その3 - 宝塚ラグビースクール

記録・資料
宝塚ラグビースクールには、戦績は残っておりません。
その代わり、みんなの心に想い出が一杯残っています。
20年の間、様々な出来事や行事がありました。
その一部を書きとめておきます。
宝塚ラグビースクール 沿革
1982年 宝塚市にラグビースクール創設の機運が盛り上がり、正式な開校に向けて準
備が始まる。
1983年 宝塚市教育委員会の後援を受け、約90名のスクール生を迎え宝塚ラグビー
スクールを開校。兵庫県ラグビースクール連盟への加盟。
名誉校長 友金信雄氏(宝塚市長)
初代校長 正司泰一郎氏(県議会議員、現宝塚市長)
運営委員長(兼事務局) 茶谷健三 氏
1984年 中学部の設置
宝塚ラグビーフットボール協会の後援
兵庫県ラグビースクール大会参加
1985年 尼崎ラグビースクールとの定期戦始まる(~1988年まで)
1986年 お父さんチーム(現、宝塚ラグビースクールクラブ)発足
1987年 創立5周年 生徒数206名
スクール女子チーム発足
1988年 甲子園チビッ子ラガーズクラブと定期戦始まる
1990年 第1期生が中学部卒業
1991年 校長 正司泰一郎氏 宝塚市長に就任
第1回宝塚ラグビーカーニバル開催
1992年 名誉校長 正司泰一郎氏
校長 茶谷健三氏
創立10周年 生徒数155名
1993年 事務局を宝塚市栄町1-9-26 森崎正定(運営委員、現校長)宅へ
1994年 宝塚市市制40周年
1995年 阪神淡路大震災発生
1996年 ニュージーランド グラマーラグビークラブ来宝し OB チームと親善試合
夏合宿地を奈良県吉野郡洞川に
1997年 創立15周年 生徒数96名
宝塚ラグビースクールクラブ(お父さんチーム)ニュージーランド遠征
1998年 中学部が名古屋市ラグビー祭に招待される(以来現在まで)
1999年 中学部が岡山県ラグビーカーニバルに招待される(以来現在まで)
2000年 中学部ニュージーランド遠征
2001年 組織改革実施、理事会、各委員会の組織化、現行規定の制定
理事長 吉村昇三
校 長 森崎正定
指導委員長 西川久雄、安全委員長 土井康生、育成委員長 田中早苗
事務局を宝塚市山手台西2-25-7 矢木眞也(現事務局)宅へ
2002年 創立20周年 生徒数136名
夏合宿地を兵庫県東鉢伏高原に
創立20周年記念ラグビースクールフェスタ実施(於:スポーツセンター)
レディースチーム(お母さんチーム)発足
2003年 創立20周年記念式典開催
※昭和58年の開校時の最初しおりに掲載されたあいさつ文を紹介します。
ごあいさつ
宝塚ラグビースクール
校長 正司泰一郎
この度、宝塚ラグビースクールの開校にあたり、並々ならぬご協力を戴いた皆様方に先
ずは心からの敬意と御礼を申し上げます。
私は、過去12年間、県会議員として行政の立場から次代の担い手としての青少年を如
何に育成していくかということに大きな関心を払ってまいりました。しかしながら昨今、
家庭内暴力、校内暴力、青少年犯罪の増加と低年齢化等、誠に由々しき現実に直面してお
ります。
これらの問題につき誰もが何とかしねかればならない!このままでは大変な世の中にな
る!と痛感し各方面で真剣な論議がなされております。その一因として親の過保護、教師
の指導力、受験地獄、あるいは恵まれすぎた物質文明の遺産であるともいわれております。
家庭、学校、社会が一体となってこの問題に対処しなければならないのは云うまでもあ
りませんが、現状は必ずしも良い方向に進んでおりません。
このような時に宝塚市民の多くの方々から子供達のラグビースクールを作ったらという
声が持ち上がり、私も学生時代ラガーとして汗を流した経験を持つものとして大いに共感
を覚え、かつての名ラガー現宝塚市長友金信雄氏の強力を得、開校の運びとなりました。
今の子供達には、肌と肌でぶつかり合い、倒されても立ち上がり、全員が団結して目的
に邁進するラガー精神こそ必要なのではないでしょうか。青少年の健全な育成と明るく希
望に満ちた次代に向けて、このラグビースクールの大いなる発展のため、尽力する所存で
あります。
■創設時の組織
名誉校長
友金 信雄
校長
正司泰一郎
顧問
南 証三郎
富永 蕃
垂 優
杉本 彰
栗井 茂夫
勝部 宏人
運営委員長
茶谷 健三
運営委員
貫井 啓
片岡 一起
松浦 利彦
川村 幸隆
松尾 政信
中尾智嘉敏
木村 専一
森崎 正定
阪神・淡路大震災を乗り越えて・・
1995年も明け、週末に1994年度の卒業式を目前にした1月17日(火)
未明、兵庫県南部を未曾有の大地震が襲いました。
私達の街、宝塚も、震度7という誰も経験したことの無い激震にみまわれ、宝塚
市域の被害は死者116名、負傷者2201名、建物全半壊は約2万世帯と大きな
被害をうけました。幸いにも、スクール生、指導員ともに亡くなった方はいません
でしたが、自宅や家族、親戚に大きな被害を受けた関係者が多数おりました。
地震発生後、宝塚の市内を回ると、仁川から山本にかけて、ことごとく道路が隆
起分断され、木造家屋のみならず鉄筋コンクリートのビルも倒壊している光景が眼
に入ってきました。
自分の身内の状況を確認しつつ、スクール生の安否が気遣われましたが、連絡す
るすべも無く、刻々と拡大する被害情報を聞くにつれ、気をもみ落ち着かない時間
を過ごしました。市内各地に避難所ができ被災した方々が長い間、避難所生活を強
いられました。徐々に状況が落ち着いてくるにつれ、一人、また一人とスクール生
やスクール関係者の無事が確認できるようになりました。
河川敷には、自衛隊や行政の救援部隊が基地を作り、到底、ラグビーどころの状
況では無いと思いつつ、本来であれば卒業式が行なわれるはずの、1月22日朝、
河川敷に顔を出すと、パラパラとスクール生の姿が見えました。
「大丈夫やったか?」
「・・うん・・大丈夫やったけど・・」
幼い心に受けた衝撃は、はかり知れないものがあると思いました。
翌週の1月29日、河川敷に行くと三分の一くらいのスクール生と指導員が集ま
っておりました。皆の無事を喜び、自衛隊のヘリポートになっている河川敷で朝礼
が始まりました。
「みんな、大変やったやろうけど、よく練習に出てきてくれた。お父さんやお母さ
ん、大人の人も大変やから、何でもいいから、出切る事をお手伝いするように!」
自宅が全壊して、一番大変な森崎さんの言葉でした。指導員においても、皆、家族
を抱え大変な状況ではありましたが、一人でも二人でも、集まってくる子にラグビ
ーをさせようと話し合いました。
そのときの小学部最上級生は、中学に進学し、後に宝塚ラグビースクール最強と
いわれた中学チームを作り上げました。
阪神淡路大震災は、私達から多くのものを奪い去りましたが、それに代る大切な
ものも置いて行きました。何の為にラグビースクールが存在するのか?
