に、ゲートが開けば細胞 B へのイオンの流入がスタートします。 4 Column:アミノ酸(amino acid) アミノ酸はアミノ基(-NH2)とカルボシキル基(-COOH)をもつ化合物です。1 つのアミノ酸の カルボシキル基と別のアミノ酸のアミノ基が反応(脱水反応)して生じるアミド結合(-CO-NH-)、 つまりペプチド結合によりポリペプチドを形成します。 表 1-1 はイオンチャネルを構成するアミノ酸の一覧表。全部で 20 種類あります。イオンチャ ネルを研究するためには、これらのアルファベット 3 文字表記法と 1 文字表記法をマスターする 必要があります。 アミノ酸は適当な pH の水溶液中ではカルボシキル基がアミノ基に水素イオンを与えることで 両性(または双性)イオンの形をとります。このときの陽イオンは-NH3+、陰イオンは-COO-です。 両者の数が等しくなる、つまり分子全体として正味電荷が 0 になる pH が等電点です。水溶液を 等電点より酸性にすると陽イオンに、アルカリ性にすると陰イオンに変化します。図 1-2 は 20 種類のアミノ酸の等電点を棒グラフ(横軸が pH)で表示したものです。図から明らかなように、 5 種類(H、R、K、E、D)の等電点が他のアミノ酸の等電点から大幅にずれています。アルカリ 側にずれているのが塩基性アミノ酸(H、R、K)、酸性側にずれているのが酸性アミノ酸(E、D) です。 表 1-1 20 種類のアミノ酸とそれらのアルファベット 3 文字表記と 1 文字表記 アミノ酸 略字 略字 アラニン Ala A システイン Cys アスパラギン酸 アミノ酸 略字 略字 メチオニン Met M C アスパラギン Asn N Asp D プロリン Pro P グルタミン酸 Glu E グルタミン Gln Q フェニルアラニン Phe F アルギニン Arg R グリシン Gly G セリン Ser S ヒスチジン His H スレオニンン Thr T イソロイシン Ile I バリン Val V リジン Lys K トリプトファン Trp W ロイシン Leu L チロシン Tyr Y 5 図 1-2 アミノ酸の等電点 6 細胞膜とイオンチャネルの役割分担 細胞膜はリン脂質の二重層で構成され、イオンチャネルはその膜を貫くように組み込 まれています。細胞膜とイオンチャネルは役割を分担します。脂質層は電気的には絶 縁体ですが、図 1-3 に示したように容量(capacitance の頭文字 C と表記)として働き ます。一方、イオンチャネルは抵抗(resistance の頭文字 R と表記)として働きます。 イオンチャネルの世界ではイオンチャネルをイオンが通過することは電気回路の抵抗 を通って電流が流れることと等しい(これを等価と称します)と考えます。したがっ て、オームの法則が使えます。オームの法則については第 2 章で詳しく説明します。 図 1-3 膜抵抗と膜容量 単位面積当たりの膜容量はどんな細胞でもほぼ一定の値(1μF/cm2)を示します。したがって、 小型の細胞では小さく、大型の細胞では大きいのが普通です。膜抵抗の抵抗値はイオンチャネル の種類により様々です。電池(E)は細胞膜を挟んで発生する細胞内電位(静止電位)に相当し ます。 専門書を読み解くポイント(1) 1) 電気の世界では抵抗をインピーダンスという場合があります。インピーダンスは 交流回路における抵抗であり、周波数に依存しない抵抗成分と、コイルやコンデ ンサーにより発生する周波数に依存した抵抗成分(リアクタンス)に分かれます。 2) 電気の世界では抵抗の逆数をコンダクタンス(conductance)と呼びます。つま り、電流の流れやすさという意味。単位はジーメンスで、記号は S。イオンチャ ネルの世界ではコンダクタンスが多用されます。 7 何がドア(ゲート)を開けるのか 前項でイオンチャネルはドア(ゲート)の付いた通路だと説明しましたが、何が(ど んな因子が)ドアの開閉を決定するのでしょうか。 現在までに多数の因子が発見されていますが、圧倒的多数派は電位(voltage)と化 学物質(ligand)です。化学物質の代表例は神経伝達物質(transmitter)。