相対論的補正⑪

2013/01/09
10章
相対論効果の導入
1.自由粒子の運動エネルギー
質量 me の自由電子が運動量 p  ( px , p y , pz ) で運動する場合、特殊相対性理論の要請を満たすエネルギー式。
E 2  me2 c 4  c 2p 2
(1)
c は光速である。エネルギーの1次に解く。
E   me2 c 4  c 2p 2   me c 2 1 
p2
me2 c 2
(2)
電子の運動量がゼロの場合、 p  0 、よく知られた「質量エネルギー」の式になる。
E   me c 2
(3)
z 方向に運動すると考えて、つまり p  (0, 0, pz ) 、 pz と E の関係を図示する。
E
赤色線で示す電子状態では、 pz が増加する
E   me2 c 4  c 2 pz2
と E が増加する。青色線の電子状態では、pz
が増加すると E が減少する。前者は正エネ
 me c 2
ルギー状態、後者は負エネルギー状態であ
る。この章では正エネルギーの状態だけを考
0
pz
える。但し、負エネルギー状態が化学現象に
全く必要ないというわけではなく、
「陽電子」
me c 2
として、しばしば化学現象に出現する。
E   me2 c 4  c 2 pz2
電子が存在することが可能なエネルギー領域を帯で下図(左)に示す。オレンジ色が正エネルギー状態の
電子(普通の電子)がとりうるエネルギー範囲、青
E
E
色が負エネルギー状態の電子がとりうるエネルギ
 me c 2
ー範囲である。ディラックの考えによると、真空状
 me c 2
態は負エネルギー状態の電子で埋め尽くされてい
2
0
る。 2me c のエネルギーが真空の与えられると(例
0
陽電子
me c 2
me c 2
えばガンマー線の照射)、負エネルギー状態の電子
が正エネルギー状態の電子に励起する(右図)。負
エネルギー状態に生成した空孔が陽電子となる。こ
れが、電子-陽電子の対発生である。同様に、電子
-陽電子が対消滅してガンマー線を放出する現象もある。医療で使われる PET 診断(陽電子画像診断)はこ
の原理による。
2.運動エネルギーの相対論補正項
以降は正エネルギー状態だけを扱う。エネルギーの近似式を作ることを考える。 x  1 のとき 1  x は
次式のようにテーラー展開できる。
1 x  1 
x x2

2 8
(4)
上式を利用し、(2)式( E  0 )の近似式を作る。
E  me c 2 1 
1 p2
1 p4 
p2
2 
1



m
c


e
2 me2c 2 8 me4 c 4 
me2 c 2

(5)
1 p4
p2
 me c 2 

2me
8 me3c 2
上式の第1項は「質量エネルギー項」、第2項は「非相対論の運動エネルギー項」、第3項は「相対論補正
2
項」である。第1項から、質量 me がエネルギー me c と等価であることがわかる。エネルギーの基準点は
2
任意であるので、質量エネルギー me c を差し引いたエネルギーを新たに E と置き換えることができる。こ
のときのエネルギーは次式となる。
1 p4
p2
E 

2me
8 me3c 2
(6)
3.量子論への移行
前節の(1)式、若しくは、(2)式を使って、量子論な方程式を作る。量子論への移行は、エネルギー式の p
を演算子に置き換えて波動関数  に作用させる手順を採用する。
px 
pˆ x 
 
i x
(7)
前節の(6)式中の相対論補正項の p を演算子に置き換える方法は、最も簡単な相対論補正、つまり最低次
2
( c オーダー)補正のひとつである。
1 p4

8 me3c 2

1 pˆ 4
1 4


4
3 2
3 2
8 me c
8 me c
(8)
この項を Schrödinger 方程式に加えることで相対論補正ができる。簡便であるが原子番号Zが大きくなる
と破綻する。
別法として、前節の相対論的エネルギー式(2)を根号のまま使い、 p を演算子にすることもできる。
E  me2 c 4  c 2p 2
根号