震災後、それがより明確になり、宝塚ラグビースクールが今日まで続いてきたの
だと思います。
こんな光景が市内各所にみられました
(写真は、阪急中山駅南側176号線)
オークランド・グラマー・クラブ来宝
『 震災復興祈念 ラグビースクール開催 』
阪神淡路大震災の翌年(1996 年)、素晴らしい知らせがありました。宝塚ライオ
ンズクラブ主催によるラグビースクール開催の計画でした。宝塚ライオンズクラブ
におかれましては、それまでも毎年ライオンズクラブ杯として近隣スクールを招待
しての交流会を支援していただいておりましたが、この年は、特別にニュージーラ
ンドから歴史ある、オークランド・グラマー・クラブ(Auckland Grammar School Old
Boys Rugby Football Club)を招待し宝塚ラグビースクールをはじめ近隣スクール
の子供達にラグビーを通じて震災で子供達が受けた精神的な打撃を少しでも和ら
げることを目的として開催されました。
来日したメンバーの中には、元オールブラックスのローリー・ナイト氏、アラン・
ウェットン氏、元フィジー代表のジミ-・ダム氏など一流プレーヤーが含まれ、そ
の他のメンバーもクラブチームとしては、第一級の素晴らしいチームでした。
ラグビースクールは、2日に分けて開催され、初日は、宝塚ラグビースクールを
対象に、ニュージーランドの多種の練習方法を教えていただきました。翌日は、芦
屋、伊丹、西宮の各ラグビースクールも合同でラグビースクールが行なわれました。
また、この催しは朝日新聞社にも後援していただき、近畿各地から中・高生が集
まり本場ニュージーランドのラグビーを身近に感じる催しとなりました。
オークランド・グラマー・クラブには、ラグビー教室だけでなく親善試合も実施
していただきました。対するは、宝塚選抜チーム、スクールOBの現役大学生を中
心にチームを組みスクール生、父兄、市民と多くが見守る中で対戦しました。
■オークランド・グラマー・クラブ来日スケジュール(1996年)
日 付
2月 9日
2月10日
2月11日
2月12日
2月13日
2月14日
2月15日
2月16日
2月17日
2月18日
午 前
打合せ・グランド下見
第2回ラグビースクール
第1回一般実技指導
観光
観光
宝塚市表敬訪問
第2回一般実技指導
関西空港出発
午 後
関西空港着
第1回ラグビースクール
第3回ラグビースクール
親善試合 第1戦
宝塚歌劇観劇
親善試合 第2戦
■オークランド・グラマー・クラブ メンバー
団 長
コーチ
<FW> Alan Whetton
<BK>
Paul Thomson
Jamie Buchan
Ross Duffus
Mark Witehira
David Edwards
Teddy Kewene
Mark Brumby
Andrew Jackson
Andre Galvin
■宝塚選抜メンバー
監 督
主 将
<FW> 入江 実 日本大
<BK>
森田俊太郎 日本大
菅原 崇 法政大
林 俊治 白鵬大
古屋 健一 上智大卒
西川 久雄 大商大卒
山口 賢ニ 奈良産大
棚原恒太郎 報徳学園卒
西原 龍煕 報徳学園卒
金山 幸司 日本大
Lawrie Knight
Chris Read
Simon Rackham
Matt Baker
Aaron James Rackham
Stephen Ross Blakey
Jeff Ross
Matt Olde
Karl Moreton
Jimi Damu
茶谷 健三
清原厚一郎
清原厚一郎 国士舘大卒
小山 貴志 桃山学院大
伊礼 義也 関東学院大
橘 昇治 法政大
山口 尚樹 滋賀大
土井 洋輔 大市大
中島 正樹 神戸製鋼
ジュニアチーム オークランド遠征 Auckland Tour 2000
2000年夏に実施されたジュニアチーム(U-15)オークランド遠征の記録です。こ
の遠征には、スクール中学部と高校1年生のOBが参加しました。単独チームとして海外
遠征を実施するには、様々な困難がありましたが、関係各位のおかげで無事実施すること
ができました。想い出の数々をまとめました。
■経緯
平成8年、阪神大震災の翌年に、宝塚ライオンズクラブ様の尽力により宝塚市教育委員
会の御後援を得て、ニュージーランドのグラマークラブを宝塚の地にお迎えしました。宝
塚では、震災にあった宝塚市及び周辺の子供達を勇気づけるためにグラマークラブの選手
によるラグビースクールが開校されました。また、宝塚RSのOBチームとのハイレベル