前者を電 位ゲート型チャネル(これは脱分極や過分極に反応します)、後者をリガンドゲート型 チャネル(これは伝達物質などのリガンドに反応します)と分類します。両者の中間 型のようなチャネル(G 蛋白制御型チャネル)もあります。 専門書を読み解くポイント(2) 1) G 蛋白制御型チャネルは GTP 結合蛋白(G 蛋白)によってゲートの開閉が制御さ れる K チャネルです。リガンドと受容体の結合が必須で、その意味ではリガンド ゲート型ともいえますが、リガンドゲート型とは構造が全く異なります。 2) 興奮性細胞は細胞外を基準(絶対ゼロ電位)にすると細胞内が電気的にマイナス です。これを細胞膜の電気的分極状態(略して分極、polarization)と呼びます。 分極度が減ることを分極状態から脱する(脱分極、de-polarization)、増すこと を過度に分極する(過分極、hyper-polarization)、一度生じた脱分極が回復する ことを再び分極する(再分極、re-polarization)と呼びます。 3) リガンド受容体はリガンドゲート型チャネルと G 蛋白と共役した受容体、すなわ ち G 蛋白共役型受容体に大別します。リガンドゲート型チャネルは受容体とチャ ネルが一体化した構造をもち、リガンドが受容体に結合すると、すばやくチャネ ルがオープンします。神経筋伝達部のニコチン性受容体がその代表例です。G 蛋 白共役型受容体にリガンドが結合すると、G 蛋白が働いて細胞内情報伝達系がス イッチオン(またはスイッチオフ)され、その結果、電位ゲート型チャネルの性 質を変化させることがしばしばです。この概念は biochemical gating(生化学的 ゲート機構)と呼ばれます。心筋ではこのタイプの調節が盛んに行われて心拍数 や心筋収縮力を変化させています。関与する G 蛋白共役型受容体の代表例はα受 容体、β受容体、ムスカリン性受容体など。 8 イオンの流束 イオンチャネルは 100-3000 個のアミノ酸から成るポリペプチドで、刺激に応じて開閉 します。チャネルが開くとイオンが流れ、閉じると流れが止まります。一般的に物質 の流れを流束(フラックス、flux)と呼びますが、イオンの流れも流束です。特殊な 実験装置と実験方法を使えばイオン流束を「イオン電流」として直接、しかもリアル タイムで測定できます。実験方法は膜電位固定法(voltage-clamp)と呼ばれます。膜 電位固定法については第 2 章で詳しく説明します。アイソトープを使用する方法もあ りますがリアルタイムには測れません。 専門書を読み解くポイント(3) 1) 専門書には表 1-2 のようなギリシャ文字が登場します。本書でもα、β、δ、Δ、 γ、μなどが登場しますので、できるだけ早く馴染んでください。 2) 電流の基本単位はアンペア(略語は A)ですが、イオン電流はものすごく小さい ので、実用的な単位としてはマイクロアンペア(μA、表 1-2 参照)、ナノアンペ ア(nA)、ピコアンペア(pA)を用います。ピコは 1 兆分の 1 を意味します。電圧 の単位に関しては、日常生活で使用する単位(ボルト)の 1000 分の 1、つまりミ リボルト(mV)を使います。大きな数についてはメガとギガを使いこなせれば充 分です。それぞれの略語は M と G。 3) 対数と指数は小さな数や大きな数を取り扱うときに便利です。イオンチャネルの 世界でよく使う対数関数と指数関数については別紙形式の APPENDIX を設けました ので参照してください。 9 表 1-2 医学・生物学で用いる代表的ギリシャ文字 大文字 小文字 発音 Α α アルファ Β β ベータ Γ γ ガンマ Δ δ デルタ Ε ε イプシロン Θ θ シータ Κ κ カッパ Λ λ ラムダ Μ μ ミュー Π π パイ Ρ ρ ロー Σ σ シグマ Τ τ タウ Ω ω オメガ 10 表 1-3 代表的な記号・略語 記号 用語とその英訳 備考 A アンペア ampere 電流量 current intensity の単位 C キャパシター capacitor 日本語のコンデンサーに相当 C 静電容量 capacitance 