Eˆ   me2 c 4  c 2  2 2 
中に演算子を含むために取り扱いがやや困難であるが、運動エネルギーを補正するには良い方法で
ある。更に、元々の(1)式を量子化する方法もある。
Eˆ 2    me2 c 4  c 2pˆ 2   、
つまり
Eˆ 2    me2 c 4  c 2  2 2   。
この式は Klein-Gordon 方程式と呼ばれる。 Ê を含むので波動方程式として解く際の困難がある。また、
2
電子のスピンを表現していないので「電子の方程式」としても不適である。
4.Dirac 方程式
Dirac は前節で幾つか紹介した方法とは異なる方法で量子論的な方程式(Dirac 方程式)を導いた。特殊
相対性理論の要請を満たして、波動関数理論として適切な方程式の形は、
「エネルギーの1次の項と運動量
の1次の項を含み、その式を2乗すると(1)式を満たす」、ことが必要である。この要請を満たす式として
Dirac が以下の式を提案した。
 me c 2
0
cpˆ z
c( pˆ x  ipˆ y )   1 
 1 


 
2
cpˆ z    2 
0
me c
c( pˆ x  ipˆ y )
E  2  

 3 
 3 
me c 2
cpˆ z
c( pˆ x  ipˆ y )
0

 
 
cpˆ z
me c 2    4 
0
 4 
c( pˆ x  ipˆ y )
(9)
エネルギー演算子が4×4行列であり、波動関数が4成分を持っている。4つの関数 1 ,  2 ,  3 ,  4 が
セットになって1つの電子状態が決まることが Dirac 方程式の特徴である。4成分の波動関数を Φ とし、
 1 
 
Φ   2
3 
 
  4 
(10)
エネルギー演算子の部分を Hˆ D と表記する。
Hˆ D
 me c 2
0
cpˆ z
c( pˆ x  ipˆ y ) 


2
0
me c
c( pˆ x  ipˆ y )
cpˆ z 




0
cpˆ z
c( pˆ x  ipˆ y )
me c 2


2
0
cpˆ z
 me c 
 c( pˆ x  ipˆ y )
(11)
(9)式は普通の固有値方程式に書ける。
Hˆ D Φ  EΦ
(12)
Hˆ D を2乗すると、
Hˆ D2
 me2 c 4  c 2pˆ 2

0
 

0

0

0
m c  c 2pˆ 2
0
0
0
2 4
me c  c 2pˆ 2
0
0
2 4
e


 、

2 4
2 2
me c  c pˆ 
0
0
0
pˆ 2  pˆ x2  pˆ y2  pˆ z2
となり、相対論的エネルギー(1)式の関係を満たしていることがわかる。
Hˆ D の右上の1ブロックはパウリのスピン行列で表現できる。
cpˆ z
c( pˆ x  ipˆ y ) 

0 1 
 0 i 
1 0 
pˆ x  
pˆ y  
 
c( pˆ  ipˆ )



 pˆ z
cpˆ z 
x
y
1 0 
i 0 
 0 1

  x pˆ x

 y pˆ y

パウリのスピン行列は次式で定義される。
(13)
 z pˆ z  ( x ,  y ,  z )  ( pˆ x , pˆ y , pˆ z )  σ  pˆ
0 i 
0 
0 1 
x  
,
1 0 
y  
i
1
0
z  

0 1
(14)
5.2成分ごとの表記
Dirac 方程式を2成分ごとに書き分けることは後々のために有用である。
 1 
  
 
Φ   2    L  、 つまり、
  3   S 
 
  4 
 
L   1 
 2 
 
S   3 
 4 
 L と  S を使って Dirac 方程式は2成分表示される。
 
I
E  L   me c 2  2
02
 S 
02   L   02
cσ  pˆ   L   me c 2 I

 
I 2   S  cσ  pˆ
02   S   cσ  pˆ
cσ  pˆ   L 
 
me c 2 I   S 
(15)
ここで、
1 0 
I2  
,
0 1 
0 0
02  
。
0 0
エネルギーの基準は任意であるので、 E  me c 2 を新たな E とする。
cσ  pˆ   L 
 
 0
E L   2
 
2
 S 
cσ  pˆ 2me c I 2   S 
(16)
更に、ポテンシャルエネルギー V が存在すれば、運動エネルギーは E  V となる。
cσ  pˆ   L 
 
 0
(E  V )  L    2
 
2
 S 
cσ  pˆ 2me c I 2   S 
→
cσ  pˆ   L 
 
 V
E L  
 。(17)
2 
 S 
 cσ  pˆ (V  2me c )   S 
自明な場合は I 2 や 02 は省略する。行列を分解して書くと、  L と  S の連立方程式となる。
E  L  V  L  cσ  pˆ  S
E  S  cσ  pˆ  L  (V  2me c 2 ) S
(18)
6.スピン関数とスピン演算子
パウリ行列でスピン演算子を表現することができる。
1
Sˆ  σ
2
(19)
1 
0
0
1 
その基底(演算子が作用する相手)は2成分波動関数     、     である。Z 成分の演算を示す。
1  1
1  1 1 0  1  1 1  1
Sˆz  Sˆ z     z      
        