なゲームも実施されました。
その後、当ラグビースクール関係者の返礼訪問、宝塚ラグビースクールクラブ(お父さ
んチーム)の遠征などを通じて、両クラブともに末永いおつきあいをするべく交流を重ね
てきました。平成9年に、宝塚ラグビースクールクラブ(お父さんチーム)が遠征した際、
グラマー・クラブの関係者との間で「次は、是非、ジュニアチームの交流を!」とのお話
があり、関係者一同、ぜひ実現させたいという気運になりました。
そういった経緯の中、平成 10 年度「実現化に向けて詳細を検討してみよう」といった進
展があり遠征計画を進展させるべく、実施の際にもっとも重要となる旅行代理店との接触
を開始しました。検討の結果、日本交通公社様の絶大なる支援を得られることとなり、遠
征実現が可能となりました。
□オークランドグラマースクール
Auckland Grammar School は、state secondary school(英国のパブリックスクールにあ
たる)で、Mt Eden 山の北側斜面に位置します。1850 年に Sir George Grey がニュージーラ
ンド人の為の教育機関として寄付し、その後、1869 年に学校として開設されました。現在
では、ニュージーランド国内でも有数の伝統校となり、比較的上流家庭の子息が学んでい
ます。日本と同じく、多くのスポーツクラブが活動しており、ほとんどがニュージーラン
ドのトップクラスの成績を納めています。有名な卒業生に、エベレスト初登頂に成功した
エドモンド・ヒラリー卿がいます。また数多くのNZ代表(オールブラックス)もいます。
□グラマー・カールトン・クラブ
グラマー・カールトンクラブは、グラマースクールの Old Boys Association(同窓会) の
メンバーが中心となって創設され、卒業生が活動するラグビークラブとして運営されてき
ました。その後、カールトンクラブと合併し現在に至ります。一時、神戸製鋼のFWコー
チをしていた、アラン・ウェットンをはじめ、多くのニュージーランド代表(オールブラ
ックス)を送り出してきた名門クラブです。
■参加者
●中学生
(3年生)
千葉和哉
川尻健視
(2年生)
渡部達意
矢木佑磨
細川史貴
橋爪 太
岸和田玲央
小畑健太郎
辰巳 翼
島津 崇
春井隆史
小島祥平
川尻智士
岸和田麻央
石丸達也
梶本泰弘
田村大輔
小嶋遼平
松本晃侍
田村洋平
(1年生)
(小6生)
渡部逸記
●高校生 (1年生)
兼森裕規
林 大輔
小嶋優介
藤田 亘
藤尾容司
■日程
◇時期 平成12年8月20日~27日
◇期間 6泊8日
■遠征スタッフ
●責任者 矢木 眞也(宝塚ラグビースクール)
●指導員 山口 繁樹(宝塚ラグビースクール)
久保田俊彦( 同 上 )
吉村 昇三( 同 上 )
野崎 和子( 同 上 )
大森 尚 (岡山県 ラグビー協会)
鳥家 正人( 同 上 )
●支 援 日本交通公社 関西海外旅行支店
日本交通公社 オークランド支店
●現 地 オークランド・ラグビーフットボール協会
ジェレミー・パーキンソ氏
ガイ・ヌガタ氏
クリス・ウィンダ-氏
グラマー・カールトン・ラグビー・クラブ
ローリー・ナイト氏
オークランド・グラマー・スクール
グラント・ハンセン氏
■スケジュール
8月20日 夕 刻 宝塚発 市役所中庭で結団式の後、バスで関西国際空港へ
夜 関空発 空路オークランドへ(クライストチャーチ経由)
8月21日 午 後 オークランド着 バスでグラマーカールトンクラブ表敬訪問
歓迎レセプション(クラブの説明など)
夕 刻 ホストファミリーのお迎えにより、各ステイ先へ
8月22日 午 前 オークランド・グラマー・スクール見学訪問
午 後 グラマークラブハウスで昼食後、ラグビートレーニング
イーデンパークへ オークランド代表 練習見学
8月23日 午 前 グラマークラブでラグビートレーニング
午 後 イーデンパーク館内見学ツアー
夕 刻 カールトンクラブでタッチラグビー
8月24日 午 前 オークランド近郊、ノースショア方面見学 後、トレーニング
午 後 イーデンパーク オークランド代表 練習見学(練習ゲーム見学)
夕 刻 カールトンクラブ U-13 ゲーム
8月25日 午 前 オークランド市内観光
午 後 カールトンクラブ U-15 ゲーム
夕 刻 交歓パーティー(ローズパークホテル)
8月26日 午 前 ワイトモ観光
夕 刻 アルバニースタジアム NPC観戦 オタゴ対ノースハーバー