体積と混同しにくい文脈では容量でも可 E 電場 electric field e 電気素量 elementary charge 電子 1 個の電荷量 e ネイピア数 Napier's constant 自然対数の底 F ファラド farad 静電容量の単位 F ファラデー定数 Faraday’s constant 電気素量と NA の積に等しい G コンダクタンス conductance 電気の通り易さの単位 I 電流 current 記号 I は current intensity に由来 J ジュール joule エネルギーの単位 k ボルツマン定数 Boltzmann’s constant N ニュートン newton 力の単位 NA アボガドロ数 Abogadoro’s number アボガドロ定数でも可 Q 電荷 electrical charge 小文字 q でも可 R 抵抗 resistance 抵抗器という場合はレジスター resistor R 気体定数 gas constant ボルツマン定数と NA の積に等しい S ジーメンス siemens コンダクタンスの単位 V 電圧 voltage Ω オーム ohm 電気の通り難さの単位 コンダクタンスの記号としては「g」もありですが、重力加速度(gravitational acceleration) と混同しにくい文脈中に限るという注意が必要です。 11 イオンチャネルの活性化 図 1-4 は電位ゲート型チャネルの模式図(上段が Na チャネル、下段が K チャネル)で す。ドア(ゲート)は脱分極に反応してオープンします。チャネルがクローズ状態か らオープン状態に変化することをチャネルの活性化(activation)、ドアを活性化ゲー ト(activation gate)と表現します。ちなみに、ゲートを開閉することをゲーティン グ(gating)と呼びます。 イオンチャネルがオープンする場合を漢字でどう表現するかは少々問題です。植物 の気孔が開く場合は開口ではなく開孔です。パチンコのチューリップ、建設工事関連 の各種孔、温室の換気孔、毛孔も同様です。口を使うのは火山の噴火口、河川の河口、 窓の規格関係、レーダー関係、レンズ関係などの用語です。イオンチャネルの場合は どちらも使用されていますが、本書では特に断らない限り開孔を使います。 図 1-4 イオンチャネルの活性化ゲート 上段が電位ゲート型 Na チャネル。下段が電位ゲート型 K チャネル、左カラムがチャネルのクロ ーズ状態、右カラムがチャネルのオープン状態を表しています。生理的な環境下では Na+は流入 し、K+は流出します。 12 イオンチャネルの不活性化 多くの電位ゲート型チャネルには不活性化ゲートがあります。図 1-5 は K チャネルを 想定した模式図ですが、初期状態では活性化ゲートは閉状態、不活性化ゲートは開状 態にあります。脱分極刺激が加わると活性化ゲートが開き始めますが、それと同時に 不活性化ゲートが閉じ始めます。したがって、K+は不活性化ゲートが完全に閉じるま での時間帯にのみ流出します。 不活性化(inactivation)の時間経過は急速型(A)、緩徐型(C)、中間型(B)など イロイロです。非不活性化型(D)の場合は不活性化ゲート自体が存在しないと考えま すが、この場合には脱分極刺激が続いている限りイオンの流量は変わりません。脱分 極刺激が終了し、脱分極していた細胞膜が元の電位に戻ると不活性化ゲートは初期状 態に戻ります。この過程を不活性化からの回復と表現します。回復の時間経過も急速 型(0.1 秒以内)から緩徐型(秒のオーダー)まで多彩です。イオンチャネルを標的と する薬物(治療薬)の開発にとっては非常に重要な因子です。 図 1-5 イオンチャネルの不活性化 図左がゲートの動向を示す模式図、右が不活性化の時間経過を示すグラフです。グラフの上段が 流量(イオン電流量)と時間の関係、下段が刺激と時間の関係を表します。このようなグラフ化 では、1 つの約束として、陽イオンの外向き流を上振れ電流として表示します。 13 イオンチャネルの脱活性化 不活性化ゲートの動向に関係なく、脱分極刺激が終了すると活性化ゲートも初期状態 に戻ります。