0  2
 0  2 0 1 0  2 0  2
0  1
 0  1 1 0   0 
1 0 
1
       
Sˆz   Sˆ z     z      



2 1 
2
1  2
1  2 0 1 1 
7.最低次の相対論補正項の導出
上式の2つめの式から、
1
(cσ  pˆ ) L
E  V  2me c 2
S 
(20)
を得て、これを(18)式に代入して  S を消去すると、
E  L  V  L  (cσ  pˆ )
1
(cσ  pˆ ) L
E  V  2me c 2
(21)
となる。ここで、 E  V  2me c 2 つまり、 E  V  2me c 2  2me c 2 とすると、
σ  pˆ
1
L
(cσ  pˆ ) L 
2
2me c
2me c
S 
E  L  V  L  (cσ  pˆ )
1
(cσ  pˆ ) L
E  V  2me c 2
 V  L  (cσ  pˆ )
 V L 
(22)
1
(cσ  pˆ ) L
2me c 2
 pˆ 2

(σ  pˆ )(σ  pˆ )
pˆ 2
L  V L 
L  
 V  L
2me
2me
 2me

(23)
(22)式は、  S が  L よりも c 1 のオーダーで絶対値が小さいことを示している。これが  S と記すゆえんで
ある(s は small)。それに対して  L の L は Large である。
(23)式を1成分ごとに書いてみる。
  
    pˆ 2
E 1  
V   1 
 2   2me
  2 
更に、行列表示をやめて1行ずつに書く。

E 1  


E 2  


pˆ 2
 V  1
2me

2

pˆ
 V  2
2me

これはシュレーディンガー方程式が単純に2つあるだけである。つまり、相対論効果が小さいと、Dirac
方程式の  L は( 1 と  2 は)シュレーディンガー方程式の解と同じになる。つまり、  L が非相対論的状
態に対応し、  S がその補正項を担っている。
また、波動関数の規格化は4成分全体で満たされる。
*
 Φ Φdv 
*
  L
 
*S   L  dv 
 S 
 
*
L
L
dv   *S  S dv  1
 S と  L の c2 オーダー近似関係を代入すると、
*
 σ  pˆ
 σ  pˆ
   L dv     S dv     L dv    2mec  L  2mec  L dv
*
L
*
S
*
L
  *L  L dv   *L

(σ  pˆ )* σ  pˆ
pˆ 2 
 L dv   *L 1 
 L dv
2 2 
2me c 2me c
 4me c 

pˆ 2  
pˆ 2 
  *L 1  2 2  1  2 2   L dv   T* T dv  1
 8me c   8me c 
上式の最終行では c4 オーダーの誤差を無視している。上式は  S の効果も取り込んで規格化された2成分
波動関数として機能すべき波動関数 T の形を示している。T は Two の意味。

pˆ 2 
T  1  2 2   L 、
 8me c 

pˆ 2 
 L  1  2 2  T
 8me c 
(24)
次節では T に対して成立する方程式を導く。
8.相対論補正項
前節の  L だけの(21)式を再掲する。
E  L  V  L  σ  pˆ
c2
σ  pˆ  L
E  V  2me c 2
これを(24)式を考慮して T の方程式に書き換える。
2



pˆ 2  
c2
pˆ 2 
pˆ 2 
ˆ
ˆ
(σ  p)  V  1  2 2  T  E 1  2 2  T
1  2 2  (σ  p)
E  V  2me c 2
 8me c  
  8me c 
 8me c 
(25)
E  V  2me c 2 であるとして E  V  2me c 2  2me c 2 と近似するとシュレーディンガー方程式に戻ってしま
うことを前節で述べた。もう少し穏やかに E  V  2me c 2 を考慮しよう。
E V
 1
2me c 2
(26)
であることを利用して、  L 方程式の分数部分をテーラー展開することを考える。 x  1 のとき、
1
 1  x  x 2    1  x
1 x
(27)
である。この展開式を使って、
1
1
1
c2
c2