8月27日 午 前 オークランド発 NZ31便で空路 関西国際空港へ
夜 関空着 バスで宝塚へ
帰着後 解団式
■準備
平成11年4月、書簡にて旧知のグラマーカールトンクラブのローリー・ナイト氏にジ
ュニアチーム派遣について、受入の依頼をしました。グラマークラブは、快く承諾してく
れ、同年8月、詳細打ち合わせの為、代表者がオークランドを訪問しました。ナイト氏の
はからいで、オークランド協会の専任コーチによるトレーニング・プログラムを実施して
いただくことになりました。
年も明け、平成12年になり、詳細スケジュールも順次、決定していきました、が、1
つ問題が出てきました。せっかく、ホームステイをするのに、一切コミュニケーションが
出来なかったら、つまらないだろうなぁ。そう、言葉の問題です。参加するスクール生に
とって少しでも良い想い出が増えるように、最低限の英会話を習得してもらう事にしまし
た。夏合宿を含め、4回にわたり英会話教室を実施しました。おかげで、みんな、挨拶と
自己紹介ができる?ようになりました。また、夏合宿では、毎夜、アフターファンクショ
ンミーティング向けの歌の稽古にも余念がありませんでした
■8月20日
<15:00>
お揃いのポロシャツに大きなバッグを抱え、見送りの保護者とともに、みんな元気で宝塚
市役所に集合しました。校長からの挨拶のあと、本遠征チームの主将であり、宝塚RSの
中学部主将の千葉くんから「元気に行ってきます」とのあいさつがありました。その後、
バスに荷物を積み込み、大勢の見送りを受けて、関西国際空港へ。
<18:00>
関西国際空港では、慣れないイミグレーションに、みんな緊張気味でした。でもロビーで
は、早速、アイスクリームを食べたり、ワイワイガヤガヤ、いつもの調子になりました。
<20:15>
ニュージーランド航空32便に乗り込み、各々自分の席に着席、初めて飛行機に乗る生徒
もいて、少々気がかりでしたが、仲間と一緒ということもあり大丈夫でした。NZ航空の
キャビンアテンダントは、1名の日本人を除いて、他はニュージーランドの方々でしたが、
機内サービス・機内食では、早速、英会話教室の効果を発揮して(?)トラブルもなく飛
行機は進んでいきました。本来、NZ32便は、フィジーのナンディ、クライストチャー
チを経由してオークランドへ行くはずでしたが、フィジーの内乱の影響で、ナンディには
降りずにクライストチャーチに向かいました。
■8月21日
< 早 朝 >
経由地のクライストチャーチに到着、1時間ほど空港ロビーで待機。
わかっていたけど「さむ~い!」
。初めて、外国に来た生徒は、回りの雰囲気に興味深々で
した。休憩後、再度、搭乗し、目的地オークランドへ。
<14:00>
オークランド国際空港到着。長旅の疲れもみせず、生徒たちは元気一杯でオークランドの
地に降り立ちました。空港では、JTBオークランド支店の方と、今回の遠征でずっと御
世話になる、尾関さんの出迎えを受けました。
一同バスにのり、最初の行事であるグラマーカールトンクラブの表敬訪問に行きました。
<15:00>
グラマーカールトンクラブに到着。クラブコミッティの Mr.Richard Humphries クラブの事
務責任者の Ms.Edith Baker 他の方々が出迎えてくれました。グラマーカールトンクラブの
クラブハウスは、オークランドでも有数の高級住宅街の一角にあり、ハウス内からは、5
面のラグビーランド、穏やかなオークランド湾やランギトト島がみわたせます。
クラブコミッティの Mr.Humphries から、歓迎の言葉、グラマークラブの歴史、グラマーク
ラブ宝塚訪問の際のお礼、などの挨拶がありました。その後、我々のラグビー関係のトレ
ーニング・ゲーム・見学の全てをアレンジし、また、コーチングしてくださる、Mr.Guy Ngata
さんを紹介してくれました。Guy は、グラマークラブ出身で、現在は、フルタイムのジュニ
アコーチとして活動されている方です。今回のツアーでは、Guy をはじめオークランド協会
の専属のジュニアコーチが付きっきりで指導してくれるとのことでした。
<17:00>
徐々にホームステイ先のホストファミリーが迎えに来てくれました。ホームステイは、各
2名を1つのホストファミリーが受け持つということを聞かされていました。事務局では、
この日までペアの組み合わせを秘密にしており、初めて、ここでペアを発表しました。
ホストファミリーが迎えに来ると、そこへ行くペアの名前が読み上げられます。そして、
ご対面!