このプロセスをチャネルの脱活性化(deactivation)と定義します。脱 活性化が起こらないチャネルはありませんが、その速さは急速型から緩徐型までイロ イロです。図 1-6 はコンマ何秒のオーダーで脱活性化が進行するチャネル電流の例で す。 まず脱分極刺激に応じて上振れの電流が観察されましたが、これは電位ゲート型 K チャネル電流の活性化を意味します。カリウムイオンの流れとしては細胞内から細胞 外へ流束なので、これを外向き電流と呼びます。この K チャネルは不活性化ゲートを 持たないので電流は不活性化しません。脱分極刺激が終了し膜電位を瞬間的に-65mV に戻した後の電流変化(外向き電流の減衰)が脱活性化のプロセスを反映します。減 衰は指数関数的に進行します。過分極刺激では時間とともに変化する電流は観察され ませんでした。これは K チャネルが-65mV で完全に閉じていたことと同時に過分極には 反応しなかったことを意味します。伝統的に脱活性化過程にある電流を末尾電流(tail current)と称します。 図 1-6 K チャネルの脱活性化 神経細胞を用いた実験結果です。上段が電流と時間の関係、下段が電位と時間の関係を表してい ます。ある特殊な操作により細胞膜電位を-65mV から、0.5 秒間だけ、脱分極(30mV)あるいは 過分極(10mV)させた場合の電流変化を観察しました。上下段とも 2 回の実験結果を重ね合わせ たものです。矢印の部分が末尾電流(tail current)です。 14 どれくらい開くか イオンチャネルがどのくらい開くかという問題はイオンチャネルの世界では非常に重 要な問題です。電位ゲート型チャネルの場合を考えてみましょう。まず分画(フラク ション、fraction)と言う単位を導入します。これはオープン可能な全チャネル数に 対するオープンチャネル数の比率(%)と定義されます。電位が変わればオープンチ ャネル数が変わるので、電位が変われば分画もゼロから 100%の間で変化します。 模擬実験をしてみましょう。細胞の膜電位を変化させながら分画を測定して図 1-7A に示したグラフを得たと仮定します。縦軸が分画、横軸が電位です。得られた曲線を 習慣的に活性化曲線(activation curve)と呼びますが、このチャネルの場合-85mV より過分極側では分画ゼロ、+15mV より脱分極側では分画 100%です。 活性化曲線では分画 50%になる電位を 50%活性化電位、その電位に於ける曲線の傾 きを傾き係数と定義します。傾きが緩い場合を電位依存性が「小さい」、急峻な場合を 電位依存性が「大きい」と表現します。電位依存性が著しく大きな場合、つまり傾き が垂直に近い場合は、ある電位で突然分画がゼロから 100%に変化します。このような チャネルは「スイッチ機能」があると表現します。 電位ゲート型チャネルの中には、少数派ながら、過分極を感知して開くものがあり ます。図 1-7B はこのようなチャネルの活性化曲線です。50%活性化電位は-95mV でし た。 図 1-7 イオンチャネルの活性化曲線 脱分極により活性化されるイオンチャネル(A)と過分極により活性化されるイオンチャネル(B) の活性化曲線を示します。50%活性化電位はそれぞれ-35mV と-95mV です。これらの曲線はボル ツマン式で表されます。別紙形式の APPENDIX を参照してください。 15 開孔促進とは あるチャネルの活性化曲線を図 1-8A に示します。50%活性化電位が-35mV より脱分極 側(図では右側)にある曲線がコントロールです。ある操作をすると、50%活性化電 位が左方向(過分極方向)にシフトしたと仮定すると、その結果、例えば-35mV での分 画は数倍以上に増大することがわかります。このような変化を開孔促進と呼びます。 例えば-65mV に注目すると、分画ゼロから分画ありに変化しました。このような現象を 「無から有が生じた」という意味を込めてチャネルが動員(リクルート、recruit)さ れたと表現します。 過分極で開くチャネルの開孔促進は図 1-8B のようになります。50%活性化電位が -95mV から-75mV にシフトしました。