2
2
2me c  ( E  V ) 2me 1  E  V 2me
E  V  2me c
2me c 2
 E V 
1 
2
 2me c 
(28)
赤い部分が x に対応する。これを元の式に代入する。

pˆ 2  
1

1
(σ  pˆ )

2 2
2me
 8me c  

 E V 

pˆ 2 
pˆ 2 
ˆ
σ
p







T (29)
1
(
)
1
1
V
E



T
2 
2 2
2 2
 2me c 
 4me c 
  8me c 
2
オーダーが c 以内の項を注意深く拾い出し、 p̂ が演算子であることも考慮する。
      
pˆ  ( pˆ x , pˆ y , pˆ z )  
,
,
 。 このとき、
 i x i y i z 
2
 pˆ 2

  pˆ 2
 pˆ 2

pˆ 2  pˆ 2
pˆ 2 
(  pˆ ) E  V
ˆ

p
V
V
V
E
(
)
1










T

 T
 
 2 2

2 2 
2
2 2
m
m
c
m
m
m
c
m
m
c
m
c
2
2
2
2
2
2
2
4
e
e
e
e
 e
  e
 e




(30)
さらに、計算を進めると、
 pˆ 2

pˆ 4
σ  (  V  pˆ )
2




V  T  ET
V

3 2
2 2
2 2
8me c
4me c
8me c
 2me

(31)
(31)式左辺の括弧内[ ]の最初から2つの項は非相対論的シュレーディンガー方程式と同じである。第3項
は2節でも紹介した1次の運動量補正項(mass-velocity term)である。
pˆ 4
ˆ
H mass-velocity   3 2
8me c
Ze 2 1
である。ここで、
第4項と第5項は何かを考える。原子を仮定すると、 V  
4 0 r
であることを考慮して、第4項はスピン-軌道相互作用項(Spin-Orbit interaction term; SO term)とな
る。以下は導出であるがこだわらなくてよい。
Hˆ Spin-Orbit  
 e2
1
1
ˆ
ˆ
[
]
σ
p
p
σ


i
V
i
pˆ
4me2 c 2
4me2 c 2  4 0

1
1
e2
ˆ
p
σ




i


4me2 c 2  i
4 0
r
1
  pˆ
r
1
e2
 1 ˆ
r




σ  3   pˆ
p
2 2
 r
4me c 4 0


r 

1
e2

σ
4me2 c 2
4 0

1
Ze 2  1  1 ˆ
σ
L
2me2 c 2 4 0  2  r 3
ここで6節を思い出すとパウリ行列はスピン演算子に置き換えられる。
Hˆ Spin-Orbit 
1
Ze2  1  1 ˆ
1
Ze2 1 ˆ ˆ

σ

L
SL
2me2 c 2 4 0  2  r 3
2me2 c 2 4 0 r 3
一方、括弧内[ ]の第5項はダーウィン項(Darwin term)である。電磁気学で使うラプラス方程式に点電荷
を代入すると r
1
Hˆ Darwin 
 4 (r ) を得る。この式を使って次の変形ができる(こだわらなくて良い)。
2
 2 Ze 2  1 
 2 Ze2
4 (r )





V


8me2 c 2
8me2 c 2 4 0  r  8me2 c 2 4 0
 (r ) は r  0(原子核の位置)のときだけ無限大になる3次元デルタ関数である。電子が原子核とすれ違う
ときの補正項となる。
上記の、運動量補正項、SO相互作用項、ダーウィン項を、 c  2 の相対論項(最低次の相対論補正項)と呼
ばれる。再掲して c 2 を赤色で示しておこう。
 pˆ 2

1
Ze 2 1 ˆ ˆ
 2 Ze 2
pˆ 4
4 (r )  T  E T
V



S

L


3 2
2 2
3
2 2
8me c
2me c 4 0 r
8me c 4 0
 2me

量子化学では、原子単位系( me  1,   1, e  1, 4 0  1 )を採用することが多い。
 pˆ 2

pˆ 4
Z 1 ˆ ˆ
Z



S  L  4 2  (r )  T  E T
V

2
2 3
8c
2c r
8c
 2me