「ナイスミーチュー、マイネイムイズ・・・・」みんな照れながらも、何とか挨拶をして
いました。
「だいじょうぶかいな?」
同行の父母、指導員の心配顔のなかで、みんな引き取られていきました。
■8月22日
< 8:30>
ホームステイ最初の夜が過ぎ、みんな、どんな様子かと少々心配しながら、集合場所のカ
ールトンクラブに行きました。と、こちらの心配をよそに、各々、車で送ってもらったホ
ストペアレントに「サンキュー、シーユー」だと。どうやら、みんな楽しい夜を過ごした
みたいだった。
< 9:00>
オークランド・グラマー・スクール到着。1stⅩⅤコーチの Mr.G.McNeil さんが出迎えて
くれた。いかにも伝統のありそうな正門、前庭を経て、講堂へ、ここでいろんな行事があ
ると説明してくれた。講堂の廊下には、オークランド・
グラマー・スクールの歴代の1stⅩⅤの写真が、180
0年代から掲示されていた。ここに、掲示されることが、
最大の名誉だと教えてくれた。その中には、歴代のオー
ルブラックスの選手がたくさんいた。次に、教室の間を
抜けて、グランドに案内してもらった。グランドは、四
面あるそうだ。グランド横のクラブハウス(部室)に入
ると、オークランド・グラマー・スクールと対戦した、
たくさんのチームの盾やペナントが飾ってあった。その
中には、高校日本代表、伏見工業高校、藤沢ラグビース
クールなどの日本チームのものもありました。
時間があったので、Mr.McNeil さんが「バスケットボー
ルをやろう」と言い出した。ついていくと、体育館で生
徒がバスケットボールの授業を受けていた。授業といっ
ても、ゲームをやっているだけだったが。ここで、いきなり、日本VSニュージーランド
のバスケットの試合が始まった。最初、見ていた生徒も、入れ替わりコートに入り、楽し
いひとときを過ごした。単に、見学だけでなくグラマースクールの生徒と触れ合った事は、
想い出に残る事だろうと思う。帰り際に、コーチの McNeil さんから、オールブラックスの
マークの入った、ラグビーボールを記念にいただきました。
<11:30>
クラブハウスに戻って、昼食。たくさんの、パンとソーセージ、果物が用意されていて、
おいしくいただきました。特に、食パンにはさんだ熱いソーセージは、絶品でした。
<12:00>
この遠征で、初めてのトレーニングが行われました。
Guy(ガイ)ともう一人のコーチの Mr.Mark Winder が、Auckland Blues(Super12 のプロチ
ーム)のマークが描かれた車で、グランドに現れた。その車には、タックルダミーやら、
ハンドダミー、コーン、飲み物、バナナ、りんご等が一杯積まれており、それをみんなで
降ろしました。
トレーニングは、様々な工夫がなされており、決して、プレイヤーを飽きさせず、基本ス
キルの獲得に徹した内容の練習でした。みんな、楽しみながらも、だんだん息が上がって
きて、知らず知らずのうちに激しいトレーニングになっているという感じでした。
グランドは、広大で(もちろん芝)で、バックには、オークランド湾に浮かぶランギトト
島が見えるという素晴らしい環境でした。
<14:00>
トレーニング終了後、ニュージーランドのラグビーの聖地である、イーデンパーク(EDEN
PARK)に案内していただきました。イーデンパークでは、国内選手権(NPC)のオークラ
ンド代表の練習が行われていました。初めて見るニュージーランドのトップクラスの練習
を興味深く見学しました。練習終了後、ガイの計らいで、代表選手の方々のサイン会をや
っていただきました。特に、オークランド代表チーム主将のポール・トムソン選手には、
皆が殺到してサインをしていただきました。
(ポール・トムソン選手は、平成8年にグラマ
ークラブの選手として、宝塚に来られ、宝塚RSのOBチームとの試合に出られた選手で
す。
)サイン会の後は、特別にグランドに入らせていただき、EDEN PARK の芝の感触を味わ
う事ができました。
■8月23日
< 9:30>
今日は、午前中からラグビートレーニングでした。昨日同様、基本スキルの習得をベース
に、キックゲームやタッチラグビーを取り入れ、充実した練習をしました。また、今日は、
FW、BKに分かれてそれぞれ、スクラム、ラインアウト、アタックライン、ディフェン
スラインのポジション練習をしました。中間の休憩時には、バナナとりんごが用意されて
おり、それを食べて、気分転換し、また、次の練習のエネルギーにするといった、日本で
は見かけられないブレーク方法を教わりました。
<14:00>
昼食後、昨日に引き続きイーデンパークに見学に行きました。そこで、宝塚からの後発組
の保護者のツアーと合流しました。きょうは、イーデンパークのスタジアム内を案内して
いただきました。
まず、正面から入ると、様々なカップやトロフィーが並ぶ陳列ケース、詳細には、わかり
ませんでしたが、オークランド協会がニュージーランド・ラグビーの中心になっていた時
代を示す遺産がそこにありました。オフィスで挟まれた廊下を抜けると、正面スタンド下
の通路出口、ここから数々のテストマッチでオールブラックスが大声援につつまれながら
登場していくのです。その、ドアの手前にホームチーム用ロッカー、殺風景なロッカール
ームでしたが、クールダウン用の大きなプールや、薬屋さんができるほどの医療ロッカー
などは、さすがにニュージーランドと思わせるものでした。そのロッカールームの反対側
には、レセプションルーム(クラブハウス)
、バーカウンターがあり、英国のパブのような
小粋なつくりでした。壁には、オークランド代表やオールブラックスが対戦した相手の盾
やペナントが整然と掲げられていました。その中には、桜のエンブレム、そう、JRFU
のペナントも掲げられていました。そのあと、今度は、バックスタンド側に回り、イーデ
ンパークの特等席を見学しました。ディナー用の大食堂、スポンサー用のVIPルーム、
イーデンパークは、クリケットの試合にも使われますが、ラグビー場として、このような
設備があること自体、そのラグビー文化の違いに感嘆させられました。
<17:00>
カールトン・クラブのグランドで、ホストペアレントの迎えがくる間、カールトンクラブ
のジュニアチームの練習を見学しました。小学生から高校生くらいまでが、いくつものグ
ループにわかれて練習していました。練習風景は、日本のスクールとあまり変わりません
でしたが、低年齢から大人まで、同じグリッドトレーニングをやっていたのには、感心し
ました。国全体でラグビー選手に対するトレーニング方法が方向付けされていることが良
くわかりました。
■8月24日
< 9:00>
きょうは、13才以下チームのゲームが行われますが、午前中は、ガイとマークがオーク
ランド近郊を案内してくれました。
<12:00>
クラブハウスで昼食。きょうは、ガイとマークがバーベキューを焼いてくれた、同行の父
母からもサティ(焼き鳥)の差し入れがあり、とてもおいしく食べました。クラブの Edith
さんも、とってもよくしてくれて、感謝感謝です。
<13:00>
夕刻の試合ということもあり、フォーメーションを中心に練習しました。NZでは、ジュ
ニアラグビーがありませんので、当初、15才以下で出場する予定だった、千葉、岸和田
のCTBをフランカー、NO8に入れて、全体練習を行いました。みんな、気合充分!