もし仮に細胞の静止電位が-60mV だったとすると、 それまでは開かなかったチャネルが開くようになることを意味します。 図 1-8 イオンチャネルの開孔促進 前ページに示した 2 種類のイオンチャネルの場合の開孔促進です。 (A)丸印と矢印は開孔促進の 結果-35mV での分画が著しく増大した事を示しています。 (B)開孔促進の結果、50%活性化電位 が 20mV 脱分極性シフトしました。記号:C、control;T、test。 16 どれくらい出入りするか 図 1-9 左は細胞に Na チャネルを通って 1 価の陽イオンである Na+が流入する場合の模 式図です。流入した Na+が 5 ピコクーロン(5pC = 5nA x 1ms)の電荷を運んだと仮定 しました(図 1-9 右)。この流入により細胞内陽イオン濃度がどの程度の影響を受ける かを試算してみると 0.001%程度の濃度変化しか起こらない、つまりほとんど影響を受 けないことがわかります。 考え方を説明します。計算の前提となる細胞内外のイオン強度は NaCl と KCl のモル 濃度の和、すなわち 150mM です。 まず 5pC の電荷を何個のイオンが運んだかを計算します。定義によりアボガドロ数 (6x1023)に等しい個数の 1 価イオンが運ぶ電荷量が 96500C なので、答えは約 3 x 107 個です。 次に細胞内のイオン数を計算します。直径 40μm の球の容積(3.3 x 10-8 ㎤)と先程 計算したイオン強度 150mM を用います。答えは約 3 x 1012 個です。 以上から、約 1012 個のイオンが存在する環境に約 107 個のイオンが流入すること、つ まり、0.001%程度の濃度変化しか起こらないということです。 図 1-9 Na+の流入量 図左側は直径 40μm の細胞に Na+が流入する様を描いた模式図。右側が Na チャネル電流の模式 図。 NOTE 細胞が活動電位を発生するときに、「大量」の Na イオンが流入すると考えている方は多いので はないでしょうか。しかし、実際には Na チャネルを通って流入する Na は大した量ではなく、 細胞内 Na 濃度の変化は微々たるものです。これらの値は簡単な物理化学の法則を使って計算可 17 能です。例として半径 10 µm の球形細胞の Na イオンが流入し 100 mV の膜電位変化を起こし たと仮定します。 細胞膜の脂質二重層が電子部品の一種であるコンデンサーと全く同じ機能を果たすことは細 胞膜とイオンチャネルの役割分担の項で説明しました(p.7 の図 1-3 参照)。コンデンサーは蓄 電器ともいい、両端にかかる電圧に比例して電荷を蓄えたり、放出したりする機能を持っていま す。電気容量 C(単位はファラッド)のコンデンサーに電圧 V(ボルト)がかかる場合、蓄えら れる電荷 Q(クーロン)の間には、 Q = C ×V ・・・① という関係が成り立ちます。単位面積の電気容量はほぼ一定の値( 1µF / cm 2 )です。したが って、半径 10 µm の球形細胞では、 ' 10 −6 F 1 × %% − 4 2 & 10 m $ "" × 4 × π × 10 × 10 −6 # ( 2 ) (m )= 12.6 × 10 (F ) = 12.6(pF ) 2 −12 これが細胞膜のもつ電気容量の値です。そこで 12.6 pF の電気容量をもつ細胞膜の電位が 100mV 変化するためには、①から、 12.6 × 10 −12 × 100 × 10 −3 = 1.26 × 10 −12 (C ) = 1.26(pC ) の電荷の移動が必要になります。定義により 1 モルの一価イオンが運ぶ電荷量は 9.65 × 10 4 (C )なので、 1.26 × 10 −12 = 1.31 × 10 −17 (mol ) 4 9.65 × 10 の Na イオンが流入すればよいことがわかります。次にこの細胞の体積は、 4×π × 10 × 10 −6 3 ( 3 )(m )= 4.18 × 10 (m )= 4.18 × 10 3 −15 3 −12 (l ) 最後に、流入した Na イオンによる濃度変化を計算すると、 1.31 × 10 −17 = 0.313 × 10 −5 (mol / l ) ≈ 3uM −12 4.18 × 10 細胞内の Na 濃度は 10〜20mM なので、0.1%程度の変化にしか過ぎないことがわかります。 