<14:30>
試合まで時間があるということで、イーデンパークへ行き、オークランド代表の練習を見
学しました。サブグランドでは、セレクションマッチが行われていました。
<15:30>
カールトン・クラブのグランド到着
ウォーミングアップをしていると、徐々にカールトンのメンバーが集まってきた。次第に
ギャラリーも増え、グランドの回りを囲むような賑わいになってきました。
オークランド協会のレフェリーの方による、ドレスチェックとメンバー表の確認。ニュー
ジーランドでは、こんな練習試合でも、ちゃんと記録に残します。ドレスチェックで日本
と違うのは、マウスピースです。ヘッドキャップは、無くても良いが、マウスピースが無
いと試合に出られません。宝塚RSは、中学生以上は、マウスピース必須ですので問題無
くクリアしました。
<16:15> キックオフ
宝塚FWが元気で、どんどんゲインラインを突破していきました。今日はCTBに入った
1年の田村、小島も積極的に前へ出て、WTBの石丸、FBの川尻に良くつなぎました。
前半は、宝塚RSリードのうちにハーフタイム、これは、勝てると思いましたが、後半、
カールトンクラブもメンバーを入れ替え一回り大きな選手が出てきました。カールトンに
も危機感があったと見うけられます。たとえ親善試合でも負けるわけにはいかないという
確固たる信念が見えました。徐々に、宝塚FWも消耗していき、カールトンに追い上げら
れます。終盤、カールトンの大型TBがボールを大きく動かし、まるでオールブラックス
のような展開で、続け様にトライを奪われました。結局2トライ差で敗れましたが、みん
な精一杯頑張り、決してキックで逃げない宝塚RSらしいゲームをしてくれました。
ノーサイドになり、両軍入り乱れて、互いの健闘を称え合いました。子供達は、言葉が通
じなくても、ようく判っているみたいでした。自分の対面の選手を見つけては、肩を抱き
合い握手をしました。生徒たちは、かけがえの無い体験をし、かけがえの無い友を作りま
した。この光景を見て、つくづく、このツアーをやって良かったと思った次第です。
宝塚ラグビースクール
T 2
前 半
後 半
G 2
T 0
14
G 0
P 0
P 0
T 0
T 4
G 0
0
P 0
反 則
Grammar Carlton RFC
G 0
0
20
P 0
得点合計
14
得点合計
20
前 半
5
前 半
10
後 半
7
後 半
7
反則合計
12
反則合計
17
■8月25日
< 9:00>
きょうは、15才以下チームのゲームが行われますが、みんな、いろんな方へのお土産を
買わないといけないようなので、それまでは、ショッピングタイムとしました。
ホームステイも今日の朝で終わり、きょうからはホテルに移ります。朝、いつものように
カールトンクラブへ、ステイ先の親が送ってくれました。ただ、きょうでお別れと言う事
もあり、総ての方にお礼を言いたくて待っていました。生徒が迷惑かけなかったか?どん
な様子だったか?言葉で言い表せない感謝の気持ち、握手を何度も何度も繰り返してお礼
を言いました。どのホストファミリーもみんな、「Good Boys!」と言ってくれました。是非、
もう一度来て、とも言ってくれました。感謝!と同時に、スクールの生徒たちを誇りに思
いました。
ショッピングは、大関さんの案内で、オークランド市街のDFS、OKショップなどに行
きましたが、生徒に一番喜んでもらえたのは、市外にあるアウトレットショップでした。
カンタベリー、ナイキ、アディダスの製品が、日本の価格の1/4くらいで買えました。
また、日本ではサッカー・野球用品が占める、スポーツショップもほとんどラグビー用品
で占められ、みんな思い思いのジャージやらヘッドキャップやらを買いこみました。特筆
すべきは、カンタベリーの練習用ラグビーボールです。練習用といっても何等試合用と変
わらず、1個日本円で1500円くらいでした。迷わず買い占めようとしましたが、2個
しか在庫がなく、2個買いました。ちなみに、Kくんは、ナイキのスパイクを気に入って
買ったのですが、帰国してから見ると両方とも右足用だったとか、KIWIらしいなぁ。
<15:00>
カールトン・クラブのグランドに到着
これから、U-15チームのゲームが始まります。宝塚のメンバーは、今年の4月卒業し
た高校生OBを中心に、中3の千葉、川尻、中2の岸和田、矢木、細川、石丸、梶本が出
場しました。
相手チームが現れました。
「大きい!」年齢の間違いかと、問い合せましたが、確かにカー
ルトンクラブのU-15チームだとか。但し、1stⅩⅤ(1本目)でした。その上、この
チームは、今年度のオークランド地区の優勝チームで、オークランド選抜にもたくさん選
出されているそうです。また、最近オーストラリア遠征し、そこでのチャンピオンシップ
に優勝したとも言われました。
<16:15>キックオフ
宝塚FWの小嶋兄、田村、林が積極的にボールに絡み、10分までは、ほぼ互角の戦いを
繰り広げました。徐々に、カールトンもエンジンがかかってきましたが、密集での反則が
多く両チーム得点をあげられません。特に、カールトンのFWは、体格、力ともに宝塚を
圧倒しておりましたが、無用な反則が多く、ギャラリーからはブーイングの嵐でした。カ
ールトン側の気負いが無くなってからは、速い球回しと、個々のスピードで、トライが量
産されていきました。それでも、宝塚チームは、くさることも無く、跳ね飛ばされてもタ
ックルに行き、自陣からもキックで逃げることなく回して行き、堂々とプレーをしました。
後半、ハーフタイムに、
「気持ちで逃げるな」「ペナルティに集中しろ!」との指示がでて、
劣勢ではありましたが、誰も逃げずに、プレーに打ち込んでいました。得点こそ大差がつ
いていましたがギャラリーからは、宝塚を応援する声が大きくなっていました。終了間際、
最後の力を振り絞って、FWがゲインラインを突破して継続して行く中で、カールトンの
反則。フランカーの山田がクイックリスタートで、ギャップを抜いてトライか!と思った
瞬間、相手ディフェンスにつかまり、
「あ~っ」と思いきや、キャプテン千葉がよくフォロ
ーしており、パスを受取り、左中間にトライ!