18 何が出入りするか イオンチャネルは出入りするイオンを選ぶフィルター機能を持っています。これをチ ャネルの「選択性」と表現します。したがって、選択性の非常に高いチャネルもあれ ば、あまり高くないチャネル、あるいは非常に低いチャネルもあります。選択性はイ オンの大きさ(厳密には水和状態のイオンの大きさ)にも関係しますが、K チャネルは K+より小さいイオンは何でも通すかと言うと、そうではありません。なぜなら、水和 状態では Na+(0.65Å)の方が K+(1.33Å)より小さいにもかかわらず、K+の方が Na+よ り 1 万倍以上通りやすいからです。 選択性を考察する上で非常に有用なツールが周期律表です(表 1-4 には必要最低限 の箇所だけ抜粋しましたので、詳細は成書を見て下さい)。周期律表のプロトタイプが 作成されたのは日本の明治維新期にあたる 1870 年頃・・・ちなみに、アメリカでは南 北戦争が終わり、ヨーロッパではナポレオンが活躍中。作ったのはロシアの化学者ド ミトリー・メンデレーエフ(1834〜1907)です。 まずアルカリ金属(1 族の 2-6 周期)に注目してみましょう。上述のように、K チャ ネルは K+を通しやすく Na+を通しにくいわけですが、同属である Rb+と Cs+は比較的容易 に K チャネルを通ります。一般的には Rb+は K+の約 75%、Cs+は K+の約 15%の透過性を持 つとされています。では Na チャネルはどうでしょうか。Na チャネルは Li+をスイスイ 通し、それ以外はほとんど通しません。 次にアルカリ土類金属(2 族の 4-6 周期)に注目すると、これらは Ca チャネルをス イスイ通ります。ところが 2 族 3 周期の Mg2+は Ca チャネルを非常にゆっくりとしか通 りません。その通過速度があまりに遅いため、Ca2+と Mg2+が共存する環境下では一旦 Mg2+ が通り始めた Ca チャネルは Ca2+が通過できなくなります。遷移金属の亜鉛類(12 族の 4-6 周期)も同様です。 ハロゲン属(17 族の 2-5 周期)は Cl チャネルをスイスイ通ります。 19 表 1-4 周期律表(3〜11 族は割愛) 1 族 2 族 12 族 13 族 14 族 15 族 16 族 17 族 18 族 1 周期 H He 2 周期 Li Be B C N O F Ne 3 周期 Na Mg Al Si P S Cl Ar 4 周期 K Ca Zn Br Kr 5 周期 Rb Sr Cd I Xe 6 周期 Cs Ba Hg At Rn 20 天然毒 私たちの身の回りには多くの種類の天然毒があります。イオンチャネルと関係の深い 天然毒のうち代表的なものを紹介しますが、これらはイオンチャネルの阻害毒と活性 化毒に大別されます(表 1-5)。最近の研究により、魚貝類の毒のほとんどはその餌で ある海洋微生物に由来することがわかってきました。図 1-10 はドウダンツツジ(満点 星躑躅)ですがツツジ科の植物の特徴としてグラヤノトキシンを含みます。躑躅(「て きちょく」とも発音します)には 2-3 歩で立ち止まり死んでしまうと意味があります。 原因は骨格筋マヒです。阻害毒はブロッカー、活性毒はオープナーとも呼ばれます。 表 1-5 代表的な天然毒 毒 代表的な動植物 作用 テトロドトキシン フグ Na チャネル阻害 サキシトキシン 二枚貝 μコノトキシン イモ貝 シガトキシン 巻貝・毒ウツボ パリトキシン アオブダイ(サンゴ) アコニチン トリカブト グラヤノトキシン ツツジ ωコノトキシン イモ貝 ωアガトキシン クモ クロトキシン サソリ カルシセプチン ヘビ(ブラックマンバ) カルシクルージン ヘビ(グリーンマンバ) マイトトキシン サザナミハギ Ca チャネル活性化 デンドロトキシン ヘビ(ブラックマンバ) K チャネル阻害 アジトキシン サソリ Na チャネル活性化 Ca チャネル阻害 イベリオトキシン マルガトキシン ピマル酸(樹脂酸) アカマツ類 K チャネル活性化 ジギトキシン ジギタリス Na ポンプ阻害 21 図 1-10 ドウダンツツジ(満点星躑躅) 22 セシウムとバリウム 周期律のセクションで K チャネルはセシウムを比較的容易に通す、Ca チャネルはバリ ウムをスイスイ通すと紹介しましたが、ある種のチャネルではこの 2 つの金属元素が 選択的なブロッカー(blocker)として働きます。バリウムの作用メカニズムについて は次項で考察します。 重金属 鉛(Pb)、銅(Cu)、亜鉛(Zn)、コバルト(Co)、カドミウム(Cd)、ニッケル(Ni)な どの重金属(多価陽イオン)は超微量(nM オーダー)で電位ゲート型 Ca チャネルをブ ロックします。図 1-11 は Cd による神経細胞 Ca チャネル電流(Ca チャネルを流れた Ba 電流)のブロック例です。 図 1-11 Cd による Ca チャネル電流のブロック 培養ウシ蛙後根神経節細胞から得られた実験結果。Na チャネル電流と K チャネル電流を完全に 阻害した条件下で Ca チャネルを流れる Ba 電流を測定しました(上段が電流、下段が電位)。Ca チャネルは保持電位(-80mV)から-15mV までの脱分極性命令パルスにより活性化させました。 上段には Cd(30nM)投与前後の電流トレースを重ね合わせています。網掛けの部分が Ba の流束 量(概算では 3nA x 150ms=450pC の電荷量に相当)を反映します。 亜鉛とカドミウム この 2 つの金属元素は Ca チャネル以外のイオンチャネルも調節します。もちろん金属 酵素として生化学の分野でも非常に重要です。調節されるチャネル電流の代表例は一 過性 K 電流(A 電流や一過性外向き電流と呼ばれます)で、Zn と Cd はチャネルの活性 化を促進(開孔促進亜)したり不活性化を促進したりと非常に複雑な影響を及ぼしま す。 23 質量作用の法則 イオンチャネルの研究に必要な生化学基礎知識のうち「これだけは」ともいえる質量 作用の法則を押さえます。押さえ方は 3 段階です。 ・ 第 1 段階 ヨウ素と水素の反応を例にして化学平衡の考え方を整理する ・ 第 2 段階 質量作用の法則を伝達物質と受容体の反応に応用する ・ 第 3 段階 質量作用の法則を薬物とイオンチャネルの結合に応用する 第 1 段階 400-600℃の高温で水素とヨウ素を反応させると気体のヨウ化水素を生成します。反応 は可逆性。下記反応式中の右向きの反応を正反応、左向きの反応を逆反応とします。 k1 H2 + I2 ⇄ 2HI k2 正反応の速度定数を k1、反応速度を v1 とすると、v1 = k1[H2][I2]・・・注 1 逆反応の速度定数を k2,反応速度を v2 とすると、v2 = k2[HI]2・・・注 1 平衡状態では、v1 = v2、なので、k1[H2][I2] = k2[HI]2 したがって、[HI]2/[H2][I2] = k1/k2 = K(平衡定数)・・・注 2 このような式で表される関係が質量作用の法則(または、化学平衡の法則)です。 平衡定数は温度のみの関数で、温度が一定であれば K 値は常に一定の値を示します。 反応速度(reaction rate)の単位は mol/L*s。反応速度定数(reaction rate constant) の単位の組み立ては、k1 = v1/[H2][I2] = (mol/L*s)/(mol/L)(mol/L) = L/mol*s、k2 = v2/[HI]2 = L/mol*s。平衡定数と対になった用語が解離定数で、平衡定数 x 解離定数 = 1、という関係にあります。 上記のような可逆的反応が平衡状態にあるとき、反応条件(濃度、圧力、温度)を 変えると、反応が左右いずれかに進んで、新しい平衡状態が生まれます。これを平衡 状態の移動、または平衡移動と呼びます。条件させた反応変化による影響を妨げる方 向に反応が進みますが、これがルシャトリエの原理。 注1) この関係はヨウ素と水素の反応では成立しますが、すべての化学反応に対して 適応することは「不可」というのが専門書には明記されています。つまり、た またま成り立つということでしょう。 