たった、一つのトライ、でしたが、グランドに集まったたくさんの人達が大きな拍手をし
てくれました。見ていた、指導員、スタッフ、父母も涙がとまらない様子でした。応援に
来てくれていたホストファミリーの方々も目を赤くして拍手をしてくれていました。ニュ
ージーランドの方々は口々に「Nice game!」
「Good team!」と言ってくれました。
ノーサイドの笛が鳴ると、すぐにカールトンクラブのU-15チームのみんなが、こち
らに集まってくれました。コーチのガイも「試合は負けたが、君達のファイトは素晴らし
かった」と言ってくれました。選手同志で健闘を称えあい、握手をし、記念撮影をしまし
た。負けはしましたが、生徒たちは、最後までやりぬく気力と、大きな相手に立ち向かう
勇気を身につけてくれたことと思います。このツアーの責任者として、誇らしい気持ちで
一杯でした。
宝塚ラグビースクール
T 0
前 半
後 半
G 0
T 6
0
G 5
P 0
P 0
T 1
T 4
G 0
5
P 0
反 則
Grammar Carlton RFC
G 1
40
22
P 0
得点合計
5
得点合計
62
前 半
1
前 半
14
後 半
1
後 半
15
反則合計
2
反則合計
29
<19:00>
アフターファンクションミーティングの変わりに、宝塚RS主催でホストファミリー、グ
ラマークラブの方々、コーチのガイとマークを招待してパーティを行いました。
グラマークラブの Mr. Richard Humphries から挨拶がありました。「来てくれて、有難う。
今日の試合を見て感激した。君達の勇気は素晴らしい。また、いつでも来てくれ。」という
内容でした。キャプテンの千葉がスピーチをしました。
Thank you very much for having the hearty welcome today. I am Kazuya Chiba of the
Takarazuka rugby football school. We came from Takarazuka City in Japan.
A large earthquake happened in our town in January-1995. And, a lot of friends of
us received damage. The member of Auckland Grammar Rugby Football Club came to our
city in February, 1996.The member's having visited gave us big courage. And, we can
come to Auckland, and are very happy now. We want to learn something from you by this
tour. This tour will become a very good experience for us. We wish to express our
gratitude to you who gave us a wonderful environment. Thank you very much.
ホストファミリーと同行の父母とが同じテーブルで歓談?しました。ガイとマークは、生
徒の中に入っておおはしゃぎしていました。生徒は、この日の為に用意していた歌を歌い
ました。上手い下手は別として堂々と披露してくれ、喝采をうけました。予定時間をはる
かにオーバーし、ようやくお開きということになりましたが、ガイとマークは、離れがた
く、いつまでも、生徒と騒いでいました。日本と同じく、ジュニアチームのコーチは、本
当に子供が好きなんだなと感じました。
ようやく、帰ることになり、最後の思い出に、ホテルのロビーで、ガイとマークが、HA
KAを披露してくれました。夜中の10時にホテルのロビーで「カマテ、カマテ・・・・・」
。
そのあとも、ガイとマークは、帰ろうとせず、迎えの車で何度も何度もホテルの周りを回
って、クラクションを鳴らしていました。
■8月26日
きょうが、このツアーの最終日になりました。
早朝から、バスに乗り、ワイトモ観光に出発しました。昨日の激戦のつかれも無く、今回
はじめて、全員での観光になりました。ワイトモ洞窟は、オークランドから南へ、車で4
時間くらいのところにあります。洞窟内の鍾乳石もきれいですが、天井一面に広がる、土
ボタルの光は、幻想的で、世界的に有名です。一行は、ワイトモ洞窟を見学し、おいしい
昼食をとり、夕方、オークランドに帰ってきました。
ホテルで休憩後、カールトンクラブのスチュワートさんが引率してくれ、アルバニースタ
ジアムでNPCの観戦をしました。あいにく、オークランドは、アウェイでのゲームで、
今回は、オタゴ対ノースハーバーでした。ノースハーバーがホームチームで、いろんなフ
ェィスペインティングをしたファンと一緒に、レベルの高いラグビーを満喫しました。ス
タジアムでは、いろんな応援グッズを無料で配っており、ファンサービスも行き届いてい
ると感心しました。また、売店で売っていた、フィッシュ&チップスは、とてもおいしか
ったです。ニュージーランドのスタジアムでフィッシュ&チップスをほお張りながらラグ
ビー観戦するなんて、夢のような時間でした。
■8月27日
大きな、たくさんの想い出を胸に詰めて、帰国となりました。
早朝の出発にもかかわらず、ガイが見送りに来てくれたのには、グッとくるものがありま
した。買い忘れたお土産を空港で買い足し、機上の人となりました。
関西空港に到着すると、予定時間が遅れたにもかかわらず、たくさんの方々が出迎えに来
てくれていました。
■ツアーを終えて
今回のツアーを実施するにあたって、本場のラグビーの体験、ホームステイによる国際感