注2) この関係はすべての化学反応に対して適応可能と専門書には明記されています。 24 第 2 段階 質量作用の法則を伝達物質と受容体の結合に応用します。伝達物質を L(L は ligand の頭文字)、受容体を R(R は receptor の頭文字)とすると、反応は次式で表現できま す。 k1 L + R ⇄ LR k-1 右向き反応(結合)の速度定数を k1(単位はs-1M-1)、左向き反応(解離)の速度定数 を k-1(単位は s-1)、平衡状態解離定数(equilibrium dissociation constant)を Kd とすると、平衡状態では、Kd = k-1/k1 = [L][R]/[LR]、が成立すると考えられます。平 衡状態での受容体結合率(fractional occupancy of receptor)とは [LR]と[R]の和 に対する[LR]の割合という概念です。結合率を y とおくと式 1 が成立します。式の別 名はラングミュア吸着等温式(Langmuir absorption isotherm) ・・・ラングミュア(I. Langmuir)よって 1918 年に導出されました。 y = [LR]/([LR] +[R]) = [L]/([L]+Kd) ・・・式 1 式の形から明らかなように、[L]=Kd のとき y 値は 0.5 になります。これを half-maximal occupancy と称します。最適な邦訳はありませんが、受容体の半数が伝達物質により占 拠された状態を意味します。式 1 を変形した式 2 は非結合率、あるいは非占拠率とも いうべき指標です。英語では fraction of free receptors。 1-y = Kd/([L]+Kd) ・・・式 2 第 3 段階 質量作用の法則を化学物質とイオンチャネルの結合に応用します。ここではある種の カリウムチャネルが分子内に持っているバリウムイオンの結合部位を考えます。結合 部位を R(受容体と同じ考え方です)、バリウムを Ba、バリウムに占拠された結合部位 を BaR とすると、反応は第 2 段階と同様の次式で表現できます。 25 k1 Ba + R ⇄ BaR k-1 非結合率も第 2 段階と同様の次式で表現できます。 1-y = Kd/([Ba]+Kd)・・・式 3 式 3 をグラフ化すると下図のようになります。 1 Kd Kd Kd Kd Kd 0.8 20 40 60 80 100 0.6 0.4 0.2 0 1 図 1-12 10 100 1000 式 3 のグラフ化 縦軸は非結合率(1-y)、横軸はバリウム濃度(μM)。Kd 値は 20、40、60、80、100。 26 Column:速度定数 物質 A が物質 B に変化する反応(式 1)を考えます。反応速度定数は k とします。 k A → B・・・式 1 反応速度は物質 A の濃度が減少する速さ(-d[A]/dt)、あるいは物質 B の濃度が増加する速さ (d[B]/dt)でもあるため、 反応速度 = -d[A]/dt = d[B]/dt・・・式 2 と表現できます。この反応速度は物質の濃度によって決まり、反応の進行とともに濃度が変化す るため、反応速度は時間とともに変化するということです。つまり、 反応速度 = -d[A]/dt = k [A]・・・式 3 と表せます。[A]は初濃度。これを積分(変数分離形)すると、 [A] = [A]o*exp(-kt)・・・式 4 が得られます。したがって、式 4 を時間 t を横軸、物質 A の濃度[A]を縦軸にしてセミログプロ ット(縦軸が対数)すると、直線の傾きから速度定数 k を直接的に求めることが可能です。 27 参考図書・文献 1) 物理化学(上・下)第 4 版、Noore W.J.著(藤代亮一訳)、東京化学同人、1974 2) Ionic Channels of Excitable Membrane, 2nd ed., Hille B.,Sinauer Associates Inc., 1992 28
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