覚など、たくさんの目的がありましたが、計画したスタッフとして一番得て欲しかったの
は、自分というものの認識でした。生きていく上で、ラグビーをする上で、自分とは何な
のかを考えて欲しかったのです。親の元、大勢の知り合いの中で暮らしていることで気づ
かずに過ごしている部分を言葉もよく通じない、何のつながりも無いホストファミリーの
優しさ等を通じて考えるきっかけになればと考えておりました。参加した生徒諸君は、こ
のツアーでの経験をもとに、大きく羽ばたいてくれるものと期待しております。
ニュージーランドへ行って
中学部2年(当時) 細川史貴
ニュージーランドへ行って一番驚いた事は物価でした。日本では何万円もする物が何千
円で買えたりする事ができました。食べ物だって200円くらいするものが、50円くら
いだったりと、とても安かったです。
ニュージーランドの家は、どこの家も大きかったです。僕のホームステイ先の家もとて
も大きかったです。
ニュージーランドのラグビーの練習は、本当に基本的なことしかしませんでした。しか
し、ニュージーランドの大人の練習を見ていてもそうだったけれど、次の練習に移る時な
どは、すごくテキパキとしていました。こういう所は真似していきたいです。
ニュージーランドでは、いろいろあったのですが、一番心に残った事は、ニュージーラ
ンドの学校の生徒達との試合でした。初めての外国チームとの試合でした。15才以下の
チームとの試合でした。はじめ僕は、かなりビビッていました。
「こんな大きいのとやるのか!」
キックオフ!高1生の先輩たちが、すごく頑張ってくれていましたので、とても心強かっ
たです。僕もしんどかったけれど次第に楽しくなってきました。この試合で一番嬉しかっ
た事は、一本だけだったけどチームがトライできた事です。校長先生がいつも言われてい
る様に、一本でもトライができたと言う事は、勝てる確率が少しでもあったということで
す。負けてしまったけれど、とても楽しかったし、嬉しかったです。僕は、この試合に出
た事を誇りに思います。
それからコーチ、ご父兄の方、有難うございました。そして一番感謝したいのは、ホー
ムステイ先の家族の人達です。本当に有難うございました。
ニュージーランド遠征日記(抜粋)
中学部1年(当時) 田村大輔
第1日目
ニュージーランドでホームステイさせてくれる方に自分の名前を伝えて、まず友達になっ
た。車で家に行くのかと思ったら、その人の息子のラグビーを見に行くか?って聞かれた
から「Yes」と答えたらオークランド代表の練習を見せてくれた。
練習を見て息子さんがオークランド代表のキャプテンということがわかった。
家に着いたら、先ず、びっくりした。
「なんて家がでかいんだ!」夕食のときには、家族の
一人みたいなかんじで日本のことを話して、すぐに1日目が終わった。
第2日目
ラグビーの練習があるのに練習道具を忘れて迷惑をかけてしまった。オークランド・グラ
マー・スクール(AGS)に行って、むこうの生徒とバスケットや卓球をやらせてくれて
面白かった。校舎の中に100年くらい前からのラグビーチームの写真が飾ってあった。
ラグビーの練習は、ガイさん、クリスさんが教えてくれて中には面白いところもあったが、
正直言ってかなりへしょい練習やなァと思いながらやってた・・昼からオークランド州代
表の練習を見た。うしろにパラシュートをつけて走っていたからびっくりした。オークラ
ンド代表の人達のサインを貰ってステイ先の家族に見せたらびっくりしていた。
第3日目
午前中は、クラブで練習して昼からイーデンパーク(EDEN PARK)に行って見学。いろいろな
所に行って、滅多にというか、絶対に普段はいれない所にも入れてくれて本当に良かった。
オークランド州代表の練習は、僕等と一緒の事をやっていたのにあんなに強いから、僕等
もやれば強くなるかなと思った。フォワード、バックスの合わせみたいので、バックスの
スピード、サインとかにびっくりした。いろんなサインがあったからパクろかなと思った。
フォワード、バックスとも大きな声が出ていた、途切れたことが無いように聞こえた。
第4日目
とうとう試合の日がきた。ステイ先の家族の人も見に来てくれるって言ってたから、頑張
って気合を入れていこうとした。軽く練習して合せてポジションは、センターをすること
になった。僕は、いつもスタンドオフなので出来るかなと不安だった。試合前に円陣を組
んで皆気合が入っていた。昨日のタックル練習を思い出して試合に挑んだ。千葉先輩と「試
合に勝ったらヘッキャな!」って約束した。キックオフ!ピー!相手もでかかったけれど
ビビッてられへん、バックスのラインが浅くて第一センターでつぶされてしまった。僕は
どうせつかまんねんからと第1、第2センターの間のとこを抜いて、あとのフォワードも
スピードで抜いていったらトライできた。海外試合ではじめてのトライができた。岸和田
さん、矢木さんとかから「田村ナイス!」の声が聞こえて、それまでよりも気合が入って
きた。試合は負けたけど皆、絶対にいい想い出になったと思う。家に帰って家族に「大輔、
トライしてんで」って話したら、お兄ちゃんがガッツポーズ教えてくれた。うれしかった。
第5日目
15才以下の試合があって、リザーブに僕の名前があった。相手、かなりでかいのに僕と
か出されたらどうしょう・・とか思いながら見ていた。水運びは案外しんどかった。僕の
ステイ先家族のお兄ちゃんが8番で出ていてオークランド代表のキャプテンでした。いい
試合がみれてよかった。
U-15戦を終えて
高校1年(当時) 田村洋平
今日は、ついにU15の試合がありました。予想通り、相手はでかくて筋肉ムキムキで
した。僕は、タックルが得意なので頑張りました。前半は、タックルが良く決まり自分で
も大満足でした。後半はさすがにバテてフラフラでした。最後の最後でキャプテン千葉の
トライが決まりU15の試合の初トライができました。とても感動的でした。